桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 17

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49、

イネスは、地の神殿の巫子だ。

リリスはセフィーリアのお供で10歳の時知り合い、それからと言う物、勉強を教えて貰ったり遊びを知らないリリスに遊びを教えてくれたり、ずいぶん親しくして貰った。
リリスの魔導の力が大きく飛躍したのも、巫子である彼の力添えがあってこそと言ってもいいだろう。
杖を持たない彼に、印を切って術を集中させる提案をしたのもイネスだった。

彼とは4つ年が離れているだけに、成人前の彼はリリスより2周りも身体が大きい。
華奢な身体と言っても幅の狭いベッドでは、押しつぶされそうで苦しいのであんな夢を見たのだろう。


外は暗いので、すでに夜なのか部屋にはろうそくが一本、穏やかに輝いていた。
ヨーコが気がついて、窓辺から飛んでくる。
ベッドにとまり、上からのぞき込んできた。

「気分はどう?チュチュッ!死んじゃうかと思ったわ。」

「ええ、ご心配をおかけしましたが、とても楽になりました。
今は夜中ですか?」

「んーん、夜中ってほどじゃないわ。
ところでこのイネスって子なあに?友達?」

「とんでもございません、この方は大変ご身分の高い方で……恐れ多いことでございます。
身分に捕らわれることなく大変お優しく、親しくしていただいた巫子様です。」

「ふうん、リリスがお気に入りなんだ。
ね、おなか空いたでしょ?今日は朝食べただけだもんね。
呼び鈴鳴らしてくれたら、食事を持ってきますってよ。」

「ああ、ほんとにおなかが空きました。
では食堂に参りましょうか。」

「あら、呼び鈴は?」

「とんでもございません。持ってきていただくなんて、消化不良起こします。」
そうっとイネスを起こさないように身体を起こすと、イネスがいきなり飛び起き来た。

「わ!びっくりしました。イネス様、どうしてこのような所にお休みなんですか?」

イネスは大きなあくびをして、思い切り伸びをする。ごしごし目をこすり、リリスにニッと笑った。

「だって、お前がさみしいって泣いたらどうする。俺も眠くなったし、どうせ寝るなら一緒の方がいいじゃないか。
あ、セフィーリア様は娘がどうとか言ってルランに帰ったぞ。」

「ルランに?フェリア様に何かあったのでしょうか?」

「さあな、でもあの娘はセフィーリア様の分身みたいな物だ。あの方がいらっしゃれば問題なかろう。
で、お前どうもないか?」

「はい、イネス様のおかげです。もうろうとしておりましたが、かすかに覚えております。
本当に死ぬかと思いました、あんな苦しい思いは初めてです。」

ホッと息をつく。
今までにもケガをしたり修羅場はあったが、あれはひどく苦しかった。
力がすべて吸い取られ、まるで冷たい沼に足を取られて沈むような。
生殺しの苦しみ……今思い返せばゾッとする。

「良かった、元のリリだ。
俺も力になれて良かったぞ。
先日向こうの世界のヴァシュラム様の所に忍んで行ったら、お前こっちに帰ったって言うじゃないか。
またゲームして遊ぼうと思ったのに。」

ヴァシュラムの家と、地の神殿は一部空間が密かにつなげてある。
地と空間を司るヴァシュラムには、距離は関係無い。

「申し訳ありません。
急な御用で呼び出されましたものですから。
でも、隣国との関係がここまで悪化しているとは思いもよりませんでした。」

「そうだな、俺も神殿に声がかかってビックリした。
お前がこっちに来てるって聞いて、兄様に一緒に行くって頼んだんだ。会えて良かった。」

「はい、私も嬉しゅうございます。」

にっこり、リリスが笑うとイネスも嬉しくて赤くなる。
昔から、二人とも兄弟のように仲がいい。
仲が良すぎて修行の妨げになると怒られる、そんなこともあった。

ヨーコがベッドに留まったまま二人を見比べる。
ろうそくに照らされるリリスの横顔は、今まで見たことがないほどに嬉しそうだ。
それに、ヨーコはアルビノの人間を初めて見て驚いた。

