5、心の波紋

 「キャーッ!アハハハハ!!」
谷に笑い声が響き渡り、川に向かう男達をアイ達が歓声を上げて応援?している。
「キャハハハ!!グズねえ!ほーら逃げた!」
「うるせえ!静かにしろよ!おめーらが・・ああっ!くそう!」」
みんな努めて明るく振る舞い、キアンもようやくショックが薄れたようだ。
日が沈む前に木で銛もどきを作り、ザレルが川で魚を捕るのを見てみんなやってみるけど、なかなかうまく行かない。
「吉井!へったくそ!ザレルさっすがー!」
声援を送る女性陣の横では、リリスがたき火をおこしている。
川に入って魚を捕る吉井やザレルと違って、川岸には懸命に手を伸ばしてキアンが、無様な格好で魚を狙っていた。
「キアン!お前も水に入って取れよ!」
「馬鹿者!濡れると寒いではないか!
リリス!お前も取らぬか!」
「私は火の番でございます。どうぞ、がんばって下さいませ。」
ぬぬぬぬ・・まったく面白くない!
リリスはリリスで軽々と羽が生えたような身のこなしで崖を昇り、食べられる草や木の実を取ったり薪を都合してくる。
男で全然使えないのはキアンだけなのだ。
やたら何だか悔しい!
「リリスは魔導師だから何でも出来て当然だ!ザレルは戦士だから魚くらい捕れて当たり前だ!
僕は王子だぞ!」
キアンはまだ一匹も魚が捕れない。
「キアン、お前黙ってないと魚逃げちまうぞ!」
「うー!僕は王子だ!食べるのが専門なのだ!」
地団駄踏んで、キアンが悔しがる。
「キアン、かっこ悪ーい!」
「格好などどうでも良い!僕はお腹が空いた!」
ポイッと銛を放り、思い切って川に入るとザブンと手を水に突っ込む。
「あっ!」
「あっ!」
そうっと上げたキアンに手には、ピチピチ跳ねる魚が一匹。
「と、取れた・・・!取れたああ!!」
「わあっ!キアン様!おめでとうございます!」
リリスが思わず立ち上がって手を叩く。
「やった!やった!やっ・・ああっ!」
喜び勇んで飛び上がって喜ぶキアンだが、その時ツルンと魚は逃げてしまった。
「あーあ、逃げちゃった。」
「やっぱりカッコ悪!!」
逃げた魚は大きい。これで女性陣の人気も、とうとう地に落ちたキアンだった。
 日が落ちた岸辺で、煌々と燃え上がる火を囲み、そのほとんどをザレルが捕った魚をリリスが手際よく焼いてゆく。
パチパチと、はぜる木を絶妙に組み合わせて火をおこすリリスはやはり旅慣れている。
「へえ、生木って燃えない物って聞いたけど、燃えるのねえ。」
「ええ、工夫すると燃えるんです。
場所次第では乾いた木は手に入りませんから。」
リリスが一番に焼けた魚を持ち、キアンに聞いた。
「女性の方からよろしいでしょうか?キアン様。」
「え?あ、ああ、んーむ。いいぞ。」
「ありがとうございます。ではヨーコ様どうぞ。」
リリスが差し出す魚を、ヨーコが受け取る。
さすがにこの国でもレディファーストらしい。
「お先!」
パクッとかぶりつくヨーコを横からジトッと見ながら、王子もさすがに文句が言えない様子だ。
「おいしーい!あとは、お風呂に入れれば最高なのに!」
「ほんと、また温泉に入りたいわねえ。」
アイとヨーコがぼやく。
リリスがアイに魚を差し出して、慰めるように微笑んだ。
「旅に出ると、なかなか風呂は入れません。
私が旅から帰りますと、御師様も私だと分からないくらい凄く汚れているんです。
食事もままならない物で、ガリガリに痩せてしまって、いつも凄く叱られるんですよ。」
「ああ、だからそんなに体が小さいんだ!
駄目だよ、成長期は程々食わないとさ。
キアンは食い過ぎみたいだけど。」
「なにっ!吉井!僕のどこが食い過ぎだっ!」
と言いながら、お腹がつっかえて身体が曲がらない。
「ね、温泉有るんだから入ればいいのに。」
「本当ですね、今度からなるべくそうしましょう。村の方を説得するのが大変ですが。」
「ああ、そうかあ!嫌われ者は大変だね!」
「まったくです。」
あははは・・笑い声が谷間にこだまする。
ザレルが捕った魚も、焼いただけなのに凄く美味しい。これが本当の自然なんだなあと、しみじみ感じる。
「お母さん、心配してるかなあ・・」
アイが呟いた。
「そうねえ、偽物だってばれてないかなあ。」
「ばれても、どうしようもねえだろ?」
「そうだよねぇ・・」
くすん、アイの目に涙が浮かぶ。
「うざったい両親も、離れてみればやけに寂しいね。ヨーコも兄弟心配でしょ?」
「ん、でも、こんな経験滅多にないもん。
こんな旅行、少し憧れてたから、紛れるよ。」
ヨーコが優しくアイの背を撫でた。
「アイ様、グァシュラム様の土人形でしたらご心配いりません。本当に良くできておりますから。」
「リリス、わかって無いなあ!バレるって!」
「えっ、そうなんですか?」
リリスは不思議そうだ。
「ん、親子ってさ、何か違うってわかるんよ。
同じカッコしてても、何か違うってね。
リリスの御師様だってきっとそうだよ。」
「でも、御師様は・・」
御師様は・・本当の親じゃない・・
リリスが俯いて考える。
「わかるよ、リリスの御師様にも。
リリスの事が。」
吉井がきっぱり言い放つ。
「どうして分かると思うんだ?こいつは本当の親子じゃない、他人だぞ!」
またキアンがいい雰囲気をぶち壊してくれた。
まったくこいつは!
「鈍感ね!あんたにわかるもんですか!」
「何?!僕のどこが鈍感だ!無礼者!」
吉井がハアッと大きな溜息をつく。
「もういいから、キアンは黙ってろよ。
でもよ、俺達はみんな一緒で紛れるけど、河原は一人で・・あいつどうしてるかなあ。」
「うん・・・」
ヨーコがぼうっと空を仰ぐ。アイが慌ててヨーコの背を叩いた。
「だーいじょうぶって!あいつ頭いいじゃん、きっと上手く切り抜けるよ。」
「うん・・・きっとそうだね。」
「そうそう!そうだよ、なっキアン。」
吉井まで慌てる。
「ふん、叔父上は簡単に人に危害を与えるようなお人ではない。きっと丁重に保護されている!・・・はずだ。」
うっ!何だか当てに出来ない返事!
