桜がちる夜に

HOME | カインの贖罪  夢の慟哭 4

更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  夢の慟哭

>>登場人物
>>その1
>>その2
>>その3
>>その4
>>その5
>>その6
>>その7
>>その8
>>その9
*拍手ボタン設置しました、押して頂くとはげみになります。
掌編掲載しています。

「その4」

夜、クローン研究所のICUに、所長のカイエが顔を出した。
中には数々の点滴に繋がれ、呼吸も浅い状態のアリアとレモンが眠っている。
横には居住区の責任者の一人であるクローンのベリーが、もう一人のショートという5,6才ほどの小さな少年のクローンと並んで座っていた。
「まだ、2人は戻らないかい?」
「あ・・はい。あの・・ドクターマリアが付いているようにと・・」
ベリーが少し緊張して立ち上がる。
カイエはフッと微笑み、ポンとベリーの頭を撫でた。
「何も言ってないよ。ベリーは僕の前じゃ相変わらずだね。」
「す、すいません。お仕事は済ませましたから。」
小さく肩をすぼめ、カイエに頭を下げる。
ベリーは昔、マフィアのボスをマスターとして、あらゆる犯罪に使われていた。
何か失敗すると、ボスにこっぴどく折檻を受けていただけに、ここに保護されてからも所長だけには身体を硬くする。
「2人がいないと、受付が寂しいね。」
「受付は、すでにルークとレインがおります。何も支障はありません。」
きびきびと答えるベリーに、カイエがフッと息をつく。
誰かが欠けてもすぐにすげ替える。
誰かがいなくても、仕事に支障はない。
こういう考え方が、クローン特有だが寂しい事だと知っているのだろうか?
何度それを教えても、クローンにとって自分という存在は軽い。
「カイエ!カイエ!所長!」
バタバタと、廊下をマリアの声が近づいてくる。
「マリア!ここだよ!」
部屋から返事をしながら出ようと足を向けた時、マリアが飛び込んできた。
「カイエ、来て!興味がある情報が……」
「なんだい?」
バタバタと、二人して出て行く。
ベリーがホッとしてうなだれると、ショートが大きな赤い瞳をくるくるさせて彼の顔を見上げた。
「ベリー、所長、悪い奴?」
「違うよ。いい方なんだけど、僕が駄目なんだ。どうしてもね、以前のマスター思い出しちゃって。」
「マスター?主様?ベリーの主様、悪い、だった?」
「だろうね、人間に捕まって連れて行かれたんだ。僕はその時保護されたんだけど、ひどく叩かれて動けなくなっていたよ。その頃にはもうマスターも、何だか仕事が上手くいかなくてイライラされていたからね。僕は毎日のように叩かれてびくびくしてた。その名残かな?」
「そう・・・ショート、主様、死んだ。もういない。」
「そうだね、ショートはおばあさんと暮らしていたんだよね。主様が死んで、心が空っぽになっちゃった?」
「うん、主様、悪くない人。でも、ずっと、最後、病気世話、だった。」
「そう、ショートは身体が小さいから大変だったね。」
「うん、大変。でも、主様、死、死ぬ前悲しそう、だた。」
「どうしてだろうね。ショートは一生懸命仕事をしたのにね。」
「うん、仕事、いっしょけんめ、した。何か、悪かった、か。」
ショートは一人暮らしの老女と山中で畑を手伝いながら暮らしていた。
しかし老女がやがて病死し、どうした物か遺体と過ごしていた所を、尋ねてきた知人に見つかり通報され、先月保護された。
まだ主への固執が強く呪縛は解かれていないが、子供としてかわいがられ穏やかに暮らしていただけに、精神的に落ち着いている。
ロットナンバーから、まだ解明されていない最終ラインで少数作られたプロトタイプらしいが、仕様とランクが不明だ。
ショートは、記憶がやや鮮明ではなかった。
「でもね・・」
ベリーはショートのふわりとした栗色の髪を撫で、優しく話しかけた。
「人間は、心と顔がとても複雑だって、ドクター達が教えてくれたよ。心のままに表情には出ないんだって。
だからね、ショートのマスターも・・悲しい顔だったけど、本当はどう思っていたのかはわかんないよ。」
ショートが不思議な顔で、首をかしげる。
人間は複雑でわかりにくい。
「ち、がう?悲しい、違う?
ベリー、ね、ね、悲しい、悪いこと?嬉しい、良いこと?」
「さあ、人間の感情は、僕よりショートの方がよく知ってるんじゃないかな?主様の思い出は、ショートの心に人間の情報として残ってる。」
ショートの肩をギュッと抱いて、2人でレモンの手を握った。
「レモン、死ぬ?アリア、死ぬ?」
ショートには、主の老女が死んだ時の記憶がある。それが悲しい記憶かよくわからない。
ショートには感情が半分欠如していた。
いちいち、それがどういう感情を表しているのかと確認したがる。
「ショートは、レディアスとよく似てるよね。」
「レ、ディ、ア、ス?」
「そうだよ、行方不明のね。彼も人間のはずなのに、ちょっと違うんだ。ひどく僕らと似てる。だからかな?クローンはみんな彼に惹かれる。この2人は彼を捜しに出てるんだよ。ショートも会えると良いね。」
「さがし・・?」
ギクシャクとした動作で、ショートが立ち上がって2人のベッドの間に立ち、アリアとレモンの手を握った。
「うん。ショート、会う。2人の、お手伝い、する。」
ショートの赤い目が、更に赤く赤く燃え上がる。
カッと部屋に何か身体を熱くする物が充満して、部屋の気温が上がったように感じベリーが立ち上がった。
「ショート、何をしているの?」
アリアとレモンの顔が紅潮して呼吸が軽くなっている。
弱々しかった心臓も、力強く動き出した。
同じ部屋にいるベリーまで胸が熱くなり、思わずレモンの手を握る。
ショートが顔を上げ、ここへ来て初めて笑った。
「力、なる。ショート、力なるの、嬉しい!」



消えかけていた、アリアとレモンの身体が力強く輝く。
『レモン』
アリアがレモンの身体を抱きしめ、2人の身体が一つに重なった。
『大丈夫、大丈夫だね』
『うん、大丈夫。誰かが力を増幅して、コントロールに力を貸してくれているみたいだ。
うん、力が安定したよ。さあ、探しに行こう』
『行こう、レディを探しに』
シュガーの光が、また先をフワフワと飛んでゆく。
アリアとレモンは、そのゆっくりとした輝きを急かすように後を追い始めた。




窓の外、街灯の明るく輝く街に多くの人々が夜を楽しく過ごす頃、その部屋は電気も付けず、ルーナの輝きの下で2人の男がお互いに苛まれていた。
「おい、しっかりしろ。」
ザイン少佐が部屋の隅に横たわるレディの頬を軽く叩く。
「おいっ!」
身体を起こしガクガクと揺さぶると、ようやく目を開けた。
「だから、水を飲めと言ったろう。何故飲まないんだ。言うことを聞け!」
カップを差し出しても、受け取って膝に置く。
そして顔を背けうつむいた。
「の・・・みたく・・な・・い・・」
焦る少佐が大きくため息をつく。
一体いつから飲み食いしていないのか。
やり方を間違ったとしか考えられない。
彼の生い立ちを考えると、グランドを無理矢理引きはがしたのが大きな間違いだった。
あの時から、様子がひどく変わったのは手に取るようにわかっていたのだ。
「医者を呼ぶわけにいかんのだ、わかるだろう。自分で何とかしろ!」
大仕事を明日に控え、肝心の殺人者のこの有様に頭を抱える。
失敗するわけにはいかない。
自分には上にいる何人もの幹部の運命もかかっている。
今はあのデリートだから騒ぎにもなっていないが、彼女の行動一つで公にもなりかねない。
事がこの兄弟に絡むから公に出来ないだろうと、それを読んだ上で拉致してきたのだが、これからどう出るかは監視も必要だろう。