また違ったタイプの美少年だわ。
それに変わってるう、色素が抜けた人間ってホントにいるのねえ。
何というか、ヴァシュラムのじいさんって面食いだわ。
この分だと、巫子ってみんな美女と美男かしら。

「あーあ、髪ぼさぼさだな、いっぱいからまってる。
ほんとにセフィーリア様の慌てぶりったら……」

イネスが、笑いながらリリスの髪を指ですくった。
軽い巻き毛は、柔らかくて良く指で遊ぶ。
クルクル巻いて、ふと思い出した。

「そう言えば、お前あの髪を縛ってた紐はどうしたんだ。
あんな物つけてるから具合が悪くなるんだぞ、馬鹿。
それに、あれは変だ。一体誰にもらった?」

「あれは……」

狭いベッドの上で、二人並んで思わず目があった。
リリスがにっこり、嬉しそうにしてうつむく。

「あれは…お友達からいただいたのです。
でも、紐にある嫌な感じとは関係無いと思います。」

「関係無いだと?でもそいつがくれたんだろう?関係無いことあるもんか。」

友達なんて、リリスの口から初めて聞く。
イネスがあからさまに眉をひそめ、口を尖らせた。

「でも、その方は私と同じ下働きの方で魔導の力はありませんし。」
「無いと言い切れる物か、何という名だ調べさせる。あの紐のせいでリリは死にかかったんだぞ。」
「いえ、大丈夫です。きっとご存じなかったのだと思います。」
「だから何という奴だ、そいつに聞けばわかるだろう。」

だんだん強い口調になるイネスに、戸惑いながら指をかむ。
嫌われ者の自分が、初めて身分を気にせず、気安く呼び合える人を見つけたのだ。
リリスはどうしても、メイスを失うようなことをしたくない。信じたかった。

「それは私からお聞きします。大切な友人なのです。どうかおわかり下さい。」

大切な友人……

イネスの頭にカッと血がのぼる。
ベッドを飛び降り、突然イネスがリリスを怒鳴った。

「俺より大事だというのか?その友人とやらが!」
「そ、それは……本当に、親しい友人なのです。どうか……」
「無礼な!お前は俺をないがしろにしても、そいつが大事なんだな!」
「違います、そんな……どうか、お許し…」

突然激高したイネスに、リリスが驚いた。
ヨーコも驚いて、はらはらと二人を見守る。
たった今まで仲が良かったのに、急に威圧的な態度でリリスを怒鳴りつけるなんて。
これほど激しい性格には見えなかったのに。
しかも身分の違いが叩き付けられているようで、そのイネスの激変ぶりにはついて行けなかった。

「巫子である俺を馬鹿にするか!」
「とんでもございません、どうか、どうかお許し下さい。」

リリスが血相を変えて、慌ててベッドを降りて床にひれ伏した。
気が短い彼でも、リリスを怒鳴ることは今までほとんど無い。
長年親しくして貰っているイネスが、高位の巫子であることを不意に突きつけられた気がして、ひたすら頭を下げた。

「申し訳ありません、どうかご無礼をお許し下さい。失礼をいたしました。」

リリスの反応にイネスも驚いて、思わず数歩下がる。
何故怒鳴ってしまったのか、自分でもひどく後悔した。

「俺はリリがひれ伏すのなんて見たくない。
なんで俺が怒ると、お前は急に身分を思い出すんだ。今まで並んで話していたのに、なんでそうやって……」

イネスの目に涙が浮かぶ。
そんなつもりじゃなかったのに、リリスを思って言ったのに。
知らない奴を、大事な友達なんて言うから……
俺は、なにかそれがイヤなんだ

横で見ていたヨーコが、見ていられずに思わず飛び立ち声を上げた。

「チュッチュッ!
リリスの、友達!友達!
初めての友達なの!許してあげて!」

二人の頭上を飛び回り、そしてリリスの肩に留まった。
リリスはひどく動揺しているようで、言葉を探して落ち着きがない。

「なんだその鳥は…ヴァシュラム様の気配がする。
イヤ、その前になんだ?初めての友達って、誰が?!そいつが?!」

「あの……それは……」
否定しないリリスの態度に、イネスの顔が愕然と変わる。

『初めての友達』

『は、じ、め、て、の、と、も、だ、ち』

はじめて???そいつが?!

