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真正党
評 論 No. 080505
テーマ  実存主義の獲得の方法  
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 評論No.080505

1.  序




















2. 出会い











3. 人間探求
 真正党は、事象の認識手段として、実存主義を採用している。

我が党の実存主義は、我が党独自のもの(以下、単に、実存主義)である
が故に、それはどのようなものなのか、どうすれば獲得できるのか、
について説明する必要がある。

以下において、仮に、十分に説明できたとしても、
実存主義の内容とその獲得方法について、万人が獲得できるとは限らない。
なぜならば、極めて心的な作業であり、スポーツにおけるように、

タイムウォッチで目に見える数値として表すことができないからである。
心的な作業だからといって、宗教的な、神秘的な、霊的な要素はない
非常に実証的な作業なのだが、いかんせん目に見える形にできない。

しかし、実存主義の対極にあると思われる幼稚主義を排するためにも、
幼稚主義の発露たる平和念仏主義者、左翼、九条呪縛呪文主義者達の
理屈の土台を突き崩すためにも、実存主義の獲得は必要なことなのである。
幼稚主義者達は、一つの主義として、自分たちが幼稚主義を採用しているとは
思っていないだろう。自分たちのどこが幼稚なのかさえわかっていない。
彼らの思想の土台や出発点を、突き崩す必要があると感ずる所以である。

人間は、その人生の節目節目に、いろいろな人や物事や思想や好みとの
出会いがある。

実存主義と出会う前に、それを獲得するための「道具」に出会った。
その道具とは、「小説の本質」である。これ自体は、
大学入学試験問題レベルである。過去試験問題集にも載っていよう。
ただそれは、試験問題によくあるように、択一問題として出題される。
そのために、その重大性に気がつかないまま、その後の人生の貴重な
時間を無意味に過ごすこととなる。
幸運にも、その重大性に気づき、大学入学後に活用できるに違いない
という確信を持てたことが、後に、実存主義の獲得に繋がった。

実存主義を獲得するための道具としての「小説の本質」について
これから縷々説明するわけであるが、当初から、実存主義獲得の
ための道具として意識していたわけではなく、人間探求の道具として
明確に意識していた。実存主義という言葉の存在も知らなければ、
何々主義という言葉にあこがれたり、探していたわけではない。
人生のある時点で、人間を探求する必要性を痛感し、そのためには、
小説の本質を利用するのが最も適切であるとの確信があった。
何故に、人間を探求する必要があるのか。
それは、これからの人生の歩みの中で、人間の生死に関わったり、
他人の欺瞞にさらされたりすることもあるに違いない。学校で指定された
教科書を暗記するような、お勉強しかやっていないと、おそらく、それらに
対処できずに惨憺たる人生になるに違いないと思ったからである。
1頁 下に続く




2頁の始め 4. 小説の本質

























5. 小説の構造








6. 名作の条件
小説の本質は、「経験」である。

このことを教えることのできる高校教師が少ないのであるが、
このことが、大学入学試験対策のテクニックとしてだけではなく、
一度きりの時間的にも空間的にも限られた人生の中で、
人格を磨き、人間の思考を深化させるキーワードであることを
教えることのできる者は、更に少ない。

例を挙げよう。
無路無双は、男で、二十歳である。
いますぐ、八十歳の老婆になることは不可能である。

或る小説の中の登場人物に、八十歳の老婆がいたとしよう。
その小説を読むことによって、その老婆が、思うこと、感じること、
老婆の喜怒哀楽の全てをまるで自分が経験しているように、
経験できるのである。
男が女になれるのである。
二十歳が八十歳になれるのである。
小説の中に、富豪・乞食・国王・貴族・平民・軍人・僧侶等々
登場していたら、それらを全て経験できるのである。

いろいろな境遇の、いろいろな立場の、いろいろな年齢の、
男であろうと女であろうと、経験できるのである。
この経験によって、人格を磨き、人間の思考を深化させるのである。


小説が小説たる所以は、「虚構の真実」という構造に由来する。

小説は、作り話であり、フィクションであり、事実ではない。
小説は、作り話でありながら、ありうる話でなければならない。
小説は、作り話でありながら、ありえない話であってはならない。
これらが、虚構の真実の内容である。

このありうる話が、多くの人の心を打つ時に、その小説は名作となる。

多くの人の心を打つのは、どのような場合かというと、もちろん、
人により受け止め方や受け止める能力が異なるのだから、
人それぞれの受け止め方にならざるをえないのであるが、
多くの場合に、極限状況における人間の不条理、或いは、
人間を取り巻く環境の不条理が描かれている。

この不条理を深く洞察することが、実存主義への架け橋となる。
常識や理性では説明がつかない不条理こそ、真実を認識させ、
人間の思考を深化させ、人間そのものを深化させる。

この過程を経ていない人間は、幼稚の領域から中々抜け出せない。
われわれの周りに、幼稚な人間を数多く見ることができる。
男女、年齢、学歴、地位、貧富の違いにかかわらず、幼稚な人間が、
はびこっている。
幼稚な人間は、「平和」と言いさえすれば平和が実現すると思っている。
幼稚な人間は、「戦争反対」といえば、戦争がなくなると思っている。
幼稚な人間は、「9条を守れ」ば、戦争がなくなると信じている。
「平和」「戦争反対」「9条」は、人工の「ことば」「概念」であり、
それらを作った人間がどのようなものであるかを見ようとしない。
それらを作った人間が、不条理の塊であることを知らない。
「平和」「戦争反対」「9条を守れ」を唱えている自分自身の中に、
それらとは正反対の契機・性質が宿っていることに気がつかない。
2頁 下に続く




