桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 47

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139、

「それで、最下層で探る者には会ったのか?」

「ああ、少し年行ったミスリルの女さ。
フードに仮面で隠しているところを見ると、誰もが知っている誰かの従者ってところ。
ミスリルは嫌いだね、心が石に映りにくいんだ。
僕はまだこの城の人間を良く覚えてないから、君が知ってそうな人物かどうかも知らないけどね。」

杖の先に仕込んだ水晶に息を吐きかけ、袖でキュッキュッと磨く。
ルークがかたわらの小さな杯を彼の前に置いて、果樹で割った葡萄酒をそれに注いだ。

「これでガマンしろ、私だって影を飛ばしただけで飲んでないんだ。
で、最下層で何をしていると?」

待っていたように嬉しそうに杯に手を伸ばし、ニードが大事そうに一口口に含む。
そして幸せそうに、大きくため息をついた。
酒を飲んではいけないわけでは無いが、酔っては魔導も不安定となる。
城の守りの要だけに、不穏な現状では城付き魔導師は酔いつぶれてはいけないのだ。
酒を知った若い魔導師にはこれが辛い。

「聞いても答えちゃくれないさ。
でも、彼女誰から聞いたのか地下の古い牢の奥に、もう一つ隠し通路を探し出していた。
そしてその先にひときわ頑健な扉を見つけたんだ。
でもさ、その扉には随分強固な封印がしてあって、何しても開かなくてガッカリしてたよ。」

「地下の通路……?
それは初めて聞いたな。どこにあるんだ?」

その質問を待っていたのか、ニードがニヤリと笑う。

「面白いよ、どこに続いてたと思う?」
「もったいぶるな、どこだ。」

「くくっ、あの、崩れた魔導師の塔の真下。」

ルークが愕然として、思わず立ち上がった。

「馬鹿な、聞いた事無い。
半地下には何人か暮らしていたんだ、俺も行った事がある。でも、その気配は無かった。
しかも、あそこはまだ瓦礫もほぼ手つかずで……」

「この城と魔導師の塔は少し離れてあるだろう?
この下から、塔の下まで細い通路が続いているんだ。
昔の幽閉場所だと思うけどね、偶然と思えない位置関係だよ。
上に魔導師を住まわせることによって、魔導の波動を利用して長期的に安定して結界を強化していた節もある。
地の魔導師が指示して作らせたなら、この位置関係は簡単にできるさ。
でも、あの結界考えた奴は、同業者に情けなど考えず思い切りが良くて頭がいい。
魔導師の塔に住んでた奴らは、恐らく知らない間に魔導力があの結界に利用されていたんだ。
もしかしたら、住めば住むほどじわじわと弱っていたかもしれないね。」

「しかし……と、言うことは、魔導師の塔が崩れた今、結界は……」

「弱っていくばかりだ。さて、あの奥から出てくるのは果たして何か?
あれだけ強い結界だ。よほどの悪霊か、強力な呪詛を秘めた物か。
悪霊なら巫子の領域だ、誰か巫子殿にも来ていただく事が必要だろうさ。」

「む、なるほど。最悪の場面を考える必要はあるな……」

「まあ、それは置いといて。
ああ言う物が城内にあることも不思議だが、魔導師の塔や王の口伝にさえ残さなかったことを、あのミスリルの女はどこから仕入れたのか……大いに気になると思わないかい?」

「ミスリルの内部は、わからない事が多い。
誰かに仕えたミスリルが書き残したか、いまだ生きている者がいるのか。」

ニードがプッと吹き出した。
忘れ去られ、誰も知らないほど昔に閉じられた物だ。
通路の入り口は溶かした鉛で固められ、更に煉瓦を重ねて壁を作り、ひと目でわからないようになっていた。
それをあの女はどうやったのか、ピンポイントで煉瓦の壁を剥いで入り口を掘り出した。

しかしそこまでして、隠したい物はなんだ?

