桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  無垢なる魂

訓練を続けるグランド達だが、突然人間のダッドとミニー2人が特別管理官に配属されることになった。
自分たちの存在意義に不安を感じながら、外地への派遣に赴くグランドとレディ。
同行するダッド達2人となかなか馴染めないなか、現場で思わぬ事件が。


インドアサバイバルトレーニング。
それは文字通り、屋内型の訓練施設でやる、まあゲームのような物だ。
専用施設は管理局本部のはずれにあり、大きな体育館のような中に複雑に入り組んだ壁が、コンピューターで頻繁に部屋の間取りを変える。
それは丁度、家のような物なので、みんなモデルハウスと呼んでいる。
中は地下施設をイメージしてあるので、しかもしっかり薄暗い。
ここでは銃でホログラフィックの敵を撃ち倒しながら目標を確保する訓練や、管理官である彼らの場合、時間内に敵を倒しながら最奥の目標にたどり着き、ボタンを押して戻ってくると言った訓練など、多種多様のシナリオに沿って行う。
マーカースーツを着込み、デッドポイント銃で撃ちまくる。
銃は実際に弾が出るわけではなく空撃ち状態だが、スーツは銃と連動していて、当たったところに電撃による疼痛と共に表面に赤く印が付く。
しかもご丁寧に、当たった数はパネルに表示されてみんなにさらし首だ。

「はあぁぁぁぁぁ・・・」

座ってパネルを見ているグランドが、大きな溜息をついた。
パネルには、先に訓練を行っている別グループの点数と、誰が何処にいるというポイントや、カメラで中の様子が映し出されている。
1班がポイントを守り、2班が攻める。
3人対抗で、2班はもう一人しか残っていない。
いくら訓練とは言え散々な結果は、負けたチームも覚悟がいるだろう。
何しろ指導の爺さん、ボクサー・レイ軍事顧問が、真っ白の頭を真っ赤にしてイライラしながら終わるのを待っているのだ。
年寄りが退職した後まで、現職にちょっかい出さなくともいいようだが、局長の頼みでこうして顧問になっている。
よって、厳しい。
自慢じゃないが、威張れるほど銃の不得意なグランドが、気が重いのはその為だ。
一般管理官ならまだしも、ボクサー犬が相手に指名したのは・・・

「ボケッとするな、馬鹿野郎」
銃に不満そうなレディアスが、チッと舌打ちして、ドカッと背中を蹴った。

そう、相手はこいつだ。
こんな鉄砲馬鹿相手に、素人より悪いグランドが相手になるわけがない。
なのに、いつも2人で組んでいるのに「それじゃあグランドの訓練にならねえ」ときた。
余計なお世話だと、グランドも呆然とボロクソに負ける覚悟を決めるしかない。
負けたら、きっとまたマジでキツイ、軍のサバイバルトレーニングに行かされるに決まってる。
あれは本当に死ぬほどきつくて、さすがにグランドも帰ったときは痩せていた。
ついでに自炊も出来ないレディも、帰ったときは近所の空き地でしおしおの人参をかじりながら、自分で捕まえたらしい小鳥の羽をむしり、焚き火で焼いて食っていた。
すっかり原始人。生活力ゼロ。
しかも、洗濯も掃除もしないから部屋は荒れ放題の、汚れ放題。
レディ本人も汚れ放題、痩せ放題。
自分も心配だが、レディのことはその三倍は心配。
帰ったら、餓死していましたなんて洒落にもならない。
そうか、今度行くときはこいつも連れて行くかと思う。

「よし、レディが守、グランドが攻だ。レディ、向こうから回れ。」

ボクサーの声に、ハッとグランドが顔を上げる。
パネルには、外の通路を通ってゴールに入るレディのブルーの光点が光る。
「グランド、よし行け。いいか?せめて10発までだったら合格点だ。こないだみたいに入ったとたん殺されるなよ。
ホログラムの敵は4人。ロッドの使用は許可する。ただし、わかってるな。」
「了解、熱くなりすぎない。俺も訓練じゃあ死にたくねえ。」
ちょっとホッ、ロッドはグランドにとって、唯一使いこなせる貴重な武装だ。

それでは、訓練開始!

ドアの横に立ち、両手で銃の保持を確認する。
何事も基本。
顔を上げると、思い切りボクサーが睨んでいる。
うう・・無視することにした。

ドアノブに手を掛け、そっと回してポンと開ける。
サッと銃を構えながら、左右を確認して中へ突入した。
施設は3階建て、スタートは2階からだ。
ゴールのスイッチは3階か1階の一番奥にある。
訓練なのに教えてくれないケチ。
間取りも先にやった奴らとはまた変わっている。
ササッと開いているドアから室内を確認しながら廊下を移動し、階段を探す。
いきなり前方に、2人紅い目の男が現れた。
パンパンパン!
ポッと胸が光って男が消える。
「あ、当たった・・」
これは幸先がいい。
「よっしゃ、いいじゃん」
しかしこの緊張感はピリピリ、胃が痛い。
レディアスが、はたして今どこにいるのか。
じっとゴールに居る奴じゃない。
向こうは気配を感じるのが大得意。こっちは素人に毛が生えた程度だ。それでもまあ、特別管理官の意地で立ち向かう。
一応気持ちだけでも・・

半開きのドアをチョイと覗いて通りすぎ、角を曲がると階段がある。
上るか下るか。
ちょっと考え、上ることにした。
壁に挟まれたそこを確認して、逃げ場がないため一気に駆け上る。
ダッと三歩踏み出したとき、

パパパパパパンンッッ

バリバリバリバシッ!!
「うぎゃんっ!」
背後から思い切り撃たれ、撃たれたところにスーツがバンバン衝撃を電気で送る。
慌てて振り向いても、もういない。
下から来たと言うことは、ポイントは下か?
ダアッと駆け下り、1階へ降り立った。
「うう、背中が痛い。何発当たったんだ?畜生。」
10発を越えたか、どうせ合格なんて無理な話。
レディが持つポイント銃は、ハンドガンのはずだ。しかし彼の指の早さは、すでにハンドガンも自動小銃と同じだ。
気を取り直し、基本をふまえて意識を研ぎ済ませながら先へ先へ。
緊張しながら進んでいると、いきなりまたホログラフィックの敵が現れた。
「うっ・・と。」
パンパン!
敵の姿はフッと消える。

シュッ

「はっ」微かな衣擦れの音に、サッと振り向く。が・・・
いない。

「くす」

「え?」足下で声がして視線を落とす。
何と、レディが仰向けで足下に寝そべり、銃を向けている。
「このっ!」銃を慌てて向けても遅い。
パパパパパパンッ
「ぎゃああっ!!」
至近距離から思い切りポイントを受けて、胸から腹にかけてバリバリ電撃が来た。
ひるむグランドに、レディはピョンッとバック転しながら起きあがる。
「このおっ!!」
パンパンパン!
1発くらい当たれ!
願うグランドのポイントはまったく当たる気配はなく、さっとレディの姿は消える。
頭に血が上ったグランドが、彼の後をダッと追う。
「あんの野郎・・」
もう腹が立った。
ゴールが何だ!俺の目標は決まった。
今日はあいつを倒す!
何が何でも!
右手にロッドを持ち、左手に銃を握る。
ロッドの出力を上げ、ギリギリと歯がみした。

タンッ

薄暗い前方に足音が微かにして、キラリと何かが光った。
あいつの髪か?
ダアッと駆け、ピウッとロッドを引く。
ふと気配を感じて、内に開いたドアを通りすぎざまロッドを思い切り後ろに振った。
ヒュンッ!
タンッとレディが室内に引き、グランドが追って飛び込む。
と、いきなり中からドアが迫り、ドガッとグランドの身体がぶつかる。
「ぎゃんっ!」
後ろによろけながら、左手で目蔵滅法銃を撃った。
パンパンパンパン!
トトッとレディが、舞うようにそれを避けて、そのくせ銃はしっかりグランドに向ける。
パパパンッ!パパンッ
バシバシバシッ!「ギャッ!」
グッとこらえて顔を上げても、もういない。

「ああああああ!!!いてえ!いてえいてえいてえ!あーくそっ!」

やけになって銃を投げ出し、ビュンビュンロッドを振り回す。
するとザザッとイヤホンに、ボクサーから通信が入った。
『この、馬鹿もんがー・・帰ってこい!中止だ!訓練にならんっ!』
「ううー、俺、今何点?」
『自分で見てみろっ!わしは異常に恥掻いたぞ!』
恥?誰に?

トボトボ来たコースを帰り、ドアを出る。
すると、ボクサー犬の横には偉そうな軍の将校らしき中年の男が一人、横に出張った鼻髭を撫でている。
「こちらはウォール支部の支部長、ライズ大尉だ。
本部に来られたついでに立ち寄られた。」
「ついで」が妙に強調された。
グランドは、怪訝な顔で一応敬礼する。
何だか偉そうな顔は、思い切り馬鹿にされているのだろう。
「特別管理官のグランドです。」
「ほう、君でも特別が付くのかね?」
むかっ
「はい、一応付きます。これでも現場に出るとやり手ですから。」
自分で言うな、自分で。しかし、今は言わせてくれ!
「ま、若い者はみんなそう言う物だよ。現場に行けば違うとね。
じゃあ、うちの精鋭を見てくれるかね?」
「せいえい?」
大尉が振り向くと、後ろから4人の男達がマーカースーツを着込んでぞろぞろ入ってきた。
そして大尉に導かれ、グランドの前に一人出る。どうやらぞろぞろの隊長らしい。
「初めてお目にかかります。
我々は、ウォール支部管理官チームファイアーボール第1班です。
私は班長のダッド・マッカーであります。」
にやけたゴツイ茶髪のおっさんが、手を差し出してくる。
「あ、はあ、どうも。」
ファイアーボール?何じゃそりゃ。
キュッと握手すると、マーカースーツにハッとした。
「俺が相手すんの?」
ボクサーに聞くと、プッといけ好かない大尉が吹き出す。
「君では相手にならんよ。
彼らファイアーボールは、管理官の中でも更に精鋭。
先日行われた、軍のサバイバルレースでも、チーム優勝したんだ。」
「へー、優勝。」
あれは確か、優勝者には金一封があるとかでセピアがやたら出たがったけど、特別管理官は出られない競技だ。
「中の方も特別管理官?」
「え?ああ、俺の相棒だよ。身が軽くてね、こう言うことには器用なんだ。」
「当然、でしょうな。あなた方はクローン相手でしょう、生き残ることで足を引っ張りかねない。いや、失礼。」
ニヤニヤ笑っていけ好かない野郎だ。
「じゃあ、お手並み拝見するよ。何しろ、優勝したんだから凄いんだろうさ。」
「では、ご期待に添えるよう頑張ります。」
ダッドは、敬礼して後ろの仲間に合図する。
そしてみんなも、自信満々の様子でデッドポイント銃を取った。
「単純な訓練だから、実力がものをいうんだ。
舐めるとケガをするぞ。」
ボクサーが、どっかとモニター前に座った大尉に視線を移しながらつぶやく。
そしてまた通信機を手に取り、レディへ話しかけた。
「レディ、相手は人間だ。やりすぎるな。」
『・・・ん』
微かに声が返ってくる。
ファイアーボール第1班とかは、合図で機敏に突入していく。
統率が取れていて、動きが素早い。
グランドも一緒にモニターを見ていると、ボクサーがフッと溜息をついた。
「彼らは、来月からお前達と同じ対クローン要員になる。」
「えっ、うそ。普通の人間なのに?」
「ああ、お前達3ペアだけじゃあな。実質、補充だよ。えーと、どれとどれかいな。あの4人のうち2人が決まっている。
最初はたった1組だけだよ。まあ、もしもの事があったときのために・・な。」
それは、何かを含んでいるような言葉。
つまり、6人兄弟だけに頼らなくても、やっていけるようにと言うことか。
軍の上層には、彼らを認めていない者もいる。
異能者は、放置するべきではないと、昔はっきり発言もされた。
レディアスの生命エネルギーを操れる力は、そんな奴らに十分な口実を作ったように思える。
つまり、人間でも有能な者はいる。6人兄弟の替わりはいくらでもいるのだ。
だから、自分達異能者はいらないと・・
「そっか、これからどんどん増えていくんだ。」
グランドが寂しそうにつぶやく。
「お前達もカイン中回って、ろくに休みがなかったんだ。少しは楽になるさ。」
「首になってさ、ずっと楽になるかもしれねえな。冗談抜きで。」
「ジジイになるまではこき使われるさね。心配するな。」
ボクサーが、何だかなだめるようにポンポンとグランドの頭を叩く。
軍に使われるのはイヤだけれども、何だか自分達の存在意義が無くなっていくような気がする。
「ちぃっ、何をしている!」
いきなり大尉がムッとした声を上げ、グランドがハッとしてモニターに視線を移す。
3人がすでに数発、十数発撃たれ、一人あの班長だけがいまだ無傷だ。
「へえ、1階も随分奥まで行ってるじゃん。レディが倒せないって珍しいな。」
モニターに映るレディの光点は、相変わらず驚くほど近くまで行っては引き、攻撃を繰り返している。
とにかく、あの精鋭でもウソのようにバンバン撃たれて辟易している様子だ。
これが実戦なら、すでに2,30回は死んだだろう。
今は訓練だからポイント銃だが、あいつの愛銃はヘブンズアークという怪銃だ。
それで頭でも撃たれようものなら、半分は吹き飛ぶ。
しかも、しっかり急所を狙うので即死。
ブルッと、グランドの体が震える。
「あいつだけは敵に回したくねえ。」
「なら、大事にするんだな。」
ボクサーがニヤッと笑ってバンとグランドのケツを叩く。
その時モニターの向こうで、とうとうあの班長がバリバリ撃たれて両手を上げた。
『まいった、降参だ。』
「くだらん」
チッと、大きな音を立てて大尉が舌打ちする。
そして不機嫌そうにガタンと立ち上がった。
「引き上げて、よろしいですかな?」
「フンッ、仕方ない。今日は調子が悪いのだろう。」
思わずグランドが、ニヤッとほくそ笑む。
「相棒は、まだ誰にも撃たれたこと無いんだ。恥じゃねえよ。」
一応、精鋭を庇っておいた。
大尉はちらっとグランドを見て、フンと鼻で笑う。
そして、無視するように、訓練棟を出ていってしまった。
「あれに付き合うのは大変だな。あれが上司なんて最悪だぜ。同情するね。」
何だか溜息混じりで、後ろにいた別の仲間がつぶやく。
みんな呆れたのか、ヒョイと肩を上げて同意している。ボクサーが、ちらっとドアの方向を気にしながらつぶやいた。
「まあ、人間が悪いから大尉止まりなんだろうよ。軍も良くは見ているわな。
レディ、引き上げろ。」
なるほど、人事も大変だ。
ポンポン階級を上げればいいってもんでもないんだろう。
やがて、マーカースーツを真っ赤に染めた精鋭がぞろぞろ出てきた。
「やられたよ、こんな一方的にやられたのは初めてだ。まるで、ゴーストかサルだな。」
班長が苦笑いで、スーツの前をはだける。
スーツ下のピッタリしたアンダーシャツには、毛むくじゃらの胸板がうっすらと透けて見える。
いかにも、男って感じだ。
何となく、自分の胸に手が行った。
このアンダーシャツがスーツからの電撃を和らげるのだが、「俺は当たらねえぜ」って大口叩く奴は、わざと着けずにヒーヒー言いながらやせ我慢する。
「ちぇっ、真っ赤になったのなんて初めてだぜ。班長、大尉は行ったみたいだな。」
他の3人も、ゴツイ身体を見せてスーツを腰まで脱ぎ、袖を腰で結んだ。
暑かったのか、やたら汗をタオルで拭いている。
「中、暑かったの?」
何となくグランドが聞いた。
「いや・・」
一人が、苦虫をかみつぶしたように顔を逸らす。
隣の金髪が、ニッと笑って手を差し出した。
「よう、俺はミニー・レイド。よろしくな。
この汗はさ、何て言うか冷や汗よ。妙な圧迫感があってさ、訓練なのにな。」
グランドが、ギュッと握手を交わす。
大きい手は、シャドウとタメだ。
背も10センチは違う。
でも、いい奴っぽい。グランドもニッと笑って返事を返した。
「あいつは実戦経験が豊富なんだ。そう言うのはほとんどが感じるらしいよ。俺は慣れすぎてるんだろうな。」
「グランド、俺達先に着替えるよ。」
後ろにいた仲間が、手を上げて更衣室に向かう。
それに手を挙げて答えていると、そうっとレディアスがモデルハウスの隅から顔を出していた。
「何してるんだよ!来いよ!」
言われて何だか、ばつが悪そうにレディアスが歩いてくる。
「ピュー、なんだこんな美人だったのかよ。」
「女だって?」
精鋭が、レディアスに複雑な顔で注目する。
これが嫌いで出てこなかったんだろうが、そうも行くまい。
グランドが、嫌そうな顔のレディの替わりに紹介した。
「これでも男だよ。レディアス、ウォール支部管理官チームの精鋭さんだよ。」
「レディ?名前も女かよ、それで男?」
クスッと、ミニーが笑っている。
グランドはムッとして、レディの腕を引っ張って寄せると、彼を班長の前に出した。
「あんただって、でっかいくせにミニーじゃん。名前は関係ないだろ。
レディアス、こちらが班長の・・えーと。」
「ウォール支部、管理官チームファイアーボール第1班の班長、ダッド・マッカーだ。よろしく、レディアスくん。」
ダッドが、にこやかに手を出す。
じいっとその手を見て手が出ないレディに、グランドが手を掴んで握手をさせる。
「悪い、こいつこう言うことに疎いんだ。」
「いや、気にしてないよ。こんな美人さんなら、負けても悔いはないな。」
フッと笑うダッドに、クルリとレディアスが背を見せ更衣室に向かう。
「あ、こら!ごめん、お先に!」
軽く手を上げて慌てて後を追うグランドが、顔を覗き込むと表情はない。
訝しく思っていると、レディがいきなりジャッとスーツのジッパーを下ろした。
なんと、下にはアンダースーツではなく分厚いウールのシャツを着ている。
「お前!下はアンダーって決まってるだろ!」
「・・・寒いもん。」
「寒いって、日中はクソ暑いのに、まだそんな事言うかね。
・・女って言われて怒ったのか?」
「いや」
「じゃあ、なんで握手しないわけ?」
「・・・・背・・」
「へ?」
背?って、まさか、背丈が随分違うから?
そりゃあ、レディとダッドはどう見ても20センチ近く・・
プウッとグランドが吹き出した。
「お前も嫌い!」
ドカドカと更衣室に入って服を脱ぐ。
着替えていると、精鋭チームの3人も後から入ってきた。
「ピュー、美人さんここは男性更衣室だぜ。
間違ってない?」
またさっきのミニー野郎だ。ダッドがいないだけに悪乗りしている。
グランドが、ムッといきり立って身を乗り出そうとすると、レディがグイッと腕を引いた。
「いい」
「なんで!腹が立たないのか?」
グランドをロッカーに押しやり、着替えを続ける。レディアスはミニーを無視して椅子に掛け、ジーンズをはき始めた。
ミニーが調子に乗って近づくと、レディの前にひざまずきジーンズの裾を引く。
「ちいせえジーパンだね、子供用じゃねえの?お嬢さん。」
馬鹿にすると、レディがふと手を止め、じっとミニーの顔を見た。
しかしその顔は奇妙なほど無表情で、感情の起伏を感じない。そして何故か強い圧迫感を持っている。
「な、なんだ?気に入らないなら、言い返せよ。」
無言でフッと、レディが視線をジーンズに戻して立ち上がった。スッとジーンズを上げてボタンを留め、ファスナーを上げる。
ベルトをキュッと締めながら、「あ」と声を上げた。
ビクッとミニーの肩が震える。
「ほら、グランド、ベルトの穴が3番目になってる。少し太ったよ。」
「え?ああ、ほんとだ・・って、おい、そんな分厚いシャツ中に入れるからだろ。急にそんな太るかよ、バーカ。」
「あ、そっか。」
何だかすっかり無視されて、ミニーが立ち上がると大きく舌打ちながら仲間の元に戻ってゆく。
「ミニー、ガキみたいな事やめろよ。」
「うるせえな。」
仲間にいさめられながらスーツを脱ぐと、丸めてバッとレディアスに向けて投げつけた。レディがフッと右手でそれを受け、フワリと押し戻す。
スーツはブワッと風にあおられたように広がり、ミニーの顔にバサッと覆い被さった。
「うわっぷ、てめえやりやがったな!この男女!」
ミニーが顔を上げると、レディ達はボストン片手に部屋を出ている。
「待てっ!逃げるかよ!」
「誰が逃げるって?」
ウッと、声にミニーが振り向くと、ダッドが顔を引きつらせて立っていた。
「お前はー、また俺に恥掻かせるか。」
「だってよー、あんな優男にやられたって、ムカつかねえ?」
「俺はお前にムカツク!」
ボカッと、ダッドがミニーを殴り倒す。
ドタバタ騒がしい更衣室を後に、グランド達は笑いながら管理官室へと戻っていった。

