桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 44

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130、

「………セレス様、セレス様!」

遠くから、ルビーの呼ぶ声がする。
それが、昔ガラリアだった頃の記憶と混同して穏やかな夢を見ていた。

「セレス様!お気を確かに!!」

肩を揺り動かされ、セレスがぼんやり目を開けた。
気がつくと、顔や髪が流れた涙で濡れている。
朝靄の中、ルビーも汗なのか湿気の為なのか髪を濡らし顔に張り付かせてセレスを覗き込んでいた。
あれからどのくらい時間がたったのか、まだ身体に力が入らない。

「ル……」

話そうとしたが、舌に力が入らず、ろれつが回りそうにない。
ヴァシュラムは、指一本動かせないほどセレスの身体から力をはぎ取ってしまった。
あいつのやる事には容赦ないと、ため息が出る。
口では伴侶だ大切だといいながら、やる事は突き放し、叩き付け、あげくは力をはぎ取って森に放置だ。
獣に食われても構わないとさえ思える。
そのくせ死ぬ事を許さない。

手をなんとか動かそうとするが、指の一本も動かせない。感覚がない事に不安を覚え、セレスはルビーの顔を見た。

「……わらしの…からら……欠けてない?」

「大丈夫です、どこも欠けておりません。
手も指の一本も、髪のひと筋さえも欠けてございません。
このとおり、腕輪も確かに付いております。」

セレスの手を持ち上げ、ルビーが自身の目で確かめさせる。

「そう……」

ホッと息をつき、まだ、自分のやるべき事は終わっていないことを思い出した。

「ル…—…はら…れよ……」

「は」

どのくらい離れていいのか迷うと、セレスがグルクを視線で示す。
地上にいると邪魔になるのだろう。
ルビーが一礼してグルクに乗り飛び立つ。
それを見届け、セレスが目を閉じ意識を集中した。

「汝の子に汝が命分け与えよ」

口の中で唱えた。
大地が震え、森全体が穏やかに輝き、光の波がセレスに集まってくる。
そして光がセレスの身体に達した瞬間、彼の身体が輝いて大きな力の反動でポンと跳ね上がった。

「ふう……」

スッと光が身体中に満ちて、確かめるように両手を目の前にかざし、手の平を閉じたり開いたりしてみる。
一息ついて身を起こすと、上空からルビーがグルクを操り降りてきた。

「お加減は?」

「よい、私には一切心配などいらぬ。
あいつ邪魔しおって、いっそこの腕輪を壊せばよい物を。」

腕輪を撫でて、ため息を吐き立ち上がった。
セレスが腕輪のことで悪態をつくのはただ一人。

「ヴァシュラム様がお出でになられたので?」

「この私がここに寝ていたことを見ればわかろう。」

「は……」

珍しく、セレスが不機嫌そうに言い放った。
暗い顔でプイと顔を背け、背中を見せる。
ため息をつき、ひっそりと涙をふいた。
しばし言葉を待つルビーに、後ろ向きで腕輪のある手をかざして見せる。
朝靄が晴れ、覗く太陽に腕輪がきらりと輝いた。

「お前は、私の事を何も聞かぬのだな。」

「申し訳ありません。」

「なぜ謝る。はっきり言えばいい、ヴァシュラムからそう言われていると。
なぜ私が身体が欠けたかと聞いたときに腕輪を見せた。」

「それは……聞いたのではありません。
あなた様のお力と、その腕輪が何らかの関連があるのだろうと、私が勝手に思っていたのです。
いつもリングをはずすときは死ぬ時だと仰るので……」

常日頃の言動から思いついたただの勘だが、それが当たってしまったのだろう、しかしそれがセレスには不愉快なのだ。
それでも、いつもならそれを表に出すことのないセレスが言動で出してしまうのは、非常に珍しいことだ。
ヴァシュラムとの間に何かあったことは、ルビーには容易に読み取れた。
でも、それを素直にぶつけてくれる事は自分を信用してくれている事であり、それがなぜか嬉しく感じてしまう。

