早期発見と通報が重要…潜在化しがちな児童の虐待


深刻化する昨今の児童虐待事案に鑑み、児童虐待防止協議会(主催=島原警察署、島原市福祉事務所)がこのほど島原文化会館大ホールで開かれ、潜在化しがちな虐待の早期発見と通報の重要性を再認識した。

児童虐待とは保護者などが18歳未満の児童に対し▽体に暴行を加えるなど身体的虐待▽わいせつな行為をする性的虐待▽乳幼児を車中に放置するなど怠惰・ネグレクト(育児放棄) - などを行うことを示す。平成18年度中に全国の児童相談所などが受理した相談件数は3万7323件、平成2年度の1001人と比較すると34倍に。本県でも平成2年度30件から平成18年度223件と激増しているのが現状。

協議会は児童虐待の予防対策や地域住民による早期発見・通報を呼びかけることなどを目的に開催され、少年補導員や主婦、保護者、女子高校生など550人が参加。南島原市西有家町の長崎大医学部非常勤講師の中村まり子さんが「愛されるために生まれてきた子どもたち」と題し父親から虐待を受けた高校生など実例を紹介しながら講話をし、島原署生活安全課の武藤譲課長が▽しつけと虐待の違い▽虐待が潜在化している現状 - などについて説明し、早期発見と通報の重要性を強調。安本眞二署長は「島原は治安もよく湧水のまち。犯罪・事故の防止と児童虐待のないまちであってほしい」などと呼びかけた。

[2007/11/30:島原新聞]

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吉川・坂本ペアなど優勝…内藤杯中学ソフトテニス


島原・雲仙・南島原の3市ソフトテニス連盟主催の「第18回内藤杯島原半島中学生学年別ソフトテニス大会」が24、25の両日、島原市営テニスコートなどで行われた。

戦後間もない昭和22年から競技を続けてきた内藤智氏(現島原ソフトテニス連盟会長)が昭和58年、日本軟式庭球連盟から表彰を受けたのを機に「子どもたちにもっと大舞台を体験させてあげたい」と翌59年から、前身の「島原南高中学生選手権大会」を開催。その6年後、学年別にしてさらに盛り上げようと1年の部を加え、現在の「内藤杯」になった。

今大会には2年男子72、1年男子81、2年女子75、1年女子49の計277ペアが出場し、島原半島の頂点を目指して各部で熱戦を繰り広げた。

[2007/11/29:島原新聞]

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戴帽式で決意を新たに…地域医療の担い手として39人が看護の道を目指す


島原市医師会看護学校(柴田英徳校長)で28日、戴帽式が行われ、准看護科1年生39人が看護の道を目指す決意をあらたにした。

4月に入学し看護の基礎を学んできた第53期生が看護を職業として選ぶ区切りとしての式。12月6日からは約1か月間の基礎実習に挑む。

真新しい白衣に身を包んだ学生を前に柴田校長は「看護職を目指す皆さんにとって戴帽式は最大の行事であり、あらたな人生の門出だ。知識や技術はもとより人に対する思いやりを忘れてはならず、相手の気持ちを感じとれる豊かな心を育んで。明るく素直で思いやりのある心を養うとともに、看護の精神を受け継ぎ、地域医療の担い手としての意識を高めてほしい」と式辞。

暗闇に包まれ厳かな雰囲気のなか学生は一人ずつナース帽をかぶせてもらい、ナイチンゲール像の両手に灯されたロウソクの火を自らのロウソクに移し、看護の精神を謳ったナイチンゲール誓詞を全員で唱和。学生代表で西田安江さんが「ナイチンゲール誓詞を生涯の教訓としてますますの勉学に励みます」と誓いをたてた。

市医師会の小島進会長や南高医師会の泉川欣一会長、金子副市長は「技術と精神は先輩から後輩へ受け継がれるものであり、この場でその姿勢を強固なものにして。全てのことに求められるのは常識と気配りであり、相手に対する思いやりやいたわりの心を忘れずに。患者さんと向き合うことでそれを身をもって感じとり、笑顔の絶えない看護のスペシャリストを目指してほしい」などとエールをおくった。

[2007/11/29:島原新聞]

島原市医師会

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『大和流弓術書』を寄託…松平文庫に資料約300点


島原藩学の基礎をひらいた松平忠房は、武芸においては弓術の大和流・森川四郎左衛門、吉田流の吉田上野介、大原甚五左衛門、日置(へき)流の成瀬佐左衛門。馬術では大坪本流の高松八大夫。槍は種田流の桃井又右衛門。銃は関流に牧十郎左衛門、内村一左衛門、笹田安右衛門、その他の武芸者を抱えていた。

そのうち弓術の大和流は、貞享五年(1688=元禄元年)に抱えられた森川四郎左衛門秀一が"開祖"。彼は、京都で17年にわたり弓術を学び、弓道十三家の奥伝を会得したあと、さらに宇佐八幡宮に秘蔵されていた弓技古伝の秘書を解し、大和流を大成した、とされている。つまり、森川秀一(号・香山)が島原藩で開いたオリジナルの弓術だったのだ。その本家・大和流弓術の資料約300点がこのほど、島原市松平文庫に寄託された。

大和流は、初代森川秀一、二代秀親のあと、子に恵まれず、断絶。迎えた養子も若死にし、一旦家は絶えたが、その間、目録を伝授された他家によって伝承された。忠馮公のとき(島原大変後の寛政四年)、槍術指南役の川辺次郎左衛門の願書により、大岡家の二男・円次郎を養子に迎え、森川本家が維持されてきた経緯がある。

今回、寄託された大和流弓術資料は、河野六郎通亮を経て川鍋次郎左衛門正馨家に継承されてきたそれ。自ら弓道をたしなみ、古伝研究にも取り組んでいる爲田守久氏(島原第三中学校長)が昨年夏、川鍋家の屋敷が解かれているのに気付き、伝書類の行方を探しているうち川鍋家の子孫・正靖氏(福岡市在住)と会い、資料を託された。

その後、爲田氏は川鍋氏の同意を得て資料文書の整理と調査に取り掛かり、開示可能なものはすべてCDに画像を記録。今春、作業を終えた。

「川鍋家は師範家として本家・森川家を庇護してきた大きな役割があったため、川鍋左源太(忠房公の弓術御相手)に与えられた香山直伝の書をはじめ、観徳軒香山、中和堂秀親、君子亭観山(河野通亮)、中行堂正馨ら大和流の発展に寄与した諸師の書が多く含まれている。香山が弓道師範として島原藩に仕えた貞享五年から、すでに318年が経過しているにもかかわらず、完全なかたちで保管できたことは奇跡に近い。なかには、虫食いなどにより専門家による修復作業を必要とするものがあるので、今後は島原市松平文庫の管理のもと、郷土の宝として未来に引き継がれることが好ましい。弓道愛好家により流派としての大和流が復活されることも期待したい」と話している。

[2007/11/28:島原新聞]

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古豪『島原商』が復活…23年ぶり24度目の優勝


冬の選手権出場をかけた「第86回全国高校サッカー選手権大会・長崎大会」の決勝が25日、諫早市の県立総合運動公園陸上競技場で行われ、地元期待の島原商業が延長戦の末、1 - 0で長崎日大を破り、見事!!23年ぶり24回目の優勝を飾った。

24チームが戦った県大会で島商は2回戦から出場し、初戦は佐世保工に1 - 0、準々決勝は同郷の島高を相手に3 - 1と快勝し、常勝・国見が敗れる波乱の中でベスト4進出を果たした。続く準決勝では、国見を破って勢いに乗る長崎南山を1 - 0で下し、コマを進めた島商。強豪・長崎日大との決勝に臨んだ。

△戦評(諫早商業高校・西信幸氏)=両チームとも4 - 4 - 2の布陣で、立ち上がりはともに厳しいプレッシャーをかけ合い、相手にリズムを掴ませないゲーム展開。前半10分を過ぎると徐々にペースを掴んだ長崎日大が両FWの突破からチャンスをつくったが、シュートの精度を欠き、得点には至らなかった。