苦しそうに、アイが話題を変えた。
「そ、それにしてもさ、あんまりこの世界の人って、異界人って聞いても驚かないね。」
そうなのだ、みんなの服は明らかにこの世界とは変わっている。
村人は大体ゆっくりとしたパジャマのようなシャツにズボン。
それにベストや上着を羽織り、粗末な靴を履いている。女性も色鮮やかな綿のドレスにショールだ。
リリスが立派な服を貰ったと喜ぶのも分かる。
「こちらでは昔から、向こうの世界とは接触がありましたし・・実は、あなた方の世界から、最近は色々な品物が流入しているのです。
ごく一部の、結え有ってこちらの世界を知った者が、王の許しを得てそちらで言う、貿易と言う物を行っているのですよ。」
「ぼ、貿易ー!!あっ!まさかあの爺!」
パッとドラゴン用務員が浮かんだ。
「あいつ、やってそうだよねえ。」
リリスは微笑むだけで、どうなのかはっきり答えない。話をそのまま続けた。
「ほとんど物々交換だと聞いています。この国の工芸技術は長けていて、人気があるとか。」
なるほど、最近は手作りや外国小物が凄く人気がある。
意外な話しにみんな驚いた。
「ところでさ、キアンよう。明日はきちんとあのシールーンさんに挨拶しろよ。」
「挨拶したではないか。何が悪かったのだ?」
全然こいつ分かってない。
「お前全然挨拶になってねえっての!
初対面でいきなり挨拶も無しに俺の言うこときけって言われて、ムッとしない奴がいるかよ。今日は大間違いだって。」
「何が悪いのかお前には分かるのか?」
キアンが吉井に身体を乗り出した。
「分かるかって?こういう事って、本当は人に言われる事じゃないんだ。
そうだろ?大体何でもさ、」
吉井の前に、アイが乗り出す。
「相手の気持ちになって話すンよ。特に初対面はね、第一印象がものすっごく大事。」
「そうそう!本当に偉い奴はさ、他人を大切にする奴だって授業で習ったよ。
たとえて言うならさ、あんたリリスに会って、見た目は別にして嫌な感じした?」
「いや・・」
「ほら!丁寧に、大切に話して貰うと気持ちいいじゃん。まあ、あたし等には無理だけどさ、キアンは一応職業王子様じゃん。
一番上にいるからって、威張ってばかりいる奴、みんないやーな気分で見てると思うよ?」
ああ・・そうか・・
女官達の姿が思い浮かぶ。
「僕は威張ってる気はなかったけど、威張ってるんだな。」
「だー!あんたあれで威張ってないわけ?
じゃあ威張ったらどうなるンよ、まったく天井知らずだね!世間知らず。」
むー、すると教育係の賢者達は、僕にウソばかり教えていたのか?王はこうであれ、とは何のために習ったんだろう?
どうやら実用向きじゃないらしい。
キアンはみんなの話を聞きながら、このドラゴン巡りの旅にはもう一つの大きな目的があることに気が付き始めていた。
 その夜、皆はここを訪れる人の為に建てられた小さな小屋で、重なるように横になった。
谷間なので風が強く、やはり小屋があって助かる。毛布一枚無いが、これだけの人数が小さな小屋にいるだけで、数度温度が上昇したようで暖かい。
ロウソクを消すと、暗闇の中にさらさらと、水の音だけが外から聞こえてくる。
じっと耳を凝らせばみんなの吐息が一定のリズムをもって、安心感を漂わせた。
「リリス、リリス。」
皆が寝静まった頃、小さくキアンが囁いた。
「・・・キアン・・様?」
「起きているか?さっきは・・どうしてお前が泣いたのか、気になってな。」
リリスの小さな溜息が聞こえる。
キアンも、聞いていい物か随分考えたのだ。
人と付き合うのがこんなに難しいなんて、今まで経験したことがなかった。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。
どうぞ、お気になさらないでください。」
「だって、気になるんだ。」
リリスがまた小さく溜息をつく。
「キアン様は私を羨ましいと仰いました。
でも、私はこの姿のためにずっと人に嫌われて育ったのです。」
「あ・・それが気に入らなかったのか?
それで怒ったんだな。」
確かに、村人の態度は酷い物だった覚えがある。
「いいえ、いいえ、違います。
いずれ、お話しいたしましょう。今日はどうかお許し下さい。」
「でも・・うん、わかった。」
キアンがあきらめて目を閉じる。
「お母さん・・・」
アイがぽつりと寝言を言った。
フン、あいつまだ母が恋しいのか、子供だな。
でも・・
キアンの脳裏に母である王妃の姿が浮かぶ。
もし・・このままどのドラゴンにも認められなかったら・・自分はまだしも父と母には酷い恥を掻かせてしまうだろう。
そうなったら、もう城には住めない。
この、アトラーナにさえ住めなくなるのかな?
ああ、怖い・・
「母上・・」
思わず口から出て、また涙が浮かんできた。
くそう・・どうして思い通りに行かない・・
悔しさを握りしめ、キアンはやがて静粛の中、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
暗闇を見つめ、眠れないリリスの気持ちなど知る由もなく・・
 翌朝、キアンは川の前に立つとアイからラーナブラッドを受け取っていた。
「ん?お前どこに入れていたのだ?暖かいぞ?」
「あら、ここよ、こ、こ、胸の谷間よん。
それ、貸すんだから返してよね。」
「ほお・・・」
キアンが赤い顔で石を撫で撫でする。
「ちょっと、あんた手がやらしいよ!」
「ケッ!お前の谷間って、どこよ?背中?」
「むっかあ!ここよ!この豊満な胸に決まってンじゃん!」
アイが吉井にグッと胸を張る。
「豊満って、あんたパッド入りじゃん。」
「ヨーコ!乙女の秘密をばらしたわね!」
「何だ、ニセ乳かよ!やっぱ!あはははは!」
くそお!アイは思わぬ所で恥かいた。
「さ、キアン様。シールーン様がお待ちでございます。」
「ん、わかった。吉井よ、よく見ていてくれ。」
「おう、キアンがんばれ!」
「丁寧にね、がんばんなさいよ!」
「うん。」キアンがラーナブラッドを両手で包み込むように持ち、膝を付くと川に向かって差し出した。
「水を統べる偉大なドラゴン、シールーンよ。
私はアトラーナ王の第一王子キアナルーサ。
古よりの約定に乗っ取り、このたび十三の誕生を迎える事になりこうしてやってきました。
えーと・・どうか私の前に、その姿を現したまえ。ラーナブラッドに誓いを授けたまえ。
シールーンよ。」
たどたどしい言葉だが、これで精一杯。
パシャン!
虹色の魚が跳ね、そして水面に美しいシールーンが姿を現した。
ゴクリ、キアンが一息息をのむ。
「シールーンよ、我が願いを聞き届け、ラーナブラッドに誓いを立てたまえ。」
じっと、シールーンがキアンを見下ろす。
ホホ・・ホホホホホ!!
「何と面白い王子よ、一夜で変わったか?
まだまだ勉強不足は否めぬが、リリスよ、そちに免じて許してやろう。
じゃが、お前は王としての勉強が足りぬ。
石さえお前を認めておらぬではないか。
もっと視野を広げるがよい、偏った知識は後にお前自身を苦しめることにもなろう。
もっと、人の心を勉強するがよい。
今のお前には、王としての片鱗も見えぬ。」
キアンの顔色が、さっと白く変わった。
「でも、私は王位継承者!あなた方の誓いを貰わなければ、帰ることも出来ません!」
「キアナルーサよ、苦しむがよい。
世にはお前の思うようにいかぬ事もあるのだ。
我は水と共にあり、水を通してお前達と共にある。
キアナルーサよ、お前に王が見えた時、私はすぐにでも誓いを立てよう。今は旅を続けよ。」
パシャーンッ!
シールーンは、そのまま水に戻ってしまった。
キアンがその場に呆然と座り込む。
これで二人・・失敗した・・
もう、駄目かもしれない・・
「リリス。」
「はい。」
シールーンに、お前からも頼んでくれ!
