桜がちる夜に

HOME | ダーク・ホーリー 誓いの指輪

更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

ダーク・ホーリーシリーズ

すべて短編です。
ホーリーは、北の黒い森の魔女の息子。
はたして彼は、魔物か人間か?
>>ダーク・ホーリー
>>ダーク・ホーリー 2
>>ダーク・ホーリー 雪夜の晩餐
>>ダーク・ホーリー 黄金色の星空
>>ダーク・ホーリー 黒い森の館
>>NEW! ダークホーリー 誓いの指輪
初期作品(初期設定)
>>呪いという名の想い(イラスト付き)
*拍手ボタン設置しました、押して頂くとはげみになります。
お礼に掌編掲載しています。
掌編は、現在連載中の赤い髪のリリス関係となっています。

ダーク・ホーリー 誓いの指輪

*前編*

雪が積もる森の中、2人の騎士が寒さに震え辺りを見回した。

遠い国から尋ね歩いてようやくこの黒い森へとたどり着いたのだろう、年若い青年だがひどく疲れて見えた。
すでに数日、この森に朝から入っては彷徨い、そして近くの村に宿を取る日が続いている。
村人達は、恐れていても魔女を悪く言う者はいない。
だが、森の深くに入り込むのは、非常に危険だと警告した。

空を鳥の声がして見上げる。
沢山の鳥たちが、雪を落とし一斉に羽ばたいた。
寒さに身体が震え、コートの襟元を掴む。
それでも、1人は寒さを忘れたように目を凝らしながら奥へ奥へと歩みを止めない。

「サリュート様、日が暮れると危のうございます。
今夜もまた近くの村に宿を取りましょう。」

従者らしい同年代の青年が、すでに薄暗い森に白い息を吐く。
しかし、主人はどうしても諦めきれない様子で振り向いた。

「ラルフ、しかし相手は魔物のような魔女の息子。夜の方が見つかる気がするのだ。」
「しかし、ここで野営は出来ません。もうすでに3日目です、もしやすでに魔女殿はいないのでは?」
「いや……居を変えたとは、誰も言ってはいなかった。それに私には何か感じるのだ、この森に。」

サリュートと呼ばれた青年が、しばし考え右の手袋を外す。
そして首元からトップに指輪のついたネックレスをはずし、樹の間からうっすらと星が瞬きはじめた空へとそれを掲げた。

「この指輪を見よ!黒い森の魔女の息子よ!
我が名はサリュート・グリオス・ガラーナ、ヴォルト・アリオス・ガラーナの孫となる者!
どうか我が前に姿を現したまえ!」

しん……

風が止み、そして森が一層の静けさに包まれる。
バサバサと大きな羽音がして、一羽のカラスが近くの枝に留まった。

『ナニ用カ?』

「カラスが!サリュート様!」

サリュートは指輪をカラスに見せながら、近くによって行く。
そして声を上げた。

「魔女の息子殿にお会いしたい!
我が祖父殿が、息子殿にお会いしたいと切望している。すでに病の床にあり、身体も弱っている。
どうか、どうかお願いしたい!」

ラルフがサリュートの顔を見る。
『弱っている』それは、王の親族であれば本当ならば言ってはならない言葉だ。
だが、それも忘れるほどに今は切羽詰まっていた。
カラスは頭を上げ、そして身を震わせるとまたサリュートを見る。

『主(あるじ)ハオ会イニナラヌ。帰ルガヨイ』

カラスがそう言って、大きく翼を広げ飛び立とうとする。

「待て!待ってくれ!せめて話しを来てくれ!頼む!」

『帰ルガヨイ』

バッとカラスが飛び立つ。
思わずそれを射落とそうとするラルフに、慌ててサリュートが止めた。

「やめよ!私も一言で済むとは思っておらぬ!ラルフ!」
「しかし、しかしここまで苦労して足を運ばれた、あなた様の苦労を思えば……」

ギュッと唇をかむ。
ラルフは馬を下り、そしてサリュートの前に出た。

「魔女の息子よ!
お主はそれ程に冷血なのか?!
この真冬の厳しい中、10日をかけてここまで来た王子に、あなたをただただ探してここまで来た者に、会うこともしない!
なんと薄情な、魔物にも劣る者よ!」

声があたりに反響する。
日は落ちて、不安にラルフの馬が落ち着きを失う。

ブルルルルッ!
ルルルッ!