グランド達は、今までためていたレポートや、トレーナーから回ってきたトレーニングメニューをこなすのが最近の日課になっている。
ようやくレディが仕事に復帰して、そろそろ外地へ出る司令が出そうなので、とにかく落ちた体力を取り戻すトレーニングが大変なのだが、デスクワークばかりだったおかげで、レポートはすっかりはけてきた。
「よう、ミサ。これに現場近辺の情報付けて、情報部に回してくれよ。やたら待たせたからさ、せっつかれてんだ。」
グランドが、レポートの入ったディスクをミサに差し出す。
ミサは呆れながら、ピッと指で受け取った。
「当たり前じゃない、時間が経つほど調査は困難になるのに、これっていつの物だと思う?
レディの入院があったからみんな黙ってたけど、堪忍袋もブチ切れよ。」
ミサがデカイ胸を揺らしながらプリプリして見せる。
「まあまあ、俺としても悪いなあーとは思ってたんだけどよ。色々苦しかったわけよ。」
「うん、もう、グラちゃんはどうでもいいけど、もうすぐレディも外地へ出ちゃうのよねえ。
ああん、毎日目の保養が出来て最高の職場環境だったのに、残念だわあん。」
「何が、ああーんだよ。なら一緒に暮らしてみれば?幻滅だぜ、現実は。」
グランドが、フッと影を見せる。
しかしミサは、真っ赤な顔してキャピキャピ騒ぎ出した。
「んま!一緒に?!やだ、やだあ!ちょっと、キャス聞いた?一緒にって、やっぱり結婚って事?!やだあっ!」
隣のキャスも、うんざり気味でケッと首を振る。彼女はミサと長い親友で、ミサのことも十分すぎるほど知っていた。
「あんたが上手くやっていけるわけないじゃん。レディって、家の事まるきし駄目って話でしょ、あんたと同じじゃないよ。」
「あら、キャスもわかってないわねえ。あたしの母性本能が目覚めるとどうなるか。」
「オッパイ馬鹿でしょ、あんた。またバストが風船みたいに膨らむだけじゃないの?ホホホッ」
「なによっ!洗濯板のパッド2枚重ねのくせに!」
「まっ!こんな所でばらさないでよ!レディだって聞いてるじゃない!」
「ホホホ!やっぱりあんたも隠れレディファンだったのね。興味ないフリしちゃって、やな女!」
「ンまあ!誰がやな女よ!あんた管理職なんだから、もう少し口の利き方勉強したらどうよ!」
「たかが部長でしょ!手当だってほんのちょっぴりなんだから、肩書きだけじゃない!」
「同期でトップに部長になったくせ、贅沢なこと言うんじゃないわよ!私なんてヒラよ!」
「でもキャスの方が仕事が出来るでしょ!」
「そーよ!仕事は出来るけど、ミサの方がリーダーに向いてるのよ!」
ピーピーガーガー2人の言い合いは、どうも悪口なのか誉め合いなのか良く分からない。
呆然と立ちつくすグランドは、ヒョイと肩を上げて席に戻っていった。
「喧嘩・・してるの?」
レディアスが、不思議そうにミサ達を見て言う。ディスクを渡しに行っただけでそうなったのが、不思議なのだろう。
「さあな、仲が良すぎるのさ。」
「ふうん、仲がいいのも喧嘩するのか。」
「グレイとシャドウと一緒だよ。」
「ふうん」
良く分からないといった風だが、それ以上関心もないのだろう。これもまたいまだ良く理解しきれないらしい、パソコンのキーをつたない押し方でツンツン押しては、画面が変わって苦い顔をする。
パソコンが使えないなど、この時代にとっては化石のような奴だ。
だから彼は、レポートを書くのも紙に書く。
それをグランドがデジタルに置き換えると言う手間がかかるのも、彼らのレポートが溜まって行く一員でもあった。
「お前もさ、いい加減そう言うこと覚えろよな。
ディスクリーダーだって、カメラ以外ろくに使えねえだろ?
髪留めの通信機、ありゃあリーダーで通信も出来ねえ、お前のためみたいなもんだぜ。」
「変なんだ。」
「何が?」
「だって、一つのボタン押したら、押すたびに違う画面がいっぱい出る。変だよ。」
「変じゃねえよ。モードが切り替わったから、そのボタンの役割が変わったんだよ。
お前って、現場じゃやたら脳味噌働くくせに、そう言うデジタルな切り替えが出来ないのかね。」
「説明書が難しいんだもん。何かもっと分かり易く、絵本みたいに出来ないかなあ?」
はあーーーーっと、大きくグランドが溜息をつく。
軍の備品に絵本の説明書が出来る訳ねえ!
怒鳴りたい気も失せて、すっかり呆れる。
「グラちゃん!局長がお呼びよん!レディと部屋に来てって!」
いつの間にか口喧嘩も収まり、業務に戻っていたミサが電話を切って2人に告げる。
「ほら、とうとうお声がかかったぜ。」
グランドが手を上げて答え、レディの肩をポンと叩き立ち上がった。



「ちゃーっす」
ノックもろくにせず、グランドとレディが局長室に入ってゆく。
「ノックはどうした!」
元気なおばさんデリート・リー局長が、いつものようにフロアー全体まで響くような怒鳴り声を上げた。
見ると、先程訓練棟で会った大尉がソファーに座り、その横に精鋭の四人が顔を揃えて立っている。
「あれ?」
グランドがキョトンと見ると、ダッドがにこやかに笑って軽く頭を下げた。
「先程は。」
「あ、ああ、挨拶まだだったんだ。」
局長がクイッと、目配せしてデスク脇を叩く。
グランド達はそこに並んで立つと、改めて紹介されて精鋭と握手を交わした。
「さて、任務だ。いいな、レディ。」
レディアスが、無言で頷く。
良しと頷いた局長が、グランドにスッとレポートを差し出した。
「レディの体調を考えれば、不幸なことに街に近いのがまあ適当な所だ。
近くにシャドウ達が派遣されているのだが、彼らはすでに2カ所を回っている。
当てにはするなよ。」
「わかってらあ。」
レディとレポートを覗き合うと、そこは街の近くを流れる川にポイントがある。
「川?川にどうやって?」
「豪雨で河川岸を浸食したところに、少なくとも2つのカプセル積んだトラックが1台、出てきたらしいわ。
あと、何台埋もれているのかはわからない。」
「掘り出すの?俺達2人で。」
グランドが、げんなりして局長を見る。
地中のトラックを見つけるのは容易だ。
今は、小型の金属探知器の性能がいいので、必要な時は借りていって、規模を計ったり深度を見たりするとき使う。
そして地下施設の時は、力をややセーブした小型爆弾などで爆破して壁に穴を開け、そして進入路を造るのだ。
しかし、これも相手が車などの時は話が変わる。
爆破すると、長く地中に埋まって腐食した車はそれに耐えられない。
クローンの入ったカプセルは、出来るだけ目で確認して処理しなければならないのだ。
「まあ、それもいいけど。あなたはともかく、レディにそれは酷でしょう?
状況次第ね。
そこで、と言うわけではないのだけど、彼ら2名の同行が決まったわ。」
「えっ!」
局長が指す先に、精鋭の2人が頭を下げる。
「まだ見習いなのでね、特別管理官方に数回同行させて貰うよ。よろしく。」
ダッドと、ミニーがニヤリと笑う。
でっかい2人がおまけなどと、誰が信じるだろう。
どう見てもこっちがおまけだ。
「じょ!」
「冗談ではないわ。じゃあ、よろしく。資料はミサから受け取ってちょうだい。
出発は明日早朝4時、寝坊したら自費で行って貰うわよグランド。」
「わ、わかってらい!誰が寝坊するかよ!」
思わず真っ赤な顔になる。
ミニーが、いやーな笑いで馬鹿にするのが見えて、グランドはすっかり気が重くなった。



