桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

赤い髪のリリス 戦いの風 49

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145、

セレス……ガラリアが目を閉じ、全身の力を抜いて水底へと沈んで行く。
目を閉じても、まぶしいほどの緑の輝きが身体を包んでいる。
断たれた手はすでに再生を始め、大きく息を吸うと緑の水が肺を満たし心地良いほどに力が身体中に満たされた。
地の力にゆるゆると包まれ、ゆっくり身体が癒やされてゆく。

あの……剣……

封印を解かれ、王子が手にした剣が目に浮かんだ。
渾身の力で、抜けないよう改めて封印を施した、あの古い剣。

マリナを……災厄のきっかけとなった、青の火の巫子マリナ・ルーを殺したあの剣。
あれには、闇落ちしたひどく歪んだ精霊の魂が宿っている。
打ち物師が名を上げようと、魔導師の手を借りて精霊をあの剣で惨殺し、その魂を刃に封じたのだとリリサが話していた。
ランドレール王子に献上したあと何故か打ち物師は狂って自害したが、王子は気に入って手放そうとはしなかった。

そして、王子は密かに狩りに出ると言っては何人もの旅人をあの剣で殺して、憂さ晴らししていたと聞いた。
リリサはあの剣が悪いのだと、何度もあの剣を渡して欲しいと王子に進言していたのに。
人の血を吸い、闇落ちした精霊の魂はすでに魔物に変わり、剣は黒い力を変わらず蓄えている。
まして、最後にはあのマリナの血を受けたのだ。
巫子の血は、使いようで大きな力になる。
あいつはそれを知っている。
あの剣を渡してはいけない。
あれを開放すると、キアナルーサの心は消えてランドレールを完全によみがえらせる事になるだろう。
マリナの血は聖なる火を呼び寄せ、記憶の曖昧な火の中のあの子がまた利用される。

ああ……
ああ……
私の大切なリュシエール……

私は、行かなくては。
あの子を止めなければ。

今度こそ、今度こそ……

ガラリアの身体が水面へと向かう。
それを止めようと、水が身体にまとわりつきガラリアが悲しげにそれを見た。

「聖なる泉よ、私をここから出さぬと言うなら、私はこの腕輪をはずして消えてしまおう。」

緑色の水が、戸惑いにズシンと大きく揺れて波打った。
圧力が弱まり、ガラリアを捕らえる力が解放される。
だが彼が水面へと向かおうとすると、まるで鉛のように重くなって再び行く手を遮った。

この水は、ヴァシュラムの一部だ。
大地の力を蓄え、それを循環し、命を芽生えさせる大きな力を持っている。
ここにはヴァシュラムが人の姿で見せる皮肉も嘘も無く、ただ静かに穏やかにここにあり、ガラリアに力を与え身体の一部のように包み込む母のように優しい。
彼は人の姿のヴァシュラムも、この水のように優しくあればいいのにと身をゆだねながら時々思う。
昔は優しかった。
優しく慈しむように抱きしめてくれると、どれだけ心が救われたろう。

もう、今では……懐かしささえ覚える……

目を閉じ、そして意を決して遙か上に広がる水面を見上げる。
一部であっても本体だけにこの水は、ヴァシュラムの感情をストレートに表す。
ガラリアを離そうとしないのはいつもの事だが、ここまでしつこいのはそれだけ彼の身体の状態が思わしくないことがわかるからだろう。
先ほどあの剣を封印したことで、身体の状態は振り出しに戻ってしまった。

だが、事は急ぐのだ。
また見失わないうちにあの子を消し去らなくては……
私の身体は、もうすでに限界だ。
このぬるい水ではもう、すぐに再生できない所まで来ている。
私は消えても構わない、でも、このままではあの子が心残りで死にきれない。

もう少し、あと少しでラクになれる。
それまでこの身体が持てば、どうか……ああ、誰か私の願いを……。

ガラリアは引き留める水に、大きく首を振り水面へと声を上げた。

「地龍サラシャよ、お出でませ!」

水面が波打ち、無数の泡をまとって光る蛇が降りてくる。
いや、蛇では無い。
それは上半身が長い黒髪の裸の女、下半身が光り輝く銀のウロコをした蛇のような姿の地龍。
村で長老と呼ばれている女だった。

