桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  闇の羽音

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<その2>

 食事も終えて、これからブルーとセピアでヴァインのテントへ赴く。穏やかに、話し合いで何とか遺跡の中に入れて貰えればいいのだが、これも営業努力しかないだろう。
他に出入り口はとうとう見つけることが出来なかったし、こんな事で騒ぎを大きくするなどもってのほかだ。
留守をグランドに預け、足取りの重いセピアをブルーが引きずって歩き出したときだった。
遠くから車のエンジン音が微かに聞こえる。
「待って!ブルー!ポチで見てるから。」
こんな辺鄙なところには、滅多に車なんか来やしない。用があるとすれば、自分たちかあちらさんだろう。
宙を見つめてキョロキョロしていたグランドの目が、顔色を変えてブルーに向いた。
「どうした?グランド。誰だ?」
「あいつだ!ザイン!ザイン少佐!」
「何ですって?!冗談ポイ!!」
3人が立ちつくす。
しかしグランドには、荒野を走る軍の車が上空にいる衛星のポチからはっきり見えていた。
土煙を上げてハイスピードで荒野を突っ切ってくるあれは、後ろがクローンの護送車にもなる軽量装甲車だ。それが何のための物かは容易に想像できる。
良くもまあ、こんな所までと感心しながらも、どうしようか迷っている内にどんどん彼らは近づいてくる。
「どうしよ・・こいつはそっとしておきたいし・・」
返事に窮して考え込むブルーの横で、セピアがポキポキと指を鳴らしフンッと鼻息を荒げた。
「もち!力で追い返すわさ!!」
「お前が本気で殴ったら、少佐はあの世行きだぜ。
なあグランド、こっちも説得しかないよなあ。」
ガックリ、説得なんてみんな不得手だ。
どうしてこうも、分からず屋ばかりいる物か・・
何だか少々嫌気がさしながらも、3人は結局また定位置に座って少佐が来るのを待つことにした。どうせその内、金をはぎ取られながら村人に案内されてくることだろう。
あの高飛車な少佐が、金金と言われて閉口する姿を見たい物だと思っていた。
「あれ・・?」
グランドが、また目をキョロキョロしながら首をひねる。彼はポチと繋がっているときは、自分の方が留守になる。これで今まで怪我一つしなかったんだから、レディのサポートはたいした物だろう。
「どしたの?」
「うーん・・村の様子が、変だ。あの、司祭がもう一人連れているんだけど・・なんか騒いでるみたいなんだ。」
「行ってみるか?」
「行こうよ、ブルー!グランドはここにいて。」
こういうことは、セピアが反応は早い。身体が先に動く奴だ。2人、ダッと村の中心部、村長の家へ走りだした。

 セピアとブルーが駆けつけたとき、村長の家の前では、大変な騒ぎになっていた。
「・・だから!話しを・・」
懸命に張り上げる、少佐の声が村人の声にかき消え、40才半ばで、まだ若いのにカツラだと噂の73にぴっちり分けた髪も、乱れに乱れて焦りを表している。
乗り付けた軍用車は囲まれ、少佐が農機具や古い銃を突きつけられて身動きがとれなくなっていた。
あれ程困った顔の少佐を見るのも初めてで、セピアが思わずプッと吹き出した。
「あ、お姉ちゃん。」
後ろにいたクリスが、どうしようもなく立っている。他の二人の兄弟は、家のドアから怖々覗いていた。
「どしたの?」
「うん・・あのね、司祭様の友達が死んだんだって。」
「えっ!!」
セピアが隣のブルーを振り返る。
ブルーはセピアの顔を見ると、ギュッと手を握ってきた。
『やりやがった!ヴァインの司祭だ!仲間が2人殺されたと、飛び込んできたらしい。
そこにほら、少佐が部下のクローンを連れてきただろう?それで一気にパニックになったんだ。』
ブルーのテレパシーが、頭に直接流れ込んでくる。
よく見ると車は村人に奪われて、どうやら中にクローンが閉じこめられているようだった。
懸命に少佐が説得しているが、みんな蜂の巣をつついたような騒ぎになっていて、どうにも収拾がつかない。
『しまった、俺がテレパスだと知って焦ったのかな?』
『じゃあさ、犯人はあいつなの?』
『他に誰がいるよ?こんな所で人を殺してまで、何の目的がある?どうせ、俺達を犯人にするつもりだったんだろうさ
参った、余程強い使命感があるらしい』
『つまり、あいつ等はあの遺跡がどうしても欲しい理由があるんだ』
『そうなるな』
村長の下には泣き叫ぶ司祭が、もう一人の信者と共に座り込んでいる。
「どうするのさ?」
「仕方ねえ、カリを作っても損はねえさ。」
「なるほど。」
ブルーが腹を決めて騒ぎの中に入り込んだ。
「おい、管理官だ!あんたも軍から来てるんだったな!こいつの仲間か?!」
「仲間を増やして、司祭様に何しやがる!」
みんな口々に司祭の肩を持って罵声を浴びせる。パニック状態を、どう納めるか。
ブルーは一息飲み込み、罵声に埋もれてしまいそうな低い言葉で、静かに、そして身体中に響き渡る声で皆を鎮めた。
「どうぞ、お静かに。落ち着いてください。」
妙な響きを持って、頭に、身体中に言葉がじんと染み渡る。
ブルーはテレパシーを駆使して、その言葉と共に強烈な思いを載せて皆を催眠状態へと運んでいく。ブルー得意の技だ。
一瞬スッと波が引くように静けさを取り戻した隙をつくように、ブルーがにっこり清々しく微笑んで、言葉を続けた。
「話は聞きました。ヴァインの方に不幸なことがあったとか?」
「あ、ああ、そうなんだ。ここじゃあ、人殺しなんてあり得ない。みんな、感謝している。」
村の男が戸惑って、司祭を振り向く。
司祭はじっと、ベールの向こうで唇を噛みながらブルーを見つめていた。
「しかし、この軍の者は我々に用があって、立ち寄ってくれただけなんです。たった今来ただけで、彼に危害を加えようもない。
どうぞ、落ち着いて、よく考えてください。」
後ろから、たたっとクリスも必死の形相で駆けてきた。
「そうだよ!このおじちゃんはたった今僕に道を聞いてきたんだ!ほら!僕に2000ダラスもくれたんだ!」
ゴソゴソ、ズボンのポケットから1000ダラス紙幣を2枚取り出してみせる。
村人は気をそがれたように、手に持った物を下へ下げた。
「そうか、悪かったよ、クリス。悪かった。」
「お前の話を信じなかった訳じゃあないんだ。」
「お前はいい子だ。」
クリスがぐすんぐすんと涙を浮かべる。父親らしい男が、肩を抱いてポンポンと子供の頭を撫で、なだめた。
「しかし、このままでは・・」
「あいつよ!」
村長が言いかけたとき、司祭がブルーを指さして立ち上がる。
「この人だわ!きっと私達と話が付かない物だから、腹いせに殺したのよ!」
ザワザワと、村人がブルーを怪訝な目で見る。
しかし、ブルーは落ち着いてゆっくりと首を振り、真剣な顔で懐から特別管理官の身分証明書を取り出し、皆に向けて空にかざした。
「私は特別管理官です。
カインの人々のために働き、カインの人々のために命を賭ける。
この印を背負う限り、それは決して破られることはない!天上に輝く太陽に誓って!」
管理局の、カインを大きな翼で抱く鳥の紋章が、ホログラムを多用した物のためにひときわ日の光で眩しいほどに輝く。
軽い催眠状態の村人には、鳥が抱く星が太陽に思えたのか、「おお・・」とどよめきを漏らしながら、中には手を合わせる人もいる。
「信じて、いただけますか?」
静かに語りかけるブルーに、首を振る者はいなかった。
「この事は!御子様にお話しいたします!ここがどうなるか、これで・・これで・・」
思惑が外れ、焦る司祭の言葉に、村長がただ頭を下げる。
「わし等には、お悔やみの言葉しかない。
誰が犯人かは知れんが、どうか村人だけは信じてくださいと、よろしくお伝え下さい。」
頭がようやく冷えた彼らに、もうすでにパニックをあおるすべはない。司祭はベールを翻し、部下とそのまま無言でテントの方へ駆けるようにして去っていった。
「ポリスは?呼んであげましょうか?」
ブルーが村長に聞くと、首を振る。
どうやらポリスには介入して欲しくないらしい。自分たちで埋葬すると言い張った上で、ブルー達が犯人とあおるつもりだったのだ。
ところが運の悪いことに、丁度そこへクローンを連れた少佐が現れた。
犯人はクローンにすり替わり、余計に皆に恐怖心があおられ、大騒ぎになったのだ。
無言で成り行きを見守っていた少佐が、後ろでゴホンと咳払いする。
「では、疑いが晴れたところで、私の連れを出してもいいかね?」
クイッと車を指さして、肩をヒョイとあげた。
怪訝な村長に、手もみしてブルーがぺこりとお辞儀する。彼らはブルーは信じても、クローンを信じたわけではない。
「どうか、音便に。俺達が引き取りますんで。」
「ふうん、いいがね、私らはクローンが怖いんだ。びっくりさせんでくれ。」
「へへっ、すいません。」
「じゃあ、20000は貰わんとな。」
「は?」
「迷惑料だよ。」
「ああ!はいはい!ほら!少佐!20000でいいって!20000ダラスですよ、早く!」
ポケッと聞いていた少佐が、慌てて財布を取り出す。その財布をパシッとスリ取り、ブルーが分厚い中からごっそりと取り出すと手渡した。
「ああっ!そ、そんなに・・」
顔色を変える少佐を後目に、村長の顔がにっこりと微笑む。村人に指示して囲んだ車を解き放つと、ピシッと折り目正しいズボンの軍服で身を包んだ、美しいセミロングの金髪に赤い瞳を持つ可憐な少女のクローンが、中からそっと舞い降りるように降りてきた。少女と言っても見た目は17歳前後、女性と言ってもいいだろう。
「あああ!!カレンちゃん!」
「お久しぶりです、ブルーさん、セピアさん。」
クローンらしくない、はにかんだ愛らしい笑顔の彼女は、グランド達が保護して研究所で暮らしていた時に、そのあまりの愛らしさから研究所のアイドル的存在だった少女だ。ブルー達も研究所で仲良くなったのだが、その後彼女は研究のために、どこか他の研究所へ移動になり、それっきり会っていなかった。
「何で君がこんな陰険少佐に・・」
「何だって?」
「い、いや、いい方に世話になって良かったなあと。」
フンッと少佐が息を付き、パシッと財布を取り上げた。
「いいから、さっさとお前達のテントに案内せよ。レディアスが来ているだろう。」
「え、えーと。まあ、来てるのは来てるけどお・・今日は引き取って貰えませんかねえ、旦那。」
手を揉み揉み、少佐の顔を窺う。
「なーに言ってんのさブルー!少佐、今日んとこ、帰って貰えない?レディ、あんたのいんけーんな言葉に耐えられる状態じゃあないんよ。」
欠伸して待っていたセピアが、ようやく出てきた。寝ていたのかも知れない。
「まあいい、ここでは話しもできん。とにかく道案内しろ。」
ハアッと大きな溜息をついて、少佐が車に向かう。
「ちょっとお!人の話聞いてんのお?」
「聞いてやるから乗れって言ってるんだ。命令だ、さっさと乗れ!」
「チェッ、グランドに睨まれちゃうよ。」
二人がブツブツ呟きながら後ろに乗ると、カレンも一緒に乗り込んできた。
護送車の後部は、左右両側に椅子が設置してあるだけの暗く殺伐とした車内だ。
溜息をつく二人に、カレンがにっこり微笑んで隣のブルーの手に手を重ねてくる。
「ブルーさん、少佐のお話も聞いて下さいね。」
愛らしい微笑みに、可愛いえくぼがブルーのハートを直撃した。
「は、はい!聞きます!お聞きしますとも!」
幸せな気分でポウッとその手を握りしめてふと顔を上げ、ブルーは次の瞬間ザアッと音を立てて血が下がるのを感じていた。
「ブールーうー・・ぐるるるるる・・」
向かいのセピアが二人をギッと睨み付け、手に持っていた石ころをギリギリと指ですりつぶし、サラサラの砂に変える。
ひいいいい!!
ブルーは急いでカレンから手を離すと、慌てて寝たふりをする。
セピアはフンッと顔を背け、鉄格子の間から前の運転席に道順を教え始めた。