その後、ボールを相手に支配されながらも厳しい守りで耐える島商が2トップのFW・中村真人(3年)、同・松本章生(同)両選手にロングパスを多用する反撃を試みた。

後半も総合力に勝る日大が優位に試合を運んだが、島商も全員が集中力を切らすことなく、守備のバランスを保ちながらしっかりと対応し、時折、鋭い攻めを仕掛けたものの0 - 0。緊迫したゲームのまま延長戦に突入した。

均衡を破ったのは辛抱強く守っていた島商。前半5分、DF・酒井稔史主将(3年)のフリーキックから出たボールをFW・中村選手がアシストし、最後はMF・村里慎太郎選手(2年)が落ち着いてシュート。日大の怒涛の攻めを交わし、決勝点を守り切った。全員が守備の意識を高く持ち、豊富な運動量とタフな精神力で劣勢の中、伝統の「走るサッカー」で全国大会のキップを手にした試合だった。

島商の本大会出場は、帝京と両校優勝だった昭和59年度の第63回大会以来、実に23年ぶり。島原市を中心に地元の中学出身者で編制された純血チームの島商。待ち望んだ古豪の復活に期待が高まる。

全国大会は首都圏で30日開幕。島商は翌31日の1回戦から出場し、新潟県代表の北越と柏の葉公園総合競技場で対戦する。

[2007/11/27:島原新聞]

長崎県立島原商業高等学校

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大成功!!火山都市国際会議


『島原の教訓』を世界に、市民の皆さんに感謝

『火山噴火のリスク軽減』を目指し開催された「火山都市国際会議島原大会」(COV5)が23日、5日間の日程を終え閉幕。大会名誉顧問の吉岡市長が「『火山と共生する都市(まち)』づくりを目指す」と誓いを込めた平成新山アピールで締めくくった。

アジアで初めて開催された同会議には31の国と地域から、火山研究者や防災担当者など約600人が参加。火山に関する最先端の研究成果などを披露するテーマごとの学術会議をはじめ、口頭発表とポスター発表が計550件、普賢岳被災地の巡検(現地視察)などが行われたほか、市民や行政、各種団体、マスコミ関係者らも交えた様々なフォーラムは計2100人を超え、期間中、総勢2700人が会場に足を運んだ。

閉会式が島原復興アリーナで行われ、各学術セッションやフォーラムの成果について大会実行委員長の中田節也東大教授が総括。吉岡市長は科学者・行政・住民・マスメディアの信頼関係構築や平時からの備えの重要性などを盛り込んだ平成新山アピールを読み上げ、「世界中の火山災害の軽減に取り組み、関係者の連携のもと、『火山と共生する都市(まち)』づくりを目指す」と高らかに宣言した。

次期開催地は2年後の2009年、スペイン・カナリア諸島のテネリフェと決定。中田実行委員長から次回大会実行委員長のペレス・ネメシオ博士に記念品が贈られた。

参加者を代表して米国地質調査所のニューホール・クリス博士が島原大会の成功を祝い、中田実行委員長、吉岡市長、清水洋・九大教授ら関係者に対し、「すべてが行き届いた素晴らしい大会だった」と最高の賛辞を贈り、会場のスタンディングオベーションでボルテージは最高潮に達した。

また、アトラクションでは県立島原商業高校の生徒たちが伝統の島原不知火太鼓を演奏、福岡駐屯地の陸上自衛隊第4師団音楽隊と大村駐屯地の第16普通科連隊音楽隊の合同演奏では島原の子守唄などが披露された。会場の拍手喝采を浴びた島商3年の木村由香さんは「緊張したけれど楽しかった。大きな拍手をもらえて嬉しい」と喜んでいた。

大会を終え吉岡市長は「日本の端、人口5万の小都市で国際会議ができるのかと大変心配していたが、中田先生をはじめ学者や市民の皆さんのご協力、国・県など関係機関のご支援により、よくできた。市民の皆さんもこれで自信が持てたのでは - 。それこそがほかの何よりも勝るエネルギーであり、島原の財産だ。これを今後、郷土のまちづくりに生かしていきたい。期間中は天候に恵まれ、地球にもお礼を言いたい」と率直な感想を述べた。

中田氏は「アイスブレーカーあたりから手応えは感じていた。これだけ盛り上げてもらった中で、どれだけ実績を披露できるか心配だったが、市民とのコミュニケーションについては盛り上げてもらっていること自体が実はすでにテーマになっていた。研究面でも島原のいいところ、世界から学ぶべきこともかなりうまく紹介しあえたのでは - 。われながら出来すぎだった」と語り、島原市民に対しても「皆さんに盛り上げてもらい感謝している。災害は起きてから対処するのではなく、災害が起きることについてみんなが点検し、そして信頼しあっていくことが重要だ。国際会議をやったこの環境を引き継ぎ、教育等も一緒になってやっていける体制を次代まで維持してほしい」とエールを送った。

[2007/11/25:島原新聞]

第5回火山都市国際会議島原大会

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『素晴らしい』と感銘…八木節の元気な合奏に


「火山都市国際会議」(COV5)が大会中日の21日実施した「被災地巡検」では、地元の小中学校との交流会も行なわれた。

COV恒例の行事。島原第四小学校(前田清英校長)には外国の火山研究者や防災関係者ら約150人が訪れ、3年生以上の児童計150人と交流した。

校門で待ち受けた子どもたちは参加者一人ひとりにメッセージカードと、国交省の許可を得て同校が千本木地区から採取した溶岩を記念にプレゼント。交流会はこのあと同校体育館で行われた。

子どもたちは総合的な学習の時間を使って取り組んだ災害学習の成果を披露。198年ぶりの普賢岳噴火開始から大火砕流の発生、尊い犠牲、噴石被害、土石流被害、災害下の住民生活、緑の復元、被災地の復興、火山との共生について英語も交えながら寸劇風に紹介した。

作文発表は村里一誠君(4年)、田口隆之介君(同)、内藤真帆さん(同)の3名が代表で朗読。災害で救援物資の仕分け作業に携わった父親の話をもとに内藤さんは「励ましのメッセージや義援金など、当時どれだけ助けられたか。全国の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。私も将来、災害に遭った人たちを助けていきたい」と述べた。

また、火砕流の熱風で吹き飛ばされた鉄板が巻きつきながらも驚異的な生命力で蘇った千本木地区のタブノキ、火砕流で焼失した旧大野木場小学校の運動場で再び芽吹いたイチョウの木を紹介し、「生きているんだね」を歌って聞かせた。

最後に日本の代表的な民謡「八木節」の合奏を繰り広げ、子どもたちの懸命な演奏にCOV参加者から大きな拍手が贈られた。

最後に「6・3大火砕流」で亡くなった火山学者と友人だったというケビン・スコットさん(70)が「素晴らしく元気な演奏に感銘を受けた」と、参加者を代表して感謝の言葉を述べた。

[2007/11/23:島原新聞]

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南島原市と中国羅源県「友好交流推進意向書」に調印


松島南島原市長は12日から16日までの5日間、旧北有馬町が友好交流を進めてきた中国福建省羅源県を訪問し、羅源県長と「友好交流推進意向書」を取り交わした。

長崎県・福建省友好県省締結25周年と日中国交正常化35周年を記念した長崎県の訪中団に同行したもので、交流を通じてともに発展と繁栄のため協力していくことで一致した。

羅源県は人口25万5千人。国から経済技術開発区に指定され、めざましい開発が進んでおり、5年後、10年後には人口40万人規模の「羅源湾市」となり、最大30万トンクラスの貨物船が出入りする港湾都市に発展するものとみられている。

[2007/11/22:島原新聞]

南島原市

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被災地を中心に巡検…『復興過程』をテーマに


「火山都市国際会議」(COV5)は大会中日の21日、「雲仙噴火 1990 - 1995年噴火の被災地と復興過程」をテーマに巡検を行った。国内外の火山研究者ら413人が参加し、198年ぶりの噴火で生まれた平成新山(溶岩ドーム)を見上げる普賢岳噴火被災地を中心に視察した。

