9、紅蓮の山

 トトトト・・
小さな少年が、ニコニコほがらかに笑いながら客室の並ぶ薄暗い廊下を走っている。
手にはミルクピッチャーを大事に抱え、ブドウより一回り小さい緑の粒が房をなしている果物の房を、幾つもぶら下げて時々べろりと物欲しそうによだれを流す。
やがて少年は、白い花が生けてあるドアの前で立ち止まると、息を整えてノックした。
ココン!「リーリースう!リーリースう!」
ガチャ!
ドアを開けたのはザレルだ。
「えへへえー、ミルクー、持ってきたのー。」
「わかった、入れ!」
苛立たしそうに、シビルをグイッと引き入れ、バタンと乱暴に閉める。
シビルに慣れない内は、誰しもがイライラする物なのだ。まあ、例外もあるが。
「ああ、シビル様毎日ありがとうございます、絞りたてのシビルのミルクですか?」
ベッドに座るリリスの後ろの窓から、パッと朝日が射し込み、まるでリリス自体が光っている錯覚に囚われる。
ぽやーんとリリスを見つめるシビルの手から、ザレルがさっさとピッチャーと果物を取り上げ、ベッドサイドのテーブルに置いた。
「あのねえー、グーレター様がーねえー、差し入れなのー。えへへー・・早く治してえ、早く出てけってえー。」
がくっと来るところだが、シビルは考え無しにストレートに伝える。
リリスはクスクス笑って、沢山の房の内二つをシビルに差し出した。
「これ、差し上げましょう。それと、グレタ様にお伝え下さい。わかりましたと。」
シビルがパッと顔をほころばせて飛びつく。
嬉しそうにプチプチ何個かつまみ、口に放り込んで大きく頷いた。
「うんー、わかったあー、じゃあねー。」
返事を皆聞かない内に、ザレルがドアを開けてシビルを外に放り出す。
そして、呆れた様子でコップにミルクを注ぎ、リリスに差し出した。
「まだ、三日しかたってないんだぞ。」
「ええ、もう三日も私のために立ち往生です。」
「フンッ!」大きくザレルが溜息をつく。
「では、明日朝に発つと王子にお伝え下さい。」
「まだ無理だ。傷は深くて大きい。」
「城から馬が一頭送られて来たとか?皆様、乗馬を練習されているそうですよ。ザレルは必要ございませんか?」
にっこり、また天使のような悪魔の微笑みだ。
絶対に明日と言えば明日だ。
他の人間の理由で日程が変わるのは良しとしても、自分の事には異常に厳しい。
今、やっと座ったばかりだというのに。
「今朝、ようやく熱が下がった。無理だ。」
「ええ、もう熱はありません。
多少の痛みは我慢できます。それに馬ならここから一日の距離です。夕刻には着いて、フレアゴート様にもお会いできるでしょう。」
リリスがミルクを飲み干してまた横になる。
ザレルがそれに手を貸し、彼の柔らかなウエーブの赤い髪を撫でた。
「馬に一日揺られるなんて楽じゃないんだぞ。
何を言っても無駄なのか?分からず屋。」
「はい、リリスは悪魔の子ですから、性格が曲がっておりますので。」
「まったく!
俺はセフィーリアに泣きつかれてるんだぞ。」
「うふふふ・・」
リリスが笑いながら布団に潜り込む。
ザレルはまた、溜息をつきながら部屋を出た。
 廊下を歩いていると、明るく場違いなほどにキャアキャアと黄色い声を上げながら、外で乗馬の練習をしていたアイ達が、キアンやラクリス達と階段を上がってきた。
上のキアンの部屋に行くのだろうか?
ザレルの階を通り過ぎる。
あれが、十三才なんだ。
・・・リリスは自分に厳しすぎる。
出来ればここで休ませてやりたいが、リリスは道案内でもあるのだ。
意地っ張りめ!
ふと、ザレルが手の平をじっと見る。
あの夜、どんなに押さえても溢れる血・・
血を見て、恐ろしいと感じた事など無かった俺が・・この、狂獣ザレルが・・
治療の間、痛みにもがくリリスを押さえる手が震えているのに愕然とした。
・・失う事の、恐怖・・か・・
モルドも、何とか助かったと聞いた。
階下の部屋にいるらしい。
モルドよ・・お前は死が怖くなかったのか?
大切な物とは・・何だ?モルド・・
ザレルはその昔、友だった男を見舞う為、ゆっくりと階段を下り始めた。
 翌朝、出発の前に皆でラグンベルクに挨拶となった。
ラグンベルクは計画の失敗と、息子ラクリスにたしなめられたことで、神妙な顔つきをしている。
それでも全てを知った上で何も問わないキアンに、彼は心から頭の下がる思いだった。
「では、叔父上、本当にお世話になりました。一同揃いまして礼を申し上げます。それと、私の為にご迷惑をおかけして、騒ぎを起こしました事も合わせてお詫び申し上げます。」
「いや・・・無事で何より・・」
「このたびは大変良くしていただいた上に、馬を他に二頭も頂きまして、助かりました。」
「うむ・・風の息子よ、傷はよいのか?」
「はい、このような傷、怪我の内に入りませぬ。ご心配をおかけしました。」
「そうか、あまり無理するでないぞ。
お前が傷ついたのは、誠に残念であった。」
「ありがとうございます。」
「・・・リリス、しばし近う寄れ。」
「い、いえ、滅相もない。」
公が眉間にしわを寄せて、どこか苦しげな顔でリリスに手招きする。しかしリリスは地に頭を付けたまま、決して顔を上げようとさえしない。身分をわきまえるリリスらしいが、公はとうとう自ら腰を上げ、リリスの元まで歩いてきてしまった。
「リリスよ、頭を上げよ、わしに良く顔を見せてくれ。」
公がリリスの元でかがみ込み、リリスの頬を撫でる。そしてようやく不思議そうに顔を上げたリリスに、優しく頷いた。
「良い魔道師になったのう、セフィーリアも立派に育ててくれた。
今の暮らしは辛くないか?」
「い、いえ、御師様には身分が違うにも関わらず、良くしていただいて本当に感謝しております。」
公は自分を知っていたのだろうか?
師が気まぐれに、拾い子を育てていると言う噂は、誰もが知っているのかも知れない。
師が育ててくれなければ、今頃自分はここにいないだろう。
リリスが恐縮して縮みこむ。公は優しい顔で彼の頭を撫でて立ち上がった。
「身分か・・リリスよ、何か不具合があればいつでもこのラグンベルクの元へ来るがよい。
わしは何時でもお前の後ろ盾となってやろう。」
「滅相もない、もったいないお言葉でございます。」
初対面から、やけに公がリリスにご執心だ。
自分を差し置いての言動に、キアンは少し不満そうに訪ねた。
「叔父上、リリスが何か?」
「よい、気にするでない。
皆の者大儀である、旅の無事を祈っておるぞ。」
「はっ!」
 ギクシャクした言葉のやりとりの後、キアン達は館の庭で馬を三頭受け取った。
ミューミュー・・ミューミュー・・
この頼りなげに鳴いている大型の猫、ミュー馬がこの世界での馬だ。岩山も少々の崖も、難なく飛び上がり走るのも速い。
ミュー馬はとても俊敏の上、賢いのでなかなか捕まらず、個体数も少ない高級品なのだ。
だからこれはラグンベルクの詫びの一つとも取れる。
 手伝って貰い荷物をくくりつけ、リリスとキアン以外は乗れるようになっていたので、自然とペアが決まる。
一番大きな白いミュー馬にザレルとリリスそしてキアンが、そしてアイと吉井、ヨーコと河原があとの二頭にそれぞれ騎乗する事になった。
城から届いたミュー馬は、真っ白で普通のミュー馬より一回りも大きい立派な物だ。
初めて見たリリスも、驚いた様子でそっと遠慮がちに毛並みを撫でた。
「何て立派な・・王子の母上様から送られてきたのはこの白い馬ですね。王子の身を案じられるお気持ちが良く分かります。
わあ、何て柔らかい!初めて触りました。」
褒め称えるリリスに、そんなことどうでもいいとキアンが手を取り覗き込む。
「どうだ?手に力は入るか?
傷に障らねばいいが・・・良い、お前がザレルの前に座れ。僕が背中にしがみつく。」
後ろは尻に近いのでどうしても揺れが激しい。それだけに落馬の可能性も高い。
驚いてリリスが、とんでもないと首を振る。
しかしキアンは強く首を横に振った。
「よい!気にするでない!」
「いいえ、キアン様が怪我でもされては・・」
「僕も後ろくらいは乗れるようになったんだ。
リリス!人の好意は黙って受けよ!」
馬上のザレルの手を借り、さっとキアンが後ろに座る。引きつった顔で、ギュッとザレルの腰にしがみついた。
見送りに来た、ラクリスとフェルリーンが笑っている。
「キアナルーサ!怒るとまた落ちるよ!」
「うるさい!心配無用だ!死んでもしがみついてる!ラクリスこそフェルリーンの手を放すなよ!」
「それも心配無用!僕もしがみついてるよ!