じゃあ、じゃあ、俺は??
もっと、ずっと子供の時から友達だって思ってたのに……


頭にガンガンとその言葉が何度も繰り返され、イネスの身体がふらふら泳ぐ。

「イネス様?どうなさいました?ご気分が?」

「俺……俺……」

リリスがそうっと彼をのぞき込むと、イネスは真っ白になってギクシャクと手と足をそろえ部屋を出て行った。

バタン

ドアを閉めると、そこにサファイアが控えている。
イネスに一礼すると、聞いていたのか聞いてなかったのか神妙な顔でささやいた。

「お食事はどうなさいますか?」

イネスの目から、ダーッと涙と鼻水が流れる。
滝のような涙と鼻水に、サファイアが落ち着いてタオルを差し出した。

「イネス様、汗が。」

「汗じゃない~~
お、ま、えはーーいつもいつもーーう、う、わーーんっ!」

ダダダッ!ドターーンッ!

駆け出す彼の足がもつれ、顔から思い切り転んだ。

「イネス様、転ぶと痛いかと存じますが。」
サファイアが後ろから、冷静に告げる。

「わかってる!お前なんか嫌いだ!ひいっく!」

鼻とおでこが痛い。
腹立たしさにバッタリ倒れたまま、サファイアの足をドカッと蹴った。
飛び起き、また泣きながら廊下を走り去る。
やがてドアからそうっと顔を出したリリスに、サファイアが軽く頭を下げた。

「あたし見てくる」

二人のことをよく知らず、軽々しい言葉に責任を感じたヨーコは夜の見えにくい中、ろうそくやランプの明かりを頼りにイネスを追って飛び立つ。
リリスは戸惑いながら、サファイアに深く頭を下げた。

「申し訳ございません。イネス様のご気分を害してしまいました。」
「リリス殿……」

サファイアがイネスの消えた方向を見て、そしてリリスにため息をついた。

「あの方は、目覚めたとき一人では可愛そうだと、ずっとあなたについていらっしゃいました。お優しい方です。」

ハッとリリスが息をのみ、イネスを追って走り出した。
「ごめんなさい!」

サファイアはクスリと苦笑して、その背を見送りつぶやいた。

「あの方には、あなたは大切な友人なのです。
身分にとらわれるのは周りの方のみ。あなたがとらわれる必要はありません。」

それをリリスはいつになったらわかってくれるのか。
サファイアは二人を案じながら、ゆっくり後を追い始めた。

50、

リリスが暗い廊下をしばらく行った先は、ランプの油が切れたのか突然真っ暗になった。
慣れない場所にきょろきょろ周りを見回しながら彼の姿を探す。
ヨーコが飛んできて肩に留まり、ここで見えなくなったことを告げた。

「この辺で足音が止まったから、いると思うんだけど。」

「ええ、あの方は暗闇が苦手ですから……」
そうっと足を進め、聞き耳を立てる。

「クスン……」

鼻をすする音に、ホッと息をついた。
少し戻って壁のランプを一つ手に取り、そっと影をのぞきながら歩き出す。

やっぱり……

彼の暗闇恐怖症はよく知っている。
廊下の角をのぞくと、ちょうど月明かりの差し込む所に座るイネスの、白い髪と白装束の背中が神々しいまでに輝き、白く浮かんで見えた。

「イネス様、ご一緒にお食事へ参りましょう。」

背中越しに話かけると、イネスがすねて膝を抱き顔を伏せる。
リリスがそっと手に手を重ね、ランプを横に置いて膝をついた。

「私は、同じ身分の方とお友達になれたのが嬉しかったのです。
たとえ同じ下働き同士でも、家の名を持たない私は人の下で働くのが当たり前で、同等に見ていただいたのが本当に…本当に嬉しくて。
気味が悪いと言われていたこの髪を、綺麗だと仰っていただきました。
お優しい、心の広い方です。
だから……大切にしたいのです。」

それは、それはわかる。
イネスにもわかる。
でも、でも!イネス自身を信用して、そいつの名を教えてもくれないのが腹立たしい。

まして、初めてとは何だ!俺は友達じゃなかったのか?