「御方様!お気が付かれたのですね。
この私めをお呼びであらせられますか?」

ガラリアの前に来ると、うやうやしく頭を下げる。
ガラリアは彼女に手を伸ばし、その手を握りしめた。

「ここを出る。手をお貸し願いたい。」

「しかし……ここを出てはお身体が持ちませぬ。」

「事は急ぐ、ここでは時間がかかりすぎる。
どうか、るつぼに連れて行っておくれ。
どうにもならない時、るつぼに行けば道が開けるとヴァシュラムが言ったのだ。
それはこの身体を捨てることかもしれないが、私はどうしても今もう一時だけ時間が欲しい。」

サラシャが驚いた顔で目を見開く。
だが、ガラリアの決意が固いことは、彼の気持ちを汲めばよくわかる。
ずっと探していた我が子とようやく巡り会えたのだ。
これを逃せば、またいつになるかわからない。
だが、気まぐれな地の王が、きちんと彼の気持ちに答えてくれるのだろうか?
こうして身体の調子を崩す原因は、いつもヴァシュラムの気まぐれな仕打ち一つだ。
それでも、地の王に頼るしか彼には他に道はない。

「承知致しました。では、失礼つかまつりまする。」

サラシャは彼の身体に髪を巻き付け優しく抱き留め、止めようとする水のプレッシャーさえ物ともせず上へ上へと向かった。
だが泉を出ても、やはり彼の身体は不安定で、先ほど断ち切られた腕輪の無い方の手は、再生中途であっさり崩れ落ちた。
サラシャは、彼を抱いたまま神域である泉の水源の方へと向かう。

「シイラ、紗を上げておくれ。」
「はい」

降ろされた紗を、控えていた白装束の少女シイラが上へと上げる。
サラシャが岩の間にするりと入って行くと、シイラが心配そうに声をかけた。

「長老様、御方様は?あの……」

「心配いらぬ、後は頼むぞ。
そこの関は元に戻しておいておくれ。」

「はい、どうぞご無事のお帰りを、私はここでお祈りしております。」

サラシャがうなずき、その姿が岩陰に消えた。
神域の中は、ゴツゴツとした岩が重なり、人がようやく一人通れるほどの隙間をちょろちょろと強く緑に輝く水が流れている。
この水は、神気が強すぎて人には有害な物だ。
地龍であるサラシャは、本来地脈を司りここを守る龍であった。

146、

ガラリアを抱く手まで、そして首まで次第に銀のウロコに覆われて行く。
人の姿を維持することだけで、サラシャの表情は厳しくなって行った。

「御方様、私は神域では本来の姿に戻ってしまいますが、ずっとお側に控えておりますゆえご安心下さい。
どうかご無事で、お気をしっかりお持ちになって……」

「ありがとう、サラシャ……あなたのおかげだ。でも、もう一つ。地ノ物を統べる地龍よ、あなたのお力が借りたい。」

「私の?もちろん御方様のためなら、何色に輝く石でもお持ちしましょう。
燃える石でも、燃える水でもいかほどにも用意しましょう。」

「フフ……いいや、そうではないよ。
私に必要な物は、金でも銀でも宝玉でも無いんだ。
そんな物、私には、なんの価値も無いんだよ……」

サラシャには、もちろんわかっている。
そんな簡単な物ならいいのに、と心から思う。

これまでどれだけの人間と、地脈にある金や光る石を巡って戦ってきたことか。
地にある力のある物を、統べるのも自分だ。
だからガラリアに会うまで、欲にまみれた人間は大嫌いだった。
でもガラリアは金を目にしても、光る石を見せつけても、そんな物一切欲しがらなかった。


昔、泥に汚れ、剣で切られて血だらけの少年を抱いたヴァシュラムに突然呼び寄せられ、この泉に留まってミスリル達と少年の面倒を見るよう言いつかった時は、怒りさえ覚えた。
ミスリルは地下生活でひどく貧しく、乏しい食料に困っており、自分も人間には触れるのも嫌だった。
少年は男を相手に性を売る、花売りと呼ばれる仕事をしていたのか、おぞましく汚れた女の格好で、意識を取り戻しても放心状態なのかいつもボンヤリしていた。