まるで……誰もが、その存在さえをも忘れようとしたように。


「その扉に行ってみたいが、これからどうだ?」

「冗談じゃ無い、相手は悪霊かも知れないんだ、こんな夜中に行くなんて僕はイヤだね。
真っ暗で細い通路がずっと続く、嫌な場所なんだぜ?
おお怖い、僕は幽霊が大嫌いなんだ。
昔、皆殺しの村に興味半分で行って、思い出すのもおぞましいほどひどい目に合ったんだ
もう遅いから明日にしようよ、何を急ぐ?」

立ち上がったルークに、ニードが驚いて彼を見上げる。
しかしルークは考えるように視線を泳がせ、何か予見しているのか指でトントン机を叩く。

「何が起きる予定なんだい?」

ニードが興味深そうに肘をついて手に顎を乗せる。
ルークはフッと息を吐き、またニードの前に座った。

「王子だ。絡みつく黒い闇しか見えなかったが、何か起きそうだ。」

「随分君にしては大雑把だ。王には伝えたのかい?」

「伝えたが、あの騒ぎのあとだ。
王子には誤解があるだろうが、時間が解決するだろうとしか仰らなかった。」

「悠長なことだ、君たち予見の見る闇は、ろくでもない物ばかりなのにさ。
まあ、あの先日来た魔導師の子は随分しっかりした子だったから、世継ぎの王子が不安になるのはわからなくはないね。
果たしてどちらが長子か知らないけど。
だいたいさ、あの王子は王道教育受けたわりに身にまとう気の力が平凡で、王のような大きさが無い。
王家でもあれほど平凡な子は珍しいよ。
レナントのガルシアやベスレムのラクリスは、気も輝いて見える。まさに王家だ。」

「確かに……王家の威信を保つのも大変だね、生まれが良すぎるというのも……」

「それだけに、あの王子は気の弱さを闇に付け入られやすい。長殿はそれが心配なんだろう?」

「ふふ、私はそれが仕事だよ。この国の安定のために魔導師の塔はあるんだ。今のところ仮設だけどね。」

フッと笑ってニードから杯を取り、自分も酒を少し注いで一口含む。

予見で出るのはろくでもない物ばかりか……最近はまったくその通りだ。

王やその周囲は、リリスの出生を隠匿しようと躍起になって、そればかりに気を取られている。
王子には会いに行ったが、気分が悪いと断られた。
側近は王子に変わりは無いという。
モヤモヤして、腹立たしい。
隣国で問題の魔導師は国を去ったらしいとレナントの魔導師から連絡は来たが、それが果たしてどこに行ったのか……ここに忍び込まれる……その最悪の事態も考えねばなるまい。

ルークは痛い頭を押さえて杯を置き、杖の水晶を磨くニードに少々の期待を込めて問いを投げかけた。

「お前の結界は、城内に未知の魔導師が入り込んだ時はわかるのか?」

「やだなあ、力の強い魔導師はもちろん僕の許可が無いと入れないよ。
ほら、姫の婚約相手のリトスからの使者、お抱え魔導師連れてきたじゃないか。ちゃんと最初は通さなかっただろ?」

ルークが、フッと安堵の息を吐く。
だが、ニードはポリポリと鼻の頭をかきながら続けた。

「ただ、僕の結界だって隙はある。まあ、それは仕方ないんだと思うんだ。完璧なんてあり得ないし。」

「それはなんだ。」
「さあ……ま、その内教えてあげるよ。」
「今教えろ。」

じいっと二人にらみ合う。
しかしニードは、突然立ち上がったと思うと杖でコンと床を叩き、どこで覚えたのかこの世界の者が見たことも無い敬礼をした。

「長殿、おやすみなさいませ」

そう言うとまるで穴に落ちるように、床を突き抜けストンと下へ消えた。
この部屋の真下は彼の部屋だ。
壁抜けの術が使える彼が、勝手に入ってこないように下に部屋を作ったのだが失敗した。
逃げ足が速すぎる。

