桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  暗い覚醒

山中に見つかった遺跡には、クローンの眠るコールドスリープのチューブが発見された。
しかしそれを狙ってきた謎の男達の襲撃、クローンを巡って思惑が入り乱れる。
そのクローンの正体とは?狙ってくる者達は一体……
後の話しに続く、すべての始まり。


 彼にとって、その時代は宝石のように輝いていた。

夢に、そして野心に燃えて、正義感を歌い、人々に尊敬され愛された時代だった。

目を閉じれば、人々の輝く瞳と彼に向かって振る手が、眩しく思い出される。
人々の声は口々に彼を賛美し、そして彼の名を叫んでいる。
その全てが輝き、全てが思うように運んで全てが順調だった。

それでもしかし、彼は満たされなかった。

美しく、愛する妻がいた。
溺愛した愛らしい子供が三人いた。
やるべき仕事は多かったが、周りは全て、彼の意見に賛同するイエスマンばかりだった。

何も抗う物がない。

その中で前に進むことばかりを考えて、人々を真っ直ぐの道へ進ませるべきその彼は、一つの分岐路で道を誤った。
いや、それは”わざと”だったのかも知れない。
ただただ前に真っ直ぐ進む。

そうしている内、彼は次第に膿んでいた。

前を歩く彼の、その膿んだ顔に気付く者もなかった。
腐った彼から発する言葉は次第に周りをむしばみ、平和に暮らす人々を戦いの場へ、そして狂気を狂気と思わない人々を生み出していく。

やがて彼はその生を終わるその日まで、この星を破壊へと導き暗黒の世界を創造した。
その生を終わるまで。

そう、誰もが思った。真実を知る者を残して・・・



 管理局に非常招集をかけられたその日、特別管理官としてサスキアにいたのはグランドとレディアス、そしてセピアとブルーだった。
グレイとシャドウは、北部の山中に数体のクローンが見つかり、処理を任されたのだ。
環境状態を見て、すでに雪が積もっていると言うことだったのでデリート・リー局長は、その時いたレディアスペアではなく、丁度派遣先から帰った彼らを派遣した。
自然環境調査員が発見した遺跡なので、山中のへんぴな場所だ。
連続の派遣と野宿は体力勝負で、シャドウも不満をぶつけながらグレイに引きずられていった。

 「・・で、だから俺はさっさとぶち壊して帰りたいんだ!」

音声のみの雑音混じりの通信に、シャドウが噛みつくような声を放つ。
きっと、彼の唸り声に電波も震えているのだろう。
波のように雑音が強弱を繰り返し、衛星通信なのに鮮明でないのが珍しい。
事前調査が終わった彼からの報告で、結局そこにはコールドスリープ中のクローンが3名見つかった。
そして、とんでもない問題が持ち上がり、シャドウ達も”さっさとぶち壊して”帰ることが出来ないでいるのだ。

「いいわね、早まったことをしちゃ駄目よ!
ちゃんと協議して結果を出すから、それを待ちなさい!何か変化があったら逐一報告を!」

局長も、50代前半にして白髪の目立つブラウンの髪をかき上げながら、頭の痛い問題に眉間にシワが増えている。
通信機の向こうで、シャドウが大きな溜息をマイクに吐きかけ、冗談じゃあないと強くアピールしていた。

「何があったんだあ?局長よう、冗談じゃねえぜ。まさかまた帰ってからも仕事だって言うんじゃねえだろうなあ。おい!」

「通信では言えないような事よ。あなた達には最も深刻な、ね。
ちょっと、グレイはそこにいるの?替わって頂戴。」

「え?替わるの?」

急に口調がたどたどしくなった。恐らくまた、グレイと仲違いしているのだろう。
それでおどおどするのはいつも、この大男の彼の方なのだ。
局長は、なかなか替わろうとしない彼に、溜息混じりで声を潜めた。

「何?今度は何で怒らせたの?そこじゃ可愛い女の子もいないでしょう?」

女の尻ばかり追いかける彼に、局長もうんざり気味だ。
もっと真面目に仕事をしないと命取りになるのは重々考えられる。
カインでの彼らはこう見えても、軍にとっても貴重な財産なのだ。

「あのーですねえ、クローンのことでちょっと・・じゃ!連絡待ちます!あとよろしく!」
ピッ!

「もうっ!あの子ったら!」
一方的に切られて、局長が腹立たしい面もちで通信のスイッチを切った。

「シャドウさんも、相変わらずですね。」
「全く、少しは成長して欲しいわ。身体ばっかり立派になっちゃって。」

局長が隣に座る通信員の女性スタッフの肩をポンと叩き、通信室を出ようとくるりと振り返ると、入り口に他の兄弟四人ががん首揃えて立っている。

「あなた達、勝手に持ち場を離れないのよ!」

まったく、彼らは軍の規律が通らない。
まともに出来るのは見かけだけの敬礼ぐらいだ。

「何で怒ってると思う?ねーブルー。
あたいね、何となーくわかるよ。賭けない?」

セピアが、ブルーの腕にすり寄る。
しかし、そんな物賭けるだけ無駄だ。みんな答えはわかっている。
暗く落ち込んで横からレディアスが、溜息混じりに俯いて呟く。

「やっぱり、俺達が行けば良かったんだ。グレイ疲れてんだよ。俺、少しくらい寒いの大丈夫なのに。」

グランドが彼の背をバンと叩き、いい加減にしろと頭を小突いた。

「何言ってんだよ!3,4カ所続けたからって、んな疲れるか!俺等並みじゃねえっての!
雪山だぞ、お前みたいな奴があんなところで野宿したら、遭難するのが落ちだって何度言わせるんだよ。お前、体脂肪率を人並みに上げてから吠えろよ。」

「だってよ・・いてえっ!」

ギュッと、セピアがレディアスの腋腹の肉をつまもうとしている。
あまりの痛さにその手を思わず払って、セピアを睨んだ。

「いてえ!クソー!何すんだよ、クソ力!」
「チェッ!皮しか掴めないの!ゴリゴリだもん。あたいより痩せてる、むかつくう!」

「馬鹿」ブルーがセピアを殴る。
グランドがガバッとレディアスのシャツをジーンズから引き出し、その脇腹を見た。

「ギャッ!すげえ内出血してる!この馬鹿力!
お前、医務室行け!」

グランドが驚くのも無理はない、セピアは軽くつまんだのだろうが、彼女はそれでも並みを越える。
その上彼の場合、皮膚の下に病的なほど脂肪は皆無だ。セピアの力で無理矢理つまむと、悪くすれば筋肉を痛めて肉離れを起こす。
せっかく雪山を止めたのに、サスキアで怪我したらばからしいほどくだらない。
しかしガーガー騒ぎ立てる四人に、いい加減に局長の怒りが炸裂した。

「いい加減にしなさい!ここは幼稚園じゃないのよ!レディは医務室!他は自分の部署へ!」
「ちぇっ!へいへい、戻ればいいんでしょ。」
「あーあ、またレポートかあ。ファーー・・」
「俺コーヒーでも飲んでこようっと。」

ダラダラ散って行く彼らの背中に、局長はがっくり肩を落として見送った。



 ビクビク、装備を点検する手が時々止まる。
狭いテントの中で、ランプの光りに手に持つ自動小銃の銃身が鈍く光った。
2人とも防寒着でモコモコしているのに、背中合わせに座る彼の背が当たるたび、シャドウはビクッと跳ね上がる。

ドキドキドキ、この沈黙が一番の苦手だ。
勇気を出して、顔を引きつらせながらそうっと振り向いた。

「イ、イ、イレイズ弾、やっぱ使うのかな?」
「さあね!」

声がとんがって、不機嫌な空気がシャドウに突き刺さる。

「そんなこと、わからないから情報を局に送って分析して貰うんでしょ!知らないよ!」
プイッとこっちを見てもくれない。

「す、すいません。俺が悪うございました。」

きょわい。

ゴツイ大男が、小柄の華奢な優男に怒鳴られて小さく縮まる。
ちらっと横目で見ても、彼の白髪に近いグレーの、肩で綺麗に切りそろえた髪はサラサラと彼が動くたびに揺れている。なのに、美しいグリーンの瞳はこちらをちらっとも見てくれない。
彼、グレイがどうしてここまで怒っているのか。
それは昨日にさかのぼる。

 この山、アイル山の基本的な情報は、通報してくれた自然環境調査員の方から提供があった。
彼らは非常に協力的で、周知している周辺住民にも連絡を取って、管理局へは直接入山して構わないように取りはからってくれた。
もちろん現地への案内もあり、探し回らないで良いことを考えれば大いに助かる。
おかげで入山した初日から周辺調査を行って、早々に済みそうだと二人とも喜んだのだ。

 雪に覆われた木々の中、岩壁に沿って鬱蒼と茂る草を薙払うと、そこに現れたのは自然に出来た岩の裂け目にある大きな洞穴だった。
こんな山の中腹に、何を考えて基地なんかこさえたのかわからなかったが、そこは基地ではない様子だ。
近くに、崩れかけて草と雪に覆われた軍の車や、コールドスリープのカプセルの残骸が一つ残っている。
レダリアの記録からこの山向こうに、最後は核で潰された大規模な駐屯地があったらしいのを見ると、恐らくは山越えの途中だったのだろうと思われた。

 そっと、二人で様子を窺いながら入って行く。
シャドウが愛用の自動小銃を右手に先頭を取り、その後ろをグレイがハンドガン片手に警戒しながら続く。
こんな山では、クローンの前に猛獣に出くわすことが多い。回りにマーキングは見なかったので大丈夫だろうが、警戒するに越したことはない。

「結構、深いな。」

シャドウが奥を発光体で照らすと、途中が少し崩れて狭くなっている。
しかし、報告ではずっと奥が現場のはずだ。

「よくまあ、こんな気味悪い所に調査員も入ったよなあ。怖い物知らずだぜ、呆れらあ。」
「調査してるんだもの、調べるのが仕事だよ。」
「大丈夫かな?上が崩れたりしねえかな?足下に気をつけろ、グレイ。」
「僕はいいから、前ちゃんと見てよシャドウ。」
「へいへい。」

発光体の白い光りに、シャドウのブラウンの髪も白っぽく見えて、グレーの瞳はますます色を失う。
シャドウが持つ管理局特製の特殊な発光体は、小さなペンのように細い物だ。と言っても、形はバリエーションが色々ある。
このペンタイプは真ん中でひねると、中の2種の液体が交じり合い、化学反応を起こして煌々と照らし出す。置いて良し、地面にでも突き刺して良しと、なかなか便利で使い捨てと言う上物だ。
それを一本目印に崩れた岩場に置き、そしてもう一本取りだして手に持ち、頭を下げて崩れたところを乗り越えた。

「あちゃあ、こりゃまた・・」

思わず立ち止まり、声を漏らしたシャドウが照らし出すその先。
後から岩を乗り越えてきたグレイも、息を飲んで構えていた銃を下げて肩を落とした。
発光体に照らされ、地面に広がる白い骨、骨、骨。
洞穴の中で、何からも浸食を受けなかったそれはボロの布をまとい、ある者は寄り添って、ある者は小さく身体を丸めて、そしてチューブにすがるようにしながら、そこにある。

「ひどい・・ね。」

グレイが一つの骨をそっと撫でると、ゴトンと音を立てて首が落ちた。
何という光景だろう。
そこには無数の白骨と、そしてその奥に4本のコールドスリープのチューブが無造作に横たわっていたのだ。

「こいつら、山越えの途中でなんかあったんかな?こんな大人数で、餓死したんじゃねえの?さっさと逃げりゃあいいだろうによ、カプセルを見捨てられずにここにとどまったのか。馬鹿な奴らだ。」

ポンとシャドウが座っている骨を蹴る。
ガシャンと音を立てて崩れたそれを見て、グレイが後ろからドカッとシャドウを叩いた。

「シャドウ!死んだクローンにくらい優しくしてよ!もう!」
「死んだ奴に優しくしても、屁とも返事は返らないぜ?馬鹿馬鹿しい、くだらねえ。」
「死んだ人に対する礼儀でしょ!」
「クローンに礼儀なんていらねえよ!」
「もう!冷たいんだから!」

シャドウは何故かクローンに冷酷とも感じることがある。グレイにはそれも彼の嫌いな一面だ。
そしてもう一つ・・
プイと顔を背ける彼を、いきなり後ろからシャドウが抱きしめた。

「その冷たいところが、す、き、だろ?」

仕事中だというのに、全く緊張感がない。
こんな所も嫌い!
ドカッ!

