桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 48

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142、

「王子!」

下がるように言われて隣室に控えていたゼブラが慌てて部屋を出ると、女官が彼を呼び止めた。

「ゼブリスルーンレイア様、王妃様のお言葉をお伝え致します。
ろうそくの灯る頃、お一人でおいで下さいとのことです。
くれぐれも、王子に悟られぬように。」

「承知いたしました。
どうか、どうかお妃様におかれましてはご容赦をとお伝えを、失礼。」

女官はうなずくと、きびすを返すゼブラよりも早く王妃の部屋に飛び込んで行く。
王子もあの様子では、自分で口走ったことにさぞ悔いていることだろう。
いつも母親を気遣う彼には、あり得ない言動だった。
下がれと言われても横に控えていれば良かったと、今更悔いても遅い。
ゼブラは隣室で密やかに漏れ聞こえてくる二人の会話に耳を傾けながら、生きた心地がしなかった。

自分も声を出してしまいたい。
この城には、何か恐ろしい物がある!
自分があの力を得たとき……ひどく自暴自棄になっていた時だった。闇から聞こえるあの、暗く不気味な声に身をゆだねてしまった。
まさか、今度は王子がその声に見入られてしまったのだろうか……

ああ……もう一度……

彼の険しい顔から表情が消え、急いでいた歩みが遅くなる。
装飾された中央の階段を過ぎて、人の少ない奥の階段を選んで降りて行く。
その石壁の暗いらせん階段は、冷え冷えとして心まで冷たくなりそうだ。
雲合いから太陽が顔を出し、明かり取りの窓からサッと日が差す。
まぶしいほどのその輝きが、フレアゴートの姿と重なった。
力を奪われ、心を救われた。
あのときの喪失感と安堵感、そして、彼の炎の暖かさに包まれて感じた、あの解放されるような安心感。

もう一度会いたい。

きっとフレアゴートならば、王子を救ってくれる。

しかし、彼の巫子はあのリリスだ。
わかりきってる、彼は本物の巫子だ。
政敵に弱みを見せるなど、許されることでは無い。
無理だ、別の方法を考えよう。
地の巫子ならばどうだろうか。
魔物払いは巫子の領分だ。
いや駄目だ、地の巫子はリリスと繋がりが深い。それどころか精霊は皆、と考えた方がいい。
なんて厄介な奴だ。

ゼブラが爪を噛み、大きくため息をつく。

……王に、王妃に、王子の変化をお話しするべきだろうか。
いや、すでに先ほど気がつかれたはずだ。
少なくとも王妃は。

どうしよう、誰に相談するべきなのか浮かばない。
父にこれ以上不甲斐ないところを見せて、期待を裏切るのはいやだ。
城内に信用できる者などいない。
弱みを見せれば付け入られる、ここはそんな場所だ。


立ち止まり、呆然と壁にもたれ掛かりそのままズルズルと階段に座り込む。
自分は何をしたいのか、王子を王にしたい、本当にそれを望んでいるのか。
ただただ家のために、父のためにと……
王子を王に、そして自分は第一の側近となって権力を握る。
そんな野心も、推し進めた父が退いたらもうどうでもいいような気もする。
野心なんて、自分には不似合いだ。
腐れ切った貴族どもを束ねる事になる兄も、きっと力不足で終わるだろう。
父はそれを危惧している。
兄弟2人で支え合ってと父は言うが、兄は自分を嫌っている。
もう、
もう、

いやだ。

王子なんか、どうとでもなればいい。
あんな奴に振り回されるのは、もう、沢山だ。
頭を抱えて髪を痛いほど掴んで思い悩む。


「ゼブリスルーンレイア様……」


ゼブラに、男がひっそりと声をかけてきた。
父から借り受けているミスリルだ。
リリスを襲わせた魔導師の毒殺にはその後成功したが、肝心のリリスを取り逃がしてしまった為にゼブラの怒りを買い、しばらく顔を見せなかった。

「お前か、何しに来た。」

「こちらを、お預かりしてきました。」

そっと両手で小さな箱を差し出してくる。
ゼブラが怪訝な顔で受け取ると、ミスリルはゼブラにしか聞こえない声で囁いた。

「御館のミリテア様よりお預かりして参りました。」

「ミリテア?」

ミリテアは、すでに実家を出て婚約者である兄の元に住まいしている。
レナパルド家のしきたりや、貴族長の夫人として恥ずかしくないよう、しばし教育を受けるのだと聞いた。
結婚直前に、自分に何の用があるのだろう。
あの嫉妬深い兄に知れれば大変なことになるというのに。