「・・・で、管理局支部に着くのが6時よ。そこからヘリを手配して貰うから・・
ねえ、グラちゃん聞いてる?!」
ミーティングルームで派遣される4人を前に説明していたミサが、胸を揺らしてグランドの肩を揺らす。
「あ?ああ、聞いてるよ。で、何でそんな急いでるわけ?」
ポイントは、街から近いと言っても山手に近い。今はポリスが立入禁止の処置を取っているらしい。
「あのね、この街人口3千人よ。結構この辺でも大きい街なの。
それが、生きているクローンの入ったカプセルで大騒ぎ。わかるでしょ?」
「ああ、了解、ミリカパニックね。」
今更無粋な質問だったと思う。
誰しもクローンを見れば、ミリカ村の悲劇を思うのは当たり前だ。
「ずいぶんとまあ、ボウッとした特別管理官様だ。これで良く、今まで問題なくやって来れたな。」
やっぱりミニーが嫌味を言ってきた。
フンと、グランドが頭を指さす。
「ここの出来が違うんでね、あんた達とは。」
「なにい!」
ムッとするミニーを、ダッドが手を出していさめる。
「まあ、そうねえ。グラちゃんには強い味方がいるから。ボーっとしてても大丈夫なのよねえ。ボーーーーッとしてても。」
ミサまで揚げ足取ってきて、ウッと、グランドは言葉に詰まった。
後ろにポチがいてくれて、ようやく半人前。前にレディが立っていて、それでようやく一人前とは、以前局長に言われた言葉。
結局自分は何分の何人前なのか、可哀想だと教えてくれなかったっけ。
あれはしっかり馬鹿にされたのだが、レディは「ふうん」と頷いていた。
勘がいいのか悪いのか、レディも人間は半分も出来てない。
レディは状況を聞いて、申告して借りたり貰ってゆく装備をカリカリ書いている。
ダッドがそのメモを横から覗き、へえと感心したように声を漏らした。
「随分少ないんだな。それに聞いたことのない物もある。」
ウッと、グランドがメモをバシッと奪い取り、サッと隠す。
キョトンとして、ダッドがヒョイと肩を上げた。
「悪かったかい?参考にしたんだけど。」
「いいや、あんたはいいんだ。」
見ると、レディは訳が分からず、ただじいっとグランドを見ている。
こっそり隠れて見るメモは、レディの下手くそな字がやっぱりスペルを間違えている。
聞いたことのない装備は、管理官ならあり得ない。
レディは、完結に言うと教養が無いのだ。
コールドスリープから目覚めたあと、6人は今のカインでゼロから教育を受けたわけだが、旧カインで基礎教育を受けたグランド達と違ってレディはまったくのゼロからで、結局他の兄弟のレベルまで到底追いつけなかった。
今でも、時々クローン研究所で他のクローン達と教育を受けたりしているが、仕事片手間でまったくはかどらない。
日頃から新聞を読んで、それで読むことは出来るようになってきたが、書くのはまださっぱりだ。いまだスペルをよく間違える。
レポートを書いても、それをデジタル化するグランドは、間違えている箇所を一々言わないので、あまり勉強になっていない。
それをミニーに悟られぬよう、慌てて隠したのだ。
「何か、やましいことでもあるのかねえ。」
ミニーが、探るような目でメモを見ている。
グランドはフンッと顔を逸らし、メモをたたんでポケットに入れた。
「字がきたねえの、ただそれだけ。レディアス、あとで書けよ。」
「うん」
レディは、やる気を削がれてペンを握ったまま少し考え、ようやく直し込む。
ダッドは悪いことをしたとレディの肩をポンと叩いた。
「なに?」レディが怪訝な顔を上げる。
「いや、気にしないでくれ。」
「班長さん、あまりこいつに構わないでくれる?」
「どうして?仲間に入れてくれないのかね?」
「そう言う訳じゃないけど、こいつは・・色々あって、人付き合いが下手なんだ。」
ガタンとミニーが立ち上がり、クスッと笑って背を向ける。
「あー、やってらんねえな。幼稚園の遠足じゃねんだぜ。それに、まるで男同士の痴話喧嘩だ。
俺は現場でお手並み見せて貰うよ。ほんじゃ明日お会いしましょう。」
立ち去るミニーにグランドがホッとしながら、頭が痛いと額に手をやり身体を起こす。
思わず大きな溜息が出た。
「ハイ、コーヒー。」
ミサが、コーヒーを入れてくれた。
「お、サンキュ。ああ、レディアスはミルク入れろよ、砂糖も。」
レディが、面倒臭そうに砂糖とミルクをほんの少し入れる。舌打ちして、グランドがガバッと入れ足した。
ダッドが、クスッと笑って身を乗り出す。
苦い顔でコーヒーを飲むレディに、やけに優しい視線を送っていた
「成る程ね。有名なわけだ、君たちペアは。
聞きしにまさる過保護ぶり。」
「でしょ、グラちゃんはレディ命だもん。でも、これが現場に行くと逆転するのよ。」
ミサが面白そうに、ダッドの隣りにくっつく。
「へえ、そりゃあ面白そうだな。」
ダッドが笑うとグランドはブスッとして、コーヒーを一口飲み、大きく伸びをした。
「仕方ないっしょ、こいつにどうやってカロリー取らせるか、俺の頭はそれでいっぱいなのよ。」
「いいわねえ、あたしなんて、年中ダイエットなのに。」
ミサが大きい胸を強調するように腕で持ち上げると、ダッドにパチンとウインクした。
「ねえねえ、ダッドさん今夜夕食どお?ご一緒に。」
「悪いね、俺は仕事の前は出ないことに決めてるんだ。」
「んま、残念。
じゃあ、質問無ければお話しは終わり。またね。」
がっかり、あっさり振られてミサが立ち上がる。
「あ、グラちゃん、お土産よろしく。」
「仕事だよ!土産は無し!」
「うん、ケチねえ。」
トントン書類を整理すると、小脇に部屋を後にした。
「諦めがいいな、彼女。」
「まあ、今はこいつの前だし。」
グランドがレディを見る。
「なるほど、美人はもてるんだ。本人の知らないところで。」
「そう言うこと。ミニーって、どんな奴?」
単刀直入にグランドが聞く。なんだか上手くやって行く自信がないので不安だ。
ダッドは、コーヒーを飲み干して使い捨てのコップを握りつぶし、ポンとゴミ箱に投げる。
上着を脱いでいるので隆々とした筋肉が、シャツの上からも良く見て取れた。
「まあ、あいつなりの正義はあるのさ。
口は悪くてプライドもまあまあ高い奴だが、悪い奴じゃあねえ。一々腹を立てないのが付き合う極意だね。
あんた達は対照的だな。熱い君と冷めてる相棒。」
「ああ、よく言われるよ。」
「ふふ、仕事楽しみにしてるよ。じゃあ、明日。」




翌早朝。
眠い目を擦って大きな荷物を担ぐグランドと、ややコンパクトにした荷物を肩に掛けたレディアスが管理局裏手の飛行場に現れた。
時間は定刻。
精鋭の2人と合流して小型の専用機に乗り込む。
にやけたミニーも、やや顔が締まっているので緊張しているのだろう。
彼らは迷彩色のミリタリー服だが、レディ達は黒に近い紺の全天候スーツを着ている。
資料によると目的地は日中も15度前後、しかも現場は山だしポイントも川なので、濡れてもオッケーの全天候スーツは軽くて暖かい。
狭い飛行機の中で2時間はしんどいが、それからまたヘリに乗り換えて1時間だ。
どうかすると歩いて現場まで行かされるから、まあ今回は楽が出来る。
ほとんど無言で過ごした3時間を終え、そしてようやく降り立った目的地近辺は、街のはずれの荒れ地だった。
「うおおおおお!!」
大きな声を上げ、ぐぐっと筋肉を隆起させてミニーがグンと伸びをする。
上着は脱いで腰に結びつけ、シャツ一枚でやたら男臭い。
金髪碧眼に白い肌ってのがどうもアンバランスにさえ感じる。
「良し、行くか。」
大きな荷物をヒョイと背負い、ダッドが先を歩いて街に向かう。
「で?最初に何処へ行く?」
ダッドがグランドに聞くと、スッとレディが前に出た。
「町長に会う、その方が動きやすい。
それから現場を見て、状況次第だ。」
「え?あ、ああ。」
思わず振り向きグランドを見ると、情けない顔でニヤリと笑う。
これが逆転の意味かと、プッと吹き出した。



荒れ地の真ん中に栄えるその小さなグラシスと言う街は、少し前までカシスルージュと言う宝石が取れるところで有名だった。
その名残を観光に生かし、今も宝石の街で栄えている。
女なら誰しも知っている街ではあるが、男共はまったく興味は皆無。
ここに来て、今更ああとグランドが理解していた。
「だからミサちゃん、お土産って言ったのか。なるほど。」
街に入ると、セピアが好きそうな光り物の店がやたら並んでいる。
つくづく自分達が派遣されて良かったと思っていた。

訪ね歩いて町長の家を訪れると、待ちわびたように歓迎された。
メイ・リーンという町長は珍しく年輩の女性で、コットンのドレスを着て黒髪を結い上げた穏やかな人だ。
やや大きな古い家は、代々町長をしていると言い、使用人も多かった。
「んまー、お待ちしておりましたわ。よろしくお願いします。」
町長が、やっぱりダッドにスッと手を伸ばす。
ウッと苦笑いしながら、グランドが前に出て手を握った。
「すいません、俺達がと、く、べ、つ、管理官です。こちらが身分証。」
レディを引っ張り、慌てて並ぶ。
町長は、どう見てもおまけの赤い髪の自信なさそうなグランドと、女にしか見えないヒョロヒョロのレディに、大丈夫かしらと苦笑いで握手する。
「まあ、じゃあこちらは一般管理官の方ね。くれぐれも、よろしくお願いしますわ。」
「はい。」
そしてくれぐれもを強調して、しっかり両手でダッド達の手を握り閉めた。
そしてさっそく現場の状況を聞いたあと、グランドが仕事内容を説明して、すぐに破壊作業を執り行う場合の同意書など事務的な手続きを行う。
同意書などは、先にとって置いた方が仕事がやりやすい。これがお役所仕事の面倒なところでもある。一応軍からとは言っても、報告書に必要なのだ。
「今、ポリスが交代で2人ずつ警備していると聞いておりますが、場所まで案内させましょうか?ご覧になったらすぐにわかりますわ。」
車を出して、と言っても小さなトラックの荷台に4人が乗り込み、山手まで乗せていってくれる。
道無き道の何処までも続く荒れ地の先には小高い山があり、ふもとに小さな小屋を建てて2人の男達が手を上げた。
「やあ!良く来てくださった!連絡は来ていますよ。
私達はポリスの・・私がコーラル、こっちがアイズです。よろしく。」
赤い顔でそれぞれ握手して、コーラルがレディににっこり笑う。
「いやー、管理官にこんなに綺麗な女の人がいるなんて、びっくりしました。」
プウッと、ミニーが吹き出す。
なかなかレディの手を離さないコーラルの手を遮り、グランドが苦笑いでブスッとしているレディの替わりに言った。
「すいません、男です。これでも。」
「えっ!あっ、なんだ、そうなんですか?それは失礼しました。」
何ともこの気まずい雰囲気は、まあいつものことだが、気を取り直して案内して貰う。
装備をしてあとの荷物は小屋に預かって貰い、一旦見に行くことにした。
山は生活に使う薪などを集めるために、かなり道など整備されていて歩きやすい。
歩きながら、ミニーがツイッとレディに寄っていった。
「お前さん、ずいぶんデカイ銃持ってるな。見せてくれねえか?」
「今は駄目だ。」
無視するように前を行くレディに、ミニーがチッと舌打ちする。
「あんた、全然普通の会話できねえのかね。
何言ってもイエスかノーで、会話がなりたたねえじゃん。」
「悪いな。」
「駄目だ、悪いな。それで終わりかよ、クソ面白くねえ奴。」
ミニーが呆れて後ろに下がった。
レディアスが、ふと視線を落としまた顔を上げる。
やがて30分ほど歩いた先に、川の流れが現れた。
あまり勾配がないので、流れはさほど速くない。
この山の奥にもう一つ山があり、そこから流れているらしい。
「この、上に小さな湖があるんです。そこから流れているんで。
昔はふもとのすぐ下に村があったんですが、ひどい雨で一度溢れてから今の土地に移動したんで。
この辺は井戸を掘ればすぐに水が出ますから、水で苦労したことはないんですよ。荒れ地ですけど、山の反対側は畑が広がってます。」
「へえ、そりゃあいい土地でラッキーだったんだ。」
グランドが、時々ブツブツ独り言をつぶやきながらディスクリーダーを取り出す。
「こちらです。その、川岸の崩れたところで。」
コーラルが指すところを見ると、なるほどかなり腐食したトラックの荷台が覗いている。
荷台の箱の天井部分が、1メートル四方覗いて上に穴が開いていた。
「あれ、上から覗いてみたのかね?崩れかけて危険だろうに。」
ミニーが、やや呆れて漏らす。
コーラルは苦笑いして首を振った。
「いいや、子供が見つけたんで。中にカプセルが2つ見えたって言ったもんで大騒ぎで。」
トラックの荷台上部に2メートルほど近づくと、足下がフワフワしてかなり崩れかけている。
5メートルほど離れ、遠巻きに眺めていた。
しかし、誰かが見に行かなくてはなるまい。
で、身軽な人はただ一人。
細いワイヤーを、レディの腰のベルトにフックで引っかける。
「ほんじゃ、行ってらっしゃい。」
グランドがワイヤーの端を持って手を振った。
「大丈夫か?無理は・・」
「あんた言っただろ?サルみたいだってさ。」
なるほど、レディアスはまるで何事もないようにスタスタ歩いて荷台まで歩いていく。
そして穴を覗き込むと、いきなりポンと飛び込んだ。
「ギャアアア!!それは行き過ぎ!」
グランドがグイグイワイヤーを引っ張るが、出てくる気配はない。
中を歩いている様子でグイグイ引っ張られては止まり、やがてピョンとまた出てきた。
中は水が入っていたのか、膝まで水に濡れている。
跳ねた水を浴びたように、髪までしっとりと肌に張り付き、思わず待っていた4人が息を飲む。
「な、なんか、あいつ色気有るな。」
ミニーが不本意な自分の反応に、ギュッと頬をつねる。
レディはガブガブと靴を言わせて戻ってくるとその場で靴を脱ぎ、ジャッと中の水を捨てた。
「お前なあ!生き埋めになったら死ぬぞ!」
怒鳴るグランドを無視して、レディは無言でコーラルの顔を見る。
そしてミニーを見ると、ようやく口を開いた。
「ここからは、俺達の仕事だ。あんた・・ミニー?悪いがポリスをふもとの小屋まで送ってくれ。」
何で俺が!と言う気も失せて、ミニーがコーラルを連れ、引き返す。
「あ、待て。」
レディが片耳に付けていたピアスに似たイヤリングをはずし、胸ポケットの小さな箱と一緒にミニーに渡した。
「これ、途中何かあった時のために、貸すよ。通信が出来る。」
それはポチとアクセスできる、あの髪飾りの改良型だ。グランドは、嫌そうな顔で仕方ないと見ている。
「何か?有る可能性が?」
ミニーが受け取りながら怪訝な顔をすると、レディがそっと耳打ちした。
「ああ、カプセル2つ、空だった。
いつ蘇生したかはわからない。最近か、何十年も前か。」
「チッ、最悪だな。」
そう言ってイヤリングを付けようとするが、なかなか付いてくれない。
「貸して、俺も慣れなくて・・」
「え?ああ・・」
レディがミニーから受け取り、背の違いに肩に手を掛ける。ミニーが腰を落とすと、美しい顔が間近に迫り、キスでもするかのように耳に息がかかった。
見る間にミニーが真っ赤にゆで上がってゆく。
「痛いのか?緩める?」
「ち、ち、ちがわあ!もういい!かっ借りるぜっ!行くぞ、おっさん!」
ギクシャクした足取りで、ミニーがコーラルと山を下りて行った。
フッと、レディが振り向くと、グランドがほれとタオルを頭にかける。
「拭け!きれーに拭け!この馬鹿、来たとたん体調崩しても、俺はしらねえぞ!」
ガシガシ拭いて、足元を見ると大きな溜息をついた。
「ああ、こんな濡れちゃって・・」
「グランド、ミニーにも言った、カプセル2つ空いてる。」
「なにい!」
げーんと来た。
「最悪じゃん。いつかわかったのか?」
プルプル首を振り、タオルを返しながらグランドを見る。
ああ・・とグランドも絶句した。
「俺も行かなきゃならんのね。つまり。」
「俺も行きたいのだが、どうだね?」
ダッドも現場を見たいらしい。しかしグランドは首を振ると、自分の腰にもう1本ワイヤーを引っかけ、レディの分と2本のワイヤーの端を渡した。
「埋まったらよろしく。」
「わかったよ。じゃあ、仲良く濡れてくるんだね。」
さすがに、全天候スーツも水に浸かっては裾から水が入る。
諦めて先を行くレディの後を追い、へっぴり腰のグランドが恐る恐る穴から覗き込むと、中はかなり広い様子だ。
レディがザバザバ膝まで浸かって壁に数個の発光体をくっつけながら、グランドに手招きする。
「お前って、ほんと怖い物無しなのね。」
暗闇に、水の様子は綺麗なのか汚いのか見えない。ただ真っ黒で、自分としては足を入れたくないのだが、レディはまったくお構いなしだ。
「早く来いよグランド、そこは一番強度が・・」
「え?」

メキ、メキメキ!バキッ!

