1、リリス

 「あー!遅くなった!どうしよう、始業式早々遅刻なんてハジ!」
タタタタッ!と、近くにある中学の、制服姿の女の子が小さなバック片手に走っている。
休み気分が抜けないで、目覚ましを止めてまた寝てしまった自分が腹立たしい。
あと数分で校門が閉まってしまう。
閉まった後の恥ずかしさったら、全校生徒の笑い者なのだ。
懸命に走っても、自宅から学校へは、最近出来た公園を回り込まなくてはならない。
これがどうも煩わしいのだが、彼女の通る道側はフェンスに遮られ、中を通り抜けることが出来ない。
「駄目!もう!えーい!パンツ見たい奴には大売り出しだい!」
ガシャンッ!ガチャ、ガチャ、ガチャ、
とうとうフェンスに飛びつき、革靴を金網に引っかけながら短い制服をヒラヒラさせてよじ登り、乗り越えると下まで降りない内にポーンと飛び降りた。
ザザッ!
「着地成功!十点!なんて言ってる場合じゃ・・あれ?」
走りはじめた彼女の足下に、何かが光った。
それどころじゃないのだが、やっぱり光り物には弱い。
サッと拾ってみると、切れた金のチェーンの付いた親指ほどの大きさをした真珠のような輝きの石だ。
「おお、値打ち物かな?もーらい!」
ポケットに入れかけたとき、何か視線を感じて顔を上げた。
樹上に純白の鳥が留まって、こちらをじっと窺っている。
「わ!綺麗な鳥!鳩じゃないわねえ・・サギみたいにスリムだし、何の鳥だろう・・?
あっ!それどころじゃない!」
慌てて石をポケットに放り込み、学校へ向かって走り出す。
鳥はその姿をじっと見送り、そして見えなくなるとまた飛び立った。
風のように・・・
そしてハラリと落ちてきた羽根は、一陣の風を巻き起こして何処かへと消え去っていった。
 春のほんのり暖かな風が音を立てて吹き、辺りを美しい桜色に染める桜の木がざわめく。
宅地開発で緑をほとんど失ってしまった郊外では、美しい桜が見られるのも学校だけとなってしまった。
しかし、住宅の増加で学校にも、生徒が増えて活気が出たのは喜ばしいことに違いない。
新学期を迎えて、久しぶりに騒がしさを取り戻したこの中学校でも、元気な生徒総出で掃除が始まっていた。
 ザザーッ・・ザッ・・
と、校門近くをホウキ片手に掃いているらしいが、実は全然手は動かず口だけ動いている2年生が二人。
遠くで先生が睨んでいるのを横目に、まったく気にするわけもなく、しゃべり続けている。
「ねー、ヨーコ!聞いてよ!
吉井ったらマジむかつく!あいつさ、あたしと映画見ようって約束してたのに!
あたしすっぽかして、誰と見てたと思う?!」
「あー、知ってる。河原でしょ?
あたしが行こうって言ったら、吉井ともう見たってさっ!あいつら、マジホモじゃない?
馬鹿にしてるう!」
「もう、絶対誘ってやんない!
あーあ、他にいい男いないかなあ・・
白馬に乗った王子とまで行かなくてもさ、ジャニ系のかわゆい奴!」
「んー、美少年ってそういないよねえ・・」
と、まあ、男の敵のようなこの二人。
仲良し二人組のアイとヨーコだ。
金髪に近いバサバサ茶髪がヨーコ。
彼女はすらりとした長身で、モデル体型がアイには羨望の的だ。
よく似合うセーラー服の白いタイが風に揺れて、清々しさを一層引き立てる。
一方アイも校則にちょっぴり反抗して、ショートカットの髪もほんの少し色を抜いている。
ピアスの穴も開けようとしたけど、これはさすがに怖くて止めた。
身長普通、体重ちょっと多め。
二人はいつも一緒だ。
この学校は、小学校からエレベーター式に高校までという、私立の中学なのだ。
親の見栄もあるだろうが、この私立の学校は特に制服が無茶可愛い。
男子は紺系のブルーを織り込んだバーバリーチェックのジャケット。そして女子のセーラにもその生地のピンクバージョンがラインに使ってあり、普通のセーラーとはまったくイメージを変えている。
 「まったくさ、暇だ暇だと思っていたら、毎日今度は勉強じゃん、何か人生ピリッと来るものないかしらねえ・・あーあ・・」
ヨーコが大きな溜息をつく。
「ちょっとー!あたし達の幸せな人生には、美少年が必要なのよー!神様あ!」
アイが青空に向かって、ホウキを振り回した。
「ん?そうだ。」
「何?」
アイが思い出したようにポケットを探り出す。
「これ、これのせいで今朝遅刻したんよ。
朝からさあ、近道で通る公園でね、拾ったんだ。綺麗じゃん。」
アイが取りだしたのは、宝石にしては大きいキラキラ光る、ホワイトパールの楕円の石だ。ペンダントらしいが、細い金の鎖が途中で切れている。
「綺麗だねえ!ほら、日にかざすと虹色に光るよ。パールとは違うねえ。」
見るからに不思議な輝きの石だ。
それに感触も、まるでゴムがコーティングされているような感じでもある。
「綺麗だね、ガラスかな?まさか宝石じゃないよね。何かさ、ガラスみたいなのに表面がポヨポヨ少し柔らかいよ。」
「うん、案外安っぽいおもちゃかもね。」
「こらっ!お前達、真面目に掃除せんか!」
怒鳴られて振り向くと、作業着姿の用務員の爺さんが立っている。
白い頭にシワシワの爺様が、どうして定年もなくこの学校の用務員なのかと、この学校七不思議の一つにもなっていた。
「はーい、はいはい、そーじしてまーす!」
「掃除しとらんから言ってるんだろうが!
まったく近頃の若いもんは!」
ぶつぶつ言いながら立ち去ってゆく。
「ちぇっ!さっさとくたばれ!爺!」
アイは舌打ちながらちょっと腹立たしそうに石を制服のポケットに放り込み、気を取り直して再び掃除を始めた。
 退屈な始業式も終わり、日が高くなってお腹が寂しい。
始業式も昼前には終わったが、まだまだ帰るには早い時間だ。
昼ご飯もかねて、二人は近くのショッピングセンターに立ち寄ることにした。
最近は郊外に大きな店が出てきて、ぶらぶらするのにもってこいだ。
食事前に上階のウインドーショッピングを楽しむと、嫌なことも吹き飛んでいい気分だ。
これで金があれば最高だが。
世の中は厳しい。
「またショールでも編もうかな?春先は丁度いいんだよねえ。」
ヨーコが手芸の店の前に来ると、ウインドーを覗き込みながらぼやいた。
店先には、モチーフ編みのカラフルなマフラーや春物のセーターがぶら下がっている。
アイは溜息をつきながらヒョイと肩をあげた。
「いいわねえ、ヨーコは器用だからいいわよ。
あたしなんかさ、あんなチマチマした作業には向かないのよねえ。
ヨーコは美人の上に取り柄が多くてさあ、羨ましいわあ。」
「何言ってンの!あんたはあんたなりに可愛いじゃん。あたしはふっくら健康的で、明るいアイが好きよ。」
キラッキラッキラッ!
