江戸時代島原を飢饉が襲った際、深江村の名主を勤めていた六兵衛が保存食のサツマイモ粉を食べる方法として考案した為この名前が付いたと言われている。かつて島原半島や近接した諫早地方では、サツマイモが主食作物として非常に重要であった。このサツマイモの粉を水でこねて摩り下ろした山芋を加えて生地とし、六兵衛突きと呼ばれる羽子板を大きくしたような形で、穴を開けた鉄板を取り付けた板に生地を押し付けて、湯を沸かした釜の上で押し出し、さほど長くない麺に成形し、そのまま茹でたものが六兵衛である。  
 六兵衛 -wikipedia-