桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 21

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61、

「王子!お下がり下さい!」

ゼブラがハッと気がつき、キアンの前に出て声を上げた。

「シャール殿!
魔導師、これは何ぞ!早う助けよ!」

「シャール様!誰か、ゲール殿!」

「水!水の浄化を!」
「お待ち下さい、聖水は?!」
「早く!」
「地の、地の精霊よ!聖なる光を持って守護の力となれ!」

突然のことに慌てふためく魔導師達が、それぞれに思う魔物よけや破魔の呪文や浄化の呪文を唱える。

息ができずに気が遠くなり、膝をついてとうとう倒れるシャールを遠巻きに、兵は一同が囲って眺めるしかない。

「ライア、一体どうしたのだシャールは?」
「シャール様の息ができない状態で……あぶのうございます!お下がり下さい!」

レスラカーンが、ライアに阻まれ下げられる。
しかし、彼は父の部下であるシャールに面識があり親しい。

「誰か!誰か、シャールを助けておくれ!誰か!」

レスラカーンが叫んで手を伸ばす。
声も出ないキアンをよそに、彼はハッと近くの者に叫んだ。

「セフィーリアを呼んで参れ、早う!
声を上げよ!急げ!」

「は、はい!」

数人の兵が慌てて塔を出て走り出す。

部屋には魔導師の声に精霊達があたりを飛び交い、それぞれが呪文に従う。
しかし魔導師も塔から滅多に出ない閉鎖された場所で術をみがくのみで、実戦の経験が乏しい。
ゲールは長ではあるが、自身は夢見の遠見で戦う力はない。

「おかしい、術が効かない。」

「これは……なんとしたこと!」

首をかきむしり苦しむシャールは一体どんな強い術がかかっているのか、魔導師の術も効かずだんだん意識が遠くなって行く。
ゲールが慌てて、一人の魔導師に杖を突きつけた。

「何をしている!水のカリア!早う浄化せよ!」

「やっております!しかし、術が効きません!」

「馬鹿な!では一体これはどういう事なのだ!」

死の淵のシャールの脳裏には、家族の顔が次々と浮かぶ。



駄目だ、もう、もう…………さらば………



胸をかきむしり次第にうつろになって死を覚悟した時、突然大きな男が部屋に飛び込んできた。

「どけっ!」

立ち尽くす兵を4,5人壁まではね飛ばし、その男が腰の剣を抜く。

「ザ、ザレル!やめよ!」

「うぬっ!」

思わずキアンが言葉を発したより早く、その男ザレルが閃光を放ち剣をシャールに振り下ろした。

「わあっ!」
「ひっ!」

皆が叫び、シャールの死を確信する。
その瞬間、剣はシャールを取り巻く呪いを切り裂き、音を立てて旋風を巻き上げ、はずみでシャールの身体が跳ね上がった。

「ひゅううっ!」

引きつるような音を立て、シャールが大きく息を吸う。

「げほっ、ごほ、ごほっごほっ!」

「無事か?!シャール殿!」

激しく咳き込むシャールに、ホッとしてザレルが剣を戻す。

「た、助かった、ザ……ごほっごほっ!ザレル殿。
あ、あの世が見えたぞ。」

「まだ行くには早い。」

ザレルが、その場をジロリと見回した。
その圧迫感のある視線に、一同は息も忘れ縮み上がる。
と、突然ドアや窓から強い風が部屋中を吹き荒れた。

ビョオオオオ!!

