桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

ダーク・ホーリーシリーズ

すべて短編です。
ホーリーは、北の黒い森の魔女の息子。
はたして彼は、魔物か人間か?
>>ダーク・ホーリー
>>ダーク・ホーリー 2
>>ダーク・ホーリー 雪夜の晩餐
>>ダーク・ホーリー 黄金色の星空
>>ダーク・ホーリー 黒い森の館
>>NEW! ダークホーリー 誓いの指輪
初期作品(初期設定)
>>呪いという名の想い(イラスト付き)
*拍手ボタン設置しました、押して頂くとはげみになります。
お礼に掌編掲載しています。
掌編は、現在連載中の赤い髪のリリス関係となっています。

ダーク・ホーリー 黄金の星空

雨が降らず困っている村で、パン屋の少女がホーリーに託す一つの願い。
教会から派遣された白の魔道師の雨乞いは、果たして成功するのか。
ホーリーが黄金の夜空に舞う。

その年の夏、その北の地方一帯は雨が降らなかった。
すでに土はひび割れ、畑の大半が茶色く枯れた草木でおおわれ、順調に大きく育った作物もしなび果ててその面影もない。
空は北国とは思えないような、憎々しいほどの青空が広がり強い日差しがじりじりと照りつけ、少しの水分さえも存在を許さぬように蒸発させてむしり取って行く。
村人は残った少ない畑に一縷の望みを繋ぎ、遠く井戸から水をくみ上げ、重いその水を入れた桶を肩に何度も往復しては丁寧に水をかけていた。
村人が、疲れ果てた顔を上げる。
額に浮かぶ汗を拭き、憎らしい青空を見上げガクリと肩を落とす。
この重労働に、収入を断たれ貧しい暮らしの中のただ蓄えを切り崩すだけの生活。
どの家も厳しい暮らしに身体をこわす人も出て、ギリギリの精神状態を何とか平静に保つのが精一杯だ。
誰もみな幽鬼のような顔で、空になった桶を肩にまた井戸へと戻る。
この畑の井戸は村の共同の井戸。
その井戸も干ばつのせいか、それともくみ出す量の増加に追いつかないのか、最近は水位が下がり不安に拍車をかけていた。
ザワザワ……ザワザザザ………
一陣の風が吹き、小道を覆うように並ぶ木立がざわめく。
「きゃっ!」
下を歩く小さな少女が、抱えた小さなカゴを落とさないよう、大事に抱え込んだ。
「おやマリー、久しぶりだねえ。これから教会かい?」
木陰で涼む近所の老女が、溜息をついて顔を上げた。
「ええ、今日は偉い方が教会に来るそうだから、一番に焼けたパンを供えに行くの。早く雨を降らせて下さいってお願いしなきゃ。」
「そうだねえ、これじゃあパンを買うお金もないよ。」
マリーは今年十才。柔らかな薄い茶色の髪は、家で焼くパンの焼き目のようで自分でも気に入っている。
マリーの家は、村で一軒の小さなパン屋。
農業と兼業だが、麦はこの干ばつの被害が少なかったので幸いした。しかし、パンが売れなくては商売にならない。
「へえ、領主様が召し上がるような白いパンじゃないか。」
老女が、目を見開き覗き込む。白いパンは小麦で作った高級なパン。滅多に庶民の口に入る物ではない。
マリーの家でも、領主に納める分だけを焼いている。通常一般の人々が口にするのは大麦でできた黒いパンだ。
「おばあちゃん、またパンを買いに来てね。」
「ああ、生きていたらね。最近はうすい粥ばかりで力が出ないよ。」
ぺこりと頭を下げ、マリーが先を急ぐ。
「前はとっても優しい笑い顔のおばあちゃんだったのに。」
最近は、こうして供え物を運ぶのも少し恐い。
みんな食べ物に困っているから、恐い顔で見られていると緊張する。
早くみんなが笑顔になるといいのに。
バサバサッ!
