鏡の中の銀の少年

戦争で次々と領土を増やしている国の王女アリアーナは、父王が手に入れた古い鏡に住む銀の髪に銀の瞳を持つ少年と友達になります。しかしある夜、城には謀反の嵐が吹き荒れたのです。

その国は、国王の権力と巨大な軍力の元、近隣諸国を次々と飲み込み、領地を次々と増やしていた。
しかし国も、領土を広げれば広げるだけ潤う物ではない。安定していた国内は次第に権力や重税に国民も光を失い、国の行く末を案じる者が多くなっていった。



「最近は、出入りの業者が多いのね」
朝早くから騒がしい様子に、今年13才を迎えたばかりのアリアーナ王女が侍女のマヤにつぶやく。
マヤは王女の髪をときながら、ハイと鏡の向こうににこやかに微笑んだ。
「新しい城にお飾りになる品々をお買い求めのようでございます。王女様もご覧になったらいかがですか?一番お気に入りの品は、何でも少年の住まう鏡とか」
「まあ、本当かしら?」
「今は確か、宝物殿の一番目立つところにあると聞きましたわ」
「ふうん」
鏡に住まう少年とは、一体どんな少年かしら?
王女は、朝食のあとさっそく地下の宝物殿へ急いだ。
ところが兵は、たとえ王女でも通せないと突っ張る。
王の許可がないと、通せないらしい。
腹も立つが、王には珍しいことではない。
しかし王は同じ城の中にいて、一体いつ最後に話をしたかも覚えていない。
母親を早くに亡くし、一人いる兄も政治に関わっているのに自分一人が蚊帳の外でつまらない。
友人さえおらず、大人達に囲まれて退屈気味だ。
「きっとその内、どこかの王子と結婚させられて、それでさようならだわ。悔しいこと」
自分の行く末も人に決められる運命なら、一つくらい刃向かってやろうかと思う。
「確か、宝物殿には隠し通路があったわ。小さい頃兄様と、忍んで怒られたもの」
それは確か、非常時の通路ではあるけども、決して普段使ってはならぬと言われているところ。
じゃあどうする?

「……クスクス…クス……」

自室をグルグル回り、考えを巡らせるそばで小さく声が聞こえた。
キョロキョロ見渡しても、部屋には誰もいない。そよそよと、外から吹く風が心地よくカーテンを舞い上がらせるのみ。
「そうだわ、カーテンに火を付けて騒ぎを起こせば、宝物殿の宝を慌てて持ち出すはずよ」
育ちの良さから来る浅はかな考えに、頷いて燭台を握る。
種火から火を取ってこようと部屋を出ようとしたとき、後ろから声がした。

