桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

自宅療養中のレディアスとグランドの仲は、レディのクローンへの思いの強さからグランドは激しい嫉妬に駆られ、ギクシャクとした物になっていた。
ある日、クローン研究所がソルトを探しに来たサンド達に急襲される。
ちょうど研究所を訪れていたレディアスは内部の様子の変化に気が付き侵入するが、サンドの言葉にパニックを起こし姿を消してしまう。
果たして彼は何をしようと言うのか、単独行動の目的は?
ややまとまりのない文章も見られる、気分の赴くままに書いた長編。

 ひゅううう・・・
一陣の風が吹き、ザワザワと葉を鳴らしながら大きく枝が揺れる。
ゆっくりしたその動きは、まるで子供をあやす動きに似て気持ちがいい。
緑の爽やかな香りが清々しく、ウトウトまどろむ内にブランとぶら下げた手に、そっと怖々葉っぱが頬ずりして、何となくその枝をパシッと掴んだ。
ふと、目を開けると、木漏れ日がチラチラ揺れて、次第にそれが陰ってくる。
そう言えば、朝飯を食うときに誰かが、昼から雨だと呟いた気がした。

誰か・・

レディアスが、次第に空を埋め尽くしてゆく雲を見ながらふと考える。
誰かと言っても、喋ったのがテレビのお天気お姉さんじゃないなら、あとは一緒に飯を食っていた兄弟のグランドしかいない。

『今日は、絶対家から出ちゃ駄目!!』

そう言えば、そう言われた気がする。
ウンウンと生返事を返して、家を出るときはすっかり忘れていた。
「まあ、いいか・・秘密にしよ。」

ふぁああ・・

一つ、大きな欠伸をして下を見る。
お気に入りのこの木は、マンションの近くにある公園の中の一番大きな木の1本だ。
他にも同じくらいの木が2本あるけど、これが一番寝心地がいい。
午前中はナイフの手入れして、グランドが置いていった弁当食べて、家のベッドで昼から寝る気にもなれずに、やっぱりここに来てしまった。
まあ、もう別に寝てなくとも構わない。
それよりも、徐々に軽い運動から体を慣らさねばならないのだが、まだドクターから安静を言い渡されているので、運動は散歩まで。
しかし、散歩と言ってもあんまり町をうろうろしたくない。
マンション周辺は人通りが寂しいので、何故か一人でうろうろするなと厳しくみんなに言われている。
こうして公園に来たって、だーれもいない。
以前、グレイが痴漢に後ろから抱きつかれそうになったと言ってたっけ。
サスキアは、最近犯罪が増加している。
カイン各地から働きに来て、職に就けずにいる人達が浮浪者になってしまうことも多いらしい。
人口密度が増えて、最近はこのガランとした郊外までマンションの建設ラッシュだ。
久しぶりに退院して家に帰ってみると、近所に豪華な高級マンションが建っている。
セピアの目が怪しいと、みんな溜息をついていた。

グレイが痴漢に・・か・・
一応男で通してるのに・・きれいなんだろうなあ・・

セピアよりうんと・・なんて言うんだ?女らしいって言うのかなあ。蹴られるだろうけど。
それが・・何で俺まで?
俺が痴漢に襲われるわけ、ないじゃん。
「・・・・ふん。」
・・と、言いたいが・・・・・
俺はこれまで、痴漢らしい奴に何度もお目にかかったことがある。
あいつらは、その悶々とした気配が気持ち悪くてすぐにわかる。
だから、まともにやられたのが最初で最後だ。
あの時は、座っていて隣の男がどうして俺の足を撫でるのかわからなかったが、それが妙に嫌な経験を思い出させて気分が悪くなった。
まさかあれが痴漢という物だとは・・
セピアが股間を踏んづけたあの男、はたしてあそこは無事だろうか・・潰れたらオシッコするとき困るだろうなあ。
ま、どうでもいいけど・・
「いてっ!」
身動きすると、髪がもつれて枝に引っかかる。
丁寧に解して取り、髪を束ねてグルグルと腹の上にとぐろを巻いた。
「あー、枝に引っかかる。めんどい。」
今朝はグランドが寝坊したので、朝食とレディ用の昼の弁当こさえるのが精一杯で、髪を編んでくれなかったのだ。
昨夜髪を洗って貰ったので、珍しくバサッとプレーン。
何となく、昼飯より髪編んで欲しかったなーっと思う。
何だか怠くて自分で編む気がしない。
しかし束ねていないのは、注意してないとやたら枝に引っかかって抜ける。
本当にハゲるかもしれない。
・・・でも、そんなことより・・

・・最近・・

グランドの機嫌が良くない。
時々、イライラしてるのがわかるから、俺までドキドキする。
とても、髪を編んで欲しいなんて・・何にも言えない。
病院にいるときは普通のグランドだったのに、家に帰って二人っきりになったら、ちょっと怖くなった。
どうしてかわからない。
きっと、俺のせいかな?俺のせいで、色んなデスクワークばかりさせられて、きっと腹を立てているんだ。

嫌いに・・ならないだろうか?

嫌わないよね、グランド、大丈夫だよね・・
目を閉じて、楽しいことを思い出す。
ここは気持ちいい、もう少しいよう。

 最近また、ぐっすり眠れない。
夜中眠れないときはグランドが良く一緒に寝てくれたけど、最近グランドはあまり気に止めてくれない。
昨夜は寝苦しくて、ずっと座っていた。
ここにいても相変わらずウトウトまどろむばかりで、フーッと溜息をついてネコのように大きく伸びをする。
風が肌に湿って、雨が降りそうな気配。
空は先程より、どんより雲が厚い。
やっぱり、天気予報は当たるなあ。
さて、帰るかと身体を起こし樹上から下を見下ろすと、男の子がこちらをじっと見つめていた。
グランドそっくりの赤毛のボサボサ頭で、ツンと上を向いた鼻に大きな茶色の目がくりくりとこちらを窺う。
10才くらいだろうか?
一番イタズラ盛りだ。
何だか嫌な予感に、帰るのをやめてまたゴロンと横になる。

「こらっ!降りてこいっ!」

案の定、下から思ったより甘えた声で叫んできた。
無視する。
「このー!僕を無視すんな!えいっ!」
ドスンと、小さく振動が伝わってきた。
それが何度も何度も繰り返し、せっかく寝てるのに鬱陶しい。
しかし、この木にこんな振動を与えるとは、なかなか大したガキだ。
と言っても、普通の人間には感じないだろう。
彼だからこそ、微弱な物も感じ取れる。
「おいっ!バカッ!降りて来いって言ってるのが聞こえないのか?!バカやろーっ!」
次々と、罵詈雑言を繰り出して散々な、聞くに堪えない叫び声を徹底的に無視していると、次第に彼の声に熱がこもってきた。
頭にカッカと来ているのか、ドタバタと地団駄踏んでいる。何度か登ろうと試みたようだが、子供には無理だったらしい。
「やーいブスッ!偏屈ババア!女のクセに、お尻真っ赤っか!」
むかむか・・むかつく、俺は男だ、クソガキ!
「お猿のおばさん!ウッキッキ!」
ガバッと跳ね起きて、下を見る。
子供はシャツをめくってへそを出し、ペンペン腹を叩いて踊っていた。
「ちっ、」
むかつくのも通り越して呆れる。
このくらいのガキは、みんなこんな風に口が悪いのだろうか?こう言うのは無視だ、無視!
寝転がりそう考えていると、いきなり静かになった。
ようやく飽きたのか?と見ると、俯いてクスンクスン言っている。
小刻みに揺れる身体は、一体何をしているのだろう。
こんな事には鈍感な彼も、ジイッと見ていて次第にようやく彼が泣いていることに気が付いた。しかし、何故、彼が泣き出すのか理由がわからない。
思い通りにならないと、人は悲しくなるのだろうか?良く分からない。
ころころと表情を変え、情緒豊かな普通の子供は彼は大の苦手だ。
相手をするなら、たとえ子供でもこちらのペースに合わせてくれる、クローンの方が疲れない。一緒にいて楽だ。
「くすん、くすん・・」
何だか話しかけるのもしゃくだが、まるでこれじゃあ俺が泣かせたみたいじゃないか?
何だか途方に暮れる。
「なあ、何で泣いてるんだ?」
「くすんぐすっ、だって、ブスが降りてこないんだもん!」
んー、と考える。
ブスって何だ?
「ブスって、俺の事?」
「そうだよ!ブスババア!」
「ふうん」
ババアはわかるぞ、年取った女のことだ。
俺もよく使って局長に怒られる。
「俺はババアじゃねえぞ。」
「もう!もう!いいから降りてこいよう!わーん!」
ジタジタして、声を上げて泣き出す。
ババアじゃなかろうが、そんなことは関係ないらしい。
訳が分からないが、どうも降りないと収拾がつきそうもないようだ。
「ちぇっ、めんどい。」
ブツブツ文句を言いながら、髪を束ねてクルクル捻りジーンズに挟む。
そしてひょいっと飛び降り、軽く地面に舞い降りた。
サラリと髪がジーンズから抜けて、フワリと肩に広がる。
バサッと後ろに片手で回すと、フワッと昨日のシャンプーの香りが辺りを漂った。

