桜がちる夜に

HOME | カインの贖罪  夢の慟哭 6

更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  夢の慟哭

>>登場人物
>>その1
>>その2
>>その3
>>その4
>>その5
>>その6
>>その7
>>その8
>>その9
*拍手ボタン設置しました、押して頂くとはげみになります。
掌編掲載しています。

「その6」

サスキアの宇宙港に、沢山の報道陣や出迎えの人々が集まる。
通る予定のルートはすでに通行規制がはられ、車も一定の距離から近寄る事ができない。
それも最近のテロを警戒しての事だが、仕事で用のある人間には迷惑な話だ。
デリートも入ることの出来るギリギリのラインまで走らせると、目立たない路地に車を止めた。
車内テレビは船から降り立つ大統領と夫人の姿を捕らえている。
にこやかにお偉方と握手を交わし、手を振りながら車に乗り込むと、その後ろでSPの中にいるセピアがボウッと突っ立ってやたら目立っている。
慌ててグレイが手を引き、その様子がテレビにしっかり映っていた。
「あの馬鹿者が。」
チッと舌打つデリートに、助手席のマリアがクスッと笑う。
「はは、セピアらしいね。あの子にこんな緊張を強いられる仕事なんて、性格的に合ってないのさ。それがわかってて使いたがったのは向こうだよ。」
「向こうには向こうの考えか?」
「ああ、向こうの友人に聞いた話しじゃ、引き抜きも考えにあるようだがね。」
「馬鹿な話しだ。あの子達は軍の管理下にある。軍が首を縦に振るものかね。」
「ああ、くだらないことにあの子達を巻き込むのは、もうやめて欲しいね。大体クローン殺しだって、もう辞めさせたいんだ。その為の特別管理官養成だろ。私はそう思っていたんだがね。」
「ああ、それがまさか、裏目に出るとは思わなかった。」
特別管理官が人間で事足りるなら、今度は彼らを自分が利用しようなどと、まさか自分の上司である大佐がこれほど早く考えるとは。
デリートには歯がゆい誤算だ。
「どうだ?」
後部の座席に、デリートが声をかける。
目を閉じていたサンドが息をつき、首を振った。
「駄目だ、人が多すぎる。意識の選別ができない。ただ・・」
「なんだ。」
「・・そうだな、これは息づかいだ。追いつめられた・・クローン?」
「どこからか、場所は特定できるか?」
シュッとデリートがシートベルトをはずす。
「ああ、誘導はできると・・・89?・・」
ふと、意識がシンクロした。

ビルの影で、ハッと、少年が顔を上げる。
「だれ?!」
声を上げ、周りを見回しそして目を閉じてうつむき探る。
「B53、まさか・・生きて・・・?」
信じられない面持ちで、口を手で押さえその手をギュッと握る。
この独特の気配は、自分と同じクローンのテレパスの物だ。
口惜しそうに唇をかむその顔は、ホテルの襲撃から後、行方をくらませていた89だ。
彼はあれから目立つ白い白装束を脱ぎ捨て、盗んだ服を身につけてこの日を待って身を潜めていた。
盗んだ黒いコートも、朝夕は寒く昼間暑いサスキアでは盗むのも容易い。
すそから手を入れ、思わず手を当てるケガをした足には、服を引き裂きギュッと巻き付けている。
その痛みも重く、焼け付くような苦痛に発熱し、憔悴しきっていた。
しかしその89も、Dクラスではあるが精神感応力を有している。格下の彼は、サンドがヴァインにいた頃、彼の下で働いていたのだ。
「B53、なぜ?生きているのにもどらなかったの?あなたが消えて、僕らクローンの地位は更に失墜してしまった。クローンは役立たずだと、今じゃどんな人間にも絶対服従だよ。
もう、みんな・・みんな諦めてるよ。」

『89・・戻れなかった。いいや、戻らなかったんだ。89・・』

「理由なんか、聞きたくない。残った仲間がどうなるか、沢山補充もできた今、クローンは使い捨てだよ。僕だって、命令を実行しないと・・・」
ホテルの襲撃の時、目の前で死んでいった仲間の姿がよみがえる。
初めて目にしたその死に、89はゾッと背筋が凍り付きそうな恐怖を覚えた。
「怖いよ、怖いんだ。僕だって、命令を実行しないとあんな風に殺される。このまま帰っても主様は、きっとお許しにならない。」