どうしてお前は黙っているんだ!
口からそう、声が出そうになる。
でも、それは王がすることじゃない。リリスはそれを分かっているから黙っているのだ。
「リリス、父上も母上もさぞ肩を落とされるだろうな。」
「キアン様、いずれきっとドラゴンたちも分かってくれますとも。
あの出立式の時、お二人とも失敗を恐れずがんばれと仰ったではありませんか。」
リリスの脳裏には、キアンが優しい母王妃からしっかりと抱擁される姿が、父王がしっかり大きな手で何度も肩を叩いて力を与えている姿が思い浮かぶ。
リリスとザレルは、くれぐれも大切な息子を頼むと何度も頼まれた。キアンが羨ましくて胸がきゅんとしたのが思い出される。
あれが親という物なのですね、御師様。
私の両親も、どこかで見てくれたのでしょうか・・喜んでくれたでしょうか・・?
「キアン、ほら立て!元気出せよ。
シールーンも言ってたじゃん、お前が立派になったらすぐにでもオッケー出すって。
大丈夫、元気出せ。さあ、行こうぜ!」
吉井がキアンの背をドンと叩いた。
またぽろっと出そうな涙をグッとこらえ、キアンが元気に立ち上がる。
「誰に物を言っているか!僕はいたって元気だ。よしっ!行くぞ!リリス!何をいつまでも項垂れている!早う案内しろ!」
「はい、承知いたしました!
では今度は向こうの崖まで参ります。」
「え?向こうって?」
「え?」
「風よ!我らの翼となれ!フィード・ラス・ファラス!風よ!我が元へ集え!」
ゴオオオオオッッ!!!
「ぎゃああ!どうしてそう、いきなり何よお!」
もの凄い突風が吹き荒れる。みんなが慌てて自分の荷物をそれぞれ抱きしめた。
竜巻のような風に身体を持ち上げられ、アイとヨーコはスカートを必死で押さえ込む。
「ひい!!たっ助けてえ!」
やがてふわっと体が軽くなり、ついで足が浮き上がった。
「きゃあ!きゃあ!きゃあ!きゃあ!」
落ち着いているのはリリスとザレルだけだ。
後は力の限り悲鳴を上げながら、崖の上へたどりつくまで足をバタバタさせていた。
 「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、」
みんな真っ青で、へたり込んでいる。
空を飛ぶのは昔からの人間の夢とは言うが、果たしてあれを気持ちよいと言えるのか?
びゅんびゅん竜巻の中で足は地に着かず、もしフッと風が途切れたらどうしようと言う恐怖に怯える。どんなに優れた術者と言えど、怪しい魔法など半分以上信用できない、頼りない。マジで死ぬかと思った。
「空を飛ぶのは気持ちがよい物でございましょう?私も大好きです。」
にこにこ邪気のない顔でリリスが話す。
フッ、これが好きそうな顔に見えるかいっ?!
「本当に、便利なお力です事。」
ヨーコが皮肉たっぷりにリリスに微笑む。
「ええ!私もこの術を十分使いこなせるようになったのは、つい最近なのですよ。
皆様のお力になれて、ようございました!」
げっ!
リリスの言葉にみんなの顎がはずれ、一層青ざめたのは言うまでもなかった。
 一行はシールーンの住む山を離れ、二日間野宿しながら歩き続けた。
途中立ち寄った村で食物を仕入れ、ザレルが狩りをしたりリリスが食べられる野草を摘んで来たりして、食べ物には不自由しない。
三日目にはリリスが近道だというままに峠道をはずれて森を進み、やがて森を抜けてそのまま山に入った。
山道を行くと山の裏側の中腹へと抜ける。なるほど、勾配があって歩きにくくはあったが近道らしい。
ここはこの山の何合目だろうか。
本当にアトラーナは山ばかりで疲れる。とは言っても、さすがに歩くのに慣れた気がする。
リリスもみんなの様子を見て、軽く休みを取ってくれるので疲れがあまり酷くない。
歩く、リズムが出来た気がしてきた。
 トットットット!後から早歩きで追いかけてくる軽い足音がようやく追いついて、また見慣れた白いコートが前を歩きだした。
「さ、皆様お疲れでしょう?またいい物を見つけて参りましたよ。もう少しの所にいい場所がございますから、がんばって下さいませ。」
「あーはいはい、元気いいのはリリスと・・
後ろのおっちゃんだけか。」
「ふぁあー、疲れたあ。お風呂に入りたーい!」
 そしてようやく、途中でリリスが摘んできた木の実を食べながら、みんな見晴らしのいい場所で一休みとなった。
それにしても、生まれとはいえリリスは異常なほどに気配り人間だ。
歩きながら彼はさっと道を外れては、どこからか草や木の実を取ってくる。
もう少し休んだら?と声をかけたい反面、彼の取ってくる物が楽しみなのも事実だ。
「どうぞ、リナの実です。いい香りでしょう?」
リリスの手にあるのは、ブルーベリーに似た形の少し赤い実だ。甘酸っぱい匂いがする。
「種がございますからご注意下さい。
皮は噛むと爽やかな芳香がございますが、実はとても甘うございます。
鳥達の好物ですが、少し分けて貰いました。」
「へえ・・ほんとだ、いい匂い。」
本当に、よく何でも知ってる奴。
もぐもぐ食べながら、何だか何となくみんなボウッとリリスを羨望の眼差しで見つめた。
「それにしてもさあ、綺麗ねえ。」
「うん、」
空が真っ青に天気がいい。空気の味が違う。
これが本当の混じりっけ無い自然の空気か、向こうの世界じゃ滅多にお目にかかれない。
この世界じゃ、車じゃなくて馬車だもんなあ。道にはたまに馬のうんちが落ちてるけど・・
馬・・白馬の王子・・あれ?馬に乗ってない?
「ねえ、王子ってさ、馬に乗るんじゃない?
普通それが定番じゃん。」
「う・・馬は!リリスが乗ったこと無いのだ!
僕が乗れないわけではない!