アイの瞳が輝く。
「好きっ?マジ?ほんと?アイもヨーコが一番好きっ!」
ポンと飛びつき、ギュウッと抱きしめた。
「おおっ!見ろよ!レズコンビがまた抱き合ってるぞ!」
「アイ、ヨーコ大好きー!チュッチュッ!
ヨーコもー!ブチュッ!ぎゃははは!!」
この聞き慣れた声は、同じクラスの男友達だ。
本人達は知らないが、女子の中では人気ある。二人共ほんの少し茶髪なだけで、結構真面目。口は悪いが黙っていれば、アイドルの佳作と言ったところだ。
「何だ、河原と吉井か。
そっちこそホモコンビじゃん!やあねえ、男はチンポでしか物考えないんだから。」
「だぁー!相変わらず下品な女!やだねえー。」
「フン!あたし等、あんた達とは口聞かないことにしてんの。あっち行ってよ!しっしっ!」
追い払われて、吉井がムッとする。
「何だよ!まだ映画のこと根に持ってるわけ?
しつっこい女!バーガー一個、おごったろーかなーなんて思ったのにさ!」
「えっ!マジ?!」
アイの目がキラキラ輝いている。
呆れてヨーコが項垂れた。
「あんた、今時バーガーなんて百円もしない物につられて・・ああ、情けない・・」
「いいじゃん、いいじゃん!
男二人、寂しい食事にお情けで、美女二人花添えてやろうじゃん!」
「誰が美女って?」
「ホッホッホッ!」
アイはすっかりバーガーモードに突入。
ヨーコも確かにお腹はすいたし、映画の件もそれほど怒ってなかったし、まあいいかと四人連れだって階下へと下りていった。
 ガツガツ、次々に男共は四つ五つとハンバーガーを胃に収めてゆく。
凄い食欲、まるでカバみたい。
アイが深い溜息をついてストローをくわえた。
チューチュー、これだけは安心して飲める。
ただただ苦いだけのウーロン茶。
「ウーちゃん、あたしの友達はお前だけよ。」
「あれ?やっぱそれも飲み過ぎれば太るンと違う?きっとブクブク浮腫むんだぜ。
ぶよぶよーってさ!」
「ホーッホッホ!これは中国四千年がちゃんと痩せるって保証してんのよ。いいの!」
吉井はまことに一言多い。
などと、四人が和気あいあい?と盛り上がっている頃、その姿を見つけて優しく微笑み、やや足早に近づいてくる姿があった。
河原が、ン?と気が付いて、思わずじっと観察にはいる。
何だ、ありゃあ・・
周りの男女、老いも若きも思わず目を取られている。
みんなあんぐりと口を開け、ただただ見とれて時間を忘れてしまっていた。
何故かというとその人物は、映画から抜け出てきたような美少年だったのだ。
年はアイ達と同じ頃?
中学にしては小柄だが、大人びた雰囲気は小学生ではおかしい。
白い肌は彫りが深く、まるで芸術のように端正な顔だ。
ウエーブのかかった燃えるような赤い髪を肩まで伸ばし、それが金ボタンが並ぶ純白のロングコートに血のように映える。
コートは前のボタンをウエストまで留めて、その合わせがヒラリと別れ、中には白い短パンからすらりと伸びた白い足がちらちらと見えて、やけに色っぽい。
「見ろよ、あれってビジュアル系パンクのボーカルあたり?」
「え?なに?なに?きゃあーっ!美少年じゃん!カメラないの?カメラ!カメラ付き携帯!」
「ねえよ、俺等誰も持ってねえ。」
「きゃーん!ステキじゃん!
あれって王子様系?あんな人が彼氏だったら、あたしもう好きなだけ貢いじゃう!」
「何貢ぐ?親に食わせて貰ってるクセによ。」
「どうせ貢ぐなら俺に貢いでよ。」
何だか男二人は面白くない。
「あれこそほんとの美少年って奴?
こっち来るよアイ、ねえ声かけてみようか?」
「ね、見て!目が赤とグレー!色違いだよ!コンタクトかな?カッコイイーッ!
もしかして外人じゃん!
河原!あんた英語の点数いいでしょ!
こっち来ませんかってなんて言うの?!」
「えっ!俺わかんねえよ!
げ、マジこっち来るぞ!誰か知り合い?」
「知らないわよっ!でもお知り合いになりたーいっ!」
「ほんと!あんないい男とお近づきになりたーい!って、ねえ!マジこっち来る!あ、あ、」
ニヤニヤでもなく、にこにこでもない、上品な微笑みを浮かべて、その少年が優雅な足取りで四人の前に来ると立ち止まった。
あれ程おしゃべりの四人も、いざ面と向かうと口をあんぐり言葉を忘れてしまう。
え、英語だっ!英語!
何か英語の挨拶くらい・・何だったっけ?!頭が真っ白、何も思い浮かばずアイ達はその場に凍り付いてしまった。
「失礼いたします、お嬢様方。」
一礼をして、美少年がアイに話しかけてくる。
「ハ、ハロー!グッモーニン!あははは!」
「バカ!アイってば日本語だよ!
こんにちは、アイの知り合いですか?」
ヨーコは少し冷静。
「知り合い・・かな?
実はお願いがございまして・・・あ!」
びくんと美少年が振り返る。
「申し訳ございません!こちらへ!」
「ええ?!」
ガッとアイの手を握るや、グイッと引いて出口へとかけ出した。
「あ!ちょ!ちょ!ちょとお!ヨーコ!」
「アイッ!美少年!待ちなさいよ!
待って!ほら!吉井、河原!何してんのよ!」
「お、おう。あ!カバン!」
「俺、まだ全部食べてねえよう!」
何が何やら一瞬の出来事で呆気にとられてしまった。
慌ててみんなでアイ達を追う。
しかし、昼時でショッピングセンターも人が多い。その人ゴミを、美少年はスルスルと滑るように避けてゆく。
「わっと!すいません!おっとお!ごめんよ!」
「きゃあ!ちょっと!走らないで!」
「すいません!すいません!」
後を追う三人は、人にぶつかりながらようやく追うのが精一杯で、なかなか二人に追いつかない。
「見失ったらアウトよ!もしかしたら誘拐かも!冗談じゃないわよう!」
「もしかじゃねえ!誘拐だっつうの!」
「警察呼ぶ?!」
「それより見失わないようにするのが先決だろ!警察はその後!」
だっと玄関を飛び出し、駐車場を駆け抜ける。
そして車の少ない駐車場の角まで来ると、いきなり美少年は立ち止まり、くるりと振り向き追ってくる三人の方へ、空いている手を真っ直ぐに差し出した。
「風の翼よ!剣となれ!ガルド!」
ゴオオオオオオオッ!!
いきなり強い突風が竜巻となって三人を襲う!