グウンと屋根の縁がグランドの重みで下がり、ザアッと上の土砂がバサバサと流れ込む。
「わ、わああっ!!」
土砂ごとバキンと屋根が落ち込み、とうとうグランドも中にドシャッと落ちてしまった。

「うう、いてえ。」
「大丈夫かね?」
声に尻餅付いたまま上を見ると、ダッドの覗く天井が角まですっぽり落ちている。
おかげで中に入りやすくなった。
「ちぇ、泥水になっちまった。」
立ち上がり振り向くと、レディは少し離れたところで手招きしている。
「グランド、こっち。」
「てめえは、チッとは俺の心配しろよなあ!」
冷たい相棒に溜息をつきながら、なるほど空いたカプセル2つを横目に奥へと進む。
するとあと3本のカプセルが並び、2本をレディが指さした。
「奥の1本は骨だ。でもこの2本がヤバイ。」
ダッドも降りてきて、グランドと覗き込む。
発光体の明かりの下で、整った顔立ちの15,6の少年が眠るそのカプセルの表面には水滴が見える。
外側は雨水に濡れているが、水滴は内側を流れているのだ。
ドキッと、グランドが顔を上げた。
「まさかっ!」
水に浸かったパネルは、蓋を開けると水が入るので開けることが出来ない。
グランドが1本のパネルの上に、手を添える。
「・・・ああ、そうか。そう、わかった。ポチ、データーの分析を。それと、管理局に連絡!」
ダッドが、キョトンとグランドを見る。
「何しているんだ?」
「邪魔するなよ、グランドは今忙しいんだ。」
「忙しい?」
「俺達が特別なのは、特別な力があるから。
それを頭に入れて、あとは深入りするな。」
レディが、腰のワイヤーを取ってクルクル巻き取りポケットに直す。
グランドの分も、巻き取って彼のポケットに突っ込んだ。
「ずいぶんだね、教えてくれないのかい?」
「あんたに教える義務はない。」
「随分冷たいんだな。」
「ああ、俺は冷たいんだ。」
バシャバシャと、レディが荷台の中を隅々まで確認して、他に2体の人間らしい骨を見つける。
ポケットからリーダーを取り出し、カメラに切り替えて写真を撮り記録を取っていった。
「レディアス、蘇生は明日だ。明日の夕方。どちらも同じ時間に蘇生を開始している。」
「つまり、人為的な物か。」
「考えられるな。」
「空いたカプセルは?」
「うん、さっき聞いたら1本は1年ちょっと前で、2本目はその一月あとだって。
こいつらどうするかは管理局に送ったから、返事待ちだね。」
「聞いた?誰に?」
グランドの言葉に、ダッドが不思議な顔をする。
「明日か、この2人にはギリギリセーフで間に合ったな。しかし、こっちの2人が黙っていないだろう。」
レディがすっかり無視してつぶやき、ビクッと視線を上げた。
スッと、手を銃に添える。
ダッドがその様子に銃を取り出すと、サッと外へと様子を見に行く。
「いや、もういい。」
あっさりと後ろからレディが声を掛け、グランドにリーダーを差し出して何か話し出す。
ダッドは怪訝な顔をして外へ出ると、ぐるりとまわりを見渡した。
ザザザッと風が吹いて後ろの木々が大きくざわめく。
ふと、ふもとへの道から、小さくミニーの姿が現れた。
手を上げると、向こうも手を上げ小走りでやってくる。
「まさか・・・」
ドキリと、足下の穴に目がいった。
まさか、ミニーの足音を聞いたのか?この距離を。
いや、そして聞き分けたのだ。
ミニーだとわかったから、銃を引いたに違いない。
「よう、なんだ入ったのかよ。で、どうだった?・・ダッド?」
空を見つめるダッドに、ミニーが怪訝な顔で覗き込む。
ダッドはハッと我に帰ると、ニヤリとミニーに笑った。
「お前が気に入らないあの優男、大した奴だぜ。油断ならない、動物並みの男だ。」
「へえ、あんたがそこまで惚れ込む奴かい?あの男女。」
「ああ。・・下に5本カプセルが見つかった。
2本空いて、1本は骨。そして2本が明日蘇生する。」
「なっ!蘇生?!」
「ああ、今指示待ちだそうだ。」
ミニーが飛び出し、ダッと穴に飛び込む。
空いたカプセルの奥にある2本のカプセルには、確かに生きているクローンが眠り、横でレディとグランドが何か相談している。
アッとグランドが顔を上げたとき、ミニーがいきなり銃を取りだしてカプセルに向けた。
「まてっ!」
グランドがロッドを取り、ピュンッと銃身に巻き付けキュッと上に向けて引く。
「離せ!何故殺さねえ!」
ギリギリと引くミニーは、さすがに銃を簡単に離してくれない。
グランドはまるで大物でも釣り上げるように、懸命に上に引きながらヨロヨロよろめいた。
「ちょちょっと待てよ!今管理局の指示を待ってるんだってば!レディアス、助けろよ!」
「待つ必要があるかよ!こいつら生き返ったら、取り返しの付かないことになるかもしれないんだぞ!寝てる奴は、殺していい事になってるだろうが!」
無言で見ていたレディアスが、視線を落としてスッとカプセルの表面を撫でる。
その手の下には、無垢な表情で眠る少年のあどけなさの残る顔。
すでに、呼吸も始まっているのか、カプセルの内側には水滴が無数に付き、ツッと側面へと流れていく。
「・・・水が・・涙にも、見える。」
ぽつりと漏らしたレディの言葉に、グランドもミニーもハッとして手を引いた。
「こ、この、何言ってるんだアマちゃんが!それで良く特別だと・・!」
「殺すのは、簡単だ。一瞬で終わる。
でも、死んだら戻らない。」
「相手はクローンだぞ!死んだからどうだと言うんだ。」
「クローンも、お前と同じ生きている。
生死の決定権を持っているのは、別に上に立っていると言うことではない。」
「同等だというのか?この俺と、このクローンが?ハッ!ようやく喋ったと思えばとんだ甘ったれだ。
大笑いするぜ、100人の人間がいるとしたら、100人全員が大笑いだ。
クローンなんて、たかが作り物のオモチャじゃねえか。」

「出ていけ。」

「な・・!」
ギンッと、恐ろしいほどの殺気を持って、レディアスがミニーを睨み付ける。
ザアッとグランドもミニーも総毛立ち、知らず膝がガタガタ震えた。
「出ていけ、お前はここにいるべきではない。」
すんなりとした指を、レディアスがミニーに向ける。
「うっ、くっ・・」
何か喉の奥を鉛の塊が詰まったように、ミニーは声が出ない。
「くっ、こ、この・・」
ギクシャクとした動きで、ミニーが銃をレディに向ける。
「レ、レディ・・アス・・」
グランドが、クッと身体を何とかひねってレディに向け、そして思い切りバッとレディに抱きつき、そのままカプセルの上に押し倒した。
フッとプレッシャーが消えて、ガクリとミニーが銃を下ろす。
「ハア、ハア、ハア、一体、なんだってんだ。
この野郎、化け物かよ。」
ドッと、全身が冷水を浴びたように汗が流れる。
「ミニー、何してる。銃を引けッ。」
ダッドが穴から入ってきて、ミニーに向けて一喝した。
「ああ、わかったよ、俺が悪かった。」
「君たちも一旦上に上がろう、気温が下がりはじめた。
たかが足先だが、そのままでは水に体温を奪われるぞ。」
ダッドが、レディとグランドにも声を掛ける。
ここで騒ぎは、起こすべきではない。
「ああ、了解。ほら、レディアスも行こう。」「ん」
カプセルを振り返り、グランドに腕を引かれて外に出る。
すると、近くから木を集めてきたダッドが、火をおこしてくれた。
「少し、休憩を取ろう。さっき近辺を金属探知器で探ったが、他に大きなトラックは見あたらないようだ。
恐らく1台だけ土砂崩れに巻き込まれたのだろう。」
「ああ」
火を囲んで座ると、ミニーが疲れた顔で頷いてレディの顔を見る。
そして近くの石を取り、ピッと投げつけた。
レディはタオルで足を拭きながら、スッと見もせずに避ける。
「ミニー!いい加減にしろ!」
ダッドが呆れて、バンッと肩を叩いた。
「こいつ、凄い殺気をぶつけやがったんだ。
クソ野郎、とんだキツネだ。
ヤワな顔して、とんでもねえ化け物だぜ。仲間なんて、俺あやってらんねえな。」
「あんたが、クローンに対して理解してないからこいつが腹を立てたんだ。
一体何を勉強してきた?それで特別管理官なんて、冗談じゃないお断りだ。」
グランドがとうとうブチ切れて立ち上がる。
「わかった。」
ダッドが手を上げて制し、そして指を立てた。
「わかったよ、さっきのこいつは悪かった。だからそれは謝らせよう。な、ミニー」
チッと、ミニーが反吐を吐きながら、視線をそらして吐き捨てる。
「悪かったよっ。」
「良し、こっちはこれでいい。じゃあ、そっちもやりすぎだと思わないか?」
レディが言われてキョトンとした顔で、じっとダッドの顔を見て首を傾げる。
「俺が?やりすぎ?た?」
ちっとも、やりすぎと思っていないらしい。
カアッとまた頭に来るミニーをなだめて、ダッドがにこやかに笑う。
「君は、何をしたんだね?あの時。」
「あの時?さっき?」
「ああ。」
少し考え、グランドを見る。
グランドは、呆れてレディの頭を撫でた。
「お前があんなに殺気を出して、相手にプレッシャー与えるのも久しぶりだよな。
ダッド、こいつにとって戦闘は自然すぎて説明は難しい。
それよりも、それぞれがクローンをどれだけの位置に見ているかが違いすぎるんだ。
ミニー、こいつはクローンに沢山借りがある。
それだけ世話になっているから、出来るだけ生かしたいんだ。わかってくれないか?」
それはグランドにとっても同じだろう。
あまりにも沢山のクローンと関わり、そしてそのおかげでレディも救われた。
十分、自分も感謝している。
レディも一時期は随分柔らかな表情をして、本当に感情が豊かになったかと思った。
まあ、それも兄弟がみんな外地に出て、自身も仕事に戻ったらすっかり元に戻ってしまったけれど。
しかし、ダッドが渋い顔で小さく首を振る。
ミニーは、口惜しそうに言葉を吐いた。
「じゃあ残念だな、俺はクローンを憎んでいる。俺は・・叔父の一家がミリカ村にいたんだ。」
ミニーの言葉に、ハッとグランド達が顔を上げる。
ミリカ村の、遺族だったとは・・・
親族を殺された遺族の怒りの前で、彼らはかける言葉を知らない。
彼らには兄弟がすべてで、親族など無縁なのだ。でも、失うことへの恐怖はいつも感じている。死をずっと見てきたレディと違って、グランドにはそれが一番近しい物だと思うしかなかった。
「そうか・・そうだったのか。
でも、クローンを憎んでちゃこの仕事はやっていけない。・・いいや、やっちゃいけないんだ。
ミニー、クローンを理解するところから始めるべきなんだ。」
「理解なんて、したくもないね。」
グランドの言葉なんて、ミニーには薄っぺらのきれい事でしかない。
叔父一家が死んで、悲しんでいた母親の顔が今でも忘れられない。
人の良い叔父は、お互い苦しい生活の中で、良く助け合って手を貸してくれた。
住んでいたところの運が悪かったと、冗談でも諦めはつかないのだ。
これ以上、話しても無駄だと空を仰げば、すでに日は傾きかけている。
フッと大きく溜息をついて、ミニーは立ち上がった。
レディが追いかけるように立ち上がる。
じっと見るその目は恐ろしいほどに無表情で、ミニーは彼を作り物じゃないかと、思わず確かめるために瞳の輝きに見入った。
「お前・・なんでそんな無表情なんだ?」
怪訝な顔でそう言われ、レディが視線を落として胸に手を当て、また顔を上げる。それが、何故か不安そうに見えた。
「俺は・・大丈夫、一人でも心にちゃんと綺麗な光があるから。人形じゃない・・」
「ハア?何を言ってるんだ?」
「ミニー。クローンは、生きているんだ。俺何かより、ちゃんと。」
「だから殺すな、か?」
「バグで狂ったクローンが起こした殺人を、すべてのクローンに当てるのは・・・不幸だ。」
ドキッとして、ミニーが思わず返答に詰まる。
それは、言い換えれば一人の人間が犯した殺人を、すべての人間に当てて「人間は凶暴だ」と言うに等しい。
クローンでなくとも、人間だって武器を持てば十分驚異だ。
でも、叔父を殺したのはクローンなのだ。作り物の、人の姿をした武器。
「それだけ、クローンは危険だとわからないお前に、何を言っても無駄だよ。」
ミニーがこれ以上の言い合いをする気もせず、手を上げて山を下りる道へ向かう。
「ダッド、俺荷物取ってくるよ。ここで野宿するだろ?準備しないとな。」
「ああ、そうだな。グランド君、君も荷物はどうする?」
「あ、ああ・・じゃあ、俺も行くよ。レディアス、あと頼むよ。」
「ん」
ミニーのあとを、グランドが追う。
何となく離れて歩きながら、彼とはもう少しで分かり合えるような、そんな気持ちがしていた。