当日午前中はとりわけ絶好の視察日和となり、平成新山もくっきりと姿を現した。参加者はA、B、Cと3つの班に分かれてバスで移動。参加者は会議漬けの2日間から一転、リラックスしたムードで自然のフィールドに出て普賢岳噴火と災害の記録を追った。

溶岩ドームを間近に見る仁田峠をはじめ、甚大な被害を受けた民家の姿を伝える土石流被災家屋保存公園では地元の語り部による噴火災害の体験談に耳を傾けた。また、火砕流遺構として保存されている旧大野木場小学校校舎と隣接する国交省の大野木場砂防みらい館では火山砂防事業を見学した。

平成新山から中尾川流域の被災地まで一望できるまゆやまロード沿いの千本木展望所では、火山地質図を使いながら平成の大噴火や約200年前の噴火などについて説明を受けた。外国人研究者は「この地に暮らしていた住民はどこに避難したのか」などと質問。このあと火山堆積物が明瞭に分かる砂防指定地内の千本木大露頭を見学した。

現地で説明した九大研究員の長井大輔氏によると「新鮮な火砕流堆積物は雲仙ならではの貴重な記録」という。1993年に同地区を襲った6月23日の2度の火砕サージ(横殴りの爆風)と、翌24日の火砕流の両堆積物を現地で視察し、参加者は熱心にカメラに収めていた。

さらにこのあと溶岩ドームを間近に見られる平成新山ネイチャーセンターがある垂木台地を訪れ、記念植樹も行った。

植樹は継承していく、災害の語り部として

被災地の緑化を目指し取り組み10年目を迎えた「雲仙百年の森づくりの会」(会長=宮本秀利氏)が自生する種から育てたモミジ、タブノキ、ヤマボウシ、コナラ、カシの五種類、計200本の苗木を植樹用に提供した。

「植樹は災害の語り部として継承していく」と言う宮本氏。作業に先立ち「国際会議の思い出をつくってください。私たちも苗木を管理することで大会の思い出がいつまでも残る。母国から島原へ向かって大きく成長するよう願ってほしい」と呼びかけ、参加者はスコップを手に大地を掘り起こし、荒廃した被災地の緑化に一役買った。

噴火災害から復興に焦点を当て、噴火の痕跡をつぶさに見学した一行はこのあと、COV恒例の地元学校訪問を行い、被災地を校区にもつ島原第五、第四小学校と第三中学校の3校を訪問し、子どもたちと交流した。

巡検を引率した大会実行委員長の中田節也東大教授は「火砕流は世界中どこにでもあるが、雲仙の場合は詳しい噴火の記録が残っているのが特徴だ。巡検では各国の噴火災害と比較し、学んでおられた。この大会で火山学がすぐ爆発的に進歩するわけではないが、研究資料を一つずつ積み重ねていかなければ次の発展はない」と成果に期待を寄せていた。

[2007/11/22:島原新聞]

第5回火山都市国際会議島原大会

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市民の視点からみた噴火災害


普賢岳・有珠山・三宅島、火山市民ネットフォーラム

COV5のフォーラムの一つとして、雲仙・普賢岳、北海道の有珠山、伊豆諸島の三宅島の噴火災害から得た教訓を住民の視点から総括する「火山市民ネットフォーラム」(火山地域の市民団体相互支援ネットワーク主催)が19日午後、島原復興アリーナであり、被災体験者や火山防災などの専門家が、今後の火山防災対策の推進について語り合った。

同ネットワークは噴火災害を経験した▽NPO洞爺にぎわいネットワーク▽ネットワーク三宅島▽NPO島原普賢会 - で平成14年4月に発足し、被災地間の被災者支援や被災地への人的・物的支援、火山災害の伝承活動などを展開。フォーラムは平成14年から実施し6回目。

「市民の視点からみた噴火災害」をテーマにパネルディスカッション形式であり、伊藤和明・元NHK解説委員がコーディネーターとなり、▽藤澤洋一郎・大妻女子大教授▽福崎博孝・弁護士、法テラス長崎所長、島原市船泊町出身▽木村拓郎・社会安全研究所長 - の三氏=いずれも同ネットワーク顧問=と三団体代表の計六氏がパネリスト。次の三点で議論を交わした。参加者は約150人。

「噴火前の行政対応」

死者・行方不明者44人の犠牲が出た普賢岳噴火は火砕流よりも土石流を警戒していたため「火砕流の発生は人への警告だった」。ピーク時に約1万6千人が避難した有珠山噴火では噴火の予知と避難が適切に行われ、犠牲者を出さずに済み「避難指示など行政の対応は素早かった」。

それとは逆に、3千8百人の全島民が4年5か月にわたり島外に避難した三宅島噴火では行政による避難と帰宅指示が突然だった。「不信感と不安が大きかった。船でしか行けず全く分からない島の状態と今後の見通しを知りたかった」。藤吉、木村両氏は普賢岳噴火時の報道についてふれ、「本当に情報が必要な被災者に伝わっていなかったのでは。伝えるべき課題は残っている」と語った。


住宅再建支援と食事供与、非常に助かった避難生活

「避難生活支援」

普賢岳噴火時は住宅再建支援や食事供与が行われ、「仕事が見つかるまで生活でき大いに助かった」。有珠山噴火時には避難直後に電話設置や町広報紙による情報が得られ、避難者への生活支援事業も実施され、「情報が住民の不安を説いてくれ、生活資金も得られた」。夏場の暑い時期に避難を余儀なくされた三宅島噴火時は「劣悪の状態で、いつ帰られるか分からないなか貯金を崩して生活する日々だった」。

被災者支援のための法整備を提言してきた福崎氏は「それぞれの災害で異なる支援メニューがあった」とし、世帯年収による支給制限の撤廃などを柱とした今秋の被災者生活再建支援法の改正は「生活困窮者だけでなく中間層を助ける点など評価すべき。だが、被災者の立場から見ればまだまだ。改正はあらたなスタートだ」。

「生活復興支援」

長期化する災害下では終息が見えずに手が打てないことが悩み - 。普賢岳噴火時は基金などによる生活支援や農業など幅広い支援があり、「全壊世帯には計1千万円の支給があり本当に助かった。先々の災害では基金の創設が大事な問題となる」。船しか交通手段がなく長期の島外避難をしなければならなかった三宅島噴火では「他地区に引っ越した人には支援が適用されなかった。住宅や仕事など島での再建を諦める人もおり、集落の再建も難航し、『島内での避難』を余儀なくされた」。

島原の未来のために、島鉄南目線の存続を

「COV5で訴えたいこと」

G8の洞爺湖サミットや三宅島でのトライアスロン、島原でのCOV5開催 - いずれの被災地も復興しているという。大町氏は「これで噴火災害の総決算だと考える。あらたな島原の未来のために島鉄の南目線の存続を求め、国交省の直轄事務所を今後もずっと残してもらいたい。皆さんの力を借りて実現させたい」と決意。福井氏は「20 - 30年周期で噴火する有珠山と共生してゆきたい」、宮下氏は「三宅島は緑も復活し危険なところではない。島のよさと素晴らしさを感じてほしい」と - 。

伊藤氏は「災害に備えるには平時の防災が不可欠。火山をいかした観光開発が行われているが、観光優先で安全は二の次では話にならない。防災をちゃんとやっていることを観光の目玉にするぐらいの勢いが必要だ」と呼びかけた。

[2007/11/21:島原新聞]

第5回火山都市国際会議島原大会

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電飾で華やかに彩る…島原ウィンターナイト・ファンタジア


島原外港緑地公園と島原城周辺の桜並木を計約2万4千個のイルミネーションで彩る「島原ウィンターナイト・ファンタジア」が17日夜、始まった。来年1月6日まで(緑地公園は1月5日まで)。同実施委員会(大場正文会長)が主催し、現在の名称になり3年目。