王への口添えの手紙、ありがとう!」
「フン!リリス!さっさと乗れ!出るぞ!」
ザレルがニヤリと笑ってリリスに手を伸ばす。
「ふふ、怒られてしまいました。」
「お前が悪い。手は上がるか?」
「大丈夫です。どうぞお気遣い無く。」
しかし、やはり右手が挙がらない。近くにいた兵士が軽々と抱き上げてくれた。
「ありがとうございます、助かりました。」
「いや、お気にめさるな。」
はにかむ兵士がスッと下がる。後ろから傷を庇うように、しっかりとザレルが抱いて耳元に囁いた。
「馬にリズムを合わせろ、辛いときは言えよ。」
「私のことより、王子を落とさぬように。」
「後ろはしらん。」
「ザレル!聞こえてる!貴様絞め殺すぞ!」
ギュウッとザレルの腰を締め付ける。が、全然効いてないようだ。
「こっちもオッケーだよ!落ちたら叫ぶから!」
他の二頭も無事騎乗した。
「じゃあな!また会おう!元気で!」
「ああ!また、今度は結婚式で!」
「熱々だね!じゃあ、またね!」
見送りの人々が明るい顔で手を振る。
一人はしゃいでいるシビルに連れられたグレタも、無言で遠くから見送っている。
ザレルは、さっと片手を上げ合図すると、城下へと降りて聖なる火の山と呼ばれる山を目指し、馬を早足で歩かせた。
 ベスレムの中心部よりずっと南下して隣国との境を作るその山は、アトラーナでも最も活動期に入っている山だ。
昔から煙を吐いて、万病が治る湯治場として人々に愛されてきたこの火の山には、火のドラゴンが住むと言われている。
その恩恵を受けて敬う人々によって遙か昔より神殿が建ち、巫女が代々仕えて神事を行ってきた。
それが十二、三年前から活動が活発化して、時折怒り狂ったように火を吐き灰を降らせる。
気難しい火のドラゴンは、人の幸せを拒み、緑を拒み、そして安寧を拒む。
山に苦しめられた人々はそう言って、山の麓を去って久しい。ただ、ほんの数世帯が残って、麓に造られた神殿を守っていた。
しかし、この数年、山はようやく沈静化の兆しを見せているのだ。
火のドラゴンも、ようやく眠くなったらしい。
見渡す限り灰色のモノクロの世界に、たくましい緑の息吹がちらほらと見えて、この地を愛する者には徐々に帰ってくる者も見られ、最近は徐々に昔の活気を取り戻そうと人々がまた湯治場を開いていた。
 タッタッタッタッタ・・
立ち枯れた木と、下草ばかりが生い茂る山道を、複数の馬の足音が入り乱れ、それでも何とか様になっている。
ゆっくりというわけに行かない。
疲れない程度に早足で、日も高くなる頃に何とか山を遠くに臨むところまで軽く走ってきた。
このままのペースで歩けば、夕方には麓まで行けるのだろうがそうはいかない。
短い周期で休憩を取るようにしているのだ。
異界人チームは馬に慣れていないから疲れるし、何しろリリスの身体が心配だ。
リリスは何も言わない、いつものようにただ微笑んで、大丈夫ですとしか言わない。
だからザレルが大事をとっていた。
タッタッタッタッタ・・タタッザザザッ・・
「水があるようだ、しばらく休もう。」
ミューミュー!ミューミュー!
立ち止まり、先頭の白馬が雄叫びを上げる。
すっかりリーダー馬だ。
しかしおかげで後ろの二頭も扱いやすい。
「おっととと・・はあー!疲れたあ!」
「なんか今までの道と違って、すっごく荒れてるね。あんまり人が通らないみたい。」
「うん、木も枯れてるしね。馬があって良かったよ。あ!ここ、水飲めるよ!」
みんな馬から下りて、小さな泉からそれぞれ水を飲んで休む。馬はやはり猫科か、水を取った後すぐに丸くなって眠った。
「ねえ、向こうの山、灰色だよ。所々から煙り上がってるだけで何にもないじゃん。」
火の山は、遠目にはグレーで煙を吐いている。危険はないのか心配だが、それはキアンが行けるところなら大丈夫だろう。
何しろ王位継承者なのだ。
「あれ?リリスは?」
「ほら、白猫に抱かれて寝てるよ。
眠いって言うけど、しんどいんだよきっと。」
「こっち遅れてるよ、傷縫って終わりじゃん。
点滴無いし、薬は薬草煎じたのだけだもん。
あの片腕の奴も良く助かったよ。」
「うん、リリス命がけだったもんね。
あんな殺し屋に、人がいいも程があるよ。」
「まあね、顔見知りだからほっとけなかったんでしょ。いい奴じゃん。」
ザレルが水を持ってリリスに差し出している。
いらないと首を振っていたが、強引に飲まされているようだ。
「もっと飲め、お前また熱が出ているだろう?身体が熱い、本当に・・」
シッとリリスが乾いた唇に指を立てる。
ザレルにごまかしは利かない。
「ドラゴンにお会いするまでです。
それまでのことですから。」
「無理・・するなと言っても、もう無理か。
ドラゴンに会ったら、今夜はこの麓の湯治場で休もう。」
ここまで来たのだ、引き返すことは出来ない。
湯治場でまた、主人がリリスを拒否するようなら殴り倒してでも休ませたい。
そう思うザレルだが、リリスはもう、そこで動けなくなる気がする。小さい体はすでに限界が近い。
セフィーリアよ、すまぬ・・
ザレルはリリスの髪を撫で、唇を噛んだ。
 離れた場所では、キアンも遠巻きにちらちらと二人の様子を見ている。
吉井がキアンに小さな声で囁いた。
「癒しの呪文とかないのかよ?魔導師だろう?」
頭には、ゲームの魔術師が浮かぶ。
呪文一つでパッとライフゲージが上がる奴だ。
「癒しは他人に施す物だ。力を使うのはそれだけで体力がいる。僕も良く知らないんだ。」
何だ、やっぱり世の中そんなに甘くない。
「そっか、じゃあもう少し休もうか。」
「ん、済まないな、迷惑をかけるよ。」
「え?いや・・」
他人を気遣うキアンを初めて見た気がする。
吉井はニヤッとしてキアンの肩を叩いた。
しかし、彼らは知らない。
フワフワと、柔らかな白い毛に身をゆだねて目を閉じるリリスは、それでもずっと癒しの術を使っているのだ。
ぶつぶつと小さく、何度も呪文を唱えるがあまり効果がない。
寒い。痛みがまた、激しくなってきた。
覚悟はしていたが、馬に揺られるのは身体に相当応える。辛い・・
ああ・・力が、尽きかけている。身体が重い。
血は力の源。
それをあれ程に流した上、モルド様の命を繋げるために総ての力を使ってしまった。
ああ・・王子の為に使うべき力を・・
でも、モルド様は助かったのです。
後悔はありません。
それでも力を使うべき時を誤った責は私にある。命を捨ててでも使命を果たさなければ。
御師様・・力をお貸し下さい・・
傷が・・傷が痛い・・ああ、御師様・・
リリスはだるい体を白馬にもたれかけ、神に祈る気持ちで回復の呪文を呟きながら、疲れていつしか眠っていた。
・・・・風よ・・
・・・・・・風よ・・・
・・・・我が愛し子を守っておくれ・・
・・・・・・お前の命を与えておくれ・・
夢・・?
遠くから風に乗って、御師様の声が・・?
身体を預けた白いミュー馬の暖かさが、優しく甘い師の手の中に思える。
リリスは夢の中で痛みがスッと軽くなっていく気がして、ふと目が覚めた。
アイの覗き込む顔が、目の前ににっこり笑う。
「みんなあ!リリス、目が覚めたよ!」
「あ・・・アイ様・・?」
身体を起こすと何だか軽い。
少しの時間だが、眠ったのが良かったのだろうか?
 「行くぞ、もう少しの辛抱だ。」
ザレルが心配そうに、リリスに手を貸して先に馬に乗せた。しかし当の本人は、以外と元気に微笑んでいる。
「随分気分が良くなりました。このまま山まで休まずに行きましょう。
私のために、ご迷惑を掛けました。」
ザレルがじっと顔を窺って、そして頷く。
山はもうすぐだ。
確かに、残りの距離をもたもた進むのは得策ではないだろう。
「わかった、急ごう。はっ!」
ザッザッザッ!
