桜がちる夜に

HOME | カインの贖罪  うつくしいもの 2

更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

<その2>

 すでに深夜を回ったサスキアの街は、人も車も多少減ってタクシーだけが忙しそうに走り回る。
キラキラと様々な色のライトに照らされた看板が派手な宣伝を輝かせ、ときおり3Dホログラムの女性が踊りながら道行く人に何やら色っぽく語りかけた。
昼とうって変わった冷たい風が、頬を刺してゾッと鳥肌を立てる。
キョロキョロ何かを捜して歩いていると、酔っぱらいにぶつかりそうになって辛うじて避けた。
「気を付けろいっ!」
酔っぱらいが偉そうに、啖呵を切って逃げてゆく。
それが聞こえないほど、彼は神経を研ぎ澄ませて歩いていた。
「確か、確かここらにあるって聞いたんだ。
凄く分かりにくくて、普通で・・まるで秘密基地みたいだって・・」
今の時間では、何かを聞こうにも開いているのは飲み屋ばかりだ。
2軒入ってみたが、客じゃないと知るやあっさり知らないと追い返された。
ドリンク1杯でも、邪険な扱いだ。
本当なら、今頃二人で久しぶりの外食を済ませ、余裕があれば嫌がるレディを連れて飲み歩いているはずだった。
それを考えると、涙が出そうになる。
ポチのことは人に任せる事もできたのに、どうして一人で行かせたのかと思えて仕方がない。自分も一緒なら、絶対に無茶などさせたりしなかった。
前夜までの彼に対する自分の仕打ちが、今更強く後悔される。
イライラを晴らすために彼に陰湿な言葉で攻撃して、何をしていたのかと自分を殴りたい。
考えれば考えるほど、泣きたくてどうしようもない。
泣きたい気持ちを抑えていると、気が高ぶって些細なことに腹が立つ。
キッと前を向いて、歯を食いしばった。
何でもいい。
今、自分にできることをしよう。
頭に巻いた、バンダナにじわっと汗が滲む。
グランドは寒いのも忘れてシャツ一枚の、昼間の様相だ。
辺りを歩く人々がコートや厚いジャケットを着ているのからすると、かなり目立っていると言える。
それでも、精神的に焦りが激しく気が立っているせいか、まったく寒さを感じない。
とにかく、グランドはその場所を探すことに集中していたのだ。
その場所とは・・

「ヴァイン」

しかも、一般信者を受け入れる「表」の集会場ではなく、ひっそりと信者達が集まり、中で何をしているか分からないような・・「裏」の集会場だ。
「裏」の存在は、以前から囁かれてはいたが、あのダンドン村での出来事でそれがはっきりしたと言える。
知らぬ存ぜぬでのらりくらりとかわしても、軍とポリスで秘密裏に調べると、裏の集会場の存在や大きな金の動きが見え隠れすることがわかった。
それは宗教を隠れ蓑にした、まったく軍やポリスもノーマークの事柄だ。
しかし、熱狂的な信者の多い宗教だけに、捜査はまったく進展せず、裏の存在を実証する物もない。
不気味な存在として膨れあがっているのだ。

グランドは、その裏の集会場らしいところを探している。
そこで、何かが分かると思う。
しかし、そこが聞いて分かるような場所ではない可能性は高い。
恐らくはちょっと見ただけではわからないような、公表していない場所なのだ。

でも、捜さなければ・・

情報によれば、あのダンドン村で会った女らしい人物がいると聞いている。

人の心を読む女・・

そんな女が、それ程多いとは思えない。
あいつなら、きっと何かを知っている。
きっと・・・



 あの日昼間、その研究所からの一報は、マキシ博士からだった。
「何かある」
そう言って、レディが中に一人飛び込んでいったという。
確認のため居住区に連絡を取ろうとしたが、結局連絡は取れず局長は研究所の警備部署に連絡を取った。
そして、グランドや管理官達重装備を付けた者が緊急に駆けつけたのだ。
しかしそこにいたのは、気を失った研究所のクローンにスタッフ。
見事に急所を断たれ、すでに死亡していた武装のクローン5名。
そしてあのグレイのクローンと、彼が保護して離さないブルーのクローン。
気温が上がりエアコンを動かしていた室内で、居住区は換気を集中させていたため、そこへ細工されてガスを送り込まれたのだ。
神経ガスではあったが、仲間を救いに来ただけに気を失う程度の物だった。
致死量だったらと思えばゾッとするが、これからこの対策の強化が必要になるだろう。
グレイのクローンがいた部屋は、隔離室だっただけに換気が別だった。
血相を変えて探し回るグランドに、グレイのクローンはレディがヘリに飛びつき、そのままどこかへ飛び去ったことだけを教えた。
そのあとは口を閉ざし、まったく何も話さない。
思いあまって手を上げるグランドを、仲間に引き剥がされると駆けつけた局長に、そのまま謹慎を言い渡されたのだ。
あまりにも取り乱した彼は、確かにまともな判断はできなかっただろう。
何か分かったら報告するという条件ではあるが、やはりじっとできずにグランドは、ポチを使ってヴァインの裏のアジトを探しはじめた。
あいにくヘリは、雲の上を航行することなくポチの記録にも途中までしか探査できていない。
彼らの親玉が何処にいるのか、一刻も早く駆けつけたいためには、そこを知る必要がある。
ポチもレディアスとの通信をカットしていたことを悔やんで、意気込んでいるらしい。
ネットを使ってあらゆる情報網に侵入し、ヴァインの暗躍を探ってくれた。
普段、暇なときは、ポチにとってネットが遊び場なのだ。
まったく、頼りになる最強の相棒といえる。
そして、かなりの情報がネットをちらほらと浮遊していた。
それを総合的に判断して、信憑性のある物だけを選りすぐる。
噂や言葉はしに漏れ出たような情報もバカにならない。
しかし、確かな裏付けもなく、無責任な発言も多いだけに「調査部」の奴らに言わせると「使えない」というのも頷ける。
しかし、今のグランドにはその総てが重要で、無視できない物だ。わらにもすがりたい気持ちは、ポチも十分分かってくれている。
彼はグランドと一心同体の親友なのだ。
 「ポチ、どうすればいい?」
立ち止まり、呆然と辺りを見回す。
あまりにも町には人が多く、家が多い。
このサスキア一の飲食街ナイトメア3番街に、そこらしい所があるのは分かっている。
でも、はっきりと何処と分からず、捜しようがない。

