桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 23

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67、

広間に入り、各自が場所についた。
広間にはベスレムから送られたのだろう大きな敷物があり、上座に領主の座とその背後の壁には王家の紋章のタペストリーがある。
室内には、明かり取りの窓から柔らかに日の光が差し込み、シンと部屋が静まりかえった。
どこか緊張感のある空気に、無駄な話をする者もなくガルシアが周りを見回す。
両側にはガーラントとミランが控え、その横には巫子が控えている。
斜め後ろには、幼少の頃から側近をしている貴族のクリスが、目が合うとうなずいた。
左端にはリリスがフィーネを抱えて冷たい床に座り、両側にずらりと騎士や貴族が控えている。
息を潜めるような、その時間。
ガルシアは心を治めるように目を閉じた。

「楽士よ、私の前でフィーネを奏でよ。
この固い雰囲気では肩が凝る。」

「え?あ、は…はい。」

ポロン……

その場で、慌ててフィーネを一つつま弾く。
するとガルシアが、大げさに敷物の上を指さした。
「そんな端っこで弾いても、ちっとも面白う無い。真っ正面で弾くがいい。
ベスレムの敷物は風合いも良く、最高だぞ。」

「はい」

リリスが立ち上がり、そっと敷物に座して一息深呼吸をする。
そして、ふと見回し何を弾くべきかと考えた。

あるのは部屋を満たす先行きの不安。
戦いへの覚悟。
そして、友人を殺された者の、憎しみの気配。
入り口に目をやり、腰の剣を握りしめる騎士もいる。
険しい顔で、唇をかみしめる者もいる。

だが……ならばこの中を、使者はどんな気持ちで訪れるのか。
魔導師がしていることを知るならば、死をも覚悟してくるのだろう。
元より使者というものはそう言うものだ。
誰も戦いなど望んでいない、そう信じている。

心の平静を。
そして国の平和を。

願いを込めて、セフィーリアに習った古曲に決めフィーネを奏で始めた。
その複雑な曲は一つの魔力も秘めている。
それは、弾き終わった後も続くその空間に満ちる余韻。

人々が、澄んだ美しい音楽にじっと耳を傾ける。
こんな時にと文句の一つも言いたかったケルトも、渋々だった顔から険しさが消えて穏やかになった。
初めて聞くような……いや、遠い昔に聞いたような、どこか懐かしささえ覚えるその曲は……

「なんという曲だ?初めて聞くな。」
ガルシアが尋ねると、リリスが引きながら顔を上げた。

「母から…セフィーリア様から習った古曲でございます。
題名はなく、ただ人の理(ことわり)を歌った曲だと。
心に理あれば、いたずらに物の道理を曲げることなく争いは起きますまい。
これは私の、そして王子の願いでございます。」

流れるような指の運びが、風のように音を奏で清々しく胸のつかえを清めて行く。
なるほど巫子が薦めるだけある技術を持っている。
ガルシアが感心の吐息をはいて身を乗り出した。

「魔導師らしい話だな。
理を持って対応すれば、道は開けるか。
たとえ友人を殺されても?」

「……悲しみに、憎しみを返せば、また憎しみが来て悲しみがわき出るでしょう。
それを引き起こすのも人であれば、止められるのも人。
人の道は人が決めるもの。
私は、たとえ我が身が悲しみにあふれても、止める道を選びたいのです。」