『89、落ち着くんだ。命令とはなんだ?89、投降しろ、何も怖いことは無い。』

「うるさい!僕の頭から消えろ!僕は、きっと探し出して殺す!殺してやる!」

『89!』




「89!」
叫んでサンドが前のめりになる。
「サンド!89って、まさか彼が来ているの?」
ソルトが彼を支えながら、目を見開く。
サンドは疲れたように片手で額に手を当て、ため息をついた。
「ああ、誰かを殺すと。それが命令だと言った。」
「ヴァインか。相手はわかるのかね?人数は?」
マリアが振り向く。
サンドは思い出すように、もう一度目を閉じて集中する。
「・・・駄目だ、あいつもテレパス、はね除けられてトレースできない。でも、強い覚悟は突出して見えていた。」
「大統領の暗殺かね?しかし、彼はヴァインとも接触を試みていたはずだが・・」
「いや、あいつだ。人形。」
「人形?・・あの、管理官のレディアス?」
「レディだって?」
マリアとデリートが顔を見合わせる。
暫し考え、デリートが運送会社のキャップをかぶった。
「そうか、あいつらにとって、教祖のオリジナルであるレディアスは特別の存在らしい。
利用するか、でなければ消えて貰うか。」
「確か、教祖は死んだはずだな。子供だったと聞いたが。」
以前、レディアス達兄弟に追いつめられた教祖は、何者かによって消し去られた。
彼の正体は旧カインのレダリアの大統領、ランドルフがレディアスのクローン体に宿った者だった。
「またレディのクローン体を使うとしたら、同じ年頃なら同じような顔だろう。レディがいると、今後も使いにくいに違いない。」
「ははっ、あの強烈に綺麗な奴が並んでる姿って、壮観だろうね。まあ、あの子は成長期に飢餓状態だったから、少し体格的に劣るだろうけど、そっくりになるのは間違いないね。いや、健康的に育っていたらもっと綺麗なのかな?それとも影がある分、あの子の方が退廃的な美しさが映えるのかね?」
マリアの分析に、デリートが興味なさそうにため息をつく。
そして顔を上げた。
車の先に、2人のポリスが怪訝な顔で歩み寄る姿が見える。
「まずい、ポリスだ。」
「逃げるか?」
「逃げると追われる。後ろを見られると不味いな。」
マリアもキャップをかぶり、フッとため息をつく。うしろには、クローンを5人も乗せている。
「俺が、やる。心配しないでいい。」
サンドが後ろで小さくつぶやいた。
「殺すなよ。」
窓を若いポリスがコンコンと叩く。ニッコリ微笑み、デリートが窓を開けた。
「ここで何をしている?」
「ええ、もうすぐ交通規制が解けるかと思って。配達が先の方ばかりなの。」
「無理だな、まだ時間はかかるよ。パレードをして、これから公邸まで行かれるんだ。
その後各施設を巡られるときには規制は範囲も狭くなるがな。」
「困ったわ、急ぎなのに。上に怒られちゃうわ。」
傍らの書類を取り出し、伝票をチェックする。
ポリスはヒョイと肩を上げ、そして相棒の顔を見た。
「すまんが後ろを見せて貰う。鍵は?」
「かかってないけど、後ろは荷物が少しあるだけよ。」
「悪いな、こっちも仕事でね。」
ワゴンの引き扉に、相棒のポリスが手をかける。
ビクッとソルトがサンドにしがみつき、サンドはドアに向けて意識を集中する。
ガラリと開いたドアの向こうのポリスが、一瞬驚いたような顔になり、そしてぼんやりとうつろに催眠状態で中を見回した。
「中は、荷物だ。異常ない。」
サンドが小さくつぶやき、ポリスはうなずいてバタンと閉める。
その瞬間、ハッと大きく目を開け同僚に手を挙げた。
「・・異常、無しだ。荷物が少し載っているだけで何もない。」
デリートの横のポリスが手を挙げ返答する。
「すまないな、悪いがここから移動してくれ。また他のポリスが来るよ。」
「ええ、待ってても仕方ないなら帰るわ。ありがと。」
「おばさんも大変だね、お疲れさん。」
じゃっと手を挙げポリスが引き上げて行く。
窓を閉めると、隣のマリアがプウッと吹いた。
「おばさんか、デリートは確かにおばさんだ。あはは、あんな顔あんたでもできるんだね。あはは・・」
ムッとしてデリートがマリアを横目で睨む。
デリートとしては、最高級の笑顔を見せたのがよほど面白かったらしい。
「彼はマリアを見て言ったのだよ。見ていなかったのかね?」
「ま!よく言うわ、彼はちゃんと・・」
ブオンッ!
突然ガクンと、車が急発進した。
「キャッ!」
マリアがシートに頭をぶつける。
「デリート!危ないじゃないか。もう!」
「無駄口は終わりだ。さて、動くぞ!」
車はどこに向かうのか、デリートには考えがあるようだった。