馬をいっそう早足で歩かせ始める。
スピードアップで遅れを取り戻さねば、明るい内にドラゴンと会ってその後近くの村まで行くのは無理だろう。
こんな殺伐としたところで野宿は避けたい。
夜は気温も下がって身体に堪える。
「あの道を右に!フレアゴート様は山の裏手を登ったところでお会いできるのです。」
「わかった。」
言われるままに馬を飛ばす。
やがて山の裏側にようやくたどり着いた。
そこは殺伐とした中、ちらほらと植物も見え、ガスは出ていないし風向きもいいのだろう、あまり灰も積もっていない。
それでも山の中腹まで登る道は所々が地震のせいか崩れかけ、片側は恐ろしいことに切り立った崖を成していた。
「ちょっと、こんな所で落馬したら命無いよ!」
「わかってるよ!今、集中してんだから、しゃべんなよ!・・っとと・・」
パラパラと足下の小石が転がって、谷底へ落ちてゆく。
「キャッ!吉井、しっかりしてよ!」
「おうっ!まかせろって!」
空を仰げば、日が随分傾いた。
明るい内に降りないと、足下が危険だ。
河原にしがみつく、ヨーコの手に力が入る。
河原は怖いの半分、少し嬉しい。
「しっかり掴まってろよ。ヨーコ!」
「ね、河原。」
「何だよ?」
「ごめん、あたしリリスがやっぱり好き。」
河原が真顔になった。
今までも、別に恋人だったわけじゃない。
でも、こうして迎えに来てくれたのが無性に嬉しかったし、アイと吉井がいい雰囲気なので、もしやとヨーコに期待をかけたのもウソではない。
でも、ヨーコがリリスの事を話す時の目の輝き・・すっかりあいつはヨーコの王子様だ。
あいつにゃあ・・俺も敵わねえかも・・
実は想像していたのだが、実際に聞くとやはりショックは大きかった。
「知ってるよ、いいさ、まあがんばれ努力賞。」
「フフッ!何それ?!」
「俺と吉井は参加賞だろ?あ、キアンもか?」
「まあね!」
ヨーコのぬくもりが背中に心地いい。しかし心はちょっぴり傷ついて、もの悲しい河原だった。
 ヒュウウウ・・・
山も半端まで登ると冷たい風が吹き付け、足下に広がる荒れ地とその後ろに広がる広大な森の向こうに山々が連なり、随分景色もいい。
「やっぱさ、ビルがないから随分見通しいいわよね。」
なるほど、言われてみればそうだ。
「ザレル、もうすぐの所に大きく壁がえぐれて、地面から蒸気を吐いている所があります。
そこはちょっと広くなっていますから。」
「蒸気が?危険じゃないのか?」
「ふふ、危険と言っていたら、フレアゴート様にはお会いできません。でも、ご心配なく。」
フレアゴート・・火のドラゴンか・・
こんな所までこいつは一人で・・
ザレルの目が、前に座るリリスに目が行く。
うっ!思わず息を飲んだ。
リリスの真っ白なコートの右肩に血が、赤く滲んでいる。
傷が・・開いたのか?!まさか!
甘かった!こいつは馬が初めてだ、しがみつくのに無駄に力も使う。
やはり無理だったのだ!
ザレルが動転して、最善の方法を考え始める。
ところがリリスはそれを察したのか、前を真っ直ぐ向いたまま静かに囁いた。
「ザレル、大丈夫、私は大丈夫です。
騒いではなりません、このままのペースでゆっくり。あなたがペースを乱すと、後ろの方々に影響します。」
「しかし!」
「どうした?何かあったのか?お前達。」
キアンがそっと聞いてきた。
「いいえ、何でもございません。もうすぐでございますよ。すぐに広いところへ出ます。」
「そうか、それは助かる。もう、疲れた。」
不審に思いながらも、その終点を待ちわびて、今は懸命にしがみつくので精一杯だ。
ズズズズ・・・
「きゃっ!」「わあっやばいよ!」
突然、地面がわずかに揺れ動き、バラバラと小石が降ってきた。
「急ぐぞ!」
ザレルが馬の足を速め、それを追って二頭も足を速める。
「怖いよ!怖い!」
アイの叫びに、リリスが小さく呪文を唱えた。
「セス・ラナ・ヤーン、守護の女神よ、我ら迷い人に暖かな守護の翼を。」
ヒュウウウウ・・
冷たく刺すような風を遮り、暖かな柔らかい風が皆を包んで、優しく背を押してくれる。
「何?何?何だか暖かい。見て!」
「石が避けてる!」バラバラ降り注いでくる小石も、彼らを避けるように落ちてゆく。
やがて三頭は荒れた山道を駆け昇り、そしてようやく終点と思われるところへと出た。
道が倍ほどに広がり、突き当たりにそびえる山壁が背丈の倍ほどに大きくえぐれている。
昔は人間が訪れていたのだろうか?
雑草の間に、磨き上げられた石を組み合わせた台と香炉が崩れ、転がっていた。
「ここか!みんな!着いたぞ!」
確かに道は広がったが、後ろは切り立った崖に違いはない。覗き込むとゾッとする。
そして前には、何と大きく壁がえぐられたそこに、地表の裂け目からシュンシュンと音を立てて蒸気が噴き出していた。
怖くて近づけない。
「マジかよ!これでどうやって会うんだ?」
吉井がそうっと蒸気の噴出口に近づく。
蒸気は岩の割れ目から出て、熱気がムッとする。ここにセイロでも置けば、いい具合に饅頭が出来るだろう。いや、正統派は温泉卵か。
「痛むか?ゆっくり下りろ。」
「大丈夫ですよ、ザレル・・うっ!く・・」
リリスがザレルの手を借りて、何とか馬から滑るように降りてきた。
真っ白な顔に、ザレルが支えていないと膝がガクッと折れて倒れそうになる。
キアンも心配そうに手を貸し、蒸気の手前に並んで膝を付いた。
「大丈夫なの?本当に。」
「いいからお前達も座れ!火のドラゴンは人嫌いで有名なんだ。無礼の無いように黙って座ってろよ。」
「うん。」
「皆様、驚いて後ろの崖に落ちません様に。
フレアゴート様は、火と共においでになりますが、決して危険はございません。」
「急ごうよ!また地震があるかもしれないよ!」
アイは地震、雷、大嫌いだ。
「わかってる!」
キアンが焦って見える。
今はリリスの為に、一刻も急ぎたいのだろう。
「リリス!あんたまた血が滲んでる!大丈夫?」
「ほんとに、お前マジ大丈夫かよ!」
彼は辛そうに俯いて、それでも微笑んでいる。
年齢以上の精神力だ。
「暗くなります、急ぎましょうキアン様。
フレアゴート様は、地中深くから炎と共に姿を現されますからご注意を。」
「分かった。」
キアンが懐からラーナブラッドを取り出す。
そして右手でそれを掲げ、蒸気に向かって大きな声で名乗りを上げた。
「誇り高く、尊き火のドラゴン、フレアゴートよ!私はアトラーナ王のただ一人の王子、キアナルーサと申す者!
古から続く約定に乗っ取り、このたび十三の誕生を迎えた私は、このラーナブラッドにあなたの誓約をもらいに来ました!
どうかここにその姿を現し、石に誓いを立てたまえ!フレアゴートよ!」
ゴゴゴ・・シュウウウ・・・
蒸気が消え、一瞬シンと辺りが静かになった。
「あれ?」
ゴゴゴゴゴゴ・・・
また地響きが聞こえる。
と、思ったとき
ボオンッ!!グゴオオオオオ・・・!!
「ひゃあ!」「きゃああ!!」
いきなり蒸気に代わって、そこからもの凄い勢いを持って火が噴きだした。
「わああああ!!」
恐怖に憑かれたメンバーが、思わずバタバタ後に下がり、馬もバラバラ逃げてゆく。
皆が崖から落ちぬように、残っていた白いミュー馬が壁になってくれた。
「大丈夫!落ち着いて!危険です!動かないでください!」
腰を抜かしてひっくり返ったキアンが、リリスの言葉にハッと我に返った。
「お、落ち着け!大丈夫だ!戻れ!」
確かに、炎が襲ってくる気配はない。
「お、おう!マジ、命が縮まっちったぜ。」
動く方が危険だとわかり、みんなそうっと元の場所まで戻り、火に向かって膝を付く。
やがて火は、燃えさかりながら動物の頭のような形を取った。
「お前、何者だ?」
低く、重く地面が震動するような声が響く。
キアンの顔には、汗が流れた。
人嫌いで気難しいドラゴンだ、慎重に話す必要がある。
「私は、アトラーナ王の息子、キアナルーサです。次の王となるために・・」
「王だと?お前が王になると言うのか?」
キアンの心臓が不安に高鳴る。
フレアゴートは機嫌が悪そうだ。
「そうだ、フレアゴートよ。私は、現王のただ一人の息子、正当な王位継承者だ。」
フレアゴートは、しかし無言で返事をしてくれない。何か気に障ったのだろうかとキアンがビクビクして俯く。
「お久しゅうございます、フレアゴート様。
何かお気に障られましたでしょうか?」
リリスも考えているより聞いたが早いと思ったのだろう、キアンの代わりに聞いてくれた。
「久しいな、リリスよ。」
「はい。」
「リリス、お前がラーナブラッドを持つがよい。お前こそが正当な継承者である。」
「は?」
一体急に何を言われるのか、キアンとリリスが戸惑って顔を見合わせる。
「わしは、虚偽と誤魔化しを最も嫌悪すると知らぬのか?アトラーナ王は、わしさえ騙し仰せると思っておるのか?