急いで箱を開けてみる。
そこには懐かしい、昔無邪気な子供の頃、ミリテアと結婚の約束をして一緒に揃いで買った指輪の、自分の方が入っていた。
オモチャのような小さな指輪。
だが、その約束はほんの一瞬本当になり、あっと言う間に彼女は手の中から消えていった。

「これは、確か母に頼んで処分したはず……」

「それと、こちらの書状をご覧下さい。」

手紙を受け取り、小さな窓から差し込む一筋の光に照らしてそれを読む。
それは、忘れもしないミリテアの優しい文字。
ゼブリスルーンレイアは、その短い手紙を読むと手がガタガタと震えた。

「な、なぜ!なぜこんな……彼女は、何を考えている!」

「確かにお届けいたしました。では、私はまた消えまする。
ご入り用なときはいつでもお使い下さい。
今の私はあなたの為におります。」

ただ、手紙を凝視する彼を置いて、ミスリルはまた闇に消える。
ゼブリスルーンレイアは、手紙の文字を何度も繰り返し読みながら、知らずあふれ出る涙を拭うことも忘れてその場に立ち尽くした。

『ゼブリス、勝手なことをしてごめんなさい。
でも、私はどうしても消せないこの思いをあなたに伝えたい。

あなたが好き。

このままでは心が壊れてしまいそう。
私の隣にはあなたが、どうかあなたがいて欲しい。
だからお願い、この指輪を受け取って。
そうしたら、私はほんの少し強くなれるから。』

なんてことだろう。
彼女は自分の家に、そしてレナパルド家に泥を塗ってでも家を出る気だ。
父がそれを許すはずが無い。
彼女の家も名家で知られていると言っても、一貴族でしか無いのに。
震える指で指輪を取る。
あの頃は大きいと感じていたのにそれはもう小さくて、小指に付けて丁度いい。
それほどの時間が過ぎ去ってしまった。
指輪を返せば、彼女は諦めて何事も無く兄との結婚式は終わるだろう。
返さなければ、彼女は、彼女の家は、父の怒りを買って名も知れぬ田舎の領主などへと落ちぶれるかもしれない。
すべてが壊れてしまうかもしれないのに。

それでも、
彼女はそこまでの覚悟があるというのか。

私に、それを選べというのか。

小指の指輪をはずし、箱に戻そうとしてふと思い止まり指にとる。
明かり取りの窓に、その指輪を照らしリングの中から差し込む日の光を浴びて、まぶしさに目を細めた。


“お前の、愛する者はおらぬのか?
お前を、求め愛する者はおらぬのか?
お前はその短い生を、諦めだけで満たして終わって、それでよいのか?”


フレアゴートの言葉が、遠くから自分に問いかける。


ああ、
ああ、
私は…………
フレアゴートよ、希望の光の精霊よ、
私は、自分のために生きてもいいのだろうか。
ああ、でもなぜ、私が自分のために生きるには、沢山の犠牲が必要なのだろう。
でも、それでも……彼女はそれでもと……


目を閉じ、唇を噛み締める。
大きく深呼吸して、顔を上げ心に決めた。
涙をふき、ゼブリスルーンレイアは指輪をギュッと握りしめ、そして胸に押しつけると左手の小指にしっかりと通した。

「まだいるか?」

「ここに」暗闇から先ほどのミスリルがまた現れる。
ゼブリスルーンレイアは指輪の入っていた空の小箱を差し出し、すうっと深呼吸した。

「これを渡してくれ、これが答えだと。
だが今、私は彼女と共にいることが出来ない。
お前が彼女の力になってくれ。
これからしばし私は、王子に最後のお力添えをしなくてはならない。」