やがて時がたち傷が癒えると、少年は人恋しいのか泉の洞穴をでて地下の村にも出て行くようになった。
しかしここにいるミスリルは異形の者が多い。
魔物とそしられ人間に追われ、疲れ果ててここに逃げてきた者ばかりだ。
当然、当初は彼を拒絶する者ばかりだった。
だが少年は何度はね付けられようと、彼らに根気強く接し、異形のミスリル達を助け、共に畑を耕し、まるで家族のように彼らを慈しみ手をさしのべた。
彼は金や銀よりも、何より心から家族を欲していたのだ。

そして彼は地底のやせた畑に泉から力のある神水を引くことを考え、ヴァシュラムに何度も許しを請うてとうとう水路を引かせた。
それは、地下の畑に飢えを忘れさせるほどの効果をもたらし、ミスリル達をたいそう喜ばせることとなった。

人間を嫌うはずのミスリルは彼を次第に敬うようになり、自分たちからヴァシュラムの許しを得、泉の淵にガラリアのために社を建て、彼は村人に請われてそこに住まいした。
それは、彼らがガラリアを地の精霊王と並ぶ者として認めた瞬間。
皆、社に住み始めた彼を地の御方、御方様と呼び、大切に崇めるようになった。

自分は、いや、自分も、ガラリアにどんどん惹かれるのを感じていた。
彼は純粋にミスリルの幸せを願い、ただひたすら死んだ縁者の鎮魂を祈っていた。
彼は偽物だと言うが、これほど地の巫子に相応しい者がいようか。
これほど、幸せになって欲しいと思った人間はいない。
でも、自分の願いに反して、精霊王の彼に対する仕打ちは冷たい。
精霊王は気まぐれだが、地の精霊は皆彼を愛している。
それをわかって欲しい。
力になりたい、自分も彼を失いたくない。
何度でも、永遠に寄り添いたい。
ガラリアを抱きしめる手に力がこもる。

「サラシャ、私は……道が欲しいのだ。
あの子を救う道を。
ああリュシエール、私は一息に殺せなかった。
ここに来て迷うなど、なんという愚かな……私の心の弱さが、ヴァシュラムに邪魔を許したのだ……
サラシャ、この無力で愚かな私に最後のお力添えを……
ヴァシュラムにこの身を再生して頂いたら、すぐにあの子の元へ連れて行って欲しいのだ。
無理な願いだとわかっている、でも時間が惜しい。」

「もちろんですとも、あなた様のお望みのままに。
最後などとそのような事仰いますな、どうかこれからもお仕えさせて下さいませ。
あなた様のお優しさを責める者などおりませぬ、御子を救う道を共に探しましょうぞ。」

「すまぬ……すまぬ……うう………」

ガラリアが小さくうめいて身をよじった。
ハッとサラシャがガラリアを見ると、彼の身体からはまた、トロトロと力が澱となって流れ抜けて行く。

「なんと言うこと、やはり!御方様!お気をしっかり、すぐにるつぼでございます!
ああ、何故主様は来て下さらぬのか。
御方様!」

なんてことだ、また強烈なほどに力が抜ける。
命が抜けてゆく。
身体が砂になって消えそうだ。
暗く、闇に飲まれてサラシャの顔が見えない。

覚悟して泉を出た物の、ここまで自分の身体に限界が来ていたことにガラリアは絶望した。
それでも、ここまで来てもヴァシュラムは手をさしのべてくれない。
この腕輪がある限り、見られているはずなのに。
まして、ここはヴァシュラムの中。気がつかないはずも無い。
すでに救う気など無いのだろうか、この肉体の存在など、どうでもいいのだろうか。
もう少し、自分は大事な方の玩具だと思っていたのに、ここまで飽きられていたとは。
まさか……自分は、この賭けに失敗したのかもしれない。

考えが……甘かった!
リュシエール!

