軍から逃亡中のレディアスは、フェザーと名を変えクローンのベリーと共に北へ向かう旅を続けています。
頼る者もなく、心細い互いを支え合いながら、そこでベリーはフェザーの心の姿を知り、変えようと努力していました。
立ち寄ったある村で、気のいい食堂のオーナーに気にいられた2人は、そこで世話になることにしますが……中編です。

1、

夕暮れの赤い空が広がり、冷たい風が吹く。
近くの森の木々がザワザワとざわめき、帰ってきた鳥たちを夕日に赤く染まった森が迎え入れた。
ここはカインでも、ずいぶん北の方になる。
季節は冬に向かい、朝夕は真冬のように気温が下がり息も白くなる日があった。
森も紅葉した木が所々に見られ、実を付けた木にはたくさんの小動物が集まって冬支度をしている。
近くに人間が住んでいないのか、広い森は全く人の気配がしない。見回しても人工の明かりは無く、ひっそりと夜の闇を落とし始めていた。
夜行性の動物たちが、そろそろと活動し始めたのか遠く鳴き声が風に乗って運ばれてくる。
今夜はルーナがまん丸に明るく輝きを取り戻し、夜を統べる女王のように冷たくカインを照らし始めた。

小さな川の畔で、1人の人影が手慣れた様子でやや大きな動物を解体している。
獲物は、飛びウサギ2匹と中型のリークという足の短い鹿のような動物。
それは凄惨な光景だが、その表情からはこれと言って感じることのない様子で、無表情にひたすら手を動かしている。
先ほど肉食の鳥が一羽、頭上を旋回し始め高度を極端に下げてきたが、彼は慌てることもなく銃を放ち、鳥は羽根を数枚散らして慌てて退散していった。
ふと手を止め、一番星を仰ぐ。
さて、そろそろタイムリミットか。
1人残してきた心配性の相棒が、日が暮れると必要以上に心配する。まあ、獲物がいつもより大きいので、少し時間がかかってしまったのは見たらわかってくれるだろう。
文句を聞くくらいなら解体を手伝ってもらえば良さそうだが、彼自身、人にそう言う感情を持った覚えはない。
こういう血生臭いことは、1人でやるのがスタンダードになっている。
汚れたナイフを取り、浅い小川に手を入れると冷たい。
緩い流れにしばらく手を入れ、しびれるような感覚を忘れ水の流れに見とれる。
水の中で脂に白く汚れたナイフの刃がにぶく光り、ツッとそれをぬぐい取るように指を這わせた。

何か、来る。

静かな生き物の気配にハッと我に返り、視線を上げた。
まだ遠いそれはそっと、様子を見ながら、一匹でしかも足音に乱れがある。
足をどうやらケガしているようだ。
気にかけながら、片づけを始めた。
手慣れた手つきで3匹分の肉をまとめ、今日食べる分を除いてそれぞれ肉と皮の内側に塩を塗り、麻袋に入れていく。
石けんで手を洗い、ナイフをなおして顔を上げる。

近い。

銃のグリップに手を伸ばし、目を細めあたりに気を配る。
闇にキラリと光る双眸が、後ろの片足を上げたままびっこを引き、そろりと小川の向こうに現れた。
美しい金色の毛に茶色の斑点の模様があり、優美にも見えるしなやかな仕草は、猫科の肉食獣ティーダだ。
成長すると大型犬ほどになるが、まだやや大きな猫ほどに小さく、ひどく痩せている。
恐らくは親離れして間がないのだろう。
そう言えば、昨日クマに追われて木に登っていたティーダがいたっけ。
クマは面倒な奴なので追い払ってやったが、あのティーダと同じ奴だろうか。
ティーダは肉食獣と言うことから、自然に近い場所に住む人間と敵対して殺され、一時数を減らした。管理局でも、緊急性がない限り殺してはならない指定動物の一種だ。
元々カインは、長く続いた戦争で野生動物が絶滅寸前だった。
それが人間不在の間に、適度に数を増やしている。自然と共生する、それが今のカインで人間が最優先にしなければならない絶対条件だ。