「そ、それは……
もったいなきお言葉にございますが……」

「良いのだ、これで私の気持ちもはっきりとした。
あと、もしや命の危険に及ぶことがあるやも知れん、彼女をどこかにかくまうことは出来るか?」

「はい、お任せを、安全な所にお連れします。
聡明な方ゆえ、我らミスリルにもご理解のある御方です。」

「そうか、では任せたぞ。
……お前にも、迷惑をかける。お前の名は?」

「は、ガイラと申します。」

「良い名だ。すまぬ、ガイラ頼むぞ。」

「はっ!この命に替えましても、お守り致します!」

ガイラが、一礼して階下へと降りて行く。
その後ろ姿に、心の中で手を合わせた。
自分はずっと城中暮らしで、ずっと張り詰めるばかりで誰も信用してこなかった。
それがこう言う時、頼れる者が誰も浮かばないという事になるとは……。
彼だけが、今は頼りだ。
自分や彼女が、貴族を捨てて生きていけるかわからない。
でも、それでも……
前途多難だが、すべてが落ちついて、それから考えよう。
今は、王子の事を考えるのみ。

ゼブリスルーンレイアは、チラリと指にある指輪を見て口づけすると、顔を引き締め王子の部屋へと急いだ。

143、

「はあ、はあ、はあ、……」

自分の部屋に駆け込み、隣の寝室やカーテンの向こうまで人がいないことを確かめに回る。
そして部屋の周囲を見回し、どこへともなく声をひそめた。

「王よ、王よ、いにしえの王よ。
いらっしゃいますか?私を導く御方。」

息を整え、心を集中して耳をすませる。
部屋の中央に立ち、手を合わせ、目を閉じて祈るように天を仰ぐ。

『次代の王たる者、取り乱してはならぬ』

声が、小さく、小さく、ひっそりと聞こえる。
王子はほうっと息を吐き、すがるように続けた。

「僕は、僕は大変なことをしてしまった。
どうしよう、母上はきっと僕に愛想を尽かしたに違いない。
父上に告げ口されたら……二人に嫌われたらどうすればいいのでしょう。」

ビクビク息を震わせ、言葉を待つ。
ささやき声を聞き逃さぬように、息をひそめた。

『何を怖れるのだ、お前にとって今の王は踏み台でしか無い。
私には見えるぞ、お前に許しを請う現王と王妃の姿が。
お前の心を揺らすのは誰だ。誰がその原因を作った?
よく考えよ。今の王や王妃がしでかした罪、それがすべての元凶だ。』

キアナルーサが、ハッとして目を開けた。
そうだ、自分になんの落ち度があるだろう。
なぜ、父や母のしでかした事でここまで思い悩まなければならないのか。
自分は素直に次の王になるべく勉強してきた。
そして次の王になる。
誰がなんと誹ろうと、あの玉座に座り、皆にかしづかれてこのアトラーナの頂点に立つのは自分なのに。

『思い通りにならぬ者は恐怖を持って排除せよ。
恐れは最も人の心をつかむ。
お前はそれがやれる大きな、歴史に残れるほどの器を持っている。それに早く気がつくがいい。』

「そうか……そうだろうか。
そう言えば、僕を見る兵が…前と違ってシャンとしている気がする。
最近時々自分で自分が抑えられないほど気持ちが高ぶるのです。
でも、あなたの言う通りそれを無理に押さえず、感情のまま行動するようにしたら、みんな僕に少し注目するようになった気がします。」

『これまでのお前は自分の気持ちを抑えすぎた。
それで良いのだ、思うままに行動せよ。』

「そう……そうだろうか……
でも……父や母を怒ることなどできない。
僕は、そうだな……今回のことは母に謝りに行った方がいいような気がします。」

そういった時、なにか、心にうめき声のような、ため息のような音が響く。
恐怖でキアナルーサの肌が粟立ち、たまらずテーブルの上の水差しから直接水を飲んだ。
水が鉛のような固まりとなって、喉を通って行く。
うっすら浮かぶ汗を、袖で拭って椅子にドスンと腰掛けた。

『希代の王となる者に、過ちなど無い。
お前のすること、すべてが正であり理解できぬ者が誤である。
時に誤は断罪を持って処せよ。
それがお前を王とする。』

「僕に、それができるだろうか?
ああ、あなたが僕のそばにいてくれれば助かるのに。
どうか、常にそばに来て私を導いて欲しい。」

『もうすぐ、お前の助け手が来る。
力を持ち、お前のためにこの城を制する手助けをするだろう。
だが力を持つだけに、お前の元に来ることをこの城の結界が阻んでいる。
しばしの間、私がお前を守護しよう。
我が心は剣に宿る、それを手に入れよ。』