外では白く巨大なセフィーリアの姿が塔を包み込み、その手を塔に差し入れた。
塔の中の壁や人々の身体を白い手が突き抜けてゆく。

「わあっ!」
「ひえ!?」

まるでそれは、清々しい風が突き抜けたあとのように、身体の中まで清浄化してゆく。


『ふざけたことを
このわらわのいる城で』


声があたりに響き、天井に彼女の巨大な美しい白い顔が現れた。

「ひいっ!」

驚き皆が思わず息をのむ。
セフィーリアは怒りを隠す様子もなくジロリと魔導師達の集まりに目をうつし、その手をまた差し入れて彼らにのばした。

『お前か、我が娘を殺そうとしたのは』

「セフィーリア様!」
魔導師達の身体を、手は突き抜けラインの手の中にいるメイスに迫る。

「ひっ!ひいい!来るな!」

メイスはラインの身体を振り切って、その手から逃げようと部屋の奥へと走り、なぎ払うように手を横に振った。
手から無数の青いトカゲが飛び出てメイスの周りにずらりと並んで結界を作り、セフィーリアを跳ね返す。
彼女の姿は散ったように消え、塔からはね飛ばされるように追い出されてしまった。

「おのれ、おのれ!汚らわしい!
汚れし風よ!我が身に触れること許さぬ!
きいい!きいいいっ!!気持ちが悪い!おのれーーー!」

メイスは髪を逆立て、歯がみしながら胸をかきむしった。

身体の中にある、力の大半が奪われた。
この身体を通り抜けた清浄な風に、鳥肌が立つ、気持ち悪い、吐き気がする!

身体をかきむしり、袖をかき上げトカゲの入れ墨をあらわにした。
入れ墨のトカゲは、メイスの腕を這い回り彼の首から左頬へと駆け上がる。

その様子に、ラインが驚きわなわなと手を震わせた。

62、

「メ、メイス!なんだそのトカゲは!」

まさか、まさか、自分が招いたこの子供が魔物の手先なのか?
まさか!

「ゲール、殺すな、捕らえよ!」

レスラカーンが声を上げ命令した。
キアンがハッと顔を上げ、盲目のいとこの顔を見る。

「レ、レスラ……殺した方がよいのではないか?」

「いいえ!生かして背後の者を知るのが先決。
ゲール!魔導であれば兵の仕事ではない、兵は下がれ!魔導の力で捕縛せよ!」

「レスラカーン様はお下がりを!」

ゼブラが険しい顔で、ライアとレスラを遮る。

「ここは王子にお任せを!お下がり下さい!
王子!」

キアンは急かれて、言葉を探す。
しかし、殺した方がいいのか、生かした方がいいのか判断が付かない。

「ゲ、ゲール、どうにかせよ。早う!」そう言うのが精一杯だ。

「は……しかし……」

ゲールもどうしたものか迷っていると、出口で誰かが声を上げた。

「出られないぞ!」
「出られない!セフィーリア様、助けて下さい!」

窓の外には、セフィーリアの大きな透き通る白い手が阻まれているのか、探るように動いている。

「しまった、空間を閉じられたのか?!」

逃げ場を失い、ザレルが天を仰ぐ。
セフィーリアさえ侵入できない状態にメイスを見た。

「精霊さえも撥ね付けるとは、一体何者だ?」

メイスは不気味に不適な顔で笑いながら、頬でうごめく入れ墨のトカゲをなだめるように撫でている。

「お前が切るか?」
隣にいたシャールがささやく。

「いや、しばし様子を見る。」
ザレルは剣に手を添え、キアン達をかばうように立って部屋を見回し、逃げ場を探した。

「くくっ、さあどうする?魔導師サマ?くくくっ!」

メイスが見下して、不適に腕を組み告げた。
ゲールが他の魔導師達と目を合わせる。
我が子のように魔導師達が思ってきたこの子供を、殺すなどできるはずもない。

「捕らえよう、操られているだけかも知れぬ。できるか?」
「この場にいる精霊だけでやってみましょう。」

魔導師達がザレル達の前で盾となり、結界をはるため呪を唱え始める。
水の魔導師のカリアが前に立ち、その場に捕らえようと杖でメイスに向かって宙に呪を連ねた。

「魔に捕らわれし者!ここにその力望む者は無し!
与する精霊よ、水のシールーンが名の下に絶対の眠りを与える!
水の精霊よ集え!捕縛せよ!」

宙に書かれた呪文が輝き、メイスの身体を捕らえる。
そして力強く差し出すカリアの杖から霧が渦を巻いて巻き上がり、メイスの身体を包み込むと足下から凍ってきた。
キシキシときしむ音を立てて、メイスを守るように結界を作る無数のトカゲも凍り付く。
メイスはその様子を驚いたように見下ろし、肩を震わせた。