目の前でじっとこちらを見ているティーダも、おこぼれを狙っているのだろうが、その顔は野生にあふれ、決して媚びることなくこちらを覗っている。
足で追うハンターが、足をケガすることは死活問題だ。
いつもなら銃を撃って追い払う彼が、その痩せた姿にふと遠い自分の姿を写した。
フッと息をつき、リークのまだ肉の残っている骨と埋めるはずだった内蔵の一部を残して麻の袋を持ち上げた。

『日暮れまでは戻ってくるんだよ!』

すでに暗い空に、相棒の澄んだ高い声が頭を巡る。
また怒られるな。
溜息をついたとき、びょうと一陣の風が吹いた。
バタバタと薄紫のコートが音を立ててなびき、髪を後ろにまとめていたヒモが抜け落ちて肩までの長さある銀髪がバッと顔にかかる。
アイスブルーの瞳を持つ目が、その髪を鬱陶しそうにジロリとにらんだ。
彼はフェザーと名を変え、軍に追われクローンのベリーと共にサスキアを逃げ出したレディアス。
旅に出て、あれからすでに2ヶ月と半を数える。
とうに燃料の調達に困る車を売り、2頭の馬を買った。キャンプ一式は揃っていたので、野宿には全く困らない。困ると言えば最初の頃馬に慣れず、やたら落馬していた事や、お尻が痛くて泣きそうな顔をしていたベリー、それぞれの問題があったことくらいか。それも次第に慣れ、今ではだいたい解決できた。
「ちっ」
落ちたヒモを捜しながら、髪にイライラする。
腰まで伸ばしていたときは、三つ編みにまとめていたのでラクだったし、寒いときはほどいてコートの中に入れておけば背中が温かかった。
なにより中途半端な今の長さにしてからは、以前より更に女に間違われてしまうようになってしまった。
ヒモを拾い上げ、後ろを向くと音もなく近づいたティーダが小川の中で動きを止め、じっとこちらを見ている。
「どうぞごゆっくり」
クスッと笑い、フェザーはその場をあとにした。

カーンカーン!

近くのキャンプから、ナベを叩く音が彼を急かして呼んだ。
溜息をつき、キャンプの灯りの方へ走る。
たき火の揺れる光に、星の瞬きはじめた空を仰いだ。
今夜はルーナの明かりが強く、夜目の利く彼には昼間のようにあたりが見渡せる。
「フェザー!なにやってんの!もう!」
一本の木の元にテントを張ったキャンプでは、ベリーがフワフワの金髪を風に燃え上がるように巻き上げさせ、仁王立ちでむくれて立っている。
火にはとっくに湯が沸いて、パンが数枚焼かれて用意されていた。
昨日からここにキャンプをはって休んでいるが、カインはだいたい昼間と夜の寒暖の差が大きいので、木の下で日を遮るようにしてテントを張るのが定石だ。
ずいぶん北上したのでいくらか気温も穏やかではあるが、1時から3時の間は特に日差しが強い。
気温差が激しいだけに、日中は休みを頻繁に取らねば馬も人も疲れてしまう。
しかし3日前に立ち寄った村では軍の兵士の姿を見たので、それから一昨日まで休み無しで駆けてきた。それで2日休もうとベリーが言ったのだ。
体調管理が、旅の中では特に大切なことだから、気を使っているのだろう。


怒るベリーに、フェザーが溜息をついてうなだれる。まあ、怒られるのはわかってはいたのだが。
「ごめん」
ベリーに頭の上がらない彼を笑うのか、横で休む2頭の茶色の馬が、笑うように小さくいなないた。
「なに?大物捕ったの?ずいぶん大きな袋。」
「うん、飛びウサギ2匹にリークが1匹。」
「そう、可哀想だけど助かるね。じゃあ明日売る分を分けとかなきゃ。」
麻袋を受け取り、十字架を胸から取りだししばし手を合わせてベリーが祈る。
研究所では、クローンに対して強い刷り込みのある主至上主義を壊す為、心の支えになるよう宗教を勧めていた。
神という物は形のない物だが、そこに利害や何かしらの強要はない。
無償の愛情が必要な彼らには、それを心の支えにすることで「主」という言葉から離脱され解放されやすくなるのだ。

