「濠」が廻らされていた…守山大塚古墳発掘調査

 古墳時代初期の四世紀に築造されたとされる雲仙市吾妻町の県内最大級の前方後円墳「守山大塚古墳」に、「濠(ほり)」が廻らされていた! 市道拡幅工事に伴い先月、発掘(試掘)調査を実施した同市教育委員会が11日(火)、報道陣対象の説明会を開き、発表した。

 日本の古代史のなかで、古墳時代ほど不思議な時代はない。「一部の有力な学者とその学閥に支えられた高塚古墳の畿内発生説」が金科玉条的に信じ込まれ、こんにちに至るまで揺らいだことがないからだ。したがって畿内から遠く離れた九州、肥前地方で発見されたそれは、いかに畿内の影響を受けたかの説明で終始しているし、たとえ弥生時代との連続性があると見られる遺跡(古墳)でも、それが古墳時代前~中期と、勇気を持って比定する発掘担当者は皆無に等しい。

 そんな中、雲仙市吾妻町の「守山大塚古墳」は異例の存在だ。全長約70メートルほどもあるその規模が県内最大級であるばかりか、築造年代が古墳時代初期の四世紀と、ほぼ確定しているからだ。

 発見したのは、いま映画『まぼろしの邪馬台国』で話題に上がっている宮?康平・和子夫妻。「肥後の装飾古墳が畿内の影響を受けることなく九州で発生・発達し(た事実や)、(高塚古墳と)同じ内容の埋葬形式による弥生時代の墳墓は九州に発生した(ことを)と認めながら、突如として高塚古墳の発生のみを畿内におく」日本考古学会の偏見を指摘し、「かくなる上は自分で - 」と盲目の宮崎氏が妻とともに「かねて見当をつけていた」大塚古墳に出掛け、それと確認したものだった。

 その後、正式な調査が実施され、昭和41年には古田正隆氏らの調査によって隣接する円墳と周辺の遺跡から弥生時代末期の遺物等々が出土。平成2年、県教育委員会が測量調査を実施した際にも、4世紀の土器も見つかり、同古墳が初期のものであることが判明した。

 今回の調査の最大の収穫は、築造時の「葺石(ふきいし)」と見られる礫群(れきぐん)と、古墳周囲に廻らされていた「周溝(しゅうこう)」と考えられる深い落ち込みの跡の発見だ。葺石は、墳墓の盛り土の崩壊を防ぐため周囲の土手に石を張り詰めるもので、遺跡に近い試掘抗で1メートル余の深さに。数メートル離れたところでは深さ1.9メートルの部分で、いずれも崩れた礫群を確認。周溝の幅や大きさ等については(試掘の範囲が限られるため)確認までに至らなかった。

 「周溝」は畿内に現存する大型前方後円墳の「濠」に相当すると見られ、宮?康平氏は、「弥生時代の地下式墳墓から方形周溝墓へ、そして前方後円墳や円墳などの高塚古墳へと移行する」と、弥生時代との連続性の中で説明している(『まぼろしの邪馬台国』314ページ)。

 また、円筒埴輪の前段階である壷型埴輪(朝顔形埴輪)の祖形、壷形土器も(土器片が)出土。11日、報道陣に公開された。

 この日、発掘を担当した同市教育委員会の辻田直人氏(主査)と埋蔵文化財整理担当職員・小野綾夏さんが現地を案内。辻田氏は一連の発掘状況を説明したあと、「前方後円墳の周溝が埋没した八世紀ごろ」の"井"の字が記された墨書土器を示し、「守山大塚古墳近辺に当時、郡衙(ぐんが)にかかわる遺跡が存在したことが窺われる。(大塚古墳)被葬者の末裔が奈良時代、郡衙にかかる遺跡を築いていったと想像される」と、その後の連続する歴史についても言及した。

 「なお、一般市民対象の現地説明会が今月16日(日)午後1時半から開かれる(午後1時から受け付け)。駐車場は鶴田小学校体育館横。参加費無料。少雨決行。

[2008/11/12:島原新聞]