「きゃああ!」「わあっ!」「げっ!」
「ぐおおおおおっ!!」
風を切る音と共に、ひときわ重厚感のある悲鳴が三人の背中から聞こえる。
「え?」
恐る恐る振り向くと、長い布包みを持った金髪の大男が、風にもまれて体中を切り裂かれている。
「ひええええっ!」
三人は、アワアワと二人の間から車の陰へ避難してへたり込んだ。
美少年はどうやらこの大男から逃げていたようだ。自分たちなどアウトオブ眼中、つまりどうでもいいらしい。
「うおおお!」
バンッ!男が気合いを入れて筋肉の塊のような手で風を薙払う。
「おのれ、こわっぱ!
手加減しておれば、いい気になりおって!」
「手加減などと、うぬぼれたお言葉!
異界人に危害を与えるは禁訓でございます!
何故もう一時待てませぬのか?!」
「何を言う!お前が巻き込んだのだ。」
大男は、手に持っていた長い布包みを解いて、中から何と大きな剣を取りだした。
シュッと剣を抜き、カランと鞘を放ると正面に構える。
「禁を犯されますか?モルド様!
鞘を放るは、すでに負けをお認めか?!」
美少年もアイを後ろ手に庇うと、コートの中の剣に手をかける。
しかし美少年が剣を抜かないのを見ると、大男モルドはニヤリと笑った。
「異界人など、口をふさげば済む事。
禁だ禁訓だと主等のように甘い事を言っておると、下らぬ事で命を落とすぞ。今、これからのようにな。石を、渡せ。」
ずいっとモルドが美少年ににじり寄る。
不利に思われる美少年は、しかし、にっこりと微笑んだ。
「道を外れるは容易い事。しかし、それではあまりにも人としてつまらぬと思いませぬか?」
「分かった風なことを!」
モルドがカッとして剣を振り上げた。
「きゃっ!」アイが小さく悲鳴を上げ、美少年にしがみつく。
ビュン!モルドは渾身の力を込め、大きなその剣を美少年に向けて振り下ろした。
「風の翼よ、楯となれ!ビルド!」
ブオウッ!
美少年の周りを風が取り巻き、男の剣が風に乗って遮られる。少年の赤い髪は風にあおられ、まるで炎のように舞い上がった。
ビュンッ!ビュンッ!
「うおおおおお!!」
モルドがムキになって剣を操り、風を切る。
しかし、少年はほんの少しそれを避けるだけで、風が剣の動きを遮ってしまう。
「たとえ剣豪で知られるあなた様でも無駄でございましょう。
モルド様、あなたは私を甘いと申されました。
でも、私も命を賭けております。甘さは捨てねばなりません!お許しを!」
キラリと少年の瞳が冷たく輝き、優雅に片手をスラリと上げる。
その手を振り下ろそうとした刹那、アイがいきなり抱きついてきた。
「駄目え!駄目よ!殺しちゃ駄目!」
「アイッ!」
思わずヨーコが立ち上がる。
美少年がハッと揺らいだとき、隙を逃さずモルドが斬りつけてきた。
「あっ!」
「死ねっ!」
ビュンッ!アイと美少年にモルドの剣先が唸りをあげて迫る。
死ぬうっ!アイはギュッと目を閉じた。
ガキィーン!
「な、なに?」
鼓膜が破れそうな甲高い音に目を上げると、寸前で剣が止まっている。
いつの間に現れたのか、黒髪の大男がやはり大きな剣でその剣を横から受けていたのだ。
ボサボサの黒髪、浅黒い肌に無精髭を生やし、目つきが鋭い。
瞳は茶色いが、東洋人より彫りが深く、結構ハンサムな外人に見える。
30才位に見えるが身体もがっしりと、筋肉が隆々としてまるでプロレスラーのようだ。
しかし、彼のファッションはどうも現代にそぐわない。まるで中世の映画の中から飛び出してきたような、黒いシャツとズボンの上に見事な装飾を施した甲冑をつけているのだ。胸当てにはまるで家紋のように、獅子が吠えている。
腰には長短の剣を二本携え、背には左肩から斜めに大きな革袋を背負っていた。
「おのれ、ザレル!邪魔をするか!」
ギリギリギリと、モルドが押される。
ザレルは表情一つ変えず静かに美少年を振り返ると、軽く会釈した。
「任せよ。彼の方が待っている。」
「わかりました。」
彼の方って誰?ここはどこー?
へなへな体中から力が抜けて、アイの頭が真っ白になる。
「さ、しばしお付き合い下さい。」
にっこり微笑む美少年は、天上に光り輝く天使なのか?嫌なことから回避するように、アイはうっとり手を合わせた。
「はい、どこまでも。」
ああー、なんか幸せー!駆け落ちみたい!
再び美少年がアイの手を取り走り出す。
「ひいーん!待ってよう!あんた達、ほら!」
ヨーコも、あんぐり口を開けて座っている男共の手を掴み、馬車馬のような気分で懸命に引いて走り出した。
 ハアハアハアハア・・・・
手を引いて歩く、美少年の息が乱れてる。
気が付くと、彼の手は何て荒れているのだろう。何だか生活の匂いがする。
それにしても、このまま歩けばとんぼ返りの学校だ。
あれからしばらく走った後、無言でとぼとぼ歩いているが、美少年の様子が変わってきた。
眉をひそめ、時々口を押さえて、顔色も白く、酷い汗だ。
アイは少し心配になって、そっと声をかけた。
「ね、大丈夫?気分が悪いなら少し休も。
ね?・・・え・・と・・美少年さん?」
美少年がハッと顔を上げ、アイに微笑む。
先程と違って、今の美少年には余裕が見られない。どうしたことだろう?
「すいません、あなたにはご迷惑をおかけしました。ここならいいでしょう。
あなたが拾われた石を、どうぞ返していただけますか?」
あっ!この石・・
スカートの上から触っても、石がゴロンと触れる。
でも・・・
でもここで渡すと、ここまでになっちゃう。
もう少し、この綺麗な赤い髪の美少年とお付き合いしたーいっ!
「あたし・・」
美少年が怠そうに手を差し出す。
「どうか、これ以上ご迷惑は・・」
しかし、アイはキッと顔を上げて首を横に振ってしまった。
「駄目、駄目よ。本当にあなたの物か、はっきりした証拠見せてくれなきゃ。
あたしこう言うこと、中途半端大嫌い!」
「しかし、証拠と仰られても・・
お願いします、私は怪しい者ではありません。」
思い切り困った顔も綺麗!
んー!やっぱり返すの止めた!