「メイスよ、お前に罪はない」
カリアが術に集中しながら額に汗を流し告げる。
恐怖に身体を震わせていると思われたその少年は、しかし身体を震わせ笑っていた。

「くくっ、くくくく……
なんと稚拙な術よ、これが精霊の国の魔導師の実力か!」

「な、なにっ?!」


「笑止!!」


メイスが一蹴して両手を横にないだ。
ゴウと音を立て、その手から青い炎が勢いよく吐き出され氷はあっという間に蒸発する。
その炎は容赦なく魔導師達を襲い、彼らの身体を炎で包んだ。

「ひっ!」

不意の攻撃に、カリアの後ろに立つ魔導師達がとっさに術で背後の人々の盾になる。
しかしあまりの炎の勢いに炎があふれ、その炎はキアン達に迫った。

「うわああ!!」
「王子!」
「レスラ様!」

とっさにライアやゼブラが、主の身体をかばって伏せる。

「おおおおっ!!」

ザレルが居合いを込めて再度破魔の剣を抜き、炎を切り裂いた。

「ひっ!ぎゃああ!」

魔導師が二人、炎に包まれ転げ回る。
「ジェンガ!バルク!」
周りの者が慌てて上着を脱ぎ、もみ消そうとしながら術を唱える。
だがその火は消える気配がない。苦しさに転げ回る二人を、どうすることもできず立ち尽くした。

「消えぬ……消えぬ、何故だ!」
「クックック!あはははは!燃えろ!燃えるがいい!それぞ報いと知れ!あはははは!」

メイスの笑い声が響いて、火はどんどん強さを増す。
瞬く間に燃え尽きる身体に、呆然とラインが立ち上がった。

「メイス、なぜだ。お前を連れてきたのは間違いだったのか?メイスよ、恨むなら私を恨め!」

叫ぶラインに、メイスが笑うのをやめ人差し指をなめる。
ため息のように、一つ息を吐いた。

「私は家族を流行病(はやりやまい)で失った後、村人に家を焼かれ畑も取り上げられ、すべてを失って物乞いをしてようやく生きていた。
感謝しますよ、その地獄から救ってくれたあなたに。
でも、ここに来てその安堵は消えた。
牛馬のように働き、疲れた身体を休ませる間もなく夜は……
私はただお前達の奴隷でしかなかったのだ。」

「そ……それは、まさか!」

「馬鹿な、このわしの管理するこの塔で……」
ゲールが絶句して、焼けて炭になった魔導師二人に目が行く。

「そうだよ、ゲール様。ひどいだろう?
しかし、それも今は感謝しているよ。
それがなければ疲れのあまりに井戸に落ち、あのお方に出会ったあの日はなかったであろうから。」
青い炎が床をなめるように広がり、対峙するラインとゲールの服の裾にも火が付く。

「ゲール様!お下がり下さい!」

「うるさい」
声を上げた他の魔導師が、メイスがいちべつするといきなり燃え上がった。

「ぎゃああ!!」
「やめよ!メイス!」

ラインが叫び、彼の結界に入ろうと手を伸ばす。
だがその手ははじかれ、メイスを包み込む青い炎はヘビのように少年の身体に巻き付いてゆく。
そして使用人の粗末な服を燃やして、裸体をなめるように包み込みながら歪んだ声でささやいた。

『ククク……ゲール、うぬらは修行不足だよ。
落ちぶれ果てた精霊の国の魔導師達よ、指輪と杖があればその地位を約束され、ただの人となり果てた。
すでにこの城、我らに恐れる物はない。さらばだ。』

「さよなら、ライン様。
呪われよ、慈悲無きアトラーナ!
滅びてしまうがいい!あははは!」

その炎は、メイスとはまた違う存在なのか。
歪んだ声は、明らかにメイスの声とは違っている。

「貴様は何者か!待て!」

皆を嘲るように笑って炎に包まれ、トカゲたちと共に消えるメイスを皆が呆然と見送った。

63、

「逃さん!」

突然、ザレルがメイスの姿が消える青い炎に斬りつけた。
その剣は音を立て、風を巻き起こして壁を切り裂き残る炎を吹き飛ばす。

「……ッア!……」

声を残しメイスの姿が消え、炎の隙間から彼の小さな左手が肘から落ちて燃え上がった。
「逃がしたか」

舌打ちして、ザレルが剣を見る。

キンッ!