「ぎ・・!ゃあ・・!」

グッと言葉に詰まり、シャドウがドッと冷や汗を流して股間を押さえる。

「あんまりふざけてると蹴るよ!」
「蹴って・・から、言うな・・よなあ・・くうっ!」

制裁は、常に急所を容赦なく狙われた。
 シャドウを後目に、グレイが白骨を避けながらカプセルへ向かう。
覗き込むと、1本は岩が落ちて蓋が潰れた為に中のクローンは白骨化し、3本は正常に動いている。
上半身が見える透明の強化プラスチックの窓の向こうには、夢を見ているような安らかな同じ顔の14,5才ほどの少年のクローンが、時代を超えて眠っていた。

「パネルもみんな正常みたい。だけど・・」

グレイがそれぞれの土台にあるパネルのカバーをスライドして確認する。

「俺は正常じゃねえぞ!ウウウ・・涙が出ちゃう。」

シャドウが腰を叩きながら、カプセルにすがるようにして何とか立ち上がった。
やせ我慢して笑っているが、どうも足は内を向いている。

「へんっ、いい気なもんだぜ。
くだらねえ、こんなところで良い迷惑だぜ。」

ドカッと、シャドウが八つ当たりに奥のカプセルを蹴った。

「シャドウ!どうして蹴ったりするの?もう!
ね、まだ子供のクローンじゃない、これは管理局に指示を貰おうよ。」

グレイは、出来るだけクローンを生かそうと努める。
せっかく生き延びて、戦争のない、良い時代を幸せに過ごして貰いたいと、それが彼の祈りなのだ。
しかし、相棒は違う。

「馬鹿、一々指示貰えるかよ。クローンは寝てたら全部殺せ、それが指示だぜ。
こんな作り物、寝てる内殺した方が楽ってもんだ。起こしたって今の時代じゃ嫌われ者だ、ろくな人生歩めるわけねえよ。
ガキだからって、他のクローンとどう違うってんだ。」

冷たく言い捨て、ディスクリーダーを取り出し、モードをデジタルカメラに切り替え内部の写真を撮ってゆく。
グレイは大きく溜息をつき、カプセルの蓋を撫でた。
よく見ると、その少年達はクローンとは言え非常に整った顔立ちをしている。
ショートの金髪に長い睫毛、ふっくらとした頬に美しい鼻筋と眉、そして薄く開いた可憐な唇は、少年と言うには美しすぎるほどだ。
そして彼らは皆、右耳に銀色に光る大きなリングのピアスをしていた。

「ねえ、見てシャドウ、この子達凄く綺麗と思わない?」
「ああ?そりゃあ作り物のクローンは綺麗な奴が・・ん?」

ゴツイ男のシャドウがそのカプセルを覗き込み、ややうっとりと見とれて言葉を失う。
しかし、グレイは何故かその顔に見覚えがあった。

「ね、誰かに似てると思わない?」
「・・え?ああ、誰って?誰によ?」

「誰か。」

「はあ?んな綺麗な奴の顔を一度見て忘れるかあ?見てねえよ。」
「見てるよ。何度か押し倒して、みんなに袋叩きにあったじゃない。」

みんなに・・

グレイにドカドカ蹴られるのはいつものことだが、みんなに蹴られるのはそう何度もない。
そして押し倒して兄弟が怒るのはただ一人。

「あいつか。」
「そうだよ。」

「あいつ、こんなだったっけ。今も確かに綺麗だけど・・あいつはこう、何か冴えた美人って言うか、触ると切れるような・・品が無いくせ品があるというか、どこか違うよなあ。」

「ん、何事もなく成長したらきっとこんなだよ。あんな酷いことにならなかったらね。
この子くらいの時は、もうボロボロになっていたもの。グランドが見たら、きっと泣いてるよ。」

「でも、何か変だぜ?人形みたいな・・魂抜けた顔してるじゃん。」
「寝てるからじゃない?」

「んー、そうか?・・そうだな、しかしどうしてこんな所に・・
まてよ、山向こうには駐屯地で、こっち側は・・そう言えば、レダリアのクローン研究所が無かったっけ?」

シャドウがディスクリーダーを、カメラから情報端末へと切り替える。
これは手の平サイズでカメラから通信、情報検索と、彼らの装備でも最も進んだ機器だ。
ただ多機能すぎて、半分も機能を使いこなしていない。
シャドウもしかり、もたもたと古いレダリアの情報を検索していくと、あまり詳しいことはわからないが、確かにこの山を下りて一時間も車を走らせたところに小さな研究所の廃墟がある。
そこは何故か人為的に焼き払ってあり、ご丁寧に全てのクローンが処分してあったので、やはりヤバイ研究をしていたのだろう。

どの研究所でも、発見された資料から伺えるのは、とても人間がしていたとは思えない悲惨な実験が行われていたと言う事実なのだ。

「じゃあ、その研究所から向こうの駐屯地に?
外の様子から見ると、捨てられたと言うより襲われたって方が強いね。
雪が邪魔して良く分からないけど、外にも骨とか結構あるんじゃない?」

「んだな。しかし、こいつ等の様子から見ると、外に出られずに餓死したって感じだぜ。」

しかも逃げ込むように、洞穴の一番奥。そして頑強な岩盤が至るところで崩れている。
考えられることは一つ。

「恐らくは、”核”だね。
逃げ込んで救助を待つうちに、あの駐屯地を狙って核が降ってきたんじゃないかな?
僕らの推理が正しければね。」

グレイがぐるりと見回して、銃をしまい込み腕を組む。そして手前のカプセルのパネルを操作してみた。
カチカチ・・カチ・・

「あれ?駄目だ。
普通、モード変更で出身工場くらいわかるのに、完全にロックされてわからなくしてあるよ。
ああ、こう言うのはグランドが得意分野なのになあ。
それにこれは僕は初めて見るパネルだよ。
全体的に見て、随分上等のカプセルのようだし・・ねえシャドウ、これって大量生産のカプセルとは違うみたいだと思わない?もしかして、特注品かしら?」

スイッチをカチカチ触るグレイに、シャドウが肩を縮める。トラブルはごめんだ。

「あまり触るなよ、蘇生かかったら嫌だろ?
特注なんて、きっととんでもねえクローンに決まってる。
ろくな事無いぜ、さっさと殺してサスキアに帰ろう。俺は早く柔らかーいベッドで寝たいんだ。」

不抜けた返事に、フンとグレイが息を付く。

「まあまあ、どんな柔らかいベッドやら。
そのベッドには柔らかいお乳と、クッションのようなお尻があるんでしょ!
僕はどうせ半端な男女だから、お乳もぺたんこだし、お尻だって貧相ですもの。
両性具有なんて、どうせ僕は半端者ですよ!」

グレイがすねて、膝の泥を払い立ち上がる。
シャドウの女癖の悪さは、セピアの買い物に匹敵するほど癖が悪い。

「グレイちゃん、すねないでよ。可愛いなあ。」

後ろからまた抱きしめられて、頬にキスしてきた。
また蹴ってもいいけど、あそこが使い物にならなくなるのも可哀想だし、馬鹿馬鹿しくもある。
懲りない病気だ。

「今は仕事中だよ。もう!
この子達だけど、僕は管理局に調査を頼んだ方がいいと思うけど。こんな、特注品なんて何かあるよ。」

「特注品だから早く片づけた方がいいさ。
とんでもない力を持っていて、大事になったらどうするよ。この辺吹き飛ばすわけに行かないだろ?」

「もうっ!シャドウに任せたら、クローンはみんな殺されちゃうよ!」
「まあまあ怒んないでよ、グレイちゃん。」

憤るグレイをなだめようとしたシャドウが、グレイを抱いたまま動きを止めた。

「?・・・!」
グレイが彼の手の中ではっと振り返る。
大勢の人の気配に、シャドウはニヤリと笑ったまま後ろに目配せた。

「ただの人間と見知り置くが、どちらのお方かな?」

半分馬鹿にしたようなシャドウの話し方に、洞穴の入り口から岩を乗り越え、5人の男達がバラバラと銃を構えて入ってきた。
先に入った2人が手に持ったランプを岩の上に置き、洞穴の中が煌々と照らし出される。
しかし、男達はそれぞれ完全な防寒着にゴーグルと、表情は口元しか伺えない。
手にはそれぞれ自動小銃や銃を持ち、やくざ者らしい虚勢を張る動きから、一目でマフィアだとわかる。

「何だ、とんだ所でお客さんだ。」

ガチャンとシャドウが小銃を持ち直すと、彼らがビクンと銃を握りしめる。
相手はクローンさえ怯える”壊し屋”、特別管理官の「特別」はダテではないのだ。
やがて彼らは後ろから来る足音に、足下の骨をガラガラと足で避けながら、脇によってたった一つの出入り口を開けた。

どうやら彼らのリーダーのお出ましのようだ。

しかしシャドウ達の前に現れたのは、やはり口元しか見えない、一見男女の区別が付かないようなほっそりした小柄の・・しかし猫背で姿勢が悪く、歩き方に品のない男だった。

「お前、誰だ?ここに何しに来た、俺達が何かは知っているだろう?」

ゆっくりと、シャドウがグレイを後ろに回して男の正面に立つ。
リーダーの男は顔を上げて不気味に笑うと、彼らをハナから相手にしていない風で、手下にカプセルに向けて顎で合図をした。

「運び出せ。」

「しかし・・」
カプセルの前には、シャドウ達が立っている。
男達は戸惑いながら一歩踏み出した。

「カプセルなら、渡さないよ。」

グレイが静かに良く通る声で張り上げた。
男達の歩みが止まり、リーダーが前に出る。
そして嗄れた声で静かに言った。

「くだらん下賤の者が、黙って見ているがいい。」

見下した物言いに、カッとシャドウの頭に血が上る。

ダダダダダダッ!!!