うち約1万2千個の電飾が華やかに瞬く緑地公園にはフラミンゴやウサギ、イルカなどの動物イルミネーション約40体が点在する「イルミネーションZOO」や巨大クリスマスツリーなどがあり、親子連れが見入っていた。

こちらは島原青年会議所が2003年から独自に取り組み、手作業でイルミネーションを設置。クリスマス時期をはじめ期間中には多くの人が訪れる。ほかに青色イルミネーションが頭上に瞬く「ロマンティック・アーチ」には恋人同士などがメッセージを書いて持参した南京錠をかける場も。

同実施委によると、4年連続で錠をかけているカップルや、1年目は「結婚します」、2年目は「結婚しました」、3年目には「来年は子どもと一緒に…」という3年連続同じと思われるカップルのメッセージも。南京錠を付ける設置板は設置当初に神父に祈りを捧げてもらったもので、オフシーズンには大切に保管。錠が増え続けるため冬に再び出すときには年々重くなっており、「皆さんの愛の重さも実感しています」と同実施委。

点灯は午後6時 - 午後10時。クリスマス時期や大晦日には点灯時間を延長する。

[2007/11/21:島原新聞]

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復興の総仕上げ - COV5


市民との交流を期待、海外の研究者など約1000人

「火山噴火のリスク軽減」を最大の目的に世界の科学者ら関係者が一堂に会し、様々な研究成果を披露し防災等について話し合う「火山都市国際会議島原大会」(COV5)が19日、島原市で始まった。普賢岳噴火災害を乗り越えた体験と得られた教訓を国内外に向け発信する、名実ともに"復興の総仕上げ"の国際会議が幕を開けた。

COVは火山学の国際学術組織「国際火山学地球内部化学協会」(IAVCEI)の活動としてほぼ2年おきに開催されているもの。通常の学術会議とは異なり、火山学・工学・医学・社会科学など様々な分野の研究者や行政・防災関係者などが集まり、火山学の研究成果だけでなく火山噴火が周辺の都市や住民に与える影響、危機管理、防災活動、都市計画などについて幅広く議論し、知見・経験・教訓を交換しあうことにより災害の軽減に向け火山へのより良い対応、有効な方策を探る取り組み。

アジアで初めて開催された今大会は、昨年のエクアドル大会に続き5回目。同市と日本火山学会の主催、九大大学院理学研究院や東大地震研究所、国交省九州地方整備局、長崎県などの共催で、内閣府や文部科学省、環境省、気象庁、国土地理院、各種研究機関・防災機関などが後援。37の国と地域から過去最多の約600人が参加しており、島原復興アリーナと雲仙岳災害記念館を主会場とし、平成新山や復興を遂げた普賢岳被災地をフィールドに23日まで繰り広げられる。

開会式は同日午前9時から、同アリーナで盛大に開催された。同大会実行委員長でIAVCEI会長の中田節也東大地震研究所教授、吉岡市長、日本火山学会の藤井敏嗣会長をはじめ、来賓として金子知事、亀江幸二国交省河川局砂防部長、北浦市議会議長、三好県議会議長、鈴木克宗同省九州地方整備局、輪倉昇陸上自衛隊西部方面総監らが出席。海外の研究者など含め約1000人が参加した。

火山学 - 目覚しく進歩、予知技術、解析法など

中田氏は「火山学の関連分野の研究者、火山防災関係者、被害を直接受ける住民が一緒になって火山災害を軽減するための情報交換や意見交換の場。1988年に鹿児島県が主催した国際会議以来19年ぶりに日本に里帰りした会議とも言える。この約20年間に火山学は目覚しく進歩し、噴火予知やそのための技術・解析法などが多く開発された。日本では普賢岳、有珠山、三宅島、フィリピンではピナツボ火山、カリブ海のスフルエールヒルズ火山などが噴火したが、これらの噴火では研究面だけでなく、危機管理や災害対策でも多くの経験と知識が得られた。世界の活火山の多くは途上国に分布しており、多くの人々が噴火の危機にさらされている。このリスクを軽減するには火山監視、技術者の育成、火山学者と地域社会の連携、地域住民への啓発活動が重要だ。600人を超える参加登録があり前回のエクアドルを上回った今大会は学術セッションに加え、市民が参加できるフォーラムが特徴なので、是非参加してほしい。過去4回の経験に日本の経験を加えて意見を交換され、実りある大会となるよう期待する」とあいさつ。

千載一遇のチャンス、復興対策世界に発信

吉岡市長は「長く辛い噴火災害を経験したが、国・県・研究者をはじめ、全国のご支援により以前よりも安全で安心して生活できるまちに生まれ変わり、最高峰の技術による復興事業をはじめ被災者対策支援、火山メカニズムの解明への取り組みなどが生まれた。私たちの体験や新たに創設された事例を世界に発信する千載一遇のチャンスと捉え誘致できたこの大会を通し、普賢岳噴火災害の復興はもとより、日本、島原の歴史や文化も存分に堪能してほしい。市民との有意義な交流も期待している」と歓迎の言葉を述べた。

大会初日は開会式に続き、太田一也九大名誉教授が「1990 - 1995年雲仙普賢岳噴火 - 神秘的な溶岩ドームの形成と火砕流・土石流の脅威 - 」、荒牧重雄東大名誉教授が「最近30年間の日本の火山防災」と題して記念講演。"普賢岳のホームドクター"の異名をとった太田名誉教授は1990年から始まった198年ぶりの普賢岳噴火の推移等について説明。溶岩ドームの出現から成長する過程、火砕流や土石流の発生とそれによる被災状況、避難勧告等の意義をはじめ、傾斜計の振動から初めて推計されたマグマ供給量のデータや陸上自衛隊の協力により実施できた火山の空中観測の成果などを紹介した。また、午後からは国内の火山災害被災地の住民団体で組織する「火山市民ネットフォーラム」などが開催された。

同大会の学術会議は「火山を知る」、「火山と都市」、「火山とともに生きる」をテーマに分科会を開催し、市民や行政、マスコミ関係者らも交えた各種フォーラムも連日開かれる。また、口頭発表は153件、ポスター発表は約400件。会場内には展示ブースも40区画設けられている。大会は23日まで5日間の日程で、中日の21日には被災地等をまわる巡検(視察)、同日夜は交流イベントの「島原城パーティー」を予定。期間中は市内各所で市民や各種団体等による多彩な「街なか交流イベント」も繰り広げられる。

[2007/11/20:島原新聞]

第5回火山都市国際会議島原大会

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苦闘と涙の五十年…わかくさ園 - 卒園生1123人、決意新たに更に飛躍


眉山のふもと新山町で、明るくたくましい子どもの育成に取り組んで半世紀。わかくさ園保育所(池田公園長)の創立五十周年式典が18日(日)、杉谷公民館ホールであり、なつかしいアルバムや関係者の証言を通して苦闘と涙の五十年を振り返り、更なる飛躍を決意した。

同園は昭和33年の創立。当時、失業対策事業で働く人たちの便宜を図るため、池田清徳氏(故人)40歳、ツルヨ夫人35歳のとき「無一文」の中で保育所創設を一念発起し、ボランティアによる石垣継ぎや整地作業、古電柱・風倒木等を貰いうけ、60坪の園舎を建ててスタートした。

二代目園長を継いで今年で15年になる池田公氏は、「わたしが小学6年生。一番下の妹が母の腹の中にいる時だった。母は病院に(子を)降ろしに行ったが、医師に止められた。その母は20年間、給料袋をもらったことがなかった」と振り返り、改めて「難儀した父母」の苦労を偲んだ。現在の園舎になったのは「26年前」。これまでに卒園生1123人を送り出している。

「子どもから(病気の)菌をもらって、点滴治療しながら」この日の式典に臨んだ池田園長は、「父も平成12年12月12日に亡くなった。生きていると90歳。きょうの日を、新しい"わかくさ"を作り出す決意の日にしたい」とあいさつした。