「私、きちんと筋を通したいの。そう決めたの!」
プイッと顔を背けるアイに、美少年は差しだした手を下ろすと困って項垂れた。
無理矢理取り返すなど、盗賊のようなことは出来ない。彼女は石を、律儀に守ってくれているのだ。
「これ以上・・あなたに・・ご迷惑を・・・」
美少年の言葉が途切れ、足下が揺れる。
アイが振り返ったとき、美少年は胸を押さえてその場に崩れ落ちようとしていた。
「あっ!」
アイが慌てて手を差し出す。が、またしてもそれを遮るように、ぶっとい手が横から現れ彼の身体をヒョイとすくい上げた。
さっきの、あのザレルとか言った中世オタクの大男だ。
アイ達を殺そうとした、モルドはどうしたのだろうか?着衣に返り血など見えないから、上手くやり過ごしたのだろう。
大切に美少年を抱きかかえ、ギロリとアイを見下ろしている。
アイはビクビク怖々、押されたように数歩後ずさった。
「な、何よう。」
こ、怖いっ!こいつすっごい迫力!
「アイーッ!はあはあはあ!あーやっと追いついた!」
三人が、ようやく追いついてきた。
「おーい!無事かー?!」
「あれ?あの男!」
バタバタはあはあ、何だか鬱陶しい奴らだが、心細い今は神様にも見える。アイはホッと胸をなで下ろして駆け寄った。
「あーん良かったあ!こいつが睨み付けるのよう!怖いったらさあ!」
「エー!あらやだ、美少年は?あんたまた悪さしたんじゃないでしょうね?」
ギクッ!うーん、わざと石を返さないのは、やっぱり悪さにはいるのかなあ?
「そ、それはあー・・」
そこで逃げ腰ながら、吉井がザレルにずいっと迫った。
「おいっ!お前等こいつに何の用があるんだよ!いい加減にしろよ、俺はハンバーガー一個置いてきたんだ、食いそびれたんだぞ!
くそお!弁償しろよ!金返せ!」
「あ、そうだ、俺もアップルパイ食いそびれた。やっぱり好きな物から先に食うんだった!」
くうーっ!と、男達は何だかアイより食い物の恨みの方が強いらしい。
しかし、思い返すとこの男が下げている剣は本物だったのだ!人を殺せる本物!
皆がビクビク下がってゆく。
ザレルは無言でただギロリと睨み付けていたが、美少年の様子を見て、くるりと先に立って歩き出した。
「おいっ!無視するな!弁償!」
「ちょっと!どこ行くのよ!ねえ!」
ザレルは無言。無視。
アイ達はぴーぴーわめきながら、何だか結局ついてゆく羽目になってしまった。
 大男ザレルはやたら目立つ存在ではあるが、昼と言っても日の高いこの時間、車は多くても歩行者は少ないのが幸いした。
しかも長い脇差しが二本、これは銃刀法違反に違いない。
しかもこれまでのことから、何かファンタジーの香りがする。自分たちのことを異界人と言うからには、裏返せばきっと彼らは違う世界の人間なのだ。
「なあ、俺もう帰りたいなあ、なんちゃって。」「俺も。」
うんざり気味の吉井達が、そっと囁く。
彼らなりに危険そうだから、帰ろうと暗に言ったつもりなのだが・・
ギンッ!!「何いっ!」
アイとヨーコが憤怒の顔で振り向く。
ひいいっ!お前らの方が怖いっ!
「ウソです!ウソウソ!喜んでお付き合いさせていただきます!」
「よし、女の子だけ置いて帰ろう何て、いい度胸してるよ。ねー、ヨーコ。」
「まったくだよ、か弱い女の子を守ろうとか思わないのかね?うちの男は王子失格だよ!」
「はあああ・・・誰がか弱いんだよ・・」
吉井達が大きく溜息をつく。
あきらめよう・・
でも、確かにいきなり剣と魔法の世界なんて、ちょっと男の子の心をくすぐる。
好奇心がむくむくと沸いてきて、もっと秘密めいた何かを知りたくなってきたのはウソじゃない。
「なあ、河原。」
「うん、仕方ねえ、付き合えるところまでな。」
二人は腹をくくることにした。
 ザッとザレルの足が止まった。
そこは、見たことのあるというか、毎日通う彼らの学校だ。
「やっぱり学校じゃん。」
ザレルは校内にさっさと入ってゆく。
今の時間は、部活の学生と先生が数人残っているだけだと思うが・・
「どこにいくんだろ?」
シッとヨーコが指を立てる。
四人も、こそこそ後を追った。
ザレルはまるで勝手を知っているかのように、さっさと校舎の裏手に回り、そして周りを窺うと、さっと渡り廊下を横切って、用務員室へと入ってしまった。
「あ!入っちゃった!あそこは生徒立入禁止だよ。用務員の爺が住んでるんだろ?」
「うん、そうだと思うけど。」
「いいじゃん、行こうぜ。」
河原が先に立って用務員室を覗く。
引き戸を開けると、土間にザレルが美少年を抱いたまま突っ立っていた。
「何じゃ?まさかこいつら巻き込んだのか?」
用務員の爺だ。
苦虫を噛み潰したような顔で四人を見て、畳の上であぐらをかいたままお茶を飲んでいる。
「突っ立ってないで上がれ!ここに休ませるといい。それにしても、あいつらはどうするつもりだ?」
あいつ等とは、四人のことだ。
「入ろうぜ、失礼しまーす!」
「お邪魔します。」
四人とも土間に入り込んで引き戸を閉め、立ったまま様子を見ている。
「石を・・・持っている。」
ザレルが美少年を休ませながら、ぽつんと呟く。
「まだ取り戻しておらぬのか!」
不機嫌そうな声を上げ、いきなり台所からジュース片手に、やっぱり同い年くらいの男の子が現れた。
しかし、今度はちょっとはずれ。
アイががっくり項垂れる。
白い肌、趣味の悪いおかっぱだが金髪、それに青い瞳、小太りも許そう。
しかし、この目つきに口元から一目見るなりでわかる、意地悪くて我が侭そうな顔。
あかん、これが本当の王子様でもあたしパス!
その上何?この悪趣味なファッション。
びらびらフリルの絹のシャツに、金糸銀糸で豪華な鳥が細かく刺繍されたブルーのベスト。
そして淡いブルーでひらひらした絹のズボン。
あんた、異常に浮いてるよ!
チョー趣味悪いよ!
「あの異界人が持っておるのか?!
どうして取りもどさんのだ!」
何だか偉そうにザレルを怒鳴るが、ザレルは無視して美少年のコートを脱がせている。
白いコートの下も、よれよれの白いシャツに白い短パン。見事な白装束だが、スラリとした足先の靴だけは普通のショートブーツだ。
美しい眉をひそめて眠る美少年に、うっとりと目を奪われていると、ドスンドスンと足音を立てて、男の子がアイ達に迫ってきた。
「おい!お前達石を返せ!あれは神聖な物だ、お前などの持つ物ではない!
速やかに返せば、このまま見逃してやろうぞ。」
ムカーーッ!!
返せばって、何だか盗んだみたいじゃない!
ますます返す気が失せてきた!