「ひっ!」「うわあっ!」「わっ!」

男達の足下に、シャドウが小銃で威嚇して撃った。
手下達はバタバタ転げるように後ろに下がる。
しかし、シャドウ達は直接人間には手が出せない。彼らはポリスではないので、犯罪者は捕まえて引き渡すまでだ。逮捕権も何もないどころか、ケガでもさせると傷害事件で立件される。
それが行き過ぎか、それとも正当防衛かはその後で軍法会議にかけられて判断されるので、こういう場面は本当にやっかいなのだ。

そして、その事情をマフィア共は熟知していて、舐められることも多い。
それで以前クローンを奪われかけたセピアが、15人のマフィアに重軽傷を負わせて軍法会議にかけられ、何とか正当防衛で済んだ前例もある。
しかしどうするか、途方に暮れる暇はない。
手を出せない敵は目前なのだ。

「貴様に下賤って言われるいわれはないぜ?
猫背の下品なオッチャンよ。
帰りな!程々なら手を出しても問題ねえんだ。
足でも腕でも、好きな所をボキボキ折ってやろうか?それとも・・」

「うわあっ!」

いきなり男達が悲鳴を上げて後ずさった。
冷たく爽やかな風が、フワリとなびく。
シャドウが振り向くと、後ろにあったカプセルが一つ消えている。
そして更に、グレイがその奥のもう一本に手をかけるところだった。

「ま、待てっ!貴様!」

リーダーが、慌ててグレイに走り寄る。
シャドウは庇うように立つと、その大きな犬歯をむき出しにして、洞穴が崩れそうに吠えた。

「寄るなっ!」

グォォォンと、声の余韻が穴の中に響き、パラパラと天井から小石が落ちる。

「ひいいっ!」「わあっ!」

あたふたと、ゴツイ男達がその迫力に恐怖を覚えてその場を逃げ出す。
しかし、リーダーだけはやや俯き加減でニヤリと笑い、ゴーグルの奥でシャドウを睨め付ける。
そしてやおら、手をゆらりと上げてシャドウに差し出し、カッと目を見開いた。

何か来るっ!

瞬間、シャドウの身体が自然に反応して、後ろのグレイの腰に腕を引っかけて飛び退く。
「きゃ!」

ドガンッ!グシャッ!!
・・・・・ガチャン、ガランガランカンカン!

グレイが手をかけようとしたカプセルは、強化プラスティックの蓋がひしゃげて吹き飛び、その破片が辺りに飛び散った。
カプセルの中のクローンには大きな傷はないが、カプセルが破壊されてはもう助からない。
コールドスリープを維持するのも、蘇生するにも、温度管理が最も重要なのだ。

「貴様!クローンか!」
「チッ!余計な邪魔を!貴重なスペアが・・・・!」

反射的にバッとシャドウが小銃を構え、引き金に指をかける。

「・・・!!」
しかし・・
指が!動かない!身体が!

苦々しい口元のリーダーの男が、ジャケットから銃を取りだし、動けないシャドウに向けた。

パンパンパン!「うおっ!」
キーン!ガチャンッ!

しかし、リーダーが銃を落とした。
彼より先に撃ったのはグレイだ。
シャドウの腕に抱えられたままのグレイが、リーダーの手をかすめて銃を打ち落とす。
苛立ちを押さえきれず、リーダーは怒りの表情でグレイに手を伸ばした。

「お前!この男女が!」

フッとシャドウの自由が戻り、と同時に二人の身体が後ろに吹き飛ぶ。
「きゃっ!」「うおっ!」

壁に勢いよく宙を飛んでぶつかると、更に見えない力で押さえつけられた。

「この・・くそお!うおおお・・」
「くっ、あ、あ、あ・・」

シャドウより華奢なグレイは、あまりの力に息が出来ず気が遠くなってゆく。

「この・・下賤の者・・思い知ったか。う、う、」

驚異的な力で二人を押さえつけながらも途切れ途切れに息を吐き、しかし実際はすでに力を発揮する余裕もなかったのだろう。
やがてその力が尽きたのか、リーダは苦しそうに息を付きながらガックリと膝を折った。
と同時に、フッと力から解放される。
シャドウの横でグレイはズルズルとずり落ちながら、口から血を流してそのまま気を失った。

「グレイッ!貴様あーっ!」

グレイの姿に、すっくと立ち上がったシャドウの瞳が燃え上がり、全身の毛が逆立つ。
リーダーが苦しそうに息を付いて、怠そうに再び銃を上げかけたとき。

ボオンッ!!ゴオオオオッ!!

「ぐぎゃああああっ!!」

リーダーの身体が炎に包まれ、その身体からはなぜか内からも火が噴きだした。
「ひいいっっ!!」

リーダーがたまらず身体を掻きむしり、悶え苦しみながらもつれる足で出口に駆け出す。

「このお!待ちやがれ!用はこれからだ!」

シャドウはその後を追って急ぎ足で出ると、雪の上にゴロゴロと転がり、火をもみ消そうとするリーダーの首を押さえつけ、その顔からゴーグルを取り上げた。

「お前・・クローンじゃないのか?」

炎に包まれたその顔は、赤い炎を映した薄いブルーの瞳を苦しげに見開き、すっかり眼窩が落ちくぼんでやつれ果てた・・・ここに眠るクローンそっくりの顔だ。
しかし、クローンの証である赤い瞳ではない。

(まさか・・特注品のクローンとは・・
いや!まさか人間?!だったら軍法会議じゃんか!)

ドッと冷や汗が出て、シャドウの脳裏に不安がよぎる。

(いや!そんなはずはない!これは、絶対クローンだ!俺のカンがそう言ってる!)

彼の勘こそ、最も当てにならない。

「助け・・て!助け・・・」
リーダーが、バタバタ暴れながら首を押さえつけるシャドウの腕にしがみつく。

「貴様はクローンだ!そうだろう?その顔、すでに寿命が来ているクローンだ!そうだな?
クローンごときがグレイに手を上げやがって!
この!貴様には聞きたいことがたっぷりあるぞ!覚悟しやがれ!」

シャドウは冷たく見下ろしながら、犬歯を露わに不気味な笑いを浮かべ、首を押さえる手に更に力を加える。
火は急激に勢いを失い、黒こげの服のうち化繊の防寒着は溶け、ウールのキャップは焦げて柔軟性を失い、すっぽりと脱げ落ちた。
右耳にチャランと音を立てて現れた、クローンと同じリングのピアスが日の光を反射する。

「やっぱり!あのカプセルのクローンの仲間か!」

これでクローンだとはっきり確証が持てたと、シャドウがホッと胸をなで下ろす。

(ならば、瞳の色のことも訳を知っているはずだ。
いたぶって聞き出してやる!)

たとえ寿命が近づいていても、このくらいでクローンがすぐに命を落とすはずがない。
ところがシャドウの思惑をよそに、肝心のリーダーは急に動きを止め、顔から生気を失っている。
シャドウはそれに気が付いて驚き、慌てて手を引いた。

「おいっ!馬鹿野郎!このくらいでくたばるなっ!誰が主人かぐらい教えろっ!」

勝手なセリフは、グレイが聞いたら呆れるだろう。
リーダーのクローンは、うつろな表情で口だけをパクパクと、掠れた声で小さく呟いている。
シャドウはそれを聞き漏らすまいと耳を近づけた。

「・・も、もう・・この・・身体は・・ああ・・偉大な、御・・神祖・・様・・」

キンッ!
チ、チ、チ、チ、・・

小さな音を立てて、リーダーの右耳にある大きなリング形のピアスが微かに泣き始めた。
ピ、ピ、ピ、ピ、・・
やがて音が変わり、不思議に思ってそのピアスを転がして見る。別段変わったところはなさそうだが、しかし外そうとすると外れない。
それはよく見ると、耳たぶから外れないよう、ハトメの様にしっかりと固定してある。

「これは、ただのピアスじゃねえのかな?」

チ、チ、チ・・
やがて音が消えて、辺りがシンと静まりかえる。
気が付くとそのリーダーはすでに死んでいた。

バウンッ!ブオオオオ・・・

遠くから様子を窺っていた薄情な手下共が、リーダーが死んだのを確認するや、2台のオフロードカーで少し離れた山道を逃げてゆくのが木立の間から見える。
フッと大きな溜息をもらして立ち上がると、シャドウはグレイのいる洞穴へと戻っていった。

 「グレイ!グレイ!目を開けろ!襲うぞ!キスするぞ!エッチするぞ!いいのか?いいんだな?おいっ!」

「・・・ん・・う・・・ん・・」

シャドウに抱き起こされて、グレイがようやく気が付いた。
ゆっくりと周りを見回し、したたか打ち付けた後頭部をそっとさする。
サラサラの髪をかき分け、そこをそうっと撫でて手を見るが、血は出ていないようだ。ただ手に触れる、大きなコブがあった。

「痛あ・・もう、大きいコブが出来ちゃった。やだ、唇切ってる。
終わったの?あいつは?やっぱりクローンだったんでしょう?」

「うーん、クローンのような、クローンじゃないような・・まあ、あいつはあの世。他は逃げた。
大丈夫か?ああ、本当に痛そうだな。
痛いの痛いの、サスキアの局長に行きやがれ!」

シャドウがコブをさすって、ポイと宙に投げる仕草をする。グレイがクスッと微笑んで、力無く俯いた。

「このくらいで・・ごめん、役に立たなくて。」
「何言うよ、十分役に立ってるさ。」

シャドウがザラザラの舌で、グレイの口元に流れた血をベロンと舐める。
「キャッ!」とグレイが笑って離れた。

「もう!」
「ゲヘヘヘ、お前の血は美味しいぞう!」

犬歯をむき出して、シャドウがふざけながらグレイに襲いかかる。

「シャドウったら!まだ仕事中だよ!」

ピョンと飛び退き、残っている奥のカプセルを覗き込んだ。
しかしそれも、あのリーダーの力に耐えきれず蓋にヒビが入って割れている。

「あっつ・・このくらいのヒビなら・・」

慌てて土台にあるパネルを見ると、何とパネルは液晶画面が壊れ、制御システムが落ちたことを示す赤いランプが点滅している。
しかしその位置から見ると、どう考えてもリーダーの力は関係がないように思われた。

「ねえ、シャドウ。」
「まあ、仕方ねえ。運がなかったのさ。」

ギッと、いきなりグレイが彼を睨み付ける。
シャドウは何かしたっけ?と考えながら、反射的ににっこり愛想笑いで意味もなく微笑みかけた。

「何でしょう?グレイさん。」
「シャドウ!蹴ったよねっ!このパネル!」
「あ、、」

股間を蹴られた八つ当たり・・確かにこのゴツイ足で思い切り蹴りました。

「へへっ、へへへへ・・蹴ったっけ?」
つまりこれだ。
これが先に言った、彼が機嫌を損ねた原因なのだ。

頭をポリポリとかくシャドウをよそに、グレイが悲しそうな顔でそのカプセルを撫でて、クローンの顔を覗き込む。
ぽたりと落ちた涙が、スッとカプセルの表面を流れ落ちた。

「ああ・・レディ・・この子は本当にレディアスのクローンだよ。
どうして・・こんなところに・・彼のクローンは、全て処分されたと聞いていたのに・・」

風向きが変わったのか、冷たい風が洞内へ吹き込んで、グレイのサラサラしたストレートの髪が舞い上がる。
やがて澄み渡っていた空には、不吉な予感と共に真っ黒な雲が押し寄せ、泣いているような音を立てて風が吹き荒れ始めた。