「わーいっ!やったあ!」

ボスッと子供が勇んで飛びつく。
嬉しそうにキャッキャとはしゃいで、レディの身体はグラグラ揺さぶられ気持ち悪い。
「この、離れろよ、しっしっ!」
引き剥がそうとしても、グイグイ上着を引っ張られ、あげくに髪を引かれてお手上げだ。
「きゃあ、きゃははは!きゃっきゃあ!」
「わー痛い!やめろって、この!やめーっ!」
仕方なく、手加減しながらギュッと子供の手首を掴み、そのまま地面に伏せさせて拘束する。
「きゃん!やだやだ!やだよう!」
ようやく髪から手を離してくれたが、今度は子供がバタバタ暴れた。
「俺に用って?何だよ。イタズラするだけなら帰るぞ。」
「うー、用、あるもん!あるもん!」
ジタジタしながら顔を上げ、目をウルウルさせてじっと見る。
レディはガックリ頭を垂れて、ポイッと子供から手を離した。
「もう、どうとでもすればいいさ。」
子供がキョトンと起き上がり、そうっと立ち上がって背を向けた彼の顔を覗き込む。
心配そうにギュッと自分の上着を握りしめ、プイッと背ける彼の顔を追っては首を傾げた。
「ねえ、怒ったの?怒った?」
「怒ってねえよ、呆れたんだ。」
「ねえ、諦めちゃうの、早いね。」
「はあ?何言ってんだ?お前。」
「だって、ちょっとじゃんか、僕捕まえたの。」
「じゃあ、もう一度押さえつけてやろうか?」
変わった子だ、そう思えるほどレディも子供を知らない。子供はキャッとまた笑って、小さな手でレディアスの手を握り引っ張った。
「ね!行こうよ!こっちこっち!街に行こうよ!こんなとこでじっとしてたら、ほんとにババアになっちゃうよ!」
グイグイ引く手は柔らかく、そして熱いほどに暖かい。
優しく手を握って貰うと、相手が誰でも彼はホッとする。優しさが、じんわり指の先から伝わって、心地よさにうっとりしながら、彼はうっかり引かれるままに歩き出した。
しかし、街は遠い。
ここは郊外だから、車で行かないととてもじゃないが一時間近くは歩かねばならないのだ。
「なあ、遠いぞ、本当に行くのか?」
「歩くの、嫌なの?」
「いや、俺はいいけどさ。」
「そっだ!ババア、車ないの?ブッブーで行けば早いよ!」
キラキラした目の子供に、ウッと詰まって顔を逸らす。
「車、ねえよ。」
「うそだあ!あるよ!あるの知ってるもん!」
「ねえんだって!」
レディが懸命に否定して、先をズカズカ歩きながらグイグイ手を引っ張る。
「えー、」と怪訝な顔で見る子供は、どっちでもいいやと繋いだ手をギュッと握りしめ、小走りで彼の横に並んだ。
 大きな道に出ると、時々車が走って行く。
その内ブオオオオ・・・ンと、轟音を上げて大きなバスが走っていった。
「あっ!バス!ねえねえ!バスに乗ろうよ!」
「やだ。」
「ねえねえ。」
ぐいぐいブランブラン手を引いて、どんなにねだってもツンとレディは澄ましている。
「ねえ!僕乗ったこと無いから乗ってみたいんだよう!」
「へえ、乗ったこと無いんだ。俺も、サスキアじゃ乗ったことねえや。」
「ねえねえ。」
甘える子供は、くねくねおねだりポーズ。しかし、それが通じる相手ではない。
「俺は、乗りたくねえの。お前だけ乗れ。」
「うーん、もうもう。」
ぐずる子供にうんざりしながら、レディがはたと立ち止まる。
あれ?俺は何で用もねえ街に歩いてるんだ?
しかもこんなガキ連れて。
「乗るの?!乗るの?!」
「帰る。」
「えええーーっ!!」
くるりと向きを変え、マンションの方へ歩き出す。
「やだやだやだ!帰るのやだ!行こうよ!街に行きたいよう!」
もちろんレディはしっかり子供の手は握っているので、ズルズル引きずられながら懸命に抗った。しかし、いかに優男でも相手が悪い。
びくともしないレディの足に、エイッと子供が蹴りを入れる。
瞬間立ち止まったレディが、ギロッと子供を睨み付けた。
あっと、子供が小さく縮こまる。俯いて、小さな声でぼそぼそ返した。
「・・・だってえ、行きたいんだもん・・」
「何しに?だいたい何で俺がお前と行かなきゃいけないんだ?家族と行けばいいだろ!」
「だって・・ババアと行きたいんだもん。」
「俺はババアじゃねえよ。」
「だって、名前教えてくれないもん。」
「俺だって、お前の名前しらねえよ。・・あっ!」
いきなりレディが、子供を抱えて走り出す。
道沿いの大きな木を見つけて、ポイッとその懐に飛び込んだとき、ポツポツ雨が降り始めた。
「あー、やっぱ降ってきたか。くそー、濡れて帰ったら、また怒られる。」
子供を下ろすと、何だか嬉しそうにボフッと抱きついてくる。悪い気もしないので、ポンポン頭を撫でながら暗い空を仰いだ。
「ねえねえ、誰に?誰に怒られるの?大人なのに。」
「兄弟だよ、ガミガミねちねち怒るんだ。
洗濯物が増えるとか、髪洗ったばっかりなのに、また洗わなきゃとか、雨は体に毒だとか、あーあ、気が重いぜ。」

・・また、機嫌を損ねる・・

「ふうん・・ねえ、ババアは今、どうして雨降るのがわかったの?」
雨は次第に勢いを増して、葉を叩いてサアアアッと音を立てる。そしてとうとう、木の葉の間からポツポツと雨が彼らにも落ちてきた。
「ああ、やっぱだめだな、ここじゃ。」
見てると、ポツンポツンと子供の背が濡れていく。周りを見回しても何もない。
何だか、子供を濡らしたくない気がして、オロオロと彼らしくもなく考えた。
どうしよう、こう言うとき、グランドならどうするんだろう。
思い浮かべながら、そうだとジャケットを脱いで子供の肩に掛けてやる。そして覆い被さるように、前屈みになってそっと引き寄せた。
自分が大男なら、もっと子供をかばえるのにと、何となくシュガーを思い出す。
あの時、座っているときはいい感じだったのに、立ち上がってお前はがっかりしただろうな・・
俺はうんとお前よりも背が低くて、凄いショックだったんだぜ、なあ、シュガー・・
自分のシャツは濡れ始めたが、子供は嬉しそうに彼の顔を見上げる。
フワッとした気持ちが心に心地よく、ポンッと頭を撫でてフフッと微笑んだ。
「わっ!ババア、笑うともっと綺麗ね。笑った方がいいよ。」
「そうか、俺、笑ってる?」
「うん、うれしい?」
うれしい?・・フワッとして心地いいけど、嬉しいとは違う気がする。
・・・いや、いやいいんだ、これでいいんだ。これは嬉しいんだ。
小さく首を振り、何故かいちいち自分の感情を考えるのが、あれからクセになってしまった。

『人形め!』

心に、あのブルーのクローンが叫んだ言葉が刻まれてずっと消えない。
シュガーを殺した手で、また銃が握れるだろうか、と思う。
「ね、ね、どうして雨が降る前にさ、雨が降るってわかったの?ねえ!」
「・・え?あ、ああ、気配がしたのさ。」
「気配?」
「雲から雨が生み出されて、落ちてくる気配。」
「へえ、わかんないや。気配かあ!ふうん。」
子供はしきりに感心している。
しかし、昔戦場で野外生活をしていた頃、彼のそう言う感覚は研ぎ澄まされていったのだ。
あの、特に終戦前は、強い酸性の雨がとても衰弱した身体にこたえた。
そのずっと前の野外生活に慣れた頃は、雨が降ると生き物が出てくるので、空腹に耐えかね雨に濡れながらでも虫や爬虫類を探し回っていた。
しかし戦争に核や有毒な化学物質が使用されると、文字通り、そこは不毛の大地と化して生き物の気配さえ消えていったのだ。
何も食べるものがなく、土を掘り枯れた草や根を食べ、木の皮を剥ぎ、そして時々与えられる、クローンの全てに行き渡るにはほど遠いほんの少量の人工飼料と人間達の残飯だけが生きるつてで、クローン達との取り合いは凄まじい物だった。
ああ・・なんて嫌な記憶。
夢なら良かったのに、思い出したくもない。
「ババア、ねえ、大丈夫?」
「あ、ああ、なんでもない。雨、止みそうにないな。」
「うん。でもね、僕、嬉しいよ。」
「何で?」
「えへへ、いいんだ。秘密だよ。」
「変なガキ。」
それでも、レディの背は雨でびっしょりと濡れてきた。
シャツが張り付き、髪も重い。
まだ、退院したのが7日前だけに、体も怠い。
熱・・出るかな・・
体力が落ちているところへ、精神的にも参ったのか、入院中も取り調べに来た調査部やクローン研究所の幹部クラスに話しをしたあとは、必ず熱が出ていた。

全部、話しをしてくれと言う。

俺が受けた虐待も全部。
話しは全て記録を取られ、彼らはただ頷きもせず冷たい顔で黙って聞いていた。

・・・俺は、どのくらい話せただろうか?

ああ・・そうか・・
グランドも、横で話を聞いて俺が嫌いになったのかも知れないな・・・
退院してから、手も、握ってくれない・・・
一緒に、寝てくれなくなった・・・
頭に、不機嫌な顔のグランドが浮かぶ。

・・・・もう、疲れた・・

「駄目だよ、ねえ。暗い顔しないで。
ねえ、悲しいって顔しないで。」
「そう・・かな?そんな顔?」
コクンと頷いて、ギュッとレディの袖を掴む。
そしてウルウルとした目で、泣きそうに声を震わせ呟いた。
「・・僕、僕が、行こうって、言ったから。言ったから、うっ、うっ、言ったから・・」
雨は止む気配を見せず、次第に勢いを増して二人をずぶぬれにしてゆく。
責任を感じたのか、子供もしきりに泣きながら何度も謝っていた。
茶色の瞳が、偽りを知らず澄んで美しい。
濡れないように守っても、ボサボサの赤毛も湿気を含み、しっとりとして次第にフワリとした優しい弾力を失う。
時々通る車の音だけが勢い良く水をかき上げ、あとは雑音のように雨音が辺りに響いている。

でも・・寒いけど、暖かい。

子供の身体が暖かく、レディの心まで包み込んでくれる。
この世界で、初めて子供をまじまじと眺めて、レディは子供とはなんて美しい生き物かと思った。
ああ、そうだ。
人を美しいと思うのは、これが2度目だろうか?
戦争からようやく帰ることが出来て、そしてグランド達に再会したとき、その時も兄弟達の健康的で明るく、汚れのない清らかな美しさに驚いて見とれたっけ。
・・俺は、あまりにも醜くて、あまりにも汚れきっていたから・・
自分とは、いる世界が違った気がして、なかなかとけ込めなかった。
この子くらいの頃、俺は幸せと地獄の狭間にいた気がする。
「お前・・綺麗だな。」
「えー、僕が?変だよ、ババア、変態だよ。」
「ふふっ、そうか?そうかもな。」
何故か誉めたのに、子供はむくれる。
溢れる涙を拭き、グイグイ袖を引っ張りながらレディを見上げて、口を尖らせ不満そうに漏らした。
「僕、醜いでしょ!赤毛だし、変な顔だよ!綺麗じゃないのは、醜いって言うんだよ、知ってるもん!」
「んー、俺にはお前、はっきり見えるけどなあ。」
「はあ?見にくいじゃなくて!醜い・・あー!もう!やっぱりババアだね!ボケババアだ!」
フフフ・・怒る元気がある方が、子供らしいさ。
「なあ、名前、何?あの、マンションに住んでるのか?」
ドキッと子供が、思わず顔を伏せる。
何故かどぎまぎと、ウンウン考えてようやく顔を上げた。
「そだ!僕の名前!ライアーだよ。家はね、うーんと・・」
「何でいちいち考えて・・」
ビクッとレディが顔を上げる。
何か、どこからか見られている。
辺りを見回し、空を見上げる。
違う、ポチの気配じゃない。
「どうしたの?」

ウォンウォン・・キュキュキュ・・

遠くから、タイヤの軋む音が近づいてくる。
右・・・普通の、車・・蛇行している。
先の方で大きく道が右へカーブしているので、まだ、車の姿は見えない。
今は音だけで、それだけは判断できる。
さっきの気配と関係するか?それとも・・
・・もう・・どうでもいい、死んでしまえば楽になれる。

何も、考える必要はない・・

グワングワン!キキキキ!ブオオオオ・・

いきなりカーブから、車が猛スピードで姿を現し、タイヤを軋ませカーブをよろけながら曲がってくる。
「キャッ!車だあ!」
しがみついてくる子供に、ハッと我に返った。
そうだ、俺は死んでもいいけど、この子は関係ない。
逃げるか?いや・・
「ババア!ババア!どうするの?」
レディはじっと、様子をうかがい動かない。
狙ってくるか?来ないか?
来るか?・・・・来たっ!!

グヲオオオオオオオ・・・!!

いきなりスピードを上げ、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
車が近づく毎にピリピリと殺気を感じ、それが「あの男」を妙にはっきりと感じさせた。
ナイフを振り上げ、血にまみれながら楽しそうに笑う「あの男」に。

俺は、俺であることを、ずっと否定されてきた。
俺は、ずっと振り回され、もみくちゃにされて、俺は・・

怒りが、こみ上げてきた。
エディが、シュガーが、そして目前で死んでいった戦友のクローン達の姿が、フラッシュバックのように浮かぶ。
その誰もが大切で、それなのにその時は自分が生きるのが精一杯で、その大勢のうち誰一人助けることが出来なかった。
 雲間から、スッと光りが降りてきて、雨の中を1羽の美しく白い鳥が舞い降りてきた。
レディアスの目が大きく見開かれ、その鳥が何かを掲示する。

俺は、彼らに生かされている?
・・・命を、託されている!

