桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

蓮池の蓮姫

(はす池のれん姫)

水樹が死んだおじさんから受け継いだ家の大きな蓮池、そこには人魚の蓮姫が暮らしていたのです。
彼女は力の源をおじさんに隠されて、池から動くことができないでいたのでした。
鮒(ふな)家老や鯉(コイ)女中、ガマ法師と蓮姫の従者達も楽しく、ちょっと異色の大人の人魚姫ファンタジー。

 うっすらと空が闇色からグレーへ、そして美しく朝焼けに染まる。
静寂に包まれる湖にも似た広大な池の、北半分を占める美しい睡蓮のつぼみがゆっくりと開いてゆく。
この広大な池は、平屋の古ぼけた民家にある荒れ果てた庭の一部だ。
郊外の開発によって周辺に建つマンションや大きな道路をよそに、ここだけは昔と変わらぬ風情がある。
池の周りを山に見なした樹が囲い、中央に石島を配して日本庭園風なその作りは、広さも相まって民家の庭にしては場違いにも思えた。
 水中ではスイスイと、この池の主かと思われる程大きな鮒が、深みへと泳いでゆく。
この池は、中央部の水深はかなり深い。
ただし石島を境に北へ緩やかに浅くなり、そこに睡蓮が広がっている。
そして最も水深の深いそこでは、青々とした水草のベッドに、この池の本当の主が横たわっていた。
「姫!蓮姫様!」
大きなフナが主に叫ぶ。しかし、主は起きる気配がない。
「姫!姫!一大事でござります!蓮姫!」
「おや?鮒家老どの、どうなされました?」
これも大きめの鯉が、驚いて寄ってきた。
「おお!鯉女中殿、姫を起こしてくれぬか?
ガマ法師が、今日こそは城の主が来ると予言しておるのじゃ。」
「おやおやガマ法師殿、今度は当てに出来るのかのう。これが3度目ぞ?」
「まったくじゃ。」鮒家老が溜息をついて、大きくエラから水を吐き出す。
「蓮姫様!鮒家老でございます!蓮姫様!
起きてくださりませ!」
うー・・もぞもぞもぞ・・
主人がようやく目を覚ましたようだ。
水草の間から、大きな、それは大きな魚の下半身がうろこを銀色に光らせ、ドレスの裾のような尾びれをひらひらと優雅に一打ちする。
そしてその魚の上体へと視線を走らせると、それはいきなり人の肌へと変わった。
緩やかに引き締まったウエスト、そして白い肌に艶めかしく豊満な乳房。
黒く長い髪は艶やかに日の光を反射し、美しく整った顔はやや彫りが深く、黒い瞳に長い睫毛が憂いている。そして左の目の下にある小さな泣き黒子は、その妖しげな美しさを一層引き立てていた。
そう、この池の主は美しい人魚なのだ。
「んん・・うるさいのう、先程から何じゃ。」
ふあああ・・眠そうに両目を擦り、はしたなく大きなあくびを鯉女中へと向ける。
「これ姫様!はしたない、殿方に見られたらいかがなさいます!」
「うるさいのう、誰もおらんではないか。
淑やかにお洒落しても、見てくれる殿がおらぬでは張り合いがない。
池も荒れ放題、わらわはここから出る事もままならぬ身ゆえ、どーせここで朽ち果てるだけじゃ。
どーせ、どーせ、後は死ぬのを待つだけじゃ。
どーせ、」
ゴロンゴロン転がって、髪を身体に巻き付けふて寝する。これが日課になっていて、どうにもしまりがない。
「姫様!縁起の悪いことは仰いますな!
いつの日かあの雨戸が開いて、次代の殿がおいでになりますとも!」
蓮姫が尾びれを腹立たしそうに一薙する。
「それじゃ!わらわは今、電気箱が見たい!
あの雨戸の向こうには電気箱があるのじゃ!
近くにあって見る事が出来ぬとは、口惜しや!」
「そこで姫、ガマ法師めが露占で、今日こそ新しい殿が見える日じゃと申しておりました。」
「何!まことか?!
うーむ、しかしこれが3度目ぞ。今度こそ本当じゃろうな?」
いぶかしげな顔で、蓮姫がさっと北の睡蓮に向かって泳ぎ出す。
しかし姫は睡蓮の手前で止まると、水面から頭を出して様子を窺った。
 サヤサヤと涼やかな風に、睡蓮の葉がユラユラと揺れている。
美しいピンクの花が、蓮姫にあいさつするかのようにポンッと音を立てて開いた。
ぐるりと見回すと、いつも睡蓮の葉の上に法師はいるはずだが、近くの葉にその姿が見えない。
しかも睡蓮がある所は、浅くて姫には泳ぎにくい。
「ここは浅瀬じゃから水が濁って嫌じゃのう。
鮒家老、法師を呼んで参れ。」
「は、承知いたしました。」
鮒家老がうやうやしく一礼すると、ついっと睡蓮の中に消える。
姫は眩しそうに太陽を見上げると、周りを見回して水中へと入った。
「蓮の花が美しいのう。あれを愛でながら酒を飲むと、さぞ美味であろうな。
早う次の殿が見えぬと退屈でボケそうじゃ。」
蓮姫が溜息をついて水面を見上げる。
「まことおいたわしい蓮姫様。
人間ごとき、神女たる蓮姫様の前ではお顔さえ拝することもままならぬものを。」
「いた仕方なし、鯉女中よ。
わらわがこうしてこの池に囚われておるのも、魚鱗の玉(ぎょりんのぎょく)を殿に奪われたままだからじゃ。
あれが無きことには、どうする事もできん。」
「おかわいそうに、姫様。」
鯉女中が複雑な心境で悲しむ。
しかし蓮姫は玉を取られて妖力が弱っていても、この池に影響は計り知れない。
姫の力は知らずのうちに他の生き物にも及んで、この池に住む者はきわめて長寿だ。
しかも周りがどう変わろうと、ここだけはふんだんに水が湧き出て澄み切っている。
藻が異常に増える事もなく、汚れが一切無い。
そしてここに咲く蓮の花も、実は人知れず年中季節に関係なく咲き誇っていた。
「姫!お待たせいたしましたケロ!
ガマ法師、おそばに参りましたケロ!」
大きなガマガエルが、睡蓮の下を姫に向かってひょいひょい泳いでくる。
「おお、ひさしいのう。法師よ、露占を聞いたぞ。」
大きなガマガエルはそばまで寄ると、ピョンと蓮の葉に乗ってうやうやしく頭を下げた。
「はい、今度こそ間違いございませんケロ。
この法師、全身全霊かけて占いましたケロ。」
チャポンと姫が水面から頭を覗かせる。そして信じられないと言いたげに、怪訝な顔で法師をちらっと横目で見た。
「しかしのう、前もおぬしそう言うたぞ?
これが3度目の正直ぞ。」
「今度こそ!今度こそ間違いございません!
この法師、寺に住まいして精進したのち姫にお仕えしましたが、まだまだ法力に一切かげりなど!ゲコゲコ!」
「あー、わかったわかった。
よいよい、今のところは信じて進ぜようぞ。」
「は?今のところとは、どう言う意味でケロ?」
ガマ法師が首をひねる。
「鮒家老よ、配下の者に城を見張らせよ。」
「はっ!」
「鯉女中、髪をとき、紅を引く。寝所に帰るぞ。」
「承知いたしました。では下々を呼び、姫の鱗の手入れを。」
家老と女中が姫に傅く。
「姫!今度こそ!間違いございません!」
姫は焦る法師の口を遮るように、両手でパシャンと髪を跳ね上げる。
法師が思わずヒョッと驚いてペタンと尻餅を付いた。
「法師よ、わらわが殿にお会いするのは何時がよいか占え。
わらわはお前の占いだけが頼りじゃ。
よう占うたら、褒美を取らすぞ。ほっほっほ!」
さあっと姫が、家老と女中を連れ泳ぎ去る。
何と!わしの占いだけが頼り?
「ゲコッ!姫様の御為に全法力を持ちまして!」
ピョン!法師はがぜん元気が出て、意気揚々と占いの場へと泳ぎだした。
 日も高くなり、天気もいいせいか初夏の陽気に気温が上がり始める。
ブオン、オン!
大きなRV車がジャリジャリと小石を踏みつけ、庭に入ると民家の玄関先へと車を止めた。
バタン!バタン!
車を降りてきたのは、両手の高価そうな指輪に、ジャラジャラとネックレスを沢山ぶら下げた小太りの派手な中年女性と、金髪と耳には幾つもピアスして、だぶだぶの迷彩ズボンによれよれTシャツを着た二十歳前の少年。
それにこの車を運転してきた四十代の男だ。
ピシリとスーツを身につけた彼は、この年で苦労も多いのか髪の毛が多少寂しい。
「あらまあ!兄さんったら全然手入れして無いじゃないの!金は持っていたクセにケチなんだから!」
少年の母親が、車を降りるなり甲高い声を上げる。
「三上さん、さあどうぞ。家の方は最近リフォームされましたから綺麗ですよ。」
「あらやだ!あそこには綺麗に苔が敷き詰めていたのに、畑なんか作ってあるわ!」
母親は、見回すたびに一人で怒っては怒鳴り散らしている。
「ま、まあまあ、どうぞ落ち着かれて。
中にどうぞ。」
汗を拭き拭き、男が玄関の格子を開ける。
少年はポケットに手を突っ込んで、興味なさそうにぶらぶら付いて行った。
 格子戸をくぐると、ぷんと土の匂いがする。
見ると三畳ほどの地面に靴が並んでいた。
「あれ?家ん中に地面がある。」
「馬鹿ね、あんた土間も知らないの?」
母親が馬鹿にしたように言い捨てる。
息子はむっとしながら無言で玄関を上がった。
廊下から部屋に入ると真っ暗だ。
「あらやだ、真っ暗じゃない!電気はどこかしら?リフォームしてから一度も来てないから、全然わかんないわ。」
「待ってください、今雨戸開けますから。」
ガラリ、ガタガタガタ
急かされて男・・弁護士が居間に出ると、広縁に立ち木の雨戸を開ける。
すると眩しい光が射し込み、縁側のすぐ下にはあの池が水面を輝かせて美しく広がっていた。
「へえ、兄さん家には金かけてるわねえ。
なかなか趣味がいいじゃない。」
中は最近はやりの小民家風にアレンジされて、なかなか洒落ている。
4DKだが一部屋がゆったりと広く、置いてある家具もケヤキや檜を使い、ふんだんに装飾金具を使用した姫箪笥やアンティーク風の箪笥など、それに名のある花瓶や壺らしい物が色々あって、金がかかっているのが一目で分かる。
「兄さんはアンティークが好きだったから、こんな物ばかり集めて、庭にお金をかけるのがもったいなかったんだわ。
まったく、株で羽振りが良かったクセに。」
「自分だって似合いもしねえ宝石ばっかしに金かけてんじゃん。」
息子がぼそっと漏らす。
「なんですって!」
険悪な二人に、弁護士が慌てて書類を持ち出した。
「えー、よろしいでしょうか?