 いきり立つグランドが、体を張って少佐の前に立つ。唸り声でも上げそうな顔で、鍋を片手に思い切り睨み付けた。 
「それで?泥棒でも来たのかね?」
少しうんざり気味に、少佐が溜息をつく。
大げさに言って「命がけ」の彼としては、後ろのカレン達などまったく目に入らないようだ。
「まったく、役にもたたん派遣は費用の無駄使いとは思わんかね?鍋などかざす暇があるなら、この畑に水でも掛けて回った方が余程人々のためになる。」
嫌味を言われてグランドが、ウッと掲げた鍋をおろし、ウフフフと、不気味な笑いを引きつらせる。
「だからよう、少佐のその毒舌が俺は気にいらねえんよ。だからこんなとこまで来たのに、しつこくねえ?」
「ほう、つまり逃げてきたのか?すでに負け犬というわけだ。
犬なら犬らしく飼い主の言うことは聞かねば、餌が貰えなくなるぞ?」
「ふん!いいさ!のたれ死んだら、毎晩あんたの枕元に立ってやるよ!」
「ほお、それはいい。最近夜中に暑くてかなわんのだ。エアコンが不調でな。」
涼しい顔でにやける少佐に、やっぱりグランドは負けている。
ギリギリと歯を噛みしめながら、とにかく絶対通さねえと大きく手を広げて立ちはだかった。
「グランドさん。」
見ていられずに、カレンがとうとう二人の間に飛び出した。
「カレンちゃん!どうしてここに?」
少佐がヒョイと肩をあげ、前に出て彼女の肩を抱く。にっこり微笑む彼女は、可愛いえくぼを作って少佐の顔を見上げた。
「あの・・私、少佐の・・」
「私の娘だ。」
「は?」
ガラーーン!ガランガラン・・
口をポカンと開けたグランドが鍋を落とした。「うっっそおおお!!」
ダアッと駆け寄ったブルーとグランドが、ツバメのヒナのように揃って少佐に向かい、ポカンと口を開ける。
カレンが恥ずかしそうに、ポッと頬を赤らめてコクンと頷く。
「お父様って、なかなかお呼びできなくて。」「はあ」
「はあああ・・」
溜息と共に、何だか全身が脱力した。
「君たち、何か勘違いしているようだな。
確かに強硬策を一度は取ろうとは言ったがね、娘にたしなめられてな。
これがどうしても彼の力になりたいと言うんで追ってきたんだ。」
「はあ」
これ、なんて聞くと涙が出そう。
「じゃあ遅かったじゃん。今朝方ブルーが、あいつの心ん中に接触して助けたんだもん。」
面白くないセピアが、ムスッとして言う。
しかし、まだ助けたというわけではないと、ブルーがブンブン首を振った。
「ありゃあ、助けたには中途半端だよなあ。」
彼女もそれは、十分予測してきただろう。
「私の力は、ブルーさんと違って本当に地味な物です。
確かにテレパスなので人の心も読めますが、それは浅い所のみであまり核心を掴めません。
それよりも私の力は「癒し」を脳に直接与えるとかで、ストレスで疲れた方を、何人も手助けさせていただきました。
この力は大変人の役に立つとかで、力を伸ばすためにカシール研究所に行っていたのです。」
「カシール?
ああ!俺もトレーニングに行ったことあるぜ。
辺鄙なところだよなあ。あそこのオールドミス、えーっと、ウェント博士!あの人が厳しくてさあ!」
「ええ、私のお母様です。」
「は?」
ニコニコと、幸せそうにカレンが微笑む。
少佐が赤い顔で、オホンと咳払いした。
それが意味する物に、ぼーぜん、ブルーとグランドの身体から、魂が抜ける。
「でも、局長は何にも・・」
「ああ、誰もしらん。まだ書類上のみで式は挙げてないからな。」
「はあ?はああ・・・」
この陰険少佐と結婚する女がいるんだ・・
どう考えても何だかしっくりこない。
「もう!あたいレディを起こしてくる!」
タッとセピアがテントに走り、慌ててそれをグランドが追った。
「あっ!待てって!セピア!」
「だってグランド達、アホだもん。あたいもう待ちきれないよお。
レディ!起き・・うっそおお!」
テントに頭を突っ込んだセピアが、叫び声を上げる。
「どうした?!」
「レディが!レディがいない!いないよう!」
セピアの表情は、冗談とも思えない。驚いてテントを覗き込んだグランドは、愕然としてみるみる顔色を失った。

