桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  迷える殺意

派遣先で仕事も終わったブルーとセピア、不機嫌なブルーにセピアはプイと部屋を出て行きます。ブルーはその時感じていた強い殺意が気になりつつ、セピアを探しに出ますが。
初期の作品です。


 それは、暗闇の中、蝋燭の明かりに照らされた室内のようだった。
ゆらゆらと、ベッドしか見えない殺風景な部屋の中を火の明かりが揺らめく。
ふと、不安感が襲ってきた。
何かわからない、ただその不安感がどんどん膨らんでいく。
恐ろしい。
恐怖で自身の身体を抱きしめる。
その場にドカッと座り込み、壁を背にして身体を小さく丸めると息をひそめる。



怖い・・・・怖い・・
誰も、助けてくれない・・
もう、誰も傍にいてくれない・・
助けて・・助けて・・
きっと、殺される・・

殺される・・ならば・・・・・
そうだ
ならば、この手で・・自分の手で・・



ゆっくり立ち上がると、窓に向かって歩き出す。
窓から外を窺うと、外は暗闇が広がり何も見えない。
窓ガラスに、ぼんやりと蝋燭の明かりが反射して自分の顔が・・若い男の顔が映り込んでいる。
プイと目をそらし、テーブルの上のコップに意識を集中する。
カッと目を見開くと、コップがいきなり弾けて粉々に弾けた。
ガラスの散らばった床をじっと眺め、手頃な破片の一つを拾い上げる。
蝋燭にかざすと、破片が鈍く光った。



殺すんだ・・・そうだ、殺してやる・・!





 「ブルー!おっっきろー!!」
パーン!と両頬をいきなり挟むように叩かれた。
「いてえっ!」
ドロッと暖かな液体がのどへと流れてくる。
ハッと目を開け、馬乗りなっている裸の女を跳ね飛ばしてガバッと起きると、その液体が鼻から流れ出た。
「どわっ!血だ!鼻血出た!」
「きゃーん!やだあ!お下劣!」
「バカッ!お前が馬鹿力で叩くから!げほっ!
げえっ!くっさーっ!」
「ブルー待ってよ!ちょっと待って!」
セピア色の髪をショートカットにした小柄で筋肉質の女性が、パンツ一枚でベッドから飛び退く。
リュックの中をガサガサ荒探ししてティッシュを取り出し、ベッドに飛び乗ると彼を押し倒した。
「ブルーしっかり!もう大丈夫!大丈夫よ!」
馬乗りになって、ティッシュを鼻にどんどん無理矢理詰め込んでいく。
「ふが!ふがー!やめ!やめろ・・ってこの!」
懸命の抵抗にあって、彼女がようやく手を止めた。
「・・・・あれ?」
「あれ?じゃねえっ!てめえ俺を殺す気か!
あー、ティッシュなんてこんな田舎じゃ贅沢品なのに・・こんな事に使いやがって・・」
まん丸に膨れあがった鼻の穴から、ブルーが血の付いたティッシュを引き抜く。
そして丁寧に広げていると、膝に座る彼女が丸めてポイッとゴミ箱に捨てた。
「貧乏くさいのやーだ。買えばいいジャン。」
彼女のあっけらかんとして、物事を深く考えないのはいつものことだ。
ブルーは鼻に程々の紙を差し込んだまま大きな溜息をついて黒髪をかき上げると、にこっと笑う彼女に諦めたように首を振った。
「もう、いいよ。いいから、乳ブラブラさせないで早く服を着ろ。あー気持ち悪い、何かムカムカする。」
「ねー、何の夢?うんうん言ってたからさあ、バーンと起こしてやったんよ。」
確かにバーンッだ。おかげで鼻血まで出た。
しかし、そのせいでもないだろうが酷く夢見が悪い。
「あれだよ、いつもの事さ。
近くの誰かが、もの凄い殺意を抱いている。
誰かの夢か、現実のことか。ちょっと殺意ばかりがギンギン来て、はっきりしねえ。」
「ふうん、予知夢とは違うんだ。」
「だっからはっきりしねえの。
俺はそっちの方にはうといからな。
俺の専門はテレキネシスとテレパスだから、予知はおまけみたいなもんだ。
テレパスもオープンにすればガンガン周りの意識の声が聞こえるから、そこら辺普段はコントロールしてシャットアウトしてるけど、寝ているときは無防備になりやすいからさ、あんまり強い思いには引かれるんよ。」
「うん、知ってる。」
「知ってるなら服着ろって、セピア。」
にこっと笑って足にまたがる彼女が、膝から大腿まですり寄ってくる。そして両手を頭の後ろで組み、腋も露わにシナって見せた。
「重いから降りろ、馬鹿セピア。」
「ね、ね、ドキーンと来ない?色っぽくない?オチンチン立たない?」
「立たねえ、ガキみたいな乳見せられてもドキーンとこねえ。」
「んま!」
プウッとむくれてピョンとベッドから飛び降りると、ようやく服を着てくれた。
春先で気温も暖かいとはいえ、せっかくの黒いカバーオール(つなぎ)を何故か片足だけ短パン風に切り取り、上はピンクのTシャツ一枚でカバーオールは綺麗に着込まず腰で袖を結ぶ。
アンバランスでセピアらしいと言えばらしい。
ブルーはごく普通、目立たないジーンズによれよれのシャツ。外出時にはこれに大きめの紺のアーミージャケットを着る。
 彼はセピアが服を着るのを見ながら、たまらず頭を抱えて髪を掻きむしった。
頭がズキンズキンと重く痛みが増してくる。鼻から紙を抜き血が出ないのを確かめると、立ち上がって顔を洗い、少しでもこの痛みが引かないかと頭から水をかけた。
冷たい水は心地いいが、焼け石に水だ、全然変わらない。
「はーい!どーぞー。」
横からセピアがタオルを差しだしてくれる。
「さんきゅ。」
ガシガシ拭いて顔を上げ鏡を覗き込むと、ぼさぼさの髪に浅黒い整った顔立ちの、深く青い青い瞳が自分を覗き込んでいる。
その横から、パッチリとした大きな目にブラウンの瞳のセピアが鏡を覗き込んできた。
「ほら!なかなかお似合いのカップルでございますよ。美男美女のカップル!」
「どーこが。」
口をへの時に曲げて、ブルーがジャケットのポケットからピルケースを取り出す。
痛み止めを一錠ポイッと口に放り込んで、水道の水をすくって飲んだ。
「冴えないの!頭痛い時って、いっつも不機嫌なんだもん。」
「仕方ないっしょ、お前が丈夫すぎるんだよ。」
「せっかく仕事も終わってさ、後は明日の迎えまでフリーなのに。
ねー、ねー、何か買っていこうよ。ここって、水晶が取れるんだって。指輪でいいよ、お揃いの指輪。」
ウキウキする彼女の言うとおり、すでに遺跡の破壊は終了して、蘇生したクローンもなく、トラブルゼロで全くスムーズに全て終わっているのだ。
今更こんな殺意など、近くの誰かが抱いた痴話喧嘩か何かだろうと思う。
しかし人間の強い殺意は、まるでタールの中に沈んでゆく重苦しい暗黒の中に、切れるような光を放つカミソリのようで、それをまともに浴びると自分まで苦しさで胸が詰まって、不快で強烈な吐き気と頭痛に悩まされる。
つまりそうなっている今、最悪な気分なのだ。
出来ればこのまま寝ていたい。
買い物なんか、勝手に行けと言いたいところだが、セピアの買い物ほど恐ろしい物はない。
こんな田舎ではカードも使えまいと高をくくっていると、セピアは管理局の名前を出して勝手にツケで買ってしまう。
後で請求が回り、火がつくように怒られて、謹慎食った上に減俸までされて酷い目にあっても、その時は反省してもまた繰り返す。
買い物に関して、抑制が利かないのだ。
欲しいと思ったら即買い。
誰かがそばにいて、ストップをかける必要がある要注意人物だった。
生活費は、6人の兄弟みんなで決まった額を出し合っているから、1人2人減ったとしてもあまり困らない。
それに甘えが出ているんだろうとも思うが、これも病気だろうと他の兄弟は諦めていた。
「ねーねー、古着でいいからドレスないかな?
昨日、酒場の女が着てたドレス、洒落てたよねえ。」
うっとり、クルクル回っているセピアはすでに夢の中。
ブルーはまた何度目かの溜息が出た。
全く、こんな街道の途中にあるような街は俺達には毒以外何物でもない。
旅人相手にやたら商店も多く、成る程極秘裏に遺跡の処理を頼むと町長や商店主達が頼み込んでくるはずだ。
まあ今回は街の裏に広がる、昔の核爆弾であいた大きなクレーターの池のはじっこで、しかも街に反対側だったから目立たなかったし、作業もし易かったから幸いしたけど、ここで彼女が管理局の名前なんか出したら、町長に追い出されるかも知れない。
ブルーが聞いてないフリして、ガシガシ頭を拭きながらドカッと椅子に座る。
ここに来る前に、グレイとシャドウのペアと少し南の大規模遺跡を片づけてきた。
別の場所へ行った彼らと別れて、二人はここを済ませてからようやくサスキアへ帰るのだ。
「あーあ、帰ったら二つもレポートか・・
うんざりする・・」
報告書を思い浮かべれば、それに苦しむ姿は容易に予知できる。
明日までヘリの都合が付かないなら、余程野宿が楽かな?と、外の喧噪に耳をふさぎたくなった。
「ねー!聞いてるの?!」
セピアがしびれを切らして、また彼の膝にピョンとまたがった。
「金、ねえよ。」
「うそ、あるもん。」
「あのな、派遣された先で一々買い物してたらいくらあっても足りないっしょ。
俺、グランドに金借りてるから返さなきゃ。
先月お前が使いもしない高いバッグ買ったから、俺達の貯金がマイナスになりかけたの知ってる?
グランドが貸してくれなかったら、カード使えなくなるところだったんだぜ?
サスキアじゃ、カード無しじゃ昼飯も食べに行けない、スーパーで買い物も出来ない。
お前、どーすんの?」
本部のある都市サスキアは、この星でもそこだけが本格的なキャッシュレス社会。
引き落とし時に貯金残高がゼロを切ると、一時的に銀行との取引が凍結され、自動的にICクレジットカードは、ただのプラスチックのカードになる。しかも取引再開には、とても手間がかかるのだ。
「えーと、その時はプリペイドカード買う。」
えへへへと、全く懲りない彼女に呆れる。
「俺、たまにお前を絞め殺したくなるんだけど。」
「やっぱり?えへへ。いいじゃん、またグランドに借りれば。レディはほとんど金使わないから、すっごい金持ってるよ。」
「お前はあ!一回死ね!」
「きゃん!」
彼女をドンと押してガバッと立ち上がり、タオルを頭に巻き付けてベッドにゴロンと横になる。
見ザル聞かザル、だ。もう勝手にしろい。
「いいもん!あたい勝手に行っちゃうよ!
いい男捕まえて、何か買ってもらお!」
ドタドタ、バタンッ!
ダンダンダンダン・・・タンタンタン・・
足音がどんどん遠ざかり、階段を足取りも軽く下りてゆく。
・・・・・行った。
なんて静か・・
窓の外は、沢山の人が行き交う気配と話し声で騒々しいが、セピアの甲高い声より気にならない。
頭に巻いたタオルを取り、ベッドに大の字になってンーッと伸びをする。
「はあっ」
「ブルーのバカー!ガキジジイ!チ○ポ腐れのオカマ男!」
いきなり窓の外から大声で、セピアの甲高い声が響き渡る。
ガバッとブルーが飛び起きて、バタバタ窓を開けて下を見ると、彼女がベーッと舌を出し、プイッとそっぽ向いて走り出した。
「この・・!」
ハッと気が付くと、通行人の視線がこちらに集中している。慌てて窓を閉め、ドスンとへたり込むと彼の顔は真っ赤に燃え上がった。
「あんのやろー・・!誰がチ○ポ腐れのオカマだ!」
なんて口の悪い女になっちまったんだろう。
昔はあんなに可愛かった・・・ンー、変わらんか。あんな奴だった。
タオルをポイと放り、ようやく立ち上がってジャケットを羽織る。
部屋を出る決心が付いて、鏡を見ながら髪を適当に直し、彼はとうとう部屋を後にした。