サリュートも馬を下り、ラルフの馬の手綱を引いて落ち着かせる。
冷たい指輪をポケットに入れ、大きくため息をついた。

「もう良いラルフ、今日は森を出よう。
少し私も疲れた。」
「……はい。お力になれず申し訳ありません。
もう暗うございます、ランプに火を入れましょう。」

馬の鞍にぶら下げておいたランプに、火を付けようと火打ち石を探す。
すると自然にランプに火がつき、あたりを明るく照らした。
ハッと2人が辺りを見回す。
ほんのりと小さな明かりが、森の奥から木をすり抜け飛ぶように近づいてくる。
ラルフが剣に手をかけ、サリュートを庇い背にした。

「王子」
「ラルフ、まだ抜いてはならぬ。」
「承知しております。」

光が飛んできて2人の前で止まる。
目を凝らすとそれはランプの光に、そしてそのランプを持つ1人の黒装束の男へと変わった。

「ようこそ、お迎えに上がりました。どうぞこちらへ。」

その男は軽く頭を下げ、そして先を歩き出す。
2人は顔を合わせると、あとを付いて馬を引き歩き出した。

「息子殿は会って下さるのか?
そなたは魔女の館の使用人か?」

抑揚もなく、滑るように歩く男がゆっくりと振り返りうなずく。

「はい、私はレントと申します。
主は今、水浴びに出ておりますので、館でお待ち下さいませ。」
「水浴び?この雪の中を?!」

驚く2人に、クスクスと笑う。

「冷血や薄情などと、恐れを知らぬ方だ。相手を知らぬと長生きできませぬぞ。
ああ、主様は馬がお嫌いでございます。
ですが、特別の計らいでお許しになられましたので、くれぐれもお静かに。」
「それは大丈夫だ、この2頭はおとなしい。」

「それは上々、では、どうぞこちらへ。」

大きな木を横切った瞬間、突然目の前が開け月明かりに照らされる小さな城があらわれた。

「これは!」

「馬はお預かりいたします。どうぞ中へ、温かいお茶をお出ししましょう。」

いつからそこにいるのか、小さな少年が馬を連れて行く。
2人は案内され、城内に入ると一つの部屋に通された。



一息を付いて、ようやくの安堵感に2人じっと待つ。
やがて夕食が準備され、食事をとってひたすら魔女の息子が現れるのを待った。
しかし刻々と時は過ぎ、すでに真夜中となり、疲れていたのだろうラルフはウトウトとソファで船をこいでいる。
部屋は暖炉があるわけでも無いというのに穏やかに暖かく、サリュートも睡魔を振り切って首を振り、指をかんで窓から外を見た。
先ほどまで、まだかと苛ついていた気持ちも、疲れて眠るラルフの姿にすっかり息をつき落ち着いた。
祖父から預かってきた、かつて世継ぎの指輪であったと言う指輪を取り出し、指に着ける。
指輪は大変古いものでキズも多く、細かく彫られた王家の紋章も所々すでに彫刻が薄くなっている。
祖父はいつもこの指輪を大切に指に着け、そして過去の事を懐かしそうに語ってくれた。

思い返せば、無計画な旅だったと思う。
すでに齢100を過ぎ、とうに我が父に皇位を譲った祖父、皇大王。
この時代100だ、普通ならすでに死んでいるだろう。
長寿をとうに通り越しながら、ひたすらうわごとのように「会いたい」とつぶやく言葉。
しかし、それが魔女の息子とは。
父や母は恥だという。
でもずっと子供の頃より、歯の抜けた口で聞かされたあの話し。
祖父がため息をつきながら、休み休みゆっくりと語るその話しは、サリュートの胸に言いようのない不思議な気持ちと、年老いた祖父の胸に秘められた想いに、衝撃を与えた。


それは、祖父がまだ世継ぎの王子だった頃。
婚礼も近いある日、側近と近くの森に狩りへ出かけた。
しかしその日は狩りも芳しくなく、祖父はあせるあまりうっかり雌の鹿を殺してしまった。
繁殖期、子を産む雌を殺すのは、その頃禁忌となっていた。
しかも運悪く、その鹿にはまだ小さな子が近くにいた。
その夜は遅くまで子鹿の声が森に響き、祖父は罪悪感にさいなまれながら城の庭にある小さな湖に1人たたずんでいた。

「ああ、いっそあの子も殺してしまえば良かったのだろうか。子鹿よ泣くな、私を責めないでくれ。」

若き皇大王、王子アリオスが頭を抱え座り込む。
しかしふと、まぶしさに顔を上げてうっとりと見つめた。
月光が降り注ぐ下、湖に反射するその光は、悲しみさえ浄化するように美しかった。