何と浅はかな人間よ。」
「あの・・フレアゴート様。よく、分かりかねますが・・」
ゴオオオッ!
火の強さがますます増して、その火の中から、火をまとった大きな獣・・まるでライオンのようなたてがみと一角獣の角を持つ、ミュー馬に似た動物がぬっと現れた。
血のような赤い目でギロリと見回して、フフンッと火を交えた息を吐く。
想像したドラゴンとは随分違う。
「きょわい・・」
アイが思わず呟いた。
しかし、彼の口からは次にとんでもない真実が飛び出したのだ。
「リリスよ、お前こそ真の王位継承者。
お前達は双子であったが、その者よりもお前が早くこの世に生まれ出た。」
「えっ!」
リリスも驚いたが、愕然としたのはキアンだ。
「リリスが?兄だと?何を馬鹿な・・似ても似つかぬ、これが双子の兄だと?」
「そうだ、お前達は間違いなく双子。
王は、赤い髪とその瞳の色にうろたえ、長子のお前を処分しようとした。」
「まさか!父上がそんな事をなさるはずが!」
「したのだ。しかし殺すのは忍びないと、王妃がセフィーリアに預けた。
たかだか先祖返り、真を隠そうとした、愚かな事よ。」
「まさか・・まさか・・そんな無慈悲な・・」
「無慈悲だと?その通りではないか!
人間は我が子でさえ都合が悪くなれば悪魔とそしり、生まれてすぐに殺そうとさえする!
お前達人間の身勝手さをわしは決して許さん!」
グオオオオオォォォ・・・
フレアゴートの声に咆哮が混じり、怒りがビリビリと伝わる。
彼が何故、その事でこれ程怒っているのか見当も付かない。
歴史に覆い隠された真実など、まったく知らずにここへ来たのだ。
「ウソだ・・ウソだ!王子は僕だけだ!」
キアンがうろたえ、大きく頭を振る。
しかしリリスはぼんやりと目を見開いて、呆然とフレアゴートを見つめていた。
何か、違う。
何か、思っていたのと違う・・
リリスに野心はない。
ただ、両親を知りたかっただけだ。
その両親がこんなに近くにいたなんて・・
しかし、どんなに思い返しても初めて会った時、白い布の向こうの両親の目は、一度もリリスを心から見てはくれなかった。
その全てはキアンに優しく向けられ、一度も真っ直ぐに見てくれなかったのだ。
知らないはずはない。
疎ましかったのだろうか・・見たくなかった、会いたくなかったのだろうか・・
それなら・・どうして・・・私を・・
出立式の以前にも城へは登城を一切許されず、王子にお会いしたのも式が初めてだった。
頭に布をかぶせられても、身分の低い自分が、あのような式に出られただけで嬉しくて緊張で舞い上がり、もしやと父と母らしき人を捜して周りばかりが気になったのが、今では滑稽にも思える。
ずっとずっと、そうして・・ずっと両親を捜して・・
私は・・捨てられた・・のに・・私は・・
一体・・何を、捜して・・必死になって・・
捨てられたのに・・
御師様・・御師様・・リリスは・・・
ああ、御師様・・・・ああ・・寒い・・・
「何かリリスって、ラクリスに似てたもんね・・従兄弟だったんだ・・」
「そっか、御館様はだから・・」
「ねえ!先祖返りって何?キアンのご先祖様が赤い髪だったの?」
アイ達も思わぬ話に身を乗り出す。
しかし、フレアゴートは彼らの質問には答えなかった。
「リリスよ、お前がラーナブラッドを持つならば、わしは誓いを立てよう。それが古よりの約定に沿う話しじゃ。しかし・・」
フレアゴートは真実しか話さない。
リリスはキアンの兄、そして本当の王位継承者だったのだ。
ザレルが剣に手をかける。
これが!これが王子に不利益な事と、王が言われた意味だったのか!まさかこんな事が!
しかし王命といえ、やはり切り捨てる事など出来ない!出来るはずもない!
自分を見失って狂獣と言われていた、あの、下卑た俺を救ってくれたこの小さな少年が、王だと?!
赤い髪と色違いの目、そんな理由でこの子を捨てたのか!たった、そんな理由で!
王よ!王よ!あなたは・・間違っている!
見よ!この成長した御子を!誰よりも・・・キアナルーサよりも!
たかが・・こんな色ごときで!
やはり、リリス!お前は・・王なのだ!
リリスよ!そうだ!私は・・その為なら・・!
ザレルの目が、泣きながら首を振るキアンに向き、そして・・右手が剣を握る。
ザレルの目がキラリと光り、彼の心が決まった、その時!
リリスがすらりとその場に立ち上がった。
そしてまた、にっこり微笑んでフレアゴートに一礼する。
一体、何をなされる?!
ザレルはその姿に不安を覚えながら、それでも火に照らされて輝くその美しい横顔を見つめた。
「フレアゴート様、私は慈悲深い風のセフィーリア様に養われた、ただの親無し子、拾われ子でございます。
普通なら下働きの召使いとなるところを、御師様のおかげでこうして王子の従者となり、夢のような仕事に光栄でございました。
王子はこの先アトラーナの王となるお方、それを皆様が臨んでおられます。
私など、こうして生きてはおりますが、あって無き者。その話が真実としましても、誰も私が王になることなど臨んではおりません。
フレアゴート様、どうぞキアナルーサ様にお誓いを立ててくださいませ。
王も決して皆様を騙した訳ではありません。
私は、その為に従者となったのだと、ここに来たのだと、今、分かりました。
私に出来ることは、私の真の使命はただ一つ。
王もきっとそれをお望みと思います。
キアナルーサ様は、間違いなく第一位の王位継承者なのでございます。」
リリス!まさか!
ザレルが身を乗り出す。
その、一瞬の出来事だった。
リリスは変わらぬ美しい微笑みをキアンに投げかけ、くるりときびすを返した。
「リリ・・」
ザレルがリリスの手を掴もうと手を伸ばす。
しかしリリスは、まるで風の様にその手をすり抜け、何の迷いもなくコートを翻し、鳥が空へ飛び立つように崖から飛び降りた。

10、風の聖母

 「うおおおおおお!!」
「キャ、ア、ア、ア、ア!!!」
「リリス!!」
フギャッ!白いミュー馬がリリスを追って、崖から飛び込む。
「馬が!」
「ギャオッ!!リーリ!」
ビョオオオオオ!!
リリスを追う馬の姿が風を切り、神々しく光を放つ。
そしてその光りは次第に人の姿を取り、白いドレスをまとった長い白髪の美しい女性へと変わった。
「風よ!我が愛し子を抱け!」
落ちてゆくリリスの身体が宙に舞い、フワリと女性の手の中へと抱きしめられる。
女性は愛しそうにリリスの頬に頬ずりしてキスをすると、フレアゴートの前に飛んできてそのまま宙に浮いた。
「フレア!お前は何をしたかわかっておるのか?この子をここまで追いつめた、お前の真実こそ罪と知れ!」
「セフィーリア、何も語らなかったお前自身にも罪がある!
愛する巫女、リリサレーンを失った悲しみ!その魂の純潔さえ汚された悲しみ!
お前などにわかるものか!」
「わからぬ!真実こそ正義と疑わぬ、お前こそを偽善者という!
人の子が親に認められぬ辛さがわかるか?!
知らねば苦しむこともなかった!許さぬぞ!」
ゴオオオオ!!ビョオオオオオ!!
白髪を風に巻き上げ、金の瞳を燃え上がらせてセフィーリアの顔が怒りの表情を露わにし、嵐のように風が吹き荒れる。
「あの馬!まさか御師様?!まさか!」
「あれはリリスの師、風のドラゴンだ!」
「ええ!御師様、ドラゴンの一人だったの?!」
「聞いてないよ!きゃっ!」
「伏せろ!吹き飛ばされたら死ぬぞ!」
ザレルの叫びに、皆がその場に伏せて地面にしがみついた。
フレアゴートの炎が、弱まる気配も無くまた勢いを増して風に乗り巻き上がる。
「ようやく!ようやくリリサレーンがこの世に転生したのだ!