 さすがに街道途中の街らしく、旅人が多くて商店も繁盛している。
ここは、一つの町と二つの村への分岐点なので、交通の便も良さそうだ。近距離を走る馬車乗り場には多くの人が並び、色々な方面への大体の時間表が大きく張り出されている。
遠くでは、長距離バスのくたびれた車両が、溜息のようなクラクションを鳴らして、通行人の多い道をゆっくり近づいてきた。
「お兄さん、馬はどうだい?安くしとくよ。」
ちょいと親しげな10くらいの女の子が、馴れ馴れしくすり寄ってくる。
「ほら、向こう。いい馬がいるよ、爺ちゃんは馬育てる名人なんだ。走るの速いの、力が強いの、どっちも程々の、色々いるよ。」
少女が指さす先には、成る程路地を入った先に馬屋が見える。
ああ引っ込んだところでは、確かに客引きも必要だろう。
「ごめん、俺、馬はいらないよ。でも、ちょっと聞きたいんだけど、いいかい?」
ブルーが済まなさそうに手の平を立てて拝むと、少女がうんと頷く。
「うん、いいよ。あたしでわかることなら。」
「えーっと、小柄で茶色の髪の、こうツナギの片足短パンみたいに切ってるおばさん見なかった?」
「見たよ!あのね、格好いいお兄ちゃんとこの先の古着屋さんに入っていった。」
にこやかに少女が教えてくれた。
ブルーはゾオーッと背中を冷たい物が走る。
古着屋でヤケになって、着もしないドレスを買いあさる姿が目に浮かぶ。
少女にチップを渡すと、嬉しそうに礼を言ってまた客引きを始めた。
「はー、行くの止めようかなあ・・」
ちょっと途方に暮れて、古着屋の看板を見る。

この広いカインの星の上、行く先々でこうして恥をかきまくる俺って一体・・

がっくり項垂れ、重い足をなだめるように少しずつ動かして歩き出す。
頭痛が随分楽になったのだけが救いだった。


 しかし、行き着いたその店にはすでに彼女の姿はなく、店員のおばさんはにっこり笑いながら書類の束を取りだした。
「次、どこ行くか言ってましたか?」
「あんた、あの子の旦那?」
「あ、いえ、あー、うー、」
ドオッと汗が流れる。
「何だ、旦那じゃないの?じゃあ、面倒だけど、仕方ないね。」
ドキッとして、ブルーは力を使いおばさんの意識を探り出した。セピアは現金をほとんど持ち合わせていないはず。また管理局へでも請求が回ったら恐ろしい。
”あーあ、面倒なことだよ、やっぱり現金だけの取引に・・さて、今夜のおかずは・・”
心の中、人間というのは止めどなくお喋りだ。
関係無いことが複雑に飛び交って、なかなか確信に届かない。
「何か、面倒なこと言っていったんですか?」
ちょっと遠回しで・・
「ああ、いやこんな田舎だとね、サスキアのカードなんか持ち出されても、銀行の手数料が高くてねえ。」
「カード?!使えるんですか?ここ!」
「ああ、この町はサスキアの旅行者も多いからね、ほら、偽造確認の端末を何軒かは置いてるよ。
でもこれで手続きが出来る訳じゃないから、月末に銀行で手続きしてようやく金が入るんだよ。ちゃんとした端末は高級品でねえ。」
溜息をついて、チラとおばさんの目がブルーに向いた。ビクッとブルーの体が震える。
「あんた、知り合いなら立て替えてくれないかい?」
ピラッと請求書を差し出された。
それを目を閉じて、スッと押し戻す。
「古着だよ、大した額じゃないよ。」
満面の笑みでおばさんがにじり寄ってくる。
見たくない、聞きたくない。
しかし、テレパスの彼には、強い意識が耳をふさいでも流れ込む。おばさんの意識下で、その値段が大声で叫ばれた。

”たった55000ギルダーじゃないか!
払っていかんかい!”