ルークは大きなため息をつき、少し考えると杖を手にして部屋を出ていった。

140、

朝から空に暗雲立ちこめ、ぬるいいやな風が吹く。
ざわざわと庭の木々がざわめき、回廊を通る女たちが時々小さな悲鳴を上げる。
やがて回廊に敷き詰めた床石にポツポツ降り始めた雨が小さなシミを作り、それが次第に本降りとなってざんざん雨を打ち付けた。

その日、キアナルーサは雨で剣の練習が休みとなり、母に呼ばれて茶を共にすることにした。
最近は両親共に体調も良くなり、食事も食堂で共にすることも増えたが、この所会話も乏しくどこか顔を合わせてもぎこちない。
その原因がリリスの事だとわかっていても、お互い口に出すのは気が引けて目をそらしてしまう。
母とどんな話をしたら良いかと、暗い空を見上げてため息を吐く。

まあ、どうせお説教半分なんだろうけど。

怒鳴り声が聞こえて、チラリと向く。
貴族の男がなにか、兵に小言を言っている。
粗そうでもしたのだろう、この天気だ、小さな事でも気に触ったのかもしれない。

「その方ら、王子の前ぞ。無礼であろう、頭を下げよ。」

ゼブラの後に付いていた小姓が注意すると、ようやくこちらに気がついて舌打ちながら頭を下げる。
あれは書記貴族の1人だったか、サラカーン叔父からこの数日起こったことを書くな書き直せのとうるさく言われてストレスがたまっているのだろう。

廊下の角を曲がって姿が見えなくなると、また後ろで怒鳴り声が聞こえはじめた。
まったく嫌な気分だ。
城中がギクシャクして見える。
リリスはいったいどうなったのか、死んでてくれればいいのに、落ち着き払ったザレルを見ると、決して死んではいないと態度で知らしめているように見える。

腹立たしい、僕の存在を皆がないがしろにしている。
そうだ、あいつさえあの時、皆の前で死ねば何事も無かった。
すべては元の通り、僕が、僕だけが次の王で揺るがなかったのに!
こいつが!
ゼブラにちゃんと殺せと言うたのに、こいつがしくじるから!

キアナルーサが唇を噛み、踏み出す足をドンと力一杯踏みおろし立ち止まった。

「王子、いかがなさいました?」
驚いて、ゼブラが横から頭を下げ顔を伺う。

キアナルーサはギリギリと歯を噛み締め、見たことも無い血走った目でゼブラを睨み付けた。

「貴様のせいだ。お前が、……お前がちゃんとしないから!」

うなり声を上げる王子に、回りの者が驚いてヒソヒソ耳打ちする。
ゼブラは焦り気味に左右に視線を動かし、その場に膝をついた。

「王子、どうか御静まりを。
その話しは後ほどまた、このゼブラは御前から消えますゆえ。」

失敗した報告に散々なじられ、蹴られた屈辱的な光景が思い出される。
だが、それを飲み込みゼブラはひたすら頭を下げた。

ふうううぅぅぅ………

大きく息をついて呼吸を整え、王子の顔から怒りが消える。
そしてまた何事も無いように顔を上げてまた歩き始めた。

「よい、お前がいないと母上がご心配なさる。」

ホッとして、ゼブラが周囲の者達の表情をチラリと見回す。
一様に眉をひそめ、怪訝な表情が見て取れる。
わかっている。
自分が一番それを感じている。
火の神に力を取り上げられる前は、冷静に状況を見ることが出来ず、一旦はそれを喜んで受け入れてしまった。
だが、今ならおかしいと、王子の異常さが判断できる。
火の神フレアゴートの言った言葉が、自分の判断力を目覚めさせた。