突然大きな羽音がして、フワリと近くの枝に大きな黒い鳥が留まった。
「まあ!大きな鳥!カラスじゃないわよね。綺麗な鳥ね、あなたはなんて言う鳥?」
マリーが足を止め、怖々と鳥を覗き込む。
その鳥はスラリとした姿態をして日の光に黒い羽根を虹色に輝かせ、小さくクルルッと可愛い声で鳴いている。
首をかしげて頭を下げる様子に、マリーはキャッと笑いキョロキョロ辺りを見回した。
「可愛い!ねえ、ほんの少しならいいわよね、教会の偉い方。」
カゴのパンを少しつまみ、そうっと鳥に差し出す。
鳥はそのパンを手からくちばしでついばみ、いきなり大きな翼を広げて飛び立った。
「わあっ鳥さん、また会おうね!」
上空で礼を言うようにくるりと回る黒い鳥にマリーが手を振る。
やがて無事に教会に着き神父さんにパンを渡してお祈りを済ませると、マリーはホッと息をついた。
「神父様、神様は雨を降らせてくれるんでしょうか?」
「マリー、これは試練なんだよ。神様は、ちゃんとご覧になっている。もうすぐ雨をお降らせになるだろう。
それに今日は高位の白魔道師様がおいでになるからね。教会のツテで、何とかお願いして来ていただくことになったんだ。大丈夫、きっと降るよ。」
神父が不安そうな顔を引き締め、マリーに笑う。
「魔道師様?ですか?」
「ああ、とても高名な方で、大変な力の持ち主だと聞いている。もうすぐお着きになる頃だよ。お出迎えしなければね。」
「ふうん……」
それはきっと、凄いことなのだろう。
気が付くと、外には村長達もワイワイと集まってきている。
マリーも外に出て、村長達と城下の方向から来る馬車を待った。
日の照りつける中、やがて貴族が乗るような立派な馬車が教会の前に到着する。
どんな方かと期待に胸を膨らませる村の人々の前に、馬車から降り立ったのは杖を手に白いマントを羽織った中年の女性だった。
「まあ、皆さんお出迎えありがとうございます。教会より依頼を受けて参りました、ファルナと申します。」
「これはこれは、お疲れでしょう、どうぞこちらへ。」
案内して教会の中で話しを始める。
村の窮状に快く引き受けたファルナは、しかし村人に砂金でもいいからと金を準備するように言った。
それは水を呼ぶのに金が必要だというのだ。
しかし貧しい村に金などあるはずもない。
「何か、変わりになる物では駄目なのでしょうか?」
「変わり……ねえ。錬金術にも日数を要しますし、それなりに材料が必要です。金を使うのが最も確実で早いのですよ。」
ザワザワと村人は顔を見合わせ、では領主様に相談しようと言うことになった。
「で、どのくらい必要なのでしょうか?」
「それは雨を降らせるとなったら、多ければ多いほどに……」
「そ、そうですか。」
村長の声が、かすかに震えた。
くすくす、くすくす
小さく笑い声が聞こえる。
それはどこからなのか、皆でまわりを見回すが姿が見えない。
はて、子供の声のようだけど。
子供と言えば、側にはマリーが1人いるだけだ。
「輝ける太陽も、過ぎれば疎ましきもの。
太陽神も衣さえつけず、青きしとねにたわむれて時を忘れていると見える。
なんと忘れっぽいことよ。
ホホ……」
見れば祭壇の上に、マリーと同じ年頃らしき少年が1人。
黒い髪に黒い瞳、黒い衣を着た闇のような姿。
しかし緩やかなウェーブのかかった肩までの髪から覗く顔は、少年らしく愛らしい整った中に気品さえも感じる美しい顔だった。
細やかなフリルが飾られたブラウスとフィットしたショートパンツから伸びるスラリとした白い手足は、透き通って色香さえ感じる。
十字架にちょんと腰をかけ、キリストの顔にもたれかかって黒いショートブーツの先でコンコンと祭壇をつつく。