で、先日お話ししました通り、この蓮見さんの遺言で、こちらの土地、建物を息子さんの水樹さんへ譲ると言うことです。」
「ああ、わかっているわ。
兄さん養子のクセに結婚しなかったからね、跡継ぎがないからこの子にお株が回ってきたんでしょうよ。
グレてるこの子を、妙に気に入ってたみたいだったからね。
馬鹿よねえ、生きてるうちに養子にするのが利口なやり方なのに。
蓮見の名前も、とうとう絶えちゃったわ。
で?この間の話だけど、じゃあここは5年間売れないって事なのね。」
「はい、この土地建物は遺言にありましたとおり、五年間遺産分割禁止。つまり、売ることが出来ません。」
その言葉に、母親が溜息を一つついた。
「今が一番高値で売りやすいのに。
この辺でマンション立てている須藤建設、ほらあそこがここも狙っているらしいのよ。
あの雑木林の向こうは道路が通っていて新たに道を造る必要もないし、ほら、広さも申し分ないでしょ。
それにこの池からはかなりの湧き水が出ているから、水にも困らない。
いい事ばっかりなんだけど、売れないんじゃしょうがないわ。」
機関銃のように喋りまくる母親に、弁護士がぽかんと口を開ける。
水樹はいつもの事に呆れて、どすんと広縁の安楽椅子に腰掛けた。
縁の下は、すぐに池が広がっている。
手を伸ばせば、水に手が届きそうだ。
「変わった作りでしょ、縁の下がすぐ池だなんて。昔ここはこの一体の領主の屋敷だったんだけど、蓮見の先祖が金貸しのカタに譲り受けたらしいのよ。
その後、屋敷は建て替えたらしいけど、出来れば2階も欲しかったわねえ。しけてるわあ。」
母親は少し不満そうだ。
しかしそれを無視して、水樹はぼうっと池に見とれていた。
池の水がキラキラと日の光を反射して、眩しく天井まで照らしている。さあっと風が吹き、ゆらゆらと水面の睡蓮が揺れた。
「へえ、綺麗じゃん。」
水樹がじっと水を眺めていると、水の中を忙しく魚が泳いでいる。
何だか子供に帰ったような気分で、ぼんやりとそれに見入っていた。
 母親も弁護士と一緒に、家中を忙しく動いている。
やがて何やら話し合うと、水樹の所にやってきて鼻息も荒く何やら決心したようだった。
「水樹!あんな狭いマンション引き払って、ここに引っ越すわよ!
広いし、隣近所も煩わしくなさそうだし、あんたもここだと気分いいでしょ!」
「はあ?」
水樹が座ったまま母親を見上げる。
「ババア、仕事はどうするんだよ。」
「事務所にはここから通うわよ。私は車を持っているからね。
あんたはプータローなんだから、自転車で十分でしょ。」
「冗談じゃねえ、バイク買ってくれよ、ダチと遊べねえじゃん。
土地転がしで儲けてるクセに、けちけちすんじゃねえよ。」
「あっはっは!悔しかったら自分で稼ぎな!
大樹からも時々小遣い貰ってんだろ?
ガキみたいにいつまでも、結婚して家を出た兄貴に金せびってないで、ピアスなんかはずしてハローワークにでも行くんだね。
一度就職に失敗したからって、いつまでも親に甘えてんじゃないよ!」
「ちっ!母子家庭の上に、てめえみたいなババアがいてどこが雇ってくれんだよ。」
水樹の父親は、水樹が小さい頃に事故で亡くなってしまった。
それで大樹という十歳も年の離れた兄が水樹にとっては父親代わりで、つい甘えてしまう。
母親は女手一つで子供を育てながら貧乏暮らしだったものを、色んな男の後ろ盾で事業を興し、今では不動産会社とブランド物の輸入販売会社の代表取締役だ。
おかげで金には余裕が出来た物の、水樹は小さい頃からいつも一人で、食事も弁当ばかり食べて寂しい思いをしていた。
「ああ!それと水樹さんにこれを。
蓮見さんからお手紙です。一人で読むようにと。」
「手紙?」
白い封筒を受け取り、開封して開いてみる。
しかし、何しろ書いたのは七十近い老人だ。達筆すぎて読みにくい。
「・・・何?えっと、何だって?読めねえ。」
クシャクシャ!ぽいっ!
「あんた、こんな事したら伯父さんが枕元に立つわよ。」
仕方なく母親がその手紙を手にとって、広げて読んでみた。
「えーっと、何?姫?をよ・・ろしく頼む?
まあ、兄さん相変わらず下手な字ねえ。
それにしても、この姫って何かしら?
犬か猫でもいたのかしらねえ。
でも肝臓で入院して、そのまま逝っちゃったからもう逃げたのかもしれないわ。」
犬か猫・・かあ・・
水樹が少しがっくりする。
小さい頃から、動物を飼うのは一つの夢だ。
ずっとアパートやマンション暮らしで、飼えたのはカブトムシくらいだった。ここは夢の一戸建て、その上夢にまで見た広い庭付きだ。
「まあ、いない物は仕方ないわね。
じゃあ引っ越しの手配と、この庭も何とかするとして、兄さんの物は使える物を残して押入に片づけましょうか。
水樹、あんたも手伝いなさい。」
「・・・」
水樹はやる気がないから黙っている。
母親は溜息をつくと大樹の嫁に連絡を入れた。
「じゃあ、私は書類の方の手続きを進めますので、相続税等のお話しは後ほどまた。
鍵はお渡ししておきますから。」
「土地、建物、美術品、かなりの税金が取られるわね。」
「まあ、蓮見さんの株を全部処分して、口座にある現金をプラスすると少し足りないくらいだと思いますが、何でしたら美術品をいくつか処分されたらよろしいかと思います。」
美術品・・見回しても、古そうだとは分かるけど、その価値なんて分からない。
「価値が分からないと大損する時があるから、美術品って嫌なのよ。
まあいいわ、じゃあ宜しくお願いします。」
大損なんて、計算高いこの母親には許せない言葉だ。
まあ、それはさておいて、こうして水樹は母親とこの家へ引っ越すことになった。
街の中心部からは離れるが、庭もなく、狭くてろくに窓も開けられないマンションよりも、うんと開放感があるこの家は魅力だ。
広い庭に大きな池。
水樹は子供に帰ったように胸がわくわくして、顔には出さないが嬉しくてたまらなかった。
 引っ越しも終わり数日が過ぎて、業者に頼んだおかげで池の周りも日本庭園らしく手入れが整ってきた。
死んだような家には人が住んだだけで、家は生き生きと生き返って見える。
 どんな人間が住み着いたのか、最近の池の住人の話題はそれに集中していた。
池の住人達が、蓮姫の周りでこそこそ噂する。
水底で髪をといていた蓮姫は、だんだんイライラして尾びれをバンと打ち付けた。
「えーい!ガマ法師を呼べ!露占はまだか!」
「姫!どうかお静まり下さい!
今、鮒小姓を使いに出しております。」
魚たちが、おろおろとうろたえ、そこへようやく法師を携え小姓達が帰ってきた。
「お待たせいたしました!姫!ゲコゲコ!」
「おお!ガマ法師よ!露占はいかがした?
最高の日取りは何と出た?」
カエルの法師は泳ぎが遅い。ひょいひょい泳いで姫の元へたどり着くと、待ちかねて姫はその法師の身体を掴み詰め寄った。
「お、お待ちを、ゲッ。
それが性急な話でございましてケロ。」
「何じゃ、言うてみい!」
「実は、今夜丑の刻でござりますケロ。」
「今夜!?しかも丑の刻とはまた面妖な。
まこと最高の出会いを期待して良かろうな?
最初が肝心との言葉、お前も知っておろう?」
法師が自信たっぷりに頷く。
しかし彼はだんだん息が苦しくなってきた。
「もちろん・・もちろんで・・全法力をもって・・命賭けて・・ガボガボゲボ・・」
「ぬう、丑の刻か。
よし!ご苦労であった!法師よ、しかる後事がうまく行ったあかつきには褒美を取らすぞ!ぬしも立ち会うがよい!」
白眼のカエルがようやく解放され、鮒小姓が慌てて背中を押して水面へと向かう。
姫は意を決したようにすっくと立ち上がった。
「これが5代目の殿じゃ。
今度こそは取り入って、わらわは玉(ぎょく)を取り戻さねばならぬ。
ここへ囚われて二百数十年。
その間、北の海におわす龍王に一度もお会いできなかったのだ。
蓮は挨拶にさえ来ぬと、きっとお怒りになっているに違いない。
皆の者!わらわに力を貸してたもれ!
さすればきっとお前達にも、龍王の恩恵を賜ろうぞ。」
「おお!」「もちろんでございます!」
意気揚々と、そうしてこの池の住人達はこの日、丑の刻を目指して最高の出会いのための準備に取りかかった。
 さやさやと、やや湿度の高い風が庭園の中をふいている。
夕日が真っ赤に空を染めながら、木の間に見えるマンションの向こうに沈もうとしていた。
水樹が広縁の安楽椅子から身を起こすと、んーっと大きなのびをする。
水樹はこの席がお気に入りだ。ここに座ると広い庭園が見渡せて、その開放感からまるで庭の真ん中にいるような錯覚に陥る。
「水樹!居間からそんな地味な椅子は自分の部屋に持って行きなさい!」
「冗談!誰があんな所で暮らすかよ!
仏間なんて、辛気くさくて絶対やだね!」
「まったく、恐がりのクセに我が侭なんだから。」
母親がぼやいているが聞こえないフリ。
この家は4DKで結構広いが、池側を狙うと仏間とリビングダイニングしかない。
後は母親の部屋と物置部屋、それに客間だ。
どうしても池側に行きたい水樹は、結局仏間に行くしかなかった。しかし仏間には広縁が無く、出窓に障子戸だ。ちょいと気分を削がれた。
「早くご飯食べなさい。
毎日ごろごろしてないで、部屋を片付けたらどうなの?仏壇の仏様も怒るわよ!」
小言もいつもの日課で、水樹の耳には念仏だ。
母親も合い言葉のようにそれをつぶやくと、食事を片手に、パソコンで株価と円相場のチェックを始めた。
「そう言えばババア、最近やけに家にいる時間がなげえじゃん。会社、つぶれたのかよ?」
母親がちらと水樹を見て、にやりと笑う。
「そうねえ、会社がつぶれたらあんたに食わせて貰おうかしら。」
「けっ!」
まあ、冷たくてまずい弁当よりうんと食糧事情はいいけど、何だかここに越してから、母親の感じが違う。
いつもぎすぎすして仕事一本で、水樹なんて気にもとめていない風だったのに。
「冗談、俺は自分のやりたいことやるんだよ。
大体ろくに飯も作ってくれなかったクセによう、てめえの面倒なんか見るもんかよ!」
ガッと茶碗を握り、があっとご飯を掻き込む。
小さい頃から朝昼パンで、夜は店から買った弁当だぞ!
今頃まともに飯炊いてくれたって、だまされるもんか!
「何をやりたいのやら、探しているうちに爺になるんじゃないのかい?」
ドキッ!それも嫌だなあ。
「ま!あんたの人生好きにやるさ!あたしもそろそろ隠居して、好きにさせて貰うよ。」
にやりと笑って母親は、ノートパソコンの蓋を閉めるとテレビをつけた。
水樹の手が止まり、ぽかんと口を開ける。
「隠居?!ババア、呆けたか?」
このババアが隠居なんて・・
これで普通になるんだと喜ぶべき何だろうか?
しかしいつも燃えさかる火のような母親に慣れていた水樹にとって、ごく普通の母親像は、凄く腑抜けた年寄りに見えた。
 夜も更けて、寝る時間が迫ってくる。
リビングのテーブルを避けて、水樹は広縁の横に布団を敷くと寝っ転がった。
自室にベッドは入れたが、寝てみると仏壇の古い観音様が今にも動きそうで眠れない。
とうとう我慢できず彼は、夜だけここに居候を決め込んでしまった。
「またそこで寝るのかい?意気地なしだねえ。」
「じゃああの仏壇、ババアの部屋に移せよ。」
「んま身の程知らずねえ。あそこは初めから仏間なのよ、そこに住み込んだあんたの方がおまけなの!おまけは文句言うんじゃないよ!」
だって・・くすん、観音様が怖いんだもん。
なんて口が裂けても言えない。
怖いなんて聞いたら、面白がってわざと目の前にぶら下げる嫌みなババアだ。
電気を消して寝っ転がったまま、ヘッドホンで音楽を聴きながら庭を眺めると、月が綺麗に池に映り込んで揺れている。
こりゃあ最高の贅沢だよな。
その内、友達呼んで月見でもしようか。
頭の中に、楽しそうなパーティーのビジョンが浮かんで、顔が緩んでゆく。いい気持ちでうとうと、その内眠り込んでしまった。
 ピチャン、ピチャン、パシャン!