「悲しき声に誘われ訪れてみれば、なんとこの小さき湖の美しきことよ。」

気が付けば、いつからそこにいるのか小さな少年が、湖の上で舞い踊っている。
驚いてアリオスが立ち上がる。
信じられない面持ちで、人を呼ぶことも忘れ思わず見入っていた。

それは漆黒の舞姫のごとく……

少年は肩までの柔らかくウエーブのかかった髪をなびかせ、闇に溶けそうな黒装束で水面を沈むことなくスキップを踏んでいた。
ショートパンツから惜しげもなく白い肌のスラリとした足を伸ばし、小さな足がパシャンと水面を叩く。
黒いブラウスはフリルが軽やかに、夜の闇の水の中のように揺れていた。

「お前は……何者だ?悪魔の子か?」

少年はくるりと回り、片足を引いて頭を下げる。
そして顔を上げ、その白く美しい顔でキュッと笑った。

「我が名はホーリー、黒い森の魔女の息子。
悪魔に見えるか?このホーリーが。ククッ……
闇におびえ、孤独におびえるあの小さき鹿の声。
あの鹿より一時の安らぎさえ奪った、そのお前が。」

「あ、あれは……事故だったのだ。
この私も、あれが雌と知っていれば殺すことはしなかった。
まして子がいたなどと……気が付く前に矢を引いてしまったのだ。」

「お前の目は飾りなのか?雄と雌の区別も付かぬ。
ひな鳥の区別とは訳が違うぞ。」

「でも!一瞬でそんなことわかりはしない!」

「ならば狩りなどするな、戦いなどに手を出すな、過ちは2度と取り返せぬ命を散らす。
お前の過ちは多くの人の安穏を奪い、命を奪うだろう。
お前はやがて王となる。
だがその前に、過ちの恐れを知れ。」

ホーリーの漆黒の瞳がほの青く燃える。
大きく掲げるその手の先に、あの死んだ親鹿が現れそれがアリオスに向かって突進してきた。

「うわっ!うわああ!!」

逃げる間もなくその鹿は、アリオスの身体を突き抜ける。
アリオスは尻餅をついて身体の無事を急いで確かめ、ハアハアと息をついた。

「な、なにを?!」

一体何があったのかわからない。
しかしホーリーの横にすり寄る鹿がくわえていたのは、小さな指輪。
ホーリーはそれを受け取ると、月にかざして楽しそうに笑った。

「これは美しきことよ、これこそ世継ぎの指輪。お前の命にも等しい物。」

「あっ!」

アリオスが指を見ると、確かに着けていた指輪がない。
代々受け継がれた家宝とも言うべき品。
それは正統な世継ぎの印。

「返してくれ!頼む、それだけは!」

「ホホホ!欲しければ探すがいい。
この指輪は月夜に輝き、そのありかを教えるだろう。しかし、それはお前にしか見えぬ。
ホーリーの、これはささやかな助け手。
さあ、月夜の夜に、青く暗い水の底で踊れ。」

そう言って、指輪をポイと湖に放り込んだ。

ポチャン

「わあ!わああ!!」

思わず湖に身を乗り出し、慌てて服を脱ぎ飛び込んで探す。
輝きが、遠く水の中をゆっくりと沈んで、そして消えた。
息をするために水面に顔を出すと、湖面に寝そべるホーリーが、彼の鼻をツンとつついて笑う。

「この悪魔め!」

たまらず少年の身体を掴み、水の中に引き入れる。
しかし少年は笑い声を残し、彼の手の中で泡になって消えていった。




それから毎夜、アリオスは潜んで湖に潜り指輪を探した。
しかしいったん見失った指輪は、なかなか見つからない。
ただ月は日がたつ事に満ちてきて、明るく湖を照らす。
ホーリーの言葉が本当なら、きっと指輪は湖底で輝いているはず。
近づく婚礼に焦る一方、何故か心に刻まれた、あの少年の踊る姿が何度も思い起こされ夢にも現れる。
やがて満月の夜、暗い湖底に一筋の輝きを見つけた。

あった!あったぞ!