コトン

コップが彼の手を離れ、こぼれた中の水が腿をぬらして床のカーペットに広がる。
少佐は慌ててコップを取り上げながら、その足を見た。
いまだシャツ一枚の下は裸だ。
だぶだぶのシャツから伸びる2本の足は、これで人間を大きく凌駕するほどの身体能力を示すことが、信じられないほど白く細い。
うなだれる首筋を見ると、女のように華奢な首に銀の髪が光っている。
ルーナの明かりに照らされて、彼の身体はひどく青白く、はかない物に見えた。
風呂へ入れた時は感じなかった思いが、心の隅にふつとわき起こる。
知らず手を差し伸べ、ツッと内股をなぞった。
無気力だった彼の身体が、大きく跳ね上がる。
バッと顔を起こし、だからといって抵抗することもなく無表情に見開いた青い目で見ていた。
ザインが、もう一つ置いていたコップの水を口に含む。
そしてレディの唇に口づけると彼の口内に流し込んだ。
「ううっ!う・・うっ」
もがくのを押さえながら、ごくんと飲み込むまで離さない。
やがて飲み込んだのを確認すると、もう一口含みまた口づけした。
ズルズルと、何とか逃げようとするレディが少佐の肩に手を突っぱねる。
それでも2口目を飲み込んだ時、唇を離した少佐が睨み付けた。
「自分で飲むか、決めろ。」
ハアハアと、息をつくレディが顔を横に振ってギュッと目を閉じる。
「の・・む・・」
かすれた声が、小さくノドの奥からようやく出た。
少佐が水を差しだし、レディが震える手で受け取り恐る恐る口に持ってゆく。
「うっ」
突然、吐き気がこみ上げてきた。
コップを置いて口を押さえ、近くのゴミ箱に顔をつっこみ飲まされた水を吐く。
空っぽの胃から吐く物はないが、結局飲んだ水をすべて戻してしまった。
「なんで・・・どうしてだ。」
少佐が呆然とその姿に座り込む。
レディは苦しそうに突っ伏して、小さく身体を丸めた。
「・・た・・のむから・・放って・・置いてくれ・・」
「お前は、どうしてそんなに心が弱い?」
「頼むから・・・」
これが、現場に出れば敵無しの男の姿とはとても思えない。
ただ一人にされただけで、子供より悪いではないか。
「お前は仮にも軍人だろう?こんな事でどうする。これでは生き延びるなど無理だ。」

いや、この男はすでに生きることを放棄している。

「頼む・・・明日は、必ず仕事をするから。ちゃんと殺す。だから今は・・」
弱々しい言葉に愕然と少佐が立ち上がり、無言で部屋を出る。
レディは一人になると、目を閉じて両手で顔を覆い、そしてギュッとシャツの胸元を握った。
しかし、そこにルビーはない。

「グランド・・・グランド・・・」

無い、何も無い。
何も心を支える物が無い。

グランド・・グランド・・
自分のせいで、グランドがひどい目に遭うなんて嫌だ。
グランドに恨まれるなんて、憎まれるなんて、考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

怖い、怖い、ダッド、怖いんだ。
人間は、恐ろしいことも平気でする。
実験動物なんて、もう生き物扱いされない。
されなかったんだ、遠い昔・・
痛みよりも、苦しさよりも、恐ろしかったよ、怖かった。毎日が。
あんな思いグランドにさせたくないんだ。

うつむいて、両手で顔を覆いそして自分の首を絞めた。
苦しい。
たまらず手を緩め、息をつく。
絶望の淵にいた小さい頃から、1人で苦しみに耐えられないとき、ずっとそうしても死ぬことができなかった。

意気地無し、卑怯者!

兄弟の顔が浮かぶと、彼らは揃ってレディを冷たく見下ろす。

何故、グランドを守れなかった?
何故、命をかけても守らなかった?

無言で冷たく責め立てる。
兄弟は、許してくれるだろうか?
きっと、許してくれない。
どうして、戦後再会できた喜びのうちに自ら命を絶たなかったのか。
その為だけに、あれだけのクローン達を殺しながら・・
再会できた喜びのあと、今度は共に幸せになりたいという欲が出てしまった。

ごく普通に、人として暮らしたいと・・・

俺は、なんてずるいんだ。
そんな資格、俺のどこにある?
「ああ・・・」
早く、早く、消えてしまいたい。
俺がこんな力を持っているばかりに、みんなが辛い思いをする。
ランドルフなんかどうでもいい。
人間は、殺し合っていなくなればいい。

寒い、寒い、ここはまるで氷の中のようだ。
誰か、手を握って、暖かな身体でギュッと抱きしめて。

明日になれば楽になれるのに、何て一日は長いんだろう。

明日になれば、全部が終わる・・・・・・



あまりにも強く追いつめられて傷ついたレディの心は、今は恐怖と絶望だけが支配している。
グランドから引き離され不条理な殺人を強要される事が、昔の彼の暗い記憶をトレースしてしまった。
力無くおぼろに姿を現したエディが、彼の背をそっとさする。
すっかり生気を失い、ひたすら死を願う彼から得る力もなく、エディとシュガーは自分自身の魂も消えかけていた。