「フフ……甘い奴よ。だが、それこそ人の命を預かる者の判断であろうな。」

子供の言うことに、憎しみを抱えていた者が剣から手を離す。
リリスの諭すような言葉は、音楽と共に心に染み入った。

これこそガルシアの狙いだったのだろう。
リリスの性格を、見透かしてこその問いだったのだと感じた。
ガーラントが傍らのガルシアをチラリと見る。

敵わぬお方よ……

ガルシアも彼を見て、ニヤリと笑う。
そして彼に声を潜めた。

「王の資質……と言う物があるならば……。
キアナルーサなら何と言ったかな?」

ガーラントが、不意を突かれて眉をひそめた。

「比べるのもおかしな話でありましょう。
王子も同じようにお答えになるはずです。」

「フフ……、俺は時々思うのだよ。
その時代、その人間が生まれ出でることには意味があるとね。
それを曲げようとするから流れが乱れる。」

「良く……わかりかねます。」

ガーラントが目をそらし、フィーネを奏でるリリスに目を写す。

あなたは、やはり世継ぎだったのか?
ならば……あるべき場所に戻るべきだと……

まさか…………あれは、ただの噂で…………でも………………

ふと、考えてはならない言葉が浮かび、軽く首を振った。





「さあ、どう出るガルシアよ。」

隣国の一行が城の敷地に入る様子を、リューズはトラン城の魔導師の間でメイスと杖の水晶を介して見ていた。

「リューズ様、レナントにはリリスがおります。」

「ふふ……」

どこか楽しみな様子で、リューズがくすりと笑う。
かたわらのメイスが、怪訝な顔で眉をひそめた。
水晶の向こうでは、案内され丁重に迎えられる様子が見て取れる。

「やはり、レナント公ガルシアは賢いと見える。
あれだけ下僕を使って襲わせたと言うに、部下を押さえるに長けておるわ。
なかなか手強いと見える。
くくく……こうでなくては面白うない。」

リューズの放った下僕が、レナントの城内を兵の後を追って飛ぶ。

バシンッ!

「うわっ」

「リューズ様!」

下僕がはじけ飛び、水晶から衝撃を術者に向けて放ってきた。
リューズが思わぬことに、仮面を押さえてうずくまる。
そして苦しげにうめき声を上げた

「ぐあああ、あ、あ」

メイスが首をかきむしる主のその指先を見ると、首から胸にかけて百合の入れ墨が輝き彼の体を縛っている。

「リューズ様、これはいったい?」

「うう、はあはあ……おのれヴァシュラム、この身の自由を奪うつもりか!
憎き地の精霊、百合の戦士!」

メイスが初めて見る主の険しい顔に、ふと彼の弱みを見た気がする。
しかしリューズは立ち上がり水晶が何も映さないことを見ると、鬼気迫る顔でメイスを指さした。

「我が願い、わかっているなメイス!」

「は、はい。」

メイスが一つ、息をのむ。
そして膝を付き、恭しく頭を下げた。

「あなたの願いは私の願い。
アトラーナに戦いの風を。」

リューズは彼を見下ろしながら、不気味に微笑みうなずいた。




「くくっ」

イネスの横で、セレスが小さく笑う。

兄様?

怪訝な顔で、イネスが彼をチラリと見た。
リリスのフィーネの音に、軽く足でリズムを取っていたセレスが、おかしくてたまらない様子で口を押さえる。

「なんでもないよ、イネス。
使者殿が見えたようだ。」

「まさか、結界に罠を?」

「ちょっとね、ふざけた魔導師に挨拶しただけさ。」

セレスの作る結界は、普通の魔導師には歯が立たない強さがある。
しかも、彼はそれにトラップを仕掛けるのが得意なのだ。
彼が言う「倍返しのハリセントラップ」とは異世界の言葉らしく、誰も意味がわからない。
イネスがひょいと肩を上げると、ドアを開け兵が入ってきた。

68、

「トランよりの御使者、エルガルド卿がお越しでございます!」


広間に兵の声が響き渡り、両扉が開いて黒髪の男が胸に手を当て頭を下げる。
ガルシアが手を挙げ、リリスが演奏をやめて一礼し、傍らに身をひいた。
黒髪の男は隣国の貴族エルガルド。
年は30半ばだろうか。
背後に5人の部下を引き連れ、颯爽とガルシアの前に歩み片膝を付いた。

「トランより参りました、ガルディア・エルガルドと申します。
ご機嫌麗しく、今日の良き日にお会いできて光栄に存じます。
ガルシア様とは、……」

「2度目にお会いするな、エルガルド卿。
確か、叔母上の婚儀の時にお見かけしたと記憶するが。
叔母上はお元気だろうか?
再婚なさってから、一度もお会いしていないが。」

エルガルドが、驚いて目を見開いた。
婚儀があったのはすでに15年ほど前、彼は親戚の一人でしかなかったのだ。
父親の代わりに出席していたガルシアは、まだ若く少年だった事を覚えている。