ひいいいいいいっ!
嫌だああ!!
「どーも!じゃっ!」
「あっ!こら待て!」
別に悪いことをしていない。だから逃げなくてもいいんだよ、どうして逃げるんだい?
心の底で天使の心が問いかける。
しかしそれに答える間もなく、ブルーは追いかけてくるおばさんを振りきり、その店を逃げ出した。

 とぼとぼ当てもなく通りを歩いていると、途中小さな噴水のある広場へと出た。
周りにはベンチが設置してあり、恋人らしい男女や散歩途中の老人がのんびり腰掛けている。
ブルーは水が流れている水飲み場で、備え付けのコップを使わず手ですくってゴクゴク飲み、近くの空いているベンチに腰掛けた。
”サスキアのカードが使えるのよ” 
先程のおばさんの声に、エコーがかかって何度も何度も頭で繰り返す。
55000ギルダーなんて、古着屋で一体何を買ったんだ?もしこれ以上何か買うようなことになれば・・
先月のバッグと靴が、99000ギルダー。
その前の月が指輪と服で85000。
その前が・・
考えると、使う金額が年々ヒートアップしている。その内、六桁台に手が伸びそうで怖い!
その上セピアは良く物を壊すので、時々ドンと大きな金額の弁償台が飛び込んでくる。
俺なんて、この格好全部合わせても10000もしないのに。
もう、ずうっと服の一枚も買えないのに。
俺等の給料なんて、軍でも一番安い方なのに。
くすん・・・
みんなで出し合う生活費と、決め合って貯めている預貯金。
(この星は福祉が発達していないので、年金とかはない。皆、若い内に貯めるのが常識。)色々出していると、残りはほとんどセピアが洗いざらい使ってしまう。
買ってくるはしから売りに行っても、買い取り額はガクンと下がる。
もちろんセピアは入ってきた以上に金を使ってしまうので、足りない分はブルーの金で穴埋めしている。
ああ、よくよく考えると、その甘さがあいつの為になっていないのか・・
ブルーはこうして、永遠にあの贅沢貧乏神と付き合いきれるのか、不安で仕方がない。
しかしそれでも、彼女には自分しかいないのだ。と、今は自分に言い聞かせるのが精一杯だ。
止めなきゃ・・
何とか買い物を止めなきゃ、でないと・・
ガバッと空を仰ぎ、頭を掻きむしる。
「俺達また預金マイナスだああ!!」
悲壮な声が辺りに響き渡り、また一斉に注目を浴びる。
しかし、今はそれを気にする暇もない。
行動しなければ!彼らは一気に今、坂道を転がり落ちている真っ最中なのだ。
「格好いい男と一緒にいるって言ってたな。
一体どんな奴だ!服も買ってやれないなんて、余程貧乏くさい奴か?!くそっ!どうせなら金持ち見つけろ!
ああ!どんな奴かあのゴウツクババアに聞くの忘れた!」

仕方ない。

ブルーはベンチの上にあぐらを組み、じっと瞑想を始めた。
この小さな街の人混みの中で、彼女だけを、セピアだけを探す。
それは広大な森で見失った彼女を探すのより難しい。
沢山の人間の意識をふるいにかけ、強烈な物欲に囚われているはずの彼女の心を探す。
穏やかな風が吹き、子供達がそばでボールを蹴って遊び始めた。
隣のベンチに、若い恋人達がいちゃいちゃしながらヒソヒソ話しで笑い合う。
周りの雑音に振り回されない集中力で瞑想が続くその姿は、周りの景色と解け合い、まるで石ころのように誰も気にもとめなかった。
ポーン・・ドガッ!
ボールがブルーの頭に命中し、後ろの池にポチャンと入った。子供達があっと立ち止まる。
ブルーは、まるで気が付かないのか動かない。
「ね、怒られるかな?」
「寝てるんだよ、ボール取ってこよう。」
「う・・うん・・」
そうっと、横を子供達が後ろの池に向かう。その時、じっと目を閉じていた彼が、いきなり「うっ!」と目を開いた。
「何だ?!気持ち悪い!どうして?あーくそっ!わーっ!くそうっ!なんで頭が痛いんだ!」
子供達が、キャーッと逃げてゆく。
隣の恋人達が、怪訝な顔をして立ち去った。
「うー、なんで?あの、バカ。」
セピアを、彼はようやく見つけたのだ。
しかし、彼女の横には、夢で見たあの強烈な殺意。
セピアは、それを承知で付き合っている。
ピリピリと、奥の虫歯が痛み出すような緊張感を走らせながら、何とかそれを解きほぐそうとしているのが意識下にはっきりと見て取れる。
そして彼女は、ブルーの接触に気が付いたとたん、強烈に心の中で怒鳴ったのだ。

”来るなっ!来ちゃ駄目よ!”

何度も何度も。
ブルーは仕方なく、それで出直すことにした。
あの、買い物以外は全て面倒くさがる彼女が、どうしてあんな殺意と付き合っているのか。
しかもあの殺意は、強烈にその半分は彼女に向いている。
不可解な思いに捕らわれながら、彼はまた水を飲んでジャケットをパンッと直し、彼女の存在する方向へと駆けだした。

 この街の裏に広がる池、そこはレナ湖とこの街では呼んでいる。
出生は派手な核爆弾によって出来た物ではあるが、偶然溢れ出した清浄な湧き水と、自然に出来た川が周辺の人々には愛され、親しまれている。
レナ湖のレナとは、ここに最初に移住した人々に生まれた、最初の子供の名から取ったらしい。
辺りには森が広がり、どんなに渇水の時も困らない豊富な水が、この街をここまで活気に満ちた物にしたのだろう。
街の中心部の裏側には、この湖畔を楽しむようにいくつかのカフェがデッキを開放して開かれ、人々の憩いの場になっていた。
そう言えば、とセピアが思う。
そう言えば、あの遺跡を壊すとき、対岸のこのカフェーはみんな閉まっていたっけ。
湖に出る道は全て閉鎖して、あの作業をする午前中、湖畔の宿もすべて閉めたらしい。