これに先立ち、同園の半世紀を写真アルバムで回顧。年長児たちが元気な歌声を笑顔で披露した。

続いて、吉田正富市福祉事務所所長(市長代理)、富田満夫おさなご園園長、内田健雄元福祉事務所所長、松下スミ子初代保護者会会長の四氏が祝辞。富田氏は、「清徳氏は社会的に弱い人に対する思いやりに篤かった。子どもたちにはたっぷり愛情をかけること、夫婦が仲良くすることが最大の子育てだと、いつも言われていた」と。

内田氏は、「(初代園長は)行動面では素晴らしいものがあったが、経済面では疎かった。この園の強みは、保母(保育士)さんが長年勤務されていることだ。その裏には、職員の給料が良かったし、パートの人にもボーナスを出した反面、園長の給料は安かったことがある。一番苦労されたのは奥さんだった」 - 。松下さんは、「わたしの子も4人、ここでお世話になった。いまの(子の)姿を見て、ほんとうに良かったと思う。子だけでなく、親も叱ってもらった。息子さんが継がれ、パパさん以上に頑張ってくださる。これからも、今まで通りのやり方でやってください」と、それぞれ心に残る思い出を語った。

このあと、大阪から駆けつけた秋葉英則氏(大阪健康福祉短期大学学長、元大阪教育大学副学長)が記念講演した。

[2007/11/20:島原新聞]

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"悠久の音色"に酔いしれ…絶賛の声と拍手で感動の渦


「ブラボー!」という絶賛の声と拍手が鳴りやまないほどの感動の渦 - 。15日夜に島原文化会館大ホールであった、ユネスコの世界無形文化遺産に指定され世界で唯一の馬頭琴中心の交響楽団「モンゴル国立馬頭琴交響楽団」の島原公演だ。約1200の客席はほぼ満席。モンゴル遊牧民族にとって尊ぶべき楽器が奏でる美しい"悠久の音色"に市民らが酔いしれた。

日本とモンゴルの国交樹立35周年を記念した訪日で、東京や福岡など全国8か所で公演。島原公演実行委員会(山本蔦五郎実行委員長)では、19日開幕の火山都市国際会議島原大会(COV5)を本年度の最大の行事と位置づけ、これまでの各種行事を盛り込んだ"COV5のプレイベント"の締めくくりとして開催。主催者を代表し実行委員の山本由夫氏が「数々の有名なホールを魅了してきた音色を心ゆくまで堪能して下さい」などとあいさつ。

ツェンド・バトチョローン代表が率いる30人のオーケストラは「モンゴルの調べ」を皮切りに、「モンゴルの草原」や「千の風になって」などを、モンゴル琴「ヤタガ」など数々の民族楽器を織り交ぜたり、ときに伸びやかな歌声で披露したり。弦をひくだけでなく小刻みにはじいて音を出すなど眼前で繰り広げられる馬頭琴の音色に観客はうっとり。

在大阪モンゴル国名誉領事で日本・モンゴル文化経済交流会会長の佐藤紀子氏が司会を務め、「直線距離で4000キロ離れたモンゴルの地は『草原の海』。海がないところであり、楽団は島原の有明海に感動したと思う。草原の海で育まれたモンゴルの和やかさを感じてほしい」などと呼びかけていた。

[2007/11/17:島原新聞]

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日本一の巨大ツリー…フェスティビタス ナタリスを前に、街路樹に1万6千個点灯


南島原市北有馬町の有馬小校庭に高さ約30メートルの"日本一"の巨大ツリーが登場。12月22日開催のイベント「フェスティビタス ナタリス」を前にひと足先にクリスマスムードを盛り上げる。

同市冬のお祭り実行委員会(酒井泰徳会長)が中心となり子どもから高齢者まで延べ60人が取り付け作業を行い、立木4本に1万個のイルミネーション、県道30号などの街路樹81本に計1万6千個の発光ダイオードを飾りつけ、11月11日夜から点灯スタート。巨大ツリーは11年目、街路樹は3年目の取り組み。点灯は年末までの午後6時 - 午後10時半。

また12月のイベントは約400年前にキリシタン文化が栄えた同町の歴史をテーマにしたもの。これまで北有馬町で行われていた「よさこい北有馬祭り」など3つのイベントを、冬のイベントとして一本化して開催し、通算11回目。今回は当時の南蛮屏風に描かれていたという、有馬晴信ら大名や宣教師、セミナリヨ(神学校)の生徒や領民らが行っていたクリスマス行列を再現。当時の城下町の通りを宣教師や天正遣欧少年使節、ポルトガル人などに扮した60 - 70人の行列が、聖歌隊のグレゴリオ聖歌の歌声にのせてたいまつ行列を繰り広げる。

ほかに史実に基づいた西洋音楽の再現や南蛮料理の復元なども。同市の史跡が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの世界遺産暫定リスト入りしたことから、イベントを通じて民間レベルでの側面支援を図るという。詳細は同実行委事務局(北有馬総合支所内 TEL 050-3381-5160)へ。

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島原の体験を世界に発信…『市民参加』が最大の特徴、もてなし企画も目白押し


尊い人命や貴重な財産に甚大な被害をもたらす「火山災害の軽減」を最大の目的に、火山に関する様々な研究成果を披露し防災対策等について議論する「火山都市国際会議」(COV5)が19 - 23日、島原市の島原復興アリーナを主会場に開催される。

火山学の国際学術組織「国際火山地球内部化学協会」(IAVCEI)がほぼ2年おきに取り組んでいる国際会議で、同市と日本火山学会が主催する今回はアジアで初めての開催となる。火山学だけでなく様々な分野の研究者や専門家、行政・防災関係者、マスコミ、地元住民等まで含め、火山活動が社会に与える影響について幅広く議論する「島原大会」。普賢岳噴火災害から官民一体で復興を遂げた島原の体験を世界に発信し、この自然災害から得られた教訓を後世に伝える機会ともするもので、"市民参加型"が最大の特徴だ。

専門家だけでも37の国や地域から584人が参加。最先端の研究成果等を披露するメーンの「学術会議」は「火山を知る」、「火山と都市」、「火山とともに生きる」のテーマ別に3 - 4の分科会を設け、口頭発表149件、ポスター発表405件が予定されている。

開会式は19日午前9時から行われ、このあと九州大学名誉教授の太田一也氏(午前9時40分)、東京大学名誉教授の荒牧重雄氏(午前10時10分)がそれぞれ記念講演する。

市民向けのフォーラムや関連会議・ワークショップとしては、▽火山市民ネットフォーラム(19日午後2時)▽住民・マスメディアフォーラム「防災のこれから - 普賢岳から考える」(20日午前9時)▽災害教訓の継承に関するフォーラム(20日午後1時30分)▽被災地つなぐ再生への思想 - 日本災害復興学会立ち上げへ(同)▽火山砂防と減災フォーラム(22日午後1時30分)▽災害ボランティア国際ワークショップ(23日午後1時)。

子ども向けの企画等では、▽こども火山灰粘土教室(22日午前9時)▽こども火山発表会(23日午前10時10分)▽火山を丸かじり!「キッチン火山実験」(23日正午)▽火山学Q&A - 世界の火山学者に直接聞いてみよう(23日午後1時40分) - などを予定。市消防団による防災訓練も23日午前11時から実施する。閉会セレモニーは23日午後3時30分から行われる。

大会中日の21日夜、島原城パーティーが盛大に繰り広げられるほか、市民や各種団体等による「もてなし企画」も目白押し。島原城ではすでに武者幟を立てて盛り上げている。

『命泉』湧水感謝祈祷…一番街秋乃陣なども

アーケードでは「一番街秋乃陣」と銘打ち、中堀町の水屋敷「長池屋」を大会にあわせ一般公開。▽湧水町屋喫茶(19-23日の午前10時 - 午後9時、抹茶和菓子セット・湧水コーヒーが各500円、日本文化の炬燵や火鉢も用意)▽街なか屋台(19・20・22日の午後6時 - 同9時)▽かがり火舞台(19・20・22日の午後7時 - 同8時、22日は護国寺による「命泉」湧水感謝特別祈祷等も)▽餅つき無料配布(19・20・22日の午後8時 - 同9時)で盛り上げる。

