3、ふもとの宿

 ゴオオオオオ・・・
薄暗闇に、蝋燭の火が風に揺らぎ、大きなカメにたたえた水の表面を揺らす。
ここは地下らしく、窓一つ無くただ灯りは数本の蝋燭のみだ。狭い部屋には大きな鏡と、そして猫足のテーブルに沢山の書物が重なっている。部屋の隅にある小さな十段ほどの階段の上に赤いカーテンが下がり、その向こうにドアがあった。
普通の人間なら息が詰まりそうだ。
バシャバシャ!!
大きく胸の開いた赤いドレスの女が、沢山の指輪をつけた手をカメの水につけ、腹立たしそうに中をかき混ぜた。
「ええい、腹立たしやリリス!
あのバカ王子だけならすぐに何とかなった物を、王め!よりによって風の息子を従者に選ぶとは!あれは決してあなどれん!」
ぎりぎりと歯を噛みしめるその女は、ラグンベルク公の手下の一人。魔導師グレタガーラ。
綺麗に結い上げた黒髪を振り乱し、緑の瞳を燃え上がらせる。
大きな木の杖を片手に、その手を動かすたびに沢山のブレスレットがシャラシャラと音を立てた。
派手な化粧に垂れ目は暗闇では見えにくいが、若作りをしても最近は、更年期が悩みのお年頃だ。
「グーレター様あ、ペルセスが連れてきた、このガキどうしましょうかあ?」
九つ程の金髪の少年が、猿ぐつわを噛まされ、麻袋から首だけ出した河原を引きずり、のんびり階段の上のカーテンから顔を出した。
「ううう・・んん・・んー!」
「あー、うるさい。これのどこがリリスじゃ?
まったくペルセスは当てに出来ぬ。」
シャランシャランと階段を上ると、くいっと河原の顎を上げて顔をじっくり眺める。
「んー、まあ見られる顔かしら?」
河原は、怖くて怖くてちびりそうだ。
お約束な魔女の館?
俺ってまさか、子豚ちゃんに変えられたりして・・ギャア!嫌だあ!
「そうねえ、これなら御館様のご機嫌取りにもいいかのう?女官に引き渡しておいで。」
「うんー、わかったー。うんしょ、うんしょ。」
ズルズルズル・・
引きずられながら、魔女の言葉を考える。
御館様って恐らくは爺だよな。
そのご機嫌取りって何だろう・・
暗い部屋を出て、庭に面した廊下を進む。かなり大きな屋敷だ。
手すりや壁にある装飾も、あちらこちらにぶら下がっているランプも、時代を感じさせアンティークっぽい。
まさかここ、お城かな?気絶してたからなあ。
兵士らしい男の手を借りて暗い階段を数階上がると、長い廊下を進み大広間に顔を出した。
そこには緻密な模様を織り込んだ、巨大な絨毯が広間全体に敷き詰めてある。
サヤサヤと外からのさわやかな風に、緞帳のようなカーテンが揺れた。
「ベーラドーラ様あ、グーレター様から御館様にいー貢ぎ物でございますう。」
み、貢ぎ物って・・おいっ!なんだそりゃ!
少年の声に答えるように、年輩の女官らしい女性が現れた。髪を綺麗に結い上げ、紺色のドレスに美しい純白のレースの胸飾りと襟がキリッとしている。
「グレタ?また何をしておられるのやら・・
ふうん、まあ良い年頃でしょう。
では、明日にでも夜伽に出しましょうか。
これ!だれかある!」
パンパン!女官が手を叩くと、すぐに屈強な男が二人現れた。
「これの身支度を。いつものように垢を落とし、香をたき詰め明日までに用意なさい。」
「承知いたしました。」
一礼して男の一人が、河原の入った麻袋をヒョイと担ぎ上げる。
よとぎ・・って何?
まさか、夜伽じゃないよな・・御館様って、女なのか?まさか・・
「ううー!ううー!もがーっ!」
じたじた、無駄でも暴れてみる。
しかし、男はびくともしない。
そしてもう一人の男が、信じられない言葉を吐いた。
「可哀想にな。でも大丈夫、御館様はお優しい男だ。可愛がって貰えよ。」
・・・・つうっと一筋汗が流れる。
「ぐもーっ!!!」
いやだああああああ!!!
何が大丈夫だ!!ホモは嫌だああああ!!
誰か助けてえええ!!
しかし河原の叫びは誰に届くわけもなく、虚しく館の奥へ奥へと消えていった。
 アトラーナは、大陸の内陸部にある小国だ。
周りを三つの大中の国に囲まれ、山と草原に恵まれたドラゴンの住む聖域とされる。
この国の王族は古くからドラゴンとのつながりが強く、地水火風を司るドラゴンを信仰の対象として、多くの神殿を抱えている。
神殿には多くの巡礼者が訪れ、村や町はそれを受け入れることで栄えて国民も王家も豊かに暮らしていた。
この国の王は、ドラゴンマスターなのだ。
 遙か昔、アトラーナでは一人の魔女がその強大な魔力を使ってこの国を荒らし、多くの人々が命を失った。
そしてその時、アトラーナ王は精霊王であるドラゴンを集めて力を借りることで、魔女を退治する事に成功して英雄となったのだ。
それからアトラーナ王は代々ドラゴンマスターとなり、ドラゴン達はそのままこの国の守り神になっている。
アトラーナ王は、王であると共にドラゴンさえも御するドラゴンマスターである。
それは力の証であって国民の誇りであり・・
そしてキアンのような王子の重荷でもあった。
 ヒュウウ・・
肌寒さの中に時々暖かな風が吹き、サヤサヤと木や草が葉擦れの音を奏でる。
この国にも四季があって、リリスによると今はやはり春らしい。双子世界と言っていただけあって、時間は向こうの世界とほぼ同じだ。
日中は暖かいが、日が沈むと肌寒さを感じる。すごしやすい気候で青々と広がる太陽の下、広大な草原が延々と続く先に見える山々も、鮮やかな緑に覆われ美しく輝いている。
 息も切らさずリリスがこの国の事を話してくれるのを聞きながら、一行はどうやら水のドラゴン、シールーンの元を目指しているらしい。
山に向かってひたすら歩き、すでにどのくらい過ぎたのだろうか?
こちらへ来たのは二時前、向こうの世界からの出口は深い森の中だった。
爺も気を利かせて、水のドラゴンに程々近い所へ出してくれたらしいが・・やっぱり遠い。
それからリリスの道案内で、森を抜け、草原を歩き、そして山を目指して歩いている。
吉井が言うところ、この世界も同じように太陽が動いているようだ。今は大体五時近くだろうか?今日はどこまで歩くつもりか、黙々と歩く大男のザレルはまだしも、華奢なリリスは見かけに寄らずタフなのだ。
カランカラン・・
遠くで羊に似た動物たちが草をはんでいる。
その頃にはど根性で歩いていたアイ達も、さすがに疲労の色が濃くなってきた。
「ねえ、どこまで歩くの?無茶疲れたよう!」「あたしも限界!近いって言ったのにウソ!
大体さ、川へ行くのに何で山を目指してんの?」
「痛い痛い!足痛ーいっ!」
だだっ子のように立ち止まったアイ達に、リリスが目の前にそびえる山を指した。
「ああ、申し訳有りません。あの山の向こうの谷間にある川の上流なんです。
一刻も早く河原様にお会いしたいとの事ですので、今日は山に入ってしまおうかと思って。
やはり無理な計画だったでしょうか?
女性の方に合わせることを忘れておりました。」
げえっ!
山の向こうの谷間の川って、一体どこー?!
リリスは、河原がさらわれたことに責任を感じているのか、王子を説得して水のドラゴンに会った後でラグンベルク邸に向かう事を約束してくれた。
会った後で、と言うのも地理的に見ての判断だ。リリスは良く旅をするらしく、王子よりもアトラーナの地理に詳しい。
王子より王子らしくて本当に頼りになるが、タフすぎるのが難点だ、付いていけない。
「まさかいきなり野宿ー?やだあ!」
アイ達はぐったりげんなりなのに、リリスとザレルは涼しい顔をしている。
まるで家の庭でも歩いているようだ。
「今日は初日でしょ?