ドーン・・

あの音はどう誤魔化したんだろう。
クスクス笑いがこみ上げる。
この街はどうも他人の目が気になって仕方がないらしい。
よそ者意識が強い割に、旅人には愛想がいいのも変わったところだ。
カインでは遺跡は珍しくもないのに、異常に怖がるのもあのクローンの事件があるからなんだろうな・・
ミリカ村、全滅事件・・
そう言えば、ここから2時間も車で走ったところだ。今は廃墟になって、誰も住んでいない。
「あんた、どうしてだ?」
向かいの男が、震える手でコーヒーのカップを取り、ソーサーの上でかたかた鳴らす。
セピアはシフォンケーキをつつきながら、傍らのオレンジジュースをストローでチューッと飲んだ。
向かいの男は、会ったときほどではないが、相変わらず殺気を走らせ、反対の手にはジャケットの中でナイフの柄を握りしめている。
同い年くらいだろうか、酷く疲れた様子で先程買ったジャケット以外の地味な服は、すっかり張りを失って、ヨレヨレでしわくちゃだ。
こんな田舎では珍しく細面の冴えたハンサムなのに、ブロンドの髪はツヤを失い、薄茶の瞳には狂気が宿っていた。
「どうしてってー?」
「だから!どうして逃げない?!」
イライラした口調で吐き捨て、コーヒーを飲み干してカップをガチャンと荒々しく置く。
それを見てセピアは、のんびり身を乗り出しにっこり笑った。
「ねえねえ、今度何飲む?何か食べる?」
「お、お、お前!俺を・・!」
馬鹿にしているのか?と言いかけて、彼がナイフを取り出そうとする。
「駄目よ。あんた、駄目。」
「俺に、俺に殺せないって言いたいのか?
俺だってあんた一人くらい簡単に殺せる。
あんたが思い残さないように、こうして付き合ってるだけだ。それを食い終わったら殺す!
お前達を殺さないと、いつかは俺がやられる。
そ、そうだ・・お前の次は、あの男だ。」
クックックックと含み笑いで、少し落ち着いたのかナイフをまたなおした。セピアもそれにホッとして、それから少し考える。
二人の間を冷ますように、湖から冷たい風がヒュウッと吹いてきた。
「ねえ、どうして自分をクローンの息子だって思うの?」
男の顔が、ぴくぴくと歪む。
「お前なんかに、俺の苦しさがわかってたまるかよ。俺は、ずっと目立たないように、ひっそり暮らしてきたんだ。
わかるか?子供ン時からずっと、あの森ン中で。誰にも会わないように、人を避けて。」
そう言って指さすそこは、湖の対岸に広がる森。
あの森に、ずっと2人で暮らしていたんだという。年老いた祖母と二人で、細々と民芸品を作りながら。
「ふうん。」
ところが、セピアは聞いているのか軽く返事を返す。男はますますイライラして、それでも何とか自分の境遇をこの勘の鈍い女にわからせようと、何度も説明し始めた。
「俺はな、お前をこんな物使わなくても殺すことが出来るんだ。そうだ、こんな物いらない。特別に俺の力を見せてやろう。これがクローンの証だ。」
男がソーサーの上のスプーンを取り出す。
「くっ!」っと集中して見つめると、スプーンがまるで柔らかいアメのようにとろんと曲がった。
「こんな事、序の口だ。もっと集中すれば、お前の心臓だって握りつぶせる。」
「へえ、そりゃ凄いわ。で、やった事あるの?」
ウッと言葉に詰まった男が、急に昔を思い出し項垂れた。思い出したくない記憶を、そうっと蓋を開けて怖々覗き込むような感じだ。こんな狂気も、全ては過去に原因があるのだろう。
次第に彼の瞳が、悲しく揺らいだ。
「壊し屋だ、軍だって、チヤホヤされてるお前達には、俺の苦労なんかわからないさ。
こんな力持ってるばかりに、親兄弟に捨てられて、村を追われて、婆ちゃんが助けてくれなきゃどうなってたか・・
でも、絶対この街に来ちゃ駄目だって・・
俺、いつこの力が知れて、また追い出されないかって、ずっと、ずっとビクビクして暮らしてきたんだ。」
「でもさあ、婆ちゃんって優しかったんでしょ?いいじゃん。」
男が顔を上げ、キッと睨む。
わかってないと、首をブンブン振った。
「あんたにわかるかよ!婆ちゃんはな、俺の本当の婆ちゃんじゃない。
この街道沿いでたった10ギルダーを渡されて、父親って奴にポイと馬車を降ろされた後、遠ざかる馬車を追いかけて追いかけて、疲れて。
泣きながら行く当てもなく歩いてた俺を、拾ってくれた恩人だ。優しいなんて、そんなかったるい物じゃない。
もっと、ずっと・・」
男が片手で顔を覆い、うっすらと涙を流す。
セピアはぶすっと残りのケーキにフォークを突き刺して、ヒョイとそれを持ち上げた。
「これ、このケーキ好きな男がさ、兄弟にいるんよ。」
「それが・・」どうしたっていうんだ。
「うふふ・・あんた見てると、その馬鹿思い出すんだよねー。」
ヒュウウ・・・
強い風が巻き、男の白けてボサボサの髪がなびく。セピアはそれを懐かしそうに眺めながら、クスッと笑った。
「あんた、綺麗に手入れすれば綺麗な金髪だろう?そんなボサボサにしちゃってさ、もったいないよ。顔だって、げっそりしてるけどハンサムなのに。」
「よ・・けいな、世話だ。こんな気持ちで・・髪なんか・・・」
「うふふ・・その兄弟って奴もさ、昔は凄くサラサラの金髪で、男なのに綺麗な顔してたから、腹が立つほど羨ましかった。
ほら、あたいの髪、セピア色だって言うけど、くすんだ赤毛じゃない。
金髪ってね、羨望の眼差しって奴よ。」
セピアが髪をなで上げ、ケーキを一口パクリ。
男は無言で、涙が流れるのに任せて身動き一つしない。セピアの話を聞いているのかわからなかったが、彼女は構わず続けた。
「昔って、変でしょ?あたしもね、髪の色が変わるなんて思わなかった。
あんな綺麗な髪が。
・・・強いのか、脆いのかわかんない。
でも、それ程残酷な目に遭ったんだってね、髪が教えてくれた。
見るのが怖かったわ。
真っ白になって、顔がげっそりやつれて・・」
「そんな目に遭うような事するからだろ、自業自得じゃないか。俺は自分自身は何も悪くない。」
じっと、セピアが彼の顔を見て、悲しそうに微笑む。男はまた、ナイフの柄を握りしめていた。
「そ、だね。自業自得だね。あんたは何にも悪くない。そうだね。」
セピアが呟いて、氷が溶けてしまったジュースを一息に飲んでしまうと、残ったケーキを食べてしまう。
男は、ようやく、と、意を決して立ち上がりかけ、それを見越したように、セピアが近くの店員に手を挙げた。
「すいませーん!また同じ物下さーい!
あ、彼にもシフォンと・・私と同じ物ね。」
「な・・俺はいらない!」
「ああ、いいの、じゃあ頼みまーすっ!」
店員が、にっこり頷いて奥に消えた。
男は、ポカンと呆れ返りながら溜息をつく。
膨れあがった殺気を大きく削がれ、両手をバンッとテーブルについた。
「お前!俺を馬鹿にしているのか?時間稼ぎなんかし・・まさか、仲間を待っているのか?そうだな?きっとそうだな!」
「あら、いやだ。私がブルーを待ってるわけないじゃない。あいつとは喧嘩別れしてんの。
あんな腐れチ○ポのカマ男。」
「く、腐れ・・」
セピアの悪態に男が絶句する。
その時いきなり横から、明るい声が元気良く上がった。
「お待たせしましたー!当店自慢の特製ハーブシフォンとオレンジジュースです!どうぞごゆっくり!」
コトンコトンと、二人の前に並べてにっこり店員が去ってゆく。
どうせ痴話喧嘩か何かだと思われているのだろう。店員も心得ているのか、輪をかけて愛想良く二人に微笑み、おかげで彼もまた気迫を削がれてがっくりシフォンとジュースを眺めた。
「おいしいよ、食べよ!お腹空いてるとさ、力出ないよ。ナイフの刃も、あたいの薄ーい脂肪で止まっちゃうよ。」
男の目が、次第に平静を取り戻していく。
「お前・・良く食うな。」
「あたいはね、そう言う風に身体ができてんの。倍食わないと、生きていけないからさあ、食費がかさむのよねえ。
ねえ、それで婆ちゃんはどうしたの?」
ハッと男が息を飲み、おもむろにジュースを一口飲んだ。
爽やかな柑橘系特有の甘酸っぱさが口に広がり、心にほんの少し風を送ってくれる。
思い切って食べたシフォンはほんのり緑の香りがして、殺風景な心の中に、青々とした草花が小さな芽を出してくるような気がした。

ばあちゃん、

心の中でそう呼んでみる。
まるで夢を見ているような穏やかな寝顔が、何度も浮かんでは消えてまた涙が浮かんだ。
「死んだ。一週間前。」
ポロポロと、男の目から涙がこぼれる。
セピアがツナギのポケットからクマ模様のハンカチを取り出し、ハイと差し出した。
「あんた、泣き足りないんだよ。きっと。
もっと泣いていいんだよ、悲しいときは。」
男が、ハンカチを受け取って涙を拭く。
拭いても拭いても止めどなく流れる涙は、一体何の涙なんだろう。
婆ちゃんが死んで、悲しいのか。
それとも不安で怖いのか。
「あんたさ、これからどうするの?
生きる当て、あるの?あたい殺して刑務所入るの?」
「そんなもの・・・どうせ俺なんか、だれも気にもかけちゃくれない。」
本当の家族は、もういない。
暖かい食べ物を、作ってくれる人はもういない。
「あんた、幾つ?名前は?」
「え?・・・そんなの、聞いてどうしようって・・」
「なってあげるよ、あんたを心配する人2号に。あ、1号はあんたの死んだ婆ちゃん。だから永久欠番ね。」
何でもないことのように、セピアはさらっと言ってのける。
そんな半端な同情なんて・・馬鹿馬鹿しい。
「だからさ、人を殺すとか行き当たりばったりの、超馬鹿げた考えに頼らずにさ、ちゃんと相談しなよ。この2号にさ。
燃えるような殺気をメラメラ起こす力があるんなら、あんたちゃんとやっていけるよ。ね?
大体さ、あれだけの殺気で、あんた一息にあたいを刺すことが出来なかったじゃない。
目が合って戸惑ってたあんたに、あたいが最後に買い物したいって言ったとき、あんたホッとして付いてきてくれた。あんたは本当は優しいんだよ。
似合わないことしないでさ、せっかくハンサムなんだから男磨きなよ。もったいないよ。」
パクパクとシフォンをほおばりながら言う彼女は、まるで失恋の相談でも受けているようだ。
彼は次第に自分が馬鹿馬鹿しく思えて、ドッと吹き出す涙をそのままに、とうとう彼女にうち明けた。
「だって・・・・だって、俺はこれからどうすればいいのかわからないんだ。
婆ちゃんは街とも接触あったけど、俺はぜんぜんで・・・・
婆ちゃんいきなり朝起きたら死んでて、いつも来ていたおばさんは、俺の事をクローンの子じゃないかって気味悪がってて、埋葬した後は来てくれないし。
旅に出ても、こんな力持ってるとどこへ行っても嫌われる。どこに住めばいいのかわからない。
どうしよう、婆ちゃん、婆ちゃん・・・!」
おいおい泣き始めた彼の隣りに、セピアが椅子を持って移動する。そして彼の肩に手を回してしっかり抱きしめた。
「困った子ねえ。大きいなりしてさ。」
痩せた肩は、まるでレディアスの薄い肩を思い出させる。
何か、かわいー!
ギュッと胸に抱きしめ、ボサボサの髪を撫でていると、余計可哀想になって抱きしめる手に力がこもった。
「ウウ・・痛いよ!うう、ひっく、ひっく、痛いよおばさん!ひいっく!」
「何?!おばさん?」
ガバッと手を離して、起きあがった彼の顔をじっと眺める。
「あんた!幾つよ。失礼ね!」
ツヤと張りを失った顔は、目も落ちくぼんでクマがあり、どう見ても年上に見える。
「俺、16だよ。おばさん。」
「ひええええええ!じゅ、じゅうろくう!」
「ぶうっはははは!ひゃはははは!おばさんジャン!ひゃはははは!」
叫んで絶句するセピアの後ろの席で、いつの間に座っていたのかブルーがとうとう吹き出した。
一体いつ来たんだろう。
それに気付かないほど、実はセピア自身緊張していたのだ。
騒ぎを起こしたら、そこでこの子の人生はまた狂い出す。そっと落ち着けようと、慣れない説得何かするもんじゃない。
「なあんだ、来てたんだ。」
セピアはブルーの姿にドッと疲れが吹き出して、ジュルジュルジュルとジュースを飲み干した。