彼はとうとうその指輪を見つけ、湖面に出ると高くそれを掲げて声を上げた。

「やった!見つけたぞ、ホーリー!
私はお前に勝った!」

喜びのあまりそう叫ぶと、もうなくさぬように他の指輪と重ねて指に付ける。
辺りを見回しても、シンと静まりただ静粛だけが広がっている。
息をつき、ポッカリと湖面に浮かんで星空を見つめた。

やはり、やはり……
ホーリーよ、お前は姿を現さないのだな……

風が吹き、湖面がゆらゆらと揺れる。
目を閉じて、それにまかせてたゆたい、一時が過ぎた。

緩やかなウエーブのかかった黒髪。
白く整った顔に、黒曜石のような漆黒の瞳。
少年の華奢な素足が水面を跳ねる。

もう一度、せめてもう一度会いたい……

頭に浮かぶのは、少年と言うにはあまりにも妖艶なホーリーの姿。
思い浮かべ、ため息をついて目を開いた。

「指輪、見つかったのだな。」

声にハッと横を見る。
そこにはホーリーが、アリオスと並ぶように湖面に寝そべり、つまらなさそうに一輪の花で遊んでいる。
ハッとアリオスは息を飲み、少年のいたずらっぽい顔を見つめた。

ずっと会いたかったその少年が、隣にいる。

クスリと笑う少年の桜色の唇に、ぞくりと背に寒気が走る。
言いようのない思いが一気にわき上がり、手を伸ばして恐る恐るホーリーの白く柔らかな頬を撫でた。
触れれば消えてしまうような、恐れにも似たときめき。

「会いたかった……ずっと……」

アリオスの身体がなぜか同じように湖面に浮かび、そして半身を起こしてホーリーの顔を包み込む。
そして、そっと口づけた。





サリュートが目を閉じ、椅子にもたれうなだれる。
腕を組み、ため息を漏らした時、衣擦れの音が目前で聞こえた。
ハッと目を開くと、目の前の椅子に黒装束の10歳前後の少年が足を組み、肘掛けに片肘をついて頬杖している。
その容姿は皇大王に聞いたそのままの姿で、変わらず美しい顔を懐かしそうに目を細めた。

「あなたが……魔女の息子か?
祖父が会ったのは、確か80年以上も前の事のはず。」

一体この少年は何年の時を生きているのかと、サリュートの背を薄ら寒い物が走る。
しかし少年は身動きもせず、その可憐な唇を開いた。

「いかにも我が名は黒い森の魔女の息子、ホーリー。
……アリオスの、孫か……確かによう似ている。」

「私は祖父の息子である今の王の、末の息子です。
病の床にある祖父の、最後の望みを叶えるためここに来ました。
どうか、祖父に会って頂きたい。ずっとあなたに会いたがっています。」

ホーリーがクスリと笑い、指で唇をなぞる。
そして思いもかけないことを語った。

「お前の祖父の声、すでにホーリーには届いている。
だが……ホーリーに会う気はない。」

サリュートが思わず立ち上がる。
この少年はすでに知っていて、なのに来てくれなかったのだ。

「あ……あなたにとって、祖父は一時の遊びであったかも知れぬ。しかし祖父は……」

恥ずかしさに、カッと顔が燃え上がる。
ラルフが眠っていることが、ほんの少し救いに思えた。
ホーリーはクスクスと笑い、組んでいた足を下ろすと右の肘掛けにもたれかかる。
黒いレースのニーソックスにショートブーツは、この時代サリュートも見たこともない作りの物だ。
ブーツに付いている飾りのチェーンが、サラサラ小さな音を立てた。

「ホーリーは、遊びで人と交わったことなど無い。
だが、お前の祖父は約束を違え、ホーリーをたばかった。」

「たばかるとは……だましたと仰るのか?我が皇大王が。
……しかし、しかし、たとえそうであっても……
我が祖父も人として間違いはあろう。
だが、小国とはいえ他国の侵略から国を護り、立派な采配で国を栄えさせた素晴らしい王だったのだ。
私には、お優しく心の広い大切なお爺様。
すでに数十年の時を過ぎ、お若い時の過ちをいまだ責めずともよろしいではないか。」

「……そうだ、皇大王様への無礼な言葉は許せぬ。
今の国があるのは、あのお方の采配があってこそ。我が国の勇者とも言うべきお方。」

いつから聞いているのか、ラルフが起きあがり剣に手をかけた。
ホーリーが目を閉じ、そして一つため息をつく。

「やれ、敵わぬ。今日の客人は無礼きわまりない。
また雪が、世を純白に染める雪が音もなく降ってきた。このような夜、ホーリーは静かに眠りたい。
今宵は夢の中で踊るとしよう。
あの、忌まわしい夢の中で。」

「眠るなどと!どちらが無礼か?!」

思わずラルフが叫んだ時、

ザアアッ

「なっ、なに?!」
「王子!王……うぐあっ!」

部屋が水で満たされ、2人がおぼれそうに手足をばたつかせる。
ホーリーは、変わらず椅子にかけたまま、肘掛けにもたれて眠ってしまった。
息が続かず、ガボガボと水を吸い込みノドを搔きむしる。
しかしふと、息が苦しくないことに気が付いたサリュートが、ラルフの手を掴み落ち着くように合図した。