「ちょっとあんた!どういうキョーイク受けてるわけ?!喋り方も知らないのかい!」
「お前などって、あんたそんなに偉いわけ?」
キイイイーッ!女性陣の怒りが爆発する。
たじたじと引きながら、男の子も負けなかった。
「何て無礼な女達だ。僕は王子だぞ!次期王位の第一継承者なんだ!偉いんだぞ!」
「へー!どこの?あんたが王様なんて、へそで笑っちゃうわね!大した国じゃあないわ。」
ペンペン、アイが腹を叩く。
その間にも、用務員の爺は美少年の身体を探り始めた。
「むうー、こちらに来て無理を重ねたな?
こちらの世界は力を倍必要とする。
浅はかな力の使い方は命に関わるぞ。
そのことは、十分知っているだろうに。」
爺がザレルを見る。ザレルは目を伏せ、そして自称王子を見上げた。
「命令には、逆らえない。」
その言葉に、王子がワナワナと目をむく。
「僕が悪いって言うのか?!僕は王子だぞ!
従者は僕の言うことを聞くのが仕事だろう!
大体体調を崩すなんて、この間に僕に何かあったら父上が許さないぞ!
大体どうして母上は・・」
「やかましい!!」
シーーン
爺の一声。さすがの自称王子も口を閉ざした。
「おい、お前達、花摘んで来い。」
お前達とは土間にボウッと立っている四人組のことだ。
「は?花?花なんか何で?」
「いいから!そこにあるザルいっぱい摘んでこい!いいな、花だぞ!さっさと行け!」
「は、はい!」
バタバタ、ザルを持って、四人は部屋を飛び出した。
 びっくりした!あの爺が凄い迫力!
「ああ、何か心臓に悪いことばっか有るよな。
あの爺何者?タダの用務員じゃないわけ?」
「良くわかんないけどさ、行こうよ。」
何しろ、花を集めなきゃ。
花というと、今は桜が腐るほど咲いている。
人目を避けて摘むなら、やっぱプールサイドの影だろうと目指した。
「なあ、あの爺さん、結局あいつ等の関係者なわけ?何か偉そうだったよな。」
「そうねえ、何か良くわかんないけどさ、王子様に怒鳴ったりして・・んー、あれが王子は許せないわあ!」
「従者と王子って見た目反対じゃん。
美少年の方が気品があるわあ。あの子が王子だったらファンタジーの世界よねー。」
アイもヨーコも何だか少し腑に落ちなかった。
 プールサイドの裏側は、あまり目立たないところに三本の桜がある。キョロキョロ様子を窺って、ブチブチ桜の花を摘んでゆく。
ブチブチ、ブチ、ブチブチブチ・・
花盗人とはいい気持ちしないが、やがて手の届くところの花を大体摘み終わると、ザルいっぱいになった。
「あ、ねえあんた達、どっちか上着を貸してよ。丸見えはやばいでしょ。」
「そっか、うん。」
河原が制服の上着を脱いで、花が山盛りのザルにバサッと覆い被せる。そして白いシャツ一枚で、寒そうに身を縮めた。
「よし、じゃあ吉井、持ってきて。」
「はいはい・・っと、何で俺が!」
「あら、河原は上着貸してくれたんよ。
じゃあ、持つのはあんたでしょ?」
「どうして男が持つんだよ!お前達が持てばいいだろ?」
「ま!か弱い女の子に持たせるつもり?」
「どこの誰がか弱いって?だあーっ!こんな時ばっかさあ!」
渋々折れて、吉井がザルを持ち、そそくさと用務員室を目指す。
ゴゴゴゴゴ・・ゴロゴロゴロ・・
何だかいきなり空に雷鳴が響き渡り、晴れ渡った空に暗く雲が立ちこめた。
「ん?」
「何だ?いきなり、雨かな?」
バサッバサッバサッ!!
足を速める四人の頭上に大きな鳥の羽音が響き渡る。
「あっ!あれ何?またファンタジーだよ!」
ヨーコの指さした方角から、大きな猛禽類っぽい鳥の背に乗った小さな男が、剣を片手に飛んでくる。
奇妙な鳥のかぶり物をして、気味が悪い。
まるでファンタジー映画をナマで見ているような錯覚に囚われた。
「に、逃げた方がいいんじゃねえの?」
「そうかなあ、悪者に見えていい奴とかさあ。」
バサッバサッバサッ!!
「オオ!確かに!石だ!石の気配がするぞ!
さすがはグレタ様!希代の魔道師よ!
そこのお前達!石を持っているな!渡せ!」
何を言っているのかさっぱり分からないが、どうやらこれだけははっきりした。
「あいつ、敵だ!悪者だよ!」
「逃げろ!」
わっとみんなが走り出す。
「無駄だ!無駄だ!地面を這う虫共よ!
ぬっ!白き衣!お前はリリスか?そうか!お前か!お前だな!リリス!」
バサッバサッバサッ!!
風を切って飛んで来る鳥から、走って逃げられる訳もない。あっという間に追いつかれた。
「え?あ!わあっ!」
一緒に走る河原の身体を、大きな鳥の足がガッと鷲掴みする。
河原はみんなが見ている前で、何も抵抗するすべもなく、ふわりと空中に浮き上がった。
「ああ!河原!」
「きゃあああ!!」
「誰かっ!助けてえ!」
「ワハハハ!能なしの従者共よ!石は貰った!
道を絶たれ、王子と共に途方にくれるがよい!
ハーハッハッハッハ・・・」
鳥男は河原を掴んだまま、風に乗って見る間に上空へと高度を上げる。
「河原あ!」
「ああああ・・違うのよう!あたしが持ってるんだってばあ!」
「あああ・・どうしよう・・」
呆然と見送るしかない三人の前から、結局彼らはあっという間に、雲間へと忽然と姿を消してしまった。

2、アトラーナへ

 「河原・・」
「ど、どうしよう・・」
立ちつくす三人だが、立っていても仕方がない。ハッと我に返るやいなや、用務員室へと猛然とダッシュした。
 ダダダダダダダダダダダダダ!!!!!
ガラッ!ドタドタ!バンッ!
「はあ、はあ、はあ、ちょっと!!爺さん!!」
「どうすればいいんだよ!!河原が!!」
「リリスって何よ!冗談じゃないわよ!あいつ無事なんでしょうね!」
三人とも、入って来るなり憤怒の形相。
しかし爺は無言で立ち上がると、吉井が持っていたザルに掛けてある上着をバサッとはぎ取り、ザルに手をかけ、中の花をバッと美少年の身体に撒きかけた。
はらはらと、桜の花が舞い降りる。
「大地の精よ、祝福あれ。」
爺が似合わない言葉を呟く。
キラキラキラ・・パアンッ!
すると桜の花はパアッと輝いて、吸い込まれるように美少年の身体へと溶け込んでいった。
意表をつかれて、相変わらず土間の三人は、口をぽかんと開けて立ちつくしている。
大男ザレルは、心配そうに美少年の顔を覗き込み、自称王子様は大きな欠伸をしてジュースを口に運んだ。
「・・・ん・・う・・」
ゆっくりと、美少年が赤い睫毛を揺らしながら目を開く。
赤とグレーの瞳が周りを見回し、数回瞬きをするとハッと我に返ったのか、大きく目を見開いて飛び起きた。
「王子!グァシュラ・・うっあっ!」
上半身がぐらりと揺れる。
ザレルが慌ててがしっと支えた。
「ようやく正気に戻ったか?
