長崎県島原市の小児科・アレルギー科 石橋こどもクリニック 0120-07-1484
小児科・アレルギー科 石橋こどもクリニック

★写真・映像紹介
 趣味で写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしています

  医師紹介 令和2年7月23日
 <略歴>
 
<氏名> 石橋俊秀(いしばし としひで)
 1955年(昭和30年) 現在の南島原市西有家町生まれる。
 出身の竜石小学校が、平成28年3月31日付けで閉校されました。それに先立って、1月31日に閉校式があり、参加しました。以前は木造建築だったのが、鉄筋コンクリートに変わっていました。それも、今後利用されるのは、体育館や運動場だけになるでしょうか?在校生達は4月からスクールバスで西有家小学校に通学するようになりました。時代の流れと言ってしまえば、それまでですが、寂しい気がします。
 長崎県立島原高等学校から自治医科大学の医学部に進学。
 高校時代には弦楽部に所属。
 大村市の長崎中央病院(現国立病院機構長崎医療センター)にて研修。
 その後、上五島病院、有川病院、対馬いづはら病院等の離島勤務。
 平成6年から、島原マタニティ病院勤務。
 平成11年7月26日に当地に開業しました。



 
 令和2年:島原市医師会総会記念写真 島原市医師会館にて

           開院時の写真(平成11年7月26日)

<院外の役職>

 
島原市立第一中学校の校(春の内科健診、心電図解読)
 おさなご園の園医(春と秋に内科健診を実施)
 桜花保育園の園医(春と秋に内科健診を実施)
 島原市の乳児健診に平成26年度は18回程度の予定です。

<趣味>

バイオリン演奏 島原高校時代に弦楽部に所属、大学時代は主にバスケット部の活動をしていましたが、時々バイオリンを弾いていました。
 ☆バイオリン、ビオラ、チェロとコントラバスに触ったことがある人あるいは触ってみたい人は、萗台時で毎週水曜日の午後8時~10時くらいまで練習しています。連絡先は萗台寺の安藤さん(62-6672)または、私(石橋、65-0008)でも結構です。

)8月22日(土曜日)の夜、霊丘公民館(変更後)で第51回サマーコンサートを開催予定です。今回は無料です!
   
雲仙登山 令和2年8月3日
 


 

