桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  闇の羽音

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<その4>

 響き渡る機械音の中、二人の足音が遠ざかる。
レディをじっと見ていたサンドが、フンと一息ついて銃を撫で、足を組んで横のパネルにもたれかかる。彼の顔には、液晶画面に照らされてやや赤く画面の模様が写りこんで不気味に歪んで見えた。
「フフフ・・お前の心は、暗い奈落の底だな。
見ていると、こっちまで引き込まれる。」
そう呟く彼に、スッとレディアスがナイフを腰から抜いた。
「ナイフなら、ここを傷つけず俺を殺せるか?
単純な、嘘つきで頭の悪いお前らしい考え方だ。
おい、そこのお前!お前はこいつの何だ?」
グランドがいきなり聞かれてどぎまぎする。
こいつの何って、そんな意味深な事何もない。
「お前には関係ねえ!俺達は兄弟だよ!」
「へえ、兄弟ねえ・・クックック・・」
「なにがおかしいよ!生まれが同じだから兄弟で、何がおかしい!」
そう、自分たちで決めたし、そう育てられた。
色々理由を言っても仕方ないが、彼には全てが見えるだろう。今更がたがた言う気もない。
「あんた、こんな奴の何処がいいんだい?
こいつは表面上、人間を取り繕っているだけじゃないか。」
表面上?違う!こいつに何がわかる!
グランドの心に焦りと不安が入り交じる。
「ああ、なあグランドさん。
あんたがここで死んだら、こいつは悲しむと思うかい?」
ドキッと思わず胸がすくむ。
当たり前だろう!と、自信を持って言い返せない。彼の以前の姿を見てきたグランドには、どこかまだ自信が持てないのだ。
「あ、当たり前さ!なんて事聞きやがる!俺はピンピンしてらあ!」
「クッ、アハハハハハ!!」サンドが高々と笑い声を上げる。
レディアスは何も言わず、ただ無表情に彼を見つめる。
ゆらりと一歩、足を踏み出した。
フワッとまるで飛び立つように飛び上がった瞬間、ナイフをかざしてサンドに飛びかかる。
銃を向けるサンドより早くその手首にナイフを投げ、ドカッとサンドの頭を横から蹴った。
「ぐあっ!」
ドウッと床に崩れ落ちたサンドに、パネルにトッと足を付いて再度ジャンプし引きながら銃を向ける。
バシュッ!バシュバシュ!!
「くっ!」バシッバシッバシッ!!
サンドは辛うじて弾を念動力で跳ね返し、そして彼に向けて精神を集中する。
着地と同時にタンッと横に避けたレディアスの後ろの壁が、ドンッと凄まじい音と共にボコッと大きく窪む。
「なんて!奴!!」
タタタタッ!タタタッ!!
サンドの銃は撃ってもことごとく避けられ、引いたと思えば次には襲ってくる。
手首に刺さったナイフを抜こうと柄に手を掛けたとたん、レディが銃を容赦なく撃って来た。避けるので精一杯で、隙がない。
心を読んで瞬時に次の攻撃を読み、それの反撃をすると言った戦い方をしてきたサンドには、今まで戦ったことのない相手だ。

読めない!
心が読めない!!

レディアスの心は真っ白で、身体が次の攻撃を反射的に行っているとしか考えられない。
人形・・奴は本当の戦闘人形なのか?
戸惑うサンドは腹を決め、ガシャンと銃を捨てて左手をレディアスに向けた。
「この人形め!」
ドンッドンッドン!!
次々と念動力で衝撃波を繰り出し、追い求めるレディアスの身体を何とか捕らえようと集中する。
「くうっ・・はあっはあっはあっは・・」
ぼたぼたと汗が流れ落ち、追いつめるつもりで追いつめられたのが誰かを知って愕然となる。
ハッと気が付けばいつの間にか制御パネルから離れ、そこにはグランドが立ってじっとパネルに手を添えていた。
「貴様、姑息な真似を!俺を・・この俺を誘導したというのか?!させるか!」
手首に刺さったナイフを抜いて、そのナイフをかざしサンドがグランドに襲いかかろうとする。
しかし、その一歩を踏み出した足が、がくりと膝を折った。
「なにっ?!」
おかしい!身体がおかしい!
何故だ?急激に力が失われていく。
がくりと床に両手をつき、ハアハアと息を付く。
怠い、手が、体が自由にならない。
渾身の力を込めて、手のナイフをグランドに向けて投げる。
バシュッ!!キンッ!
レディの撃った銃が、難なくそのナイフをはじき飛ばした。
「く、くそ・・」
腰のナイフを手に取り、立ち上がろうともがく。しかし、まるで背中に鉛を被ったような体のだるさは、まるで精気をなくしていくようだ。
カツカツと、レディアスの足がサンドの元へ近づいてくる。
ようやく頭を上げた彼は、威嚇する猛獣のようにギリギリと歯を噛みしめて睨み付けた。
グランドの前に、庇うように立つ彼が、スッとサンドに向けて銃を向ける。
無表情な彼の顔に、サンドが愕然と見つめた。
「まさか・・・これがお前の、力・・なのか?」
何も語らない彼の指が、容赦なく引き金に掛かる。
サンドの額に向けて、グッとその指に力が入った。

「やめて!」
バシュッ!