「およしなさい、気まぐれな王女よ」

「え?だれ?」
振り向くと、姿見の大きな鏡に同じ年頃ほどの少年が映り、こちらを見て笑っている。
「キャッ!なに?お前は!」
「おやおや、声を上げるとは心外な。あなたが会いたがっていたから私は来たのですよ」
銀のおかっぱ頭に銀の瞳。そして真っ白の服。少年の顔は美しく、見た目より大人びて、一体いくつか年がわからない。
「あなた…何者?」
少年はペコリとお辞儀して、ダンスするようにクルリと回る。
「私に会うために、くだらぬ事を考えてはならぬ。可愛い王女よ、また会おう」
スウッと消えてしまった。
「ちょ!ちょっと名前くらい教えなさい!」
バンッと鏡を叩いても、少年の姿は現れない。
「もう!何て無礼な鏡の精かしら」
それが、初めての出会いだった。
しかし、その日ずっと鏡を見張っていても姿を現さない。
あきらめかけた夜、鏡台の前に座り寝る前に髪をといていると、ちらと鏡の端に少年が姿を現す。
クスッと微笑み、王女はべえっと舌を出した。
キョトンと驚いて少年が呆気にとられる。呆れたように首を振り、とうとう顔を出した。
「呆れた王女よ、何とはしたない。」
「あら、あなたが悪いのよ、パッと消えちゃうんだもの」
「では、ご希望に添って消えてみせようか?」
クルリと少年が背中を見せて、慌てて王女が立ち上がる。
「もう!意地悪ね!」
「あなたが意地悪なのだよ」
キュッと笑って、美しい銀の瞳を向ける。王女は思わずうっとり見とれた。
「綺麗な瞳ね、鏡の精さん。銀の瞳なんて素敵だわ」
「おや、お褒めの言葉ありがとう。でも私はただの鏡、あなたの姿を映すだけで何も出来ぬ」
「まっ!私に下心はなくてよ」
クスクスと笑い合い、王女がまた椅子に座る。
話を聞くと少年はやはり地下の暗い宝物殿にいて、ここへは出入りの商人に売られてきたのだと語った。
そして目新しい話しに目を輝かせる彼女に、これまでの旅の話などを聞かせてくれる。そして時間を忘れてしばらく語らうと、彼は微笑んで話を切った。
「さあ、もうあんなにロウソクが短くなってしまった。もうお休み」
「だって、せっかく会えましたのに…」
駄々をこねる彼女に、クスッと笑う。
「明日も来るよ、必ず」
「本当に?必ず?」
「ああ、本当に必ず。さあ、ベッド脇の手鏡から歌を歌ってあげよう。お休み」
キャッと彼女がはしゃいでベッドに入る。すると、少年はほのかに輝きながら、澄んだ美しい声で歌い出した。
「ああ……何て素敵なお友達」
「友達?」
「ええ、初めてのお友達よ、あなたは」
少年は、やがてスッと消えてゆく。
「ありがとう…可愛い姫よ」
小さく、声が微かにして、ウフフッと微笑む。
手鏡を傍らに置いて、何故かひどく幸せな気持ちでアリアーナは眠りに入った。

その日から、毎夜アリアーナは鏡の少年と話をするのが楽しみになっていた。
鏡から見た旅の話や他国の話に、美しく澄んだ声の子守歌。
初めての友達が鏡の精と、誰にも秘密にして密かに毎夜会うのを楽しみにしていた。

しかしそうしている間にも城の中が騒がしくなり、それがどうやらまた近隣諸国への戦争の始まりだと知ったのは、出陣式の日取りが決まった頃だ。
王女は関係ないとろくに話も聞かされず、血気盛んな兄も出陣すると意気揚々としている。
アリアーナは心配で、部屋へ兄を訪ねると、何とか出陣を取りやめるよう密かに説得していた。
しかし何を言っても取り合って貰えず、戦争は終わらない。
権威のために人が死ぬのなら、そんな物は入らぬと声に出せば、たとえ王女でも二度と部屋から出しては貰えまい。
王族とは言え、あまりの力のなさに自分が歯痒くて、アリアーナはその夜、自室の鏡の前で泣いていた。

「王女よお前は、国を思うのか?兄を思うのか?」
急に声がして顔を上げると、少年が鏡の中でこちらを見ている。アリアーナは涙を拭いて顔を上げた。
「一番に国を、と言えばウソになるわ。王女である前に兄様の妹だもの。本当に大切なのは兄よ。でも、私は無力ね」
少年はしかし暗い顔で視線を落とすと、小さく首を振る。
「私こそ無力だよ。欲も過ぎれば身を滅ぼす。それは私も王に進言した。しかし、王は聞き入れはしない。私ももろき鏡、うるさければ砕いてしまおうと言われては、それ以上口も出せまい」
「お父様は、あなたになにを話されるの?」
「先々の予言を聞かれるが、良いことしか聞き入れられぬ。都合の良い方よ」
珍しく銀の少年が気落ちした様子で愚痴をこぼす。それが何か、不吉な予感を誘った。
「何かありまして?」
覗き込む王女に、うつむいていた少年が顔を上げ、手を鏡の表面に差し出す。じっと悲しそうな顔で見つめ合い、そして王女に向かって力無く微笑んだ。
「もう、お別れかもしれぬ」
「どうして、そんな悲しいことおっしゃるの?」
王女が彼の手に、重ねるように手を当てる。
「こんなに近くにおりますのに」
「私は、銀細工の鏡に住む者。鏡無くては一緒にいることも叶わぬのだ。そして、自分で動くことも出来ぬ。割られればそれで終わりだろう」
「ならば一緒に、ずっと一緒にいられるようにお父様にお願いを」
ゆっくりと、少年は首を振る。

