島高男子剣道3位に


 28日までに行われた全国高校選抜大会の剣道で島原男子が3位に輝いた。昨年までは3年連続でベスト8だった。

 島原男子は予選リーグで酒田商(山形)を2-0、松代(長野)を2-1でやぶり決勝トーナメントへ。1回戦で安房(千葉)を2-0、準々決勝で東奥義塾(青森)を3-1でくだし、準決勝の育英(兵庫)戦は2-1で惜敗した。

[2008/03/30:島原新聞]

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火砕流跡が一目で分かる…最長到達点にイチョウ植樹


 猛威をふるった普賢岳噴火の火砕流到達地点が一目で分かるようにと、国交省雲仙復興事務所(所長=秦耕二氏)は27日、南島原市深江町のふかえ桜パーク内にイチョウの木を記念植樹した。

 災害復興に伴い被災地が受けた火山災害の爪痕が次第に姿を消していく中、災害の脅威を忘れることなく後世に伝えていくことを目的に平成16年度から、噴火当時に火山観測や防災行政への提言などで尽力した太田一也九大名誉教授が提案していたイチョウの木の植樹を始めた。

 平成5年7月19日に発生した大火砕流が最も下流まで流れ下った。太田名誉教授の記録をもとに今回測量し直し、火口から5.6キロ地点の同パーク内に最長到達地点を正確に求め、標柱を設置。あわせて太田名誉教授が噴火災害について解説したパネルも設置された。

 記念植樹には秦所長や太田名誉教授をはじめ、酒井県島原振興局長、渡辺大野木場小学校長、吉岡島原市長、松島南島原市長ら約30人が出席。雨の中、パネルの除幕に続き、イチョウの木3本の記念植樹を行った。

 秦所長は「災害の体験が年々風化する中、忘れられないようにお手伝いができれば?」とあいさつ。太田名誉教授は「以前は火砕流で樹木が枯れていたので火砕流跡が分かったが、今は緑に覆われて分からなくなっている。(秋に葉が色づく)イチョウの木を植えることで遠く仁田峠からも最長到達点が一目で分かるようになるだろう」と語った。

 火砕流跡を示すイチョウの植樹はこれまで、水無川導流堤沿いに計400本を植樹している。平成20年度には終了する予定で、最終的には500本になる、という。

[2008/03/29:島原新聞]

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市民の感想文なども…COV5の経験と噴火災害を後世へ、51点をタイムカプセルに


 昨年11月19-23日に島原市で開催された第5回火山都市国際会議島原大会(COV5)の経験と成果、雲仙・普賢岳噴火災害の教訓を後世へ継承してゆこうと、26日、同市北上木場町の北上木場農業研修所跡地付近に関連資料や市民の感想文など51点がタイムカプセルに収められて埋められた。

 埋設場所は、1991年6月3日の大火砕流で地元消防団員などが犠牲となった同町の同研修所跡地近くに昨年11月に設置された「雲仙岳災害記念碑」の隣り。吉岡市長や中田節也COV5実行委員会委員長、COV5地元実行委員、COV5期間中に外国人参加者が訪問した島原四小、島原五小、島原三中の児童・生徒など約60人が参加して封入式が行われた。

 吉岡市長は「住民参加型の学術会議となったCOV5は多くの協力により成功裏に終わった。噴火災害の研究成果が行政や報道機関、市民の方々に反映されたと思うとともに、島原の将来を担う小中学生や高校生が多く参加し災害の経過や復興の状況を研究し発表したことは大いに意義がある。噴火災害がずっと後世に引き継がれてゆくことを願いたい」、中田実行委員長は「きょうはCOV5の締めくくりとなる日。COV5は参加者に感動を与え、成果を出せた会議に。古来よりタイムカプセルには宝物が収められていたというが、COV5で得た"宝物"を次の世代の人々はどう思われるだろうか」と述べ、COV5の報告書や記録DVD、COV5最終日に読み上げられた「平成新山アピール」文などを一人ひとりカプセルに入れていった。

 筒状のカプセルは縦145センチ、直径80センチのステンレス製。25年後の2033年3月に開封される予定。島原五小3年の大町祐平君は火砕流で飼育牛が犠牲になったことを知り、災害の恐ろしさを感想文にまとめてカプセルに入れた。25年後の人々には「火砕流の恐ろしさを伝えたいな」と話していた。

[2008/03/27:島原新聞]

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存続への協議会は不設置…南線廃止問題で正式回答


 島原鉄道南線(島原外港駅~加津佐駅間約35.3キロ)が31日で廃止される問題で、存続に向け「島原半島を未来につなぐ会」(代表=泉川欣一南高医師会長)が地域公共交通活性化再生法に基づき求めていた法定協議会設置の要望等について島原・南島原両市は24日、「存続のための鉄道再生事業を盛り込んだ計画の策定とそのための協議会設置はしない」と正式に回答した。