「嘘・・嘘!俺ちゃんと・・!だってあいつ、寝てたんだ!ここに!たった今!」
「グランド、落ち着け!状況を把握しよう。
このテントは、出入り口はここだけだな。」
「う、うん。」
ブルーがテントの中を探る。中には特殊素材の薄い毛布が一枚。まだ暖かい。
「お前どこにいた?」
グランドが、目の前の焚き火を指さす。
まるで手品か、神隠しだ。しかしそんな非科学的なこと、考えにくい。
少佐も中を確かめ、ふむと腕を組む。
そして焚き火にかけたポットを見て、ドスンとコンテナに腰掛けた。
「とにかく、一杯茶を貰おうか。」
「はあ?」
「冗談!俺は探しに行く!」
グランドが装備を手に、いきり立って山の方へ向かう。
ブルーやセピアも装備を付け始めた。
「待て!!どこへ行く!」
少佐が座って腕を組んだまま怒鳴り声を上げ、ピタリと3人の足が止まった。
「どこだっていい!捜さなきゃ!あいつは!」
「当てもなく探し回っても、時間の無駄だ!」
「そこに座ってても、らちがあかねえだろ!」
「ブルーとカレンが捜す!座りたまえ。
運がいいことに、テレパスが二人いる。どんなに深い眠りに落ちていても、レディアスの意識は特徴があるだろう。」
あっとブルーが彼女の顔を見て、お互い頷き会う。そうだ、そうだったと、ブルーがグランドに駆け寄り、肩に手を置いて引き返してきた。
「何とかなるさ。大丈夫。」
バンバンと背をブルーに叩かれて、グランドの目から涙がポロリとこぼれる。
「うう・・でもよう・・」
「グランドったらあ、大丈夫だから泣くんじゃないわよ。ブルーに任せよう、ね。」
セピアがハンカチを手に、グランドの涙を拭いて手をしっかりと握りしめた。
「カレン、出来るかね?」
少佐が足を組み、カレンに問いかける。
カレンは微笑みを浮かべて傍らに跪くと、そっと少佐の膝に手を置き微かに頷いた。
「彼らなら大丈夫です。とても強い・・強い繋がりを感じますもの。羨ましいくらい。」
「それが彼らの、一つの武器だな。」
少佐は優しく娘の頭を撫で、彼女の美しい髪を人差し指に絡ませた。

