桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  気まぐれなネコ

度重なるシャドウの浮気と、後ろめたさに押しつぶされながら続けるグランドとの関係。
精神的に不安定となっているグレイは、ネコのネックレスをシャドウに貰って喜ぶレディアスの姿にますますイライラをつのらせます。
そしてとうとうそのネックレスを盗み、ダストシュートに捨ててしまうのです。
自分の落ち度でネックレスをなくしたと思いこむレディは、落ち込み、悩み、苦しみます。

サスキアの日常にしようかと思いましたが、ダッドが大きくレディアスとの距離を縮める結果に、本編の一つのエピソードとしました。

 「あーあ、だわさ。」
管理官室の自分のデスクで、セピアが大きな溜息をつく。
彼女は、長々とヴァインに拉致されていたときの情報を、ポリスと軍の合同捜査で訪れた人間の聞き取りで退屈気味だ。
これで何度目だろう。
捜査は続いているらしいから、何度も何度も同じ事を聞かれる。
ブツブツ文句を言っても始まらないから、真面目に答えるしかない。
ガチャンとドアが開き、死んだようなブルーが帰ってきた。
ドスンとデスクにつき、ドッと机に伏せる。
向かいのグレイが、手を伸ばしてコンコンと定規で頭を叩いた。
「局長に怒られたの?」
「いんや、明日からの派遣先聞いて疲れた。」
「どこ?」
「砂漠のど真ん中。」
セピアが、ギャーッと立ち上がる。
「ウソ!やだ、まさか歩いて行けってんじゃないでしょうね。」
「それはねえな、辛うじて足はヘリだ。
でも、サバイアって、砂漠の街なんだ。あっついぞー。」
「あちゃー、乙女の肌が真っ黒になっちゃう。」
ブルーコンビをクスクス笑っていると、今度はグランドがジムから帰ってきた。
「きっつー、メニューこなすの大変だぜ。なまってるなー。」
ガチャンとグレイの隣りに座る。
シャワーを浴びてきたグランドは、髪が乾いていない。
あーあ、と世話焼いて、グレイがハイと自分のタオルを渡した。
「んー、グレイのタオルっていい匂いだなー。
なんで?なにかつけてんの?」
「ああ、ほらこれ・・」
小さなスプレーをグランドに渡す。キャップを取ると、ハーブの心地よい香りが広がった。
「んー、やっぱセピアより女らしいや。」
「んまっ!ちょっとグランド、失礼な奴ねえ!
・・・ねえ、シャドウってば、なんか言ってよ!」
シャドウはなにやら必死で机の下を見ている。
グレイが覗き込むと、サッと慌てて隠した。
「え、えーっと、なにかなあ。」
「シャドウさん、なにを隠されたのかしら?」
えへえへとシャドウが笑うと、ニイッと大きな犬歯が出る。
彼はサッと携帯電話を隠し、慌ててそうっとデスクを離れた。
「お、俺、レディを迎えに行こうっと。もうそろそろお帰りでしょうから。じゃっ!」
「こらっ!」
まったく、どうせどこかの女の子とメールでもやり取りしているんだろう。
いつもいつも、浮気ばかりで腹が立つ奴。
「ねえグランド、今日は一緒に夕食の買い物して帰ろうよ。」
「え?あ、ああ、そうだな。」
曖昧な返事のグランドにブルーがちらっと目をやって、そしてガタンと立ち上がった。
「俺等は派遣の買い出し行って帰るよ。チョイ遅くなる。」
「わーい、ブルーとお買い物!」
ピョンとセピアが立ち上がる。
「必要以外は買わないからな!」
「んふ、了解。じゃあねー。」
楽しそうなセピアが、ぴょいとブルーの腕を締め上げ、ギャーッとブルーの悲鳴を残して、2人は部屋を後にした。
「あーら、変わったペアが残ってるじゃない?」
トントンと書類を片づけながら、ミサが声を掛けてくる。
にっこりグレイが手を振って答えないでいると、他のスタッフもクスクス笑った。
「ペアーが違うんじゃあないのー?シャドウとレディが焼くわよ。」
「いいの!あんな奴。ねえもう少しで僕、終わるから。グランド、先に車に行ってて。」
「了解。」
今朝、それぞれペアで車に乗ってきたから、駐車場にはグランドの車があるはずだ。
今夜のメニューを考えながら、車の傍らでグランドがキーを片手にクルクル回す。
やがて遅れてきたグレイと乗り込むと、誰もいない駐車場に、2人は待ちわびたようにキスをした。





真っ黒のスポーツカーでクローン研究所に乗り付け、シャドウが携帯を扱いながら車の中で待っていると、玄関から酷く疲れた面もちでレディアスが出てきた。
最近彼は毎日、昼過ぎまで仕事をしたあと、研究所の指示でメンタルチェックや勉強で通っている。
彼は車の運転はまるで駄目なので、行き帰りグランドの送迎付きだ。

シャドウが窓を開けて手を上げる。
レディがおずおずと歩いてくると、彼が中から車のドアを開けた。
「乗って、いいのかな。」
「おめえ、馬鹿なこと聞いてんじゃねえよ。さっさと乗れよ。」
「うん。」
そうっと、レディはまるで傷を付けないような仕草で乗ってくる。
シャドウは思わずクスッと笑い、窓の外に手を出して、バンッとボディを叩いた。
「バーカ、なにそうっとやってんだよ。見りゃあわかるだろ?傷だらけだよ、すでにこいつぁよ。」
クスッと、レディが笑って頷く。
「ほら、ちゃんとシートベルトしろ。飛ばすぞー。」
シュッとシートベルトを取って、カチャンと取り付ける。
「グランドじゃなかったからって、がっかりするなよ。」
「がっかり何かしてないよ。ただ、珍しいなって思っただけ。」
「ま、たまにゃあ俺とデートでもいいだろ?
まだ晩飯には時間があるからよ、一緒に付き合ってくれや。」
「どこ行くの?」
「いいとこ。」
「シャドウのいいとこは変な場所が多いからやだ。」
「変な場所じゃねえよ、ばーか。」
ブオンッ!
エンジンかけて、窓を半分閉める。
爆音上げて研究所をあとにすると、森の鳥達が驚いてバッと飛び立った。

車は町中に入り、シャドウが鼻歌交じりに駐車ビルに入って行く。
入り口に車を止めると、おじさんが管理室から一人出てきた。
「車のキー借りるよ、はい、カードなくさないでね。」
ほいっとカードを渡してくれる。
シャドウと2人、車を降りると車は自動運転モードに切り替わる。
駐車場のコンピューターと直結して、車は自分で勝手に中へ入っていった。
「あーあ、あの駐車用の誘導装置がうちのマンションにもつかねえかな。便利だよなあ。」
「シャドウは上手だろ?」
「へへ、まあね。みんなお前よりゃあ上手いさ。」
にっと笑い、大きな犬歯を見せるとレディの肩を後ろから抱くようにして歩き出す。
レディが苦笑いでシャドウを見上げた。
「こんな格好、グレイに見られたらまた喧嘩になるよ。」
「あれはね、俺達のスキンシップなの。
だいたいお前は街歩くときはこうしてねえと、やたら男が声かけて来るからな。」
「ヒョロヒョロだから女と間違えるんだよ、みんな。」
「理由をいまだに勘違いしてるお前が、俺は心配なんよ。」
シャドウがフッと溜息をつく。
綺麗とか、美人とか、皮一枚の事なんて、まったく考えないレディは相変わらずだと思う。
レディに気が付いた人々は、思わず立ち止まって振り返る。
まあ、そんな感じは気分がいい。
「どこに行くの?」
「えーと、ほらここ。」
そう言う先は、サスキアで一番大きなデパートだ。
グランドとも、ここへは数えるしか来たことがない。元々、レディ自身がこんな人通りの多いところは嫌いなのだ。
一階のアクセサリー売り場を通り、奥のエスカレーターに向かう。
キラキラした宝石のような輝きに、ふうんとレディが声を漏らしながらキョロキョロしていた。
「ヒヒヒ、欲しいの?レディちゃん。」
レディは思わず自分のネックレスに手が行く。
これをグランドに買って貰ってから、それがクセになってしまった。
「俺には、これがあるもん。」
「へー、成る程な。グランドに買って貰ったって?」
「うん」
パッと嬉しそうな顔を上げる。
おやとシャドウが目を丸くして、肩をヒョイと上げた。
「ちぇっ、やってらんねえな。初めてのプレゼントか。」
「そっかな、宝石はね。食べ物とか、着る物は良く買って貰うけど・・」
クスッとシャドウが笑う。ここで、そりゃあお前の金で買ってるんだ、とは言わない方がいいだろう。彼がどんな夢を持っているか知れない。
レディがじっとキラキラ光る指輪を見て、首を傾げる。彼は、指輪なんて一つも持たなかった。
「ねえ、これって男も女もつけるよね。変なの。」
「アハハ、変かねえ。んー、でも、指輪は結構付けてるぜ、みんな。」
「綺麗だから付けるのかな?」
「まあ、そうだな、色んな意味もあるのさ。」
ここで愛情表現というと、ネックレスを送ったグランドをどう思うだろう。ウッと言葉に詰まり、指輪を贈らなかったあの馬鹿に心の中で悪態を付いた。
「シャドウはいっぱいしてるね。意味があるの?」
「これはあ・・グレイとの約束なんだ。」
「ふうん・・」
指に4つ、これはすべてグレイに送られた物だ。サスキアに帰ったら、これを全部する事をグレイに約束させられている。
恐怖の赤い糸だ。
キョロキョロ見て歩くレディに、ニヤリと笑った。
「ほら、指輪でもこんなのなら付けても変じゃねえぞ。」
シャドウが指さすそれは何の飾りもない、細いプラチナだ。
レディがじいっと横目で見て、別の商品にアッと顔を寄せる。
「これ、これは可愛いんだろ?どうなの?」
「おめえは二言目には可愛いが知りたいんだな。んー、またお前みたいなネコだな。」
それは、やや大きめのチェーンが長いペンダントの、銀細工の美しい透かし模様のネコで、所々にサファイアがはめ込んである。
値段を見ると、買えない値段じゃない。
シャドウはそれを手に取り、レディの首にほれ、と付けてやった。
「へえ・・グレイもセピアもこんな風に付けてるね。種類も沢山持ってる。」
「そうだな。ちょっと待ってろよ。」
「あ、これはずさなきゃ怒られちゃうよ。」
「待ってろよ、いい子にしてさ。」
シャドウが店員を呼び止め、店の奥に消えた。
しばらくすると、若い女性がやってきて「失礼します」とにこやかにレディの試着したネックレスに触れる。
はずすと思ったら、パチンとタグを切った。
「お買いあげ、ありがとうございました。」
深々と礼をして店員が消える。
レディが驚いて、シャドウの腕を掴んだ。
「俺、俺買ってって言ってない。」
「似合ってたからさ、俺が買ってやりたかっただけさ。お前が思ってるほど高くねえよ。余程グランドのカシスルージュの方が高いさ。
行こうぜ。」
少し落胆するレディの手を引き、グイグイと先を行く。
2階へ、3階へとどんどん上がり、10階まで結局上った。
「ねえ、もう帰ろうよ。」
「バーカ、ここが目的地だっつうの。」
ズルズル手を引き、どこへ行くのやら。
奥まで行くと何かの入り口があって、手前でシャドウが料金を払った。
「ほれ、見る前から疲れてんじゃねえよ。」
「見る?」
休日を思えば今は空いている方だろうが、周りは人が沢山溢れている。
顔を上げると、大きなウインドウの向こうにスポットライトを浴びて、チョンと小さなボロボロのクマの縫いぐるみが鎮座している。
レディの目が点になった。
「これ、なに?」
「昔々のテディベアって縫いぐるみさ。」
呆然と、それを見る。
それが何を意味するのかわからない。
ただボロボロに生地がすれて、あちらこちらが破けたクマの縫いぐるみ。
「ほら、これはテラって星で350年前に作られたらしいってよ。
俺達が生まれる、200年近く前だぜ。すげえよなあ。
誰かが、大事に親から子供へ引き継いでいったんだ。たかがこんな縫いぐるみをよ。」
「引き継いで・・・こんな物・・」
「これ、今じゃ値段が付けられないほどの価値があるんだとよ。ボロボロで、どんなに汚れていても、スッゲエ価値があるんだ。」
「ふう・・ん」
まわりは、女性客が多い。
古い物を大切にする薄暗いライトの中、2人はブラブラと見て回った。
展示品は、次第に新しい物になって、素材は変わってもデザインはあまり変わらない。
ずっとそれが、人々に愛され続ける姿なのだと、暗に示している。
物を大切にすることが、命と照らして見て取れた。
大きなクマ、小さなクマ。
「みんな、可愛いんだろう?古いのも、新しいのも。」
「ああ、みんな可愛いさ。欲しくなった?」
「わかんないよ。
どうして人間はすぐに、価値があると欲しくなるんだろう。」
「おめえみたいなのばかりだと、金が世の中回らないからさ。」
キョトンと即答するシャドウを見て、クスッとレディが笑う。
「ほんとだね。」
「ああ、お前だいぶ綺麗に笑うようになったな。」
「そう・・?」
ふと、レディの顔が曇る。
「笑うの、変なのかな?」
「いいや、人は大体笑っている方が多いもんさ。な、何でも一人で悩むなよ。」
「うん・・・でも、心に綺麗な光があるから。
それとこれ、2つも宝物出来たし・・大丈夫だよ。」
レディはやっぱりグランドから貰ったネックレスに手が行く。
心の支えがあるからと言う言葉なんて、シャドウは聞きたくない。
彼の口から、「兄弟がいるから」と出るのは一体いつになるのだろう。
シャドウがギュッと肩を抱く。
何だか気持ちよくて、レディがもたれかかりながら大きなクマを見上げる。
「レディ、ダッドは好きか?」
随分単刀直入な聞き方だ。しかしそんな事を気にも止めないレディは、彼の腕の中でゆっくり首を振った。
「わからない。」
「あれからグランドと、キスしたか?」
レディは何も答えず目を閉じる。
そしてその手は、やっぱりギュッと服の上からカシスルージュのネックレスを握っていた。
シャドウは、それからなにも言わない。
ただ、彼のギュッと力を込める手が心地いいほど温かくて、レディはしばしうっとりと身を任せていた。





