古地図・絵図
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混一疆理歴代国都図
建文四年(1402)
219.0×276.8 一鋪 権近 世界図 彩色手書 世界の全域(旧大陸)を描く朝鮮製最古の本格的な地図。 -
先蒐門脇石垣破損図
天和三年六月二十六日
41.6×67.8 一鋪 松平主殿頭 袋上書「公儀へ申上ル扣」 -
島原城之図
寛文十二年六月三日
104.0×181.5 一(軸装) 彩色 石垣などの修復を幕府に願い出た届けの控え。 -
普賢岳新焼図
寛政四年二~三月
125.6×101.4 紙本彩色 鳴動・地震が起こり噴火発生。溶岩流が噴出し、長さ2kmの穴迫谷を埋め流下した。 -
寛政四年大震図
寛政四年
232.0×136.2 一鋪 紙本彩色 新焼け溶岩が流下していますが,三月朔地震で発生した地割れが描かれていない。 -
大変後島原絵図
154.3×160.7 一鋪 紙本彩色 眉山の山体崩壊と津波発生後の状況を示したもので、海岸線に沿って、津波の到達範囲が表現されています。
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京屋敷図
146.3×127.0 一鋪 十分計 彩色 島原入部以前の屋敷図と考えられ、京都の初期貼絵図と思われる。
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数寄屋橋御屋敷図
86.8×142.8 一鋪 彩色 返上した神田橋屋敷に替え、元禄四年に数寄屋橋の九鬼長門守の屋敷を拝領し上屋敷とした。
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豊後国高田芝崎絵図
107.0×90.6 一鋪 極彩 古城本丸・本町・市場町・横町・大小路等の町割、各町内の家数・軒数、寺社名
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野州宇都宮御城内図
182.1×180.7 一鋪 彩色八色 侍屋敷に侍名と役職名の朱有 松平家も戸田家との交代で25年ほど下野宇都宮に転封していた。
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丹州亀山絵図
(裏題)丹波亀山城之図 57.2×54.8 一鋪 天守閣 侍屋敷 新足軽屋敷 蔵屋敷 彩色 明智光秀により丹波統治の拠点となった。
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九州絵図
153.1×119.7 彩色 街道・航路(朱引) 作成時期は、天草の富岡城主に山崎甲斐守が記されており、寛永十五年から十八年迄に限定できる。
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丹後国宮津城図
162.0×193.0 一鋪 侍屋敷には家臣名記載 彩色 寛文六年、松平主殿頭忠房公(福知山城主)が宮津城受取の任に当たっている。
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唐人屋敷之図
40.3×57.6 一鋪 彩色 惣坪八千十五坪半 二千人の収容能力があった。周囲は塀と堀で囲まれ、大門脇には番所があり出入りを監視した。
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島原藩屋敷図
150.0×300.0 一鋪 彩色 寛文9年、忠房公が福知山から移封された直後に作られたらしい。本丸・二の丸・三の丸、士族屋敷約二百戸。
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信玄陣屋之図
185.6×177.0 道筋朱引き、本陣(台所・馬屋)、掟書諸将配置
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あねかわ図
167.3×113.5 彩色 村、街道、山川 (信長公御本陣)
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長久手戦図
100.0×74.8 彩色 太閤・家康両陣武将配置図
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長篠合戦図
72.2×96.2 彩色 紙幅の右半分は『長篠合戦之時之信長公衆方人衆之覚、長篠合戦場所之覚』、左半分は陣配図
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遠州味方原之図
172.2×112.4 彩色 『松平和泉殿より之写シ』 村名、浜松城下