 ハアハアハアハア・・
苦しそうな息づかいが暗闇に響き渡り、グイッと髪を引かれる。
微かに遠くからは低い機械音が響き、ひんやりと冷たく重い空気が肌に触れ、どこか気分が悪い。
硬い床に横たわり強い睡魔に囚われながら、頭のどこかでピリピリと感じるエマージェンシーに、ぼんやりと薄く目を開けた。
「お、起きろ!う、う・・ハアハアハア・・
起きろよ!」
ガクガクと、掴まれた髪を振るように揺すられ、酷く不愉快だ。
目を開けても真っ暗な中にぼんやりと発光体の明かりが見えるだけで、周りが見渡せない。
次第に目が慣れるのを待って髪を掴む手の主を見上げると、それは見慣れた顔によく似た別人だった。
真っ白なシャツとズボンが、暗闇の中でも傍らの発光体の淡い光りに浮き上がって見える。
ハアハアと息を付き、ガックリと床に手を付いてレディの髪から手を離し、頭が痛いのか押さえていた。
低くうめき声を上げてジャケットを探り、ポケットから何やら取り出すとそれはピルケースのようだ。透明の小瓶に、白いカプセルが明かりに浮き上がって見える。
それを開けようとして手を止め、首を振るとまたポケットに放り込む。
キッと目をこちらに移したとき、はたと目があって思わず瞬きした。
「起きた!やっと起きたな!お前!」
グイッと顎を掴まれて、グッと床に押しつけられ後頭部がゴリゴリと床に擦れて痛い。
その手を払おうとしても、両手は後ろ手に縛られている。蹴ろうかとも思っても、両足もしっかり縛られていた。胸の中で舌打ちして、顔を横に振りきって逃げる。
いつもならば信じられない状況に追い込まれたレディアスだが、何故か人ごとのように余裕があるのも彼らしい。
こんな事されるまで目が覚めなかったなんて、久しぶりの熟睡だったんだなあと、頭の冷めた部分で感心して頷く自分が妙に笑える。
ようやく頭がはっきりして周りを見回すと、地下基地の廊下のようだ。暗い一本の通路が続き、開いているドア、閉まっているドアが暗闇にぼんやり見える。微かな機械音は、ここよりももっと深い、最深部からだろうと推測された。
相手も呼吸がようやく落ち着き、勝ち誇ったような笑いを込めて一つ、パンと頬を叩いてくる。
ふ、と一つ、思わず溜息が出た。
「うふ、うふふふふ・・無駄だよ。あんた、武器も何も持ってない。ナイフも全部、テントに置いてきたんだ。ここには何にもない。
知ってるんだ、あんた特別何にも力を持たないって。気をほんの少し合わせるくらいだろ?
せいぜい反射速度、身体能力が高いだけの出来損ないだ。
お前みたいな奴に、何故・・」
声に憎しみが含まれて、またガッと前髪が掴まれグイッと上に引かれる。
抗うすべもなく、引かれる方に顔を上げるしかない。
それにしてもここは、例の畑の下に広がる遺跡だろうか?
ただ移動手段としては考えるまでもなく、彼ならここへはテレポートを使ったことだろう。
「おい!ソルトは・・お前が捕まえたクローンはどこにいる!」
赤い瞳を発光体の明かりに輝かせ、グレイの顔をした相手が髪を掴む手に力を入れる。
頭の皮が剥がれそうに痛い。
いい加減腹が立ってきて、首を振り何とか逃れようとしながら、やはり両足で蹴ってやろう・・かとしてやめた。
金属の冷たい感触がゴリッと額に押しつけられ、華奢な人差し指が今にも引き金を引きそうに小さな銃に添えられている。
チェッと舌打ちしてフンッと顔を背け、どうにでもするさと目を閉じた。
「お前、知っているだろう?捕まえたクローンは、どこにいる?生きているんだろう?
おいっ!答えろ!どこだ!」
なるほど、黙秘しているクローンの仲間らしい。
・・仲間・・?!
やはり・・このクローンの言葉は、彼らが「あの男」と関係があることを物語っている。
つまりあいつの手下は一人じゃない訳か。
一体、何人のクローンがそばにいるのか、「あの男」が考えている事だ、また何か恐ろしいことに違いない。
それにしても、短距離のテレポートにあれ程苦しむとは・・
グレイは難なく1キロ先にでもテレポートするのに。
一体何からここを聞きつけたか知らないが、つまりはここまで、わざわざ赴いてきたというわけだ。
「ご苦労なことだ。」
呟くと同時に、またバンと頬を殴られた。
一言喋る毎に殴られる。口の中が切れて血の味が広がった。
「お前なんかに・・お前に僕たちの気持ちが分かるものか!ソルトはどこだ!」
「さあな、研究所だろ?」
「研究所?どこの?どこにある?何の研究所だ?生きているんだな?」
「さあな、」
バシッ!また殴られた。
「いちいち殴るなよ、バカ。」
「お前がちゃんと答えないからだ!何度でも殴ってやる!研究所はどこだ、答えろ!」
クローンは、泣きそうな顔でギリギリと銃口を押しつける。何となく、撃たれるかも知れないな、それでもいいかとぼんやり思った。
たった一発で、楽に死ねる。
それを考えると、気持ちが妙に落ち着いていた。
「クローン研究所の場所を教えると思うのか?クローンのお前に。それは死んでも言えねえさ、保護したクローン達を守るためにも。」
「ソルトも保護したというのか?お前は。」
「会いたければお前も来ればいい。少なくとも、お前の主人よりマシさ。」
「主様を、悪く言うな。」
「いずれ、殺されるぞ。あいつに殺されたクローンを、何人も見てきた。
悲惨な・・壮絶な・・恐ろしい、恐怖と絶望に満ちた、殺され方だ。」
ブルッと体に震えが走る。
知らず、歯がカチカチと鳴り、身体中が総毛立つ。幼い頃に刻まれた苦痛と恐怖が、ムクムクと真っ暗に鎌首をもたげ、今にも飲み込まれそうだ。
クローンがガチャンと横に銃を置いて、大きく首を振り目を見開く。自分の服の胸ぐらを握りしめて、何かから逃げ出したいように悲痛な表情でレディアスを見つめる。
その左手の薬指は、根元から無い。
見つめているとやがてポロリと涙を流し、しゃくり上げる喉は声がなかなか出せないのか沈黙が続き、しばらくしてようやく声に出した。
「あ、主様を・・知って、いるの?」
それに答えるのは、今度はレディアス自身にも辛い。思い出したくないあの頃の地獄を、しかし、彼はこのクローンには話せる気がする。
グッと吐物が上がってきそうなのを何とか飲み下しながら、静かに頷いた。
「・・・僕は、あんたのことも、中途半端にしか知らない。主様は、僕らを道具としか見ていらっしゃらないから、あまり色々と教えていただけないんだ。
あんたも気が付いてるだろう?ここは畑の真下の地下基地で・・・」
「たいした、距離じゃないな・・Cランクか?
あいつがそれ程低いランクのクローンをそばに置くわけがない。しかし、AやBランクはたとえクローンでも滅多に生まれやしない。
Cランクは、力を何とか受け継ぐことの出来た最低ラインだ。
俺が知ってる奴のクローンは、Cランク以下は全て処分された。」
「・・・そう、そうかもね・・
あのお方なら、やりそうなことだ。
実力のない者は、ただの奴隷なんだ・・」
ガックリと肩を落とし、奴隷に甘んじなければならない自分の身を、ただ受け入れるしかない。クローンとは、そう言う物だ。
主が全て、絶対服従を破ることなど許されない。
「でも、ソルトは違っていた。僕なんかより、優れた力を持ってて・・」
「だろうな。あいつは自分の命を預けられる奴を、万全を期して選ぶだろう。そして自分より力を持つ者の存在を許さない。」
「それを、何故知っているの?あんたが・・」
レディアスがゴクンと一息、息を飲む。
答えるため、心を落ち着け、ゆっくりと息を吸い、そして言葉を吐いた。
「・・昔、俺は・・あいつの・・・・に、されたから・・・」
「え?」
クローンが顔を上げ、じっと耳をこらす。
レディアスは、小さく掠れた声で聞いた。
「あんた、名は?」
「え?ぼ、僕?・・・・・G64−C。
主様は、64と・・」
「ソルト達からは?」
えっと目を見開いて口元に手をやり、うっすらと赤くなる。やはり自分たちで付けた名があるのだ。
「シュガーと・・」
「あいつが塩でお前が砂糖か?フフ、可愛いじゃねえ?」
フンッと、シュガーが恥ずかしそうに顔を逸らす。そしてまたガッとレディの襟元を掴むと、グラグラ揺すった。
「いいから!ソルトはどこにいるんだよ!」
「おやおや、主様はどうした?」
クックックと笑い、何とか身体を起こして座る。床が硬いので、骨が当たって辛い。
「いてて・・座ってもケツがいてえ。
ゴリゴリする。」
「ああ、あんた、どうしてそんなに痩せてるの?体調、悪いの?・・ん、もう!」
掴んだ手を外し、抱き上げて壁により掛からせ、自分の上着を脱いで彼の腰に敷いてくれる。これから殺そうとも思っているくせに、根が優しくてつい手を差し伸べてしまう彼に、これがシュガーたる所以かとプッとレディがまた笑った。
「あんた、俺を殺すんじゃねえの?」
「こ、殺すよ!殺すから、最後くらいいいじゃない。もう!口数多すぎると、命縮めちゃうよ!」
「シワクチャになっちゃうぜ?」
「いいんだよ、どうせあんまり長くは着れないだろうし。」
それは、長くは生きられない、と言うことだろうか?
「来ないか?」
レディアスが、急にまじめな顔で囁く。
じっと、シュガーが悲しそうな顔で見つめて首を振った。
「駄目だよ、僕は・・主様が・・他に仲間もいるし・・
わかってるんだ。僕はどうあがいてもソルトにはなれない。身体でお慰めするくらいしか・・力が無い。その為に、僕は女でもあるんだから・・」
「違う。」
「え?」
「違うよ。あいつには、男も女も関係ない。
ただ、生け贄が欲しいだけ。もう、行くな。一緒に帰ろう。」
つい何故かそう、口を出た。
相手がグレイの姿をしているからかも知れない。お前も甘いと、心の片隅で誰かが囁いている。クローンは戸惑いながら、複雑な顔をしていた。
「帰ろう?だって?何処に?・・何を・・何を言って・・」
「俺の手足は、俺の物じゃない。」
「えっ?!」
「・・・は、辱めを・・・受けた・・上、切り落とされた。そして・・俺と仲が良かったクローンを殺し、その・・・その手・・手足を・・うっ、ぐ・・」
一気に話そうとして、ムッと吐瀉物が喉まで上がってきた。
ズルズルと横に倒れ、ギリギリと唇を噛みしめて吐き気を堪える。思い出したくない暗い記憶がドッと頭に押し寄せ頭がガンガンして、後ろ手に括られた手が自由にならず、辛くて堪らない。
「だ、大丈夫?」
シュガーが、どうしようもなく背を撫でて介抱してくれた。
何か話したくても、吐き気がこみ上げて言葉が出ない。息を付いて苦しんでいると、頬にポタポタと温かい水が落ちてきて流れる。
それは、シュガーの涙だった。
「僕らは・・僕らは同じだ・・ああ・・
どうして僕はクローンなんだろう。普通の、ごく普通の人間になりたかった。
気が付いたんでしょう?この指。
この左手の指は、主様に咬み千切られたんだ。
役立たずの印だって・・何も、出来ない、役にも立たない。
う、う、僕は、主様に手足をもがれても、何も言えない、逆らえない。」
「逆らえば・・いい。」
ようやく言葉を絞り出した。
「そんな、恐ろしいこと・・」
「あいつに、生きたまま、殺されるより・・いい。もう、もう、あんなこと・・」
シュガーが、じっとレディアスの顔を見つめ、そして頬を撫でる。シュガーの手は荒れて、辛い日常を感じさせた。
「あなたは人間じゃない、こんなに綺麗じゃない。なのに、何故・・そんな目に・・」
「オリジナルの、存在を許せなかったんだ。
だからさ、心も、身体も、ボロボロになるまで・・打ちのめされて・・それでも、死ねなかった。狂えなかった。」
「オリジナル?一体、何の・・?」
「お前の、主人さ。」
シュガーが大きく目を見開く。
「うそ・・うそ!主様は・・!」
「クローンさ、俺の。」
「うそ!!だって、違うよ!全然、髪の色だって!」
「恐怖と苦痛で、色なんか抜け落ちた。一度、骨になるまで・・辛い目に・・あったんだ。」
苦しい、吐きそうだ。
それでも、話さなければと言う思いが勝っている。今まで口を閉ざしてきた自分が、今、以前の自分と同じような立場にいる彼を、どうしても救いたいと言う願いが強い。
「うそ・・うそ・・主様がクローンなんて。
だって、主様は、クローンを物のように扱って・・
ああ、でも、確かにそうだよ。
主様は、最近お若くなられたんだ。
主様は御神祖様に、魂を分け与えられた尊いお方。だから、主様は自由に年を変えられるのだと・・僕らはそう思った。
僕らのDNAも、どちらも同じ主様だと認識する。
戸惑ったけど、時間さえ自由に操ることの出来る、恐ろしい方だと僕らは・・そう解釈するしかなかったんだ。
・・じゃあ・・あなたがオリジナルなら、あなたも主様かしら・・いえ、違う・・」
「そうだろうさ、まったく同じじゃないはずだ。俺よりずっと出来がいいはずだろうから。
あいつがまったく同じ、複製で我慢できるわけがないさ。」
「そうだよ・・だって、あなたは優しいもの。
主様は毎日のようにあんな・・ああ・・」
「あいつは、頭が人間なんだ。身体だけ俺のクローン体を利用しているだけ。
どんな仕掛けなのかはわからない。あいつは、俺のクローンの身体を渡り歩いて、こうして生き延びている。
あの、片耳のイヤリング。あれがその仕掛けと関係があるのかも知れない。」
「ああ・・確かに、あるよリングのイヤリングが。でも、瞳が赤くない。」
「あいつは、クローンを道具としか思っていない。沢山のクローンを犠牲にして実験しながら、自分専用に、気に入るように特別に作らせたんだ。」
あの嫌らしい男が、性行動に弱いクローンの身体をもどかしく思って、余計、シュガー達も辛い思いをしているに違いない。
クローンの脳に人間が入るアンバランスは、きっと酷く性格を歪にしているのだ。
「僕らは、クローンの体をした人間につかえているんだね。何だか変だよ、変だ。」
「だから、逆らえばいいんだ。」
「でも・・でも・・ああ、恐ろしい。
あなただって、酷い目にあっているのに・・
この手足があなたの物じゃないなんて・・
なんて残酷なことを・・」
レディの心に、悲しい、とても懐かしく悲しい思いが沸き上がる。そして、罪悪感にしか囚われなかった友人の顔が、懐かしく思い出された。
「ああ・・俺と親しくなったばかりに・・エディ・・
優しかった・・エディが死んで・・俺がどうして生きているんだろう・・
俺は・・俺は・・どうして、心で叫び声を上げながらも、それでもどうして・・狂わなかったんだ・・ろ・な・・」
「やめて!」
シュガーが、たまらずレディアスの胸に顔を落とす。小さく首を振る彼は、誰のために泣いているのだろう。サラリと艶やかなグレイの髪が、やもするとあまりの辛さに白髪になってしまったのかとも思える。
思わず自分の髪にふと目が行って、昔を思い出しうっすらと目を閉じた。
辛い毎日に、輝いていた金髪が次第に輝きを失ったのはいつだったか。
あまりの恐怖に全ての髪が抜け落ち、生えてきたのは金髪ではなく白髪だったっけ。
無気力な頭でただ呆然と見つめていたのを、ぼんやりと覚えている。
そしてグランドと再会して、喜びを表現するように髪が輝きを取り戻したのは何だったんだろうか。
それでも一度抜け落ちた色は戻らず、とうとう銀色になってしまった。
狂気の縁で、髪はいつも静かに心を表してくれた。
「シュガー、帰ろう。」
レディアスの静かな声に、「ああ・・」とシュガーが溜息混じりの声を漏らす。
クローンの自分が、狂おしい、形容しがたいこの気持ちは、一体何なのだろう。
ただ、涙だけが止めどなく流れ、何を語る事も出来ない。
シュガーは優しく微笑み、そっと頬を合わせてレディアスの頬にキスすると、そのまま唇を重ねた。
「こんな・・出会いもあるんだね。生きていると・・
僕は、あなたを殺すつもりだったのに・・」
「いいさ、殺されても。」
シュガーが首を振り、またキスをする。
そしてレディアスの手足を縛る紐をナイフで切ると、そっと抱き合った。
「今度会うときは、僕らは敵だね。
お願い、ためらわずに撃って。僕を。」
「シュガー・・・」
「それでも、たとえ神祖様がクローンの身体でも、やっぱり主様であることに変わりない。
僕は・・」
「シュガー・・」