ダッドが振り向くと、レディは近くの繁みに向かっている。
「レディアス君、どうするのかね?」
声を掛けて後を追うと、ちらりと見てうつむいた。
「燃える物、もっと集めなきゃ。」
「ああ、今夜一晩寝ずの番か。4人いれば気分的に楽だろう、何もなければいいが。」
「あんたも、甘いと思うんだろう?」
「いいや、ミニーが意固地なのさ。」
「俺は・・・殺しすぎたから、もう殺したくないんだ。」
レディが林に入り、落ちている木々を集め始める。
「殺した?管理官になって?それは仕事なんだ、仕方がないだろう。」
並んで拾いながら、ダッドが訪ねた。
レディは首を振り、無言で拾い続ける。
やがて程々集めたところで辺りを散策して、近辺の地形を頭に入れた。
「あっ」とレディが声を上げ、突然トトッと沢山の実を付けた木の下に駆け寄る。
「わっ、沢山落ちてる。」
嬉しそうにしゃがみ込み、木の実をポケットに拾い集め始めた。
ダッドが木を仰ぎながら、クスッと笑う。
「ああ、今はシイルの実が落ちてるのか。
こんな物食うのかい?」
シイルは、味が無く香りの強い実で、固い殻に包まれて食べるのには苦労する。
焼けば弾けて危ないが、香ばしくて美味しくはある。
突然子供のような顔をして嬉しそうに実を拾うレディに、ダッドが不思議そうに片膝付いて手伝う。
見る間に手にいっぱい取れた。
「そら、こんなに取ってどうするんだい?
フフ、この実が好きなのかね?」
「別に・・俺はこんな木の実見ると、拾わずにいられなくてさ。変だろ?」
にっこり笑って、手を差し出しダッドから受け取る。
初めて見る笑顔にダッドがドキリと、実を渡しながら思わず細い手首を握った。
「どうした?」
ポロポロと落ちる実を見ながら、レディが首を傾げる。
ダッドは急にまじめな顔でレディを引き寄せ、ギュッと抱きしめた。
「な、なにしやが・・」
突き放そうとして突き放され、そしてダッドがレディをそのまま押し倒す。
ダッドのじっと見つめる目が何だか怖くなって、レディは目をそらした。
「レディアス、私をどう思う?」
「ど・・うって・・変だよ。」
「フフ・・好きに、させてみせる。と言ったら?」
「俺が?あんたを?あんた頭おかしくねえの?」
怪訝な顔でダッドを見る。
ダッドは押さえつけた手をずらし、ギュッと指をからめた。
「そう、キスしても構わない?」
「いや。」
「いやでも、する。」
「いや、だっ!」
近づくダッドの顔から、懸命にそらして逃げる。
手が知らず震えて、怖いと思う。
心の底の、黒い物が蠢いてざわめき、ダッドの顔があの男に見えて鳥肌が立った。
足で蹴飛ばそうかとも思う。でも、胸の奥に何故かどうでもいいような、妙な諦めがある。
しかしダッドはその手の震えに気が付くと、フッと緩めて優しく抱きしめた。
「悪かったよ、びっくりさせて。
もうしない、ただ、しばらくはこのくらいいいだろう?」
「どうして?俺は男だ、間違えるな。」
「間違えてない、俺もこんな気持ちになったのは・・初めてなんだ。
お前さんは、魅力的すぎる。」
「俺は、綺麗な人間じゃない。」
「いいさ、俺もスラム上がりの泥の中から這い上がってきた、汚れた男だ。
上官に拾われて、運良くここまで這い上がれただけさ。」

「・・・・・・・そ・・う・・」

同じ・・・
程度はどうあれ、底辺から這い上がった。その同じ匂いを感じる。

レディが目を閉じ、少し安堵の息をもらした。
濡れて冷たい足先から奪われた体温が、抱き合った身体からじわじわと少し戻ってくる気がする。
ふと離れて身体を起こし見つめ合うと、ニヤリとダッドが笑った。
「同じ匂いを、お前には感じたんだ。
下から這い上がった、同胞なら解け合える。」
「解け・・合う?」
「だから、愛し合ったら二度と離れない。何があっても。」
じっとレディが見て、フッと一息吐き起きあがる。立ち上がって服を叩き、小さく首を振った。
「口で言うだけは、簡単だ。」
遠くから、グランドの呼ぶ声がする。
振り向き、返事を返そうかとするレディの肩を掴み、ダッドがいきなり唇を合わせた。
「う・・」
逃げようにも逃げられず、ダッドに何度も深く口づけをされて、その内その熱さに心地よささえ感じる。
身を任せたい気持ちが沸き起こるのを感じ、何度も離れようと手を突っ張った。
「う・・くっ」
ようやく解放され、思い切り突き飛ばして下がると、ダッドを下から睨む。
ダッドは、不敵に笑っていた。
「嘘つき、反則だ。」
「だから、俺を好きにさせてやるって言ったろ?
レディアス、俺の元に来い。」
ダッドの差し出す手は、今のレディにはひどく引かれる。
それは、今抱えている大きな不安感が、頼れる物を盲目のように手探りで捜しているのだ。
しかし、レディはそれを振りきるように大きく首を振った。
「・・・俺は、人を好きになれない。」
「何故!」
「もう、何も・・愛とか・・好きとか、わからない。・・裏切られたくないんだ。」
「俺は裏切らない!」
「何とでも言えるさ・・もう、信じない!」
パッとレディが身体を翻し、グランドの声の方に駆け出す。
その後ろ姿を見送りながら、ダッドは隣りに立つ木を、ドンと叩いた。




すっかり日が暮れて、それぞれテントを張り終え携帯食料を取り出し食べていると、管理局から返事が来たようだ。
グランドが一人で頷き、全員に向けてディスクリーダーを手に持つと、音声オンリーで局長の声がリーダーから飛び出した。
『・・・の事は報告を受けた。よって協議の結果、今回のクローンはお前達に一任する。
すでに1年数ヶ月前に蘇生したと見られるクローンについては、追って調査部を回す。
お前達は蘇生中のクローンに集中せよ。
ただし、やはり今回は人為的に蘇生開始を操作されたと考えられる。
つまり近くに仲間のクローンがいるか、それともまたクローンを狙ったマフィアの馬鹿か、興味本位の馬鹿の存在が危ぶまれる。
十分注意するんだぞ。』
「了解。」
『ああ・・クローンのシリアルナンバーから、Dクラスの衝撃波を持つことがわかった。
くれぐれも、被害は最小限に。』
「へいへい」
『へいじゃないっ!はいっ!』
「ほーい」
『もうっ!グランド、貴様始末書書かせるぞ!』
「書きましょう、何枚でも。」
パソコンで。
『じゃあなっ!』
通信を切ろうとする局長に、思わずミニーが身を乗り出す。
やはりとグランドが冷ややかな目を送った。
「局長、じゃああのクローンを今殺しても構わないんだな?」
『そうだ、特別管理官に判断はゆだねた。
ただし君に決定権はない、ミニー・レイド一般管理官。
クローンが襲ってくるなら話は別だがね。』
チッと、ミニーが腰を下ろす。
「わかりました。局長の指示に従いましょう。」
クスッと、グランドが音声の消えたリーダーを直し、しまい込む。
そして火に掛けた湯で、コーヒーを入れた。
「どうぞ。さて、今夜は局長のお言葉通り、見張りがいりますかね?」
それぞれコーヒーを受け取り、暖かさにほっと一息つく。
「いつもはどうしているのかね?こういう場合。」
グランドがレディを見て、ポリポリ鼻をかく。
「まあ、ほとんどこいつ頼りかな?俺、起きててもすぐ寝ちゃうんだ。」
「呆れた奴だぜ、じゃあこっちのお嬢さんが一晩中起きてるのかい?」
まったく、ミニーはレディを「お嬢さん」としか相変わらず呼ばない。
「お嬢さんはやめろって、レディかレディアス!」
「一緒じゃねえか。」
「ニュアンスが違うだろ!もう、・・寝てるよ。こいつは寝てても敏感なんだ。特に夜はね。」
「特にじゃなくて、更に、の間違いじゃねえの?あんたまるで草食動物だな。ビクビクして夜を過ごすのかい?」
クスッとミニーが呆れていった。
レディが顔を火に照らされ、ほんのり赤く生き生きと見える頬とは対照的に、まったく表情のない顔をして目を閉じる。
「相変わらず、ろくに喋らない、表情も変えない。生きてるのか死んでるのかもわからない奴だぜ。」
フンッと溜息混じりに、ミニーはコーヒーを一息で飲み干した。
「レディアス、久しぶりの外地で疲れたんだろ?先に休めよ。
あと、起きる時が来たらちゃんと起こすから。」
「・・いや、いい。」
「もう、お前ってほんと素直じゃ・・あ、ああわかった。
ポチから通信だってさ、レディ耳付けてる?
グレイからだってよん。」
嬉しそうに、グランドがポチに言って通信を開く。レディは無言で頷いた。
『やっほーグランド、レディアス、元気してる?』
レディアスのイヤリングからも、グレイの明るい声が聞こえてくる。
「よう、グレイ!元気?」
明るく返すグランドにダッド達2人が、一体何処に向けて喋っているのかと怪訝な顔で見ている。グランドは慌てて後ろを向いた。
『どお?僕たちは引き上げの最中なんだけど、手伝い必要かな?レディアスは大丈夫?』
「あ、ああ、こっちは精鋭の見習い2人連れてるしね。まあ、明日がわからないけど、局長からもきつーい一言貰ったし、グレイ達は引き上げていいさ。」
『んふ、気にしなくてもいいのに。こっちの体力馬鹿はまだ力余ってるよ。レディ?』
無言のレディの膝を、バシンとグランドが叩く。何か喋ろの合図だ。
「・・・ああ、大丈夫だ。」
ようやく一言言って、また口を閉ざした。
フッと、グランドが困った顔で苦笑い。
小さく首を振りながら、溜息混じりで返した。
「ごめん、いつまでたっても口べたでさ。」
『いいよ、元気なら。じゃあ、また。グランドも気を付けて。』
通信が切れて、背を向けていたグランドが焚き火にむき直す。
案の定ミニーが聞いてきた。
「あんた、通信機持ってる?」
フッと、グランドが溜息をつく。
「俺はね、ここが通信機なの。」
頭を指して、空を指す。さっぱりわからないミニーが、聞いても無駄かとヒョイと肩を上げてもう一杯コーヒーを飲み始める。
ダッドが足を組み、身を乗り出してきた。
「グレイって、あの白い髪のおかっぱさん?
美人だったけど、彼も男性だって?」
「あ、ああ、まあ男にはなってるね。
あいつは両性具有なんだ。半分女でもあるから、変な男じゃないよ。ダッドは知ってるんだ。」
「ああ、以前にも一度本部に来た時にね、君と仲がいいんで恋人かと思った。」
「いや、兄弟さ。こいつもね、だから一緒に住んでる。」
「へえ、まあ人から聞いてはいたけどね。
君達は目立つからな、管理官仲間じゃあ羨望の的だし。」
「羨望?んないいもんじゃないよ、恐らくはあんた達よりうんと給料だって低い。
俺達はこの仕事について当たり前だからな。っと・・」
うっかり、自分達の出生を言ってしまいそうで、グランドが口を手で塞ぐ。
レディは無言で、目を閉じ寝ているのかも知れない。
「レディアス、やっぱお前寝ろよ。」
ポンポン肩を叩きテントを指すと、ようやくレディが「ん」と立ち上がってテントにもぞもぞ入っていった。
寝袋にはきっちり入らず、すぐ飛び出せるようにくるまって眠る。
腰のサバイバルナイフを確認して、銃の入ったホルターもはずさず少し後ろに回す。
そのまま寝ると、骨に当たって痛い。
しかしその邪魔臭い腰の銃も、レディには子守歌代わりの装備だった。

ミニーが、テントを顎で指して苦笑い。
「やたら美人だけど変わった奴だね、あんた付き合い長いから疲れねえんだ。俺はごめんだね。
まあ、夜のお相手でもやってくれるならいいけど。」
「よせよ、ミニー。失礼だ。」
「だって全然普通の会話が出来ねえじゃねえか。あれでよく仕事が出来るな。」
「ミニー」
いさめるダッドに苦笑いして、グランドが首を振る。
「まあ、ちょっと前まですごく穏やかになっていたんだけど・・良く笑ってさ。
でも、無理していたのかな?また最近表情固くなっちゃって、あんまり喋らねえし・・迷惑かけるね。」
「何かあったのかね?」
「どうかな・・ずっと一緒だと俺も鈍くなってさ。それに、一々理由なんか考えないようにしてるんだ。
あいつはあいつで沢山問題抱えてるから、浮き沈み激しいし。俺はそれに巻き込まれないように、マイペースを貫くだけよ。」
「マイペースね・・・」
フッとダッドが笑う。
ミニーがからかうように笑いながら言った。
「じゃあよ、お前あんな綺麗な奴といて、恋愛感情とかねえの?」
グランドが、ふとテントを見て首を振る。
そしてヒョイと肩を上げた。
「恋愛感情?無い無い、俺達兄弟だからね。そんなの、仕事に持ち込んだら触るだろ。」
「じゃあ、仕事以外は?」
まじめな顔のダッドに、グランドが思わず真顔になる。
言葉を選ぼうと考えかけて、ふと返した。
「何で、そんな詮索するんだよ。俺達に。」
ダッドの真顔に、嫌な勘が働く。
しかしダッドは意味深にニヤリと笑い、立ち上がって辺りを見回した。
「さて、俺達は俺達なりに、周辺にはセンサーを張って置いた。
だが、一応見習いなのでな。2人一組とするかね?」
「ああ、そうだな。どうだい?ミニー。」
「俺はその方がいいね。ダッドは一人でもいいだろうけどよ。」
「じゃあ、ミニーが先に休みなよ。レディと組めばいい。」
ダッドが口を開く前に、グランドがサッと告げた。
ニヤッとダッドが笑う。
「そう心配しなくとも、ここでレディアスに手を出したりしないよ。グランド君。」
レディを呼び捨てにし始めたダッドに、ドキッと胸が鳴る。
警戒して、怪訝な顔でグランドが睨み付けた。
「ほんじゃ、俺もレディちゃんに添い寝しようかなあ。」
クックックッと嫌な笑い声を上げ、ミニーもふざけながら自分達のテントに入る。
イライラしながらグランドが、近くの草をバリッとむしり取ると、バッと焚き火に向けて投げた。
「あいつは、過去に・・子供の頃、ひどい目に遭っているんだ。他人のあんたがどう思っても、きっと受け入れない。」
「俺は、ささえになれるさ。少なくとも、相手を裏切らない。」
「俺だって、裏切ったことはないさ!」
シッと、ダッドが口に指を立てる。
大きくなった声を、グランドが潜めて言い直した。
「俺は、裏切ったことはない。ずっとあいつとは一緒だと、そう誓いあっているんだ。あんたなんかの入る隙はねえよ。」
「裏切られたと、彼は言ったよ。もう、裏切られたくないと。」
「いつ?!」
「さっき、キスしたあとで。」
グランドが、絶句して立ち上がった。
「あいつは・・・・何も・・」
キスがショックなのか、裏切られたと言っていたことがショックなのかわからない。
頭にダッドの言葉がグルグル巡り、いきなり彼とレディがキスしている場面が浮かぶ。
プルプル頭を振って払拭しながら、大きく深呼吸を一つして座った。
「キスなんて、あんたが無理矢理したんだろ?
あいつはそんな、愛とか恋とかの感情に無縁だ。喜怒哀楽さえはっきりしない。あの顔見てりゃわかるだろ?」
「ああ、わかるよ。あれは・・たとえは悪いが、どこからか誘拐されてマフィアの売春窟にいる子供の顔にそっくりだ。」
ドキッと、グランドが顔を上げる。
ダッドは目を伏せると、微笑みを浮かべながら顔を上げた。
「俺は、昔そんな場所にも近いところにいたんだ。運良く、ガキの時からこのガタイだから、売春宿には向かずに済んだけどね。
でも運悪く、殺し屋として育てられた。
そして初めての仕事でトチって、大佐に拾われ軍に入ったのさ。
まあ、そのトチったってのも、わざとだけど。」
グランドが、パシッと頭を抱えて大きく溜息をついた。