「剣?歴代の王の剣は、確か宝物庫か棺へ共に埋葬しているはず……宝物庫は父上の許しが無いと入れないんだ。」

『案ずるな、西のほこらの下に我が剣がある。
疾く、手に入れよ。』

「ほこら?あ、ああ、あの守護の像の横にある古い・・そう言えば、以前ゲールにあれは決して手を触れずそのままの状態で守るようにと言われたことがあるけど、なんで剣が?」

『我が剣を神のごとく奉っているのだ。名ある剣よ、お前にふさわしい。』

「おお、わかりました。すぐに参ります。」

キッと眉を上げ、急いで部屋を出ようと鍵を開ける。
ドアを開いた瞬間、ゼブラと鉢合わせた。

「王子、どちらへ?」

怪訝な顔のゼブラに舌打ち、プイと顔を背け、また部屋に戻る。
追って共に部屋に入る側近に、王子はイライラして爪を噛んだ。

「お前はうっとうしい、私は一人になる事も出来ぬのか。」

「そのような事……あなたがご命令されれば私はいつでも消えます。
ですが、今はお側に仕えさせて下さい。」

ゼブラの心配そうな声も、今の王子にはひどくうっとうしく押し付けがましい。
大きくこれ見よがしにため息をついて、王子は腹立たしそうにゼブラの身体を押しのけ部屋を出た。

「どちらに?」

「うるさい、黙れ。」

「は」

付いてくるなと言われなかったので、ゼブラは黙って王子のあとをついて行く。
他の小姓たちには部屋に控えるよう指示して、ただ二人っきりで庭に出て西日の差す中を歩いていた。

ほこらは西の垣根の外側にあり、人を寄せ付けないように目立たない場所にある。
その近くには西の結界の要となる守り神の彫像があり、そこは魔導師達が誰か一人必ず毎日訪れる場所だ。
ほこらは共に呪で守ってあり、そこには何かが封じてあるのだという言い伝えだけが残っていた。

庭の外れから垣根の外に出る小道を通り、ぐるりと巡ってほこらのある場所へと向かう。
狭い場所だが崩れぬよう崖の中腹から強固な石積みで施してあるそこは、外から見れば高い城壁にも見えるが実は腰ほどの低い石塀で囲ったばかりで風通しがいい。
元々精霊の国と言われ、国境でのいざこざばかりで国内へ攻め込まれた経験も無いだけに、国境に近く守りに重点を置いたレナントやベスレムの城に対して本城は、高い塀で守るよりも眺望を優先していた。
石塀から下を覗けば、左手には城下町が続き、正面から右に広がる森が緑まぶしい。
高さで言えばこの西の崖が一番高く、背後にある西の塔は物見の塔であり、伝書鳥がどこからか飛んできて塔の最上階の中へと入っていくのが見えた。

「王子、キアナルーサ様、危のうございます。
垣根の外には出ぬよう、子供の頃からきつく言われているではありませぬか。塀の向こうに落ちては命がありません。」

しかしキアナルーサは、無視してほこらの方へと進む。
この先には彫像と古いほこらしか無い。
一体何をしに行くのか、まさか結界を破るために彫像を壊しに行くのだろうか。
ゼブラの背にゾッと冷たい物が走る。

「王子、一体どちらへ?
この先に何の御用があるのです?」

王子は何も答えず、ほこらや彫像はどんどん近くなる。
手を借りようにも、見回りの時間なのか兵の姿が近くに見えない。
声を上げても、片方が崖なので声が反響せず遠くまで通らない。
自分が止めるしか無いのだ。

「王子!王子!キアナルーサ王子!
あの二つに手を出してはなりません!大変なことになります!」

何度も何度もゼブラが語りかけ、次第に声が大きくなる。
だが、王子の足は止まらない。まるで何かに取り憑かれたように。
止まらぬ歩みに思わずゼブラは、王子の前に走り出てほこらの前に立ちはだかった。

「なりません!あなたは世継ぎなのですよ、今騒ぎを起こしてはなりません、御自覚下さい!」

「うるさい!」

キアナルーサの目はつり上がり、恐ろしい形相でゼブラを押しのける。
ほこらはユリの彫刻がある細長い3つの石積みの上に、ツタの根が封じるように絡まって蓋が開くことを禁じているように見える。
キアナルーサは腰の剣を抜き、そのツタをなぎ払い始めた。