『レディアス!
レディアスやめろ!それは愛情じゃない!同情だ!』

頭にブルーの声が響く。
いつから聞いていたのか、テレパスの力が同調しているのに気が付かなかった。
ブルー、わかってるよ、わかってるさ。
それでもいい、似たもの同士、心を開いてくれた。たったこの短い時を。
「あっ!」
シュガーが声を上げて頭を押さえうずくまる。
そして顔を上げると、にっこり微笑んだ。
「仲間が呼んでる。僕、勝手に来てしまったから。」
「仲間?もう一人いるのか?」
「うふふ、秘密。主様はどうしてもここが欲しいんだ。それだけは教えてあげる。」
そう言って、またキスをすると立ち上がった。
カツカツカツと、遠くから足音が足早に近づいてくる。
「シュガー、一緒に行こう。一緒なら何とかなる。」
グイッと手を握ると、ハッとした顔で俯く。
近づく足音が、二人の心をギリギリに追いつめた。
「・・・そうだね・・あなたとなら・・」
シュガーの心の揺らぎが見て取れる。
あんな男の元へ行かせたくないと強く思う気持ちが通じてくれたのか、レディアスは彼を守ってやらねばと腕を握りしめて立ち上がった。
しかし、足下にあるシュガーの銃を拾い上げて見ると、マガジンにはなんと弾が入ってない。
「うふ・・怒った?」にっこり、肩をすぼめて笑う。
「呆れたよ。」
結局、ハナから殺す気なんか無かったのだ。
仕方ないと、武器を探しにどこか部屋の中へと歩き出すレディアスに、シュガーが抱きついてきた。
「大丈夫、あなたのことは、僕が勝手にしたことだから、彼は知らない。
ね、僕って、クローンらしくないよね。
このドキドキは何なのかな?僕ら、会ったばかりなのに、ずっと前から知ってるみたいだ。」
「あ、ああ・・」
改めてシュガーを見て、レディアスが溜息をつく。
視線の位置関係が、とても悔しい。
守ってやりたい相手は、レディアスをほんの少し見下ろしている。
こんな時に、何故か凄く恥ずかしい。
これ程こんな事に悔しいと思ったことがあっただろうか。
見下ろしているシュガーは、立ち上がればレディアスより10センチ程背が高かった。
すがりつくように抱きついてくれたのに、現実が抱きついてと言うより、抱かれた感じでレディアスは軽いショックを受けた。
自分の背のことで悩んだことはなかったが、考えてみると兄弟でもセピアと並んで背が低いのだ。
しかし今はそれよりも、これだけは言って置かねばとレディアスはシュガーをほんの少し見上げた。
「シュガー、生きていればいい事に沢山出会える。
死ぬことばかり考えてた俺が言う事じゃないけど、生きるためには「シュガー」じゃ駄目な時もあるんだ。
クローンだからと諦めるのはやめろよ、一緒に帰ろう。あんな奴の束縛は、研究所がちゃんと切ってくれる。何とかなるんだ。」
見下ろすシュガーが、困った顔でクスッと笑う。それは自嘲なのか、立ち上がってこの視線の位置関係にがっかりしたのか定かではない。
小さく何度も首を振り、かがんで頬にそっとキスをした。
「ありがとう、さよなら。」
ギュッと抱きしめられた、次の瞬間、レディアスは気が付くとテントから遠く離れた畑のはずれに立っていた。
「・・・バカ野郎・・」
呟いて、その場に立ちつくす。
両手の平を見つめて、ギュッと握りしめた。
あまりにも自分はひ弱で、きっと頼りなさ過ぎたのだと思う。
もっと頼れる男だったなら、シュガーは安心して来てくれただろうか。
あの、狂気に取り憑かれた男の支配から、シュガーを奪い取れなかった。
せめて包み込めるほどに抱擁できたら・・
グレイを包み込む、シャドウの姿が思い浮かぶ。
あれが理想だと、思ってはいけないのだろうけど・・
口惜しい・・
自分でも、背の高さが包容力ではないことはわかっている。
でも、いつだって周りの男どもを見上げながら、内心は悔しいのだ。
それでも、成長期に飢餓状態だったのだからと諦めるしかない。
これでも、随分伸びたのだ。食事を、まともに貰うようになって。
それでも・・
人には諦めるなと言って、自分は諦めなければならないことが多すぎる。口惜しさに唇を噛みしめながら、何度も何度も呟いて自分の身体を抱いた。
「ごめんな、シュガー・・ごめん・・」
あれ程言えなかったことが、彼には言えた。
あれは同情だったのだろうか?
同じような苦しみを受ける彼に、自分の二の舞をして欲しくない。あんな苦しみは、自分一人で十分だと思ったのに、それでも彼は主の元を選んだ。
クローンへの主の呪縛の強さは、やはり生半可な物じゃない。
遠い昔、飢餓の地獄の中でも主に尽くそうとしていた、大勢のクローンが思い出される。
せめて今の心の中を、覗いてくれるなと遠く仲間が待つテントを呆然と見ていると、グランドが猛スピードで駆けてくるのが見える。
「ああ・・グランド・・」
ブルーが心を読んでいたのなら、きっと彼にも恐ろしい過去が知られてしまっただろう。
屈辱、恐怖と苦痛に満ちた毎日。
「エディ・・・」
許しを請うように両手を空に高く掲げ、眩しすぎる日の光に燃え尽きてしまいたいと願いながら彼は、近づいてくるグランドに総ての審判を任せた。