我が巫女の幸せ!我が叶えずして何とする!」
「この子はリリサレーンとは違う!
この子にはこの子の幸せがあると何故わからぬか!目を覚ませ!この子は巫女ではない!」
二人のドラゴンが、火花を散らして睨み合う。
それはいくつもの竜巻を起こし、この山の至る所に火を放って、木を根こそぎ抜き取り、土砂さえ巻き上げるほどに凄まじさを増していく。
「お前達、そこまでじゃ。」
いつの間にか地のドラゴン、グァシュラムドーンが、フレアゴートの頭上にいつもの用務員姿で浮いている。
「爺さん!浮いてるううう!」
「グァシュラム!」
二人のドラゴンがそれに気が付くと、スウッと火と風が嘘のように止んで辺りに静けさが戻った。
爺は、ニッと笑ってフレアゴートの前へ宙に浮いたまま滑り寄り、そして諭すように静かに語りかけた。
「フレアよ、お前が愛したリリサレーンは、あまりに巫女としての力が強すぎた。
それはお前の愛が強かった証じゃ。
しかしそれを闇の精霊に利用されたのはお前のせいではない。
確かに、わし等の力で闇から解放できた彼女を殺したのはあの時の王であったが、いかに闇に利用されていたとはいえ、彼女は罪を犯しすぎた。」
「しかし!殺すことはなかった!」
「そうだ。しかし、彼女は王の娘。
それが知れるとせっかくの復興に水を差す。
人間は弱い生き物じゃ。心は風のように右へ左へと向きを変える。
だからこそ、彼女はこの国のために命を落とした。そう思えぬか?フレアよ。」
「わかっている!わかっているとも。あれは、死ぬとき微笑んでおった。全てを諭して・・あれは、喜んで死んで行ったろう。」
「彼女の願いは平和と人々の幸せ。なのに今のお前は、国を乱してリリスさえ苦しめようとしているのだぞ、わからぬ訳があるまい?」
「わかっているとも!しかし・・リリスをないがしろにした、今の王家が許せぬのだ!
これから先も、我が巫女のあの美しい赤き髪と瞳を持つ子が、不幸な道を歩むのかと思うと気が狂いそうじゃ。」
フレアゴートの脳裏には、幾百年が過ぎようとも彼が愛した巫女の美しい姿が焼き付いている。それは時がたつ事に美しく昇華し、そして自分を責め立てるのだ。
グァシュラムが彼の気持ちを察して、キアンの前に立った。
「キアナルーサよ。
真実を口伝で知るアトラーナ王は、赤き髪と瞳を持つ者を保護する義務があると思わぬか?
それが闇の精霊の分も全て罪を被って死んだ巫女への礼儀であり、初代王の願いではないのか?
それでなければ口伝として真実を残した意味がない。
お前の父王は、思いがけぬ我が子の姿に務めを見失ってしまった。
このような事、二度とあっては我ら精霊は巫女に顔向けできぬ。」
「は、はい、僕も父のしたことは許せません。
過ちは直すべきです。しかし、それは・・」
「わかっている。
リリスも言うたはず、国を乱してはならぬと。
お前に何が出来るか考えよ。」
「私に、何か出来るでしょうか?」
「それがこれからのお前への宿題じゃ。
リリスがこれから、穏やかに笑うて暮らせたら、満々点よ!のう、セフィーリア!」
ふわっと、リリスを抱いたセフィーリアも下りてきた。
皆もその場にとうとう座り込む。
そしてセフィーリアに抱かれるリリスの無事に、ホッと胸をなで下ろした。
「フン!人間にどこまで出来るかしら?!
ああ、リーリ可哀想に!だから私は反対だったのよ!
もう!危なくなったら王子なんか放り出してきなさいって、あんなに言ったのに!
もう!もう!もう!!この子ったら!」
王子を放り出せって・・なるほど、聞きしにまさるチョー過保護ぶりだ。
まさか馬に化けて付いてきたとは。
あんぐり見つめるアイ達をよそに、セフィーリアはリリスをここぞとばかりギュッと抱きしめ、舐めるようにすりすりしている。
「さて、フレアゴートよ、いかがする?」
「王などどうでも良い、これが幸せであれば。」
本当は皆、ドラゴン達はリリスを王にしたいに違いない。
しかしそれがリリスをここまで追いつめたのだ。雰囲気が、キアンを認め始める。
ザレルは思わずグァシュラムに叫んだ。
「お待ちを!リリスは!リリスは確かに生まれついての王でございます!それを・・!」
「お前の気持ちも分からぬではない。
しかし、これは王を臨んではいない。
これはただ、両親を知りたかっただけなのだ。
ザレルよ、心は自由じゃ。しかし現実を見よ。」
ザレルががっくりと項垂れる。
そうだ。リリスは、自ら傷つきながら言ったではないか。
国を乱してはならぬと・・
「リリスは我らが子、そしてリリスには我らこそが親じゃ。
のう、フレアよ、それでよいではないか。」
フレアゴートが無言で頷く。
「あら、私はどうしようかしら?私の大切なリーリをこんな目に遭わせてくれて。」
セフィーリアはムッとしている。
「ほっほ!お前が一番この子の気持ちは分かっているであろう?」
「ふん!人間なんて、この子以外は大っ嫌い!」
「よく言う、一番人に接しているお前が。」
「この子の為よ、私達にはほんの一瞬過ぎ去ってゆく時間ですもの。何も惜しくないわ。」
グァシュラムはにっと笑い、キアンに歩み寄りその手の中のラーナブラッドに手を添えた。
「ドラゴン殿・・私を認めてくださるのか?」
「気を抜くな!キアナルーサ。
お前の父は、一度我らの心を裏切った。
後はお前次第じゃ!やもすればこれが最後の誓いとなろう!」
ラーナブラッドが、キアンの手からグァシュラムに操られて宙に浮き上がる。
「わかったよ!僕も誓おう!
もう二度と、髪と瞳の色で差別があってはならない。二度と過ちがあってはならない!」
「よかろう。」
キアンが王子らしく、雄々しい目でグァシュラムに誓う。
それに頷き、グァシュラムはドラゴン達の中央にラーナブラッドを浮かべた。
「誓いの石よ!我が血を受けよ!
賢き巫女リリサレーンの名の下に、我らが命アトラーナへしばし捧げよう。」
地のドラゴンがシュッと左手の指先で右手の平をなぞる。
そこから、いきなり血が吹き出し、それをラーナブラッドが吸い込むと、石は大きく膨らんで弾けた。
パーンッ!
音を立てて石が弾け飛び、そこにセフィーリアが息吹をかけて、巻き上がる風にキラキラ舞い上がるとまた一つに集まってゆく。
「オオ・・グオオオオオ!!」
フレアゴートが咆哮を吐いて大きく口を開き、炎を石のカケラに吐きかける。
ボオオンッ!
するとカケラは炎に包まれて真っ赤に焼け、そして一つに固まった。
「シールーンよ!後はお前が仕上げるのだ!」
グァシュラムが手の平を地に向ける。
ビシッ!ビビビ・・・・
シャアアア・・・シュワアアアア!
きしむ音を立てて地が裂け、そこからまた、水蒸気が吹き出した。
その蒸気の中に、ぼんやりと、そして次第にはっきりシールーンの姿が現れ、キアンに向けて微笑む。
「王子よ!お前の誓い、確かに聞いたぞ!
我らの願い、人々の願い、その声を聞くためにもっともっと勉学に励むがよい。
そして玉座に付くとき、お前の足下には沢山の人間がいることを知れ!
お前は一人で王になるのではないのだ!」
「もちろんです!シールーン!
私は、自分の前にまず人の事を考えましょう!
命がけで私にそれを託したリリスの分も、私はきっと良い王になることを誓います!」
キアンが右手を胸に、シールーンや他のドラゴンに誓いを立てる。
リリスは、全てを自分に託してくれた。
それでいい、十分ではないか。
両親の愚かな行動も、これから償えばいい。
僕はその為に王になるのだ!