リリスが馬なんか触ったこともないからな!僕がリリスに合わせているのだ!」
キアンが真っ赤な顔でもの凄く焦っている。
実際、キアンは子供の頃に一度落馬してから、馬は怖くて乗ることが出来ない。よって移動はいつも馬車なのだ。
「はあん、あんたが乗れないんだ!でしょ!」
「うるさい!リリスが乗れないんだ!」
「やだあ!王子のクセに、馬に乗れないって、キャハハハハ!マジ、恥ずくない?!」
キアンは焦ってリリスがリリスがと騒ぎまくるが、女達は聞く耳持ってくれない。
「うう・・乗れなくて・・悪かったな・・」
小さな小さな声で、聞こえないように呟いた。
「キアン様のお心遣い、本当に助かります。」
「・・はは・・って、あれ?本当にリリスが乗れないの?」
「はい、馬は大変高価な生き物でございますから。御師様は3頭お持ちですが、私は馬小屋の掃除をさせて頂くだけでございます。
私など、勝手に触るのも禁じられておりました。」
「お前さあ、させて頂くって・・馬小屋掃除したでいいんだよっ!」
「え?あ・・はい、わかりました。」
「ほんとにバカ丁寧なんだからよ。馬にまで敬語かよ。」
「ウンコの世話だけって、何かリリスって人生バカ見てるねえ。嫌なことばかりじゃない?」
「いいえ、小屋が綺麗になりますから、御師様も喜んで下さいます。馬もきっと嬉しいはずです、それは私にとっても大変喜ばしいことでございます。変ですか?」
「ま・・まあね。変じゃないけどさ。」
まっとうな奴にはさすがに負ける。
「それでさ、これから向かう、その何とかってキアンの叔父さんの家って、どこ?」
ここから見下ろす景色は、昔本で見た阿蘇のカルデラを思わせる。
あれ程スケールは大きくないが、周りを大きな山に囲まれた草原が広がり、そこには羊のような動物が放牧され、中央には大きな湖が日の光でキラキラと美しく光っていた。
その向こうにはぽつぽつと小さな家が数軒見えて、そしてその向こうに・・
「何?あれ・・向こうの山の中腹に、お城?」
霞の向こう、遙か彼方に見える向かいの山の中腹に、まるで城の様に大きな建物がぼんやりと見えてきた。
「フン、ここはすでに叔父上の庭と同じだ。
ここに住まっているのは、ほとんどが下働きだからな。」
「はい、あの山伝いに小さな村がございます。
あれはラグンベルク公にお仕えされている方がほとんどですが、山向こうになるともっと大きな町が広がり、大変にぎわっています。」「へえ、リリスは行ったことあるの?」
今まで小さな村ばかりで、大きな町なんて見たことがない。
「いえ、私はあまり町には入りません。
余程何もないときに、町はずれに食べ物を買いに行くくらいでしょうか。」
「ふうん、大変だね。」
「うふふ、それよりも、町に泊まるにはお金が沢山必要です。」
「貧乏人は野宿ってかい?」
「はい、都合の良いことに、私は野宿の方が好きですから。
でもお金を持たずに旅をしているわけではないのですよ。旅立つ時は必ず、御師様がお金を沢山持たせてくださいます。でも、ほとんど使えずに持ち帰ってしまいます。」
「どうして?使ってさ、たまにはベッドに寝ればいいのに。」
「そうですね、ではできれば今度からそうしましょう。」
リリスは、にっこり微笑みを返した。
やっぱり、どこの宿でも追い返されちゃうんだ。何だか、人間が狭い奴ばっかりで嫌になっちゃう。
アイは、リリスの赤い髪を見て溜息が出た。
 また歩き始めてしばらくすると、リリスが後ろのザレルに珍しく相談を始めた。
ザレルは黙って耳を傾けている。が、
表情一つ変えない彼は、聞いているのかどうなのか、さっぱり分からない。
「・・・公は、どうされるでしょうか?」
ザレルは無言で前を見据えている。
リリスは並んで歩きながら、俯いて溜息を漏らした。
「有事無くして無事はない。その為の我らであろう。」
ぼそっと太い声で、視線もそらさない無骨な戦士がそうリリスに呟いた。
リリスの顔がキッと締まり、大きく頷く。
彼はさっとキアンに駆け寄り、思うことを話すことにした。
「キアン様、恐らくはもうすでに公には気付かれていると思いますが、公の屋敷に知らせを走らせましょう。」
キアンがびっくり目を見開く。
「しかし・・叔父上は・・」
先に知らせを入れることで、どんな罠を用意されるかと思えば心配が大きくなる。
血族とは言え、今は敵なのだ。
「ちょっと!そいつ、この宝石狙ってるんでしょ?やばくない?何でわざわざ行くのよ!」
「ご心配はもっともでございますが、面と向かって狙われているわけではありません。
何しろこれを狙うのは玉座を狙うこと。
ですから傭兵共を使って、決して自らが表に出る事がないよう秘密裏に狙っておいでです。
手にさえすれば、後は何とでも言えます。
だからかえって正式に堂々と訪れた方が安全なのです。気は抜けませんが。
なにより、この向こうが火のドラゴン、フレアゴート様のいらっしゃる山でございます。
ここを通るのに正式に立ち寄りもしないとなると、王子のお立場が悪くなります。」
リリスの厳しい表情を見ると、何だかちょっと怖くなる。どうやって忍び込むのかとは思っていたが、まさか正面切ってとは・・
直に河原を返せと言うつもりだろうか?
「分かった、お前達に任せよう。」
キアンが珍しくキリッと王子らしい顔できっぱり言った。
「は、では。」さっと一礼して先を走る。
リリスは道が大きくカーブする先端の、見晴らしの良い場所へ立つと、公の屋敷の方向に向かって手を差し出す。みんな立ち止まって後ろで見守った。
やがて小さな声で、何かぶつぶつと唱え出す。
ヒュウウゥゥ・・ビュオオオ!
風がリリスの手に絡み付くようにつむじを産んで、やがてそれをリリスは手の平で優しく包み込んだ。
「風よ、風よ、白き翼の御霊を育め。
我が手の中に、仮初めの命よ、ファルド・コン・コルド。」
ピュルルル!バサッバサッバサッ!
「あっ!鳥だ!」
リリスがまるで手品のように風から作って、手の中から出したのは美しく真っ白い鳥!
「さあ、公の屋敷へ伝えておいで!」
ピュルルルル!!ピイーーイーー!!
バサッバサッバサッ
ぽかーんとアイ達は、どんどん小さくなって行く鳥を口を開けて見送った。
「リリス、あの鳥・・あたし見たことあるよ。」
アイがボウッとリリスの後ろから話しかけた。
振り向いたリリスは、微笑みを讃えて優しく頷く。
「お気づきでしたか?あの日、ラーナブラッドを鳥に捜していただいたのですが、一歩違いでアイ様が先に拾われたのです。」
「うん、近くの木に留まって、ずっと見てた。」
あの時、ひときわ珍しい、サギよりも小さいこの鳥の美しさに、思わず見とれたのだ。
「ねえ、今まで不思議だったけど、どうして私から無理矢理にでも奪い返さないの?」
「あなたは悪い方ではありません。」
そんな即答されると困っちゃう。
「悪い奴かもしんないよ。質屋に持っていって、お金に変えちゃうかも。」
「うふふ・・そんな事、しなかったではありませんか。」
それは結果論でしょうに。
「したらどうしたの?」
「さあ、しなかった事について考えても、それは無駄でございましょう。」
きょとんとして首を傾げるしぐさが何だか、すっごく可愛い。
何て人だろう・・・・・うう、負けました。
アイは制服の下に手を差し入れ、ラーナブラッドを取りだした。
石は変わらず不思議な感触で、透き通った輝きを放っている。アイは表面を制服の裾でキュッキュッと磨き、ハイとリリスに手渡した。
「これ、返すわ。リリスにゃあ負けたよ!」
「ありがとうございます。あっ・・」
「あ!何これ?!色が・・」
石は、リリスの手に渡ったとたん、フワリと淡いピンクに変化した。
驚いてキアンが飛びつき、さっと手に取り日にかざす。
「やった!やったぞ!色が少し変わった!」
「これ、色が変わるの?!」
「ああ、最後はドラゴンの誓いを受けて、血の色になるのだ。その時正式に僕に王位継承権が生まれる。」
「じゃあこれは?キアンのパパが真っ赤にしたんでしょ?これ、色が消えてるじゃん。」
「これは王の子が十三になった時色が消える。
それが旅立ちの合図、ドラゴンとの契約が切れた証だ。
だから僕は急いでドラゴンと再度契約しなければならない、ぐずぐずしている暇はないんだ。」
なるほど、子供が大きくなったら契約はリセットされるらしい。つまり今、ドラゴンたちはフリーな訳だ。
「でも良かった、石が僕を認めてくれて!」
「えー?でもさ、リリスが持ったとたん色が変わったんだよ?あんたかんけーないじゃん。」
キアンがムッとしてアイを睨む。
「これには僕の血を吸わせて、僕が契約しているんだ。お前こそ異界人だから関係ない。」
「げ、あんたの血がくっついてたの?それ。
きたねーの!やだ!」
「失礼な!汚くないぞ、これは神聖な物だ!」
リリスがさっと跪き、キアンに頭を下げた。
「王子、おめでとうございます。これでドラゴン達の忠誠も、得られやすくなりましょう。」
「ああ、これもお前達のおかげだ。」
およ?キアンの口からそんな言葉が出るなんて、成長したかな?