何故こうも無理をした、お前らしくない。」
爺が優しく美少年に尋ねる。
「それは・・・」美少年は俯いてそっと周りを見回し、ようやくアイ達に気が付いた。
「あ!あなたは!何故ここに?まさか・・」「そうよ!」ヨーコが、待ってましたと膝を付いて上がり込み、美少年に迫った。
「思いっ切り巻き込まれたの!
河原が、誰かと間違われてさらわれたのよ!」
「さらわれた?!誰?誰かとは?」
「え・・と、リリス?リリスって言ったわ!
もう!どうしてくれるのよ!あー!どうしたらいいの?!あいつ生きてるんでしょうね!」
美少年の顔がさっと青ざめる。
アイはこの少年を責める気はないので、キッと爺を睨み付けた。
「ちょっと爺さん!一体何がどうなってるのか聞かせてよ!何が何やら!どうして河原がさらわれなきゃなんないわけ?」
「そうだ、話聞かせろよ!あいつは、俺達の目の前で化け物にさらわれたんだ。
くそう!俺、何にも出来なかった!くそうっ!」
ブワッと吉井の目に涙が溢れ、声を押し殺して泣き出した。そうだ、あまりのショックで泣くことさえ忘れていた。
「吉井、あれはどうすることも出来ないよー。
ひっくひっく、ううっく・・」
アイが泣いて、ヨーコも涙が溢れる。
「うっうっ、ううっ、うああ・・ああーん!」
三人は、とうとう我慢できずにわんわん声を上げて泣き出した。
「ああ、うるさい!もう泣くな!わかった!
仕方ない、王子よ訳を話せ。こうなればすでに部外者とも言えまい。」
爺が嫌そうに耳をふさぐ。しかし自称王子は、更に嫌そうな顔で、プイッとそっぽを向いた。
「何で僕が話さなきゃならないんだ!
リリス!お前の修行不足がこの者達を巻き込んだのだ!お前が話せ!」
「えっ!リリスって・・・?」
やたら自称王子が責める美少年が、そっと顔を上げる。
「申し訳有りません、私がリリスと申します。」
「リリス?!リリスって、女の名前じゃ・・」
アイが漏らしてあっと口を押さえる。そうだ、吉井だって名前は遙と書いて、はるかなのだ。
しかし、自称王子は意地悪そうな顔で、皮肉たっぷりに笑った。
「あははは!そうだろう?魔女と同じ名前なんて、呪われた拾い子にはぴったりだ!
こんな真っ赤な髪に色違いの目、気味が悪くて生まれてすぐに捨てられたのさ!
こんな奴がどうして僕の従者なんかに・・」
ムカッ!ムカムカムカ!何?!こいつ!
「ちょっとあんた!!」
ドカドカドカドカドカッ!
アイがぽんぽん靴を脱ぎ捨て、ドカドカ上がり込んで自称王子に噛みついた。
「ちょっとあんた!あたしゃんな事まで聞いて無いっつうの!
人が傷つく事平気で言う、最低お馬鹿だね!
綺麗な髪じゃん!色違いの目なんて最高!
赤い髪なんてさ、今時金出してわざわざ染める奴、そこらにごろごろしてるわよ!」
「な、な、な、な、ぶ、無礼な・・」
王子は口をぱくぱく、目は白黒言葉が出ない。
「ぶーぶー言ってないで、彼に謝んなさいよ!
どっちが無礼よ、あんた全然口の利き方知らない最低男!そんなんじゃ、友達なんて出来ないよ!」
爺も目を丸くしている。
ヨーコや吉井は、そうだ!とばかりに頷いた。
「くすっ、」
誰かが声を殺して笑っている。
ムッとして振り向いたアイは、拍子抜けしてずっこけた。
「くっくっくっく、くすくすくす・・」
王子に酷いことを言われて、俯いてがっくりと肩を落としているとばかり思っていた、リリス自身が大笑いしていたのだ。
「あのお・・」
「あ、ああ、ごめんなさい。くすくす・・」
どうも、笑いが止まらないらしい。
しかしみんなが呆気にとられる中で、ただ一人面白くない奴が恥を掻かされカチンときた。
「リリス!石は取り戻せない上に、こんな無礼な女を連れてきて、お前なんか首だ!
僕はもっと上級の魔導師を呼ぶ!」
「おやおや、とうとう首になったか。」
爺まで笑っている。
リリスはようやく笑いを止めて、ツッと綺麗に正座すると、王子に向かって床まで頭を下げた。
「王子よ、どうか、ご無礼をお許し下さい。
このたびの事、リリスに全て非がございます。
この責は後に、きっと取らせていただきますゆえ、今はどうかお静まり下さい。
ここは私が話をいたしましょう。」
じっと、王子がリリスを見下ろす。
「ぬう・・いいか、僕は許した訳じゃないぞ!」
悪い気はしないのか、王子がようやく偉そうにドカッと腰を下ろした。
しかしアイには、どうして彼が土下座してまで頭を下げるのか、よく分からない。
本当に無礼を先に言ったのは、何度思い返してもこの自称王子なのだ。
「待ってよ!何でリリス君が謝るわけ?!
わっかんなーいっ!こっちが謝るべきでしょ!」
「ふんっ!わからんのか?僕は王子なのだ!
お前のような下々の者は、本来ひれ伏して当たり前だ!無礼はゆるさん!下がれ!」
どっちが無礼よ!
アイの顔がまた真っ赤に燃える。
しかしリリスが、彼女を優しく制した。
「どうぞ、お静まり下さいませ。」
「で、でも・・」
わ!長いまつげ!男の子なのに負ける!
リリスのアップに、アイがうっとり見とれる。
「失礼致しました、え・・と・・」
「あ、私アイです。そっちはヨーコ。で、これが吉井。」
「おいっ!誰がこれだよ!物じゃねえぞ!」
「お気遣いありがとうございます、アイ様。」
リリスの優しく、優雅な仕草は育ちが悪いように思えない。
少なくともこの王子とやらより、数段教育がしっかりしている。
あの駐車場での立ち回りから見ても、厳しい修行を乗り越えてきた人なんだ。
それに比べて、この王子は超甘えっ子!
自分では何も出来ないのに!チョー最低!
こういうのがさ、いい上司に恵まれなかったらって奴よねえ。
アイはリリスの気持ちを察して、フッと溜息が出た。
 ようやくみんながこの六畳ほどの狭い部屋の中に、リリスを中心として腰を落ち着けた。
リリスは、畳にきちんと正座して、まるでこれから茶でも点てるかのように背をピンと伸ばしている。
リンと美しく、緊張感の走る顔で爺に何やら許しを得ると、アイ達の顔を見ながら自分たちのことを簡潔に話し始めた。
「私たちはもう一つの、そう、こちらの本でたとえますと、この世界はこのページ、そして我らの世界はこのページと、言うなればこの世界と隣合わせの世界から参りました。」
「ふうん、何て所なの?」
「世界自体には名はございません。
が、この日本という国と同じように、我らの国はアトラーナ王国と申します。
このたびはこちらのキアナルーサ王子が十三才と、王の後継者として相応しいかを占う試練の年を迎えられたのです。」
「僕が第一王子なんだぞ、父上のあとを継ぐのは僕だ!僕以外に相応しい者がいるものか!