歩くのは覚悟できてたけどさ、あたしら車社会の人間にはチョーきついわ。
悪いけど、今日は山の麓までになんない?」
「俺もきつー、こんな事ならもっと真面目にクラブやっとくんだったぜ。」
「ああ、あたしも足にマメが出来たみたい。
痛いよう。ヨーコ、助けてえ!」
「あたしだって、あんた助ける余裕なんか無いわよ!」
「そんなあー・・」
三人はすでに限界一歩前。
リリスもその様子ににっこり天使のように微笑みを返し、そして王子に訪ねた。
予定の変更に、頭の切り替えが早い人なのだ。
「申し訳有りません、王子。
私の計画に無理がございました。
本日はこの山の麓までにしとうございます。
よろしいでしょうか?」
しかしジャージ姿の王子は・・・
ひいひいはあ!ひいい!はああ!ふう!
何と、アイ達よりばてている。
ぐったり近くの石に座り込み、爺に背負わされた荷物をボンと地面に叩き付けた。
「こ・・こんな・・物・・はあ!はあ!
背負っていられるか!はあはあ!
僕は王子だぞ!くそう!
リリス!お前の荷物は軽そうじゃないか!」
睨まれて、きょとんとしているリリスも一つ、麻の袋を背負っている。
何が入っているのか、アイには重そうに見えるが、王子にとってはみんなの荷物が軽く見えるのだろう。
「リリス!僕の荷物もお前が持て!
大体僕に荷物を持たせようなんて、非常識じゃないか!僕は王子だぞ!」
足をバタバタさせる王子にみんなが呆れる。
「王子王子って、こいつマジで忍耐って言葉がないね。」
「まったくだよ、こんな奴の言うこといちいち聞かなくても・・あ、リリス様?」
「承知いたしました、荷物はリリスがお預かりいたします。
気が利きませんで、申し訳有りませんでした。」
何とリリスは王子の我が侭に怒るわけでもなく、うやうやしく一礼して荷物を拾い上げる。
「なんでー!!」
二人を見比べても、王子よりリリスの方が小柄で痩せている。自分より小さい奴に自分の分まで持たせるなんて!
「ちょっとあんた!みんな自分の荷物は自分で持ってるンよ!あんた王子でしょ?
自分が王子だって威張る前に自分を鍛えなよ!そんなアマちゃんだと、この先あんたの人生お先真っ暗だよ!
大体ねえ、みんなあんたに付き合ってるんだ!
先に立って歩くぐらいしたらどうだい!」
ヨーコがやっぱり我慢できずに怒鳴ってしまった。王子が言い返そうと、ガバッと立ち上がり睨み合う。
「何よう!文句有る?本当のことでしょ!」
「お前なんかに・・」
ポロッ・・
「え?」
王子の目から、ぽろぽろ涙がこぼれる。
「お前なんかに、わかるかよう!
僕はまだ子供なんだぞう!
王子なのに、どうしてこんな旅に・・こんな頼りない従者しか許されないで・・」
ぽろぽろ流れる涙を拭おうともせず、ぐずって泣き出してしまった。
何てガキだ!みんな同じ年なのに!
それにまだ歩き始めたばっかじゃん。
「村へ、泊まるか?」
ザレルがリリスから王子の荷物を受け取った。
「ザレル、すみませんが先に行って宿の手配を頼みます。王子は私がお連れしますので。」
ザレルは無言で頷き、山手に歩き出す。
リリスはハンカチを取りだし、王子の涙を拭くと彼の手を取った。
「さ、もう少しで村があります。
リリスと一緒に参りましょう。
私の事もお気に召さないかも知れませんが、いつ何時でも王子のお味方でございます。」
「優しいわあ、さすがリリス様。」
ヨーコうっとり。
「うっうっうっ・・うー、城に、帰りたい。」
じゅるじゅるじゅる、鼻をすすって見苦しいったら。王子のイメージ総崩れだわ。
幻滅する異界人の前を、二人手を繋いで肩を並べ、とぼとぼようやく歩き出す。
「お寂しいときには、お后様より賜れた指輪をご覧になさいませ。お美しくお優しいお母様がいらして、リリスは羨ましい限りでございます。」
優しく、静かに語りかけるリリスは、まるで王子のお兄さんのようだ。
王子も指輪をじっと見て、ごしごし涙を袖口でふき取り、ようやく泣きやんだ。
「ぐすっ!僕は泣いてないからな。寂しい訳じゃないんだ。勘違いするなよ!」
「はい、承知いたしております。」
「へへ、指輪いいだろう。金だぞ。
見ろ、王家の紋が掘ってある、値打ち物だ。
お前のような拾われっ子には、こんな指輪、一生手に入らないだろうな。
お前は僕の従者だからな、特別に見せてやる。」
キイイーッ!マジこいつ、口が悪い!
後ろでヨーコが拳骨を上げる。
「はい、本当に素晴らしいお品です。
私も御師様からこの立派な服と、この美しい指輪をいただきました。
もったいないことですが、大変嬉しゅうございました。私の宝物でございます。」
リリスの細く荒れた指に、細い銀の指輪が見える。彼の顔も、本当に嬉しそうにほころんでいた。
「へえ、銀か。その変な服はお前に全然似合ってないが、その指輪は小さいし安っぽくて、まあお前には似合いの物だ。
お前の師も良く気が利くではないか。
いいか?旅に出るときには、何か一つでも金か銀を持っていた方がいい。何かあったら金になるからな。そうだ、お前は教養がないから僕が色々教えてやろう。」
何だか今度は偉そう。
「はい、リリスもお話を聞きとうございます。
城の賢者のお話を教えてくださりませ。」
「よし、仕方ない。可哀想なお前の為だ、少しずつだぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
手を繋いだまま、王子はほんの少し元気が出たのか、それから偉そうに話し出した。
「さっきまで泣いてたくせにさ!何が似合わないよ、リリス様バッチリ格好いいじゃん。」
「まあさ、泣かれるのも困っちゃうし、多少威張ってる方がこいつらしいよ。」
「あいつ、大変だろうけど凄いな。」
あいつとはもち、リリスだ。
「うん」の合唱。
しかし・・王子じゃなくとも確かに辛い。
腰から下がパンパンに張って怠くてしょうがない。アイもびっこ引きながら何とか付いて行く。こうなったら根性だ。
我慢して王子のくだらない講義を聴きながら、山にどんどん近づいて、そして日が陰る頃、ようやく村の中に入っていった。
 リリスは、ここに来るのが初めてではないのだろう。王子の手を引き、すっすっと歩く。
村は小さい木造のとんがり屋根が何軒も軒を連ね、それぞれの家に開いた可愛らしい窓からはカーテンがヒラヒラと顔を覗かせる。
「何かさ、ハイジの世界みたいだねぇ。」
「うん。どんな所なんだろうね、外国旅行みたいでドキドキするよ。」
足が痛い怠いのきついのと、今まで文句を呟いていたのも忘れて、アイ達は目を輝かせてキョロキョロしている。
「お前等、ほんと幸せだな。羨ましいの。」
成り行きでこの世界に来た物の、何だかちょっぴり後悔している吉井だ。
村は旅人も多いのか家の数の割には人も多く、活気に溢れている。
「わあ、小さい村なのに人が多いんだ。」
「ええ、ここは水の神殿へ行く巡礼者が立ち寄るところですから。」
「へえ、水の神殿ねえ。」
どうやら空いていた宿屋は、一階が飲み屋兼食堂の騒がしい宿のようだ。
玄関先に、ザレルがまるで門番のように立っている。客達は怖々避けるように店へと飛び込んでいた。
ふと、宿の手前でリリスの足が止まる。
俯いてキョロキョロと、不安そうな姿がリリスらしくない。
「どしたの?何か心配事?」
「いえ・・」
髪を掻き上げ、そして王子ににっこり笑いかけた。
「少し、お見苦しいところをお見せするかもしれません。でも、王子はご心配いりません。
アイ様方も、どうぞ特別騒がれません様に。
これは仕方のないことなのです。
それと、これからはトラブルを避けるために、王子とお呼びするのを止めてキアン様とお呼びします。」
「ん、わかった・・」
不思議そうな顔で王子・・キアンが頷く。
アイ達も顔を見合わせ、リリスに頷いた。
 「ザレル、部屋は取れましたでしょうか?」
ザレルが無言で頷き、宿の中へ案内する。
皆で食堂に入ると一斉に注目を浴びて、ザワザワしていた店内が、スッと波が引くように静まりかえった。
「な、何?」
アイがヨーコの手をギュッと握る。
村人達の好奇の目、目、目。
この村に入った時から感じていた視線は、気のせいではなかったのだ。
しかしそれは、自分たちではなくリリスに向けられる物だと気が付いた。
「二階だ。」
ザレルが階段を上がり、リリスがそれに続く。
「ちょっと待ちな!」
宿の主人らしい男が、カウンターの向こうから大きな声で怒鳴った。
「あんた、その赤い髪の子だよ。あんたも泊まるのかい?ちょっと、困るんだがね。」
リリスが少し俯いて、王子の手を離すと先に行くように背中を押す。そしてカウンターへと歩いていった。
しかし背を押されても、何やら気になって先
に行く気などしない。宿の主人は、あからさまに嫌な顔をしている。みんな階段の上から、心配そうにリリスを見守った。
「あんた、その髪・・何だ目も色違いか、気味が悪いな。悪いがあんたのその姿は酷く縁起が悪い。出来れば泊まって欲しくないんだがね。」
「申し訳有りません。しかし、私は必ず行動を共にしないといけないのです。
今夜一晩、どうかお許し願えませんか?」
主人は眉をひそめて考えている。
にこにこ愛想良く微笑むリリスに、やがて主人も何とか頷いてくれた。
「わかった、でも割増料金貰うよ。
気味が悪いのに、仕方なく泊めてやるんだ。
いいね、食事も目立たん様に何かかぶり物して、その階段の影でしてくれ。
悪いが、訳はあんたにも分かっているだろう?