「よう、兄ちゃん、そこどいてくんないかい?」

しわがれた声に顔を上げると、髪はボウボウ、髭はもじゃもじゃで臭いが漂う服を着た路上生活者のおじさんだ。
真っ黒の指を指されて振り向くと、グランドが立ちすくんだ路地の向こうに食堂のゴミが置いてある。
「あ、ああ、ごめんよ。」
慌てて一歩下がると、じろりとすだれのような髪の下で訝しげな目が光り、背中を丸めてゴミへ向かう。
フッと溜息付いて歩き出そうとしたとき、ポチが「彼に聞け!」っと大きな声で怒鳴った。
「ななんで?わ、わかったよ、はいはい。」
タタッとおじさんに駆け寄ると、おじさんはゴミ箱の蓋を開けてゴソゴソ中をあせっている。
あれ?この光景、何処かで見たぞ?
まあ、それはおいといて、おじさんのいつ洗ったか分からないようなジャケットの肩をポンッと叩いた。
ビクッとおじさんが飛び上がる。
あまりの驚きようにグランドはばつが悪く、苦笑いで手を上げた。
「な、なんじゃい!びっくりするじゃねえか!」
「悪い悪い、ちょっと聞きたいことがあってさ。いいかな?」
「ふん。」
おじさんは、ツンと澄ましてまたゴミ箱をあさる。
どうしようかグランドが後ろに立ったまま頭をかいていると、おじさんが「ほれ」と誰かの食い残しだろう。ゴミ臭くなったパンを一切れ差し出してきた。
「食ってみな、そしたら何でも教えてやらあな。ひ、ひ、ひ、あんたにゃ無理だろうがな。」
グランドが、そのパンを受け取りじっと見つめる。
そして記憶の底にあった、昔の光景を思い出した。
ゴミをあさる姿。それは旧カインで見た、戦争から帰ったばかりのレディアスだ。
最初の頃、ちゃんと食事は出たのにそれには手を付けず、グランド達の目を盗んでは夜中に調理場裏手でゴミをあさって食べていたのだ。
ずっと虐げられてきた彼は、いきなり再会したグランド達との生活が信じられず、何かの罠だと思ったのか何も信じようとしなかった。
そうっと部屋を抜け出し、ゴミをあさりに行ったり相変わらず庭で隠れて、虫や草を食べていた。
あまりの姿に、腹が立って悲しくて、自分が情けなかったのを覚えている。
そしてグランドがとった行動は・・
 意地悪く笑うおじさんの前で、グランドはおじさんに手を合わせ、ためらいも見せずにパクッと口に放り込んでしまった。
「うひゃあ・・兄ちゃんよう・・」
むぐむぐむぐ、臭い臭い、まあこんなもんだろ。ごっくん。
「ごっそさん!」
パンッとまた手を合わせる。
おじさんは呆気にとられ立ち上がると、ヒョイとグランドの顔を覗き込んだ。
「あんた、オエッとか思わんのかね?」
「思うよ、でもさ、おじさん一番綺麗で汚れてないパンを選んでくれたじゃない。
おじさんの貴重な食料だろ?」
「あ、ああ、そりゃあそうだけどよ。
でも、こん中に一度入ったらえらく臭えもんだぜ?」
「ああ、もんの凄く臭かったよ。でも、俺の大切な奴も昔ゴミあさりしてたんだ。それ思い出してね。」
あの時、どうにもできない自分がもどかしかった・・
見つかって殴られるのを覚悟して身体を丸めるレディの横で、グランドは泣きながらゴミに手を突っ込んでガツガツ食べはじめた。
泣いて泣いて、汚いなんて思うのも忘れて。
レディは驚いたのか、呆然とそれを横で見ていたのだ。
そしてそれから、レディアスはやっと食事に手を付けるようになった。
腹をこわして下痢下痢のグランドが、腹痛を堪えて一緒に食べたのが懐かしい。
あの時、うれしくて吐いてでも一緒に食べたかった。
相変わらず表情を変えないレディに、楽しい食卓を思い出して欲しかった。
それももう、遙か昔のことだ。

 「ふうん。」 
バタンとゴミ箱に蓋をして、おじさんが手招きする。
片手には残り酒を集めた酒瓶を持ち、ポケットにはパン切れを突っ込んでまた表通りに出ると、近くの公園に入り暗い電灯の下にあるベンチに座る。
「まあ、すわんなよ。」
言われて並んで座ると、おじさんはポケットから飴の袋を取りだした。
「食うかい?これん中、色々つまみが入ってんだ。綺麗なもんだよ、行きつけの飲み屋が客の残りを入れていつもくれるんだよ。」
「いや、いいよ。おじさんの楽しみだろ?
綺麗で臭いのない物は貴重品だろう?」
「ああ、あんたわかってるねえ。
で?俺に何を聞きたい?」
「ヴァインの・・」
言いかけたときだった。
サッとおじさんが指を立て、真剣な顔で立ち上がる。
「きな。」
そうしてさっさと先を行き、また違う路地へと入っていく。
はたして分かっているのか、真っ暗闇の路地裏の道を通り抜け、ポッと住宅街に出る。
飲食街も、裏へ回れば人が住んでいる。
ごく普通の町だ。
「ほら、こっちだよ。」
連れられて歩いていったところには、アパートや小さなマンションの並びに、一軒の小さなビルがある。
おじさんは「ほれ」とそこを指した。
「え?ここ?」
張ってある小さな看板を見ようと踏み出すと、おじさんがグイッと腕を引っ張る。
ダメダメッと手を振って、家の角に隠れるとこっそり臭い息を吐いて耳打ちした。
「一見分からないんだがね、あの駐車場の角にカメラがあるんだ。
『エクセルクラフト』何て書いてあるが、何か変なんだよ。」
「どう変なの?」
「・・ゴミが、出ないんだよ。」
「は?」
「時々何か沢山運び込んでんのに、ゴミがないんだ。見てるとね、運び込んだもん木箱に詰め直して、別にそのゴミも一緒に持っていってしまうんだよ。
そんでね、変だなあと思ってよう、俺あよく見にくんだけど。見ちまったんだ。」
おじさんの声が、ますます小さくなる。
「何を?」
「重そうな箱でな、包みが一つ、落ちたんだ。
ガチャンって、そんで先からちらりと銃の鼻先がよ。」
「どんな形だった?その包み。」
「えーと・・見えるかい?真っ暗だぜ?」
「ああ、俺は夜目がきくからね、見えてるよ。」
ツツーッと壁に指でなぞる絵は、確かにあの地下基地で見た銃と同じ位の大きさだ。
通常では所持が認められていない、自動小銃の形。
恐らくはここも拠点の一つなのだろう。
「おじさん、ありがとう。ここまででいいよ。」
「あんた、忍び込むのは止めた方がいいよ。
俺ああんたが気に入ったんだ。仲間引き連れてきた方がいい、一人は危ない。」
おじさんが心配顔でグランドの腕を握る。
グランドはその手にそっと手を添えて、腕から離した。
「ありがとう。俺の事は心配いらないよ。
仲間がちゃんと来てるんだ。大丈夫、無茶しないよ。」
「本当かい?無茶は止めとくれよ。俺は後悔したくねえ。」
心配で仕方ないおじさんの肩を叩き、礼を言ってチップを渡す。
おじさんは何度も振り返りながら、ようやくもと来た道を帰っていった。
「さて、ほんじゃ行きますか。」
肩をほぐして息を整える。
武器は、腰にいつものセイバーロッド。
それで今まで何とか切り抜けてきた。
ただしこれは最高でも、気絶させられても殺すことはできない。
それはグランドが望んだことだ。
その甘さを、レディも責めることはない。
「殺しは俺がやる。グランドは殺すな。」
それがレディの望みでもある。
だから今まで、殺したのは銃で数えるほどしかない。
あまりにも戦闘に長けたレディアスの、グランドはハンディ役だろう。
だからこそ、こうしてグランドが一人で敵地に侵入するなどもってのほかと言える。
しかし、今はそんなことは問題ではないのだ。
「よしっ!」
覚悟を決めて、一歩。
踏みだそうとしたグランドの腕が、グイッと後ろに引かれて、いきなり腕が首を締め付ける。
しまった!つけられていた・・あれ?
「バカ!お前まで無茶して死ぬ気かよ!」
舌打ちして振り向くと、それは同じマンションに住む調査部のロイドだった。
「なんで?」
ロイドは腕を放し、ヒョイと肩をあげて辺りをうかがう。
そしてボカッとグランドの頭を殴ると、思わず声を上げそうなグランドの口を塞いだ。
「シッ!ここは俺達も最近から目えつけてるとこなんだ。
恐らくヴァインの裏組織と関係がある。」
「何だ、知ってんなら何で踏み込まないんだよ。それとも大した事やってねえの?」
「やってるよ、ここは取引のメッカなんだ。
表の飲み屋で交渉してここに荷物を運び込み、そしてここから至る所に発送する。
宇宙港の近くだろ?だからここで荷受けするんだな。
結構大きな金が動いているらしい。
その証拠を揃えている最中だよ。俺達も毎日遊んでるんじゃない。」
「ああ、それで張ってんの?」
ならば偶然出会ったと思うのが自然だ。
ところがロイドは、ニヤッと笑ってべえっと舌を出した。
「ヒヒヒ!局長に言われてお前の監視役!
どうせ無茶するだろうってさ!ババアの勘も、的中だね。」
ガーーンッ!
やられた。
しかも、彷徨っていたこの半日をまったく気が付かなかった。
「俺、抜けてるよなあ。」
「だからよ、無茶はやめろって。
お前死ぬと、レディ達も後追いかねないぞ。」
後を・・追う?レディアスが?
それは浮かばないが、まあ彼の言うことも一理ある。
「でもよ・・ここまで来て、どうにもできねえなんて・・
せめてパソコンに聞ければなあ・・」
「パソコンに聞く?」
「ン、色々ね、俺には出来るのさ。
ここの奴、何とかネットのルートの一端でも分かれば入り込めるんだけど。ゆっくり捜す時間が惜しい。」
「ふうん、お前ら特別管理官って奴あどうもわからねえ。」
「へへへ、そりゃどうも。じゃ!」
手を上げて、またそうっとビルへ踏みだそうとする。ロイドが呆れてグイッと首根っこを掴んで引き寄せた。
「おいおい、おめえ俺の話を何処まで聞いてンの?だから危ないって!」
「じゃあ、いつもこのビルってどのくらい人数がいるの?」
「まあ、今は確か荷物が入ってないはずだから・・んなことはいいの!」
「ふうん、じゃあ間取りは?」
「さあな!知ってても教えねえよ!」
「じゃあ知ってるんだ。
ポチ!調査部のネットだ、手強いぞ!そうだな、ロイド・スミス!ルートからこいつの末端に入り込め。」
「ハア?お前、何言ってんの?」
グランドが、ニッと笑って空を仰ぐ。
そしてしばらく後、俯くとクスッと吹き出しロイドの顔をちらっと見た。
「いけないねえ、職場からアダルトサイトはいかんよ、ロイド君。」
「な、なんでそれを・・あっ!マジかよ!お前・・」
「間取りは頭に入れました。じゃっ!」
「待てっ!」
今度は裏手へ回ろうとする彼を、またロイドが掴む。いい加減うんざりして、その手をグランドがペシッと払った。
「俺はね、何と言われようと親玉のアジトを掴むの!そんなに心配なら、表で騒いで奴らの気を引いてよ!」
ふーむと、ロイドが少し考え込む。
そしてパッと顔を上げた。
「ヨシッ!分かった。そのかわり、5分だ。」
「ケチだなあ、でも無いよりいいや。それじゃあ5分後。」
「ラジャー。」
何だか丸め込まれたが、ロイドが闇に消えるグランドを見送る。
これでもし、彼らがここを引き上げるようなことがあれば、ロイドは始末書に降格物だ。
「やっぱな、巻き込まれるなってのは難しいぜバアさんよ。」
局長の怒鳴り声が幻のように頭によみがえる。
ロイドは大きな溜息をついて時計を確認し、頭で何度もイメージトレーニングをはじめた。