 令和2年5月31日(日)はハウステンボスマラソンの予定だった。しかし、コロナウィルス感染症の影響で5月になって予想通りに中止となった。代わりに雲仙登山を思い立った。一番の敵は天気、特に雨だ!
 1週間前の予想では雨だったが、前日の予想では60%曇りとなった。5月30日の夜から31日の朝にかけて小雨が降った。地面はまだ触濡れている所もあったが、登山には持ってこいの日になりそうで、『ホッ』、としました。
 以前の登山を振り返ってみると、最初に登ったのは高校2年生の時でした(約47年前)。従弟と一緒に西有家町から登山を開始しました。雪道を歩いて目標だった霧氷と初日の出を見てから下山し始めました。ところが、行先を間違えて、熊笹を踏み越えて焼山を越えて島原市市役所の方に出てしまった。島原駅で休憩し、島原鉄道の列車で自宅に帰りました。
 約24年前には普賢岳噴火が落ち着てから長女が7歳、次女が5歳の時に子供達と一緒に登りました。約7年前には島原市の商工会議所の人達とバスを貸し切って霧氷見物に出かけました。その時は仁田峠で記念写真を撮影して、妙見岳側から登って西の風穴・北の風穴の方を回りました。暖冬のせいで霧氷は見られませんでしたが、災害記念館の副館長のガイドで登山中やバスの中が盛り上げっていました。
 今回は雲仙市小浜町の「矢岳駐車場」に8:10頃到着(写真1)。周囲を見回すと白いヤマボウシが咲いていた。同時刻に隣に駐車した車があって、4050歳ぐらいの男の人が降り立ったので、「どこから来られましたか?」と、尋ねてみた。すると、彼は、「長崎市からです」と、答えた。一緒に歩きながらいろんな事を話しました。彼は妙見岳山頂→国見岳山頂→西の風穴→普賢岳山頂→紅葉茶屋→あざみ谷→仁田峠のコースを辿る予定との事だった。
 駐車場からは遊歩道を通リながら(写真2)、雲仙ゴルフ場の周囲を半周して840頃に仁田峠(雲仙ロープウェイの登り口、標高1,070m)に到着した。駐車場にはかなりの車が止まっていた。麓のミヤマツツジは枯れかかっていた。近くで登山ための準備運動をしている十数人のグループを見かけた。途中で会った二人組の男性に「どこから来られましたか?」と、尋ねた。「平戸市から」と、答えた。今朝の新聞に三浦按針(晩年は平戸在住)の話が載っていたので、不思議な縁を感じました。次は、長崎県のオルレの一つ「九州オルレ平戸コース」を回ってみたいと思いました。彼らは登山靴を履いていた。日頃から登山を趣味としているのだろうと思った。それに対して、私はトレキングシューズで登山した。
 私は、「一期一会」という言葉が好きです。登山の時には、出会う人毎にどこから来たのか尋ねるように心掛けています。そしたら、近くの島原市からだけでなく、佐賀県、伊万里市、長崎市、諫早市、福岡市などと答えられました。コロナウィルス感染症は怖いけど、やっぱり好きなこともしたいという心境でしょうか?
 仁田峠から妙見岳に向かう途中で振り返ると、雲仙ゴルフ場や白雲の池が見える所があった。(写真3)
 9
10頃雲仙ロープウェイの降り口あたりに到着した。少し進んで妙見神社で休憩した(写真4)。そこを抜けて開けた所が絶景ポイントになっていた。真正面の左手に普賢岳(写真5)、右手に平成新山、振り返ると手前側に妙見岳山頂、左奥側の国見岳の山裾にはツツジが沢山咲いていた(写真6)。更に国見岳方面に行くと、ツツジが見頃でトンネルを形成している所があった(写真7)。