「余計なことを……!?……なぜ笑う。」

セレスが腹立たしく振り向くと、その微笑むルビーの顔に怪訝な顔で面食らった。

「あ、いえ、申し訳ありません。」

慌てて頭を下げる彼に、脱力してため息をつく。
何百年生きても、ヴァシュラムと言い合ったあとはいつもこうだ。
つい感情的になってしまう自分は、ちっとも成長しない。

「もう、よい。
ヴァシュラムの気まぐれに振り回されるのはいつもの事よ。あの気持ちの悪さにも慣れたはずだがな。
だが今回は、あまりの勝手にさすがに腹が立った。
さて……あいつはどこに行ったのか……」

「逃げられたのでございますか?」

「本体にだ。あの身体は神殿に返すと言っていたから、今ごろ神殿は大騒ぎだろうさ。
アデルが上手くやってくれるだろう。
あの身体は魔導師ベルニカの弟子の物だ。
弟子がトランに使いに行ったきり、行方不明だと彼女が気に病んでいるのを思いだした。
私は会ったことはなかったが、あの身体の残留思念にはベルニカの顔が写っていた。
残念ながらすでに死んでいたが、身体なりとも残っていれば手厚く葬ることも出来よう。」

「あれが死体と?なんと気味の悪い。」

「あれの本体は元が聖なる火だったから死体を操れたのだよ。
火はこの世とあの世の橋渡し、昔は良く火の巫子が死者の声を聞く、黄泉返しをやって見せた。」

「では……では聖なる火がこのようなことを?アトラーナを攻撃したのは聖なる火が原因だったのでございますか?」

「そうだとも言えるし、違うとも言える。
あれ自体に感情は薄い。
精霊が、精霊自体に力はあっても魔導師がいなければ術として成立しないことと同じよ。
火に飲まれ、結果的にその力を与えてしまった物があるのだ。
私はそれを救いに来たのだが、ヴァシュラムに邪魔をされてしまった。」

セレスはまたため息をついて空を仰ぐ。
目を閉じ、大きく息を継ぐ彼にルビーはひっそりと声を落とし問うしかなかった。

「あなた様は……一体何をお救いになりたいのです。」

セレスがゆっくりと目を開き、そしてルビーを真っ直ぐに見つめる。

その恐いほどに決意を秘めた瞳にルビーは問うた事を後悔しながら息を飲んだ。


「ヴァシュラムと、私の子だ。」


一陣の風が吹き、セレスの金の髪が舞い上がる。
凍り付いたように身じろぎ一つしないで答えを受け止めたルビーは、彼の「救う」という意味が一つしかない事を悟っていた。
彼はこの数百年を、自分の子供を殺すために、それだけのために若返りを繰り返し生きてきたのだ。
巫子として、生きる事の希望を説きながら、生きる事の苦痛に血を吐く思いで。

立ち尽くすルビーに、セレスが自嘲するようにクスッと笑う。
まぶしい朝日を浴びて、朝焼けに燃える空を見上げフッと一呼吸した。

「男同士に子が生まれるわけがないと思うだろう?でもあいつは地の王、万物の父であり母なのさ。
ヴァシュラムは酷い方だよ。本当に、あの方に愛されるのは苦痛だった。
私は巫子じゃない。でもあの方が巫子だと言えば巫子になる。
人間が決めた決め事を逆手にとって、盗賊の奴隷だった私を奪って巫子にしたんだ。
子供は私を引き留めるために、気を引くために、ただそれだけのために気まぐれに生み出した。

本当に、心から愛されているのかと、一時は思ったよ。
大切にされているのかと。

違う、違うんだ。違ったんだ。
私など、どうでもいいんだ、あの方は。
死という物を知らないあの方の、私は玩具でしかない。ただ、見てると飽きない玩具を失うのが惜しいだけ。

精霊は気まぐれだ、人間がどうなろうと知った事ではないのさ。
あの子を殺すまで生きる事を決意した私に、あの方はたいそう喜んだよ。
子供の事とか、人間の事とか、考えているようでまったく考えてない。どうでもいいんだ。
だからこそ、私は親として、あの子を生み出してしまった者として、罪もない人々を殺したあの子を殺さねば。
それだけが、あの子にできる、親としての勤め。今の私がたった一つ、あの子にしてあげられる事。
そして、その時は私もやっとラクになれる。
あの方から解放される………」