郷土の特産品を使った「ガンバサンバフェスティバル」(同フェス実行委主催)はパート1が19日午後7時から、一番街の旧横浜屋であり、生演奏と歌とガンバサンバ踊りを繰り広げるほか、大会参加の宿泊客にがんば汁も振る舞う(宿泊施設で配る交換チケットが必要)。また、パート2は21日午後7時から、島原文化会館野外サンクンガーデンで賑やかにガンバサンバを繰り広げる。

外国語ボランティアなど市民の各種奉仕活動が同大会を支えており、各種団体等も大会を前に会場周辺や市内要所の清掃作業や花飾りなど環境美化活動を精力的に実施。市民を挙げた"おもてなし行事"で精一杯盛り上げる。


[2007/11/16:島原新聞]

火山都市国際会議島原大会

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窓をあけて九州「シコふんでます」…清香さんの活躍ぶり、来月2日NBCがテレビで紹介


相撲とレスリングで活躍を重ねる島原三小6年の松尾清香(さやか)さん(12)をNBC長崎放送が取材、制作したテレビ番組「窓をあけて九州『シコふんでます』」が12月2日午前10時 - 10時15分に放送される。ディレクターは宮路りかさん。放送概要は次の通り。

けい古場に響くシコの音。相撲の世界に飛び込んだのは六歳のとき。師匠は父・光高さん(40)。最初は泣いてばかりだったが、父の厳しい指導に耐え、たくましく成長し、今年6年生になった。清香さん、12歳の女の子だ。

最初に始めたスポーツはレスリングだった。けれど出場するたびに試合では負け続ける。泣き虫で弱虫の娘を少しでも強くしたい!光高さんは経験のある相撲を教えることにした。当初、女の子に相撲は…?と戸惑いもあったらしいが、父が元力士で母方の叔父は横綱吉葉山。格闘家の血が流れる清香ちゃんは確実に強くなっていった。成長するにつれ清香ちゃんのなかで父が歩いた道を自分でも経験したいという思いが強くなっていった。

この6年、父と娘はけい古でも試合でも2人3脚だった。そろそろ思春期を迎えようとする今でも、その関係に変わりはない。母の京子さん(41)は、そんな二人をそっと見守っている。この秋、清香ちゃんは誰も達成したことがない三連覇をかけ、大阪府堺市で行われた女子相撲の全国大会に出場した。小学校を卒業したら親元を離れるかもしれない娘から父へ贈る最後のプレゼント…。清香ちゃんは果たして日本一になれるのだろうか - 。

[2007/11/15:島原新聞]

JNN「窓をあけて九州」

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ダ・カーポが島原を紹介…18日の「遠くへ行きたい」


よみうりテレビが誇る人気の紀行・情報番組「遠くへ行きたい」の18日(日)放送分は島原半島が舞台。温かい歌声で魅了するフォークデュオ、「ダ・カーポ」の二人が郷土の魅力を存分に紹介してくれる。

旅番組では最長寿の1880回目を迎える同番組。日本各地に残るわらべ歌や民謡などを掘り起こすのがライフワークの一つというダ・カーポが、温泉や湧水、豊かな自然の島原半島を満喫しながら、名曲「島原の子守唄」を生み出した故・宮崎康平氏の和子夫人を訪ねるというのが今回最大の見所だ。タイトルは「ダ・カーポ『島原半島 二人の子守唄』」。

国立公園第一号に指定された雲仙。その温泉街に今春、プロのガイドツアーが誕生した。ダ・カーポもさっそくツアーに参加し、地獄めぐりを堪能。また、外国人が訪れるリゾートとして栄えた雲仙に昨年夏、「温泉レモネード」と名づけられ復活したレモン水にまつわる色んな話を田浦商店で聞く。

島原市では招き猫屋敷としても有名な「しまばら水屋敷」で招き猫談議に花を咲かせ、数々の珍品もそろえるこだわりの店「猪原金物店」が紹介される。

今から46年前の1971年、同番組に出演したという康平氏。宮崎さん方では当時のビデオを観ながら康平氏を偲び、墓参りのあとは墓前で名曲「島原の子守唄」をダ・カーポの2人が披露してくれる。

最後の訪問先は南島原市の鹿牧場「(株)ディアー・カンパニー」。康平氏の構想だった「島原半島一大畜産地化」に賛同して牧場を経営し、「鹿は肉も角も皮も利用できるぞ」という同氏のアドバイスで鹿を飼育するようになったという八木高人氏(同社会長)が熱い想いを語る。そして美味しい鹿肉に舌鼓を打ちながら、康平氏の「先見の明」に感心しきり。

よみうりテレビ、テレビマンユニオンが制作。ディレクター大貫昇氏、プロデューサー村田亨氏。NIB長崎国際放送など日本テレビ系で午前7時30分 - 8時放送予定。

[2007/11/14:島原新聞]

遠くへ行きたい

鹿の角本舗(株)ディアー・カンパニー

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保存会と和紙工芸グループ「ゆうふ」…島原木綿の名刺入れなど、郷土の伝統芸能を国内外に


郷土が誇る伝統工芸の一つ「島原木綿」を活用した新商品「箸入れ」、「名刺入れ」、「携帯ストラップ」の三種類が完成した。火山都市国際会議島原大会(19 - 23日・島原市)に合わせて開催される島原物産展(22・23の両日)で販売される。

染めから織りまですべて手づくりの伝統的な技法を守り続けようと、「島原木綿保存会」(代表=久保須美子さん)が20年前、半世紀ぶりに復活させた島原木綿。生地が丈夫で、素朴な縞木綿の柄が特徴の貴重な伝統工芸品だ。

「火山都市国際会議を盛り上げてほしい」という市の呼びかけに応じ、「郷土の文化を国内外に紹介するため、伝統的な技法の島原木綿を活かして何かできないか」と同保存会と有明町婦人会の和紙工芸グループ「ゆうふ」(代表=松本ヨシミさん)が手掛けたもの。

保存会が貴重な布を提供し、ゆうふのメンバーの松本代表、金子加代子さん、土橋サヨ子さんの3人が3週間かけて仕上げた。

育まれた歴史と文化の中に息づく、手づくりの温かみがある三品。銀色の糸で「島原木綿」と刺繍も入れた。値段は箸入れが3,500円、名刺入れが3,000円、携帯ストラップが800円、それぞれ25個、26個、46個作った。

久保さんと金子さんが12日、完成品を市役所に持参。報告を受けた同市長は上品な島原木綿を使った商品の見事な出来栄えに感心しきり。

金子さんは「色々と苦労したが、手づくり感、温かい島原の雰囲気を出そうと考えた」とにっこり。久保さんは「藍の良さで生きている島原木綿。古いままの技法を伝えているこの木綿に関心がある世界の人に買ってもらえれば嬉しい」と話していた。

これらは22、23の両日午前10時から、島原復興アリーナで開催される物産展で限定販売される。

[2007/11/14:島原新聞]

火山都市国際会議島原大会

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FMしまばらが放送開始…終わりなき駅伝・徹底して


地域に根ざした新たな情報発信拠点「FMしまばら」が11日、島原市白土町のNTT島原ビル1階に開局し、放送をスタートした。

島原半島で第1号、県下で5局目となるコミュニティーFM放送は周波数88.4MHzで、島原市と南島原市の一部が放送区域となっている。

徹底して地域にこだわった情報発信を目指しており、ステーションコンセプトも『もっぱら、しまばら。』とした。公設民営方式で、市民に身近な生活関連から防災・行政まであらゆる情報を届ける地域メディアとしての機能はもとより、耐用年数を迎えている同市防災行政無線の個別受信機から移行する新システム構築のための重要な役割も担っているのが特徴だ。