『迷う者は心迷える者を生み出す。
お前の王子を見よ。
道を違える前に、お前にはやるべき事があるはずだ』


道を違える……

何か、いやな予感がする。


キアナルーサは最近感情の起伏が激しく、時折別人のように荒々しいことをするかと思えば、以前のような気弱さを見せる。
何か魔物にでも憑かれたか、病気かもしれない。

誰かに相談すべきかと思うが、それで弱みを見せると付け入られる。
城の裏側は常に権力争いだ。
恐らくリリスは生きている。
王位継承の日まで、油断は禁物だ。
人選は慎重に。信用できるのは誰か……
父が兄に家督を譲る前に父に相談すべきか。
以前噂に乗り、リリスを傀儡として持ち上げようと計った貴族はすべて粛清した。
だが、あれも父だから出来たことだ。
兄が家を継げば、もう頼ることは出来ない。頼りたくない。


ゼブラの脳裏に、ふとミリテアの明るい微笑みが浮かぶ。
ため息をついて、彼女の伸ばした手に思わず手を伸ばそうとして自分の手をじっと見た。

未練だな………

力なく笑ってギュッと手を握る。


突然キアナルーサが立ち止まり、廊下に生けてある花を掴み、花瓶から抜き取って廊下に投げ捨てた。
乱暴にそれを踏みつけると、侍女たちから小さな悲鳴が上がる。

「花など邪魔だ、片づけろ。」

「は、はいっ。」

近くの兵が驚き、慌てて侍女たちに早く片付けよと囁く。
今まで感じたことの無い、ピリリとした緊張感。
これは……これでいいような気もする。

だが、何か違う。
王から感じる物と、決定的に何か違う。
王というのは、人望が無くてもいけない。
命をかけてお守りしたいと思わせるような、その寛容さも必要だ。

そうだ……ただそこにいるだけで存在感を感じるような、思わず手を胸に頭を下げ、膝をつく、才知に富み、威信に満ちた佇まい。

あの……

赤い髪の……


王の前でのリリスの凛とした姿を見たゼブラは、あの場で心底愕然とした。
レナントからの騎士も、決してガルシアの命だけで動いているのでは無いと悟った。
それだけ、あの場にいただけで心動かされたのだ。
そして改めてフレアゴートの言葉を聞いて、大きくうなずくしか無かった。
あの噂は真実だったのだ。
彼こそ、本当の世継ぎなのだと。

敵意にも似た、命さえ落としかねないあの状況で、堂々とした揺るがぬ姿。
あれこそ、あの姿こそ、本当の、私の仕えるべき王子だったのだと……

いや!いや駄目だ、それは言ってはならぬ。
私の王子はキアナルーサ王子なのだ。
彼こそが玉座につかねばならぬ。ついてもらわねば困る。

だが、皆、恐らく真実を知ってしまった。
そして王子のこの変わりよう。
ああ……障害ばかりが多くなる気がしてならない。

ゼブラはキアナルーサの背を見つめながら、考えを巡らせていた。

141、

カップを置いて、まだ日が高い時刻だというのに薄暗い空を窓越しに見上げる。
雨は勢いが収まった物の、風が強くて時折どこからか笛を吹くような音が響き、それが不気味で耳障りに感じた。
茶を楽しむような日ではないというのに、王妃は静かにカップを傾け、最初は最近の気候から、やがていつもと変わらぬ様子で勉強は?仕事は?と、まるであの夜の話題を避けるように、うんざりする話しを息子に投げかける。
人払いしたとき、もしや隠し事を話してくれるのではと期待したが、結局いつもの説教でガッカリした。
自分が何を思い悩んでいるかなど、この母親はわかっているのだろうか。
キアナルーサは生返事を返しながら、あまりにも落ちついたその姿に苛立ちを覚えた。

あの夜……あんな姿を見せながら、母は僕に何も話してくれない……


リリスがさらわれた夜、騒ぎに駆けつけたキアナルーサは、リリスを心配して取り乱した母を見た。
叔父に叱咤されながら泣き叫ぶ姿は恐ろしささえ感じるほどショックで、しかもそのあとフレアゴートの声を聞いた兵たちの、自分に向けた視線はどれも疑惑を含み、プライドを打ち砕くようでひどく自分を傷つけた。