あのラーナブラッドを持つ限り、僕が次の王だと皆が認めているのだ。」
王子がつばを飛ばしながらリリスに噛みつく。
あの不思議な石はラーナブラッドという、彼らには本当に重要な宝石だったのだ。
しかし自信に満ちた王子に向かって、リリスは涼しい顔でこう言い放った。
「王子、この試練で四人のドラゴンに祝福を受け得なかった方は王にはなれませぬ。
これに前例があるのはご存じのはず。」
これはまたシビアな話し!
王子の顔は、赤くなったり青くなったり。
本当は彼も、厳しい試練であるのは分かっているのだ。つまりこれは、一つの受験みたいな物だろう。
リリスをどんなに怒鳴っても無駄だと分かったのか、今度はがっくり項垂れた。
「だからお前なんかが従者じゃ駄目なんだ。」
「王子、ご安心を。私に何か支障があれば、私はすぐに身を引きましょう。
出立の祝宴で、王と王妃が命賭けよと申されました。あの時誓った言葉に、嘘偽りなどありましょうか、どうぞご安心下さい。」
ああん!何かステキ!
アイ達は命を賭した主従関係なんて初めてみる。こんなバカでも王子だから仕方ないが、こんな美少年に傅かれるなんて、何だかちょっと羨ましいアイとヨーコだった。
「それで、何故石がお前の手を離れることになったのだ?王子を先にわしに預けたのは何か理由があるのだろう?」
爺が最も聞きたいことに話を誘う。
「はい、実は・・王子の叔父上様、ラグンベルク公がこの石を狙っておいでなのでございます。」
「ふむ、ラグンベルクか。あの田舎領地では飽き足りず、とうとう覇権を狙ってきたか。
・・あれの息子は出来がよいと聞く。
欲が出るのも仕方が無かろう。」
なるほど、どう見てもこの王子は出来が悪い。
「じゃあ、河原はどうなるの?」
「空が真っ暗になって、鳥に乗った変な男がいきなり現れたの。で、さらわれちゃった。」
「ああ・・はい、ラグンベルク公は多くの傭兵を雇っておいでだと聞きます。
河原様は、きっと鳥獣グルクを操るペルセスの兵士にさらわれたのでございましょう。
ペルセス族は色盲の者が多く、多少知能が低いのです。それで間違えたのかもしれません。」
アイがあっと口を押さえた。
みんなが黒っぽい服の中で、河原一人上着を脱いで白いシャツだった。
「ふむ、次元の空間を開けたか。
ラグンベルクの元には、確かグレタガーラがいたな。」
「でも、どうしていきなりここに来るんだ?」
「次元の空間に穴を開けるほどの術者であれば、向こう側から水鏡で我らの様子を見るなど容易いことです。」
「ゲッ!つまり丸見えって事?」
何だかゾッとする。向こうの世界はプライバシーも何もないのか?
神様みたいに覗かれてちゃどうしようもない。
落ち込む三人にリリスが気の毒そうに俯いた。
「私さえしっかりしていれば・・向こうの術者に隙を作ったのは私の責任です。」
「ううん、仕方ないよ。」
しかし話を聞くほどに、三人が溜息をつく。リリスを責めるどころか、気の毒になってきた。
当事者なのにのんびりしている王子と違って、同行する術者は何て忙しいことだろう。
神経をすり減らし、倍疲れるこちらの世界で禁を守って戦い、肝心の宝石をよこしまな考えの女子中学生に奪われたまま、主からは好き放題我が侭言われて、これで倒れないのがおかしいと思う。
「石を、落とされたのだ。」
いきなり今まで無言だったザレルが呟いた。
「落とした?どこに?!誰が持っていたのだ!」
爺が呆れて思わず怒鳴ってしまった。
「・・あの・・モルドに襲われたとき・・
恐らく、休んでいた公園に・・」
リリスらしくないはっきりしない言い方だ。
しかし石を落としたのが誰なのかははっきりしている。
皆が知らんぷりの王子に注目した。
「べ、別にいいじゃないか、一応モルドからは取り戻せたんだし!落としたのは不可抗力だ、仕方がないことなんだ。」
うそぶく王子を見て、なるほど、何故こうもリリスが消耗していたかがはっきりした。
「もう・・・言葉も出ぬわい。」
「ねえねえ、さっきから言ってるドラゴンって?大きな怪獣みたいな奴?」
ヨーコに訪ねられ、リリスが困ったように爺の顔を見る。
「いえ、我らの世界では、精霊の中でも最も力の強い精霊王の事を畏怖と尊敬を示してドラゴンとお呼びしています。
遙か昔には多くのドラゴンがいらっしゃいましたが、今では地水火風を統べる四人のドラゴンがいらっしゃいます。」
「へえ、減っちゃったんだ。」
「はい、それは・・」
「双子世界のこちら側の影響じゃ。
こちらの世界の自然破壊が異常に進んでいる。
最低限の我ら四人が残るだけで精一杯じゃ。
他に王と呼べるほど力の強い精霊は皆、双方の世界を保つために命を自然に返して散った。」
爺さんがフッと寂しそうに漏らした。
「何か・・あたし等が悪いみたい・・」
何だかアイ達はばつが悪い。
「ドラゴンは精霊として統べる力を自由に操ることが出来ます。
アトラーナは古くから精霊の国。
我が王はそのドラゴンマスターとなり、多大な権力を他国にも誇示することによって、こちらの世界での覇権争いを避けているのです。
それでアトラーナの王位継承者は十三才になると、ラーナブラッドと言う宝石に、それぞれのドラゴンから忠誠を約束する証の祝福を受ける旅に出るのです。」
ふうん・・何となく、三人が爺に目が行く。
「で?爺さん、ドラゴンと関係あんの?」
「わしはドラゴンの一人じゃ。」
「・・・・・」
しーん・・・
疑いの目。
「何じゃ、その目は?
用務員とは仮の姿、我こそは地を統べるドラゴン、グァシュラムドーンなり!」
「・・・・・・」
思いっ切り疑いの目。
この偉そうに胸を張る、くたびれた爺がドラゴン?精霊だあ?ただの用務員の爺さんがあ?
「じゃあ、何でこっちの世界にいるんだよ!
それが迷惑の大元だろ?」
「わしは地の主、空間使い、どこにいようとまったく関係ない。
この学園の理事とは古い知り合いなのだ。
まあ、何にも囚われん生活も良い物よ。」
「理事長とお?!ンで、こっちで遊んでんだ!