 スルスルと、塀の上を歩いてビルの裏手へ向かう。
サスキアも、最近はマンションが一般的だが、最初の頃に移住してきた人達は一軒家に住んでいる人が多い。早い者勝ちというわけだ。
そしてこの中心部も、裏に回ると古い家が多いのだ。
最近は家事情からアパートやマンションに建て替える人が多いらしいが、この辺は一軒家が多く、雰囲気が落ち着いている。まあ、表に回れば飲み屋がずらりと並んでしまったのは、住人の意に反しているのかも知れない。
 グランドが塀の上で先を急ぎながら、小さな家でも一軒家が何となく羨ましくて、チラチラと見回す。
塀から家々の窓は丸見えだ。
この時間ではほとんどの家の電気が消えているが、明るく庭を照らす家からは騒がしいテレビの音が聞こえてきた。
「いいなあ、平和でよ。」
プイッとして先を急ぎ、ビルの裏へたどり着く。
正面が2階東南側の窓だが、ブラインドの向こうには明かりは見えない。
パソコンがあるのは、ロイドの情報が変わらなければこの隣り、2階は東北の部屋だ。もう一つ、3階にもあるようだがはたしてどちらが大切な用件に使われているのか。
やましい奴らだ、不正アクセスされやすい、無線LANは使っていないだろうから恐らくはデスクトップだろう。
ポチで見ると、屋上には衛星通信用のアンテナが見える。
すると、配線はそうそう替えないだろうから、今も場所は変わらないだろう。
「と、願いたいね。」
さて、足場を考えながら、慎重に窓へと近づいてゆく。こう言うことは、身軽なレディの得意種目だが仕方がない。
窓の様子をうかがうと、ガラスには警報装置が付いている。ガチャンとやると、けたたましく鳴り響くあれだ。
「チェッ、どうするべよ。」
ビルを囲む塀を渡り歩いていると、運良くトイレの小さな窓が開いている。
はたしてそれを、ラッキーと言って良い物か、パンッと腰を両手で挟み、その幅を計って窓枠に遠目で当ててみる。
枠にケツがガッチリはまったときは、いい笑い物だろう。

ぬぬぬ・・・一か八かだ。

壁の出っ張りに飛び移って、スススッと横に移動する。そして何とかトイレまで忍び寄り、中に人がいないのを確認すると・・・中は個室だ、当たり前か。
覚悟を決めて飛び上がった。

くくくくくく・・・うおおおおお・・
ぬうううう・・・こなくそおお・・!!

肩だ、肩!肩が引っかかる!
いてえ!いてえ!すり切った!うおおおおお!!
左手が抜けないっ!
ぎやあああああ!!いてえいてえ!
ケツが!セイバーが引っかかった!どーしよ!
あ、あ、あ、大事なとこが潰れる!
ひいいいい!!いだい!ううう・・おおお・・

頼むから、今気付いてくれるなと願いながら、無様な格好で何とか侵入は出来た。
何も落としていないな、と窓の内外を確認する。
そうっと窓を閉め、ドアを開けて外をうかがった。
廊下には暗い電気がつき、廊下は鍵のように曲がってそちらに人影がチラチラと行き来している。
ぼそぼそと聞こえる声からして、3人のようだ。
バタンッ!
バタンッ!
『何だ?』
『下に、ポリスだという男が・・』
『こんな時間にか?今は司祭様がいない。俺達だけで上手く対処しないと大変なことになるぞ。
何人だ?』
『それが一人なんで・・』
足音と共に声が遠くなる。

そうっと、忍び足で出ると例の部屋を目指した。

司祭・・やはりあの女か、不在とは残念。ならば情報だけは頂いていこう。

カチャ、静かにノブを回し、そうっと開く。
中は結構広く、ちょっとした会議室と荷物の梱包作業をする部屋のようだ。
デスクと椅子が乱雑に並び、箱や梱包に使う材料が山積みされている。
そして目的のパソコンは、向かいの壁際にあるデスクに備え付けてあり、電源もいれっぱなしだった。
やりっ!グッと指を立て、そうっと進む。

「ンンガアア・・グウウウゥゥゥ・・」

ドキッと飛び上がった。
デスクで見えなかったが奥のソファーに一人、男が寝ている。
どうやら熟睡して、起きる気配はない。
そうっとそうっと忍び足で、腰を低く落としてパソコンに忍び寄る。
そうっとパソコン本体に手を伸ばして手を添える。
スウッと手が、まるで同化するように表面に沈む。

ポチ、シンクロして入り込め。中の情報を全て盗む・・じゃなくて、ちょっと落とさせて貰うんだ。
・・・いいの!怒られても、首になってもいいよ!

目を閉じ、余計な情報をカットしてグランドはポチとパソコンのコネクタ役に徹する。
この状態は、グランドにとって丸腰で一番危険な状態だ。これを補佐するのがレディの役目だったのだが、今は誰もいない。
ロイドが外で気を引いてくれるが、はたしていつ戻ってくるか冷や冷やする。
3階のパソコンも繋がっているので、そちらも全てを読み取っておく。
それは大した時間ではないのだが、そのうち何通かメールが飛び込んできた。
どうする?と、ポチが聞いてくる。
もち、読んじゃいましょう。

『・・・・により、羊を1匹確保。羊は女、バッファローは指示により・・』

なに?何が捕まったって?羊ってなんだ?
羊なのに、バッファロー?なんじゃそりゃ?