「うーん、うるせえな。」
何だかやけに池がバシャバシャやかましい。
寝返りを打って、耳をふさぐ。
湿気があって寝苦しいなあ・・
渋々目を開けて時計を見れば・・
「マジかよ、まだ2時じゃん。ふぁ・・」
水樹が、はずれて首に絡まったCDのヘッドホンをはずしながら起きあがる。
「何だよ、この池の魚はぁ・・うるせえなあ。」
眠い目を擦りながら池をちらりと見ると、魚が水面を跳ねてやけに元気がいい。
「雨戸閉めんの忘れてたかぁ、障子くらい閉めれば良かったぜ。ふぁあああぁぁぁ・・」
大きな欠伸をしていると肌寒い風がひゅうっと吹き付けて、背中をぶるっと寒気が走る。
何だかトイレに行きたいが、面倒臭い。
彼はおもむろに立ち上がった。
 空には星が瞬き、大きな満月が美しく池を照らしている。
さわさわと木々が歌い、風が美しく輝く豊かな黒髪を綺麗に舞上げる。
池の石島の上には、まるで詩歌いが夢の中で語るように、美しい蓮姫が鱗を虹色に輝かせて座っていた。
「皆の者、水琴のごとく水音を奏でよ。
姫を美しくたたえ、殿をお誘いするのだ。」
鮒家老達が水の中から、必死に皆を指揮して姫のために美しく演出する。
パシャパシャと、上がった水滴の一つ一つがキラキラと月の明かりを反射して、姫の姿を引き立てた。
「どうじゃ?殿はまだか?」
「まだ、まだでござりまする。
しばしお待ちを、配下の者が必死で跳ねております。もうしばらく。」
ドキドキ、みんな心臓が飛び出しそうだ。
ガマ法師が石島のはじっこに座って、まあまあと皆を制した。
「まあ落ち着いて、大丈夫でございますケロ。
まあ安心して・・ケロケロ。」
言い終わらないうちに、部屋の中で水樹が立ち上がった。
「おお!殿がお気づきになったぞ!」
一層魚達が元気に水音を上げる。
蓮姫もにっこり、水樹に向かって天上の女神のように笑いかけた。
水樹が広縁で池へ向かってすっくと立つ。
しかし彼は何を思ったかズボンを少し降ろし、独特のポーズを構えた。
ジョボジョボジョボ!!
「あー、いい気持ち。」
魚達が飛び跳ねるのを止め、池が静粛に包まれる。
「はあ・・・あれ?池の石島に・・あれ、何だ?」
ひょおおおおお・・・
風が吹き、茫然自失の蓮姫の髪が舞い上がる。
「ゆっ!幽霊?!」
水樹は急いでナニをしまい、部屋に逃げ込み障子を閉めた。
「ひ、姫、お気を確かに。」
後に残された放心状態の姫に、鮒家老が恐る恐る声をかけた。
「法師よ、ガマ法師はおるか?」
そうっとそうっと、法師が池に逃げ込もうとする。
彼は飛び込む寸前で姫に身体を掴まれた。
「がーまーほーうーしー」
「ひ、姫!占いという物は、当たるも八卦、当たらぬも八卦と昔から申しまして。」
「ぬううう!どうしてくれようか?!
さあ!どちらが望みじゃ!
カラカラに日干しになるか!皮を剥いで刺身にしてくれようか!」
「ひいい!どなたか助けてくだされ!ゲロ!
どうか姫!お助け下され!もう一度!もう一度機会を!今度こそは必ず!ゲロゲロ!」
じたばたじたばた、ガマ法師が姫の手の中で手足をばたつかせる。
「姫!姫!蓮姫!お許し下さい!」
魚達も許しを請うが、怒り狂った姫の前に彼の命は今や風前の灯火であった。
 ”・・許さん!・・が、いい加減な・・”
しん・・とした中に、何だか池の方がまた騒がしい。
「まさか、あれって泥棒?!」
布団の中に身を潜めていた水樹は、そうっと障子を開けて、池を覗いてみた。
何だ?よく見るとあれは・・トップレス!
しかも!きょ!巨乳の姉ちゃん!
何だ?新手のAVビデオの撮影か?
勝手に人んち使いやがって!
障子を開けて身を乗り出す。何だか巨乳美女は掴んだカエルと口論している。
「お助けを!姫様!ゲロ!ゲッ!」
「えーい!許さん!お前の顔など見とうない!」
「姫様!姫様!」「お許しを!」
どうして魚やカエルが喋るわけ?
やっぱり新手の映画かな?
しかし、どうやらカエルは一方的に怒られて振り回されている。
何だか可哀想に思えてきた。
「ちょっと、あんた。おい!巨乳の姉ちゃん!
止めろよ!可哀想だろ?」
一斉に皆が水樹に注目する。
何だ何だ?この池、何か変!
いきなりの展開に、どうした物か皆が三すくみの状態になる。
と、いきなり姫が池に飛び込み、あっという間に水樹の元へ泳いで来た。
「おのれ!無礼者!何が可哀想じゃ!」
バシャアッ!縁の下の石に手をついて、器用にするすると這い上がり、ドンッと縁側に腰を下ろす。
巨乳美女はしかし相当頭に来ているようで、呆然としている水樹に詰め寄り、思わず声を張り上げた。
「見れば小童のくせに、わらわが下手に出ておれば、わらわの住処に!わらわの住処に!」
ワナワナワナと身体を震わせて、次の言葉が出ない。
それをよそに、水樹が彼女の姿をまじまじと見る。
ぽたぽた水滴を落として豊かな髪が身体に張り付き、豊満な乳房がぷるんと揺れる。
ちょっと鼻血が出そうに色っぽい。
それにしても今時人魚かよ。
ちょっとアナログじゃねえの?
「なあ、まだ泳ぐには早くない?
あんたも大変だね、人魚なんて遅れてるよなあ!はやんねえっての!はっはっは!」
さすがAV女優、いい乳してるぜ。
しかし、きょとんとしていた姫が、またまたワナワナと手を震わせる。
「おのれぇ・・何という侮辱!わらわを愚弄する気か?!わらわを・・わらわを・・」
姫が両手で顔を覆う。これほど侮辱された事がかつてあっただろうか?いや、絶対ない!
「うっ、うっ、うっ・・えっ・・えっ・・」
「えっ!ちょっ、どうして泣くわけ?
俺、何か変なこと言ったかよ?!」
ぽろぽろぽろ、彼女の手から涙がこぼれ、コンコンコン!何かがぱらぱら落ちた。
「水樹!夜中に何してるの!」
いきなり母親の寝室から怒鳴り声が響く。
「あ!えと!ラジオだよ!ラジオ!
イヤホンはずれてさあ!悪い悪い!
・・あっ!ちょっと待って!」
大声で誤魔化す間に、姫はパシャンッと池に帰ってしまった。
それと共に魚達も水の中へ姿を消してゆく。
後にはしんと静まりかえった池と、縁側の彼女が座ったところに水たまり、そして・・。
「あれ?何だこれ?BB弾かな?」
小さな玉が3個落ちている。
月にかざすと、柔らかに虹色に輝いた。
「これって・・まさか真珠だったりして・・
まさかさっきの姉ちゃん・・本物の人魚?!」
もう一度目を凝らして池を見ても、魚一匹跳ねていない。
しかし、縁側の水とこの真珠。
確かに彼女はここにいたのだ。
「すっげえ・・これ、すげえ!」
何となく、テレビだ雑誌だと一躍有名になる自分の姿が思い浮かぶ。
しかし、昔見た絵本の人魚はどうなった?
涙の真珠を取るために、村人からリンチ受けて死んだっけ。
「やっぱまずいよ。これ、秘密にしないと。」
蓮見の伯父さんは知っていたのだろうか?
布団に座り色々考えているうち、はっと顔を上げた。
「あの強欲ババアに知れたら、きっと売り飛ばされる。」
強欲ババア、略して母親に知られないようにしないと・・
水樹はタオルを取るとごしごし縁側の水を拭き取り、手にある真珠を急いで自分の部屋に隠した。

 水樹が蓮姫と出会って数日後・・・
ある日小振りのビルの地下駐車場から、高級そうな黒塗りの外車が現れた。
ビルには大きな看板に「須藤建設」とある。
後部座席には三つ揃いを着た、恰幅がいい禿げた爺さん、これが社長。
運転している狡猾そうな顔の、眼鏡にオールバックの壮年の男、これがその秘書だ。
須藤建設は最近のマンションブームに乗って、急成長している建設会社ではあるが、ここと狙ったところの地上げの方法には、土地の人間に恨まれかねない強引さがある。
いや、はっきり言って、恨まれていると言った方が正解だろう。
そしてその車は颯爽と街を走り抜け、街のはずれにある一軒の家を目指していた。
 ジャリジャリジャリ・・
水樹が相変わらず安楽椅子でぼうっとしていると、庭の方から砂利石を踏む音が聞こえてきた。
ン?っと身を乗り出してみると、黒塗りの高級車から二人の男が降りて来る。
「ごめんください!」
ガタガタ!玄関の格子戸を叩かれ、母親が嫌そうに玄関の方に目を走らせた。
「ババア、でっかい外車だぜ?」
「あんた出れば?」
「冗談、新聞の勧誘だったらどうすんだよ!
あれ、しつこいから嫌いだぜ。」
新聞の勧誘が高級車で来るとは考えにくいが、水樹はハナから出る気はない。
「ごめんください!」
客はしつこく玄関を叩いている。
「チッ、しつこい奴だよ。」
ようやく母親が重そうな腰を上げる。
しかし玄関までは来たものの、戸の向こうの相手が分かっているようで、開ける気はないらしい。
ドア越しに大声で話しかけた。
「その声は腹黒建設だね。よくもまあ、うちまで来れた恥知らずだよ!
不動産じゃ、あんたには何度も煮え湯を飲まされた、この私の家に!」
「三上さん、今日はいい話をお持ちしたんですよ。開けていただけませんか?
こうして社長も直々においでになっておりますし。」
水樹が面白そうだと、そうっと廊下に顔を出す。母親は玄関の格子戸を睨んで、腕組みして仁王立ちしていた。
「まあ!あの腹黒爺さん、まだ生きてたの?
とっくに死んだと思ってたのに、ほっほっほ!」
戸の向こうでは、社長が手を震わせている。
「口の減らないババアじゃ!
わしはこの土地を買ってやろうと思って来たんじゃぞ!こんな野暮ったい平屋でなく、あんたなら豪邸住まいも出来ようが!」
「余計なお世話よ!あんたなんかに売ったら、あの池だってドーンと埋めて、でっかいマンションでも作るんでしょ!」
ドキッ!
安穏と聞いていた水樹の顔色が変わる。
この池には、巨乳人魚が住んでるんだぞ。
冗談!埋め立てたらどうなるんだよ!
「おい!母ちゃんがんばれ!」
思わず応援したくなる。
「こんな荒れた庭より、もっといい庭を造れば良かろう!この池潰すのが嫌なら、百歩譲って睡蓮くらいなら残してかまわんぞ!」
「はん!睡蓮だけ残してもつまんないでしょ!
あんたなんかにここの良さはわかんないわよ!
ああ!あんたの声聞いてたら、この美貌にしわが増えちゃうわ!さっさと帰って!水樹!塩持っておいで!」
「おう!」
水樹が台所に走り、ガッと塩を入れ物ごと掴んでくる。
「貸しな!」
それを母親はひったくって小脇に抱えると、ガラッと格子戸を開け、塩を掴んで社長と秘書にばんばん投げつけた。
「さっさと帰れ!二度と来るんじゃないよ!
ああ、玄関口が汚れたよ!清めたまえ!祓いたまえ!この腹黒!腹黒!」
バシャ!バシャ!二人が塩まみれで頭から真っ白になる。
「わああ!このババア!いてて!いてて!