「この国は、滅びる」

ギョッと王女が大きく目を見開いた。
「い、いつ?どうしてそんな事…」
「人々は剣を持ち、やがてこの城へ攻めて来るだろう」
「うそ、うそよっ、それがいつだと言うの?!」
銀の少年が目を閉じ、そして冷たく顔を上げる。王女は震える手で口を覆い、息を飲んで答えを聞いた。

「それは、今夜」

ウオオオオオッと、窓の外から男達の雄叫びが上がった。
「うそ!」ビクッとアリアーナが立ち上がる。
「さあ、あなたも服を着替えなさい。すぐに逃げる用意を。西に住まう叔父上様を頼ってゆきなさい。叔父上様は領民から慕われておいでです。そこまで追っ手も来ないでしょう」
「あなたは?!」
銀の少年は、力無く微笑み首を振る。
「私のことは、どうぞご心配なきよう」
「でも、きっと宝物殿には盗賊が押し寄せるわ!」
「その時は…せいぜい歌でも歌って機嫌を取って見せよう。だから大丈夫だ、私の心配はいらぬ。さあ、逃げるのだ」
「いやよっ!取りに行くわ!今すぐに」
「ならぬ!来てはならぬ、お前は自分の事だけを考えて逃げよ。さあ、ここでお別れ、お会いできて……ようございました」
「待って!名を、せめてあなたの名を!」
「私は、レリーサ。あなたに神のご加護を」
スウッとレリーサの姿が消える。
バタンとマヤが慌てた様子で飛び込んできた。
「王女様!謀反でございます!早くお着替えを!」
「お父様と兄上は?!」
「王子はすでに、他の者と下へ。王女様とは地下道で落ち合おうと」
「お父様は?!」
マヤが首を振り、アリアーナをさっさと手際よく着替えさせる。
死んだ。
あの、豪気で負けることを知らぬ父が。
「この城は落ちます、でも王子さえ生きていらっしゃれば、すぐに再建できましょう。お早く」
兵士が3人、ダッと駆け込み早くと手で招く。
アリアーナは涙を堪え、兵士に囲まれ隠し階段で下へと向かう。階段にはうっすらとランプの炎が細く揺れ、遠く通路の奥からは、ワアワアと兵達が戦う声が響き侍女達の悲鳴が空を裂く。

怖い、怖い、怖い!