何か、忘れていた物がよみがえる。



『生きるために戦え!泥を食ってでも生き延びろ!』



昔聞いた言葉が、いきなり頭の中でひらめく。
レディは子供をグッと引き寄せ、スッと右手を車に向かってあげた。
100キロを超えるスピードの車が、スローモーションのように近づいて見える。

『気』を、末端から身体の中心へと溜めて右手へ意識を集中する。
その力は遙か昔、人間に知られる前に自分で封じた物だ。兄弟さえ知らない。
物心ついたときに、自分の力に恐怖を覚えて総ての力は封じた。
ただ一度、あの、恐怖の夜に一度使っただけだ。
しかし、この平和なこの時代で、レディは会ってしまったのだ、「あの男」に。
あの、残虐で、無慈悲な・・そのくせ平和の使いのように笑う・・あの、男に。

封印を、解く時が来た。



あの、男を・・・殺さなければ・・!!
それは、この俺の・・・・・!!



ブオオオオオ・・
運転席に、人はいない。
無人の、オートドライブだ。
「くすっ!」
その瞬間、ライアーの目にレディアスの美しい笑い顔が見えた。

ドーーーンッ!!!

空気が重く振動して、向かってきた車が、二人の目前で目に見えない大木にでもぶつかったように、一瞬で大きくバンパーを歪めグシャグシャにボンネットを潰して、まるでスクラップ工場の圧縮機械にかけられているようにボディが破砕されてゆく。

ギャギャギャ!ガラグアランドンッ!ボンッ!ギャギャギャ、ギキッ!ギャアアアシャアア・・ボオンッ!

その車体をすっかり元の姿をとどめないまま、弾かれて車は反対車線を2転3転して転がり、燃料をまき散らして止まった瞬間、小さな爆発音を伴って車は燃え上がった。
ザワザワと、通りすがりの車から飛び出した人達が次第に集まって騒ぎ出す。
レディアスは無言で、子供の手を引きマンションの方角へと歩き出した。
「ババア・・帰るの?」
呆然とした声が、うつろに話しかける。
レディアスは彼に優しく微笑み、そっと頭を撫でた。
激しかった雨は勢いをひそめ、ポツポツと控えめに、立ち去る二人を見守っている。
ライアーが見上げたレディの姿は、その時丁度雲間から現れた光りに濡れた銀の髪を神々しく輝かせ、白い顔は美しく透き通っていた。
「きれいだね・・」
「ん?」
レディが子供に微笑みかけ、子供が微笑み返してしっかりと手を握る。
「ああ、雨上がりって、綺麗だな。」
「ううん、僕がきれいって言ったのはね・・」
クスクス笑って、キャッとレディの腕にしがみつく。
ライアーにはその時、レディの華奢な身体に何だか羽根が付いて、飛んでいってしまいそうな気がしたのだ。
「ねえねえ、僕、知ってるよ。」
「何を?」
「僕も、呼んでいい?」
「いいよ。」
雨が止んで一陣の風が吹き、雲が急ぎ足で去ってゆく。
あとには青空がようやく顔を出して、また、サスキアの暑い太陽が水たまりをキラキラと宝石のように輝かせる。
ライアーが、嬉しそうにパシャンと小さな足でそれを蹴って、パッと手を離し先へダアッと走り出した。
「レディアス!レディアス!レディアス!
見て!僕は自由だよ!レディアスの名を呼べるよ!
レディアス!僕の名前を呼んで!」
大きく手を広げて、走る後ろ姿を見ている内に、ライアーの髪が金色に輝いてくる。
ステップを踏みながら、くるりと振り返ったその美しい微笑みをたたえた顔は、昔、地獄へ足を踏み入れた彼の、唯一の救いであった小さな天使だった。

「エディ・・・!」

レディアスが立ち止まり、呆然とその姿を見つめる。

「レディ!笑って!笑ってよ!幸せそうに!
レディアス!愛してる!」

クルクルと舞い踊るその少年は、やがて飛び立つようにレディアスに駆け寄ってくると、まるで風のようにレディアスの身体を突き抜けて消えていった。

 「それで?」
怪訝な顔で、グランドがキッチンでコンロにかけたポトフをかき混ぜながら、大きく溜息をつく。
レディアスはその後ろ姿を見ながら、冷めてしまったココアにも手を付けずパジャマ姿で呆然と座っていた。
「俺・・・変かな?」
「変ねえ。幽霊ってんじゃないだろ?ちゃんと手え握って歩いたんだろ?」
「うん。」
「まあ、お前らしくないよな、あんな姿はさ。」
そう言いながら思い返す。
グランドが買い物して家に帰ると、びしょ濡れのレディが玄関先にボウッと座り込んでいた。
何を聞いてもうつろで、とにかくと冷え切った身体に、バスタブに湯を張って服を脱がせ放り込んだ。
ところが、料理で手が空いて風呂場に見に行くと、放り込んだままやっぱりボウッとゆだっていたのだ。
まったくもって、レディアスらしくない。
いつだって隙がない彼には、気が抜けた姿なんて、そうそう見られるもんじゃない。
記念写真撮っていいくらいだ。
「さて、出来たっと。ここで食う?居間で食う?」
「どうでもいい。」
何処で、と言うより、食っても食わなくてもいいって聞こえる。
「居間に行こう、ここは冷えるから。
それに絨毯にクッションの方が、ゆっくり出来て楽だろ?」
「ん・・」
まるで、しぼんだ風船だな。
エディって奴だって、たかがクローンじゃないか。
シュガー、エディー、こいつが気にするのはクローンのことばかりだ。
兄弟より、クローンかよ!ムカツク!
エディエディエディ!シュガーシュガーだ!

「レディアス!居間に先行ってろよ!」

思わぬ大きな声に、ドキッとレディが目を丸くして顔を上げた。グランドがしまったと思いつつ、またキッチンの奥へと目をそらす。
用もなく、皿をカチャカチャと出しては引っ込めた。
「ええと、ああ、ごめん、声がでかかったか。
ど、どうせ何にもしないだろ、そっち行って座ってろよ。」
「あ・・うん、ごめん。」
手に持ったタオルを握りしめ、レディアスが居間に行ってテーブル前に座った。
俯いて、こちらをチラチラうかがっている。
最近グランドは、自分でもつい声を荒げる自分が嫌になる。
それでレディアスが、少しビクビクするのを見るのも気が触る。

どうしてだろう・・

グランドは自分のほっぺを一発パシンッと殴り、テーブルへ皿を持っていきレディの前へ並べた。
「よしっと、じゃあ食うか。」
「ん。」
パンと温かなポトフに、レディの好きなゼリー寄せはアンバランスな組み合わせだが、いつもサスキアに帰るとこれを楽しみにしているのだ。
「今日はシフォンも買ってきたけど、食う?」
「え?ほんと?じゃ、食う。」
パッとレディが明るい顔で頷く。グランドもホッとして頷いた。
「へいへい。ああ?ココア飲まなかったのか?」
「んー、グランドが飲むかな?と思って。」
「お前に出したのに・・ミルク飲むとな、身長が伸びるんだぞ。」
身長に引っかけて、おもむろに振り向く。
「・・じゃ、飲む。」
にやり。グランドがほくそ笑み、ココアを温め直した。
これがどうやら、最近のレディに対する殺し文句だ。
余程気にし始めたらしく、あれ程食が細かったのに、最近はこう言えば結構食うようになった。
「明日な、局長が来いってさ。
クローン研究所にいるグレイのクローンだけど、局長がさ、面会許可が出たから許可証取りに来いって。
みんなも、一度顔見せに来てくれって言ってたぞ。みんな見舞いに来てくれたんだし、ちゃんと元気になった顔見せなきゃ、よう。」
聞いているのかいないのか、無言でスプーンを持ちポトフをボツボツ突っつく。
人付き合いがへたな彼は、入院中見舞客が来ると決まって寝たふりか、トイレへ行くと出たまま帰ってこなかった。
失礼千万な奴だが、みんな何となくわかっている。
レディに愛想良い姿など求めるのは、病人をストレスに追い込むような物だ。
自由にさせて、それでいい。
グランドも、返事のない彼に溜息付きながら、あのグレイのクローンに会う時を思えば心配だった。
何か、不安。
仲間のクローンが死んだことを聞いて、まさか、あのクローンが暴れ出すことはあるまいか?
あのクローンには、まだ何も報せていないと言う。どうするか随分検討されたが、その役を当事者でもあったレディアスが引き受けたらしい。
やっと治ったと言っても、まだ体調は十分ではない。医者に、事務的な仕事さえもまだだと許可が出ない。
たった一本の肋骨骨折が引き起こしたケガは、あまりにも出血が多すぎて、そしてあの時、あまりにも栄養状態が悪かった。

グランドが温めたココアとシフォンをトレイに載せて運び、ココアを差し出して心配そうに顔を覗き込んだ。
「俺は反対だけどなあ、あのクローンはあの男と繋がりがあるんだぜ。何かあったらどうするよ。」
「なにもないよ。」
「あの死んだクローンのことを話しに行くんだろう?何も無いことあるもんか。」
「大丈夫だよ。研究所にはそれなりの施設が整ってるから。」
ようやくポトフをまともに食べ始めて、もぐもぐ咬みながらにっこり笑う。
「美味しいな、やっぱグランドのご飯が美味しい。」
「だろ?だろ?やっぱおれの料理は最高よ!」
ニイッとグランドが笑いながら、誤魔化されそうな自分を引き留める。
2,3度首を振って顔を引き締め、グサッとスプーンをシフォンに突き刺した。
「ダメダメ!誤魔化そうったって、そうはいくかよ!
今日だってマンションの近くで凄い事故があったんだぞ。タダでさえ最近サスキアは物騒なんだ。
あの男が何仕掛けてくるかわからないし、俺だって今はポチがメンテナンス中で力を発揮できない。
お前だって、わかってるだろ!サスキアじゃ、俺達は銃の携帯は禁止されているし、武器はナイフだけなんだぜ。
普通の軍人と違って、締め付けが厳しい。普通の人間と違うからな。
それにお前はろくに力を持たないから、気を合わせるくらいじゃあ逃げることもままならないだろ!」
強い口調で心配するグランドに、ふと、レディが手を止め顔を上げる。
「気・・か・・・」
「なんだよ。」
「そうか・・気が、そうなんだ・・ 」
「何言ってンの?」
怪訝な顔のグランドに、にっこり笑ってウンウンと頷く。一人でわかって、一人で納得して、どうもグランドはイライラしてきた。
「おいって!俺にわかるように話せよ!
いいか?俺に隠し事は絶対に、な!し!」
「え?なし?そうだっけ。」
「だよ!約束したろ!」
「んー、どうすっかなあ・・」
「なんで!」
「だって、話してわかるかわかんないもん。」
むかっ!
何か凄くバカにされたようでムカツク。
「あー、そーですか!どうせ俺はバカですから!勘も鈍いし、見た目も普通。お前みたいに鋭くて綺麗じゃありませんよ。」
「グランド、変だな。俺、綺麗なんかないよ。」
レディアスが、キョトンとしてクスッと笑う。
自分達を比べるなんて、グランドらしくない発言だ。初めて聞いた気がする。
お互い、相手が最高に思えるなんて、自分達も普通のバカだと、何となく思った。
「ふふふ・・なあグランド。」
「なんだよ。」
「俺達、普通だな。普通の、『人間』だよな。」
「当たり前じゃん、普通だよ。」
ようやくグランドが、ポテトをすくい取り、フーフーッと吹いて口にいれる。
ホクホク、あちあちっと言いながら食べて、パンをブチッと千切った。
「ごくごく普通の、タダの人間だけど、ほんのちょっと違う力があっただけさ。」
「・・・俺も・・俺も普通だよな。に・・んぎょうじゃないよ、な?」
はたと、グランドの手が止まった。
じっとレディの姿を見て、ブンブン首を振る。
そして思いあまって、ゴンッと彼の頭を叩いた。
「バカッ!まだあんなクローンの言ったこと気にしてるのか?
お前は普通!人間だよ!
昔、ちょっと精神的に参ってたから変だったけど、ちゃんと治療して治っただろ!
ちゃんと普通だからそんな笑えるし、怒るんだろうがよ!怒るぞ!」
「もう怒ってるじゃねえか、いてえ!」
「怒ること言うからだよ!もう!」
ピッとテレビをつけて、ガツガツ食べながらグランドは、結局誤魔化された気がする。
今更何のことか、もう一度聞けやしない。
それに、レディはあれから、ひどく自分の感情に敏感になってしまった。
「人形」と言われた言葉が昔の自分を思い出させるのか、今は違うと言い聞かせるようによく喋ったり、考え込んだりすることが多くなった。
しかし、あのクローンの言葉がずっと引っかかっているのは、レディだけではない。
グランドも、あのクローンの問いに即答できなかった自分にずっと引っかかっているのだ。