 少年は、アイルという名だと言った。
本当の名はデッドらしいが、婆ちゃんがそれは良くないと、アイルという名を付けてくれたらしい。
ブルーが気を利かせ、腹が減ったろうと食事を出すと、この一週間、ろくに食べずに井戸の水しか飲まなかったので、髪はボサボサで顔もガサガサになっちゃったと、ようやくにっこり笑う。
「あら、かわいーじゃん。」とセピアが言うほど、彼は穏やかになってようやく少年らしさを取り戻した。
 ブルーも加わって三人向かい合い、アイルの話を聞くとそれは意外な話しだった。
彼が婆ちゃんと呼ぶ女性は旧レダリアの科学者で、40年ほど前までコールドスリープで眠っていたというのだ。
「婆ちゃん、新しい世界で生きたいって、家族を捨てて眠りについたんだって言ってた。
もう戦争なんか嫌だって。
ずっとクローンの研究してきて沢山殺したから、きっとまともな死に方出来ないっていつも言ってたんだ。でも、眠ってる内に死んじゃったから、苦しまなかったよ。きっと。」
「へえ、だからあんな森の中で隠れて住んでいたのか。レダリアの人間がコールドスリープに入っているの見つかったら、強制的に蘇生して、即逮捕だからな。」
ブルーの言葉に、アイルが不安な顔をする。
言っていい事と悪い事があるんだと、そこで戸惑ったようだ。
「君は心配いらないよ。もう、本人は亡くなっているんだし、君は無関係だ。」
「そう?良かった。婆ちゃんに傷を付けたら、申し訳ないから。」
自分の事より、婆ちゃんを大切にしたいのだ。
優しい子なのに、どうしてあんな殺意を抱いたのか、ブルーは不思議に思う。
それ程強い物だったのだ。
「君は、どうして俺達を殺さなきゃって思ったの?半端じゃなかったよね。」
アイルが俯き、ギュッと手を握りしめる。
セピアが、彼の背を撫でて助け手を出した。
「自分を、クローンだって言うんだ。
だからあたい等に殺される、殺される前に殺さなきゃって。一人で怖かったんだね。」
アイルが弱々しく頷いて、鼻水をすする。
ブルーにはそれが何故かと聞かなくとも、全て心の声が届いていた。
アイルの心には、婆ちゃんと交流のあったおばさんが恐怖の対象として大きく膨らんでいる。
そのおばさんのアイルを見る目が、自分を捨てた母親と重なるのだ。
ましてたった一人の保護者を失い、不安で打ちのめされている子供に大人達は・・
「俺、あんまり悲しくて、おばさんの前で少し、力出ちゃった。
婆ちゃんの杖、棺に入れるとき、に、握りしめてたら・・杖が、弾けたんだ。
バンッてバラバラに・・・
みんな、びっくりして、俺をクローンじゃ、ないかって。
お・・おばさんが、もうすぐ軍から管理局が来るから、お前みたいなクローンはきっと殺されるんだって。
ランプの油が切れて、真っ暗な夜が続いて。
毎日怖くて、たまらなかった。
殺されると、婆ちゃんみたいに、冷たく堅くなるんだって。
怖くて怖くてたまらなかった。
だから、殺してやる、殺せば済むんだって思うことに集中したんだ。
心が疲れて、もう他の事、何にも考えられなかった。
ごめんよ、ごめんなさい。」
ポロポロ、ポロポロ、アイルの目から涙がこぼれる。
ブルーはわかったと頷いて、彼に切り出した。
それが彼にとって、一番いいと考えられるからだ。
「アイル、俺達と一緒に行こう。
アイルの力は、使い方次第ではみんなの力になるんだ。行こう。」
「そうだよ!行こう行こう!サスキアは都会だし、人間も多くて、こんな田舎みたいにやたら世間体ばかり気にする所じゃないよ。
自由があるんだ。」
アイルがパッと明るい顔をして、迷いながら俯く。
全てを捨てて旅立つには、あの森は婆ちゃんと暮らしていたときの安堵感があって離れがたい。今はあの森が、優しくアイルを包み込んでくれる婆ちゃんの思い出なのだ。
「でも・・俺、婆ちゃんの家がある。
あの家、守らなきゃ。婆ちゃん寂しがるよ。」
「死んだ奴の事何か忘れなよ。婆ちゃん、アイルが幸せだったら万事オッケーよ。」
「でも・・」
老人と暮らしたアイルは、魂の存在を信じている。セピアには逆立ちしてもわからないことだろう。
「どうする?俺達は明日帰るんだ。」
じっと神妙に考える彼が、フッと顔を上げ首を振ってにっこり笑う。迷いの中の大きな決心が、今はあの森を彼に選ばせた。
「やっぱり、婆ちゃんが残してくれた家を、俺守っていく。何とかあのおばさんに、わかって貰えるように説明して・・・少しずつ今まで作ってきた民芸品作って生活する。
一人で大丈夫だよ。俺にはあの家があるもん。」
明るい笑顔に、ブルーが手を伸ばして手をギュッと握る。
がんばれよ、と言うつもりで口を開いたとき、ブルーの頭には森に建つ小さな家が、音を立てて壊されるビジョンが広がった。