骨と肉を切って、鍋で焼き、水を加え野菜を少々。
あとは塩を入れ、胡椒をふる。
だいたいこうして、あり合わせでスープを作る。
匂いに誘われ動物が近づくこともあるが、2人の姿を見るとだいたい逃げて行く。
フェザーは特に気配を感じるのが早いので、肉食獣は姿を見る前に追い払ってしまう。
ベリーはだから、今回自然に出ていまだ怖い思いをしたことがない。しかし、前の主と共に旅をしていた時は、何度もキャンプを猛獣に襲われ恐ろしい思いをした記憶がある。
その経験が、決して油断を許してはいない。

フェザーが、大きな焼けた石をひとつ棒で取りだし、リークのレバーを焼いた。
ジュウッと派手な音を立て、見る間に縮んで小さくなる。
「フェザー、ちゃんと火を通して食べるんだよ。ほら、味付けた方が美味しいって。せっかく命を分けて貰うんだから、美味しく食べなきゃ悪いでしょ。」
「うん。」
横からベリーが、塩胡椒をふりかける。
捕って食うのに命を分けて貰うなんて、まして美味しく食べないと獲物に悪いなんて、フェザーは初めて言われたときはビックリしたが、今ではなるほどと思う。
ベリーとの旅はグランドとは全く違って新鮮だ。

フェザーがもう一つ焼けた石を取りだし、レバーをナイフで切って石から削ぎ、その焼けた石で焼けていない片面を焼いた。
皿に少し取り、ベリーに渡す。
「うーん、もう少し胡椒足したが美味しいかな。」
味見をして胡椒をふり、「食べてもいいよ」の声でフェザーもナイフに取って食べる。
こくがあり、トロリとしておいしい。
しかも栄養があるし、少し貧血気味のフェザーにも身体にいい食材だ。
「明日も野宿だろうから、野菜を少し買わないとね。ウェザーニュースじゃ来週は2日ほど行く先で雨らしいし、宿があれば一番いいんだけど。」
目立つ行為は出来るだけ避けたい。
小さい町だと目立つので、一晩泊まるのも勇気がいる。
おかげでまだ、宿を取ったことがない。
「明日行く町、大きいの?」
「うーん、GPSじゃそこまでは。レディは……じゃない、フェザーは行ったこと無い?」
「どうだろう、行ったことある町かわからない。俺たちヘリで近くまで行ってそれから歩きだったから、一度行った所でも周辺の土地勘無いんだ。
昔とも様子が違うし、当てにならなくてゴメン。」
「そっか、ま、行ってみよ。急ぐ旅でもないし、もう野宿も慣れちゃったし。雨ならテントの中でゴロゴロしてればいいからさ、来週は早めにいい場所見つけてテント貼ろ。」
「うん。」
出来上がったスープを口にしながら、何となくこの旅を楽しんでいる風にも見えるベリーをちらりと見て不思議な気がする。
こんな時、グランドならどう言うだろう。
どんな仕草を見せただろう。
そう時々考える。
ベリーは何を言っても、なんてことないと気楽に返す。
「フェザーが狩りが上手だから助かるけど、僕も今度から手伝いに行こうか。」
「いい、ベリーはキャンプを守るんだろ。」
「うん、でも僕、なんの役にもたたなくってさ。」
突然暗い表情を落とし、火を見つめる。
フェザーが驚いて身を起こし、首をかしげた。
『役に立たない』は、自分の口癖でもある。
しかしそれを口にする姿の、なんと寂しいことか。ベリーを、まるで鏡を見ているような気さえして不思議に思った。
「あ、気に障ったらゴメンね。僕ってね、こう考えるのがクセだから。いっつもサンドに怒られるんだ。
鬱陶しいから目の前から消えろ、それから溜息をつけってね。」
キュッと肩をすぼめ、笑ってぺろりとスプーンを舐める。
フェザーがクスッと笑った。
「あいつは口が悪いから。」
「でもね、本当は優しいんだよ。それを知ってるから研究所のみんなも好きなんだ。」
「ふうん」
やわらかな金の髪がフワリとなびき、穏やかな表情と仕草が上品にも見え、ベリーを見ていると心が和む。
今、ここにいるのがベリーで良かったとふと思い、フェザーが目を細めフフッと笑って白湯を飲んだ。
「ねえ、コーヒーあればいいね。白湯でもいいんだけどさ。」
「ベリーはコーヒー好き?」
「うーん、紅茶でもいいよ。なんか味が付いた飲み物飲みたいだけかな。」
「俺は水でもなんでもいい。」
「フェザーはホント、なんでもいいんだね。あれ食いたい!あれ飲みたい!たまには叫んでみなよ。」
「うーん、努力する。」
そう言うことに、普通は努力なんていらないだろうけど。
ベリーが苦笑して、白湯を飲む。
フェザーが突然気配に振り向き、少し溜息をついた。
「なに?あれ。」
「うん、なんかさ、気にいられたかな。」
離れた場所に、小さなティーダがちょこんと座りこちらを見ている。ここまで追ってきたのだろう。馬たちも気になるのかじっと見ていた。
「まさか、夜中に襲ってきたりして。」
「さあ、そんな元気はないだろうよ。後ろ足をケガして弱ってる。」
「ふうん、なんか痩せてるみたいね。まだ子供のようだし。……足か。」
足のケガを見てあげたいと、口に出しかけて飲み込んだ。
相手は野生動物、しかも手負いならば油断は出来ない。小さくても、こうしてついてきていても牙をむくだろう。
自然は自然に任せるしかないのだ。