 姿も力もバラバラで、一見兄弟と思えない同じ年のグレイ達、6人。
彼らがどこから来たのかは、彼らと軍の一部しか知らない。
ただ一つ言えるのは、彼らはクローンではないと言うことだ。
彼らを知る者に、”歴史の被害者”とも、”旧時代の遺物”とも言われた彼らは、時には”カインの最後の良心”とも言われている。
実際、彼らは、あらゆる罪を犯してきたこの星の、今の時代で生きることを許された、旧時代からの「カインの贖罪」だった。

 ビョオオオオオ!!ヒュウウ・・

管理局へ連絡を入れたころ、そこは天候が悪化して酷い嵐に見舞われていた。
おかげで通信も雑音が酷かったのだが、どうにか資料も送れたし事情も説明は出来た。
あとは管理局と軍のお偉方が、この瞳が青いクローンをどうするか悩んでいることだろう。
グレイ達も死亡したクローンの身体を調べてみたが、瞳はやっぱり青くて、ピアス以外これと言ったクローンの”証”となる物が見あたらない。

こんなクローンが多数存在するとしたら、これはカイン全体の問題でもある。
人間だと主張されても、DNAなどの詳しい検査をしないと判定が付かないのだ。

 嵐の吹き荒れる音が、獣の唸り声のように穴の中まで響き、時々勢い良く風が吹き込んでテントを揺らす。
特殊なバッテリーで、点けっぱなしでも一週間は持つランプは、柔らかな光りで闇から彼らを救い出すように照らしてくれた。

 時々風が吹き込みはするが、彼らはテントをあの洞穴の中に移動させているので、今のところ直接風雪被害がない。
まあ、雪崩でも起きたらコトだが、起きた時は出口が塞がれるだけだ。その時はグレイに泣きつけば何とかなる。
グレイが一旦はテレポートさせたカプセルも、テントの横に再度移動させた。
これが唯一の生き残りだ。どうするのか、管理局の指示が出るまでは護らなくてはならない。

 ガラガラと白骨を一所に寄せてテントを張ると、簡単な食事を済ませ、携帯燃料で湯を沸かしてコーヒーを入れる。
やがてコーヒーのホッとする香りがテントに充満して、そうっとカップを差し出すシャドウの手から、不機嫌そうにグレイがそれを受け取った。
狭いテントで大男がずっと猫背でいるのはちょっと辛い。
コーヒー片手にシャドウは寝っ転がり、ズズッと行儀悪くコーヒーをすする。

「水は雪を溶かせばまあ飲めないことねえし、食い物は携帯食料食ってれば一週間はある。
まあその内管理局も結果を言って来るだろから、ああ言ったけど気長に待つしかねえな。
レディなら狩りが得意だから、こう言うときはあいつは便利だよな。」

じいっと、横目でグレイの様子を窺っていると、ふと彼がコーヒーを見つめてポロッと涙を流した。

「ど!どうした?!俺、何にもしてねえぞ!」

ドキッとあたふたシャドウが飛び起きてグレイの顔を覗き込む。
思わずそれは、両手をついて謝っているようなポーズになってしまった。

(まさか、ここの前の派遣地でのことか?
あの女のことかな?まさか、あの酒場の女か?あっ!あの女の子かな?やっぱあの年に手出すのは早かったかな?)

だくだくと、寒いのに汗が背中を流れる。
焦るシャドウの前で目を赤くしたグレイがタオルで涙を拭くと、ぐすんと鼻をすすった。

「良かったよ。」
「は?何が?」
「だからさ、ここに来たのが僕らで良かったよ。」

ああ!なんだ、そうか!

ホオーッとシャドウが肩を下げた。
「ああ、良かった、ほんとに良かったなあ。」

馬鹿みたいに言うシャドウに、またグレイが睨む。

「本当にわかってるの?僕はね、あのクローンをみんなに見せたくないって思ってるんだよ。」
「え?どうして?」

キョトンとシャドウが見ている。
グレイがやっぱり、と首を振った。

「ほら、やっぱり考えてない。シャドウは兄弟でレディのことが一番わかってないよね。
ベタベタくっつくクセに、絶対に深くまで踏み込まないんだから。」

「そんなこたあねえだろ?俺だって可哀想くらい思ってるさ。」

「可哀想、なんてかったるいこと、もう一度言ったらまた蹴るよ。
シャドウは一番酷い時を見てないから、わかんないんだよ。」

それを言われると辛い。
シャドウは一応は彼が最高に痩せていた、いわゆる骨が皮被って歩いていた状態を知っているのだが、兄弟が口を揃えて言う、もっと酷いらしい姿を知らない。
あれ以上、どう酷いのか想像も付かない。

それにシャドウは兄弟でも一番考え方が淡泊で、深く考え込んだり思い悩むことが少なく、良く冗談めいて薄情だと言われる。
しかしそれでも、彼自身、一応は兄弟みんなのことは気にしているつもりだ。
まして彼には常にグランドが寄り添っている。
過去は終わったことと割り切って考えるシャドウには、「レディの過去」にこだわりすぎるグレイや他の兄弟の気持ちが良く分からなかった。

「俺はさ、あいつのことはグランドに任せておけば大丈夫と思ってるからな。
俺はだから、お前のことばかり考えてる。」

フ、決まったかな?

「嘘、またそんなこと言って。
シャドウが僕を好きって言うときは、また浮気してごまかすときなんだもん。信用ゼロだね!」

ギクッ!
(た、確かに、間違いございません。)

半分でもほんの少しでも女である限り、女のカンは恐ろしい。
これは矛先を変えようと、シャドウは慌てて話しかけた。

「まあまあ、それは置いといて。
でもよう、なんで泣くんだ?今更泣くこたあねえだろ?」

「だって、あのクローン見てたら・・思い出して、何か悲しくなっちゃった。
グランドはレディと再会してからも随分苦労してたし。
ほら、レディは精神的にダメージが凄かったからね。」

「ああ、知ってるか?あいつ寝るとき、ナイフ持ってンだぞ。
外地出たときはさ、枕の下に銃まで入れてんだってよ。
そんなビクビクしてよ、寝ぼけてぶっ放したら、隣で寝るグランドがたまったもんじゃねえよな。」

ヒョイと肩をあげ、ズズッとコーヒを飲む。
グレイがフッと溜息をついた。

「シャドウ、本当に何にも知らないんだね。眠る時のナイフ持たせたの、グランドだよ。」
「ええっ!マジかよ!呆れた!自分がやられると思わないのかね。」
「もう!だからシャドウは冷たいってセピアが言ってたでしょ!
全然他の兄弟のことに興味を示さないんだから。」
「そんなことはねえさ、ただ嫌なことは聞きたくないだけ。」
「もう!嫌だから聞きたくないって、我が侭だね!」
「ま、さ、その場がしのげれば万事オッケーよ。一々気にするのがあわねえんだな。」
「シャドウ!せめて兄弟のことくらいは知っててよ!」

怒るグレイにうんざりして、シャドウが面倒臭そうにヘイヘイと耳を傾ける。

「はい、どーぞ。じゃあ聞きましょう。」

グレイはますますムッとして、シャドウの耳元に口をくっつけると、大きな声で怒鳴った。

「レディは!眠らなかったの!身を護る物を持ってないと!横にもなれなかったんだよ!
わかった?!このバカッ!」

キーーーン!

鼓膜がジーンと痺れて頭に響く。
「よく、わかりました。」神妙に俯いた。

「そう?」にっこり、グレイが花のような笑顔で微笑む。
「わかればよろしい、うふふふふ・・」

何だか、シャドウはやっぱりグレイの微笑みを見ればホッとする。
ジンとする耳をほじくって、ニヤリとするとヒヒヒと下品に笑った。

「俺はやっぱ、お前が一番だ。グレイが最高。」
「あら、僕は違うかもよ。」
「いやいや、お前が俺を嫌いって言う時は、俺が大好きって時なんだな。」
「ま!すごい思いこみね。そこまで来ると犯罪だよ。」

グレイが残ったコーヒーを飲み干して、防寒着のジャケットの合わせになっているマジックテープをバリバリと剥いだ。
シャッとファスナーを下ろし、前をはだけるとウールのシャツ越しにサアッと冷たい空気が触れてゾッとする。

「おっ!何?エッチする?するの?」

馬鹿みたいにわくわくしてシャドウが身を乗り出す。
グレイが大きく溜息をもらして首を振り、寝袋に滑り込んだ。

「約束は?誓ったでしょ!仕事中は!」

「うう!仕事中は、エッチを控えます。
仕事最優先に、いつでも緊張感を持って・・
でもお、こんな嵐でえ、他に何にもすること無いのにい。」

無精ひげの大男が、ねだるようにもじもじする。それに呆れてグレイはプイと背中を向けた。

「あら、いつだって夜は寝るのが当たり前でしょ!他にすることなんか無いはずだよ。
あとは無事に朝が来るのを待つだけ。
じゃ、おやすみ。」

「おやすみなさい・・・って、俺がそう簡単に引き下がるかああ!!」
「きゃっ!」

ガバアッと寝袋の上からシャドウがグレイに抱きつく。

「きゃあ!あははは!やめて!やめてったら!」
「ゲヘヘヘ!オオカミだぞお!」

キャアキャア暴れるグレイを押さえつけ、シャドウが寝袋を剥がしかけたとき、ガッとグレイが彼の顎に手をかけてシッと指を立てた。

「どしたの?」
「何か、聞こえるよ。カプセルから。」
「そりゃ冷蔵庫みたいなもんだからな。」
「違うよ、音が。」

違う?言われてシャドウが耳を傾ける。
グレイがジャケットを着込み、銃を手にすると、シャドウが彼を制して自分が先にテントを出た。
 テントから顔を出すと、氷のように冷たい風が頬に吹き付ける。
シャドウが銃を構え、サッと出て周りを窺うが、辺りに人の気配はない。
外は酷い嵐のようだ。こんな天候でここに来るのは至難の業だろう。

「グレイ、誰もいない。大丈夫だ。」

シャドウが振り向くと、言われるまでもなくグレイはすでにカプセルのパネルをチェックしている。

「グレイ、どう・・」
「シャドウ!大丈夫じゃないよ!蘇生かかってる!
いつからだろう?!明後日には起きちゃう!」
「げっ!」

慌ててグレイの後ろから、一緒になって確認する。
するとやはりランプに照らされた液晶パネルは蘇生モードに変わり、蘇生までのカウントが始まっていた。
愕然と二人顔を見合わせ、パネルを操作してみるがやはり何を押しても反応がない。