 世捨て人のように暮らしていた彼女の粗末で小さな家は、湖から森へ少し入った、鬱蒼とした所だった。
街からは、まるで獣道のような道を通り、互いに行き来する。
しかし生前、彼女はまるで人を避けるように、作った民芸品を納める為に店に行き、その金で生活物資を手に入れる他はほとんど街へ向かおうとせず、街からたった一人、町長に頼まれて様子を見に行く婦人だけが時々、迷惑そうな顔でこの道を通っていた。
 アイルが家を出て数時間後、婦人に連れられて町長と一人の男がその家を訪ねていた。
年は30代も終わり頃。
黒髪にブラウンの瞳は、どこか亡くなった彼女の面影を思い浮かばせる。
懐かしそうに家の周りを歩き、家の中の物を物色しながら町長と神妙な顔で話し合っていた。
「・・・・で、このまま空き家にしておくと良からぬ輩が住み着かないとも限りません。
何しろ街道沿いで人も多いですし。」
「ええ、わかっていますよ。」
町長が言いにくそうだが、男は寂しい顔で快く応じている。
どうやらここに住む気はないらしい。
「私は母の形見をいただけたらそれで・・向こうへすでに家も建てて、妻も子もいますから。
ここはそちらのご迷惑にならないようにされて構いません。
何しろ、私もこの家を出たきり十数年帰っていませんで・・・何度か母を呼び寄せたのですが、今は駄目だと理由も言わずに結局そのまま。
誰かと住んでいたんでしょうか?この服は?
ご存じですか?」
アイルの服をつまんで広げると、ポイと棚の上へ放る。横から婦人が首を出し、アイルの服が入ったカゴを持ち出して困った顔で首を振った。
「寂しかったんでしょうねえ、街道で拾った気味の悪い子を育ててたんですよ。
いないのを見ると、ようやく出ていったのかしら。あんな子を拾うから、息子さんの所にも行けないで、街とも疎遠になっちまって。
こんな物、庭で燃やしましょうか?」
「どこへ行ったのかねぇ?騒ぎでも起こさないといいが。
出身のはっきりしない子は困るよ。この街は、治安がいいから人気があるんだ。」
町長は、アイルが騒ぎを起こさないかと、以前から心配している。何しろ自分の任期の内は、何事もないように願っているのだ。
最も感受性の高いとき、タガが外れて暴走する少年が村々を荒らすのは珍しくない。
厳しく貧しい生活で、辛い思いをするのは大人達だけではないのだ。 
立派な畑を持っていても、いまだ作物の出来高が安定せず、水道より井戸が多く、電気もないところが多い。
ようやく安定した生活を、壊されるのが何より恐ろしいのだ。
「しかし、ここで暮らしているなら、この家を壊すとその子は困るでしょう。」
「とんでもない!家があったら、また帰って来ちゃいますよ!あの子はね、変なんですよ。
お母さんもね、あの子を拾ってから街とも疎遠になっちゃったし・・何しろ気味の悪い子で・・」
母親の生活ぶりや様子を窺い聞いて、男は神妙に何度も頷いては首を振る。
婦人はアイルが奇妙な力を持っているらしいことを、饒舌に語って出来れば街から追い出したいと言った。
町長も無言で頷く。
彼も埋葬するとき、アイルの握った杖が弾けるようにバラバラになったのを見て、恐怖を感じた一人だったのだ。
街の住人ではすでにそれが密かな噂となり、外部に漏れるのを何より心配していた。
「わかりました、それではそちらの良いように。私も仕事がありますし、形見に多少必要な物を持って帰りますから、後はお任せします。」
男が溜息をついて、町長に苦笑いする。
何だか胡散臭いところだ。
俺が住んでいる頃はこうはなかった気がする。
栄えて生活が良くなると、こうも人間が小さくなるのか。
昔はもっと、思いやりがあって楽しいところ・・・俺の中では今でも故郷なのに・・
久しぶりに会う人々は、あか抜けた服を着てジロジロと人を値踏みするような目で見る、下卑た人間に変わってしまっていた。
「助かります、では2,3日後に取り壊しにかかりますので・・出来れば一筆よろしいですかな?後々面倒なことは、お互い避けたいですからな。」
「いいですよ、私は別に。その面倒なことが何か、見当も付きませんが。」
「いやいや、はっはっは、それは失礼。」
テーブルに用意してきた紙を広げ、男がサインを始める。
それを見守る町長の背後で、ドアの向こうに足音が微かに響いた。
「おや?誰か来たかな?」
「まさか!あの子じゃありませんかね?あたしが追い払ってきますよ。」
婦人が鼻息も荒く、ドアへ向かう。そしてノブに手を添えようとしたとき・・

ガタン・・・!キイィィー・・・

ドアがゆっくり開き、人影がスウッと伸びた。
ドキンと、胸が何故か早鐘をうつ。
足がスッとすくみ、婦人は驚いて一息ついた。
馬鹿なこと!
相手はたかが子供、何を怖がる必要がある。
「誰?アイルだね?」
返事のない来訪者を、ドアへ迎えに出た婦人はそこで、アイルなど比べ物にならない恐怖の対象を目の当たりにして、蒼白な顔で立ちすくんだ。

 アイルを先頭に、セピアとブルーが森を歩いていると、ブルーがいきなり立ち止まって空を仰いだ。
「どしたん?ねえ、ブルー?」
「・・・・・恐怖だ。強い恐怖が、森に反響している。」
ブルーの瞳が何かを捜すように激しく動く。
セピアは相棒の勘を察して、アイルの背をドンと押した。
「アイル!走って!早く家へ行こう!」
「う、うん。」
何が何かわからずアイルが走り出し、それに続いて二人も後を追う。
その時、遠くからただならぬ悲鳴がとぎれとぎれに森を引き裂いた。
「ブルー!」
「セピア!先に行け!」
「ラジャー!アイル!行くよ!」
「えっ?ひゃあ!」
ヒョイとセピアが、自分と変わらない大きさのアイルを小脇に抱える。
道がはっきりしないからには、アイルの道案内は必須だ。
全力で走るブルーを置いて、セピアが全身の筋力をしなやかで強靱なバネと化して全力で走り出す。
木々の間を吹き抜けるように、風と言うより竜巻のような異常な早さで、その姿はあっという間にブルーの視界から消えさった。
 「キャアアー!!ギャアア!!誰か!誰かあー!た、助け・・」
たどり着いた家の庭先に、婦人が一人倒れている。
ザザッと滑り込んで止まったセピアは、息も乱さずアイルを下ろし、回りに目を配りながら婦人に駆け寄った。
「どうした?」
しかし、婦人は恐怖で口がパクパク声が出ない。
「おばさん!おばさんどうしたの?!」
アイルが足下をふらつかせながら婦人に飛びつく。
「ア、アイルー!アイル、助けて!助け・・」
婦人は泣きながらアイルに抱きつき、そのまま気を失った。
「アイル、そこを動くなよ、何かあったらでかい声出しな!」
セピアは腰から銃を取り、家の窓から中を窺った。
ひっくり返ったテーブル、椅子。
物が床に散乱し、そして・・中年の男が倒れている。
死んでいるのか?いや・・
そうっと、覗き込んだ、その時!

ガシャーンッ!ガッ!
「うっ!」

いきなりガラスを突き破り、女の手がセピアの腕を掴んだ。
尋常でないその力と引き合ううち、相手がその姿を現す。
真っ直ぐな美しいセミロングのブロンドに、人形のような美しい女の顔。そして何より、最も特徴的なその赤い瞳!
「あんた!クローンじゃん!一体どこから!」
相手がクローンなら、手加減は一切必要ない。
セピアは腕を掴んでいるその手首を掴み、一気に外へ引き出した。
「ひいっ!」
ガシャン!バンッドンッガチャン!
窓枠ごと、クローンの女が外へ引きずり出される。
「セピア!他は?!」
「遅いよ!ブルー!」
「ごめん!」
後ろで追いついたブルーが叫びながら、アイルと婦人を少し離れたところへ避難させる。
「中に人間がいる!任せたよ!やあっ!はっ!」
「よしっ!」
セピアが、クローンと組み手を始めた。
どちらも戦闘のスペシャリスト、なかなか勝負は付かないだろう。だが、ブルーはセピアには目もくれず家へと向かった。
 銃を手に、ドアからそっと中を窺う。
気配は二人。
しかし、気配を消したクローンがいないとも限らない。
サッと中に突入するなり、四方に銃を向ける。
荒れた室内にはしかし、倒れた男性が二人意識を失っていた。
「おい!しっかりしろ!生きてるか?」
傍の若い方の頬を何度か叩くと、呻きながら顔をしかめる。
肩を少し揺すったとき、ようやく目を開けた。
「うう・・あ、何だ?俺、どうしたんだろう。
あんた・・誰?」
記憶がどうやら混乱している。
瞬時に襲われたのか、襲われた時を覚えていないようだ。
「身体は無事か?頭は?」
「いや、そうだな、鳩尾が少し・・」
無事を確認して、奥の中年の男性に向かう。
「でやああ!はっ!やああ!!」
ドーン!バキバキッ!
ふと窓外を見ると、セピアが蹴りで森の木を一本倒した所だった。
フットワークも軽く、軽業師のように身をこなして次々に重い突きや蹴りを繰り出すセピアに、さすがのクローンもかわすのが精一杯のようだ。
あのクローン、武器を持たないだけましか。
しかし、どうしてここに・・一体どこから?
そうだ!一体どこから・・!
「セピア!殺すな!」
ブルーがぽっかり空いた窓から身を乗り出して叫んだ。
「えー!どうし・・」
セピアがそれに、一瞬気を取られる。
よろめきながら蹴りをかわしていたクローンが、それを見逃すはずがない。
「カッ!」
大きくその真紅の目を見開き、セピアに向けてバッと手を振り下ろす。

ボンッ!ゴオオオ・・!