 10分ぐらい歩くと、国見わかれ(国見岳・妙見神社・普賢岳の三叉路)があったので左折した。急斜面だったのでチェーンを伝って登る(写真8)と国見岳の山頂(1,374m)に9:40頃到着した(写真9)。下山して、再び同じに三叉路(写真10)に1000頃降り立った。今度は直進して、普賢岳山頂を目指した。
 鬼人谷では国見岳・紅葉谷・風穴の三叉路があったので、今度は左折して、「西の風穴」を目指した。「西の風穴」の看板では、氷室としての歴史や蚕の歴史が説明されていた。昭和の初めまでは地元でも蚕農家があり、桑の葉を取り入れていた。「北の風穴」では、変わった苔の事が説明されていた(写真12、レスキュウポイント8)。湯江川源流(写真13)、それから立石の峰(写真14)、霧氷沢を通過した。
 登山者が万が一の事故に備えるのは当然です。例えば、体調管理、服装(上着から靴)、飲食物の持参、雨に濡れた時の対策など。怪我の予防のためには少々暑くても、長袖、長ズボン、帽子や手袋などを欠かせません。手袋もできれば滑り止めが着いた物(ゴルフ用手袋など)が望ましいと思います。
 更に、急病や怪我に対する対応として、看板でレスキュウポイントを確認しておく必要があります。雲仙登山では、1~18のレスキュウポイント表示があります。一部(SOSポイント)ではヘリコプターの絵も描かれていて、ヘリでの救助も可能な場所を示しています(写真15)。
 普賢岳山頂(1,359m)の分岐点(写真16)があったので、まず左折すると、1100頃到着した(写真17)。そこで伊万里市から来ていた夫婦に平成新山をバックに写真を撮ってもらった
 心残りだったので引き返して「霧氷沢」に降り立ったら、「平成新山」が間近に迫っていた(写真18)。設置されていた看板によると、「冬には霧氷が観察しやすい場所」と、紹介されていた(写真19)。
 普賢岳登山口まで戻り、「紅葉茶屋」から「あざみ谷」を通って仁田峠に降りるのが普通のコースです。しかし、上る途中で、「妙見岳山頂に上った事がないと、思い出したので、再び国見岳から妙見岳に引き返すコースを選択しました。
 もう少しで、妙見神社というあたりに、右折すると「第二吹越」という看板が出ていた(写真20)。試しに少し下ってみました。最後がどうなっているにか分からないので悩んでいると、たまたま男の人が通リかかりました。その人に尋ねると、「下は駐車場だけで、何もない。下りに約40分、上りに約50分かかる」と、教えてもらいました。それで、途中から引き返して、再び妙見岳山頂を目指しました。
 今回は自動車で仁田峠まで登らなかったので、環境保全協力金を募金しませんでした。そこで、妙見神社ではお賽銭を多めに入れました。
 そこから少し下った所を左折すると(写真21)、「妙見岳展望所」が山頂(1,333m)にありました(写真22、23、24)。 雲仙ロープウェイの降り口あたりに来てみると、ロープウェイが再開していた。観光客はそれを使って登り降りしたり、下りだけ歩いたりしていた。1307頃仁田峠に到着した。「矢岳駐車場」にどうにか到着できたのは、1407だった。
 雲仙普賢岳登山コースのパンフレットによると、基本コース(妙見岳から普賢岳山頂に上って、紅葉谷を経由して仁田峠に戻る)だと、休休憩や食事の時間を入れると、2時間30分から3時間かかります。今回はオプションとして、「矢岳駐車場から仁田峠までの往復」+「国見岳登山コース」+「鳩穴コース」を加えたので大幅に時間がかかってしましました。その他に、「第二吹越」の寄り道に対してもロスタイムがあり、合計6時間ぐらいかかりましたが、楽しい1日でした。
写真1  写真2  写真3 
写真4  写真5 写真6 
写真7 写真8  写真9
 