『あんたがここで死んだら、こいつは悲しむと思うかい?』

当たり前だと、思う。
あのクローンを殺したことだって、レディはあの後ずっと苦しんでいる。
ならば、自分が死んだら、もっと悲しんでくれるに違いない。

そうあって欲しい・・そう思う。

なのに・・やっぱり、この煮え切らない気持ちは、彼の涙を見ないせいだろうか?
それとも、無表情でじっと宙を見つめる事が増えたその態度が、どうしても悲しんでいるように見えないからだろうか?
苦しんでいる・・のはわかる。
でも、彼の感情は静かで激しさがない。
ただ一つ、はっきりした感情は「恐怖」だけだ。ずっと、それだけははっきりしている。
でも、それに押されるように、他の事がはっきりしない。
ただ、美しい顔で、少し微笑み誤魔化す。
心を読めるブルーは、「あいつ、とても苦しんでいるから、支えてやってくれな」と言っていた。
心の葛藤を、表面に出さないのはやっぱり昔の影響がまだ残っていると思う。
気が付けば、よく無表情だ。
それに、彼はいわゆる、そんな経験に『慣れて』いる・・・
命があまりにも、彼の中では軽かったあの頃。
命の重さをわからせるためと、ペットとして飼ってもらった小鳥を、レディはいとも簡単に殺してしまった。
しかも、食べるためにだ。

・・・涙、か・・

レディアスは、俺が死んでも涙を流さないんだろうか・・
ただじっと、無表情に宙を見つめて、そして忘れようとするのだろうか・・・
俺は、レディアスの、「特別」にはなれないのかな・・・・

 グランドが暗い顔で黙って考え事していると、気を使ったのかレディが笑ってテレビを指さした。
「・・あ!可愛いなー!これ!グランド、可愛いんだよね、これ!」
言われてテレビを見ると、子供服の宣伝だ。
色んな動物に服を着せて、子供達がその中で一緒に遊んでいる。きっと合成された物だろう。
「これの?何が可愛いって?子供?服?動物?」
意地悪な聞き方だ。そうだね、と一言返せばいいのに、と思う。
「ほら!えっと・・」
迷って答えきれない内に、宣伝が終わって次の画面に変わってしまった。
「ああ、終わっちゃったよ。」
「・・ほんとは、興味ないだろ?」
また、意地悪して聞いた。
「え?やだな、違うよ、ちゃんと見てた。
可愛かっただろ?うん、子供だよ、子供が可愛いんだ。」
「嘘ばっかり。」
彼の返事の先には、『きっと』が付いていそうな自信のない答え方。
焦ってボロを出す、こんな事、仕事中の姿からは考えられないだろうが、二人っきりの時は珍しくもない。
子供なら、きっと可愛いはずだと思いこんでいる。
本当は興味もないから、聞かれれば何が、とはすぐに答えられない。
「意地悪グランド。俺はちゃんと可愛いって思ったのに。」
「嘘だな。じゃあ、可愛いってどう言うことか言ってみろよ。」
ドキッと、レディが落ち着き無く視線を落とし、辺りを見回す。
「ほら、この部屋で可愛い物って何だ?言ってみろよ。」
グランドも、どうかしていると自分では思っている。しかし、無意味にレディを追い込む自分が何故か止められなかった。
「可愛い物・・わかるよ、俺だって、そのくらい。当たり前じゃないか。バカだな・・」
忙しく捜しながらも、レディはどうしたものか、答えればまた否定される気がして怖くて答えられない。
こんなくだらないことで、彼は背筋に冷水が走って落ち着きを無くしてしまう。
サスキアに帰って仕事を離れ、家に帰ると彼の心は丸裸で傷つきやすい。

グランドまた機嫌悪い・・きっと俺のせいだ。
どうしよう、どうしよう・・可愛いって、可愛いって、なんでそんなあやふやな言葉言っちまったんだろう。
小さい物だ。きっと、淡い色の・・
くそ・・どうして俺は、そんな物がはっきりわからないんだ。どうして、簡単なことに自信が持てないんだ・・

オロオロするレディアスに、クスッとグランドが意地悪に笑う。
「愛らしいもんだぜ。愛!お前にわかる?わかんねえよな。」
小馬鹿にしてフンッと顔を背けた。
「・・わかるよ、わかる・・愛の、様な・・そのくらい・・わかるよ・・」
彼の声が小さく、掠れて消える。
「フッ、わかるもんかよ。」

(どうせ、どうせわかりゃしない。
クローンなんかにうつつを抜かして、それを愛なんかだと思ってるお前に・・)

キョロキョロ、次第に焦って表情の消えてゆくレディを、冷たく横目で見る。
それは、グランドに初めて芽生えた嫉妬だったかも知れない。
『愛』・・そんな掴みようのない曖昧な物を言われると、彼が更に混乱するのはわかっている。
レディが旧カインのレダリアで戦争から帰って後、いかに感情を読み取ったり表現する事に苦労していたかは、グランドが一番知っているのだ。
でもグランドは、何故か自分以外の、ましてクローンなんかに心を許したレディが、気が付かない内に何処かずっと許せない。
いつだって、じっと宙を見つめているときは、きっとクローンのことを考えている。
シュガーにエディ、そればかりに囚われて、俺は一体何なんだとグランドはレディに掴みかかって問いつめたくなる。
グランド自身も、相手はクローンと今まで割り切って考えていたはずなのに、こんなに苦しい思いをするのは初めてだった。

 レディアスは必死で何かを捜している。
こんな何でもないことでも、自信を持って答えられるものが何かがわからない。
まるで言葉がわからない外国人のように、戸惑いながら物を見てはグランドの顔をうかがう。
しかし、グランドはプイと拒絶しているように、目をそらしては冷たい目を送る。
レディアスはとうとうスプーンを握ったまま、諦めたのか無表情に俯いた。
「ほーら、やっぱり・・お前にわかるわけ・・な・・あ・・・」
顔色を変えてグランドが、慌てて腰を上げる。
小刻みに震えるレディの手に、自分が大変なことをしたのだとようやく気が付いた。
「・・あ、ごめんレディアス、俺が悪かった。悪かったよ、気にするな。俺も気にしてないから。な?な?俺が悪かったよ、意地悪言って。何かちょっとイラついちゃってさ。」
焦りながらパンッと手を合わせて懸命に謝る。
レディはぎこちない笑いを浮かべて、何度も首を振った。
「グ、グランド、俺が悪いんだから、何でもないよ。
俺もさ、ちょっと変だから。わかってるけど、何かはっきり言えなくて・・ごめんな。」
「いいんだ、何も言うな。悪かったよ、別に気にするなよ、な。俺は何にも気にしてないから。
テレビ、やめて音楽にしよう。ほら、情操教育には音楽がいいって・・ああ、ンな事はどうでもいいや。」
何だかテレビがうるさく感じて、ピッと消してグレイのオーディオをかける。
彼の趣味のいい静かな音楽がゆっくり流れて、ほんの少しホッとした。
「綺麗だよね、綺麗な音楽だ。」
レディが焦って、弁解するように身を乗り出す。グランドは一息飲み込み、落ち着いて微笑み返した。
「ああ、綺麗な音楽だな。
さあ、冷めない内に食べよう。ポトフはフウフウして食べるのが美味しいんだぜ。さあ。」
「うん、食べるよ、食べる。」
食事しながら時々顔を合わせ、にっこり微笑みあって今日あったことをグランドが話して聞かせる。
レディはぎこちなく笑って、少しオーバーに身を乗り出し、興味があるように振る舞っている。
グランドは、悟られぬように溜息を飲み込んだ。

少し、最近二人の間がぎこちなく感じるのは気のせいだろうか?

一緒にいて、疲れるなんて・・・無かった。

何だか、早くデスクワークから離れたいと思う。
ポチはオーバーホールで細かな調整を行うときは、グランドと通信をほとんどしてくれない。
ポチなりに、軍が小細工をしてウィルスや、変なプログラムを入れたりしないかと、詳細な検証を行いながら処理していくので、この時ばかりはコンピューターらしくそれに集中するのだ。
グランドはおかげでこの3日ほど、ポチがいないので落ち着かない。
頭にポッカリ穴が開いた気分で、彼らしくもなくイライラする。
「あーあ、明日までかあ!ポチの点検早く終わってくれないかなあ。何かよう、お前にまで迷惑かけるよなあ。」
「滅多にないことだから、仕方ないさ。
明日、グランドは行かないのか?研究所。」
「ああ、用あるから行けねえや。とするとお前、足がねえな。久しぶりに、運転する?それともバスで行く?」
ニヤッと笑ってレディの顔を覗き込む。
レディはツンと、顔を逸らして吐き捨てた。
「フンッ!俺はバスに乗りたいんだよ!」
「あ、そー。残念だねえ。」
グランドが、クスクス笑いながらパンを千切る。
レディはその笑い顔を眺めながら、ホッとしてゼリー寄せを口に運んだ。
トロリと口当たり良く、海藻があっさりして美味しい。
大好きな一品ではあるが、カロリーがほとんど無いので、高カロリーのソースを付けなければならない。しかしこれだけは、レディも苦にならないのだ。
昔、旧カインの頃から好きだった物。
その頃は海藻ではなかったが、似たような口当たりのいい合成食品だった。
戦争から帰った時、栄養不足と乾燥で荒れてしまった口は、ごわごわと味を感じず硬い物や熱いものが苦手だった。そんな時、これは本当に美味しい食べ物に感じた一品だ。
だからグランドが、今でも冷蔵庫にはこれをいつも常備してくれている。
食欲が無くても、これだけはつるりと喉ごしがいい。
「明日は、何食べたい?」
「え?今食べてるよ。」
食べてる先から明日のことを言うグランドに、レディがキョトンと顔を上げる。
「明日の昼過ぎにはポチも戻ってくるしさ、俺、何か最近ずっとお前にやな事言ってるみたいだったし。何かお詫びしないと・・さ。」
あれ?と、レディが嬉しそうににっこり笑う。
そうか、グランド、自分でも気にしてるんだ。
うふふ・・うふふふ・・・
心の中で嬉しくてクスクス笑い、最近の暗い気持ちがスッと軽くなってくる。
「そっだなー、意地悪されたから、何がいいかなあ。」
意地悪と言われて、グランドが苦い顔で笑う。
やっぱり傷つけていたんだと、小さな溜息が出た。
「どこか行こうか?お前ずっと退院してからも家にいるし、たまには気分転換にさ。
夕方まで研究所でブラブラして待ってろよ、迎えに行くから。」
「ん、そうだなあ・・わかった。居住区に、読みかけの本があるから読んでるよ。」
何となく、楽しみが出来て心が気持ちいい。
パッと明るい顔で、レディが胸に手を当て首を傾げた。
「うふふ・・なあ、ここがさ、気持ちよくてウキウキする。なあ、俺はやっぱり普通だな。」
「ああ、もう変なこと考えるなよ。あんな奴の言葉は忘れろ。」
「ん、そうだね。」
明日・・明日はいつもの明日じゃない。
きっと楽しい明日。
今夜はよく眠れそうな気がする。
ずっとグランドの顔色をうかがっていたのが嘘みたいだ。
それも、昔の悪い癖。
もう、誰の機嫌もうかがう必要はない。