じゃあ、前金で貰うよ。」
「ありがとうございます。助かります。」
リリスは散々悪口を面と向かって言われても言い返さない。
何となく慣れている風でいて、アイ達は言い返してやりたい言葉を、ごくりと飲み干した。
 窓から見える山の向こうに、夕日が鮮やかな色で空を染めながら隠れてゆく。
一行も食事を済ませて部屋に入ってみると、部屋に差していた西日が、次第に暗く闇に溶け込み始めていた。
この世界には、まだ電気は普及していないらしい。別室のリリスが来て、ランプに灯りを入れてくれた。
「浴場は廊下の奥に、裏へ降りる階段がございます。暗いですからどうぞお気をつけて。」
「まさか温泉?!ラッキー!」
「はい、アトラーナは山に囲まれておりますから。冬は寒うございますが、良い湯に恵まれております。
でもきちんと戸締まりをしておいで下さいね。」
「はーい。わかりましたー!」
「では、失礼します。お休みなさいませ。」
「あ!待って!」
ヨーコがすかさず呼び止めた。
「ねえ、どうしてあんな酷いこと言われて言い返さないの?酷い差別だよ、向こうの世界じゃ許されないことだよ。」
鼻息の荒いヨーコの言葉を、リリスはいつものように微笑んだまま黙って聞いている。
そして開けかけたドアをまたパタンと閉めて、リリスはヨーコに話してくれた。
「アトラーナには遙か昔、人の力を越え、その力に驕った為に、この国周辺までも支配しようとした一人の女魔導師がおりました。
その魔導師はたいそう美しい女だったのですが残虐で、この周辺の国々では海は荒れ、空には竜巻、山は火を吐き、地面は始終地響きを鳴らして至る所が裂け、沢山の人が死んでしまったそうです。
そしてそれは、ドラゴンマスターであるアトラーナの王が、ドラゴン達を率いて戦いに臨み、女魔導師にうち勝つまで続きました。
だからこの国の人々は悪魔の化身、災いの元などの象徴としてその女魔導師リリサレーンの姿を描き、忌み嫌います。
そしてその魔女の姿が、燃えるような赤い髪、赤い瞳なのです。」
リリサレーン?名前まで似ているなんて。
「でも・・それって理不尽だよ。
リリス様には関係ないじゃん。」
ヨーコの声が潤んでいる。
「ご心配ありがとうございます。でも、私はこのような姿に生まれてしまいました。
生まれる姿は選べません、仕方のないことなのです。
それにヨーコ様が心配なさる必要はございません。私はこれでも拾って下さった御師様に、大変可愛がって育てていただきました。
御師様は、この髪も色違いの目も、恥ずかしいことではないと仰います。
だから、何を言われても気にしてはならぬ、言いたい者には言わせよ。髪も目も、隠すことなど必要ない、堂々と生きよと。」
本当に、人が考えるほど深くは気にしていないのだろうか?
いつも微笑んで、不思議な人だ。
「ごめんなさい。何か悪いこと言っちゃった。」
てへっとヨーコが笑う。リリスもドアに手を掛けながら笑った。
「いいえ、お気になさらないで下さいませ。」
「じゃあさ、あたしも聞いていい?
食事が運ばれてきたときさ、一番に味見してたでしょ?あれ、何?キアンって何か病気?」
リリスは、にっこり笑って部屋を出る。
そしてドアを閉める間際に振り向いて言った。
「あれは、毒味です。
私のことはどうぞ気になさらないように。
ごゆっくりお休み下さい。」
パタン・・・
階下の食堂兼飲み屋は繁盛しているのか、客室にはまともにざわめきが筒抜けて騒がしい。
毒味・・リリスは体を張ってキアンを守っている。誰に認められる事もなく・・
「何かさ、見かけは可愛い所なのにやだね。」
「まったくさ!全然ハイジじゃないよ!」
ヨーコは何だか嫌な気分で足下を見つめた。
 空には澄んだ空気に沢山の星が瞬き、窓の下の表通りには、家々からぼんやりとランプの灯りが漏れている。
人の気配がザワザワと、店から通りに響いて少し騒がしい。でもずっと寂しい山中を歩いていたから、他に人がいるのにホッとする。
窓際に洗濯した下着と靴下を干し、ほんの少し窓を開けると、肌寒い風が洗い立ての髪に心地いい。
温泉で温まった体を冷ましながら、アイは窓辺でボウッと外の通りを眺めていた。
「リリス様って、優しいよねえ・・」
先程、風呂から部屋に帰る途中でリリスは、アイを呼び止めると足を手当てしてくれた。
良く気が付いて、ほんとに優しくて、見た目も最高で、乙女のハートには矢がドスドス刺さりまくりだ。
そんな彼も、育ててくれた御師様の話になると本当に嬉しそうだった。
「ええ、御師様はとても立派で高貴な方です。」
彼の顔は、パッと輝いて見えた。
立派な方・・かあ・・
もう親だよね、本当に好きなんだ・・
でも、変なの。
リリスは召使い慣れしてる。
御師様って人もリリスのこと、子供みたいに思っていないのかなあ・・変だよ・・
ぶつぶつ呟きながら、アイは預かっている宝石を制服のタイに包んでブラにくくりつけた。
服を着る時は胸の谷間に押し込む。
貧乳だが谷間はあるのだ。
「ねえ、見てよアイ、リュックの中さあ。」
確かに不自由はしないが、二人は改めて爺が持たせてくれた荷物に絶句していた。
石鹸、タオル、歯磨きセット、それに何と、替えの下着・・スポーツブラにパンツ、それにTシャツ一枚まで入っていたのだ。
「あのスケベ爺、どんな顔して買いに行ったんだろうね。きっとさ、あたし達がこの世界に来るの、予見してたんじゃない?」
「先が見えるって言ってたもんねえ。それにほら、リリス様の服だって、何とかってブランドのタグ付いてたよ。」
「うっそお、じゃああれってあっちの世界の服じゃん。」
ドンドンドン!
「俺でーす!吉井君でーす!開けて下さーい!」
「はーい!開けまーす!」
鍵を開けると、吉井がそうっと忍び足で入ってくる。
ザレルは二部屋しか取ってくれなかったので、この部屋は異界人トリオ、つまり吉井も同室になってしまったのだ。
「どうしたんよ?」
「だってさあ・・わあっ!こんな所にパンツなんか・・ブ、ブラジャーまで干すなあ!」
真っ赤な顔して、こそこそ入ると椅子の向こうに隠れた。
フッ、純な奴・・
「あんたねえ、今からずっと一緒じゃん、パンツとブラぐらい慣れなよ。
ほら、あんたもここに干せば?」
パシッと手に持っていた下着を取られ、バサッと広げられてしまった。
「キャー!吉井の下着!見て、ブリーフよ!」
「やだ、ブリーフってこうなってるんだ!」
「わあっ!やめてくれー!」
「やだあ!これさっきまで吉井履いてたんだよね!きゃあ!やだあ!」
「もう見るなあ!返せよ!頼むからさあ!」
ドタバタキャーキャー、下の騒ぎにも負けない、元気いっぱいの中学生だった。
 篝火に照らされ、石を組み上げ作り上げた広い湯船に、チョロチョロと湯の流れ落ちる音が辺りに響く。先程まで大勢の人がくつろいでいた浴場の湯気が、肌寒い空気にフワフワと雲のように立ち上っていった。
空には満天の星だが、周りには風を遮るように板が巡らせてある。しかし数カ所に出入り口があるのを見ると、ここは共同の浴場でもあるようだ。
そして湯気の中に二人、人を避けるように夜半遅く入る姿があった。
一人は金髪に白い肌、小太り。そしてもう一人は、白い肌に痩せてやや骨の浮き出た身体。
赤い髪は薄暗い灯りでもやけに目立っている。
言うまでもない、リリスとキアンだ。
湯船にゆっくりと身を沈め、丁度良い温度が肌をキュッと締めて心地よい。
「ああ、気持ちいい、風呂も久しぶりだな。
やっぱりもう、野宿は嫌だ。」
口を尖らせるキアンに、リリスが微笑む。
「キアン様、野宿をしてこそ風呂の良さも、ベッドの気持ちよさも分かるものでございますよ。身体一つ、自然の中に落とすと、いろんな物が見えてまいります。」
「お前、本当に僕と同い年か?爺臭いな。」
「え?あ、はい、恐らく・・」
言われて、ふと、考えた。
年・・年か・・本当に、同じなのかな・・?