2、

食事を終えたあと、2人はしばらくそれぞれの時間を持って自由に過ごした。
フェザーはナイフを研ぎ、ベリーは何か書き物をしている。フェザーに見せてはくれないが、どうやら日記を付けているらしい。他にも時々、遅くまで読書をしている。
1冊の本を立ち寄った町で売り、そしてまた違うものを買う。そうやって使い回すのだ。
ベリーは研究所で現カインの言葉を習って以来、読み書きが大好きになった。そうしている時が、一番平和のありがたさを感じる。
少なくともそうして過ごすベリーは、決して誰もクローンだとは思わないだろう。
『クローンは、感情を持たない人殺しの兵器』
そう言う一般人のクローンに対する偏見が、今はベリーをクローンから遠くさせていた。

そうしたたき火を囲んで静かに過ごす人間たちを横目に、ティーダの子はじっとうずくまった。
久しぶりに食べた食事が、腹の中でもたれて固まったように感じる。
親から離れ、しばらくは何とか狩りも出来て自信を付けてきた頃、彼はうっかり獲物を追ってトゲのある植物の中につっこんでしまった。
しかもそれは、運悪く堅いトゲがカギ状になって抜けにくいツル。
身体中にトゲが刺さり、口の届く範囲は抜いた物のカギ状のトゲは簡単に抜けてくれない。
特に逃げ出すときジャンプしたので、踏ん張った後ろ足に深く刺さってしまった。
痛くて走れず、昨日は森でクマに追われ木に登るしかなかったとき、あの人間が来たのだ。
白い、その人間は、気が立った大きなクマの振り回す凶暴な爪を軽く避け、なんと、クマがよろめくほどの強さの蹴りを鼻先に入れた。
あまりの出来事に、クマは驚いたのかも知れない。後ろも見ずに一目散に逃げ出してしまった。
そして白い人間は、ただ逃げるしかなかったティーダをいちべつして、プイと消えた。
そんな人間が、空腹でフラフラで、身体中が焼けるように熱くもうろうとしていたとき、血の匂いをさせてたくさんの獲物を抱え小川のほとりにいた。
襲うか、いや、襲っても歯が立たない。
この白い人間は強い。
疲れと空腹に苛まれながらじっと見つめる自分に、なぜか獲物を少し残してくれて行った。
なんだか消化不良になりそうな量を食べたあと、彼はそうして何故かこのキャンプに足が向いてしまった。
狩りの上手だった母親と、白い人間が重なったのかも知れない。
彼は揺らめくたき火を見つめ、そしてゆっくりと目を閉じ眠った。
具合の悪さよりも憔悴した身体に蓄積した疲れが、深い眠りへと誘う。
ふと、明日の日の光を見ることが出来るだろうかと、うつろに考えながら気が遠く、森を走るイメージが浮かんでは消えた。