 南線存続を目指し運動を繰り広げた同会ではことし1月、集めた約3万6000人(最終的には4万5593人)の署名を添え、同法に基づく地域公共交通総合連携計画の素案を提案し、計画策定ための協議会設置を両市に求めていた。

 一方この間、両市議会に対しても「南線存続を検討する法定協議会の設置にかかる請願」を両市議会に提出していたが、21日の両市議会本会議でいずれも賛成少数により不採択となったもの。

 同会の要望・提案に対する回答には南島原市の岩本副市長、島原市の金子副市長らが泉川病院(深江町)を訪れ、両市長連名の文書を岩本副市長が代表の泉川氏に手渡した。

 「存続ための協議会は設置しない」とした理由について、「島原鉄道自治体連絡協議会路線廃止問題対策会議は法定協議会の構成要件を概ね満たしたもので、連携計画策定のための協議会設置提案についても対策会議の協議結果を尊重する」としたうえで、「今後も利用者増による経営改善が期待できないこと。鉄道施設維持のため毎年多額の設備投資も見込まれることなど併せて検討した結果、公的支援による路線維持は困難と判断され、バス代替交通の確保が決定されたもの」と文書で説明した。

 岩本副市長は「できることならば存続したいという気持ちは同じだが、これまでの状況や将来を考えると、存続の方向に動くことは非常に困難」、金子副市長も「事業所と話をしてもハードルが高く、どうにもできない状況だった」と理解を求めた。

 回答書を受け取った泉川氏は「みんなで協力すれば何とかならないかと始めた運動。事業者の島鉄にとって赤字は大変だろうが、廃止についてはもっと早く住民に公表されるべきものだったのでは……住民には今もまだピンときていないかもしれない。廃止ありきで進んだようで残念だ」としながらも、「まだ個人的には南線を諦めてはおらず、可能性がないか探りたい」と語り、残る北線の将来的な存続に対しても協力を惜しまない姿勢を示した。

[2008/03/25:島原新聞]

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『将来の夢』を大きな声で…湯江小 - 各校そろって卒業式


 校庭の桜のつぼみが、雨にぬれて大きく膨らんだ19日(水)、島原市内9つの小学校で今年度卒業証書授与式が催された。

 島原市の北端に位置する湯江小学校(立花博校長)では午前9時20分に開式。51人の卒業生が晴れ姿で会場の体育館に入場すると、在校生、保護者、来賓らが拍手で迎えた。

 一同、起立して国歌「君が代」を斉唱したあと、担任教諭の点呼にあわせて卒業生が一人ずつ壇上に進み一礼。立花校長が生徒番号と名前を読み上げ証書を手渡すと、両手でしっかり受け取り、再び深く頭を下げ、振り向いて「将来の夢」を大きな声で発表・宣誓する。その姿を在校生らは、たのもしいお兄ちゃん、お姉ちゃんとして見つめていた。

 立花校長は、「とても輝いて見えます。みんなは雨の日も風の日も、人間として生きるための基礎・基本を身につけるため努力してきました。いろいろなことを体験し、多くの方々の支えによってきょう手にした卒業証書には、たった17文字しか書かれていませんが、さまざまな意味が宿されています。これから、感謝の心、思いやりの心、やり抜く心を持ってほしい。それらは誰も生まれながらに持っているものではありません。自分で努力して気につけてほしいのです」、とはなむけの言葉。吉田正富市福祉事務所長(市長代理)が、「周りには支えてくれる多くの人がいることを忘れないで、誰か困っているのを見たら、手を差しのべることができる、温かい心の持ち主になってください」と。濱崎雅文同小PTA会長は「堂々として、凛として、晴れ晴れとした姿が印象意的でした。たくさんの感動をありがとう。湯江小の卒業生として誇りを持ち、中学校でも自分のやりたいことにドンドン挑戦してください」、と励ました。

 最後は、卒業生の在校生が対面するかたちで「別れのことば」。ともに過ごした日々を振り返り、在校生が「いろんな行事で縁の下の力持ちとしてリードしてくれました。みんなのことを考えて行動そることの大切さを教えてくれました。ありがとう」と感謝の思いを伝えると、卒業生らは「校庭の草木のように大地にしっかり根を張り、大きくなっていきます。ここで過ごせた六年間を忘れません。さようなら」と、母校への募る思いを述べ、式歌「仰げば尊し」を斉唱。一緒に校歌を歌い、在校生らのリコーダー演奏「ビリーブ」のメロディーが流れるなか、会場をあとにした。