王子が生まれた年に拾われたと、以前御師様に聞いた。
でも、赤ん坊の年がわかるのだろうか・・
リリスは俯くと黙って目を閉じている。
「どうした?」
「いえ、私は、いつ生まれたのかなと・・
いえ、何でもございません。
失礼いたしました。」
風に乗って、壁の向こうからひとひらの葉が湯に舞い降りた。
波紋が広がり、小さな葉は小舟のように湯面に揺れる。思わずそれに見とれていた。
自分にも、父と母はいるのだろうか・・・?
髪と目の色が普通だったら、父母は捨てなかったのだろうか?
・・・御師様・・・・
スッと、誰かがリリスの手を力強く握った。
顔を上げると、キアンが目を尖らせている。
「リリス、リリス怒っているのだろう?
そうだな、僕はこの苛立ちを押さえきれずに、お前に辛く当たっているんだ。
僕は・・僕はお前に謝らなければ!
許せ!リリス、許せ!これでよいか?」
何だか、くすっと吹き出しそうになった。
「はい、ありがとうございます。」
「リリス、お前はもっとあの女達のように怒っていいのだ。何故怒らない。
知っている、僕は我が侭なんだ。だからお前達は、とても苦労するだろうと女官達が隠れて話していた。何だか嫌な気分だった。
だから、もっと怒られる事が必要なんだ。」
「キアン様・・」
少し驚いた。
キアンなりにそんな事を考えていたのかと、リリスが優しく微笑み返す。
「キアン様、あなたは本当にお優しい・・」
ピクッとリリスが視線を走らせる。
「リリス?」
「・・・キアン様、動いてはなりません。」
リリスの顔がキッと締まる。キアンは不安な顔でしっかりとリリスの背中に隠れた。
ゆらゆらと篝火を灯していた湯面が大きく揺らぎ、見ていると湯面の灯りが一つに集まり、眩しく輝く。
”ホホ、何と麗しい、フフ・・ホホホホ!”
突然甲高い女の声が辺りに響き渡った。
「リリス!リリス!」
キアンが恐怖で声を上げる。
”まあ、何てお声、キアナルーサ王子。
ホホホ・・おやまあ、良いところで見つけた。
リリス、お前も美しい少年におなりだねぇ。白い肌に赤い髪がよう映える。
ホホホ・・良い目の保養じゃ。”
ザザザザザーンッ!!
浴槽の湯が下から滝のように立ち上り、その表面にグレタガーラの姿が映った。
水鏡で見ているのだろう、黒い扇で口元を覆っているが、目はほくそ笑んでいやらしい。
リリスはしかし、慌てる風でもなく湯に浸かったままで、またグレタに微笑みかけた。
「お久しぶりでございます、グレタガーラ様。
お元気で何よりでございます。」
”まあ、小憎らしい、少しは慌てて見せよ。
その湯、凍り付かせて見せようか?”
「それは困りました。しかし、淑女のあなた様がどうぞ場所をわきまえて下さいませ。」
リリスがヒュッと片手でグレタに向かって風を切った。
パーーンッ!”ヒイッ!”
グレタの身体が両断されて、立ち上がる水が霧になって散って行く。
サアアア・・・
あとにはまた、あっけなく湯の流れ出る音のみが響き渡り、元の静粛が戻った。
「リリス?どうなったのだ?」
「まことに、湯殿を覗くなど、淑女のなさることではありません。
今の方は、ラグンベルク公にお付きの魔導師、水のグレタガーラ様でございます。
さあ、そろそろ上がりましょうか。」
「え?心配いらないのか?殺したのか?」
「はい、ご心配いりません。さあ、上がりましょう。夜遅く、リリスに付き合っていただいてありがとうございます。さあ、」
「うん。あ、自分で拭くぞ。自分の事はやる。」
「はい、そうして頂くとリリスは助かります。」
促されてキアンは恐る恐る浴槽を出ると、壁に掛けてあるタオルを取った。
並んで体を拭いているリリスは、別に変わった様子もなく平然としている。
心配いらないんだ。リリスといれば・・
「ようし!さっぱりしたからよく眠れるぞ!」
「はい、明日は山越えでございます。よく眠って、明日に備えて下さいませね。」
「うん。明日は絶対泣き言は言わないよ。」
「ふふっ!はい、承知しました。」
キアンはリリスの優しい笑顔に励まされて、明日もがんばろうと湯気の合間に見える星空を仰いだ。
 一方、追い払われたグレタガーラは・・
「おのれえーー!あのガキ!ヘーックション!」
頭からカメの水を被り、濡れネズミの姿で彼女は、唇をぎりぎりと噛みしめてカメの底に残った水を覗き込んだ。
しかし、これでは水鏡は使えない。
腹立たしげにカメを一蹴りして、水を吸ったドレスの重みに足を取られドスンと転ぶ。
「痛い!神経痛が・・えーい!痛い!キィー!
腕の一振りで術を跳ね返しおった!
おのれ、もう子供とは侮るまい!見ておれよ!」リリスの穏やかな微笑みが、その内にある力を覆い隠して油断してしまう。
グレタガーラは、一瞬で追い払われた屈辱に爪を噛みながら、復讐に瞳を燃え上がらせた。

4、シールーン

 チュンチュン、チィーピピピ!
色とりどりの鳥たちが、人の気配に次々と飛び立ってゆく。鮮やかな緑の中で、清々しい朝の空気を思い切り深呼吸すると、冷たくモヤに湿った空気が肺に心地よい。
「ん、あー眠う!」
アイが大きく両手を伸ばす。
こんなに早起きするのも、小学校の夏休み恒例、朝の体操以来だ。
ああ、あの頃は帰りに豆腐屋さんでガンモを買って食べるのが楽しみだったっけ。
だからこんなに太ったか?
「アイ、足は大丈夫?」
「ん、今ンところは無事。リリス様の薬草効いたみたい、赤みが引いたもの。」
「それはようございました。」
アイは先を軽快に歩くリリスが羨ましい。 彼を見ていると、何だか自分の足音がドスンドスンと聞こえそう。
それにしても、いくつもの枝の様に別れている道を、迷わずさっさと歩くリリスは、この山道を何度も歩いた事があるようだ。
道を一歩はずれれば、鬱蒼とした森が広がっている。ヒョイと何か出てきそうだ。
キアンは今のところ黙ってひたすら歩いている。ザレルはみんなの後ろをとって、守ってくれているらしい。
しかし目の前に続く急な山道に、おしゃべり二人組もどんどん無口になっていった。
 「ハア、ハア、ハア、きっつう!死ぬう!
下りは・・まだ?!ちょっと休もうよ!」
空を仰げば、随分日も高くなってきた。
アイ達の前を歩いていたキアンも、とうとう背をザレルに押して貰っている。
それでも、何とか泣き言は出ていないのが少し男らしくなったかな?
「はい、ではもう少し先に水が出ているところがございます。そこが休めるようになっておりますから、後少しご辛抱下さい。」
振り返るリリスは、全然息が乱れていない。
何てタフな奴!見かけと全然違うじゃん!
