桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

サスキアでの日常  心のささえ

入院中のレディアスの付き添いをするグランド。
グレイはその交替に病院へと赴きます。
レディとグレイ、二人っきりになって語り合います。

 カチャカチャカチャ・・
女の子達の、キーを打つ音が一日中部屋に響いている。良くも飽きない物だとも思うが、これも仕事だ、好きでやっているわけではないだろう。
「ふぁーあーあ、やっと一日終わるなあ。」
シャドウが大きな手を精一杯伸ばして伸びをすると、彼の身体からして小さく見える椅子が、苦しそうにギィィィッと軋む。
「もう!ちょっと、まだ後1時間はあるんだからキリッとしなよ!」
隣のデスクで資料を整理していたグレイが、溜息混じりに睨み付けた。
「硬いなあ、グレイちゃんは。こーんなに美人なのにぃ。」
でへへ〜っと緩みきった顔で手を回してくる。
「ふんっ!」
ガタンッ!
「うぉっと、グレイちゃーん!」
グレイがプイッと避けるように立ち上がり、その手を避けた。
「あ、セリカ、やっと資料まとめたんだけど、こっちにある地理的な事に関係するデーターをディスクに入れて貰えるかな?」
シャドウを無視して、いきなりパッと明るい顔で近くの席のセリカ・ウィストンに微笑んで書類を差し出す。
「は、はあ、いいですよ。」
グレイのあまりの変わり身の素早さに、新入りのセリカが戸惑って苦笑い。
隣にいるミサがウンウンと頷いて、セリカの肩を叩いた。
「その内慣れるわよ、この兄弟はちょっと一癖ずつあるからねえ。
おかっぱグレイと狼男シャドウは特別よ。」
くいっとミサが顎で指す。
グレイがむくれながら腰に手を当てた。
「あれ?ミサ、ひどいよ。僕はまともな方だよ、相棒は色キチガイだけど。
そう言えば、レディのお見舞いに行ってくれたんだって?ありがとう、きっと喜んでるよ。」
レディはまだ、肋骨を折って入院中だ。
意識が戻って1週間、体調が思わしくないので、快復がやや遅れている。
それも上層部がやたら彼に話を聞きに行くから、それが足を引っ張っているのだと原因は目に見えているのだ。
それで先日、とうとうグランドが病室の鍵を閉めてしまった。
儚い抵抗だが、相手を確かめてからしか入れてくれない。
病院スタッフからも、かなり苦情が来ているようだが、グランドは「レディ命」で聞く耳持つ気はないらしい。
ずっと付き添って、病院で仕事している。
時々グレイが付き添いを交替して、グランドは家に帰り手料理を作ってはレディに食べさせているのだが、きつそうに見えて実は楽しんでいるようだ。
「いーえ、どういたしまして、と言いたいとこだけど、相変わらずよねえ。
レディさん、布団被って寝たふりよ。」
ミサがヒョイと肩をあげ、呆れた風に首を振る。
「ごめんごめん。まあ、レディがニコニコしていらっしゃいなんて言ったら、今度は頭を検査してもらわなきゃね。
うふふ・・」
「ま!そんなこと言っていいの?」
「いいの!人を心配させた仕返しだよ!」
キャキャッと女性陣が笑ってグレイを見る。
グレイは、ここでも女性と人付き合いが良く人気がある。みんな、グレイが半分女だと言うこともあってか、安心するのかも知れないとはシャドウの分析だが、それで誰か紹介してとは口が裂けても言えない。
ついでに言うと、密かに人気があるのはやっぱりレディアスだが、みんな面と向かって告白できないのは、彼が綺麗すぎて敷居が高いらしい。しかも、愛想が最悪最低なので、きっと無視されるだろう事は十分予想できるのだ。
「ああ、そうだ。グレイ、今日帰りに付き合わない?通信部のフェルドラの結婚祝い、ちょっと意見が聞きたいのよ。
グレイは彼女と時々買い物とか美容室に行ってたでしょ?
趣味をわかるかと思って。」
「ああ・・そう言えば、来月なんだ。」
確かに、招待状が兄弟宛に来ていたっけ。
来られる人だけでいいからと但し書きがあったけど、やはりグレイは出なくてはならないだろう。
それでも、今は休暇中でほとんど会わない彼女と会うのは辛い。すでに妊娠中だと聞いた。
考えると、何か暗い気持ちが大きく首をもたげてくる。
「いいね、結婚か・・羨ましいよ。」
呟くグレイに、ミサが目を丸くして笑い出した。
「あはははは!!グレイったら!男は結婚を羨ましいなんて言わないわよ!
やっぱり半分女よね!んーん、グレイは女性的!綺麗だし、あたし等よりうんと女らしいもん。
無理しないで、性別変えればいいのに!」
あっさりした性格のミサが、ポンと言い放つ。
グレイもクスッと笑って、スッと胸を撫でた。
「ほら、僕、胸がぺたんこでしょ。
これじゃあAAカップでも余っちゃうよ。」
「あら、それはパッドで誤魔化せばいいのよ、ほら、キャスみたいに。」
こそっと小声で囁いて、ちらっと隣を指す。
その背中をバンッと書類で叩かれ、キャスに思いっ切り睨まれた。
「悪かったわね!ミサみたいな牛女に言われたくないわよ!大きすぎるのも罪よ!
仕事しなさいな!局長が来るわよ!」
「あーはいはい、じゃね、グレイ。
あまり時間取らせないわ、だいたいは決まってるから。」
「うん、わかったよ。じゃあ、後で。」
席に戻ると、シャドウがついっと顔を寄せてくる。にやけてまったく緊張感がない。
「なあなあ、俺も一緒に行こうか?いいなあ、ミサちゃんと一緒にお買い物かあ。
あの胸をサワサワしたいなあ。」
ドカッ「うげっ」
肘で、シャドウの頬に一撃。
「悪かったね!ぺったんこで!」
「ひどーい!グレイちゃん!うう、いてえ!」
バカを無視して、カチャンと椅子を引く。
「ハアー」
溜息一つ、パートナーは結婚なんて考えてもいないだろう。
だいたい、戸籍上も兄弟だ。
それでいいと思ったし、戸籍登録時も深く考えなかった。
結婚なんて、紙切れ一枚のことにこんなにこだわるなんて、自分だけだろうか?
ブルーとセピアはお互いどう思っているんだろう。
「兄弟でいいじゃん」
きっとセピアはそう元気に答えて、結婚式の真似事でも派手にやらかすんだろう。
借金で。
 「えーっと・・あっ!シャドウよ!いたいた!いたなあ!へっへっへ。」
ドアから飛び込んできたデカ物が、こそこそガタガタとデスクにぶつかりながらやってくる。
筋肉隆々とした、マッチョな金髪おじさんだ。
おじさんと言っても30代・・・おじさんか・・
「おお!何だ我が友ブライスじゃないか!」
そう言って喜び立ち上がるシャドウに、また溜息が出た。
「元気だったか?!おい!何だ、珍しくデスクワークか!シャドウらしくねえな。
あ、どうも、グレイさん。」
「どーも、」
至極迷惑な顔で、嫌々ぺこりとお辞儀する。
「よう、何処に行ってたんだ?また真っ黒だな、ブライスよう。」
「おう、それがな・・」
ちろっとグレイが気になる。
またろくでもない事だろうと、グレイがシャドウを睨み付けた。
10歳以上も年齢差はあるが、彼はシャドウの女遊び友達なのだ。
一般管理官でやはり派遣が多く、それだけに滅多に会わないクセに、会うと必ず遅くまで盛り場を飲み回る。
そして二人一緒だと怖さ半減なのか、彼も世帯持ちのクセしてろくな遊びをしないのだ。
「今夜飲みにいかねえか?」
「おっ!そりゃいいねえ!」
まーただ。
「シャドウ!レディが入院中は節制してよね!
家族が怪我で苦しんでるんだよ!」
ドスッと釘を刺す。シャドウは渋い顔で指を指し、仕方なーくブライスに首を振った。
「と、いうわけでね。」
「はあん、あの美人さんが入院してるのか。
そりゃあ一度、見舞いに行くのもいいねえ。
くたびれたパジャマから、ちょいと見える白い肌。あのきれーな髪がチラチラと乱れて首筋にかかるなんざあ、かーっ色っぽいねえ!金出しても拝みてえや。」
「お断り!!」
ガーッと、グレイが噛みつくようにブライスに怒鳴る。
「おやおや、美人が怒ると怖いねえ。」
ヒッヒッヒッと下品な笑いは、お下劣モードのシャドウとよく似ていて、類は友を呼ぶとはよく言った物だ。
「冗談だよ!ま、後で会おうや、シャドウ。
渡したい物があるんだ。みやげだよ!」
「へえ、めずらしいな。おう、わかったぜ。」
「また変な物でしょう!駄目だよ!」
「違う違う!チョコだよ!ワインに良く合うさ。いい物手に入れたから、お裾分け!」
ブイサインなんかしちゃって、調子いいんだから。
シャドウも何だか、にやけた顔が締まりがない。
グレイは今夜、また丁寧に掃除して、シャドウの物をチェックしようと心に誓った。