[2008/03/20:島原新聞]

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あった!!満開の笑顔…県立高校の合格者発表


 あいにくの雨となった19日、県立高校の合格者発表があり、島原半島内では9校(島原養護学校高等部、定時制含む)で計1374人の"満開の笑顔"が咲いた。

 島原高の発表会場では午前9時半の発表前から続々と中学生が集合。普通科240人、理数科40人の番号が張り出されると、生徒たちは「あった!」などと自分の番号を見つけては友達と抱き合ったり、保護者らに携帯電話で知らせたり、カメラ付きケータイで自分の番号を撮影したり。

 一緒に見に来た友達と喜びを分かち合っていた深江中卒の末永和希君は「受験勉強はきつかったけれど、受かってよかった!高校生になったら勉強と部活動を頑張りたい」とほほ笑んでいた。

 入学式は4月8日。高校生として、あらたな生活が始まる。

[2008/03/20:島原新聞]

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栄光に満ちた前途を祝福…二中卒業式 - 95人が巣立つ


 18日は中学校の卒業式があり、島原市内5校では536人が巣立った。(島原市教育委員会調べ)

 うち島原二中(林田行弘校長)の第61回卒業証書授与式は午前9時半から体育館で行い、95人が巣立ちのときを迎えた。

 林田校長は一人ひとりに証書を手渡して「卒業とは夢や目標に向けて自覚と決意をあらたにするとき。4月からは新生活がスタートするが、皆さんの前途が栄光に満ちたものになることを祈念するとともに、強い心身をもち大きな夢に熱い心で突き進み、思いやりのある優しい心をもってほしい - と願いをこめた平成19年度のスローガン『強く・熱く・美しく』の精神を胸にあらたな船出を - 」などと、はなむけの言葉をおくり、来賓の吉岡市長と矢加部公男育友会会長が祝辞を述べた。

 在校生代表から励ましの言葉に続き卒業生総代の加藤航介君は「いま私たちは期待と不安でいっぱいです。別れのときを迎えて3年間の思い出がよみがえるなか、どんなときでも道を切り拓いてゆける人生のマラソンランナーとして走り続けてゆきたい」と決意をあらたに。全員で別れの歌や校歌を斉唱し、在校生や保護者らの拍手に包まれながら、思い出深い学び舎をあとにした。

[2008/03/19:島原新聞]

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外港に小規模舟券売り場…9月開設に向け協定を締結


 大村競艇の小規模場外舟券売り場「オラレ島原」(仮称)を島原港ターミナルビル2階に開設するため、島原市と大村市が17日、行政協定を締結した。国の設置許可等を受け、早ければことし9月にもオープンする。

 空き店舗や公共施設への設置を想定している「オラレ」は、(財)競艇振興センターが必要な機材等の設置や改装工事等を行うため、地元の初期投資の負担がないのが特徴。収益金の一部が還元されるほか、開設当初から空き店舗だった同ターミナル2階部分の活用が図られるメリットから、同市が地域振興策の一環として進めてきたもの。地元の同意が整ったため、開設に向け行政協定締結の運びとなった。

 大村競艇の場外舟券売り場としては、ミニボートピアが大村市、五島市、時津町にあり県内4か所目、県外にある南薩摩市のボートピアを含めると5か所目だが、競艇施行者でない自治体に設置されるオラレ方式の舟券売り場は全国で初めてのため注目を浴びている、という。

 売り場は同ビル2階の一部約230平方メートルを使用し、自動発払機4台やモニター、観覧席を設置。費用は(財)競艇振興センターが負担する。営業日数は年間350日以内。年間売り上げは10億5000万円で、うち島原市に2%の約2000万円が事務協力費として分配される見込み。このほか家賃として年間約300万円が同市の収入となる。

 調印式には吉岡市長、松本崇・大村市長らが出席し、防犯・青少年対策など遵守事項や営業日数など基本的な項目を定めた行政協定調印書に署名・押印し、文書を交わした。

 吉岡市長は「地元町内会の同意をいただき、調印式を迎えられた。昭和43年から平成18年3月まで38年間、競艇組合事業に携わってきたが、合併で組合は解散。再び事業に携われて嬉しい」とあいさつ。松本市長は「島原市と二人三脚で事業を進めて成果を挙げ、ともに喜びを分かち合いたい」とお礼の言葉を述べた。

 今後、警察との協議、国土交通大臣への設置許可申請を行い、同許可を得て改装工事に着手し、早ければ9月にはオープンする、という。

[2008/03/18:島原新聞]