「駄目だ、これってロックかかってるよ。
僕がテレポートなんかさせたから蘇生かかったのかな?僕が・・僕の責任だよ。」

「いや、ここに移動させたときにはモードが変わっちゃいなかった。違う。
これは、きっと・・」
「きっと?」

潤んだ目でグレイがシャドウを見る。
シャドウは真剣な顔で彼の顔を見ると、

「わかんねえ。」
ヘヘッと頭をかいた。
「もうっ!」

 しかし、これは緊急事態だ。
時差が多少はあってサスキアはさらに夜中だが、構ってられない。当直の通信スタッフに伝えると、10分後にはすぐ局長から通信が来た。

「蘇生ですって?で、いつなの?」

寝起きと思えない、52才のおばさんの元気な声が通信モードのディスクリーダーから飛び出す。
シャドウがヒュウッと口笛を吹いた。

「おっ!局長、早いねー!家から?スケスケのネグリジェだったりして!それともすっぽんぽん?まさか局にいるの?」

局長のマンションは、局から10分ほどの所だ。局からだとしたら、起きて身支度を入れると驚異的に早い。

「局からよ!シャドウ!いい加減にしなさい!」

おちゃらけて言うシャドウに、グレイが慌ててリーダーを取り上げる。

「すっ!すみません!後で蹴っときますから!
蘇生終了は明後日のこちら時間・・えっと、10時17分です。」

「そう、わかったわ。
普通なら処分なんだけど、クローン研究所の所長が生かして欲しいって仰るのよ。
目的があるはずだから調べたいってね。
だから出来れば生け捕り、出来なければ遺体を回収。
いい?判断はあなた達に任せたわ。」

「たーっ!勝手を言ってくれるぜ。」

後ろで本音を吐くシャドウを後目に、グレイが「はい」と頷く。
しかしそう言いつつも、背中に重い荷物を背負い込んだ気分だ。
生け捕りなんて言われても、彼らは麻酔などの薬品を持っているわけではない。
せいぜい気を失わせるか、説得しかないのだ。

「えーっと、そちらの天候は明日も良くないわね。緊急でヘリを回したいけど、明日は無理だわ。
明後日午前中に少しでも回復すればいいけど、丁度その辺に低気圧が停滞しているのよ。
そちらの管理局支部にはすぐに応援を依頼して、ふもとの警備に回って貰います。」

「ふもと、ですか?」
「そうよ。ふもと、一般人を護るため。
どうも訳ありのクローンのようだから、警戒は重々、慎重に対応します。
当面、そこはあなた達だけで切り抜けなさい。
天候が回復しなきゃ、クローンの前に遭難しちゃうわ。」

相変わらず局長の彼らへの対応は冷たい。
どんな危ない奴でも、自分たちで対応しなさい、だ。
まあ、それだけの力は持っている彼らだが。

「ところで、」

急に局長の声が下がった。ドキッとグレイが背筋を正す。シャドウはすでに背中を向けた。

「あのクローン、送ってきた資料を見たわ。
あなた達、この交信では青い目のクローンとしか報告無かったわね。
どういうこと?あれは、レディアスのクローンらしいじゃない。」

「資料、他のみんなに見せたんですか?」
「見せたわ、当たり前でしょ。」
「レディは?」

シンと、一呼吸置いて、局長の溜息が聞こえる。
グレイはガックリ肩を落として、彼の様子を想像すると、グランドに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「あなた達は、自分の今置かれた状況に専念しなさい。
他の誰がどこでどうあろうと、それが今の仕事と関わりなければ、関心を持つのは後回しにするべきよ。
あなた達は、命がけで危険な仕事をしているのよ。」

しかしグレイは、局長が話を逸らすと余計心配になる。
それを関心を持ってはならないと言い切られれば、どうしようもなく言葉に詰まった。
わかりましたと、速やかに通信を切るべきだろう。関係ない話をこれ以上続けるべきではないとわかっている。
ただそのクローンが、”レディアスのクローン”だっただけで、それで彼が落ち込もうが、気が狂おうが今は関係ない・・

グレイがガックリと落ち込み、震える手でリーダーを握りしめる。するといきなり後ろから奪い取られた。
黙って聞いていたシャドウがグレイの気持ちを察して、リーダーに噛みつく勢いで、局長に対してリベンジに向かう。
彼はグレイを傷つけられたら、相手が誰であろうと刃向かってゆく。
上官に対しても関係なく、全く怖い物知らずだ。

「おい!局長!あんたにゃ俺達の気持ちなんて、ちっこい蟻ん子ほどもわかって貰えないだろうけどなあ、俺達6人は一心同体なわけよ。
他の誰かを心配しても、それは仕事に関係するんだよ!
カーッ!腹立つなあ!もう!あー!俺まで、もう!って言いたくなるぜ!分からず屋!」

「シャドウ、もういいよ。」

リーダーからは、ガチャンと局長が椅子に座った音が漏れ聞こえる。
やがてやけに落ち着いた声で、局長が話してくれた。

「全く困った坊や達だこと!いい?レディのことは心配いらない、大丈夫よ。
少し、不安定になってたから、しばらく医務室で休ませて帰したわ。
そちらに行きたいって言い出して、参ったけどね。」

「ああ、でしょうね。」

「それに、もっと心配なことがあるのよ。
あの子のクローンは、発見されたのがこれが初めてだわ。その恐らくの理由は他の子から聞いたけど、私達・・局の上層部は他に理由があると踏んでるの。
それを話すために、非常招集をかけたのよ。」

「理由?あのクローンは、何か他の目的が?」

「ええ、それにこれは推測だけどね、あの子は自分のクローンがなんなのか、知っている気がするのよ。」
「でも、何も言わないんでしょう?」
「ええ、昔からね、あの子の口は重いわ。
言いたくないことが沢山あって、言おうとすれば嫌なことを思い出さなくてはならないから不安定になる。
あなた達の仕事は、不安定な精神状態では任せられないのよ。
それに一般人に危険が及ぶようなら、収容所に一時的に入って貰わなければならないわ。」

収容所、とは人間のではない。特異な力を持つ彼らは、クローン収容所に入ることになる。
冗談じゃない!

「それは・・!」

「わかってるわよ!わかってるから、それだけは回避しないとね。それに彼も芯は強いし、グランドが付いてるから大丈夫よ。
それはあなた達が一番わかっているでしょう?
良いわね、こちらは心配ないから気をつけて。
また、何かあったら報告を。」

「はい」

「ああ、そう。関係あるかわからないけど、レディ、こんな事を言ってたわ。」
「え?」

「”生きながら、殺されている”だから、殺してやらなくちゃって。・・良く分からないんだけど。」

成る程、意味不明だ。
彼は確かに時々意味不明なことをぽつんと呟くが、そのほとんどは意味があるとグランドは言う。
これにも意味があるのだろう。
しかし局長は最後に、早まって殺すなと付け加えて通信を切った。


 結局は、天候不順からここでクローンの蘇生を待つことになってしまった。
その後、天候が回復すると管理局から回収に来るだろうから、それまでどうするかが問題だ。
普通、起きてすぐのクローンは刺激さえ与えなければ大人しいが、問題を起こすクローンは脳に障害が起きていると言われている。
起きたとたんに凶暴性を発揮する者がまれにいるのだ。
これでない者を祈るばかりだが、”訳あり”というのもちょっと不吉な予感を呼び込む。
心配そうなグレイの横で、大きな欠伸をしてのんびり構えるシャドウは性欲が失せたらしく、「寝るべ」と自分の寝袋に入っていびきを立て始める。
確かに、ビクビクしても始まらない。
明後日、全てはそこから始まるのなら、今は休んでおくべきだろう。
グレイはまたジャケットを脱ぐと、シャドウの頬にキスをして自分の寝袋に入った。

 それから2日後。
天候は昨夜から回復に向かっているが、まだどんよりと暗く、雪が降っているが風はない。
シャドウが洞穴の中の崩れた岩を動かせるだけ脇に寄せ、入り口の雪をかいて外への逃げ道を作り、管理局の発信器をポンと雪の上に置いた。
これで管理局から派遣される奴は場所がわかるはずだ。
洞穴は、丁度柔らかな朝の光が雪に反射して、中まで結構光りが通って明るい。奥にはあのマフィアが置いていったランプもあるし、明るさは十分だろう。
まあ、逃げ道が裏目に出て、逃げられたらその時はその時、どうにかなるさ、が彼の持論だ。
中ではグレイが荷物をたたんで、武装の点検をしている。
彼はテレポーテーションという力はあるが、腕力では兄弟の中でも最低ランクで、反射スピードも遅い。格闘技も基本は出来ているが、力押しでは負けてしまう。
しかし、反してシャドウは、力ではセピアに次ぐ強さを誇り、反射スピードも大きな体格を持ってしても負けず劣らず素早い。
しかし、銃となると大まかに撃ちまくるシャドウと違い、グレイは慎重派だ。
それに隠密行動は彼の得意技。
神出鬼没、何度シャドウの浮気現場を・・いや、それはまあ仕事とは関係ないが、彼は気配を消して、かさりとも音を立てずに行動する。
何にしても大まかなシャドウと、慎重に事を進めるグレイは良いコンビなのだ。
ピッと、リーダーの画面が自動的に通信に切り替わってレッドランプが灯り、グレイが取り上げた。もちろん管理局からだろう。
「はい、こちら・・」
「グレイ?だろ?」
「あっ!グランド?だね?」
今日は通信状態が良好だ。雑音一つ無い。
「どう?レディの状態。」
「心配ないよ。今、近くの支部に着いたから、ヘリの準備でき次第向かうよ。」
「え?!まさか局長は?良くオッケー出たね。」
「ン、あいつはさ、身体はもやしだけど、神経はまあまあ並み以上だから。
強くなったよ、夜はいまいちだけど。
この件、やっぱり自分の目で見たいんだってさ。たとえクローンが死んでてもね。
ただやっぱさ、あいつは手え出さない約束。
だから丸腰だよ、ナイフ一本だけ。アークは局長が預かってる。」
「そっか、蘇生に間に合えばいいけど。」
「いや・・・どうかな?俺は一応装備持ってるけど、手伝えないときはごめん。
じゃ、がんばれよ。」
「あ、ああ、ありがとう。」
あっさり通信が切れて、グレイが複雑な顔でクローンのカプセルを見る。
カプセルのクローンは、ほぼ蘇生が終えて体温を通常に戻している最中だろう。
まだ顔色は悪いが、次第に生きている顔になってきた。パネルにも、アラートが出ていないのを見ると正常に作動しているはずだ。
何とか話の通じる相手ならと思うが、それも目覚めてみなければわからない。
あと、1時間37分。
グランドは間に合うか、どうか。
支部からヘリで、ゆうに一時間はかかる。
一番近いアルカトラズ支部は小規模のため、ヘリが古い機種しか配備されていない。
最新型のジェットヘリは、本部と大きな支部にしかないのだ。
「よう、何か話し声したけど。通信かあ?」
シャドウがのんびり表から帰ってきた。
ンーッと伸びしながら、何だかもの凄く緊張感がない。
「そうだよ、グランド達が来るってさ。」
「おおっ!レディも来る?」
ウキウキしたシャドウの様子にちょっとムッとする。シャドウはレディにベタベタしすぎだと気になるのだ。
まあ、レディが素っ気ないから我慢できるけど、とシャドウを冷めた目でちらりと見る。
プイッと顔を背け、ボソッと言ってみた。
「シャドウ、そんなにレディが好きならレディと組めば?」
「ちょ、ちょ、ちょ、そりゃあないぜ。
俺はグレイが一番好きって。なあ、もう言わないよ、だから。」
大きな手で、後ろからグレイを包み込んでくれる。局長がいたら大目玉だろうが、やっぱり嬉しくて緊張がほぐれていく。
「嘘だよ。馬鹿ね。」
ちょっと意地悪言うと、シャドウはガラにもなく慌てる。嫉妬深いと言われても、グレイは彼に好きだと言われるのが大好きなのだ。

