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評 論 No. 080202
テーマ  「心の自由」について    
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 評論No.080101

 評論No.080201

 評論No.080202

 評論No.080505
1. 序












2.「事例 1」
 まるで、どこぞの宗教の、お説教のお題目みたいなタイトルになつて
しまったが、我が党の心的作業の根幹をなす「実存主義」と不即不離
の関係にある「心の自由」について触れて、十分に解説しないことには
党綱領の理解に資することができないと思料し、敢えて、このテーマで
論ずることとする。
 本来なら、評論の先頭に位置する内容なのであるが、諸般の事情に
より、三番目の評論となつてしまった。
 抽象的な言葉の組み合わせでは、中々実感が得られないと思慮する
ので、具体的事例を通して、「心の自由」がどのようにして失われ、そして
その結果「心の自由」を失った人達が、今現在、どのような言動をする
破目に陥っているのかを解き明かしたい。


 それが何時のことだつたか正確な記憶はないのだが、おおよそ、
昭和三十五年から四十年の間のことだつたように思う。まだ、白黒テレビ
の時代で、番組の内容も、今と同じく大した内容のものはなかつた。
その時に、以下に述べるような粗筋のテレビドラマがあつた。
 時代設定は江戸時代だったようだ。ある時、一人の生まれたばかりの
赤ん坊がさらわれた。その赤ん坊をさらった人間は、養親となって育てた。
その赤ん坊は、長ずるに従って武芸を仕込まれた。一人前になった
元赤ん坊は、ある時養親に告げられた。「お前の実の親を殺した奴の
居場所がわかった。すぐに、親の仇を討ちにゆけ」と。
 実は、その親の仇とされた者こそ、元赤ん坊の実の親だつたのである。
このテレビチャンバラ時代劇そのものは、ご多分にもれず、勧善懲悪の
時代劇であつたので、本評論とは何の関係もないが、結末的には、
最後に、水戸黄門だか大岡越前だか遠山の金さんだかが現れて、
元赤ん坊は、無事、実の親を殺さずに済んで、悪者は退治されるという
筋書きであつた。
 一見、他愛もないテレビドラマなのだが、その意味するところの重大さに
その後しばらく頭の中に重い余韻が漂い、残りつづけた。まだ、大学に入学
する前の自分なりの哲学・人生観・世の中を分析する道具を持ち合わせて
いなかった時で、その時はその余韻を明確な言葉に表すことが
できなかったが、後に、できるようになった。
 この元赤ん坊は、さらわれてから大人になるまで、心の有様を他人に
支配されていたのだ。「心の自由」を失わされていたのだ。そのことを
本人は知らないのだ。 なんと、恐ろしいことか。
下に続く
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本評論2頁 3. 「事例 2 」
これは、ほとんど説明を要しない、わかりやすい事例である。
オーム真理教事件である。
地下鉄サリン事件を起こしたあと、テレビ報道等で信者達の姿、言動を
見た方も多いことと思う。新聞記者たちの問いかけに対して、信者達は、
「尊師を信じる」の一点張りで、冷静に、客観的に、自分たちの言動を
省みる者はほとんどいなかつた。信者達の心の有様が、麻原彰晃らによって
完全に支配されていて、そのことを、信者達は知らないのだ。
上記「事例 1 」と、本質的に同じ構造であることは、明瞭であろう。
4. 「事例 3 」
「F機関」・・・・同じ構造なのだが、別の機会に、評論テーマを改めて
別の角度から論述する予定である。
5. マインドコントロールのプロセス・・・・( 1 )
 「事例 1 の元赤ん坊武士」「事例 2 のオーム真理教の信者」の、
心の有様が他人に支配されていることを端的に表現する言葉として
マインドコントロールが最も適切であろう。
 日本で、今現在、「反戦」「平和」「非核」「日中・日韓友好」等々を
叫ぶ人達(以下、くどくなるので、「」人達、と表記する)は、まさしく
このマインドコントロールされた状態にあり、「」人達は、夢にも
自分たちがマインドコントロールされているとは思っていないのだ。