駄目だ、よくよく考えるとヴァシュラムは、るつぼに来たらこの身体で復活させてやるとは、ひと言も言わなかった。
しまった、また言葉遊びに引っかかったのかもしれない。
今すぐ泉へ……いや、もう引き返しても遅い。

自分は見放されたのだ、ああ、とうとうこの時が来てしまった。こんなタイミングで。
最悪だ。
ヴァシュラムは、子供のこともオモチャにしか思っていない。
私が消えたら、次はあの子で遊ぶつもりだろう。

意識が遠のく、私はどうなってしまうのか。
身体が死んで、取り出した霊体を好きなようにされるのか、何か違う物に作り替えられてしまうのか、もしかしたら永遠に石ころにでも封じられるのかもしれない。
自分はヴァシュラムとフレアゴートとの契約で輪廻の輪からはずされている。
契約に応じたときは、子供のことがあったし、その頃のままその先も大切にされると思ったから安心して応じてしまった。
でも……それからそう感じることは、ほとんど無くなった。

これは罰だ、私を守って死んだ村人や家族が、私に与えた呪いだ。
ならば受けなくてはならない。
それはずっと覚悟してきた。

でも……本当は、終わりがないのは恐ろしい、怖い。

リュシエールのことが心残りでたまらない。
霊体で捨てられてもきっと、安らかに眠ることなど出来ないだろう。
自由を失い、安息とはほど遠く、苦しみ抜いて悪霊に変わるかもしれない。

若返りの施術の時も、不安が無かったわけじゃ無い。
でも、肉体を失うと霊体がどうなるのか、どうされてしまうのか、それはヴァシュラムの思うままだ。
言いようのない恐怖が、絶望が心を満たす。
あの時、盗賊達と共に土砂に埋もれて死んでしまえば良かったのだろうか。
お前は汚れてなどいないと優しく抱いてくれた、あの頃が懐かしい。
飽きられ、弄ばれても、それでもあの言葉を支えに懸命に生きてきた。
でも、こうなったのは浅はかにも精霊の言葉を信じてきた、自分の過ち……あとは運を天に任せるしかない。

ああ……駄目だ……
リュシエール、私はまたお前を救うことが出来なかった。
また幸せに出来なかった。
私を、私だけを恨め。私だけを憎め。
他の誰にも罪は無い、私が、私の存在がすべて悪いのだ。

気が遠くなる、これが自分の意志を語れる最後の会話となるかもしれない。
せめてと、ガラリアは力を振り絞ってサラシャに口を開いた。

「サラシャ……地龍殿……」

「ここに、ここにおります」

「地龍殿……気高き、あなたが……汚され、汚れきった……身の私などに、ほんの一時でも頭(こうべ)を……垂れることになり、申し訳……なかった……」

「そのようなこと、言ってはなりませぬ……」

「私は……私は、これが最後かもしれぬ……皆に……世話になったと……伝えて…………欲しい……
う、うう……」

「何を……大丈夫でございますとも。御方様、しっかりなさいませ!」

ガラリアの身体からはすっかり生気が消えて、真っ白で色は抜け、肌はボロボロですでに希望が見えない。
サラシャが急いでいた足を止め、彼の身体を抱きしめる。
流したことのない涙が彼の頬に落ち、流れて消える。
ここはすでに神域なのに、なぜ精霊王は助けて下さらないのか。
苦しむ彼を見るのが恐ろしい。
これほど思うようにならない命のもどかしさに、サラシャは生まれて初めて嗚咽を漏らす。
それでも、彼は最後の時まで詫びの言葉しか囁かなかった。

「……リュ…シエ…ル……すまない……

イ……イネス、……私は……私は…………巫子じゃない……偽物で……
皆を……あざむいて……許し……て……

でも、……あ、あ……ああ……ヴァ……ヴァシュ……お願い、お願い、……どうか、お慈悲を……

怖い、誰か……助け…て……」

「御方様!御方さ……あっ、」

手の中でガクリと彼の身体から力が抜けた瞬間、神域が強烈な緑の光に包まれた。
るつぼに渦巻く力が一息に集中し、ガラリアの身体を包んで宙に浮く。

「おお、主(ぬし)様!間に合って良かった。もっと早う!早うお出でなされませ!」

ホッと息を吐き、力が抜けてサラシャの姿が崩れ全身蛇のような姿になった。
髪はするりと額でまとまって3本の角となり、口からぺろりと細い舌が覗く。
銀のウロコは更に固く固まり、岩に当たると鈴のようにシャンシャンと鳴った。