3頁の始め 7.  不条理

























8. タイミング












9. 読む態度









常識や理性では説明がつかない不合理なことを不条理という
のであるが、国語辞書の解説程度の理解では全然足りない。

不条理を深く洞察することが、実存主義への架け橋となるのであるが、
注意すべきは、我が党の実存主義は、我が党独自のものであって、
外国の同名の主義とも異なるし、認識対象を限定もしない。

不条理を深く洞察するには、小説の中の登場人物の中の不条理を
見つめることから始めるのがよい。見つめてゆくうちに、最初は
ぼんやりとしか見えなかった不条理が、何冊も、何人も見てゆくうちに
やがてはっきり認識できるようになる。
国語辞書の解説とは、全然次元の異なる不条理を認識できるようになる。
一般に名作といわれるものを、何冊も読まねばならない。
技術的なことではあるが、小説の中の登場人物の全てに
目を配らなければならない。
ハンサムと美貌の二人が幾多の苦難を乗り越えて成功した後キスして
終わる安っぽいアメリカ映画を見るように、主人公だけを見てはいけない。
全ての登場人物に、自分を重ね合わせてみなければならない。

登場人物の心の中にも、自分自身の心の中にも
得体のしれない何やら蠢くものの存在」に気づくようになれば、
実存主義への架け橋を渡りつつあるといえよう。

もはや、貴方の心の中には、幼稚主義の居場所はないはずだ。


以上のことを理解した上で、一般に名作といわれる小説を読むにしても、
最適なタイミングというものがある。
最も理想的な時期は、大学生の年代であろう。
目の前の入学試験の前では時間的に余裕がない。明確な性欲は
必要である。名作のなかのいたるところに男と女のドラマがあるのに、
性欲を明確に知らないでは、不条理の前提としての状況を理解できない
からである。わかりやすく言えば、小学生にいくら名作を読ませても
無意味であるということである。

大学生の年代を越したらどうかというと、齢を重ねるに従って、
やはり、感性が鈍くなってくる分だけ、タイミングとしては遅いと言える。


先入観や価値観をあらかじめ意識して排除しておくこと。
これは、あくまで心の中で、自分で自分に課す心的作業であるから
言い訳やごまかしは、結局、自分で自分にしなければならないことになる。
せっかく、名作といわれるものを読んでいながら、読んだことにならない
読み方をしているということになる。時間の無駄である。

もちろん、あらゆる価値観を全部排除することは不可能である。しかし、
意識して、「全部排除」に近づける努力が必要である。

最適な読むタイミングを逸した人も、この「読む態度」が保てれば、可成の
後になっても、名作を読んで実存主義を獲得することは可能である。

一旦、実存主義を獲得しだしたら、出会う小説にもよるが、
自分の心の中の襞と襞との間の微妙な感触が手に取るように
わかってくるし、それだけにとどまらず、他人の心の中の
襞と襞との間の微妙な感触がわかるようになる。
3頁 下に続く



4頁 10.  神


















11. 結び





























我が党の採用する実存主義は、あらゆる不条理を露わにする。

そうすると、あまりの不条理の氾濫に、「神は存在するのか」と、
問いかけたくなるし、問いかけざるを得なくなる。

党綱領にも記した通り、「神は存在する」と認識する。
誰も証明できない事柄であるから、するともしないとも言えるし、
言いっ放しに終わる事柄である。「神は存在する」とする理由は、

人知を超えた、何か得体のしれない大きな存在があるように
思われるからであり、一見、混沌とした宇宙にも、我々が、ほぼ
永遠に知ることのできない何らかの何かがありそうだからである。

人間の言葉や感性ではたどり着けない領域である。

既存の宗教は、人間の言葉で、人間の価値観で表現しており、
人間が作ったものに他ならないと断ずる。


我が党の綱領でも記述しているが、「実存主義」とは、
存在するものを存在すると認識し、存在しないものを
                存在しないと認識する認識手法
」である。
一見、簡単なようで、非常に難しい。

我が党の実存主義は、如上の通りであるから、
ここまで読み進まれてきても、現時点では、貴方は、
実存主義を獲得していない。獲得するためには、再言すると、
人間探求の目的の下、小説の本質と構造を理解した上で、
一般に名作といわれる小説を読んで、その中の不条理に
数多く出会うことである。
これ以上の近道はない。

これ以上の近道はないが、別の道はある。恐らく回り道だろう。
たとえば、刑事が、殺人の現場を数多く手がけているうちに、
人間存在に関するある種の境地にたどり着く場合などだ。
刑事がたどり着いたある種の境地は、我が党の実存主義と
全く同一とはならないだろうが、近いものではありうるだろう。
ただし、定年間際と言ったら言い過ぎかもしれないが、かなりの
時間がかかるだろう。

上述した近道を通れば、人それぞれではあろうが、

早ければ「約一年」もあれば獲得できる。

実存主義の獲得が最終の目的ではない。

それを事象の認識の手段として、真実を追求することが目的なのだ。

ご健闘を祈ります。

(注)どのような小説を選ぶのかについても、触れたいところですが、
   全てを網羅して読んだわけではなく、又読んだ小説についても、
   小説の題名・内容については、既に忘却の彼方にあります。
   知る限り、一冊を除いて日本の小説よりは、欧米の名作との
   定評のあるものがよいでしょう。特に、日本の「私小説」は、
   お薦めできません。

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