『・・に囚われたカラスは落ち、シルバーフォックスは毛皮になった・・』

今度はカラス?シルバーフォックスって、まさか!!いや、違う、絶対違うさ!

「貴様、何をしている!」
真後ろで声がして、グランドがビクッとパソコンから手を引き抜いた。
振り向くまでもなく、銃を突きつけられていると予想できる。
この場合、あいつなら・・
ギリッと歯を噛みしめ、バッと横しまに飛び、瞬間に後ろへ蹴りを繰り出す。
「なに・・っ!うおっ!!」
それが上手い具合に男の膝をさらい、ガクッと膝を崩して男がひっくり返った。
ガターンッ!パンパンッ!!
男はひっくり返りざまに思わず引き金を引き、天井に弾を撃ち込む。
バッとグランドがその銃を蹴り飛ばし、男のみぞおちに一発拳を突き入れる。
ガチャン!ドッ!「ぅげっ!!」
銃が部屋の隅まで飛んで行き、突きが効いてガクッと男が気を失った。ホッとする間もなくドアの外には足音が迫ってくる。
「逃げるが勝ちさ!ごちそうさまでしたっと!」
グランドはパンッとパソコンに手を合わせ、窓を開けて漆黒の夜の闇に飛び降りた。



 2人は一旦合流したが、ロイドはそのまま残って応援を呼び、中にいる4人を捕らえるという。
グランドは車を運転しながら、管理局に連絡をいれた。
『グラちゃん謹慎中でしょ!』
通信部当直のサラが、声を潜めて言う。
それは、通信室に上司がいることを暗に示してるのであろうから、グランドはドキッとした。
「誰か、いるの?アハハ、局長だったりして・・」

『グランド!謹慎中はどうした!』

ひいいいいっ!!出たっ!
「いや、俺も色々と・・情報収集に走ってまして・・」
『調査部がいきなり忙しくなったようだしな。
迷惑ばかり局中に広げて、お前達ペアの評判はがた落ちだ。その上・・』
「その上?」
あの局長が、大きな溜息を一つ。
『お前達の特別管理官という肩書きも地に落ちたのか?それとも状況が一変したのか?』
「何かあったんですか?」
局長が何を言いたいのか、まったく腑に落ちない。
『何でもいい、さっさと来て、お前の持っている情報を全て解析にまわせ!』
次第に局長の声が、いつになく切迫して来る。
何か変だ。
いつもならグランドがアジトに勝手に潜入したことをとがめるだろうに、そんな様子もなく、最後には持っている情報全てを解析に回すよう指示を受けた。それは謹慎中の行動を容認する、この局長らしからぬ発言だ。
「いったい、どうしたんだ?なにがどうなってんだよっ!」
局長は、謹慎処分中のグランドに話すべきか迷っているように聞こえる。
まったくムカツク。
これ以上、何があるってんだ。
「局長!はっきり言えよっ!」
通信の向こうで、局長の大きな溜息が聞こえ、ようやく踏ん切りが付いたのか、そしてようやくそれを告げる。

『セピアが、拉致されたわ。』

ガーンと、グランドは頭を誰かに殴られた気がして一瞬めまいがした。
「うそっ!あの馬鹿力が!どうやって!」
『分からないわ、ブルー、動転してて。
・・・とにかく局へ急ぎなさい。話はそれからにしましょう。』
通信を切って運転しながら、グランドの頭にはセピアとレディアスの顔が、姿が、次々に浮かんでは消える。

”バッファロー・・確保”
”シルバーフォックス・・毛皮?”

まさか・・まさか・・まさか・・

消息不明・・拉致・・まるで無縁だった言葉が次々と巡って、気が付けば頬を涙が伝ってポタポタと腕に落ちる。

ブブブブーッ!!

キキッ!
クラクションの音に驚いてブレーキを踏むと、信号が赤なのに交差点に飛び出していた。
頭の中で、ポチがエマージェンシーを鳴らす。
「ごめん、ごめんポチ・・」
しっかりしろよっ!グランド!
自分に言い聞かせながら、涙を拭いて前を向いた。

まだだ・・まだ・・

心の中で、何処か大丈夫だと繰り返す。

二人は生きている。

大丈夫、二人は生きている!

そう確信が持てる兄弟間の繋がりを、今は信じよう。
当てのない確信で不安を覆い隠しながら、赤い信号が青に変わったとき、グランドは思い切りアクセルを踏み込んだ。

 山間の静かな村に、朝日が射し込み清々しい風が吹く。
その小さな村は、ほんの十数軒の家が建ち、細々と木材や木工芸品で生計を立てている。
以前は輸入木材に押されて値崩れを起こし山も荒れていたが、あるきっかけから木材を売るルートが上手く出来上がり、値が安定したおかげで山は手入れが行き届いて、木を切る先から苗を植え、今は良い状態が保たれていた。
村に一軒ある宿も、最近は移住希望者が下見に来て泊まる者が多い。
ここの木材はカインでも高品質なので、最近は他のコロニーへ輸出の話も来ていた。

 村長が、相手の男に深々とお辞儀する。
村長の後ろにいる4人の村人も、一緒に頭を下げた。
「では、手をお貸し願えるんですか?」
「ああ、あなた方は何も心配いらない。
こちらでちゃんと輸送の手は打ちますから。」
村長達の顔に、ホッとした表情が浮かび皆で顔を会わせる。
「どうぞ、おかけになって話を進めましょう。」
「はい、では失礼して・・」
楚々と村人達が座る。
粗末な応接セットに恐縮しながら、とにかくと村長は夫人に上等のお茶を入れさせた。
男はきちんとしたビジネスマン風ではあるが、その後ろにいる2人は白装束に白いベールで顔が見えない。
しかし、相手はこの星でも巨大になりつつある、ちゃんとした宗教家だ。信用はあっても、何処か不安だった。
「あなた方は木材を用意していただければ、こちらで配送手続きは致します。
このカインで、輸出の出来る物というのは珍しい。きっと成功させていただきます。
コロニーでは、酸素の供給問題もあって森は保護対象です。ですから木材の需要も多い、大丈夫です。」
自信たっぷりに男が言うと、後ろで二人が頷く。
「このカインは貧しいところが多いですが、サスキアのような都市ばかりでなく、このような地方でも産業を成功させ、発展してもっと豊かにしていきましょう。
私達もそのお手伝いが出来れば、この上ない喜びです。
御子様も、あなた方の力になるようにと、このプロジェクトには多額に投資するようおっしゃいました。
安心してお任せいただいてよろしいのですよ。」
優しい女性の言葉に、村長も立ち上がってまた頭を下げた。
木材の輸送ほど金がかかる物はない。
大型の輸送トラックに、コンテナ、宇宙に出るなら輸送用宇宙船の手配など、こんな小さな村ではどうしようもない事業資金がいる。
「今でも、カイン中に木材を売って貰って、こっちは本当に助かっているんですよ。それが今度は宇宙だなんて・・夢のようです。」
「それだけここの木材が、大変高品質だと言うことです。私達も輸送の手助けが出来て、本当に嬉しく思います。」
にこやかに双方が固く握手して、それではと別れた。
村長達が、近くの修行場へ帰るためRV車で走り去る彼らを見送ると、思わず笑みがこぼれ出す。
「いや、良かった!これでもっと村も大きくなるぞ!人も増えて、道をもっと整備して、もっともっと村を良くして、もっと豊かになるんだ!」
村中に声が響くかのように、村長が大きく声を張り上げる。
「本当に、何て美しい人達だろう。あんな綺麗な心を持ちたいねえ・・」
この村にも、彼らの宗教「ヴァイン」に入る者が増えている。
生活の安定を図って貰うことで、恩ある御子様に忠誠を誓う者も多い。

そうして、このカインのあちらこちらに、「ヴァイン」の修行場が増えている。
修行場は教会であり、清楚で美しい白い建物は救いを求める人々の最後の場だと噂されて、このカインでも貧しい地方の救いとなっていた。