マンションに帰ると、みんなすでに帰っていて、グランドとグレイが食事を作っている。
こうして6人揃うのも久しぶりだ。
「ただいまー。」
シャドウが大きな声で入り、部屋へ着替えにいく。レディはそっと居間へ向かった。
バスルームからは、ブル−とセピアの声がキャアキャア響いている。
「あら、おかえり。」
「よう、遅かったな。どこに行ってたんだ?」
キッチンにいるグランドが、グレイとの話を止めてレディに目を移す。
「う、うん、ちょっとね。」
何となく言葉を濁し、レディは居間のニュースを告げるテレビの前のカーペットに座った。
テレビにはあまり関心のないレディは、何となく首元のペンダントを探る。
カシスルージュと違って、改めて見るとネコのペンダントも綺麗。
それに他の兄弟から物を貰うなんて初めてだ。
ちょっと引っ張って眺めては撫で、何だか嬉しくてグランド達に見せようか、どうしようかと迷う。
グレイは沢山持ってるから、きっと沢山買って貰っただろう。2人は良く、デートする。
何となく、さりげなく話そうかと腰を上げて振り向いた。
「やーだあ、ほんと?グランドは・・」
「・・バーカ、グレイもだろ?あはは」
キッチンの2人は、こそこそ何か話しては楽しそうにしている。
何となく、気が引けて座り直した。
忙しそうにしているのなら、話しかけても迷惑だろうと思う。
ペンダントヘッドのネコを撫でながらテレビをボウッと見ていると、セピア達が風呂から出てきた。
「あー、気持ちよかった。やっぱ風呂は最高よお。しばらくは入れないと思えば悲しいわ。
あーっ!何々?レディったら、ネックレスしてる!きゃーんかわいいん!」
やっぱり、セピアが一番に気が付いて飛びついてくる。
グイッと引っ張ると、身もだえしてヤンヤンとはしゃいだ。
「ねえねえ、これ、どうしたの?買ったの?
きゃーん、レディってば珍しいじゃん!」
「か、買って・・貰ったんだ。」
「誰に?グランド?」
何だか言葉に詰まる。
気恥ずかしそうに微笑んでいると、シャドウが部屋から出てきた。
「俺様のプレゼントよ。どうよ、趣味いいだろ?」
「どこ行ったの?」
「デパート。ほら、テディベア展やってるだろ?」
「やだあ!あれあたいも行きたあい!ねえブルー、あとで行こ!行こうよお!」
サスキアは日中、気温が高く人通りも少ないだけに、気温の下がる夜は店も遅くまで開いている。
ブンブンと、やってきたブルーに飛びついて身体を前後に振り回すと、ブルーはめまいを覚えながら命の危険を感じて思わず頷いた。
「ハイハイハイハイハイハイハイ、行くから離してくれ。どーせ、明日からは砂漠見学へ出発だ。」
「わーい!」
セピアはピョンと、居間のテーブルについてレディと並んで座る。
キッチンから料理の載った皿を持ち、グレイがやってきた。
「へえ、シャドウからプレゼント?どれ?」
にっこり微笑んで、優しくグレイがレディに聞く。
レディはおずおずと、胸元のネックレスを見せた。
「これ・・・あの、可愛いねって言っただけなんだ・・・買ってって言ってないんだけど・・」
「あら、いいじゃない。レディによく似合うよ。よかったね。」
「う、うん・・」
微笑むグレイは、小さくなるレディの頭をポンと撫でてまたキッチンへ戻る。
気にしていない様子に、ホッと胸をなで下ろす自分が、何だかおかしい。
みんな揃うと、またワイワイと騒がしく食事が始まった。
「シャドウが買ってくれたって?良かったじゃねえか。普段何もほしがらねえのによ。」
「うん。」
胸にぷらりと下がる透かしのネコ。
自分は欲しかったのかはわからないが、プレゼントって言葉は気持ちがいい。
グレイが怒るかな?と思ったがそれも過ぎた心配で終わってホッとした。
「いいなー、ブルーはケチだから、何にも買ってくれないんよ。」
セピアがサジをくわえたままぼやく。
「俺は自分の物なんて、もう何年も買ってねえ。」
ブルーがフッと苦笑いでセピアを睨んだ。
「キャーン、怖い。」
サッとセピアが目をそらす。
グレイがフッと溜息をついて、左隣りに座るグランドにすり寄った。
「ねえグランド、僕にも指輪買ってよ。」
「エッ!俺?グレイはシャドウから買って貰えよ。」
「あら、シャドウさんは女の子相手に忙しいんだもの。ね、いいでしょう?」
グレイは冗談半分だろうが、グレイの右隣に座るシャドウは不愉快そうにグレイを睨む。
「グレイ、やめろよ。グランドが困ってるだろ。」
「ねえ、たまにはいいじゃない。明日買い物行ったとき、・・ほら、今日見たあれ。あの安い方でいいからさ。」
珍しく、グレイのおねだりは止まらない。
皆が気にするレディはグランドの前で、黙々と食事をしている。
「グレイ、指輪なら俺が買ってやるって。」
シャドウがグイと彼の腕を引くと、その手をパシンと払う。グレイの機嫌はひどく悪いようで、グランドはシャドウと顔を見合わせ、とうとう根負けして頷いてしまった。
「わかったよ、あの安い指輪でいいなら。じゃあ明日な。」
「きゃあ!やったあ!シャドウなんか、ベーッだ。」
舌を出し、グランドの腕に手を回すグレイにシャドウがムッとする。
「馬鹿野郎、好きにしやがれってんだ。」
「好きにするよ!シャドウの馬鹿。」
ブルーはやり取りを見守りながら、溜息をついてレディに視線を走らせる。
シャドウがそれに気付いて、小さく頷いた。
「グレイ、機嫌なおしてさ、明日は俺と行こうぜ。いい所に連れてってやるよ。」
「なあに?テディベア?僕はグランドと・・」
「ほら、行きたがってただろう?ピアノコンサート。さっきやっとチケット取れたんだ。」
「さっきって・・あ、携帯でやってたの・・」
「チケット取りさ、ピアノは人気あるからな。
苦労したぜ。」
女の子とメールのやり取りだと思っていたグレイが、ウルウルした目で手を組み、そしてパッとシャドウに飛びつく。
「やだ、もう。そうならそうって、言ってくれたら怒らないのにい。」
「ま、びっくりさせるって奴さ。俺を慌てさせんなよな、グレイ様。」
「ん、もう。うれしいっ!」
手の平返すように機嫌の良くなったグレイに、皆がホウッと一息つく。
実は兄弟で行こうとして、6枚チケットが取れずに四苦八苦していたのだ。
2枚は確保していたので幸いした。
最近、グレイはイライラしている。
シャドウも目立って女遊びしているわけではないのだが、グレイの中で何か心にひずみが出来ているのだろうか、最近はグランドともグレイの方から誘うことが多かった。




「ああ、もうこんな時間だ。風呂入ろうぜ、レディアス。今日髪洗ってやるよ。」
ブルー達はデパートへ出かけ、残った4人がそれぞれ居間でくつろいでいると、グランドがスミで本を読んでいるレディに声を掛けた。
「うん。」
レディがネコのように伸びをして、パタンと本を閉じる。
「何の本だ?随分熱心なんだな。」
シャドウが表紙を見て、へえとつぶやく。
それは、誰でも知っている童話だった。
「宿題。マリアにこれ読んだ感想を言うんだ。」
「感想?つまり・・感じたことだな?で、どうなわけ?」
シャドウがレディを見ると、レディは苦笑いでごまかす。
「全然わかんない。」
「可哀想とか?」
「どこが?」
キョトンとした顔のレディに、グランドとシャドウが大きな溜息をつく。
彼にとって不幸な出来事なんて、こんな絵本の中ぐらいでは些細すぎて、程度が違うのだろう。
ドクター達の苦労が目に見える。
「グランド、お風呂僕も一緒に入っていい?」
立ち上がりかけたグランド達に、グレイも声を掛けた。
兄弟は、みんな一緒に入ることに抵抗がない。
「いいよ。」
グランドが、軽く返事する。
「グレイ、俺と入ろう。」
すると横から、シャドウが彼をグイッと引っ張った。
「もう、僕はグランドと入りたいの。」
「どうして。」
真顔のシャドウに、思わずグレイは言葉に詰まる。
「わかったよっ、もう我が侭なんだからっ!」
どっちが我が侭かわかった物ではないが、シャドウがグレイのグラスにまたワインを注ぐ。
苦笑いのグランドに、シャドウがニヤリと笑った。

レディとグランドがバスルームに消え、グレイが大きな溜息をついてうつむく。
シャドウはとっておきのブランデーを出して、新しく並べた2つのグラスにトクトクと注いだ。
「いい色だろ?貰いもんだけどさ。」
一つグラスを差し出されても、グレイは気を悪くしたのか黙っている。
やがて彼らしくもなく、グイッとグラスをあおってドンとテーブルに置いた。
「知らないよ、シャドウなんか。意地悪。」
「そんなにグランドと入りたかったのか?」
「悪い?」
「悪いさ、レディの気持ちを考えろ。」
「レディ?」
ドキッと思わず目を伏せる。
「そ、そりゃあ僕は彼を傷つける気はないよ。」
「お前、最近ベタベタしすぎだぞ。注意しないとレディが傷つく。」
ムッとグレイが顔を上げる。
先程から、シャドウは二言目にはレディだ。
いつも彼のことをみんな気遣って、自分だってその為にグランドと付き合ってもいる。

なによ・・

みんな彼を思って、みんな彼のために自分を犠牲にしているのに、レディ自身はいつだって周りには目が行かない。

そうよ、感謝している様子さえないじゃない!