その深夜、一台の白いバンがホテルのそばの路上で、目立たぬようにひっそりと潜んでいた。
中には美しい顔立ちの少年が4人、1人が暗い顔でうつむいている。
そのうち3人は、サスキアのはずれの地下室にいた顔だ。
4人は揃って白いコートに白いズボンという白装束で、無言で息を潜めるように辺りをうかがっている。
助手席の1人が、携帯電話を開きメールをチェックした。
彼らがここにいる理由はただ一つ、それは人間の命令に従っているのだ。
しかしまだ、指示は来ない。
緊張しているのか、のどが渇いてツバを飲み込む。
後部座席に座りうつむいた少年が、フッと息を吐いた。
「うまく・・いくかな?」
ふと、口を出た言葉に隣の少年がギュッと手を握ってくる。
「大丈夫、僕らはクローンだよ。ただの人間が相手ならうまくいく。
シルバーフォックスは監禁されて動けないんだ。眠らせれば刃向かっても来ないよ。」
「・・・そうだね、僕は実戦が初めてなんだ。ちょっと不安で・・ごめん。」
不安そうにうなだれる彼に、運転席の少年が振り返った。
「人間の命令には、命をかけるくらい当たり前さ、僕らはクローンなんだから。89はもっと気を引き締めなきゃ。
B53たちの失態で、クローンの立場はますます悪くなってるんだ。
シルバーフォックスを手に入れる事だけ考える、出来なければ殺せ。いいね。」
「わかってるよ、主様のために。
でも、どうして殺すんじゃなくて確保なんだろう。あいつは敵のはずなのに。」
何人もの仲間が殺され、そして彼のせいで自分たちの立場も悪化しているはずだ。
邪魔でしかない彼を、人間達はどうしようと言うのか。
「彼は、使いようでは為になる。そう言う事じゃないのかな?これは主様の、フリード様の勅命だと聞いた。主様の尊いお言葉に、疑問や質問は許されない。
なんにせよ、クローンは人間の命令には従うだけさ。命をかけて、ご命令をやり遂げなくては。」
「そうだよ、僕らのすべては主様のためにある。主様の命令に、疑問を持っちゃいけない。89、君はどうかしてる。言葉次第では、危険分子と見なされるぞ。」
仲間の厳しい言葉に、ビクンと89が身体をこわばらせる。
危険分子には、死あるのみ。
主に疑問を持ってはならない。どんな理不尽な命令であっても、何事にも忠実に。それがクローンの原則であり、遺伝子に組み込まれた最も重要なことだ。
「わかってるよ、別にちょっと思っただけなんだ。僕の命は主様のものだ。死ねと言われたら、死ぬ覚悟ももちろんあるよ。それが当たり前だからね。僕は人間と違って、ただの作り物のクローンだもの。」
「ああ、そうだ。わかっているならいいさ。
僕らのすべてをかけて、主様のために。」
「主様のために。」
「死は、恐れるにあらず。ただ無に帰すのみ。」
うなずき合い、4人が手を合わせる。
ピロロロ
その時、携帯電話にメールが入った。
それを確認して、車のエンジンを入れる。

「行くよ。」

うなずき合う少年達に、とうとうその時が来た。

ホテルの地下駐車場に、一台のバンが静かに入ってきた。
深夜というのにサングラスをかけ、白いコートを着た4人の15,6の少年達がサッとよどみもなく降りてくる。
彼らはエレベーターでホールに上り、スイート専用のエレベーターに向かう。
そこで、2人のスーツを着た軍関係者が気が付き、慌てて手を振った。
「君達待て、ここは・・はっ」

パンッパンッ!

乾いた銃声が響き、ドサリとその2人が倒れた。
「リブラ・フリード」
「リブラ・フリード」
少年の声を合図に、サッと2人のホテルマンが廊下の陰から出て合図をかわし、遺体を近くの物置に隠す。
ルームキーカードがないと、エレベーターのドアは開かない。
戻ってきたホテルマンがポケットからカードを取り出し、シュッとキーボックスをスライドさせる。
音もなく開いたドアを滑り込むと、ホテルマンを一人残し5人はエレベーターに乗り込んだ。



「どうした?」
最上階スイートフロアー。大きなあくびを飲み込んで、廊下でイヤホンをはずして見るスーツ姿の仲間に、ドア前にいた一人が近づいてゆく。
「いや、下の奴と話していたんだが、急に・・」
ハッと一人がエレベータの表示を見る。
照らされる数字の表示が、次々と変わり上がってくる。
二人はとっさにバッと近くの人間に合図して、銃を取り出した。



ハッとエディが顔を上げ、フワフワと窓辺へ飛んでゆく。
そこへ窓からシュガーの小さな輝きに導かれてレモンとアリアが入ってきた。

『見つけた!レディアス!』

2人がパッと輝いて横たわるレディの両側に座り、手を差し伸べる。
するとレモンの手が、何かにパンとはじかれた。
『何?何かが邪魔する』
シュガーと一つになり、ほんの少し姿がはっきりしたエディが、アリアの手を引きポンとレディの身体を離れる。

『たくさ・・思い、付いて・・た・・・』

とぎれとぎれの声で、エディがレディの身体を指す。
『見て、アリア、沢山のクローンが・・』
よく見ると、すがりつく多くのクローンの亡霊が、彼の身体にまとわりついて見えた。
『あなた達は、一体何故?』
アリアがふわりと近づくと、一人、女のクローンの亡霊が顔を上げ首を振る。
口を動かしているが、レモンには声が聞こえなかった。
『アリア、声が聞こえないね』
レモンが見ると、アリアはじっと亡霊を見ている。そしてああと声を漏らした。
『どうしたの?』
『彼らなんだ、僕を呼んだのは。このために僕に一時的に力を与えたと・・』
『えっ!お化けにそんな力あるの?』
『僕に力を与えて、何十人もの思いが消えたって。とても、とても古い・・ずっと昔に死んでる。何のために付いてきたんだろう。
・・・え?早く・・知らせろって?』
エディがアリアの手を引きうなずく。

『・・やく、は・・く!』



バタン!

いきなり少佐がレックスと飛び込んできた。
「急げ!」
コートを持ち、急いでそれをレディに着せる。そして逃げられないよう細い紐で手足をくくり、タオルで目隠しをして口には猿ぐつわを咬ませた。

『どうして、こんなひどい事されるの?』
様子を見て、レモンがつぶやく。
『逃げ・・・・やく!』
エディがアリアにうなずき、アリアがハッとドアを見る。
その向こうで何が起きているのか、アリアの目にはそれが見通せてすべてを把握した。
『わかった、わかったよ!誰かを呼んでくる!レモン、行こう!』
スッとアリアが窓を突き抜け外へ飛び出す。
レモンが彼と重なりながら、心配そうに彼の顔を見た。
『どうするの?研究所まで帰るの?それとも管理局?』
『違うよ、近くからブルーの思念を感じるんだ。ブルー達も探してるんだよ。きっと近くにいる、探そう!』
『うん、わかった!』
2人は意識を広げ、テレパスのブルーを探す。
アリアはホテルの中で起きている惨状から目を背けながら、血の臭いに必死で心を閉じた。



「あの動きは一体。」
レックスが外を警戒して、ソファーをずらしドアを押さえる。銃の残弾を確認し、少佐の元へ急いだ。
「あれは恐らくクローンだろう、全員か知らんがな。まともにやり合って勝てる相手ではない。」
「何故?!クローンが!」
「ヴァインか・・」
苦々しい顔で舌打ちながら、少佐がレディを肩に担ぎ上げた。
「しかし、脱出は困難です!ここは別経路がありません!」
「緊急用の階段を使って屋上に出る。ヘリを呼んだ。」
「なんだって?!それは目立ちます!」
慌てたレックスとの問答を少佐が振り切り、居間を通り抜けて窓を開ける。
ヒュウッと冷たい風が肌を刺し、カーテンがバタバタと音を立てた。
ベランダの壁に収容してある屋上への非常階段を降ろし、サッとそれを上がり屋上へと向かう。
レックスがそっと窓を閉め、銃を構えて壁に隠れた。

パンパン!ドンドンドーン!バターンッ!

ドアの鍵が銃で壊され、ドアを蹴破ってソファーをものともせず、血にまみれた4人の少年が部屋に飛び込んできた。
バタバタと部屋中を探し、やがて一人が居間のベランダをのぞく。

バシュ!