そして備えてあったグラスのワインを手にくんと香りをかぎ、小さな舌でペロリとなめた。
「な、なんという神を冒涜する行為。そこを降りなさい!」
神父が驚いて祭壇に駆け寄る。
しかし少年は動じる様子も見せず、空中にフワリと立って片足を引き、手を胸に一つ頭を下げた。
「私は北の森の魔女の息子ホーリー、どうぞお見知りおきを。」
「魔女の息子?北の?そう言えば、そんな噂も……」
その噂があるのはここよりずっと北の森。しかし実在しているのかさえ見当も付かない。
「そう、ちょうど通りかかったも縁であろう。お前達の願い、一つ聞いて差し上げよう。」
「金か?この村に金など無い。」
村長の言葉に、ホーリーが身を震わせる。
「金?おお、その言葉さえ恐ろしい。黄金に輝く金のまぶしき事よ、その輝きには愚かな羽虫が群がり、美しき心さえ汚して行く。」
その言葉に、ファルナがムッとした顔で彼の前に出た。
「なにを言う!では何が望みか?!恐れを知らぬ悪魔よ!我こそは白の魔道師ファルナぞ!」
威嚇するかのように、手の杖をホーリーにむける。ホーリーはしかしクスクスと笑い、宙に浮いたままくるりと回った。
「これはこれは、天にも名だたる魔道師様。
魔女の息子が望む物は……そうさな、焼きたてのかぐわしき香り立つ、黄金色のパンとしよう。」
「パンだと?ホホ!ホホホ!それで雨を呼ぶなど笑止!悪魔が望むのは人の魂に決まっている!ここから去るがいい!」
ホーリーが後ろに手を組み、覗き込むように村人を見る。
「ほう、去っても良いのか?村人よ。」
「う……うーむ……」
迷う村人の態度に、ファルナが慌てた。
「村長、そんなことでどうするのです!相手は悪魔なのですよ!弱みにつけ込んで来るのが悪魔の常套手段。」
しかしホーリーは、楽しそうにそれを見て笑う。確かに不気味な少年だが、上品な仕草と涼やかな笑い声で気味の悪さは感じなかった。
「ホホ、わからぬ魔道師殿よ。ホーリーは魔女の息子。代価を求めるも求めぬも相手次第。今は少女の運んでいたパンのかぐわしさに惹かれ、ここへ立ち寄ったのみ。村人よ、私の気まぐれも長くは続かぬぞ。」
パンで雨を降らせるという悪魔のような少年と、金がなければ駄目だという教会の魔道師。
迷いながら村人は、雨さえ降らせてくれればどちらでもいい気がしてくる。
が、少年に頼むのも不安が大きい。
あまりにも話がうますぎる。
しかし、そこでマリーが小さくささやいた。
「村長さん、村の為になるのなら、お父さんは喜んで大事にパンを焼くよ。」
「マリー」
悪魔なのか?それとも本当に願いを聞く魔法使いなのか?
息を飲む村人の前で、白の魔道師がホーリーを睨め付ける。
こうなっては引き下がれない。
「では……ホーリーとやら、本当に貴方が天をも動かす魔法使いというのなら証しを見せなさい。」
「証し?ホホ!では何を望む?嵐を呼んで村を吹き飛ばそうか?それとも大水を呼んで全てを洗い流そうか?」
「それは困る!」驚いて村長が飛び出す。
「何と言うことを!やはりあなたは悪魔ですね!そんな恐ろしいことを軽々しく口にするなど、村長、信じてはなりません。」
ファルナの押しの強さとホーリーの極端な物言いに、村人がザワザワと相談を始める。
しかしなかなか結果のでない様子にホーリーは飽きたのかフッと息をつき、一つ目を閉じた。
「くだらぬ。」
少年が羽ばたくように大きく手を広げる。
するとその姿が一瞬で黒い鳥に変わった。
「あっ!あの鳥さん!」
声を上げるマリーの横を、かすむように飛んでその鳥は、ドアを壊すことなく突き抜けて去ってしまった。
結局ホーリーはその日、日が暮れても姿を見せることもなく、村人は領主に借金してファルナの元に砂金を用意することになった。