 夕暮れの街を抜け、郊外に続く道は車の通りもまばらで、帰宅時間とは思えないようだ。
それもこのサスキアのほとんどの企業が、フレックスタイムを導入しているからだろう。
しかも、1日の労働時間は短い。だいたいどこも6時間程度で、昼休みを長く取る人もいれば、1時間程度休んで早く帰る人もいる。
日中と朝夕の10度以上にもなる気温差の違いや、開拓時の苦労と自由な気風がそれをもたらしているのかもしれないが、体調を壊さないようにゆっくり休む、と言うのが常だ。
それだから24時間体制で、きっちりとした時間配分の管理局は、一般よりハードな職場かもしれない。

 静かで誰もいないマンションの駐車場に、猛スピードで車が飛び込んでくる。
キキキキキッ!キュキュッ!
タイヤを軋ませ、いつもは綺麗にバックで入れるのに、そのまま突っ込んで斜めに停めた。
バクンッとガルウィングのドアを開け、ゴツイ黒服の男・・シャドウが飛び出てくる。
小さく見える紙袋を抱き、ピッとロックを忘れず慌ててマンションのロビーへ駆け込もうとして、はたと振り返った。
整然と綺麗に並べられた車の中で、思いっ切りシャドウの黒いスポーツカーは斜め止めで違和感がある。
「駄目だ!やっぱ、いつものようにしないと気付かれる!」
ダアッと戻り、エンジンを掛けて駐車し直す。
「えーい、面倒くせえ!駐車くらい自動にならねえかな、このクソ!」
一旦前に出て、ヒュッと一気にバックする。
キ、キーー!甲高い音に慌ててブレーキを踏んだ。
「ぎゃあ!こすった!」
車を出るまでもない、ミラーで見ると思い切りブルーの小さな軽自動車のドアに、ツ、ツーッと傷が付いている。
「ひいいい!ど、どうしよう!ああ!こんなでかいスポーツカー買うんじゃなかった!」
ガシガシ頭をかいても、傷は元に戻らない。
「ま、いいか、どうせあっちは中古のボロだし。」
廃車寸前でも、車は車。
後でマジックで塗っておこう。
スーハーと、息を整えもう一度。
ブオン、ブオン・・
いつもなら何でもないことなのに、これ程手間取るのは何故だろう。
額に汗を浮かべながら、それでもようやくきちんと停めた。

 落ち着いて、それでいて不自然に見えないように。
だが思い切り不自然で怪しい様子のシャドウが、エレベーターに乗り込む。
じんわり登ってゆく数字にイライラしながら、ようやく最上階に止まると慌てて飛び出し部屋に向かった。
「カード!カード!鍵は何処だ!」
ゴソゴソポケットを探り、もどかしい手つきでピッと開ける。
「まさか、まだ帰ってないよな・・」

カチャ、キイイィィィ・・・

「だだいま゛ーー・・」
そうっと開けて覗き込んだ。
シンとした部屋からは、誰も人の気配がしない。

「グレイさん、いませんよねえ・・」

それでも一部屋一部屋確認しながら入り、居間へ入ってホウッと一息つくと、ゴソゴソ一枚のディスクを取りだした。
「我が友よ、感謝するぜぃ。」
チュッとディスクにキスをして、デッキに向かいかけてもう一度振り返る。
よもやグレイが隠れてはしないだろうが、もう一度そうっとキッチンも確認する。
「フッ、誰もいない。」
ルンルンルン、スキップしたい気持ちを抑え、ディスクプレイヤーのリモコンを持って、テレビのド真ん前に鎮座した。
うやうやしく、丁寧にディスクをプレイヤーにセットする。
「フフフフ・・再生!開始!」
と、その前にもう一度後方確認。
窓からベランダも確認して、シャッとカーテンを閉める。
「まあまあ、落ち着きたまえ。では、心おきなく・・」
ピッと再生ボタンを押す。