公邸について、ハッと大きくため息をつきセピアが壁により掛かる。
「セピア、何してるんだよ早く!」
キーキーと、今日はグレイに怒られっぱなしだ。
ブルーはずっと押し黙って身体を動かしながら人の意識を探っているので、セピアに構っている余裕がない。
シャドウは大統領に最も近く護衛についているので、他の3人とは離れていた。
「なによう、少し休ませてよ。」
「馬鹿だね、ここで紹介されるって言ったでしょ!」
「あー、以下省略でいいのにい。」
「いいから早くおいで!もう!ぜんっぜん緊張感ないんだから!もう!」
ズルズル引きずられるようにして、マスコミをかき分け緊張バリバリの部屋に入って行く。
「あ」
目があったシャドウがジロリとセピアを睨み、思わずシャンと背筋を伸ばした。
中はマスコミシャットアウトで、要人だけが並んでいる。
軍の上官がセピア達を指し、ちらりとメモを見ながら大統領に頭を下げた。
「この4人が、特別管理官をしております。左から、・・」
1人1人丁寧に紹介され、大統領と握手する。
写真で見てはいたが、鷹派という割にグレーのヒゲを綺麗に整えた紳士だ。
55才という年齢よりも若く見える。
「えっと、よろしく〜」
セピアが握手して、にへらっと笑う。
大きくてガッシリした手に、ワッと目を丸くした。
「でっかい手!」
思わず声を上げ、隣のグレイがお尻をドンと小突く。
「ははは、元気なお嬢さんだ。この小さな手でクローンの処理を専門にされるとは思えないな。」
『処理』と聞いて、グレイがムッとする。
握手をするとき、ギリギリと強く握ってやった。
「しかし、華奢な方ばかりで驚いたな。特別管理官は人間離れしていると聞いたんだがね。
何か特別の力を持っているとか?」
「いいえ、良く訓練され、それぞれ武器に長けていますので。」
シャドウがさらりと避けた。
事前に調べ上げて知っているくせに、やっぱりタヌキだ。
しかし、自分たちの詳細は漏れていない事が何となくわかる。
こうしてしきりに探ってくるのは、知りたくてたまらない事の表れだろう。
何か、特別な力を持った秘蔵っ子だと薄々は知っているようだ。
非常時は仕方ないが、くれぐれも自分たちの力は内密にせよとお達しを受けている。
「こちらは美しい女性だね、確かもう一人美しい女性がいると聞いたが。」
グレイを見る彼に、ヒョイと肩を上げてシャドウが首を振る。しつこく聞かれ、いい加減にしてくれと言いたい気持ちを飲み込んで返した。
「女はセピアだけですよ。あとは野郎でして。ご期待に添えず申し訳ございません。」
おどけて頭を下げるシャドウに、上官の頬がひくついた。
「では部署に戻れ。」
「はっ」
敬礼して下がって行く。
ようやく解放されると、要人のみが残されバタンとドアが閉められた。
「はあ〜〜、疲れるわさ。」
がっくりうなだれるセピアに、ポンとグレイとブルーが背を叩く。
「少し時間があるからトイレと水分補給しよ。」
「いいの?場所離れて。」
「いいさ、どうせ俺たちはオマケだもん。ハナから当てにはされてないよ。公邸にはレディも来ないだろうから、俺も少し休む。」
ここでは予定では1時間会見、その後会食。
まずは戦争慰霊碑に花束を上げに行って、戦争遺族に挨拶。
次はクローン処分場跡に行って、そのあと不戦祈念会館で戦争資料の見学。
そんな感じで今日一日が終わる。
なるほど、局長が言ったように平和パフォーマンスでしかないようで、妙に気持ちも冷める。
今夜は特別議長主催の晩餐会とやらがあるらしいが、彼らはそれには呼ばれていない。
護衛も今日一日だ。
大統領も明日の朝はコロニーへ帰る。
もともと軍上層部にしてみれば、彼らが大統領と接触するのは最低限に抑えたいらしい。
希望があってのことをむげに断るのも波風立つので、今日一日の約束で護衛を引き受けた。
ただし、あまりテレビには映るな、紹介はマスコミをシャットアウトして、と、彼らの身分は一般には明かされない。
直接管理官として出会った人々は覚えているだろうが、写真などの記録は一切残してこないようになっている。
それもこれも、彼らの身の安全のためと聞かされているが、実情は以下のこんな場面も考慮に入れてのこと……
 ブルー達3人がさぼって控え室でお茶を貰い飲んでいると、やっぱり来た。
それはごく自然に笑顔で話しかけてくる。
もちろん相手方の下っ端の様子で。
「やあ、いつもと違う仕事で大変だね。」
髪をオールバックでなでつけ、大統領についてきた男が1人、やれやれといった様子でお茶を貰い近くに寄ってくる。
にこやかではあるが、時折見せる目つきの鋭さは恐らく幹部だろう。
他にも関係者はいるのに、悠然とした物だ。
ブルーが、ちらとグレイを見る。
グレイもああ、とため息で返した。
「私はサスキアに来るのは初めてなんだが、思ったより都会なのでビックリしたよ。一歩出ると、まだずいぶん荒れた土地があると聞いたけどね。」
「ええ、干拓者の村が大多数です。サスキアはカインでも大都市ですから。」
ニッコリ、愛想良くグレイが答える。
「ねえ、ブルー。あたい腹減った、何か食べたいよう。」
ブルーがその緊張感の無い言葉にガクッと来る。そしてポケットに手を突っ込んだ。
「おめーは緊張感ゼロだな、まったく。さっき食べただろ、もう。え〜っと、確かまだあったと・・あった。ほれ、これが最後。」
小さな固形の携帯食のバーを渡す。ぶーっとむくれてセピアが受け取った。
「こんなん何十本食っても腹一杯になんないよう。お昼まだ?」
「まだだよ!えーっと、あと2時間!」
「げえっ」
ベロ〜んと舌を出した彼女に、男の顔がひくつく。これが特別管理官とは、考えていた人間とは大きくかけ離れているからだろう。
「・・き、君達は軍でもいい待遇に置かれているようだね。」
「いいえ、ごく普通ですよ。」
さらりとグレイがかわす横から、グイッとセピアが顔を出した。
「普通より下よ〜。きゃはっ、だって事務の子より給料下だったんだよお。」
「この、馬鹿。引っ込んでなさいよ。」
ギュッとセピアのおでこをグレイが押す。
「やんっ!もう!はらへった!」
立ち上がり、バタバタ暴れ出すセピアにブルーが飛びつき、怪訝な顔の回りに思わず頭を下げる。
「待て、待て待てって、ああもう、待ってろ。俺のバックに食い物入れてきてるから、取ってくるよ。」
「あたいが行く!」
「ダメッ!お前は全部食うだろ、今日は持ってるだけしかないんだから。」
セピアは空腹とストレスで、非常に気が立ってイライラしている。
車に向かうブルーにセピアもついて行くと、残されたグレイに男がそっと耳打ちした。
「今夜、フェニックスホテルの850に電話をくれないか?いい話があるんだ。」
「残念だね。僕、先客があるんだ。」
「いいよ、いつでも。夜中でも待ってる。」
良くあることではない。
が、スカウトにあうのは初めてではなかった。
もっとしつこい目にあったこともある。
それほどクローンと同等に対峙できることは、人間離れした何かがあると思わせる。
グレイがフッとため息ついて立ち上がった。
「悪いね、僕電話を持ってないんだ。他の誰かに言ってくれない?」
「君がいいんだよ、君は美しいね。」
慌てて男がグレイを追ってくる。
もう!
グレイが眉をひそめて困っていると、スッと2人の間を大きな背中が遮った。
「今日という日にこの騒ぎ。よほどコロニーの人間はのんびりしているんだな。」
ニイッとシャドウが大きな犬歯を見せて男を牽制する。男はシャドウの怒りに驚いたようで、思わず背筋をただしフッと首を振った。
「いや、勘違いはよしてくれ。私達もこの星にいるのは今夜限りでね。出来れば1人でも友人を作りたいと思ったまでだよ。」
「友人は、無理強いするもんじゃないな。なんなら俺でもいいぜ。カインの人間は血の気が多いんだが、それでも良ければ。」
大きな手を出し、男の目の前でゴキゴキと骨を鳴らしてみせる。男は少し考えた様子で、手を挙げて身を引いた。
「いや、遠慮するよ。また機会があったら。じゃ」
ややあっさりと、ようやく去って行く。
ほっとしてグレイが、シャドウの背中をボスッと叩いた。
「遅いよ、馬鹿。」
「悪い、俺も忙しくてね。レディはどうだ?」
「まだ、全然。ブルーもセピアもずっと緊張してるから疲れてるよ。」
「まだ半日もたってないぞ。もっと力を小さく絞れっていっといてくれ。」
「また行っちゃうの?」
不安な顔で、シャドウを見上げる。彼はフッと微笑み、グレイの髪を指に絡ませると頬をスッと撫でささやいた。
「そんな不安な顔するなよ。ヒヒ、立っちまうぜ。」
「この〜」
グレイがグーをフルフルふるわせる。
シャドウはその拳を引き寄せキスすると、サッときびすを返しどこかへ消えてしまった。