落ち着けラルフ!この水は苦しくない。

話そうとしたが、声が通らない。
やがて水中のように揺らいだ部屋が、次第に見慣れた自国の城の一室に変化した。

*後編*


しかしその部屋は今と少し、窓の飾りや壁、床の絨毯、置いてある家具さえ違う。
戸惑っていると、やがて1人の青年が現れ、ゆっくりと窓を開けた。
青年は父王の若い頃にそっくりだという、自分とよく似ている。
服は時代を感じさせ、今より質素で飾りが少ない。

まさか、お爺様か?

青年は窓から外を眺め、月の輝きに照らされながら両手を外へ真っ直ぐに伸ばす。
やがてその光の中に見慣れた黒装束の少年ホーリーが現れ、彼の手の中へ飛び込んでいった。
青年は彼を抱きしめ、宙に浮く少年と愛おしそうに口づけを交わす。
そして2人ベッドに腰掛け、寄り添い、青年がホーリーの小さな肩を抱き寄せた。

『これが、最後なのだな。』
ホーリーが、悲しそうにつぶやく。

『すまぬ、勝手な私を許してくれ。』

『良いのだ……婚礼は2日後か。お前の幸せはホーリーの幸せとなろう。
良き家庭を築き、良き王となれ。
安心せよ、ホーリーは2度とここへ来ることはない。
もう、お前の前には2度と姿を現すことはないだろう。』

青年がホーリーの髪を撫で、詫びを言うように頬にキスをする。
ホーリーは彼の手を握り、そして彼の付けている、一番質素な指輪を触れた。

『せめて、思い出にこの指輪を。お前との始まりは鹿が奪った指輪であった。
だから、思い出にせめて一つ指輪が欲しい。
だめか?』

黒曜石の瞳が、不安そうに揺れる。
青年は笑い、わかったとうなずいた。
だがホーリーが触れた指輪に、それとは違う細かな装飾の指輪を指す。

『それは一番飾りのない価値のない物だ。こちらの美しい方をあげよう。』

『ホーリーに、物の価値など意味はない。思い出ほど素晴らしき宝石はないであろう。
だから、それでよいのだ。』

『そうか……わかった。』

青年が指輪をはずし、そしてホーリーに手を差し出す。
『さあ、手を。そなたには大きいだろうな。』

『ふふっ』

ホーリーが大事そうに自分の左手を撫で、そして遠慮がちにその手を伸ばす。

『小さな、可愛い手だ。さあ、どの指に付けて上げよう。』
彼が指輪を差し出し、どの指に付けようかと笑った。

『どの指でも、構わぬ。』
ホーリーが嬉しそうに、その様子を見つめる。

それは本当に幸せそうな笑顔で、じっと見ているサリュートも胸をうたれた。


『これが最後の思い出に……共に暮らすことは出来ぬが、聖なる誓いをこの指輪にこめて。』


青年が、小さな左手の薬指に指輪を着けようと指を取った。
薬指……それがどんな意味を持つのか。

ホーリーの胸が、喜びに躍る。
たとえ仮初めにでも、彼のその心遣いが嬉しかった。

『ああ……なんという至上の喜びであろう……ホーリーの心はこれで、これだけで満たされる。』

そして指より大きな指輪が、ゆっくりと指に通された時……

ぴょうと風が鳴った。


ドッドッ


衝撃に、ホーリーの身体が前に倒れ込む。

『あ……』


胸に手を当て、身体を起こす。
ホーリーの背に、2本の矢が刺さっていた。
しかし血を流すこともなく、背の矢はすぐにぽろぽろと抜け落ちる。
ホーリーが立ち、青年を庇いながら矢の来た方角を振り向いた。