帰るぞ!この!覚えてろよ!」
「三上さん!今度来るときは必ずうんと言って貰いますよ!あいたた!いたた!」
二人が慌てて車に乗り込む。
「何言ってんだい!池の水が腐るから二度とうちに来るんじゃないよ!ほっほっほっほ!」
ボォロロ!逃げるように外車が庭を出てゆく。
塩を片手に高笑いする母親の後ろ姿は、水樹にはとても格好良く映った。
「ナイス!ババア、やるじゃん。」
笑うのを止めて、くるりと母親が家にはいる。
しかしその顔は、何だか苦虫をかみつぶしたようだった。
「ちっ!高く売りつけようと思ってたのに、やっぱりあの爺の声聞いてたらムッときたよ。」
ドキッ!
「え?売らないんだろ?」
「当たり前だよ。」
ふう、何だよびっくりさせやがって。
「5年間はね。」
「えっ!」
さああ・・水樹は全身の血が全部抜けていく気がした。
「母ちゃん!売らないでよ!ここ、絶対売ったら駄目だよ!俺反対!絶対反対!」
「ふん!」
本当に真面目に聞いてるのかどうなのか、母親は塩を返しに台所へ向かう。
「母ちゃん!ここは俺の名義だろ!俺がやだって言ってるのに!この強欲ババア!」
「何言ってんだか、穀潰しの居候が。
だったら一円くらい生活費を入れてみな!」
ガーン!この母親に、水樹が敵うわけがない。
人魚が住んでいるなんて話すわけにも行かず、どうすればいいのか思いつかない。
どうしよう・・
あれから一人の時に池に向かって話しかけるが、誰からも返事がない。
水樹は途方に暮れて、居間にばたんと寝ころんだ。
 悶々と数日を家で過ごし、水樹は気分転換に街へ向かった。
何だか久しぶりだが、小遣いが残り少ないので節約しなければなるまい。
電車賃がもったいないので、自転車で3駅向こうまで遠征する。結構な距離だが、まあ健康のためにもいいだろう。
みんな時給がいいから夜働いているので、昼の3時頃がたまり場の駅階段にみんな集まっている。
「いたいた!よう!久しぶりぶり!」
「水樹、てめえ生きてたのかよ!とうとう借金抱えて夜逃げしたって、みんな噂してたぞ!」
「冗談!よう!うさぴょん元気?!」
「水樹!元気だったよーん!」
自転車を近くに止めて、自販機で牛乳を買うと宇佐美を見つけて隣に座る。
彼女はいつも、茶髪のセミロングをウサギの耳みたいに頭の上で二つくくっている。
可愛い顔だがケバイ化粧はちょっと見、頭が軽そうだ。
が!彼女は一応、水樹の彼女なのだ。
ただし、今のところほっぺにチュッで止まって、進展はない。
「俺さ、今度いいところに引っ越したんだぜ。
家は古いけど広い庭があってさ、そこに・・」
言いかけて慌てて口をつぐむ。
こいつら信用してないわけじゃないけど、人魚の事は秘密にした方がいい気がする。
ところがそこで、宇佐美がやけに身を乗り出してきた。
「やっだあ!あたし水樹の家に行ってみたい!
ねえ、明日は休みなのよ!行ってもいい?」
「えっ!でもまだ部屋ゴミゴミしてっし・・」
「いいでしょ?ねえ、地図書いてよ。」
どうしよう、母親は明日、留守なのか分からない。あのババアに宇佐美を見せたら、きっとバリバリ嫌みを言うぞ。
しかし返事に窮していると、宇佐美が水樹の耳元に囁く。
「ね?明日、勝負かけてくるからさあ。」
彼女の熱い息が耳を刺激して、思わず股間を押さえ込む。
ドキドキ・・勝負って・・何?
「しっかたねえなあ。じゃあ、教えてやるよ。」
レシートの裏に簡単に地図を書いてぽんと渡す。宇佐美は妙に嬉しそうで、それをポケットに入れると立ち上がった。
「じゃ、ね、あたい今日は早番なんだ。
明日、楽しみにしててね。」
チュッと投げキッスでウインクして、友達のアイ子と消えた。
 その日の夜、ガラクタを全部押入に押し込み部屋を片づけて、明日の準備はバッチリだ。
頭をモヤモヤ、何となくぼうっといつもの安楽椅子に座って池を眺めていた。
頭の中は、悶々と明日のことを考えている。
勝負かけるって何だろう・・
やっぱ、あれかな?
あれ・・・やっぱあれだよなあ・・
わくわくドキドキ、人知れず笑いが漏れる。
・・しまった、引っ越しの時にH本、みんなあのババアに見つかって捨てられたんだ。
ちっ!こう言うのはイメージトレーニングが大切なのに。
「水樹ー!私ちょっと出てくるからね!
あんた先にちゃんと寝るのよ!帰ったとき家にいなかったら、あそこチョン切るよ!」
ガラガラ・・ピシャン!
しー・・ん
「あそこ・・チョン切る・・」
・・ババアならやりかねないな。
ジャリジャリ、母親の車が砂利を踏みならして家を出る。
「ババア!もう帰ってくるなよ!」
聞こえると怖いので、小さな声で叫んだ。
 うるさい母親が消えて、何だか胸に開放感が広がる。
マンションにいた時は、狭い部屋で電気もつけずにテレビ見て、ゲームばかりしてたっけ。
そう言えば、最近は庭ばっかり見てあんまりテレビ見なくなったよなあ。
爺さんくせえの。
「・・・の!殿!」「殿!ケロ!」
ん?縁の下から小さな声が聞こえる。
まさか!
縁から身を乗り出すが、何しろ外は真っ暗で何も見えない。
慌てて懐中電灯を取り出し、縁の下を照らすと、魚が数匹水面に顔を出している。
先日人魚が足がかりにした縁の下の大きな石には、大きなカエルが一匹鎮座していた。
「殿!どうか我らの願いをお聞き下さい!
どうか、姫に今一度!」
一番大きな鮒が、ぱくぱく口を開いて水樹に話しかけてくる。
「はああ・・やっぱ喋るんだ。へえ・・」
まるで、小さい頃に読んだ絵本みたいな事が、信じられないが目の前で起こっている。
水樹がぽかんと口を開けて見ていると、その鮒はお辞儀をするように頭を下げた。
「おお、失礼いたしました。
私は、この池の主である蓮姫様にお仕えしております、鮒家老でございます。
こちらの鯉は、姫様の身の回りの世話をいたしております、鯉女中。
そしてそちらのガマは、全ての事柄の良き日を占います、ガマ法師でございます。
以後、お見知り置きを。」
「あ、どうも。俺、三上水樹です、よろしく。」
お互いぺこりと頭を下げる。
やけに礼儀正しい魚達だ。
しかし、その言葉端からは、かなり切迫した状況であることが伺えた。
「どうか、お願いいたします。
殿から姫にお詫びを入れていただきたく・・
姫は、姫はあれから毎日怒り狂って・・いや、悲しんでおいでなのです!我々家臣も、長年お仕えした姫が、これ以上悲しまれるのを見るのは、まことに忍びなきことでございます。
どうか、不躾ではございますがお願いいたします。」
んー・・何か難しい事言ってるなあ。
「つまり、あの巨乳・・人魚の姫さんに詫び入れろって訳なんだ。そうだよなあ、怒って当然だよなあ。
でも、どうすればいいわけ?」
人魚にお詫びって、ケーキじゃ駄目だろう。
「お姫さん、何か好きな物とかある?
女は物で機嫌取るのが仲直りの早道だぜ。」
「でしたら、電気箱とか・・酒もお召しになります。」
「電気ばこお?何じゃそりゃ。」
「こう、大きな箱がぴかぴかと光りまして・・中に人が入っているわけでもないのに、水鏡のように人が映るのでございますケロ。」
「ああ!なんだテレビかよ!」
ひょいと立ち上がり、隣の居間から液晶テレビを抱えてくる。
「これは・・ちょっと違うような・・ケロ。」
「これはね、薄いけどやっぱりテレビなんだ。
うちの母ちゃんテレビ大好きでさ、新しいのでるとすぐ買っちゃうんだ。」
ピッとスイッチに触れると、パッとアナウンサーが出る。カエルが思わず感嘆の声を上げて、広縁まで上ってきた。
「ケロロ!これはまた、何と面妖な・・
しかし懐かしい、姫は前にいらした殿と良く一緒にご覧になっておいででした。」
「へえ、伯父さんと見てたって?池の中から?」
「いいええ!座敷まで上がられまして、ご一緒に酒など酌み交わしながらケロ。
本当に仲がよろしゅうございましたとも。」
「へえええ・・」
そうか、伯父さんって一人暮らしじゃなかったんだ。だから寂しくなかったのか・・
「じゃあ、テレビつけて酒を用意すればいいんだ。それじゃ姫さん呼んできてよ。
俺に出来ることだったら、お詫びに何でも言うことを聞きますって。」
「それはなりません!」
カエルと鮒と鯉が、いきなり声を合わせて叫んだ。水樹がびくっと飛び上がる。
俺、何かまずいこと言ったか?
「何でもなどととんでもない!
そんな事を仰れば、姫は必ずあれを欲しいと仰いますとも!
決して、決して、あれだけは渡してはなりませんぞ!あれを渡すと大変なことにケロ!」
「法師殿!」
「あっ!」
カエルが取り乱して口走った言葉に、鮒が驚いて声をかける。しかし水樹はそれをしっかり聞いていた。
「あれって何だよ。」
「そ、それは・・ごめん!ゲロゲロ!」
カエルが慌てて池に飛び込もうとする。
水樹はすかさずタックルしてカエルを掴んだ。
「ひえええケロ!助けてくだされ!だれか!」
「あれって何だよ!教えてくれるまで離さないよ!あれってなに?あれだよ、あれ!」
「ひええ!助けて!助けてえ!ケロケロ!」
「ガマ法師殿!」「法師殿!」
「教えてくれないと・・こうしたる!」
「ひいいい!ゲロゲロケロケロゲロゲロゲ!」
水樹がカエルをぐるぐる振り回す。
法師はとうとうたまらず口を開いた。
「玉で、玉のことでございますう!」
「ぎょく?何じゃそりゃ。」
手を止め、目を回すカエルに目をやると、その目が白黒している。
「どうか、それ以上は・・お許しを!ケロ、」
「ふうん。じゃあ!もう一回回してみるかあ!」
「わああ!魚鱗の玉!姫様の力の源でございます!」
ぎょりんのぎょく?つまり何かの玉のことか?
「それってほら、龍が持ってる水晶玉みたいな奴?それがこの家にあるってえの?
でも、どこにもそんなの無かったぜ?」
「いいえ、姫様には大体の所は分かっておられますから、この家のどこかにはございます。
どうも、それが強い力で包まれておるらしくて、呼んでも戻って来ないのですケロ。」
「へえ、じゃあさ、お前偉そうな法師だろ!
お前が占って探せばいいじゃん。
あ・・はあん・・ふっ、自信なかったりして。」
「ギク!そ、そ、それはもう!私の露占を持ってすれば、すぐ!分かるのですが、もし姫様のお手が届かないところでしたらまた悲しまれることになります。
私はそれがどうも悲しくて、不安でケロ。」
「へええ・・」
疑いの目。
カエルは水樹から目をそらしている。
水樹はぐるりと部屋を見回し、首をひねった。
「そんな力の強い玉を隠す強い力って何だろ?
この家って、何か訳がわからん程古い物多いからなあ・・」
「まあ、それは後日としまして。
電気箱はこうしてございますし、酒はございませぬか?ケロ。」
「うん、やっぱ日本酒だよね。うちには貰い物がいっぱい有るから持ってくるよ。」
台所に行きかけて、母親の部屋に忍び込む。
そしてベッドの下に手を入れ探ってみた。
いくつもの冷たい瓶に、ヒタヒタと手が触れる。
その内一本引き抜いて、抱きかかえるとそうっと部屋を出た。
「へっへっへ、いい酒はベッドの下に隠してるの知ってるんだもんね。」
一升瓶と、台所からガラスのコップを二つつかみ、戻っていく。
「ささ、杯に一杯、酒を注いでこちらに。
池にさらさらと注ぐと、姫様が香りに誘われおいでになるはずでございますケロ。
その後は、おわかりでございましょう。」
「わかんないけど、まあいいや。」
コップの酒をチャラチャラと池に注ぐ。
シー・・ン
「やっぱ無理じゃねえの?」
「しっ!今一時お待ちを。」
息を潜めて、皆でそっと池を見守った。
パシャン!