俺は、自由なんだ・・

あれ?っとエディの亡霊の言葉を思い出した。『僕は、自由だよ!』
一体何に囚われているのか、死んで時間が止まった者と変わりはしない。成長していない印かな?
レディは苦笑しながら、それでも明日会う予定のソルトを思えば、ほんの少し気が重くなりそうだった。

 だだっ広い駐車場に車を止めて、久しぶりで見る管理局の建物に、プイッと顔を逸らす。
下を向いて、何だか溜息が出た。
「行くぞ、俺、遅刻しちゃうよ。」
グランドが、バタバタ車から飛び出し、気が進まない様子のレディの腕を掴んで玄関に急ぐ。
いつものジーンズに2人お揃いの・・軍のアーミージャケットだから当たり前だが・・お揃いの姿で、仲の良さを見せつけながら走り出した。
顔見知りの局員が「やっ!」と手を上げ、相変わらずだなと苦笑しているのに、グランドがヘヘヘと親指を立てる。
立ち止まる暇もなく、局内の東棟へ急いだ。
東は遺跡管理棟、西はクローン管理棟と呼ばれていて、それぞれの部局が集中している。
ゲートをサッと通るグランドのあとを、レディが慣れない感じでジャケットから証明書を取り出し、もたもた面倒臭そうだ。
「急げ!急げってば!」
「あー、めんどい。先に行けばいいじゃん。」
「用があんだよ!用がよう!あー!殺される!」
彼がゲートを通ったとたん、グイッと引いてバタバタ走りだした。
久しぶりの管理局は、やけに広く感じる。
「おはよー!グラちゃん忙しそうねえ!」
「はよっ!キャス!後でな!」
「おはよう!あら!レディおひさ!」
「はよっ!」
「おっはよ!おっ!レディじゃん!」
「はよっ!後で!」
さすがにみんな、レディの姿に明るい顔で手を上げてくれる。しかし、それを横目に、無愛想に頷くだけのレディも相変わらずだ。
ドタドタと、どうやらグランドは自分のデスクのある管理官室ではなく、局長室を目指しているようだ。
おおかた昨日、出勤したら、まず来いと言われていたのだろう。
それでちゃんとまた、しっかり寝坊するのだからせわしない。今朝はレディに弁当を作らなくていいと思ったら、すっかり気が緩んでしまった。
先に起きているレディは、湯の一つも湧かすわけもなく何の役にも立たない。
「ひー、怖いよう、局長怒ってるだろなあ!」
「いいじゃん、別に。」
しれっと答えるレディアスを引いて秘書を置かない秘書室を抜け、とうとう局長室の前にたどり着くと、息を整えドアをノックした。
ココンコンコン!
『何だ。』
ノックをすると中から何だか怒っているようないつもの声。
ドキドキ
「おはよーございまーす!グランドでーす!」
愛想良く何故かドアににっこり答えた。
『入れ。』
およ?てっきり怒鳴り声が帰ってくると思ったら・・
そうっと二人して中に入ると、ソファーには金髪の坊ちゃん刈りに分厚い眼鏡のひ弱そうな年齢不詳男、管理局の発明王アレク博士に、クローン研究所の美男子若手研究員、黒髪の感じがブルーとちょっと似ているダニエル・マキシ博士だ。
「あれ?何だ、マキシ博士来てたんだ。」
「来ていたら悪いかい?大事なレディのお迎えだよ。」
「へー、博士直々に?」
ちょっと怪訝な顔。
「心配かい?大丈夫、手は出さないよ。」
「そんなこと言うから心配なんだよ!もう!」
グランドが、サッとレディを後ろに隠す。
何しろ、このマキシ博士は手癖が悪いことで有名だ。何を考えているのか、どうやら彼女の数をシャドウと争っている、自称シャドウの「ライバル」らしい。
「管理局ってのは、どうしてこんな奴ばっかしかいねえんだ?」
レディが、溜息混じりに吐き捨てる。
彼自身も嫌なんだろう。
「失礼は止めなさい。アレク博士、あれを。」
「は、はい。あのう、これが出来たのでー・・・」
局長に言われて何だか気弱そうに、そうっと差し出すその手の平には、小さな透明プラスティックの箱に少し大きめの髪飾り。
長めの楕円でクリアーっぽいブルーに、光りの加減で濃淡が変わってなかなか綺麗だ。
グランドが覗き込んで、あっと顔を上げた。
「これがあの、あれ?」
「はいー、そうですー、やっと出来ましてえ。
試作品ではありますがあ、いい出来だと思いますー。」
箱から取り出し、そしてレディにそうっと差し出す。
レディはキョトンとして首を傾げ、グランドの顔をじっと見た。
「俺?」
「そう!お前の!何だと思う?何だと思う?」
「なに?」
レディがアレク博士の顔を見ると、いきなりボッと博士の顔が真っ赤に燃え上がる。
「こ、これはですね。POT1との交信が可能になる、通信機の一つでして。あの、あの、小型化した通信機を、全天候対応にするために超硬化プラスティックに封印した物で、あの、あの、その超硬化プラスティックがこんな色なんですけど、光りを吸収するから光らないんですけど、あの、あの・・」
目がグルグル、完全にイッテいる。
まあまあとグランドがその肩を叩き、彼をハイッとレディの前に立たせた。
「まったく、同じ博士でこんなに違うもんかね。アレク博士、ほら、付けてやれば?レディアス、じっとしてろよ。」
「ええええっ!い、いいんですか?本当に?いいんですか?僕が付けてもいいんですねっ!」
「いいんじゃねえの?ほら、減るもんじゃなし、綺麗な髪飾りじゃねえの。ポチッとつけてやれよ。」
ほら、と言うグランドに、レディが嫌な顔で一歩引く。
「俺、やだ。」
「なんで!綺麗じゃん!」
「だって!髪飾りって女が付けるもんだろ!」
「またこだわるかよ!いいじゃん!お前にはピッタリだぜ。」
「どうせ女みたいだよ!余計やだ!絶対やだ!」
こぬぉおお!!
「いいから付けろ!」
「やだ!」
意地になって首を振るレディは、こうなったら絶対うんとは言わない。何とか力で押し切ろうかと迫るグランドに、ポンッとレディがデスクを飛び越え、なんと局長の後ろに隠れた。
「ギャッ!それは反則だぞ!」
「フン!」
二人のやり取りに、間の局長が大きな溜息をつく。呆れて首を振り、とうとう立ち上がると呆然と立つアレク博士から髪飾りを受け取った。
「グランド、あなたがきちんと説明しないからでしょう。このシステムは、あなた方だけの物じゃないのよ。
レディ!おいでなさい。」
局長の厳しい口調は、有無を言わせない。
渋々歩いてきたレディは、明後日を向いたまま局長には刃向かえなかった。
「耳の後ろ、でしたわね。」
「はあ、」
博士のがっかりした返事は、すっかり気が抜けている。
二人並んだレディと局長を見て、グランドがヒヒヒッと下品に笑った。
「レディアス、局長に負けてるぜ。」
「何が?」マキシ博士が身を乗り出す。
レディは思いきりグランドを睨んで、プイッと明後日を向いた。
何が負けているか、もちろん背丈だ。
若い頃から大柄の局長は、52才の今でも大おばさんだ。
よって、難なく局長は、レディの左の耳の後ろに髪飾りをスッと通し、ストッパーを止めることができた。
パチン!
「あら、よく似合うわ。色がいいから、違和感がないわね。安心なさい、男だと言っても変じゃないわ。」
「何か、あやふやな言い方だな・・」
上手く誤魔化される気がする。
「あまり目立たないから大丈夫よ。それより、スイッチは?」
博士が付け具合を覗き込み、うんと頷く。
「ピンの間に髪を挟みますとぉ、それでスイッチが入りますー。グランドー、ポチと交信してくれるかいー?テストだと伝えてぇ・・」
「ヘイヘイ!ポチ!通信できる?おーい!」
久しぶりで、少しドキドキする。
ところがその久しぶりの声は、じっと待つグランドをふって、レディの耳に飛び込んできた。
『やほ!やほ!レディアス!アクセス!はじめまして!やほ!』
女性とも男性とも言えない、甲高い声だ。
キンッと来て、ちょっと不快。
「なんだ?これ!凄くうるさい!俺こんな物嫌だ!」
「わっ!待て!ポチ!声下げろ!」
思わず外そうとする手をグランドが慌てて止める。
『うるさい?嫌われた。あ、あ、あ』
次第に声が静かに、落ち着いたトーンに下がってゆく。
『どだ?これ。最初、調整必要。ポチも、まだ、システム、慣れてない』
「ポチ?」
いつもは切れ長の目をまん丸にして、レディがグランドの顔を見る。
グランドは彼に、グッと親指を立ててヒヒヒッと下品に笑った。
「やったね!初めて聞いたろ?ポチの声!
今度、言語通信のプログラム組んで試験的にこれをはじめたんだ。
まあね、お前が1号。あと、うまく行くようなら兄弟みんなに持たせれば相互通信が出来るようになるんじゃないかなってさ。
まあ、俺の考えなんて大した物じゃないけど、これを基礎にして色々作りたいんだよ、この博士はね。」
コクコクと、アレク博士が何度も頷く。
確かにこれは、いいかもしれない。
「ふうん、ふうん、じゃあ俺もポチと話せるんだ。へえ、ポチってほんとに喋ってたんだ。」
嬉しそうに、しかし何処を見るでなく、視線の置き場に困って俯き目を閉じる。
相手が目前にいないのは、確かに目のやり場に困るのだ。
『レディアス、何か話せ、ポチ、答える』
「あはは!本当だ!ポチ、本当にいたんだな。
そっだなー、ポチは、ポチって名前気に入ってる?」
『グランド、付けた。仕方、無い』
「そうか、そりゃ運が悪かったな。」
嬉しそうに返すレディに、グランドが面白くないのか詰め寄ってきた。
「なあなあ!なに人のことネタに話してんだよ!今、ポチの声はこっちにゃ聞こえねえんだ、変なこと喋るなポチッ!」
「へえ、面白いな、これ。」
レディアスが、気に入ったのか楽しそうに微笑んでいる。
彼が楽しそうな顔をするのは、ここ職場では滅多にないことだ。
局長も、あら、と意外な顔でデスクに戻ると、カシャンと静かに椅子に掛けた。
「では、グランドはこのままアレク博士と最終調整に行って。レディはマキシ博士とクローン研究所へ。」
「あれ?これ、返さなくていいの?」
レディが慌てて外そうと引っ張る。
「わあっ!」
慌ててアレクが飛んできて、ブンブン手を振った。
「ダメダメ!無理をしては壊れます!デリケートなんですから。」
「え、壊れるの?」
「まあ壊れないように工夫はしていますが、どうしてもピン部分が壊れやすくて。
軽くて強い合金はいくらでもあるんですけど、柔軟性となると限られてくるんですよ。
テストの間は、誰かに付けたり外したりは頼んでください。
それと出来るだけ外さないように、データーを取りますから。
じゃあ一時通信は中断して、明日から本格的にと言うことで。」
「はあ・・」
何だか良く分からない。
つまり、軽くて柔軟性はあるが、強度が落ちると言いたいのだろうか?
どちらにせよ、壊れ物と言うことだろう。
そんな物、ずっと付けてるなんて頭が痛くなってくる。
大きな溜息をつくレディに、ポンと肩を叩いてグランドがドアへ向かう。
「じゃな!夕方迎えに行くから、研究所で大人しくしてろよ!迷惑かけるなよ!」
「お前じゃねえよ。」
「ケッ!食いたい物、考えとけ!ンじゃ!失礼しまっす!」
バタンッ!
ようやくアレク博士と二人、グランドも部屋を出ていった。
マキシ博士も立ち上がり、パリッとしたスーツを払って襟元のスカーフを直す。
妙にポーズを付けた彼の様子に、レディもうんざり顔を背けた。
「じゃ、僕らも行こうか?G44−Bも待ってるよ。」
「・・違うよ。」
さっとレディが返し、局長が顔を上げる。
「また!あなたは報告に知っていることを全て話してないわね!何が違うの?!」
ドキッと、レディが俯いて思わずドアに逃げる。
マキシ博士も後を追ってドアへ向かい、レディの肩に手を置いた。
「何か知ってる?あのクローンのこと。」
「別に、名前だけ!必要ないと思ったから、報告書には書かなかった。それだけだよ。」
「レディッ!規定違反よ!レディ!」
さっとレディがドアの向こうに消える。
マキシ博士は、溜息をつく局長に指を立て、「お任せを」
キザに一言残すと、更に局長の不安をかき立てながら消えていった。