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養殖ワカメ収穫最盛期…生産量504トンにのぼる


 島原半島沿岸で養殖ワカメの収穫が最盛期を迎えている。島原市水産課によると、前季の平成18年10月-平成19年3月の期間で同市内の生産者は54人。生産量は504トンにのぼった。

 同市新馬場町の島原漁協組合北部支所理事の永野勝秀さん方では親子3人でワカメを水揚げし選別してボイルし、海水で冷やす作業に追われている。

 海水で冷やされたワカメは鮮やかな緑色に変わる。その後、水切りをしてミキサーにかけ、塩もみをしてから4日ほど漬け込み、別の専用の加工場で茎と葉を分けてから圧縮し水分をとり、真空パックに詰める。水分の加減により栄養分が左右されるそうで、生産者それぞれにこだわりが見られるようだ。

 メカブからとった菌を5月から培養し、10月に沖に設置した養殖いかだへ移し成長させるが、「毎年、心配ごとはある」と話すように11月からが要注意。育ち始めた1センチほどの芽を魚に食べられるなどの被害が出てくるからだという。「秋口の最大の難関をクリアしてはじめて収穫できる」。そのために養殖いかだを設置する深さを調節するなど工夫を凝らす。

 海水温が高くなったことにより浅いところで魚が活発に動く期間が長くなったそうで、未成長の芽が食べられるのはそのためだという。永野さんは「地球温暖化や家庭排水など海の状態は常に変わってゆく。それをいかに乗り越えるかが課題だ」と話す。

 そうやって島原湾で純粋に育てられ、生産者のこだわりがつまった?島原特産ワカメ?は、1パック500グラム入りで個人に販売するほか、漁協や海産物店などで扱われる。

[2008/03/16:島原新聞]

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個性的な優秀作が増える…第七回セミナリヨ版画展始まる


 南島原市・同教育委員会主催の第七回セミナリヨ版画展が15日(土)開幕。同日午前10時からオープニングセレモニーが会場のありえコレジヨホールであり、入賞者の表彰式、テープカットなどがあった。

 400年ほど前、有家にあったキリスト教教育施設セミナリヨで、日本人神学生の手によって銅版画がはじめて制作された。その偉業を地域の文化遺産として記念し、あわせて町おこしの一環としてスタートしたのが同版画展。今回、九州・沖縄一円から計6499点の応募があり、開幕式には入賞者50人と小中学生入賞者らの保護者、来賓、審査員、報道関係者ら約150人が出席。小学生、中学生、中・一般の各部門ごと入賞者に表彰状と記念品が贈られた。

 岩本公明同市副市長(松島市長代理)は、同版画展の意義と「今回、昨年より1630点多かった」ことなど状況を伝え、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産の世界遺産を目指すプロジェクトの一つとして(位置づけ)、継続していきたい」と強調。審査員を代表して版画家・小崎侃氏が入賞作品について講評した。

 氏は、「回を重ねるごとに出品数が増え、入賞・入選が厳しくなっているが、それだけ優秀な作品が寄せられている」とし、セミナリヨ大賞に輝いた辻脇真梨子さん(西海市立西海小学校六年)の『自然共有』は、「大きな木を根っこから見上げる視点がおもしろいし、広がりが感じられる。木の丸みの表現もいい」。中谷裕介君(長崎市立神浦中学校二年)の『学校と木』は「黒の木と空の白、そして背後の校舎の中間色の対比、校舎を(空に向かって)いびつにしたところがいい」などと解説。「長年(版画を)やっていると技術が先走りする傾向があるが、初心を忘れないことの大切さを教えられる。地元の人たちの個性的な作品も多く(展示してある)、子どもたちの作品を見てほしい」と述べた。

 このあと、審査員の小崎氏、佐藤宗利氏、生駒輝彦氏、それに岸本副市長、菅教育長の5氏でテープカット。オープンを祝った。

 会場には入賞・入選作品のほか、審査員三氏の作品等も展示。小崎氏のコーナーには、「眉山」や「早春の平成新山、「新緑の平成新山」、「トロッコ列車と平成新山」、「大崎鼻から平成新山」など島原半島にちなんだ作品が多数並べられ、版画の妙味にふれることができる。23日(日)まで。

[2008/03/16:島原新聞]

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現行のまま1年間延長…雲仙岳の警戒区域設定


 国・県・島原半島三市の防災関係機関や警察、自衛隊など19機関で組織する「雲仙岳警戒区域等の設定会議」が14日、杉谷公民館で開かれ、普賢岳噴火に伴い設定している島原半島3市の警戒区域を現行のまま、平成21年3月31日正午まで1年間延長することを決めた。