何だか感心するより呆れながらしばらく歩くと、確かに座れるほどの石が数個転がっている小さな広場に出た。
着くとすぐにリリスは、あとをザレルに任せて森の奥へ消えてゆく。
後ろにそびえる岩場からは確かに、水がチョロチョロと沸いていて、すくって飲むと、無茶苦茶冷たくて美味しかった。
「ぷはあっ!あー、生き返る!ほら、キアン、あんたも飲みなさいよ。美味しいわよ。」
アイがゼイゼイ死にそうな顔で座っているキアンに声をかけた。
しかし、どうやらお気に召さなかったらしい。
凄い顔で睨まれた。
「き、貴様!ど、どー・・はあはあ、してリリスは様で、はあはあ、僕は呼び捨てなんだ!逆だ・・ろーが!」
「あら、やあだあ!だって、あっちはあたし等のアイドルだもん!とーぜんよ。」
「あいどる?何だそれは。」
「ホホホ!カッチョいい男のことよん!
あんたはちょっと、ハズレよねえ。
まあ参加賞ってとこ?」
「参加賞・・訳がわからんが、どうもバカにされているのはわかるぞ。」
むかつくキアンの肩を、ぽんぽんと誰かに叩かれた。見上げれば、吉井が首を振っている。
「まあまあ、あいつ等の言うことにいちいち腹立ててたら、寿命が十年ずつ縮まるってもんよ。俺だって予選落ちって言われてんだぜ。」
「むう・・」
同情は嫌だが、少し違う気がする。
キアンは吉井をじっと見て、フッと笑い首を振った。
「まあ良い、何の役にもたたんお前も可哀想な男よ。たまにはお前の言うことにも耳を傾けてやろう。」
何いー!!吉井が拳を振り上げ、アイに止められた。
「まあまあ、こいつの言うことにいちいち腹立てンじゃないわよ。」
まったく、どっちもどっちだ。お互い役立たずには違いない。
やがて、どこからかリリスが帰ってきた。
「さあ、キアン様。このラミカの葉をちぎって噛んでご覧なさいませ。疲れがスッと楽になりますよ。さあ、皆様もどうぞ。」
手にいっぱい、何かハーブだろうか?休みもせず、森の中にこれを探しに行ったのだろう。
みんな一枝ずつ取って、くんくん匂いをかぎながら葉をちぎって口に入れてみる。
「あ、ミントみたいな味がする。
わあ!飲み込むと、お腹の中までスッとする!」
「やだ!何か凄く気持ちいい!」
「ほんとだ、なあキアン。」
「・・・・うん、いい気持ちだ。」
吉井にキアンがはにかみながら笑い返す。
リリスはキアンと三人の様子に、おや?と目を丸くして微笑んだ。
「ねえリリス様はこの道通ったこと有るんだ。
いっぱい道別れてるのに、良く知ってるね。」
「はい、私は修行のために良く一人旅をしますから。もう何十回通りましたでしょう。」
「へえ、凄いね。幾つから修行って始めたの?」
この年で王子の従者を任されるなんて凄いことに違いない。
「そうですね、修行を始めたのは・・四才の頃でしょうか。一年後から時々旅に出て、自然に鍛えていただきました。」
「五才で一人旅?!幼稚園じゃん!」
やっぱりちょっと凄すぎる。
「なあ、いただきましたってお前、何にでも敬語使うの変だよ。どうしてもっと軽ーく喋れないかなあ!俺達には普通にいいんだぜ。」
吉井の言葉には頷ける。どうもリリスは堅苦しくて、まるで国語の授業だ。
しかし、リリスは困った風で俯いて、ちょっと考えていた。
「私は・・すいません、私は周りの方々にはこのように話すよう厳しくしつけられたのです。これが普通で・・良く、分かりません。」
「ふうん、周りのみんなに敬語って、変な家だね。じゃ、家の中の人はみんな敬語なんだ。」
「いえ、私は拾い子で最も身分が低いのです。
それに御師様方は、皆様お偉い方達でございますから。」
「ええー!それ変だよ!変!」
アイの言葉に、何だか戸惑ってしまう。
これが当たり前で、こんな事不思議に思うこともなかったから。
「変・・ですか?」
「変だよ!その御師さんって男?」
「いえ、お美しい女性でございます。」
「変!だったら育てのお母さんじゃん。どうして自分に敬語使わせるかなあ?変な人だよ。」
「ああ、それは誤解です。私は城から派遣される、養育係の方にしつけられましたので。」
「城?何でまたお城から?」
「私は拾われた時、まだ赤子でしたから。
御師様は子育ての経験がなかったので、城に頼まれたそうです。」
「そいつがキッツイ奴なんだ!」
えっ!とリリスが言葉に詰まる。
「・・いえ、そんな・・御師様に失礼のないように、厳しくしていただきました。
同じ家に暮らすと言いましても、身分が違いますから。甘えてはならぬと・・」
「養育係なんて無視しなよ!
赤ちゃんからずっと一緒なら、もう親子だよ。」
この言葉に驚いて、リリスが一歩後ずさる。
大げさな仕草で、ぶんぶん首を振った。
「とんでもない!御師様は大変ご立派な方で・・私など、召使いの上に弟子にしていただけただけで、もう・・・・」
そんな事、考えるのも恐れ多い。
とにかく、身分階級のしきたりが厳しいのだ。
「みぶんー?そんなの何さ!今度お母さんって呼んでみなよ。きっと御師さん喜ぶよ。」
「いいえ!そんな・・とても・・」
アイとヨーコが顔を見合わせる。
「どうして?可愛がって貰ったんでしょ?」
「もちろんです・・恐らく・・」
リリスは今まで見たことがない程戸惑って見える。何だか凄くじれったい。
「あたしもさ、ママはブスのオバタリアンですっごくずうずうしいし、パパは臭くて汚いオジンで嫌ンなるけど、やっぱ小さい頃可愛がって貰ったのだけは覚えてるからさ、これがもし本当の親じゃなくても、やっぱパパとママだなあって思うけど・・違うかな?」
リリスが寂しそうに俯く。
彼は彼なりに考えてはいるのだ。でも・・
「でも・・きっと、御師様にはご迷惑です。」
「迷惑じゃないって!そんなの考えなくてもいいじゃん!一度、冗談半分で言ってみなよ!」
冗談、なんて言ったこと無い。
真っ直ぐに生きすぎたリリスの、これが唯一の弱点といえる。
それにしても、リリスは同年代の子と話すのも初めてだから、その考え方に面食らってしまった。
「この世界では、身分がとても重視されます。
もう、私のことなど・・お忘れ下さい。」
絶対良くない!放っておけない!
「駄目だよ!それって良くない!ねえヨーコ!」
「うん、やっぱさ、それはケジメだと思う。」
「ほらあ、やっぱそう思うよ。」
強気のアイ達に、吉井が溜息をつく。
「もういい加減にしろよ。リリスも困ってるじゃねえか。向こうとこっちは違うんだよ。」
フフフ・・・キアンがくすくす笑い始めた。
「吉井はシッシッ!何よ!キアン、文句ある?」
「フン、無駄な事よ。
孤児は通常、物心つくまで施設で育てられ、その後は召使いや奴隷となる。リリスはセフィーリアに気に入られたからこそ、特別に身分の高い彼女の手元で育てられたのだ。
魔導師の素質を見いだされたにしても、セフィーリアがどんなに可愛がったとしても、出は身分の一番低い召使い。
お前達の世界での基準はこの世界では通らぬ。」
「どうして親がいなかったら召使い?!
あたし等の友達にだって、施設から学校に通って来る子いるよー!
明るくてしっかりしててさあ、凄いんだから!
マジで馬鹿みたい!自由が無いなんて最低ー!」
「自由だと?何を言っている?くだらん!」
「可愛げの無い奴!自分だってリリス様に頼ってるクセに!」
「頼っているんじゃない!これは従者だ!
