普賢岳噴火災害

 

雲仙普賢岳は、平成2年11月、島原大変から198年ぶりに噴火しました。火山国日本の災害記録(自然の記録)として、噴火当時の写真を掲載致しました。尚、掲載した七点の写真は、島原市の広報誌(広報しまばら2:雲仙普賢岳噴火災害特別号:H6/3/1)から転載しました。

噴火前

平成二年に撮影された普賢岳の航空写真です。山の緑と海の青さが 温暖で風光明媚な島原を象徴しています。有明海上空から西の橘湾方向を撮影した写真で、手前が 有明海、奥が雲仙、右側が諌早方面、左側が口之津方面 になります。(撮影:長崎航空)

噴火後

平成五年に撮影された普賢岳の航空写真です。市街地の 後ろに聳える眉山(島原大変の際に大崩壊を起こした) を包み込むように火砕流と土石流が流れ下った模様が御 覧頂けます。右側が千本木、左側が水無川方向です。(撮影:長崎航空)

 

全 景

平成六年初頭、普賢岳を有明海上空から俯瞰した航空写真です。山頂付近から立ち上る水蒸気や火山性ガスが南東の風に流されて橘湾方面に棚引く光景を御覧頂けると思います。尚、白くなっている筋の部分は火砕流や土石流の流れた箇所です。(撮影:長崎航空)

 

降 灰

平成五年三月九日、継続時間190秒と云う火砕流が発生し島原市内に大量の火山灰が降り積もりました。上空高く舞い上がった火山灰は季節風に乗って有明海を越え、遠くは熊本・福岡まで灰褐色の粒子を飛翔させました。

 

夜 景

夜空に赤く輝く普賢岳の遠景写真です。噴火活動が活発だった頃は、流れ星が流れるように落石や火砕流の赤い帯が市内からも観察出来ました。赤い部分は摂氏八百度にも達する溶岩塊です。

 

火砕流

普賢岳の麓に位置する島原市千本木町に火砕流が進入した際のスナップ写真です。溶岩が崩落する際に発生する爆発的なエネルギーによって千本木町一帯は一瞬のうちに灰燼に帰し、住民の多くが愛する古里と数々の忘れがたい思い出を失いました。

 

遠 景

瘡蓋のように異様に変形した普賢岳の遠景です。上部に覆い被さった巨大な溶岩塊は風化や雨水による浸食によって将来崩落する運命にあります。又、一連の噴火活動に起因する土石流等は、今後十年程度続くものと考えられています。