「あー、いっぱい持ってきて良かった。ほれ、パンケーキ。」
車のトランクからボストンバッグを取り、ラップに包んだパンケーキをセピアに差し出す。
バッグの中は、セピア用に食べ物がパンパンに詰まっている。本当は私物厳禁なのだが、許可を貰って積み込んだ。
それは向こうもすべて承知の上だ。
彼女は身体がそうできているので仕方がない。食べなければたちまち元気がなくなるのだ。
「さっすがあ!ブルー、わかってるじゃん。」
警備員に睨まれながら、車に乗り込んでドアを閉め、さっそくラップをはずす。
ぷうーんと香ばしいいい香りによく見ると、フライパンの大きさの2枚のパンケーキの間にラズベリーのジャムが挟んである。
「キャッ!ブルーってすご-い!」
ばくっと食いつき、ぺろりと平らげる。もっともっとと、結局サンドを2つ食ってようやく落ち着いた。
「ほれ、ドリンク。冷えて無いけど仕方ねえ。」
「うん、別に外地に出たと思えば……んぐ、んぐ……ぷはあーっ!
ああ、やっとお腹が収まった。これであと2時間待てそう。」
「一体何しに来てるのかねえ。」
ブツブツつぶやきながら、携帯補助食品のバーをポケットに詰め込む。
バタンとトランクを閉め、自分もドリンクで頭痛薬を流し込んだ。
まったく、警備につきながらレディアスの思念を探しながら、ついでにセピアの食い物の世話までしなければならないのだから、ブルーは大変だ。
セピアのいる席のドアにもたれてドリンクを飲みながら待っていると、セピアが窓からグイと上着を引いた。
「ねえブルー。」
「なんだよ。」
「もし……グランドとレディが別れたら、もう一緒に住めないのかな。」
「さあな。」
うなだれるセピアにブルーがコンと頭を弾く。
最近、その質問はみんなの頭を巡っている。
『ずっと一緒に暮らそう』
ずっとという言葉は、所詮無理なんだろうか。
「なあセピアよ、俺たちはそれぞれが2人で1人だぜ。離れても、またくっつく。磁石みたいにさ。だろ?」
「うん、でもね、グランドの馬鹿とグレイの色情魔がやった事って、レディは知ってるんだよね。」
「…………ああ」
「いつから?ブルーはいつから気がついたのか知ってるんでしょ?」
返答に困ってブルーは言葉が出ない。
テレパスは、すべてを知っているだけにこう言うとき不便だと思う。
「……もう、いいや。いつからって事はあんま問題じゃないもん。あたいらもプライバシーには不可侵が鉄則だし、結局さ、一緒に暮らしてもみんな……結局1人なんだよね。」
「うっ」グサッとブルーの心をセピアの言葉が刺し貫いた。
それは返せば、どうして知っていてブルーは何もしなかったのかと、セピアに責められていることに繋がる。
しかし、それはこの事態となって、まったくその通りなのだ。
「俺は、俺はだから、シャドウには相談したんだ。それでグレイの気持ちも、グランドの気持ちもわかるし、それで!」
思わず張り上げた声に、警備の人間が駆け寄ってくる。
ブルーがドキッと手を挙げ、なんでもないと手を振った。
「ああ、もう……なんだってんだよ。」
ガクッと膝に手をつき、何となく靴を見る。
久しぶりの革靴は、安物だったせいか靴箱から出してみると、カビがふきヒビが入ってひどい有様だった。
ヒビにはクリームを塗り込み、誤魔化して履いているけど一部がベロリとめくれ上がっている。
月末まったく余裕のない中、結局借り物はイヤだとセピアはさっさと靴とスーツを買ったので、ブルーは自分の分がまったく買えなかった。
体型がほぼグランドと同じなので、グランドから借りただけにスーツだけはまともだ。
だけど、なんだかひどくむなしい。
その上テレパスだったばかりに責められて、すべてが貧乏くじだ。