恐怖で震える足を必死に動かし、下へ下へと螺旋のようにグルグルと降りていった。
「ハア、ハア、ハア、お願い、宝物殿へ、ハアハア」
「宝はもう、お諦めください」
「急がなければ!」
「お願い!大切な友人がいるのよ!」
「王女!」
この隠し通路の分かれ道で、突然王女が宝物殿へと走り出す。
重い石壁を押して、ゴトンとそれを開くと、宝物殿にはすでに3人の男達がこっそりと忍んでいる。
「女だ!」
シャンと剣を片手に襲いかかる男を、ダッと後ろから来た兵士が跳ね返す。
「王女!お早く!」
火花を散らし、宝石を盗んで身につけた男達と兵が戦う。
その間にアリアーナは宝物殿の正面にかかっている、古くなって変色した銀の装飾の、小振りの鏡を手に取った。
「レリーサ!」
鏡の向こうに、不安げな銀の少年が小さく映る。
「何故…何故……危険を冒してまで」
「だって、あなたは大切なお友達だもの。ショールで巻いていくわ、しばらく我慢して」
アリアーナはそれをサッとショールで巻き、ギュッと身体に巻き付ける。
「王女!お早く!」
マヤが急いで手を引き、皆でまた隠し通路へと向かった。
そこはやがて、人一人通れるほどの通路を有した地下の水路へと出て、城壁の外へ抜けたところで狭くなって行き止まりとなり、そこから梯子で地上へと抜ける。
そこで王子とは待ち合わせなのだ。
侍女が水路の入り口にあるランプを取り、火を付けて先を行く。
「もうすぐの所で王子がお待ちのはず…」
マヤの声が途切れ、足が止まった。
サラサラと流れる水の中に、男の死体がゆっくりと流れる。
「ひいっ!」
「下がれ!」
「うおおおお!」いきなり剣を振りかぶった男が現れ、バキンッと前にいた兵が火花を散らして剣を受け止めた。
ランプで照らすと、敵も見覚えのある兵士だ。
「おのれ!裏切ったか!」
「国を救うための謀反よ!大儀無くして戦いは無し!今の王ではこの国に未来はない!」
「王女!お逃げください!」
バシャバシャと、水の中からも襲ってくる。
「こちらへ!早く!」
マヤは後ろを振り向きもせず、ガチャンとランプを落としてアリアーナの手を取り、一目散に水路を駆けだした。
「お兄さまは」
「今は生きることをお考えください!」
涙で潤んで先が見えない。
次第に暗くなって行く通路の中で、もう一カ所の地上へ出る縄ばしごが見える。
「王女、あれです!早く!」
アリアーナが急いで梯子にしがみつき、それにマヤが続く。
慣れない縄ばしごを懸命に上った。
ヒュンヒュンと矢が、風を切る音が響く。敵が弓を射っているのだ。
「王女、振り向いてはいけません。上へお早く!」
マヤが声を上げ、足下で縄ばしごが揺れて、ドサリと落ちる音が聞こえる。やがてゴツンと頭が蓋にぶつかり、重いそれを渾身の力で持ち上げた。
ビュオオオオッ
風が、冷たく頬をさす。涙が凍り付いてしまうのではないかと、歯がガチガチと震える。
穴から這い上がり、振り向くとマヤの姿はない。誰も、追ってくる者もなく、気が付くと彼女は一人だった。
城門の反対側にある城壁のすぐ外のそこは、兵や暴漢共の姿はない。
アリアーナは涙を拭うのも忘れて走り続け、やがて小川のほとりにたどり着くと、冷たい川の水を手に取りゴクゴクと飲み干した。
辺りは暗く、シンと静まりかえって時々風に揺らぐ木々の音がざわめく。
月明かりの下で腰からショールを解き、鏡を取り出すと覗き込んだ。
柔らかに輝く少年が、鏡の向こうで両手で顔を覆いながら背中を向けている。
「レリーサ、ああ、良かった。ヒビが入ったかと思ったわ」
「……ああ、王女よ」
鏡の中の彼は、変わらぬ美しさで鏡の向こうにフワリと舞っている。
「私は、今日ほど自分の無力を呪ったことはございません。私は、ただの鏡でございます。どうして危険を冒してまで、助けて下さいましたのか」
「だって、あなたはお友達だもの。あなたはただの鏡なんかじゃない、私の大切なお友達だもの、見捨てられるわけがないわ」
「私は、ここにただいるだけで、あなたを抱きしめることも出来ない」
「そんなこと」
「あなたを暖めてあげることも出来ないのです」
レリーサの涙も止まらず。2人、顔を会わせてポロポロと涙を流す。
アリアーナは首を振り、ショールで顔を拭くとにっこりと微笑んだ。
「あなたが、いるから。あなたがいるから私はこうして微笑むことが出来るのよ。あなたの暖かな言葉が、私の心を包み込む。私には、あなたがいるわ。だから一人じゃないの」
目を閉じ、風に冷たく冷えた鏡を抱きしめる。でも今は、その冷たさが切ない。
「ああ、本当にあなたと手を繋ぐことが出来たら、抱き合って暖めあえたらどんなにいいでしょう。この、あなたと私をへだてる鏡を、こんなに憎々しく思ったことはありません、レリーサ」
「王女よ……私には見えるのです。あなたのこれからが」
「それは、きっとあなたと…」
「いいえ、あなたの傍らには立派な男性が。もう、十分です。私は冷たく重い。ここへ置いてお逃げなさい」
何と言うことだろう、予言者の彼には見えるのだ。自分などではなく、彼女に寄り添う人の姿が。
自分は鏡。
どんなに愛しても、寄り添うことも出来ない。
「いやよ、いや」
しかし、彼女はかたくなに首を振る。
「どうして、そんな悲しいことを仰るの?どうして」
「それは……私は…不実なただの鏡なのです…」
背中を見せる少年に、ポロポロと流れる涙が落ちて鏡に伝い落ちる。
「あなたの予言など、信じないわ。未来は私の物。私の力で変えてみせる」
抱きしめた胸の中でレリーサの小さな声が、やがて歌声となって夜の闇に響く。
美しい、澄んだ声は星の輝きを更に呼んで、満天の星空の下に冷たい風も退き、暖かい南の風を呼ぶ。
泣き疲れたアリアーナが鏡を抱いたまま、草むらに身をひそめて横になると、少年の歌声に心が落ち着き、やがて幸せな頃を思い浮かべながらゆっくりと眠りに誘われた。
この一夜が、夢であって欲しいと願っても、叶わぬ夢に目が覚めると厳しい現実が待っている。
今この一時をゆっくり休み、今は死した者の分、生きることを考えねばならなかった。