ずっと、二人だけでいられたらと思う。
もし、彼に、好きな人が出来たら・・

その不安が彼を嫉妬に似た行動に走らせる。
両性具有の身体は、どうしても自分から自信を奪ってしまう。
物珍しさで付き合ってくれる人がいても、本当に愛してくれる人はシャドウの他に現れないだろう。
(こんな中途半端な身体・・・こんな自分はレディと似ている。)
彼の場合、自分がどうしようもなく汚れていると言って思い悩む。
お互い、言葉を交わさないでも相手の悩みが良く分かる。
しかし、傍らにいつもシャドウという人がいてくれた自分と違って、孤独の内に悲惨な目に遭い、それをたった一人で乗り越えなければならなかった、彼の心の傷はもっと根深い。
だからこそ、彼には余計に優しくしてあげたいと、自分ばかりではなく兄弟みんながそう思っている。
「シャドウ、レディには優しくして。」
「わかってるよ、お前の次に優しくする。」
「僕の次なの?同じくらい、じゃなくて?」
「馬鹿、同じくらいって言ったら、俺がグランドに絞め殺されらあ。」
「あははは!ほんと!」
そうだ、彼にはグランドがいる。
きっと、このクローンを見ても大丈夫。そう信じよう。
「さあて、どうするの?もうそろそろ目覚めちゃうよ。」
「んー、そうだなあ。逃げる準備でもするかあ?ヨーイ、ドンの格好でさ。」
「あははは!それもいいね。でも、一応仕事しますか?」
「そうだな、一応な。」
ニヤリと笑いあった後、二人の顔つきが変わった。
仕事だ。
無言でカプセルの傍らに立ち、その時に向けて待機する。
シャドウは自動小銃をたすき掛けに斜めに掛けて腕を組み、その場にじっと。グレイはハンドガンを片手に、カウンターをチラチラと確認しながら片膝を付いて。
 カウンターの数字は確実に減って、すでにゼロも近い。
凶暴か、従順か。
グレイの心臓がドキドキと拍動を強く早くする。シャドウは退屈そうに、大きな溜息をついて、あくびを飲み込んでいる。
グレイが、緊張しながらカウントを読み始めた。
「・・・・・7,6,5,4,3,2,1!
開くよ!」
バシンッ!シュウウウ・・・・
カプセルの蓋のロックが外れ、軽くスライドして浮き上がる。
カプセルの中の百何十年前の狂気の空気が漏れて、グレイの腕に鳥肌が立った。
そっと中を覗き込むと、ゆっくりとクローンが目を開いてゆく。
ぼんやりと開いた目には、やはり赤い瞳ではなく、ブルーの澄んだ瞳がどんよりしていた。
しかしその、ぼんやり焦点の合わない瞳は、全く動く気配がない。
まるで美しい人形か、死んでいるようだ。
二人は顔を見合わせると、蓋を開けてグレイが優しく顔を撫でた。
「君、君わかるかい?名前は?認識番号思い出せるかい?」
しかし、やはり無反応だ。
その様子に、レディが言ったという「生きながら、殺されている」と言う言葉が浮かぶ。
何らかの実験の犠牲者なのか、グレイはその言葉にゾッとしながら頬を軽く叩き、優しく刺激しないように肩を揺り動かした。
しかし、やはり同じだ。
これでは話しにもならない。
「おかしくない?これ、様子が変だよ。
僕、色んなクローンに会って話聞いたけど、目が覚めたときのこと、みんなはっきり覚えているもの。」
「うーむ。」
シャドウが拍子抜けして腕を組み、大きなあくびをする。
「ま、いいじゃん。このまま迎えを待つさ。
あー!楽で良かった!」
「なんか変だけど、よく調べて貰った方がいいね。」
ふうと、一息ついて立ち上がり、グレイが薄着一枚のクローンに、寒いだろうと寝袋を広げてかける。シャドウはやれやれと表へ様子を見に歩き出した、その時だった。
「ゴ、シ、ン、ソ、サ、マ・・」
クローンがぼんやりと、抑揚のない声で囁いた。
キンッ!
チ、チ、チ、チ、・・
また、あの音がクローンの右耳にある、大きなリング形のピアスから聞こえ始めた。
ピ、ピ、ピ、ピ、・・
音が変わるたび、クローンの身体がピクンピクンと反応する。
嫌な予感に、グレイがそのピアスを何とか外そうとするが、やはりきっちりと止められていて、耳ごと引きちぎるしかない。
「シャドウ!これ、変だよ!取った方が良くない?あ、あ、変!変だよ!」
「グレイ!離れろ!やばい!」
カッと大きく見開いたクローンの目に光りが灯り、ギョロリと動く。
そしていきなり、思い切ってピアスを壊そうとするグレイの手首を、子供と思えない力でガッと掴んだ。
「き!きゃっ!」
ゾッと鳥肌が立ち、思わずすくんだグレイを、クローンが不気味にニヤリと笑って引き寄せる。そして半身を起こすと、ぎこちない様子だがすばやく、片方の手でグレイの右手を後ろに回し、もう片方は首に腕を回してグッと自分の身体に押さえつけた。
何という力!
抗うグレイが何とかその首に回る腕を外そうとするが、びくともしない。
「く、く、」
クローンがぎこちない表情で笑い、グレイの耳元に息を吐きかけた。
「相変わらず、美しいな。半端な男女が。」
ビクッとグレイが身体を起こす。
「どうしてお前が知っている・・そうだ、この間のクローンも、僕を男女と言ったな。
お前は、誰だ?」
お前は、誰?
シャドウが不思議な問いに、首を傾げる。
クローンは、ただのクローンではないのか?
誰とは?
「勘がいいな。良い出来だ。」
クックと含み笑いで、クローンがグレイの耳たぶをペロリと舐めた。
このクローンは、子供の仮面を被った化け物だ!
清々しく美しい外見と中身の禍々しさのギャップに違和感を覚え、ゾッと背筋を嫌悪感が走る。
グレイは何とか不快感を振り切って、テレポートで逃げようと精神を集中した。
するとその時、いきなりガリッと右耳に鈍い音が飛び込み、鋭い痛みが走る。
「キャッ!」
何を思ったのか、クローンがグレイの耳を噛んだのだ。
「グレイ!やめろ!」
「逃さん、お前は人質よ。テレポートというのは、神経を集中させんといかんのだろう?」
「・・!」
なぜ、このクローンは自分の事をこうも知り尽くしているのか?
グレイの噛み切られた耳から思った以上に出血して、白い首筋を血が流れる。
痛みで気持ちが散漫になり、なかなか集中できない。増して、痛みよりも口惜しさで心が乱れて、シャドウに申し訳ない。
ただでさえ生け捕りなどと、それだけで大変なリスクを負っているというのに、何と不甲斐ないと涙がこぼれそうになる。
見えないが、噛み千切られたのではないかと思えるほどの、ズキンズキンと拍動的に襲ってくる痛みを堪えていると、クローンがそれをかき回すようにまた口にくわえて歯でなじった。
「いやっ!あっ!うっ!」
「やめろ!それ以上手を出すな!」
シャドウがベルトでぶら下げている銃をポンと後ろに回し、両手を上げる。
美しいクローンが唇を血に染めて、下卑た笑いを浮かべた。
みるみるグレイの顔が赤く染まり苦しそうに息をつく。シャドウはこのまま首の骨を折られたりしないか、ドッと冷や汗が流れた。
「ひゃっはっは!お前!これで燃やせんだろう?
お前は黙って、そこにいるがいい。
さあて、新しい世界か、何と素晴らしい!
さあ、美しい外の世界を堪能しよう。」
クローンが、グレイを人質にしたままカプセルから降り立った。
身長は、グレイよりも少し低い。おかげでグレイの首を絞める腕が、ほんの少し緩んでホッと息を付いた。
クローンは清々しい顔で外を窺いながら、シャドウを牽制して追いやると、外へと向かう。
しかし、彼はパジャマのような真っ白な薄いシャツにズボンだ。
その格好で山を歩いて下るのには無理がある。
「あんた、寒くないのかい?」
シャドウがいまいましげに吐き捨てる。
クローンはニヤリと笑ってまたグレイの傷から首筋の血までをペロリと舐めた。
「うっ・・く・・」
シャドウの目前で、その苦痛にグレイの顔が必死に耐え、愛した唇が何事かを伝えようと動く。
しかしそれを読み取る余裕もなく、シャドウは声もなく立ちつくしている。
目覚める前の愛らしい少年の人形のような美しさも、腹黒い泥にまみれたような心に覆われて何と醜悪なことか。
どこかレディアスと似ていると思ってしまった自分が腹立たしい。
狡猾な笑いに、真っ白な美しさもすでにすっかり色褪せている。これが同じクローンなのだろうか?
「くっく、このままこいつの首を折って、服を剥いでやろうか?
白い雪の上に、こいつの血だらけの裸身はさぞ映えることだろう?」
言われたままに、ビジョンが浮かんでゾッとする。シャドウは隙を窺いながら、何とか生け捕りの方法を考えるが浮かばない。
どうしようかと局長の指令を恨みながら、シャドウはやはりこのまま殺すしかないと銃に意識を向けた。
「ほおら、お前の相棒も苦しんでいる。
お前達は、どうやらこの私を殺せぬようだな。
生け捕りにせよとでも言われたか?管理局とやらもご苦労なことだ。
この身体をいかに調べようと、何もわかるまいて。」
「お前はただのクローンじゃないね?!
そのピアス、何か仕掛けがあるんでしょ!」
「フ、フ、勘のいい奴だ。しかしそれはそれ。
半端なお前はたいした力も無く、その身体だけか?使い物になるのは。」
その言葉に、ハッと、グレイの動きが止まる。

違う!僕は!僕は・・!