足音を忍ばせ、気配を消して近づいたフェザーが、ティーダの子の身体に手を伸ばす。
やわらかな毛に触れたとき、ぴくりと小さく反応しながらも抵抗はなかった。
ごつごつと骨が触れ、ひどく痩せているのが見て取れる。弱まった気に死の影を見て、彼は導かれるように来てしまった。
少し迷いながらそっと抱きあげ、たき火のそばまで行って自分の毛布にくるむ。
「死んでるの?」
ベリーが気がつき、覗き込んできた。
「いや、死にかけてる。さっき、少し食べたはずなんだけどな。」
しかしフェザーは、じっとただ見つめて動かない。
救うべきか、それともこのまま死を迎える方がいいのか、自分にその生死の決定権があるのか。
冷静に、それを考える所だけは変わらない。
「ね、苦しんでるね。可哀想。」
ベリーが、手を出さないフェザーに心配そうに微笑む。
「こ……ろした方が、いいのかな。」
何故か、言葉が詰まった。
助けるのではなく、殺そうかと迷う彼にベリーはどう返答した物か、胸の十字架を握りうつむく。
じっと答えを捜し、そしてようやく顔を上げた。
「フェザーは、どうして連れてきたの?」
どうして……どうしてだろう。
「あのままじゃ、死ぬと思った。」
「じゃあ助けるの?助けたいの?」
「…………わからない。死んだ方が、ラクになるかな。」
死んだら終わり、その先にはなにも無い。
外地に出ると一見落ち着きながら、反して深い所ではいつも心に余裕がなかった。
考え無しにただ可哀想だとこうして、死にかけた動物を連れてくるのは、いつもグランドだったのだ。自然の中に身を置き、自然に死を迎えようとする者を、なぜねじ曲げ、自然に反して救うのか、レディー……フェザーにはわからない。
だから自分も自らの手で死を選ぶことに、踏み込めなかったのかも知れない。
生と死は、相反しながら似て非なる者。
生を受けるのが自然なら、死を選ぶのも自然でなくてはならないような気がして、フェザーにはまだ答えがわからない。
戦時中から、あまりに死が近くにあったせいで、ずっとそれは曖昧だった。
「ねえ、フェザー。これはね、巡り合わせ……そうだな、フェザーとこの子は縁があるんだよ。」
「縁?」
「うん。でも、まだ何もわからない。決まっていないから。それを選ぶのはフェザー、あなただよ。この子はあなたに運命を託したんだ。」
運命を託される。