境遇が、似ている。

それは自分と大きな隔たりを持っているような気がするのだ。
少なくとも自分はレディが苦しんでいる間も、あの隔離された研究所で終戦まではぬくぬくと暮らしていた。
レディが食べる物も飲むものもなく、荒野を彷徨いながら人間に虐待されていた間も、自分は食事に困ったことは一度もないのだ。
「俺が、渡さないと言ったら?」
グランドが、ギュッと手を握りしめて強気に出る。
「奪い取るさ。あんたはあいつの今を、半分も理解しようとしていない。」
「俺は!あいつがどんなに辛い目にあったのか知ってる!あんたが知らないことさ。」
「俺は、今どんな気持ちでいるかを知ってやれる。包み込んで、暖めてやれる。
あんたのように、マイペースで突き放したりしない。」
「俺は突き放したりしてない!」
「フッ、そう考えているなら俺はあんたに楽に勝てる。
俺は彼が愛情や恋と無縁などと考えている、あんたよりマシだと思うけどね。彼のような人間は、とても愛情に飢えている。
穴だらけの心を、何とか愛情で埋めたいと抗っているのさ。ぬくぬくと暮らしてきた奴には、半分もそんな乾いた気持ちはわかりはしないだろうよ。」
「くっ、そ、そんなこと・・ないよっ!」
グランドが圧倒される。
ダッドは自分よりずっと大人だ。崖っぷちに立っているような気分で、自分の劣性をひしひしと感じる。こんな事、初めての経験で言葉が浮かばない。
ダッドは真剣で、決してからかわれているのではないと確信した。
「俺は、そりゃああんたから見るとぬくぬく育っただろうね。でも、あいつは俺の半分なんだ。何があっても絶対離すもんか。」
ギュッと握った拳が白くなるほど握りしめ、ダッドを見据える。
フフッとダッドが笑い、腰からスッと小さなナイフを取り出した。
「俺は、レディアスに言ったんだ。俺を好きにさせてみせると。」
言うなり、ヒュッといきなり林立する木の樹上に向けてナイフを投げた。
ハッとグランドが立ち上がり、腰のセイバーに手をやる。
ザッと風に紛れて葉がざわめき、グランドは懸命に辺りの気配を探る。
その時、いきなりレディアスがテントから飛び出し、その林に向けて駆けて行った。
「レディアス!」
「そこを動くな!一人じゃない!」
レディの姿は暗闇の中に消えてゆく。
「レディアス、一人で追うな!後を頼む!」
ダッドも、暗視ゴーグル片手にレディの後を追う。
「ミニー!」
グランドが叫ぶと、テントからサッとミニーが出てきて銃を構えた。
「あんた、なんでそんなムチしか持たねえんだよ?」
セイバーロッドを構えるグランドに、いらつきながらミニーが漏らす。
グランドは唇を噛んでビンッとセイバーの出力を上げ、バシンと地面をむち打った。

気配を追いかけ、ひとしきり走ったあとでザッと立ち止まる。
ザワザワと、暗闇の中を風が吹くごとに大きく枝が揺れて葉擦れの音だけが響く。
レディが目を凝らし、すべての神経を研ぎ澄ませて辺りを窺う。
樹上から逃げてこの林を駆け抜けるその動きは、クローンの物だった。
まだ、逃げ切れてはいない。

いる・・

気配に向けてアークを持つ手を、スッと左の闇に向けて引き金を引いた。

ドンッ!!

「・・ャッ!」

微かな声を漏らし、ザッと影が動いて折れた枝が落ちる。
まともに当てていないつもりだ。
しかし、それでもアークの弾はかすめただけで肉を持って行かれる。
右に動いた・・
アークを下ろし、じっと目を閉じて気を窺う。
敵も、逃げられないと悟ったか、レディのまわりを遠巻きに移動している。
シンと風が止み、静まりかえった中をカサカサと虫でも動くような音がする。

ヒュォォォ・・・オオオオ・・・

遠くから、風が近づいてくる。

ォォォ・・ザザザアアアアアア!!

辺りに風が吹きすさんだ。

来るッ!

バッと振り向きざま、キラリとひとすじの輝きを放ち襲ってくる刃を、ガッとアークの銃身で受け止めた。
「くっ!」
シャリンッ!
刃が鳴り、火花を散らす。
「・・この!」
女の声が、ブンッと刃を一凪してザザッと一旦引いた。
レディがトンッと軽くかわし、サッと後を追う。

パンパンパンパンッ!

軽い銃声が火花を散らし、レディの身体をかすめて銃弾が飛ぶ。
「フッ」
一息吐いて、アークを樹上に向けた。

ドンッ!

バシッ!「キャッ!」
女の飛び上がった枝がアークの弾で弾かれ、根元から折れた。
アッとバランスを崩し、地へ落ちる寸前に体制を整え四つ足で着地する。
ハッと気が付くと、目前にレディの足が迫る。
ウッと上体をそらして蹴りを避け、手を付き蹴りを繰り出す。
しかしレディはその足を受け止め、そのまま反動を利用して投げ飛ばした。
「きゃあっ!」
ドサンと女が地に落ちて、瞬時に飛び起きレディに銃を向ける。
パンパンパン!
キーンッ!
2発ははずれ、1発はアークの銃身に弾かれ近くの木に当たる。
しかしそれもフェイントらしく、女はダッと暗闇に向けて飛び出し、何とか逃げようと試みる。
レディが目を閉じ、女が逃げた方向に銃を向ける。
引き金に指をかけたとき、ハッと顔を上げた。
「もう一人・・人間?」
後ろからはザッザッと足音が近づいて、ダッドが声を掛けてくる。
「レディアス!深追いはするな!」
銃を下げ彼の方を向き、キャンプの方向に戻ろうと走り出した彼を、ダッドが受け止めて首を振る。
「向こうは彼らに任せよう。動きが鈍いようだ、人間だと思う。」
「わかった、でも戻ろう。」
「お前さんでも、逃がすことがあるんだな。」
「人間が奥にいる。銃を撃つと巻き込む恐れがある。」
レディが、逃げられた方角を指してアークをホルターに直す。
「そうか、なるほど。クローンと人間がらみか、込み入ってるようだな。」
「珍しくはない。」
「良くもまあ、この暗闇をあれだけ動けるもんだ。見てて、とても手が出せなかったよ。」
戻りはじめたレディの肩を、ダッドがポンと叩く。
「・・・気で、相手を見るんだ。」
ポツンとレディが返し、暗闇の中クシャクシャとダッドに頭を撫でられて、フッと笑った。
「残念、その笑顔、明るいところで見たかったな。この無粋なゴーグル無しでさ。
まあ、君の笑顔は暗闇でも美しく輝いているけどね。」
「フフ、言ってること、変だよ。口説いてるの?まだ会って、何日もたってないのにさ。」
「時間は関係ない。愛ってのはそんなものだよ。」
「やめなよ、俺なんか。
見た目だけで、大した物じゃない。年取ったら顔だって二目と見られなくなる。
ガキの時随分酷使したからな、身体もヨレヨレ、人より早く寝たきりにでもなるさ。」
どうせ手足が先にイカレる。その時、身体も急速に衰えるに違いない。
「俺は、身体に惚れたんじゃない、あんたに惚れたんだ。」
ダッドが、レディの手を握ってくる。そして、また指を絡めてきた。
暗闇の中並んで歩きながら、それは2人の心の闇の中のようで、心象風景にも見える。
2人はずっと明るいところにいながら、心は闇に沈んでいた。
「身体が衰えようが、寝たきりだろうが構わない。
俺が探していたのは身体の繋がりじゃない、心のパートナーなんだ。
傷を舐め合うとは違う、支え合えるパートナー。」
「俺は・・・あんたの支えにはなれない。」
「俺はお前の支えになれる。」
「よく、わからない、愛なんて・・
男は普通、身体の繋がりばかりを求めようとするんだろう?俺は・・駄目なんだ。」
「俺だって、普通じゃないさ。お前と一緒だよ。」
「・・・あんた・・変わってるな。」
クックックッとダッドが笑う。
変わった奴に変わっていると言われては、身も蓋もない。
「ダッド、俺には、愛って奴がまだどんなものか、よく分からない。兄弟とか、恋人とか、どう違うんだ?」
「兄弟と恋人?そりゃあ質が違うね。家族と他人だ。」
「どっちが強い?」
うーむとダッドが考える。
「普段は家族かな?でも、恋人はどんどんその繋がりが深くなることで、やがて家族さえ追い越す。」
「繋がり?・・・身体の?」
クスッとダッドが笑う。
「さあ、行為は好きじゃなくてもやる奴はいるさ。絶対の愛情のバロメーターじゃない。」
「・・・そう・・いつか、追い越すんだ・・
あんたにも、家族いるの?」
「いや、俺は誘拐孤児さ。どこから誘拐されてきたかもわからない。まだ3才だったからな、俺もはっきり覚えてないんだ。」
「そう・・・」
家族がいない・・・それは考えようによっては、レディの方が恵まれているかもしれない。
「で?どうかね?俺の愛は確かめ合いたくない?」
「冗談、相手が違うよ。」
「フフ、俺はヘビみたいにしつこいんだぜ?知らなかっただろう?」
「知りたくもないね。」
レディの次第に穏やかになって行く言葉に、ダッドがフッと微笑む。
「やっぱり、君は可愛いね。」
「ふざけるな、馬鹿野郎。」
ムッとして返す。
そしてレディはダッドの手を振りきると、キャンプへ走りはじめた。




一方残されたグランドとミニーは、走り去った2人を見送りやや心細い様子で辺りを探っていた。
「あのお嬢さんが言った、一人じゃないっての本当かね?」
「あいつが言ってはずれたこと無いよ。残念ながらね。」
キリキリ痛む胃を押さえ、ミニーが銃の残弾を見る。
その2人を、草むらからじっと狙う銃口があった。
銃口の先はブルブルと震え、どちらを先かが定まらない。
グランドを狙っていた銃がミニーを指し、指が引き金に掛かったとき、ミニーがハッと銃をこちらに向けた。
ビクッと思わず指が凍り付き、撃たれる恐怖に銃の主が身体を引く。
「うわわっ!」

ダーーンッ!

狙っていた男が空に向け、思わず撃った弾に驚きバタバタと鳥が飛び立った。
ダッと駆け寄ってくるミニー達を見て、あたふたと逃げながら再度猟銃を握りしめた時、バシッと銃身に光るムチの先が巻き付く。
グイッと引かれて思わず銃が取られ、アッとそれを追いかけ手を伸ばした。
「残念でした、おっさん立ちな。」
ミニーが、ニヤリと笑いながら銃を向けて手招きする。
その年輩の男はガックリと項垂れ、渋々焚き火の傍へと出ていった。
「何だ、人間のおっさんかよ。びっくりさせやがって。
どーぞおかけください。」
ドスンと座る男は、ボサボサの黒髪の頭にジャケット姿が猟師のような風貌だ。グランドが猟銃から弾を抜いて傍らに置いた。
「あんた、どう見てもマフィアとかに見えないけど。あのクローン目当てなわけ?」
男は無精ひげの生えた口をムッと結び、フンと横を向く。
やがて林の中からドンッと言った銃声が響き、思わず男が顔を引きつらせた。
「凄い銃声だな。あれ、あのお嬢さんの銃かい?」
「ああ、あれヘブンズアークって言うんだ。
古い銃でね、威力は半端じゃないよ。かすっただけで凄いケガになる。」
グランドの話しに、男の顔がアワアワと慌てている。
ダッと立ち上がり逃げようとするその足に、ビシッとグランドがロッドを巻き付け引いた。
「まあまあ待ちなよ、相棒も馬鹿じゃない。いきなり殺したりしないさ。
その様子じゃあ、あのクローンを知っているんだ。」
「・・・し、しらん。」
「知らない人が、この危険な山に、しかもこんな夜中に入って来れるかね?関係あるから入ってこられたんじゃねえ?」
「名前は?どこに住んでいる?職業は?」
男はむっつり、落ち着かない様子だ。
やがてまた銃声が数発響き、男が両手で顔を覆うと、手を組んで拝むような仕草をする。
普通の男の様子に、手を出そうとするミニーを制し、グランドが隣りに座って温かなコーヒーを入れて渡した。
「大丈夫、クローンは簡単に殺されやしないよ。
あんたが大事に思っているのなら、あのクローンも簡単に死にたくないと思っている。
自分が生きることを優先するはずだ。」
泣きそうな顔の男が、コーヒーを握りしめてゆっくり頷く。
やがて闇の中からレディとダッドが現れ、首を振って「逃げられたよ」と告げた。
ホッと男がコーヒーを一口飲んで項垂れる。
「な、大丈夫って言っただろ?」
ポンと肩を叩くグランドに、目を潤ませた顔を上げて手を握ってきた。
「お願いだ。頼む、娘を殺さんでくれ。」
「娘さん?」
「娘?クローンがか?あんた・・!」
ミニーがカッと男の首元に掴みかかろうとするのを、ダッドが上着を引いて止めた。
ミニーには、クローンを家族に迎える人間の気持ちは分からない。
馬鹿馬鹿しく、愚かな気がして殴ってやるつもりだった。
男はグッと膝の上で手を握り閉め、涙をポロポロ流す。
グランドが背を撫でていると、レディが男の元にひざまずき、拾ったシイルの実を差し出した。
「彼女からは、この実の香りがした。」
男はレディの顔を見て、実を愛おしそうに両手の平に転がす。
「シイルの実は・・あの子は大好きなんだ。
焼けるのが待てなくて、いつも途中で・・」
実を包み込む無骨な手を、レディが両手で包み込む。
「あんたの思いは、それでも彼女を止められなかったのか?」
震える手にギュッと実を握り、男は片手で涙を拭くとレディの顔をじっと見つめた。
まるで、許しを請うかのように。
「ああ・・リーナは、レナが死んで耐えられなかったんだ。
2人ともとても可愛い、俺達の子供だった。
でも、レナが病気になって、人間じゃないことがばれてしまうんじゃないかと・・街の医者に診せられなかったんだ。
あと2人生き返らせたいというのを、そんな俺がどうして止められるだろう。
この俺なんかのもとに来たばかりに・・
意気地なしの俺が・・」
「あんたは・・意気地なしじゃないよ。
あんたの勇気は、クローンを3人も助けるんだ。」
「3・・人・・・ 」
「この向こうにいた人間は、あんたの奥さんか?」
「ああ、そうだと思うよ。飛び出したあの子を追って、ふもとまで車で来たんだ。
かかあには動くなって言ったんだが・・きっとたまらなかったんだろうよ。」
「奥さんと、連絡は?」
「いや・・でも、あんた達はリーナを殺すんじゃないのか?」
ポンとグランドが男の背を叩く。
チッチッと指を立てて振り、ニヤリと笑った。
「今までと、変わらず一緒に暮らせるよ。一度リーナにはサスキアのクローン研究所まで来て貰うけどね。
登録すれば大丈夫。あんたがあと、生活の中で苦労することは増えるだろうけど。」
男は不安そうに笑って首を振る。
「いいや、近所の者はみんな知ってる。あの子は優しいから、何ヶ月かかけて何とかとけ込めたんだ。
それを考えれば、また苦労が待っていても苦じゃない。俺の大事な娘だ。」
「了解。」
ポンとグランドがまた背を叩き、立ち上がった。
「とにかく、奥さんとリーナの確保だ。どうする?」
「グランドとレディアスが行け。特別管理官の仕事だろう。」
ダッドが、ニヤリと笑って言う。
グランドはうなずき、レディの腕を引っ張ってふもとへと走り出した。
フッと、ミニーがダッドの肩をポンと叩く。
「勝負、負けたの?」
「いいや、進行中。俺はしつこいんだ、知ってるだろ?」
「はっ、知りたくもないね。」
レディと同じ返事に、プッとダッドが吹き出す。
「お前もそんなところは可愛いな。」
「はあ?」
キョトンとするミニーの背を叩き、ダッドはクローンのカプセルを見に行った。