「僕、最近思うんだよね!僕らのペアって、替わった方がいいんじゃないかって。」
プイッと顔を逸らし、吐き捨てるように言った。
叩かれてもいい、でも、誰かに抱きしめて欲しい。
「お前、マジでそんな事思うのか?それでいいと思うのか?」
驚いた顔で、シャドウがグラスを置いてグレイに手を伸ばす。
その手をパシンと叩き、グレイはタッと居間を駆け出した。
「僕、明日はグランドに指輪を買って貰うんだ。シャドウはレディと行けばいいよ!」
「グレイ!」
「来ないで!一人で寝る!」
バタンとドアを閉められ、溜息をついてシャドウが居間に立ちつくす。
グレイはパウダールームに飛び込むと、明るい声のするバスルームに向かって声を上げた。
「グランド!僕明日は買い物に行くよ!指輪を買ってよね!」
「えっ!あ、ああ、別にいいけど・・」
戸惑った声でグランドが返す。
「楽しみにしてるよ、じゃあ明日。」
コンとバスルームのドアを叩き、自室に戻ろうとドアに手を掛ける。
ふと横を見ると、棚にはグランドの服とレディの服が、丸めて脱いであった。
「あ・・・」
レディのシャツのポケットに、2つのネックレスがちょこんと覗いている。
一つは砂粒のようなカシスルージュ。そしてもう一つは透かしのネコ。

ちゃんとグランドからネックレスを貰ったくせに、こんな子供がするような可愛い物をねだるなんて・・

その様子が、ありありと目に浮かぶ。

いじらしい仕草で男の気を引くなんて、セックスもろくに出来ないくせに、ずるい。
戦闘に入れば負け知らず、思い切りがよくて迷いが無くて怖い位なのに、兄弟には甘え上手で・・そのギャップが余計に魅力的に見える。
その上、男に思えないほど美しい。
でも、いつだって顔の皮一枚の事だ、なんて言ってるくせに、ちゃんと自分の美貌を利用して、みんなの気を引くのが上手。
十分それを利用する八方美人。

グレイの手が伸び、サッとネコのネックレスを取った。
部屋に戻って慌てて後ろ手にドアを閉め、カチャリと鍵を掛ける。

どこに隠そうか。
きっと兄弟巻き込んで、大騒ぎで探し回るはず。

そうだ、ブルーに心を読まれてはまずい。

ならばいっそ・・・

バタンと玄関を出て外廊下の突き当たり、薄暗い階段の踊り場へと出た。
そこには、1階の「ある場所」へ続く小さな扉がある。
開けると臭いが逆流しないよう、ゴオッと音を立てて空気の流れる音が響いていた。
各階に設置してある、ダストシュートだ。
チャリッと手を開くと、階段を照らす明かりにネコがキラリと輝く。
慌てて探し回るレディの顔と、舌打つシャドウの顔が浮かんでクスッと笑う。

シャドウが、おねだりに負けてこんな物買ってやるからいけないんだよ。

「シャドウは僕の物なんだよ。汚い手で、触らないで。」

暗い顔でつぶやきギュッと唇を噛みしめると、地の底へ吸い込まれそうなそこへ手を差し入れる。
そして、ゆっくりと指を一本一本離した。
最後の1本に、嫌だというように鎖が巻き付いている。
それが一層しつこいように思えて、バッと手を払った。

チャーン、チャリーン・・・

遠く一階まで、涼やかな音が遠ざかってゆく。
スウッと胸の溜飲が下がる思いで、フフッと微笑んだ。
これで終わり。
忘れよう。
大騒ぎになったら、一緒に探すフリをすればいい。

だって、見つかるわけないんだもの。

カツンと階段から音がして、ハッと慌てて部屋に戻った。
明日はみんなブルー達の見送りには行くだろう。心を読まれないように、これで嫌なことは終わり。
玄関を入ると、さっさと自室に戻りベッドに休んだ。
ベッドに入り、プルプル首を振ってパンと頬を叩く。
白い天井に、にっこり笑うと涙が浮かんでいた。

僕は、シャドウのためなら、何だってするよ。

シャドウを離さないためなら・・・

違う、それは違うよと小さな声が聞こえる。




グレイ、本心は違うでしょう?




「違わない!レディなんか大っ嫌い!」
声を遮るように耳を塞ぎ、グレイはベッドに小さく身体を丸め、涙の止まらない目を閉じた。

風呂から上がったあと、しばらくしてレディがパウダールームをパジャマ姿でゴソゴソしている。
風呂に来たシャドウが、怪訝な顔でそっと後ろから聞いた。
「お前、なにしてんの?」
ドキッと、レディが飛び上がり、ブンブン首を振る。
「な、なんでもないんだ。ちょっとね、ちょっと。もういいよ。」
「ふうん。」
こそこそ帰って行く姿は、少しがっかりして見える。
「何か無くしたんじゃねえの?」
「・・・う、うん、タオルがね、部屋にあると思うから。」
「そっか。」

部屋に帰って一人、レディが今日着替えた服を探る。

無い・・・

あの、ネコのネックレスが・・

確かにバスルームに入るとき、グランドのネックレスと一緒にシャツのポケットに入れたと思ったのに・・
どうしよう。
なぜか怖くて、両手で顔を覆った。
あのネコが、歩いてどこかに行ったのだろうか?
ネックレスを思い返しては、胸元に手を当てた。

ここに、こうぶら下がっていたんだ・・

その重さと感触が、まだ身体に残っている。

お風呂の間も、付けておけば良かった。
なくすなんて・・・

どうしよう、怖い・・

シャドウに何と言えばいいんだろう。せっかく買って貰ったのに、一日もたたずになくすなんて、きっと怒って後悔するに決まってる。
みんな、呆れて怒るに決まってる・・
明日から、どんな顔で会おうか。
隣の居間では、グランドが帰ってきたブルー達と騒いでいる。
もう一度部屋を出ようとして、溜息をつくともぞもぞとベッドに潜り込み、布団を被った。
何度思い返しても、あのネックレスの行方がわからない。
確かにこの、グランドのネックレスと一緒にポケットに入れて・・
ああ、俺はなんてボウッとしていたんだ。
なくすなんて、なくすなんて!

また明日、もう一度探そう。
きっと、ある。きっと。

昔、綺麗な石をポケットに入れて、それをグランド代わりにして心の中で話しかけていた頃を思い出す。
穴の開いたポケットで何度もなくしては、がっかりしながらも探しに行く事ができず諦めていた。
でも、諦めないで探そう。
きっと、家の中にはあるんだから。

あるよ・・・きっとある・・・

レディはそう言い聞かせながら、隣から聞こえてくるグランドの声に、彼に相談しようかと迷っていた。
でも、グランドはきっとみんなに話してしまう。みんなに知られてしまう。

怖い、怖い、どうしよう、秘密にしなきゃ。

一人は怖い、一人は嫌だ。
・・一人に、なりたくない。

もう一度、もう一度朝早く探してみよう。

身体が小さく震え、急に寒くなって小さく丸くなって眠る。
寝返りを打って、隣のグランドのベッドを見た。
明日、グランドはグレイの指輪を買いに行く。
グレイに、きっと綺麗な指輪を買ってあげるんだ。

家族なんて・・もう・・・追い越されてるね・・

小さくつぶやき、自分の手の指を見た。
指輪って、どんな感じなんだろう。
指輪を贈ることとネックレスでは、意味が少し違うらしい。
研究所で博士達が、どうしてグランドはレディに指輪を贈らなかったのかと話していた。
サスキアでは普通、恋人には指輪を贈る物だそうだ。
それをじっと横で聞いていて、当たり前だと思う。
恋人は、グランドの中の一番だ。
俺はグランドが一番だけど、グランドは俺が一番じゃない。
博士達は、何でも研究対象にしてしまう。
研究所って、変なところ。
目を閉じ、ネックレスを握る手にキスをする。

そうだ、これをグランドにしよう。

ほら、胸の中の光りも、これで大丈夫。
一緒に守ってくれるね。
ネコのネックレス、なくしたこと秘密だよ。
そうだ・・秘密にしていたら大丈夫だ。
守ってね、グランド、俺を守って・・

キャアキャアと笑うセピアとグランドの声が響く。

目を閉じてキスを思い出すように指で唇をなぞった。
思い起こしても、あの瞬間が一番良かったと思う。
パッと心が温かくなって、それが身体中を熱くした。
生きてる!愛されてる!
それを感じた瞬間。
だからフリードにも勝てたんだと思う。
あの時、心がとても満たされて、不安より暖かい気持ちが勝っていた。

グランドを、とても近く感じていたんだ。

でも、サスキアに戻って自分は、まったくの勘違いをしていたことにようやく気が付いた。

あの日・・・・
あの日、早く帰らなければ良かった・・

研究所から、マキシに送って貰っていつもより早く帰ったあの日。
グランド達も、昼で帰ったのは知っていた。

だから・・
馬鹿みたいだ。
グランドを思い浮かべ、ドキドキしていた自分は馬鹿だ。

マンションのロビーで、キスをするグランドとグレイ。

ちょっと、びっくりした。
二人がエレベーターに消えたあとも、迷いながらやっぱり家に帰ろうと決めて・・
そして・・・



パッと耳を塞いでギュッと目を閉じる。
あの時、びっくりしながらも冷静に判断して、気付かれないように戻り、じっと近くの公園で時間を潰し、居間の電気がつくのを待って家に帰った。
判断に、間違いはない。
あの場合、恋人は、二人っきりにするのは正解だ。

でも、何だろう。

どうしてこんなに胸が痛いんだろう。
グレイとなら、別に不思議はない。
グレイは綺麗だ。
グレイなら、みんなの一番になるのも当たり前だ。
だいたい俺は、どうして最近、グランドの一番にこだわるのかよくわからない。
裏切られたとか、どうして思うのか分からない。
ただ・・・・・・
胸が、痛い。
苦しい。

ずっと待っていてくれたから、グランドは自分を1番に思ってくれる。
あの時のキスで、それが間違いないって、確信して思い込んでしまった。
グランドは裏切ったんじゃない、俺が間違ってたんだ。