吐き出すように、一息に秘めていた胸の内をルビーに語った。
2人の間にある気持ちのズレが、ルビーにどうにか出来る物ではない所まで来ている。
それは、苦しむ彼を放置して、少しも側にいて寄り添う事のないヴァシュラムにも責はあるだろう。

「ですが、ヴァシュラム様は……セレス様?!」

セレスの身体が、ふらりとかしいだ。
ルビーが慌てて駆け寄り彼の身体を受け止める。
ぶらりと下がるセレスの指先から、光が溢れるようにしたたり地面に消えた。
彼の身体が、不安定に薄くなったり濃くなったり、光ったりを繰り返す。
初めて見る事態に、ルビーはまるで冷水を浴びたようにサッと血が下がる思いで彼の身体を揺り動かした。

「セレス様!セレス様!」

うつろな顔で、セレスの口が「ヴァシュラム」とつぶやいたように見えた。
ハッと手を握るルビーが、泣きそうな顔で唇を噛む。

「ヴァシュラム様は、決してあなたをないがしろになさっておりません。
あなたは、あの方にとって唯一無二の真の地の巫子なのです。だから……」

こう言う時の対処はヴァシュラムから聞いている。
セレスのために自分は存在する。
でも、彼に本当に必要なのは、自分ではなくヴァシュラムなのだ。
ルビーは彼の身体を抱き上げ、毛布でくるみグルクに固定すると、青く澄み渡る大空へとグルクを羽ばたかせた。

131、

ヒヤリとした空気が緩やかに流れる。
息を吸うと、肺が洗われるように気持ちがいい。
目をゆっくり開くと、そこには空は見えない。
遙か上に、地上にまで続くのだろう岩の裂け目が、まるで天地逆転した奈落のように続いている。
ここからある一定の時間、地下に光が差し込むのだ。
ただ今はその時間ではなく、闇に輝く妖精や精霊達の小さな輝きが、まるで火の粉のように地の底の森に沢山飛び交っていた。

「きれい……」

目を開けて、しばらくうっとりそれに見とれる。
すでに地の底の森の中、こうして地面に直接寝かされて3日たつ。
ここはミスリルの村イスカ。
地の精霊王が作った村だけあって、地上からどれだけ離れているのか知らないが地の底にある。
地底村だ。
それでも、いつも風がどこからか流れて、朝一時間ほど天井の岩の裂け目から日が差す。
それが岩に含まれる水晶のような澄んだ石に乱反射して、地底中に光を届けるのだ。
それでも、恐らくそれで植物は育たないだろう環境で、なぜか森があり多種多様な作物がある。
不思議な、ヴァシュラムの作り出した箱庭のようだ。

飛んできた精霊を、指に留まらせる。
最初の日は毒が回ってろくに言葉も出なかったが、ようやく手足も自由に動かせるようになった。
薄い毛布を上に着せられただけだが、寒さは感じずヒヤリとした清浄な心地よさがある。

「ここにいると、昼夜の区別が付かんな。」

ブルースが退屈そうに大きく伸びをする。
かたわらの袋に手を突っ込み、スモモのような果物を手にして一つほおばり、甘酸っぱさに顔を歪めた。

「ヒュー!なんて酸っぱさだ、こりゃ参った。
巫子殿も良くこんな物食えるな。まあしかし、目は覚める。」

リリスも一つもらってかじる。
確かに強烈な酸味だが、毒消しの薬らしい。食べるのにはもう慣れた。

「ええ、ほんっとに酸っぱい。でも薬だし、食べてるとなんかクセになるんですよ。もう一つ下さい。」

「もう一つだって?巫子殿、腹に子でもいるんじゃないのか?ほれ」

「私は男ですってば!もう。」

とは言え、まるで歯が溶けそうな酸っぱさだ。
でも、それが今は心地いい。
かじりながら身を起こして、座って息をつく。

「もう、お城には戻れませんね。」

「さあな、お主の力と状況次第か。まだ必要な物を返してもらってないではないか。」

「でもなんだか、とてつもなく無理な話だと思えてなりませんけど……
だって、一つは王位継承の証ですよ?
王子の旅に同行させて頂いた時も、たいそう気を使いました。お預け頂けた時は、名誉な事とたいそう気が引き締まったものです。
それを自称巫子が必要だからくれって言われても、気が狂ったとしか取られませんよ。」