「なんと、覚えておいででございますか。
ミリテア夫人はたいそうお元気のご様子。
今の季節は仲良くご夫妻で狩りに出られるのを、楽しみにされているとお聞きしております。」

「そうか、快活な叔母上らしい事よ。
さて、今回はトラン王のご親書を携えていると聞いたが。
私は隣国との折衝を王より勅命で任されている。
よって、それはこちらでお預かりしたい。」

「は、しかし、トラン王よりはアトラーナ王のお考えを伺いたいとの言づてでございます。
できますれば、王より直接のお言葉をいただきたいのですが。」

「わかった、だが王は先日少々風邪を召されて、お会いするには適切な時期ではないとお考えだ。
使者殿にうつしては大変と、こちらに一旦手紙を預かり早馬を走らせよとの連絡をいただいている。
使者殿にはこちらでお待ち願いたい。」

「なんと、それは一大事でございますな。」

「いや、心配には及ばぬほど軽い物。
もう快方に向かわれている。」

「そうでございますか。
承知いたしました、それではこちらで待たせていただきましょう。」

手紙を指示されたミランが受け取り、ガルシアに渡す。
ガルシアは受け取ると大きくうなずき、手紙を側近のクリスに預けた。

「確かに受け取った。
お疲れであろう。ゆっくり休まれよ、部屋も用意させている。」

「は、ではお言葉に甘えさせていただきます。」

「大儀であった。」

まずは、使者の足止めは叶った。
しかし彼らを無事返すまでがレナントの戦い。
相手は思った以上に穏やかな騎士ではあるが、些細な事が大きく本国へ伝えられれば、火種になる事は必須。
気を緩めてはいけないのだ。



ガルシアが執務室に戻り、長老達の前でトラン王の手紙の封を切る。
トラン王の手紙からは、同盟に対する王の心変わりの有無を穏やかに問うてきていた。
こちらからは何も接触していないだけに、攻撃を受けているこちらにしてみれば寝耳に水だ。
かえってなぜこちらに攻撃してくるのかと問いたくなる。

ガルシアは本城の王にレナント一の早さを誇るグルクを飛ばし、トラン王の信書にガルシアから一筆添えて返答の信書をお願いする書簡を送った。
レナントで一行を止めおくのは本城からの通達でもある。
もしこちらに手落ちがあっても、弁解の逃げ道を作るためだ。
つまり、レナントはいざという時の捨てゴマとなる覚悟を必要とされている。
それだけの緊張感から、代々レナントの領主は短命だ。
だが、ガルシアはその中でもその緊張を楽しんでるような様子が異彩を放っている。
二代を見てきた長老も、最初はひどく危険を感じて厳しく意見していた。
しかし、それもよい思い出となっている。

「王はよい返事を書かれるでありましょうか?」

心配そうに、護衛を務める騎士のミランがつぶやくように言った。

「さあな、あの気弱な王子を目の前にして、戦(いくさ)だ戦いだと息巻く元気は、あの爺さんにはないだろうよ。」

「ま!また王に対してそのような!」

カアッと長老が顔を真っ赤にする。
王を爺さん呼ばわりするなど、ガルシア以外にないだろう。
この口の悪さ、一体誰に似たのか気が重い。
ガルシアは立ち上がり、笑って長老の肩を叩いた。

「年寄りがあまりカッカなさると、命を縮めますぞ。」

「どなたのせいだとお思いか?ガルシア様!」

「ひよっこが道を外さぬよう、よく見ていて下され長老殿。
さて、しばし休んで着替えるとしよう。」

笑いながら自室へ着替えに向かう。
長老が、苦笑してホッと息をついた。



その夜、ガルシアは宴を持って一行をもてなした。
酒を振る舞い、舞台では楽士の音楽に合わせ舞姫が踊る。
やがて舞が終わると、リリスがソロでフィーネを演奏し、喝采を浴びる。
リリスはできるだけ楽しい音楽で、この会見がうまくいくことを願っていた。