 ヒュウウ・・・
夕焼けに照らされた畑に風が舞い、土煙が微かに舞い上がる。
遠くの森が、ザワザワとざわめいてシンとした村を心配しているように思える。
村人は、ヴァインが来てから畑仕事をする人が少なくなり、今日は誰一人とうとう来なかった。
毎日早朝に、あの子供達がこっそりやって来て、水を掛けなければとうに全て枯れてしまっただろう。今はようやく萎れながらも、何とか枯れずに生きていると言った感じだ。
 その夕方遅く、クリスがセレナを連れて、思い詰めた顔でそうっとテントにやってきた。
パンケーキを次々焼いていたブルーが、おや?と気付いておいでおいでをする。
「ま!可愛い!おいでなさい。」
コンテナに座ったカレンに手招きされて、パッとセレナが目をくりくりして彼女に駆け寄る。そしてその顔をじっと覗き込んだ。
「うん!お姉ちゃんお目目赤いね。綺麗ね。」
「まあ、綺麗って言ってくれるの?ありがとう。」
カレンがセレナを抱いて膝に乗せると、セピアが渋々、もったいなさそうにジャムを挟んだクラッカーを数枚差し出した。
「あんた、あたいにはクソババーッて言ったジャン。」
「えへへー、お姉ちゃんも美人だね。
お兄ちゃん、お菓子貰ったよ!はい、半分こ。」
ちゃんと兄弟、等分に分け合う。なかなか感心な兄弟だ。
「何かあったのかい?」
ブルーが傍らにクリスを座らせて訪ねる。
クリスは元気のない様子で、滅多に食べられない菓子をポリポリと大事そうに味わっていた。
「んー、お母ちゃん達、村長さんとこにお話しに言ってるんだ。
司祭って人が、早くここを渡せって言ってるみたい。お金が沢山貰えるって、お父ちゃん達喜んでるんだ。でもね・・嫌いなんだ。」
「誰が?」
「あの司祭って人達だよ。ずっとね、お兄ちゃん達を悪く言って、追い出した方がいいって。悪いことが起きるって言ってるの。」
がっくり、ンな事言ってやがるとは。
「あのね、人殺しだって言うんだ。」
「うっひゃー、そんなこと言ってるか?」
「うん。でも、お父ちゃん達はお兄ちゃん達を信じるって。お日様は、ちゃんと見ていらっしゃるもん。嘘はわかるんだって。」
「へえ、そっか。」
やはりあのホログラムの紋章を、咄嗟に太陽にかざして、誓いを立てたのは効果抜群だった。
村人は別に、あんな余所者の宗教を信じたわけではない。自分たちの信じる物を決して曲げず、それを支えにしてきたからこそ、こんな厳しい所でもやって来れたのだ。
ヴァインの考えは、甘さが目立つ。
「それで?こんな遅くに何しに来たわけ?
晩飯食いたいの?」
プルプルクリスが首を振り、意を決して勢い良く立ち上がった。そしてブルーに向かってぺこりと頭を下げる。
「お兄ちゃん!お願いです!あいつ等を追い出してください!ここからいなくなるように、話しをしてください!」
「へ?またどうして?」
クリスの後ろに、セレナも慌ててやってきて頭を下げる。
ブルーの横にセピアが立ち、ふうんとジャムを舐めながら首を傾げた。
「変なの、あんた達あいつ等にここ売ったら、うんと生活良くなるんじゃないの?みんなそう言ってるジャン。」
「違うよ!ここはね!僕らの故郷なんだ!
コキョウだよ!わかる?お姉ちゃん。
駄目だよ!ここをちゃんと守らなきゃ、お日様見てるんだから!
それなのに、みんなあいつ等来てから変なんだよ!畑に出ちゃ駄目って言うんだ。無駄だって。そうじゃないのに!大事にしないと、お日様見てるのに!
ここはね、お日様に守っていただいて、ひい爺ちゃんの時からずっと大事に住んでるんだ。
逃げちゃ駄目なんだ!」
「お・・前・・」
口をポカンと開けて、ブルーとセピアがクリスを見下ろす。
ザッザッザッ・・
離れて聞いていた少佐が、何だか怖い顔でクリスに向かって歩いてきた。
「貴っ様ーー・・」
「な、なんだよう・・」
ビクビク、クリスが小さくなる。
ザザッ!と、少佐はクリスの前に立ちはだかった。
バーーンッ!!「ふ・・ぎゃ!!」
背中を叩かれ、クリスがつんのめる。
「たいした奴だ!ガキのクセに、称賛に値する!
ここにいる役立たずどもより、数倍見上げた奴だ!」
当のクリスは、背中が痛くてヒーヒー言っている。一人うっとりと頷きながら酔いしれる少佐に、ブルーとセピアは怪訝な顔でヒソヒソとカレンに話しかけた。
「なあなあ、少佐なんかあったわけ?
ちょっと、性格変わってるよ。前はすっごくやな奴で嫌われ者だったんだ。」
「うん、もの凄く変だぜ。すげえヒネた奴だったのに。」
しかしカレンは涼しい顔で、ホホホ・・と涼やかな微笑み。
「ま!お父様は最初っから楽しい方ですわ。
私、お父様が大好きですもの。とおっても、お母様とラブラブですのよ。」
「はあ?はあ。ラブラブ・・それって何?」
何だか変な親子。
「ああ!!お兄ちゃん!パン焦げてる!」
「えっ!ギャアア!!煙が出てる!」
急いでパンを取り出すが、半分炭状態だ。
「これじゃ、食えねえ・・一枚ソンした。」
「あたいも食わないよ!病気になるもん。」
「おめーは一回くらい腹こわせ。」
ハア、もったいない・・・ガックリ溜息。
そこに、バサッとテントの中からレディアスがグランドに追いかけられながら出てきた。
「おいっ!待て!こら!何があったか話せって言ってるだけだろ!」
「ふんっ!」
何か凄い不機嫌な顔で、レディアスがズカズカ歩いてくる。
「わあ!綺麗なお姉ちゃんだ!」
「こらっ、シイッ!気にしてるんだから・・」
慌ててセレナの口をふさぐセピアをレディアスがギロッと睨み付け、ブルーの持つフライパンから真っ黒のパンをガッと掴み、バリッと一口食いついた。
石を食べるような、シャリシャリとした音が一口咬むごとに聞こえる。
「ギャアッ!んな物食うなっ!ギャッ!わああ!」
後ろから取り上げようとするグランドの腕を掴み、そのままポイッと投げ飛ばす。
「おおっ!さすがレディ!」
その流れるような体さばきに、パチパチパチと思わずセピアが手を叩く。
「レディッ!んな物食っても背は伸びねえよ!」
パシッとブルーがパンを取り上げた。
「背丈?」
プッと少佐が吹き出し、ギロッとレディが睨む。少佐はくだらないと手を振って、綺麗になでつけた髪をツッとかき上げた。
「どうせ、どうせくだらねえよ!俺なんか、女みたいだし!背低いし!何にも力ねえし!体力最低だし!性格暗いし!
こんな・・汚れきった身体、触るな!嫌いだって言えばいいじゃないか!」
「この・・てめーはまだンな事を・・」
グランドが拳で殴ろうとするのを、慌ててセピアが止めた。殴って解決するなら、とうにみんなでボコボコにしている。
少佐が呆れた風に首を振った。
「くだらんな、わかっているなら自分でどうと出来ないのかね?」
「少佐、黙っててよ。」
ブルーがギロッと睨むが、少佐は明後日を向いている。
「馬鹿馬鹿しい。
お前は何にも取り柄は無い、だからさっさと話せと言ってるのだ。それとも管理官などやめて、飲み屋の主人にでもなるかね?
君の美貌なら、さぞ繁盛することだろう。」
「少佐!!」
兄弟が気を使うのも知らず、少佐がずけずけとストレートに言い放つ。
「お父様!」
カレンがにらみを利かせ、ヒョイと肩をあげてようやく口をつぐんだ。
「レディアスさん、お久しぶりです。私、覚えていらっしゃいますか?」
ジロッと睨み、腰に手を当てフンッと顔を逸らす。返事をする気もなさそうだ。
カレンが悲しそうな顔をすると、ブルーが冷や汗を流しながらにっこり彼女に微笑んだ。
「あ、あのね、覚えてないかなーってさ。」
「そうですか・・そうですよね。助けていただいた後は、一度もお会いしてませんもの。」
ジイッとブルーが横目でレディを見る。そして彼女に微笑んだ。
「ああっ!って思い出したってさ。」
「いちいち人の腹ン中探るなっ!」
「は!はいぃっ!」
ブルーの背が、凍りそうにゾオッとする。
それ程彼の睨みは凄みがあるのだ。
グランドも、この手負いの猛獣のような彼にどうにも手の施しようがない。発散を知らない彼は、じっと自分で自分を鎮めるのを待つしかないのだ。それを思うと、こうして人に当たるのも珍しくはある。
「どうすべかなあ・・」
へたりと椅子代わりの石に座り込んで呟いていると、カレンがグランドに近寄り耳元に囁きかけた。
「私、癒しをレディアスさんに施行したいのですけど、いかがしましょう。眠っていただかないと、十分な効果が得られません。」
「うーん、最近あいつ熟睡しないし、今の状態じゃあますます寝てくれないぜ。」
「そうですわ!ガツンとグランドさんにお願いできませんの?」
ガツンとは、気絶させることだろう。良い考えだろうが、グランドが首を振る。
「無理無理、さっき俺が投げられたの見たろ?
動きに無駄がないから、無駄だらけの俺等は見切られちゃって、相手にならないんよ。
兄弟で、勝てる奴はシャドウが半々かな?
セピアは力任せだし・・まあ、飯食ってないから、スタミナ切れるのは早いだろうけど。」
しかしギリギリの体力の彼から、残された体力を奪うのは得策ではない。
「わかりましたわ。」
微笑みをたたえるカレンが少佐をちらりと見て、すっくと立ち上がる。そして楚々とレディアスに歩み寄り、ぺこりと一礼した。
「何だ。」
「失礼いたします。」
ヒュッ、「うっ」
身体を起こすと同時だった。
ブルーにはまったく彼女の腕の動きが見えなかったが、レディは気配を感じたのかスッと下がり、間一髪で避けられた。
「さすが!」
「何のつもりだ!」
ヒュヒュッ!っと、風を切る音共にカレンが蹴りを繰り出す。それを難なく避けるレディアスは、引くと同時に身体を落とし、スッとカレンの足をすくった。
「キャッ!」
カレンが倒れ、ゆっくりと彼が立ち上がる。
バシュッ!ドッ!「うっ!」
背に激しい衝撃を受け、レディアスがぐらりと揺らぎながら、ヒュッと右手で少佐に向かって何かを投げた。
バシュッ!
ドッと脇腹にトドメの一発。
声も上げず彼はカレンに覆い被さるように、とうとう倒れた。
「少佐!」「少佐!あんた!」
振り向くと、ブラストを構える少佐の制服の襟が綺麗に切れている。トトッと走ってセピアが、少佐の後ろの畑に刺さったナイフを取りに行き、みんなにかざした。
「少佐、良く避けたねえ。」
「全くだ、こんな所で死んだらいい笑い物だ。」
少佐が不機嫌そうに、一体何処に隠していたのか、隙のない奴だとゾッとする。
「チッ、制服が台無しだ。残りの弾、全部撃ち込めば良かった。」
フンと少佐がジャケットにショックブラストを直し込む。先程のカレンの目配せの意味は、これだったのだ。
「少佐!覚えてろよ!」
グランドが駆け寄り、そっとレディアスを抱き起こす。確かに、しっかり気絶している。
彼が起きたらどんなに腹を立てるか、考えるのも恐ろしい。それでもまあ、この場はカレンに任せよう。
「手荒でしたけど、仕方ありませんわ。
さ、こちらで。」
彼女もなかなか強行派。ちょっと怖い。
「うん、じゃあ頼むよ。」
カレンの指示に従い焚き火の傍らにグランドが抱いたまま座る。
「この方は、お一人よりこうしていた方が落ち着くかも知れませんね。」
「あ、そうかも。凄い寂しがりやさんだもん。
強そうにしてさ、怖い怖いってビクビクしてんの。かわゆいじゃん。」
セピアがツンとレディの鼻先を小突く。ブルーがその手をペシッと叩いた。
「お前、起きてるとき言ったら殺されるぞ。」
「いいさ、ブルー。確かに寝てるときは可愛いよな。
でも、まあ、いつになったら俺等を信じてくれるのやら、昔のことに囚われているのはこいつ自身だ。俺達には何も手助けできないのもわびしいよなあ。」
「俺等には待つだけさ。それでいいじゃん。」
ブルーが毛布を彼の身体に掛ける。
「じゃあ、始めますわ。」
そっとカレンが彼の頭を両手で包み込む。そして静かに目を閉じた。
兄弟に見守られ、優しさに包み込まれているのを感じてくれるのを願いながら、彼女の「癒し」がようやく始められた。