涼やかな音を立て、剣は血を浴びて二つに折れた。

「剣が!」

愕然とザレルが、折れた切っ先に目をやる。
その瞬間、メイスの消えた空間から炎が吹き出し天井に向かった。

「なに?!」
「うわあっ!」

ゴオッ!!
ドンッ!ドンッ!ドッドンッ!
ガラガラガラ!

まるでそれは、地から天へ駆け上る稲妻のごとき勢いで、壊れた板や土や石を落とし、天井に穴を開けて突き抜けて行く。
やがて塔を真っ直ぐに突き抜けた炎は、空を駆け上がり雲に届くと散って消えた。

塔の中では天井を見上げると大穴が空いて空が見えている。
衝撃で室内の壁が大きく崩れて落ち、土埃が舞い上がった。

「な、なんということを……ごほっごほっ!」
「早く外へ!」

結界が解け、人の姿のセフィーリアが風と共にドアを開けて飛び込んできた。

「皆外へ出よ!ここは崩れる!」

風が部屋の中央で巻き上がり、皆が外へ出るまで塔を支える。
壁がミシミシと悲鳴を上げ、天井からバラバラ崩れた物が落ちてくる中、ゲールが燃え尽きるメイスの腕に震える手を伸ばした。

「メイスよ……」

まだ熱いだろうそれに手を触れた瞬間、ボロリと崩れて砂のように散ってゆく。

「ゲール様、お早く!」
魔導師の一人が、ゲールに声をかけ腕を引いた。

「なにがあった?何がどうなったのだ?ライア。あっ!」

慌てて外へ出る一同の中、レスラカーンがつまずき倒れた。

「お早く!レスラ様!」
「ライア、杖が!」

見ると杖は転がり、その上に天井のガレキが落ちてくる。

「ああっ、駄目です杖は諦めましょう!」
「駄目だ、あの杖は……ライア!」

様子のわからないレスラが手で探ると、ザレルが引き返し駆け寄った。

「ごめん」

ザレルが、レスラの身体を抱き上げ外へ急ぐ。

「ザレル、杖を!」
「あなたは一人ですが、杖には代わりがございます!」
「でもあの杖には母上の……!」

言葉を飲み込むレスラが、目を閉じザレルにしがみつく。
塔は、やがて人々がすべて逃げ出しセフィーリアの力が離れると、音を立てて崩れ落ちた。




トラン城の一室で、リューズが杖を浮かせ先端の水晶に手を添える。
水晶は澄み切ったその石の中を急に青く輝かせ、その輝きはやがて炎となって目前に青い炎を吹き出した。

『リュー……ズ……様!』

「メイスよ、来よ!」

水晶の炎の中から少年の手が伸び、その手を掴んで引き寄せるリューズに、全裸の少年が現れ出でて片手で抱きつく。

「あ、あ、あ、ああああ!腕が!リューズ様!腕が!」

あふれる血が炎となって燃え、メイスがたまらずその場に崩れ落ちる。
リューズは杖を手に取り、その杖の先をメイスの切られた腕にそっと当てた。

「血の力よ、現世の不浄なる気に触るるべからず、清浄なる身体を巡れ。」

床にこぼれる炎の血がメイスに吸い寄せられ、傷から入って身体を巡る。
息をつくメイスに、リューズが膝をついて抱きしめ口づけを一つ落とした。

「我が力分かたれし者よ、さあ、落ち着いて。
自ら腕を作るのだ。お前にはすでにその力がある。」

仮面で顔の半分を覆われた青年が優しく微笑む。
ようやく実体として出会えた彼に、メイスは熱い吐息を吐いてうなずいた。

「はぁ、はあ、は……い。
はあ、はあ、わが……下僕よ……さあ、私を助けておくれ。」

息を整えて、切られた腕をそっと撫でる。
そこへ入れ墨のトカゲが這ってきて、その口からシュルシュルと細かく青いヘビを無数に吐き出した。