朝夕は冷えるが、すでに季節は春に向かって日中は暖かい。
レリーサは彼女の先々が見えているのかは何も言わないが、このまま西の叔父の元へ向かうが良いでしょうと進言した。
そこは母親の里ではあるが、元は一国を成していた。
それを父王が吸収し、自分の国の一部としたのだ。一度会ったことはあるが、温厚な叔父は良しとしても取り巻きは大変冷たい視線を送っていた事を思い出す。
「きっと、歓迎はされないわね」
「何事も、覚悟が入ります。今はせめて心落ち着ける場所を得ることが先決」
「そうね、それしかないわね」
道行きは、ずっと城暮らしだった王女には大変辛い。でも、今はレリーサと話せるだけ心強い。
やっぱり、彼を連れてきて良かったと、冷える鏡に夜は大切にショールにくるんだまま眠る。
毎夜澄んだ声で歌ってくれるレリーサの子守歌は、不安な気持ちを落ち着かせ、アリアーナを心地よい眠りに誘ってくれる。
それでもしかし、泥のような疲れは日増しに増し、次第に王女は心も体も不安に追いつめられる。
レリーサの予言によって盗賊達は避けられても、行き着く先の叔父上が彼女を受け入れるかどうかはまったくわからず、それを彼に聞くのも恐ろしくて答えを聞くことが出来なかった。

やがて、広大な景色の先に見覚えのある館が見えてくる。
明るい顔で、思わず涙が流れた。
「やっと、やっと着いたわ。ああ、あなたのおかげよ、レリーサ」
「アリアーナ…」
アッと、アリアーナが顔を上げる。涙を拭いて、鏡を取り出し覗き込んだ。
「初めて、私の名を呼んで下さったわね」
「アリアーナ、私は無力なのです」
寂しい顔の少年が、銀の瞳の視線を落とす。
「あなたは無力じゃないわ、私がここまで生きて来れたのはあなたのおかげだもの。ありがとう」
明るい顔の彼女に、少年が力無く微笑む。
アリアーナは足取りも軽く、館へと急いだ。