キュンッ、シャアアアァァァ・・・

小気味良い音を微かに響かせ、ディスクが高速で回転をはじめる。
シャドウはコートを脱ぐのもすっかり忘れ、次第に目をギラギラさせながらテレビにかじりついていった。

 コンコン、
『誰?』
病院の奥まった場所にある個室のドアを叩くと、中から曇ったグランドの声が返ってくる。
「僕、グレイだよ。」
『あ、ちょっと待って。』
パタパタ足音の後、カチャンと鍵を開ける音がして、ニヤッと笑うグランドが顔を出した。
「よ!らっしゃい!」
「ごめん、遅くなって。夕飯は?」
「うん、付き添い食を食べた。でも、なんか足りねえんだよなあ。」
「うふふ、代わるからマンションで何か食べたら?冷蔵庫の残りでよかったら食べていいよ。
それにじっとしてるのも疲れたでしょう?シャワーでも浴びておいでよ。」
話しながらドアを閉め、忘れず鍵をカチャンと閉める。
相変わらず3本の点滴に繋がれたレディは、ウトウト眠っているようだ。
「どう?今日はご飯食べられたの?」
「んー、まあね。あの取り調べが終わらないと、なかなか体調は良くならないさ。
食わなくても、こいつで何とか補給できるし。」
顎で指す点滴は、大きな袋で24時間栄養を送っているらしい。
「あっちはやたらしつこいし、こいつもなかなか口は滑らないし、まるで駆け引きだね。
俺等が聞いた以上は話す気がねえみたい。
他にも知ってそうだけど・・・
後はこいつが受けた虐待の内容まで話せって言うし、聞いてて辛いぜ。」
グランドは溜息をつきながら、トントンッとベッドサイドの小さなデスクに広げている書類をまとめ、リュックに入れている。
グレイも小さく首を振り、返す言葉が見つからなかった。
事を急ぐ上層部は、情報提供を決めたときからレディを早々に個室に移させて、毎日やってくる。
抗ってもどうにもならないことに腹立たしく感じながら、グランドは病室に「鍵」を閉めて儚い抵抗をしているのだ。
「じゃ、あと頼むよ。なるべく早く帰るから。」
「いいよ、ゆっくり。僕らの夕食は簡単なの買ってあるから、炒めて終わりだよ。」
「そっか、じゃ何か作って持ってこようかな?
それなりにやってくる!じゃあな。」
リュックを背負い、元気に部屋を飛び出してゆく。
「ま!元気だこと!ねえ、レディ。」
普通付き添いはじっとしている物だが、彼はやたら暇つぶしにストレッチをしている。だから部屋には、妙にその手の道具が片隅に隠してあるのだ。
以前うっかりダンベルにつまづいた看護師から怒られて、持って帰ると約束したらしい。
寝ている横でストレッチされるレディも、相当鬱陶しいだろう。
 カタン、とベッドサイドの椅子に掛け、ちらっとベッドを覗き込む。
すると、レディが片目を開けて、アイスブルーの瞳をきょろりとこちらに向けた。
「あら、なんだ起きてたんだ。」
クスッと笑ってベッドに肘をつく。
顔にかかった銀髪をそっと避けて、額を撫でた。
「熱、まだあるの?」
レディが怠そうに一息息を吐く。
もぞもぞ寝返りを打って、グレイの方に向きを変えて微かに笑った。
「シャドウ・・来なかった?」
「会いたいの?」
「いや、いつも一緒なのにって・・」
フフフ・・グレイが微笑む。
「あれはね、僕が追いかけてるんだよ。」
「・・・ふうん・・じゃあ俺と一緒だ。」
「そう、一緒なんだ。」
じっと見つめ合って、グレイがふと、寂しい顔をする。
「フェルドラ、知ってる?通信員の、ほら澄んだ声の女の子。あの子が結婚するんだって。」
こんな事をレディに話しても、彼に自分の気持ちが分かるわけがない。それでも、何だか誰かに聞いて欲しかった。
「・・結婚ってさ、響きがいいよね。」
グレイの言葉に、レディが静かに目を閉じる。
くだらないと思っているのだろう。
「ま、僕らには縁がないけどね!」
フフッと諦めがちに微笑んで、グレイが身体を起こした。
「・・グレイは、とっくに結婚しているんだろう?」
「え?」
レディが、まじめな顔で見つめる。
グレイは首を傾げながら、やっぱり分かってないなと首を振った。
「レディは、結婚を知らないから。ちゃんと籍を入れて・・」
「入ってるよ。」
「一緒に過ごして・・」
「いつも一緒じゃない。」
「愛し合って・・」
「好きだろ?」
キョトンと、レディは大まじめだ。
グレイは思わず馬鹿馬鹿しくなって、クスクス笑いながらコンコンとレディの頭を叩いた。
「アハハ!まったく、参ったね。確かにそうだけどさ!夫婦と兄弟じゃ意味が違うよ!」
「そっか?意味があるのか・・」
本当に分かっているのか、つられたようににっこり笑う。
「グレイは、シャドウと仲がいい。羨ましいくらいに。なのにそれが夫婦じゃないんだ。」
「違うよ。」
やっぱり良く理解していないんだ、とまたグレイが、ベッドに肘をついてレディと向き合う。
「夫婦ってさ、人間の特権なのかな?
僕らには、所詮臨んじゃいけないことだったね。だから僕も、『男』を選んだんだ。」
分かっているんだ。
旧レダリアと共に、本当は消えなければならない運命。
それを、この時代の戦後処理の為に長らえることになった。
レダリアの遺物なのだ。
戦争が終わって自由を感じたのは、ほんのつかの間で余程コールドスリープの間が自由だっただろう。
そしてこの時代に来ても、また結局は軍の管理下に収まっている。
人為的に作られた存在だからこそ、子孫を残すことは許されていない。だから、シャドウは余計に女遊びをするのかもしれない。
虚しい性交渉など、何のはけ口にもならないのに。
フウーッと溜息が出て、じっとレディの美しい顔に見とれる。
彼と始終一緒にいて、グランドは何も感じないのか、少し不思議に思った。
「・・・ね、レディ・・」
「なに?」
「ね、グランドと・・しないの?」
「何を?」
「セックス。」
レディが急に暗い顔で、布団に半分顔を隠す。
シンと静かな病室をサッと見回し、グレイから目をそらした。
「・・・・しないよ、グランドはしない。」
「グランドは?じゃあ、レディはしたいの?」
「・・・・」
レディが目を閉じて、沈黙する。
それをイエスと取っていいのか、ノーと取るべきか、こんな時心を読めるブルーが羨ましい。
「・・そうだね、セックスだけが愛情を知る指標じゃないよね。それに・・」
セックスが、恐ろしい物だと思うのかもしれない。昔の自分がそうだったように。
「最初が、悪かったよね。」
もう、思い出したくない。
初体験は、とても恐ろしい物だったから。
グレイは左手で頬杖を付き、右手でそうっとレディの額を撫でた。
「・・でもね、」
「ん?」
「抱いてくれるよ、グランド。
一緒に眠るとね、よく眠れるんだ。
手を、握ってるだけで、一人じゃないって、わかるんだ。」
話し終えて、目をようやく開くとにこっと微笑む。
「そう、レディはずっと一人だったから、一人じゃないだけでホッとするんだね。
・・ねえ、ずっと聞きたかったけど、昔、心のささえって、何だった?」
昔のことを聞くのは、彼に悪いことかな?
少し、グレイの心に不安が走る。
レディは、ちらっとまた周りを見て、グレイを見つめる。
「・・笑う?笑わない?」
「笑わないよ。」
昔を話そうとするレディは、グレイには以外に思える。じっと耳を傾けた。
「あのね、グランドがさ、ずっと・・いたんだ。」
「いたの?心の中に?」
レディが微かに首を振る。
そして骨張った手を布団から出し、スッとシーツに小さな円を書いた。
「このくらいの、綺麗で白い石をね、グランドに決めるんだ。」
「決めるの?石を?」
「そう、それがグランド。そして、心で話しかける。」
「心で?ふふっ、直に話しかけるのは恥ずかしいから?」
直に話しかけていたのなら、そうだと端から見ても気が付いただろう。
「違う、俺とかクローン達は・・無駄に声を出すとひどい目にあった。
話しちゃ駄目なんだ。だからクローン達と無駄話なんて、一切無い。
荒野に宿営しても響くのは人間の声だけ、俺達はいつもシンとして、まるで誰もいないようでさ・・・息づかいだけが聞こえるのに、虫みたいにいつも食い物探して周りをうごめいていた。」
目に浮かぶのか、宙を見て無表情に昔を語る。
最近昔のことを聞かれてばかりだから、レディの心が空虚に荒んでしまわないか、グランドはひどく心配していたのをふと思い出す。
しかしそれにもまして思い出されるのは、昔、本当にレディは無口だった事だ。
何処にいるのか分からないほど、彼はたたずんでいるときさえ息をひそめて、まったく何も話そうとしなかった。
心を壊して人形のようだった彼が、よくもここまで自分を取り戻せたと思う。
それでも、同情より同意の方が彼の力になる気がする。
グレイは、そう・・と寂しく頷いて、優しく微笑みかけた。
二人の間が寂しげに沈み、レディが急に声を明るくする。
どんな顔をしていいか分からないようで、不自然で引きつった笑いを浮かべ、大げさに手を動かした。
「さ、最初はね、小さな石を5個入れてたんだ。兄弟5人分。
でも、服がボロボロだったから、よく落として・・小さい石なのに、妙に重く感じてね、だから、1個にした。
一番、綺麗で白い石。汚れていない、綺麗な、白い石をね。」
グランドは、兄弟は汚れていない、綺麗な石がふさわしい。
「無くしたときは、悲しかった?」
「石は、沢山あるから。悲しいって思うことないさ、何も感じない。
なくしたら、また新しい、綺麗な石がグランド。ずっと、必ず持っていたよ。」
「そう、だから帰ってきてしばらくも、ずっと白い石を離さなかったよね。
僕ら、あの頃レディが周りをみんな怖がっていたから、武器にするつもりなんだろうって思ってた。」
「ふふ・・違うよ。
変だろうけど・・グランドやみんな、みんな偽物だって思ってたんだ。」
偽物・・クローン・・
「ああ・・・そうだったんだ・・」
「変だよね、俺って、薄情なんだ。
もう、もう・・・本当に、薄情なんだ。」
レディの顔が、次第にまた暗く沈んで表情をなくしてゆく。
グレイは彼の手を握り、優しく頬ずりした。
「そんなこと、絶対違うよ。大丈夫、レディは何も変わらない。」
「グレイは・・優しいね。」
優しい・・でも、何故薄情なのかを聞けばグレイは怒るだろう。
5年間離れてようやく帰された時、他の兄弟を本物だと思えなかったのは・・