どうしてもとセフィーリアの推薦があったから、仕方なく父上も了承されたのだ。
それに旅立ちの式典にも縁起が悪いと貴族がうるさいのを、何とか出してやったんだぞ。
これでも随分気を使っているんだ。」
「ああ・・うふふ、そうでございましたね。」
リリスが思い出しクスクス笑って頭を下げる。
式典には、頭から白い布を被って、決して顔を上げてはならぬ、離れて歩け、声も駄目だと誓約だらけでようやく出してもらえた。
御師様がどんなに怒り狂ったか、それをなだめる方が凄く大変だったっけ・・
「身分のなんのって、馬鹿みたい。
でもさ、リリス様のママ、セフィーリアって言うんだ。綺麗な名前じゃん。さすがー!」
キャッキャッとはしゃぐ二人だが、その時いきなりリリスが手を上げて皆を制した。
「シッ!お静かに!」
心臓がドキッと音を立て、皆が立ち上がり耳を澄ませて辺りを窺った。
シンとした中を、時々吹く風が木々を揺らしてサヤサヤと音を立てる。
見回しても、何もいない。
「な、何だ、リリス!脅かすな!」
しかしザレルがシャランと剣を抜いて構え、リリスは両手を前に出し、手の平を地に向けてぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「この世界全てを支える大地よ、大地の精霊王グァシュラムドーンの名の下に、今一時、真を知る我らの力となれ。
ドルクス・レン・ラクラ、尊き土には水が宿り生が宿る、その聖なる土の重なりには・・」
リリスの声が辺りに響き渡り、キアンが震えて思わず吉井の背中にしがみついた。
ズ、ズ、ズ、ズ、
地響きが辺りに響き、足下が小さく揺れる。
「何?!地震?!」
「後ろへ回れ!足下だ!来るぞ!」
珍しくザレルが叫び、サッとみんなをひとかたまりに自分とリリスの間に挟んだ。
「足下って・・・?」
アイとヨーコが抱き合って立ちすくむ。
「キャ!」
ボコッ!ボコボコボコッ!!
突然、至る所の土が盛り上がり、そしていきなり足下に大きな土塊の手首が出てアイの足首をガッと掴んだ。
「ぎゃあああああああ!!」
「きゃあ!いやいやいやあ!」
皆でガンガン叩いて、ドカドカ蹴る。
しかし、それはまるで石のようにびくともしない。
ザッ!と、ザレルがその手の根元に剣を刺す。
するとボロリとその手が土に変わり、崩れ落ちた。
「あっ!これって土ジャン!あっ!あっ!」
ザザッ!ザザザッ!バラバラバラ・・
盛り上がった土が次々と人型を成してゆき、アイ達目指して襲いかかる。
剣で薙払うザレルと、一方では集中して呪文を詠唱しているリリス。二人に手を伸ばす土塊は、リリスの呪文の前に風に巻かれてバラバラと崩れ、ザレルに切られて土に戻った。
「駄目だよ!きりがない!」
「ザレルったら!持ちこたえてよ!」
リリスの呪文が聞き取れないほどに早くなる。
崩れる先から次々に土人形が生まれて襲いかかり、泥だらけになりながらザレルの剣先も土の重みに鈍り、とうとうドッと突き刺さったまま抜けなくなってしまった。
「うおおっ!おのれ!」
待っていたように土人形が手を伸ばす。
剣から右手を離し、ドカッと殴るがびくともしない。
あざ笑うように土人形がガッとザレルの首を掴み身動きを奪うと、他の土人形が次々と子供達の身体に手を伸ばした。
「キャアアアア!!助けて!」
「ドルクス・レン・ラクラ!ドルクス・レン・ルクラ!水は水に!土は土に!我が名の下に、あらゆる束縛を解放せよ!
グァシュラ・セラ・レ・ルーン!我が名は風のリリスなり!!」
ゴウッと風が一陣吹きすさび、パアッと地面が金色に輝く。
すると、さらさらと全ての土人形は乾いた土に変わり、バサッと地に崩れ落ちた。
「げほっげほっ!はあっはあっはあっ、ちっ!」
ザレルが締められた首をさすり、ビュンと剣を振って土を払い鞘へ戻す。
へなへな崩れそうなキアンに、慌ててリリスが手を差し出すと、キアンはボロボロ涙を流し泣き出した。
ハアッとアイ達も脱力してホッとする。
「ねえ、何で王子守るのがたった二人なの?
あたし等がいるにしても手一杯じゃん。」
ヨーコがもっともな事を訪ねると、リリスが苦笑した。
「この旅は、王子と従者が3人、と決まりがあるのです。実はあとお一人、貴族の方が体調を崩されてしまって・・」
「変な話しだけど、体調崩してなんてファンタジーじゃないわねえ。」
「星の占いで決まるので、従者が減ってもこれも試練の一つとなってしまうのです。」
何だか融通の利かない試練だ。
「何かさ、私ばっかし襲われた気がする・・」
「そりゃ、おめーが石持ってるからだろ?
だからあ!さっさとリリスに返せって!」
「そ、そーか・・でも、どうして私が持ってるって分かったんだろう?」
「それは・・魔道師の方が全て見通されているからでしょう。水がある限り、水の魔道師にはそれを思いのままに操ることが出来ます。」
「じゃあ・・飲み水は?危なくない?」
「清水には呪いをかけることは出来ません。
自然界の掟です。それを破ると、シールーン様のお怒りに触れます。」
「ふうん。」
「いろいろ決まりがあるんだ。」
「水がないと、生き物は生きていけませんから。では、参りましょう。」
成る程と思うがしかし、アイの足首にはくっきりと手形が残っている。そして感触も。
「うー!気持ちわるー!」
感触を消そうと、アイはバリバリ足首を掻きむしって、みんなとリリスの後を追った。
 カツン、カツン、カツン
暗い廊下に突き刺さるかのように、一歩一歩歩くたび細いヒールが音を立てる。
日が落ちた後の廊下には、所々で蝋燭の明かりがともっているが、最近女官達がやたら節約していて、蝋燭の立っていない蝋燭立てが寂しそうだ。
「暗いのう、日が落ちたらさっさと寝ろと先日ベラドーラに言われたが、あれは嫌味であったか。世知辛いのう。」
左手の蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺らめきながら赤いドレスの女性の姿を暗闇に映しだした。
グレタガーラだ。
ラーナブラッド奪取を一任された物の、ペルセスは頼りにならず、リリスも思った以上にやり手だ。
「ううー、悔しや!どうしてくれよう。」
「グーレター様あ、負けたのお?」
「違う!」
グレタがグッと言葉に詰まり、バタバタ地団駄踏む。そして小さな少年をギロッと睨み付けた。
「負けたのではない!よいか?あれはのう、異界人が可哀想だから引いたのじゃ。
異界人に手を出すは掟破りじゃからな。うふふふふふ・・・そうじゃ、負けたのでは決してない。うふふふふ・・」
微笑む顔にはたらたら汗が流れている。シビルは首を傾げて頷いた。
「ふうん、優しいんだー、知らなかったあー。
えへえへ、ねえー!グーレター様あ、こっちこっちー。」
「ちょっと待て、シビルよ、私の紅は綺麗についておるか?化粧に乱れは無かろうな?」
じいっと、少年シビルとグレタガーラがにらめっこする。
シビルはとろんとしたブルーの目でじっと見ると、へらっと笑った。
「シワがぁー、いっぱいあるだけー。」
ぬぬっ!
「ふふ・・・うふふふふ・・」
グレタが顔を引きつらせ、拳をぶるぶる震わせる。しかし、シビルはにっこり笑って邪気がない。
「お前に聞いたが無駄であった。もう良い!」
「じゃあ、こっちねー。御館様、早くってー。」
「お前に頼む時は、普通早くと付け加える物じゃ、ぐーたらシビル。」
「えへへへー、ほめられたあー。」
「ほめとらんと申すに。」
「ね、ね、今日おー、一緒にいー寝ていーい?」
「わかったわかった、先に寝ておれ。」
「わあーいー!うれしいーなあー!えへえへ」
ピョンとシビルがグレタの腕に飛びつく。
やがて一人の兵士が番をしている大きなドアの前に立つと、シビルがコンコンコンと三回ノックした。
「御館様あ、グーレター様でーす!」
「入るがよい。」
中から、低い男の声が返ってくる。
「失礼いたします。」
グレタガーラは頭を下げ、一人顔を伏せたまま楚々と中へ入っていった。
ドアを入るとすぐに、薄いカーテンがある。
蝋燭の揺らめきがうっすらと透き通るだけで中は見渡せない。
ゆったりとした部屋は、広々としていて家具も奥に並んでいる。
中に入り、ドアをきちんと閉めてまた頭を下げていると、うっすら良い香りがして中からはベッドのきしむ音が聞こえた。
ここは寝室なのだ。
「そこでは話しもできん。近くに寄れ。」
「承知しました。」
頭を下げたままカーテンをくぐり、毛足の長いふかふかの絨毯を踏みしめる。
近くのテーブルに燭台を置いて、奥へ進むとベッドから少し離れたところへ膝を付いた。
御館様はベッドの端に座り、右の足先を左膝に乗せてくつろいでいる。
そしてやおらグレタの方へ、方肘付いて身を乗り出した。
「見よ、これにおる少年はお前からだと言うではないか。これは向こうの人間か?」
「はい。」
「ふむ、このまま帰さず我が小姓にしても良いが、いかがした物か。」
「は、御館様の御気を煩わせるのなら、このグレタが引き取りましょう。」
「よい。今は薬草で眠っておるが、明日話しをしてみよう、向こうの様子を聞いてみたい。
どのような所か、一度見に行ってみたいものじゃ。」
「お戯れを!走る魔物や呪われた人間の住む、地獄のように殺伐とした恐ろしい所でございます!」
「ホウ、それは面白い。クックック・・・」
慌てるグレタの様子に、御館様が低く笑い声を漏らす。
「どうか?キアナルーサの連れておるあの赤い髪の魔導師は。
あれは見かけは美しい子供だが、相当腕が立つであろう?是非欲しい物だ。」
ぎくう、それを聞くとグレタは何だか複雑だ。
この館での自分の地位が、あんな子供が来ると危うくなるんじゃないか?