ふもとへの道を走りながら、レディが時々辺りを見回す。
「どうだ?」
グランドが聞くと、ヤブの中の左手を指す。
「むこう、どうする?中を突っ切るか?」
「遠いなら、仕方ないっしょ。」
「俺が先行く、付いてこれる?」
ザッと立ち止まり、レディが暗闇の中で微かに微笑む。
「努力します。」グランドは苦笑いで、指を立てた。
「行くぞ」
「待てよ!」
グランドがレディを呼び止め、思わずうつむいて目をそらす。
「お前、俺に何か言いたいことあるんじゃねえの?」
グランドはダッドが言った、裏切られたという言葉が、ずっと心に引っかかっている。
しかしレディアスは無言で背中を向けて、何も言わない。
たまらずとうとう、彼の腕を掴んで引き寄せた。
「ダッドに、口説かれているんだろう?お前、どうするんだよ。
何ではっきり言わないんだ?」
何をはっきり言わなければならないのだろう。
レディにはそれが浮かばない。
「グランド」
「なに?」
「グランドは、俺の事どう思ってるんだ?」
「どうって、どうしてそんな事聞くんだ?そんな事、今更聞かなくてもわかるだろ?
お前だって、俺の事どう思ってるんだよ」
まさかと、後ろめたい秘め事のあるグランドは胸がドキッとする。
いつもの心配症ならいいと願った。
ゆっくりと、レディが振り向く。
そして、無表情にただうつむいた。
「自信が、無くてさ。俺は・・・・・グランドが・・・一番なんだけど・・」
一番心を占めている。いつも思い出して、そして思えば暖かい。それがグランドだ。
戦場にいるときも、ずっと心の支えだった。
でも、グランドにとって一番は誰だろう。
「レディアス・・・」

レディアスは、気が付いたのだろうか・・・?
まさか・・・

レディのいつもの杞憂だと自分に言い聞かせながら、グランドがうつむき、そして笑いながら顔を上げる。
しかしその時、悲しげなレディの顔が暗闇にぼんやりと白く浮かび、何故か背に冷水が走った。
サッと目をそらし、ごまかすようにパンパンとほこりを払う仕草で身体を叩く。
思わず大きな声が出た。
「あーあ、まったくさ!いい加減にしろよ!俺だってレディアスが一番だよ、バーカ!」
「え・・本当に?」

誰よりも、一番?俺が、グランドの一番?

レディが不安そうな微笑みを浮かべそうっと顔を上げると、グランドがニヤッと笑って大げさにバンと肩を叩く。
「当たり前だろ!」
「俺、一番なんだ、そっか。」
レディもホッとしたのか、ぎこちなく笑い返した。
「まったく、俺達家族だろ?家族が一番に決まってるじゃないか。
ずっと兄弟一緒だって約束しただろ?信じろよ。」
「・・あ、ああ、うん、そうだよね。」
レディの顔の、微笑みが少しこわばる。
心のどこか、肩すかしを食らってがっかりしてしまった。

・・家族
いつか誰かに追い越される、家族

それは、もう追い越されているかもしれない。




「なんだよまったく、何考えてるのかお前って、心配ばかりしてるんだな。
俺は裏切ったりしないよ、兄弟みんなお前を愛してる。・・お前だって、信じるって言ったじゃないか。」
「う・・うん。わかってる、ごめん。」
戸惑いながら、懸命に微笑みうなずいた。
これ以上、聞くのは怖い気がする。
捨てられるのが、何より怖い。

一人は、もう嫌だ。

「よし、行こうぜ。」
バンと背を叩かれ、レディがうなずく。
それでも心の奥底で、大声でまた何かが何度も何度も同じセリフを叫んでいる。

嫌われるのは嫌だ、一人になりたくない

つい先日までの満たされた気持ちが大きく壊れて、反動のように不安が押し寄せる。

「恋人はどんどんその繋がりが深くなることで、やがて家族さえ追い越す」

それは、兄弟という繋がりさえ壊したりしないんだろうか?

不安は、どこまで行っても不安でしかない。

パンッと両手で、頬を叩く。
レディの表情が変わった。
気持ちの切り替えは、彼にとっては切り捨てることだ。
不安も、何もかも捨てて、殺し合いに没頭する。
そうしないと生き残れなかった。
レディには、この瞬間だけは真っ白になれる。
すべてを無理矢理捨て去り、そして
心が冷たく澄んでゆく。

バッと闇の中、林立する木の中に飛び込んだ。
ヤブの中を異常な早さでレディアスが駆け抜ける。
倒れた木を避け、垂れた蔓や背にまで伸びた草を薙払いまるで平坦な道を走るような早さは、戦場でつちかった器用さなのだろうか?
「レディ!レディアス!ぅわっ・・ぷ!」
懸命に追いかけながら、たまらず声を上げるグランドに、前を向いたままレディがスピードを落とす。
「レディアス!何か言いたいことあったら・・・言えよっ!俺にはよ!」
レディは無言で、またスピードを上げる。

関係ないことだ。今は・・

相手はクローン、息を抜けば殺される。
たとえ子供のクローンでも、全力で向かう。
澄んだ意識を研ぎ澄まし、気配を頼りに闇を進む。
彼には余程今の方が、楽で自然のように感じられていた。



やがてようやく日常の薪拾いなどで手入れの入った、走りやすいふもと近くの林まで降りてくると、人の気配を感じて足をひそめた。
「・・リーナ!もうお止め。もう、お前まで死んでしまう!」
ランプの明かりが灯り、年輩の女性の声が響いている。あの男の奥さんだろう、猟師の奥さんらしさが声にも出て、芯の強さがにじみ出ている。
「いや、いやよお母さん。ここで殺さなきゃ、あいつら管理官は彼達まで殺しちゃう・・・もう、死ぬのを見るのはいやなのよ!」
「リーナ、あんた一人で何が出来るってんだい!女の子がこんなケガして、もう行かせないよっ!」
太った母親が、少女をギュッと抱きしめた。
そっと、グランド達は様子を見ながら移動し、レディが無言でグランドを制して気配を消し、2人に近づいてゆく。
クローンの背後に回り、近くまで来るとスッとアークを上げた。
「そこまでだ。」
ビクンと、2人の体が震える。
「な・・一体いつ!」
リーナがレディに気が付かなかったことに驚いて声を上げた。
「動くな、そのまま手を上げて座れ。俺はお前を保護しに来た。抵抗しなければ何もしない。」
しかし、言い終わるのも待たずにリーナがレディに飛びかかる。
ビュッビュッと手刀を見えない早さで左右から繰り出し、バッと蹴りを入れる。
レディは身軽にそれをかわして蹴りを受け流すと、ドンッと背中から手掌で突きを入れた。
「グッ!カハッ」
衝撃に胃液を吐いて、リーナがたまらず地に倒れる。
「リーナ!うおお!!この野郎、娘から離れろ!」
奥さんがいきなり銃を取り出し、レディに向けてパンパンと撃つ。
しかし彼はトンと飛び上がると奥さんの懐に降り立ち、バシンと銃をたたき落とした。
「母さんっ!」
リーナが上体を上げ、ギッとレディを睨み付ける。
それを力の発動だと悟ったグランドは、セイバーロッドで彼女の身体を巻き取り、バシッと電撃を送った。
「きゃあっ!」
間髪入れずサッとグランドが駆け寄って、リーナを後ろ手に羽交い締める。
「落ち着いて!俺達は殺しに来たんじゃない!
静かに!大丈夫、落ち着くんだ。抵抗しなければ何もしない、保証する。
そうだ、お父さんは俺達のキャンプで預かってるよ。」
「お父さん?!」
「そう、静かに。心を静めて、リーナ。君の主は?」
ビクンとリーナの体が震える。
「主様は・・・」
「よしなっ!主なんていやしないよっ!」
母親はレディに一発殴りかかったあとレディの顔を見て手を止め、突き飛ばしてリーナに駆け寄る。そして押さえつけるグランドをつまみ後ろに放り投げた。
「あんた、もういいだろ!うちの子から離れなっ!」
「うわっと!・・ちょ、奥さんだろ?あのおじさんの。」
奥さんは手を引きリーナを立たせて、優しく抱きしめる。リーナは彼女の胸の中で、震えながら泣いていた。
「ああ、怖かったねリーナ。まったく、うちの腰抜け亭主はやっぱり何も出来なかったんだね。
あんな馬鹿亭主、お前のお父さんでいいんだよ。」
「・・お父さん・・うっ、うっ・・」
2人の様子に、グランドがロッドをしまってヒョイと肩を上げる。
「まあ、こっちはこう言うことのプロでね。一般人にどうも出来ないのは仕方ないさ。
親父さんは腰抜けでも何でもなかったよ。」
フンと、奥さんがグランドとレディを見る。
ランプの灯りよりも、白々と明け始めた空に2人の姿ははっきりと見え始めていた。
「まったく、こんなヒョロヒョロの女と頼りない坊やじゃあ、こっちが可哀想で手が出ないよ。
管理局はちゃんと飯食わせてるのかね?」
「はあー?」
あんぐり、グランド達が猟師の奥さんにあしらわれて呆れる。
「女じゃねえってのに・・」
レディはまた、ブスッとしてブツブツぼやいていた。

キャンプに集まり、リーナと猟師夫婦にこれからのことを説明すると、ようやく納得してくれたようだ。
目覚める2人も無事に保護できたら、共にサスキアのクローン研究所へ一旦保護されることが決まった。
奥さんも付いていきたいと言い張ったが、研究所は一般人の立ち入りが禁止されている。
心配がないことを繰り返しグランドが説得し、ようやく頷いてくれた。
「でも、あの2人のカプセル、濡れちゃったの。ちゃんと目が覚めるか心配なんです。」
頬をすりむいたリーナが心配そうに、向かいにいるミニーに訴え紅い目で見つめる。
ミニーがウッと言葉に詰まりながら、グランドの顔をちらりと見て、引きつった顔でにっこり笑った。
「だ、大丈夫さ。昔の物にしちゃあ良くできてるんだ。雨くらいじゃあびくともしねえよ。
な?」
ダッドにすがるような目で振り返る。
プッと吹き出しながら、ダッドが大きく頷いた。
「大丈夫だよ。今のところは順調らしい。
ただね、かなり昔の物だけに、時折不具合が脳にダメージを与えるときがある。
それが・・君も知ってるだろう?クローンの暴走を引き起こすんだ。
その時は・・残念だけど。」
「・・殺しちゃうんですね。」
「仕方ないんだ。彼らが引き起こす事件は、君達正常なクローンにまで迫害を引き起こす原因になる。」
ダッドの言葉に、自分の事を言われたようでウッとミニーが顔を逸らす。
涙を流すリーナの背中を、奥さんがそっと抱いた。
「じゃあ君の迎えには、明後日・・ああもう明日か、の昼頃に行く予定だ。それまで自宅に待機しててくれる?」
グランドの言葉に、エッとレディ以外がポカンと口を開ける。
「か、帰っていいんですか?」
「別に、君は逃げないだろ?」
「え、ええ、それは、そうだけど。」
「・・変かな?」
グランドが鼻をポリポリかく。
リーナが首を傾げながらつぶやいた。
「あたし・・てっきり、このまま掴まって、連れて行かれると・・」
ミニーも、ウンウンと頷く。
「だって、君何もしてないだろ?ただ、普通に暮らしていただけ。
罪もない人を、グルグル身動き取れないようにして引きずっていったら、こっちが研究所に告訴されちゃうよ。」
「え?ええ?そうなんですか?」
「ああ、君はこれから、クローン研究所がバックに付くんだ。何も心配はいらないよ。
・・行くのを楽しみに待っておいで、あそこには沢山クローンがいるし、元気に働いている子もいるよ。」
「働いて?本当に?」
「ああ、博士もいい奴ばかりだ。クローン命みたいな人ばかりだからね。」
ホッと明るい顔で、リーナが両親の顔を見る。
家族で喜んでいるのが、グランド達にもいつ見てもこういう場面が一番嬉しい。
「じゃあ、夕方の目覚めるときだけ、ここに来てもいいですか?」
グランドが、しかしそれには首を振る。
「無事に目覚める保証がないんだ。だから明日。わかるだろ?」
ああ・・と、リーナが元気をなくして項垂れた。
レディが彼女の手に、シイルの実を差し出す。
「また会える、きっと。祈るのも、力になる。」
丁度差し込んできた朝日に彼の銀色の髪が輝き、リーナがうっとりと彼の姿に見とれてうなずく。
「力・・祈ることが・・」
「少なくとも、彼らが目覚める今、ここは戦場じゃない。」
ハッと、リーナの顔が我に返る。
そうだ、自分達は武器として作られ、そして目覚めるときは殺し合いのためだと諦めていた。
それが・・この時代に目覚める意味は、まったくの幸運としか言えない。
それ以上、何を望むのだろう。
ギュッと実を握りしめた彼女が、微かに香る実の匂いをかぎ、そして顔を上げる。
その顔は、明るくそして微笑んでいた。
「では、明日。あの2人の幸運を、自宅で両親と一緒に祈っています。
それが、私に出来る最良の、そして最大の力。」
「そうだ、彼らもそれ以上は望むまい。」
にっこり微笑むリーナが、レディに近づきスッと頬にキスをする。
「ありがとうございます。私、目が覚めました。」
「・・・そう、良かった。」
レディの硬い表情が、穏やかに微笑む。
やがて挨拶を交わし仲の良い親子は、明日の迎えを待って自宅へと帰っていった。
ミニーが、朝日に眩しそうな顔をして大きく伸びをする。
大あくびに顎をはずしそうな顔で眠そうに目を擦ると、ダッドの肩をポンと叩いた。
「ほんじゃあ、一睡もしていない方々、少し仮眠しなよ。あとはレディと俺に任せてさ。」
グランドがキョトンと見て、プッと吹き出す。
ようやく彼もレディと呼んでくれた。
管理局にこれまでの報告を済ませたグランドとダッドが、それじゃとテントで仮眠を取る。
結局、目覚めたクローンは支部のヘリが迎えに来て、今夜は支部に保護される。
そして明日引き上げる彼らやリーナと一緒に、サスキアに帰ることが決まった。