 会議には関係者約40人が出席し、長崎海洋気象台と九州大学地震火山観測研究センターからこの1年間の火山活動を中心に説明があり、松島健・九州大学准教授は「火山性地震は少ない状態で、ほかのデータも活動の活発化を示す兆候はみられない」としながらも、引き続きドーム周辺での落石に注意を促した。

 31日正午で期限が切れる警戒区域については島原市、雲仙市、南島原市の3市がそれぞれ、現行のまま1年間延長することを提案し了承された。第62次延長。警戒区域は島原市840ヘクタール、雲仙市198ヘクタール、南島原市80ヘクタールの計1118ヘクタール。

 県島原振興局の酒井好局長は「火山活動がまったくなくなったわけではなく、山頂には不安定な溶岩ドームが存在し、土石流の危険性もあり、警戒にあたる必要がある。普賢岳噴火災害から17年。災害の教訓を風化させず、住民に危機意識をもってもらえるよう注意を喚起していかなければならない」と述べた。


[2008/03/15:島原新聞]

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サクラの名所を目指し…旅館組合が4回目の植樹


 雲仙・普賢岳噴火災害の被災地をヒカンザクラの名所にしようと、島原温泉旅館組合(足立進一組合長)は14日、島原市安中地区の国道57号付近の水無川導流堤沿いで第4回植樹を行い、高さ約4メートルのヒカンザクラ15本を植えた。

 植えたヒカンザクラは島鉄グループ協力会社100社でつくる島鉄会(永江正國会長)が寄贈したもので、今年5月で創立100周年を迎える島原鉄道(塩塚吉朗社長)の発展を願うとともに地域貢献の一環として同組合の主旨に賛同したもの。

 同会や市、県、国など関係者約50人が参加した植樹セレモニーで足立組合長は「サクラの名所として地域住民や観光客の方々を楽しませてくれるはず」、永江会長は「島原の魅力につながることを願いたい」などと述べ、スコップで土をかぶせた。

 同組合では噴火災害時に受けた全国からの支援へのお礼と元気になった島原を見てもらおうと、平成18年10月から5か年で250本を植える計画だったが、趣旨に賛同した企業や団体の協力により、これまでに導流堤沿いに計315本を植樹。十八銀行の寄贈による今月28日の植樹で事業を締めくくることにしている。

[2008/03/15:島原新聞]

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松島市長が激励賞を贈る…頑張れ!!新切少年ソフトクラブ


 28~30日に鹿児島県南九州市で行われる九州小学生ソフトボール選抜大会への出場を決めた南島原市有家町の新切少年ソフトボールクラブの選手らが11日夕方に市役所を訪れ、松島市長に出場報告をした。

 同クラブは毎日夕方から投光機を頼りに2時間半練習に励み、守りを得意とするチーム。昨年9月に島原半島大会で代表権を獲得して10月の第18回小学生ソフトボール選抜大会県大会に出場し、芦辺レッドパワーズ(壱岐市)や聖マリア学院(長崎市)をそれぞれ5-2、6-0で破るなど、見事に3位に入賞し九州大会へのキップを手にした。九州規模の大会は昨年7月の大会から連続出場となった。

 この日、選手24人のうちキャプテンの林田景太君ら4、5年生10人と林田憲明監督らが訪れて県大会などの戦績を紹介し、林田主将が「県代表として恥のないようプレーをし、優勝を目指して頑張りたい」と抱負。松島市長は激励費を手渡して健闘を祈った。

 なお、平成26年開催予定の長崎国体を見据えた強化選抜会に同クラブからは林田キャプテンをはじめ林田竜弥、苑田侑馬、苑田大輔、林田伸二君の5人が参加することになっている。

[2008/03/14:島原新聞]

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卒業生の似顔絵を記念に…島原一中の美術教諭松崎善幸さん


 18日の中学校の卒業式を前に、島原一中(宮崎和夫校長・生徒473人)の美術教諭、松崎善幸さんは3年生158人に贈る似顔絵を描いている。約25年間ずっと、教え子の卒業記念として描き贈り続けており、今年も似顔絵とともに送り出すときを迎える。

 一人ひとり色紙1枚ずつに筆ペンと墨汁で描く。生徒とは週1回の美術の時間でしか会わないが、3年間接し続けてきた。"モデル"は、昨秋に自画像を描いてもらった時に撮ったそれぞれの顔写真。以前はリアルに忠実に描いていたが、近年は本人たちのニーズに合わせて脚色する場合もあるとか。「男子はとても顔つきが変わったよ」などと話すとおり、描きながら、それぞれの成長ぶりを振り返るのも楽しみの一つのようだ。