館にたどり着くと、門番に王家の指輪を見せる。すると思ったよりすんなり通してくれた。
ザワザワと、騒がしい中を侍従に連れられ、大広間へと連れて行かれる。
「アリアーナ様お着きでございます」
入り口に立つ番人が大きな声を上げ、侍従に促されて広間へと進む。
「おお、アリアーナ……」
嬉しいような、まわりを気にするような複雑な顔をしながら昔、玉座だったそこにいる叔父が立ち上がる。
まわりは、やたら兵が多い。
「叔父様、お会いできて……」
ギュッと鏡を抱きしめながら、恐る恐る歩みを進めると、急に叔父の前に不敵な顔の昔失脚した大臣が顔を出した。
「これはこれはアリアーナ様、今頃お着きとは遅い遅い。おやおや、随分ご苦労をなさったようで、城暮らしの身には大層お辛かったでしょう」
「あ、あなたは。ガストではありませんか。どうしてここに」
ガストの指示一つで、ザッとアリアーナが取り囲まれる。
「鏡の精よ!ご苦労だったな。良くここまで姫をお連れした」
「えっ?」
アリアーナが驚いて鏡を見る。
「まさか…いいえ!あなたは私のことを思って……」
レリーサは、うつむいて背中を見せたまま何も言わない。
「ほほう、良くもここまで騙せたものだ。さあ、お前を鏡から出すと言われる魔法の水、ほらここにある」
ガストは笑いながら香水瓶に入る液体を差し出す。
ハッと、レリーサが振り返り鏡の表面に張り付いた。
「それ、約束だお前にやろう。受け取るがよい」
ポイとアリアーナに向けて香水瓶を放り、その瓶は彼女の足下でガチャンと音を立てて割れてしまった。
「アハハハハ!ただの水にここまで働いてくれるとは、うれしい誤算よ」
「だ…ましたのだな」
レリーサが声を震わせる。
アリアーナはキッとガストを睨み付け、カアッと顔を紅潮させて腹を立てた。
「何て事、お前が彼を騙して利用したのね」
「そんなボロボロの鏡など使わずとも、もう十分この国は膿んでいたわ!お前の父は、悪政にうつつを抜かしたとんでもない王よ!ほんの少し後押ししただけで、皆自ら剣を取ったのだ」
ゲラゲラと下品に笑うガストに、王女が唇を噛んで前に出る。
しかしその身体をグイッと傍らの兵に引かれ、簡単に彼女は身体を押さえられた。
「お前は私の后になるのだ。さあ、新しい国を築こうぞ」
「誰がお前など!」
「ガストよ、彼女に手を出すな!」
王女の手の中で、レリーサが鏡に大きく映る。
「汚い鏡ふぜいが、珍しいから取っておこうかと思ったが、目障りだ」
ガストが鏡に手を伸ばす。
ハッと息を飲んだとき、レリーサがガストに向けて声を上げて歌い出した。

「アアアアアアアアアアア………!!」

澄み渡るその声は、空を切るように高く激しく、思わず兵達が耳を押さえる。
「なっ、なんだ、」
「耳が、頭が痛いっ」
「わああっ」
キーンと声は極限まで高く、ビリビリと城を震わせ刃物のように鋭く男達の耳を頭の中を切り裂く。

「アアアアアアア………!!」

ビキッ!キンッ!キキッ

あまりの衝撃に鏡の表面にヒビが走り、レリーサの身体が幾筋にも別れる。
「止めて!止めてレリーサッ!」
「助けて、助けてくれ」
「頭が割れるっ」
ガスト達がよろめいて床に手を付き、兵の半数が部屋を這々の体で逃げ出す頃、レリーサの声がようやく止んだ。
「レリーサ!」
鏡の裏にいたアリアーナが慌てて鏡を自分に向ける。
しかしその鏡はすでに幾筋ものヒビが入り、レリーサは見るも無惨に息も絶え絶えとかすれた声で彼女の名を呼んだ。
「ア…リアー…ナ…」
「どうしてこんな無茶を」
「早く…今の…内に…」
「どうして!一緒に暮らそうって、どうして言って下さらないの?!」
ポロポロと流れる涙が鏡に伝い落ちる。
レリーサはカケラの中で優しく微笑むと、小さな声でささやいた。
「アリ、アーナ………愛して……」