イネスは怒りが収まらない。

「でも!お前はそいつの方が大事なんだ!
俺なんて、友達とも思ってくれないじゃないか!」

「それは……!」

手を払い、イネスが立ち上がってサファイアのいる方へ戻って行く。
慌ててリリスは彼を追って、何とか機嫌を直して貰おうと声を上げた。

「イネス様、私にはイネス様も大事な、大切な方でございます!どうか……」

「も、とは何だ!そんな下働きの奴と並べるな!
俺は巫子だ、無礼者!顔も見たくない、下がれ!お前とは絶交だ!」

突き放す言葉に、リリスが足を止め立ち尽くす。
油が切れたのか足元のランプが消え、あたりは暗闇に包まれた。


駄目だ、やっぱり……
私はあまりにも……身分が違いすぎる…………
いつかこういう日が来ると……覚悟していたはずなのに……


ふらふらと、その場にリリスがひれ伏して頭を下げる。

「巫子様、申し訳……ございません。」

サファイアがイネスを途中で出迎え、ひれ伏すリリスを一別する。
闇の中、リリスは闇にとらわれ消えてしまいそうに感じた。
イネスは胸の中で、彼をきっと傷つけてしまった罪悪感でいっぱいになった。
それでも、巫子である彼は折れることを知らない。

「よろしいのですか?」
「ふんっ!」

イネスはサファイアの出すタオルを奪い取り、顔をごしごし涙と鼻水を拭いた。
リリスがいると聞いて会えるのが凄く楽しみだったのに、なんでこうなったんだろう。
腹がぐーっと鳴って、自室に向かいながらドスドス足音を立て、空気の読めない自分の腹にも腹が立つ。

「食い物もってこい!食堂には行かない!」

「は」

用意された部屋に飛び込み、バタンと乱暴にドアを閉める。
サファイアはじっとしばし閉められたドアを見つめ立っていたが、思い立って中へ入っていった。

「何の用だ!さっさと食い物もってこい!」

イネスは荒れて、イスを蹴り、腹立たしそうに上着を脱ぎ捨てる。
巫子らしからぬ気性の荒さは見慣れているが、ここまで荒れることは珍しい。
それだけ彼にとってリリスは大切なのだと、サファイアは十分承知していた。

「イネス様は、ここへ何をする為に参られましたか?」

イネスがピタリと止まり、キッとサファイアをにらみつけた。

「何が言いたい、俺はきっちり仕事はやる!
魔物が現れたら、切り捨ててくれる!
俺は地の神殿の巫子、百合の戦士だ。無礼を言うな。」

「おわかりであればよろしいのです。
が、戦いに必要なのは力だけではありません。
最も重要なのは味方同士の和。
和がなければ魔導の力も増幅することなく、巫子の癒しの力も半分も効きません。」

「だって、あれはリリが悪いんだ。
俺を信用してないのはあいつじゃないか。」

「巫子であるあなたは、このアトラーナでも指折りの地位にあります。
人のことを知ること、それこそ慈悲の理(ことわり)。
生まれの為に最も低い身分に甘んじねばならぬリリス殿のことを、もっと理解なさいませ。」