 村を出たRV車が山道を走り、村からは相当離れた山中の修行場を目指す。
そこは山中とはいえ開拓した畑を有し、広い敷地にはトラックの出入りが激しい修行場だ。
彼らが何をしているのかは誰も良く知らない。
近くに住む者は、ここで作物などを作り各地の修行場へ配送すると聞いている。
しかしその作物も、野菜はほんの一部で山間の広い畑に美しい花が時折咲いているのを見た者は少ない。
これが何の花かは分からないが、その生育にはこの高地が向いているらしい。
そして修行場は、主にこの花を精製して作る薬品工場と化していた。
 「小銃の手配は出来ているのですが、取引が成立せずなかなかコロニーから配送が思うように進みません・・」
走る車の中、女性の声の白装束の一人が困っているようにして男に告げた。もう一人の白装束は、ベールを取り運転しながら、バックミラーで男に笑いかける。こちらは若い男だ。
「こちらは予定どおりです。
木材の中にはいつものように”薬”と、コンテナには注文の品を。
最近は新型が手に入るようになったので、先方のリーダーは喜んでいらっしゃるそうです。」
「いいわね、そちらは軍やポリスのチェックが甘くて・・」
女性の白装束は、羨ましそうに溜息をつく。
対照的だが、カイン内の輸送は時間はかかるが問題は少ない。
「だからこうして御子様が気をお遣いになられたんだ。君たちが困っているのも、全て御子様はご存じだ。」
男が諭すように言うと、女性が「ああ・・」とうっとり溜息をもらす。
御子はいつも、自分の隣りに寄り添っているのだと改めて思った。
「木材の輸出は金がかかるが、確かに宇宙港の検査は厳しいからな。
大量に薬を出すにはいい隠れ蓑か。
カインは輸出できる物が少ないから、これを外したらまた次を捜さねばならん。」
「ええ、以前コンテナを2重にした時もばれましたから。カインは輸入は多いですが、輸出できる物が少ないので苦労します。」
2重コンテナで見つかったときは、一人の信者が罪を被った。今でも服役中なのだ。
「木はどうとでも細工できるが、失敗は許されない。上手いこと細工してばれないように。」
「承知しています。それは重々。」
ゴトゴトと、悪路を走る先に修行場が見えてくる。
悪路はしかし、それでも最近道幅を広くしたおかげでトラックも楽に走り抜けられるようになった。
ここで事故でも起こされては元の木阿弥だ。
「一応、木材運搬が増えると思いますが、道が悪いのでふもとの方に配送基地を新設しています。
木材運搬用のトラックは大型ですから。」
「来月には完成予定です。コンテナの手配も済みました。」
二人の報告に、男が納得して頷く。
そして肝心のあれを思い出し、そっと声を潜めて聞いた。
「で?捕らえた暴れ牛は?」
運転する男が、あっと思いつき声を潜める。
報告を忘れていた。
「すいません。バッファローは鉄の檻に入れ、更にコンテナに入れて先のトラックで発送済みです。良かったでしょうか?」
男が、良しと頷く。しかし、はたしてコンテナで十分かは確信が持てなかったが・・・
バッファローは、見かけは可愛い女の子だが、突進すれば鉄さえ軽く曲げることの出来る怪力の持ち主なのだ。
「あとのことは、御子様にお任せしよう。
側近の方の指示なのだ。もう1匹も捕らえられたら良かったが、2匹追って1匹も捕らえられぬよりよかろう。」
「羊は、逃げ足も早いですから。」
「我らが神祖のために、リブラ・フリード。」
「リブラ・フリード」
「リブラ・フリード」
静かに、それでいて力強い彼らの合い言葉には、強い意志が込められたオーラが光り輝いているようだ。

リブラ・フリード

フリードの旗の元に、自由と平等を!

このカインでの苦しい生活で、心に沸き立つ不満。
地方では荒れた土地に、いくら汗を流しても生活は楽にならず、水道も下水も道路も電気も整備ははかどらない。
中心地の都市ばかりが発展して、その生活格差に不満は膨らむ。
またその大都市では、事業が成功した者とその下で働く者との貧富の差は歴然として、方や広々とした豪邸の広がる高台の住宅地の元、それを見上げるように小さな家がひしめき、小さな部屋を並べたマンションが並ぶ。

自由を求めて移住してきたこの地で、生活に縛られ自由を感じないのも無理はない。
人々は自分に中流意識を必死で植え付け、不満を押し殺して生活していても、それを解放してくれる「何か」を待っているのだ。

リブラ・フリード

何かが始まる気配───

それを信じて「ヴァイン」に入信した信者には、皆その言葉が美しく感じられていた。




 そこは、山を越えた森の中だった。
サスキアより、ヘリでどのくらい飛んだだろうか?
昼間、日をずっと背にしていたのを考えれば、随分北上したのだろう。
レディアスは先程取ったヘビを手に、鬱蒼とした森の中どこか休む所を捜した。
休むのにいい枝はないかと、辺りに目を配りながら捜す。
森は日の光を求めて枝は高く高く伸び、陰になっている下の方は枝も細い。

身体が・・・だるい・・
思うように、動かない・・

じっとりと濡れて身体に張り付くシャツは、汗なのか濡れたのかはっきりしない。
着ているアーミージャケットは、すっかりあちらこちらが破れてボロボロのくせに湿気を吸い、信じられないほどに重く感じる。

はあはあはあ・・・

胸が、熱い。

薄暗い中をモタモタと歩いていると、地面に生えたコケでずるりと足を取られた。
手を付くと、左手のヘビがしっかりと手首まで巻き付いたまま硬直しているのが目に入る。

こんな物、昔は貴重な食い物だったな・・

気が付けば、食べる物を無意識のうちに捜していたのか、昔のクセでつい動く物にナイフを投げていた。
火は無い、無論皮を剥いでそのまま食うのだ。

”頼むから、普通の物食ってくれよう!
 ヘビ嫌いだ!こんな物食うな!”

バタバタする、ブルーがふと目に浮かぶ。
木の根元に座り込み、絡まったヘビをはずしてポイッと後ろに投げた。
「ブルー・・・普通の物って、何だ?」
呟いて視線を上げ、辺りを見回す。
返事は無論、無い。
森はシンとしている中を、鳥や虫の声が涼やかに響き渡る。
「グランド・・・・」

一人は・・・嫌だ・・・

ぼんやりした頭で、ポケットを探る。
ポケットの中にこつんと髪飾りが当たり、そうっと取り出してツヤツヤとした表面を撫でた。
もう、何度撫でただろうか?
今日はすでに2日目。
ポケットから取りだした髪飾りは、アレク博士が言ったとおり、壊れやすいピンの部分が壊れて機能しない。
壊れていなければ、と思うだけ持っていると腹立たしくもある。
まるでドアを隔てた向こうに、グランドが立っているみたいだ。

 昨日・・・・
ヘリに侵入し、操縦席の男を脅してあれから数十分・・それとも数時間も過ぎたのだろうか?サスキアからは、かなり飛んだと思う。
ナイフを突き付け、ただ来たところへ帰るように言った。
操縦する男も一人ではどうすることも出来ず、大人しくそれに従ったのだ。

「我々の所へ行って、どうするつもりだ?」
「たった一人で乗り込んでどうする!」
「無事に行き着くと思うのか?」

饒舌な操縦士も、無言のレディアスの殺気に押されて、次第に言葉少なになっていく。
レディは後ろに立ちながら、じっと不審な動きをしないか見張り、男の気の乱れで迷いを感じ取る・・今思えばそうした集中力が、病み上がりの彼にそれだけ続いたのは驚異的だっただろう。
しかし、それが次第に落ちるのは、体力的にも否めなかった。

 緑の絨毯の上を飛行していたその時、男が不意に顔を上げ、通信の回線を開いたのだ。
「ジャックされた!こちらは・・!」
レディがガッと男の頭を殴り、通信回線のスイッチを切ろうとする。
手を伸ばした刹那、向こうからは有無を言わせぬ言葉が返ってきた。