「でもなあ、親なら子の願いはどんな事でも叶えてやりたいものだぜ?」

「え?」

「お?彼女だ。」

振り向くと、ガーラントともう1人の姿が近づいてくるのが見えた。
ミスリルのベネットだ。
彼女は医師のような魔術師で、人のオーラを感じて治療をするらしい。
感じるというのは、彼女の顔を見ればわかる。
目がないのだ。

ベネットはガーラントより先を歩いてくると、リリスのかたわらに膝をつき額に手を置いた。
まだ若く、20代だろうか。
目のない顔だが、透けるような白い髪で顔を隠しあまり違和感はない。

「命の火が安定して暖かく燃えています。
毒も抜けきったようです、もう大丈夫ですね。
さすが巫子殿、地の波動と合わせるのがお上手、回復がお早い。
素人ではなかなかそうは行きません。」

「イネス様に教わっていたのです。
ベネット様のおかげでラクになりました、ありがとうございます。」

「そうですか、地の神殿には私たちも大変良くして頂いています。
さ、長(おさ)の元に参りましょう。
長老があなたに必要な事を教えてくれましょう。
あなたが会わねばならない方もお待ちです。」

「必要な事?会わねばならない?」

ベネットは立ち上がったリリスの手を取り、柔らかく握って手を引いて行く。
なんだかそれが気恥ずかしいほどに心が安まり、ガーラントと目が合うとポッと赤くなって目を伏せた。




地下の村は、石をくりぬいた部屋に沢山のカラフルな織物を敷いて、壁をくりぬいて置いたランプの灯りで生活している。
出入り口はドアではなく、美しい文様の厚めの布が下がりドアの替わりを成す。
そのような家が壁一面に並んで、ランプの明かりが水晶を含んだ石壁に反射し、地下と言えあまり暗く感じない。
壁には上の部屋に続く階段が岩を削って上まで伸び、人々は器用に手すりもない階段を軽々と行き来している。
居住スペースの前には果樹園や畑があって自給自足の生活が成され、その周囲を森が広がり狭い空間の圧迫感を消していた。

しかし、ベネットはその居住区のまだ奥へと歩を進める。
やがて地の裂け目の始まりとも言える場所にたどり着くと、そこはかがり火が両脇に焚いてあり木で屋根をしつらえた、なにやら入り口に宗教めいた紋章の細工のある社だった。

「ここは?」

「我らの神殿です。ミスリルの守り神、アリアドネが奉ってあります。」

「アリアドネ様?初めてお聞きします。」

「アリアドネは地母神、ヴァシュラム様の女名じゃないかって言われています。言い伝えはないのですけどね。」

「えっ?あ……ああ、そうですよね。ヴァシュラム様なら……わかります。なんとなく。あのお方の本当のお姿は、一体どんなお姿なのでしょう。
いえ、もしかしたら、決まった姿など何もお持ちではないのかも知れません。
私の母様は風のセフィーリア様ですが、元より風に姿などあろう訳がないと酔ったときの口癖です。」

そう言って、ザレルにからんでは酒をウワバミのように飲んでしまう。
……なんだか変な事を思いだしてしまった。
酒癖の悪い困った精霊の母を思い浮かべクスリと微笑む。
会いたい。もう一度抱きしめて欲しい。
それだけで不安な気持ちなど吹き飛んでしまうのに。