そのことに、気がついていないのだ。
 「」人達が、どのようにしてマインドコントロールされるようになつたか
明らかにするのが、本評論の主題である。
 ところが、実は、これが、非常に複雑にいりこんでいてわかりづらい。
党綱領 1.2 では、「複雑なプロセス」と、簡潔に表現しているが、
一言二言位では語りつくせないほどの膨大な量がある。その中から、
本質的エッセンスのみを抽出してできるだけわかりやすく論じてみる
こととする。
 事例 1 の場合の赤ん坊をさらって養育した養親、
 事例 2 の場合の麻原彰晃ほかの教団幹部、
この両者が、マインドコントロールをかけたことは、わかりやすい。
ところが、「」人達に対して誰がマインドコントロールをかけたのか
については事例 1・2のように簡単明瞭ではない。尤も、
事例 1・2の場合でも、はたから見れば明瞭なだけであって、
マインドコントロールをかけられた当人達は、中々そのことに
気付かないし、そこから抜け出せない。
 「」人達の場合に、マインドコントロールをかけた主体が、何故に
簡単明瞭ではなく、なかなか表面に現れないのかについて、
次章以下で述べることとする。
6. マインドコントロールのプロセス・・・・( 2 )・・・・アメリカルート(以下、Aルート)
 始まりは、昭和十八年六月ごろ以降の、アメリカ軍の検閲計画の策定
に遡る。アメリカは、既に、日本敗戦を予想し、米軍による日本占領を
視野に入れた動きをしていた。(詳しくは、江藤淳著「閉ざされた言語空間」
を参照されたし。但し、この本のみでは不足で、占領米軍に雇用されて、
実際に検閲業務に携わった日本人の著した本も参照する必要がある。
一切の助言や訂正が許されず、命令や指示に忠実でないと、すぐに解雇
されるような厳しさがあったとされている。)
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本評論3頁 戦後食糧難の時代、食うや食わずやの時代に、日本人は、占領軍に
よって検閲されていた。現在と違って、通信手段は手紙が大半の時代
である。アメリカにとって都合の悪い言動をする日本人を見張っていた
のである。そして、戦犯として訴追したり公職から追放したりして、
アメリカにとって都合の悪いことを発言する人間の影響力をそいで
いったのである。
 一方で、マスメディアとしては新聞とラジオ位しかない時代に、隠密に、
或いは公然と、新聞ラジオを検閲し、アメリカに都合の悪いことは報道
させなかつたのだ。
 「」人達の、反戦、平和、戦争は悲惨、日本が悪かった、等々の主張は、
実は、この当時の検閲、報道統制によるマインドコントロールの結果
なのだ。「」人達は、このことを知らないのだ。
 このことは、我が党の綱領からも導きだされる。実存主義の真髄
会得すると、人間観というものは、党綱領1.7 のようにならざるをえない
のである。一字一句言葉の用法においてまでという意味では、
もちろんない。実存主義においては、完璧に正しい人と完璧に悪い人
という構図は、絶対にありえないのである。ましてや、完璧に正しい
集団(国)と完璧に悪い集団(国)という構図など、更に、ありえない
ことなのである。そうすると、必然的に、先の太平洋戦争において、
一体、誰が、何時、どこで、何をしたかということを、不完全ながらでも、
検証する必要が出てくる。ほんの少し検証しただけで、実存主義の
有効性を確認できる。「日本が悪かった。反省して謝罪。」に該当
するような事実はどこにも見つけることができないのである。
 ここで、注意を要することがある。戦後約二十年ほど経った時に、
太平洋戦争について書かれた本を調べた本を、ある図書館で
少し、流し読みしたことがある。題名は忘れたが、その時点で、
日本側で十万冊、アメリカ側で十五万冊出版されていると書いてあった。
その後に出版された書物も含めると、その数は膨大になる。
神様でもない限りその全てに目を通し、その正邪及び正誤を明らかに
することは不可能である。当然、人間たる研究者でも不可能だ。
 中には、自己を弁護したり、美化したり、正当化したり、或いは、
他人を不当に陥れたりする記述もあるだろうし、どこかの国のように、
意図的に歴史を偽造して、博物館まで作る恐るべき民族もいる。
そのような状況の中でも、実存主義は、有効に機能する。