もう、顔が思い出せなかったのだ。

ぼんやりと、いつも思い浮かべていた兄弟は、月日がたつ毎に次第に輪郭を失い。
ただ、美しく眩しい光りに包まれて口元だけが笑っていた。
会いたいと切実に願いながら、もう、二度と会うことはないと思っていた。
飢餓は記憶を、心をむしばみ、ただ目の前の敵を殺すことだけが強烈に残ってゆく。
穏やかな感情が消え、楽しかった兄弟との思い出も薄く記憶の底に沈み、無表情に獣のような弱肉強食の世界を、一日を生き延びるので精一杯だった。

会いたいと、思いながら、家族の顔さえ、忘れたなんて・・・

思い出せない・・目の前にしても自信が持てない・・その戸惑いとショック。

今でも鮮やかに思い出せる。
辛いことだけは、綺麗に思い出せる。

「レディ、ねえ・・」
「ん?」
「僕は・・僕だって、シャドウを信用していないのかもしれない。」
レディが、大きく目を見開いてパチパチと瞬きする。
思いがけない反応に、クスッと、グレイが笑った。
「そんなに爆弾発言だった?」
「だって、だって、グレイも迷うんだ。」
「そうだよ、みんな、生きてる間中迷うんだろうね。」
「そうか、そうなのか・・・」
「うふふ、僕の迷いなんて、レディ程じゃないかもね。」
「そうかな?」
「そうだね。」
グレイが身体を起こして、ンーッと伸びをする。レディに少し胸の内を話したら、ほんの少し楽になった。
「ああ、リンゴがあるよ。僕も少し食べたいな。
少しでいいから、レディも食べるの手伝ってくれる?」
食べたくないことは分かっているから、ちょっと意地悪して聞いてみる。
レディもしばし考えて、仕方なくうんと頷いた。