開局記念式典には来賓として吉岡市長、総務省九州総合通信局の坂本純一放送部長、酒井県島原振興局長をはじめ、地元各界の代表など関係者約30人が出席し、船出を祝った。

(株)FMしまばらの清水真守代表取締役社長は「88.4MHzは語呂合わせで"は・や・し"。そんな祭囃子が聞こえるような賑やかな地域づくりを目指し、ノリのいい放送局にしたい。"県政は終わりなき駅伝"とおっしゃった高田元知事の語録を借りると、放送も途中では断念できない、終わりなき駅伝だ。徹底してふるさと島原に根ざした番組づくり、一致団結して元気な島原を創っていきたい」とあいさつ。

吉岡市長は「合併した新市のまちづくりの一環として取り組んだもの。市民に身近な行政情報からイベント情報などを提供でき、まちづくりに寄与する。防災行政無線の個別受信機に替わるものとしても期待している」、坂本部長は「厳しい経営が予想されるが、市民を挙げて盛り上げ、日本一のコミュニティー放送に育ててほしい」と期待を寄せた。

このあとテープカットで開局を祝い、同FM局が誇るパーソナリティーなどスタッフや担当する番組等の紹介もあった。

[2007/11/13:島原新聞]

FMしまばら

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本音で語り、本気で育てよう 心豊かで、たくましい子供…長崎県PTA研究大会島原大会


第45回県PTA研究大会島原大会が10、11日に島原復興アリーナであり、大会スローガン「本音で語ろう 本気で育てよう 心豊かで たくましい子ども」のもと県内各PTAから約2000人が参加。会員の意識高揚などともに子どもと真に向き合うPTA活動のあり方について考えを深めた。

県PTA連合会(江崎健蔵会長)と島原市PTA連合会(宮?孝三会長)の主催。2日目の全体会では主催者あいさつや各種表彰に続き、▽会員一人ひとりが研修を積み親としての責任を果たせるよう大人となるよう務める▽家庭・学校・地域が連携を図り子どもが安心して過ごせる環境づくりに務める▽親と教師が各役割を自覚し共に信頼しあい子どもの教育に務める▽子どもと真剣に向き合い子どもとともに歩むPTA活動に務める?を盛り込んだ大会宣言を承認した。

ほかに熊本県立盲学校の大畑誠也校長が「21世紀の能力 - 悪戦苦闘能力を身につけよう」と題して記念講演をしたほか、初日の6つの分科会では▽組織・運営▽健全育成?などテーマごとに意見を交換。アトラクションとして島原子ども狂言ワークショップが練習の成果を披露し盛り上げた。

[2007/11/13:島原新聞]

長崎県PTA連合会

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垂木台地に苗木1万本…九電が植林ボランティア


普賢岳噴火災害で荒廃した地域に緑を取り戻そうと九電(株)長崎支店(支店長=中川正裕氏)は10日、一般県民の協力のもと「雲仙・普賢の森植林ボランティア」を島原市南千本木町の垂木台地森林公園で行った。

創立50周年記念事業の一環として同社では「九州ふるさとの森づくり」と銘打ち平成13年度から、九州全域で10年間に100万本の植林を目指し取り組んでいる。本県では被災地の復興と地球環境の保全を目的に毎年1万本、県民の協力を得て同森林公園に苗木を植樹している。

今回の植林ボランティアは県内を中心に約1200人。地元の島原半島からは西有家中学校の生徒やみどりの少年団のメンバーらが参加した。

開会式には植林ボランティアをはじめ中川支店長ら九電関係者、来賓として地元の行政から酒井県島原振興局長や金子副市長らが出席。同社島原営業所の針尾忠男所長から金子副市長に苗木の目録等が手渡された。

今回の苗木はコナラやモミジ、クスノキ、タブノキ、シラカシなど10種類の高木1000本、アセビやイヌツゲなど九種類の低木9000本を地元の園芸業者から調達。植樹用の堆肥は今回も県立島原農業高校から贈られた。

平成新山(普賢岳溶岩ドーム)を間近に見上げる同台地で参加者は班ごと決められた植樹場所へと移動し、各区画に高木と低木の苗木を一定の割合で組み合わせて植樹したあと、昨年植えた苗木の周りの除草作業も行った。

中川支店長は「植林は眼に見える復興事業の一つ。加えて地球環境の問題、二酸化炭素の削減に森づくりは大切だ。この植林が次の世代につなぐ架け橋になってほしい」と述べた。

九電では同台地での植樹を10年間で10万本目指しており、これで7万3000本になった。

[2007/11/11:島原新聞]

九州電力

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地域に身近な情報を提供…「FMしまばら」あす開局


島原半島で第一号となるコミュニティラジオ局「FMしまばら」があす11日、島原市にいよいよ開局する。「地域にこだわった番組づくり」を目指しており、市民生活に身近なものから防災・行政まで様々な情報の提供が始まる。

コミュニティFM局の開局にあたっては(株)ケーブルテレビジョン島原を母体に、地元の有志や商工会議所、金融機関、放送局など十六団体・個人が出資した「(株)FMしまばら」(清水真守代表取締役社長・資本金二千万円)を設立し準備を進めてきた。総務省九州総合通信局から8日、免許状が交付され、開局の運びとなった。県内のコミュニティFM局は諫早市、長崎市(2局)、佐世保市に次いで5局目。

同市白土町の NTT 島原ビル一階に開設し、あす11日から放送を始める。周波数は 88.4MHz 。出力 20W で、放送区域は同市内のほぼ全域と南島原市の一部(深江町・布津町)。公設民営型で CM 料が主な収入源となる。このコミュニティ FM 事業は、耐用年数を迎えている同市防災行政無線の個別受信機から移行する新システムとしての役割を担っている。

スタッフは20代前半 - 50代前半の計11人(うち男性3人)で、すべて未経験の地元出身者を採用した。『もっぱら、しまばら。』を基本コンセプトとし、「地域の情報を発信し、地域の人と人、人と行政、人と団体など様々なコミュニケーションを図り、まちを元気にすること」を目指しており、「災害時のメディア」としての機能も備えている。

通常は音楽番組、ファックス・メールによるリクエスト、行政情報、インタビューや育児など各種情報番組のほか、文化面の取り組みなども考えており、すべて自社制作の番組を放送する。時間帯は通常午前7時 - 午後10時だが、緊急時には災害・防災に関する情報を24時間随時提供。また、火山都市国際会議(19 - 23日・島原市)では会場内に展示ブース(サテライト局)を設け、インタビューなど含め大会の内容を広く紹介する方針だ。なお、開局初日(11日)の放送時間は午前10時 - 午後6時。

清水社長は「中越沖地震をはじめ近年の大規模災害でコミュニティ FM の情報がとても役立っている。経営は厳しいと思われるが、徹底して島原にこだわり、地域の情報に特化したラジオの新しい道を切り開いていきたい」と話している。

[2007/11/10:島原新聞]

FM しまばら

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山にも緑が戻り嬉しい…高田前知事の胸像が除幕


普賢岳噴火災害で陣頭指揮を執り被災地を復興に導くなど県政の発展に尽力した前知事の高田勇氏(81)の功績を後世に伝えようと、島原市に建立された胸像の除幕式が9日、現地で行われた。

昭和57年から平成10年まで4期16年、知事として活躍した高田氏。この間、県財政の再建や交通網の整備、離島架橋の建設、中国・韓国との国際交流などに尽力。なかでも平成3年から始まった普賢岳噴火災害では被災者救済から被災地の復旧・復興に全力を注ぎ、さらに地域振興にも大きく貢献した。

これら多くの功績を後世に末永く伝えようと、県町村会顧問会の宮本正則会長(旧北松鷹島町長)ら関係者でつくる銅像建立委員会を設置し、個人・企業から寄付を募り建立計画を進めてきた。

完成した胸像はブロンズ製で、台座を含めた高さは約2m。元中学校美術教諭で日展会員の松田安生氏が制作した。普賢岳噴火災害からのふるさと再生を目指し嵩上げ区画整理事業が行われた通称・安中三角地帯の一角、同市中安徳町の島原署安徳警察官駐在所南側の敷地に設置された。