「王子!どうか思い留まりを!おやめ下さい、地の紋章があると言うことは、よからぬ物が封じてあるかも知れません!
どうか!誰か!誰か王子を止め……」

バシッ

王子が剣の柄でゼブラを殴り、彼の身体が垣根に倒れ込む。
王子は彼に一べつもせず、またツタを払い始めた。
殴られた頬をさすり、口元の血を袖で拭う。
それでも、何か恐ろしい気がしてゼブラは王子の腕を掴んで止めた。

「お待ちを!どうか今一度お考え直しを!
何があったのです、このゼブラにお話をお聞かせ下さい!」

王子の動きが、ようやくふと止まりゼブラをちらと見る。
大きくため息をつき、その手を払った。

「お前になにができるというのだ。
僕のこの不安感はどうだ?お前が何も出来ないからじゃ無いのか?
そうだろう?ゼブリスルーンレイア。
お前に出来たことを思い返してみよ。
そうだな、お前の入れた茶は美味しかったよ。
良く身の回りの世話をしてくれた。
でも、それはお前でなくても出来る事だ。
僕に、俺に、………

お前は必要無い!」

ゼブラの目に、剣を振り下ろす王子の姿が映る。
子供の頃からずっとつかえて来た王子の……

私の存在は、それほど意味のない物だったのか……
いや、違う。
目の前の王子は、あのいらだつほどに気弱で優しいキアナルーサ王子では無い。
何かに憑かれている。
自分にはわかるのだ、彼にまとわりつく黒い影。
これは………

『殺せ!』
キアナルーサの頭に声が響く。

とっさに一歩引くゼブラの胸を剣が切り裂き、足がもつれて石壁の方へと身体が倒れ込む。
石壁は腰までしか無いが幅はある。
彼の身体は壁の上に乗り上がり、身を起こそうとした瞬間足を持ち上げられた。

馬鹿な!

必死で身をよじり、抗って思わず掴んだ王子の袖口が音を立てて引き裂かれ、手が滑り抜ける。
足をすくわれ、ゼブリスルーンレイアの身体が容易に壁を乗り越え、音も無く宙へと舞った。
手を伸ばしても掴む物は無く、身体がヒュウヒュウと音を立てて風を切る。

ああ、ああ、私は死ぬのか……

私は……

雲の合間に見える青い空にミリテアの姿が見える。
キラリと輝く小指の指輪を抱いて、彼は目を閉じた。

144、

「ああああ……」

キアナルーサが、頭を押さえてよろめき地に倒れ込んだ。

「違う、違う、違うんだ、ゼブラ、ゼブラ、違うんだ。
僕じゃ無い、僕じゃ無い、許してくれ。」

恐怖に震える身体を小さく丸めて頭をかきむしり、大きく息をつくと顔を上げてようやく這うようにしてほこらにすがりついた。

「ううう……邪魔だ、邪魔だ、軟弱な物などいらぬ。
我は、我は、取り戻すのだ、この城を。
この国を。」

ブツブツつぶやきながら、狂ったようにツタを取り払う。そしてまるで小さな石棺のようなほこらの石を退け始めた。
だが、百合の紋章の入ったフタのような石はビクとも動かない。
確かに石で重いだろうが、1人で動かせない大きさでは無い。なのにガタリともしないのだ。

「おのれ、ヴァシュラムめ。
だがこの身体が誰と血を分けたか忘れたか?」

腰から剣を抜き、手首を一息に切った。
痛みに顔を歪め、したたる血を百合の紋章に落とす。
百合の紋章は血に染まり、なぜか石に刻まれたそれが揺らめいて見えた。

ビシッ!

ビシッ!ビシッ!

紋章が輝き、そこから一斉に石の表面にヒビが入る。
そして次の瞬間、百合の紋章はシュンと小さな音を立てて煙を出して消え、フタになっている石は中に崩れ落ちた。

「くくく、やった、やったぞ。それで無くてはこの身体を手に入れた意味が無い。
結界を破るのは巫子の血が手っ取り早い。
こんな出来損ないでも双子なのだ。
そっくり同じでは無いが、ほんの少しでも気が混じっていればと望みを託したが、やはり思った通りだった。
フフフ……そして、この剣があればこんな軟弱な王子の意識など完全に消し去れる。
さあ、忌まわしき火の巫子を殺した剣よ、我が手に帰るがいい!」