やはり、もしやと思っていたとおり、彼らはレナントに魔物の襲来があることを知らないらしい。
緊急に補修した庭や回廊を見て、驚いた様子で心配しているようだった。

「ガルシア殿、王はアトラーナ王が、何かお考えにお変わりがあるのではないかとご杞憂になっておいでです。
王は先代よりの二国の同盟関係に変わりなく、お互い繁栄あればとお望みなのですが。」

よく言う、こちらに一方的に攻撃しておきながら、白々しい。


周りのアトラーナ側の人間は誰しもそう心の中でつぶやき、冷めた気持ちで二人の話しに耳を傾ける。
一見楽しそうでありながら、どこか冷めた空気が漂う酒の席。
それでもここで何とか収まってくれればと、お互いの願いが気持ちを合わせていた。


リリスのフィーネの音楽が終わり、笛の音に合わせて今度は少女の舞が始まった。
薄衣を翻し軽やかに踊る少女が、ステップを踏むと手拍子が上がる。

リリスが呼ばれてフィーネを置き、ガルシアのグラスに酌をして傍らに控えた。
二人は何気ない談笑を装い、中身は危うい言葉を交わしている。
話に耳を傾けながら、ガルシアの肝の据わった様子に感心して聞き入った。

「王にお心変わりなど、なぜそうお感じになられたのかがこちらにはわからぬ。
こちらは王子の婚約を危ぶむ声がでていると聞いて、皆驚いているのだ。
トランと我が国は元々一つの国であったもの。
遠い血族であったのに、不幸にも和解するまでは諍いが絶えなかった。
こうして分かたれた二国間の繋がりを、互いの国の王子と王女の婚儀はいっそう深いものにするだろう。」

「我がトラン王は、大切になさる姫なれば慎重になっておいでです。
アトラーナの御世継ぎは、近年たいそうご立派になられたとお聞きしております。
婚儀は王の御懸念が去りましたら是非にと仰せでございます。」

「なぜ御懸念されているのか、それを知りたいな。」

ガルシアが、酒を一口飲んでゆったりと聞いてきた。
エルガルドが果物をかじり、しばらくかんで飲み込むと真顔になる。

「実は、国境を越えてトランに多くのアトラーナ兵が侵入していると報告が。
それに猟師が一人、ケガを負って伏せっているのですが、アトラーナ兵に追われたと言っております。
こちらも慎重に調査しておりますが、王はたいそうお嘆きです。」

「ふむ……」

ガルシアがアゴに手を置き首をひねる。
実はガルシア自身、その情報は聞いた事がある。
だが、砦の兵も厳格に調査した物のそう言う兵は見あたらなかったのだ。

「おかしいな。
その話、隣国からの商人に聞いて急ぎ砦の首長に調べさせたが、そのことは確認されなかった。
国境は、物の行き来のために人の出入りはあるだろう。
だが兵の行き来は許可無くできぬ。
しかも、そちらの砦もすぐそばにある。
我が兵が用もなく、また禁忌を犯してそちらの領地に許しも得ずに侵入するなどあり得ぬ。
捕らえられれば厳罰を負うだろう。そこまでして侵入してなんとする?」

「それは……こちらがお聞きしたい。
兵が勝手に……でなければ、上官の命令があっての事でありましょう?」

「なるほど。」

これはお互い平行線だな。
どちらも自分側に非がないと信じている。
これ以上何を言ってもと、相手も思っている事だろう。

「はてさて、困った物だ。
何を持ってすれば信じていただけるやら、このガルシアも頭が痛い。
平静の世にあって、わざわざ争いを呼ぶ事など、この国境の民が何とする?
まして国境の兵は、争いを防ぐための物。お互い重々承知のはず。」

「それは……わかっております。
ですから王も、真意を確かめるために私をお仕えになったのです。
元より戦いを望む者など、こちらにもおりません。」

「そうであれば良いのだがな……」

傍らで聞くリリスが、少女の舞を見つめながら、遠く思い浮かぶアトラーナの自然の美しさと町の人々の様子を思い出し目を閉じる。

普通に日々を送り、普通に日々を営み、普通の幸せをかみしめる。

誰も、戦いを望んでいない。
隣国の方も同じ思いだったのか……

目を開き、傍を見ればアトラーナとトランの人々が歓談している。
それこそ、本当に皆が望む姿。



ふ……と……


あの顔の無い魔導師の姿が思い出され、身震いした。


ならばアレは何だ?