「ギャッ!ギャア!あぢいっ!」
突然セピアが炎に包まれ、火だるまになって地面を転がる。
このクローンは、発火能力を持っていたのだ。
「セピアッ!息止めろっ!」
ブルーが窓から飛び出すと、両手をセピアに突き出し、一瞬で意識を集中させた。
ボオオオ!!ボンッ!ボボッボボッ!
セピアを包んでいた炎が、スッと潮が引くように消えてゆく。
消えたと同時にブルーは手を下ろし、慌ててセピアに駆け寄った。
「無事か?!おいっ!」
「ひー!熱い!息苦しいよう!息が出来ない!
ギャー!髪がチリチリだよう!」
「大丈夫、まだ美人だ!
息もしてるだろ!火が消える間、お前の周りの空気を抜いただけだ。
それより・・」
セピアは服が少し焼けて、髪がちりちりになっているが酷い火傷はなさそうだ。
ホッと胸をなで下ろすブルーは、その間にアイル達の方へ駆け寄るクローンに目を留めた。
「このっ!」
よくもセピアに!
怒りに燃えたブルーがバッと立ち上がり、その青い瞳を更に青く青く燃え上がらせる。
意識をクローンに集中させた刹那、アイルに手を伸ばしたクローンの身体は、何かに釣り上げられたように飛び上がり、森の木よりも勢い良く高く舞い上がると、瞬時に地面へと叩き付けられた。
「ひあっ!がっ!」
ドシャッ!っと鈍い音が上がり、また空高く舞い上がって地面へ叩き付けられる。
そしてまた・・・機械で打ち込まれる早さで、クローンの身体が抗う間もなく地面へ叩き付けられる。
セピアが思わずブルーの身体に後ろから抱きつき、その耳元で叫んだ。
「ブルー!止めて!あんた殺すなって言ったじゃないか!アイルが!アイルが見てるよ!ブルー!」
血だらけで舞い上がったクローンから、血がパタパタと雨のように降り注ぐ。
ハッと気が付いたブルーは、気を失った婦人を抱きかかえ、蒼白な顔で凍り付いているアイルにビクッと震えた。
ゆっくりと、クローンの身体が降りてくる。
地面に横たわるその身体は、すでに至るところが骨折して鼻も潰れ、血だらけの顔には美しさの面影は消えていた。
「ごめん、セピア・・」
ブルーがハアッと一息つき、額を袖口で拭うと二人で横たわるクローンを覗き込む。
クローンは息も切れ切れだが、何かを呟いている。
アイルがフラフラと立ち上がり、そうっと近づいてきて、少し離れたところで足を止めた。
ブルーがクローンの顔に手をかざし、そしてゆっくり、その額に手を置く。
「私は・・」
クローンがゆっくりと、呼吸に合わせて声を出す。記憶を探ろうとしたブルーは、すがるような瞳のクローンに手を引いた。
「私は・・主の命で・・アイルを、・・・村に・・」
「えっ!」
思いがけない言葉に、アイルが駆け寄ってくる。
「主は・・・主が死んだら、アイルを、生まれた村にと・・・デッドを、捨てた親が・・住む村を、探しに・・」
ヒューヒューと、クローンの息が鳴る。
「俺が・・生まれた村・・?」
「ここから、西・・イ・・ファ・・村・・」
アイルがこの辺の街道沿いの村を思い出す。
ところが彼はあまりこの家を出ることがなかったので、地理にも詳しくはない。
しかし、それを知ったところで、もう生まれた村に帰る気もない。
婆ちゃんは、どうして・・・
息も切れ切れのクローンを見守っていると、クローンはフッとアイルに微笑みかける。
その顔が婆ちゃんの優しい顔に重なって、アイルはハッと胸に手を当てた。
「お前!そんな仕事があるのにどうして!」
クローンが、ブルーにニヤリと笑う。そしてふと、その表情が消えた。
ヒューヒューと苦しそうに鳴っていた呼吸音が、小さく掠れて消える。
「あっ!あっ!死んじゃう・・の?」
アイルの顔が、もっと詳しく知りたいという気持ちと死の恐怖で複雑に揺れる。
しかしクローンの顔からはスウッと生気が消えて、苦しさから解放された安らかな顔が残された。
ブルーが「馬鹿野郎」と呟いて、その開いている目を手でゆっくりと閉じる。
「何で?どうしてこんな騒ぎ起こしたの?」
セピアがブルーに問いかける。
彼には全てわかっていることを、確信しているからだ。
しかしブルーは何も答えず、悔やむようにその場にがっくりと肩を落とした。
「俺、俺イファ村って・・所だったんだ。
捨てられたの、4つか5つで、もう忘れてた。」
「イファじゃない、イファス村だ。
会いたいか?」
ブルーが顔を上げて立ちすくむアイルを見上げる。アイルはじっと考えて、そして首を横に振った。
「全然会いたくないわけじゃない・・けど。
俺は、俺の家族は、婆ちゃんだけだった。」
「そうか。それがいい。」
アイルに悲しげに答えるブルーを、セピアが見つめる。
彼には、全てがわかっている。
テレパスの彼には、クローンの心にあるそのほとんどを見渡せただろう。
しかしそれは、いい事ばかりじゃない。
苦しいことも悲しいことも、全部が彼の頭に流れ込んで、それでもいつもブルーは多くを語らない。
耳を傾ける一方で、心に多くを残さないように苦慮している。
たとえクローンでも、感情や意識がある限りは同じ人間なのだ。ブルーは全てを受け止められるほど、強い人間じゃない。
だから、ただの聞き役に徹するのだ。
そうでないと、心が疲れてボロボロになる。
それ程、人の心の闇は重い。
「おーい!誰か!医者を!」
家の中から助けを呼ぶ声に、セピアが慌てて立ち上がった。
「やだ!忘れてたよ!中にいるんだろ?死んだかな?」
焦げた髪をパラパラと払い、家へ入ってゆく。
ブルーはジャケットからディスクリーダを取り出すと、衛星通信で本部に連絡を取った。
民間人に被害が出たときには、連絡は必須だ。
これでこそこそ遺跡を片づけようとした町長達の目論見は脆くも崩れるだろう。
クローンが事件を起こした街は、多少なりとも影響を受けることは否めない。
いい気味だ、とブルーの目が冷たく冴える。
ニヤリと笑って死んだクローンに、少しはスッとしたか?と言いたくなる。
クローンは、町長達の会話をじっとドアの外で聞いていたのだ。
あの会話を聞いて、怒らぬわけがない。
主が一番危惧していた、自分の死後のアイルの身の置き方。
助けてくれるような街の衆ではない。
それなら、苦労するのがわかっていても、実の親元へ返そうと、それを捜せと命を下した主のアイルへの愛情。
目覚めたばかりの慣れない世界だったが、主はクローンに力になって欲しいと訳を話し、困らぬようにと金とサングラスを彼女に渡した。
死ぬ前の一瞬、走馬燈のように思い返されたその光景が、ブルーにははっきりと見えていたのだ。
目覚めたときこそ、殺し合いが始まると覚悟を決めていたクローンには、それが突然でも喜びだったに違いない。
主の愛情を伝えるアイルへの微笑みと、村の名を伝えることが出来た達成感。
クローンにとっては、他愛ない仕事でも満足したに違いない。
それだけが、ブルーには救いだった。

 被害は、と言えるほどではなかったが、折れた庭木はほとんどがセピアの仕業だし、実際は家の窓が壊れて室内が荒れているのみ。
婦人は頭にかすり傷程度、男性にケガはなかったが、町長は足の骨が折れていた。
「うおおお!痛い!痛いーっ!」
うんうん呻く町長に、ブルーが折れた足を板に固定する。
「よし、これでいい。単純骨折ですから、すぐ治りますよ。」
「何がすぐ治るだ!お前達のミスじゃないのか?!どうしてここにクローンがいるんだ!
アイルのせいだ!あのガキ!ひい!痛い!
ぶち殺してやるぞ!くそっ!」
ヒイヒイわめく町長は、すっかり自分を見失って悪態をぶつけてくる。
ブルーは町長ににっこりと、気味が悪いくらい微笑んで、ポンポンと優しくなだめるように肩を叩いた。
「あのクローンは、先日見つかった遺跡にいた者ではありません。
クローンはね、この星のどこにそのカプセルがあるかわからないんです。
それはここに住むならあなたは十分承知しているし、クローンに出会ったときの対処法もご存じのはず。
無闇に怖がらない、危害を加えない、怒らせない。
ああ!そうか、あなたは襲ってきたクローンから、命を賭して他の方を守ったんですね。
素晴らしい町長さんだ。
しかし良かった。
クローンは戦争屋です。
彼らにとっては殺す方が自然ですから、敵と見なしたら殺す。それが当たり前です。
通常、一瞬で殺されるのに殺されなかったなんて、あなたは素晴らしい。運がいい。」
微笑むブルーに、へなへなと町長が力を落として黙り込む。
いい気味だ、と冷たくブルーが一瞥した。
 アイルが街へ呼びに行ったポリスや町医者と、軍からのヘリを待ちながら、庭先でセピアがブルーにすり寄った。
「あのクローン、どこから来たんだろう。」
そっと、ブルーに問いかける。ブルーも、今は答えてくれた。
「ここだよ、婆ちゃんが一体隠してたんだ。どこにかは知らないけど。
だから息子さんとこに行かなかったんだろうな。空のカプセルはあの湖にドボンさ。」
ああ、とセピアが頷く。
クローンの全てを知っている科学者だから、クローンが手離せなかったのだろう。
「ねえ、ほんとにあの町長楯になったの?」
それには、ブルーもプッと吹き出した。
「まっさか!よろしいっすか?
クローンが入ってくるなり鳩尾を叩かれて、気を失ったのがあの息子さん。
それを見てあのクソ町長、慌てて裏口から逃げようとしてテーブルに足を取られて椅子ごとひっくり返り、ンで、怒ったクローンに足を踏まれてボキッ!
あのババアはもつれる足で、ヒイヒイ言いながら外へ逃げたわけ。」
「え!何だ、それだけ?」
「そ、それだけ。あいつ、殺すまで、なかったのにな。」
ブルーが寂しそうに呟く。
「仕方ないよ、一度戦闘意欲に火がついたクローンは、人が死なないと火が消えない。
アイルに向かっているあいつ、きっとおばさんを引き裂いてたよ。
そんな顔だった。」
「いや、俺はさ、お前が燃えるの見て・・」
セピアを失う恐怖と、彼女を傷つけられた怒り。それを抑えきれなかった、自分もクローンと変わらないと思う。
セピアがキュッと腕を組んで、焦げ臭い頭を彼の肩にもたれかける。
「あたい、うれしい。」
ブルーは呟く彼女に微笑みながら、実は彼女と組んだ腕が万力で締められたように痛い。
怪力の彼女と付き合うのは、それなりに覚悟がいるのだ。
まあいいさ、折れたら嫌だけど。
彼はもう暫く我慢しようと、痺れる指から力が抜けるのを感じていた。