それはたいそう重い負担になるが仕方がない。
皆ファルナに一縷の望みを託し、この村の危機を乗り越えることだけを信じているのだ。
最適な日時をファルナが占って雨乞いの儀式は翌日行うことになり、その日は村長の家でできるだけのことをして大切にもてなした。
夜も更けたその夜、パン屋の2階の窓がそうっと開き、眠そうな顔のマリーが顔を出した。
「よいしょ。」
キョロキョロ辺りを見回し、慣れた様子で窓を出て軒を歩く。
空を見上げれば、満天に星が瞬き大きな三日月が隙間から覗いているように輝いている。
「鳥さん……」
何故かあの黒い鳥が、魔法使いの息子がそこにいるような気がして、マリーはもう一度会いたくて部屋を抜け出した。
パン屋の朝は早い為に、家人は皆寝静まっている。そうっと壁づたいにそって行き、もっと高い所に上らねばと、2階の屋根へ暗く足下の見えにくい中を這い上がっていった。
「鳥さん、鳥さん、黒い鳥さん!」
両手を上げて、ささやくように声を上げる。
何と言ったかな?あの子の名前。
そう、確か。
「ホーリー!魔法使いの息子のホーリー!」
しかし、呼んでも呼んでも返事があるわけもなく、しばらくしてマリーがその場に座り込む。
「ホーリー……」
彼はすでに、この町を去ったのだろうか。
教会を出る彼は、怒った様子だった。
でも……
「お星様、ホーリーを呼んできて。お願いがあるの。」
あきらめきれず、しばらくそこで星に話しかける。
立ち上がって思わず少し足を滑らせ、急に恐くなってマリーはとうとうすすり泣いた。
気が付けば、登りはした物の足下が暗くて降りるのが恐い。
「ああ、どうしよう恐いよう。お母さん、お父さん。うう……ひいっく。お母さん……
ホーリーの、バカ!」
ザザザ……「きゃっ」
一陣の風が吹き、バッとマリーの夜着が舞う。
「私を馬鹿と言うたはお前が初めてぞ。ホホ、なんと面白き夜。」
ハッとマリーが顔を上げた。
涙で潤む目をゴシゴシ拭いて、三日月を背に浮かぶ少年の美しい姿にポウッと見とれた。
「ホーリー?ほんとに?本当にホーリーだね?!」
明るい顔で、マリーが手を差し伸べる。
闇に溶けそうな少年の姿は、目の前まで降りてくるとマリーの顔を覗き込んで笑い、くるりと舞った。
「なんと愛らしき少女よ。その可憐な手に摘みし黄金色のパンは、まこと美味であった。マリーよ、私はお前の願いを叶えに来たのだ。」
パッと明るい顔で、マリーが微笑む。
そして願うように手を組み、ホーリーを見上げた。
「マリーの願いはね、マリーのお願いは……」
「マリーよ、ホーリーの願いも叶えてくれるか?」
「なあに?」
「ホーリーはパンを一つ欲している。お前の愛する父親と共に焼いた、心のこもったパンを。」
「うん、もちろんだよ!マリーは明日、お父さんとパンを焼くから。上等の白いパンを。」
「そうか。マリーよ、ホーリーは黒いパンでも一向にかまわぬ。お前の焼くパンならば、きっとどんなパンも暖かく、母上のごとき香りのするかぐわしきパンであろう。」
「うん!じゃあマリーのお願いも聞いてね。」
「承知した。」
「じゃあ、指切り!」
マリーが突然差し出した、小指を立てた小さな手にホーリーが目を丸くして微笑む。
身を乗り出し、そして小指を絡めると柔らかな少女の指の感触が心地いい。
「約束だよ、ホーリー。」
「これこそ至上の喜び。ホーリーはマリーの微笑みの為ならば、幾億の兵士とも戦って見せようぞ。愛する小さな暖かい命よ。」
キョトンとマリーが首をかしげて笑う。
ホーリーの話す言葉は、難しすぎてちっともわからない。
「さあ、しとねへ戻り心地よい夢に浸るがよい。ホーリーは明日を楽しみにしているぞ。」