長い一日が過ぎ、時間が近づいて支部のヘリが近くに待機する。
支部からポンプを持ってきて貰い、中の水を汲み出して足下を動きやすくすると、薄い服一枚の子供達のため毛布を持って、じっとカプセルのカウントがゼロになるのを待った。
ミニーが緊張して、やたら額の汗を拭く。
「なんかよう、ホラー映画のクライマックスだぜ。」
「バッカじゃねえ?中から出てくるのは、こんな綺麗な子供なのにさ。」
「とんでもない化け物じゃねえか。」
フッと、ダッドが笑う。
「その化け物に見つめられて、ニコニコしてたのはどいつだ?」
「バッ、馬鹿、ダッドまでんなこと言うなよっ!
でも、何でクローンってこのくらいの年代が多いんだ?ガキじゃねえか。」
ミニーの質問に、レディが静かに答えた。
「成長するまで、待てなかった。
それに、このくらいが一番動きがいい。他にも、使いようがある。」
「他?他って何の?」
ミニーの質問に、レディは無表情で答えない。
隣りに立つダッドが、声を潜めた。
「キッドポルノは、これがギリギリだろ?」
「・・あ・・ああ・・・そうか・・」
人間のいやらしい、最も暗い暗黒面がさらされる戦場。
何となく、ミニーにはクローンよりも人間の方が汚く思えてくる。
無垢なクローンを骨までしゃぶろうとする戦場の男達が、昔はこうしてクローンが目覚めるのを手ぐすね引いて取り囲み、待っていたのだ。
そう思えば人間に吐き気がして、クローンに対する恐怖はウソのように引いていく。誰が被害者なのか、彼にはわからなくなっていった。

「あ、開くよ。」

2つのカプセルの一つがゼロになり、ガクンと蓋がずれた。
銃に手を添えたダッドやミニーと違い、グランド達は武器も持たずワクワクした様子で蓋を開ける。
やがてゆっくりと紅い瞳を開いた少年が、眠そうな顔からはっきりして行くごとに、不安な表情で2人の顔を見上げた。
「ようこそ、新世界へ。戦争の無いカインは君達を歓迎するよ。」
グランドが優しくクローンの少年に声を掛け、手を引いてゆっくりと身体を起こす。
見回す少年が、微かに首を傾げた。
「わ・・たしは主様の・・ために、これから・・」
「いいや、これからは君が主さ。」
「え・・・?」
その様子に、ダッド達が無言で見とれる。
何と美しいクローンの姿。
それは一点のシミもなく、清純にも感じる真っ白な赤子のようでもある。

まるで、それは神聖な・・
まるで、新しい命の出生・・

人間は、何と美しい生き物を作り出したのか。

ハッと、ダッド達も銃を直してカプセルに近づいた。
隣でもう一人のカプセルがガクンと開く。
うつろに開いた目が、やがてハッとキョロキョロ周りを見回し、覗き込むミニーの顔を不安そうに見つめた。
「あ、主様・・私は、命を賭けて忠誠を・・」
小さくか細い声で、不安そうに目覚めたとたん機嫌を窺う。
ミニーは胸がきゅんとして、思わず優しく微笑み少年の手を引いて起こした。
「おはよう、ようこそ新しいカインへ。」
「新しい・・カイン?」
「君の名前は?俺はミニー。」
「私の名は、R−3364−Dと申します。ミニー様、あなた様が主様ですね。」
「いいや、君が主だよ。」
「え?わたしが・・?」
「そう!」
ミニーが、自分のジャケットを着せて少年の身体を抱きかかえ、外へ飛び出す。
「わあっ!」
思わず少年が声を上げた目の前には、森の向こうに夕暮れが広がり、静かな川の流れがあった。
「時代が変わって、戦争はもう無いんだ。これからは、クローンの君自身が主なんだぜ。」
「私は、どのくらい眠っていたんでしょう?ミニー様。
ああ、本当に・・・何て静かな・・夢みたいだ。」
爆弾の音も、痩せ細ってブルブル震えながら一塊りになっているクローンも、冷たい軍人達の姿もない。
少年が、紅い瞳でミニーを見つめる。
そしてドキッとするほど美しく微笑んだ。
「本当に?これが・・みんなが夢見ていた平和な世界なのですね?ミニー様。」
「様はいらない、クローンと人間は同じ生き物だろ?」
「え・・いえ、そんな・・」
「ミニーだよ、な?えーと、イブ・・ってどうかな?」
「イブ?」
「この綺麗な夕日の中で目覚めたから、イブニングのイブ。お前さんの名前さ。」
夕日に照らされてなのか、ミニーの顔が真っ赤だ。
少年はにっこり微笑み、うっすらと涙を流して両手を合わせた。
「私の名は・・イブ。ありがとうございます、ミニー・・様。」
「様はいらないって。ああ、綺麗だな夕日。」
ダッドが出てきて、ミニーの後ろに立ちポンと肩を叩く。
ミニーは少年の小さな身体を抱いて、その無垢な横顔に見とれながら、彼らのために特別管理官になりたいと心から思っていた。




翌日、カプセルの処理も終わり町長の下を訪れた彼らは、いきさつを話したあとで後日報告書を送ることを告げた。
しかし、リーナのことも町長には知らせなくてはならない。
リーナの家は郊外の街から離れた集落だから、街の人々は彼女がクローンだとは知らないだろう。
クローンは瞳の色さえ隠せば、普通の人間と変わらない。
リーナ一家のことを出来るだけ恐怖をあおらないように、ごく深刻に彼らから聞いたとおり淡々と話した。
「驚かれるでしょうが、これからリーナはサスキアのクローン研究所で特殊能力は封印されることになりますから、安全面ではご心配いりません。
ですから、いたずらに怖がるようなことは・・」
真剣な顔で話すグランドに、クスッと、リーン町長がいたずらっ子のように笑う。
「実はね、知っていますのよ、リーナがクローンだって。」
「え?聞いたんですか?」
「いいえ。父親がうちのレストランに獲物を納めますので、よくお手伝いに付いて来るんです。その時、眼鏡がずり落ちて紅い目が・・ね。
眼鏡が大きいんですよ、だから何人かは知ってますけど、あんまり一生懸命で可愛いから、ねえ。ホホホホ・・」
町長が何でもないと笑い飛ばす。
「カプセルも子供達が見つけちゃったから、大騒ぎになっちゃって。
あの子も苦しんだでしょう可哀想に。」
「はあ、でも秘密裏にクローンを保護されるのは困るんです。管理が必ず必要ですから。」
「あらいやだ、そうでしたわね。ホホホ・・」
ホホホじゃないだろうが、まあ、それなら話が早いだろう。

報告が終わり、立ち上がると来た時と違ってグランドの手をしっかり握ってくれる。
「では、お願いしますわね。」
「はい。」
返事を返しながら、それがリーナのことを多分に含んでいることがうかがえる。
短い命だからこそ、クローンにも幸せになって欲しいグランド達には、その言葉が何より嬉しい。
やがて挨拶が済み街へ出ると、ダッドが時計を見てドスンと荷物を下ろした。
「リーナの迎えに行くにしても時間があるな。」
「じゃあ、フリーにしようぜ。その後俺とダッドがリーナの迎えに行くよ。
そのくらいは見習いにもできるさ。ヘリの来るポイントで待っていてくれ。」
ミニーが率先して親指を立てる。
ダッドがポンと肩を叩き、ニヤリと頷いた。
「そうだな、先に行ってくれ。」
「じゃあ、頼むよ。俺とレディアスはポイントで待ってる。」
「了解。」
手を上げて別れると、街を歩きながらグランドが見回す。
なかなか大きい街で活気がある。
あちこちに、やたら宝石店が多いのも昔の名残だろう。
上品な店先に惹かれ、ヒョイと近くのウィンドウを覗いた。
美しい宝石が並び、店内は恋人同士や家族連れが数人物色している。
宝石をねだられ、辟易している男性の姿もよく見られた。
「カシスルージュかあ、綺麗だけど高いな。」
グランドが溜息混じりに漏らす。
レディは興味がないので、後ろに立って待っていた。
「でも、可愛い色だよな。一見黒っぽい赤だけど、光が当たればピンク色になる。」
「可愛い?」
レディが、興味を惹かれたか並んで覗き込む。
彼は「可愛い」を勉強中なので、その言葉に敏感に反応する。
「どう可愛いの?」
「どうって・・お前、そりゃあ色とか形がよ・・・可愛いんだよ。」
「ふうん・・可愛いのか。」
可愛いを説明するのは難しい。
グランドが言葉に詰まり、ちらっとレディを見る。
「こう言うのは、光で色が変わるだろ?
あのキラッとピンクに変わるところが憎いよな。」
「憎い?・・可愛いのに憎い。」
ますますレディはわからない。
グランドも、こう言うときは異星人と話している気分だ。
「なあグランド。こういうのって、グレイとかセピアも持ってたよね。嬉しそうだった。」
「ああ、でもカシスルージュは持たないよな、2人とも。」
2人でじっと見入って、溜息をつき、レディが飽きたのかポンと離れる。
グランドに背を向けて、荷物を重そうに下ろした。
「・・グレイ・・なんかに、似合うんだよね。」
カマ掛けるようにつぶやく。
「そうだな。・・ちょっと待ってろよ。」
グランドが身体を起こし、しばらく考えて店内へ入っていった。
レディが覗き込むと、やっぱり何か買っているようだ。
彼が宝石なんかを買うのは珍しい。
きっと、プレゼントだろう。
やっぱり・・と、何だかがっかりとした気分で座り込み、荷物を前に膝を抱える。

道行く人をじっと眺めていると、自分はここにいないような気がしてくる。



消えてしまえたら、どんなに楽だろう・・



重い心を抱えて、立ち上がる気もしない。
もう一度店を覗くと、グランドがカードで払い、包みもせずにケースを持ってくる。
「よ、お待たせ。」
顔を上げると、グランドがケースをレディの顔先に差し出している。
「ほら。」
差し出しながら、ちょっと気恥ずかしそうに顔を逸らした。
「・・なに?」
訝しい顔でケースを見て、グランドの顔を見上げる。
立ち上がってただケースをじいっと見ていると、しびれを切らしたかグイッと手に押しつけられた。
「ほら、自分で持てよ。」
レディにはどう言うことかわからない。
きっと仲のいいグレイへのプレゼントだろうに、どうして自分に渡すのだろう。
「なんで?俺が渡すの?」
「ハア?誰に渡すんだよ。俺はお前に買ったんだぜ?」
「俺?」
受け取って、箱を開けると繊細な銀の鎖の先にカシスルージュの小さな紅い石が輝いている。
「小さな石だけど、まあそれでもカシスルージュだから。」
ポリポリ鼻をかくグランドに、レディが不思議な顔をする。
「これって、女がするんじゃないの?」
「でも、指輪は嫌なんだろ?指はナイフや銃に触るから。ならネックレスしかないじゃん。
どうせ服で隠れるからいいじゃないか。セピア達にだって自慢できるぜ。」
「ふうん、何かよくわかんない。」
「ほら、貸してみなよ。」
ケースから取り出し、レディの首に回して後ろで取り付ける。
しかし襟に隠せばまったく見えないから、レディにはやっぱり付けている意味が分からない。
「これ、見えなくても意味があるの?」
「あるさ、お前は俺のだから取るなってこと!」
グランドの、力の入り方の意味も知らず、んーっとまたレディが考える。
そして思いついたか、ああ!と顔を上げた。
「犬の首輪と一緒だ!」
「違うっ!!ぜんっぜん違う!
あーーもう、お前はどうしてこう言うことにピンと来ないかなあ。俺は神様を恨むぜ。」
「なんだそうか、違うのか。」
「いいか?ダッドと会うときは二人っきりになるなよ。・・キス、されないようにガッチリ!ガードしろ。」
「キス?ああ、そう言えば・・気持ち悪かった。」
「なんで?」
「だって、ベロ入れてくるんだもん。」
ブッとグランドが吹き出し、大きくよろめく。
「あ、あ、あの野郎、俺だってそこまでしなかったのに。・・・しとけばよかった。」
レディは、気になるのかネックレスをもじもじ触っている。
ニヤリとしてグランドが覗き込むと、レディが不器用に微笑んだ。
「ちっとは嬉しい?」
「んー、何かドキドキする。」
「じゃあ嬉しいんだよ。へへ・・ほんじゃ行こうぜ!」
グランドがレディの荷物も持ち、先を歩き出す。トトッとレディが駆け寄り、グランドの顔を覗き込んだ。
「グランド、ね、これ可愛いよね。これってさ、俺に買ったの?本当に?」
「本当の本当。お前に似合うかなって思ったのさ、レディアス様への献上品!」
「そうか・・じゃあ俺が貰っていいのかな?」
「いいって言ってるだろ?だいたい俺が他に誰にやるってんだよ。」
レディは無言で答えない。
ただにっこりと、先程よりもはっきりと微笑んでいる。久しく見なかった笑顔だ。
懐には痛かったが、思い切って買って良かったと思う。
レディもグランドの後ろを歩きながら、その背中を見て、何だか少しグランドが近くなった気がした。
「ね、ね、グランド、手を繋いでいい?」
「ええ?えーと、いいけどさ。」
人目を気にしながら、グランドが手を繋ぐ。
黒い全天候スーツにゴツイ荷物を背負い、どう見ても軍人の男2人・・まあレディはどう見ても女だが・・が手を繋いで歩くのは抵抗がある。
しかし、嬉しそうなレディの様子に、グランドも恥の書き捨てと黙って手を繋いだ。
暖かな手のぬくもりは、心まで暖めてレディの表情が穏やかになっている。
「やっぱり、グランドが一番だ。」
「あー、俺もレディアスが一番だな。」
クスクスと笑い合った。

しかしその頃、幸せそうな2人の後ろには、早々に用を済ませたダッド達がリーナを連れ、離れて歩いていた。
急いで追ってきたのに、何だか怪しい2人の元まで行くのは気が引ける。
一目で軍人とわかる格好で、手まで繋いで歩いているのには溜息を通り越して呆れた。
「何してるんだあ?あのままごとペアは。」
ミニーがガックリ肩を落として、大きな溜息をつく。せっかく人間性を見直したのに、これでは振り出しだ。
「フッ、きっと慌てたんだろうさ。」
ダッドが途中で買ったリンゴをかじり、手にしている袋から隣を歩くリーナに別の一個を差し出した。
「慌てたって?ダッドが手え出したから?
あんたあの見た目綺麗だけど、滅法怖くて無感情の人形みたいな奴と、手え繋いで歩きたいわけ?」
「無感情じゃあないさ、見ろよ笑ってる。
いいねえ、俺も手繋いで歩きたいね。」
ダッドがクスクス笑うリーナと、ふざけて手を繋ぐ。
ミニーの顎がガックリ下がり、ブンブン首を振った。
「ケッ、よしてくれ。ダッドとあいつなんて、怖くて誰も近寄れねえよ。
俺は反対だね。」
「それはいい、俺は障害が多いほど燃え上がるのだよ。ミニーも、俺にレディを奪われたグランドの泣き顔を、見てみたいと思わんのかね?」
意地悪くダッドがニヤリと笑う。
ミニーはヒョイと肩を上げ、ダッドの抱える袋に手を突っ込み、リンゴを一個取ってガリッとかじった。
「見たくもないね。アホくさ。」
「あははははは!」
ダッドが声を上げて笑い出す。
その声が聞こえたのか、前方で手を繋いでいた2人が慌てて手を離した。
「あっ!この・・エロ見習い!」
グランドが、ダッドに思わず臨戦態勢を取る。
「てめえ!サスキアに帰ったら話があるぞ!この野郎!」
レディを後ろに庇い、グランドがガッツポーズ。
「ふっ、くだらんな。」
ダッドが馬鹿にしたように鼻で笑う。
横で見ていたミニーが、プッと吹き出した。

「・・・これって、面白いかも。」

新しい職場でややナーバスになっていたが、なかなか変わった奴が多くて面白い。
ミニーの本部務めは、いつの間にかワクワクした物に変わっていた。