そんな価値が俺に……

迷う彼にベリーは、彼の肩に手を置き、そして優しく語りかけた。
「この子の手当をして、それでどうなるかわからない。手当をしても、死ぬかも知れない、生き延びるかも知れない。苦しむか、ラクになるかわからない。
でも、生き延びたら……」
「終わりじゃない。でも、自然に反する。」
「そうだね、終わりになるかどうか結果はわからないけど、あのままだったら終わりはすぐそこだった。でも、フェザーと出会うことで一つ猶予が出来た。今はその、入り口なんだ。その扉を開けてあげるか、もう開けないか、あなたに託したんだと思う。
これはね、決して自然に反する事じゃないよ。困ってる生き物に手を差し伸べる、それも愛情なんだ。」
「愛……愛情……これも?」
「うん、こういうの、無償の愛って言うのかな。代価を求めない。この子が生きて、元気になればそれでいい。」
「そうか。愛情か……」
フェザーが、そっとティーダーの頭を撫でる。
小さく頷き、そしてティーダの身体を探り始めた。
「トゲだ……トゲが刺さってる。」
「抜いて、クスリつけてあげた方がいいよね。包帯もいるかな。」
ゴソゴソとバックを探り、ベリーがあまり使うことのない救急セットを取り出す。
そうして2人はティーダーの身体中に刺さった植物のトゲを抜いて、薬を付けて行った。

3、

カラン……パチパチ
薪の音と、木の弾ける音に横で何かが動く。
いつもなら寒くて震える朝、暖かくフワリとした何かに包まれていることに気がつき、いつもと違う様子にティーダーがそっと怠い目を開けた。
まだ空は暗い。
人間の匂いに、身体が緊張して硬くなる。
暖かいと思った物は、人間の匂いのする毛布だ。それにしっかり包まれ、たき火の暖かさが背中に心地よかった。

かさり、

物音にビクッと顔を上げ、そちらを向いた。
そこには昨日の白い人間が、木をくべて火の様子を見ている。
ちらりと視線をこちらに寄せ、そして気にもならない様子でまた火に木をくべた。
「ウウ……ウウウ…………」
うなり声を上げて思わず立ち上がり、爪を出す。耳を後ろにペタリと寝かせ、身を低く構えたとき、あれほど強かった足の痛みが、軽くなっていることに気がついた。
白い人間が立ち上がり、大きく平らな形のボトルタンクの下部にある栓を開き、小さな皿に水を入れる。そしてその水を差しだして、目を合わせた。
うなるティーダーに、フッと笑いかける。
しゃがんで地面に皿を置き、ツッと指先で鼻先まで押しやった。
のどが、確かに渇いている。
飲みたい。
でも、人間も気になる。

「飲め」

ただ一言告げて、白い人間が立ち上がる。
チラチラ水とまた元の場所に戻る人間に目配せながら、そうっと水に鼻をつける。
ピチャンと口に水があたり、もうたまらなくてピチャピチャ飲み始めた。

すっかり飲み干して、頭を上げ辺りを見回した。
人間は立ち上がりしばらく真っ暗な平原を見つめ、そして溜息をついて両手で顔を覆い立ちつくす。
やがて諦めたように座り、かたわらに丸めてあった服やタオルを身体に巻き付け、膝を抱いて目を閉じた。
眠っている分けじゃ無さそうだが、何かしてくる気もないようだ。また毛布にもどり耳を立て、見ている内にまた眠くなる。やがて火に背中を向け、丸くなった。


やがて夜が明け、朝食を取って2人はテントをたたみ始めた。
起きあがって少し離れ、荷造りする人間をじっと見ていたティーダーに、ベリーは心配そうにフェザーを小突く。
「ねえ、あの子置いていくの?」
「別に考えてない。あとは勝手に治るさ。」
「やだ、なんてあっさりしてるんだろ!」
ベリーがヒョイと肩を上げ、あきれて息をつく。
「ブランカ、ノワール、フェザーはあんな事言うんだよ。昨日死にかけてた子に。」
フェザーに聞こえるように、ベリーが荷物を積んだ馬たちに耳打ちする。
ブルルル…………
馬たちも、慣れた物か答えるようにうなずいて顔を上げた。
どちらも茶色の馬だが、茶色のたてがみの先が白い方が雌のブランカ。黒い方が雄のノワールだ。
洒落た名前はベリーが付けた。
車を売った金で買った馬で、馬屋で2頭並んで仲が良さそうだった。どちらも良くなついて、2人とも気があっているのか扱いやすい。
やや大きなブランカにはベリーが乗り、ノワールにはフェザーが乗っていた。