吉井がニヤリと笑う。
「リリス、これはお前に預けておく。
僕はうっかり屋だからな。お前なら間違いはない。」
「うん、それ正解、キアンは抜けてるもん。」
「何い!アイ!貴様女のクセに無礼だぞ!」
跪いたリリスが、うやうやしく両手を差し出す。キアンはその手にラーナブラッドを渡した。
「確かにこのラーナブラッド、このリリスが命に代えましてもお守りいたします。」
「うむ、頼んだぞ。」
ザレルも珍しくキアンに跪く。
本人が気が付かない内に、この旅で少しずつ成長しているキアンを見るのは、期待していなかっただけにザレルには楽しくなっていた。

6、ベスレム

 アトラーナは小国ではあるが、それを三つの地方に分けてある。
王都ルラン、そしてレナント、ベスレムだ。
王には二人の弟、一人の妹がいるのだが妹は隣国へ嫁ぎ、次弟サラカーンは城で執政に携わり、末弟ラグンベルクは子のいなかった叔父の養子となってベスレムを治めている。
家を継ぐのは男子のみと言う決まりの元に、その家の長男と生まれたからには、生まれた時から思い重責が肩にのし掛かるのである。
「しかしな、僕の他はみんな妹なのだ。
だから僕が王位を継がなければ、サラカーン叔父の息子であるレスラカーンが次なんだ。
ところがレスラカーンは・・ちょっと問題が大ありなんだ。」
「何?あんたよりバカなの?」
ム?何か棘があるぞ?
「バカではない、僕に似て大変な美丈夫なのだが、可哀想に生まれつき目が見えんのだ。
僕はあいつに苦労させたくない。僕には他に男兄弟がいないからな、僕の妹を嫁に取ってあいつはゆっくり過ごして欲しい。」
「んま!」
バーンッ!いきなりヨーコがキアンの背を叩いた。
「痛い!痛いじゃないか!バカ女!」
「あんた偉いよ!バカだとばかり思ってたけど、あんたやっぱ王子だねえ!いいよ!最高!」
「ウム、ようやく僕のすごさが分かったか。
だから、僕は絶対に失敗が許されんのだっ!」
「よーし!がんばろうぜ!キアン!」
「おーっ!」
しかし、邸宅まではまだ遠いらしい。
目の前にありながら、まだ公邸の後ろしか見えないのだ。これが正面に回るのにどれだけ歩けばいいのだろう。
邸まで続く山肌の道を、ずっとくねくね歩き続けている。みんな先程までの元気が消えて、溜息ばかりが目立つようになってきた。
 日が徐々に傾きかけ、何となく眼下の牧場を見ると、白い動物がムームーと鳴きながら、人に追われている。
ここの羊は、今まで見てきた羊よりとても大きい。ヨーコが目を凝らしながら聞いてきた。
「ねえ、あの牧場何飼ってるの?羊?」
「え・・と、私は、その羊という動物を見たことはございませんが、あれはシビルと申しまして白い毛がフワフワとした動物でございます。
普段はのんびりした動物ですが、驚かすと凄い勢いで突進してくるんですよ。」
「だからこいつを飼うのは、こういう仕切られた中でないと無理なんだ。
しかし、肉は凄く美味くてな、高値で取り引きされる。」
「へえ、珍しい家畜なの?。」
「うむ、ベスレムは昔、このアトラーナでも貧しい所だった。しかし、叔父上がここを治めるとすぐ、皆にシビルを飼わせるようになったんだ。肉もいいが毛も凄く柔らかで上等だから、毛織物でも良いお金になる。
ここの絨毯は素晴らしいんだ。
みんな裕福になって、とても喜んでくれた。」
キアンが鼻高々、自慢している。
「でも、その叔父さんがこの石狙ってんだ。」
「うん、叔父上は本当に偉い方なのに、どうしてなんだろう・・リリスの言うことが間違いであればいいのに・・」
自慢の叔父が自分を陥れようとするなんて、信じられない。
キアンの気持ちを思えば、みんなどう声を掛けていいのか分からなかった。
「あ・・・あれ、何?」
前を続く曲がりくねった道の途中、ここから見渡せるところにふと、砂煙を上げて走る二頭立ての馬車が見えた。
「あれ、あれが馬?化け猫じゃん。」
この世界の馬は毛がふかふかして顔が短い。
体つきもしなやか、まるで大きな猫だ。
静かにしてみれば確かに、ガラガラと、音が山々に響いている。
後ろは無骨な木造のようだ。まあ、ここでカボチャの馬車は無理だろう。
「あっ!あれは叔父上のお持ちになっている馬車だ!迎えを出してくださったのだ!」
「キャ!ほんと?!馬車なんて初めてじゃん!」
「ステキ!格好いい!」
キアンは手放しで喜んでいる。しかしリリスはその横で、厳しい顔をしていた。
「キアン様、キアン様お聞き下さい。
ラグンベルク様にはどうぞお気を抜かれません様に。何を言われましても、リリスとザレルはキアン様の味方でございます。」
「何を言っている!そんなこと分かっているとも!お前も考えすぎだ!
リリス、見よ!叔父上はあのように迎えまで出してくださったではないか!