誰の一番になれなくてもいい。
ただ、一人じゃないなら、それでいいよ。
嫌だと思うことも、じっと息をひそめてやり過ごせば。みんなと一緒にいられる。

自分の居場所を求めて、彷徨うのは嫌だ。
雨を遮る場所を求めて、ボロ切れを着て、食う物もない惨めな生活は・・もう、嫌なんだ。

目を閉じると、また旧カインのグレーの空が浮かぶ。
涙の浮かばない目を覆いながら唇を噛みしめ、眠ろうと何度もつぶやき意識を落ち着けた。






翌日朝、ブルーとセピアは砂漠へと出発した。
出勤がてら見送りを済ませた他の4人は、今のところ外地へ出る予定はない。
機嫌の悪いグレイと戸惑うようなグランドの後ろを、レディとシャドウが少し離れて追って歩く。
どうにも今日は、一日が長そうだ。
フウッとシャドウが大きく溜息をつくと、ドキッとレディが顔を上げる。
ん?と大きな犬歯を見せて笑い、シャドウが大きな手でレディの肩を抱いた。
「どうした?何だ、ネックレスしてくれば良かったのに。」
「あ、ああ、あれ、直した。」
「直したあ?またお前のもったいない病かよ、ネックレスってのは付けなきゃ意味ねーだろーが。」
「大事に・・するから。」
レディの胸が、心臓が張り裂けそうなほど脈打って苦しい。
結局暗い内から起きて、一生懸命隅々、それこそバスルームの排水溝まで何度探しても、見つけることが出来なかった。
どこに行ったのか、呆然としながら今朝は食事ものどを通らなかったのだ。
「大事にしないで普通に付けてくれよ、そんな大層なもんじゃねえしよ。」
「・・ん」
「まったく・・じゃあ、家で付けろよ。」
「だ・・駄目だよ。あれは出しにくいところに直したから、簡単には出てこないんだ。」
「チェッ、よく似合ってたのになあ。困ったもんだ。」
おどおど答えるレディに、ポンと頭を叩く。
「シャドウ!」
管理官室へ行く途中、廊下で女性に呼び止められた。「おう」と手を上げて答えながら、シャドウが彼女の元へ小走りで行く。
恐らくは付き合っている一人だろう。
レディはホッと胸をなで下ろして、一人管理官室に向かう。
今日、研究所に行くのは止めよう。
こんな気持ち、メンタルのプロであるマリアには、すぐに見透かされてしまう。
デスクワークは苦手だが、それでも仕事に忙しい方が気が紛れる。
歩きながら、不意に真後ろに気配を感じ、フッと横に視線を走らせた。
いきなりグイッと腕を掴まれ、驚いて顔を見上げるとダッドだ。
軍服の上着を肩に掛けて、上はシャツ一枚で着崩しているのに、だらしなくないのはどこか緊張感があるからだろうか?
暑い場所へ派遣だったのか、日焼けした顔でがっしりとした身体は引き締まっていた。
「久しぶり、お前の顔を良く見せてくれ。」
「なんだ、あんたか。」
後ろにいるミニーは、付き合ってられねえとヒョイと肩を上げて先を行く。
レディも怪訝な顔で溜息をつき、丁寧にその手を離した。
「俺、こんな所で迫られるの嫌い。」
「おお!それは悪かった。久しぶりで、つい嬉しくてね。昨夜帰ったのだが、隣を訪ねるには遅かったのでこれでも遠慮したのだよ。」
ダッドは、実はお隣さん。その隣はミニーだ。
最上階、今まで誰も入らなかった他の2室は、とうとう彼らで埋まった。
「そう、良かった。」
一応、冗談交じりに意地悪に返す。
そして冗談で気を悪くしなかったか、ちらっとダッドの顔を窺った。
「くすっ、君のそう言う自信のないところも私は好きでね。」
そう言って、ダッドが低く顔を突き出す。
「なに?」
「お帰りのキスは?」
呆気にとられ、プッとレディが吹き出した。
「あんた、ほんと面白い奴。」
大きな身体を起こし、ダッドがポンとレディの頭を撫でる。
「美人は、笑っている方がいい。」
「・・・・」
微笑む彼を見て、急に寂しそうに微笑み返すと、レディはクルリと踵を返し部屋へと走り出した。
「おい。」
痩せた背中を見送っていると、野太い声に呼び止められ、ダッドが振り向いた。
左の頬を真っ赤にして、シャドウがじろりと睨んでいる。
「ああ、シャドウさんか。」
ヒョイと肩を上げて、少し小馬鹿にした口振りで返した。
大きい身体2つが廊下を遮り、通る人は皆小さくなって端を通ってゆく。
「ちょっと来いよ。」
クイッと顎で指され、参ったなといった風にダッドが仕方なく付いて行く。
やがて薄暗く人がいない会議室へ入ると、クルリとシャドウが彼を向いた。
「あんた、レディにちょっかい出してるって?」
思った通りの質問に、クスッとダッドが笑う。
「まあ、君に言う事じゃないな。」
シャッとカーテンを開け、眩しい朝日の差すテーブルにドカッと座った。
「俺は、あんた達兄弟って奴らに、言いようのない怒りを感じている。」
片足、あぐらを組むように横に広げ、足首をもう一方の膝に乗せた。
その態度にシャドウがムッとして、ドンと片足をテーブルに上げる。
「兄弟のことは、それこそあんたに関係ねえ。」
シャドウも、タダの人間に自分達のことには立ち入って欲しくない。
立ち入られること自体が初めての経験だ。
どうもダッドは人生経験が豊富なようで、見ている目つきに隙がない。
ギリギリと睨むシャドウに毅然とした目で見つめるダッドと、バリバリと火花でも散りそうな2人だった。
「君達、それぞれのペアがつきあっているんだろう?ならばレディのことは、君には関係なかろう。」
「だから言ってるだろう、俺達兄弟はあんたが思っている以上に結束が固い。
レディには特に、絶対苦しむような目には遭わせたくないんだ。」
「苦しむ?俺と付き合えば?」
「あんたは普通の人間だ。俺達のことは何も知らない。知ったとき、顔を背けないとは言えない。」
ふむ、とダッドがアゴを撫でる。
「成る程、俺も随分安く見られた物だ。
しかし俺にしてみれば、彼をあのグランドに任せるのだけは許せないのだよ。」
「あんたはグランドとレディの繋がりがどれだけ深いか知らないんだ。」
「あんた達兄弟は、二言目には『お前は何も知らない』だな。
しかしたとえ昔を知っていても、『今』が問題なんだ。俺にはどう見ても、あいつが幸せそうには見えない。
・・そうだな、機嫌ばかり窺っているように見える。」
言われてグッとシャドウが息を飲む。

こいつ、よく見てやがる。

一息飲んで、気を落ち着ける。
成る程、グランドに聞いた以上に口が立つ奴だと足を下ろして立ち、腕を組んで一つ深呼吸した。
「あいつがいつも不安に駆られるのは病気みたいなもんさ。昔ひどい目にあって暮らしたからな。俺達はだから、あいつにだけはもう苦労させたくない。」
クッとダッドが笑い、腰を上げて立ち上がる。
そしてゆっくりとドアへ向かった。
「馬鹿馬鹿しい、だからあんた達の言う兄弟という絆など馬鹿馬鹿しいと言うんだ。
仲のよろしい兄弟という言葉を盾に彼を縛り付け、彼の自由を奪っていながら自分達は自由に生きている。
愛情を与えてやろうと目の前でちらつかせておきながら、心から愛することはない。」
「そんな事はないっ!」
シャドウが思わず叫んで、ハッと口を押さえる。
相手のペースに巻き込まれるなと心に言い聞かせても、すでに頭はカッカと熱い。
妙に言い返せないほど、いつも内心心配していることをズバリと言い当てられ、シャドウは背中が冷たくなって言葉が出なかった。
「あんたは・・・・・勝手なことばかり言わないで欲しいね。
あいつは人を信じることが出来なかったんだ。
感情を失い、声さえ失っていた。
レディが現状まで回復できたのは・・!」
「俺達のおかげだとでも?
そう言葉をついて出る事自体、自分が優位に立っていると日頃から思っている証拠だ。
あんた達兄弟のおかげじゃない、彼が努力して自分を取り戻したんだ。
彼の努力を、自分達の功績にすり替えて彼に刷り込むな。
あんた達の言う兄弟って言葉は、端から見るとひどくいびつだ。」
ザッと血の下がる思いとはこう言うことだろうか、シャドウも朝からとんでもない奴を捕まえたと今更後悔した。
まったく思い浮かぶ言葉も浅はかな物ばかりで苦々しい。
「そんな、事・・」

「そんなこと、ないっ!!」

ドアをバンと開け、グランドが憤怒の形相で立ちつくしている。
その後ろにはグレイが、そして手空きのスタッフがずらりと覗き込んでいた。
グランドはカツカツと中に入るとダッドの前にズイッと立ち、グッと背の高いダッドを見上げる。
ギリギリと歯を噛みしめながら、負ける物かと息巻いた。
「言いたいことはそれだけか?!
結局あんたがやりたいことは、レディアスを俺達から遠ざけたいだけだ。
わかった風な口を利いて、何が幸せに見えねえだ。
ずっと一緒にいるんだ、少しはすれ違いもあるさ。でも俺等は、何度もそんな事を兄弟で乗り切ってきた。
あいつの努力をすり替えるなって?馬鹿にするない!それこそ俺達に対する侮辱だ!」
一気に言い終えたとき、なぜかスッと部屋の雰囲気が変わった。
微かなざわめきが消え、シャドウの顔が緊張する。
ハッとグランドの背中に冷たい物が走ったとき、それはそれは低く刃物のように尖った声が真後ろから囁かれた。

「グランド君、ここで痴話喧嘩など、それこそ仕事に対する冒涜ではないかね?」

気が付けば、ダッドはきちんと敬礼している。
後ろにいるのが誰か、それを思うとグランドはゾッとした。
「え、えー、局長。これには色々とお・・」

「丁度いい!このたるんでいる3人は、トレーニングCメニューを本日3クール消化するように。」

「げえっ!!」
ウッと口を押さえたのはグランドだけ。
他の2人は筋肉お化け、ヒーヒー言うのは自分だけだろう。3クールだと、グランドには1日潰れるかも知れない。
「了解しました。」
ダッドが敬礼して答え、シャドウはヘイヘイとふてくされながら返す。
「ダッドはノルマをこなしたあと、私の部屋に来るように。」
「はっ」
局長が出たあと、グレイが2人に思わず駆け寄る。どちらに声を掛けて良いのか迷っていると、シャドウがフッと笑ってポンと肩を叩いた。
「あと、よろしくな。」
「シャドウ・・」
そうしてまるで学校の悪ガキ達のように、ぞろぞろと皆が見ている前を3人は、ゲッソリしながらトレーニングルームへと向かった。