ホーリーが両手を広げ彼女を包み込むようにすると、マリーの身体がふわりと舞って優しくベッドの中へ導かれる。
彼女はそのまま夢見心地で、スウッと眠りに入った。
そっと開いた窓を外から閉じて、ホーリーが空高く舞い上がる。
「ああ……このまま天に召されたい心地ぞ。」
我が身を抱きしめうっとりした表情に、風が彼の身体を包み込み漆黒の髪が巻き上がる。
柔らかな手の感触を思い出し、そっと手に頬ずりした。
……雨は……雨は……
風に乗ってその耳に、村人や魔道師の声がかすかに響く。
彼はチラと村の一軒の家に目をやり、闇に溶けるように消えていった。
村長の家の一室で、ファルナが白いローブを脱ぎ、軽装で椅子にかけ髪をとかす。
彼女は教会から村長の家に招かれ、そこで村人数人と食事を共にして歓迎された。
村長が食糧不足の中、懸命にもてなしてくれたのはわかるが、街中から来たファルナには何とも貧しい食事だった。
余程修行中の方がマシだ。
これも干ばつのせいだろうと思えば、自分に科せられた期待の重さがどうにも胸に重い。
なのに、どう見ても悪魔のような少年と、来た早々天秤にかけられて腹立たしかった。
「一体何?あの悪魔。パンで雨が降らせられるなど、できるわけがない。それに何?魔術をわかっていない村人の態度!
金は必要だから要求しているのよ。
あの子、馬鹿馬鹿しい、きっと下級の魔物だわ。まがまがしさなど感じないほどの小物よ。」
腹立たしさに、ダンッとクシを置き大きく溜息をついて立ち上がる。
舞い起きた風にロウソクの炎が揺らめき、ふと窓を向いた。
そこにはロウソクに照らされた自分の顔が写っている。
しかしその背後に、ゆらりと白い顔が逆さに写り込みニイッと笑った。
「ひっ」
ファルナがとっさに杖を取り、バッと振り向く。
「ククックック……」
教会で会った悪魔のような少年が、天井のはりに逆さまに立っている。
「ヒッ……」
息を飲んで気を取り直し、ファルナは距離を取った。
「無礼な、女性の部屋に深夜何用です。」
気丈な言葉にキュッとホーリーが笑い、逆さまのまま片足を引いて胸に手を当てお辞儀する。
「これはこれは天にも名高き魔道師殿。無礼は千も承知。しかし今宵美しい夜に似合わぬ、醜き言葉が我が耳を汚したのだ。」
「何をわからないことを。出てお行き、悪魔!」
「やれやれ、覚えの悪い方よ。我が名はホーリー、北の魔女の息子。そなたの言う悪魔とは少々異なる者。しかし相手により、その代弁者ともなろう。」
「もうよい、そのホーリーが何をしに来たのです。」
澄ました少年の物言いに、ファルナはますます腹立たしくダンと杖で床を鳴らす。
しかし何故か、その音はこもったような音を返し、彼女はこの部屋が閉じた空間であることに気が付いた。
一体いつの間に術を使ったのか、やはり少年は悪魔で自分を殺しに来たのかと身を固くする。
その様子にクスリと少年が笑い、軽くステップを踏んで天井から床へと舞い降りた。
腕を組み、そして左手の人差し指を立てて唇をなぞる。薄く笑うその様子に、ファルナはゾッと足が震えた。
「私に、何用です?」
「降雨の儀式、何故受けた。お前にその技量はない。」
まともに言われ、ファルナがビクンと顔を上げる。
確かに彼女には、全く自信がない。
以前一度成功した時は、ほとんど手応えがないにもかかわらず、偶然雨が降ったのだ。
天気など、神が決めるもの。
適当に雨乞いをして、気休めの言葉をかけることしか浮かばなかった。
「無礼な、私は過去に成功したことがある。だからこそこうして教会の依頼に応じたのです。
失敗もあるかもしれませんが、それは時の運。魔術に必ずという言葉はないのです。しかしこの干ばつに、かけてみる価値はあるでしょう。」