69、

酒を一口飲み、ガルシアがふと思い出したように漏らした。

「そう言えば、エルガルド殿はリューズという魔導師をご存じか?」

エルガルドは、ここでなぜその名が出るのか不思議そうに、知っていると返した。

「それが何か?」

「いや、先日当方の魔導師が一人、魔物に襲われ皆で何とか救い出したのだ。
ご覧になったであろう?西の塔の最上部が崩れているのを。
それが、魔物が去る前に漏らしたのだよ。
リューズ様と。
我らは聞いたことのない名であったのでな、何故このような事をされるのかと訪ねたいのだ。」

その余りにストレートな質問。

エルガルドの顔色が変わり、周りの皆の顔色も変わった。
ここで彼が激高すれば、事態は一気に悪化するかもしれない。

エルガルドもどう返して良いか視線を落とし、そしてうなずいた。

「魔物の言うことですので真偽のほどは分かりませんが、私の知るリューズ殿とは別人だと思います。
一応帰りましたら、覚えがないか聞いてみましょう。」

「ああ、では頼む。」

さらりと会話が終わってしまった。
これ以上、問い詰めるのは得策ではない。
ガルシアは、その夜その話題には一切触れなかった。
しかし、この城の現状を知っただけに、それが余計にエルガルドにプレッシャーとなる。
やがて宴が終わり用意された部屋に戻ると、側近にもその話を伝えた。

「リューズ様……でございますか。
うむ……あのお方は王のご寵愛をお受けになっておりますが……」

側近の騎士が口ごもり、話すべきかと迷っている。
エルガルドが怪訝な顔で、騎士に話を促した。

「実は、知り合いの魔導師が、リューズと言う名の魔導師は聞いたこともなかったと。
詳しく調べさせましたが、どの魔法師に属する者も、知らないというのです。
しかも……調べを頼んだ魔導師殿が……」

「いかがした?」

「死にました。」

「なんと!事故か?」

「いいえ、2人の弟子もろとも……屋敷で黒こげになって死んでおりました。
しかも、人は焼けていたにかかわらず、部屋は一切燃えていなかったと言うのです。」

エルガルドが言葉を失う。

「なぜ……なぜそれが問題にならぬのだ?」

「そのことを知らせた生き残りの使用人が、やはり井戸に落ちて死んだのです。
この事は、知るものの中でひっそりと、外へ語ることが禁忌とされました。
王や王子は、恐らくご存じでは無いと思います。」

二人の背中に、ゾクゾクと冷たい物が走る。
どこからか視線を感じるような気がして、思わず辺りを見回した。



自分はとんでもないことを聞いてしまったのではないだろうか。



ほくそ笑む、顔の半分を仮面で隠したあの男とも女とも付かない奇妙な魔導師。
浮かんでは心に黒くもやが広がって行く。

側近の騎士はやがて隣の自分の部屋に下がり、一人になると心寂しさに息を飲んだ。
人差し指を横から噛み、心を落ち着ける。

ここはアトラーナだ。
まさか、ここまであの魔導師の目は届くまい。

自分に言い聞かせる。

その時、

エルガルドの背後にある壁のろうそくが、一瞬青い炎をポッと上げた。






ガルシアが、執務室で酔いを覚ましながらトラン王の手紙の写しを読み返す。
呼ばれた小姓のレイトが部屋を尋ねると、ガルシアが肩を指さした。

「揉んでくれ、どうも酒が肩に寄っている。」

「承知いたしました。」

プッと吹き出し、少し足を引きずりながら歩いてくる。
昔折れてしまった事のある足が、調子が悪いのだろう。
その時は単純な骨折だったのだが、無理をしたために結局は障害を残してしまった。