 「ふんふんふーん・・」
お気楽な鼻歌交じりで、グランドが車を走らせる。
途中の買い物で今日は丁度タイムバーゲンに当たって、欲しい物がほとんど安く買えた。
ルンルンだ。
郊外のマンションへ車を進め、ようやく駐車場へと入っていくと、4つ借りた駐車スペースの中で、真っ黒い車がやけに出っ張っている。
「何だー?シャドウの馬鹿、いつもきちんと止めるクセに。」
眉をひそめて、チェッと舌打ちした。
この駐車場でも一番ボロいブルーの小さな車の隣りに、大きくて艶々としたシャドウの大型高級スポーツカーが張り出している。
その隣の空きスペースがグレイの6人乗りのミニバンで、そのまた隣がグランドの普通車だ。
兄弟でも一番見栄っ張りのシャドウの車は、グレイにも相談せず勝手に買ってしまった物だ。
その時は相当グレイも怒って、二人の間が非常に冷ややかになってしまったが、車好きのグランドにもちょっと羨ましい。
「絶対に傷を付けないなら、貸してもいいぜ。」
何て言われると、借りる気は更々無い。
まあ、そう言いながらシャドウの運転は荒いから、すでに4スミは傷だらけだ。
もう少し傷だらけになったら、他の車のように自由に貸し借りできるようになるだろう。
(ブルーの車は絶対に乗りたくないが・・)
 スイッとバックで入れて、買い物してきた物のうち料理に使う分を持ってロビーに向かう。
クキクキ身体を解しながら、自宅の部屋へとエレベーターで上っていった。

 車はあったから中にシャドウはいるだろうが、いちいち呼び出すのも何だからとカードキーを取りだしてドアを開ける。
カチャン「ただい・・」

「おおっ!なんだこりゃ!すげえっ!」

でっかい、シャドウの声が居間の方から聞こえる。
「また、何かろくでもない物見てんのかな?」
ブツブツ呟きながら、何となく足音を忍ばせてキッチンへ行った。
LDKなので居間とは続きだが、部屋は多少L型になっていて、広いキッチンは少し廊下へ出っ張っている。
その出っ張ったところにキッチン用のドアがあり、そこを開け放してついでに向かいのグランド達の部屋のドアを開け放すと、料理を作りながらその部屋が見渡せるようになっていた。
ついでに言うと、グランド達の部屋の隣がブルー達の部屋、その隣がグレイ達。
キッチンの隣は広めのバスルーム、その隣はパウダールーム、その隣がウオークインクロゼットで隣がトイレ。
間の廊下を行った突き当たりが玄関だが、玄関横の部屋側がシューズルームで、向かいにはトイレの裏側を利用したトランクルームがあって、収納スペースが広い。
この家は角部屋なので、結構広いのだ。

 バクンッと冷蔵庫を覗いて、冷蔵品を放り込む。

さあて、先に風呂に入ろうかなあ・・

1Lのビンに入ったオレンジジュースを取って、コップと共にカウンターテーブルにドンッと置いた。

「おわっ!」

「へ?」悲鳴じみた声に、グランドがのんびり顔を上げる。
するとテレビの真ん前に座るシャドウが慌ててテレビを消し、そろーっと振り向いた。
「何見てんの?シャドウってば、コートくらい脱いだら?真っ黒いコートなんかさ、鬱陶しいじゃん。」
ジュースをゴクゴク飲みながら、何気なく話しかけた。
「ああああ!びっくりしたぜ!なんだグランドかよ!もう!びっくりしたなあ!」
ホッとした様子で、ニヤッとしながら近づいてくる。
何だかいや〜な予感。
グランドはプイッと顔を背けて湯を湧かそうと、ケトルを取り出し水をジャアジャア入れた。
「なあなあ、いい物見せてやるよ。」
「見たくねえ。」
即答。
なんだ、と椅子に座ってシャドウがゴトゴトジュースのビンを揺する。
「いいじゃんいいじゃん!なあよう、お前も男だろ?なあ、たまーには・・」
「見たくねえの。」
水を入れたケトルをドンッとコンロにかけて、カチッと火を付ける。
「さて、先にシャワーでも浴びるか。」
パシッとシャドウの手からジュースのビンを奪い取り、また冷蔵庫に入れた。
「お前よう、ちょっと淡泊すぎねえか?
エッチくらいした事あんのかよ。」
「あるよ。」
「えっ!!」
思わぬ返事に、ガタッとシャドウが立ち上がる。
「だ、だ、誰と?もしかして、レディ?」
「ちゃう。女。」
ひょおおお・・・
ドびっくり、シャドウが言葉を失う。
こいつも人並みに男だったかと、しみじみ見つめた後、ハッと我に返った。
「そ、そか。じゃあ女と経験無しはレディだけか。」
「さあね、俺もあいつにずっと付いてるわけじゃないし。いいジャン、そんなこと。」
欠伸しながらゴソゴソ台所のストックをチェックする。
カウンターを越えてシャドウが隣りに立つと、ベターッと肩を組んできた。
「何だよ、鬱陶しいな。」
「まあまあ、グランドよ、なあ、そん時どうだった?いい女か?」
「もう忘れたよ。」
「忘れるわけねえだろ?お前だって、夜になるとムズムズしねえの?も1回やりたいっしょ?レディとはどうだよ。へっへっへ・・」
あーもう、しつっこいなあ。
大きな溜息をついて、グランドが肩にあるシャドウの手をペッと払いのける。
そして居間のテレビを指さした。
「あれ、続きでも見れば?俺は風呂にはいるから。」
あまりの素っ気なさに、シャドウが両手を腰に、ドカッと椅子を蹴る。
そしてコートを脱ぎ、バサッとグランドの頭に放り投げた。
「てめえ!貰うぞ!このコート!」
「へん!お前に合うかよ!ブカブカの借り物だぜ!みっともねえの!」
「あれ?じゃあ貰っていいの?」
「いや、駄目。」
いそいそとコートを返して貰い、諦めて居間へ戻る。ドスンと座り、またテレビを付けた。
「フ、見てろー」シャドウがわざと音量をどんどん上げてゆく。