グレイが管理室に帰ると、レディは変わらず自分の席で仕事をしている。
自分の事でこれ程騒ぎになっているのに、グランドに言われたからと動かない彼の態度にグレイはムッとした。
ドスドスと彼らしくもなく足音を立て、レディの斜め前の自分の席にガチャンと座る。
そこでようやく気が付いたようにレディが顔を上げた。
「レディ、何も聞かないんだね。」
何を怒っているのか分からない様子で、レディが不思議な顔をしてグレイを見つめる。
「シャドウもグランドも、それにダッドも今日はきっと夕方までこないよ。」
「・・なぜ?」
グレイがなぜと聞かれて大きく溜息をつく。
一々説明しなければならないなんてと、呆れてヒョイと肩を上げた。
「ダッドが関係していたら、普通ピンと来ない?グランドも巻き込んで問題起こしたんだよ!」
「ダッド?」
一体どうピンと来なければならないのか、何をグレイは怒っているのかわからない。
あの3人が何か騒ぎを起こした事の原因を、どうしてそこにいなかった自分がわかるのだろう。
離れた場所にある、新しい2つのデスクにいるミニーが、こちらを見てニヤニヤしている。
「くっくっく、そいつにピンと来いってのが間違いじゃねえの?美人さん。」
面白くてたまらないようで、グレイの後ろから声を掛けた。
「普通じゃない奴に普通の反応求めても無理だろ?見ろよ、自分の事で誰が争おうが意にも介さない。こんな奴に、何でダッドは惚れるかね?」
グレイがムッとして振り返る。
確かにピンと来ないレディにはイライラするが、それを他の人間に突っ込まれたくはない。
「ミニーさん、あなたには関係ないでしょ。僕たちのことに口を挟まないで。」
「おお怖!まあ厳つい男達がどうなろうが知らねえけどさ、そうして美人2人が座ってると目の保養にいいんじゃねえ?」
「ふん!」
周りにいた他のスタッフも、シャドウまで巻き込まれて怒るグレイには冷や冷やしていたが、茶化すミニーにクスッと笑って仕事に戻った。
レディも結局グレイに答えることなく、うやむやにしたまま仕事を続けている。
イライラが収まらないグレイは顔を上げてにっこり微笑むと、レディに静かに聞いた。
「あれ?ねえレディ、昨日シャドウに貰ったネックレスはどうしたの?」
ドキッとレディが胸に手を当てる。
グレイも、あれから騒ぎになると思っていただけに、何も言わないレディにはますますイライラが募っている。
シャドウのプレゼントをないがしろにされたようで、何か一言言ってやりたくてウズウズしていた。
「あ、あれは・・・直したんだ。大事な物だから。」
「あら、いやだ。でもグランドのネックレスはずっと付けてるじゃない。
どうせシャドウから貰った物なんて、大して大事じゃないんでしょ?」
「違うよ、違う。大事なんだ・・大事だから直してるんだよ。」
意地悪はわかっている。でも、レディが嘘を付くなんて思ってもみなかった。
すると、今夜見たいと言ったらどうするのだろう。
「ねえレディ、ネックレスは付けなきゃ意味がないよ。今夜もう一度付けて見せてよ。」
レディはうつむいたまま、ペンが止まって動かない。みるみる蒼白になって、白い顔が一層白くなる。
アッとグレイの胸が冷たく冷える。
自分は、何をしているんだろうと心のどこかで何かが囁いたとき、グレイの話しに興味を覚えたのか、書類を整理していたフレアがパッと顔を上げた。
「ええっ?レディったら、シャドウに何か買って貰ったの?珍しい!」
「え、ええ、でしょう?あいつったら、僕を差し置いてレディとデートだよ。それで、凄く綺麗なネックレスまでプレゼントしたんだ。
僕、妬けちゃう。」
「あら、まあ、そりゃ大変だ。レディも、それじゃあそのネックレス付けて来れないわよねえ。」
笑うフレアの助け手に、レディがうつむきながらそっと頷く。
何と言えばいいのか、どう言っても見せろと言われそうで怖い。
ギュッとカシスルージュを握りしめ、今はごまかそうと必死で仕事をしているフリをした。
「男が男からネックレスねえ、くだらねえ。」
ミニーがまたフンと鼻で笑って、毒づく。
「あーら、そう言うミニーだって、クローン研究所のイブにはご執心らしいじゃない?良く面会に行くんだって?」
グレイに言われて、ボッとミニーの顔が真っ赤に茹だった。
クローンのイブに会うため、わざわざ局長に許可証を求めて、勉強のためだとか言って頻繁に会いに行くらしいと、レディを迎えに行くグランドが門の守衛に話を聞いたらしい。
最近は、イブ自身もミニーを心待ちにしているようだ。
「ケッ、墓穴かよ、くだらねえ。さて、仕事するか。」
ミニーがようやくデスクに視線を落とし、グレイがレディにまた目を向ける。
無言で書き物をしているその姿は、やり過ごしホッとしたようにも見えて、グレイは昨夜のシャドウがまた浮かんできた。

あの馬鹿、いつだって、笑ってごまかしてばかり。
僕の事なんて、全然真剣に思ってくれない。
余程グランドの方が自分を大事にしてくれる。

「・・レディ、じゃあ今夜ね。僕もグランドに買って貰った指輪見せてあげるよ。」
「え・・で、でも、直してるんだ。」
「出せばいいじゃない。まさか、無くした訳じゃ・・」
「ちっ違うよ!直したんだ!奥に。簡単に取れない・・ところに・・」
意地悪なほどしつこいグレイに、だんだん声に元気が無くなってゆく。
「レディ、どうせ先に帰るでしょ。僕はグランドと買い物して帰るし、いいじゃない。」
「で・・も・・・・」
「無くしたんじゃないんでしょ?ならちゃんとつけて見せてよ。」
「・・・う、うん・・」
ほくそ笑むグレイの言葉に、レディの声がかすれ、手が心なしか震える。
どうするのかと楽しみなグレイは、シャドウのデスクにベーッと舌を出した。

午後、早々とノルマをこなしたダッドの姿は、その時局長室にあった。
シャドウに聞かれたこと、話したことを順を追って話し、手を後ろに組んだままデスクの前に立っている。
考え込む局長を不審に思いながらも、それを表情に出さずじっと局長の言葉を待つ。
たかが部下の痴話喧嘩にこれ程局長が介入するのも、ダッドには不思議でたまらない。
それは返せば、どんどん彼らへの興味が湧いていくと言うことだった。
「・・・ふむ・・で、君はレディに好意を寄せているのかね?」
「は?・・・はっ」
じっと、彼を見上げてキイッと椅子を鳴らし局長がふんぞり返る。
困った風に腕を組み、答えを探すように視線がダッドを探った。
「わかった、それも良かろう。
これを、クローン研究所の許可証だ。ドクターマリアに会って、彼の話を聞いてきたまえ。許可する。」
「彼の話・・・?」
「そうだ、電話で連絡は入れた。
つまり、君が真剣だと言うことはわかったので、それが必要だと判断したからだ。ドクターは今からでもかまわんそうだ、行きたまえ。」
「わかりました。」
ダッドが、許可証を受け取ろうと手を伸ばす。
その時、不意に局長の手がその許可証を押さえた。
「彼自身、極秘ではあるが危険ランクAAAの指定がある。精神的にもかなり弱い部分があるので、刺激しないように。」
「はい」
「彼ら6人は普通の人間ではない。それは頭に入れておけ。」
「はい」
「この事は一切他言無用。もちろん研究所で聞く事もだ。それを守る自信がないなら行く事を禁ずる。」
「ご心配なく。」
ニヤッとダッドが笑う。
もちろん信用のある人間だからこそ、特別管理官にもなり得るのであって、一緒に行動することが増える以上、この問題はなくとも6人兄弟のことの一端でも知っておく必要はある。
許可証をポケットに仕舞うダッドに、もう一度局長が身を乗り出す。
じろりと真剣な眼差しに、ダッドはこの局長こそ彼らの親代わりだと確信した。
「レディの、どこに惚れた?」
「彼の、不器用なところ。でしょうか?」
「彼は外見女のようではあるが、男だ。戦闘になれば、一切の人間性を捨てる。」
「そうですね、迷いが無いのはその為でしょう。初対面が模擬戦闘でしたから、面食らいました。」
「うむ・・・他に・・・何か聞いたかね?」
「他に・・とは?」
「他にだ。」
ダッドの脳裏に、先日の森での会話が何度も浮かぶ。
戦闘能力が高いから、精神的に強いとは言わない。それを小さい頃から闇の社会で生きてきたダッドは良く知っている。
だからこそあの時、寂しい顔で、ずっと求めながら満たされないレディの姿が、どうにも愛しくてたまらなかったのを思い出す。
「・・彼には、性交渉が一切出来ないと聞きました。」
はっきりと言うと、局長がうっすらと目を閉じる。
「それでも?」
「はい。」
大きく局長が溜息をつき、そして薄く微笑む。
ダッドが顔を上げて不思議に見ていると、局長がまじまじとダッドの顔を見返した。
「あれは、恋愛対象にはならんかもしれんよ。私から見ると、ただただひたすら保護を求める子供だ。それを恋愛感情とはき違えると、思わぬケガをする。」
「子供・・・ですか?なるほど。
それで女性スタッフも二の足を踏むのですかな?ファンは多いようですが。」
プッと局長が吹き出し、ホホホッと笑い出した。他の局員がいたら、驚いて腰を抜かすかもしれない。
「あれは人とのつきあいを知らない。みんな疲れるのさ。女は男を求めるが、あれは求められると身構えて警戒する。
ミサが以前デートに成功したと自慢していたがね、実は3時間一言もしゃべらず、縦になって町をぐるぐる歩いただけだそうだ。懲り懲りしたとよ。」
「ほう、それはおもしろい。しかし、私も忍耐力には自信があります。」
ククッと笑う局長に、ダッドがにやりと笑う。
「わかった、下がって良し。」
「はっ、失礼します。」
ダッドは敬礼すると、一つ礼をして部屋を出ていった。
パタンと閉まるドアを見て、局長が立ち上がる。そして窓から広がる景色を眺め、フッと微笑んだ。
「さて・・・・一つの波紋が、どう広がるか、だな。」

『過保護だな』
ドクターマリアがため息まじりに、先ほどの電話でそう返してきた。
「偉い奴らに、部下が翻弄されるのを見たくないだけさ。」
『既に彼らは、一応は人権も認められて人間らしく生きている。今更心配する必要もあるまい?』
「だからだよ。
まともな生活を与えて、府抜けたところを突いてくる。姑息な奴らの常套手段さ。特別管理官に普通の人間を配置させた時点で、それの準備段階とも見えるだろう?念には念を入れたが安心して眠れるのさ。」
『ふふっ、まさかその人間がレディに惚れるとはね。好都合か?グランドでは役不足かい?』
「私はね、小心者の恐がりなのさ。味方は多い方がいい。レディにはこれから敵も増える。」
あははっと、マリアが電話先で笑う。
『よく言うよ、狸ばあさん。
あの子は頭がいい。あの力は今まで隠してきて正解だ。無理に聞き出した私たちも、良心の呵責に苦しんでるよ。』
「そっちこそよく言う、狸ばばあ。お互い年を取ったね。」
フフッと笑い合い、電話を切った。
コールドスリープから目覚めさせたあの子達を、私達を信じるしかないあの子達を、自分達以外誰が守れるだろう。
利用しようと言う輩が、その爪を伸ばす前に。
味方を増やす必要がある。
それが信じる事を教えた、自分達のつとめだろう。
局長は目を閉じ、目覚めたばかりで不安そうな少年達の顔を思い浮かべ、くすっと微笑んだ。