『自爆せよ、同士、リブラ・フリード』

「了解!リブラ!フリード!」
男が決意してそう返事を返した瞬間、レディは半壊していたドアを蹴破り外へ飛び出した。

ドオオンッ!ボンッ!ゴオオォォォ・・・

背後で爆発音が空気を揺るがし、大小の破片が飛んでくる。
それがどのくらい身体に当たったのか、一瞬意識が途切れ、森の木の上に落ちたとき意識を取り戻して何とか着地した。
森の木が、クッションとなったのは運が良かったと言える。
バラバラと散ってくる破片を避けるように、ダッとその場を逃げ出した。
これだけの設備を有する相手なら、ここを探索に来るか、それとも放って置くか。
探索に来る可能性がある以上、離れた方が懸命だろう。
それに何より、落ちるときに見た気がしたのだ。森の向こうに、巨大な邸宅の屋根を。

あれが、目的地か・・?
いや、それにしてはあまりにも近すぎる・・

半信半疑で、それでも森を出るのが先決かと判断した。
墜落地点からある程度距離を取った後は、ひたすら歩いてそこを目指す。
ナイフ一本のサバイバルは、苦しかった昔を思い出した。
食べ物には困らない。
レディは虫や爬虫類、小動物を食べるのに抵抗がないからだ。
ただ、楽な生活に慣れた今は、火が無いことが辛く感じる。
そしてじめじめとした中で厳しい朝夕の寒さ。
病み上がりの体力を消耗しきるのに、大して時間はかからなかった。
その上それを後押しするような、悪寒と交互に来る発汗。
吐く息は熱く、倦怠感に集中力を欠いて歩くのもままならない。
すでに、森の出口は近いと思われる。なのに足が進まない。
こんな森を抜けるのにこれ程に時間がかかるとは、普段の彼から想像も付かなかった。

 グッタリ木に寄りかかると、ばらりと髪が顔に張り付いてくる。
今朝、濡れて重くなった三つ編みをほどいたが、顔にかかって鬱陶しい。
すでに髪をまとめる気も起きずに、腰のナイフを抜いて髪を掴んで刃を当てる。
短く切ろうとして、止めた。

この鬱陶しさがあるから、願掛けも効果があるのかな・・

この状態で、今更願掛けもないか・・・

”願いが成就する前に、命がなくなっては意味がないだろう”

そうだな・・

先日会った、ザイン少佐の言葉がふと浮かんだ。
全くだ、変なもんだな・・
森を彷徨うようになってから、人の一語一句が浮かんで仕方がない。
人の気配がないからだろうと思う。静かなのに、頭の中は騒がしい。

”レディはさ、寂しがり屋だもん”

笑いながらセピアがしゃがんで覗き込んでいる。
幻覚か?手を伸ばせばセピアは消える。
その向こうに、今度はゆらりとグランドが立って向こうを向いていた。
どうしてグランドは、こっちを向いてないんだろう・・
「グラ・・ド・・」
幻だとわかっているけど、手を伸ばして声を掛けてみる。
しかし幻は振り向かず、身動き一つしない。

さびしい・・・

グランド、怒ってる・・?

”足手まといがいなくなって、せいせいしてるさ!”

いきなり目の前にあのブル−のクローンが立って、ニヤニヤとレディを見下ろしている。
またお前か・・
「き・・え・・ろ・・!」

”人形!お前は空っぽの人形さ!”

うるさい、うるさい、うるさい!

グランドの姿はすでにない。
溜息をついて目を閉じ耳を塞いだ。

だから、だから殺そうと思ったんだ。
だから、あいつの所へ行くと決意したんだ。

グランドが、みんながこれ以上俺を嫌う前に、嫌われる前に。
あんな奴の記憶を消し去るために。

心に掛かった靄が、あいつを殺せば晴れていく。きっと。
きっと、俺は新しくなれる。

”なれるわけないさ、お前は何も変わらない!
アハハハ、ヒャハハハハ!馬鹿な人形が!”

「うるさい!うるさい!消えろ!消えろ!」
嫌だ!嫌だ!嫌だ!

やがて、彼の姿はスウッと滑るように遠くへ消える。
ようやく静かになって、一息ついた。

ああ、疲れる・・とうとう、俺、頭に来たか・・

気が、狂うのかな・・いや、昔、戦場であれ程幻覚に苦しみながら、こうして正気を保っている。
空腹か、乾きか、熱のせいだ・・・

昨日、湧き水を飲んだあと、水を見失った。
水を捜さなきゃ、そう思っても足が動いてくれない。
どうしてこんなに身体がだるいんだろう・・・頭がはっきりしないんだろう・・
ぼんやりした目を、ゆっくり開く。

『だって、まだ退院して10日だよ。無理なんだよ』

目の前で声がして、ハッと顔を上げた。
また、幻覚だろうか?
エディが目の前に立っている。
レディアスはフフッと笑ってガックリと俯いた。
「エディ・・」

あの世から、迎えに来たのかい?
それとも・・・のたれ死ぬ俺を・・笑いに・・・

スウッと意識が消える。
ズルズルと横に倒れる身体に、エディがサッと手を出し座ると膝に乗せた。

『馬鹿だよ、こんな無理してさあ』
『まだ、身体が戻ってないのにね』

エディの身体に、透き通ったシュガーの姿が重なる。

『誰か、来るよ』
『誰か、来るね』

レディをそっと地面に横にして、2人が立ち上がった。

ヒュオオオ・・ザザザザザ・・・

風が吹いて、大きく森が揺らぐ。
気配を消して、何かが近づいてくる。

『行く?』
『行こう』

エディとシュガーは二つに分かれ、大きな光の玉となってそれに向かって飛んでいった。

2つの光が木の間を高速で飛び、やがてその先でクルクルと螺旋に舞う。

「キャ、ア、ア、ア・・」パンパンパンッ!!

銃声が森に響き、身体にフィットした紺色のツナギを着たショートカットの女性が、走り出そうとして木の根に足を取られ、ザッと転んだ。

光は一つになり、またエディの姿を取る。

「キャッ!何?これは何?!森の・・森の亡霊?!」
女性は銃を落としたことにも気が付かない様子で、あたふたと這うように逃げてゆく。

『キャハハハハ!!アハハハハ!!』
『ウフフフフ・・・』

楽しくて仕方ない様子で、エディ達はまた光となって女性のまわりを回り、とうとう彼女は泣き出して身体を小さく丸めてしまった。
「あああああ・・・!!誰か・・誰か・・」
ポロポロ涙を流し、ブルブル震えながら泣きじゃくる姿に、光がまたエディの姿を取る。
そうっと彼女を覗き込み、その場にちょこんと座り込んだ。

『泣いちゃったよ』
『泣かせたんだよ』

『だって、楽しかったのに』
『エディはね』

フワリと交差する2人の姿に、女性が恐る恐る顔を上げる。

『あ、お姉ちゃんクローンだ!』
『何だ、クローンだ』

キャッと笑う2人をキョトンと見る、泣いて赤くなった女性の瞳は、真紅に輝いていた。
「あなた達、なあに・・?」
うつろに問いかけると、キャッとエディが光り輝いて舞い上がる。それを追いかけるように、透き通ったシュガーが舞い上がった。

『助けてくれる?』
『どうだろう』

『悪い人じゃないよ』
『泣いちゃったもんね』
『キャハハハ!!クローンなのに、泣いちゃった!!』
『可愛い!』

エディはうっすらとシュガーと重なり、別れては何やら話し合っている。
クローンの女性は身体を起こすと、涙を拭いてそれを見上げた。
「一体・・何?これ・・」

『助けて!助けて!助けてくれる?』

クルクル回りながらエディが降りてきて、女性の顔を無邪気に覗き込む。
「何を?何を助ければいいの?」

『こっち!』
『大丈夫かな?』

『信じよう!泣き虫に悪い人いないよ』
『泣き虫は、いい人なの』

『キャハハハ!そうだね!』
『アハハハ!なあんだ、そうか!』

『こっちだよ、お姉ちゃん!』
『こっちこっち!』

エディ達の姿は二つに分かれ、一つになり、ユラユラと揺れている。
やがて彼女を信じることに決まったのか、エディとシュガーはまた今度はしっかり一つになって、フワリと浮き上がり彼女をレディアスの元へと誘導していった。