いつだって、そうなんだ。
どうせ、そうやって何かあったらねちねち言われて非難されるのは俺。
テレパスなんて、聞きたくないことまで聞いてなきゃいけない。聞いたからって、いちいち動いてられない。

ああ!もう!世の中の馬鹿野郎!

ガバッと顔を上げたとき、突然セピアが車から顔を出した。
「うわっ!」
襟元掴まれ、グイッと引き寄せられる。
そしていきなりチュッと口づけられた。
「な、な、なに?」
「キシシ、落ち込んだ?かーわいいの、ブルーちゃん。」
ニイッとセピアが歯を見せて笑う。
なんだかあっさり肩すかしを食らって気が抜けた。
いつも、こうして落とされて救われる。
セピアはずるい女だ。
ちっともグランドと変わらない。
ちぇっと舌打ち、ブルーは彼女の頬に付いたジャムを指で取り、ぺろりとなめた。
「ねえ、あたいはずうっとブルーの味方だからね。口が悪くてドカドカ食っても、ずうっと一緒だから、覚悟してね。」
セピアが指を立て、そしてブルーの鼻をピンと弾く。
「あてっ!」
両手で押さえて身体を起こすと、セピアが車から飛び出して腕を組んできた。
「いこっ!グレイの色情魔がうるさいから!
ねえ、ちゃんとレディ探してよね、あたい信じてるから!」
「それ、信じてるって言えば聞こえはいいけど、なんか命令みたいだよな。」
「ばかねえ。ほら、ポチポチ、行くわよっ!」
「犬かよ、俺。」
がっかりしながら、彼女の強烈な力でグイグイ引かれる強引さには勝てない。

ま、いいけどさ。

ブウッと、なんだかひどく納得できないブルーを引いて、セピアはグレイの元へともどっていった。

風が吹き、飾られた花が大きく揺らめいて向きが変わる。担当者が気がついて元に戻し、すっかり雲に覆われた空を見上げた。
慰霊碑のある緑に包まれた平和公園には、早い時間から関係者達が集まっている。
時計を見ながら、時間が迫るごとに落ち着かない様子でせわしく準備に怠りない。

公園の入り口では、次第に集まる遺族達が係員の指示に従い、参列席へと導かれていた。
遺族も、すでに彼らには数代前の話しだ。
しかし今でも、戦争の終結には核が多用されたために2次被害、3次被害が残っている。
特に将来治療が有望視された人々では、医療的措置からコールドスリープの処置を受けた者も少数が現在を生きていた。
現在のカインでは、放射線治療は近隣の星からも治療に訪れるほど進んでいる。
放射線被害は、いつまでもその影を人々の元に落としていた。

「じゃ、行くわ。」
歩道脇に付けた車の中で、黒衣のフローレスが針のケースをバックに入れ、メガネを取り出してかける。
パチンとバックを閉じて脇に挟み、ジャケット下の銃を触れた。
「われわれは周囲からサポートする。しかし、それぞれ面が割れているから、前面には出られないのでそのつもりでいろ。」
少佐の顔が険しい。
しかしフローレスは、手鏡で髪を整えまったく緊張感を感じない。
「わかってるわ、任せて大丈夫よ。ホホ、なんて事無いわ。たった1人殺すだけですもの。」
「あれには絶対に手を出すな。わかっているな?」
少佐が見る後部座席には、ぐったりとレディが座席にもたれかかっている。
彼も喪服にロングスカートを身にまとい、頭にはベールをして顔を隠していた。
「あら、私も馬鹿じゃないわ。今後も使いようのある人間を、むざむざ殺しはしないわよ。」
フローレスがほくそ笑み、帽子をかぶり身支度を済ませて車を降りて行く。
続いて少佐の部下が降り、トランクから車椅子を下ろす。そしてレディを抱きかかえ、彼を車椅子に乗せて膝に膝掛けをかけた。
「逃げようと思うな。相棒の命はお前次第なんだ。勤めを果たせ、いいな。」
部下がひっそりとレディに耳打ちする。
レディは無言でこくりと小さく頷き、フローレスの針で自由がきかなくなっている手足に目をやった。
このしびれて動かない身体で逃げられるわけがない。
グランドが捕らえられている以上、自分は言うなりに命令を果たすだけだ。
うなだれていると肩を後ろから掴まれ、グイと引かれる。
背もたれに押しつけられ、見上げるとベール越しにフローレスの毒々しい赤い唇が見えた。
「さ、参りましょう。今日はコロニーの大統領と会える日よ。楽しみにしていたわよね。」
笑うその真紅の唇が、まるで肉をかみ切ったあとのように血だらけに見える。
小さく軋む音を立てて、車椅子が彼女に押され木々に包まれた道の歩道を進み出した。
送ってきた車が静かに横を通りすぎ、走り去って行く。
ベール越しにどんよりとした雲を呆然と見て、レディが目を閉じた。