突然バッと一人の少年の頭を銃弾が突き抜けた。
ガターン!
倒れた拍子にサングラスが外れ、見開かれた赤い瞳に血が流れる。
「はあ、はあ、はあ、この、化け物め。」
銃を構えるレックスが、階段を半場まで上がりながら、クローン達にハンドガンを向ける。
サングラスをはずし迫る3人のクローンに、数発撃っては牽制した。
パシュ!パシュ!
パンパンパン!
銃撃戦のあと、しばしクローンが引き、その隙に屋上へと階段を急ぐ。

パンッ!「うっ!」

焼けるような痛みが走り、レックスの大腿を銃弾が貫いた。
撃ち返そうとして、残弾がないことに気が付く。
「ちっ!」顔を歪め痛みをこらえて上へと登りながら、空のマガジンを捨てて新たに腰から取ったマガジンを差し込む。
チューン!「くっ!」
かすむ弾を避け、屋上へ飛び出すと一つ転がり下を覗き込んで銃を撃った。

パシュパシュ!
キューン!チューン!

近づけないでいるクローン達が、応戦しながらうなずき合う。
やがて2人のクローンがベランダに走り込み、バッと手すりに足をかけ飛び上がった。
宙でヒュンッと風を切ってくるりと回り、器用に壁に手をかけ屋上へと降り立つ。
「しまった!」
レックスが飛び起きて下がる背後には、ライトアップされたこのホテルのシンボルマークの陰に少佐が隠れていた。
「ちっ」
少佐も舌打ちして片膝付くとレディを降ろし、懐から銃を取り出す。
「少佐!」
ダッと向かっていくクローンに、レックスが引き金を引きかけて躊躇した。

外れれば少佐に当たる!

少佐に飛びかかろうとする2人のクローン達。
しかしその動きが、突然止まった。

「ひっ、・・・・」

小さく息を飲み、クローン達が数歩下がる。
彼らの目には、レディと少佐の前に立ちはだかる無数のクローン達の、怨念にも似た怒りの感情が厚い障壁となって立ちはだかって見えた。
パシュ!パシュ
隙を逃さず、レックスが後ろから撃つ。
しかしクローンは数歩退いて避けると、気を取り直してバッと飛び出した。

ダダダダダダダダダダダダ!「あっ!」

突然、ヘリの自動小銃が少佐の背後からクローン達を狙った。
一人が胸を撃たれ、一人が足を撃たれて倒れ込む。
バババババババ!!
ローターの風を切る音が激しさを増して近づいてくる。
下にいたもう一人のクローンが遅れて屋上に飛び出すと、その目前に軍のステルスヘリが突然回り込んで巨大なボディで威嚇した。
「くっ!」パンパン!チューン!キーン!
クローンの撃った弾が、ことごとくボディにはじかれてゆく。彼はローターの起こす風にあおられて大きくよろめいた。
「少佐!お早く!」
レックスが少佐の元へ向かいながら、降りてくるヘリを援護する。
しかしクローンの持つ銃にはとうとう弾が無くなり、彼は銃を投げ捨て腰からナイフを取って、レックスへ飛びかかって来た。
「この!」パシュッ!パシュ!
レックスの撃つ弾にも軽快なステップで避け、撃っても当たらないクローンの動きにギリッと歯をかみしめる。
「はっ!」
振り下ろされた刃を、レックスは思わずガシッと銃身で受け止めた。
しかし、クローンに力で敵うわけがない。
ひっくり返りながら迫る刃に死を覚悟した時、パシュッと少佐の撃った弾がクローンの頭を撃ち抜く。
ドサリとのしかかるクローンの身体を押しのけ、彼もヘリへと乗り込んだ。
バッとヘリが飛び立ち、動けずに小さくなっている胸を撃たれたクローンと、それにすがる足に傷を負ったクローンにヘリが小銃の銃口を向ける。
2人は互いにかばい合い、迫るヘリに恐怖した。
「う・・89・・に・・げろ!ごふっ」
「でも、一緒に逃げよう!」
「8・・9!」
「どうしてそこまでして?!僕らだって・・」
「俺たちは、クローンなんだ。・・こほっ!ごほっ!」
血を吐きながら、胸を撃たれたクローンがよろよろと立ち上がり、足に傷を負っている89を庇って背を押す。
「行け!命令を・・!は・・たせ・・・」
「でも!」
バババババ!ローターの音が激しく2人を追い立て、ガチャンと弾を装填する小銃の金属音を、夜の闇に響かせた。

「はやく!」

血を吐き叫ぶクローンが、キッとヘリを睨み付ける。
「ハアッ!!」
満身創痍の身体から、最後の力を振り絞り衝撃波をヘリに打ち当てた。

ゴガーーーーーンッ!!
バラバラバラバババババ!

ヘリが大きく傾き、小銃を大きく破損してバランスをとり直す。
「ぐうっ!」
血を吐きゆっくりとクローンが前にのめり、ドサリと倒れた。
「あ・・・・るじ・・さ・・のため・・に・・・」
ライトアップの反射する光に照らされ、どくどくと流れる血に染まりながら、涙を流して戸惑う89に微笑む。
89はギュッと涙を拭いてうなずき、片足を引きずりながら隣のビルへと飛び移って行った。
「主様のために!主様のために!!」
自分に言い聞かせるように、痛みをこらえて小さく叫ぶ。
流れる涙に街の輝きがかすみ、今は逃げる事だけを考えながら、白いコートを血に染め89はその夜闇へと消えていった。




「アリア!」
車内の後部座席で、目を閉じていたブルーが目を開けた。
「うそ?!マジかよ、サスキアにいたのか?」
ブルーの叫びに、ハンドルを握るシャドウが車を止める。
「アリア?近くか?」「どこ?!」
助手席のグレイが振り向き、身を乗り出す。
ブルーが突然、車を飛び出した。
「ええーっと、えーっと!」
空をグルグル見回すブルーに、シャドウ達も慌てて降りてくる。
「本当にレディなのか?グランドじゃないんだよな。」
「うん、アリアの声が聞こえて、導いてくれた。レディアスは・・ヘリに乗ったって。」
「ヘリ?!」
3人で見回しながら、シャドウが電話でセピアを呼ぶ。
「あれだ!」
ブルーが指さす先には、暗闇を黒いヘリなのか姿が見えないが、小さく赤い光が夜空をすべるように飛んで、微かにローターの音が聞こえた。
「あれで確か?レディの返事は?」
グレイの問いに、ブルーが首を振る。
レディは心を閉じて、どんなに声をかけても返事をしない。まるで存在を消すかのように、見失いそうになる。
「僕が行く!シャドウは局長に連絡して。ブルーはそのまま呼びかけて!」
ヒュッとグレイの姿が消えた。


狭いヘリの中で少佐が壁からしっかりしたロープを取り、紐をほどいたレディの腕を背に回して再度拘束する。
逃げる様子はないが、逃がすわけに行かない。
レックスは撃たれた足の傷を手当てしながら、操縦席から通信機を借りた。
「ホテルには人を回します。すべて内密に事を進めさせるよう手配しますので。
くそっ、ヴァインのクローンが・・」
「良い、発覚してもテロリストの仕業と発表させろ。しかし発覚を押さえることは容易なはずだ。ホテルもスイートで殺しがあったことは公にすると困るはずだからな。」
「了解。これからどこへ?」
少佐がレディを引きずって奥の床に座らせる。彼は無抵抗で、されるがままだった。
「動くなよ、抵抗しなければ何もしない。
ヘリを今から・・うっ!」
顔を上げた時、いきなり目前にグレイが現れた。