バリンッ、カシャン、キーン

「あっ、あっ、あっ、あああ!」
チャリチャリと、鏡の破片が弾けて地に落ち、アリアーナが立ちすくむ。
「レリーサ、レリーサ、レリーサ……」
小さなカケラに彼の姿を探し、アリアーナは涙に潤む目を必死に凝らしてカケラを探る。
しかし血を流しながら銀細工の鏡の枠にどんなに綺麗にカケラを集めても、そこには美しい銀の少年の姿はない。
「レリーサ……ああ、レリーサ、私も愛しておりました。私の大切な銀の…」
辺りに散ったカケラが、さし込む日の光に柔らかに輝く。
「おのれ…良くもやってくれた、こ、この」
ガンガンと痛む頭を押さえながら、ガストがヨロヨロと歩み寄る。
しかし彼女は血だらけの両手を合わせ、そしてひざまずいて目を閉じた。
「お願い、お願い、私はもう何も望みません。貧しくても良いのです、地を耕して生きて行きましょう。彼と共に…彼と共に。彼と共に!」
頬を幾筋も熱く涙が流れて落ちる。
血を吐く思いで請い願う思いは、果たして天に届くのか。
銀色の輝きに包まれて、アリアーナが必死で祈る。
すると彼女のまわりでカケラの輝きが幾筋も重なり、銀色の光の塊をアリアーナの前に生み出した。
「こ、これは、一体……」
ガストが驚いて、その清楚な輝きに恐怖して数歩思わず下がる。
やがて光の中から、銀の髪と銀の瞳を持った白装束の美しい少年が、スウッとアリアーナの前に姿を現した。

「アリアーナ………」

涙を流し、フッと暖かな手が優しく彼女の手を包み込んで引き寄せ、そうっとキスをする。
「私は、あなたの血と涙で命を得たんだ、アリアーナ」
「ああ……レリーサ」
「ようやく、あなたに触れることが出来る」
ギュッとアリアーナが抱きついて、口づけを交わす。
「アリアーナ、今なら言えるよ。一緒に…一緒に暮らそう」
「もちろん、ずっと一緒に」
2人が手を取り立ち上がる。
「馬鹿な!こんな馬鹿なことが…」
「世には馬鹿なこともあり得よう。しかし、お前が玉座に付くことは無い」
レリーサが手を差し出すと、そこに銀に輝く細い剣が現れた。
「くっ」ガストが腰から剣を抜き、それにレリーサがヒュンッと剣をひとなぎする。
ピュッとガストの鼻先を風が走り、ガストの剣は半ばからキンッと折れ、ドスンと足下に刺さる。
「ひっ」
「お前の汚れた血で、剣を汚すのも汚らわしい。お前は人の法で裁かれるがよい」
ガストは腰を抜かし、ストンとその場に座り込んでしまった。
恐ろしいほどの圧迫感は、この銀の少年が見た目よりも遙かに生きてきた証だろう。
呆然と成り行きを見ていた一同に、叔父が正気を取り戻し自分を取り囲む兵をドッと倒す。倒れた兵から剣を取り上げ、叔父がそれを高々と天上に掲げた。
「王女はここにあり!今一度国を立て直そうぞ!」
「おおおっ」
王女に続く者達が剣を取り、ガストに従う者に戦いを望む。
閉じこめられていた味方も次々と仲間に解放され、すでに首領を失った反乱軍は、もろくもアッと言う間に取り押さえられた。

叔父が温かく見守る前で、2人がギュッと手を握る。
「私は、自分の先は見えません。しかし、玉座に座るあなたの姿は見えていた。アリアーナ」
「ならば今度は私が予言いたしましょう。その私の隣には、いつもあなたがいるのです。」
クスッと銀の少年が笑ってキスをする。
年若き女王がその後、この国をどう治めたのかは言うまでもない。