『矢が!』
『大丈夫だ、アリオス私の後ろへ』

部屋の隠し扉のスキマから、2人の兵が次の矢を取り出すのが見えた。

『アリオスよ、危険だ私から離れよ。
ホーリーは、矢ごときでは死なぬ。』

『そうか……』

背後で青年が、とっさにベッドの下から短剣を手に取る。
そして……


後ろからホーリーの背を一息に刺し貫いた。


薄い胸から突き抜けた剣の先が現れ、ホーリーが驚いたふうもなくそれに見入る。

『ああ……』

唇から一つ、ため息にも似た言葉が漏れた。


『これは魔物を倒すという銀の剣だ。これならどうだ、ホーリーよ!』
『アリオス……』

剣を抜くと傷口からドクドクと血があふれ、ホーリーの身体を、白く細い足を伝う。

『アリオス、ホーリーはお前を愛して……』

手を伸ばすホーリーに青年は顔を背け、もう一度前から胸を刺した。

『許せ、ホーリー。王女との婚礼には一点の曇りも許されぬ。』

『私は……もう二度とここには来ないと……』
来ないと言ったのに……信じてくれなかったのか。
この指輪に誓った言葉は偽りなのか……

『うおおおっ!』

雄叫びと共に、隠れていた2人の兵が剣を振り上げる。
青年が飛び退くと同時に、1人の剣がホーリーの肩口を切り裂き、反動で舞うようにホーリーが一回転する。
そしてもう一人の剣が、首をはねてとどめを刺した。

とさり

黒髪を広げてホーリーの頭が落ち、小さな身体が床に崩れ落ちる。

2人の兵が急ぎ、足先で身体を返して仰向けにすると、更に何度も胸を刺し貫いた。

『魔物は首を落とし、心の臓を刺し貫けば二度と生き返ることはないと聞きます。
これで大丈夫でございましょう。』
『何も反撃がない所を見ると、かなり低位の魔物です。ご安心なさいませ。』

『そうか……終わったな……』

息をついて、力が抜けたようにアリオスがベッドに座り込んだ。
ドアが開き、母親が側近と険しい顔で入ってくる。
ハンカチで口元を覆い、蔑んだ目で遺体を見下ろした。

『いやしい魔物に心を奪われ恥ずかしい。
もうこのような事、二度とあってはいけませんよ。
下卑た魔物が指輪をせがむなど、まこと嫌らしいこと。』

『遺体はどう処分いたしましょうか。』
兵が、膝を付き頭を下げる。

『魔物は何があるかわからないわ、毒や呪いがあってはいけないし、焼くのが一番いいでしょう。
早く片づけなさい。
夜のうちに部屋も綺麗にして、明日司祭を呼んで清めるように。』

『はっ、抜かりなく。』
兵が麻袋を置き、遺体をそれに移そうと手を伸ばす。

『待て、私の指輪を取り戻さねば……』

アリオスが立ち上がり、しっかと握るホーリーの薬指から指輪を抜き取ろうとした。
しかし握る手は硬く、なかなかはずれない。

『王子、諦めなさいませ。』

『いや、どうせ燃やして埋めるなら手放すのは惜しい。
それにこれを元に、呪いでもかけられたらどうする。
くそっ、なんて硬く握っているんだ。お前にはもう必要ないだろう、このっ!』

彼はとうとう銀の短剣を持ち出し、ホーリーの手に刃を突き立てる。
そしてなんとか、無理矢理指輪を抜き取った。

『やった。……あっ』

血に塗れた指輪はしかし、手にしたとたんボロリと崩れ、そしてホーリーの遺体もサラサラと砂になる。
窓が独りでに勢いよく開き、部屋を風が吹き荒れた。

『あっ、魔物の身体が!』

ホーリーの身体も、流れた血も砂となって舞い上がり、風に消える。
その光景は水にかき消されるようにゆらゆらと消え、あとにはサリュートとラルフ、そして椅子に眠るホーリーだけが残った。

「なんて……事を……なんと無慈悲な……
それで、祖父に呪いをかけたのか?」

サリュートが涙を流し手を握りしめる。

あまりにも長く生きる祖父には、魔女の息子の呪いがかかっていると父王は話していた。
しかし、このような事情があるならそれもうなずける。
だが意外なことにホーリーは目を開くと首を振り、それを否定した。

「ホーリーはあの城に呪いなど残しておらぬ。あの城にあるのは後悔のみ。」

ホーリーが身を起こし、自分が倒れていた場所に歩み寄ると腰を落として床を撫でた。

「ホーリーには……」

少年の身体が、悲しみに揺れ水に溶けるように薄くなる。

「ホーリーにはわかっていたのだ。あの日彼らが刃を剥くであろう事は。
しかし、どうしても一縷の望みが持ちたかった。それは甘すぎる夢だったかも知れぬ。
彼が自ら刃を向けるとは、ホーリーは信じたくなかった。
ホーリーには、あの一時もほんの一瞬の夢。
あの指輪さえあれば、たとえ切り捨てられようと過去の愛された美しい思い出として大切にできたろう。
彼が指輪をこの薬指に着けてくれた時、どれほど嬉しかったか……どれほど幸せであったかわかるか。
だが、アリオスはこの左手を切り裂き、誓いを立てたあの指輪を抜き取ってしまった。
手向けの一つも、許してはくれなかったのだ。
たとえ偽りであっても、大切な、あの愛された思い出を……彼はないがしろにして踏みにじってしまった。
戯れ事と思っていたのはホーリーではない。
アリオスの血縁の者よ……
これ以上の無礼は許さぬ、明日の朝、帰るがよい。」