写真10  写真11  写真12 
写真13  写真14  写真15 
 写真16 写真17  写真18 
写真19  写真20   写真21
写真22  写真23  写真24 

   
九州オルレ平戸コース 令和2年8月3日 
   

 先週雲仙登山を終えて、今回(令和2年6月7日、日曜日)は九州オルレ平戸コース探索を計画した。準備としては、今回はほぼ平地なので、杖は不要。手袋を念のため持参するが、多分使用せずにすみそうだ。出掛ける時は半袖に日焼け予防のためにアームカバーを装着する予定とした。
 当日、朝起き出してみると晴れの予報だったが、曇天で寒むかった。そのため日の出は不明。島原市から自家用車で愛野展望台方面、小倉ダム、長崎国際ゴルフカントリー近くを通り、島原道路から一旦国道に出てから長崎道に乗るつもりだった。しかし、今回から国道に出ずにそのまま高速に出られるように変更されていた。おかげで約10分間短縮できた。
 高速の乗ると、次第に晴れてきたので『幸先良いぞ』と、自分に言い聞かせた。引っ越しのサカイというトラックを2台見かけた。最初は8090km/hで走行していたが、次第にスピードを100120km/hに上げた。佐世保市中央で高速を降りてからは工事中のため5060km/h以下の走行を強いられた。吉井町経由で平戸を目指した。
 左手に「平戸物産館」、右手に「平戸城」が見えて来て、900頃に平戸物産館(写真1)に到着。そこから平戸城の写真(写真2)を撮影し、平戸銘菓の「牛蒡餅(ごぼうもち、白色(写真3)と茶色あり(写真4)」と「カスドース(写真5)」を買って味見した。牛蒡餅の材料をみると、砂糖、上新粉、ケシの実とトレハロースとあった。ケシの実はゴマのようだった。味は名古屋銘菓のウイロウに似ていて、薄味で飽きが来にくそうだった。それに対してカスドースの方は、カステラを卵黄でからめ、糖密で揚げた物(フレンチトースト表現される)でオレンジケーキに砂糖を塗したようで非常に甘かった。
 「平戸大橋1977年4月4日開通、全長665m)」を通り過ぎて、平戸公園に910頃到着し、平戸ツツジを眺めた。たまたま近くにいた女子高生に平戸大橋をバックに写真を撮ってもらった(写真6、7)。
 それから、「平戸港交流広場」に車を止めて(2時間は無料)、「平戸観光案内所」に向かった。そこで「九州オルレ平戸コースのパンフレット1)(写真8、基準点に関してはスタート地点からの距離、トイレや駐車場の有無を記載、全長13kmで所用時間は4~5時間)」と、「HIRADO GUIDE MAP 歴史とロマンの島」というパンフレット2)を頂いた。
 オルレとは、そもそも韓国発のトレッキングスポーツの一種です。青い目印(リボン、木の矢印、路面のペンキ)の方向に進み、チェクポイント(説明板やカンセ)を通ってゴールを目指します。カンセとは、馬の形をしたオブジェのことです。スタート地点とゴール地点は一致しない場合もあります。また、赤い目印は反対方向を示しており、逆回りも可能です。
 940頃に13km走破を目指してスタートした。遊歩道を歩き(写真9~12)、青のリボンを探しけながら海岸沿いに歩いていると度島行きにフェリー(知り合いが中学校の教頭)と海上保安庁の高速艇が係留されていた(写真13)。間近で見るのは初めてだったので、釣られてそっちの方向へ行った。平戸城入口の説明板があったので、近くまで行ったら残念ながら工事中のため閉館中だった(写真14、15)。
 リボンが見つからなかったので、仕方なくスマホの力を借りた。「最教寺霊宝館」で検索し、指示通りに歩いた(写真16)。迷いながら進んだので1.2kmしかないのに40分も掛ってしまい、やっと1020頃到着した。赤い「三重塔(写真17)」は綺麗で雄大だった。最初は1607年建立とされており、毎年節分の日の泣き相撲で有名で、参拝費用は400円。閉館中のようだったので、外からお参りした。
 そこの裏道には青い木の矢印があったが、真っすぐ墓の方を向いていた。こんなはずはないと思ったので、近くを通りがかった青年に「川内峠」への行き方を尋ねた。そしたら親切にも、「右手の方ですよ」と、教えてもらった(写真18)。紙はあるが筆記具が見当たらなかった。たまたまコンビニ(ここが最後、山中にはコンビにはない)を見つけたのでボールペンを購入した。
 所々で矢印が草木に隠れて見えにくくかったり、指示方向が間違ったり、指示棒が倒れたりしていた。曲がって直ぐの所に指示がなかったり、間隔が長過ぎたりすると、『このまま進んでも大丈夫なのか』と、不安になる所もあった。観光課の職員が初心者(全く初めての人)とベテランが組んで一緒に回って見ると、いろいろと不備な点が見つかると思います。例えば、草木が伸びて標式を覆っている所、指示が間違っている所、初心者が指示を間違えやすい所、指示の間隔(3060m以上)が長過ぎる所など。また、カーナビみたいに当分真っ直ぐという指示があっても良いでしょう。