「俺は身分なんてちっとも気にしてない。それを少しも理解してないのは、あいつじゃないか。」

「いいえ、話を聞こうとしないのはあなたです。
リリス殿がどんなにあなたを大切に思っているか。あなたは全く理解していない。」

「そんなこと……俺だってわかってる。」

「身分はたとえ本人方が気にしなくとも、変わらずついて回ります。
そして何かあれば責めを受けるのは、必ず身分の低い弱い立場の者なのです。」

きっぱりと言われ、イネスがうつむいて倒れたイスを自分で起こす。
そしてうなだれて座り、じっと何かを考え始めた。



サファイアはメイドにイネスの食事を持ってきて貰うと近くの兵に警護を頼み、食堂へと部屋を出た。
廊下から見上げる空はすでに星が瞬いている。

「ルビーが着くのは明日の朝かな。
さて、あとはガーラント殿にたのむか……」

サファイアは弟のことを思い浮かべ、無事に主であるセレスの世話をしているかとクスリと微笑んだ。



ザアア……ガシュガシュ!

遅くまで仕事をしていたのだろう、厨房ではすっかり夜も遅くなって翌日の下ごしらえも終わり、ランプの薄暗い中で一人のシェフがあと片付けを済ませている。
それでもまだギリギリまで火を落としていないのは、食事をまだ済ませていない者を気遣ってのことだ。
そしてカウンターの向こうの食堂では、一人の男がひっそりと食事をしていた。

その男、サファイアが、暗い食堂のすみのテーブルにろうそくを立てて遅い食事を取っていると、遅れてリリスがやってきた。

「あ……」

がっくりと肩を落とした様子で、リリスがサファイアに頭を下げカウンター越しに食事をたのむ。

「はいよ、ちょうど明日の仕込みが終わって火を落とそうと思っていたんだ。お前様が最後だよ。」
コックの男が、仕事の終わりにホッと息をついた。

「遅くに申し訳ございません。ご迷惑をおかけします。」
リリスが頭を下げると、コックは愛想良く笑う。

「お前さまは風様の使用人なんだろう?ずいぶん物言いが丁寧な子だ。うちの子に爪の垢飲ませてやりてえや。
残り物おまけしてやるよ、もう少し太りな。」

「ありがとうございます。」

リリスがにっこり笑って、トレイを持ち振り向く。
がらんとした食堂に、一人、サファイアが食事をしていた。

「ご一緒にいかが?遅いから誰もいなくて、怖くて泣きそうなんだ。」

サファイアが彼に手招きして、冗談を言って微笑む。
リリスは苦笑すると一礼し、向かい合って一緒に食事を食べ始めた。

「あの……イネス様はよろしいのですか?」
「食事中ですよ。さっきのこと……悪かったですね。」
「いえ、私が悪いのです。イネス様を傷つけてしまいました。絶交では、もうお会いすることもかないません。」

黙々と味のしない食事を続け、ふとろうそくの火に見とれる。
暖かな輝きが、何故かひどく懐かしかった。
ヨーコは肩でうとうとして、サファイアがクスッと笑う。
自分とリリスのコップに水差しから水を入れ、一口飲んだ。

「私は、あなたがイネス様を友達と呼べない理由がわかります。
身分を超えて友達になった、それはすばらしいことですが、あなたには重荷でもあったのでしょうね。」

サファイアは、リリスの気持ちをわかってくれている。
何か、おなかの中にある物をはき出したい、そう言う気持ちがわいてきた。
リリスがうつむき、スプーンを置きテーブルの上で手を組む。
ちょうどその時、入り口には静かにガーラントが立っていた。

51、

リリスが視線を落とし、話し始める。
シンとした食堂に彼の少年らしい高く澄んだ声が響き、肩でうとうとしていたヨーコも目を覚まし耳を立てた。

「私は……師のお供で神殿や他のドラゴンの方々、身分の高い方と接する機会が多くございました。
でも、そのたびに養育係の方に厳しく、自分の立場を知るよう、間違いの無いよう教えていただきました。
ですから……巫子様をお友達とはとても口に出せません。恐れ多いことでございます。」

