島原領図屏風
162.0×248.0 四曲半双 極彩 俯瞰美図 寛永年間から明暦年間 松倉時代に島原城の完成を祝して描かせたのではないかと云われている。
島原領国屏風
詳細図 島原城(森岳城)の全体と城下町が記されており、高い石垣と城外の様子が描かれている。
山城国伏見廻之図
193.4×135.0 彩色 一里を三尺六寸に縮尺
伏見城縄張之図
84.0×89.7 彩色 伏見城の築城に際し、関白秀吉の筆が入った建築指図と伝えられている。
慶長五年伏見城攻図
188.0×157.0 極彩 軸装 関ヶ原の合戦の前哨戦である伏見城攻防戦の様子を記録した戦闘絵図。
慶長五年伏見城攻図
その一 伏見城攻防戦の様子を記録した戦闘絵図。三の丸に家忠公が記載されている。
慶長五年伏見城攻図
その二
慶長五年伏見城攻図
その三
慶長五年伏見城攻図
その四
慶長五年伏見城攻図
その五
慶長五年伏見城攻図
その六
松平家軍陣図
危急時に備えた松平家の実戦用戦闘配備図
松平家陣立図
合戦で敵と戦う時の配列を陣形と云い、その細かな配置の事を陣立と云う。
旗差物
松平家中の旗差物を調練方が記録用に和綴じの冊子に纏めた物。
御内書
42.0×52.4 折紙 徳川将軍家(初代~14代)総数158通
本光寺山門
忠房公は生母福昌院殿と息子国千代の菩提を弔う為、本光寺の末寺浄林寺を建立した。この山門は旧浄林寺の創建時を伝える唯一の遺構である。
常盤御殿客間
378.5×378.2 板面紙貼 紙本墨画淡彩 龍の絵は御所の修復を担当した松平家が帰参する時に持ち帰ったと云う。常盤御殿の遺構の一つ。
真鏡院さんの長持
忠精公の継室正子さんが伊予宇和島の伊達家から輿入れされた際の長持。伊達家の家紋(竹に雀と竪三引両紋)が描かれている。
源氏物語屏風
本地竪 84.4×各扇幅 41.5~46.5 紙本著色 金箔貼付 六曲一隻 岩佐勝以作
真鏡院殿御道具
11件一式 木製 漆塗り 金蒔絵
権現様御手拭
家康公が竹千代時代に使用されていた手拭いと伝わっているが、真偽の程は定かではない。
西洋式金庫
幕末期に上海から長崎経由で輸入されたフランス製の金庫。複数の鍵穴があり複雑な構造。甲第(松平家財産管理所)の備品。
松平家御廟所
この御廟所には忠房公の生母をはじめ、忠雄公・忠精公正室の墓など大小23基がある。土塀と石垣に囲まれた墓域は丸尾城本丸跡である。
十六羅漢像
一石造 彫眼 総高(73.3~79.3) 浄林寺の前身禅林寺の実山和尚の発願による十六羅漢。領内の石工に作成させたと云われている。
如意輪観音菩薩坐像
一躯檜材 寄木造 玉眼 漆箔 像高60.9 厨子高128.2 伝鎌倉時代 明智家が丹波福知山に秘蔵していたものを島原入封の際に動座したもの。
弁財天十五童子像
檜材 寄木造 古色仕上げ 総高46.8 総幅43.4 奥行35.2 六臂の木造であるが、寺伝では空海作の弁財天とされている。
阿弥陀如来坐像
一躯銅造 総高78.8 坐高39.6 江戸時代 螺髪を整然と刻み、肉髻珠・白毫を表し、衲衣を通肩に纏って法界定印を結び、結跏趺坐する。
子安地蔵菩薩立像
一躯檜材 寄木造 玉眼 彩色 総高57.7 厨子高84.2 岩座裏面等に墨書で、『九州西肥大仏師八木作』の銘記がある。
ルソン壷
陶製六耳壷(伝ルソン壷) 総高37.0 真偽の程は定かでないが、古代ルソン壷の形式を有する壷である。
誓水杯
銅板打出 杯高5.9 チベット18世紀 誓水とは金剛水の事で別名浄香水とも云う。戒壇上で菩提心を誓約させる意味合いから誓水と呼ばれる。
隠れキリシタン像
一木造(桐材)彫眼 漆箔 総高16.8 像高9.6 一見すると普通の大日如来像であるが、仏像の盆窪にクギを打ち込れ法力を止められている。