自分は蚊帳の外だ。

王位継承者とは名ばかりで、まるで期待されていないことを肌で感じる。

「……馬鹿にして、この僕を……」

小さくつぶやいた声に、母が怪訝な顔で話しを止めた。

「なにか?私の話を聞いているの?
お前にはもっと歴史の本を読むように勧めて欲しいと、教育係から頼まれているのよ。
歴史のことを知るのは大切です。
かつての王たちがどのような判断をし、それでどのような結果を得たか、アトラーナの今はすべてそれまでの歴史を踏んできての……」

「わかってますよ!だから今、ゼブラに適当な本を選ばせているのです。
先日司書のロナ爺がよこしたのは難しくて……」

あからさまに、母が大きなため息をついて首を振った。

「お前は…本当に小さい頃から本が苦手でしたものね。
まあいいでしょう、剣の方は筋がいいようだし……」

「ええ、先日は指南役のレビンを打ち負かしたのです。
次に負けたら剣を一本取り上げると言ったら、ひどく困っていました。」

自慢げに言う息子に、王妃がまたため息をつく。
どうしてそれがわざと負けたのだとわからないのか。この年になって、わざわざそれを伝えるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、言わねばわかるまい。

「レビンは騎士団長補佐役の騎士、お前に負けるような腕の持ち主ではない。
お前がケガをせぬように、下の者達が気を使っているのはわかってお上げなさい。間違っても騎士の命である剣を取り上げたりせぬように。」

「わ、わかってますよ、そのくらい。
僕だって下々にも色々と、ちゃんと配慮しているんです。
それに、本当に僕は強いんですよ。ゼブラだって、僕に勝ったことは無いんです。
母上はご覧になったことがないから。」

王妃がため息をついて茶を一口飲む。
配慮が出来ないから心配なのよと、心でつぶやいた。

「わかりました、では今度見に行きましょう。
でも、勉学もおろそかにならぬようになさい。
レスラカーンは本の虫だと聞くけれど、あなたと足して割ったらちょうど良いのに。
あの子はいずれ、あなたの補佐になるでしょうけど、頼るばかりでは王の威厳は保てませんよ。」

「は!僕がレスラに頼るだって?!
母上、あいつは目が見えないんですよ?周りも見えないあいつにどう頼るって言うんです?
だいたい手を引かれなきゃろくに動けないあいつに、宰相なんて出来るわけ無いじゃないですか。僕としてはいい迷惑ですよ。」

「キアナルーサ、こちらを向きなさい。
なんと言うことを……お前はこれまでレスラカーンの何を見てきたのです。あの子はあなたの何倍も努力を……」

ああ……もう、うんざりだ!

キアナルーサが舌打ち、腹立たしそうにテーブルを叩いて立ち上がった。
王妃が驚き、席を離れようとする息子の顔を見る。
優しく穏やかだった顔はゆがみ、苦々しさと苛立ちに満ちている。

この子が人を、いつも庇うことしかしなかった従兄弟を、これほど悪く言う事があったろうか。

まして自分の前で、これほど激しい感情を見せたことが無い。
いつからこれほど変わったのか、引っ込み思案で大人しく、いつも自信なさげだった息子の、これまで見たことも無い反応にひどく驚いた。
自分自身もリリスの事で感情が穏やかでは無かっただけに、最近とみに苛立ちを見せる王子とゆっくり話しをする機会が無かったことに、少々後悔を覚えた。

「お待ちなさい、少し落ちついてお座りなさい。
話はまだ……もう少しお茶を、このお茶はレナント公からの贈り物なのよ。ほら、良い香り。
そうだわ、隣国トランからの手紙の話は聞きましたか?」

落ちついて切り返す母親に、ため息交じりの息を吐き、ドスンと不作法に椅子に腰掛ける。
感情の高ぶりが押さえきれず、キアナルーサは自分の前に座る母親が不快でどうしようも無かった。