 「美術教諭として何かを記念に - 」と教員2年目からやり始めたが、四半世紀も続けていれば親子二代にわたってもらう生徒もいるそうで、「似顔絵を描いたら顔を忘れない。たまに会うと、やっぱり思い出すもんね」と笑う。

 似顔絵には必ずメッセージを添える。男子には「頭を上げろ胸をはれ」、女子には「太陽のように朗らかで、そして美しくあれ」。自身が「心の師匠」と仰ぐ人から受け継いだ、そのメッセージは変わることはない。ここ数日間で全て完成させ、卒業式前日の17日には図書室で"小さな似顔絵展"を開き、3年生にお披露目する。

[2008/03/13:島原新聞]

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ありがとう南線~思い出つないだ20の駅~記念誌の保存版を発売


 島原鉄道では今月末で南目線(島原外港駅~加津佐駅間)が廃止となるため、南線の記憶と記録を一冊の本「ありがとう南線~思い出つないだ20の駅」にまとめ、28日から発売する。

 定価2100円(税込み)、主要駅とバス営業所、県内各書店で販売する。11日から27日まで予約も営業企画課(電話0957-62-2263)で受け付ける。

 また予約した人全員に、記念乗車券(限定特製)をプレゼントする。

[2008/03/11:島原新聞]

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読むことが出来ますよ…島原・有明図書館の蔵書約17万冊、統合システムで貸し出し


 島原図書館と有明図書館が今月27日(木)から統合システムでスタート。同一貸出カードで両図書館の蔵書約17万点の利用が可能になる。

 2つの図書館はこれまで、機能が異なるパソコンで管理されてきた。島原市と有明町の合併以降、利用者の利便を図る必要から、同一カードで双方の図書館が利用できるようシステムの統合が望まれていた。

 そこで今年度、2つの図書館を管理運営する島原市教育文化事業団では、システム統合のための作業に着手。予算や新規開設するホームページを含めての機能など、「利用者優先」の視点で構想を練り、選定委員会に諮って導入機種を富士通(株)の「iLiswing21/We」に決定。機種が異なる有明図書館の蔵書約7万点のバーコードの張り替え、H・P作成の作業などを進めてきた。このあと、機種の設置と切り替え作業などを今月10日から14日までと、24日から26日までの2回おこない、27日から統合システムが起動することになる。

 これに伴い、同事業団ではカードの更新を27日から随時、2つの図書館の窓口で実施する(新カードは「平成新山と湧水、くすの木をアレンジした」黄緑色を主体にしたもので、職員が考案した)。加えて、これまで1回10冊までだった貸し出しを、「両館あわせて(1回)20冊までに増やす」など、従来に増したサービスを用意。「ホームページでは蔵書検索ができるほか、人気の本など種々の情報を提供する」という。なお、返却は「原則的として借りた図書館とする」。

 今後、2つの図書館は「これまでの特色を保持する」一方、「市子ども読書活動推進計画と利用者の声などを参考に蔵書の種類(傾向)、サービスのあり方を改良していく」考え。大隅謙一郎館長は、「1+1が2ではなく、3、4の効果を上げれるよう努力したい」と話している。

 来年度(平成20年度)は有明図書館が開設10周年を迎えることから、記念事業として絵本作家にしまきかやこさんのおはなし会(6月8日)と原画展。秋には「金子みすゞ」文学を世に出した詩人・矢崎節夫氏の講演会(11月15日)を予定している。

[2008/03/09:島原新聞]

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分別と洗浄の徹底を!…ビンや缶などごちゃ混ぜ


 島原市の旧島原市地区で回収されているプラスチック製容器・包装のうち、ペットボトルやプラスチック製品がごちゃ混ぜになり、ビンやスプレー缶、カセットテープなど「不適物」が約25%も含まれていたことが分かった。

 リサイクル関連団体が2月に実施した平成19年度品質調査により指摘されたもので、判定はA-Dの3段階で最低のDランク。約25%の不適物のうち約半分が未洗浄のため、「汚れがついたままゴミに出している」という現状も浮き彫りになった。

 年1回の"抜き打ち"調査は「ベール」と呼ばれる圧縮されたゴミのかたまりを対象に実施。今回は平均重量85キロのベール3個を対象に調査され、プラスチック製容器・包装の比率が75.67%という判定が出たもので、前年度の86.11%と比べ約10ポイントもダウンした。

 プラスチック製容器・包装とは通称「プラマーク」が付いたカップラーメンの容器やレジ袋、食料品トレーやシャンプー容器、ペットボトルのふた、果物を包む発砲スチロール製ネットなどで、回収後はリサイクルされ、再びプラスチック製品に生まれ変わるもの。同市保健環境課廃棄物対策係によれば平成18年度のプラスチック製容器・包装の収集量は約166トン。市民1人あたり4.3キロを出している計算だ。