彼が撃った弾は、その瞬間にサンドを庇うように現れたシュガーの胸を撃ち抜いた。

「あ・・あ・・」
シュガーが、胸にポッカリと穴を開けて血で染まりながらサンドに倒れかかる。

「な・・ぜ?」
何故、現れた・・・!
ぽつりと、レディアスが言葉にならない言葉を愕然と呟く。
「シュ、シュガー!!」
シュガーの血を浴びたサンドが、血だらけになりながら飛び起きて、崩れる彼の身体を抱きとめた。
「貴様!よくも!」
目を見開いて戸惑うレディアスをキッと睨み付け、残った力で彼の身体を念動力で壁へ投げつける。
「うあっ!」ヒュッ!!ドーンッ!バキッ!!
ビュンッとあまりの勢いに、レディの身体が壁にめり込み、一瞬意識が遠のく。
叩き付けられ、鈍い音が脇腹に重い痛みと共に身体の内側で響いた。
「レディアス!」
グランドが彼を振り向き、駆け寄りたい気持ちをグッとこらえ、焦りながら再度パネルに向き合った。
「く、く、この!カウントが止まったのに、何故動く!」
地上の制御を切ったはずなのに、衛星が暴走している。老朽化が悪影響を及ぼして、すでに衛星は制御を失っていたのだ。
フィィンン!フィーン!フィーン!
「げぇぇっ!!」
どうすることも出来ず、出力レベルがレッドゾーンに入り、けたたましく警報まで鳴り始めた。
「一体!こいつは何を地上に撃ち込むんだ!」
まったく想像も付かないことが、制御を失ってどれほどの強さでここへ降り注ぐのか、いや、ここではないかもしれない!場所も特定できないのだ。
「フ、フ、フ、無駄だ。みんな、死ねばいい!」
シュガーを抱きしめるサンドが呟く。
ギッと睨み付けたグランドが、拳をパネルに打ち付けた。
「うるせえ!俺が止めてやる!ポチ!この衛星を捕らえろ!照準合わせ!撃ち落とせ!」
「なにっ?!」
衛星上のポチが、同じく衛星上にある反射鏡を制御して自らが持つ、軌道レーザー砲の照準を暴走する衛星に向ける。

ポチは、いわゆる軍事衛星なのだ。
監視と攻撃、そしてスーパーコンピューターを持って、あらゆる回線にもハッキングをこなし、検索、通信全てをまかなう機能を持つ、スーパー軍事衛星。
そしてそれは、カイン上にある4つの子機衛星とレーザー砲反射鏡の間接衛星で、両極以外なら全てをカバーできる。
もちろん元々は軍の最先端兵器だった物だ。
しかし、当時でも最高の人工知能という、あまりにも素晴らしい最先端コンピューターを搭載したために、ある日突然仕事を放棄してグランドの言うことしか聞かなくなってしまった。
当時の軍の慌て様は有名な物だが、諦めた軍も使うのがグランドなら大した事も出来まいと任されている。ちょっといわくつきなのだ。

 フィーン!フィーン!
警報が、一層余裕を失わせる。グランドはいらつきながら、天井に向かって怒鳴った。
「なにっ?間接衛星との間にお天気衛星?かするかもしれねえって?かまわねえっ!撃てっ!撃て撃てっ!!」
「やめろっ!」
サンドが、残った力を振り絞ってナイフを投げる。
ビュンッとナイフは、しかしグランドをそれて虚しく壁に当たり、カシャンと地に落ちた。
次の瞬間、グランドの前の液晶画面に映る衛星からの映像がカッと一瞬光り、次にプツッと切れる。

フィーン!フィィィ・・・

警報が、ようやく鳴りやんだ。
きっと今頃空には、小さな流れ星がスッと流れて消えていることだろう。
後は地上の増幅装置を壊せばいい。
「レディアス!」
グランドはようやくズルズルと壁にもたれかかったまま横に崩れ落ちるレディアスの下に駆け寄り、彼の身体を抱き起こした。

ゴオオオオン・・オン・・ガアン・・・!

奥から、まるで機械室を爆破されたような音が響いて、施設全体がミシミシと悲鳴を上げそして静かになる。
「あれは・・やった!きっとブルー達が機械を壊したんだ!レディアス!」
歓声を上げるグランドのそばで、サンドにはそれが誰の仕業か容易に悟られて、フッと溜息をついた。
しかし、それも今ではすでに、どうでもいい事に思える。
最初から、この兵器がうまく行くとは思っていない。ただこの管理官共を一人でも道連れに出来れば、それでいいと利用しただけだ。
それも全ては彼のため。
このシュガーの為にと思ってしてきたことが、彼から流れる血と共に消えてゆく。
自分が責任をとって彼らと共に死ぬことで彼を救い、そしてまたいつか訪れるチャンスまで生きていれば、あの主の言いなりの生活からいつか抜け出せると信じていた。なのに、肝心の愛する人はこうして手の中で今にも消えそうな命の火を揺らしているのだ。
胸に大きな穴を穿ちながら、即死を免れたのはクローンの生命力ならではだろう。
それでも、死はもうすぐそこに見えていた。
 シュガーを抱くサンドが、ギュッと彼を抱きしめて涙を流す。
シュガーは口から血を流しながら、にっこりサンドに笑いかけた。
「どうして・・戻ってきたんだ。」
「ふ・・ふ・・だって、二人・・・・死な・・たく・・なかっ・・」
「シュガー・・・シュガー死ぬな!」
ポタポタとサンドの涙が、シュガーの頬を濡らす。
それが嬉しくて微笑みながら、シュガーはレディアスに視線を移した。
じっと、顔を上げたレディアスは無表情でシュガーを見ている。微笑むシュガーがどこか寂しげに視線を落とし、彼から目をそらすようにそっとサンドの頬を撫でる。
「シュガー、一緒に帰ろう。」
涙に濡れる頬を合わせ、最後に泣きながらそう言ったのは、レディアスではなくサンドだった。
「ふ・・ああ・・嬉し・・好き・・大・・好き・・ね?サン・・ド・・」

だから、生きて。

サンドの姿が、フッと消える。
ドサリと床に落ちたシュガーは、満足そうな微笑みを浮かべ、すでに事切れていた。
フラフラと、グランドの手を借りてレディアスがシュガーの傍らに行き、がくりと膝を付く。
無表情に、恐る恐る手を伸ばしてそっと頬を撫で、そして二度と開かない唇をなぞった。
「レディアス・・知っているのか?」
グランドがそっと聞く。
無表情のレディアスが、サンドの落とした涙をツッと指でなぞる。
「グランド・・俺は、どうして泣かないんだろう・・・?・・クローンだって・・」
クローンだって泣いているのに・・
「レディアス・・」
「悲しい、悲しいって思っているはずなのに。
この、気持ち。悲しいって、違うのかな?」
「好き、だったのか?」
レディアスは何も答えず、じっとシュガーの顔を見つめている。
やがて奥から、ブルーとセピアが一目散に逃げてきた。
「逃げるぞ!駄目だ!自爆カウントが始まった!爆弾がセットしてあったんだ!」
「わかった!レディアス行くぞ!レディアス!」
レディアスは、シュガーの傍らに膝を付いたまま動かない。グランドが腕を掴み、グイッと引いても動こうとしなかった。
「レディアス!」
「何してんのさ!あたいが担ぐから、グランド早く!ああっ!人間もいるんだ!」
「人間達は俺達が連れてゆく!」
「あたい一人持つよ!」
抱き上げようとするグランドを遮り、セピアが彼を抱きかかえて先を走り出す。
途中の人間達を拾い上げ、暗い通路を迷いながら、元来た道を懸命に駆け抜けた。