いつ気が付いたのか、ぼんやり見つめるリリスもキアンの力強い姿にふと微笑みを漏らす。
これで、いいんですよね・・御師様・・
目の前に、厳しく石の成り行きを見つめる師の顔がある。
リリスはその美しい顔に微笑むと、師の暖かな腕の中でまた、眠るように気を失った。
「ホホホ!王子よ!その誓い違えるな!」
シールーンは高らかに笑い声を響かせ、そして水の両手を伸ばして真っ赤に焼けた石をその両手で包み込む。
シャアアアア・・
石は蒸気を上げて急激に冷え、そして再結晶化を果たして、ひときわ輝きながら彼女の手を離れると、宙を舞うようにキアンの手に戻っていった。
その石は血のように赤く、そしてキンッとまるで氷の結晶のように堅く研ぎ澄まされた石となって、元の面影などまったく感じさせない、まったく違う石となっている。
「それがお前の石、アトラーナ・ブラッド・ストーン。今の気持ちを忘れず、いつまでも良き心であれ・・」
蒸気に溶け込むようにシールーンの姿が消え、裂けた大地は静かにまた元に戻ってゆく。
それを追うように、フレアゴートの姿も呟きながら炎となった。
「わしはもう、有事有るまで眠るのみ。
もう、この気持ちが荒れる事もないであろう。」
ボンッ!シュウウ・・・シャアアアア・・
フレアゴートの炎が消え、また水蒸気が上がってくる。
後にはキアン一行とグァシュラム、そしてリリスをしっかり抱いたセフィーリアが残った。「なんか・・・凄い、映画みたい・・・」
「ん、マジすご・・」
みんな呆然と言葉が出ず、その場に座ったまま何となく夕日を見つめた。
勝手に逃げていた馬も、そうっと戻ってくる。
キアンがゴロンと寝転がった。
これで・・全て終わった・・
真紅の宝石を見つめて、大きく溜息が出る。
「はああああ・・・・終わったあ・・」
ん?待てよ?終わってない!
「リリスは?!」
リリスは師の手の中でホッとしたのか、目を閉じて、意識がないようだ。
セフィーリアがぽろぽろ涙をこぼしながら、彼の身体を気遣った。
「リーリ!痛い?痛い?可哀想に!ああ、可哀想に!ザレル!!お前何をしていた!
この子を斬った不埒者はどこじゃ!」
またセフィーリアは怒りに燃えている。
ザレルは立ち上がり、彼女の前に歩み寄りながらぼそっと呟いた。
「男は切り捨てた。
しかし俺に隙があっての事、どうしても罰したければ俺を罰するがいい。」
「フン!お前を手にかけても力の無駄じゃ!」
彼女はギュッとリリスを抱きしめると、プイッとザレルに顔を背けた。
「さて、セフィーリアの館に今夜は帰るとしよう。急いでリリスの手当もしなくてはならん。ほれ、お前達馬を連れてこい。」
「リリス、大丈夫なんだ?」
ヨーコが心配そうに訪ねる。
「ええ、でもかなり消耗が激しいわ。
無理に無理を重ねたうえに、心も傷ついたことでしょう。うう・・可哀想に・・」
泣いたり怒ったり、セフィーリアって何だか他のドラゴンとちょっと違う。可愛い人だ。
「我が息吹を受けて、空に開け瞳の門。
セフィーリアの館へ続く道よ、さっさと開け。」
爺が空を切るように手を振り下ろす。
まるで魔法のように、爺の前に黒く細長い空間の裂け目が現れて、そこに爺はヒョイと入り込み皆に手招きした。
「ほれ!さっさと来ないと閉じちまうぞ!
閉じたらひたすら回り道じゃ。」
セフィーリアが先に入り、その後をキアンと二頭の馬を引いたザレルが追う。
「あっ!待ってくれよう!アイ!行こう!」
「ヨーコ!早く早く!」
アイが吉井と裂け目から覗いて叫ぶ。
ヨーコは片手を上げてそれに応えると、ふと振り返り、美しく空を暁色に染めて沈んでゆく夕日に引きつけられた。
「ヨーコ。」
河原がそっと手を繋ぐ。
「リリス・・無事で良かったな。」
「ん・・・」
「行こう。」
二人、裂け目に向かって歩き出す。
ヨーコは繋いだ手を見つめると、河原に笑って言った。
「やっぱり、あたしにはあんたくらいで丁度いいよ。」
河原が思わず振り向く。
「ヨーコ、俺・・」
「あいつの人生重すぎ!あたしにはとても無理だ。あんたくらいでいいさ。」
ふふ・・ふふふふ・・
顔を見合わせて笑い合う。
河原が握った手に力を入れた。
「悪かったな!俺くらいでよ!許してやるからしっかり付いて来いよ。」
「へへっ!しがみついてるよ!」
二人がポンと裂け目に飛び込む。
それと同時にツッと裂け目は閉じ、そしてそこにはまた、ただの荒れた道と、大きくえぐれた壁、そして地面からシュンシュンと噴き出す蒸気が残った。
夕日が辺りを赤く染めて山の向こうに沈んでゆく。あとにはただ静かな暗闇が落ちて、いつもと変わらぬ夜が訪れた。
 カラーンコローン
あれから2週間程が過ぎた。
今日は金曜日、来週月曜は休みだ。今、ようやく授業が終わった。
「んじゃかえろ!かえろ!」
みんなバラバラと教室を出てゆく。
「よしっ!ヨーコ!行くよ!」
「ほら!河原!アイ!行こうぜ!」
四人がまた、何やらカバンにリュックまで背負って急いで教室を出てゆく。
友人が、何だか嫌そうな顔でそうっと訪ねてきた。
「あの・・アイ達、これからどこか行くの?」
「うん!ハイジの家にドラゴンとプチ家出!」
何か訳の分からないことを言いながら、異様に元気がいい。
「あ、そう・・・気をつけてね・・」
「うん!じゃ!いってくるねー!」
バタバタ騒がしく走ってゆく。
「やっぱ、まだ病気なんだ・・」
友人達はその背中を見送りながら、温かく見守ってゆこうね、と皆で話し合っていた。
 キョロキョロ辺りを窺い、四人でこそこそ用務員室に入る。爺は相変わらずのんびり、畳に寝ころび茶をすすっていた。
「来たよ!ちゃんと泊まるって言ってきた!早く行こう!」
はやるヨーコの気持ちも分からないではない。
何しろあの後、リリスの意識が覚めない内に、さっさと帰されてしまったのだ。
「リリス、ちゃんと生きてるんでしょうね?
元気してるの?」
爺が鼻をほじりながらよっこいしょと起きる。
げえっ!
これのどこが精霊なのかリリスに聞きたい。
「うむ、しかしどうも元気が無くてな。」
爺さんの神妙な様子に、みんな上がり込んで並んで座った。
「何かあったの?」
「うむ、あの子はもう、自分の仕事はすべて終わったと思っている気がするのじゃ。」
皆が俯いて、あの山でのことを思い浮かべる。
崖から身を投げたあの時、セフィーリアがいなかったらと思えばゾッとする。
「あの時の言葉ってさ。自分が、死ぬために従者になったと思ってるのかな?」
「従者になれた理由が、実力じゃないって?」
「ん、リリスはそう思ってないと思う。」
「馬鹿なことを・・わしが知る限り、リリスは最高の魔導師じゃ。縁あって風に属しているが、火の巫女の生まれ変わりだからのう。」
「ああ、あれって酷い話しだねえ。原因をはっきり公表すれば良かったのにさ。
操られてましたって。」
「そうだよ、何も殺すこと無いよ。」
しかし、爺さんが首を振る。
これはそんな程度の問題ではないのだ。
「操られていたとはいえ、どんな事をしたかは今のリリスに対する村人の反応を見ればわかろう。
それ程恐ろしかったんじゃ。
闇の力で強い力が更に増強していた。この町くらい、一晩で廃墟じゃ。凄まじかった。」
「一晩で?!はあ・・・」
成る程と言葉もない。
「巫女は生まれつくとすぐに神殿へと送られ、出生はまったくわからないからな。
だからこそ彼女が王家の出だとばれるのを恐れたのだ。不幸なことじゃ。」
ズズズッと爺さんが茶をすする。
ふうんと、アイ達が頷いた。
「でもさあ、巫女さんって何で出生を隠すの?」
「だよなあ。」
「巫女はな、腹にいるときに決められるのじゃ。皆が傅く巫女の、実際の身分が高いときはいいが、低いと困るだろう?権威の問題じゃよ。
だからセフィーリアはそれを嫌って、神殿を閉じてしまった。そして魔道師を育てることにしたのじゃ。」
なるほど、それで水と火は神殿があるのか・・と、するとこの爺さんは?
ジイッと四人が爺さんの顔を見る。
「もちろんわしの神殿もあるとも。
しかしのう、大地の巫女はなぜか男が多い。
色気がないから行きたくないんじゃ。」
おい、おい、そう言う問題かよ。
呆れた爺様だ。
「ねえ、あのラーナブラッドって何?生きてるみたいな石だね。子供が十三になれば真っ白になるなんて。誰かが誓いをリセットするの?」
「あれは・・言うなよ。」
「うん、言わない、ここだけの秘密ね。」
「あれは・・フレアの額の目じゃ。」
ゲエエッ!!目玉!目ン玉ああ!!