 カツカツカツカッカッカッカ・・・
暗い地下通路を、足音が近づく毎に早さを増してくる。
重苦しい機械音が地獄のように低くうめき声を上げる暗闇で、シュガーはその過ぎ去った一時が宝石のように輝きを放ち、その余韻に酔いしれていた。
まだ暖かさの残る手を、そっと頬に当ててフッと微笑む。美しい彼の顔が、瞼を閉じるとまだ目の前に感じられた。
カッカッカッ!
足音が正面で止まり、シュガーがゆっくりとその主を見上げる。白装束の同じ服をまとった相手は、怒りに震えた手をしっかりと握りしめていた。
「どういうつもりだ。」
「別に・・」
「シュガーッ!何故逃がした!」
ガッと襟首を掴まれ、そのまま持ち上げられる。足がつま先立ちになり、ギュッと詰められた襟で首が絞まって苦しい。
「殺せ・・ば?」
「シュガー・・」
相手は手を離し、息を付くシュガーを今度は包み込むように抱きしめた。
「どうして・・これがやっと巡ってきたチャンスなんだぞ。せめてここを任されたら、お前は主様に辛い目に遭わされないで済むじゃないか。」
「でも・・ここは、悲劇を生み出すところだよ。」
「それでも、俺達は俺達が無事ならいい。
そう割り切ろうって、ここに来るとき話し合っただろ?どのみち主様には逆らえない。」
「主様、主様。ねえサンド、僕らはどうして主様に逆らえないの?」
「シュガー・・お前どうしたんだ?」
主に対して疑問を持つ。それはクローンには考えられないことだ。
辛い、嫌だと思っても、それを可哀想だと思っても、全て「仕方ない」「逆らえない」と割り切るように考えが向くように出来ている。
生き物である以上、湧いてくる疑問を割り切ることで押さえる。
そうしてクローンは、主の言うことを忠実に守るのだ。
それをおかしい、変だと疑問に変わったとき、そのクローンは危険分子に変わる。
思わずサンドはシュガーを突き放し、腰に下げた銃の銃身を震える手で握りしめた。
「駄目だ、シュガー・・そんなこと、言うな。
そんな、そんな・・俺はお前を殺したくない。」
危険分子に待つのは死のみ。
クローンは、そう判断したら速やかに殺すよう刷り込まれている。
シュガーが大きく両手を開き、まるで十字架にかけられたように上を向く。
「ああ・・僕は・・僕でありたい・・」
愕然と首を振るサンドが銃を握ったとき、入り口の方から数人の足音が、バラバラと不規則な音を上げて近づいてきた。
サンドがシュガーの手を強く握り、引き寄せる。そして髪を鷲掴みにして顔をのけぞらせた。
「この事は、俺達の心の中にしまっておく。
いいな、二度と言うなよ。
俺達には、主様が全てなんだ。いいな!」
「主様が、クローンだと聞いても?」
「嘘だ!あいつか!あんな奴の言うことをまともに聞くな!お前を騙そうとしているんだ!」
「あなたも僕の心を読んで、聞いてたんでしょう?あの人は、頭は人間でも、身体は僕らと同じクローンなんだ!」
「黙れ!忘れろ!黙れ!」
「でも僕は・・!ヒッ!」
サンドが彼と額を合わせ、強いテレパシーをぶつけた。ガンッと衝撃が脳をかき混ぜるように走り、シュガーの意識が飛ぶ。
サンドはガックリとくずおれる彼を抱き上げると、何事もなかったように足音の方へと歩き出した。
「ああ!53様こちらでしたか。おや?64様は?」
「お前達には関係ない、作業を始めろ。
ガルドとレスカは、打ち合わせ通り私と村へ行くぞ。」
カツカツと出口に向け歩き出すと、数人の信者達が奥へと入って行く。その一人にシュガーを預け、サンドはレスカからベールを受け取り頭からすっぽりと被った。
「村人への催眠は、かなり進んではいるのです。しかし信仰心が強く、太陽に照らされた証明書にかなり強いインパクトを受けたらしくてどうしても軍の奴らに敵意を持ってくれません。」
「信者を殺したのは逆効果だったのさ。」
「しかし、一般信者にこの中を知られました。
我々の真の目的を。」
「一般信者を連れてくることは、それなりのリスクがある。それはわかっているだろう。
だからお前達に任せたのだ。
殺さず、誤魔化すくらいの機転が効くと思ったのだけどね。」
「申し訳ございません、夜半騒がれたので仕方なく。」
「この事は、御子様に報告する。」
ビクンとレスカの身体がこわばる。
そして何とか機嫌を取ろうとサンドにすがりついた。
「しかし、私も一生懸命にやっているのです!
ここの住人は、厳しいところだけに結束も強く強固な意志を・・」
鬱陶しいと、サンドがその手を振り払う。彼は人間が嫌いなのだ。
「向こうにも一人、テレパスがいたんだろう?」
「え、ええ・・それが・・・」
レスカが言葉を詰まらせながら、もぐもぐと口ごもり、言葉がはっきりしない。
サンドは出口まで来て階段に足をかけ、腹立たしそうにくるりと振り返った。
「はっきり言え!」
「はい、あの・・実は、そのテレパスがあなたと同じ顔の・・」
サンドがぎくりと動きを止めた。
「そうか・・とうとう・・」
とうとう出会うときが来てしまったのか。
この日が来ることを、心の隅では待ち望み、そして恐れていた。
「一体、どういうご関係で?あちらもクローンなのですか?」
「お前には関係ない。」
サンドは無機質な声で答えると、階段を駆け上がり地上へと向かった。

 ザワザワと、村の広場に焚き火を焚いて、村人が集まり集会をしている。
すっかり暗くなり、星の瞬くこの時間まで、熱の入った議論はなかなか終わらない。
村人は、今、大きく二つに分かれている。
すぐにでもこの土地の権利を譲り、ヴァインに身をゆだねて次の土地を捜して貰おうという者、そして次の土地が見つかってから、権利を譲ろうという者。
それぞれ、結局はここを一刻も離れたいと思う者とギリギリまで居ようと思う者が議論しているわけだ。
離れることに変わりはない。
ただ、大きな問題がヴァインは次の土地を保証する物の、そこをどこか提示しないことにある。
良い土地かどうかは見極めて移住しないと、また先代達の二の舞だと思うのが心情。
それを半数が「ヴァインの御子様が悪い土地を下さるわけがない」と思い始めているのだ。
しかしそう思うことも、信仰する太陽神に背くのではないかと意見が出始めて、今の村人の心は次第に混沌とし始めている。
働き者が畑にも行かず、蓄えを食いつぶして行くのもどこかおかしいと心の中では皆が思っている。しかし、いずれは離れる畑を見ても、手を掛けるのも無駄に思えていた。
村人の心はヴァインの司祭にかき回され、結束にもほころびが目立ち、おろおろと毎日を不安と安堵の入り交じる中でただ、司祭の一語一句に振り回され、そしてどうにか逆らい、自分を見失いそうになっている。
ただ言えることは、それが毎夜訪れる司祭の、テレパシーの影響だと考える者は、誰一人としているはずもなかった。
 「司祭様!どうか次の土地を早く見つけてください。御子様にお願いを!」
村長が困り果てて訴えると、司祭は優しくその手を両手で包み込む。
「大丈夫、御子様はあなた方のお味方です。
不安を捨て、どうかこの土地を我々にゆだねて下さいまし。」
ベールの奥から聞こえる優しい声で、何故か村長の心はフワリと軽くなり、司祭の言葉が夢の奥から聞こえる神のように感じられてくる。
しかし彼は、村長として気を張っているだけになかなかそこでうんと頷いてくれない。
司祭にとって、ここは今までにない強敵だ。
貧乏のどん底で苦労をしているわりに、自分でしっかりと足を据えて誰にも頼らない、みんなの心は太陽神に守られていると胸の底で大きな自信と支えに乗っている。
司祭は後ろに立つサンドの視線を気にしながら、強く、強く暗示を送る。
ゆらゆらと燃え上がる炎の輝きをうっとりと見つめながら、煌々と照らされるそこに現れた巨大な天使の手の平に包まれる錯覚さえ覚えて村人の目はうつろになっていく。
もう、一息か・・
サンドは心の中で呟き、スッと右手を村人達に掲げ、強いテレパシーを送った。
『この土地は、天よりつかわれし我が物なり。
ダンドンの村人よ、良くここを愛してくれた。
お前達の心満ち満ちて、ここは我が降り立つに相応しき土地となった。
村人よ、西へ行け。そこには豊饒の土地が待っている。』
炎の中に輝く天使から、暖かな幸せに満ちた輝きが人々を包み込む。
「おお・・・・」
村人は涙を流して手を合わせている。
司祭は両手を天に掲げ、そして透き通った美しい声で皆に語りかけた。
「皆様に祝福を。神の御子はあなた方をお見守りです。さあ、この土地を離れ、豊饒の土地で幸せになりましょう!」
言葉がスッと胸を軽やかにして、全てが上手く行くような気がしてきた。
そうだ、西へ!西へ!西へ!豊饒の土地へ!
村人の心が一つになる。