御館様は欲しい欲しいと仰るが、冗談じゃない。
「お言葉ではございますが、このたびのご依頼では、あの子供は命を賭けて向かってくるでしょう。もちろん、私もではございますが。」
「ふむ、命を落とすこともあり得ると?」
「は、魔力無くてはただの子供でございますから。」
「なるほど。」
ラグンベルクが立ち上がり、音もなくグレタに近寄ってくる。
ドキッドキッドキッ!
シンとした部屋の中に、グレタの心臓の音がラグンベルクに聞こえてしまいそうだ。
伏せた顔の前に、スッと男の足が見えた。
あっと目を閉じると、相手はしゃがみ込み、クイッとグレタの顎に手を掛ける。ボッと、燃え出しそうに顔が赤く火照っていった。
「お戯れを、グレタは心の臓が止まりそうでございます。」
「可愛い女よ、お前ならわしの気持ちも分かろう?妻を失ってから、わしたち親子の胸にうがたれた底知れぬ空洞を。
だからこそ、わしは可哀想なあの子に何かしてやりたいのだ。それがたとえ謀反だと言われようとも。」
グレタは目を閉じたまま、ラグンベルクに顔を向けて唇を震わせる。息をするのも忘れ、小刻みに声を震わせてようやく返した。
「もちろんでございますとも。
御館様がご子息、ラクリス様を思うお気持ちは重々承知しております。
しかし、ラーナブラッドがキアナルーサ様の手から、ラクリス様の手に渡ることを誰が不満に思うでしょう。
国民は皆、キアナルーサ様に不安を感じております。恐らくはこのたびのドラゴンマスターへの挑戦でさえ、うまくは行くまいと思っていることでございましょう。
これを謀反と申しましょうか?
異を唱える者は、容易く思い直すことでございましょうとも。」
「グレタガーラよ、目を開けろ。わしを見よ。」
「は、はい。」
ゆるゆると瞼を開くと、眼前にたてがみのように雄々しい白髪の、がっしりとした中年の男の顔が現れた。
彫りが深く、強い意志が感じ取れる険しい目。
そして白いシャツの下の肩や胸は隆々と張りがあり、年齢を感じさせない程に鍛えてある。
ああ・・やっぱり何度見てもステキな方じゃのう・・うっとり・・
「お前の目に、わしは狂者に見えるか?わしは間違っておるか?」
「間違いなど、誰が決めましょう。
皆、国の安泰さえ有れば、それで満足するのです。ラーナブラッドを持ち、ドラゴンに忠誠を誓わせる者。それがこの国の王なのです。
それが相応しい次代の王が誰かは、やがて皆が知ることになりましょう。そしてそれは、現王の長子、キアナルーサ様とは限らないのです。」
「フフフフ・・・」
ラグンベルクが笑いながら立ち上がり、そして壁に掛けてある剣を手に取った。
シャラン!
鞘から抜いて、剣先をグレタに向ける。
グレタはびくっと思わず体を震わせ堅くした。
「グレタガーラよ、必要あらば、隠密に事を運ぶ気遣いもいらぬ。たとえわしが囚われようと、命を賭けて命を果たせ!
それがお前の、わしへの真の忠誠と知ろう!」
「はっ!このグレタガーラの命を持ちましても!きっとご期待に添いましょう。」
グレタが絨毯に額をつける。
彼女の心には、勝算がある。
キアナルーサはまだまだ子供、ほんの一葉の朝露が、心に大きな波紋を呼ぶであろう。
リリスさえ王子の元から消えれば後は容易い。
ニヤリ、グレタは不気味な微笑みを浮かべて、笑い声を飲み込んだ。
 一行はその後、道を外れて森の中を下っていた。
森の中は鬱蒼と暗く、シンとした中を時々鳥の声が響き渡る。
緑に溢れた森の匂いを嗅ぎながら、一歩一歩丁寧に歩かないと、下草はじめじめと滑りやすい。その上、草が茫々とした中を一歩踏み出すと多数の虫が飛び交う。
リリスが虫除けの薬草をすりつぶし、その液を水で薄めて足に塗って難を逃れてはいるが、何せ都会育ちのアイとヨーコは始終キャーキャーと逃げ回っていた。
・・が、それも次第に慣れてきたようだ。
ようやく落ち着いて言葉少なくなっている。
「お前ら、やっと疲れた?元気いいの!」
さすがに吉井も呆れ気味だ。
「もーキャーキャー言ってると疲れるのよ!ねえ!どーしてこんな所通らなきゃ、そのシールーンには会えないわけ?
川下には神殿もあるんでしょ!そっちに行けばいいじゃん。」
確かに、神殿への道行きはこれほど辛い物ではない。途中出会った巡礼者も、神殿への山裾沿いの道を行くらしく途中で別れた。
「神殿へは道もあるんだろう?」
キアンも多少納得できないようだ。
「あの神殿は、人間が勝手に建てた物です。
水は最も生活に欠かせない物ですから、シールーン様を敬う気持ちは分からなくもないと容認されてはいられますが、あまり神殿へはお近づきにはなりません。
上流の、人を寄せ付けぬ谷間にお住まいされて、人に会おうとはなさりませんから、そこは聖域となっております。」
「えーと、つまり人嫌いって訳?じゃあ神殿って意味無いじゃん。
リリス様は会ったことあるの?」
「はい・・あの、どうか私のことはリリスとお呼び下さい。申し訳有りません。」
リリスが俯いて、申し訳なさそうにアイ達に頼んだ。
下男として育てられた彼には、様と呼ばれることにどうしても違和感を感じてしまう。
「とーぜんだ!どうしてお前に様なんだ!」
キアンは鼻息荒く、腹立たしげにアイ達を睨んでいる。
「やだ!マジでよろしいんですか?やだあ!」
キャーッと、何だか反応がちょっと違う。
「おい、女!呼び捨てがどうしてそんなに嬉しいのだ!僕のことは初めから呼び捨てで、何か差別だぞ!」
「むかつくって言えよ、キアン。」
吉井はちょっと呆れている。
「なあ、リリス。お前も少しくらい言葉を崩してみろよ。」
「そうよ!仲間には敬語なんて抜き抜き!」
「も、申し訳ありま・・」
「ち、がーーーう!!こうよ!
ごめんごめん、悪い!って、ほら言ってごらんよ。」
「ええ!そんな・・恐れ多い・・」
戸惑う戸惑う、真っ赤になって見ていて面白いくらい可愛い。
「ほら、言ってみ!ごめんごめん!」
「ご・・・めん、ごめん・・・下さい・・」
「下さいはいらないの!ごめーん!」
「あっ、えと・・ごめん・・わ、わる・・」
「聞こえないよ!ごめんごめん、悪い!」
何度も何度も言い返して、リリスいじめはマジ楽しい。みんなの笑い声が、森中にこだまして心寂しさを吹き飛ばす。
「下らぬことを吹き込むな、呆れた奴らよ。」
そう言いながら、キアンも何だか面白そうに眺めている。
「もう、お許し下さいアイ様。
今日の目的地はもうすぐでございます。ただ、川には少し崖を下っていただきますから、どうぞそのおつもりで。」
「げえっ!崖えっ!あたし無理!無理だよお!」
「あたしも高いとこ苦手!やだ!どうしよう!」
「う・・俺も・・」
してやったり、今度はリリスがいじめる番だ。
「さあ、いかが致しましょうか?皆様。
ああ、確かこの森にはグリンガと申します大型のクマもおりましたか?ふふふ・・」
みんなの顔が青ざめる。もちろんキアンも。
くそおー・・
いきなりヨーコがくるりと振り返った。
「ちょっとザレル!あんた背負って降りてよ!