グランドの顔も、兄弟の顔もひどく遠い。
ただ監禁状態で自分を見失ったとき、気がつけば自分の回りにはクローン達の魂がいた。
それはエディであり、シュガーであり、アリア、そして何かもっと沢山の。
でも、すでに心も疲れ果てていたためか恐怖はなかった。
暗い室内を見つめながら自分はすでに、彼らと共にこの世に存在しないような、妙な浮遊感で包まれていた。
そして何となく、ぼんやりと考える。

どうして、こうも自分の回りに死んだクローンがつきまとうのか。

それは自分に恨みがあるからだと、そう思いこんでいた。
しかし、恐る恐る目を開けてみると、彼らはひたすらにただ優しく見守っているのだ。
何故かわからない。
わからないでいた。
でもその時、アリアがそっとレモンと共に手を重ねてきた。

『心配、してる、よ』

だれが?
誰が自分を心配するんだろう。
俺は1人なのに。
誰の一番でもないのに。

『苦しんで、生きちゃ、駄目って』

苦しんで・・・苦しんでなんか・・・・

レディがギュッと膝を抱え顔を伏せる。
昔、兄弟と再会したとき、どんなに未来が輝いて見えたことか。
思い出しても、それはとても希望に満ちた瞬間だった。
だからこそ、沢山の命を奪い生き延びてきたこの汚れきった身で、窓から飛び降りようとしても、ナイフを握っても、銃を与えられても、自ら生きることを止められなかった。
顔を上げて隣を見ると、必ずそこにはグランドが、兄弟がいたから。
彼らはとても、こんな自分に気を使い、良くしてくれた。
もしかしたら、普通に、一緒にずっと生きていけるかも知れない。
もしかしたら・・幸せだと感じることが出来るのかも。いや、幸せになれるのかも知れない。
そんな夢だけが現実を離れて一人歩きして行く。
金色から真っ白に変わった髪が少し輝きを取り戻してきた喜びに、せめてと願いを込めて伸ばしはじめた。
でも、過去とは決別できたとどんなに自分を言い聞かせても、ずっと記憶がそれを引きずっている。
長い間離れていた兄弟との間には、戦時中それぞれが置かれた状況の大きな違いから、なかなか馴染めずいつしか深い溝ができていた。
それを埋めるのは、時間さえ過ぎれば容易なことに思えたのに、いつまでも何かの場面で昔が思い出されて、落ち込む自分に辛抱強いだろう兄弟も、さすがに時折うんざりした顔を見せる。
懸命に同じ場所に立ちたいと、一緒に笑い合いたいとあらがえば、皮肉にもそれだけ一層溝が深くなり、とうとうグランドさえ自分から離れてしまった。

でも・・

アリア、俺はもう、1人じゃ駄目なんだ。
何か、ささえがないと・・・だから、ずっとそれを考えてるんだ。
兄弟とは別の、なにか、ささえになる物。
昔、きれいな石ころがそうだったように。
1人でも生きていけるように。

『あの、人間・・は?』

人間?ダッド?
彼は・・よく、わからない。
信じていいのか、頼っていいのか。
でも・・頼ってもいいような気がするんだ。
・・けど、なにか、怖い。
彼も1人だって言うけど、本当に1人なのか、彼の事何も知らない。
彼の周りの人間も、はたして俺を受け入れてくれるのかと考えれば不安になる。
人間は、すぐに裏切る。
ころころと命令が、言ってることが変わって何度もひどい目にあったから。

『レディ・・もっと、周りを見て』
『もっと』
『うつくし・・輝きを・・みがいて』

アリアの透明に重なる手が、いつしかシュガーの小指の無い手に変わる。
そして顔を上げたレディに微笑むその顔が、ぼんやりと女性のクローンに変わった。

『生きて、い、て、よか・・・た』

小さくささやくその顔が、誰かはわからない。
あまりにも沢山のクローンと関わって、そして殺してきた。
やがてシュガーの姿はすっかりと女性の姿へと変わり、レディの手をしっかりと握りしめる。



ああ・・なんだろう。
この手、この力強い手を俺は知っている・・



彼女の姿は暖かな光に包まれ、レディもその心地よさにほんの一時癒やされていた。

ガタンと車椅子が揺れ、ハッと意識が引き戻された。
「あんた、思い出したわ。その綺麗な目。」
クスッと、彼女がレディに笑いかける。
ふと立ち止まり、そして彼女が道ばたに咲く一輪の雑草の花を摘んでレディの膝に置いた。
「あんた、ランドルフの宮殿の離れにいたわね。」
ビクンとレディの目が見開かれる。
「あの、クローン達の、『ブラッディハウス』にさ。」