 ブオオオオオオ・・・・
山道をグルグル登り、やがて上り坂を越えて下りにはいる。
舗装なんかしていない道は、ジャリジャリとタイヤが石を踏みしめ、方や山肌、もう一方は崖っぷちと命も縮まる思いだ。
もちろんガードレールなどあるはずもなく、運転手はピリピリと神経を集中し、仮眠を取る相棒が憎々しくもある。
道幅いっぱいにコンテナを積んだ大型トラックが通るたびに、パラパラと小石が崖を下り果てなく崖下を目指して落ちて行く。
この難所が、一番神経を使う。
「・・・ん、ああふぁ・・おい、そろそろ変わろうか?」
ようやく相棒の若い男が起きてきた。
この山を越えたらもう一つ山がある。
しかしそちらはもう1本の道と合流するので、この山よりも道幅があって運転は楽だ。
「ああ、悪いが、いいかな。この道は本当に疲れるよ。」
「よし、待ってな、顔拭いてくるよ。
しっかり目を覚まさないとね。」
ホッと、運転する男が肩を解す。最近年なのか、目が疲れやすい。
確かこの先に離合用に道幅が広くしてあるところがある。そこまでと、一息つきながら先を急いだ。

ドーーーンッッ!!

「うおっ!!」「わっ!」
車がグラグラ揺れて、思わずブレーキを踏んだ。
「な、なんだ?」

ドカーーンッ!!

「ひゃっ!」
「後ろ!後ろだ!!」
車を止めて、慌てて運転席を飛び出す。
後ろのコンテナに、銃を構えて2人そろそろと向かった。
中は何が入っているか知っている。
色々な物資に、あとは鉄の檻に入ったバッファローと呼ばれる女の子。
しかしその彼女は眠っているはずなのだ。

ドーンッ!ドカーンッ!ゴンゴンゴンッ!!

見る間に、コンテナのドアがボコボコに膨らんでくる。まるでミサイルが、コンテナの中で飛び回っているようだ。
男達2人は、あまりの驚異にすくみ上がった。
「ど、どうする?」
「どうするって・・こんな、人間じゃないぜ!」

ドガーーーーンッ!!

「ひいいっっ!!」

「おしっこーーーっ!!」

小さな声が、コンテナからこぼれた。
「え?え?」「何か聞こえた・・」

「おしっこいきたいよーーっ!!」
ドンッ!ガンッ!ドガーンッ!!

「お、おしっこ?」
「小便かよ?」

ドンッ!バーーーーーンッッ!!

「ギャアアア!!開いたっ!!」
2人がひーーーっと悲鳴を上げて、あたふたと逃げ出す。
めちゃくちゃに曲がり、開け放たれたドアのコンテナの中には目がすわった、セピア色の髪をショートカットにした小柄の女の子。
鮮やかなピンクのツナギが、非常識に目立っている。
「ウウウウ!!オシッコに行きたーい!」
トンッと車を降り、辺りを見回す。
しかし、トイレはもちろん無いし、ヤブもない。あるのは舗装されていない道だけだ。
「ちょっとあんた達!」
「は、はい!!」
「あっちでするから、見たら殺すわよ。」
「は、はい!」
タッタッタッと、女の子は車の前に消える。
男達が、キイキイと開いたコンテナのドアを覗き込むと、中にある鉄の檻は柵がアメのように曲がっている。
ゾッと顔を見合わせすくみ上がっている2人に、今度は車の前方からまた声が聞こえた。

「紙ーー!!紙がない!持ってこーーいっ!!」

「はい!はい!はい!」
若い男があたふたポケットからティッシュを取り出し、車の側面まで駆け寄って手だけをそうっと前方に差し出した。
パシッと手から、紙を奪い取られる。
腕の関節が、ギクッと悲鳴を上げた。
「う、う、ま、まさか・・」
手首がブランと下がっている。
まさか・・折れた?!!

「うーー、何かさっぱりしたあー!んーーーっかあっ!と!」

パンパンッ!服を整え、キュッと革の手袋を付けて伸びをしながら女が出てきた。
腕を押さえたままうずくまる男に、あら、と気が付いてにっこり笑う。
「えへ、ごっめーん!またやっちゃった!
寝起きはどうも、力の加減がつかなっくってえー、えへ。」
えへ、と言われても、この力は異常だ。
バッファローの意味が分からなかったが、身をもって合点がいった。それも、今となっては手遅れだろう。
「ツナギってさあ、きれーに脱がないとオシッコできないのよねえ、不便だわあ。
あらー綺麗なとこじゃん!ここ、何処?何処行くの?」
拉致されたことに少しも慌てる様子もなく、男達を無視して今度は景色を楽しんでいる。
2人が怯えながら銃を構えると、震えながら何とか声を出した。
「こ、こらっ!コンテナに戻れ!撃つぞ、撃つぞ、う、撃つぞ!!」
「ねえ、あたいを特別管理官と承知でどっかに連れてってんのよねえ、どこ?」
にっこり、女はまったく恐れを知らず、ズカズカと近づいてくる。
スウッと手を男達に向けて差し出したとき、若い男が思わず銃を撃ってしまった。

ダーンッ!!・・ダーン・・ダーン・・

銃声がやまびことなって帰ってくる。
初めて人を撃ってしまった恐怖に、思わず目を閉じた男が顔を上げると、女はにっこり微笑んで焦げ臭い手袋を広げ、手の中の発射された後の弾を見せた。
「ハーイ!セピアちゃんの手品でしたー。」
男達が、女のやや童顔ぽい顔を唖然と見る。年を食った方の男が、ブラリと先に銃を下ろした。
「あの、偉い方の所へお連れしますんで、コンテナに戻っていただけませんか?」
セピアが、ンーッとコンテナを見る。
そしてにっこり笑い、プルプル首を振った。
「あたい、もう充分寝たもん。オッチャン達と一緒がいい!前がいいの!」
暴れ牛がシナを作っておねだりする。
「ハア、でも汚いし、狭いですよ。
それに・・・」
道を知られてはまずい。
しかし、セピアはそんなことお構いなしだ。
「あら!いいわよ!だってこちらの人が後ろに行くから。」
「え?」こちらとは、若い男の方だ。
「怪我してるし・・ね?」
甘い彼女のささやきは、はたして天使か悪魔か。
若い男をコンテナへ放り込み、ギリギリと軋む音を上げてドアを無理矢理閉めて、ルンルン助手席に座る彼女は、はたして崖崩れや転落よりも恐ろしい物に思えて、男はハンドルを持つ手が震えた。




 ヴァインとは、一個の宗教団体である。

それは純粋に一人の教祖を頂点に頂き、修行を経て教祖に認められた者が幹部となり、人々に教えを説いて精神的に救いを求める者が入信する。
かなり以前からあった小さな団体で、最初は信者も少なく知名度も低かった。
最初の教祖は人徳の高い中年女性だったが、顔にひどい火傷があったため、今のようにベールで顔を隠す習慣が定着した。
その女性が年を経て病に冒され、そして次の教祖に現在の教祖を指名したのだ。
とても美しい少年だと言われるが、誰もその顔を見た者はいない。

しかしそれからだ・・

このカインで、数年のうちに爆発的に信者を増やした。
原因は増員した幹部の多さと、その積極的な勧誘だけではない。
カインに来て、思い浮かべていた生活の落差への不満が、最近一気に膨らんできているのが大きいと言われている。
しかし普通に生活しても、人間は決して満足と感じる動物ではない。
だからこそ、そのスピードに個々の相違はあっても、順応性の高い動物で自然と不満は抑えられるはずだ。

何故、こうも信者が増え続けるのか・・

正式に信者の数は、二千人と伝えられている。
はたしてそれが本当なのか?
実際それは、ネット上の噂でその5倍とも10倍とも言われている。
それは、「裏ヴァイン」の存在が囁かれているのだ。
「裏」とは穏やかではないが、正体は良く知られていない。
噂だけが一人歩きして、それは豊富な資金源を生み出す密輸グループとか、カインを管理する軍に活を入れるテロリスト集団とか・・
ポリスも早くから気付いて目を付けているもののその結束は硬く、大多数の信者をつついてもまったく尻尾が出ない。