月明かりの下に大きな尾びれが池の表面を打ち、蓮の葉が大きく揺れる。
「出た!」ドキドキ、胸も波打つ。
「姫のお出ましじゃ!皆下がれ!」
鮒家老のかけ声にカエルが池に飛び込み、魚達もさっと姿を消す。
やがてつうっと縁の近くまでさざ波が立ち、戸惑い気味に蓮姫が水面から頭を出して水樹の様子を窺った。
本当に、やっぱり住んでるんだなあ・・
ぼうっと見ていて、はっと我に返る。
姫がまた池に沈もうとしたとき、慌てて声をかけた。
「おーい、お姫様!この間は俺が悪かったよ!
一緒に酒を飲もうぜ!テレビもあるからさ!」
駄目かな?まだ怒ってるかな?
じいっと、しばらくにらめっこが続く。
ポチャン、
やがてとうとう姫は池の中に消えてしまった。
「あーあ、やっぱ駄目かあ・・」
がっくり、思わずコップの酒をごくごくごく。
パシャーン!
水音に思わず池を見ると、するすると人魚が広縁に上がってきた。
「わ!わ!わ!」
人魚は縁に腰掛けて艶めかしく髪を掻き上げ、水樹に艶っぽい視線を向ける。
「お久しゅうございます、殿。」
美しく透き通った声が、ほろほろと姫の口からこぼれる。
どうやら今日は、機嫌がいいようだ。
「こ、こんばんは。」
「今宵は月が美しゅうござりまするな。
こういう夜は、わらわも地上が心地よい。」
「そ、それは良かったでございます。はい。」
蓮姫のうっとりとした顔に、水樹が真っ赤な顔で思わず鼻を押さえる。
ウウ・・何か鼻血が出そう・・
すっげえシャンじゃん!
この間は胸ばっかり見て顔をよく見なかったけど、鼻筋がすっと通って目は切れ長で、厚い唇は真っ赤な紅色で艶があって悩ましく、整った顔立ちはやっぱりお姫様みたいに気品がある。真っ黒の豊かな髪も、水滴がきらめいてまるでそれが髪飾りのようだ。
「・・えと・・この間は悪かったよ。
まあ、さ、さ、酒どうぞ。」
慌ててコップに酒を注いで差し出す。しかし彼女は、そのコップを見て眉をひそめた。
「何じゃ?また風情がないのう。
杯はないのか?それにこのような大きなビンから直接では、まるで大酒飲みではないか。
前にいらした殿は、わらわの為に美しい蓮の花の杯を用意されておったぞ。」
「え!ええ?分かったよ、探してくるよ。
まったく、注文多いなあ!」
台所へ向かいかけて、改めて振り向く。
姫は部屋を見回し、少し落ち着かない様子だ。
やっぱり、やっぱり人魚なんだ・・
水樹の口に、笑いがこみ上げる。
急いで杯を探し回り、徳利を何本か盆に乗せて慌てて戻った。
「花の杯はまた探しておくよ、今日は普通の杯で勘弁してくれる?あ、テレビも見るだろ?」
ピッとテレビをつけて、姫に向ける。
姫は目を丸くして満面に笑みを浮かべ、花開いたように明るい顔になった。
「おお!電気箱じゃ!久しいのう!
おお!おお!うれしや!うれしやのう!」
「ほら、リモコン。
ここをこう押すと、チャンネルが変わるよ。
好きなのを見るといいよ。」
「何と!わらわが好きな物を見て良いのか?
何と心の広い殿よ!ありがたい!」
今までは、チャンネル権は伯父さんが握っていたらしい。嬉しそうに姫がぱっぱっとチャンネルを変えて、それは刑事番組で止まった。
「おお!この役者じゃ!わらわのひいきの役者じゃ!恭様!懐かしや!」
「へえお姫様、こんなおじさんが好きなんだ。
昔は格好良かったらしいけど、今は渋いよね。」
横に座って、テレビを覗く。
すると気を利かせて姫が、水樹に杯を差し出し徳利で酒を注いだ。
「殿も早うお年を召されませ。きっと猛々しい男になられましょうぞ。さ、どうぞ一献。」
「猛々しいは今時違うよなあ・・まあいいか。
じゃあ、お姫様と仲直りの印に乾杯だ!」
「まあ!わらわはまだ許すとは申しておりませぬぞ。勝手な殿じゃ!」
「え!そうだっけ?」
「ほほほ・・」
わあっ!何て綺麗な笑い顔だろう。
水樹の顔が真っ赤に燃える。
どぎまぎして固まっていると、姫がそうっと水樹の手に手を添えて、耳元に鮮やかな紅色の唇を近づけてきた。
「可愛い方じゃ、我が殿は。
先の無礼は許して進ぜましょう。
ただし、これからはわらわの事を、蓮とお呼び下さりませ。」
甘い息に、ますます堅くなる。
「じゃ、じゃあ!俺の事も、水樹って、水樹ってお呼び下さいませ。」
口をぱくぱくようやく返した声は、すっかり裏返ってまたまた蓮姫に笑われてしまった。
「ほほほ・・水樹殿でございますな。
さあもう一つ、蓮の杯を受けて下さりませ。
今宵は良き日じゃ、わらわもほんに幸せ者よ。」
蓮がしなりとしなだれかかる。
ああ!この家に来て良かった!
庭付き、美女付き、一戸建て。こんなにいい物件があっただろうか!サンキュー伯父さん!
「さあさあ、蓮ちゃんももう一杯。」
怒濤の涙を流しながら、水樹の幸せな夜は母親が帰ってくるまで続いた。
 「水樹!いつまで寝てんの!」
ドカッ!「うがっ!」
客間に寝る水樹のケツを、母親が思い切りよく蹴った。
「いってえ・・てめえ・・このババア、うっ!」
何だ?ケツも痛いが頭も痛い。気分も悪い。
何てこった!今日は初エッチの日なのに、二日酔いかよ!
「未成年のクセに酒臭い息して、あんたあたしの部屋から一本くすねたね!
お縁をびしょ濡れにして!悪さばっかり!」
痛い頭にガンガン響く声で怒鳴りながら、母親は朝からやけに綺麗に身支度している。
「あたしは今日、ちょっとパーティーに呼ばれてるから出るけど、あんた家開けるときは戸締まりきちんとするのよ。」
「ぱあーちいー?まさか、またあの怪しい男んとこかよ。あいつ、悪徳政治家なんだろ?
ババア、あのおっさんの女なのかよ?」
ウキウキして見える母親に何だか気分が悪い。
「何言ってんの!あの人はあたし等の恩人だよ!大体あの人はあんたの・・」
「俺の本当の親父ってんじゃねえだろうなあ!
よう!ババア!冗談じゃねえぞ!」
母親がきょとんとした顔で水樹を見る。
そして大笑いしながら玄関へ向かった。
「あははははは!ああおかしい!じゃあね!
熱いお茶でも飲んで、目を覚ましな!」
ピシャン!
「ちっ、ごまかしやがって。」
父親の顔は覚えていないが、他の男と会いに行くのに、ウキウキしている母親を見るのは気分が悪い。
これが初めてではないけれど、何度見ても慣れないもんだ。
日が高くまで登り、そして傾き始める。
時計は4時を回り、もうそろそろ5時だ。
「もう、来ねえのかなあ・・それとも、夜来るのかなあ・・」
自慢の庭は、明るいうちが見渡せるのに・・
ィィィィビイイイイイイイ・・・・
少しあきらめが胸をよぎりつつ、安楽椅子に座ってぼうっと池を眺めていると、宇佐美の小さなスクーターの音が庭に入ってきた。
ガバッと跳ね起き、玄関に走って出迎える。
ガラッと格子戸を開けると、ウサギのマークをつけた赤いスクーター、そして宇佐美がジーンズにピンクのジャケットを着て立っていた。
背には大きめのリュックを背負っている。
「ちゃお!ママさんいる?」
「いない!いないよ!ババア帰り遅いと思うから、安心していいよ!」
何を安心していいのやら、宇佐美は苦笑いで庭を見渡し感激の声を上げた。
「すっごーい!こんな広い庭だったなんて、ウルトラリッチじゃん!さすが金持ち!」
「リッチじゃねえよ、家は貧乏くせえもん。
どうぞ、入ってくれよ。」
「わあ、何か江戸時代の庄屋様みたい!
ここ掘れワンワンなんちゃって。」
宇佐美は気に入ってくれたのか、オーバーなほどはしゃいでくれる。
上がるなり水樹はせがまれて、各部屋をそれぞれ案内して回った。
「・・ここがまあ居間で、こっちの部屋とつながってるんだけど、こっちはほら、庭の眺めがいいだろ?だから居間兼客間なんだ。」
「あら、こっちの部屋は何?」
宇佐美が池に面したもう一つの部屋を指さす。
「ああ、そこが俺の部屋。入っていいよ。」
「じゃあここは?」
「そっちはババアの部屋。出入り禁止だから開けちゃ駄目なんだ。」
と言っても鍵ついてないからたまに入るけど。
「へえ・・ねえ、中見たいな。
ママさん、ブランド物の輸入販売してるんでしょ?中に沢山ブランド物があるんじゃない?」
「ブランド?俺、良くわからねえけど、仕事の物はあまり持ちこまねえみたいだよ。
まあ、ババアのことは忘れて、どうぞどうぞ。」
宇佐美の背を押して自分の部屋に案内する。
がらりと戸を開けると、しかし真正面には古くさい仏壇。
「何これ!水樹シューキョーに凝ってんの?
やだあ!最悪!」
「違う!違うよ!ここ仏間なんだよ!
でもほら!窓から池が見渡せて景色がいいだろ?それに後はここしか部屋がないんだ。」
「ふうん・・」
ああ、やっぱり今日だけ母親と部屋を替わって貰えば良かった。
訝しそうな宇佐美の姿に後悔が走る。
しかし部屋を大体見回すと、宇佐美は以外にその仏壇に興味を持ちだした。
「へえ、何か古そうな仏壇ねえ。」
「あ、ああ!ここに住んでた伯父さんが、古美術に凝ってたんだ。俺には良くわかんないけど、ほら!いい仕事してますねえーって奴?」
「へえ、じゃあ売れば凄い値段が付いたりしてさ!すっごいじゃん。」
それはいいから、仏壇から話を逸らしたい。
「さあな、座れよ。何か飲む?」
宇佐美の肩を握って、彼女をようやくクッションに座らせた。宇佐美がうーんと考え込んで、いたずらっぽい顔で言う。
「あたし、ココアが飲みたいな。ちゃんと牛乳で入れたやつ!」
「え!」
この家じゃ、誰もココアなんて飲まない。
「なあ、コーヒーとかじゃ駄目?」
「だーめ!じゃあ買ってきてよ。近くにあるんでしょ。大丈夫!あたしが留守番してるよ!
ほら、庭が綺麗じゃん。回ってきてもいい?」
庭は水樹の自慢だ。
確かに明るいうちに、ゆっくり見て欲しい。
「じゃ、じゃあ、俺急いで行って来るよ。
ちょっとコンビニ離れてるけど、超特急で!」
「いいって、ごゆっくり。じゃあねえ。」
ダダダダダダ!どたどた!ガラガラピシャン!
水樹が転がるように出ていった後、宇佐美がそうっと部屋を出る。
「行った?行った・・よね。」
忍び足で大きなリュックを片手に、そうっと水樹の母親の部屋に忍び込んだ。
「えっと・・」
電気をつけて周りを見回すと、派手な服が沢山放り上げてあるベッドに、難しそうな本が沢山載った机。そして高級化粧品が並んだ化粧台。
「やっぱ金持ちじゃん、高級品ばっか。」
横の洋服ダンスを開いてみると、ぎっしり服がぶら下がっている。
「ぎゃああ、趣味悪い服ばっか!」
べえっと舌を出し、今度は隣の開き棚を開く。
と、彼女の目が輝いた。
「やり!ブランドバッグ!かなり希少品だよ!