大丈夫、お前の考える事など無い!あれは部下が先走ったことをしたのだ。
そうだ!僕から叔父上に話しておこう!」
「なりません!どうか叔父上様を刺激なさることは仰いませぬように!キアン様!」
「ああ、わかったわかった!」
キアンはろくに話を聞こうとしない。
ああ・・嫌な予感がする・・
御師様、御師様、リリスを助けてください。
恐怖に押しつぶされそうで唇を噛むリリスの小さな肩を、ザレルがポンと叩く。
吉井ももう片方の肩を叩いてくれた。
「俺も、手を貸すよ。」
「はい、ありがとうございます。私も、河原様のご無事をお祈りしています。」
「ン、あいつはきっと大丈夫!大丈夫さ!」
大きな不安感を抱えるまま馬車はどんどん近づいてくる。やがて丁重な迎えの元に一行は、馬車でラグンベルク邸へと向かっていった。
 「どうぞ、こちらにてお待ちでございます。」
侍従が一行を広間へと案内してくれる。
時々訪れていたキアンには見慣れた屋敷だが、他のみんなは初めて見るところだ。
外観はその大きさから迫力に圧倒されるものの、飾りのない質素な作りには主の性格が見えるようだ。しかしやはり王家の流れを汲む城らしく、中に入ると質素さの中に美しい図柄の絨毯や、緻密な細工で装飾してある家具、そして品よく彫刻の施してある柱や壁は素晴らしい。
窓からの明かりと言う主に自然光に頼った照明も、薄暗さが一層重厚感を引き立てた。
帯刀している兵士も数人は見えるが、ほとんどは下働きの女達や従者達がキアンに向け、うやうやしく頭を下げている。
外でネを上げていたのが嘘のように、キアンは堂々と胸を張りのしのしと歩いていた。
「へえー、やっぱさ、キアンって王子なんだ。」
「シッ!お前達、余計なことを喋るな。
僕が紹介するから。いいな。」
えらっそうにさ!でも・・
緊張して心臓がドキドキ飛び出しそうだ。
「キアナルーサ様、お越しでございます。」
ひときわ大きなドアの前にいた兵士が、大声で告げた。
侍従を追い越して、キアンがさっと歩みを早めその部屋へと入ってゆく。
「わあ!」
後ろに続いたアイとヨーコが、思わず声を漏らした。
美しい絨毯の絵柄の中に、赤い海の中を美しい純白の鳥たちが群をなして舞っている。その周りにはまるで鳥を讃えるように薄いピンクの花弁を大きく広げた花が咲き乱れ、周囲を飾る蔓草がそれを引き立てていた。
その部屋に入った者は、まずそこに敷いてある巨大ながらこれ程に贅を尽くした絨毯にまずは目を奪われるのだ。
ぐるりと見回せば、三階までを吹き抜けているような高い天井。
そして、広々とした空間にはただ一つ、正面に豪奢な椅子。そしてその椅子には・・
「叔父上!キアナルーサでございます!
お久しゅうございます!」
「よう来た!キアナルーサ!ようここまで歩いてきた!」
キアンの後ろでザレルは膝を付き、リリスは土下座して深々と頭を下げている。
アイ達も訳が分からず、リリスのまねをした。
「無事で何より、兄王にはわしから便りを飛ばして置いたぞ。さあ、疲れたであろう、しばしゆっくりと休むが良い。」
「ありがとうございます。叔父上のお心遣い、痛み入ります。」
「キアナルーサ様!」
タッと公の傍らから、可憐な同年齢ほどの姫が、金の巻き毛とピンクのドレスをなびかせて駆け寄ってきた。
「フェルリーン!どうしてここに?!」
キアンが目を丸くして彼女を抱き留める。
「すげえ美少女。」吉井が小さく呟いた。
彼女は隣国の王女だが、生まれる前から二つの国の取り決めで、次のアトラーナの后となるべく生まれた王女だ。
互いの国同士、婚姻で親戚関係を作り、つながりを深めてトラブルを避けようとするのはどこの世界でも同じだ。
「だって、心配でございますもの!大切な未来の旦那様がおケガでもされてはと、フェルリーンは夜も眠れません!」
「そうかぁ?へへ、心配させるな。」
キアンの鼻の下が伸びている。
ブルーの瞳に金の巻き髪、まるで西洋人形のように美しい姫がすでに許婚とは!
キアンめ!羨ましい奴!
吉井がくそーっと唇を噛む。
横ではリリスが、そうっと姫を見て頬を赤らめた。
しかしアイには別に興味がある。
よく見えなかったが、果たして、そのラグンベルクとはどういう男なのだろうか?声は思ったより随分低く通ってダンディーな感じだ。
アイがそうっと頭を上げ、よく見ようとラグンベルクを覗き見る。
その時、思わず目が合ってしまった。
「あっ!あの!えと!こんにちは!」
ゲゲッ!てっきりハゲデブと思っていたのに!
格好いいおじさまじゃん!
「ほう、これは異界人か?」
キアンがチッと舌を鳴らしている。
悪かったねえ。
「恐れ入ります、ペルセスが何者かと間違えてこの者共の友人をさらいました物で、我らも共に探しております。」
「ペルセスが?」
「はい。」
ドキドキ、果たして白を切るのかそれとも本当に知らないのか?
ラグンベルクは侍従に視線を走らせた。
侍従が一礼して近くの兵士に一言告げる。
兵士はスッとその場から消えた。
「後ろの者、ようキアンに仕えてくれる。
礼を言うぞ、名を申せ。」
しかしリリスは顔も上げずひれ伏したままだ。
「恐れ入ります、ラグンベルク様。
我が名など、御耳に触ります、お許しを。」
「よい、可愛い奴よ、風の息子。
お前の名はこのベスレムまで届いておるぞ。
幼少よりその力は秀で、セフィーリアも舌を巻くほどとか言うではないか。」
「お戯れを。私など、御師様のお手汚しでございます。こうして何とか人並みにしていただきました。」
「ふむ、・・」公が眉をひそめる。
不興をかったのかと、リリスはじっとりと額に汗が浮き上がり青ざめた顔をしている。
何故かリリスは名を語ろうとしない。
その上、周りに立つ公の従者達も、あからさまに眉をひそめてヒソヒソと耳打ちしている。
「男、お前は何という。」
今度はザレルに問われた。
「ザレルにございます。」
ザレルはいつものようにぼそっと告げる。
「ほう、お前が兄上自慢の狂獣ザレルか。
お前に戦いを挑む者はいないとか?
さぞ素晴らしい戦いぶりであろう。」
しかしザレルは、頭も下げずに無粋に告げる。
「狂った獣は、獣にも劣ります。」
何と、ザレルまで褒め称える公の言葉に水を差してしまった。
「キアナルーサ。」
面白くなさそうな顔で声のトーンが落ちる。
「は、はい!」
キアンもびくっと飛び上がった。
「もう一人いなんだか?それはどうした?」
「それが、体調を崩したので帰しました。」
「まあ!では従者が減りましたの?」
もう一人、若い貴族の息子は旅に出てたった二日、慣れない野宿で体調を崩してしまった。
キアンと同じく、貴族生活で移動はほとんどが馬や馬車、体力はゼロに近い。
何とも嘆かわしいことだ。
「悪魔と獣か!何と変わった従者よ!
それでもこのアトラーナでも、最高の供と言えよう。フェルリーン殿、心配いらぬぞ。
はっはっはっはっ!」
大きな声で笑う公は、バカにしているのか誉めているのか分からない。
「御館様、お連れいたしました。」
声に横を向くと、奥のドアから兵士に連れられ、白いシャツにぶかぶかのカラフルなズボンというこの世界の服を着た、見覚えのある少年が連れられてきた。
「河原!」「河原!あんた無事?!」「やだ!」
アイ達が思わず声を上げ、その場に立ち上がる。河原は声もなく、信じられない様子でその場に立ちすくんでいた。
「うう・・うううあああ・・」
嗚咽がこぼれ、涙をぽろぽろとこぼしながら駆け寄ろうと、河原が一歩足を踏み出す。
それを、先導してきた兵士が止めた。
「この者は偶然部下が保護したので、無事に帰すときまでとわしが預かっていた。
異界人を王家の許し無く、勝手に連れてくることは禁じている。よって連れてきたペルセスは罰した。」
偶然って、どういう偶然やら。
「それはありがとうございます、叔父上。
この者達も心配してここまで参りましたが、ようやく一緒に帰れましょう。」
キアンが振り向き、吉井ににっこり笑った。
やっぱお前立派な王子だ、きっちり挨拶できてるぜ。
吉井もグッと親指を立てる。
「しかしのう、ただお前を帰すのは面白う無い。どうじゃ?余興も良かろう。
風の息子よ、この絨毯は見事であろう?」
余興だとお!人さらい!早く帰せ!