 アスファルトで舗装された道は歩きやすい反面、照り返しがきつかった。アジサイなどの花が綺麗に植えられていた。途中から山道となったが、かえって木陰となり歩きやすくなった。斜面では転んでも落ちないように、網が張ってある所もあった(写真19)。九州自然道の標示も見かけた。山中で見たシロツメグサ(植物図鑑という有川 浩の映画では冠を作っていた)と太陽光発電施設が妙にアンバランスに感じた(写真20)。下方街道(写真21、平戸城下から志自岐神社への須要道だった)は今では単に苔が生えた道に成り下がっていた。
 1130頃「川内峠インフォメーションセンター(写真22・23)」に到着(4.7km)。近くで「山きよく海うるわしたたえつつ旅人われや平戸よくよむ」という「吉田 勇の歌碑(写真24)」を見かけた。50年ほど前の平戸の川内峠の情景が目に浮かぶようだ。峠の頂上に手前に「西海国立公園指定記念碑(写真25」があり、広い草原(標高約200m、広さ約30ha)に赤いカンセ(写真26、馬の頭を模した物)がポツンと進行方向を示していた。峠を最上段まで登っていく途中(写真27)で、模型飛行機を飛ばし終えた壮年の男達を見かけ。頂上には別のカンセ(写真28)があり、To go 8.3kmと標示してあった。近くの平戸港や遠くの九十九島をバックに若い女性に写真撮影してもらった(写真29)。お返しに写真を撮ってあげた。
 この高台では風が強く吹くときもあったので、『凧揚げをしたら上手に揚げられそうだ。阿蘇山で見たパラグライダーのタンデムフライト(二人乗り)をやれないのだろうか』と、思った。
 1145頃、峠を降りて四阿(写真30)で昼食とした。トイレには「レジャー、観光でお越しの県外の皆様、今回はご遠慮下さい(写真31)」と、書いた紙が貼ってあった。島原市は県外ではないけれども、『来てしまったものを、何もせずに帰れますか』と、思った。駐車場に降り立つとバイク連れの若者が数十名いた。また、南島原オルレコースや雲仙登山にはレスキュウポイントの標示が出ているのに、島原コースや平戸コースには出ていないのを残念に思っていたら、この施設(駐車場)はヘリポートですという看板が出ていた(写真32)。
 一旦引き返すような感じで歩いたら、1220頃に川内峠インフォメーションセンターに再び着いた(6.8km)。この周辺はキャンプ場(ディキャンプ場)にもなっています。
 しばらく順路通りに歩くと、左折するとライフカントリーという看板が出ていた。一瞬○○カントリーなので、ゴルフ場かと勘違いした。説明板の続きを見ると、ライフカントリーの下に総合運動公園と記載されていた。そこからは青い木の矢印の従って山道を歩いた。半分以上が歩行者専用の未舗装であり、苔むした所やぬかるんだ所もあった。一部ではコンクリート塗装や木の階段が設けられていた。凸凹で来るまで歩きにくそうなのに、更にトゲトゲの木柵(写真33)で車が通れないように工夫してあった。
 音のする方向に行くと「総合運動場(ライフカントリー)」との説明板(写真34、9.2kmTo go 3.8km)があり、サッカーの試合中だった。更に進むと「赤坂野球場(写真35)」が見え、こちらも試合中だった(9.7km)。その脇を青いリボン、赤いカンセと路面の青いペンキ(写真36)に導かれて行った。前方に、「シーライフひらど(写真37)」が見えて来た。そこは低価格の上で年中泳げる温水プールがあり、夏には屋外のウォータースライダーが楽しめるそうです。しばらく歩くと、「横断歩道をお渡り下さい」の変わった看板を見つけた(写真38)。
 「平戸ザビエル記念教会(写真39~41、11.2km)」は、フランシスコザビエルが平戸を訪れ、キリスト教が日本に広がったのを記念して1931年に建てられたそうですが、閉館中だった。青いリボンを目で追っていくと、「宋陽公の墓(第28代平戸松浦藩主 松浦隆信)」、「寺院と教会の見える風景(11.4km)」、「瑞雲寺」や「浦の町の大ソテツ(写真45、樹齢400年なので木で支えてあった、11.7km)」と続いていた。瑞雲寺には「コルネリアの供養塔3)」が建っていた。彼女は平戸オランダ商館長を父、後妻のスリシアという洗礼名を持つ日本人を母との間に生まれ、時代に翻弄された一人だった。この塔は数奇な運命と縁によって遺されたそうです。
 1345頃「松浦史料博物館4)」に到着(写真46~48)。入り口で「松浦史料博物館+平戸オランダ商館」の共通入館券を800円で購入した。別々に買うと600円+310円となり、110円お得ですここでは土足禁止だったが、写真撮影は可だった。甲冑(紺糸威肩白赤胴丸)や輿(乗り物)が煌びやかだった。次に「平戸オランダ商館」を目指した。