 6か月内に再調査があるため、同市保健環境課では改善対策を講じることに。このまま不適物を含む割合が高い状態が続けば、将来はリサイクル業者に引き取ってもらえなくなる恐れがあるため、分別の徹底とゴミに出す際の洗浄の徹底を呼びかけてゆくほか、出前講座による啓発も考案している。

[2008/03/09:島原新聞]

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ウメの若木を百本植える…五小6年生が卒業記念に


 島原五小を今春卒業する6年生74人が6日、島原市北安徳町の水無川導流堤付近にウメの若木100本を植え、ふるさとへの思いをあらたにした。

 NPO法人「島原普賢会」(大町辰朗理事長)と安中地区まちづくり推進協議会(同会長)主催の卒業記念植樹「花いっぱい・梅いっぱい・夢いっぱい」。雲仙・普賢岳噴火災害前にウメの名所として知られていた「安中梅林」を復活させようと、同校の入学や卒業の記念として平成12年春から実施されており、国道251号から国道57号までの水無川左岸の土手に植え続けられている。

 植樹場所の国道251号の安徳大橋下付近には6年生や会員、国交省雲仙復興事務所の職員ら計約100人が集合し、児童代表で?菜々実さんと末吉佐妃さんが「ふるさとにきれいな花が咲くよう植えたい」などとあいさつ。島原普賢会の坂本國公理事は「きれいな花を咲かせるウメの木は心を和ませ、楽しみを与えてくれるもの。これから皆さんは成長して大人になると思うが、困難に直面したときには今日の植樹を思い出して夢に向かって大きな花を咲かせてほしい」と呼びかけた。

 準備されたウメの木は島原ライオンズクラブ(前田保幸会長)がこのほど島原普賢会に寄贈したもの。児童らは1本ずつ手にとって、会員らが手伝うなどして土手に穴を掘って肥料をやり、ていねいに土をかぶせて水をやり、郷土への思いも強くしていた。

[2008/03/07:島原新聞]

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晴天に恵まれ初市盛況…延べ約五万の人出を期待


 3日に島原市弁天町2丁目の霊丘公園で始まった「島原初市」。島原初市振興会(大場正文会長)が主催し、10日までの期間中に約5万人の人出を見込む。

 同市商工観光課によると、その歴史は古く、江戸時代初期に島原藩主の松倉重政が島原城築城の際、各地から集められた労働者のために近郊の商人や農民、漁民たちが大手門前の広場で物々交換の「市」を開いたのが始まりとされる。

 その後、毎月3日、13日、23日に開かれるならわしとなり、旧正月が明けてから初めての市であることから「初市」と呼ばれるように。現在のように3月に開かれるようになったのは明治12年からと考えられており、明治、大正時代には見世物や興行、猿回し、人形芝居、サーカスなども来ていたという - 。

 会場には包丁などの鍛冶屋や植木屋、くじびきや飲食店などの地元商店や露天商の約200軒がずらりと並び、晴天に恵まれた4日午前中は足をとめ品定めをする多くの家族連れなどの姿があった。天候により大きく左右されるため、毎年欠かさず店を出す地元の鍛冶屋さんらは「晴天が続くことを願いたい」と話していた。

 午前9時~午後7時(土日曜日は午後8時まで)。駐車場は弓道場などや霊南埋立地へ。

[2008/03/06:島原新聞]

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福知山展始まる


 京都府・福知山市との姉妹都市提携25周年を記念した「福知山展」が29日、島原市役所東側玄関ロビーで始まり、福知山の名所・旧跡や?日音彦市長のメッセージなどが紹介されている。

 江戸時代初期、福知山藩主・松平忠房公が島原藩に国替えとなった歴史的なゆかりをきっかけに昭和58年3月1日、両市間で姉妹都市の盟約を交わし、以後、相互に交流を続け、友好関係を深めている。

 福知山展の観光パネルでは、昭和61年に再建されたまちのシンボルで武将明智光秀ゆかりの「福知山城」をはじめ、毎年開催される当地ならではのイベント「ミニSLフェスタinふくちやま」、市民の憩いの場で風光明媚な「三段池公園」、約11万人の観衆が詰めかける由良川音無瀬橋河畔の夏イベント「福知山ドッコイセ花火大会」といった季節の祭典や名所・旧跡を紹介。