「お前は村人の歓迎を受け、この窮地をその身に知ったのか?お前はこの貧しい村に金を用意せよと言った。」
「あなたも魔法使いの息子なら、金は水を呼ぶことわりに従って、魔術を行うのが確実性があることくらい知っているでしょう。
水の精霊を呼ぶにも金があるのが一番なのです。」
「金と言わず、供物を捧げる方法もあろう。
金を要求するは、おのれの力量不足の表れでしかない。
魔術で人々を苦しめるは、お前達白の魔道師のことわりにも反するはず。」
「誰が苦しめるですって?!」
「結果的に苦しむなら同じこと。血肉さえ捧げようとする村人の気持ちに対して、この儀式に命さえ捧げようという気がお前には感じぬ。」
「うるさい!消えなさい!」
杖を掲げ、小さな子供の姿のホーリーに打ち下ろそうと構える。
しかしホーリーはかまわず彼女に近づき、ニッと笑った。
「雨は降らぬ。」
「降る!私が降らせてみせる!」
「雨は降らぬ。」
「降る!」
ブンッととうとう杖を振り下ろす。
しかしその杖はホーリーの身体を突き抜け、ダンッと床を鳴らした。
ホホホ……
少年特有の高い声で笑い、くるりと舞って壁に下がって行く。
そしてゆっくりとまた一礼すると、その身が半分壁に吸い込まれた。
「ではごきげんよう魔道師殿、明日が楽しみな事よ。すがるような人々の目を一身に受けながら、神々しき日の光を浴びて燃え尽きるがよい。」
漆黒の少年が壁に消える。
ファルナは杖を握りしめたまま、呆然とその場に立ちつくした。
「何者?……あの、少年。生きているのに、実体はあるのに、何故杖が突き抜ける?異様な……」
北の魔女の息子?
北の……グラナダ?まさか……
彼女は、確か息子と共に死んだはず。
翌日日も傾いた頃、雲一つ無い空の下、教会横の高台に祭壇を備えファルナの雨乞いが始まった。
準備された金は、砂金がほんのひとつまみ。
困窮する村人は今度の地代も払う見通しが立たないだけに、地主は当てにもならない雨乞いに使う金など、工面してくれようもなかった。
あまりの少なさにファルナは眉をひそめたが、代わりに大切な食料であるブタを一頭、供物として捧げることにしたのだ。
ほとんどの村人がそこに集まり、彼女の後ろに傅き見守る。
朝から準備していた祭壇には火が焚かれ、白いローブに身を包んだファルナがその火に向かって杖を掲げ、呪文を延々と唱えた。
ホーリーに雨は降ると告げた手前、意地もあって気持ちがいつになく集中する。
皿に取った聖水に手を入れ、パッと火に散らす。
その行為に答えるように、火が細く高く燃え上がり村人が感嘆の声を上げた。
風が吹き、火が大きく揺らぐ。
雨が降るかもしれない。
人々の心に、淡い期待があふれはじめていた。
その儀式の光景を、遠く遥か上空で腕を組み、ホーリーはジッと見下ろしていた。
この一帯に、確かにファルナの気が満ちるのを感じる。
彼女は全身全霊をかけて魔術に向かっていた。
「降るか降らぬかは神のみぞ知る。しかし、本気を見せぬと村人は納得せぬであろう。白の魔道師よ、おぬしの覚悟を見せて貰うぞ。」
クスッと微笑み、桜色の唇をぺろりとなめる。
空に満ちた気を乱さぬよう、息を潜めて見上げた。
徐々に風が吹き、空には雲が流れ、生まれ出でる。
ふと日も落ちて暗くなって行く空を仰ぎ、ホーリーはその漆黒の瞳をまた赤く輝く炎にむけた。
ファルナが砂金を取り、高く天に掲げる。
「聖なる慈愛の天の御使いよ!我が声を聞きここに奇跡を起こしたまえ!天よりまします恵みの水にて地に生きる者は育まれん。」
パッと砂金を火にくべる。
金が火を受け赤く輝きながら、風に空高く舞い上がって行く。
そしてもう一度、聖水を供物に散らしそして残りを火にくべた。
「水の精霊ウンディーネ、聖なる水より出で願いを叶えよ!