「見つけたレディ!」

「貴様!」レックスが驚いてとっさに銃を構える。
「撃つなっ!」
少佐が部下の銃を押さえ、ブラストをグレイに向かって構えた。
「帰れ。」
「レディアス、何て事!少佐、やっぱり酷い事してるね。あんたがこれほど酷い奴とは思わなかったよ。レディアスを返して!」
少佐を睨み付け、身動きが取れないレディをちらりと見る。
「帰れ!用が済んだら帰す!」
「うそっ!僕らはもうあんたを信じない。返して貰う!」
突然、ヘリが大きく揺らいだ。
グレイがバッとレディに向けて飛びかかる。
ほんの少し手を触れ、念じれば彼の身体をテレポートさせられるのだ。
しかし、少佐が前に立ちはだかって邪魔をする。この小さな空間が、グレイにはやけに広く感じられた。



「このクソ!こっち来いっ!」

地上では、ブルーがギリギリと歯を鳴らして、サイコキネシスでヘリを引き寄せる。
ヘリ前方のビルではシャドウとセピアが屋上へと駆け上がり、息を切らせながら向かってくるヘリを待ちわびた。
「シャドウ、どうすんのさ!」
ヘリはいまだセピア達の頭上高くをゆっくりと飛んでいる。
「お前が行け!」
「ラジャー!」
セピアが屋上の端へ駆け、ナックルガードの付いた手袋をギュッと引く。くるりとターンして踏ん張って構えるシャドウへ向け、助走を付けた。

「はっ!」
「いっけえええっ!」

シャドウが組む両手の平へセピアが飛び上がって足をかける。シャドウが反動をつけ、勢いよくヘリに向けて彼女を放り上げた。
星空の中、セピアが飛ぶようにヘリへ向かう。
「でやあああっ!!」
高速で回るローターを避けて、セピアはナックルガードを付けた拳を、思い切りヘリのドアへ叩き込んだ。

ボガーーーンッ!!

「うおおおっ!」
ドアから轟音と共にセピアの拳が防弾の壁を突き抜けた。
ヘリが大きく揺らぎ、パイロットが懸命に水平を取り戻す。
中ではグレイともみ合い、少佐が彼の身体を部下と2人がかりで突き放し、とうとうレックスがナイフを取り出してグレイの鼻先に構える。
ドアでは防弾効果もある合金の壁を、信じられない力でメキメキとセピアがドアを引きはがしていった。
「なっ!化け物か?!」
驚く少佐達の隙をついて、グレイがシュッとテレポートでレディの身体に触れる。
「レディ!・・きゃっ!」
しかし念じる隙を与えず、グレイを背中から少佐が引きはがし、その隙をついてレックスがレディの身体を抱きかかえ、ナイフを彼の胸元に当てた。
「な・・何をするの?」
グレイが起きあがり、ゾッと顔色を変える。
少佐は戸惑いながらもレディの前に立ち、グレイに向けてブラストを向けた。
「帰れ!そのクソ力と一緒に!」
「くっ」グレイが唇をかんでレディを見つめる。
彼の、コートがはだけた青いアザだらけの白い肌に刃が煌めき、ツッと血が流れた。
「こちらも本気だよ、特別管理官。」
レックスがほくそ笑み、更にナイフの切っ先を引っかけてコートを引き下ろすと、シャツのボタンを切って肌をあらわにし、そこにナイフを押し当てる。
その時、グレイの背後からセピアの明るい声が響いた。

「グレイ!あっいたあ、レディ!」

メキメキとめくり上げたドアの隙間から、セピアが滑り込んでくる。
「よかった!無事で・・きゃっ!あんた、何してんのよ!やだ!」
「セピア、下がって。」
レディを人質に取った少佐達に、2人は身動き取れない。
「やだやだ、怖い!レディアス!やだ!」
セピアが目を潤ませ震える声を上げながら両手で口を覆うと、ビクッとレディが顔を上げ微かに首を振る。
グレイがサッとセピアの身体を制して一歩引いた。
「レディを殺しては、何もならないはずだよ。」
ニヤリとナイフを当てるレックスがほくそ笑む。グイッと手に力を入れると、また皮膚に傷が付きツッと血が浮き上がって流れた。
「きゃあっ!いやっ、傷つけないで!」
セピアが叫びを上げる。
しかしレックスはそれこそ狙いのように、ますますナイフを押し当てた。
「我々は、頭さえ無事なら良いのだよ。身体がどうなろうと、今は関係ない。キズは治療すれば治るさ。」
ブルブルと、グレイの身体が震える。
それが怖いのか、怒りのためなのか今はわからない。
ただ、この作戦をとる少佐の考えがあまりにも身勝手で、拳を握りしめ怒りで声まで震えた。
「少佐、あんたはレディの事なんて、書類上のことを見ただけで彼自身を少しも知らないんだよ。そんなことをされて、レディの心がどれだけ傷つくかわかってない!」
「わかっているとも、それでも今はやむをえんのだ。これ以上傷つけたくなければ帰るがいい。」
クッとセピアが息を飲み、耐えきれず踏み出す。
「近づくな!」
「あっ!」
レックスが抱き直しグイッと引いた拍子に、ズッとナイフが肋骨の浮き出た胸に沈み血がどくどくと流れた。
ぴくんとレディの顎がのけぞる。
その痛みがセピアとグレイにまで届きそうで、ゾッと足が崩れそうになった。
「止めて!止めてよ!レディにひどい事しないでよお!」
「セピア」
ショックで震えながら、ブワッと涙を浮かべるセピアをグレイがとっさに抱きしめ、彼女を地上にテレポートさせる。

『グレイ、今は引け』

ブルーのテレパシーが、頭に響く。
口惜しい、目の前にいるのに手が出せない。
今離れることが、あとで大きく後悔することにならないのか、心の中で大きく迷う。

『グレイ、明日に賭けよう。まだチャンスはある』

「わ・・かったよ、ブルー」
グレイは、唇をかんでテレパシーを送るブルーに引くことを伝えた。
「少佐、今は引くからお願いだよ。レディをこれ以上傷つけないで。
レディ、きっと助けるから待ってて。」
「さっさと行け!」
「こんな事をして、レディがあんたの言うことを聞くと思うの?」
「聞くさ、仲間を思う気持ちはお前達と同じだろうからな。」
「やっぱり・・グランドを盾に取ってるんだね。卑怯者!」
「何とでも言うが良い。殺さなければ人々もグランドも不幸になる。が、殺せば世の中もグランドも、そしてこいつもすべて丸く収まる。それだけだ。」
「反吐が出るよ。人間なんか、みんな自分勝手で傲慢だ。思い通りになればみんな幸せになるなんて、それが間違っていることに何故気が付かないの?」
「うるさい!さっさと行け!」
少佐がグレイに向けたブラストの引き金に指をかける。
「レディアス、気をしっかり持って!きっと助けに来るから!グランドのことも心配いらないよ、ちゃんと助け出す。だからレディも・・」
「うるさいっ!」
「レディアス!みんなあなたが大切なの!生きて!生きるんだ!兄弟みんな、あなたの為なら何でも出来る。ずっと、ずっと一緒だって、忘れないで!」
グレイは身動き一つ出来ないレディに悲しい顔で叫び、そして姿を消した。
フッと息をつき、レックスがレディの身体を突き放すように床に横たえる。
少佐がタオルを取ってレディの胸に流れる血を拭き取りながら、キズに押し当てはだけたコートを戻した。
「悪かったな。」
ぽつんと漏らす言葉を聞いているのか、ガクンとレディの身体から力が抜ける。
やがてガタガタと震え始めたその身体に、少佐はたまらず膝に抱き上げ座席に座った。
少佐らしからぬ行動にレックスが怪訝な顔をして、少佐の手に巻き付くレディの長い髪を掴みナイフを当てる。
切ろうとした時、突然その手を払われた。
「駄目だ、切るな。これは彼にとって最後の財産なんだ。」
「財産?こんな髪がですか?」
確かに美しい銀髪ではある。しかし、モデルでもない彼には邪魔になってもそこまで価値があるのだろうか。
「すいません、わかりました。」
手を引く部下から守るように、彼の冷え切った髪をまとめて胸に載せる。
以前、娘のカレンと共に、ある村まで追いかけた時、自分は彼に命を大切にしろと言った。
その時、彼は言ったのだ。
この髪は願掛けだと。
たとえ仕事で命取りになっても悔いはないほどの、それは大きくてささやかな願いだろう。
それまで取り上げる権利は、自分たちにはない。