 実存主義を会得する方法については、別稿で触れる予定だが、
マインドコントロールされた「」人達の根拠のない主張については、
上記の膨大な量の本の中から、適切に選択し、適切に内容を精査
して、反論できるようにしておく必要がある。彼らの、マインド
コントロールを解くのに、最低限必要なことだからである。
解けるかどうかはわからぬが。神のみぞ知る領域かも知れぬ。
7. マインドコントロールのプロセス・・・・( 3 )・・・・旧ソ連ルート(以下、Sルート)
 Sルートによるマインドコントロールは、国際法無視もはなはだしい
旧日本軍人のシベリア抑留に始まる。これは単に、何かの建設に
従事させるためだけではなかつた。不当に、いや、不法に抑留された
日本人の弱い立場を利用して、彼らに対する昼夜を問わぬ洗脳・教育
が行われていた。その象徴的な例が、共産党の野坂参三である。
彼が、集会や赤旗紙上で、ためにする反日本的言動をして、
どれだけの共産党員及びそのシンパの人達が、根拠のない
自分の国に対する非難をするようになったことか。その中には、
小中高の学校の教員もいて、その教員たちに、なにも知らない
子供たちは、いわゆる平和教育なるものを施されて成人し、
今では、その子供や孫たちが、反戦だ、平和だ、と叫んでいる。
彼らは、自分たちの思想や価値観の出所を知らないのだ。
マインドコントロールされていることを知らないのだ。
しかも、それが、複数の世代にまたがって続いているのだ。
後に、野坂参三が、旧ソ連のスパイであることが判明した後も、
マインドコントロールされた人達は、自由な心を回復
できないままになっている。
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本評論4頁 8. マインドコントロールのプロセス・・・・( 4 )・・・・中共ルート(以下、Tルート)
 中共によるマインドコントロールは、基本的には、Sルートと、似ていた
のだが、それは、中共と旧ソ連がイデオロギーで結ばれていた時までで、
朝鮮戦争・チベット侵略・インドやベトナムとの戦争の後、他のルート
からのマインドコントロールを引き継ぐ形で、歴史を偽造しながら、
国家的規模で、おこなわれている。かつて、中共は、「自らは、覇権を
求めない」と、唐突に、繰り返し、声明を出していた。その真意を、
ようやく、世界中の人がわかる時がきたようだ。彼らは、
「自ら、覇権を追及していたのだ」。執拗な、靖国神社参拝問題の提起
は、マインドコントロールを、他のルートとの意思の疎通なしに引き継ぐ
形で行うことの戦略的意味をわかったうえで、確信犯としておこなつて
いるのだ。従って、自ら覇権を握るまでは、靖国神社問題を使うだろうし、
歴史の偽造もするだろう。親中といわれる日本人は、中共にとって、
真の歴史的事実に盲目な日本人をマインドコントロールをするうえで、
利用できる日本人と、定義できよう。Tルートは、今や、声明一本で
絶大な効果、すなわち、日本を心理的に弱体化させる絶大な効果を
発揮する中共にとってはなくてはならない言葉のミサイルと化して
しまいつつある。このことを、明確に認識している国会議員が、
はたして何人いることやら。一般国民に至っては、撃てば当たる
餌食に等しいくらいの多数の者が、マインドコントロールの餌食に
なつている。しかも、一部の日本人は、今や、中共によって、自分で
自分にマインドコントロールをかけるように陥らされている。
9. マインドコントロールのプロセス・・・・( 5 )・・・・日教組ルート(以下、Nルート)
 もう、多言を要しないであろう。上記、A・S・T・Nルートにより
マインドコントロールされた教員たちが、事もあろうに、子どもたちに
「日本が悪かった。戦争は悲惨です。もう、二度とやってはいけません」
と教育するのだ。その子供たちが大人になり、教員になり、また
同じことを繰り返す。
これらの教員たちは、日本の、どこが、なにが、どうして、
悪かったのかはほとんど知らないのだ。洗脳されて、無前提に、
日本が悪かった、という結論を信じているだけなのだ。
これら教員たちの心模様と、事例 1の元赤ん坊武士や事例2の
オーム真理教の信者の心模様は、全く同じ種類のものなのだ。
10. マインドコントロールのプロセス・・・・( 6 )・・・・朝日新聞ルート(以下、Mルート)