天より恵みの水を与えたまえ!我が名は白の魔道師ファルナ!我が願い聞き届けよ!」
ぽつんぽつんと空に雲が湧き、そして人々から期待の声が漏れる。
誰もが言葉を発することを忘れ、請い願いながらじっと空を見つめた。
その中に、父親に連れられてきたマリーがパンの入ったカゴを大事に抱えて様子を見守る。
ホーリー、ホーリー、約束を
パンはここにあるよ、お父さんと焼いたおいしいパンが。
ヒョオオオォォォ
風が強く吹き、そして暗い空に黒い雲が流れて行く。
集まり始めた雲が、次々と流れて行った。
「駄目か?」
思わず人々の口から、言葉が漏れた。
集中するファルナの耳にも、その言葉が届く。
ホーリーの顔が浮かび、更に力を振るった。
おのれ、あの悪魔。
おのれ
ファルナの精神力が、キリキリと音を立てるように杖を介して空へ放たれる。
心臓がギュッと掴まれるような苦しさに耐え、呪文を唱え続けた。
額には汗が流れ、青く血管が浮き出て頭が破裂しそうに痛い。
限界を超えながら、黒い雲をキッとにらみ据えた。
降れ!降れ!雨よ!
あ め よ!
ポツン、
ポツンポツン、
ひとしずくの雨が、村人の頬を濡らす。
「雨だ!」
信じられない、驚愕の声が叫び声となった。
パタ、パタパタ、
パタパタパタパタ……
サアアアア………………
サラサラと霧のように小さな雨が降る。
大きなどよめきのあと、人々から歓声が上がった。
降った。雨が、降った。
ほおっとファルナの顔が緩む。
降った、降ったわ。
雨が。
ギュウッと心臓が、収縮したような苦しさを覚え、あまりの痛みに胸を押さえて前のめりになる。
しかし、突然フッとその痛みが軽くなり、その眼前、ホーリーが炎の上に姿を現した。
「ああ、あなたね?ほらご覧なさい。雨は降ったわ。」
「ホホ……まことお主は、天にも覚え高き白の魔道師ファルナ殿。」
「まあ、ようやく私の名を呼びましたね。ホーリー殿。」
ニッコリ、2人が微笑みあう。
そしてホーリーが、スッと指で空を差した。
「よくぞ重き使命を果たした。ファルナよ、美しき星々がそこに。さあ、ことわりを捨て、全てから解き放たれよ。」
「ああ……ホーリー、私は良くやったでしょう?」
「人々の願いを心に聞き、その全てを捧げた慈悲深き淑女ファルナよ。その美しき名はこのホーリーの胸に、そして人々の胸に永久に刻まれることであろう。
さあ行くがよい。遙かな時を経て、ホーリーとまたまみえようぞ。」
ファルナがホッとしたか息をつき、うなずいて空を仰いだ。
その身は光となり、天へと羽ばたいて行く。
「魔導師様!」
ガックリと地に伏せたファルナに、人々が慌てて駆け寄り神父が彼女の手を取った。
すでに事切れた彼女に、ハッとした顔で首を振る。
「魔導師様が……亡くなられた。」
愕然と、人々が手を合わせる。
その時、ポツポツと降っていた雨が勢いを更に弱めた。
「ああ!雨が止んでしまう!命をかけて魔導師様が降らせた雨が!」
「もう駄目だ!」
かなめを失い、失望と絶望が胸に広がる。
祭壇の炎も勢いを無くし、徐々に消えていった。そして、最後のひとしずく。
「雨が……やんだ。」
全てをかけて、行った雨乞いは無駄に終わった。
今の弱い雨では、地面を濡らすことも叶わない。
全てが終わった。
光を失い悲嘆に暮れる大人達に、マリーがギュッとカゴを抱きしめる。
そして中からパンを取りだし、空高く掲げた。
「ホーリー!ホーリー!約束だよ!