「すまん、許してくれ。」

苦しそうに息をつくレディに、ぽつりと謝る。
明日が早く終わればいい。
それですべて、この悪夢にも幕を引ける。

明日という日を待ちわびる。
男が1人、心で泣いていた。



わあわあと、ブルーの傍らでセピアが泣き叫ぶ。
遅れて姿を現したグレイが、彼女の身体を抱いて一緒にその場で泣き崩れた。
「駄目・・だったな。」
ブルーがちらと2人に目をやり、走ってくるシャドウに首を振る。
「駄目か?」
シャドウが苦々しく言葉を吐く。
ブルーが頭を抱え、そしてポケットから頭痛薬を取り出し一錠口に入れた。
「少佐の覚悟は半端じゃない。あれじゃあ手が出ねえよ。」
「そうか・・局長にはヘリの追跡を頼んだが、追えるかどうかわからんだと。まあ、検問が厳しいから遠くへは移動しないだろうが・・」
一応、相手はステルスヘリだ。
しかも、郊外なら止まれる所はどこでもある。
「レディ・・どうかな?」
ブルーの声が沈んだ。
シャドウが眉をひそめる。
「気が狂ってた、何て言うなよ。」
「いや・・なんて言うかな。言ってわかるかわからんが・・
そうだな、ちょうど戦争から帰ってきた時みたいな心の色だった。
真っ黒で、すべてを否定している。」
「真っ黒?わからんな。」
「うん、だろうな。でも、一つだけ希望はあるか?いや・・どうかな?」
2人、青く輝くルーナを見上げる。
「グランド、あそこにいるって?」
「まだ、はっきりとはわからんとさ。」
「あいつが人質だと、レディは全然駄目だな。きっとあっさり言うこと聞くぜ。
何を言ってもさ、自分責めて死ぬことばかり考えてる。
まったく、嫌になるぜ。たまんねえな。
ルーナは誰が調べてる?全然連絡ねえじゃん。」
ブルーの、ふとした問いにシャドウが顔を背ける。
ドキッとブルーがシャドウを覗き込んだ。
「・・・そ、言えば、ダッド、あいつ見ねえな。な、シャドウ・・」
所詮テレパスのブルーに隠し事は無駄。
局長からは自分だけが聞かされていたが、今はフッと息を吐き、首を振って答えるしかなかった。
「ま、隠してもしょうがねえか・・グランド探しに行ってるってさ。」
「何であいつ?!冗談じゃ・・」
「レディをあいつが助けるよりいいと思うがね。俺は。」
ブルーが声を失い、大きくため息をつく。
シャドウが時計を見て、疲れたようにンッと伸びをした。
「12時、過ぎたな。帰って・・少し寝るか?」
「バーカ、眠れるわけねえじゃん。」
ブルーが背を向け泣いている2人を見る。
グレイとセピアが受けたショックも大きい。
ブルーは2人の目を通してヘリの中を見ていた。
「女にゃ、きつかったよな。あの状態は・・」
ヒュウッと冷たい風が4人の間を通りすぎる。
すでに姿の見えないヘリを夜空に探し、ブルーはドスンと冷えきった車に寄りかかった。





ルーナのホテルの一室で、ロイドが携帯パソコンを開きメールのチェックをする。
「おいおい、こんな事言ってきたぜ。」
横のベッドに座るダッドに、舌打ちながら差し出して中を見せた。

『銀のネコを捕まえ損ねた。
赤目の白いファントムが狙っている。
注意せよ』

「ヴァインか。」
「だろうな。こりゃあ相当の騒ぎがあったと思うぜ。捕まえ損ねたって事は、あいつも逃げ切れねえってことか。
あの芸達者が逃げ切れねえ事はねえだろうから、やっぱグランドを人質に取られて身動き取れないんだな。」
「だろうな。一人なら捕まることもなかっただろう。」
「さあ・・捕まるって言うか、自分で捕まったんじゃねえの?何か理由があってさ。
あの猿みたいな奴が一つくらい荷物があったからって、簡単に捕まるわけねえよ。」
クスッとダッドが笑う。
レディは想像以上に仕事の上では信用されているらしい。
まったく信じられないといった言葉が多く聞かれて、皆にこうまで言わせてみたいと多少うらやましかった。
ロイドがパソコンを引き寄せ、もう一つのメールを開く。
うっと息を飲み、ダッドに見せた物か暫し考えた。
「どうした?」
「いや・・」
スッと仕方なくダッドに見せる。
それは、グレイからのメールだった。

『お願い、急いで。彼、追いつめられてる。彼がいないと駄目なんだよ。早く助けないと、手遅れになる』

この、「彼」と「彼」が誰を指すかは分かり切ったことだ。短い言葉に、切羽詰まった状況が感じ取れる。
ダッドの顔色が変わり、厳しい顔つきに変わった。
時計を見て、電話をかける。
短いコールの後で、若い女が出た。
「ダッド・マッカーだ。」
『お待ち下さい。』
内線の電話が繋がるのを待つ間に、ロイドがパソコンを閉じて部屋を出る。

『私だ。』

電話が切り替わると、ダッドは思わず背筋を伸ばした。
「父上お久しぶりです。実はお願いがあるのですが。」
気の短い人だ、単刀直入に話さねば機嫌が悪くなる。
『ほう、珍しい。言ってみるが良い。』
「彼らを返してください。」
『誰のことかね?』
「それはご存じのはず、こちらも相応の覚悟の上でのお願いです。」
『お前も面白いことを言う。覚えがない話しに、覚悟を持って話すか。』