「主様、御方様の再生の儀を。」

緑の輝きはぼんやりと人の形となり、その中に取り込まれたガラリアが目を開けた。

「ああ……良かった……まだ、私の声が……まだ……良かった……」

彼がつぶやくと、愛しそうに見えない無数の手が彼の身体をかき抱く。
弱々しく震える手を合わせ、見上げるガラリアの緑色の瞳が輝き、涙がガラスのような玉となって光の中で輝いた。

「精霊王よ、朽ちかけた身の私に……ほんの少しでもお目を向けて下さるなら、これまでお仕えしてきた情けに、ほんの少しのお慈悲をお分け下さい……。
どうか……どうか……お慈悲を……もう少し、ほんの一時だけの時間を……どうか、お慈悲を……どうか……」

その力無く、今にも消え入りそうな言葉を遮るように、輝きが彼の唇に口づけを落とす。
ガラリアは救いを求めて両手を頭上に掲げ、不安に心さいなまれながらも目を閉じて、輝きに身を任せるしかなかった。

緑の輝きは、ガラリアを包み込んだままるつぼの更に奥へと向かう。
それを追って、サラシャもスルスルと奥へと消えていった。

147、

黒髪の少年が、クッとほくそ笑み林檎をかじる。
しゃりしゃりとこ気味良い音を立て、噛み締めると芳香が鼻をつき、飲み込んでふうと息を吐いた。

「今年は良い出来の林檎だ。あれにも食わせてやりたいのう。
いや、必要無くなったか……
そうだ、来年は不作にしてやろう、そうしたら再来年はもっと美味しく感じるに違いない。
あれが巫子になってから、煩わせぬよう不作の年を設けなかったからな。
そう言えば、神殿にも貢ぎ物が最近減ったな。
根を枯らして、今度の小麦は収穫を減らしてやろうか。
人間どもめ、身の程を思い出すがいい。
面白い、ククク、これから面白いぞ。」

まだ10かそこらの少年が、傲慢で年寄り臭い言葉をつぶやく。
少年は主が持っていた金細工を町で売り、背にはその金で買い込んだ食料を入れた袋を背負っている。
町をはずれて森に入り、具合の悪い主の待つ打ち棄てられた小屋を目指していた。

少年は主である魔導師が水晶を核に作り出した下僕……と言う事になっている。
確かに、その胸に魔導師の水晶は存在する。
だが雰囲気は、その魔導師よりも気高く自信に満ちて、時に老齢な姑息さも見せ、可憐な姿に相応しくない不気味さをかもしていた。

「やれ、ガラリアもしつこい事よ、口を開けばまずはあの子のことだ。
あの子に死んだ妹の名など許すのでは無かった。
わしの名を最後まで呼ばぬ時は、どうしてやろうかと思ったぞ。
だが、お前の絶望する様はなかなか美しい、何度見ても目を奪われる。
しかし死に際の言葉、まず最初にわしの名を口にしなかった罪は重い。
そうさな、百年と思ったが……罰として五百年に一度にしよう。うむ、それで十分だ。」

そう決めて、満足そうにうなずく。
もう一口林檎をかじり、嬉しそうに腹をさすった。

「ガラリアよ、喜ぶがいい。
お前はこれからそこで何も考えずわしだけのために、ただわしのために生きるのだ。
慈悲をと言うなら、五百年に一度だけほんの少し外の世界を見せてやろう。
何も考えず、何もしなくていい、そこで安心して永遠を生きよ。

ふう、それにしても地龍め、ガラリアだから良いものを、わしの許しもなく神域へ入るとは。
人間など平気で殺める者が、大層な変わりようよ。
まあ良い、当初の目的が早まっただけというもの。
さて、ガラリアのあの身体はもう駄目だな。再生するとして、何才くらいの姿にしよう。
そうだ、一度鳥にして歌を楽しんでもいいな。
どんな声で鳴く物か、これで楽しみが増えたぞ。ククッ
と、なると……もう必要なくなったな……」

少年が、歩みをピタリと止めた。
かじりかけの林檎を上に放り、軽快にそれをキャッチする。
もう一口かじり、食べながら考える。
事が都合良く運び、機嫌いい様子でたまらずクククッと笑った。