首のスカーフで切った腕を縛り、ほこらを覗き込む。
そして崩れ落ちた石を退け、長い年月ですっかり色の変わった麻の包みを握った。
その重み、手の感触は確かに懐かしささえ覚える自分の剣。
だが、持ち上げようとした瞬間、突然ほこらの中が緑色に輝き、白く華奢な手が伸びてその包みをグッと掴んだ。

「な、なんだ?なんだこの手は?ええい、離せ!」

グイと引いてもビクともしない。
ほこらはなぜか底が抜けたようで、離せば緑の光の中に吸い込まれそうな不安感に襲われる。
そしてその緑の輝きは、濁った彼の魂さえ浄化しそうなほど清浄で彼にとって不快な物だった。

「この手!まさか?地の者か!」

渾身の力で引くと、その腕がズルズルほこらから伸びてくる。
やがて腕の持ち主の顔が揺らめいて、光の中に現れた。
その忘れようも無い、息を飲むほど整った美しい顔。
遙か昔に数回見ただけというのに、心に刻まれるような眼差し。

「ま、まさか!ガラリア?!貴様も迷ったか!
い、いや、違う、この手は?この手は実体か?まさか……」

冷や汗を流しながら、苦し紛れにガラリアにニッと不気味に笑う。
手元から石を一つ取り、ガラリアの手にギリギリと押しつけ、そして何度も打ち付けた。

「下賤な花売りが!ヴァシュラムをたらし込んで生き延びたか!
くくく、だがお前に何が出来ようか。
なんの力も無いお前が出来る事は、身体を売ることぐらいだ!
汚れた手で触るな、離せ!
それとも、この俺に抱いて欲しいと申すか?
そうか、そうだ思い出したぞ。
あの時は邪魔が入ったのだったな、くくく……
そうか、なれば城に来るがいい。その朽ちぬ身体、どのような物か俺が確かめてやる。くっくっく」

石で何度も叩かれ、包みを掴むガラリアの手が血も流さずつぶれていく。
ガラリアは王子の顔をしたその相手を、カッと見開いた目で見つめながら、緑の揺らめきの中で変わらず形の美しい唇を動かした。

『されば、心して待つがよい』

揺らぐ涼やかな声が響き、ガラリアの手が緑のツタになって包みに巻き付いて行く。

「なにっ!馬鹿な!」

慌てて落ちていたキアナルーサの剣を足で引き寄せて取り、包みを引き上げて緑のツタとなったガラリアの腕を、包みの下で何度も切りつけて断ち切った。
切れた瞬間反動で、包みを持ったまま後ろにひっくり返る。
急ぎ身を起こして、ほこらを覗くと光が消えて石の底が見えている。
ツタになったガラリアの手は、一瞬輝くと灰のように白くなり、もろく崩れて一陣の風に吹かれ散っていった。

「くくく、馬鹿め!やった、これは俺の剣だ!
これがあればこの身体完全に手にする事が出来る。
さあ、俺の剣よ、力を貸せ!」

さっそく包みを開き、懐かしい剣を手にする。
ズシンと響く、黒く渦巻くようなこの念。
心地よさに、ああ……と感嘆の息を漏らしながら、さっそく柄を持ち剣を抜こうと力を入れた。
が、

抜けない。

「くっ、くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くそうっ!」

どんなに力を入れてもビクともしない。
サビでは無い、この呪いの剣からは力を感じる。
だが、どうやっても抜けない。

「まさか……ガラリアは巫子でも無い、ただの飾りだったはずだ。」

血に濡れたスカーフを取り、傷を開いて鞘に血を塗り込む。
だが、今度は血が蒸発して消え、消える瞬間鞘に微かに百合の紋章が輝いて消えた。

「こいつの血では弱い、封印の強さに負ける。
おのれ……ガラリア、長い時の間に力を得たか……だが、たかが偽巫子の付け焼き刃。
すぐに剣を抜いてやるぞ、こちらにはもう一つコマがあるのだ。
お前の子を飲み込んだ聖なる火、あれならこんな封印など……」

垣根の向こうで兵の気配がする。
見回りが回ってきたのだろう。
王子はキアナルーサの剣と腰にある鞘を抜いて塀の向こうに投げ捨てると、ほこらにあった剣を腰に差し、見つからないよう身を潜ませそっと戻っていった。


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