ようやく仕事が終わり、結局グレイはグランドを引きずるようにして買い物へと街へ出た。
管理局を出る前、2人が探してもシャドウの姿はどこにもなく、グレイの機嫌は最高に悪化している。
レディアスは家まで歩いて帰ると言うし、グランドもどちらを取るかと胃がキリキリ痛む。
それでもほとんど自分の意志を表に出さないレディアスを置いて、こうして結局はグレイに押し切られる形で来てしまった。
「ハア、あいつに引っかかってたらどうしよ・・」
グランドの頭には、ダッドの力強い姿が目に焼き付いている。
今日半日ずっと同じメニューをこなして、まったくそれに付いていけなかった自分は、本当にポチがいなければ落ちこぼれだと、とことん思い知らされたような気分だ。
成る程、これも局長の嫌味だと、頭の中で何度も思いっ切り文句を叫んでいた。
「うう、身体がいてえ、きつい。明日はもっといてえだろうなあ。」
「何よ、だらしないわねえ。シャドウは飄々としてたわよ。ほら、グランド早く!僕が欲しいのはあっちの店だってば!」
「あ、あ、いててて、引っ張るなよ。うう、足が動かねえよお。」
夕食の買い物も終わってズルズル引きずられ、大きな宝石店に入る。そこであれっ?とグランドがショーケースにようやく目が行った。
昨日見た物より、一桁値が張る物がずらりと並んでいる。
ゲッと、見入るグレイの肩をそうっと叩いた。
「あのー、グレイさん。約束が一桁違うような。」
「あら、僕はそのつもりだったんだけど。」
平気で店員を呼んで指輪を出させる。
それは、レディに買ったカシスルージュを遙かに越える値段。
グランドはめまいを感じながら、「ほら」と見せるグレイの指から指輪をはずし、店員に返した。
「買ってくれないの?!」
「買わないとは言ってないけど、これじゃ話が違うよ。」
「どう違うのよ、レディにはあんないいネックレス買ったじゃない。僕には指輪買ってくれるんでしょ!」
「だから、俺は本当はあいつには指輪を買ってやりたかったんだ。でも、あいつは武器を使うときの手の感覚がとても敏感で・・ああ!もう、そんな事じゃなくって、こんな高いの買えねえよ!」
買い物袋片手に、グイとグレイの手を引き店を出る。
大勢の人の波を歩いて、空いた場所へようやく出ると、バシッとグレイが手を払った。
「グレイ!どうしたんだよお。」
「そうよね、どうせ僕はタダのセックスフレンドだもん。グランドは僕に指輪くれる気なんて更々無いんだ。」
うわっと、グランドが慌てて周りを確かめ、グレイを引き寄せる。指を立てて、声を潜めた。
「んな困ること言うなよ。好きでもないのに、あんなコトできるわけねえだろ。」
「あら、愛してくれてるんだ。」
「そりゃあ・・・うん。」
「レディの次?」
ウッとグランドが声に詰まる。
次、とはっきり言うと、更に墓穴を掘る気配。
「お、同じくらい・・かな?へへ」
笑ってごまかしたが、バシンと頬を殴られた。
「シャドウははっきり言うよ!嘘でも言うよ!グレイが一番だって!グレイが最高だって、大好きだって!」
グレイの緑色の目から、ポロポロ涙がこぼれる。
それでもいいと割り切ってグランドと付き合ってきたけど、この中途半端な状態にもう耐えられなくなっている。
誰も心から愛してくれない寂しさは、誰と抱き合っても心が空っぽで寒くてたまらない。
涙を流すグレイの姿に、グランドが寂しく微笑む。
「グレイ、俺はシャドウじゃない。シャドウにはなれないよ。」
グランドの言葉に、グレイもぽつりと返した。
「僕も・・・・レディには、なれないね。」
二人、顔を見合わせ寂しく笑う。
自分たちが悪いのか、かまってくれないシャドウが悪いのか、ろくに人付き合いもできないセックス恐怖症のレディが悪いのか。
いいや、誰も悪くない。
そう自分をごまかしながら関係を続けてきた。
「僕たち、シャドウとレディを裏切っているのかな?」
グレイの言葉に、さっと顔色を変えてグランドが背を向けうつむく。
レディを抱きたいという衝動を、グレイは受け止めてくれた。
それは、裏切りなのだろうか・・

『彼は、裏切られたと言ったよ』

ダッドの言葉が耳に残っている。
でも、レディに直接は聞けなかった。
何を知って、彼はそう言ったのだろう。
怖くて聞けなかった。
「・・グレイ、俺は・・感謝してるんだ。」
グランドの消え入りそうな言葉に、グレイが力無く微笑む。
「・・わかってる。グランドは苦しんでいたんだよね。わかってるよ。」
こぼれる涙を拭きもせず、グレイがうつむきグランドの背にこつんと額を当てた。
「でもね、やっぱり僕は、本当に誰かに愛してほしいんだ。だから指輪が欲しかったのかもしれない。指輪なんて、物でしかないのにね。」
「・・ごめん。」
「いいの、僕が悪いんだから。今は、グランドが僕の支えなんだ。・・だから・・いいの。」
グランドに抱きつこうとしたとき、不意に背後から抱きしめられた。
くんと鼻につく、それは大好きな人の香り。

「でも、お前は俺のグレイだ。」

グレイの背後から、低く力強い声がグレイの身体を包み込む。
「シャドウには、沢山・・女の人がいるじゃない。」
グレイが振り返りもせず、つぶやく。
「グレイ、女とは別れてきた。女を追いかけるのはもうやめる。裏切るようなことは、もうしない。」
「嘘つき、いつだって、そう言って・・」
「もう、お前の元に帰るんだ。」
後ろから、ギュッとシャドウがグレイを抱きしめる。
理由を承知の上で二人の関係に目をつぶってきたシャドウも、グレイの様子に区切りをつけることを決めた。シャドウ自身、今の状態は不毛だとわかっていたのだ。
自分の行為が、どれほどグレイを傷つけていたかは、実際二人の関係を目にして自分自身身にしみた。
そして、別れてきた女性たちも結局は皆、傷つけてしまった。
欲望に突き動かされた不実な行動で、信じてくれる人を傷つけるのは、もうやめよう。
シャドウはそう、決意したのだ。
「コンサートの時間だ、一緒に行こう。」
「シャドウ・・」
クルリとグレイが身を返して抱きつこうとする。その手が止まり、シャドウの顔を見てプウッとふきだした。
「何?その顔!」
「変?やっぱ。」
押さえるその顔は、右の目の下、左の頬が真っ赤に腫れている。しかもズボンの股間には、くっきりとパンプスらしき小さな足跡。
「ま、別れるのもスマートにやってきたわけよ。わかる?」
「スマートね、成る程。」
クックックッと笑って、グレイが抱きつきキスをする。
「あーあ、やっぱシャドウには負けるな。じゃ、俺も相棒のところに帰るよ。」
二人の様子に、グランドがニッと笑って指を立てた。
「あっ・・待って、僕・・」
グレイの顔がサッと曇り、グランドとシャドウを怖々見る。
「僕・・・大変なことを・・」
ワッと突然グレイが泣き出す。
「グ、グレイ?」
そして思わぬ話を聞いたグランドは、思わずグレイを責めようとして、やめた。
グレイよりも、何も言わないレディの気持ちがわからない。今までは、自分にだけは相談してくれた。
「何でそんなこと!・・いや、どうしてあいつは何も言わないんだ!」
ふっとシャドウがため息をつく。
「グランド、ブルーがな・・、レディはお前たちのことを知っていると。」
「うそっ!」
グレイが口元を手で覆い、ごくりと息をのむ。
しかしグランドは、ああ・・とがっくり肩を落とし、最近のレディの様子にようやくうなづいた。
「やっぱり・・そうだったのか・・」
自分では、わかっていた気がする。元々勘のいいあいつに、隠しおおせることなど至難の業だ。
しかし、都合の悪いことには目を向けようとしなかった自分が、すべて悪いのだ。
一時期突き放して、あんなに彼を傷つけ後悔していながら・・
「俺が、一番馬鹿だったんだ。」
肩を落とすグランドに、シャドウが首を振り、苦笑いで大きな犬歯を見せた。
「ま、俺たちが元気よすぎなのかもな。
ブルーが言うべきか迷っていたけど、あいつもテレパスだけに心労多いよ。きっと真っ先にハゲるぜ。」
ヒヒヒッと下品な笑いはシャドウらしい。
それでも、一番頼りになる。
「俺、どうすればいい?」
「そうだな・・・お前が本当に好きなのは誰か、思いっきり思い知らせればいいさ。」
「うふ、思い知らせるって何?」
グレイがまた、シャドウにキスをする。
シャドウがちらと目をやり、グランドにウインクした。
「よっくわかりました。じゃあな、シャドウ、グレイ。」
呆れたようにひょいと肩を上げ、グランドは慌てて駐車場へと駆け出した。

トボトボと、マンションへの道を重い足取りで帰るレディアスは、駐車場まで来て立ち止まり上を見上げた。

『・・レディ、じゃあ今夜、僕もグランドに買って貰った指輪見せてあげるよ』
『無くしたんじゃないんでしょ?』

グレイの微笑みが、ズシッと胸に重い。

・・・どうしよう

何度探しても見つからないあのネックレスは、もう何と言ってもごまかしが利かないだろう。
なくしたなんて、とても言えない。

なくした、なんて・・・

両手で、ぱっと顔を覆って胸のルージュを握りしめる。
グランドがグレイに買った指輪も、見たくない。
グレイは、きっと喜んでみんなに見せるだろう。自分はそのとき、どんな顔でなんと言えばいいのか思い浮かばない。

グランド・・・・

レディがくるりときびすを返し、裏手の公園へと駆けてゆく。
家に帰りたくない。帰れない。
帰らなかったらグランドは、心配してくれるだろうか?
何を頑張っても、自分は誰の一番にもなれやしない。
誰も必要としてくれない。

一人は嫌だ、一人は・・一人は、嫌なのに。
誰か、手を繋いで。寒いんだ。心が、身体が。

ギュッと胸のルージュを握りしめ、心の中で叫びを上げる。
日が沈んで風が冷たい。
これからどんどん気温が下がる。
レディは公園をぐるりと見回し、子供が遊ぶトンネルにゴソゴソと入って座った。
膝を抱え、小さくなって目を閉じる。
夕暮れのシンとした中を、時々風の音が木をざわめかせる。
心を落ち着かせるため、一つ、息を吐いた。

ああ・・・
グランド、グランド、無いんだ。ネコのペンダントが、無いんだよ。
一生懸命さがしたのに。
昨日シャドウが買ってくれたのに。

どうしよう、どうすればいいんだろう。
ウソなんて、どうしてついてしまったのか。
グランド、本当のこと、言えなかったんだ。

ヒュウウウウ・・・

風の向きが変わり、トンネルを突き抜ける。
身体がブルッと震えて、ギュッと手に力を入れた。
遠くから、足音が近づいてくる。
でも、何も考えたくない。
あれは兄弟とは違う。
じっとしていると、その足音がトンネルの横で止まった。
誰でもいいと無視していると、人の気配がこちらを覗き込む。

「こんばんは、お茶でもいかが?」

男の声、その声はダッドだった。
そうっと顔を上げると、ニッと笑って親指を立てる。
「君に聞きたいこともあってね。どうかね?こんな寒い所はやめて、うちの暖かい部屋でお話しでも。」
「何にも話したくない。」
「ま、そう言わず。・・・そうだ、昨日ちょっと拾い物したんだ。まあ、俺にとってはちょっとじゃないんだが。
臭い思いしたんだから、君との口実に使わせてくれないかね?さあ、お手をどうぞ。」
そう言いながら、ダッドが手を差し出してくる。

拾い物・・・?