 このルートも多言を要しないであろう。A・S・T・Nルートにより
マインドコントロールされた記者たちが、洗脳された内容を記事にする
のであるから効果は重大であるし、その責任も重大である。
とりわけ、1951年のサンフランシスコ講和条約により、米軍の規制が
なくなったのちも、米軍に規制されていたときと同様の記事内容を
踏襲したことは、強く非難されてしかるべきである。

11. 複雑なプロセス
 党綱領 1.2 に記した「複雑なプロセス」とは、上記の
マインドコントロールのプロセス(2)乃至(6)を指すのであって、しかも、
上記A・S・T・N・Mの各ルートは、単独ではなく、複雑に絡み合いながら
時間的にも、空間的にも、心理的に無防備な国民の一人一人に
マインドコントロールをかけ続けてきたのだ。しかも、それが、
2・3世代にまたがってかけ続けられているのだ。
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本評論5頁  具体的に、「」人達が、マインドコントロールの餌食となる物語を
簡単に再現して、垣間見よう。
 終戦時16歳の少年は、空腹ではあったが世の中の出来事に
関心を持ち始めていた。新聞では、連日、朝日新聞が、GHQの
検閲や報道統制を受けて、旧日本軍がこんな悪事を働いていた
と報道する。洗脳されて復員してきた学校の先生は、「日本が
悪かった。もう、二度と悲惨な戦争をしてはいけない。」と教える。
少年の父の職場では、労働組合運動が激しくなる中、父は、組合の
オルグ活動によって組合運動にひきずりこまれ、家に帰れば、少年に
向って又同じことをいう。たまに組合の委員長あたりが少年の家に
やってきて、又同じことを言う。
 間もなく大学に入学した少年は、大学の進歩的知識人ぶった
左翼教授や先輩や同級生から、又同じことを聞かされる。同級生の
一部は、ヘルメットと角材を持って街頭に繰り出し、真実を探求する
学問とは正反対のことに血道をあげる。なんとか踏みとどまった
この少年は、(もう少年とは呼べないが)大学を卒業して就職すると、
彼の父と同じ道をたどる。
 この少年と同年代の青少年は、程度の差はあれ、このような状況
に置かれていた。このような状況下で、マインドコントロールを
完全に振り払うことは、真摯に真実を探求する明確な意思
がなければ、なかなか難しいことであつたろう。
 ところが、問題は、ここで終わらない。
 少年は、昭和三十年頃にはパパになり、今度は、自分の子供に
向って自分が聞かされたことと同じことを言って聞かせるのだ。
昭和六十年頃には、パパは祖父になり、その時に生まれた子は、
そろそろ結婚適齢期にさしかかつている。その間、この家では、
曾祖父、祖父、パパ、子供、孫、と、何代にも渡って、アメリカや
旧ソ連や中共や朝鮮にとって都合のよいこと、すなわち
「日本が悪かった。日本は潔く謝罪し、悲惨な戦争は二度としては
いけない。」と、言って聞かせるのである。
 これらの考え方の出所を、彼らは知らないのである。彼らは、
自分たちが、マインドコントロールされていることを、知らないのだ。
彼らは、自分の目で、頭で、自分の考えの出所を訪問したことが
ないのだ。「」人達同士で、何億回スローガンを唱和したところで、
その出所を変えることなど決してできはしない。
 「」人達の眼を覚まさせることができるかどうかは、
日本の未来の礎を築くことができるか否かということと、
密接に係わっている。党綱領 1.2の最後の行文は、このような
背景のもとに著したものである。
   
12.  終章
招待状

党綱領
 真正党の招待状・綱領において、ごく短い言葉で表現したことの
内容を、噛み砕いて説明したつもりである。しかしながら、もう少し
わかりやすい表現の仕方はなかったろうか、もうすこし別の
角度から切り込んだほうがよかったのではなかろうか、等々、
思いは尽きない。今後、加筆修正等を施してより良き内容に
してゆきたいと考えている。
 私は、1970年か1971年に実存主義の真髄を会得した。
そして、1999年に、江藤淳著「閉ざされた言語空間」に出会った。
全く異なるプロセスから同じ道に合流していることに、驚きを
禁じ得なかった。
 本来なら、引用文献等を、正確に表記したかったのであるが、
私事ながら、東京を引き払うときに、その大部分を棄却せざるを
えなかったため、それもかなわなかった。別の機会に、可能な限り
補筆するつもりでいる。
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