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花籠部屋の行司・木村さん…盛大に十両格昇進祝賀会、雲仙市章の装束で全国に

 雲仙市吾妻町川床地区出身で大相撲・花籠部屋の行司「木村誠二」=本名・川原誠さん=が来年1月の初場所から十両格に昇進することが決まり、併せて「木村光之助」を襲名することになり、2日に同市瑞穂町の森田屋で祝賀会が開かれ、郷土出身行司の栄誉を盛大に祝福した。

 悟さん・美枝子さんの3人きょうだいの長男として生まれた誠さんは平成3年3月に吾妻中を卒業後すぐに花籠部屋に入門して研さんを積み、平成11年から幕下格の行司を務めていたもので、このほど開かれた日本相撲協会の理事会において昇格が決定。今後、土俵での裁きのほかアナウンスの役割も担う。

 新調した装束には市の許可を得てUの文字をかたどった市章が散りばめられており、大相撲のテレビ中継を通じて市出身者であることと雲仙市を全国にPR。さっそく袖を通して出席者にお披露目した川原さんは出席者に感謝を述べ、「市章に彩られた装束を光栄に思い、市内の方々の応援をありがたく思い、十両格の地位に恥じないよう頑張りたい」と、思いをあらたに。

 祝賀会には師匠の花籠忠明さんや、同市瑞穂町西郷出身で花籠部屋力士の若肥前(本名・酒井兼敏さん)をはじめ、地元応援者や同級生など約340人が出席し、鏡開きなどをして盛大に祝福。

 世話人代表の浦川康二さんが略歴などを紹介したあと「一心不乱に精進された成果だと心から喜びたい。市章の装束は市出身であること市の名前を全国に広めてくれるはず」、奥村市長は「努力の成果である昇格は市にとって朗報であり、郷土出身の一員としてさらなる精進を - 」と祝福し、花籠親方は「行事ひと筋17年。市を誇りに思っており、今後もさらなるご支援をお願いしたい」などと感謝を述べていた。


[2008/11/5:島原新聞]

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新曲・"親曲"で収穫の楽しさも…うんぜん ふるさとの歌まつり

 雲仙市の7町で歌い継がれ親しまれるなどしてきた歌を発表し、ふるさとへの思いを強くしてもらう「うんぜん ふるさとの歌まつり」(同実行委員会主催)が8日、吾妻町ふるさと会館であり、11団体計約110人が11曲を披露し、市民ら観客約450人をわかせた。

 開会式で同実行委会長の奥村市長は「合併して2年。7つの町に息づいてきた歌を持ち寄り、自分たちの歌として認め合い、ともにあらたな市として歩みを - 」などとあいさつ。吾妻町文化協会民謡部による歌と踊り「吾妻おどり」と「吾妻盆唄」で幕開け。

 瑞穂町の男女3人組「夢流」はジャンボかぼちゃのイメージソング「YUMEかぼちゃ」、小浜町の男性農業者デュオ「原茂者(はらしげもん)」は農業や収穫の楽しさを訴えるオリジナル曲「じゃがいもサンデー」などを歌い、このほど昭和五年当時の楽譜が同実行委に送られてきた「雲仙音頭」などが披露されたほか、愛野小合唱クラブの児童約40人はスクリーンに旧愛野町の風景写真を映しながら「ふるさと」や「あいのの歌」を歌い上げた。

 また、同市愛野町甲の主婦、畑中さんは雲仙の自然や景観などを歌詞にのせた自作曲「ふるさと雲仙」をピアノの弾き語りで披露した。声楽活動を続ける畑中さんは広報紙で歌まつりのことを知り、「親しまれてきた歌あるいは雲仙市をイメージした歌」という募集文句にピンときて2か月ほどで完成させた。

 この日が初お披露目で、澄みきったのびやかな歌声で歌い上げると、会場は拍手にわいた。「もともと曲づくりが好き。雲仙の歌をつくりたいという強い思いでチャレンジした。緊張したけれど、自分でつくった曲が皆さんに伝われば」と話した。

[2007/10/10:島原新聞]

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