マリーの願いを叶えて!パンはここにあるよ!」
宙に青い輝きが一つ、ポッと生まれ、そしてそれは黒衣の美しい少年の姿へ変わった。
「ホーリー!約束を!マリーは……マリーは!」
マリーの元に黒衣の少年が舞い降りる。
そして彼女の小さな手からパンを受け取ると、大切に両手で包み香ばしい香りをかいで頬に当てた。
「なんとかぐわしく暖かい、清き乙女の心が満ちた生きる糧。黄金色のパンは、黄金にも勝る物。
マリーよ、汝の願い聞き届けた。」
マリーが手を合わせ、彼に歩み寄る。
「ホーリー、マリーの願いは……」
一つうなずき、ホーリーが手の中のパンを空へと放った。
黄金色のパンは輝きを増してやがて黄金となり、空いっぱいに四散する。
「我聞き届けたり、マリーの願いは村人の笑顔なり!」
一気に、上空へとホーリーが飛んだ。
「ホーリーーー!!」
マリーの声が金の舞い散る空に響き、ホーリーの瞳がほの青く輝く。
漆黒の髪を風に巻き上げ、その指を逆十字に切った。
「我が名を聞け、偉大なる地獄の伯爵よ。大地の枯渇に震える愚かなる者達に、その力を知らしめたまえ。
地獄の伯爵フールフール、その大いなる力のほんのひとしずく、我が名の下に分け与えよ。
我が名はホーリー、北の魔女の息子。」
ゴゴゴゴゴ………
突然、地響きのような音が空いっぱいに鳴り響く。
その身体中に響くような音に、村人が思わず悲鳴を上げ空を見上げた。
「な、なんだ?!」
ビョオオッ!!
突風が吹き荒れ、目を突き刺すほどのまぶしい光が空を引き裂き、ズシンと雷が地に落ちる。
やがて雷鳴と共に、空に舞い散る金が集まり、稲妻となって走った。
恐怖におびえ、村人達は慌てて教会へと避難する。
間もなくポツポツ降り出した雨が、次第に本降りとなって地面を潤した。
教会の屋根から雨だれが流れ、そしてザアザアと降る雨に何故か村人の目に涙がこぼれる。
マリーは父の顔を見上げ、不安そうに聞いた。
「お父さん、どうして泣いているの?ホーリーは約束を守らなかったのかしら。」
「いいや」
優しい娘の頭を撫で、父親がひざまずいて彼女の身体を抱きしめた。
「みんな嬉しいから泣いているんだよ。嬉しすぎると、笑顔じゃなくて涙が出るんだ。
これでやっと……これでやっと作物は生き返る。ああ、神よ感謝します。」
ザアザアと雨が降り続け、その夜人々はようやく家に帰ると安堵の中で眠りにつくことができた。
雨音を子守歌に豊かな収穫を迎える夢を見て。
そして翌朝、村はさわやかな朝を迎えた。
雨に恵まれた草木は鮮やかな緑色に輝き、そして作物もようやく元気を取り戻していく。
村人達の顔には笑顔が戻り、教会ではファルナの葬儀のあと彼女のために、碑が建てられることとなった。
そして数日後……
マリーが歌を歌いながら、スキップを踏んで教会へパンをお供えに向かう。
バサバサッ!
大きな羽音を立て、かたわらの木にあの黒い鳥が留まった。
「あっ」
マリーが駆け寄り、その鳥を微笑みながら見上げる。
「ホーリー?ホーリーでしょう?お願いを聞いてくれてありがとう。」
マリーがスカートをつまみ、片足を引いて丁寧にお辞儀する。そしてカゴのパンをひとつまみ、鳥に差し出した。
鳥はパッと飛び立ち、そして大きく旋回してマリーの手から、パンをついばんで飛んで行く。
マリーは小走りで散り落ちた黒い羽根を拾い、そして鳥の姿に手を振った。
「ホーリー!ありがとう!」
黒く美しい鳥は、答えるように上空を一回りする。やがて白い雲からこぼれる光を目指し、天高く舞い上がりそして消えていった。