 姉妹都市都市提携25周年を祝う市長のメッセージでは、第五回火山都市国際会議島原大会の成功を祝うとともに、平成16年に福知山市を襲った台風災害での支援に対する感謝の言葉が綴られており、「友好親善の輪を広げることができ感謝している。今後ますます発展し繁栄するよう願っている」としている。

 熱心に同展に見入っていた島原市宮の町の上田敏夫さんは平成14年、同市が実施した「20周年友好親善訪問の旅」に参加した市民の一人。「福知山市はとってもいいところ。機会があったら、また是非行ってみたい」と話していた。

 同展には両市旗や観光パンフレットも展示・配置している。3月7日まで開催し、そのあと有明庁舎玄関ロビーでも10日~14日開かれる。土・日曜日は除く。

[2008/03/04:島原新聞]

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島原商高が奨励賞に輝く…全国高校生パッチワーク&刺しゅうコンテスト


 島原商高(楠田恭子校長)の家政科3年生39人が昨年11月に横浜市であった第15回インターナショナル・キルトウィーク2007横浜の全国高校生パッチワーク&刺しゅうコンテストの学校部門で奨励賞に輝いた。出品した47校のうち6校が入賞。同校は初受賞という。3月1日の卒業式を前に喜びもひとしおだ。

 作品タイトルは「ふ・る・さ・と 島原」。島原城や武家屋敷、白土湖、湧水、土曜夜市など島原ならではの風景や行事などを散りばめた縦約2m、横約1.8mの1枚に仕上げた。1年次の秋から作品づくりを始め、昨年9月ごろに完成させた。

 生徒たちはそれぞれ題材を実際に見に行ったり、写真を撮ったりして、作品づくりを通してふるさとの良さも再認識したという。クラスの3分の2が卒業後は県外へ。ひと針ずつていねいに郷土への思いも一緒に縫いこんだ。家政科3年の小川美和さんと久柴由佳さんは「みんなで協力して完成させた作品で受賞できてよかった」などと喜びを語った。

[2008/03/01:島原新聞]

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口加高家政科が閉じる…105年 - 校舎前に記念碑


 県立口加高等学校(吉川美智子校長)の家政科の閉科式が2月28日にあり、最後の卒業生となる3年生27人や卒業生らが名残りを惜しんだ。最後の卒業生を含め2652人を輩出してきた同科は3月末で105年の歴史に幕を降ろす。

 前身は明治35年11月に開設された私立口之津女子手芸学校。大正7年4月設立の口之津村立口之津女子手芸学校などを経て昭和5年2月に県立口加高等女学校へ。その後、県立口加高の被服、家庭両課程と変遷し昭和38年4月から家政科としてスタート。従来の手芸はもとより福祉体験やボランティア活動など特色のある家庭科教育を実践し続け、近年は自作ドレスで着飾ったファッションショーの実施や家庭科技術検定で"三冠王"を成し遂げるなど輝かしい功績もあった。

 同科3年生が自作の袴姿で厳かに入場し、閉科式が開式。105年間の歴史をスライドで振り返ったあと、吉川校長は「家庭科教育が礎となった105年の歴史に終わりが告げられる。卒業された方々をはじめ最後の生徒も誇りをもって取り組み、家庭科を愛した先生方の支えがあったからこそ歴史が紡がれてきた。いまOBの皆様の胸にあるのは思い出の日々でしょうか。歴史は締めくくられるが、その教育の火は絶えず引き継がれてゆくことでしょう」などとあいさつ。

 卒業生を代表し昭和31年度卒業の久間キミさんが思い出の日々を思い起こしながら恩師への感謝の気持ちを示し、女性としてあるべき姿について生徒らに呼びかけたあと、生徒代表で家政科3年の林亜弥さんが「最後の生徒として伝統を守り恥のないように努力してきた。この3年間は貴重な体験であり、受け継がれてきたよき伝統をあらためて実感した」と述べ、「創立当時のお姿を思い描いたこの袴姿でのぞむ最後の日。これまで支えてくださった多くの方々に感謝したい」と - 。

 平成20年度からは、普通科のうち福祉系学問や被服学などについて学ぶ生活創造コースに家政科の精神が引き継がれてゆくことに。最後の卒業生は、県立口加高等女学校時代の校旗にかたどられた菖蒲の花をデザインした「菖蒲の旗」を制作。それが在校生に手渡され、その精神を受け継いでゆくことを誓った。

 また校舎前に設置された記念碑の除幕式もあった。最初の被服科に在籍した1~3年生68人にちなみ1~3mの支柱68本で構成されるモニュメントは、手芸の象徴「針山」をイメージしたもので、中央に鐘が設けられ、「創設当時からの教育思想を永遠に響かせるように」と願いが込められた。

[2008/03/01:島原新聞]

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