「さ、どうぞこちらへ。長老と長がお待ちです。」

「はい。」

返事をしながら後ろを付いてくる、ガーラントとブルースの顔を見る。
ブルースが促すように顔を動かす。
うなずいて、布をめくって待つベネットの前をくぐって入る。
中は狭く、部屋の両脇にベンチのように切った石を配置してある。
テーブルもあって、ここはちょっとした集会場のような物でもあるようだ。
中央にはろうそくが穏やかに中を照らし、正面にはまた垂れ幕。
ベネットが先を行き、またその幕を上げる。
中は暗く、リリスたち三人が恐る恐る歩みを進める。

「ご気分はいかがかな?」

次第に目が慣れ、ぽつりと奥にある壁のランプに照らされた人影に目をこらす。
岩壁の隙間のような薄暗く細長い通路の途中、杖をつく背の低い老人がこちらを見て手招きしている。
この村の長(おさ)だ。

「あ、あの……大丈夫です、お世話になりました。」

「そうか、それは良かった。
さあ、奥は広くなっている。こちらへおいでなさい。」

「はい」

ベネットは頭を下げて戻り、リリスたちは彼女に軽く会釈して別れ、老人のあとについて行く。

「ここは聖域じゃ。この奥へは村人も滅多に入らん。」

「こちらにはアリアドネ様をお奉りになられているのだとお聞きしました。
神殿……なのでしょうか?」

「そう言う事じゃ、ここは地脈のるつぼ、地のエネルギーに満ちておる。それを守る意味もあるので、ヴァシュラム様は我らの村をお作り成された。
この村の存在は、ここの守りと言う訳よ。」

「そんな大切な事を、我らに話してよいのかね?長殿。」

ガーラントが、怪訝な顔で問う。

「なに、貴方らは喋らぬよ。喋っては命がない事を知っておるだろうからな。」

ホッホッホッと軽く笑う長が、冗談を言ってるように聞こえない。
ため息をついて、口に鍵を結ぶ。

「やれやれ、俺はこれから深酒するのをやめるよ。壁に耳ありだ、命は惜しい。」

ブルースがひょいと肩を上げ、苦笑いした。

132、

長のあとを付いて進むと、岩壁が途切れ、城の中庭ほどの開けた場所に出た。
それはほとんどを青緑に輝きを放つ池のような物で占めているが、岩を削って作られた淵から覗くと透明で深さが知れない。
奥にはわき出す水源のような裂け目がポッカリと口を開け、何か言いしれぬ緑の輝きを放っている。
普段はその水源の穴を覆うように下げるのだろう、紗が半分上に巻き上げられていた。

「地下にあのような木や作物が育つのは不思議であったろう?
すべてここから水を引き、地のお力を受けて実をならせておる。
この水源が、ただの水ではとてもあのように豊かな畑は出来ぬ。
この泉はわれらの糧、命の水でもあるのじゃ。」

「飲み水でもあるのですか?」

「いや、これは我らが飲むには強すぎる。
病の時は長老に薄めて貰った物を薬としていただくが、飲み水は別にあるよ。」

老人が進む泉の横には少しひらけた場所があり、壁際に木で小さな社が建ててある。
泉を中から見渡す為なのか、泉に面した部分には壁もなく布が巻き上げられ梁に紐で結んである。
中は一段高い板間に絨毯が敷き詰めてあり、石段に草履があるのを見ると、靴を脱いで上がるようだ。
アトラーナでは珍しい。
大きく開いてある入り口の両側にはかがり火が焚いてあり、それが中まで穏やかに照らしていた。

長のあとを付いて、社のあがり口で靴を脱ぎ上に上がる。
中の床には、一目でベスレムの物とわかる百合の紋が織り込まれている緻密な文様の絨毯が敷き詰めてあり、恐ろしく手がかかっているだろうそれは恐らく領主から送られた物だろう。
正面にある祭壇は地の神殿にあった物に酷似して、ここが地の聖地だと言う事は容易にわかった。

「こちらには、ヴァシュラム様がおいでになられるのですか?」

「いや、ここは彼の方のために立てられたような物じゃ。ヴァシュラム様の大切なお方のためにな。
我らにとっても、その方のおかげであの村があるような物。生活の基盤を作って下さった恩人なのじゃ。」