 まだ暗い地上に駆けだし、バタバタとこの入り口から森の中を逃げるように走る。走る、走る。
「ハア、ハア、ハア!セピア!グランド!伏せろ!時間・・」
ドーン!ドーーン!ゴゴーーン!!
地響きが辺りに響き渡り、グラグラと大地が揺れる。どれほどの爆弾が、何処にセットしてあるのか見当が付かない。
機械室にあった爆弾の量は、半端な大きさではなかった。全てを壊し、彼らの痕跡を全て消し去るつもりなのだろう。
「ぎゃあーん!ブルー!」
ドサッとセピアが人間から手を離し、レディアスを抱きかかえて彼を庇うように地に伏せる。
その上をブルーとグランドが手で覆うようにして両脇に伏せ、両耳を塞いだ。
この痩せた土地の朽ちかけた森が、どれほど持ってくれるかわからない。
次第に音が大きくなり、近づいてくる。
3人が身体を硬くして、ブルーが精神を集中する。
グッとセピアとグランドの身体を引き寄せ、その場に閉じた空間を作り、いわゆるバリアを張り巡らせた。
グオーーンッ!音がすぐそこで炸裂し、来た道が大きく盛り上がってゆく。
「わあああっ!!死ぬう!」
ギュッと目を閉じる彼らの場所まで、バッと爆風が地面をさらい、空間に包まれたまま彼らも吹き飛ばされた。


 ヒュオオオオ・・
冷たい夜風が髪を揺らし、ゾッと肌を刺す。
ブルッと寒さに、どれほどの時間が過ぎたのだろうか、見当も付かない。
ゆっくり目を開け、周りを見回すとシンと静まりかえった星空をぼんやり見つめた。
「いてえ・・くそお、なんとか生きてた。」
隣でブルーがゆっくりと起き出す。
「ああ、なんて数の爆弾だよ。」
グランドも頭を振って溜息をつきながら起きると、辺りを見回した。
ルーナの明かりの下、森の半分、この山の3分の1が崩壊して崩れ落ちている。
ずっと見回すと、村の方はまるで隕石でも落ちた後のように大きなクレーターが出来て、凄まじい破壊力だ。
あの鉄の棒は数本が倒壊して、村は元の姿をとどめていない。
「人間達は?」
「一緒に守ったけど・・駄目だ、死んでるよ。」
横に散っている5人を、それぞれブルーが頭に手をかざす。
「毒物じゃないか?これ。きっと戦いの前、消化に時間がかかるカプセルを飲んだんじゃないかな。
死を覚悟しているからこそ、捨て身の攻撃が出来る。戦っている時、こいつらの心にはこれのせいで複雑に諦めと覚悟が入り交じっていたんだ。
くそう、なんて事を・・」
首を振り、ブルーがそっと男の額に手を当てる。救うことが出来なかった虚しさが、これ程の覚悟を強いる彼らの指導者への怒りに変わった。
「ああ・・可哀想に。」
グランドも死を確認して首を振り、ガックリとその場に手を付いた。
「あっ!セピアは?おい!セピア!レディ!しっかりしろよ!」
少し離れたところに、レディを抱きしめたままセピアが倒れている。
抱き起こすブルーを見て、慌ててグランドも駆け寄りレディを抱き起こした。
「うー!いったあい、何よう、もう!」
セピアがようやく気が付いて、頭の泥を払い落とす。ブルーも彼女の無事にほっとして、笑いながら一緒にパンパンと身体を叩いた。
「フフ、まあね、生きてるから文句言うなよ。
グランド、レディは?無事?・・グランド?」
すぐに返事のないグランドに、ブルー達が怪訝な顔で覗き込む。
グランドは、抱き上げた彼の身体をまた下ろし、そっと額を撫でていた。
「どうした?」
「わからねえ。意識が、はっきりしねえんだ。」
「うそっ!どうして!あたいが抱いてたから?
潰れちゃったのかな?」
レディアスは、息も浅くぼんやりとした目で彼らを見上げている。
「レディ、大丈夫?しっかりしてよ。」
心配そうに、セピアがレディの身体を探る。
「どこか、怪我でもしてるのかな?」
「こほ、げふっ、ぐ・・」
グランドが確認しようと彼のシャツのボタンを外そうとしたとき、突然せき込み横を向いた瞬間、口からドッと血を吐き出した。
「レディアス!」
バリッとシャツを引き裂いて胸を見る。
痩せて肋が浮き出た胸に、はっきりと折れた肋骨が綺麗に並んだ中で奇妙に曲がり、凄まじい内出血が胸に広がっていた。
「きゃあああん!うそっ!あたい?!あたいが悪いの?!」
セピアが震えながらポロポロ泣き出し、ブルーがグランドの肩を揺らす。
「グランドッ!局長に連絡を!皮下出血だけじゃない!きっと折れた肋骨が肺に刺さってる!早く!俺が何とか出血止めるから!早く!」
「あ、ああ、わ、わかった。ポ、ポチ。」
呆然とグランドがポチに連絡を取る。
時差が少ない為にサスキアも夜中だったにもかかわらず、テキパキとした局長の指示で緊急に医療ヘリが近くより回され、長く感じられた十数分のうちにようやくヘリがやってきた。
崩壊して更地になった森が、運良く彼らのすぐ横にヘリの降りられる場所を作っている。
まだ地盤が不安定なので危険ではあるが、それを押してヘリが降りてきた。
グランドを安心させるために咄嗟に言った物の、念動力も万全ではない。
全ての血流を止めるわけにも行かず、口から溢れ出す血をおろおろと見ながら、血管を収縮させ、圧迫することしかできないのだ。
「死ぬなよ・・・死ぬな・・」
皆が口々に呟く。
最新のジェットヘリを見たブルーはホッと息を付きながら、軍から要請されてきた医師と代わる時、彼はすっかり青い顔でそれが最良の処置であったことを願うしかなかった。