そっか、ほんとにいい物は売らなかったんだ!」
次々手にして、沢山並んだ中から高価そうなバッグをリュックに入れる。
そして彼女は何の為か、次に机を調べ始めた。
「えっと、早くしなきゃ!」
しかし、引き出しには鍵がかかっている。
机の上にはめぼしい物はない。
「どうしよう、まずい奴なんて何もないよ。」
諦めかけて振り向いたとき、ベッドの下にノートパソコンが覗いているのに気づいて、さっと取り出した。
「これって、沢山情報が入ってんだよね。
でもあたし、パソコンなんて扱えないよ!」
ぐるぐる回して悩み抜いて、答えが出ない。
「えーい!持って行っちゃえ!」
とうとうリュックに放り込んでしまった。
「もうそろそろ、やばいかな?」
電気を消し、そうっと部屋を出て水樹の部屋に帰る。と、今度は仏壇を覗き込んだ。
「何か高そうだけど、まさか仏壇持っていくわけには行かないわよねえ・・」
じいっと見回して、一番値打ちがありそうな観音様を手にしてみた。
「これ持っていくとやばいかな?」
くりくりひっくり返して観音様を見ているうちに、台座の底がすうっとスライドする。
あれ?ここ開くんだ!
するりと開き、中を見ると何か赤い絹布で包んだ物が入っている。
それを取り出し開くと、トップに不思議な色で輝く乳白色の水晶玉が付いた、真珠のネックレスが包んであった。
「綺麗!何だろう、宝石かな?!」
電灯にキラキラ輝いて、光の加減で水晶玉の中に一匹の魚が泳いでいる様に見える。
宇佐美はぽうっとその美しさに引き込まれて、思わずそれをポケットに忍ばせてしまった。
ガラガラガラ!ピシャン!
「ごめんごめん!遅くなってさ!」
水樹の声が玄関から響いて、宇佐美が慌てて観音様を仏壇に戻す。
そしてさっとクッションに座り、そこらにある雑誌を開いた。
「宇佐美!ごめんな!今急いでココア作るから、も少し待ってて!」
「うん・・あっ!ごめん!あたしちょっとこの後待ち合わせてるんだ!
ごめん、家も分かったし、また来るからさ。」
「えええ!冗談ぽい!キャンセルできねえの?」
宇佐美が慌てて立ち上がる。
そしてがっくり肩を落とす水樹の頬に、チュッと軽くキスをした。
「この埋め合わせは、ま、た、ね。」
「えへへ、仕方ないなあ、もう。」
でれっとしまりのない顔で、バタバタ出てゆく宇佐美を見送る。
「じゃあねえ!バイバーイ!チュッ!」
「宇佐美!じゃあまた来いな!チュッ!」
彼女の投げキッスに、思わず水樹も投げキッスを返してその後ろ姿を見送った。

 ぽややーん・・
水樹がうっとりした顔で、安楽椅子に座って池を見つめている。
宇佐美が帰った後も時々、ぷっと吹き出してニヤニヤ一人で思い出し笑いしていた。
しばらくすると日が沈んで真っ暗な庭に、見覚えのある車が入ってくる。
「何だ、ババア帰ってきたのか。」
ガラリッバタン!ドタドタ、足音が聞こえる。
その音のリズム不整は、明らかに酔っていた。
「チッ、また飲酒運転かよ。どうして警察は捕まえてくれねえんだ、怠慢じゃねえのか?」
「ただいまあ、あらあんた夕食は?」
「まだ食ってねえよ!食パンでも食うさ。」
「へへえん、これ持ってきたよーん。」
どうせ食い残しだろ?横目で見て飛びついた。
何と、折り詰め3つにカニやエビや肉がはみ出すほど入っている。
「うおおおお!ご馳走じゃん!どしたの?!」
「だからあ、あんたの伯父さんが出世したお祝いよう!」
聞くか聞かないうちに、水樹はガッと大好きなカニをまずゲットした。
「伯父さんって本家の?」
「馬鹿ねえ、あんたの言う怪しい男!
あれ、あたしの父親違いのお兄さま!あんたのグランドマザーは再婚でーっす!」
「ええっ!あの怪しいおっちゃんがババアの兄貴?ンな事始めて聞いたぞ!おい!」
「あら、当たり前じゃない。あたしら、両親が離婚した時それぞれに別れちゃったからね。
それに兄さんは政治家なの!こんな土地転がしの妹がいるなんて、やたら知られると不正があるだの、癒着だの、差し障りがあんのよ!
あんたも人に言わないのよ!ほんと、口が軽いんだから。」
ぬう・・・口が軽いから秘密にしてたのか。
何だかムッとくるが、このカニはうまいぞ!
母親は気分良さそうに、自室へ着替えに入ってゆく。
「み!み!水樹いいいい!!!!」
ぶっ!一体何事?
「何だよ!」
めんどくさいが、仕方なくエビを食べながら母ルームへ向かう。
部屋に入ると母親は、先程まで赤い顔だったのに、今は真っ青な顔で床にはいつくばっていた。
「ど、どしたの?」
「パソコンが・・パソコンがないんだよ!
あんた家を空けたりしなかったろうね!」
えっ?!
「あ、空けたけど・・ちゃんと留守番が・・
友達がいたんだぜ!」
「誰?!誰がいたの?!」
「宇佐美!でも!あいつは盗み何かする奴じゃないよ!ちゃんとした・・!」
ちゃんとした・・それから先が浮かばない。
仲間内では詮索しないのがルールだから、どこに住んでいるのか、どこで働いているのかも知らない。
「知らないんだね?」
母親に見透かされて、返事が出来ない。
「でも!盗み何かしないって!信じてくれよ!」
「水樹!あのパソコンにはね、ちょいとやばい物も入っているんだよ!悪くすると会社だって・・あっ!バッグがいくつか無い!何て事だ、冗談じゃあないよ!」
「母ちゃん!もっと良く探してよ!ベッドの下をさあ!」
水樹がしゃがみ込んでベッドの下に潜り込む。
母親は他の部屋もチェックしようと、もつれる足で部屋を出ていった。
「水樹いいいい!」
ガンッ!水樹が思わずベッドに頭をぶつける。
「いってえ・・今度は何?!何だよ!」
頭を撫でながら部屋を出ると、母親が客間を向いてぽかんと口を開けている。
今度は一体何が無くなっているんだよう!
泣きそうな顔で客間を見た水樹は、思わず悲鳴を上げそうになった。
「殿!水樹殿!わらわの玉が!わらわの玉があああ!水樹殿おおおおおお!」
パラパラパラ・・ずるっずるっ
蓮姫が泣きながら、広縁から客間の座敷までずりずり這ってきている。その目からこぼれる涙は、次々に美しい真珠へと変わって客間にばらまかれていた。
「あ、あれは一体何だい?!あれはあ!」
「母ちゃん、これには訳が・・落ち着いて!」
「あんた知ってたんだね?何が落ち着けだよ!」
「怒るなよ!俺だって立ちションして初めて会っただけだよ!エッチ何かしてねえったら!」
ああ!俺は何を一体言ってるんだああ!
「水樹殿!蓮の話を聞いてくださいませ!殿!
魚鱗の玉の気配が消えたのでございます!殿!」
「あ、ああ、ごめん。で、気配が消えたって盗まれたって事?ここにはないんだね?」
大きく頷いて、また蓮姫の目に涙が浮かぶ。
「どうすればよいのじゃ。わらわは、水樹殿しか頼る方を知らぬ。
蓮の大切な魚鱗の玉。あれが無いと・・あれが無いと、もう二度と龍王様にもお会いできぬ!竜宮にも遊びに行けぬ・・どこにも行けんのじゃ!わああんん!」
パラパラパラ・・コンコン、ココン・・
「ああ、あ、大丈夫だから、ほら泣きやんで。
俺が宇佐美に聞いてみるから、ほら。」
水樹が慌てて蓮姫の涙を、着ているシャツで拭う。その後ろに母親がぐっと迫ってきた。
「そうだよ!あんたの責任でその何とかって玉も、パソコンも取り戻しておいで!
ほら、立ちな!いいかい、取り戻すまで帰ってくるんじゃないよ!
うちの会社の命運はあんたの肩に掛かってるんだからね!さあ!とっとと出てお行き!」
「母ちゃん!せめてカニ食ってから・・」
問答無用、母親は水樹の襟首を掴んで玄関へ引きずってゆく。
ドカッ!「いてえ!」
「取り返してこないと警察に連絡するからね!」
ピシャン!
結局、もう夜も遅いというのに叩き出されてしまった。
「殿!殿!鮒家老でございます!殿!」
呼ばれて池を覗き込むと、あの大きな鮒たちが集まっている。
「何だよ、不幸な俺を助けてくれるの?」
「申し訳ございません、お助けすることは出来ませぬが、玉を見つけるに有効な印が。」
「あ、そう。」
玉なんてどうでもいいんだけど。
「あれは神格の者が持つ物。人間が持つにはたいそう影響が強うございます。」
「影響って?」
「それは色々と。・・ゆえにお早く見つけられないと、騒ぎになる可能性があるかと。」
水樹が溜息をついて、頭を抱える。
「でも、あいつが住んでる所、大体しか知らないんだ。今の時間じゃ、みんな働きに出てるだろうし・・」
宇佐美は一人暮らしだからと、ガードが堅くて人になかなか住所を教えてくれない。
携帯に電話しようにも、電話は居間にある。
金もない。
「殿がたいそうお困りじゃ、姫のためにも力になれぬものか・・」
「では、私が参りましょう、ケコ。」
前に出たのはガマ法師だ。
「おお!それはよい!法師の占いで何とかお力になろう。」
水樹はがっくり項垂れその場に座り込んだ。
カエルに何が出来るってんだよう・・
「殿はこの池の水と蓮の葉をご用意下さい。」ピョンピョンピョン!カエルがそう言って、水樹の膝に飛び乗り上着のポケットに入る。
「ほんとに頼りになるのかよぉ。おい。」
「姫にお仕えして百年は伊達ではありませんケロ。ドーンとお任せを!」
ドーンとなんか落ち込みそう。
水樹は溜息をつきながら、言われるように蓮の葉を数本つみ取り、転がっていたペットボトルに池の水をくむと自転車で、宇佐美が以前そこら辺と教えてくれたところへ向かった。
 ガガガガガガガガガ!
はあっはあっはあっ!
 夜も遅いこの時間、居酒屋やスナックが酔いどれサラリーマン達で騒がしくなる。
気持ちよさそうによろめきながら歩く人の間を縫って、まるで競輪選手のように自転車をこぐ水樹が、夜の街を駆け抜ける。
そしてそれは、あるコンビニの駐車場でようやく止まった。
「はあっはあっはあ!お・・い、ここ・・までしかしらねえ・・んだ。」
自転車を降り、堅いサドルで痛むお尻を撫でながら、ポケットを覗き込む。
「んががが・・げげっ、んんぐうううう・・」
・・・・・寝てる・・・
ポケットの中には、気持ちよさそうに熟睡するガマ法師がハナ風船を膨らませていた。
「この・・おい!カバ法師野郎!起きやがれ!」
ガッとカエルの身体を掴み、ぶんぶんフリ起こす。
「おお!おおおおお!おお起きました!殿!」
「よし、んでここからどう行ったらいい?」
「では、蓮の葉を・・ふあああああ・・」
「てめえも一回あくびしてみろ!ひねりつぶしたる!俺は腹が減ってイライラしてんだよ!」
「滅相もない、私はいたって真面目ケロ。」
「いいから、早く宇佐美を捜してくれよ。
ほら、蓮の葉をどうするって?」
きょろきょろ駐車場を見回す。
「えーっと、土はございませんか?