「ルーナの・・将軍に会って参りました。」

『会ってなんとする。わしには関係のないことだ。』
「短い時間ですが、有意義な情報を得ました。
きっと父上もこころよく彼らを解放してくださるでしょう。例えば、サスキアからさほど離れていない南部であった出来事などのお話を・・」
将軍から仕入れた話しは、こんな携帯通信で話せることではない。
しかしそれを秘め、皮肉を込めて普段からは考えられないことを言った。
しばしの沈黙の後、電話の向こうで椅子が鳴る。やがて、クッと初めて聞く笑い声を聞いた。
『ルーナに将軍などと言う知り合いもおらんし、ましてお前に左右されるような事などない。
何の事やら知らぬ話しだが、お前達が止められる物なら止めてみるが良い。わしのあずかりしらん話しだ。しかし・・』
ふうと一つ息を吐く。
『何事にも、崇高なる目的があることを忘れるな。』
その言葉が、思い切りダッドの心を逆撫でした。
逆らったことはない。
殺し屋としての初仕事で、わざと失敗して逃げることしか考えていなかった時、そのターゲットがこの大佐だったのだ。
将軍と呼ばせたあの男と、この大佐との間に大変な確執があるのはわかっている。
だが、大佐はダッドを捕らえると、面白いとそのままなんと自分の養子にした。
何か、利用しようとしたのかもしれないが、今まで何も押しつけられたことはない。
それどころか、十分な教育と愛情を貰った。
いまだ甘えたことなど一度もないが、寒い思いや腹を空かせたことなど一度もない。
養母は特に、子供がいなかったこともあって大切にしてくれた。
だからこそ、人のためになろうと軍に入ったのも、自分から志願した。
その時、養母方の名を名乗って登録したのは、血の繋がりもない養父の権威をカサに着たくなかったからだ。
しかし、愛する人間の危機を目の前にして、恩も何もかもが吹っ飛んだ。
「父上、崇高なる目的など、今の私にはクソ食らえです。
人を不幸にして人を幸せに出来るとは、自分は考えていません。それは思い上がった傲慢です。
私は私の正義を貫きます。あなたがもっとも利用しようとする人間は、私がもっとも大切にしたい人間なのです。」
『む、』
ビリッと、大佐の空気が変わったことが伝わった。それが何を意味するか、ダッドには十分に想像できる。
しかし彼にとって、思いもかけない言葉が次の瞬間、電話から飛び出した。

『許さん』

静かな言葉が、厳しく耳に届く。
ダッドはカッと血が逆流したような熱さに囚われ、予定以上の言葉が口をついて出てしまった。
「私は、あなたに恩を感じています。一度はあなたの薦められた彼女と結婚もしました。
しかし、私は最も魂の近いものと出会ってしまったのです。
父上・・お父さん・・ご理解下さい。」
『何も語ることなど無い』
ピシリとした言葉で有無を言わせず電話をピッと切られてしまった。
「くそ」
腹立たしげに、ダッドが電話をベッドに投げつけた。

『許さん』

その言葉が、耳に鋭く残っている。
頭がカッとするのも久しぶりだ。
誰かが自分のことを以前クールガイだとか言ったが、本当の自分は普通にカッとする。
ダッドは近くの枕を掴み、バンバン布団に叩き付けた。



電話を切ってギイッと椅子を軋ませ、白髪の老人が手を組み椅子にもたれる。
ダッドの養父、クラーナル大佐だ。
齢、すでに80も近い。しかしその姿からはピンと張りつめた気概があり、老人と言うにはまだ早い。
その顔は機知に富んでけわしく、目を開けば眼光鋭い中に思慮深さがある。

「大切な人間・・人間、か。」

自慢の立派な鼻ヒゲを一つツイッと撫で、顔を上げて再度電話を取った。
短いコールが数度鳴り、相手の緊張した声がキビキビと声を返す。
『はい、“ブリーダー”です』
「私だ。どうか?」
『はっ、場所をホテルからゲージに移りました。ゴーストが追ってくる気配はありません。
蜂が到着しますので、予定通り準備に取りかかっています』
「ネコの様子は?」
『精神的に不安定です。が、エサはこちらにありますので今のところ従順です』
「ふむ・・・」
一息、珍しく大佐が間をおく。
相手はやや緊張した雰囲気を伝えるように、息を潜めて言葉を待ち受けた。
「ネコはネコ、どうあがいても人間になれん。」
『は?』
「使い終わったら・・・」

「殺せ」

冷たく言い放ち、ギラリと鋭く輝く眼光からは憐憫の情さえ感じない。
『しかし・・あれは今後も使いようがあると思いますが・・』
遠慮がちに意見する声が返ってくる。大佐に意見など、滅多にするものはいない。
『不安定なものなど、生かしておけばボロが出る。それが何を意味するか、わからんのかね?』
受話器の奥から息を飲む音が一つ。そして覚悟を決めるように返事が返ってきた。

『了解しました。』

フッと息をついて電話を切る。
胸で手を組み、目を閉じた。
ノックの後に、中年の女性秘書がコーヒーを運んでくる。
「コーヒーをお持ちしました。」
「うむ。」
カップに手を伸ばし、ふと顔を上げた。
「君には確か息子がいたな。」
「はい、今はどこかコロニー周辺に配備されております。」
ニッコリとした気負いのない女性秘書に、うむとコーヒーを口にふくむ。
「軍人としてはまだまだですけど、先月婚約いたしました。本当に、子供が大きくなるのは早いですわ。相手の女性は、軍の通信係なんです。」
「ほう、そうか・・それはおめでとう。」
「ありがとうございます。」
やがて秘書は一礼すると、部屋をあとにした。
カップを置き、ふと窓の外へ視線を移す。
脳裏にダッドが結婚したときの式の様子が浮かび、儚かったその幸せに大きくため息が出た。
「作り物に、惑わされおって・・・馬鹿者が・・」
熱いコーヒーを一口運び、そして眉間にしわを寄せ、小さく首を振った。




ふう、と小さく押し殺した息を吐く。
電話を内ポケットに直し、ポケットライトで照らす部屋の窓から暗い辺りをうかがった。
いきなりドアが開いて同僚が顔を出す。
「レックス、私用の電話は控えろ。」
「ああ、すまない。」
レックスが手を挙げ、ヒョイと肩を上げて首を振った。
「かかってきたものを、とらないのも怪しまれるのでね。」
「足は大丈夫か?」
「ああ」
大丈夫ではないが、大佐に直接指令を密かに受けている身で引くわけにはいかない。
大佐の命を受けて指揮を執っているのは少佐だが、自分も連絡を取っていることは誰も知らないのだ。
ホテルに襲撃を受けたため移動したこの小さな2階建ての家は、サブで用意していたものの使う予定ではなかった場所だ。
先月までいた軍関係の人間が、転勤になったために空き家になったものを、仲間の1人が何気なくを装い借り受けた。
家具も生活に必要なものも、自由に使って良いと許可を得てはいるがまだ掃除が行き届いていない。
廊下に出ると、ほこりっぽさに一つ咳をした。
窓を少し開けて風を入れる。
外を覗くと暗く何も見渡せないが、昼間なら丈の長い雑草の向こうに垣根があり、そしてその向こうは森が迫っているはずだ。
人のひしめく街の中央部から離れているだけに、交通の便が悪くまだ周辺には家も少ない。
潜むには絶好の場所だ。
ザワザワと雑草がなびき、闇の中光を求め大きな虫が飛んで行く。
眉をひそめて窓を閉め,車の音に廊下へと出た。