 バタバタと、医師と看護師がヘリの中にある狭い処置室で忙しそうに処置にかかり、指示を受けて操縦席のパイロットが病院の手配を頼んでいる。
医師が言った、「心停止」という言葉が耳に焼き付いて、それでいてこれ程迫っている「死」という言葉が信じられない。
「大丈夫なのかな・・」
ブルーは怖くてテレパスの力を閉じている。不安が先に立ち、しゃがみ込むグランドとセピアを横目に、ぴしゃりと閉められたヘリのドアを開け、そうっと中を覗き込む。
慌ただしい医師と2人の看護師に囲まれたレディアスが、血まみれで寝台に横になっているのがちらりと見えた。
「ひえっ・・」
その処置の様子を見て、ブルーが思わず声を上げ慌ててドアを閉める。
ブルーが中を覗き込んだとき、なんと医師は胸を切り裂き、手を入れて心臓を直接マッサージしていたのだ。
怖い・・見なければ良かった。
死んだらどうしよう・・死ぬかも知れない・・
ガタガタ震える体を押さえ込み2人と並んで座っていると、血だらけの看護師が中から飛び出してきた。
「一応処置済みました!誰か血を!!」
「ど・・うなるんですか?」
「今、心臓も動き出しました。胸に溜まった血を抜いていますが、手術を近くで出来るところがありません、このままサスキアへ行きます!
血液が足りない、彼と同じ血液型は?!」
「あいつ!グ、グランドです!あと、グレイが同じ!」
「乗って!すぐに行きます!」
ヘリの中で医療措置を受けながら、彼はサスキアへと至急転送することとなった。
大きな手術は、大都市でしかできないのだ。
この不便さが、カインの死亡率を上げる要因でもある。
そして今、ここにブルーがいたからこそ、彼も生き延びることが出来たと言える。
「グランド、俺達もすぐに帰るから。いいな!任せたぞ!」
「あ・・ああ、シャドウ達も・・丁度帰ってるって・・」
「そうか!良かった、グランド!しっかりしろよ!」
ガクガクと、ブルーがグランドの肩を揺らす。
ヘリに戻った看護師が、顔を出して大きく手を振った。
「急いで!早く乗って!」
「じゃ、な。大丈夫さ!あいつは運が強いんだ!お前がしっかりしろ!」
「こ、怖い・・怖いよ、ブルー・・怖いよう!」
「バカッ!しっかりしろっ!行けっ!」
ブルーとセピアを残して、グランドが彼に付きそう。
しかし茫然自失の彼は、ボロボロと涙を流し、ガタガタと震えて今にも倒れそうに真っ白な顔だ。白んできた空の下を白い医療ヘリは、彼が同乗するなり一刻の猶予もない様子で飛び立っていった。
「ああ、あたいがきっと潰しちゃったんだ・・・バカ力で潰しちゃったんだ・・死んじゃったらどうしよう・・」
「大丈夫、お前のせいじゃない。大丈夫だよ。
あいつはあのクローンとやり合ったとき、すでに肋骨が折れてたんだよ。俺にはわかるんだ。お前のせいじゃない。」
「そうかな・・そうかな・・」
セピアがガタガタ震えて、涙が止まらない。
自分のせいで人を傷つけたことは、今まで何度もある。力がクローンを倒す武器になっても、大事な人を傷つけたときのショックは大きい。
しかも、つい先日まで食事が喉を通らなかった彼は、今が一番体力が落ちているのだ。
ブルーはすぐに見えなくなったヘリを見送りながら、自分を責めて泣き崩れるセピアを懸命になだめるしかなかった。



 ふわりと、暖かな光りが暗闇の中に眩しく光る。
スッと光りの中から薬指のない白い手が伸びて、優しく頬を撫でてくれた。
ああ・・・
シュガー・・謝りたいのに、声が出ない。
殺すつもりはなかったのに。
せめて最後に・・ああ、最後にどうして俺は泣かなかったんだろう。
眩しく輝く彼は俯いてゆっくりと首を振り、力無く微笑むと次第に遠ざかる。
その微笑みはどこか寂しげで、泣いてもくれなかったねと、呟いているように感じられて胸がドキリとざわめいた。

違う!違うんだ!

懸命に両手を差し伸べ、許しを請うように手を合わせたいのに身体が動かない。

シュガー!シュガー!
俺は・・俺は悲しかった!悲しかったんだ!!ああ、どうして涙が出ないんだろう!
悲しい!死なないでくれと、あの時すがって泣けなかった。
一緒に帰ろうと俺が・・この俺が言いたかったのに、俺は何をしていたんだろう。
人形じゃない、人の真似をしているわけじゃない、俺は俺なのに、俺はちゃんと俺なのに!
俺は悲しいって!悲しいって・・シュガー!
殺すつもりなんか・・ああ・・・!

取り返しのつかない事が、誤解を生んだまますれ違いの内に消えてしまう。
感情を表現する難しさを強烈に感じながら、自分を責めることしかできない。

『あんたがここで死んだら、こいつは悲しむと思うかい?』

グランドへそう言ったクローンに、当たり前だとすぐに言えなかった。
バカな、バカな男だ俺は・・
ああ、誰か、誰か撃ち殺してくれ、俺を誰か・・
心が、心が裂ける。胸が痛い!
許して・・許して!
グランド!シュガー!許してくれ!
・・・・ああ・・誰か・・助け・・て・・・