 ごうごうと風が鳴り、げんなりとしたレディがスピードを上げて過ぎ去ってゆく景色を、車の開いた窓からぼんやりと眺める。
昨日の雨が嘘のように空は晴れ渡り、カンカンと日差しが容赦なく照りつけ、朝っぱらから気温も一気に上昇している最中だ。
昨日の雨を受けた緑は生き生きと鮮やかに、空の青と相まって灰色のマンションばかり建つ郊外を彩っている。
研究所は、管理局とそれ程離れていない。
それでも車で10分程度。
サスキアにある山、ドリエリ山のすそ野に森に囲まれひっそりと建っている。
クローン研究所は、管理局と連携を取っている軍の一部だ。
高い壁に囲まれたそこは、研究棟、クローン居住棟、クローン収容棟と3つに別れている。
身体能力に長けたクローンが逃げないようにと、気休めではあるが5メートルほどのコンクリートの上に更に5メートルほどのフェンスが幾重にも施してある。中は高い壁に囲まれているが、広くて住環境に問題なく緑に溢れ、一時はクローンにはあまりにも贅沢過ぎると論議を醸したほどに施設も整い、特に医療施設は大病院にも引けを取らない。
居住棟は、保護されたクローンが、多数独立して社会に出るトレーニングをしている。
社会と言っても限られたところでしかないが、誰に仕えることなく自立して短い生涯を過ごせるようにするのが目的だ。
そして収容棟は、危険度の高い者や危険と思われるクローンを収容するところで、「クローン収容所」と呼ばれ、厳しく自由を制限し、さらに監視も厳しい。
そして問題行動が激しく、人間の手に負えないと判断されると、協議の上に処分されることもあり、クローン達には真に恐れられている所だ。
 クローンは、実際あとどれぐらいこのカイン全体に残っているのかは分からない。
旧カインで戦後収容された活動中のクローン達は、だいたいに置いて焼却処分された。
研究所から少し離れたところにその第2処分場跡があり、すでに朽ちかけた建物を保存した横に慰霊碑とクローン博物館なる物が建ててある。
一つの観光スポットだ。
しかしそこは、人間が容易に命を弄んだ結果がもたらした、悲劇の舞台でもある。
旧カインにはこうした焼却施設が戦後急ごしらえに数カ所作られ、ほとんど栄養失調状態で悲惨な姿をしたクローン達が、一般に公開されることを恐れた連邦によって(戦争の長期化は、連邦の介入の遅れが最も大きい原因だと非難が強かった)秘密裏に集められ次々焼却されていった。
戦争の一番の被害者は、クローンだと言える。
そしてレディも、クローン達と一緒にその一つにいたとき間一髪で保護されたのだ。
だから彼は、今でも絶対に処分場には近寄らない。恐れて近寄りたがらない。

 「レディ、彼に何を話すつもりだい?先に少し教えてくれる?」
運転しながら、マキシが明るく問うた。
横ではレディが窓を閉めようと、ごそごそマキシが窓を開けてくれたとき押したボタンを押している。モーター音が微かに響いて、閉まる気配はない。
ボーボーと、風が入って少し気分が悪い。
マキシが意地悪そうに笑って、信号で車を止めると指さした。
「閉めるのは、その後ろのボタンだよ。」
「わ、わかってるよっ!押してみただけ!」
ホッとして押すと、スウッと音もなく閉まる。
どうしてこんなにボタンが並んでいるのか、まったく腹が立つ。余程グランドの車の方がボロくても分かり易い。
「で?何を話すの?」
「別に・・」
思った通り、無粋な答えにマキシがフッと苦笑いする。
「いいけどね、別に。
君たち、相変わらず仲いいじゃない?グランドと上手くやってんの?」
「やってるよ。」
「退院してからも、全然来なかっただろ?カウンセラーのマリア、心配してたよ。」
「別に、自由だろ?」
「自由だけど、せめて電話の1本くらいいいじゃないか。まだ、君は完全じゃないんだろう?」
レディがムッとして、プイッと窓向きに座り直す。背中を見せるのも、儚い抵抗だが・・
彼の言う完全とは何だろう。
最近そんなことばかりで、まったく不快な気分になる。
「完全って一体なんだ?俺がどうだって言うんだ?俺はこうして普通にいるじゃないか。
わかるかよ、俺は今怒ってるんだぜ?
怒るし、笑うし、落ち込みもする。
何処がどう完全じゃないって?俺は普通に生きている。」
無口な彼の、思わぬ反撃にマキシがヒョイと肩をあげる。
困ったように首を振り、そして信号で止まると背中を向けるレディアスの頭を、あやすようにクシャクシャ撫でた。
「や・・やめろよっ!」
パシッと手を払い、マキシの方に向きを変えて、まるで毛を逆立てた猫だ。
隙を見せたことを後悔しながら、唇を噛み睨み付ける。
「ふふ・・くっくっくっく・・戦闘態勢かい?」
苦笑しながら煙草を1本くわえると、後ろからクラクションを鳴らされた。
ププッ!!
「おや、君に見とれてたらいつの間にか信号が変わってる。」
火を付ける間もなく、くわえたままで車を発進させる。ライターを取り出し、火を付けようとしてふと手を止めた。
「あれ?そう言えば君、煙草は?随分吸っていただろう?」
「やめた。やめさせられた!」
「へえ・・・グランド?」
「医者だよ!身体を・・大事にしろって・・」
ブスッと、声が小さくなる。
自分を大切にするなど、考えもしなかったことを言われて、ひどく戸惑った覚えがある。
どうして大切にする必要があるのかと、真面目に聞いたのに凄く怒られてしまった。
彼の主治医でもある管理局医務室の派遣医は、とにかく怖いおっさんだ。
軍の病院から通常は週に3日しか来ないくせに、やたらレディのことを知っている。
実はグランドが情報提供者なのだが、それを薄々感じながら、もしかしたらストーカーかも知れないと思う今日この頃だ。
「あれだけ吸ってて、止められたんだから大した物だね、グランドの愛情は。」
「口うるさいだけさ。何だよ、それ。」
愛情なんて、何がそれなのか分からない。
「ピン、似合ってるよ。それも愛情だろ?」
ハッとして、先程付けた髪飾りのピンに手が行った。
ポチは、必要以上に喋らないのか、あれから何も言わない。きっと今は、他の作業に追われているのだろう。
「ポチを介して、君と繋がっていたい・・いいんじゃない?」
マキシの言い方が嫌らしく感じて、ムッときたレディはピンをパチンと外してしまった。
「あれ?外しちゃ駄目なんだろ?」
「いいんだよ!触ってたら外れたんだから。」
確かに、外し方は習わなかったのに、ストッパーが甘いのか簡単に外れてしまった。
また付けるのもしゃくで、ポイとジャケットのポケットに放り込む。
何だかグランドと遠く離れた気がして、ひどく寂しい。
ポケットの中でツヤツヤした表面を撫でながら、またポチと話したい気がして遠い空を眺めた。