サッと風が吹いて、部屋から揺らぎがかき消える。
あとにはもとの部屋が何事もなかったように静けさを取り戻し、そしてサリュートとラルフには苦々しい気持ちだけが残された。



サリュートとラルフは翌日旅立ち、そして城に帰ると祖父にはホーリーに会えなかったと告げた。
父王には家の恥とひどく怒りを買ったが、その後も数年の時を漫然と暮らし、祖父はとうに屍のようになりながらも生きていた。

満月の夜、木に積もった雪が音を立てて落ちる。
サリュートは祖父の身体に毛皮の布団を掛け、側近のラルフと口惜しそうに見下ろした。

「あ……会い……たい…………あ……あ……」

「お爺様、お苦しいのですか?」
サリュートが、苦しそうにつぶやく祖父の手を握り、力になれなかった事を口惜しく思う。

ラルフが後ろでうつむき、肩を落とすサリュートに手を伸ばした。
「また、暖かな季節に参りましょう。きっと雪解けと共にあの方の心も緩やかに解けるはず。」

「……もう、すでに100年近く許してくれないのだ。あのような記憶を見せつけられ、今更なんと言えばよい?
ああ、どうすれば祖父を楽にしてあげられるのか。いっそ……」

護身用の剣に手を添える。
ラルフが慌ててその手を止めた。

「あなたが死罪になりますぞ!王や兄上様は、この皇大王様を神格化しておいでです。」
「しかしこれでは生き地獄ではないか!お爺様の心は、ずっと後悔と恐れでさいなまされて、一時も安らぎが見えぬ。」

サリュートの涙が、祖父の手に落ちる。
小さい頃は、今より少しは元気でとても可愛がって貰った。
年の離れた末の王子など、忙しい王や王妃は構ってくれない。
だから、祖父は親代わりでもあったのだ。

死んでしまうのは悲しいことだ。

だが、医療も原始的でたとえ長寿でも50代、60代までしか生きられないこの時代、100を超えるのは異常と人の目には映る。
身体はすでに生きながら死して、食事もままならずただ死ぬことが出来ない身体でいた。

「お爺様の寿命はとうに尽きている。なのに死ねないとは、呪いである以外になんだというのだ。私は、どうすればいい?」

枯れ枝のような手を優しく撫で、ベッド脇にひざまずく。
ゆらゆら揺れるロウソクの明かりに、何かの影が薄く落ちる。ラルフがふと顔を上げ、ギョッと目を剥いた。

「サ、サリュート様!」

振り向くサリュートが、驚いて立ち上がった。

「ホーリー殿……」

そこにはホーリーが、棚の上に座り足をプラプラさせて見下ろしている。

「呪いか……枯れ木のように根も張らず、花も忘れてそこにあるのみ。
アリオスよ、我が言葉を忘れたか。
恐れを知らずおのれの利益のみを求めた、これがその結果と知れ。」

ククッと笑い、黒装束の少年がポンとベッドの上に降り立ち、くるりと回ってアリオスの顔を覗き込む。

「無礼な!そこから降りろ!」
ラルフが剣を抜き、ホーリーに向けて振り回した。
しかしその剣は、切ったはずなのに空を切る。

「なんと!」

「待てラルフ!ホーリー殿、どうか呪いを解いて欲しい。頼む、その為ならなんでもしよう。」
「馬鹿な、サリュート様危険です!」
「お願いだ!お爺様を救ってくれ!」
「サリュート様!」

「静かにせよ」

ホーリーが、片手を2人に向けてないだ。
「うおっ!」
2人が風に飛ばされるように、部屋のスミへと追いやられる。
そして、指一つ身動きできなくなった。


「アリオスよ、久しいな。
ホーリーがかつて愛した、仮初めの愛しい人よ。
あれから幸せであったか?良き家庭を築いたか?名だたる王となれたか?
このホーリーを踏み台にしたのだ。どれほど素晴らしき人生を送ってきた?」