「レディ!レディ!レディアス!」
悪夢の向こうから、優しい声が揺り動かす。
暗闇に柔らかな光が差し、耳元の声がはっきりしてきた。
「レディってば!しっかりしなよ!」
「う・・・う・・・」
あまりの倦怠感にドッと身体中が鉛のような感覚を覚え、ようやく瞼をうっすらと開く。
白い、白い視界が広がり、見覚えのある顔が上から覗き込んでいる。
気が付けば痛いほどにギュッと両脇のベッドサイドからそれぞれ手を握りしめられていた。
「目え開けたっ!開けた!やっと気が付いた!」
「よかったあ!このバカ!バカバカ!!
死んじゃうかと思ったよお!」
エーンと、けたたましいセピアの泣き声がして、良かった良かったと口々に兄弟が喜んでいる。
人はこんなに具合が悪いのに、何が良かったのか分からず少しむかついた。
あ・・れ?
ここはどこだ?
白い・・病院?何で、病院なんか・・
ああ・・そう言えば、脇腹ちょっとぶつけたかな?
何だ、大げさだな、わざわざ病院なんか来なくても良かったのに・・
ぼんやりとした頭で、見回すと横でグランドがボロボロ涙を流して泣いている。
何が悲しいんだろうと見ていると、いきなり顔に抱きついてチュッと頬にキスしてきた。
「わーん!死んだらもう死ぬと思ったあ!」
何言ってんのか・・ほっぺにキスの嵐。
バカ野郎!気持ち悪いじゃねえかっ!とボカッと殴りたいところだが、いかんせん体が自由にならない。
どうして身体中がこんなに怠いのか?
チェッと諦め顔で目を閉じていると、ブルーがクシャクシャ髪を撫でてくれた。
「ハア・・・死ななくて良かったぜ。
怖かったなあ・・まったくよ。」
「ほんと、マジで死ぬかと思ったぜ。
血をくれ、血をくれって言われてよう、グランドとグレイがヘロヘロになるくらい血をやったのによ。
グレイなんて1日寝込んだんだぜ?
死んだらやり損じゃん。」
「シャドウ!余計なこと言うんじゃないの!」
「いでっ!」
ドカッと蹴る音がして、シャドウが飛び上がりお尻を押さえて後ろに下がった。
「それにしても嫌な夢ばかりだな、お前は相変わらず。テレパスの俺には辛かったぜ。」
フッとブルーが覗き込んで笑った。
ブルーは、何も語らずとも全てをわかってくれる。知られたくないときはムカツクが、こういうときは少し救われる。
「なあレディ、悲しむのは泣くことばかりじゃないさ。死んだ彼もちゃんとわかっているよ。」
しかし、レディとしては何を言われようと彼を撃ったのは自分だし、最後に何も出来なかったのも後悔が大きい。
今は救いようがないのだ。
その時スッと横からグレイが顔を出して、レディアスはドキッと目を見開いた。
シュガー・・じゃない、これはグレイだ。
「僕のクローンと・・何かあったんだね。
僕、出ようか?」
少し困った顔のグレイに、小さく首を振る。
同じ顔をした別人だと、落ち着いて今の彼にははっきりと識別できた。
「当ったり前よ!同じ顔してやがっても、グレイは俺のグレイだ。後ろ向いてても俺にはわかるぜ!」
自信たっぷりに大きな犬歯を見せながら笑うシャドウが、グイッとグレイを抱き寄せ、ウッと前屈みになる。
「うおっ!グ・・グレイィィ・・」
ドカッと股間を蹴り上げたグレイが、プイッと彼を無視してレディの手を取った。
気味が悪いほどにっこり笑って、シュガーの面影の片鱗も見せない彼に、確かにシャドウの言う通りだと思える。
グレイはグレイだ。
「あんな浮気男は無視!
ねえ、レディ。大変だったんだよ、グランドがさ。」
「そうそう!もう死ぬ死ぬ!お前が死んだらすぐ死ぬ!って!あんた落ち着くまで、毎日ナイフを隠し持って来ちゃあ病院の人に取り上げられてさ!
こっちまで恥ずかしかったんだからあ!」
「そう言うおめーも、死んだらどうしよう!死んだら責任取って死ぬって、最後の買い物だとか言ってこないだ指輪買ったな。」
「んま!ブルー、小さいこと言いっこなしよ!
だってなんか落ち着かなくてさあ。」
オホホホホ!と笑ってセピアがすうっと後ろに引く。そして仁王立ちの看護師にドンとぶつかった。
「あら。」
「皆さんっ!ここは集中治療室ですよ!他にも重症の方がいらっしゃるんですからお静かにっ!!」
「は、はい・・」
少し太った中年の看護師に、タジタジと皆が引く。あまりの貫禄に、シャドウさえグレイの後ろに隠れた。
「まったくっ!3人までって言ってるのに!
無理矢理5人も6人も入って来てっ!
感染が一番怖いのにっ!」
プイプイと腹立たしそうに、看護師が去ってゆく。他のスタッフが、まあまあとその看護師をなだめながら、みんなににっこり笑ってぺこりとお辞儀した。
「やっぱりよ、軍の看護師はキツイよなあ。
一般病院はかわゆい子が多いのにさあ。」
「あーら、シャドウさん。何処の病院へ行かれたのかしら?フンッ!」
「行ってない!行ってませんってば!グレイさん!グレイ様あ!」
何だかシャドウとグレイの間に寒風が吹きすさんでいる。
またシャドウが浮気でもしたんだろう。
「じゃあ、意識も戻ったし、私達、先に食事に行くよ。セピア、まだお腹持つ?」
「んー、グレイ、あたいも行く!何かほっとしたらお腹減ったよう!」
「はいはい、じゃあグランドとブルー、先行くね。じゃあ、レディまた後で。」
「ああ、わかったよ。」
騒がしい3人が去って、ほっとグランドが傍らに座る。そしてようやく落ち着いて話しをしてくれた。
「お前、危なかったんだ。出血が凄くて、それが肺やら心臓を圧迫してさ。苦しかったろ?
保存してたお前の血も足りなくて、俺とグレイの血もガバガバ輸血したんだぜ。
かえって前より血が濃くなったかもな。
あの、クローンの前で逃げようって俺が手を引いたとき、お前意識あったのか?」
シュガーの前・・覚えてない、ゆっくり首を振る。ただ、シュガーの死に顔だけが頭に刻み付いていた。
「局長がさ、怪我するなんてたるんでるって、何故か医者に向かって怒ってたんよ。
怖かったぜえ、医者がビビッて『最善を尽くします!』って敬礼して慌てて逃げたんだ。
見当違いだけど、誰かを怒らないと気が済まなかったんだろうな。
怒鳴り声で、窓がびしびし揺れるの。また今夜来るってさ、覚悟しとけよ。」
ヒヒヒと、グランドが笑う。
レディはふと目を閉じ、シュガーの顔を思い浮かべた。あの、拉致された時の事が夢のようだ。
抱き合って、キスして、どこか同じ境遇を慰め合うように、わかりあったあの時間。
そして・・この指が引き金を引き、最期の一瞬を、彼の死を、泣くことも出来ずに見送ってしまった。
どんなに謝っても、もう、手遅れでしかない。
どうして、俺は生きているんだろう。
俺が死ねば・・
「レディアス、あいつが死んだのは・・あれは事故だ。それに泣けなくても、悲しんでいるのはわかるよ。あいつもきっと、それがわかったさ。」
レディアスの気持ちが分かるのか、グランドがそっと、手を握ってそう言う。
ブルーから聞いたのかも知れない。
ずっとシュガーの夢で、うなされていたのだろうから。
みんながそうやって慰めてくれるのはわかる。
でも、シュガーに自分の気持ちがわかったのかどうかは知る由もない。
レディはあの時、冷たいほどに無表情だったのだ。
どうしても自分が許せず暗く視線を落とす彼に、グランドは優しく囁いた。
「俺は・・俺だったらさ、最後はお前の綺麗な笑顔が見たいなあ・・なんちゃってな。」
ニッ!と笑い、そして真顔になるとレディの手を取り、キスをして頬に当てた。
「でも・・良かった、生きてて良かった。あーあ、ゲッソリしちまったな。」
グランドが濡れたタオルを手に取り、顔を拭いてくれる。気持ちいい。
「グランドもさあ、お天気衛星『SAKURA』ちゃんぶち壊して、今日は局長も気象環境庁まで挨拶に行ってんのよ。
あの村も綺麗に吹き飛んじゃったし、こいつも俺も、戦々恐々。
俺達4人、何枚始末書書けばいいのか、考えるのも恐ろしいぜ。」
「まあさ、結局はあの村も跡形なく吹っ飛んだから、代替え地を軍か政府が何とかするようになったから、子供達はがっかりしていたみたいだけど、村の人はバカみたいに喜んでいたよ。
今度は、いいところを貰うだろうね。
でもよ、まだまだこれから何かありそうだ。
あのヴァインって奴ら、取り調べにも関係ないって言い張ってるらしい。こちらこそ名を語られた被害者です、だとよ。
ヴァインって聖人ヅラしてやがるけど、裏じゃマフィアとも繋がりがあるみたいだぜ。」
「まったく、俺達のクローンが何人いるのか、ずらっと並んでるの想像するとゾッとするぜ。
大体よ、何であいつ等の所に俺達のクローンばっかりいるんだろうな。ただでさえ珍しいのに、冗談じゃないぜ。」
それは、最強の軍隊だろう。そんなことが現実に起こったら、自分達にも歯が立たないかもしれない。
「先制攻撃が出来ればいいがな。・・・だから、早く治せよ。」
そうなのだ、まだ、これは始まりだ。
見えない敵に、兄弟達の心に不安が広がる。
しかし今のレディアスは静かに目を閉じ、今は考えたくないと一言も喋らずまた死ばかりを見つめて自分の殻に閉じこもろうとしている。せっかくカレンが施した癒しも、無に帰してしまうのか・・
その時、頭にブルーのテレパスの声が囁きかけた。