「グレイ!切り抜けろ!」
シャドウが厳しい顔で叱咤する。
「僕は!壊し屋だ!」
首を絞める腕を左手でグッと握りしめ、バッと足を蹴り上げてクローンの腕を下へすり抜けると身軽な軽業師のように、腕を掴まれたまま逆上がりして、華奢な少年の身体の頭上をくるりと回って背中に勢い良く蹴りを入れた。
「うおっ!」
思いがけない行動にクローンが前のめりに倒れかかると、シャドウが頬に蹴りを入れる。
ドカッ!
「ぐあっ!」
横に吹き飛びながら手を付きワンクッション置いて着地すると、クローンは頬を押さえながらうずくまった。
「グレイ!大丈夫か?」
「ご、ごめん・・」
シャドウが耳を押さえて座り込んだグレイに駆け寄ると、青ざめて済まなさそうに彼が微笑む。
右耳から、首筋、そして胸まで血が流れ、首から頬にはクローンが舐めたあとに沿ってその血が広がっている。
シャドウはその姿に逆上して、彼の前に庇うように立ちはだかり、吠えるように言った。
「このクソ野郎!貴様、許さねえ!」
頭に血が上り、ガンガン燃えてくる。
銃に一旦は手をかけ、腹立たしそうにそれをまた後ろに回した。
(このやろ!ボコボコにして生け捕って、服引っ剥がしてフルチンで木に逆さにぶら下げたる!)
しかしクローンは、蹴られた頬を撫でながら、ゆっくり立ち上がりシャドウを見据える。
怒りに燃える二人の視線が、静かに火花を散らした。
「貴様、私の顔に傷を付けたな。この美しい顔に!下賤の分際で、思い知らせてやる!」
「下賤?てめえ等、みんな同じ記憶持ってんのか?しかも今度は子供の姿とは、腹黒い野郎が胸くそ悪い!クソ◯◯◯野郎!」
シャドウが眉をひそめて吐き捨てる。
「こ、この!下品な男が!うるさい!お前のような馬鹿は消えろ!死ね!」
クローンが怒鳴りながら燃える目で、スッと前に手を伸ばす。
「グレイ!」
咄嗟にグレイを連れて横に避けると、ボンッ!と音を上げて後ろにある彼のカプセルが吹き飛んだ。
(あの衝撃波!)
焼け死んだ、あのクローンと同じ力だ。
しかし、目覚めたばかりのクローンは、その一発を放つと同時に、信じられないと言った顔でまるで崩れるように膝を付く。
「ち、力が・・何と言うことだ、たった一息で・・」
もとより目覚めたばかりの身体で力を発揮するのは無理があったのだろう。
クローンは震える足に力を込めて、愕然としながらようやく立ち上がった。
(外へ!逃げなければ!)
「うおおおおっ!」
そこへ咆哮を上げ、隙を逃さずシャドウがまともに突進する。
(何と?!)
ひるんだクローンに殴りかかり、それを辛うじて避けた相手に更に蹴りを繰り出した。
「うぬっ!くっ!」
クローンは体が自由に動かない。
次々に加えられる攻撃を避けるだけで精一杯で、次第に壁際へと追いやられてゆく。
「おのれ!」
シャドウが拳を思いきり後ろに引いたとき、いきなりクローンが体当たりをしかけた。
「うわっ!とっ!と!」
シャドウが大きく後ろによろめく。
クローンはその隙にくるりと身を翻して崩れた岩を乗り越え、一気に外へ走り出ようとダッシュをかけた。
真っ白な世界が、洞穴の外には眩しく広がっている。
クローンの心が、懐かしいような狂おしさにかられた。
「外!外だ!」
もつれる足を懸命に、前へと進めて右手を光りに差し出す。
ところがその、あとほんの数歩を前にして、クローンの前にいきなりフワリとグレイがテレポートで現れた。
「うおっ!」
慌てて立ち止まり、思わず数歩引き下がる。
「逃がさないよ。」
その顔は血にまみれ、美しさに妖艶さを増して冷ややかにクローンを見据える。
ひるんだクローンが振り向くと、後ろには、シャドウが立ちはだかっていた。
ならば、抜けるとしたらグレイだ!
しかし腹を据えたグレイの、クローンを捕らえて離さぬグリーンの瞳に思わず押される。
(何を、恐れる!こいつに何が出来るというのだ!)
思い立ち、力を振り絞ってクローンがグレイの横をすり抜けようと、一気にグレイに向けて駆け出す。
横をすり抜けようとした寸前で、しかしグレイはいきなりナイフを取りだし、クローンに襲いかかった。
「なにっ!」
渾身の力を振り絞って逃げるクローンを追いながら、ナイフを振り回すとその切っ先が足をかする。
「くっ!」
しかしクローンは懸命にグレイをやり過ごすと、外へと向かってしまった。
「逃がさないって言ったろ!」
するとまた、グレイが目前にテレポートしてクローンに襲いかかる。
「この!何としつこい!」
「取り柄は身体だけじゃないんだよ!」
追われては逃げ、逃げられてはテレポートで追う。クローンは、グレイのその繰り返すしつこさに舌を巻きながら外へ飛び出すと、裸足で雪の中、木にすがりつき足を取られながら逃げまどった。
「動きにくい!なんて冷たいのだ!この雪は!
さ、寒い!寒い!」
あまり雪を知らない口振りで、次第に凍えて動きが鈍る。
後を追ってきたシャドウと並び、グレイは可笑しくて堪らない様子で笑いながら後をゆっくりと追った。
「あははは!もう諦めなよ!あんた、南国育ちだね?雪を甘く見るなんて、馬鹿だね。」「このまま凍えさせるか?むき出しの手足が凍って腐り落ちるのを待とうか?」
ボスッとやがて倒れ、雪に埋もれたクローンが、色を失った唇でガチガチと歯を鳴らす。
弾みに頭上の枝に積もっていた雪が、彼を埋める勢いでバサバサと落ちてきた。
「わっ!ぷ・・腐る?腐るだと?」
「腐るよ、血が通わずに真っ黒になってね。
へえ、知らないんだ。それまで待っててあげようか?」
のんびりと聞いてくるグレイに、クローンがヤケになったのか雪を両手に掴み、二人に投げてくる。そして両手をまだ雲に覆われる空に高く掲げ、請い願うように大きな声を上げた。
「私は!私は!嫌だ!・・神よ!御神祖様!」
彼の声に、なぜかグレイの体中の毛が逆立つ。
「かみ?なんじゃ?そりゃ?」
シャドウが首を傾げていると、グレイが彼にすがりつき、突然その何かを恐れている様子に、シャドウは思わず肩を抱いた。
「どうした?」
「何か・・何か嫌な予感がする!シャドウ!僕の勘を信じて!」
「何を・・?グレイ!」
グレイがナイフをなおし、腰にぶら下げた銃を取る。
そしてクローンに向け、引き金に指をかけた。

キュンキュンキュン!バラバラバラ!

引き金を引きかけたときだった。
いつから近づいたのだろう、突然突風が吹き、空にヘリが現れると竜巻じみた風を巻きながら、低空へと降下する。
「おーい!お二人さん!」
「グランド!」
ヘリから一人の赤い髪の青年が飛びだし、二人の前に着地した。
「おお!上出来ジャン!てっきりもう殺したと思ったぜ!シャドウ、すぐ殺すクセによく我慢したなあ!
あいつ?はあん、でも全然似てねえ!」
ヘリが起こす風に巻かれて木々は揺れ、三人とクローンの髪がくしゃくしゃに舞う。
クローンは、風でドサドサと落ちてくる雪に埋もれながら、敵が増えた絶望感に囚われ、呆然としている。そのクローンをちらりと見て、グランドは腰から銃を取りだし、グレイに手渡した。
「これ、預かってきたよ。俺下手くそだから。」
それは、ショックブラストだ。
クマなら1発、クローンなら3発も当てれば気を失う。
「ああ、これなら・・今、楽にしてあげるよ。」
「嫌だ!!この!無礼者!馬鹿者が!」
あたふたと、四つ這いで逃げる様はあまりにも見苦しい。
グレイは銃を持ち変えると、逃げまどうそのクローンの背に銃を向けた。
ところがその時
ヒュッと、突然クローンを庇うように、その空間に人が出現した。
間違いなくテレポートだ。
グレーの防寒着を着込んだその16,7の少年が顔を上げ、グレーのストレートの髪がサラサラと風に舞う。
赤い瞳のその華奢な少年は、瞳の色を除けばグレイとうり二つだ。
「こいつ!」
咄嗟に、グレイが迷わず引き金を引く。
バシュ!バシュ!バシュ!バシュ!
しかし彼のジャケットには防弾効果があるのか、身体に当たっても、彼は平気な顔で雪に埋もれたクローンに歩き出す。
「えーい!しかたねえ!」
ダダダダダッ!
シャドウが銃を持ち、彼らの足下に威嚇射撃を放つと、グランドがロッドを手にグレイのクローンに向かった。
「やっ!」
ヒュンッ!バシッ!バンッ!
打ち出すロッドを、グレイのクローンは無表情で軽くあしらうように銃ではねつける。
「駄目か!こいつ凄く訓練されてる!」
しかも流れるような動作で、ロッドを引いたグランドに隙無く撃って、牽制してきた。
パンパンッ!
「うわっと!ひゃっ!」
辛うじて避けたグランドが、雪に足を取られてよろけたその瞬間を逃さず、スウッと銃口がグランドの頭を狙った。
(あっ!つっ!)
咄嗟にシャドウが小銃を向け、グレイがブラストを向ける。
しかしその指が引き金を引きかけたとき、
ドスッ!「クッ!」
グレイのクローンの腕には、空から飛んできたナイフが貫通して刺さり、ストンと銃が手から落ちた。
「馬鹿野郎!このグズ!」
言うまでもない、レディアスが怒鳴りながらかなり高度を上げたヘリを飛び降りる。
「うわっ!お前そりゃ無茶!」
思わず声を上げるグランドをよそに、レディアスは難なく彼らの前にバサッと着地して、膝まで雪に埋もれた足を引き抜いた。
バラバラバラ・・・
彼を降ろすと、ヘリは降下地点を捜して飛び去ってゆく。
「ちっ!」
ナイフを抜いて血を流しながら、グレイのクローンが先のクローンに駆け寄った。
「待てっ!」
バシュ!バシュ!バシュ!バシュ!
ダダダダダッ!!
ブラストは背中に当たっても効果無く、シャドウが撃ちまくる銃弾は彼の足下をすり抜ける。
「くそっ!」
もとより足を狙うのは無理なのだろうが、グレイの顔をしたクローンへのためらいがシャドウの手を鈍らせ、その気の迷いが一層命中率をガクンと落としていた。
「ちっ!」
「あっ、おい!お前、手え出さない・・」
グランドに駆け寄ったレディアスが、彼のハンドガンをホルターから抜き取ると、何の迷いもなく彼らに向ける。
パンパンパンパンッ!!
「うっ!」
「ぎゃっ!」
その銃弾は二人のクローンの足に見事に命中し、ドッとグレイのクローンが倒れた。それでも飽き足らないのか、レディアスは更に銃口を二人から離さない。
「レディ!もう・・」
カチッカチッカチッ・・
止めて!とグレイが駆け寄るまでもなく、その銃はどんなに引き金を引いても、ただカチッカチッと音がするだけで、あとは弾が出なかった。
黙ってレディアスがグランドを睨み付ける。
グランドはヒョイと肩をあげ、プイと顔を逸らして知らん顔で言った。
「お前は銃がお上手だから、4発もあれば十分だろ?」
足を撃たれながらも、グレイのクローンはもう一人のクローンに這っていき手を伸ばす。
雪の中で血を流しながら手をのばし合うクローンに、無言でレディアスがためらうように、ゆっくりと近づいていく。
やがて二人のクローンは懸命に手をのばし、そしてしっかり繋ぎ合った。
ザッ、ザッ、ザッ、ザザッ、
レディアスが、二人の間に立って静かに二人を見下ろす。
「お、お前は・・?生きて・・いたのか・・!」
レディアスのクローンが、愕然とした顔で呟いた。
レディアスは、自分のクローンらしき歪んだ美しさをした少年の顔を、無表情にじっと見ている。
ヒョオオオオ・・・
一陣の風が吹き、彼の銀色の後れ毛が風になびく。
クローンは陶然と彼を見上げ、そしてはたと我に返って声を上げた。
「まさか・・なぜだ?この身体は・・なぜこうも違う!この選ばれた身体と!」
クローンが、信じられず自分の顔をさする。
シャドウもレディアスの後ろから歩いてくると、「はっ!」と馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あんた、こいつの身体が欲しかったのか?
どっかの御偉いさんが、脳でも移植したか?
馬鹿だね。
こいつは、こいつだから綺麗なんだ。
あんたはせっかく綺麗なガキの身体でも、上っ面だけが綺麗なだけで、ここがちょいと醜い、醜悪って言葉がピッタリだ。」
シャドウが自分の胸を親指で指して、クローンに首を振る。
ところがクローンは、一転いきなりクックックッと笑い出して嫌らしい目でレディアスを上目遣いで見上げた。
「とんだ道化だ。お前だから美しいだと?
ウジ虫のような身体をクローンのパーツで補い、どこまでも、生き物の底辺に追いやられても泥を食って生き残った、汚れきったお前にな。クックック!成る程!」
レディアスの目が、大きく見開かれてクローンを見つめる。
「お前に、この”エディ”が殺せるかい?僕は”エディ”だよ!あはははは!この、人殺し!・・いや、クローン殺し、かな?クックック!はっはっはっはっ!」
不意に意地悪そうにクローンが言うと、可笑しくてたまらないように大声で笑い出した。
「レディ!」
グランドが後ろから叫び、走り出そうとしてグレイがそれを止める。
レディアスの口元がワナワナと震え、そして震える両手で相手の顔に向け、空の銃を何度も何度も虚しくカチッカチッと引き金を引く。
「ご、御神祖様・・」
横で手を繋ぐ、グレイのクローンが苦しげに呟き、同時に、レディアスのクローンは不気味な笑いを浮かべたまま、スッとその場から消え去った。
「あっ!この野郎!」
シャドウが慌てて消えたクローンがいた場所に駆け寄るが、後の祭りだ。
グレイのクローンは、手を伸ばしたままで撃たれた足の痛みを堪えながら、振り向いたシャドウにニヤリと笑った。
そして口を微かに開け、その顔が微妙に歪む。
ガッ!
「うぐっ!」
いきなりレディアスがガクッとしゃがみながら、クローンの口に弾が入っていない銃口を勢い良く突っ込む。
クローンは歯が数本折れたのか、血を流しながら銃をくわえたままで驚いてレディアスの顔を見ていた。
「お前には、来て貰う。」
呟くレディアスは知っていたのだ。
クローンは舌に埋め込んである毒物のカプセルを噛み割り、命を絶つ寸前だった。
訳も分からずシャドウが横から覗き込む。
「側近のクローンは、みんな口に毒物を・・」
苦しそうにレディアスが呟く。
「あ、ああ・・そうなのか?え?側近?誰の?・・まあ、いいや。」
シャドウがジャケットからバンダナを取りだし、クローンの口に咬ませた。
「なんて奴・・ケガしたのに、テレポートなんて・・」
「グレイもしてたじゃん。俺、上から見てたよ。」
「でも・・」
自分の精神面の弱さに、軽くショックを受けてグレイが肩をガックリ落とす。
クローンにブラストを数発撃ち込み、気を失わせて縛り上げたシャドウが、クローンを転がしてグレイの傍らによるとその背中をバンバン叩いて力付けた。
「まあまあ、やられたね。
まさかあんな奴が来るとは、予定外だぜ。」
「あんな奴・・僕のクローン・・」
バンバンバンッ!
「まあまあ!安心しろよ!お前の方が美人だ!」
笑い飛ばすシャドウに、ギッとグレイが睨み付ける。
「もう!もう!もう!」
「いててて!」
彼のほっぺをギリギリとつまみ、目を潤ませて八つ当たり。
今はそうでもしないと気分が最悪で、グレイは不安な気持ちに押し潰されそうな気がして、寛容なシャドウに心おきなく甘えるしかなかった。