「来たぞ彼女、場所が変わって機嫌が悪いらしい。良いご身分だぜ。」
クイッと仲間が指さす方を見て、少佐の姿に慌てて駆け寄った。
「申し訳ありません。」
「いや、足はどうだ?」
「作戦に支障はありませんので、ご心配なく。」
「わかった。」
手短な言葉には、心配する余裕も無いように思える。
居間のドアを開いて、不機嫌そうな顔で軽く会釈し、向かいのソファ−に座る女を見下ろした。
「お久しぶりね。2年・・3年かしら。」
女は立ち上がりもせず、足を組んでタバコの煙をフウッと吹き付ける。
小じわが見て取れるのを考えるといい年だろうが、派手な厚化粧だ。肩までの漆黒の髪に赤い口紅が、見るからに毒々しい。
落ち着いた黒いスーツに反して横柄な態度からは、彼女の性格が見て取れた。
「さあな、イヤなことは忘れるんだ。元気そうで何よりだ、フローレス・ビー。」
「まっ、嫌みね。さっさとあの世に行けばいいと思ってるくせに。
なあに?ここ。ホテルのスイートって話しだから楽しみにしてたのよ。ホコリっぽくて素敵だこと。あなたの趣味かしら、少佐。」
「さあ、君に合わせたんだろうさ。薄汚い所が良くお似合いだ。」
「あら、お上手だこと。」
見下ろす少佐とほくそ笑む女が睨み合い、そして先に少佐が息を抜いた。
諦めたように向かいのソファーに座り、手を組んで彼女の顔を見る。
「何をするかはわかっているな。」
「もちろんよ、打ち合わせと下見の時間は十分にとったわ。シュミレーション通りに動ければの話しだけど。」
「我々の顔は割れている。よってサポートに回る。あとはお前次第だ。」
「いいえ、その坊や次第だわ。」
「あれはこちらに人質がある限り反抗できん。」
「いいわ、言うこと聞かないときは始末するから。あとは私がやるわ。」
軽く言うフローレスに、少佐の顔がムッと締まる。彼女の経歴を知るだけに、油断ならないと眉をひそめた。
「君は相変わらず簡単に殺すんだな。
彼を殺してはならない、約束しろ。彼は軍の貴重な財産だ。人材としても、トップの戦闘力を誇る。君が死んでも連れ帰って貰おう。」
「はっ、随分入れ込んでること。惚れてるわけでもないでしょうに。随分綺麗な子らしいじゃない。」
「下品な邪推だ。くだらん。」
会わせるために、立ち上がり部屋を出る。
フローレスはタバコを消して黒いハンドバック片手に、少佐のあとを追った。
2階へ上がり一番奥の部屋をノックすると、中から部下がドアを開ける。
「どうだ」
「それが、横になろうとしません。ずっと床に座ってます。」
チッと舌打ち部屋にはいると、なるほどベッドの足にもたれ、膝を抱いて丸くなっている。
両手両足それぞれ手錠で拘束されているが、逃げる気配はない。
レディの姿を見るなりフローレスは目を輝かせ、彼の元に膝を突いた。
うなだれる顔をよく見ようとアゴをクイッと上げ、開けようともしない目の片方を指で開く。
「あら、きれい。ガラスのような目だわ。ふうん、……どこかで、見たかしら?
この子の経歴は?どんな力があるの?私はまったく聞かされてないのよ。ただ、遠隔で気付かれず人を殺せるとしか。」
「それで十分だろう。お前の経歴こそ極秘なんだろう?お互い様だ。」
「まっいやだ」
ホホとほくそ笑みながら、パチンとバックを開けて金属のケースを出した。
「私は、ただの針師よ。」
ビクッとレディが初めて目を開けて見上げた。
「あら、この子警戒してるわ。可愛いこと。
なんて綺麗な目でしょう。私のコレクションにも、こんな綺麗なアイスブルーはないわ。」
血のような唇をベロリとなめ、長い針を1本取りだしツッとレディの目の前に見せた。
「何をしてる、余計なことをするな!」
「あーら、恐怖を増幅させてこそ、針は効くのよ。ほら、こんなに長い針を刺すと、どうなるか知ってる?」
眼を見開いたレディの手錠につながれた手が、瞬時にヒュッと上がり振り下ろそうとしてやめた。
「ひっ」
ギクッと身体を引いたフローレスが、カーペットにヒールをとられ尻餅をつく。
「こ、この・・」
バシッ!
カッと頭に血が上った彼女の手がレディの頬を叩き、そして針師の手がひらめいた。
「ぐ!・・あっ!」
まるで、身体中を電気が走ったような、強烈な痛みが駆けめぐる。
「ホホ!しつけの悪い飼い犬ね。」
女の甲高い笑い声が耳をつく。
目の覚めるような純粋な痛みにレディの身体が跳ね上がり、その場に倒れて硬直する。
少佐がとっさにその針を抜き払い、フローレスの胸ぐらをつかんでベッドに叩き付けた。
「きゃっ!何を・・!」
「貴様、二度と拷問行為などゆるさん!」
「あら、おしおきじゃない。相変わらず乱暴な人ね。」
「お前のような残酷な女を、大佐が何のために飼っていらっしゃるのか。」
横でレディがぎこちなく身体を起こす。苦しそうに口を開け、肩で息をして女を睨み付けた。
遙か昔、旧カインで受けた拷問が脳裏によみがえり、その時の記憶がわき上がってくる。
レディには、この女の顔がうつろに見覚えがある。それがどこで、どうした物かははっきりと思い出せない。
しかし、それは思い出してはいけないような物にも思えて全身が泡だった。
「決まってるわ、残酷だから使いようがあるのよ。ホホホ!甘ちゃんね。」
「お前のやり方は反吐が出る。二度と顔も見たくなかった。」
「あら、残念だわ。それじゃ、私は少し休ませて貰おうかしら。顔も見たくないでしょうから。」
フンと鼻で笑い、フローレスがバッグ片手に部屋を出る。
「少佐、あの女は一体・・」
レディを横目にシッと少佐が指を立て、部屋を出てレックスの先を歩き始めた。
「大佐からの指示だ。やむを得ん。」
居間に戻りながら、苦い顔で唇をかむ。
「素性をご存じなので?」
無言で居間に入り、ドアを閉めて傍らに立つレックスに軽くうなずいて、疲れたようにドカッとソファーに座った。
「いわゆる暗殺と拷問だよ。裏の世界の奴さ。
死んだと思っていたが、まさか大佐が飼っていたとは。」
「死んだと?昔は軍に?」
「いや、最初は犯罪者だ。それから軍にスカウトされた。あいつの言うとおり、使いようがあるというわけだよ。
見ただろう、針だ。
痛点をやられると、どんな奴でも泡を吹いてギブアップだ。
しかも、あの性格だ。まるで人間をおもちゃのように扱う。昔、あいつにやられて、知っているだけで3人狂って死んだ。
酷い死に方さ。あんな顔、思い出しただけで吐き気がする。」
レックスの背に、ゾッと冷たい物が走る。
少佐にそこまで言わしめるとは、よほどの人物だろう。この少佐さえ、少し前までは冷血で名が通っていたのだ。
「とにかく、注意が必要だ。ずるい女だがバカではない。」
「わかりました。」
「夜明けまで、少し休もう。」
「はい」
あと数時間で、動き出さねばならない。
すでにその時は目の前まで迫っている。
少佐がソファーにもたれて手を組み、じっと目を閉じた。
すべては準備されている。
あとはそれを実行するのみ。
レックスは少佐の姿に一つ頭を下げ、そして静かに部屋を出た。



>> 夢の慟哭3>> 夢の慟哭5