 「按針坂」という道標を見つけた(写真49)。スマホを頼りに歩いたらどうにか、「三浦按針の墓(写真50)」に辿り着いた。三浦按針は徳川家康の時代の人で日本の外交貿易に大きな影響を与えたイングランド人で、本名はウィリアム・アダムスと言うそうです。そこから本道に降り、再び商館を目指した。
 1440平戸オランダ商館5)到着。ここも写真撮影可だった(写真51~55)。1609年に平戸港に石造り倉庫でとして設置された。キリスト教弾圧の折りに取り壊されたが、2011年に博物館として開館した。中の展示物では大きな大砲とリーフデ号模型が気を引いた。
 近くには、館長館跡地、オランダ塀、オランダ井戸(写真56、57)などの史跡があった。「崎方町の街並み」を歩きながら、ゴールに向かった。左手の方に「平戸温泉うで湯あし湯」の看板が見えたら(写真58、59)、『ホッ』、とした。1458頃無事にフィニッシュ。そこには、親子連れがいた。父親に温めのトロッとした足湯に浸かっているところを記念に撮影してもらった(写真5)。
 近くの店で「熊屋の牛蒡餅(ごぼうもち)」や「カスドース」を探したら売り切れだった。フィニッシュからスタート地点まで戻ると約100mだった。駐車場で精算すると、800円と予想より格安だった。
 『一度は生月に行ってみたい』と、思った。時間が押し迫っていたが、「生月大橋」を一路目指した。平戸島から生月島に向かう道を、「ながさきサンセットロード(夕日が綺麗なので)」と呼ぶようです。今度来る時は、一泊してでも『夕暮れ時に訪れてみたい』と、思った。そうこうするうちに生月大橋(写真60、1991年に完成、全長96m)に到着。昼間なのに天辺付近で電球が点滅していた。『これは、飛行機などの高度を飛ぶ物の進行を妨げないための工夫ではなかろうか』と、思った。
 生月島を左周りに進むと何もなかったので、スマホで「生月大漁藍観2)(いきつきだいぎょらんかんのん)」と調べてみた。分からなかったので引き返したら、「島の館」が目に付いた。女性スタッフに生月大漁藍観音について尋ねた。「下の道を右折し、海岸沿いを引き返して、最初の信号を左折、次の信号を左折すると、観音様の背中が見えてくる」と、親切に教えて下さった。序に、「A先生を知らないか」と尋ねたら、「現在も館診療所で頑張っている」との事だった。
 どうにか、観音様に辿り着いた。説明板には「生月観音」と書いてあった。スマホを構えたが、生憎とバッテリー切れのため写真撮影は無理だった。後日、平戸観光案内所の職員にメールで尋ねると「生月大漁藍観音が正式名で。生月観音とも言う」とのことであった。後日、インターネットで検索すると、その大きさはブロンズ像としては日本屈指で、昭和55年に建立された物で高さ18mと記載されていた。
 私は以前長崎県離島医療圏組合に所属し、上五島や対馬で勤務していた。同じ仲間がその頃離島だった「生月病院」にも勤務していた。家に帰ってから長崎県医師会名簿6)を見ると、B先生は生月病院勤務のままだった。
 平戸物産館を再訪し、土産を買いました。佐世保みなとから高速道路に乗り、佐世保大塔から引っ越しのサカイのトラックが入ってきた。カーナンバーは覚えていなかったが、『朝のトラックが一仕事終えて諫早方面に帰るのかな』、と思った。
 私は諫早インターで降りました。帰り道は連絡道路がなかったので、一旦国道に出て再び島原道路に入った。結局、日が沈む前(19:28)にどうにか帰宅出来た。長い1日だった。 
 入浴時に顔と両腕が少し焼き焼きした。予防のためのアームカバーの効果が不十分で日焼けしたようだ。顔には日焼け止めのクリームを塗っておくべきだった。後悔先に立たず。更に左脇腹が痛んだので、翌朝ヨガ7)をしてみたら痛みが少し和らいだ。
 4日後に整体の診察に行くと、右アキレス腱断裂の影響で体が左に傾きやすくなっているとの事だった。長時間の歩行やマラソンの前には右アキレス腱のマッサージを5分くらい実施した方が良いと教えてもらった。翌日は雨だったので島原市アーケード(万町から一番街まで片道約700m)をゆっくり4往復してみた。久々のランニングのため体が重たく感じた。今回はランニング前にマッサージを実施してみたので、左脇腹痛は軽度だった。
 コロナウィルス感染症は幸いにも当地では流行ったことがない。同じ所で早朝ウォーキングをしている人でのマスク装着者は少数だった。試しにマスクを付けたままランニングしてみると、口にピッタリくっつくようで息苦しくなった。歩くだけなら未だしも、ランニング中は難しいと感じた。今後、暑くなる夏を迎えると、更にマスク装着が困難になると思われる。
 謝辞 平戸市観光案内所の田島知子さん達や九州オルレ平戸コース担当者から原稿の間違いをいくつか指摘して頂きました。そのおかげで貴重な体験をさせて貰いましたので、感謝致します。