ふと、音に目をやると、道脇の岩のあいだから、チョロチョロ水が流れている。
旅人が喉を潤すようにと心使いか、小さなコップが置いてあった。
少年はそれを見て、何故か眉をひそめる。
すると石清水が突然ドッとあふれ出て、水が小さな人の姿を形取った。
やはりと小さくため息が漏れる。

「なんの用だ、シールーン。」

少年が、特に驚きもせず水に話しかける。

「ヴァシュラム、お前のはかりごと、私はずっと見ているぞ。」

「だからどうだという。」

「聖なる火をどうするつもりだ。何故フレアに渡さぬ。」

少年は、苦い顔でプイと先に進もうとする。
水の精霊王シールーンは腕をひとなぎし、水を飛ばすと少年の頬を傷つけた。
少年が、それをひと撫ですると傷は消える。
そして立ち止まり、ため息をついて振り返った。

「なにをする、無礼者。」

「お主が話を聞こうとしないからだ、無礼者め。
忘れたか、わらわとそなたは常に共にある。
水が濁れば地を汚し、地が汚れれば水が濁る。
好き勝手に行動をする前に、お主の立ち位置を考えよ。」

「ふん、わしもその位わきまえておるわ。
こうしているのも、またあの災厄とやらを起こさぬよう見守る親の心配りよ。」

あからさまな薄ら笑いに、シールーンをかたどる水が揺れる。
それは怒りを表していた。

「何が心配りだ、ガラリアを腹に抱き込んだ安心感から、あの子を見放そうという魂胆であろう。」

見透かされ、少年がチッと舌打つ。
子供と聖なる火をリューズごと、何もない狭間の異世界にでも放り込もうと思ったのだ。。

「ヴァシュラムよ、ガラリアを思うならあの子を護れ。
共に生きる道は、それからでも開けよう。
あの子は、すべての縁者を亡くしたガラリアが生きるには必要な子だ。
お前にはわかっているはずだ。」

その言葉に、少年の顔が歪んだ。
一番聞きたくない言葉だった。
ガラリアを幼少の時からずっと見守っていた自分の、最大の過ちを思い出す。

「いいや、必要無い。あれはもうわしの腹の中、出すつもりもない。」

「なんと!ガラリアを出さぬつもりか!
人から自由を奪うことほど残酷なことはないのだぞ。
ガラリアを封じ込め、その上子をどうするつもりだ、あの二人は物では無い。
生み出した命を軽んじるのは我らの掟にも反する。
元々あの子を作ったのはお前であろう!
人で言うならお前は親、何故同じように愛さぬ。」

しつこく食い下がるシールーンに、少年の姿のヴァシュラムも引き下がらない。
苦々しい顔でシールーンを見据え、怒りに震える手を握りしめた。

「お前に……なにがわかる。

わしは、ずっと見守っていたのだ。
あの美しく小鳥のような歌声を持つ少年を。
それが……ほんの数日、あの数日が……悔やまれてならぬ。
わしは盗賊どもから守ってやれなかった、これほどの力を持ちながら。
あれは助けたわしに礼を言うたが、わしは己が許せぬ。
悲しく沈み、歌を忘れた小鳥を見るに忍びなかった。
わしは、子を作ればあれも元気が出るだろうと、軽い気持ちで子を紡ぎ出した。
家族が出来たとあれの喜ぶ姿は至福であったとも、だが、それもほんの一時だ。
わしは、わしは、またあれに慈しむ者を奪われる、同じ苦しみを与えたのだ!
なんという不覚!
わしは、だからあの子の存在が許せぬ。
あれの心をここまで奪うあの子の存在が許せぬ。

……だが、あの子のおかげであれはこれまで生きてくれた。
もう十分だ、もう勤めは終わった。
おらぬのが悲しいというなら、記憶など消してやろう。あれは地の精霊王の腹の中にいるのだ、出来ぬ事など無い。」