『シュガーは、一人じゃない。シュガーのようなクローンは、一人じゃないんだ。
お前はそのクローン達を、助けたくないのか?』

ドキッと目を見開き、真顔で見るブルーと見つめ合った。
「神祖」・・ふざけた男だ。
とうとう、自分を神だと言い出したのか、あの狂人は。
神の名の下に、クローン部隊さえ操り、人々の心と命を弄ぶ。
もう、嫌だ。
命を弄ぶ、あの男が恐ろしい。
何も知らず、大切に育てられた子供時代。
そしてある日突然やってきたその日。
それから歩んだ運命の道行きは、人間に蔑まれ、他の命を踏みつけて生き延びるしかない、文字通り心さえ凍り付かせる地獄だった。
レディアスが、二人を見回し目を閉じる。
言えなかったことを、言わなければならない。
ブルー・・ブルー・・俺に話せるだろうか?
怖くてたまらない・・
最強のクローンを作るために生み出されたオリジナル。
そうとしか知らないなら・・
ああ・・グランド・・
昔・・それを話すには昔を話さなければならない。
思い出すのもおぞましく、それが食事さえ喉を通さなかった・・

 あの男に汚されながら、相手を切り刻むのが性癖のあの男に傷つけられ、そして消える意識を揺さぶられながら恐怖でとうとうあいつを引き裂いて殺した。
殺したんだ!
それが・・・・

それが、傷も癒えない内に戻ってきたのだ。
まるで生まれ変わったように。

『あいつは、まるで宿主を変えるように身体を移し替えることが出来る。』

そう確信した後・・知らされた。
この自分達こそ、あの大統領の「クローンボディ」とするために遺伝子操作され、人為的に作られたオリジナルと!!
なんと言うことか・・この自分が、あの男のために生み出されたのだと言う現実。
自分のクローンではなく最高のボディを渡り歩いてそれで永遠の命を保ち、最高のクローン部隊を持って、次の時代にまた自分の帝国を作り出す。
その野望のために作られ、そして、6人の中から大統領の為のクローンオリジナルに選ばれたのがレディアスだった。
その力と作られた最高の容姿。
全てがあの男の目に留まり、「選ばれて」しまったのだ。
そして、他の5人のクローンは、彼の直属のクローン親衛隊とされた。
そしてそれが、あの男のカリスマ性を持ってして宗教の名を借りて、こうしてまたこの時代によみがえりつつある。
また、あの地獄のような光景が、目の前に広がるというのか・・
クローンを使った、数々の人体実験、そして血を流し、ろくに食う物も飲む物もなく、飢餓の中で憎しみのない戦いを強いられた戦場。
クローンの中で、彼らと立場を同じくして地を這い回って生き延びたあの戦場が、この平和を壊してまた再現されるなど許されるわけがない・・許してはいけない・・

恐ろしい・・

「・・グラ・・ド・・」
掠れた声で、呟いて目を閉じる。
グランドが、ン?と覗き込んだ。
「何だ?」
「・・俺・・・・話す・・よ。」
グランドがハッとして、そして頷く。
「そうか・・やっと・・そうか。無理、するな。俺も、ずっとそばにいるから。」
ギュッと力強く手を握り、そしてまるで子供をあやすように頭を撫でてくれた。
グランド、その優しさが胸に痛い。
出生の真実を聞いたら、どんなに傷つくだろう・・
まして自分の過去など、絶対に知られたくない。
目をギュッと閉じてグランドから目をそらす。
また、頭の中にブルーの声が聞こえてきた。