ようやくそこでレディが顔を上げ、フフッと笑うダッドが差し出す手を、じっと見つめた。
「君の不器用さは、筋金入りだな。」
参ったように出した手を引っ込め、ふと考えて手招きに変えた。
「さて、どうしたら来てくれるかね?」
もう、どうでもいい気がして、レディがようやくトンネルを這い出す。
「よし、行こう。」
するとダッドがすかさず彼の手を握りしめ、そしてマンションへと引いていった。

繋ぐ手が、2人の間でブラブラと揺れる。
最近、グランドはほとんど手を繋いでくれないから、この久々の暖かい感触にうっとりする。
手と手のふれあいが、手先から温かい心を流し込んで身体を包み込んでいく気がするのだ。
子供みたいな事と思いながら、レディは手を繋ぐのが一番好きだ。
それだけで今一人じゃないのだと、なぜか心が落ち着く。
そしてダッドは、いつも自然に手を繋ぐ。
レディもいつもと違い、ただそれだけのことに急速にダッドとの距離が縮まっている気がしていた。
「あんた、嫌じゃないの?手を繋ぐの。」
「君は繋ぎたいだろう?顔がそう言ってるよ。」
「顔?変なの。」
「変じゃないさ。自然なことだよ。」
「自然?グランドは恥ずかしいって・・じゃあ、何が本当なんだろう・・」
「したいことが自然なのさ。」
「ふうん・・」
グランドが恥ずかしいと言うから自分も恥ずかしいことだと認識していたけど、違うんだろうか?
たまにグランドからつないでくると、子供みたいと言うのが決まり文句だったのに。

・・ダッドは、何か違う。

歩いてマンションまで帰り、エレベータで上に上がる。
兄弟の家の隣がダッドの家。
自分の家を見ながら違う部屋の鍵が開くのを待つなんて、何だか奇妙な感じだ。
ピッと鍵を開けて、ダッドが振り返る。
「どうぞ、入りたまえ。」
うつむいたまま、足が進まないレディの手を握り、ダッドが部屋に引き入れた。
「君達の部屋、靴を脱ぐんだろう?
うちはそのままいい、俺は面倒なのでね。」
顔を上げると、基本的な間取りは同じだが、広さが段違いに狭い。
兄弟の部屋は、特別に2部屋を使って改装してある特別仕様だ。
彼らは普通に暮らしていても、最初はその生活自体が軍の監視下に置かれていた。
この部屋も、当初は軍の管理人が住んでいたのだ。
そうっと入って行くレディが中を見回すと、家具が少なく、居間にはソファーとテーブルが一つずつに、大きなスタンドが一つ。そしてドアを開け放した寝室には、部屋いっぱいのダブルのベッドが一つ覗いている。
物が少なくシンプルで、散らかり気味の兄弟の家とは随分感じが変わった。
「座って。美味しいココア入れてあげよう。」
「ココア?あんた、ココア飲むの?」
「飲むよ、好物だ。俺のはひと味違うんだぜ。」
上着をソファーにポイと投げ、ダッドがキッチンに立ってガンと鍋を火に掛ける。
それを覗きに行くと、壁のケースにずらりとナイフが飾ってあった。
「わっ、沢山だ。」
「ん?ナイフかね?そう言えば君もいいナイフを持っていたな。ブレードが黒い合金の。」
「いつも、持ち歩いてたんだけど・・今は駄目なんだ。」
あの、研究所で騒ぎを起こしてから、サスキアでのナイフ所持を禁止された。
彼にとって武器は精神安定剤でもあるから、おかげでずっと落ち着かない。
「まあ、君にナイフは爆弾持たせるような物だろうからね。銃も変わった物を持っていたじゃないか?あれも君の趣味?」
「・・・ああ、変わってて、好きなんだ。」
「古い銃だな、確かアーク社の・・ヘブンズアーク10だったか。あの会社はいい物を作ったが、今はない。」
「ふうん、知らない。カスタムとか、技術管理のシンレイが全部やってくれるから。」
「君の使い方は荒っぽい。あれを楯にも使うだろう?良くフレームが持つよ。」
「ふふ、らしいね。シールドにって、合金でフレームカバー作ってくれた。撃つとき壊れたら、手首まで吹っ飛ぶだろうな。」
平気で恐ろしいことを言うレディに、ヒョイと肩を上げてダッドが呆れる。
そうなっても、まるで構わないとでも言いたげな彼は、命に対して投げやりにも見えた。
「君は、まるで今死んでも構わないとでも言いたげだな。」
コトンとココアをカップで差し出し、カウンターに座るよう勧める。
遠慮がちに座ったレディが、一口飲んでポワッと微笑んだ。
「ほんとだ、美味しい。」
ダッドが思わずピュウッと口笛を鳴らす。
「そんな顔で言われたら、君をここから出したくないね。」
クスッと笑って椅子を持ってくると、向かいに座って足を組んだ。
ふと目をそらし窓辺を見ると、大振りの木が2鉢並んでいる。
少し元気がないのは、彼が留守がちだからだろう。
見ていると、ダッドがフフッと笑った。
「良く枯れないと思うだろ?置きみやげさ。」
「何の?」
「別れた嫁さん。」
「・・ふうん」
「上官に言われて結婚したはいいが、俺は退屈なのだそうだ。ひと月もたなかった。」
「ふうん」
「ふふっ、変だな、いつもはこんな事話さないんだけど、君には話したくなる。」
レディは聞いているのか、ココアのカップを両手で包み、それをピトッと頬に当てている。
気持ちよさそうに、目を閉じて微笑んだ。
「ああ、あったかい。」
「君は、寒がりだね。」
ダッドがソファーに行き、脱いだ上着を取ってレディの肩に掛ける。
そしてボンとソファーに座った。
「どうして?あんな所にいたのかね?」
ドキッとレディが胸を押さえる。
そこは、昨日ほんの一時ペンダントのあった場所。
忘れたいのに、忘れてはいけない物。
「・・・な・・くした・・から・・・・」
「帰りたくない?」
こくりと元気なく頷くレディに、フフッとダッドが微笑む。
あの、派遣地とまた違った彼の姿に新鮮さを感じながら、悪態を付いてばかりのミニーに見せてやりたい気がした。
「何なくしたんだい?」
レディが胸元を掴む手に、ギュッと力を入れる。
買って貰って、じわじわと嬉しさがこみ上げていたのが夢のようだ。
この胸にあのネコは本当にいたのか、この恐怖は悪い夢じゃないのか、胸にシャツを通してガリッと爪を立てた。
小さく手が震え、激変する様子に気が付き、ダッドが身体を起こす。
「見つからなくても、誰も責めたりしないだろう?それが君の物なら。」
自分の物?
自分の物だろうか。
シャドウは付けろと言い、グレイは見せろと言う。
あれは誰の物だろう。
プレゼントって、何だろう。
「わからない、でもみんなが干渉する。」

嫌われるのが怖い。
一人は、嫌だ・・

孤独と空腹と寒さに震えながら、一人で見上げた旧カインのグレーの空が思い浮かび、レディの体が微かに震えてカップがカタカタ鳴った。

もうすぐ、グレイは帰ってくる。
グレイは機嫌が悪そうだ。
見せろと迫られたら、もうただ謝るしかすべがない。

きっと、皆に嫌われて、・・・一人になるだろう。

沢山囲まれていながらの孤独は、戦時中に嫌と言うほど味わった。それはまるで暗闇に一人立ちつくすような・・頼る物のない恐怖だ。

震えるレディの肩に、ダッドが後ろから手を置いた。
「大丈夫さ、きっと見つかるよ。」
ゆっくりレディが首を振り、蒼白の顔を上げる。
探しても、探しても無かった。もう、何もかも諦めるのには慣れている。
でも、やっぱりつらい。
何かまた、暗闇に一人立っているような、そんな気さえしてくる。
「彼には?あのグランド君には相談したのかね?」
言えるわけ無い。無言で首を振る。
「君は、グランドとは恋人?それとも家族?」
「・・・・か・・ぞく。兄弟。」
「好きなんだろ?」
「・・・兄弟、だから。」
「でも、血の繋がりはない。」
ハッと、レディが顔を上げる。
ダッドがぽんと頭をなでて微笑んだ。
「研究所で聞いてきたんだ。ほんの少しね、君達のこと。」
「・・・そう・・」
レディが寂しく肩を落とす。
秘密さえ、人間たちに操作される。
どれだけのことを博士たちは話したのか、話して欲しくないと希望するのも許されないのか。
結局は自分たちは、軍の管理下から離れられない。
それを一時でも忘れられる、グランド達がうらやましい。
人間に隷属していた自分は、いつも心の隅で他の人間の顔色をうかがい、そしていつも諦めている。
「・・嫌いに、なっただろ?変な力持ってるの、気味が悪い?」
「いいや、君は君だ。言っただろ?俺は君に惚れたんだ。」
そう言ってもただ無言でうつむくレディに、ダッドは今日研究所で聞いてきたことが頭をよぎる。
今日、ダッドは彼ら兄弟のことを、最低限聞いて来た。
彼らが旧カインの人間であると言うことには驚いたが、彼らの中でもレディだけがレダリアのクローンと共に最前線で戦ったことは何となく頷けた。
戦闘時の思い切りの良さには、殺すことをいとわない残酷さが垣間見える。
それは、平和な今のカインでは異常なことだろう。
そしてそんな彼らはいまだ未知な事が多いからこそ、軍の監視下に置かれているらしい。
だから、兄弟として結束が固いのだろう。
彼の担当であると言うドクター・マリアは、ダッドに彼と向き合うならば真剣にやれと釘をさした。
半端な気持ちは彼を傷つける。

彼は、もろく傷つきやすい。

しかし、それは闇の世界を生きてきたダッドには良く分かることだ。
人間性を否定され、押さえつけられて生きていた人々を幼少の頃ずっと見てきた。
そんな人々を、自分はあまりにも無力で、見守ることしか出来なかった。
そして、とうとう最後は逃げ出したのだ。
心に、傷があるのは自分も同じ。
人は誰しも、恐怖と不安を背負っている。
レディアスに感じるのは、同情じゃない。
彼を一番理解できるのは自分だと感じた。
そして、彼も自分を理解してくれると。
たった一月も一緒に暮らすことが出来なかった女は、ダッドに別れ際こう言った。

『あなたといたら、家が戦場のよう。弾が飛んでくるわけじゃないのに、どこか緊張感があって恐ろしい』

自分も、彼と同じだ・・・

「君は、どうしてそう不安なんだろうね。」
答えがわかっているようで、改めて口を出た。
言われてふと、レディが顔を上げる。
この不安に、複雑な理由はない。
それは、ただ一つの、一瞬の記憶。

グレイとグランド、抱き合う2人。

忘れていたような気がする。
ずっと自分自身目をそらしていた。
もう、子供じゃない。
いつか、やってくるとは思っていたあの時。

・・自分は、手を繋ぐことしか、キスまでしかできない。
心は、まだヒビだらけで、身体で愛されることに耐えられない。
これで誰かの一番になりたいなんて・・



グランドの、キス・・・



暖かな唇が、心を優しく包み込んで何かを心いっぱいに満たした。
でも、違う。
答えを間違えている。
キスには、沢山意味がある。あれは恋とは違う。
恋って、愛ってなんだろう。

でも、これだけはわかる。

俺は、家族以上に愛されてなんか、無かった。

愛されているって、どうして、そう思ってしまったんだろう・・・・思いこんだんだろう。
キスは、意味を間違えるとつらい。
胸がずきずきして、答えを探すのが困難になる。
今はもう見回しても、答えなんかどこにも見つからない。
ずっと手探りで求めていた心は、いつの間にか違う方向へ、ただ一人歩きしていた。