 車は郊外を更に山手へ向かって走り、対向車のほとんどいない山道に入って行く。
マキシの高級車は、いつも乗るグランドの車とは乗り心地が雲泥の差だ。
次々に現れるカーブを滑るように走りながら、クスクス笑ってマキシは、煙草をケースに戻してハンドルを持った。
「君、やっぱり可愛いね。昔よりうんと良くなった。
君と初めて会ったとき、僕は驚いたよ。
人間は、こうも無表情、無感情になれるもんかってさ。
僕はまだ学生だったけど、他のみんな一時は君の精神面に異常に興味持ってね。みんなマリアに講義を頼んで、やたら勉強しまくったよ。」
マキシは小さい頃より天才と言われて、15才で医学博士号を取るとすぐに研究所へ入った。
だから、管理局発足時のことを良く知っているのだ。
「人をジロジロ見て、用もないのにうるさく話しかけて、あれがあんた等学者のお勉強かい?」
「そうさ、おかげで今、クローンの更正に生きている。さしずめ、君が研究所での更正1号かな?まあ、まだまだ不完全だけど。」
「それはどうも、つまり実験台1号かい。
データーなんて、取られる方はたまったもんじゃない。俺は・・・・・・・
止めろ!」
急にレディが押し黙る。
研究所はすぐそこだ。マキシは彼が行きたくないのかと車を路肩に止め、じっと前を見据える彼の顔を見て怪訝そうに覗き込んだ。
「・・・?どうした?」
「何か・・違う。」
「何が?」
「いつもと、違う。」
「どこが?」
マキシがエンジンを止め、まだ見えない研究所の高い塀がある方角を見る。
緑の中を走っている2車線のうねった道は、車を止めるとシンと静まりかえっている。
「まだ研究所は見えもしないよ。気のせいさ、さあ、急ごう。」
エンジンをかけようとして、さっとレディが横から飛びついた。
「駄目!かけるな、気付かれる。」
「何に?!一体何だってんだ!いいかげんに・・」
シッとレディが指を立て、ドアを開けようとボタンを捜す。
「どこ?どこ押せば開くの?」
「何処へ行くんだ?」
「俺、見てくる。お前はここにいろ。」
「こらこら、いい加減にしろよ。」
マキシが呆れて溜息をつく。
まだ、研究所の門までは車で5分はかかる。
この道の先に塀は見えるが、研究所の敷地は広い。正面へ回り込むには、ぐるりと走らなければならないのだ。
それに研究所は警備も厳しい。
辺りはカメラが至る所に設置してあり、10メートルほどもある塀もただでは越えられない。
塀の厚みは1メートルを超え、その上部は越えようとすると、高圧電気を一瞬更に1メートル程上まで放電する。
これまで、逃げだそうとしたクローンが数名重傷を負い、その中の数名が死亡した。
門も、軍の警備員がいるだけでなく、2重に警備している。
外の門で何かあった場合、中の頑強な門は閉めてしまう。それこそ戦車でも持ってこない限り侵入は無理だ。
たとえ空からと思っても、対空監視はコンピューターがやっている。
万全に、万全を期している。
だからこそ、このサスキアにあるのだ。
レディがおかしいというのも、どうしても頷けない。
それにこんなに離れたところで、何がどう違うと分かるんだろう。
「レディ、何がどう違うって言ってみろよ。
何が根拠だ?」
「お前に言っても分からない。半分は勘だ。」
ガチャッ!
適当に押している内、ようやく開いてレディが飛び出す。
慌ててそれを追うマキシに、レディがシッとまた指を立てた。
車のドアをそうっと閉め、助手席に回ってレディが開け放したドアも閉める。そしてレディがじっと耳を澄ませる後を追い出すと、彼はいきなり道路脇の森へと飛び込んでしまった。
「こらっ!待てよ!ああ、もう!こちとらいいスーツ着てるのに・・」
ぼやきながら森をかき分け懸命にレディの後を追うと、彼は真っ直ぐ研究所の塀へ向かっている。
速い。見失いそうだ。
揺れる茂みを頼りに、つまずき、滑る足下にいらつきながら走ると、木陰からそっと様子をうかがうレディの後ろ姿をようやく見つけて駆け寄った。
息が切れて、それを整えるだけで言葉が出ない。息も乱していないレディの涼しげな姿に、自分の運動不足も再確認しながら、その後ろから研究所のグレーの壁を眺めた。
「何か・・・?」
「シッ、あんた、うるさいよ。息止めて。」
息を止めろ?!
こいつ、俺に死ねと言うのか?
むかつきながら、マキシが息を苦しそうにひそめて整える努力をする。
「やっぱり、変だ。静かすぎる。中で何かあってる!」
確信を持って、レディがマキシを振り返り腕を掴む。そして耳元に唇を近づけると、そうっと囁きかけた。
「きっと、一刻の猶予もない。俺は中に侵入する。
あんたは車に戻って森を抜けてから管理局へ連絡を。もしかしたらエマージェンシーは行ってるかも知れないけど、ここにいるとあんたも危ない。」
「バカなことを、お前は丸腰だぞ。塀だって、10メートルを超える!無理だ!」
「大丈夫、ナイフを1本持ってるし、この手足もある。石、ガラス、枝、ある物みんな武器になる。」
スウッと、レディの顔が冷たい美しさに暗く冴え渡る。
マキシはそれにうっとりと見とれながら、我に返って思わずゾッとした。
彼の戦い方は、戦闘のプロのお墨付きだ。
黙って一人戦わせると、その容赦ない攻撃にクローンでさえ恐れを成して、彼との試験的な取り組みを怖がって嫌だと言った。
彼はあの戦争を、子供でありながら生き延びたのだ。それが意味する物は、躊躇のない残酷さ。それが突出して異様なのだ。
敵だと言われた物、全ての命を奪う。それに迷いはない。
無表情、無感情、人間らしさは微塵もなく、人間以外の生き物は、食べるために全て殺そうとする。
あまりの行動に、彼を嫌悪する女性職員もいた。
そして彼ら兄弟の能力を全て調査した後・・「戦闘人形」・・ひっそりと彼の報告書には、そう書かれた。
だからこそ、何とか善悪の区別を取り戻した彼に、必ずグランドがそばにいるよう監視役も兼ね、穏やかな彼をストッパーとして付き添わせているのだ。
やりすぎを防ぐために。
その、グランドがいない。
相手の人数も分からず、レディ一人。
しかもナイフ1本の戦い方では、やもするとこの研究所が血に染まる。
行かせるべきかどうか、迷うマキシにレディがフフッと笑う。
彼の憂慮を悟ったのだろう、首を傾げてそうっと覗き込んだ。
その仕草が妙に可愛い。
「大丈夫、無茶しないよ。恐らくは敵も少ない。出来ればの話しだけど、血を流さない努力する。」
それがクローン相手なら、無理な話だとマキシに分かるだろうか?
血生臭い戦闘と離れたところにいる、研究畑のマキシを安心させるための口実に過ぎないと、レディ自身は分かっているのだ。
敵がクローンならば、躊躇した方が負けだ。
迷うマキシに、レディはサッとまた横へ移動する。
そしてマキシの手を引き、壁沿いの通りへ出ると、道の真ん中に通りに沿ってマキシを立たせた。
「高さがあるから、あんたの肩を借りるよ。
足を踏みしめて、首を左前に。俺はあの監視カメラに写るが、ここは死角になる。あんたは俺が飛んだ後、すぐに森へ入り中を通って車に戻れ、いいな。」
「何をするんだ?」
分かっていても、聞きたくなる。
塀は遙か空まで伸びて、しかも厚さがあるのを知っているのだろうか?
レディはニヤリと笑って背後に消える。
マキシは不安になって向きを変えると、レディの方を向いた。
何がどうなっているのか、見ていなければ落ち着かない。
「じっとしてればいいんだろ?」
小さく囁いて、ヒョイと肩をあげて笑うレディに腹を決めた。
クソ、なんて奴だ。まるで遊びに行く前のように楽しんで見える。
中で何があっているか分からないと自分で言っておきながら、レディからは余裕さえ感じて、それがどうしても切迫しているように感じられない。
レディは、数メートルを離れて立ち、そして一気にマキシへ向けて駆け寄ってくる。
マキシの心臓が早鐘を撃ち、恐怖に目を閉じようとした瞬間、ヒュッとレディの姿が消えてトンッと軽い、まるで挨拶で肩を叩かれたくらいの衝撃を右の肩に感じた。
弾みで見上げると、レディが空を舞い、まるで羽が生えたように塀の向こうへ消える。
シンとした辺りの様子に、マキシは愕然と立ちすくみ、そして慌てて森へと飛び込んだ。
「あ、あいつ・・越えやがった・・・
あいつ、あの高さを軽く越えやがった!」
信じられない出来事に、思わず笑いがこみ上げてくる。
彼の跳躍力は、データーでは大した事がなかった。突出したほどでもなく、他の兄弟と皆同じくらいだ。
その後、いくらか栄養状態も改善して、データーの伸びはあった物の・・
「あいつ、猫被ってやがる・・」
どう考えても、そうとしか思えない。
つまり彼は、戦闘状況に置かれると「本来の力は計り知れない物を出す」と言う以前出された局長の報告から考えられる以上に余力を隠していると考えられる。
「クソ、もう一度あいつ、ちゃんとしたデーターを取ってやる。」
頭で分析しながら、歩きにくい森を車へと急ぐ。スーツはすでに、草や実が付き、あちらこちらを枝に引っかけて裂け目も出来てひどい有様だ。
ピカピカの革靴も、ぬかるみに踏み込んだり滑るばかりでイライラする。
しかし、研究所の中のことを考えると、さすがに少し心配になってきた。
「静かすぎる・・か・・」
森は、確かに静かで鳥の声一つしない。
いつもはどうだったか、思い出そうにも考えたこともなかった。
走る車の中から何を感じ取ったのか、中で本当に何かがあっているとしたら、彼の超常的な力はまた、研究対象に足りる。
また、研究畑のいけない妄想だ。
何でも興味を取られると、すぐに研究したくなる悪い癖が嫌われる。
だから付き合った女性は多くても、結婚まで行き着くことができないのだろう。
ようやく見えてきた車にほっと一息つきながら、道に出るとすぐに駆け寄り、彼は汚れた上着を脱いで後部座席に放り込み、乗り込むとすぐに車を発進させた。



 カツ、カツ、カツ、カツカツ!カッカッ!
複数の足音が、廊下を忙しく行き来して各部屋をくまなく捜す。
彼らが通ってきた廊下や部屋にはクローンや人間が倒れ、はたして息があるのか分からない。
足音の主達はそれぞれが顔に奇妙な形状のマスクを被り、それはガスマスクではないかと推測される。
揃って作業服のようなグレーの地味なツナギに自動小銃を携え、戦争でも始めようかと言うほどに武装している。
危険な香りを漂わせながら、華奢な身体は動きも速くまるで訓練されたように無駄がない。
何かを捜しているのか、くまなくこの居住区域の部屋を捜して各部屋を開けては銃を構え確認する。
コツン、カン、コツン、カン、コツン、カン・・
あとを杖を突きながら一人の黒髪の男が、マスクも付けずに険しい顔で、それぞれに指示をする。
この男は、まるで何かを探るような顔でキョロキョロと左右を見回し、ただ腰に1丁の銃をぶら下げて、それを時々さすりながら首をひねっている。
やがていらつきを押さえる為か、溜息をつくと爪を噛み、杖を握りしめて廊下の庭に面したガラスを見ると、いきなりその杖を振り上げた。

ガンッ!ガシャーン!バン!ガシャン!ガン!

「くそっ!時間がない!まだか?まだ見つからないのか?一体何処にいるんだ!」
その捜す人物は、この居住地区にいるのは分かっている。
それだけは彼のテレパスの力で分かるのだ。
ブルーのクローンとして、オリジナルから受け継いだこの力。
しかし、彼は今、その力が極端に落ちていた。
身体もあちらこちらが痛み、体力も十分ではない。
持っている念動力の力も、大した力は出せないだろう。
しかし危険を冒して、それでもこの、いわゆる彼らにとって敵地といえるこの場所へ来たのは、ただ一人の人を探しに来たのだ。
「ソルトッ!何故出てこないっ!
ここにいるのは分かっているんだ!どうして脱出しない!」
割れたガラス窓からは中庭を通して各個室が見え、涼やかな森を通った風が吹き込んでくる。
鬱陶しいマスクを取った部下が一人、何かの端末を持ち、先の方から駆けてきて杖を突くサンドに奥の部屋を指さした。
その部下の瞳は、美しく澄んだ血の池の底を覗き込んだような、紅の瞳をしている。
クローンだ。
「あちらの部屋が隔離室で、奥の部屋は特に2重構造で頑丈な鍵がかかっているようです。
銃で開けますが?」
その部屋を見て、じっと今ある力で全神経を集中させる。そして含みのある顔でニヤリと笑うと、満足そうに頷いた。
「分かった。」
杖を突いてその部屋へ急ぎながら、部下へサッと手招きする。
部下は総勢5人。
それぞれが手で合図して、庭を監視していた2人も中へ入ってきた。
後方に散った部下がこちらへとかけ出したとき、一人のクローンがセイバーを携え、フラフラと横の管理室から廊下へ飛び出して来て彼らの間に立ちふさがった。
「い、行かせ・・ないよっ!!」
ギュッとセイバーを握りしめ、駆け寄る部下とサンドの間に立ち、双方を睨み付ける。
彼はすでに主からの「解放」が済んで、自立に向けてリハビリ中のクローンだ。
この施設の担当博士から、ソルトの世話をするよう頼まれている一人なのだ。
ソルトが、何か重要な機密に関わっていることは聞いているし、彼がテレポートを有していて、部屋の鍵が何の役にも立たないことも知っている。
だからこそ、主のいない「自由」を身をもって知らしめ、そして説得する役でもある。
だからサンドがここに現れたとき、誰を狙っているかはピンときた。
換気を細工されて、ガスが部屋に流れ込んだのに気が付かなかったのは、自由から来た気のゆるみかも知れない。
彼は何とか自分のいたこの離れの管理室の窓を開け、近づいてくる足音に力の入らない足で立ち上がった。
「・・守る、僕が、守るんだ。」
膝をガクガクと震わせながら壁に背を付け、双方を素早く確かめる。
そしてサンドが杖を突き、ハンドガン1丁なのを見ると、意を決してサンドへと飛びかかった。
「えいっ!やっ!」
キュンッ!バシッ!キュンッ!ウン!
音を立ててセイバーをありったけの力で振り下ろす。
しかしサンドはまるでバカにするような目で彼を見下ろし、杖で軽くあしらってクローンと思えぬスピードの遅い彼の剣を受け流す。
「バカが、堕落したクローンなんぞに・・」
そして隙をついて思い切りドッと彼の腹を突き、後方の部下へと突き飛ばした。
「うぐっ!あ!」ドサッ!
床に倒れたクローンに部下達の小銃の銃口は容赦なく向けられ、そして引き金に指が掛かる。
「あ・・あ・・」
やはり、こんな身体じゃ無駄だった!
でも、クローンとして、主の為じゃない!自分のために、人のために戦って死ぬんだ、悔いはないよ!
でも・・誰か、誰か彼を助けて!
絶望の表情で赤い瞳が恐怖に震え、覚悟を込めてギュッと目を閉じる。
心の底で本心が、声を荒げて大きく叫んだ。

・・・死にたくない!!