土の上に蓮の葉を置いて、葉に池の水を入れて下さいケロ。」
土だって?今時、舗装されてて、土なんて町中じゃ人ん家の庭にしかねえぞ。
カエルを肩に乗せ、自転車を押して歩く。 しかし、なかなか土が見あたらない。
「あっ!ほら、この空き地はどうだ?」
指し示すそこは、最近まで家でも建っていたのだろう。砕けたコンクリートが散らばって、木も、草さえ生えていない。
「いけませんなあ、ここには自然の気がございませんケロ。
そもそもわしの露占は、蓮の葉が土のエネルギーを吸い取り、それに姫様の息がかかった水を与え、良い風が吹いたときに出るものでございますケロ。これではちょっと。」
何い!
「そんな条件が必要なら、何で早くいわねえんだよ!お前全然当てに・・」
こんな夜中にカエルと・・ひそひそひそ・・
すれ違った男女が水樹を怪訝な目で見ていく。
「法師さんよう、適当なところで頼めねえ?
家を見つけても、あいつがいるとはかぎらねえんだぜ?」
うーむ、ガマ法師が考えながらうとうとする。そして、はっと満月を仰いだ。
「今宵はよい月が出ておりますケロ、少々疲れますが、水月占いをやってみましょう。
月は姫様の友、きっと教えてくれるでケロ。」
全然当てには出来ないが、それでも無いよりましかも知れない。水樹は言われるとおりに蓮の葉を広げ、それに池の水を注ぎ込み、こぼれないよう両手でそうっと持ち上げた。
「では、失礼して・・」
肩に乗っている法師が葉に向かって手を合わせ、何かむぐむぐ口ごもって念を込める。
あーあ、カエルに頼る俺って一体・・
絶対これ、無理だっつーの・・あれ?
九割以上信用していない水樹の諦めた目が、そこで驚きの目に変わった。
「・・月よケロ、月よ、蓮華の姫の仮初めの池に、魚鱗の玉の在処を指し示したまえケロ。」
カエルが手をかざすと、水全体が鏡のように光り出し、その中に映り込んでいた月が金色に輝いて、水の表面を右に流れていったのだ。
「何だ?これ!」
「殿!この月を追ってゆくのでケロ!
お早く!月は気まぐれ、気が変わらぬうちに!」
「お、おう!お前やっぱり頼りになるぜ。」
自転車はその場に置いて、なるべく水を揺らさないようそうっと歩いてゆく。
月は水の表面を右に左にと指し示してくれる。
これで着いたら、マジ魔法の世界だよなあ。
しかしほっとしたのもつかの間、しばらくすると突然水鏡の光が弾けて消えてしまった。
残るのは、ただの蓮の葉と水だ。
「ああっ!冗談!マジかよ!おい!法師!」
水樹が慌てて肩のカエルを見る。
「んがががが・・ぴるるるるケロケロ・・」
・・・寝てる・・
カエルは疲れたのか、肩に座ったまま、いい気持ちでまたもや熟睡している。
「この・・人が死ぬ気で探してるのに・・」
どうしたらいいんだよう、これからあ・・
大きく溜息をついて顔を上げ、正面の家に目が行った。
「あれ?・・あの庭にあるバイク・・」
一軒家の庭先に、見覚えのあるスクーターがある。そうっと近づいてみると・・
シート下にウサギのマーク!
「宇佐美だ!と、言うことはここが宇佐美の家かよ・・アパートじゃなかったんだ・・」
家の中はすでに真っ暗で、家族も安眠タイムなのだろう。これを起こすのは確かに勇気がいる。しかし・・
『馬鹿!何言ってんだい!相手は泥棒だよ!』
『殿!蓮の玉を!蓮には殿しか頼る方がぁ!』
ああ、分かった分かったよ!やるしかないっしょ!分かりました!
ドンドンドン!ドンドンドン!
「こんばんわ!遅くにすいません!宇佐美さんはいらっしゃいませんか?」
えーい!こうなったらヤケだ!
「・・ンが・・んんケロ・・おや?ここは?」
ようやくガマ法師も目覚めたようだ。
「宇佐美の家だよ。お前、喋るなよ。」
ドンドン!ドンドンドン!
「こんばんわああ!」
「うるさい!静かにしろ!」
やがて、男の声でようやく返事が返って、玄関に灯りがついた。
「夜分申し訳有りません。三上水樹と言います。宇佐美さんにお話しが、聞きたいことがあって来ました。」
ガチャ!ドアが開き、憮然とした表情の中年の男が現れた。恐らく父親なのだろう。
「宇佐美に何だ!こんな遅くに失礼だろう!」
相手は眠い顔で怒っているが、仕方ない。
水樹は今日のいきさつを話して、パソコンとバッグと、そして小さな玉を知らないか聞いて欲しいと頼み込んだ。
「何い!お前はじゃあうちの娘が泥棒だと言いたいのか?カエルなんか肩に乗せて、ふざけた奴だ!警察を呼ぶぞ!」
「だから、聞いて欲しいだけなんです!
困ってるんですよ!何か少しでも情報が・・」
「きゃああ!」
何だ?何か奥でおばさんの悲鳴が聞こえた。
「どうした?!」
父親が、水樹を気にしながら玄関横の階段から二階へ上がる。水樹も気になって、そうっと靴を脱ぎ、勝手について行った。
「何よう、人の部屋に勝手に入らないでよう。」
眠そうな宇佐美の声が、微かに聞こえる。
「お父さん!宇佐美が!」
「どうした!」
母親が一つの部屋を覗き込み、血相を変えて部屋の中を指さしている。
父親もまた、中を見てあんぐりと口を開けたまま、そこで固まってしまった。
水樹も、両親の間から室内を覗き込む。
「はあっ?!何だあれ?!」
そこには何と、ピンクのパジャマを着た大きな魚もどきが、ベッドの上に座っていたのだ。
半魚人と言ったがいいか?頭には毛が生えているし、手足もあるのだ。ただパジャマの首から、にょっきりと魚の顔が飛び出している。
「ひえええええ!何だ?何だよう!これはあ!」
「おお、これは魚鱗の玉の影響でございますケロ。人間の分際であの玉を持つからこんな事になるでケロ。」
法師が冷静にフッと溜息しながら漏らす。
水樹はしばらく絶句していたが、法師の身体を掴むとまたガクガク振り回した。
「どどどどどどどどうしたらいいんだよおお!」
「おお!おお、お、お、お、おまちを、殿!
今なら玉を、玉を取り戻せば治ると思います。」
「思いますって何?」
「はあ、何しろ鮒家老も鯉女中達も、とうとう戻りませんでしたからケロ。」
ぞぞぞぞぞ!あの二匹、まさか元人間かよ!「あっ、やだ水樹!どうしてここに?やだ!」
半魚人がブリッ子しても、全然可愛くないぞ。
「お前、俺んちのパソコンと玉しらねえか?
知ってるよな!その顔が証拠だ!」
「し、知らないわよ!顔が変で悪かったわね!」
「そうじゃなくて!」全然分かってねえ!
水樹は手近にある鏡を取ると、宇佐美に怖々差し出した。
「ひっ!何これ!ひっ!ひっ!ひええええ!」
「だから、玉を返してくれよ!今なら間に合うって!どこにあるんだよ?」
「あ、あんな物、あんな物、返すわよう!
冗談じゃないわよう!こんな・・こんなああ!」
宇佐美が震える手で枕の下からネックレスを取りだし放り出す。カエルが慌てて水樹の頬を叩いた。
「殿!殿!早く拾って!殿!早く!」
「わかってるから、しぃっ!」
魚鱗の玉をようやく取り戻し、今度は肝心のパソコンの在処だ。
「宇佐美、俺んちから母ちゃんのパソコンとバッグは持ってこなかった?なあ!」
「あんな物何よ!あのバッグ、偽物じゃない!」
「え?偽物?そうなの?パソコンは?」
「知らない男が、お金くれるって、ひっく、言ったから、ひっく、渡しちゃったわよ!」
知らない男?何だ?母ちゃんの商売敵かそれ?
「わああああん!嫌よう!こんな顔嫌よう!」
宇佐美は身から出たサビとして、水樹は目の前が真っ暗になってしまった。
これで誰に渡ったのか分からないし、母親の会社にどんな損害を与えるのかもわからない。
水樹は呆然と立ち上がると、美味しそうなカニが酷く遠くに感じられた。
 カチャ、カチャ、カチャ・・
真っ暗闇に誰も通らない道を一人、重々しくペダルをこいで家を目指す。
腹が減った。のどが渇いた。もの凄く眠い。
帰るなと言われても、帰るしかない。
「はあああ・・母ちゃん、怒るよなあ・・」
もうすぐ家だが、考えるほど暗くなる。
「・・殿、殿!」
ポケットからガマ法師が顔を覗かせる。
「何だよ、今度はパソコンの在処を教えてくれんの?」
「それは無理でございますケロ。
ぱそこんは、自然の気がございません。」
そりゃねえだろう。
「殿、お願いがございますケロ。
魚鱗の玉は、仏像の台座の中に戻して、姫様に返さないで欲しいケロ。」
「え?お前玉のある場所知ってたわけ?」
「仕方がございません。姫様は玉を返すと、きっとあの池から出て行かれるでケロ。」
「そりゃさ、随分長くあの狭い池から出られないでいるんだろう?」
「でも、みんなの願いが叶うまでは、いてもらわないとみんな困るケロ。」
「願いって?」
「鮒家老も鯉女中も、姫に二百年仕えたら人間に戻してもらえる約束ケロ。わしは元からカエルじゃが、百年修行したら人間にしてもらえるケロ。もうすぐなのに、約束の日が来るまでは、いて貰わないと姫はすぐ忘れてしまうケロ。」
「へー、あのお姫様にはそんな力があるんだ。」
「姫は魚鱗の玉さえ有れば無敵だケロ。
何しろ水神の一人、つまり神様なのだケロ。」
「へえ、神様ねえ・・うん、考えとくよ。」
「考えとくでは困るケロ!お願いケロ!
それと、玉は決して水に濡らさないで欲しいケロ。水を得ると玉に力が戻ってしまうケロ。」
「何かしらねえけど、わかった、わかったよ。」
キコキコ自転車をこぎながら夜空を見上げると、まん丸の月が何だか饅頭にも見える。
「俺は神様より、何か食いてえなあ・・」
空きっ腹と肌寒さが身にしみる。
家に帰ると母親がどんな顔をするかを思えば、重いペダルはなかなか踏み込めなかった。
 そうっと、自転車を降りて庭へ入る。
あれ?家の窓も開けっ放しで、明々と灯りがともっている。
「まさかあのババア、もう警察に連絡したんじゃねえだろうなあ。」
まさか開かないだろうと思っていると、玄関はカラリと開いた。そうっと忍び込み、上がり込んで廊下から居間を覗く。
「何だよ!これえ!」
何と居間では母親と蓮姫が、酒瓶を何本もころがしてガーガー高いびきで寝ていたのだ。
「人には徹夜で探してこいって言っといて、自分たちは酒盛りかよ!冗談じゃねえぞおい!