アイ達が言葉を飲み込む。
「はい、これほどの物はこの世に二つとはございませぬ。」
「良かろう、この図柄の鳥たちを、見事飛ばして見せよ。さればこの者を速やかに帰してやろう。」
「ゲゲッ!」アイが思わず叫んで口を手でふさいだ。
絨毯の絵の鳥を飛ばせって、そんな無理な話あるかよ!
「恐れながら、鳥はここを離れとうないと訴えております。」
「訴える鳥がおるなら、飛ばして見せよ。」
リリスがじっと俯いて、そして顔を上げた。
「承知いたしました。」
ザワザワザワ・・
この場にいる一同が、信じられないとリリスをあざ笑う。魔術は手品ではないのだ。
出来なかったら、河原はどうなる?
異界人一同、リリスに手を合わせるしかない。
神様、リリス様あー!アイ達は息を飲んで手を合わせた。
「失礼いたします。」
リリスはスッと立ち上がり、絨毯の中央に立つと小さな声で呪文を唱え始めた。両手を絨毯にかざし、色違いの目をうっすらと閉じる。
吹き抜けの高い窓から、スウッと一陣の風が舞い降り、フワリとリリスの赤い髪を巻き上げ、長いコートの裾が舞い上がった。
白い短パンからスラリと伸びた白いリリスの足があらわになり、小さな足を包むショートブーツが絨毯から浮き上がる。
「浮いた?!」
風と一つになったように、彼は難なくこのささやかな風に浮き上がったのだ。
「暁の海を飛ぶ鳥よ、乙女の息吹を紡いで生まれいでた鳥達よ。
乙女の純白の血を命に変えて、今この一瞬を羽ばたくがよい。
風のセフィーリアの名の下に、偽りの翼よ風を切り飛び立て!フィード・レス・ブレス!」
フッと絨毯の鳥達に光りが宿り、その光りは満ち満ちて部屋中を照らし出した。
ゴオオオ・・・!!ビュオオオオ!!
「きゃああ!!」「うわあっ!」
突然部屋中を突風が吹き荒れ、それはリリスを中心に渦を巻き上げる。
「あっ!光りが・・鳥が!」
フワリと、それに巻き上げられるようにして鳥の図柄から、光り輝く鳥達が舞い上がった。
「わ!あ!あ!あれ・・は!」
「おお!」
次々と舞い上がった鳥達が、キラキラとまばゆい光を放ちながら人々の頭上を夢のように飛び交う。
ヒュオオオオ・・
やがて全ての鳥が舞い上がると、風は音もなく消え失せた。
後にはゆらゆらと、部屋中を舞い降りてゆく光り輝く鳥達の姿が、また絨毯へと吸い込まれてゆく。
「ああ・・きれい・・」
「何てステキ・・美しいわ・・」
すうっと皆の足下の鳥の絵に、光りの鳥が吸い込まれるように消える。それを思わず掴もうとしても、光りが指の間をすり抜けていく。
・・・そして、最後の一羽が絨毯に消えた時、呆然とただ口をぽかんと見ていた人々も、言葉を失って自然と手が動いてしまった。
パチパチ・・・パチパチパチパチ!
つられて今までリリスを軽蔑していた者まで思わず手を叩く。
そのほとんどが、初めて目の当たりにする魔術の違った一面に打たれ、感動していた。
「素晴らしいぞ!風の息子リリスよ!
気に入った!褒美を取らす!何なりと申せ!」
リリスはまた、床にひれ伏している。
どんなに誉められても、決して驕ることのない性格だからこその実力なのだろう。
「ではお約束通り河原様をお返し下さりませ。」
「それはもっとも。ではお前自身は何を欲するのだ。」
私?私は・・
リリスはその時、じっと床を見て考えていた。
今、ここで両親が・・知りたいと言ったら?
でも、それを知ってどうする?
ふ・・・と、セフィーリアの顔が浮かんだ。
「私は、何も欲しい物などございません。
ただ、今夜一夜の安息を。それで十分でございます。」
「承知した!リリスよ!
お前の名、わしは美しいと思うぞ!お前の髪も、その汚れを知らぬ目もな。美しい!」
ラグンベルクは立ち上がり、大きく手を広げてリリスを賞賛した。
 しかしそれを見て、唇を噛む女が一人、ドアの影からそうっと覗き込んでいる。
「あの、グレタ様?中へ入られてはいかがですか?」
「わしは呼ばれておらぬ。」
グレタの低い声に、兵士がドキッと飛び退く。
怒った婆さんは怖い・・
「グーレター様あー、会わないのお?」
のんびりシビルが、後ろから声を掛ける。
グレタはくるりと振り向くと、シビルの首根っこを掴んでだっと駆けだした。
 シビルを引きずって階段を駆け下り、水鏡にリリスを映しだす。
「いたーい、痛いよおー!わあーーん、」
着いた先は言わずと知れたグレタの部屋だ。
「おのれ!リリスめ、あのような子供騙しで御館様を惑わしおって!どうしてくれよう!」
「グーレター様あ、お尻痛いようー。
水鏡あるのにー、何で見に行ったのおー?
あー、わかったあ、あの子可愛かったよねえ。」
「どの子じゃ?どれが可愛いと?」
ムッとしてシビルを睨み付ける。
「えへえへ、んーー・・あれえ?だれだっけ?」
「フッ、ホッホッホッホ!お前に聞いたが間違いじゃったわ。ホッホッホ!
ようやく駒が我が手の内に自ら入ってきおった。ホッホッホッホ!見ておれ!
バカ王子よ、我が手の中で見事舞うがよい!」
ほくそ笑みながら水鏡に映るキアンを、グレタは獲物を見る目で見つめた。
 その夜、皆が久しぶりに広い風呂を楽しんだ後、ラグンベルクは一行を歓迎して宴を開いてくれた。
大きな広間に並んだテーブルの上、沢山の料理が運ばれてくる。最も上座にはラグンベルクが座し、中央のテーブルにキアン一行が並んで座った。
無礼講で自由に楽しんでくれとの公の言葉を鵜呑みにして、アイ達はとにかく河原と再会できたことを喜ぶと、会えなかった間の話しに尽きることなく、おしゃべりに夢中だ。
キアンはフェルリーンとべったりだし、リリスとザレルは無言で座っている。
やがてテーブルにいっぱいの食事が次々と運び込まれ、この世界では未成年という制限がないらしい葡萄酒もグラスに注がれた。
「カンパーイ!」
「まさかここまで来てくれるとは思わなかったぜ!嬉しかったあ!夢かと思った!」
「バカ!友達だろ?お前本当に無事で良かったぜ!ああ、マジ良かったあ!」
「ねえねえ、ほんと無事?ケガしてない?」
「うん、ここに来たときは凄く怖かったけど、御館様に大事にして貰ったから。」
「大事って、変なことされなかった?」
「う・・うん・・」何気なくされた質問に、いきなり河原の顔がさっと変わった。
ドキッ!みんなの心臓が波打つ。
「な、何しろ無事だったからいいじゃん!