彼の方とは誰なのか気にもなったが、自分が知らない人なのかもしれない。
リリスも深く詮索するつもりもない。
長がリリスに絨毯の中央に座るよう指示したのでそこに正座して座る。
ガーラントたちは、その後ろにあぐらをかいて座した。
長が祭壇の横にリリスの方を向いて座ると、どこかで鈴がチリンと鳴る。
やがて隣の部屋から、長い黒髪を後ろで束ねた20代ほどの若い女が杖をついて現れ、随分長いすそをズルズルと引きずりながら祭壇の前に座した。

「リリス殿、お初にお目にかかります。
私はこの村の長老であり、ここの守であり、遠見の予言を司る者。
あなたの事は、お生まれの時より存じております。」

「長老様ですか?」

どう見ても若い。
だが、ついている杖は、足でも悪いのか魔導師の杖とも違う普通の杖だ。

「若く見えましょうが、私はこの村の最長老です。
ここは地脈のるつぼ。
ここに長期間お仕えする事は、地脈の影響を受け続ける事でございます。一見不老長寿にも見えますが、巫子でもない私はこの村を出ると早く老いて死ぬ事でしょう。
すでに最近ではこの社を離れ、村の畑を見に行く事も辛くなってきております。」

「じゃあ、巫子なら大丈夫なのですか?」

若い姿の長老は、穏やかに微笑みうなずく。
優しい顔が、とても落ちついて年齢を感じさせた。

「リリス殿、あなたもですよ。
神霊である精霊王と寝食を共にする事はそう言う事です。
だから、精霊王は人間達に影響が少ないよう用無きときは神殿を留守になさるのです。
でも、あなた様はほとんどを共に過ごされていらっしゃる。あの方の弟子の方々も、あの家にいる一時はいくぶんゆっくりと年を重ねる事となる事でしょうが、あの家を出るとその反動はわずかでも必ず出ると言えましょう。」

「あっ、確かに長くいらしたお弟子様は、独り立ちなさってすぐに髪が白くなったと仰っておりました。」

へえ〜とブルースが後ろで声を上げた。
リリスもそう言う事は初めて聞く。
アトラーナの巫子は長命だと聞くが、それが原因なのかと改めてうなずいた。

「すると、リリス殿はこれから背が伸びる可能性もあるという訳か。良かったですな。」

「えっ!」

リリスが思わず、期待満面で長老を見る。
が、長老は目が合うと、ニッコリ笑って思わず目をそらす。
プッとブルースが吹き出し、リリスは真っ赤な顔でプウッとむくれて彼を睨んだ。
クスクスと長老が笑う。
そしてリリスに静かに問いかけた。

「お可愛い方ですね、まだ年若い火の巫子殿。
あなたはご苦労なさいましたが、出生をお知りになってもお変わりない。
しかしそのご苦労を思えば、それは出来過ぎた無欲とも見える。
欲は身を滅ぼすときもある。でも、欲があるから人は動く。
つまり、あなたは決して無欲ではない。
あなたは今、何を欲して何のために動いておいででございますか?」

リリスがキョトンとして、ニッコリ笑う。
それは少し前の自分にはとても難しい問いで、今の自分にはとても簡単な問いかけだった。

「それはひと言で言うなれば、とても簡単な答えになってしまいます。
今の私には、人のために動く事が自分のためになると言う事です。
そしてそこに私のやるべき道が、いえ、やらねばならぬ大切な事があると感じております。

私はこれまで、自分のために、名を上げればきっと本当の家族を得られるはずと、それだけを願って知識を得、術を磨いてきました。
でも、出生を知って、それに突然壁が現れたのです。
私はすっかり動揺して、目を背けて関係無いと逃げ続け、いたずらに心を乱そうとする人に背を向けるしかありませんでした。
一時は王子のためにと思いましたが、巫子だとわかった時点で私の仕事は別にあると気がついたのです。
過去の禍根から、果たして火の神殿が人々に受け入れられるかわかりません。
私はいまだ王に巫子と認められず、火の巫子の指輪も手元にありません。
まして、フレアゴート様の意志も知らず、火の精霊も封じられたまま。
今の私には、火の巫子として力も何もありません。

