造形の理論と実際


早いもので、私が焼き物を始めてから20年を過ぎてしまった。

その間、私は一体、何個ぐらいの茶碗を作ったんだろうか。

そんなことを時々考えてみたりもする。

ざっと計算してみると、おそらくすでに数万の単位を超えて

数十万個の単位に突入してしまっているのではなかろうか?

このニ十余年を一言でいえば、

「無心に、作って作って作りまくった。

 無心に、焼いて焼いて焼きまくった。」

と言っても良いかもしれない。

このことは私が陶芸において、「芸術のための芸術」といった純粋芸術

を志向したからではなく、むしろ日用の器作り、

普段に使って愛される茶碗作りを目指したことの証でもある。

陶芸家というより、職人、craftman

もっと言えば、「あの偏屈が!!」と言われるくらいの

職人気質に憧れてきた。


焼き物の面白いところは、俗っぽい言い方をすれば

なんの変哲もない土から、お客さんがお金を払うに値する

ものを創り出せるかどうかという所にある。

土に付加する価値のほとんど全てが作者の腕一本にかかっている。

だからこそ、厳しくもあり、やり甲斐もある。

お客さんと直接に接することは、あまり多くはないけれど、

自分の作品がお金を払ってまでも気に入ってもらえるのかどうか

この点において作り手は常にお客さんと真剣勝負である。


長年もの作りをやって来て、今一番思うところは、

理論と実際は、かなり違うということだ。

たとえば「機能美」であるが、「機能的なものは美しい」という

考え方は、その言葉自体一見、美しく、完結的で、

合理的ではあるが、必ずしもそうとはいえない。

どちらかというと、機能的なものは人間の感性

にとっては退屈だというのが当たってるようだ。