ホーリーが彼の胸にまたいで座り、苦しそうに息をつく年老いたアリオスの顔を撫でる。

「ホ……リー……よ……」

落ちくぼみ、白く濁った目にホーリーの顔はすでに見えないだろう。
ホーリーは、彼の顔を愛おしそうに撫で、そして優しく唇を合わせた。
すると老人の顔からシワが減り、息づかいが軽くなる。
50は若返った様な顔で、目をしばたたかせた。

「ああ……ホーリーよ、永遠に美しい少年よ。
ずっと…………会いたかった。
どれほどそなたに詫びたかったか、私の生涯は後悔にさいなまれていた。
どうか……ああ、どうか許してくれ。」

「アリオス、愛しき人。
またそうしてホーリーをたばかるのか?
お前は私の胸を刺し、私の指を切り裂いて誓いの指輪を奪い取った。」

アリオスが涙を流し、ゆっくりと首を振る。

「そなたが生きていると聞いて、安堵と共に大きな恐怖を覚えた。だが……」

そなたは、報復など一切しなかった……
どんなに憎んだか知れぬものを……

なんと言えば許してもらえるのか、何十年と言葉を考えてきた。
しかし言葉は、自分がした行為に対してあまりにも軽すぎる。
時があの時に戻るなら、もう一度やり直したいと何度思ったことだろう。
両親に知られて責められ、ホーリーと王女を天秤にかけた自分はなんと幼い。
言われるまま彼を手にかけながら、しかし世継ぎの指輪を見ると後悔にさいなまれた。
だが、それこそ自分に課せられた償いと、世継ぎの指輪は子供に譲ることなく付け続けたのだ。

言葉を探し、ただ涙する彼に、ホーリーがクスリと笑う。
そしてまたキスをした。

「アリオスよ、どれほどお前を憎もうとしたか。だが、ホーリーの心にあるのは、ただ空虚であった。
あの短い時を、ホーリーはなんと幸せであったことか。お前はそれを与えてくれた。
アリオスよ、お前が苦しんでいることは知っていた。だが、私はどうしてもお前を救いに来ることが出来なかった。
お前の愛する孫に感謝せよ、あのお前に生き写しの姿が、幸せな時を思い出させてくれた。

ああ……ホーリーは……

ホーリーは……

やはりお前を愛している。」

キスを交わし、そして見つめ合う。
アリオスは震える手で自分の痩せた指から世継ぎの指輪をはずし、そしてゆっくりと手を差し出した。

「どうか、手を……わしの偽りのない心を受け取って欲しい……」

ホーリーが目を閉じ、そして顔を上げて左の手をその手に添える。
アリオスは震える手に難儀しながら、指輪をその小さく細い薬指に着けた。

「ああ……これで、思い残すことはない。
ホーリーよ、私の愛する者よ、ようやく再び誓いの指輪を渡すことが出来た。
私は、これで死ぬことが出来る。」

アリオスのホッとした言葉に、ホーリーが涙を一粒こぼし、そして指輪に頬を寄せる。

「アリオス、誓いの指輪を確かに受け取った。
これでホーリーは、永の時を生きてゆける。」

安堵したアリオスの目が、またかすんで行く。
しかしその目には昔、あの運命の日に指輪を着ける時の、ホーリーの喜びに輝くあの顔が、はっきりと重なって見えた。

「ホーリー……愛している……」

「愛するアリオスよ、お前の気持ちはホーリーの心を千年満たすであろう。
苦しみ、地獄の中で百年の時を愛してくれた、礼を言う。」

「……我が、永遠の恋人よ……また、会おう。」

ホーリーが微笑み、そっと頬にキスをする。

「また会いましょうぞ、愛しい人。
あの美しき湖で。」

ホーリーの身体が、砂金のように光って消えて行く。
呆然と見つめていたサリュート達が、身動き取れることに気が付き、急いで駆け寄り祖父の顔をのぞいた。

「お爺様!」

「サリュートよ……礼を言う。
私はこれで、眠りにつける。お前の心遣い、うれしかった……」

祖父の顔が、一息に年を取り元の枯れ木のような顔に戻る。
そして、静かに息を引き取った。

「お爺様……」

「呪いなどではなかったのか……
なんという……あの指輪を渡すためだけに百年を生きたというのか……」

ラルフが窓の外に遠く、キラキラと輝く光を見てバルコニーへの窓を開けた。
冷たい空気が、サッと部屋を通り抜ける。
バルコニーへ出ると、目前には夜の月明かりに照らされ、水面を輝かせる湖が広がっていた。

「あれは……」


月光に照らされて、黒衣の舞姫が舞い踊る。


その夜、湖面に1人。
死したアリオスとの思い出を懐かしむかのように、ホーリーの踊る姿がいつまでも輝いていた。