少年から可憐さが消えて、傲慢な醜い笑いが漏れる。
しかし、これが本来のヴァシュラムだったと、シールーンは思い出した。
この傲慢さを制し、上手く彼の力をコントロールしていたのはガラリアなのだ。
彼は小さな村でも貴族の出身なので、相手の心を掴んだ人使いに非常に長けていた。
傍から見ても、彼は最高の伴侶だと言える。
彼が巫子となってから、地は静まり人間も他の精霊も振り回されることが無くなった。
作物は安定して豊穣の年が続き、人間達は飢えることもなくなり生活が豊かになり、目障りな大きな盗賊団も山から消えた。
だからこそ、この小さな国も安定して地の神殿もあれほど栄えたのだという事がまるでわかっていない。

手綱役がヴァシュラムに飲み込まれ消えてしまうなど、今後を思えばゾッとする。
精霊達も、この穏やかな世となってホッとしていたのだ。

「愚かな精霊よ、ヴァシュラム。
この大地を統べる王が、何故お前なのか……
もうすぐ雨が降る、それで頭を冷やすが良かろう。
そして雨上がりの水鏡に己の顔を映して見よ。
今のそなたは、ガラリアが永遠を共にしたいと思うような者では無いわ。
正気を取り戻すが良い。」

「わしは正気じゃ、気うつの元を消して何が悪い。
愛する者を腹に囲って何が悪い。
セフィーリアとて、人間を伴侶としておるではないか。」

「セフィーリアはザレルの意思を尊重しておる。
元々人間と精霊は、互いの世界に干渉しないことが暗黙の掟。
だからこそそれを越えて互いに愛することには互いの努力を必要とすると言うに、お前の態度には閉口する。
まさかお前の聖域から救いを求める声を聞くとは思わなんだ。
お前がガラリアにしたこと、思い返すが良い。
お前のねじれた愛情に、どれだけ振り回されておるか。
それに、一番巫子が今消えるのは懸命ではない。
だいたいガラリアを人間に最も頼られる一番巫子に据えたのはお前ではないか。
あれはそれに十分応え、努力してきた。
美しさだけでは無い、お前にとって唯一無二の賢き良き伴侶よ。
この世に絶対存在せねばならぬ!」

「うるさい奴よ、わしの腹におる、それで良いではないか。
もう消えよ!」

「わかっておらぬ、ガラリアの歌を聴きたい、笑い声を聞きたいと申したのはお前ではないか!
お主の腹に囲うことと、盗賊どもの奴隷になっていたことの、どこに違いがあるという!
ふざけるでない!」

「ぶ、無礼な物言いを……
死なぬよう大切に保護する事の何が悪い!
何がねじれているか、わしは真っ直ぐあれに愛情を注いでいるではないか!」

「真っ直ぐだと?くだらぬ、お前の愛情は安っぽい物だ。
お前の愛情がどれだけ片寄ったものか、わかっておらぬ。
ガラリアはお前の力無くして生き延びることも出来ぬのだぞ。
それをいいことにそれを利用し、追い込み絶望させ相手に慈悲をと願わせるなど、精霊と思えぬ下劣な行為じゃ。
共に喜びを分かち合う事こそ良き伴侶という物、愛する者を手の上で転がして遊ぶようなお前の愛し方は間違っている。」

グッとヴァシュラムが言葉を詰まらせ、赤い顔で唇を噛む。
シールーンは自分の身を作るぬるくなった水に言い過ぎたかと、頭を冷やすために一度水に返り、また人の姿を形取った。

「まこと、ガラリアとなるとお前らしゅうない、もっとよく考えよ。
我ら精霊、皆ガラリアを好いておる、あれはすでに、人間よりわれら精霊に近い者。
皆、お前たちの行く末を見守っておるのだ。
よくよく考え行動せよ、大地の精霊王よ。
ガラリアを思うならガラリアの望みを叶えよ、そしてもっと、愛すればこそ大切にせよ。
共に支え合い、語り合ってこその良き伴侶。
さればお前の思いにもガラリアはきっと応えようぞ。
ガラリアにとって最も安らげるはずの場所で、手を合わせ慈悲を請わせるようなことをさせるな。悲しさのあまり、お前の聖域を潰したくなる。
セフィーリアも、お前たちのこと案じておるぞ。」

シールーンの話が終わると、パシャンと水が形を失い、また元のようにちょろちょろ水の流れる音が静かに響いた。
少年の姿のヴァシュラムが大きくため息をつき、またプイと歩き出す。
手の中の林檎をじっと見て、視線を落とした。

「大切にだと?ふん。
わしを誰だと思うておる……ちゃんと死ぬことの無いよう大切に見守っておるではないか。

わかっている、今回やり過ぎた。
まさか、あれほどガラリアの身体が弱っていたとはしらなんだ。
しばしの足止めくらいにしか思ってなかったのだ……」

でも、死ぬ前にちゃんと助けたじゃないか。
だいたい死んでも、再生すればすぐに……

“死ななければ……それでいいのか?”