ああああ・・俺のカニ!俺のエビがあ!」
テーブルの上にはカニやエビの殻が散乱し、ビールや日本酒、ウイスキーにブランデーの瓶がごろごろ転がっている。
「ほら、母ちゃん、ベッドに行こう。
こんな所で寝ると風邪引くぜ。うう!重いー!」
何とか抱えようとするけど、太っている母親は一体何キロ有るのかびくともしない。
「うー、うるはいよ!馬鹿息子ー!」
「んふ、龍おー様あ、蓮はもー飲めまへぬー。」
真っ赤な顔して、二人ともべろべろだ。
「いい年して、いい加減にしろよな。」
水樹は仕方ないので押入の布団を敷いて、母親をごろごろ転がし何とか寝かせた。
「さて、お姫様はどうしよ?」
蓮姫は残念なことに、派手なピンクのブラウスを着ている。きっと母親が着せたのだろう。
「殿、仕方ないケロ。池にドボンとお願いしますケロ。」
「え、ドボンといいの?」
「いいケロ、どーせ覚えてないケロ。」
「なるほど。」
ずるずる引っ張って広縁まで引きずって、
「蓮ちゃん、ごめんな。せーの、」
ドボーンッ!言われるまま、放り込んだ。
「じゃ、玉をよろしく、仏像の台座ケロ。」
「おう、じゃあな。」
ポチャン!ガマ法師も池に帰る。
「はあ、酔っぱらいが散らかしやがって。
まあいいか、俺も何か食って寝よっと!」
食べ損ねたカニの殻を横目に、涙をのんで水樹は台所へ向かった。
 ガタガタ、雨戸を開ける音で目を覚ますと、眩しい朝日がキラキラ池を照らしている。
「あー!いい天気ねえ!ふん!ふん!」
元気な母親は、広縁に立つと体操を始めた。
やっぱこのババア、化け物だ。どんなにべろべろに酔っても、二日酔いしたことがない。
「るせえなあ、もう少し寝かせろクソババア。」
もぞもぞ布団に潜り込む。
ドカッ!いきなり蹴りを入れられた。
「いってえ!何しやがる!このババア!」
「このクソ息子!パソコンはどうしたよ!
取り戻すまで帰るなっていったろ!」
「人手に渡ってもう無かったんだよ!
仕方ねえだろ?なるようになるしかねえよ!」
「なにい、この根性無し!」
ドカッ!
「いてっ!蹴るなよ!これ、虐待だぞ!虐待!」
「何が虐待だよ!女にだまされる馬鹿が!」
ずきーん、今のは傷ついたぞこのクソババア!
「てめえ、人のカニ食っておいて何だよ!
可愛い息子の為に少しは取っておけよな!」
のしっ!
今度は母親が水樹の上に馬乗りになった。
「グエエエエ!!死ぬ!豚ババア!人殺し!」
「誰が豚ババアだい!お母様とお言い!
お母様、ごめんなさいって言ったら許してやるよ!どうだい、この馬鹿息子!」
「ぐるじい!だずげでー!」
「あっはっはっは!親に逆らうからだよ!」
こうして朝を親子二人、仲良くじゃれ合って?いるころ、そのパソコンは・・
 ブロオオオン・・
黒塗りの外車の中で、須藤建設の社長と秘書が上機嫌で笑っている。
社長が膝上のパソコンを満足そうに叩くと、これから会う相手の顔を想像して笑いがこみ上げてきた。
「ほっほっほ、最近のガキは金をちらつかせると、何でもする馬鹿ばかりじゃ。」
「三上の息子の友人を使って何か弱みをとは思いましたが、まさかこんな思い切った物を盗んでくるとは思いませんでしたよ、社長。」
「きっと面白い物も見られたろうに、パスワードばかりで中身が見られなかったのは残念じゃな。
しかしまあいい、これで少しは足元を見て買い叩いてやろう。わっはっはっは!」
「サツに渡すと言えば、青くなりますかね。
はっはっは!」
二人は晴れ晴れとした青空の下、晴れ晴れとした気分で水樹の家を目指した。
 「ううう・・ぬぬぬ・・ううう・・」
蓮姫が水草のベッドの上で、ころころ転がって頭を抱えている。
最悪の気分で目覚めると、頭がガンガン水の微かな揺らぎでも目が回って吐き気がする。
「蓮姫様、御加減はいかがでございますか?」
鯉女中が心配そうに覗き込む。
「うう静かにせよー、頭に響くではないかー。
うう・・悔しや、あのくらいの酒でこの風体とは・・母御前は何とお元気な事よ・・
わらわにも魚鱗の玉が有れば・・そうじゃ、玉の気配がする。水樹殿に玉を返して貰わねば、うっぷ・・」
よろよろ起きあがり、縁側までよろめきながら泳いでゆく。そこでは親子二人、いい年していまだじゃれ合っている水樹親子がいた。
「あはははは!!!参ったか!!」
ガンガンガン!水樹に馬乗りになった母親の大きな笑い声が、頭にガンガン響く。
「あーら、蓮ちゃん、おはよう。
あら?あんた長生きしてるのに、二日酔い?」
長生きと、二日酔いは関係ないと思う。
「母御前はお元気なご様子で何よりじゃ。
ところで水樹殿、魚鱗の玉をお返し願えぬか?
あれがないと、わらわはすこぶる体調がよろしゅうないのじゃ。」
「まあ!水樹!あんた蓮ちゃんの玉は取り返してたの?!何で早く返さないのよ!」
ウウ、もう少し静かな声で、お願い・・
「だってよう、カエルと約束してんだ。」
「ガマ法師が何か申しましたか?」
「んーえーっと・・あ、そうだ、あのバッグ偽物ってどう言うことだよ!」
「ああ、家にあるのは全部偽物さ。この商売してるとね、だまされる事もあるのさ。
もうだまされないって戒めだよ!それはいいからカエルがどうしたって?はっきりお言い!」
母親が水樹の首に手を回し、グイッと背中にえびぞらせる。
「言います!言いますう!死ぬう!だずげで!」
「よし、いい子だ、はきはきお言い。」
解放されて水樹がばったりうつぶせる。
「実はー・・」
ボロロロロロ・・
そこへ黒塗りの外車が庭へ入ってきた。
蓮姫はチャポンと姿を消し、法師達も慌てて池の中に消えてゆく。
「まあ、何て間の悪い男だよ。懲りずにまた追い返されに来たのかねえ。」
母親が玄関へ向かい、それを見た水樹も起きて様子を窺う。
「お、何か面白そうだぜ。」
水樹はさっと起きあがると、昨夜着ていた上着を手に、母親の後を追った。
コトン!・・コン!・・コン!
そのポケットから、小さな乳白色の玉のネックレスが転がり落ち、吸い込まれるように跳ねて池へと向かう。
コン!・・コン!・・
ポッチャン!
とうとう池の中へ落ちてしまった。
 「おい!三上のバアさん!また来たぞ!出てこんかい!」
須藤建設の社長が意気揚々と大声で叫ぶ。
「三上さん!今日はいい返事を貰いますよ!」
ドンドンドン!ドンドンドン!
秘書が大きな音を立てて格子戸を叩いた。
・・・・うぬぬぬ・・
ガンガンガン!蓮姫の頭は割れそうに痛くて、吐き気がこみ上げてくる。
「お、おのれえ!」姫の怒りはピークに近い。
「姫!どうかお静まりを!」
「姫!相手はただの人間ではありませぬか!
もうしばらくのご辛抱を!」
ドンドンドン!ドンドンドン!
「わははは!早く開けんか!いい物を持ってきたぞ!」
「うるさいねえ。」水樹の母親が、溜息をつきながら土間を降りて格子戸に向かう。
「おーい!三上のバアさん!」
「三上さん!」
ドンドンドン!ガンガンガン!
・・むむむむう!!ぷっつん!切れた。
「姫!」「蓮姫様!」
「許せん!あのような不埒者ども!
ガマにでもなって、百年修行するがいい!」
ふわふわふわ・・
揺らめきながら水底へと落ちてゆく魚鱗の玉が、水を得て輝きを取り戻す。
カアッ!それは一瞬、姫の叫びに答えるように強く輝くと、姫の手元へと流れていった。
 シーン・・
「あら?急にどうしたのかねえ?」
ガラガラ、母親が格子戸を開けて見ると誰もいない。ただ足下に盗まれたパソコンと・・
ケロケロ、ケロケロケロ
「あら?カエル?んま!あたしのパソコンじゃない!」
ケロ、ケロ、ケロケロ・・
今までここにいたはずの男達が消えて、カエルが二匹。
「ああ!ほら、あたしゃカエルは嫌いだよ!
あんた達は池にいきな!」
ゲコ、ゲコ、
母親に払われて、カエル達はピョンピョン跳ねると、ポチャンと池へ。 
「あれ?母ちゃん!あの爺さん達は?」
「さあねえ、車ほっぽりだして、どこに行ったのかしら?」
「あっ!パソコン戻ったじゃん!」
「ああ、何だか訳が分からないよ。もしかしたら、あいつ等が返しに来たのかもね。」
バシャン!
その時いきなり大きな水音を立てて、美しい人魚が水面を跳ねた。
「あら、蓮ちゃん。」
「あれ?お姫様どしたの?」
「ほほほほ・・おーーほほほほ!!!」
石島に姿を現した蓮姫は、神々しく光り輝き女王様笑いをしている。
呆然と見ていた水樹は、その胸元に輝く真珠のネックレスを見て驚いた。
「あっ!あれ!?玉!玉は確かここに?!」
パンパン!ポケットを叩いても・・無い!玉がない!しまったあ!
「殿ー!あれ程言いましたのにケロ!」
「ご、ごめん。」
法師に責められ、水樹の額を冷や汗が流れる。
「ほーーほっほっほ!!わらわは自由じゃ!
これで龍王にもお会いできる!竜宮にも遊びに行ける!わらわは自由じゃ!ほーほっほっ!」
ああ!お姫様がこのまま消えたらどうしよう!
カエルや魚達は水樹を恨めしそうに見ている。
神様仏様!お助け下さい!水神様あ!
「よーし!じゃあお祝いに飲み直しだ!
蓮ちゃん、人間に化けといで!買い物行こうよ!何でも好きな物買ってやるよ!」
何い!いきなりババア、何言い出す!
「おお!母御前殿!うれしやのう!」
「ええ!嘘っ!ババア、俺にはんな事絶対言わないくせにい!ずるいぞ!」
「何言ってんだい!いい酒飲み友達さ、母さんと蓮ちゃんは親友だよ!ねえ、蓮ちゃん!」
「ほっほっほ!母御前殿はほんに楽しい方じゃ!わらわも殿以外に懇意の方が出来て嬉しいぞ。
鮒家老!わらわはしばし人間界を楽しんでくるとしよう。そうじゃ、おぬし達には麩でも買うて参ろう、楽しみに待っておれ。」
「ははっ!いってらっしゃいませ。」
ザザザザザ!
池の水が巻き上がると蓮姫にまとわりつき、鮮やかな水色のドレスに変わる。
そしてその裾には、すらりと伸びた足が二本。
パシャンッパシャンッ!!
水面を滑るように歩いてくる。
「まあ、蓮ちゃん素敵ねえ。じゃあ車を・・
あらやだ、この偉そうなあいつらの外車邪魔ねえ、あたしの車が出ないじゃない。」
「おお、この鬱陶しい真っ黒な箱じゃな?
邪魔じゃ!水に帰すがよい!」
バッシャアーン!!
蓮姫の声に車がいきなり水になって、庭に大きな水たまりを作る。
「え?」
水樹は呆気にとられ、その場に凍り付いた。
「蓮ちゃんすっごおーい!」
「ほっほっほ!このくらい訳がない!」
「さあ!バンバン買うよ!
水樹!ちゃんと留守番するのよ!」
「おお!これが車と申す物じゃな?一度乗ってみたかったのじゃ!
では殿!皆の者!行って参るぞ!」
女王様二人が車で楽しそうに出かける。
後に残された水樹と池の住人は、その場に呆然としていた。
「一応良かったケロ、姫はどうやら出ていく気がないみたいケロ。良かった良かった。」
ほっとお腹を撫でる法師に、水樹が白い目を向ける。
「一体何がいいんだよ。何だ!あの力は!
気に入らねえと、何でも水に変えちまうんじゃねえのか?!おい!冗談じゃねえぞ!」
「長い人生の些細な事、諦めるケロ。さっきも男が二人、カエルに変えられたケロ。まあ余程の事がない限りそこまでしないケロ。」
ぞおおおーーー!!
背筋に冷たい物が走る。結局我が侭で、たちの悪い女が二人になっただけじゃないか!
「馬鹿野郎!もう帰ってくるな!!」
水樹が青い空に向かって虚しく叫ぶ。
ヒュウウ・・
それに答えるように暖かな風が吹き、池に咲き誇る睡蓮の花が、さやさやと揺れて笑っていた。