 『今度来る時には2日がかりで、田平、平戸島や生月島などを回ってみたい』と、思った。

追記 平戸市観光案内所 田島です。「九州オルレ平戸コース」が2020715日をもって廃止が決りました。コース上での不法投棄や倒木などによりコース利用者の安全面の確保が困難となったことが廃止の理由です。九州オルレ平戸コースをご愛顧くださり、誠にありがとうございました。

<参考文献>
)九州オルレ平戸コース パンフレット
2)HIRADO GUIDE MAP 歴史とロマンの島お薦め観光地図
3)コルネリアの供養塔
4)松浦史料博物館 パンフレット
5)平戸オランダ商館 パンフレット
6)長崎県医師会名簿
7)ずぼらヨガ:崎田 ミナ (監修 福永 伴子) 飛鳥新社 価格 1,111+税 
8)平戸観光

写真1  写真2  写真3
写真4   写真5 写真6 
写真7   写真8 写真9 
 写真10  写真11  写真12
 
 写真13  写真14  写真15
写真16   写真17 写真18
写真19   写真20  写真21
 写真22  写真23  写真24
写真25 写真26  写真27
写真28 写真29 写真30 
写真31  写真32   写真33
写真34  写真35   写真36
写真37   写真38 写真39 
写真40 写真41 写真42 
写真43   写真44  写真45
 
写真46  写真47  写真48 
写真49   写真50  写真51
写真52   写真53 写真54 
写真55   写真56 写真57 
写真58  写真59 写真60 
   
今後の予定
1)ホーム
ホーム

2)質問・相談
質問・相談

3))お知らせ 
お知らせ

4)特色
 
2020年度 乳児健診予定
8月19日 1歳6カ月健診  島原保健センター 14:00~
9月9日  5歳児健診     島原保健センター 14:00~
9月16日 1歳6カ月健診  島原保健センター 14:00~
10月14日 1歳6カ月健診  島原保健センター 14:00~
11月11日 1歳6カ月健診  有明保健センター 14:00~
※閉院しますが、健診には行きます!
☆2020年 祝日当番医
9月21日(祝日)・・9:00~18:00 ※最後のご奉公です!
11月23日(祝日)・・9:00~18:00 ※代ってもらう予定です。