何か心に引っかかっていたことが声を上げた。

馬鹿な!いいや大丈夫だ、それだけではない。
わしはあれを大切に、だからずっと一番巫子に据えてきたではないか。
常に人間どもに、かしずかれるように。
人間は、地位を上げれば、金をやれば若さを与えれば一番喜ぶ。
喜ぶはずだ。
でも、あれはそれでも昔のように笑わぬのだ。昔のように歌わぬのだ。
わしにこれ以上どうせよという。

ヴァシュラムの頭に、ガラリアの姿が浮かぶ。
幸せそうな子供の頃の姿が鮮烈に。
盗賊から救い出してやったあれは、すっかりやつれて色あせてしまっていたが、わしはそれでもやっと手に入れることが出来たあれを愛でてやることにした。
巫子に据えて身分を与え、美しい衣服を与え、食べ物や金に困らせたことも無い。
精霊体に少しずつなじませ、死にかけたら再生し、若返らせ、たとえ死んでも黄泉から連れ戻せるようフレアと契約も交わした。
最悪の場合、身体は腕一本でも残っていれば再生できる。

ガラリアは安泰だ。
あれもそれに十分満足していたはずだ。
これ以上、どう大切にと……

心でつぶやいて、ハッと目を見開く。


『お主の腹に囲うことと、盗賊の奴隷になっていたことの、どこに違いがあるという!』


ち……違う、そうじゃない、それは、
そうだ……間違ってなどいない。
いや、何か違うと?喜びを分かち合うとは何だ?
支え合う?与えるだけでは駄目だというのか?
わしは、何か愛し方を間違っているのか?
この精霊王が?!

間違ってなどいない。

いいや、間違っていると?

一体……何を…だ?

愛していると、共にありたいと言いながら……
笑う顔が見たいと言いながら、悲しませても、苦しませても、死ななければ良いと思っていた。
生き延びたい間はわしに頼るしかないあれを、わしはどう扱ってきた?

まさか……
わしは、ただ一方的に支配していただけなのか?
愛し合ってなどいない……わしは怖れられているだけで愛されていないというのか?

そう言えば、あれの身体をこの手で抱きしめたのは、いつの事だったろう。

あれを、ガラリアを弄んでいたのは自分ではないのか……?

「助けて」と、自分では無い誰かへ向けてあれに言わせてしまった自分は……

一瞬でも、黄泉に落とそうとしたのは…………

ぽとりとかじりかけの林檎を落とし、その場に立ちすくむ。
目を見開き、震える両手で頭をおおい、よろめきながら木に倒れかかった。
ズルズルと、木にもたれてその場に座り込む。
森が、しんと静まりかえった。

そして、その姿は次第に透き通り、木の中へと消え、あとには食料を入れた麻袋が地に倒れ、中から林檎が1個、コロコロ転がり出てきた。



麻袋から出て、林檎が1個転がって行く。
それを小さな手が拾い、その手に空から降ってきた水滴がぽつりと落ちた。

手の主は、ポツポツ雨が降り出した空を見上げ、袋を拾って重そうに背負う。
雨は、何故かその小さな身体を濡らすこと無く、表面でシュンシュンと蒸発するように消える。
拾った林檎をキュッと洋服でふいて、一口で芯までばりばりかじって食べてしまった。

「ふん、人間の食い物は口に合わん」

不服そうにつぶやき、つややかな黒髪をかき上げて顔を上げる。
服装も、そしてその顔も声も、先ほどの少年そのものだ。
先ほど同じ姿の少年が消えた木をいちべつして、プイと顔をそらした。
そして雨の中、雨具も使わず濡れない不思議な少年は、主の魔導師が待つ小屋へと、ゆっくり歩き出した。

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