『レディ・・・お前のリスクは、俺達みんなも背負っていくよ。
これからはもう、一人で戦うことはないんだ。』

そうっと目を開けると、暖かなテレパシーを送ったブルーが優しく微笑み頷く。
『グレイも・・グレイもあいつに・・・
だから、苦しんでいるのはお前だけじゃないんだ。』
レディが驚いて目を見開く、飛び起きたい気持ちは、しかし身体が反応してくれなかった。
「ま・・さか・・グレイは・・」
シッとブルーが指を立てる。
そして優しく頬を撫でてくれた。
『グレイは両性具有で・・だからかな、あいつの元に連れて行かれたんだ。
その後なにされたか、あいつも自分では何も話さない。
帰って来た時は、髪がガサガサ抜けてさ・・ショックでボロボロだった。
あの頃は、もう自由なんて無かったよ。
俺達みんな、それぞれ辛い目にあって・・レディだけじゃない、みんな実験動物に変わりないんだ。
嫌な過去を背負ってさ、でも、この世界に来られて良かったよ。本当に。
なあ、レディ。俺達は生まれ変わった、それでいいじゃねえか。』
初めて聞くことに、レディが二人の顔を見回す。キョトンとした顔のグランドが、ブルーを睨み付けた。
「おめー、人に黙って何喋ってんだあ?」
ブルーが指を立て、ニッと笑う。
「ひ、み、つ、」
「何が秘密なんだか、だからテレパスは信用できねえ。」
へんっとふてくされた。
ブルーも、いたずらっ子のように笑う。レディアスが、穏やかに笑った。
「おっ!なに?なに?面白いこと喋ってるわけ?俺も仲間に入れてくれよお!いじわる。」
「ふふ・・ひ、み、つだ・・よ。」
「もう!いいもーん、ブルーに後で聞き出すもーん!」
プイッとすねるグランドに、隣のベッドとを隔てる薄い壁に向かって、あっとブルーが指を指す。
「あれ?もうグレイが一人で帰ってきたよ。
きっと落ち着かないんだな。」
壁からグランドがちょこんと顔を出し、グレイの様子を見てクスクス笑った。
「ああ、ほんとだ。あの怖い看護師にペコペコしてるよ。あはは!
ああ、そうだ、レディアス俺さ、しばらく付いててやるから。喜べよ。」
「え?」
「ポチがさ、ちょいと使えねえんだ。
俺もしばらく謹慎でさ。
ポチで衛星から攻撃するのって、ムチャ、軍からの締め付けが強いから。
まあ、これも初めてじゃねえし、何とかなるだろ、今度は完璧放っとけなかったからな。」
少し、心配そうな顔でレディがグランドを見る。
グランドは彼の頭をクシャクシャ撫でて、にっこり笑うと優しく言った。
「まあそれも丁度よかったさ、こうして上手く利用させて貰おうよ。
お前は安心して寝ろ、もう疲れただろう?
ああそうそう、さすがにここじゃあナイフは持ち込み禁止だからよ、眠れねえなら薬でも貰うしかないな。
丁度いいから、お前もナイフ無しで眠れるようにならないとな。」
「・・ん・・」
ゆっくり頷き、安心した様子でレディアスが目を閉じる。
 離れた通路からグレイが手招きするのに気が付いて、ブルーがそっと向かった。
「何?」
「これ、僕たちにって、手紙みたい。
それで差出人が・・『29代大統領』って。
いたずらかな?」
グレイが心配そうに持つ手紙は、真っ白で張りのある良い紙に、ワックスシールで封がしてある重厚な物だ。
そこには確かにこの病院内宛の、
『特別管理官殿』『29代大統領より』
と書かれてあった。
「どうしよう。」
ブルーが手紙を持つと、ゆっくりと指先から悪意を感じる。
「今は、やめた方が・・」
言いかけたとき、後ろからすり取られた。
グランドが、怪訝な顔でクルクルひっくり返す。
「いいさ、見てみよう。レディアスもまた寝ちゃったし。」
ビッと破きながら、ベッドサイドに戻る。
そして中身を取り出し広げた瞬間、フッと立ち止まり、後ろにポイッとその手紙を放り出した。
「わっわっ、ちょっとグランド!」
あたふたと、ブルーが手紙をキャッチしてグレイがそれを覗き込む。
「ひっ!こ、これって!」
グレイが思わず蒼白な顔で引いた。
そこには、明らかに血で書いたと思われる、黒ずんだ赤い文字が乱雑に並んでいたのだ。

『主を忘れた犬に、死を』

「腐ってやがる。」
グランドが怒りを込めて吐き捨てる。
「俺達は、犬じゃない!」
ハッとブルーが、グランドの震える拳に俯いた。
レディの心を読んで全てを知るブルーには、レディの皆を心配する気持ちが良く分かる。
「こんなもの!ブルー、貸して!」
グレイがブルーの手から手紙を奪い取り、憎しみを込めて破って握りつぶそうとしたとき、サッと横からすり取られた。
振り向くと、むっつりした顔でシャドウが立っている。
「おめーらしくねえなあ、これは調査部へ回そうや。」
「シャドウ!だって、これは・・!」
「セピア、何か袋貰って来いや。」
「う、うん。」
セピアが看護師を呼び止め袋をもらいに行く。
シャドウは大きく溜息をつきながら、セピアが持ってきたビニール袋に手紙を放り込み、クイッと手招きした。
「外へ出よう。レディにまた、悪い夢見せたくない。あいつは敏感だからな。」
 ぞろぞろと5人が廊下へ出て、集中治療室にいる患者家族用の控え室に入った。
14,5人も入ればいっぱいの控え室には、他の家族が4人いる。
疲れ切った顔の家族達は、彼らが入るなり顔を上げ、そしてぐったりとソファーに折り重なるように眠ってしまった。
「あれ?いきなり寝ちゃったよ。疲れてんのかな?」
「寝て貰った方が話しやすいっしょ。」
ブルーがヒョイと肩をあげる。
疲れが溜まっていたのだろう、ブルーがちょっと後押ししただけで、簡単に眠ってくれた。
「俺さ、話しがあるんよ。レディがようやく心を開いたことで、真実を。」
「真実?」
4人の足が止まり、嫌な予感を振り切るようにしてソファーに腰掛ける。
「やな感じ、また手をつなぐんでしょ?」
「そう、心の準備、オッケー?」
輪になって座り、それぞれが手をつなぐ。
接触テレパシーで、読んだレディの言葉をそのまま伝えた方が分かり易いし、人に盗聴される心配もない。
みんなが暗く、沈んだ顔でブルーを見つめる。
「そんな顔するなよ、俺も辛いんだからよ。」
「わかってる、何を聞いても逃げないよ。
俺達は、いつだって6人一緒なんだから。」
「レディから聞くより、うんと楽だわさ。」
「まったくだな、テレパスは辛いぜ。」
ブルーには、これもテレパスの宿命であり、テレパスとしての仕事なのだと心に決めた物がある。
今はレディアスの代弁者として、自分が話すのが一番だと思えるのだ。
彼が話すと、もっと事態を重く感じるだろう。
「じゃあ、行くぜ。」
ブルーが目を閉じると、他の4人も目を閉じた。
嫌悪するあの男が、自分に最も近いところに関与していたなどと、知らない方がどんなに幸せだろう。
しかし、それではこれからの戦いが一方的に不利になる。
自分達のことは、だからこそあの男に知られ尽くしているのだと、知っておかねばならないのだ。