除幕式には高田前知事と府子(もとこ)夫人(72)ら家族、同建立委員会の宮本会長、来賓として金子知事や三好県議会議長、地元の島原市長をはじめ県内市町村長や OB ら約80人が出席した。

宮本会長は「県財政の再建や交通網の整備などその功績は枚挙にいとまがなく、特に普賢岳噴火災害の復興事業では多大な功績を残された。あの災害から蘇ったこの地も、その手腕なくしてはできなかったもの。広く賛同者のご協力をいただき、この日を迎えられ感無量。火山都市国際会議に先がけて除幕できることは皆さんのおかげだ」とあいさつした。

続いて金子知事、三好議長の両氏が祝辞。金子知事は「国内史上類を見ない長期災害で先頭に立ち、人命第一に被災者救護と被災地の復旧・復興に取り組み、島原半島の振興に向けた再生行動計画の策定等に貢献された。その飾らない実直で温厚な人柄、非凡な指導力と果敢な実行力、多くの功績に対する感謝の印(しるし)であり、県民の真心を込めた志だ」とたたえた。

このあと宮本会長や金子知事、三好議長ら関係者による除幕が行われ、最後に高田氏と交友がある口之津町の松尾善行氏(農業)の音頭で景気よく餅まきが行われた。

「何もしていない私のために浄財を集めて建立していただき、感謝している。4期16年の間には色んなことがあったが、長崎大水害と普賢岳噴火災害は忘れられない。特に噴火災害は5年の長きにわたりきつかったが、何とか皆さんのためにと基金を造り、それも一千億円まで造成できた」と振り返った高田氏。復興した被災地に立ち、「農地の復旧や防災事業も進み、まちに賑わい、山にも緑が戻り、嬉しい」と感無量の様子で謝辞を述べた。

このあと会場を島原観光ホテル小涌園に移し、顕彰会が賑やかに開催された。

[2007/11/10:島原新聞]

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二中に晴れの栄冠…半島少年軟式野球選手権


島原半島で中学野球の頂点を決める「第二十六回少年軟式野球選手権大会」(主催=島原市軟式野球連盟・県南軟式野球連盟)の決勝が4日、同市営球場で行われ、島原二中が1 - 0で島原一中を完封し、優勝を飾った。

同半島内の野球部の親睦と競技力の向上、健全育成を目指して毎年開催しているもの。今大会には島原・雲仙・南島原の3市から計19チームが出場した。

先月28日開幕し熱戦を繰り広げ、今月3日には準々決勝まで行ったが、島原市内の4チーム(一中・二中・三中・有明中)がベスト4に勝ち残る善戦ぶり。

4日は準決勝二試合と決勝が同球場であり、郷土勢同士の対戦に沸き、二中が晴れの栄冠を手にした。準優勝は一中、三位は三中と有明中。

\また、栄えある最優秀選手賞には林田拓也君(二中)が輝き、優秀選手には伊藤大真君(一中)、敢闘賞には深堀拓磨君(三中)と本多寛治君(有明中)の二人が選ばれた。成績は次の通り。

[2007/11/6:島原新聞]

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体育指導委員で活躍…森川、竹下両氏が大臣表彰


文部科学大臣が表彰する本年度の体育指導委員功労者として本県から、島原市の森川徳廣氏と雲仙市の竹下靖憲氏の両氏が選ばれた。

森川氏は自営業の傍ら昭和47年から約34年半、市体育指導員を務めており、平成8年からは霊丘地区評議員としても活躍。市民体育祭をはじめ全市的なスポーツ行事に参画し、また、担当地区のスポーツ行事でも指導力を発揮して企画・運営等で中心的な役割を果たしてきた。このほか市バスケットボール協会副会長としても活躍した。

昭和60年度に県表彰、平成3年度に九州地区表彰、同9年度に全国表彰を受けており、同13年度には30年勤続で全国表彰に輝いた。

市バスケットボール協会の要請により当初、気軽に指導委員を引き受けたという森川氏。「当時は年配の委員がたくさんおられたので皆さんについてきただけのこと。大きな功績こそないが、皆さんのご協力があってこれまで続けて来られた」と感謝し、喜びを語った。

一方、雲仙市の竹下氏は昭和49年から体育指導委員を務めており、長年の功労が認められた。

表彰式はあす4日、新潟市で開かれる「第48回全国体育指導委員研究協議会」の席上行われる。

[2007/11/3:島原新聞]

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島原農高が最優秀賞に…日本学生科学賞の県審査


第51回日本学生科学賞(主催=全日本科学教育振興委員会、読売新聞社など)の県審査がこのほどあり、島原農高食品加工部(田中雄祐部長ら5人)の「環境保全型豆腐製造の研究」が高校の部で最優秀賞に選ばれた。島農を含め中学、高校の部で最優秀賞の5点は県代表として11月17、18日にある中央予備審査に出品される。

同賞は戦後の日本の復興期に科学教育の振興を願い、未来の優秀な科学者を生み出すため「国際地球観測年」の1957年に創設された、理科教育に基づく国内でもっとも伝統ある中学・高校生の公募コンクール。

島農食品加工部は豆腐を製造する過程で発生し処分に困る豆乳のしぼりかす「おから」を島原の温泉水で溶かすことにより70%を削減することに成功し、この研究については8月に特許を出願。顧問の永田聖司教諭によると、今回受賞した研究はさらにそれを発展させ、おからが溶け出した溶解水を豆腐づくりにリサイクル活用するという循環型の豆腐製造法を確立させたもの。生徒たちは中央予選審査通過を目指して意気込んでいるという。

長崎県立島原農業高等学校

[2007/11/3:島原新聞]

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五周年迎え内容を充実…「三百七十八秒の遺言」など


雲仙岳災害記念館は1日、有料展示ゾーン内に新設展示を開設した。開館五周年を迎えた今年、内容を充実させ来館者増加を目指す。

内容は▽雲仙・普賢岳噴火災害で亡くなった日本テレビの小村幸二カメラマン撮影の VTR 「雲仙・大火砕流三百七十八秒の遺言」▽災害を経験した島原駅の前田森義駅長ら住民5人をかたどった約1.6mの木製人形5体が再生への思いや支援への感謝の気持ちを音声で伝える「明日へのメッセージ」 - など4点。

うち県島原振興局が垂木台地から採取した高さ約2mの断層標本をガラス張りで展示した「平成噴火・噴出物の剥ぎ取り標本」は1991 - 1993年に発生した火山灰や火砕流、堆積物が重なった地層を災害当時の映像と対比しながら見ることができ、「専門的観点からも価値がある」という。

事業費1400万円。19日から開催される火山都市国際会議島原大会(COV5)に間に合うように開設した。河本冨士雄館長は「これまで物足りなかったラストの部分を改善し、観るだけでなくお客さんが参加できるように。噴火災害の伝承に加え火山の博物館としての役割も担いたい。事業費の倍以上の価値はある」と意欲を見せる。

オープンセレモニーで鐘ヶ江管一名誉館長は「より多くの来館を期待したい」、金子副市長は「COV5 の成功につながれば」などと期待を込め、テープカットをして祝った。問い合わせは雲仙岳災害記念館(TEL:0957-65-5555)。

雲仙岳災害記念館

[2007/11/2:島原新聞]


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登閣者の七万人目に…下関の安達さんが当たる


島原城の登閣者が10月31日正午、7万人を達成した。7万人目は家族など七人とプライベートで訪れた山口県下関市の観光バス運転手、安達昭浩さん。海産物やお菓子などの特産品が贈られた。

七万石の島原城にちなんで実施され、過去の7万人到達日は平成18年度が11月20日、同17年度が10月28日、同16年度が10月28日。7万人達成日を当てるクイズには延べ214人の応募があり、大阪府などの3人が正解した。

島原城

[2007/11/1:島原新聞]

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