その時、頭がざわついてきた。

強烈な不快感に、司祭の姿が神々しい物から妙に現実味を帯びて、ただの小柄の人間へと変わる。
「え?」「何だ?」「一体・・」
ザワザワと村人が正気を取り戻して来た。
バブブブブーー!!ブオンブオン!ウォォォ!
そこへいきなり警笛を派手に鳴らしながら軍用車が広場に乗り付け飛び込んでくる。村人は驚いて立ち上がった。
「こ、これは一体何事です!」
司祭が慌てふためき、車の前に出る。
止まった車の助手席からは、ブルーが子供達と共に降りてきた。
「おおっ!なかなか大変な騒ぎですね?」
バタンと運転席からも、グランドが飛び出す。
「始めまして!管理官のグランドと申しまっす!」
「あらん、教えを広げるのも大変です事!」
いきなりピョーンと車の上から、セピアが飛び降りてきた。
「無礼なことを!地獄に堕ちますよ!」
「ふん!地獄に堕ちても這い上がってくるさ!
人のことより自分はどうだい?この土地がそんなに欲しいのはどうしてだ?
他にいくらでも土地はある。どうしてここに固執する?しかもあの遺跡の入り口を固めて、この村の人々を危険に遭わせてまで。
あの遺跡は稼働している。一体何が隠されているんだ。」
ブルーがズイッと司祭に詰め寄る。
人数が増えた分、やっぱりセピアと二人っきりより心強い。
村長が慌てて飛びついてきた。
「稼働?!あそこの下は動いているのか?」
それまでわからなかったのだが、レディアスがちゃんと音を聞いている。何かしら機械音がある限り、そこは死んではいない。ちゃんと稼働して、生きているのだ。
ブルーが自信たっぷりに頷くと、村人がザワザワと騒ぎ出した。
まずい!とサンドがレスカに寄り添ってきて囁く。ブルーが居る限り、テレパシーは避けた。
「これ以上、喋らせるな。」
コクンと頷き、レスカがブルーに歩み寄る。
そして動揺を気取られぬよう落ち着いて優しく話しかけた。
「軍の皆様、どうかこれ以上村の方々を怖がらせないで下さいまし。
この土地はいずれ私達が譲り受ける物、どうかその話は私達に。どうぞ、あちらでお聞きしましょう。」
スッと指さす方向は、広場を抜けて誰もいない畑の方角だ。
ブルー達のテントを指してもいないから、つまり誰もいないところでと言うわけだろう。
ブルーはヒョイと肩をあげ、プルプルと首を横に振る。
「冗談だろ?まだここは、あんた達の物じゃない。」
「そうだ!ここは渡さないぞ!ここは僕らの土地だ!」
「そうだ!土地だ!」
クリスがブルーの後ろに隠れながら、ヒョイと顔だけ出してレスカを睨み付ける。
セレナもその後ろで顔を出した。
「まあ!クリス!セレナ!家で寝てろって言ったのに!」
母親らしい女性が、慌てて前に出てくる。
しかしそれを突っぱねるようにクリスは、ピョンとブルーの前に出て腹の底から叫びを上げた。
「ここは!ダンドン村は!僕の!故郷だ!
誰にも!わ!た!さ!な!い!!」
ハアハアハアハアと肩で息をして、フラッと後ろにのけぞる。
「おお、すげえジャン、クリス、偉い!
お前はみんなが来なくなった畑にも、毎朝暗い内に水を掛けに来たんだよな。偉いぞ!」
パシッとブルーが背中を叩く。
「そうだったのか・・だからいつまでも枯れずに・・」
村人がシンと静まり、皆俯いて顔を見合わせた。
大人は逃げだそうとしているのに、子供は守ろうとしている。
こんな小さな子が。
「クリス、お母ちゃんはあんた達のためを思って・・」
「お母ちゃん!僕たちここが好きだ!
みんな一生懸命で、水かけとか貧乏とか大変だけど、いつもみんな一緒で、いっぱいいい事もあるよ!どうしてここ出ていくの?
爺ちゃんも、婆ちゃんも、みんな頑張って、大事にして・・みんな・・
うええ・・ぇぇぇうええん・・うう・・」
最後は涙声になってしまった。
鼻水がダラダラ、涙より沢山流れている。
母親は手拭きを取りだして鼻を拭いてやると、ギュッと抱きしめた。
「ごめんね、お前達の気持ちが分からずに。
バカな母ちゃんだよ。先代からの土地を簡単に捨てるところだった。ここにはみんなの汗がしみこんでいる、大切な土地だったのも忘れて。」
「ううん、ううん、だってだって、みんな変なんだもん。みんな・・怖かったよう・・」
「うえええぇぇぇぇんん!!」
後ろで泣くセレナも抱いて、母親がそっと涙を流す。村人達も、そこでやっと目が覚めた気がした。
「ヴァインの方、俺達はここを手放すのをやめるよ。
悪いが、あんた達の気持ちだけ大事に受け取っておく。」
村長が、皆に頷き司祭にそうきっぱりと言い放つ。
呆然と司祭は立ちつくし、ハッと慌てて前に出ようとしてサンドに止められた。
「負けだ。引くぞ。」
「しかし!御子様は!」
くるりとサンドは踵を返して歩き出す。
司祭であるレスカは、それでも村人に向かって大きく手を広げた。
「あなた方には、大いなる災いが降りかかるでしょう!御子様を拒んだ天罰を・・キャッ!」
バシャーンッ!
「いい加減にしな!引くときは後腐れ無く引け!バカ野郎!」
セピアが思いきり水を浴びせ、レスカは真っ白の服がスケスケになって、張り付いた服の向こうに豊かな乳房が揺れ、裸同然となってしまった。
「おお!セピアよりボイン!」
思わずブルーがもらし、セピアがオケをガンとブルーの頭にかぶせる。レスカは両手で懸命に身体を隠しながら、逃げるようにサンド達の後を追った。

 スタスタと、遺跡に向かうサンドをガルドが追う。小走りで横に並びながら、息を切らせてガルドが話しかけた。
「ハアハア・・お引きに・・なるので?」
サンドは無言で前を向いている。
「5・・53様?」
ブルー達のテントの先に、焚き火に照らされてこちらをじっと見て立つレディアスの姿が見える。
サンドは立ち止まって遠くの彼と向き合った。
「あれは・・?彼らの仲間で?随分痩せた女ですな。こちらが見えるのでしょうか?この真っ暗闇の中で。」
三つ編みをほどいたレディアスは、遠目には髪の長い女に見える。
ヒョオオ・・夜の冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。フワリとベールが風に舞い上がり、サンドの頭から飛んでゆく。
慌てて見失う前に、ガルドがベールを追いかけた。
「ふふっ、ふふふふ・・・」
「どうか、なさいましたか?」
サンドの目は、レディアスに釘付けのまま次第に影を帯びている。
不気味な低い笑いは、獲物を見つけた獣の唸り声のようでガルドは思わず後ずさった。
「あれを使うぞ。」
「あ、あれ?あれとは・・まさか・・」
「くっくっくっ・・あれなら皆殺しに出来る。
殺してやる。全て死ねばいい・・」
「B53・・様・・」
歩き出したサンドを追うのも忘れ、ガルドはベールを握りしまたままその場に凍り付いた。

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