 「おい、レディアス。」
じっと、立ちつくすレディにグランドがそっと声をかける。
見ると彼は、真っ白な雪に落ちた、消えたクローンの血を見ている。
何か胸騒ぎがして、グランドが彼の肩に手を置こうとした。
パシッ!
酷い拒絶に手を叩かれ、グランドが心配そうに彼を覗き込む。
「駄目だよ、一人で悩んじゃ駄目だよ。」
俯いて、小さく首を振る彼が何を思っているのか、グランドには良く分かる。
「俺もいるから、レディアス、俺もいるから。」
何度振り払われてもグランドは彼の手を握りしめ、そしてキスをした。
「お前は、汚くなんか無い。大丈夫、綺麗だ、普通だよ。俺達と同じ、普通なんだ。」
手が、ガタガタと震える。
「・・・ディ・・ェディが・・」
グランドが握る手を懸命に振り払おうと、表情を無くした蒼白な顔で身体がどんどん後ろへと引いていく。
グランドは悪い予感が当たったことを察して、真剣に彼の顔を覗き込み、自分の声が彼の耳に届くことを願って訴えかけた。
「レディアス!しっかりしろよ!レディアス!
何か話せ!何か大きな声を出せ!レディ!黙るな!吐き出せ!」
レディアスは、無表情で歯をカチカチ鳴らして宙を見つめている。
思い切ってダッとグランドが彼に飛びつき雪の上を転がって、息づかいも激しく抗う身体を抱きしめた。
「あ、あ、・・・・・」
声がかすれて声にならずに風に消えてしまう。
「出せ、出すんだ!全部声に出しちまえ!
俺がここで聞いてやる!俺がずっと傍にいて、お前の心を聞いてやる!」
痛いほどに、身体が折れるんじゃないかと言うほどに、力を込めて抱きしめる。
その痛みが彼をここに引き戻せればいい。
シャドウとグレイは、動かずに見守っている。
これは、グランドとレディアスの戦いなのだ。
過去という消えない化け物との。
何度も何度も戦っては負けて、そして勝ってきた。
辛いなら泣いてくれればどんなに楽だろう。
苦しいなら叫び声を上げてくれれば、少しでも心が軽くなるだろう。
しかし、レディアスはそれを全て内へ内へと体の中で凝縮させて、それに蓋をして隠そうとする。
そして隠し切れずに、溢れ出すそれを懸命に小さな両手で押さえようと必死になるのだ。
「く・・は・・はあ、はあ、」
グランドに抱きつかれ、身動きのとれない状態で、それでも何かしら空いた右手で周りを懸命に捜している。
そして何も掴む物がないと、グランドの腰に手を回し、彼の装備を探り始めた。
(まずい・・!)
「グレイ!ブラストこいつに撃って!」
「ええっ!・・でも」
「いいから!早く!」
ギュッと抱いたまま、ゴロンと転がりグレイに彼の背中を向けた。
バシュ!バシュ!バシュ!
ドッドッドッ!っとグランドの身体まで衝撃が来る。
さすがに手の中でレディアスはガックリと気を失い、ようやくグランドに身体を預けた。
「ふう、」
グランドが彼を抱いたまま一息ついて雪の上に座り、グレイ達も急ぎ足で駆けてくるとレディアスの顔を覗き込む。
「どう?3発は多かった?」
「いんや、いいさ、自分を傷つけるよりいい。」
自分の腰に手を回す。
やっぱり、後ろに一本、小さなナイフをホルダーに差し込んでいた。
「危機一髪、これで首でもカッ切られたら、ここに連れてきちまった俺が首釣らなきゃなんねえとこだぜ。」
「死にたいモード突入?」
「さあなあ、死にたいって言うより、自分を傷つけたいのかな?よくわかんねえよ。どうかしたらさ、身体の中を沢山虫が這い回っているなんて言いやがることもあるし。
まあこんなに酷い発作は、あの頃以来だ。一番酷い頃を抜けることが出来た、あの昔・・前の時代だ。」
「ああ、そんなこともあったね。」
頷くグレイを横目に、シャドウも何となく”酷い頃”というのを思い浮かべる。身体中に虫が・・なんて、聞いただけでゾッとして、ブルブル頭を振った。
「寝袋出すよ、暖かく包んで保温してあげないと、彼は寒いの駄目でしょ?
この上肺炎でもひいたら、踏んだり蹴ったりになっちゃう。」
グレイが気を利かせてリュックのところへと駆け出す。
「うん、だな。」
グランドも彼を抱きかかえると、後を追って洞穴に向かった。
 きちんとたたんで丸めた寝袋を広げ、中にレディアスを入れて丸め込み、そっとグランドが抱きかかえる。
その様子を見ていたグレイは、いたたまれず外へ出ようと足を向けた。
「じゃあ、僕ヘリの様子見てくるよ。近くに降りたようだから。」
タッと駆け出す手を、パッとグランドが掴む。
驚いてグレイが振り返ると、グランドはポロポロ涙を流してしゃくり上げ始めた。
「どうしたの?何かあったの?・・・・レディがこうなるのは、グランドのせいじゃないでしょう?気にすること・・」
「違うんだ・・違うんだよ。」
ぐすっぐすっと鼻水をすすり、ギュッと目を閉じて涙を袖で拭き、そうっとレディアスの額を撫でる。
グレイは引き返し、しゃがみ込むとグランドの傍らに座ってじっと彼の顔を覗き込む。
グランドは辛そうに、うっくと声を上げてごくりとつばを飲み込むと、ようやく顔を上げた。
「グレイ、生きていたんだ。」
「え?誰が?」
「きっと・・こいつは絶対何も言わないけどさ。きっと・・こいつを・・一番苦しめた奴。」
「それって?」
ドキッと、グレイの胸に不安が広がる。
まったく、今日はとんでもない日だ。
こんなところ、見つからなければ良かったのにと心の片隅で感じながら、なぜかグランドの言葉に耳をふさぎたい気持ちがかすめる。
彼を一番苦しめた人物が誰かなど、考えたくもない。
ところがグランドの口からは、グレイが思っていた以上の人物の名が飛び出した。
「ランドルフ・・大統領だった・・奴・・」
ヒッと、グレイが息を飲む。
気が遠くなりそうに一番恐れていた言葉を聞いて、グレイはドキドキと口から飛び出しそうな心臓を飲み込み、洞穴の奥でランプに照らされて光る、特注だと思われるカプセルに目を移した。
「まさか・・・」
蒼白な顔で呟くグレイにグランドが頷く。
コールドスリープ。
それはクローンだけではない。
連邦の逮捕を恐れて、レダリアの実力者が財産と共に密かにコールドスリープに入り、戦後の捜査で数人が確認されて強制的に覚醒措置を取られ、その後逮捕されている。
新しい世界で新しい人生を、と人間誰しも考える。
グレイやグランド達もそう思った。
だからこそ、遙か昔に連邦側から戦後処理のためにコールドスリープに入って欲しいと話しが来た時、みんな喜んで頷いたのだ。
それまでは、悲しいことに自分が自分として認めて貰えなかった。
それが・・
あの戦争を引き起こした張本人が・・あの嘘つきで残酷な男が生きている!
あまりの衝撃に、グレイがふらりと立ち上がって、よろめきながら外へ出た。
外ではシャドウがグレイのクローンを小脇に抱え、こちらへ向かっている。
グレイは涙を浮かべながら彼に駆け寄り、飛び込むとワッとその手の中で泣き出した。
「グレイ、どうしたんだ?グレイ。」
シャドウが驚いて、クローンをその場に降ろして彼を抱きしめる。
過去を捨ててしまいたい。
そう願って眠りにつき、そしてこの時代に目覚めた彼ら。
たとえ厳しい仕事の中でも幸せだと感じている、その今が、まるで雪のように跡形もなく消え去っていく気がする。
がっしりしたシャドウの身体と、暖かな手のぬくもりだけが、今のグレイにはせめてもの支えになっていた。