唇をかみしめ、ただじっとたたずむレディに、ダッドが握りしめるレディの手に手を添えた。
ひざまずき、見上げるレディの泣きそうな顔に、もういいと首を横に振る。
「レディアス、失った物は一つだ。すべてを失ってはいけない。」
「ダッド・・・」
真っ白に色を失った顔を上げ、レディがダッドを見つめる。
ダッドは彼の手を握り、そして片手で上着のポケットを探った。
「それは、もしかしてこれじゃあないのかね?」
チャリンとポケットから取り出し、レディの手に銀の鎖を握らせる。
「あっ!」
それはゆっくり持ち上げると、目に焼き付いていたあの透かしのネコその物だった。
「ああ!ああ!どうして、どうして?ああ、良かった!良かった。
ネコが歩いたのかな?シャツのポケットから、どうやって逃げちゃったんだろう。」
切れ長の目をまん丸にして、大切そうに両手で包み込む。そしてギュッと胸に押しつけた。
「ダストシュートに・・・落ちていたんだよ。」
「ああ、なんだ、そっか。ゴミにまぎれちゃったんだ。良かった!シャドウとグレイも、これで怒らないよ。良かった!」
ダッドが思わず目を丸くする。
兄弟を疑う事もしないのか・・・

昨夜、以前のマンションと間違えてボタンを押し違い、下の階で降りたダッドはそのまま階段で上がっていた。
そして人の気配を感じ隠れて見ると、あのグレイがダストシュートにネックレスを捨てていたのだ。
その時は、また痴話喧嘩かと思った。
しかし・・

『シャドウは僕の物なんだよ。汚い手で、触らないで』

あの言葉。

気になってそのまま下に降り、結局管理人に電話して集積場を探してしまった。
自分で考えても、疲れているのにご苦労なことだと思うが、それが幸いしたと思う。

・・・しかし
・・君にとって、兄弟は絶対なんだ・・・

「良かったよ、君の力になれて。」
「ああ、ありがとう。
良かった、シャドウのプレゼントなんだ。大事な物なのに、でも、すぐになくして・・・
今度は絶対なくさないよ。絶対離さない。絶対、絶対、大事にしないと。絶対、なくしちゃ駄目だ・・」
ギュッと手が白くなるほど握りしめ、首に掛けようとしてまた握りしめる。ポケットに入れては出し、せわしなく身体を探る。
一体、どうするつもりなのか。
また無くすかもしれないと言う、新たな不安が彼の心に見える。
「レディアス、家族なんだろう?なくしたらそう言えばいいじゃないか。」
「駄目だ、そんな事。
これはシャドウのプレゼントなんだ。だからとっても大切な物なんだ。なくすなんて・・
俺が馬鹿だったんだ。」
一体誰にとって大切な物なのか、彼にそれはわかるのだろうか?
家族と暮らしていながら、その中でなんてギリギリで暮らしているのだろう。
これではプレゼントその物が、彼に大きな負担になってしまう。

プレゼントは、もっと喜んでいい物のはずなのに・・

ダッドが棚から小さな箱を取り出し、そして中身を放り出すと彼に差し出した。
「なくさないように、俺が預かってやるよ。
ほら、これに入れてこのナイフと一緒に置いておこう。」
「え?で、でも・・」
「兄弟に聞かれたら、隣りに預けたって言えばいい。それはウソじゃない、俺も預かってると言っておこう。」
ホウッと彼の顔が緩む。
「いいのかな?」
「いいさ、また無くしたら大変だ。ここは俺以外は君しかいない。」
レディが手の中のペンダントを見つめ、そして微かに頷く。
そしてキスをして、そうっと箱に入れた。
「大丈夫かな?」
「大丈夫さ、俺が責任を負うよ。君の心の負担が軽くなるなら、俺は何でもしてやるさ。」
ダッドが箱を棚に上げ、そしてやっと微笑む彼の頭をクシャッと撫でた。
「美人は、やっぱり笑っている方がいい。」
「俺、美人じゃないよ。」
「綺麗だよ、君は純粋すぎるんだ。」
「綺麗なんかじゃない。綺麗だったら・・良かったのに。」
「綺麗だ。俺にとって、君は最高に存在価値が高い。是非とも一緒に暮らしたいね。」
「フフ、きっと後悔するよ、俺は何にも役に立たない。誰の役にも立たない。
できることなんて・・・本当に少なくて、普通じゃないから。」
「俺にとっては必要なんだ。ほらごらん、この殺風景な部屋が、君一人のおかげで高級ホテルのようだ。」
ダッドがふざけて部屋を見回し、ウインクする。するとレディがようやく笑った、
「フフ・・面白い人だ。あんた。」
「出会って良かった・・そう思うよ。今は力になれるだけでもいい、また困ったときはいつでも逃げておいで。」
「力に?・・逃げる?何から?」
逃げる術も知らない彼に、ダッドがフフッと微笑む。
「すべてからさ、お礼はキスでいい。」
「また?」
パッとレディが笑う。そしてカシスルージュのネックレスを握った。
「駄目だよ、グランドが駄目って言ったんだ。」
「だったら余計だね。」
「駄目って・・」
ダッドがいきなり抱きつき、そのままソファに二人して倒れる。
そしてそのまま押しつけるようにキスをした。
唇を離すと、アイスブルーの瞳が揺れてレディの顔がまた困ったように引きつる。
小さく唇を振るわせ、悲しい顔で目をそらした。
「家族は、もっと信じていいんだよ。」
ダッドの言葉に、ドキンと胸が鳴る。
信じると、あれ程素直に誓ったのに、あれはいつのことだろうか。

『美しい物は、壊れやすいものだよ』

フリードの言葉に、懸命に首を振る。
いいや、うつくしいものは、まだ心に光っている。
ネックレスはあった。
あったんだ、何も問題はない。静かに暮らせばそれでいい。

・・でも、見つからなかったらどうなっていたんだろう・・
兄弟達は・・・グランドは・・・?

ドンドンドン!ドンドンドン!

ハッと、2人が玄関に目をやる。

「いるんだろ!レディアス!レディアスいるんだろ!ダッド、開けろ!」
ドンドンドン!

アッと、慌ててレディが起きあがろうとするのを遮り、ダッドが立ち上がる。
玄関へ行き、ガチャンと鍵を開けたとたんグランドが飛び込んできた。
「レディアス、出せよ。一緒にいたの、ちゃんと上から見てたんだ。なんであんたの所にいるんだよ。」
凄い剣幕で怒鳴り立てるグランドに、ダッドがグイと肩を押す。
そして出て行けとばかりに外へ押し出した。
「何すんだ!痛いだろ!離せよ!」
「君、今まで誰といた?」
「あんたに関係ない、レディアスを・・」
「誰といた?」
ズイッと迫るダッドの迫力に、ウッと思わず引いた。
ここでグレイの名を出したら殴られるか、いや、そこまでしないか。
「グレイと、買い物の約束があって・・」

ボカッッ!!「ぶっ!」

思い切りダッドに殴られ、グランドが後ろに大きくよろける。
口の中が切れて、血の味がムッと口の中に広がり、鼻血がだらりと鼻から出た。
「い、いてええ!!何すんだよ!この・・いっつつ、ひいってえ・・」
慌ててハンカチ取りだして、鼻を押さえて上を向く。
「この野郎、何すんだいきなり。ウウウ、鼻血出たあ!くそお!」
「おや、それはご愁傷様。血の出る思いを彼は今までしていたんだ。お互い様で、丁度いい。
レディ、おいで。この馬鹿は俺がカツ入れたから。」
恐る恐るレディがダッドの後ろから顔を出す。
ダッドは彼の手を取り、そしてまた頬にキスをした。
「ああーーっ!この野郎!またキスしたな!」
叫ぶグランドを無視して、ギュッと身体を抱きしめる。
呆然としているレディに、優しく囁いた。
「じゃあ、また美味しいココア飲みたいときはおいで。いつでも何かあったら相談にのるよ。」
「うん。」
コックリ頷くレディが、パッと微笑んでグランドの元へ駆け寄ってゆく。
そしてじいっと彼の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「どうしたのって・・お前のせいで殴られたんだろーが!」
フガフガ喋る彼に、ダッドがまたハアッと拳に息を吹きかける。
「レディのせい?君はまだ自分の落ち度を認めないようだね。」
「い、いや、認めねえっつーか・・・なんでだよお!」
「ああ、そうそう。彼が誰からか貰ったペンダント、また誰かさんに捨てられないよう俺が預かったから。その件に関しては彼に聞かず俺に聞くように。いいね?グランド君。」
ギラリと圧迫感のある視線に、ドキッとグランドが思わずすくむ。
「な、なんで、あんたがそれを・・」
ダッドはペンダントのことを知っている。
しかもグレイがダストシュートに捨てたはずのそれを、ダッドが預かるだって?
つまり、何かあったことは明白だ。
そしてそれを起こしたのは、元をたどれば自分なのだ。
「いいね?グランド君?」
念を押すようなダッドに、グランドは鼻を押さえながらコックリ頷いた。
「はひ。」
「よろしい、ではごきげんよう。兄弟仲良くな。
お休み、レディアス。」
「うん。」
「うんじゃなくて、はい。」
「はい。」
にっこり素直に笑うレディアスの顔が輝いている。
ダッドは軽く手を上げ、そしてドアを閉じた。
じいっとグランドがレディの顔を見て、その明るい表情に苦い顔で笑う。
「えーっと、何があった?と聞くのは・・・駄目な訳ね?」
レディは笑うだけで無言。
そんなに器用な奴でもない。

でも、お前は知っていたんだな・・・
黙って、いったい何を考えていたんだ?

「レディアス・・・」
グランドが見つめ、そしてフッと笑ってうつむき首を振る。
「ま、いいか。」
「グレイは?」
「え?ああ、グレイはシャドウとデートさ。きっと遅くなるから、久しぶりに二人っきりだな。」
「・・・そう・・」
「さて、部屋に入るか。」
グランドが、ドアの前に置いた買い物袋を下げ、ピッと自分の家のドアにキーカードを差し込む。
「腹、減った?」
「うーん、ちょっとね。」
「食いに行くか?」
グランドの問いにプルプルと首を振り、レディがガチャンとドアを開けた。
「俺、グランドの作った物が食いたい。」
フッ、キュンと来ること言ってくれるぜ。
「よしっ、今日はいい肉沢山買ったんだ。2人で食っちゃおうぜ。」
「うん。」
「俺も局長にいじめられてクタクタよ。」

「やわだな。」

部屋に入ろうとした時、廊下からダッドの声が響いた。
だっとグランドが飛び出し、ドア先に立つダッドをキーッと睨み付ける。
「てめえ!立ち聞きは下品だぞ!」
「ほう、君の口からお下品ね。私は1秒でも長くレディの声を聞いていたいんだよ。」
ドアから顔を出すレディが、不思議な顔で二人を見る。ダッドがにっこり手を振ると、グランドがあわてて彼の腰を抱いて舌を出した。
「このストーカー野郎、絶対こいつは渡さねえからな。さっさと諦めな!」
「フ、まあせいぜい思い出でも作りたまえ。じゃ、レディアスお休み。」
「え?あ、ああ、おやすみ。」
レディがにっこり返し、バタンとダッドがドアの向こうに消えた。

こんの野郎・・

グランドの手が、ワナワナ震える。
「お、思い出だとお?・・口のへらねえ爺だ!このクソ野郎!てめえ覚えてろよ!絶対今度殴り返してやるからな!」
負け犬の遠吠えがワンワン、マンション廊下に響く。
レディはそのグランドを通り越して隣のドアを見ながら、ダッドの手のぬくもりが残る手をそっと頬に当てて目を閉じた。