『あ、あーーーん!いやん!いやいやン!』
『ふっふっふ、へっへっへ』
『いやんいやん!アンアン!』

ちらっと、シャドウが後ろを振り向く。
グランドはとっくにいない。
「ちぇっ!」
何となく、一人で見てても面白くない。
だいたいエッチビデオを見ようと誘われて、むげに断る男の気持ちがさっぱりだ。
一人でテレビにかじりつく自分が、何だか馬鹿みたいに思えてくる。
「あの野郎・・」
だんだんむかつき、思い立ってバスルームに向かうと、グランドはまだ服を脱ぎかけたところだ。
「ん、んんーん、んーん・・」
鼻歌なんか歌いやがって、同い年というのにさとってやがる。

「おいっ!」「わっ!」

バンッと扉を開けて、いきなりガッとグランドを抱え上げた。

「わっ!なにする・・わあ!なんだよう!だから俺は見たくねえ!ひゃあっ!離せえっ!!」
「へへっ!へっへっへい!観念しやがれってんだ!」

バタバタ暴れるグランドも何のその、がっしり捕まえて居間に連れて行くと、逃げ出そうとするグランドを引き倒し、寝技でギリギリと締め上げて無理矢理テレビに向かう。

「わーん!見たくない!見たくないって言ってるのにーっ!」
「まあまあ無理するなよ、実は見たいんだろ?」
「見たくないっ!」

グランドは、ギュッと目を閉じて虚しい抵抗をしている。

『あはーん、あはーん』

しかし、大音響で響き渡るテレビのあえぎ声に、元々強固と言えない意志が大きくぐらついてくる。

天気!天気は明日晴れるかな、いや、明日は晴れるが明後日は曇り。雨は確か次の・・

「どうだ?どうだ?降参か?へっへっへ、てめえ一人で聖人ぶってんじゃねえよ、どうせ見たいんだろ?一緒に見ようぜ、な。」

抗ってももがいても、ガッチリ寝技は外れそうにない。悪徳代官シャドウは面白がって離そうとしないし、グランドは何とか違うことを考えようと、今はビデオが早く終わることを願って必死に喘ぐしかなかった。

 廊下から、パタパタと看護師達の忙しそうな足音が聞こえてくる。
カラカラワゴンが転がってゆく音は、何か他の患者に異変があったのかもしれない。
ここは、命の境目に最も近いところだ。
点滴の残量はまだ十分あるので、しばらくは誰かが来ることもないだろう。
 グレイがショリショリと皮を剥いていると、レディは珍しいようにジイッとそれを横から見ている。
綺麗に肩で切りそろえられたグレーの髪がサラサラと踊り、手元を見つめる瞳が美しくグリーンに燃える。
レディの金色から色が抜けて銀色に変わった髪と違って、グレイの髪は白髪に近い。
一度、染めようと黒かブラウンと悩んでいたが、シャドウの猛烈な反対に合い諦めたことがある。
みんな、陰では良かったとホッとした物だ。
グレイが思っている以上に、周りはみんな彼の髪を美しいと思っている。
宝石のようなグリーンの瞳と、白に近いグレーの髪のコントラストが美しい。
男性で通してはいるが、女性でも十分に通用できる。それは見た目と身体的な特徴だけでなく、中性的でしなやかな仕草も、彼の美しさを引き立てていた。
「はい、どうぞ。」
サクサクと一口大に切り分け、ハイッと枕の横に皿を置いた。
1個自分の口に放り込み、1個を指でつまむ。
「ハイ、あーんして。」
「ふふ、いいよ自分で・・」
「いいの!僕がしたいんだもん!はい、あーん!」
笑いながら控えめにレディが口を開けると、ポイッと一個放り込む。
「ほら!おいしいね。」
一緒にショリショリ咬んで、にっこり笑い合った。
「グレイは、綺麗だね。」
「ま、上手ね。レディもお世辞を覚えたの?」
「違うよ、今、そう思ったんだ。」
「レディも綺麗だよ。」
「俺は・・・昔はね、小さい頃はね。」
小さい頃は、髪が金色の頃は・・
「今の方がうんと綺麗だよ。レディは、小さい頃から綺麗だったけど、大人になったらもっと凄く綺麗になったよね。
街を歩くと、10人のうち10人は振り向くもの。」
グレイとレディ。2人で歩くとほとんどの人は振り向く、兄弟でも最強美人コンビだ。
はたして町の人は、どちらかを男と見ているだろうか?
背はレディの方が小さいから、完璧にレディが女性と思われている節はある。
声を掛けてくる男も多くて、思い出せば、いつもおかしい。
お茶を一杯入れて、レディに一口飲ませる。自分も一口飲んで、またリンゴに手を伸ばした。
「ふふふ、俺って、あんまりみすぼらしいからみんな振り向くんだよ。
痩せてさあ、浮浪者みたいだろ?ゴミあさってるのがピッタリだよ。」
リンゴに手を伸ばしたグレイの手が止まる。
自嘲するレディの顔を両手でグリグリすると、パンッと叩いた。
「もう!こんな綺麗な顔しててそんなこと言うと、嫌味にしか聞こえないよ!もう!
レディはほんとに自分を過小評価なんだから!」
「だって・・・」
「だってじゃないよ!今度言ったら、また寝てる間にお化粧するからね!」
ドキッとレディが、布団を思わず口元まで上げた。
随分前に、風邪を引いて熱だして寝てた時、セピアとグレイからやられた。
バッチリ目元に口紅まで。
具合が悪いのに、冗談じゃない。しかも専用のリムーバーを使わないと、洗っても洗っても落ちないのだ。

ショリショリショリ・・・

シンとした部屋に、グレイのリンゴを噛む音が響く。
見ているとグレイはフッと溜息を一つついて、グランドが乱雑に置いている雑誌を一つ取りだし、パラパラとめくりはじめた。
「ねえ、グレイ。」
「なあに?」
「グレイは何を見てたの?」
「何をって?いつ?」
「シャドウがいなかったとき。」
「え・・・・あ、ああ・・」
シャドウがいなかった・・・そうだ・・
旧カインの戦争に、シャドウが将校としてかり出された・・あの頃・・
リンゴを1個、つまんで見つめる。
寂しくて、寂しくて、毎日泣いていたあの頃・・
心の支えは、自分にもあったのを思い出す。
今はもう、すっかり忘れていたけれど。
「僕にも心の支えがあったよ、そうだ、思い出した。
それはね・・・・」
クスッと笑い、レディの口に、もう1個リンゴを放り込む。
あの頃の自分を思いだすと、それがひどく可愛く思える。
「あの日・・令状が来た日ね、本人が一番落胆して本当は僕が慰めなきゃいけないのに、僕ったらわんわん泣いて、シャドウは凄く困って一生懸命僕を慰めてくれたんだ。
それでさ、くっくっく・・ああ、おかしい。
シャドウったら、何を自分だと思ってくれって渡したと思う?」
グレイがサラサラと、髪をゆらしてクスクス笑う。
レディはショリショリとリンゴを噛みながら、考えても思い当たることはなかった。
「さあ・・なんだろう。」
「ね、見せてあげるよ。ね?見たいでしょ?」
「え、うーん・・」
曖昧な返事を返して、レディは興味があるのか分からない。だから余計にグレイは見せたくなってきた。
ガタンッと立ち上がり、ツンツンッとレディの頬をつつく。
「いい子にしてるんだよ、僕はすぐに帰ってくるから。」
そう言って、グレイはその場からヒュッとかき消えてしまった。