なにか・・
何かが起こる気配・・・・・

不気味な闇の中で、何かが蠢きはじめている。
それが目覚めて活動をはじめたとき、また「カイン戦争」が始まるのか・・・

「冗談じゃあないぜ!!」

グランドが叫んでドカッとソファーを蹴る。
蹴られた弾みに、ソファーがずるっとテーブルに迫り、向かいに座るミサとロイドがひょいっと足を上げた。
「まあまあ、落ち着けよ。椅子が可哀想だろ。」
一般管理官のブライスがソファーを戻して、グランドに座れと勧める。
しかしグランドはドンッと局長のデスクを叩き、噛みつく勢いで向かいに座る局長に迫った。
「あんな隠語使う奴らが、どうして何でもなくって釈放になったんだっ!!」
「グランド、法律に反してもいないのなら、それは拘留することは出来ないわ。
証拠不十分。
玩具、洋服、薬、それぞれルートをたどれば、ちゃんと出所ははっきりしているのよ。」
局長室の中、局長にロイドとグランド、そしてブライスに管理部のミサが調査部2人からの報告を聞いている。
リー局長が、書類を前に大きく溜息をついて、先日逮捕された「エクセルクラフト」の4人の写真を手にする。
押収されたパソコンは、ご丁寧にもすでに初期化されてディスクも全て割られていた。
つまりグランドのポチだけが頼りだ。
しかしグランドがデーターを落としたパソコンには、一見普通の貿易取引がうかがえて、最近は(古い分は削除されたのだろう)時々奇妙なメールが一方的に入っていただけだ。
例の、

「羊飼いにより、羊を1匹確保。羊は女、バッファローは指示により牧羊犬が神の御許へ送った。」
「フォックスに囚われたカラスは落ち、シルバーフォックスは毛皮になった・・」

だが、彼らはそれをただのスパムメールだとうそぶいたのだ。
何も怪しい情報が掴めない今、知らぬ存ぜぬ、まったく進展しない。
グランドの顔を見ても、ただの泥棒だと思ったとしか言わないし、社屋にも丁度荷物らしい物が何一つ無かったのだ。
時期を外し、失敗に終わった逮捕劇のこの責任は、表面上はロイドが問われているが、スタンドプレーのグランドとそれを部外者に監視させた局長にも一端はある。
とにかく、何かが見つからないと、見つけないと責任問題なのに見つからないのだ。
「くそっ!ブルーは?連絡無いの?」
「ああ、ディスクリーダーの調子が悪くてな。ただし本人からは連絡はないが、先程回収に行った支部の方からは連絡があった。
腕を負傷して治療中だそうだ。軽傷らしい。」
「ケガ?!ブルーがケガしたの?」
テレキネシスを自由に使いこなせる彼が、ケガまでする程緊急事態だったのか、セピアを連れ去られて彼の落ち込みようを考えると気が重い。レディを見失った、自分と同じ気持ちだろう。
焦りと、苛立ち・・
グランドが、その場をグルグル回って頭を抱える。
「なんか、俺なんか忘れてる。
う〜、思い返せ、思い返せ、ポチ!ポチ!俺の脳味噌かき回せ!」
「グランド、変なこと言うとポチが・・あ・・」

ドタッ!

グランドが、白目むいて倒れた。
ブライスが、ちらっと局長を見る。
「放って置きなさい。そのうち気が付くわ。」
「は、はあ・・」
「まったく・・」
ミサがハンカチを取り出し、立ち上がるとそばへ行ってグランドの目を隠すように額に置いた。
どうも、白眼丸出しは気持ちが悪い。
せっかくお気に入りのハンカチなのに。
「グラちゃん、替わりのハンカチ買ってね。」
ガッとグランドの髪を鷲掴み、コックリと頷かせる。
「じゃ、約束よ。」
にっこり微笑んでまた席に着くと、隣のロイドがゾッとした顔で肩をすぼめる。
「きょわい女。」
「あら、見てた?」
エヘッとミサが肩をヒョイとあげると、大きな胸がボヨンと揺れる。
向かいで見ていたブライスが、「おおっ!」と声を上げて局長に睨まれた。
「まったく、あなた達少しは真剣になさい!」
局長の怒鳴り声も虚しい。
各部署どん詰まりだ。

ピピッ!!

調査部の一人、レアルの胸で小さく携帯電話が鳴った。
「はい、レアル。・・・ああ、え?」
聞きながら、不意に顔を上げてニヤッとロイドに笑う。
「・・・ああ、良し、分かったよ、お疲れ。」
ピッと切って、立ち上がった。
「例の会社周辺の聞き込みで、女が一人上がった。
それと運の悪いことに、あの会社のロゴ入りの車が検問で逃げて捕まったそうだ。」
パッとロイドが明るい顔で笑う。
「そりゃあ、運が悪い。どこで?」
「サスキアの西、空港の手前さ。
ロゴは消していたらしいけど、このサスキアの日差しで周りが褪せてたんだとよ。
くっきり浮き上がってたとさ。」
「ま!お粗末だこと!」
「慌てて逃げようとしたんだろうさ。」
「で?中の奴は?」
「女と、男。一人ずつ。女は会社にいた奴と同じ、どうやら幹部クラスかも知れないな。
女を司祭と呼んで、男が逃がそうと暴れてポリスに撃たれた。」
「へえ、そりゃ怪しい。で、身柄は?」
「今はポリスに。こっちに移すとよ。」

「駄目だ、クローン研究所へ移せ。」

いきなりグランドが飛び起き、大きな声で叫んだ。
「何言って・・」

「どうしてそう思うのか。」
不思議に思う他の人間を制し、局長の声は冷静だ。
「そりゃあね、俺はそいつにこそ用がある。
思い出した、俺はそいつを捜してあの会社に忍び込んだんだ。
恐らくはダンドン村で出会った、ヴァインの司祭の女と同じ奴。」
「わかった、レアル!すぐに女をクローン研究所へ移送しろ!私の命令だ。余計なことは話すな。研究所へは私から連絡する。」
「了解。」
「じゃ、私達はポリスから情報を貰ってきます。女の供述と顔写真から情報収集を。」
バラバラと、皆が自分に出来ることを捜して散って行く。
「私はダンドン村の資料を再チェックして提出します。
あ!グランド!全部片づいたらハンカチ買ってね!」
ミサも、にっこりVサインしながら部屋を出ていった。
「は?何で俺が・・」
キョトンとするグランドが、局長にクイッと呼ばれてピョンッとそばへ行く。
他に誰もいないが、大きな声で言うことでもない。
「で?その女の特徴は?」
「恐らくテレパス。人間かクローンかは分からなかった、けど、会社にいたってんなら人間かな?集団催眠とかもやるよ。
それで幹部なんだろうな。ブルーには負けたけど。」
「成る程・・報告にあったあれね。じゃあ、研究所からも人を回そう。
逃げられる可能性があるなら先に対処する。」
「俺も研究所に行くよ。許可は向こうで貰う。」
「わかった、私から連絡を入れる。いいな、騒ぎを起こすんじゃないぞ。」
「了解!」
ダッとドアへと駆け込んで、はたっとグランドが振り向いた。
「俺の謹慎は?」
局長はハアッと大きな溜息。
「仕方ない、緊急事態だから解いてやろう。しかし・・・」
クワッと鬼の形相!

「いいなっ!!」

「ほーい!おとなしくしまーっす!」
怖いときは逃げるに限る。
とにかく今は、落ち着くことが先決だ。
道が開けたのはいいが、テレパス相手に何処までやれるか?
グランドは管理局の廊下を駆け抜けながら、胸がドキドキと不安よりもレディアスに少しでもに近づけるような、ほのかな希望で胸が躍った。

>>うつくしいもの1へ>>うつくしいもの3へ