いつだったろう、神殿にお供で行って、イネスと遊んで楽しかったことを家でうっかり養育係のベレナに漏らした時。
あのベレナから受けた折檻はひどい物だった。

思い出したくもない。
恐ろしい。


あの時……
同年代の友達など一人もいない、仕事ばかりで他の子供と遊んだこともなかったリリスは、初めて髪や目の色を気にすることもなく、子供同士で子供らしく本当に嬉しくて楽しくて舞い上がっていたのだ。

イネスと釣りに行き、森の中でかくれんぼをして一緒に遊び、勉強のあとは美味しいお茶とお菓子を一緒に食べ、楽しいおしゃべりに興じ……掃除を手伝うとたいそうほめられてうれしかった。
そして夜は一緒に休み、見たこともない美しい絵本を読んで貰った。
神殿では誰もがリリスを大切にし、子供らしく扱ってくれて……
その、夢のような時間。


でも、その楽しい思い出は、簡単に踏みにじられ地獄のような記憶にすり替わってしまった。
そして彼女にはその時、二度と地の神殿には行かないときつく誓いを立てさせられたのだ。
でも、リリスはその後もウソをつき、頻繁に地の神殿へとひっそりと勉強に行った。

ウソなんてついたことがない自分の、あれは、ほんの少しの反抗だったと思う。
しかし……ベレナはもう家には来ないけど、思えば確かに巫子様を友達なんて言えた身分じゃない。
彼女の教えの通りだ。
折檻で傷ついたあとは自分の身分の低さが身にしみて、それからイネスとの間に一線を置くようになったのは否めない。
巫子は王の次の位。
本来、家無し孤児の召使いが、口をきくことさえ許されないお方。

イネスにはそれがもどかしいのだろうけれど、それは仕方のないことだった。

サファイアが口元に微笑みをたたえ、うなずいた。
「わかっていますよ、私は知っています。」

どきっとリリスが顔を上げる。
サファイアのすべてを見透かしたような顔は、時々怖い。

「なにを……でしょう?」

「セフィーリア様が、ひどく案じていらっしゃいました。私も偶然そばでお聞きし、驚いて印象に強く残っております。
でも、イネス様はご存じありません。それはきっとあの方が傷つくから……」

「何を……」

「あなたがセフィーリア様の留守に……
養育係の方にイネス様と遊んだことが知れて、激しくムチ打たれたことです。
数日熱が出て起き上がれなかったとか。
セフィーリア様は、まさかあそこまで養育係があなたを傷つけるとは思っていらっしゃらなかった。
原因を知って、大変なショックをお受けになっていました。
家にいれば安心と気を抜いた、自分の責であると。」

あっとリリスが息をのんだ。
セフィーリアがそれを知っていたとは知らなかったからだ。
あのときは痛みを我慢してなんとか風邪でごまかしたのに、やっぱりご存じだったのか。

「あれは……私が悪かったのです。
身分を忘れ、巫子様を友達と軽々しく呼んで激しくしかられました。
どうか、もうお許し下さい。」

思い出したように、ブルリと一つ身をふるわせる。そして、ハッと目を開けテーブルに置いた手を握りしめた。

あれは、助けてくれる者もなく恐ろしかった。
でも……でも今はそれ以上に……

『ムチで、叩かれた』

それを知られたことが、今のリリスにはとても恥ずかしくなった。
こんな身分の高い方々が聞いて、どう思われたことだろう。

「子供をムチで叩くなど、ひどいことです。許されません。」
サファイアがため息混じりに漏らす。

「ムチは、小さい頃からしつけの意味で……あの…………」

小さく、つぶやくように返した。
なんと言っていいのかわからない。
唇をかみ、まともにサファイアの顔を見ることが出来ず、うつむいて言葉を探す。
きっと、心の中で笑われているに違いない。
自分以外に、人からムチで叩かれる人を見たことがない。
使用人の中で、ムチで叩かれていたのは自分だけだった。
それは自分が何も知らない子供で、家無しだからだと理解していたけど。