ガタイがでかいんだからさ!軽いもんでしょ!」
シー・・・ン
返事など、もちろんあるわけない。
大体頼んでるクセに態度がでかすぎる!
「うふふ・・ザレル、いかがしますか?」
楽しそうにリリスがザレルに問うた。
ザレルはじっとリリスを見て項垂れる。
何だかにやっと笑ったように見えた。
「断る。」
「やっぱりー!!」
絶望的な返事は予測通りではあるが、ザレルが返事するのも珍しい。
彼はどちらかと言うとリリスと親しく見える。
二人の関係にも興味が出てきて、女子中学生二人は顔を見合わせ笑った。
 ビョオオオ・・・
谷間に強い風が吹きすさぶ。
まったく、リリスが言った少し崖を下ってと言うのも、彼にとっての少しなのだろう。
ここですと、リリスに言われ四つん這いになって切り立った崖から下を覗いてみる。
遙か下の方に、サラサラと川が上流にしてはゆったりと流れている。
吸い込まれそうな高さに、フッと気が遠くなりそうな気がした。
「まさか、ここを降りるの?」
リリスが、青ざめる一同ににっこりと微笑む。
「空を、飛んでみたいと思われたことはありますか?」
どおおおおーっと汗が流れた。
「飛んでみたいはあるけど、死にたいはないわよ!!冗談無しにして!」
「では、まいりましょうか?」
「え?」
「え?」
「え?」
「ひいいいいー!!」
リリスの合図に、ザレルが思いっ切りみんなを突き飛ばした。
「ぎゃあああああああああ・・・」
ザレルと、そして自らも崖を飛び降りる。
「風よ翼となれ!フィード!」
ブワッ!!ゴオオオオ!!
「ひゃああ!!」
「キャアアア!キャア!ギャアア!」
いきなり上昇気流のように、風が下から吹き付ける。そして一人一人を包み込むように風が取り巻くと、ゆっくりと川のたもとへ無事に降り立つことが出来た。
 「はあっはあっはあ・・」
いきなり突き落とされた四人は、青い顔で息が上がっている。余程怖かったのだろう。
まあ、当然か。
「さあ、ここでございます。キアン様、シールーン様にご挨拶を。」
「ちょっと・・待て、僕は、心臓が・・」
「大丈夫でございますか?」
リリスが膝を付き、心配そうに覗き込む。
・・このお!
「お前のせいだろうが!このうつけ!
何て乱暴な奴だ!僕は死ぬかと思ったんだ!」
「申し訳ございません。」
謝れば済むか!この野郎!
声が谷間をガンガン反響する。
はー、はー、はー、
しかし、叫んだら、何とか落ち着いてきた。
「よし・・」
「キアン様、あまり大きなお声を出されませぬようご注意なされませ。声が反響して、思わぬ事を引き起こすことがございます。」
「今頃言うか?馬鹿者。まあ、分かった。」
上から見ると緩やかな流れに見えた川も、近寄れば流れは速いようだ。澄んで美しく、底が浅いように見えるが深さは見当が付かない。
時々スッと、魚が目にも留まらぬ早さで泳いでゆく。
異世界三人組も、さっきまでちびるほど怖かったのも忘れて、今はうっとり見とれている。
何て美しい川なんだろう・・こんな川、都会じゃちょっと見たこと無い。
それをよそに跪く従者の前に立ち、キアンは川に向かって訴えかけるように言った。
「水を統べるドラゴン、シールーンよ。
我はこのアトラーナの第一王子キアナルーサである。十三の年を迎え、次代の王となるべくここに来た。ラーナブラッドに誓いを立てよ。我に忠誠を誓え。
我が前に姿を現せ!シールーン!」
ザーザーザー・・
川の音だけが虚しく響き渡る。
「何も出てこないね。」
「うるさい!静かにしろ!
おい、リリス!本当にいるのか?」
リリスがほうっと珍しく溜息をつき、立ち上がる。そして川に向かい一礼した。
「お久しぶりでございます、シールーン様。
キアナルーサ王子をお連れいたしました。
どうぞお姿を現し、話をお聞き下さいませ。」
パシャンッ!
一匹の虹色をした美しい魚が跳ねた。
「傲慢な王子よ、お前は挨拶を知らぬ。」
澄み切った美しい女の声が、辺りに響き渡る。
「シールーン様、王子は御世継ぎとして王としての教育を受けてこられたのでございます。
どうか、言葉の至らぬ所はお許し下さい。」
サラサラと、水が荒々しさを隠して優しく流れてゆく。
日が陰っている水面に、スッと日が差すように輝きが差し込んだ。
サアアアア・・・
何もない水面から、スウッと水が人の形をして起きあがる。そしてそれは、徐々に美しい女性の姿となっていった。
「わあ・・きれい・・」
その美しさに思わずアイが溜息をもらす。
青白く透き通った肌、水で出来た長い髪、そして水のドレスをまとっている。
まさしく、水の精。水のドラゴンの化身だと言われても頷ける。
スウッとそのまま水から浮き上がるように全身が現れると、ゆっくりと一同を見回した。
透き通るブルーの瞳が、表情を冷たく感じさせる。が、彼女はリリスを見るなり、薄く形の良い青い唇をほころばせた。
「よう来た、久しいのうリリスよ。
お主が王子の従者に選ばれるとは・・あの小さき子がこれ程に立派になったか。
人の育つのは、何と早き事よ。
セフィーリアもさぞ喜んでいることであろう。」
「はい・・」
リリスが少し困ったようにキアンを窺う。
もちろんコケにされたキアンは、ムッとしてリリスを睨んでいた。
「リリス、下がっていろ。
シールーンよ、僕がキアナルーサだ。
ラーナブラッドの継承者である。」
「よい。」
シールーンがキアンの言葉を遮る。
「リリスよ、後ろの小屋を使うがよい。
先日雨で増水して浸かったが、そろそろ来る頃かと思うて綺麗に洗うておいたわ。
ほほほ・・可愛い異世界人も疲れたであろう?
ゆっくり休むがよい、川の使用を許すぞ。」
バシャーンッ!
話が終わるなり、シールーンが水になって消えた。
「お心遣い、ありがとうございます。」
リリスが膝を付き、川に深々と頭を下げる。
隣ではキアンの手がぶるぶると震えている。
辺りはまだ明るいが、もうしばらくで日も沈む。ザレルはさっさと小屋に泊まる準備に取りかかり、3人組も無言でそっとザレルに付いて行く。
川の畔には、キアンとリリスだけが残った。
「僕は・・僕はシールーンを怒らせたのか?
シールーンはどうして僕を無視するんだ?
僕は・・僕は・・王子なのに・・次の王様になるのに・・」
キアンの目から、涙がボロボロとこぼれる。
リリスがハンカチでその涙を拭いた。
「申し訳有りません、私が至らないばかりにキアン様にご迷惑をおかけしました。」
「リリス。」
「はい。」
「僕の何が悪かったんだろう・・僕は立派に挨拶できたと思ったのに。
お前はいいな、みんなお前のことが好きだ。お前は苦もなくみんなと仲良くなれる。」
驚いてリリスがキアンの横顔を見つめ、そして微かに首を振って項垂れる。
胸が冷たくキュッと締まり、何故か凄く悲しくなった。
「王子も・・キアン様も仲良くおなりではありませんか。皆様と楽しそうにお話されているのを見ますと、リリスは羨ましい限りでございます。」
リリスが震える声でキアンを気遣う。
しかし、リリスの気遣いも今は心を逆撫でしてムッとする。キアンは思わず一言言ってやろうとリリスの顔を睨み付け、ハッとして呆然と見つめた。
リリスの色違いの目から、涙がぽろぽろと流れている。
「ああ、申し訳有りません。お見苦しい物をお見せしました。どうか・・お許し・・」
涙が、止まらない。
ここへ来て川を見ていると、ずっと心にしまっている物が、どうしても容易く出てしまう。
キアンが戸惑いながらリリスの背を抱いた。
「僕が悪いのか?僕が、悪いんだろう?
リリス、許せ。リリス、すまぬ。」
違う、違うんです・・
言葉にならず、嗚咽が漏れそうになる。
まだ、十三才の少年が二人、辛い試練がまだ幼く小さな背中に重い。
美しい水の流れが涙を誘うように、しばしこの一時、リリスは心を裸にしてただただ泣いていた。

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