「おや?随分足の調子が悪そうだな。」

「いえ、ちょっといつもより動き回ったので、サビが回っただけでございます。
明日になれば元に戻りますゆえ、どうぞご心配なく。」

レイトは暖かなタオルを用意して彼の首を温め、丹念に首から肩を優しくもみほぐしていく。
休ませたい気持ちもあるが、ガルシアも少し彼と話がしたかった。

「お前は肩を揉むのが上手いな。強すぎず弱すぎず、丁度いい。
レイト、俺は疲れたと思っているだろう?しかし疲れた訳じゃない。」

負け惜しみのようなことを言って、指を立てる。

「息抜きでございましょう。ガルシア様は疲れたと言うにはまだお若くございます。」

「若くても疲れたって時もあるさ。
まあ、俺は疲れてないがな。」

「ふふっ、それは複雑でございますね。」

ノックがして、ガルシアが応じる。
ドアを開け兵が頭を下げると、巫子セレスがトランの騎士を一人連れてきたという。

「通せ」

「では……私は失礼します。」
レイトが席を外そうと頭を下げると、ガルシアが無言で指を指し、横に控えるよう命じた。

「失礼します。」

セレスと隣国の男が、入ってくる。
何かいわくがありそうで、男はひどく落ち着きがない様子だった。

「変わったペアだ。いかがした?」

「はい、こちらは、隣国より参りました騎士の一人、マイアールと申します。実は……」

セレスは男に手を差し出し、何かを渡すようせかす。
すると男が慌てて懐から手紙を取り出し、セレスに渡した。
セレスはガルシアにその手紙を見せ、思いもかけぬことを言った。

「これは王女ダリアからの極秘の親書です。
恐らくあの魔導師についても書いてあるでしょう。」

「隣国の王女?王女が魔導師についてだと?」

いぶかるガルシアに、騎士がささやくように話す。

「は、はい。実は……王女は王宮魔導師のリューズ様と密かに対立していらっしゃるのです。
アトラーナの本城にも使者を送り、手紙を授けようとしましたが……本城に着いたところで死んだと連絡が来ました。」

「なるほど、そこで貴方が次に手紙を託された訳か。」

「はい」

うなずく騎士をチラリと見て、セレスが手紙をじっと見る。だが、手を差し出すガルシアに手渡そうとしなかった。

「この手紙、呪いがかかっている可能性が。というか、呪いがかかっております。
御館様が触れると燃え上がるやもしれませぬ。」

「ま、まさか!」

騎士が驚いて顔を上げる。

「私はひっそりと王女に呼ばれ、侍女のリナ殿に手渡されたのです。
その間リューズ殿にも、その配下の方にもお会いしておりません。
どうか信じていただきたい。
王女も重々ご注意なさったはず、そのような呪いがかかっているなど!」

「落ち着くのだ。
相手が術に長けておれば、考えられぬ事ではない。
そのために巫子殿がおられるのだよ。」

うろたえる騎士に、ガルシアが動じる様子もなく首を振る。
騎士は青ざめた顔で唇をかみ、頭を下げた。

「は、はい。失礼しました。
取り乱し、申し訳ない。」

騎士がすがるような目で、セレスに思わず視線を送る。
地の神殿には、隣国から巡礼に来る者も多い。
おそらくこの騎士も、セレスと面識があったのだろう。

「しかし、それでは俺は読めないということになるな。
女性の嫉妬の炎なら命がけで読むけどね。」

「ふふ……はい、そのために私がおりましょう、お任せを。」

セレスがにっこり微笑み、ガルシアから一歩離れる。
そして腰から短剣を取り出し、手紙に当てて呪を唱えた。

「我が身は聖なる気をまといし者。
その気、その身は清浄にて、我が主を宿す者なり。」

手紙がセレスの手の中で青白くほのかに光り、ガサガサ音を立てて震える。

「この心に宿りし火よ、その火は清浄にあらず、燃える時を伺うその存在は理(ことわり)を否定し聖霊の宿るものでなし。

我が命ずる!理に帰せよ!」

セレスが、突然手紙を宙に放り両断した。
手紙は青い炎を吹き出し、騎士が背後で悲鳴を上げて腰を抜かす。
セレスは、左手を差し出し気を込めて広げた。

「炎よ帰せ!理を曲げし者、理を知れ!」

青い炎が、セレスの広げる左手に吸い込まれるように消えてゆく。



『ギャ……』



どこか、遠くから小さく悲鳴が聞こえた気がした。


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