とても恥ずかしい事じゃないだろうか。

相手は老女で、ベレナの前に5歳の頃までいたサーベラは、同じムチでも愛情があったと思う。
それがベレナに変わってからは、格段に厳しくなった。
城に厳しく言われてきていたのかもしれない。
彼女の振るうムチは、本当に痛くて奴隷のようだった。
お尻をムチで叩かれているのを見られて、他のお弟子様にひどく笑われたこともある。
恥ずかしくて、悔しくて痛くて、夜ベッドの中で泣いたっけ。

どうしよう、なんと言えばわかっていただけるのか。
サファイアの腰にもムチがある。
しかしそれは動物を叩く物で、人を叩く物ではないだろう。
同じように思われているかもしれない。
どうしよう、なんだか……ひどく自分が惨めになって行く。



ふと……
リリスの手に、サファイアが手を重ねた。

「怖かったのですね。」

「えっ!」

「怖かったのですね、辛かったでしょう。
だから踏み出せない。
でも、あなたはイネス様の大切なご友人。
今では、あなたのお味方は沢山いらっしゃいます。
あなたは、魔導師としても立派になられた。
私は、もう踏み出してもいいと思いますよ。」

「で、でも……」
思わず、リリスの目に涙が浮かんだ。

やっぱり、

やっぱりサファイアは自分の気持ちを理解してくれる。
恥ずかしいことだとは思っていない。
本当に、親身に思ってくれているのだ。

「でも、まだ……
どうか、しばし時間を……」

「もう、すでにあなた方が出会って5年になります。
あなたは恐らく、その時もう会ってはならぬと言われたはず。しかしあなたは、神殿へ来てイネス様の心の癒しとなって下さいました。
イネス様は他の巫子様と兄弟としてお育ちになりましたが、ずっと友人が無く寂しかったのです。
何より代え難い友であるあなたと、こんな身分などという物で距離を置くことほど、何の実も結ばぬ事だとは思いませんか?」

涙が、あふれて落ちた。

でも……
でも私は……

『イネス様は大切なお友達です』

たったこれだけの言葉が、どうして言えないんだろう。
重い鉛が喉にあるように、あのムチの痛みと鬼のような老女の顔が、思い出されて言葉が出ない。

あのとき何度謝って、泣きながら床に頭をすりつけ懇願しても、打つのをやめてくれなかった。
背中が焼けるように痛くて苦しくて……
ひどく惨めで悲しくて……
自分はセフィーリア様がいないと、本当に誰も頼れる人はいないのだと涙が止まらなかった。


ああ、私が王子であったなら。


その時、初めてリリスの心に王家の人々の顔が浮かんだ。
それはキアンをうらやむ気持ちであり、父であるはずの王に対して口惜しく思う気持ちでもある。
出生を知ってから、ずっと心の奥に閉じ込めてきた暗い感情。

世継ぎじゃなくてもいい、せめて王の血筋を認めてくれたなら、こんなに苦しむことはなかったのに。
どうして、どうして自分は捨てられたんだろう。
どうしてこんな色で生まれたんだろう……

でも……ああ、でも、イネス様を失いたくない。
かけがえのない、本当に大切な。
本当は、身分など関係がない。
でも、身分の違いが……忘れられない、目をそらせない。
また、誰かにムチ打たれるような恐怖が、胸を締め付ける。

どうしたら、どうしたらいいのでしょう、母上様。

「時間を……しばし時間を……」

落ちる涙が、テーブルを濡らす。
サファイアが顔を上げ、ドアに首を振った。


ドア口で聞いていたガーラントが、サファイアにうなずきため息をつく。
そしてそっとドアを閉め、廊下にいるイネスに視線を移した。
イネスは、間を置いて食堂へ来るようにサファイアに促されたのだ。
何故リリスがその言葉を言えないのか。
その理由を知るために。

イネスはうつむき、ギュッと握った手を握りしめている。
そしてくるりときびすを返し、歩き始めた。
「お戻りになられるか?」
小さく問うても、答えは返ってこない。
無言で部屋に向かう彼を、ガーラントが追った。


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