で、誓いってどうすんの?」
「そうだ!僕の宝石を返せ!グァシュラムよ、まずはお前から頼むぞ!」
アイが思わずポケットの中で石を握りしめる。
返した方がいいのだろうけど、こんなバカ王子に返したくない。
ドカドカ四つ足で、間違えてヨーコに迫る王子に、しかし爺は冷たい言葉を言い返した。
「お前さんには悪いが、忠誠など誓えぬな。
王としての自覚が足りぬ。修行不足だ。」
ガーーンッ!!
王子のアゴが、床まで落ちる。
それじゃ話が違うよ!一番楽なところからと、ここへ一番に来たのに!
何しろ、会いさえすれば祝福してもらえると、甘い甘ーい考えだったのだ。
「修行って・・僕はちゃんと勉強も、剣も、王としての修行をしてる!してるのに・・」
思いがけないことを言われ、ショックでダアッと王子の目から涙が溢れる。
「王子よ、お前は人としての勉強が足りぬ。
厳しい自然に洗われて、もう一度来るが良い。
水と火に会って来い。
あの二人が認めたならば、わしも認めよう。」
項垂れる王子が、ぶつぶつと呟く。
「やっぱり、お前のせいだ。リリスが宝石をすぐに取り返さないから!お前のせいだ!」
王子がいきなりリリスに飛びかかった。
「あっ!お許しを!」
「やめろ!」ザレルが王子を遮り、両手を掴んで自由を奪う。
そのあまりに見苦しい姿に、一喝しようと爺が息を吸った、そのとき・・
バッシイッ!!
王子に平手を打ったのは、怒りに震えるヨーコだった。
「この・・バカッ!!あんたのそんな考えが人間として未熟だって、言われなくてもわかんなさいよ!
リリス様に手を上げようとするなんて!
・・こいつぶっちらばったる!」
すでにヨーコの中ではリリス様になっている。燃えるその背中には、リリス様命の文字が見えるようだ。
「わあああ!!この女、僕を叩いたなあ!」
「何回でも叩いてやるわよ!このバカ王子!」
「ヨーコ、ちょっと・・落ち着いて。」
アイも吉井もあまりの迫力にタジタジだ。
彼女は今時四人姉弟の一番上。髪は金髪だが、忙しい親に代わり弟たちのしつけはビシバシやっている。
「んもう!こんなバカ王子に任せられないわ!
あたし河原の迎えに行く!リリス様に付いて行きます!」
「ヨーコ、ンな事言ったって・・」
「分かった、俺も行く!
あいつを無事に連れて帰らないと、俺、あいつの母ちゃんに顔向けできねえ!俺も行く!」
「ちょっと、そんなあ!じゃああたしも行くわよお!河原の上着脱がせたのあたしだもん!河原の迎えに行くわ。」
「冗談じゃない!何故お前達が来るのだ!
これは遊びではない!まして、身分の低いお前達が何故王子の私と・・・!」
ガーガーわめく王子の横で、ふうん、と爺が面白そうな顔でリリスを見る。
戸惑うリリスは無言で爺に諭され、微かに頷いた。
「なるほど、それは良い考えだのう。
リリスに王子のしつけまでは荷が重い。
思うことがはっきり言えるお前達は丁度良いかもな。毒をもって毒を制すじゃ。」
「誰が毒よ!まあいいわ。でも、家はどうする?親に言っても許しちゃくれないっしょ?
これじゃ、プチ家出で済みそうにないし。」
「それはわしに任せよ。お前達、髪の毛を何本か引き抜け。河原とやらはその上着でよい。」
何をするのか爺は髪と上着を受け取ると、土間にぽいっと放り出した。
「土塊よ、仮初めの命を宿し、鏡となれ。」
にゅうっと土が盛り上がって、見る間に人型を取る。やがてそれは、生き生きとしたアイ達四人の姿になった。
げえーっ!何だか気持ち悪い!
「はあー、良く似てるう!」
「これがお前達の留守を守る。安心して旅立つがよい。・・・と、その前に。
王子よ、その悪趣味な服を着替えて、この服に着替えるがよい。それは旅装束ではない。いくらかこれがましだ。」
そう言って爺が差し出すのは、この学校の体操服にジャージ上下だ。
「な、何だと?!どうしてそんな物を・・!
ドラゴンは綺麗な物が好きなんだろう?
それに僕はこれがお気に入りだし、何より王子としての身だしなみがあるのだ。
あっ!わああっ!何をする!無礼者!」
爺が人形達に一瞥すると、王子に一斉に飛びかかる。そして見る間に着替えさせてしまった。
「身だしなみも程々にせい、ドラゴンを見くびるな。我らが見るのはお前の精神世界だ。
まあしかし、わしにはお前達の未来など、とうに見えておるがな。」
「ええっ!」未来が見えている・・・
「それで・・もちろん僕は王座についているのだろう?」
自信なさそうに王子がそうっと聞いた。
「そう、思っているのか?」
ニッと笑う爺の顔が、何だか怖い・・
王子の顔がサアッと真っ青になり、これ以上はとても深く聞く事が出来なかった。
 「では、これで失礼いたします。」
ぶつぶつ呟く王子を連れて、リリスが爺に挨拶すると皆が立ち上がった。出発の準備を済ませて、靴を履いて土間へ降りる。
爺はアイ達に、リリスに迷惑を掛けないようにとリュックに生活必需品を詰め込み、持たせてくれた。
「申し訳ございませんが、こちらに門を開けてよろしいでしょうか?」
「いや、お前は力を温存するがいい。
わしが開けてやろう。」
爺がそう言って、スッと玄関のドアに手を伸ばす。
「とこしえに、まみえる事の無い表裏の世界よ。黒き瞳を開き、輝ける迷いの道を開け。
このグァシュラムドーンの名の下に。」
何の変哲もない木のドアが、まるで自動ドアのように音もなく開く。
しかしその向こうは、外ではなく瞳の中のように真っ暗だ。
「ありがとうございました、では・・」
「リリスよ、待て、こちらに来い。」
「あ、はい。ザレル、先に行ってください。
私は後ろを守ります。」
首を傾げながら、リリスが爺の前に出る。
爺はリリスの手を取り、ギュッと握りしめた。「お前には負担が増えたろうが、リリスよ。
お前もあの子達から学ぶことは沢山あるぞ。
心をもっと解き放て、お前は自由なのだ。」
自由・・私は自由のつもりだ。
リリスにはドラゴンが何を言っているのかよく分からない。しかし彼は、にっこり微笑み頷いた。
「どうぞ、ご心配なく。御師様からいただきましたこの力、自由に使いこなしてこの大役、見事果たして見せます。」
「そうか・・・分かった、行くがよい。」
「はいっ!」
リリスが振り向きもせずに瞳の暗闇へ入ってゆく。爺はそれを見送りながら、寂しそうに呟いた。
「リリスよ、お前が学ぶのは、お前がこれまで捨ててきた事ばかりなのだ。」
スウッと戸が閉まり、門が閉じる。
爺はくるりと部屋に上がると、王子の服を拾い上げ、ゴミ箱にぽいぽい放り込んだ。

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