ブランカは、しかしティーダーを見ると数歩下がっていく。
手綱を持つべりーが引かれて、ああ……と溜息をついた。
「まったくブランカは、身体が大きいのに気が小さいんだから。あの小さなティーダーが怖いの?」
「仕方ないさ、小さくても肉食獣だから。ベリー、これでオッケー?」
水もタンクいっぱいに汲んできたし、荷物に残りはない。
ただ、あとには痩せたティーダーがじっとこちらを見ている。ベリーが十字架を手に、祈りを捧げた。
「じゃあね、おちびさん。神様のご加護がありますように。
フェザー、オッケーだよ行こうか。売る肉があるから少し急ごうよ。」
「うん」
フェザーがティーダーをいちべつして、先を行くベリーを追う。
後にぽつんと残された子は、ふたりの人間が見えなくなるのを見送り、ゆっくり立ち上がって森へと向かった。


日が昇り、次第に気温が高くなる。
とは言っても、2人はかなり北上しているのでサスキアほどの暑さではない。
日差しは強いが、耐えられないほどはないので、いざという時は先日のような強行も出来る。それだけに、朝晩の寒さは身体にこたえる。
交替で眠るのにも慣れたベリーだが、研究所の温度調節の行き届いたなかで暮らしてきただけに、旅に出た最初の頃は体調を崩さないようそれだけを気にかけていた。
しかし元々クローンは環境の変化には強い。
今では時にフェザーがうんざりするほどに、彼への健康管理に口うるさい。
「ねえフェザー、夜が凄く寒いでしょ?何か暖かい服を買わない?大きな町だったら、ドクターに貰ったカードからお金がおろせると思うんだ。」
「カードから、アシが付かない?」
2人は旅立ちの時、お金に困らないようにとマリアからICカードを貰った。
でもまだ一度も使ったことがない。
「大丈夫、このカードはチャージカードだから。いくら入ってるかは知らないけど名義も何もないから、ドクターもこれを選んだんだろうね。これ自体がお金だから、無くさないようにきつく言われたよ。」
「ふうん」
フェザーは気のない返事をつぶやき、そして空を見る。

サスキアのみんなは、今どうしているだろう。
自分のことを、少しでも覚えてくれているだろうか。気にかけてくれるだろうか。

グランドをダッドを思い浮かべ、今だ諦めきれない自分の情けなさに、力無く笑う。
今ではいつも後ろから、2人が追いかけて来るような気がして、気配を捜して何度も振り向くのがクセになっている。そして眠れば、2人のどちらかがずっと捜していたんだと、嬉しそうな顔で抱きしめてくれる夢を見る。
あのマンセルの別荘であったような、グランドが迎えに来てくれて、甘い言葉をささやきキスしてくれる、そんな夢のような出来事をまた夢見る自分はなんてバカなんだろう。
会えて良かった、ずっと捜していたんだと、グランドが、ダッドが抱きしめてキスをする。いつもそこで目が覚める。
夢の中の自分は素直に嬉しくて、でも悲しくて、目が覚めるとまた来た道を振り返り溜息をつき、絶望する。その繰り返し。

ああ、心に大きな穴が空いている。

顔を上げて前を行くベリーの背を見、フェザーは片手を空へと伸ばした。

何か、なにか、なにか、ナニカを……

捜して、求めて、この心の穴を埋める何か。

太陽を掴み、そして胸へと押し当てる。
「ねえフェザー、あの子どうしてるだろうね。森に帰ったかな?」
ベリーが左手に広がる平坦な山を見ながらつぶやいた。
山は気温の寒暖に負けず、まだ緑をちらほら残して、やや枯れたような色に変わりつつある。
「ああ……そうだな。」
やわらかで暖かな毛皮の感触。
フェザーはそれを思い出すように馬のたてがみを撫で、そしてまた何かを捜すように振り向いた。

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