……だけど、私は火の神殿を起こします。

それは、今のアトラーナに絶対必要な物だからだと考えるからです。
地水火風、魔導を習えばそのどれかが欠けても力の均衡を失う事に気がつきます。
アトラーナは精霊の国、本当は必要なのだと誰もが気がついているはずなのに、誰も声にしない。出来ない。
隣国からの脅威に際して、母である風以外の精霊王は動かなかった。それが何を意味するか。

精霊王のお心は、すでにこの国から離れようとしているのではないか……この不安感は転じれば人々の動揺と、隣国には隙を見せる事となるでしょう。
火の神殿は、この国には必要です。ですが私1人では、それは叶わぬ夢と終わりましょう。
ならば私は人々の力を借りて、火の神殿を起こします。これは、私の使命です。」

一息にリリスが話し、長老がほうと一息吐いた。
まさに立て板に水、だが実情を知っているからこそ説得力がある。

「さすが、まるで水の流れのようなお言葉。」

ブルースが茶化してクックと笑う。
ガーラントが、黙れと拳で横から突いた。

「ホホ、まことに火の巫子殿は、説得にお慣れになっていらっしゃる。
私の胸にもあなた様の決意は重く誠実に届きました。
あなたのその揺るがぬ心、なればこそなのでしょうね。
あの、不動であられたフレアゴート様さえあなたは動かした。
さあ、火の神官の方々は、どうなさるのか。」

音もなく、気配さえなく、横の部屋から滑るように白い作務衣に似た着物姿の3人の男が現れた。
一番背が高く痩せた男はストレートで長い黒髪を後ろに束ね、二番目の男は赤茶の髪をザクザクと自分で切ったようで、左右が揃っていない。
3番目の男はきれいに剃髪して一番背も低かった。
男たちは布を額から顔に垂らして表情が見えない。
その不気味さに、ガーラントが剣の柄に手を置き素早くリリスの前に出た。

「無礼であろう、名乗られよ。」

男たちは無言で、ススッと歩み寄りリリスを上から覗き込む。

「火の指輪がない。」

かすれるように小さい声がした。
リリスが怖じけずくこともなく、問いに答える。

「まだ、王様に返していただいてないのです。」

「なぜ風の精霊の臭いが強いのか。」

「セフィーリア様に育てていただいて、風の魔導を習ったのです。」

「王家の出ではないのか。」

「親無しの下働きでした。でも、今は魔導師として王子にお仕えしております。」

男たちは顔を見合わせ、ヒソヒソ言葉を交わす。
ガーラントが、慌てて付け足した。

「お生まれは王の長子だ。だが、赤い髪の子は不吉だと籍を外されておしまいになられた。
先ほど聞いたであろう。だが、風様の元でしっかりとした教育を受けられていらっしゃる。魔導師ではアトラーナ随一のお力をお持ちだ。」

ガーラントが恥ずかしいほど大きく持ち上げてくれたが、どうも様子は芳しくない。
男たちはボソボソ話しあい、ガーラントとリリスの方を向いた。

「火の巫子は気高いお方でならねばならぬ。
人の下で慣れきった者の物言いは、下卑て育ちの悪さが隠せぬ。」

「なんと!」

「我ら火の神官は、そなたを火の巫子とは認めぬ。よってそなたに仕える気など無い。
早々に立ち去れ。」

「無礼な!何も知らず、それだけですべてを判断するのか?!貴様らほど下卑ているではないか!」

フンと相手にもせず、男たちは隣室へと下がってゆく。
ガーラントとブルースが「待て」と声を上げて立ち上がった。

「フレア様には認められているのだぞ!
この方は火の巫子に間違いない!」

「フレアゴート様のお言葉を直接お聞きした事はない。
下賤のかたりの巫子など、汚らわしくも卑しい者。我らは認めぬ。」

ピシャリと扉が閉じられ、男たちは隣室へと消えてしまった。

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