真っ白な世界が反転して、一瞬で回りが暗闇に包まれた気がした。

吐き気がこみ上げ、しびれる手足がまるでそこに無い感覚に襲われる。
「クククッ、私はあそこで針を研究していたのよ。実験動物はより取り見取り。好きなようにしても誰も口出ししない、良い時代だったわ。
あんたも、あんたのクローンも、ね。どう?思い出したでしょ?」
レディの手を取り、そしてその花を握らせる。
長く赤い爪は、獲物を掴んで離さない猛禽類のような。
その鋭い爪で心臓を鷲掴みにされた気分で、レディの心が小さくすくむ。
「私、ずっと残念だったのよ、あんたのその瞳。あの、あんたのクローンの眼をコレクションに入れたけど、オリジナルがいいに決まってるじゃない?
ククッ、まさかあんたも生き延びてるとはね。
また会えて嬉しいわ。相変わらず綺麗な目・・」
フローレスが腰を落とし、レディの頬を撫でた。

気持ちが悪い。吐き気がする。

払いのけたい衝動がどうしようもなく、ずっと心の奥底にしまっていた物がズルズルとはい上がってくる。
今目の前にいる女の顔が醜悪にゆがみ、目をそらしたくてもそらせない。
「くだらない、今のカインなんて。
面白くない時代だわ。せっかく集めたコレクションも全て失って、レダリアの頃が夢のよう。コールドスリープなんか、入らなきゃ良かった。
何人殺しても満足できやしない。」
ハッと息を吐き立ち上がるとまた、車椅子を押して歩き始める。
「あんたのクローン、最悪よ。面白くなかったわ。うるさいからって声帯取ったりするからよ。悲鳴一つ聞けやしない。」
レディの目が、大きく見開かれる。
「あんたの代わりよ、あのクローンの子はあんたの代わり。」

身体の内側で激しく強い何かが暴れ回る。
それは、今まで感じた以上の怒りだろうか。
衝撃でめまいがする。
代わりに、俺の代わりに殺したのか?
あの、優しいエディを。
どんなに苦しめられたのか、この女に。
それであんな幻のように現れるのか。

身体中に火がついた。

それは、レディアスが初めて感じる激しい憎悪なのか。
ランドルフに感じた物とは、また違った恐ろしいほどに押さえようのない怒り。
今、この手足が動いたならば、千に引き裂いてやりたいと、胸をかきむしりたい衝動に襲われる。
ギリギリと、歯が砕けるほどに噛みしめ目をカッと見開き、ゆらゆらと足下をうごめく女の影を見つめた。
「あんた、今でもクローン殺してるのね。いい仕事じゃない。フフ、でももうそれも終わりかしらね。」
女の言葉が耳を素通りし、それでいて相反して心がスッと冴えていく。
一体どんなつもりで話したのか、エディとレディの繋がりが、それほど強い物だと知らなかったのだろうか。
いや、それを聞いたレディが反抗する術もなく、苦しむ様を見て楽しんでいるのだろう。
どんよりと曇った空にも負けず、日中はじりじりと気温が上がって行く。喪服は熱を吸収し、すでに激しい脱水状態の身体を痛めつけ、気が遠くなっていった。
「ああ、なんて暑さかしら。ブラックのスーツなんて大嫌いよ。辛気くさい。」
腹立たしそうに後ろからグイとレディのアゴを掴み引き寄せる。
獲物を捕まえた猛禽類のように、ギリギリと頬に爪を立てククッと笑った。

会場に入り、あらかじめ偽造された遺族証明を係員に見せ、そのまま席へ案内された。
「あと、10分ほどでお見えになります。そのままお待ち下さい。」
女性係員が皆に告げた。
ひっそりとした喪服の一団の中、フローレスが車椅子のレディを気遣う振りをして辺りをうかがう。
しかしその背後には、樹上に潜んで89がレディの意識を探していた。
この会場が、一番人の出入りが多い。
それが容易であればあるほど、面の割れた人間でも入る余地が大きい。
すべてにチェックが入ると言っても、こうして89は警備の目を避けて忍んでいる。
じっと意識をとぎすまし、目の前の黒い一団を見る。
ギャラリーを探したが、彼らは時間が迫るとかなり後ろに下げられ、直に大統領を見られない場所まで規制線をはられてしまった。
そこでここまで入って探し始めた。

一旦行動に出たら、こちらからの連絡は限られる。
命令を下した本部へは現状を伝えても、増援などあり得ない返事だった。
1人を殺すのに、クローン1人でも生き残っているのなら十分だ。
ホテルの襲撃に失敗したことは、本部の激しい怒りを買っている。そこからアシが付いた事が明白であるならば、これ以上人を割くことなどあり得ない。
あとは、自分だけでやり通すしかない。
たとえ、差し違えても・・・

いっそ、いっそ全てを殺してしまおうか。

ため息をつき木にもたれながら、89は手を見た。
ギュッと手を握りしめ、額に押しつけ前髪を掴む。
心にあるのはただ一つ、「主様のために」それが何のためなのかは問題じゃない。
ただ、それだけが重要なんだと死んだ仲間が頭の中で叫ぶ。
たった1人、殺せばいい。
銃に残弾はたった1発。
あとはナイフがあるだけ。
ズキンと足のキズが痛み、思わず小さく声を上げた。

怖い・・
本当は怖いんだ・・

その時フッと暖かな風が彼を取り巻き、足を押さえる手にスッと透き通る手が添えられた。
アッと声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。
顔を上げると、赤い瞳の亡霊のような少年が、綿毛の髪の少女とうっすらと重なりながら微笑んだ。

『・・もう、いいんだ・・よ』

なにが?