 ヒュッと自宅の自室に、いきなりグレイの姿が現れた。
サスキアではあまりテレポートを使わないようにしているが、まあ、今は仕方がない。
テレビの声やグランド達の声が遠く聞こえるので、居間あたりに2人供いるのだろう。
驚かせるのも嫌だから、今はあれだけ取って急いで病室に帰らなくてはならない。
「えっと・・確かここに小瓶が・・あった!」ごちゃごちゃしたシャドウの棚と違って、きちんと整理されたグレイの棚は、一目でその美しい黒に近いグレーのガラスの小瓶を見つけることが出来る。
そうっと手に取り、窓の向こうに広がる夕暮れにかざすと、うっすらと中の物が見えてクスッと笑った。

「・・・わっ!なに・・わあ!・・」
「・・へっへっへい!観念しやがれってんだ!」

何だかドタドタ騒がしい。
バスルームまで2人でガタガタとじゃれ合って、仲が良さそうにも聞こえるが、何だかグランドの悲鳴混じりの声が耳に付く。
「何してんだろ?」
ガチャ、グレイがそうっと部屋を抜け出し、居間の方へと忍んでいった。

『あはーん、あはーん』

「わーん!見たくない!見たくないって言ってるのにーっ!」
「まあまあ無理するなよ、実は見たいんだろ?」
「見たくないっ!」

廊下を進む、グレイの目がキラーンと光り冴え渡る。

『あん、あん、・・』
「ほら、ほら、凄いだろ?いいの貰ったんだ、一人で見ても面白くないぜ!」
「やだって、言ってるのにー・・」

開いたドアから入っていくと、大音響のテレビには見事なボディの女性と貧相な男が絡み合い、そのテレビの前にはグランドがシャドウに寝技をかけられ、身動きが取れずに苦しんでいる。
グレイの頭が、一瞬カアッと熱くなった。

「あーーーらシャドウさん、まあ、映画のご鑑賞ですの?素敵なチョコですこと!」

ビクーーンッ!!
シャドウの身体が見事に飛び上がり、グランドにかけた技がするっと外れる。
「ああ!グレイ!助かったあああ!!」
バタバタグランドが居間を這って出てゆく。
これから何が始まるかはお楽しみ・・じゃない、容易に想像できる。
シャドウは震える手でそろっとリモコンを握りしめ、ポチッとテレビの電源を切った。

『あん、あん、あ』
シーーーン

「ホッホッホッホ!あらいやだ、僕ったら女みたいに笑っちゃった、色気のカケラもない男なのに。
中途半端な身体してると、恋人にも軽くあしらわれちゃってさ!きっとどうでもいいのよねえ!ねえ、シャドウさん。
あら、いいんだよ、どうぞどうぞ名作をご堪能下さいな。
どうぞ、名作をご覧になった後は、夜の街に一晩でも二晩でも、ずーーーーーっとでも、お遊びに行ってよろしいんですのよ。

そしてね!もう帰って来なくてけっこうですからっ!!」

ドスドスドスドス!!

機関銃のごとく一気にぶちまけ、足が痛いほどに踏みならして、グレイが居間を出てゆく。
「あ、あうあうあう、グ、グレイ・・」
みっともないほどあたふたと、手を伸ばすシャドウが四つ足でハイハイして廊下まで出る。
しかし冷たい廊下にその姿はなく、グレイはとうに消えた後だった。

 ウトウトとしていたレディが、人の気配に目を覚ますと、さっき出ていったグレイが部屋の片隅に、肩を震わせ立っている。
部屋は薄暗く、そろそろ電気をつける頃だろう。
頭の上にある色々なスイッチを見て、しかし電気はどれか考える気も起きずにまた目を閉じた。
声をかけていいものか、何だか雰囲気が分からない。
そのうちグレイはフウッと一息大きな溜息をついて、トスンとまたベッドサイドの椅子に座った。
くすんと、目を擦る仕草から、泣いていたのかなと思う。
ただ無言でじっと、何だかグレイの仕草に見とれていると、ふと目が合った。
「あ・・ご、ごめん、あの馬鹿が馬鹿な事しちゃっててさ!」
コシコシ目を擦って、グレイがにっこり顔を上げる。
レディは何も答えず目を閉じて、またウトウトし始めた。
レディに何を言っても、どうしようもないのは分かっている。
でも・・聞いていなくてもいい。何だか誰かに聞いて欲しい。グレイはひっそりした声で、独り言のように呟きはじめた。
「僕は・・ね、別にいいんだよ。
シャドウが女性に興味を持つのは、それは自然なことだと思うんだ。
でも、でも何だかそれが、余計に僕を半端だと言ってる気がしてね。僕の心は、女の部分が強すぎる。なのに体は男が強いでしょ。
僕は、女で生きればいいのか、男で生きた方がいいのか、良く分からないんだ。
僕がちゃんとした女なら、もっときちんとシャドウにも怒れるのに、僕の身体が男っぽいから、きっとシャドウは女性に走ると思えてしょうがないんだ。
でもね、でも、どうすることが出来ない。
僕は・・・」