 治療室のベッドの上で、一人レディアスが静かに天井を見つめる。
具合の悪さに寝苦しくて目覚めてみると、先程までうるさいほど囲んでいた兄弟は、誰一人いない。
寂しいと思う気持ちを、ガキじゃあるまいしと笑いながら、ぼんやりと天井にポツンとあるシミを見つめた。
死ななくて、良かった・・・か・・
だるい体が、確かに死にかけたのだろう余韻を残している。
放っといてくれれば良かったと、言わなかっただけマシかな。
フッと息を付く。
白い天井に、いくつものボトルや袋がぶら下がり、そこからチューブが自分へ向かって生えている。
チューブの途中の小さな入れ物の中では、ポタリポタリと水滴が落ちて、まるで涙のようだ。
シュガーの、美しい涙。
グランド達の、そしてサンドの、頬に流れた熱い涙。
怠い手を上げ、そっと頬から目までを撫でてみた。
カサカサと、血の気が失せた肌には瑞々しさは無くササくれているようだ。
どんなにシュガーを思って悲しんでも、涙が浮かんでこない。
最後に泣いたのは、いつだったか。
ずっとそれをたどっていると、エディの死体を見た時がどうだったか思い出せない。自分では、もちろん泣いたと思いこんでいたあの時も、もしかしたら泣く事さえ忘れていたのだろうか。
あの時から自分の時間は止まってしまった気がする。
『この、人形め!』
サンドの言葉が、何故かはっきりと思い出されて、いたたまれず目を閉じた。
涙・・
涙が流れなければ、悲しんだことにならないわけじゃない。
じゃあ・・涙って何だろう。
何か、暖かな、熱い物と言う気がする。
感情で、胸が押し潰されそうになったのは、あれはひどく寒々として冷たい・・
悲しみではなく、恐怖だったか・・
『本当に、心から笑ったことはあるのかね?』
心から・・
みんなは、楽しそうに笑う。
朗らかに、太陽のように。
バカだな、バカな問いだ。
当たり前じゃないか、楽しいから笑うのさ。
俺だって、楽しいと・・楽しいと思って・・

「・・・・・・え・・?」

・・・え?・・違う?どこか違わないか?
俺は、一度でも声を上げて笑ったことがあったっけ?朗らかに、暖かな笑い声を上げたことがあったかな?
あれ?楽しいって、何だ?
みんなが笑っているから、笑っていないのか?
本当に、楽しいと思って笑っていたっけ?
おかしい、変だ。
俺は何を考えているんだろう。
普通だ、俺は普通なんだ。
周りを真似してるんじゃない。
心臓が、ドキドキと早鐘をうつ。
いないとわかっているのに、思わず手探りでさっきまで握っていてくれた、グランドの暖かな手を捜した。

『この、人形め!』

違う!

人形じゃない、人形じゃない・・グランド!!
数限りない感情の奔流が、目の前を通り過ぎる。
それを無表情に見つめる、自分の姿を思い浮かべて小さく首を振った。
「・・・人形・・じゃ・・な・・い・・」
ポツンと呟くと、いつの間にか来ていた看護師が、点滴のパックを確認しながらにっこり笑った。
「何か?うふふ・・レディアスさんって、ご兄弟皆さんに大切にして貰っているのね。
まるで小さい子が、おもちゃの取り合いするみたいに手を握る順番まで決めて。
私、兄弟いないから羨ましいわ。」
何気ない言葉をかけて、チェックが済んだのかベッドを離れてゆく。
兄弟・・
目を閉じて兄弟の姿を思い浮かべ、楽しそうな姿に気を紛らわそうとする。

おもちゃ・・か・・・

兄弟の楽しそうな姿が遙か遠くに感じ、その時いわれのない怒りが、ムクムクと身体の底からしみ出してくるのを感じた。
俺を人形だというなら、これは何だ?
ゆっくりと、センサーの付いている身体を起こし、沢山の点滴につながれた腕で懸命に身体を支える。
「はあ、はあ、はあ・・」
息が苦しい。身体中から奪い取られたように、力が出ない。
ポロリと酸素マスクがはずれ、胸のセンサーも外れて後ろで器械がアラームをけたたましく鳴らし、看護師が驚いて駆け寄って来た。
ズキズキと痛む傷口を、包帯の上からギュッと押さえた。
「う・・う・・・」
耐えがたい痛みが頭のシンまで走り、周りが異常に騒ぎ立てうるさい。
両手と身体を看護師が慌ててベッドに押さえ込み、何か薬を入れられたのかいきなり猛烈な睡魔が襲ってきた。

うるさい!うるさい!手を・・離せ!離してくれ!

人形なら、痛みなど感じない。
この痛みがある限り、俺は生きている。
俺は生きているんだ!
押さえ込む人間が、あの恐ろしい実験場の研究者達に見えてくる。

誰も、兄弟が誰もいない・・
誰か・・!誰か!どうして誰もいない!どうして・・!グランド!ブルー!セピア!
ああ!ああ!グレイ・・シャドウ・・

俺を、捨てないで・・・

人間達は、口々に何かを叫び、抗う身体を皆で押さえ込んで、お前は一人だと痛いほどにその手は力強く冷たい。
ああ・・暗い・・暗い奈落に落ちて行く。
嫌だ、一人は嫌だ、一人は・・嫌なんだ・・
 憎しみの炎を燃やし、シュガーの亡骸を抱いてレディアスを見つめるサンドの顔が何度もしつこく浮かぶ。
暗闇に無表情で立ちつくすレディの後ろで、あの男の笑い声が不気味にこだました。


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