『・・もう、なにも・・自由に・・』

自由なんて無いよ、僕らは主様のために生きて、そして死ぬんだ。

亡霊のようなアリアが揺らめきながら首を振る。

『自由は・・あるんだ・・!』

うそっ!!

『うそじゃな・・・・』

うそっ!うそばかりだ!消えろ!消えちゃえ!

89の前から、悲しい顔の亡霊が消える。
束縛された強い意志に弾かれて、アリアとレモンがとうとう限界を迎えた。
自分の身体に引き戻され、ズシンと体中が重い。揺り動かされ、ゆっくりと目を開いた。
「アリア!アリア!あ、あっ!気がついた!気がつきました!ドクター・マリア!」
ソルトの声にマリアが驚いて、後部の荷台に移動してきた。
3人の脈を取り、そして瞳孔反射を見る。
「アリア、大丈夫か?アリア。」
しかしアリアは声を出そうにも声が出ない。
口を微かに動かすと、サンドがマリアに告げた。
「レモンはどうかと聞いている。」
「ああ、レモンは・・眠っている。大丈夫だ。」
ドクターは次にショートの手を取り、点滴に急いで薬品を注射する。
「アリア、レディはどこだ?」
質問に微かに口を動かし、何とか答えようとするが声が出ない。そして襲ってくる眠気に耐えきれず、とうとう目を閉じた。
ピピピ・・ピピピ・・
デリートが置いていった電話が小さく鳴る。
「おい、うるさい、さっさと取ってくれ。」
サンドがいらつきながら、その携帯を忙しそうなマリアに差し出す。
「手が離せない、取ってくれ。」
「俺が?!」
「使い方はわかるか?」
「そのくらい・・」
「そうか、レディはなかなか覚えたがらなくてな。」
「あいつと一緒にするな!」
怪訝な目で鳴り続ける電話を見て、仕方なく受信ボタンを押す。
しかしそこからは、彼にとっても多少ムカツク声が飛び出した。

『局長?局長、グランドです!』

サンドが思わず電話を離し、眉をひそめじっと見る。
「ソルト、電話は短くしろよ。」
マリアが振り向きもせず言った。
チッと舌打ち、イヤイヤ電話を耳に当てる。
「お前達のおかげでいい迷惑だ。」
『ブルー?・・いや、サンドだな?なんでお前が・・いや、そんなこたあどうでもいい。俺の兄弟に、俺は大丈夫だと伝えてくれ!レディは・・レディアスはどうなってる?』
「さあ、まだ生きてるんだろうさ。」
『頼む、伝えてくれ。レディアスに。』
「なにを」
問うと、なぜか息づかいだけが響いて声が聞こえない。
サンドが眉をひそめ、切ろうかとしたとき息を詰めたように言葉が飛び出した。
『・・あ、あ、愛してるって。誰よりも、一番に、愛してるって。』
ガクッとサンドが肩を落とす。
一体何を考えてるのかわからない。
「貴様ふざけるな!馬鹿馬鹿しい。そんなこと自分で言え。俺は知らん。切るぞ。」
「余裕がないから頼んでるんだよ!おい!ま・・」ピッ
「馬鹿かこいつ、自分で言えないことを人に言わせて、それで愛してるだと?」
なんだか妙にムカムカして、腹立たしい。
「くそ、腐った奴。あの時殺しておけば良かった。人形の方がまだマシだ。」
吐き捨てて、電話をドンッと横のシートに置く。思い出す顔をかき消すように首を振り、イライラと爪をかんだ。







『リー、ルーナから連絡が入った。馬鹿は救助された。』
ギャラリーの中に潜むデリートの耳に、サンドからの通信が響いて辺りを見回す。
耳に仕込んだ通信機は、軍の通信とは周波数が違う。管理局で作った特製品だ。
レディに持たせ、何度も試作を繰り返した。
何気ないそぶりで、左手を口元に持って行き声を潜める。時計には、マイクが仕込んであった。
「そうか・・無事なんだな?」
『だろうな。胸くそ悪い声だったよ。それと89だ。そこに89がいる。』
「89?89とはさっきお前が接触したクローンか?」
『ああ。アリアが帰ってきて教えてくれた。それに人形は黒い服を着ていると。
ここは人間が多すぎる。くだらん意識が雑音のようだ。俺はまだ89も人形も把握できない。』
「89と言うクローンももここに目星を付けたか。あながち馬鹿じゃないな。ここはいい、会場の意識を探ってみろ。変化があったら伝えろ。それと、ブルー達にもグランドのことは伝えてくれ。」
『あれしろこれしろと簡単に言ってくれる。あまり当てにするな。』
「当てにするために連れてきたのだ。貴様の意地を見せろ。」
『くだらん。だがやってやろう。』
「よし」
通信を終えたとき、ワアッと歓声が上がった。
初めて来訪する大統領には、そのパフォーマンス効果もあって歓迎ムードが高い。
「よくまあ、こんなに真っ昼間から暇な奴がいるもんだ。」
呆れてつぶやきながら、車の中から手を振る大統領の顔にため息をつく。
「いい迷惑だよ。」
車を追うように会場へと流れる人々に紛れ、その混乱を乗じてデリートはスッと物陰に隠れながら奥へと移動していった。

>> 夢の慟哭5>> 夢の慟哭7