ほら!これ何?美味いの?食べようよ!」
「ほんと!久しぶりでマシなご飯にベッド!ああ!も一度お風呂に入ろうっと!」
「な、河原!一緒に帰ろうぜ!」
「うん!やっと帰れるな!」
みんな懸命に河原を元気付けながら、奇妙にはしゃいで食事をとった。
食事の間には傍らで、楽師達が奏でる美しい音楽と乙女の清々しい歌が披露され、薄い衣を羽織った女達の舞が始まった。
軽やかなハープの一種フィーネの音色が部屋を満たし、衣が色とりどりの花弁を散らすようにひらひらと舞い踊る。涼やかな笛の音には、間を飛び交う小鳥達の姿が見え、ついで出てきた美しい少年がボーイソプラノで歌う歌は、時に切なく、時に優しく、そして大らかにつづった詩を歌い上げていく。
まるで映画のワンシーンのような様子に皆は酔いしれ、美酒と山の珍味に舌鼓を打ちながら夜が更けていった。
しかしその中で、リリスだけはキアンの様子を窺い、ピリピリと緊張が見て取れる程に周りに目を配り、食事になかなか手が出ない。
そんな彼の姿に侍従のデラスが眉をひそめ、酒臭い息を吐きながら近づいてきた。
「これはこれは赤い髪の魔導師殿。
御館様のお志が口に合わぬか?日頃は大変なご馳走を召し上がっておいでと見える。
ご両親はさぞ名高い貴族のご出身であろう?」
デラスが知りながら意地悪く出生を問う。
リリスは、それでも微笑んで答えた。
「いいえ、私は・・拾われ子にて、両親はございません。でも召使いにも関わらず、魔導の師に・・大切に育てていただきました。」
「はっはっはっは!その師は、召使いを大事に育てられるのか?何と酔狂な事よ!」
「はい、私も感謝しております。」
むむっ!
さらりと返すリリスに、デラスが思わず一歩下がる。からかって恥を掻かせてやろうとしたのに、挑発に乗るどころか余裕さえあるではないか。
「フン!卑しい出の魔導師など片腹痛いわ!」
デラスはあっさり諦めてプイと立ち去った。
ふうっ、リリスが白い顔で俯いて座り直す。
一通りを見ていたザレルは立ち上がり、部屋の隅に行って壁により掛かると、腕組みして大きな溜息をついた。
リリスは健気なほどに王子に尽くしている。
それは、リリスが王子に初めて会ったときから容易に見て取れた。それなのに・・・
それなのに出発の直前、ザレルは一人、王に呼ばれたのだ。
そこで王はザレルに言った。いや、密かに命令した。
「リリスが王子に不利益な事を言ったり、行動を起こすようなら・・・切り捨てよ。」
彼は心底驚いた。王子を託す、旅のかなめとも言える魔導師を、王は何故か信じていないのだ。
しかし、彼にはリリスに恩がある。
「私には、出来かねます。」
「お前だからこそ頼むのだ。お前はリリスとも親しい。気を許して胸の内を語ることもあろう?だからこそ、事が起きる前に切れ!
これは王命ぞ!お前はキアナルーサの家臣なのだ!」
どうしてあのような事を・・
理由も、身分の低い下賤の出だからだ、と言われたのだが、どうも腑に落ちない。
何か他に理由が・・
 そばの重臣達が、グラスを持って近づいてくる。差し出されたグラスを断り、ザレルは重臣達から目をそらして遠くリリス達をじっと見つめていた。
「さしもの剣の達人も、二人の子供のお守りでは剣も泣きましょうな。」
何気ない話しぶりだが、皮肉も込めて聞こえる。しかし、ザレルは眉一つ動かさない。
「やれやれ、気味の悪い髪と目じゃ。
魔導師にあのような者しかおらぬとは、王子も可哀想ではござらぬか?
お主もさぞお疲れであろう。」
「従者が二人とは、王子も貧相な事よ。」
だが、やはりザレルは彼らの期待に反して、表情一つ揺るがない。それどころかふと俯き、ニヤリと口端を上げた。
「アトラーナは治安がよい、従者二人で十分。
あれは魔導の達人、私は剣、仰々しさはかえって敵を増やす。王も王子も良くお考えだ。」
重臣達がハッと一歩引いた。
彼らをけなすのは、王をけなすことになる。
そう、面と向かって言われたと同じだ。
「フン、まだ一つも忠誠の印を貰っておらんと聞いたぞ。
我らが王子ラクリス様ならお主も楽であったろうが、皮肉な事よ。
最も王に相応しい方が、最も王に遠い。」
「ベスレムは謀反を企てられるか?」
ギロリとザレルが恐ろしい目で重臣を睨む。
重臣の背にゾッと寒気が走って、思わず身体を引いた。
「と、とんでもない!たとえばの話し。
まじめに考えめさるな。おお、恐ろしい。」
相手は狂獣とまで歌われた男。
重臣達は恐怖を背に、こそこそ話しながらその場を立ち去っていった。
しかしザレルも内心悩むときがあるのだ。
確かに・・キアンは本当に、王に相応しいのだろうか?
 一つの音楽が終わり、皆が手を叩く。
キアンに旅の様子を聞いていたラグンベルクが、突然リリスを呼びつけた。
「リリスよ、お前はフィーネの名手と聞くが、聞いてみたいものじゃ。ここでひいて見せよ。」
「あれは・・公にお聞かせするほどの物ではありません、どうかお許しを。」
「良い、お前が奏でるのを見たいのじゃ。」
「・・・・承知、いたしました。」
仕方なくリリスが楽師からフィーネを受け取り、床に座ってポロンとつま弾く。
「わ!リリスがひくんだって!すっごい!」
アイ達も話を止めて注目する。
フィーネとは、ハープの一種だが形は細長く、1m程の高さでCを崩したような流線型をし、中に十二本の弦が張ってある優雅な楽器だ。
天分の才があったのだろう、リリスは小さい頃、師にほんの少し習っただけでその技を自分の物にしてしまった。
以前何度か、ザレルの実家で彼の年老いた両親を前に演奏して喜んで貰ったのだが、おかげで人に知られるようになってしまった。
 ふう、一息息を吐いて整える。
ザワザワと話し声のする中、静かにリリスが奏で始めた。
ポロロ・・ボロロンポロロ・・ポロン・・・
皆、天の使いが舞い降りたかと思った。
優雅なリリスの姿に、聞く者を虜にするフィーネの音色。
何という軽やかで清々しい音の羅列。
それは川のせせらぎの中、暖かい風がフワリと頬をかすめ、木々が優しくサヤサヤと囁き、小鳥達のさえずりが遠くに聞こえてくる。
そんな錯覚を覚えさせる。
思わず人々は話を止め、リリスの手が生み出す風のようなフィーネの音楽に聴き入った。
ザレルが周囲を見渡す。
誰しもが、リリスを軽蔑していた者さえ、目を閉じじっと聞き入っているではないか。
この、人を引きつける力・・全てに秀で、そして美しいその姿。
色さえまともなら・・
余程・・リリスの方が・・・・
フフフ、何をバカな。彼は魔導師なのだぞ。
ザレルは珍しく笑いながら腰の剣に手を触れ、心地よい音楽に思いを馳せながら、初めてリリスに会った時を思い浮かべていた。

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