 翌日、予定通りブルー達は帰還するヘリを待つため、ホテルを出て街の外れに向かった。
昨日事情聴取が済んだ後、結局夕方には息子さんは自分の家へ立ち、アイルはあの家で一晩考えると言って別れた。
ヘリの大体の時間は言ってある。
しかし、アイルの目には、いとも簡単にクローンを殺してしまったブルーへの、怯えが見えていた気がする。
「あいつ、来ないかもなあ・・」
「来るよ!あたい賭けてもいい!」
ブルーが森の方向を眺めていると、後ろでボスンと、セピアが膨れあがったバックパックを降ろす。
ん?とブルーが考えた。
何か、大切なことを忘れているような・・
じっと、セピアの膨れたバックを見る。
「あーーーっっ!!」
「な、なに?クマでも出た?」
「違う!てめえ、古着屋で55000も何買った?!え?!何だ!そのパンパンのバッグは!見せろ!見せろよ!」
「あっ!駄目!」
ガバッとセピアのバッグにブルーが飛びつく。
慌ててそれをセピアが遮り、ヒョイと重いバッグを軽々と持ち上げた。
「駄目よ!やっと押し込んだんだから!
えっとねー、ドレス3枚買ったの、それとアイルにね、ジャケット。
いいの着てたでしょ?あの子、ナイフを裸で持ってンだもん、隠すのにいいでしょ。
セピアちゃん、あったまいい!」
ピョンとその場に飛び跳ねる。
それならナイフを取り上げろ!
ブルーは呆れて、カアッと頭に血が上る。
大体、彼女のドレスの趣味はもの凄く悪い。
どうしてあんな悪趣味な物を似合うと思ってしまうのか、先日買った物なんか、紫色がギラギラと光りに反射して、胸に大きな鳥の刺繍がドーンとあるという、何ともとても着られたもんじゃないと言う代物だった。
(しかし、その後みんなで酔っぱらった時に、遊びで無理矢理着せたレディアスには、妙に品があって似合ったが。)
つまり、着る奴を選ぶのだ。ドレスというのは。
「きっとね、きっと、ブルーも気に入るよ!
だから今度、ホテルのディナーに連れてってね!お姫様みたいなの!」
そりゃあ、てめーはいいだろうよ。でもなあ!
「あのーセピアさん、俺はスーツの一枚も持たないんですけど。」
「いいじゃない!ブルーはそれでいいわよ!
男は引き立て役なんだから!」
これだ!
誰かこいつの首を絞めてくれ!
「うおおおお!!くそうっ!」
雄叫びを上げて、それで何とか怒りを収める。
ああ、やっぱり今度はグレイにでも借金するか。
つらいなあ・・
ブルーの目に、うっすらと涙が浮かんだ。
 「おーい!おにいさーん!」
聞き覚えのある声に、あっと声の方を見る。
すると、大きなシーツで包んだ荷物を手に、アイルが走ってきた。
「ありゃ、まあ、あんな物に包んでるよ。」
セピアがクスッと笑う。
アイルは、あの家をようやく出る決意を固めたのだろう。
荷物は思ったより少なく、彼の質素な生活が読みとれた。
「はあっはあっはあっ、す、すいません。
俺、やっぱり行きます。」
明るい顔でアイルが、はっきりとブルーにそう言った。
彼は自分と同じ、力を持つ者と初めて出会えたのだ。その力を自由に使いこなす姿は、やはり端から見れば驚異だった。
その自分自身の反応に、ショックを受けたのは間違いない。ならば・・
異質な者と嫌われるよりも、他人の力になれるなら、それがどれほど素晴らしいだろう。
「俺、ちゃんとした・・人のためになる男ンなって、俺!それから両親に会いに行きます!」
「おっ!男だね!ちゃんと先々考えてるジャン!」
バーンとセピアがアイルの背を叩く。
「ぎゃっ!」
ボンと吹っ飛ばされて地面に叩き付けられるところを、アイルの身体は何かに支えられるようにフワリと浮いた。
「あ、あ、あれ?」
ストンと降りて、ブルーを見るとニヤリと親指を立てる。
アイルも指を立てて返すと、痛い背中を解してからブルーに飛びついた。
「俺!ブルーさんみたいに力のコントロール、上手くできるようになるかな!」
「ああ、出来るよ。ちゃんとね、嫌になるほど練習させられるよ。」
「俺!がんばるよ。」
「ああ、ただ、セピアには気をつけろよ。」
「まっ!失礼ね!」
確かに、人間離れしたセピアの力は怖いほどだ。
「アイル、あたいが恩人だって忘れてない?
ジャケットだって買ってあげたでしょ!」
プイッとセピアがそっぽ向く。
「忘れてないよ、心配してくれる2号さん!」
アイルがにっこり微笑んで、ピョンとセピアの腕に飛びつき、そして目を潤ませた。
「セピアさん、俺ね、いつも婆ちゃんが甘えっ子さんって言ってたんだ。
男なのに変でしょ?でもね、婆ちゃんだけは嫌な顔しなかった。婆ちゃんだけは安心してこうして飛びつけたんだ。」
「そっか、わかった、思う存分飛びつけ。
でもよ、年齢制限有り!いいおっさんに甘えられると気持ち悪いもん!」
「アハハハハ!了解!」
明るい表情のアイルには、もう初めて会ったときの狂気はない。
赤く頬を上気させた、ちょっとハンサムで甘えん坊の、ただの少年だ。
「あ!そうだ!これ・・」
アイルがシーツの袋から、大きな葉で綺麗に包んだ手の平大の物を取り出し、セピアに差し出した。
「おばさんが、ここの特産のミミックって木の実の蜂蜜漬けって。俺もね、貰って、これはお姉ちゃん達にって。
甘くて、美味しいんだよ。
おばさん、これ作って売ってるんだ。
おばさんね、がんばっておいでって・・ギュッて握手してくれたんだよ。びっくりした!
絶対嫌われてるって思ったのに。」
へえとセピアが笑う。
嫌な奴でも、結局助けを最後に求めたのはこの子だったのだ。今更ながら相当立場がないだろう。
「へえ!良かったじゃん!
あたい甘いの大好き!もらっとくよ!」
セピアが受け取り、自分のパンパンのバッグを見てブルーに渡す。
ブルーも無言で指を立て、アイルとニヤリと笑い合った。

バラバラバラ・・・ババババ・・

遠くから、迎えのヘリが近づいてくる。
これで管理局の支部まで行って、そこからまた輸送機に乗り込むのだ。
連絡では、同じ機体にもう一組の壊し屋兄弟、グレイとシャドウも乗り合わせているらしい。
夕方にはこの星最大の都市、サスキアだ。
三人はお互い顔を見合わせて笑い合うと、明日に思いを馳せながらヘリに大きく手を振った。

 ただし輸送機の中で、ブルーがグレイに借金を申し込んだのは言うまでもない。
セピアの買った悪趣味なドレスは、サスキアの古着屋では二束三文で買いたたかれ、たった1本の安いワインで消えた。
合掌。