青いヘビは絡まり分かれて次第に腕を形作って行く。
そしてとうとう腕を成すと、メイスの肌の色へと変わり切られる前の姿を取り戻した。

「ああ……」

リューズがうっとりとその手を取り、唇を当てる。

「あの剣の気配がする、なんという……」

「あの剣、私の呪いを破りました。
口惜しい、巫子の作った剣でしょうか?」

メイスの問いに、クスッと微笑んで唇に指を当て考える。
メイスが怪訝な表情で、なぜか不安に駆られた。

「巫子か……巫子であり、巫子で無し……
赤い髪の美しき少年の香り……」

「赤い髪?リリス!あの憎きアトラーナの見習い魔導師!」

「あれはすでに見習いではないぞ、メイス。
侮ってはならぬと言うたはず。
あれこそ日々修行を積んだ手強い相手。お前も身をもって知ったであろう?」

「そんな事……これはあの野獣のような騎士の力でございましょう?
メイスにはわかりませぬ。あんな、あんな奴!」

「可愛い子よ」フッと笑い、リューズは自分の着ていた上着を脱いで、指をかむメイスの肩にかけた。

「湯浴みをしてくるが良い、長き勤めご苦労であった。しばし休むが良かろう。」

リューズが手を離し、顔の無い部下にメイスを預ける。
ふとメイスが、彼に声を上げた。

「私は、まだ働けます。どうか私をお側において下さい。」

「フフ……メイスよ、我が次の願いはとうに控えておる。
お前は私の大切な分身、何者にも代え難い大切な者。安心せよ。」
「……はい」

ホッと息をついてメイスが駆け寄り、リューズの手に口づけをする。
「何なりとお申し付けを。私はあなたのために生きております。」

顔を上げて熱く見つめ、立ち上がりサッときびすを返した。

城を出た以上、自分の駒としての価値は下がったに違いない。
すでに自分に家は無いのだ。
元の物乞いに戻りたくなければ、主に働きを見せねば。
自分には今、力がある。
この力、もっと磨いて自分の物に……。

仮物の腕をさすり、遠く辛かった物乞いの日々を思い出してぶるりと身震いした。

幸せだった、両親がいた頃の思い出はどこか薄い、夢の向こうのように思える。
流行病を恐れた村人が火を放った家を前に、燃える炎を一人でどうすることもできず呆然と立ち尽くしたあの日、あの日がよほど鮮明に思い出されて仕方がない。

井戸も埋められ、家族でただ一人生き残った自分に村人は、村から出て行くように迫った。
手の平を返したように無慈悲な、あのアトラーナの……魔物のような人々。
あの頃どこも行く当てのない自分が、墓に眠る家族だけが心の支えであったのに、どうして出て行けようか。

ぼろをまとい、裸足で寒さに震え、軒先で雨露をしのぎながら家々を回って食べ物と水を恵んで貰う、村での辛く屈辱に満ちた日々……
少しも心休まることがなかった。
毎夜明日の朝が来るのか恐ろしくて、ただただ不安に満ちて一人耐えていた。

辛かったあの頃だけが、強烈に記憶に残っている。


許せない


憎しみだけが、アトラーナという国に対してつのって行く。

腕にいた入れ墨のトカゲが、ひたひたと腕から胸を這い、腹へと降りて太腿をらせんに巡り止まった。
メイスが優しくその姿を撫でる。

「お前は、お前だけは私の味方になってくれるよね……」

心から、何もかもが信じられなくなっている。
メイスは窓から見える湖の美しさに目を奪われながら、一つため息をついた。



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