「グレイは・・綺麗だよ・・・」

ぽつりと、レディが目を閉じたまま呟く。
アッとグレイは顔を上げ、聞いていてくれたのかと微笑んだ。
「綺麗なんて・・ふふ・・顔なんて、年を取ったら衰えていくよ。性別はどんなに年を取っても変わらない。」
「グレイはきっと、年を取っても、綺麗だよ。」
「レディもね。」
「・・・・俺は・・」
「でもさ、でも、レディは、だってちゃんと男じゃない。
どんなに綺麗でも、ちゃんと男だもん。僕の気持ちなんて、わかんないよ。」
こんな時、レディにはどう言えばよいのか分からない。
だんだんグレイの声は、ヒステリックになって行く。
また、シャドウとの間で何かあったのだろうか。何だか怖い。
レディはグレイが傷つく顔を見ることが出来ず、目を閉じたまま布団に潜り込んでしまった。
「・・・そ・・だね・・ごめん・・」

「あ・・」

「ああ・・もう!」レディの沈んだ声に、グレイが自分の頭をぽこぽこ叩く。
ケガ人の看護に来て、何をしているんだろう。
溜息ばかり出て、浮かぶシャドウの顔に馬鹿!と呟く。
薄暗い中を、重苦しい雰囲気が余計自分を責めた。
2人とも押し黙り、シンとした部屋の向こうの、ザワザワとしている廊下の様子にまるで別世界のように感じる。
しかしそんな雰囲気を破る声は、珍しくレディから聞こえた。

「でも・・じゃあ年を取ったらみんなバラバラになるのかな?」

突然、思いついたように布団の中から、不安げな声が聞こえた。
「え?どうして?」
「だって、グレイはシャドウが嫌いになるんでしょう?グランドもきっと、俺が嫌いになるね。」
「嫌いになるって、そんなこと無いよ!みんな、ずっと一緒に!ずっと一緒にって、そう決めたじゃない!」
「でも・・」
「約束!覚えてるでしょう?え?・・・あ、約束・・ああ、そうか。」
カランと、小瓶を取りだしてみる。
すっかり暗い中で、艶々とした手触りとカラカラとした中の音が、昔のシャドウのはにかんだ顔を思い出させる。

『心の中じゃ、ずっと一緒だから・・・』

「あ、ああ・・そうだよ、ずっと一緒だ。そうだった、一緒なんだ。
約束・・・僕が忘れてた。ふふ・・はは、あはは!バッカみたい。ねえ、レディ。
僕ったら、あんな事で馬鹿みたいだ。」
ベッドのルームライトのスイッチを押し、部屋の電気をつける。
キャラキャラ笑い出したグレイに、レディがそうっと布団から顔を出した。
「ごめんごめん、ねえレディ。馬鹿みたいよねえ、あははは!!」
「グレイ?」
「ああ!ほらこれ見てよ、これがあれよ、僕の心のささえ!」
キュッと小瓶の蓋を開け、中を手の平にコロンと取りだしてみる。
それは大きな大きな、まるで吸血鬼の牙のような真っ白の犬歯が2本。
「何だと思う?これ、シャドウの乳歯だよ!
この立派な犬歯がね、あの頃シャドウの宝物だったの。おっかしいでしょ!
あと2本、これよりうんと小さい他の歯はね、シャドウが持ってたんだけどなくしちゃった。
ひどいよね、自分はなくしてすっかり忘れてたんだよ。」
「乳歯?」
「これ、これだけだよ。旧カインから持ってきた僕の財産って。」
グレイの顔が輝いて、懐かしそうに手の平で転がす。
みんな、手の平に乗る小さな箱を渡されて、それに入れる分だけの所持品。それしか旧カインからの持ち込みは許されなかった。
グランド達は、みんな指輪やアミュレットを入れていたような気がする。
レディには、何も財産はなかった。
それを寂しいとも思わなかった覚えがある。「あの頃ってさ・・ずっと昔だよ、みんなが揃っていた頃!覚えてる?
一番先に歯が生え替わったのってシャドウでさ、顔が変わったよね。
イイーッて出てた歯が、突然無くなるんだもん。間の抜けた顔!くすくす、あー今思いだしても笑えるよ!」
「・・ん、そうだね。」
キャラキャラ笑うグレイに、レディが戸惑いがちににっこり笑う。
レディは、その幸せだった頃を良く覚えていない。
ぼんやりと、みんなの笑い顔だけが浮かんで、それもはっきりしない。
だから兄弟の昔話は、レディにとってひどく重いのだが、それも出来るだけ聞いた方がいいと思う。実際にあった事なら、聞いているうちに思い出すような気がする。
手を伸ばせば掴めそうなのに、なかなか届かないようでもどかしくても。
嫌なことを覆ってしまうほどに、いい思い出が取り戻せればいい。

 随分たって、廊下から聞き慣れた2人の足音と、落ち込むシャドウの馬鹿デカイ声に鬱陶しそうなグランドの声が入り交じりながら近づいてきた。
「僕、怒ってるんだからね、レディ。」
楽しそうに笑うグレイの顔。
レディもクスッと笑いながら頷いて、何となくドアへ向かおうとするグレイに、ふと呟いた。
「結婚、してって言うの?」
「あ・・うふふ!そうだね。
でも言ったじゃない、レディ。もう、僕らは結婚してるって。」
「・・・?」
「うふふふ!さしずめこの犬歯が結婚指輪の代わりかな?随分色気がないけどね。」
歯を入れた小瓶をカラカラと振ってみせる。

『心の中じゃずっと一緒だから、俺とグレイは身体は離れても、何があっても、ずっと一緒にいるんだ。
・・・だから、浮気するなよ。』

グレイのはにかんだ顔がはっきり思い出される。
浮気するなって言ってた自分が、今じゃ浮気三昧、僕の方が振り回されてる。
シャドウは覚えているのだろうか?

コンコンコン!
「グレイ!開けてくれよ、おまけ付きだぜ!」
「シーー!!グランドってば、シーーーッ!」

何がシーだか、大男が恥ずかしくないのかしら。
ドアに手を伸ばして、自分の白い指に目が行った。
結婚指輪・・・
「そうだ、うんと高いの買わせちゃおう。」
もちろんシャドウのお小遣いで。
彼は未だ車のローンを払っている。ついでに指輪のローンまで重ねると、きっと遊びに行くお金もなくなるに違いない。

「グレイ!なあ、開けてよ!」
「グレイさーん、こんばんはー・・」

ニヤリとほくそ笑みながら、カチャリと鍵を開ける。
そろりと開いたドアの向こうで、にっこりご機嫌をうかがうようなシャドウの微笑みに、不気味に微笑みを返した。

「まあ!シャドウさんまで、いらっしゃい。」

シャドウの微笑みが、そのまま凍り付く。

グレイは今夜、シャドウが半べそかくまでデートで散財させようと画策しはじめていた。