アイが一番ショックを受けた。何しろずっと胸に入れていたのだ、目玉を・・
「王の提案で、王家とドラゴンを繋ぐ象徴にしたのだ。フレアはそれに自ら提供した。
それだけ巫女を愛していたと言う事よ。
さて、遅くなったな、行くぞ。」
爺がヒョイと爺らしからぬ軽さで土間に下りる。そして何だか少し気が重くなった四人と共に、アトラーナへと向かった。
 優しい風が巻く、城下より少し離れた丘の上にセフィーリアの館はある。
二階建ての小さな家だが繊細な貴族的な作りの母屋で、ここにはセフィーリアとリリスが住んでいる。そして奥隣りには弟子の住む小さな家、そして家畜の小屋が並んでいた。
近くには小さな村があるのだが、ここはそれより少し離れてあまり尋ねる者もない。
ただ数人の魔導師の弟子が、下働きをしながら修行をしている姿が時折見られた。
 その、館の玄関前にいきなり空間の裂け目が現れ、四人と爺さんがにゅっと出てきた。
アイが現れると同時に、場違いな黄色い声が館の前に広がる草原に響き渡る。
「きゃああ!久しぶりい!リリスー!来たよ!」
キャアキャアと、静かだった館が鳥かごをつついたような騒ぎになった。
「何かさあ!爺さんって、便利すぎて旅行の気分全然出ないよね。」
「これ、旅行かい?!」
「うるさい!静かにせんか!
セフィーリア!うるさいのを連れてきたぞ!」
ノックもせずにガチャッとドアを開け、ずかずか中へ入ってゆく。
玄関を入ると、正面に大きな階段、右が居間、その奥がキッチンだ。
城から援助があるらしく、調度品もあのラグンベルクの城並みにいい物がある。
リリスが偉い人だと言っていたのもわかる。
二階は四つの部屋があって、一番左奥がリリスの部屋で、正面二つがセフィーリアの部屋、右奥が客間とみんな知っているのはこの位だ。
どやどや入ってゆくと、居間から白い髪を結い上げ上品なドレス姿のセフィーリアが、ニコニコ顔で出てきた。
「あら、来たの!リーリ、ずっと会いたがっていたのよ!喜ぶわ!」
リリスは元気がないと聞いたのに、やけにご機嫌だ。それに、何故か弟子の姿が見えない。
「おや?弟子はどうした?」
「もー、あいつ等いると、リーリが気を使って全然養生になんないから、暫く暇を出したのよ。んふふ、二人っきりな、の!
リーリの世話がこーんなに楽しいなんて知らなかったわあ!やっぱり養育係の口うるさいババア、さっさと城に帰せば良かった!」
なるほど、この様子じゃベッドにいつまでも寝ている方が嬉しいらしい。
「今夜はね、特製シチューよ!今朝シビルの乳と肉を手に入れたの!ラーララララー!」
キッチンからはミルクの香りが漂ってくる。
セフィーリアはスキップを踏みながらキッチンに消えた。
「へえ、養育係ってまだ来てたんだ。」
「監視もかねてかな?普通じゃねえな。」
まったく、何だか内情を知ると物騒な話だ。
「御師様、リリスが元気ないってのに嬉しそうだねえ。」
「うむ、何しろ養育係は二人の間に立って、二人が馴れ合うのを阻んでいたからのう。
それに、リリスは頻繁に旅に出るのじゃ。」
なるほど。手をかけたくて仕方がないらしい。
「んじゃ、ちょっと会ってくる。あたし等やり残したことがあんの。」
「やり残し?余計なことはするなよ!」
「おっけー!あれ?」
階段へ向かう途中で、この世界に似つかわしくない段ボール箱が沢山目に入った。
「あれ、何?」
爺さんが、ああと呟く。
「わしとセフィーリアで、ま、ちょっとした貿易じゃな。」
「やっぱりー!商売してるって、御師様と爺さんだったんだ!」
爺は分かるが、まさか御師様もグルとは・・
「うむ、セフィーリアが、金をためて向こうの世界にリリスを住まわせたいと言ってな。
向こうは身分とか煩わしい物がないからな。」
「ああ・・そっか。
貧乏はあっても、召使いとか奴隷はないよね。」
御師様なりに色々考えているんだ。
少し感心しながら階段を上り、廊下を進んでリリスの部屋に行った。
 コンコン、
小さくノックしてそうっと開けた。
リリスの部屋は角部屋だから、二カ所の窓から光が射し込みとても明るい。
小さな机とベッドに、可愛らしい本棚には本が数冊と、沢山の紙を束ねた・・ノートだろうか?それが沢山立っている。
神経質なほど綺麗に整理してあるのも、あまり余計に物がないのもリリスらしい。
壁に立てられた質素で飾りのないフィーネが、リリスの長けた演奏技術からすると似つかわしくないように思われた。
散らし屋の自分達の部屋とは雲泥の差だ。
ベッドに横たわる部屋の主を覗き込みながら、みんなそうっと部屋に入っていった。
布団に埋もれるように、赤い髪が見える。
「リリス、リリス来たよ。」
吉井が布団をそっとめくった。
中から懐かしくも、やつれた顔が覗く。
ぼんやり目を開け、そしてにっこりと以前のように微笑んでくれた。
「あれ・・?夢・・かな?」
「夢じゃないよ、久しぶり。どうだ?傷は。」
「顔色、まだ悪いね。糸は取れた?」
「いえ・・まだ少し。一度開いたので付きが悪いそうです。」
「痩せたなあ、飯は?あ、寝てていいんだぜ。」
「いいえ、出来るだけ起きるようにしていますから、大丈夫です。うっ・・つっ・・」
リリスが身体を起こす。
何だか凄くきつそうに見える。
あんなにキリキリしてタフだったのに、あの旅で力を全部出し切ったみたいだ。
「キアンとザレルは?」
「あれから、お会いしていません。
御師様に聞いたお話では、キアナルーサ様は祝賀行事でお忙しいそうです。
ザレルも王子の親衛隊に。」
「へえ、親衛隊?かっちょいい!出世したじゃん。リリスは?何になったの?」
「私は・・馬を、一頭頂きました。」
「え?!たったそれだけ?!」
「ザレルの家は代々戦士です。私は魔導師とは言いましても、実質はただの召使いですから何も臨むことは出来ません。
元々何かいただけるとは思っておりませんでしたから、私などにはもったいないほどです。
大変立派な馬です、不満などまったくございません。」
ございませんって、きっぱり言われて返す言葉もない。リリスらしい。
「何かさ、お前・・もう、何もかも終わったって感じだな。元気出せよ。」
「そうですか?そうは思ってないんですけど。
御師様の家に戻りましたらホッとして・・」
ヨーコがメッとして、おでこをコンと叩いた。
「まだそんなこと言ってる!御師様の家じゃなくて、ここは自分の家でしょ!」
「でも、ここは御師様にお借りしている部屋ですから・・」
首を振ってリリスが、小さく囁いた。
綺麗な部屋は、借り物だから。
旅に出るのは、ここが自分の家じゃないから。
綺麗で明るい、この屋敷でもいい部屋なのに、ここに座るリリスは小さく見える。
「でも、御師様にとっては、リリスは召使いなんかじゃないよ。子供だよ。」
「いいえ、とんでもない、違います。」
「何言ってンの!リリスは王子様じゃん!
本当は召使いなんかじゃないって・・」
「私は、王子ではありません。
静かに、今まで通りの生活を送るだけです。」
「でも!」
納得できないアイを、ヨーコが遮る。
ヨーコにはわかるのだ。
「こんなの、本で見たことあるよ。
そうしなきゃ、キアンに迷惑がかかるんだ。
そうだろ?他の人間に知れたら、お家騒動になりかねない。
そんなの、リリスは絶対臨まないんだよね。」
リリスが、力無く微笑み頷いた。
「ええ、ありがとうございます、ヨーコ様。
アイ様、あのフレア様のお話は、夢うつつのお話しでございます。もう、お忘れ下さい。」
「リリス・・」
「辛いな、リリス。」
アイが涙を浮かべ、吉井がぽつりと漏らした。
リリスがふと、視線を落とす。
そう・・辛かった・・そうだ・・
私はずっと、逃げたかったんだ。
師を、母親と勘違いしそうになった自分から。
聞きたくない程に、私の身分がいかに低いかを教え込むあの養育係から。
耳をふさいで、懸命に歩いて忘れようとした。
そして逃げ場を求めて、両親をずっと追い求めていたのだ。
それがまさか王族とは・・
あまりにも身分が違いすぎる。
そっと、見に行く事さえ出来ない。
せめて優しい目で見てもらえたなら、それを支えにも出来たろうに。
私は・・実力で選ばれた魔道師ではなかった。
私は・・王は・・ああ、わからない・・
もう・・もう、忘れよう。
リリスが急に明るい顔で笑って顔を上げた。
「実は、ベスレムから公におつかえしないかとお誘いを頂いているんです。
公は異形の者にご理解がありますし・・
傷が癒えたらそうしようかと思って。」
「異形なんて・・色が違うだけじゃん!」
ベスレム?ベスレムって・・
河原が顔色を変えてリリスに飛びつく。
「駄目!駄目だよ!あんな変態親父、やめとけよ!何されるかわかんないぜ!駄目だ!」
コトン、と音に驚いてドアを見ると、セフィーリアが呆然とドアに立っている。
「リー・・・リ・・ 」
リリスは青ざめた顔でさっと顔を逸らした。
「リーリ、食事・・ここで食べる?」
「い、いえ、下に・・参ります。申し訳ありません、御師様に水仕事を・・」
「いいの・・いいのよ。」
ふらふらセフィーリアは下へ降りてゆく。
ヨーコがそれを追いかけた。
「おばさん!」
お、おばさん?!この私が?!