「ええ、今回のことで王が退かれるとか?
容疑のあったトランの魔導師も国から追い出したそうだけど、それでアトラーナにはこれまでの事を無かったことにしてくれとでも言うつもりでしょうかね。
こっちは何人も人が死んでるんですよ?
冗談じゃ無い、父上は戴冠の式には私が行くようにと仰いましたけど、隣国には賠償と謝罪を要求するのがすじでしょう。
でなければ、攻め込むくらいの覚悟を見せなければ舐められる。
父上は甘すぎるんですよ、このままでは下々にも示しがつかない。
……まあ、母上に言っても仕方が無いことですがね。」

「キアナルーサ、お父様にもお考えあってのこと。
こちらも損害を受けましたが、聞けばトランにも多大の損害があったと言うではありませんか。
トラン王がこの件で御退位なさるなど、相当の責任を負われたと思いますよ。
トランからは賠償もこれから話し合いでと言われているようですし、それで問題は無いでしょう。
それに、ここは精霊の聖地。
この精霊の国が攻め込むなど、軽々しく言う物ではありません。
戦は人の心と国を荒らす。
剣を手にすることは、命の奪い合いなのですよ。
この件で戦争にならなかったのは、お父様のご判断が的確だったからです。」

「精霊の国ですって?
精霊の国など、もう無いと同じじゃないですか。
地も水の神殿も、ただの俗っぽいそこいらの占い婆と同じ、神格などとうに消えている。
父上も火の神殿を建てる気も無いでしょう?
リリスも可哀想に、もう戻ってくる気配も無い。
この国は人間の国だ、僕が王になったら目障りな精霊など排除してくれる!
そして、兵を挙げてトランには報復を!それが僕のやり方だ。」

ククッと薄ら笑いを浮かべる息子に、王妃がゾッとして眉をひそめる。
そして呆然と、自分の息子に奇妙な言葉で問いかけた。

「お前は……本当に私のキアナなの?」

思いがけない問いに、キアナルーサがケラケラと笑う。
その気味悪さに、王妃は眉をひそめハンカチで口元を隠した。

「何を馬鹿なことを。
私はあなたの息子ですよ、そしてあのリリスも。
そうでしょう?隠したって、もうみんな知ってますよ。
ああ!その落ちつきよう、イライラする。
あいつは生きていますか?
母上、ではもう二度とここに来ないよう伝えて下さい。
僕はあいつを認めない。
僕は、僕だけが次の王なんだ。
……僕はね、最近思うんですよ。僕とあいつが逆だったらってね。
そしたら僕が捨てられたんだ、教養も無く、奴隷のような身分で地を這い回って!」

「おやめなさい!私は捨ててなどない!
お黙りなさい!」

「ほら!やっと取り乱した。
アハハ、もう一ついいことを教えますよ。
母上も捨てた息子のことが知りたいでしょう?
あいつは気がついてないみたいでしたけどね、あいつの背にはムチで打った跡が無数に残ってましたよ。
一体どんな気分なんでしょうね?
本当は王子なのに、罪人のようにムチ打たれて。
きっと叩かれた理由なんて、些細なことですよ。死んだって構わない、親無し奴隷ですから。
僕なら捨てた親を憎みますよ、心の底からね。」

王妃が、言葉も無く青ざめた顔でゆらりと立ち上がった。
ハンカチが床に落ちたことも気がつかず、わなわなと震え、両手を握りしめて頬を押さえる。
目の前が真っ暗で、今にも倒れそうだ。
キアナルーサはその様子にハッと我を取り戻し、思わず立ち上がってドアの方へ急ぎ、ドアにぶつかってガタガタ震えながら振り向いた。

「ぼ、僕は……
母上が、僕を馬鹿にするから……
僕はちゃんと頑張ってるのに、僕は選ばれた、凄い王様になるのに。
僕は……僕は悪くない!」

叫ぶ声が、空しく部屋を満たす。
そして立ち尽くす母を一人残すと、王子は部屋を飛び出し逃げるように廊下を駆けだした。

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