その時、ビクッとサンドの顔が、部下の後ろへ向けられた。
「まさかっ!?」
どうしてここにいるのか?!「あいつ」は自宅で療養中のはず!
信じられない気持ちで、明るく日のさし込む廊下の先を、じっと瞳を凝らす。
廊下に一つ、淡く輝く光が生まれ、それは勢い良く廊下を一直線に滑るように駆け寄ってくる。
腰からシュッと抜いたサバイバルナイフが黒い刃を鈍く光らせ、それがやけに現実味を帯びて殺気もなく迫ってきた。

来た!!!!

駄目だ!こいつ等では歯が立たない!
「お前達・・・・!!」
部下を引かせる余裕もなく、その美しい獣が風のようにナイフをきらめかせて姿を現す。
ハッと、クローンに銃を向けていた部下がレディに銃を向けた。

タタタン!タタタッ!!

シュッと視界から消えたレディは、くるりと天井近くの壁に足を付いて弾みをつけて回り込み、銃を構えた部下の後頭部に何のためらいもなくナイフを突き立てる。
「がっ!」
ビクンと身体をのけぞらせ、目を剥いて部下が一人そのまま倒れた。

「来たっ!人形だ!お前達っ!!」

「あっ!ぐっ!!」
「ギャッ!」
タタタン!タタタ!
サンドが叫びを上げ銃を取る間にも、部下の3人は2人に、そしてその2人も彼のスピードに翻弄されて虚しく銃は宙を撃ち、彼のたった1本のナイフの犠牲になって行く。
「こ、この!殺人人形が!」
パンパンッ!!
サンドの撃つ銃を難なく避けて、レディはサッと彼に血の滴るナイフをかざし飛びかかる。
「くっ!」
ヒュンッとサンドの振る杖をくるりとかわしながら、レディが上から手を添えるように杖を押す。
「うおっ!」
振り下ろす杖に更にスピードが加わり、思わずサンドは勢いに乗って足を取られ、倒れながらそれでも銃をレディに向けた。
パンッパンッ!
「ギャッ!」
後ろにいた、最後の部下が小銃を構えたままうずくまる。
「し、しまった!くっ!」
思うように動けない身体を起こしたとき、すでにサンドの首には後ろからレディがナイフを突き付けていた。
グッと首を腕で締め上げられ、皮一枚、ツッと刃が当たって傷が付く。
息を飲むことさえ許されない状況で、サンドは耳元に感じる彼の息づかいにニヤリと笑った。
「さすがのお前も、息が乱れたか。
人形も、さすがに回復が遅いと見える。お前など、あの時死ねば良かったんだ。」
「人形じゃない。」
「人形だよ、お前は。あれを見ろ、迷いもなくあんな風に殺せるか?他の奴らは。
お前は・・最悪の殺人人形だ。」
彼の後ろには、凍り付いて座る研究所のクローンの前に、サンドの部下が累々と横たわっている。
見るまでもない、たった今速やかに殺したのだ。殺される前に殺す。しかし、それに何の問題があるというのだろう。殺し方がどう違うのか、グランド達ならどう殺すのか?考えも付かない。
死は、死。他に何がある。
そんなこと、聞きたくもない。
ただこれだけは間違いない、自分は人形ではなく人間なのだ。グランドも、そう言ってくれた。
それよりも・・
「お前達の主は、何処にいる。」
「話すと思うか?」
「あの男は、クローンを総勢何名手に入れたんだ。」
「話すわけがない。」
「だろうな。」
フッと、レディの力が緩む。
その瞬間、レディはシュッと後ろに倒れるクローンに向けて手のナイフを投げた。
ドカッ!「グッ!」
死にかけていた部下の、銃を持つ手にナイフが刺さり、ガシャン!と、力無く手の銃を落とす。
しかし、レディはそこで丸腰になってしまった。
ガッと、いきなりサンドが後ろに手を回して、レディのジャケットの肩口を掴み投げ飛ばす。
ポンと軽く1回転して着地すると顔を上げたレディには、今度はサンドが銃を向けていた。
サンドがニヤリと笑う間もなく、レディがそれをパシッと右手で払い、下からサンドの懐に滑り込む。
「こ、この・・!」
パンパンッと思わず撃ったサンドの弾が、廊下の壁を兆弾する。
カランッと杖が手を放れて倒れ、サンドはレディに胸ぐらを掴まれ投げ飛ばされた。
「うおっ!くっ!」
サンドが身体をひねって床に着地する一瞬に、レディが滑り込むようにドッとみぞおちに突きを入れる。
「ゲウッ!」
胃液がドッと口を出て、思わずかがみ込んで胸に手を当てると、目前にレディの細い、それでいて信じられない力を込めた蹴りがサンドの顔面を襲った。
バキッ!!
声もなく、サンドの身体が蹴り飛ばされる。
ドッと床に落ち、勢いで滑り、やっと止まった身体の頭上には、いつの間に部屋から出たのか、シュガーと同じ顔をしたソルトが立っていた。
「サンド・・・」
悲しみを秘めた顔のソルトが、ゆっくりとサンドの頭上に膝を付く。
消えそうな意識を何とかつなぎ止め、サンドが彼に手を伸ばした。
「・・ソ、ソル・・何故、逃げ・・こない。」
ソルトが目を閉じ、ゆっくりと首を振る。
「私は・・死んだの。そう思って・・」
「ソル・・・」
サンドが息を飲み、小さく悲鳴を上げる。
倒れた部下の銃を拾い上げ、レディがその銃口をサンドに向けた。
ぐったりと床に横たわったまま、サンドが諦めたように薄く笑う。
「くくっ・・くっくっく・・また、今度・・誰を殺す・・?そうやって、戸惑いもなく同じ状況を作る。だから、人形だと、言うんだ・・」

殺・・せ、殺してくれ!シュガーも、ソルトもいないなら、生きている意味が・・・

スウッとサンドの意識が消える。
横たわった彼の身体をソルトが膝に抱き、キッとレディを睨み付ける。
「殺せば?」
吐き捨てるように、ぽつりと言った。
ただ、悲しみだけが溢れて、涙がこぼれる。
レディはソルトの姿にシュガーが重なって、苦しそうな顔で胸ぐらをギュッと掴み、銃を持つ手が小刻みに震えた。
「・・・何の・・何のためらいもなく・・殺して・・だから、俺が人形だと・・?
俺は・・・・俺は・・・・・」

殺さなければ、殺されていた。

死にたいと思いながら、死にたくなかった。
俺は、生かされている・・

何のために・・!!!

ガチャンと銃を落とし、ユラユラと足下が揺れる。ドンと横の壁により掛かり、ズルズルと床に座り込んでしまった。
廊下を、遠くで大勢の足音が響いている。
恐らくは警備が、居住区の異変に気が付いたのか、それともマキシの通報で慌てて駆けつけたのだろう。
ソルトがギュッとサンドの身体を抱きしめ、彼を外へテレポートさせようとしたとき、目前にフワリと光りが現れて人の形を取った。
「・・だ・・れ?」

『助けて・・あげて・・』

優しい声で、そっと光る手が伸びサンドの額を撫でる。
そして光りはスッとレディに寄り添い、抱きしめてキスをする仕草をしたまま消えていった。
呆然と座り込んでいたレディが、バッと顔を上げる。
何事か分からない顔のソルトの前で、彼はいきなり立ち上がり自分のナイフを拾って窓を開けると、外へ飛び出していった。
ヒュンヒュンヒュン・・・
今まで気が付かなかったが、窓から風を切る音が聞こえる。
ソルトはサンドを床にそっと横にして、窓から身を乗り出した。
「あ!・・あれは・・」
庭に出たレディが、木陰に身をひそめ見上げる先には、中型のヘリが低空に降りてきている。
あれはソルトにも見覚えのある、グレーのステルスヘリだ。
きっと時間になってサンド達を迎えに来たのだろう。
ステルスヘリは騒音が小さく、レーダーの断面積が小さいので目視警戒しない限りはほとんど分からない。しかも小型ヘリより一回り大きい中型ながら、その装甲の表面はほとんどレーダーを吸収してしまう。
さすが旧カインで長い戦争を経験しただけに、フリードはこういう物には金をかけるのだ。 レディアスがナイフをくわえ、いきなり走り出しヘリに飛びついた。
ステルス型だけに車輪は引き込み式で、表面はのっぺりと掴むところがない。
しかし彼が辛うじて指先で窓枠にぶら下がると、驚いたパイロットが急激に高度を上げる。
ソルトが息を飲んで見つめる中、彼は片手でぶら下がり、くわえていたナイフを装甲の継ぎ目に突き立てた。
次の瞬間いきなり、ドンッとまるで何かが勢い良くぶつかったようにドアが大きくへこむ。
そして手足で突っ張り、この頑健な装甲のドアをねじ曲げ隙間を作って行った。
防弾性が高いだけに、撃っても兆弾するだけだからか、さすがに中からパイロットも銃を使えない。
見ているだけで凍り付きそうな、命綱無しのアクロバティックな彼の攻撃に、ヘリが何度も揺らぎながら高度を上下させる。
そしてとうとうヘリのへこんだドアの隙間から、レディは中にスルリと入ってしまった。
一体彼が何を考えているのか、まさかあの、フリードの命を奪おうというのか・・
ヘリは、やがて高度を安定させると北へと向かって飛び立つ。
小さくなって行くヘリを見送りながら、ソルトは両手で頭を抱え、そして我に帰るとサンドの元へと引き返した。
サンドはまだ、意識を失っている。
この、誇り高い彼が一方的に負けるなど、考えたこともなかった。
ふと思いつき、シャツのボタンを2つ外して身体を覗き込む。
「ああ!あ、あ・・」
また涙が溢れ出した。
彼の肩から背中には、見るも無惨に真っ青なアザが覗いている。
シャツを脱げば、もっとひどく凄まじいだろう。
服を脱がせ、獣のように裸にして気の済むまで打ち据える。
良いと許しが貰えるまで、服を付けることも手当をすることも許されない。
失敗を許さず、クローンを蔑むあの主の、これがクローンに対する仕打ちなのだ。
逆らわず、じっと許しを請いながら耐えるしかない。
人間達の足音は、すぐそこまで近づいている。
ソルトは彼の身体を抱きかかえ、そして2重に鍵のかかる自室の前に立った。
「・・・僕が・・きっと守るから・・」
あまりにも悲しい、あまりにも辛いあの主の下から消えてしまいたい・・
同じクローンが辛い目に遭うのを見ていられなかった。
ただ力のランクが高かった自分は、運がいいだけなのか。
同じ力を有していながら、双子のような自分とシュガーの扱われ方は、その能力で大きく差があり辛くて仕方がなかった。
ここに暮らすクローンを知り、心に大きな迷いが生まれたソルトは、それでも仲間を捨てることもできず、主の元へ帰る勇気も起きず、宙ぶらりんのまま決意の付かない自分に苛立ちながら過ごしていた。
一旦は外へ逃がそうとしたサンドだが、背に傷を負いながらこうして救いに来た彼の愛情に、もうすでに見捨てることができなくなっている。
彼が自らここを脱出するならそれでいい。
それまでの一時を、僕がきっと守るよ。
「こっちだ!侵入者が倒れているぞ!」
バラバラと、人間達がやってくる。
ソルトはゆっくりと俯いて目を閉じ、覚悟を決めてスッと自室へ消えた。

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