セフィーリアがガーンと振り向く。
「おばさん、リリスがお母さんって呼んでも嫌じゃないよね!おばさん!嫌じゃないよね!
助けてよ!リリスってば信じ切れないんだよ!」
「私が?信じられない?」
「そうだよ!可愛がるだけじゃ、物与えるだけじゃ駄目なんだよ!おばさん!」
一体、この人間は私に何をせよと言っているのだ?何をどうすればよいのだ?
戸惑うセフィーリアにヨーコが迫る。
ヨーコにはじれったくて仕方がない。
「リリス、あのままじゃあの変態親父の所に行っちゃうよ!ねえ!リリスを助けてあげて!
今のままじゃ、自分の居場所がないんだよ!
ねえ!ちゃんとしてよ!」
ヨーコの必死の顔は、本当にリリスのことを考えている。
短い時を生きる人間とは何と複雑なことか、こんな子供が・・
私は、あの子に何をしてきたんだろう。
自分の命をあれ程軽んじる子に・・私は、大切な物を作ってあげられなかった。
ギュッと腕を掴むヨーコに、セフィーリアは微笑んで優しく頬を撫でた。
「人の子よ、ようわかった。」
キッとセフィーリアが顔を上げ、リリスの部屋に戻る。
部屋では友人に囲まれて、なお暗い顔のリリスが、ベッドに怠そうにして座っている。
真実を知ってからどれほど苦しんでいるのか。
同い年というのに他の子よりうんと小さく、旅から帰ってきてからも、思い悩んでげっそりと痩せてしまった。
魔導の力など・・何の役にも立たない・・
私は・・
私に出来ること・・
人ではない、私に・・出来ること・・
ヨーコやアイ達が囲む中を二人が向き合う。
「御師様・・・」
そっと、リリスが表情を窺うように見上げる。
その不安げな顔にセフィーリアはにっこり微笑み、そして傍らに膝をついてリリスを見上げた。
「御師様!」
驚くリリスの手を取り、見つめ合う。
そして今度は、セフィーリアがリリスの顔を窺うように見上げた。
「御、御師様・・私などに、膝をつかれてはいけません。」
「いいのよ、リーリ。ねえ・・お前は私を許してくれるかい?
これから、やり直すのは遅いかい?」
リリスが不安そうな顔で首を振る。
「私には・・よく・・わかりま・・」
「リーリ、これから二人で・・親子二人で暮らそう。」
リリスが驚いて色違いの目を見開いた。
「でも・・でも・・み、身分が・・
私は、今のままで十分でございます。」
「私は人じゃない。
身分なんて人が勝手に付けたものだ、都合のいいときだけ使わせて貰おう。
愛するリーリ、私はただ、リーリの本当の母親になりたいんだよ。」
「でも・・お城の人が・・そんなこと、臨んではいけないって・・私は、召使いです・・」
「他の人間なんか、何と言おうと関係ない。
リーリ、もう遅いかい?今更、嫌かい?
私はお前に何もしてあげられなかった。
だから、今からお前に沢山してあげたいのだ。それとも、お前ベスレムへ行ってしまうか?」
リリスが首を振り、目から大粒の涙をぽろぽろと流す。
「でも・・でも・・きっと、ご迷惑をおかけします・・王子にも、御師様にもみんな・・
私は、本当に生きていてよろしいのでしょうか・・?」
「当たり前じゃないか!お前は私の宝だ。
リリス、お前を授かって、本当に良かったよ。
私は精霊で一番の幸せ者だ。
リリス、これから二人で暮らそう。
お前は、私が命を賭けて守ってあげるよ。
お前は、私の大切な息子だ。」
ああ・・
リリスがごくんと息を飲む。
ずっとずっと、誰かに、御師様にそう言って欲しかった。
私は、一人じゃない、一人じゃないんだ。
今なら、きっと許される。
「お・・・お、は、は、う、え・・さ、ま。」
リリスが小さな声で囁く。
「リーリ・・リーリ、今なんて?」
セフィーリアが大きく目を見開き、リリスの顔を覗き込む。
リリスは恥ずかしそうに潤んだ涙を拭いて、赤い顔ではにかみながら俯いた。
「お、お母、上・・様・・」
セフィーリアは大きく見開いた目からドッと涙を流して、ガバッとリリスを抱きしめた。
「リーーリーーー!!」
「きゃっ!痛っ!御師様痛い!いたーーーっ!」
「わーん!リーリー大好きーー!!」
「肩が!痛ーーーい!痛い!痛ーーーい!!」
リリスもまた涙がぽろぽろ流れている。
「ほら!御師様リリス死んじゃうよ!ほら!」
ヨーコ達も泣きながら、痛がるリリスを助けにセフィーリアの引き剥がしにかかる。
みんなで一塊になって泣いていると、後ろから怪訝な声が聞こえた。
「お前達、何をしているのだ?」
「あっ!キアンー!ザレルも久しぶりー!」
「だから何をしている。」
「あんた達こそ何しに来たのよ。」
ザレルが後ろで大きな袋をボスッと降ろした。
「実は、こいつが僕の親衛隊を暫く下りて、ここに住むと言い出してな。一部屋空いていただろう?」
「ええええええーーーー!!!」
一気に感動が冷め切った。
「何で、せっかく出世したのに。」
「城勤めは肌に合わん。」
「だからってどうしてここに住むの!」
セフィーリアも感動が覚めて、リリスを放すとザレルにくってかかった。
「リリスに怪我を負わせたのは俺だ。
怪我が治るまで世話をしたい。」
「いらない!いらないわよ!これから二人でゆっくり暮らすの!」
「俺は独り身が長い、一通りは何でも出来る。
お前は人ではない、気がつかん事もある。」
「つくわよ!何から何まで私がやるの!」
「無理だな。今まで何をしてきた?」
うっ!セフィーリアが言葉に詰まる。
「だ、だから、これからやるって決めたのよ!」
フッと、ザレルが馬鹿にして笑った。
「御師様などと、祭り上げられている者に何が出来る。」
フッと、今度はセフィーリアが笑い返す。
「あーら、お生憎様。たった今、あの子私をお母上様って呼んでくれたのよ。」
「俺には御師様痛い!と聞こえたぞ。」
「ううう・・キイイイ!悪かったわね!」
セフィーリアとザレルが睨み合う。
皆も初めて見るザレルの饒舌ぶりだ。
ヨーコ達が、こそこそリリスを囲んで囁きあった。
「ねえ、御師様とザレル、仲悪いの?」
「いいえ、とっても仲がよろしいんですよ。
これも、いつものことです。
ほら、仲がいいほど喧嘩すると申しましょう?」
はあ、なるほど。
「ねえ、リリス。おはは上様って、ちょっと変だよ。お母さんでいいんだよ。」
「え?そうですか?何となく、王子の母上と仰る言葉が耳について。変ですか?」
「何だと?変な呼び方を僕のせいにするのか?」
「いえ!そんな!どうお呼びするのが御師様に相応しいのか・・」
「師は師!母は母!一緒に考えるのが変だ!」
「まあまあ、キアン。」
みんな頭に血が上る。バタバタとセフィーリアがリリスの元に来て跪いた。
「ね!リーリもこんな奴と一緒に暮らしたくはないわよねー!ねっ!」
「いえ、私は一向に構いませんが。」
「まあ!リーリ!意地悪!」
「じゃあ、決まりだな。」
プウッとセフィーリアがむくれる。
リリスが笑ってセフィーリアにキスすると、小さく囁いた。
「ごめんごめん、悪い!ね、母上様。」
キョンとするセフィーリアの周りで、皆がパッと明るい顔をして笑い出す。
 いつもひっそりとした丘の上の館は、その日珍しく子供達の声で騒がしい。
巣へと帰る鳥達に見守られて、空を美しい色に染め、日も静かに落ちてゆく。
その日アトラーナの夜は、いつもと違って暖かい風が穏やかに吹き、人々を優しく見守って幸せな夢へと誘った。

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