桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

ネコなっちゃった

CGは、ふきのとうさんです。

恋人の由香に別れ話を持ち出した俺は、なんと魔法をかけられてネコにされてしまった。
襲ってくる猫の習性、果たして俺の運命は?


 「別れよう」
フッと煙草を吹かせながら、パチンとブランド物のオイルライターの蓋を閉める。
彼女、由香が一瞬大きく目を見開き、ブワッとその目から涙を溢れさせると左右に首を振った。
「イヤよ、どうして?私の何が気に入らなかったの?」
やっぱり、すんなり行かないのは分かっていた。いつも女とは別れ際が難しい。
確かに彼女が嫌いになったわけじゃない。いや、元々好きでもないだろう。
俺が好きなのは、金だ。
今乗っているこの外車は、前の彼女に貢いで貰った物。着ているブランド物のスーツも、同じブランドのバックも。
前の女は社長夫人だけに羽振りは良かったが、旦那に見つかってお釈迦になった。
由香からも随分貢いで貰ったが、すでにサラ金の借金も膨らんでいるらしい。この辺が別れ時だろう。
ところが彼女は、バッグから名刺大の何か変わったはんこを取り出し、いきなりポンと俺の額にスタンプする。
「何をふざけて…」
「フィラドフィー、ルラドフィー、我がわずかな命を贄にして、我が願い聞き届けたまえ。この男をしなやかな獣、穏やかな獣、従順な獣に変えよ。この契約の印がある限り」
「はあ?お前、馬鹿じゃないの?」
この女、漫画か何かの見過ぎじゃないのか?
呆れて前を向いたとき、あれ?っと思った。
視線がどんどん下がり、ハンドルが目の高さまで来てしまう。
くわえていた煙草が口に合わなくなって、ポロリと落ちた。
服がダバダバで重い。
いきなり座りにくくなって、足をシートに上げて両手を足の前につく。
何だか変な格好だがしっくりきて、ん?と下に目が行く。
俺って、小さくなったのか?!
服が、ダボダボ身体にまとわりついてうざったい。
なんだこりゃあ!と、声を上げたつもりが口から出たのは。
「にゃおおおおん」

は?
まさか、さっきの…この女!
バッと横を見上げると、女が呆気にとられて口をポカンと開けている。
「まさか、これ、本当に出来るなんて」
車内のライトをつけてバッグから本を取り出し、パラパラとめくり始める。
「ウフ、ウフフフフ!やったわ、成功よ!」
バタンと閉じて、キャアーッと雄叫びを上げると、呆然とする俺をヒョイと服ごと抱え上げる。
「いやーん、かわいい!これであなたは私の物よん!」
ファンデーションをべったり塗った顔を、スリスリ顔にすりつけてくる。
「ふぎゃあっ、うにゅ、うおーん」
俺はパニック、バタバタどんなに暴れても、女は服を俺の身体に巻き付けびくとも動けない。
「通信教育、魔女入門。あなたも簡単に魔女になれます、今なら特製バインダー付きって嘘っぽかったけど、ほんとなのねえ。いやー、やっててよかった!」
じょ、冗談じゃねえぞ、おい。
この、ニヒルでダンディーで女をたぶらかすのが趣味の俺がネコ?
「んふ、じゃあ、この車は足が付くからこのまま海にドボン」
「ふぎゃああ!」
やめろおおおっ、この車は1千万近いんだぞ。
「は、止めて、やっぱり売り払っちゃおっと」
由香が携帯を取りだし、ピピピッとダイヤルを押す。そして知り合いの中古車販売業の男に、取りにきて貰うことになってしまった。
「…でね、彼きっと失踪になると思うのお。うん、うん、そうね、ネットでさっさと売っちゃってね」
ひいい…俺の大事な車があ…
「じゃ、あたし達の愛の巣へ帰りましょ」
イヤだ、絶対に行くもんか。逃げ出してやる。
涙も出ないネコの目が、何とも虚しい。
しかし俺は、ドアを開けると同時に飛び出して逃げることを考え始めた。
こんな女と暮らすなんてまっぴらだ。余程野良の方がマシだ。
ところが由香は、持ってきたペーパーバックからナイロンのボストンバックを取り出すと、俺をそれに押し込んでシャッとファスナーを閉じてしまう。
バタバタ暴れて電車の中でも大鳴きしても、誰も気が付いてくれない。
せいぜい、「あら?ネコちゃん?」くらいのもんだ。
誰かー!助けてえええ!
人さらいー!
虚しく響く叫び声、しかしそれは皆ネコの鳴き声でしか出なかった。
由香の部屋は、普通のOLだけにごく一般的なワンルームマンションの一室だ。
中に入ると、ご丁寧にもすでにゲージが用意してある。そこへ服を剥がされてポイと放り込まれ、俺は必死にガチャガチャとゲージの鍵に手を伸ばした。
クソ、クソ、どうしてネコの手はこんなに指が短いんだ。立ち上がっていると、後ろ足がヨロヨロする。
「あら、鍵開けたら困るわね」
由香が針金を持ってくると、ゲージのドアにくるっと巻いてねじる。
くそーっ!お手上げじゃないか。
落ち着いて見回すと、カーペットの上には魔女入門通信教育の本が乱雑に10冊ほどばらまいてある。部屋のスミには大きな段ボールがあり、「日本通信教育振興会特別コース」「誰でもなれる魔女入門」「各種教材に今なら特製バインダー付き」などと、ポップな絵と共に書いてある。
冗談じゃあねえ、こんなふざけた話があるか。
むかついていると、部屋にはコーヒーの香りが漂ってくる。
しかし何故か、あれ程好きだったこの香りが今はあまり好きな物ではない。ネコになると好みが変わるのだろうか?
やがて由香はコーヒーを目の前のテーブルに置き、冷蔵庫から牛乳を取りだしてきた。

ほんの少し、いつも入れ足すその白い液体の何とも甘いミルク独特の香りに、じわっとよだれが出る。
ああ、俺って牛乳嫌いじゃなかったっけ?
変だよ、こんなに美味そうに思えるなんて。
ペロ、ペロッと口元を舐めて見ていると、思わず彼女と目が合った。
「ミルク、いる?」
フンッと首を横にそらし、ペタンペタンとしっぽを振る。
ほんとは欲しいいーーっ
強烈なこの欲求は何だ?
彼女が立ち上がり、皿に牛乳を入れるとハイッとゲージの中に置いてまた針金を巻く。
何故だ?何故皿なんだ?何故コップじゃないんだ?俺に犬みたいに舐めろと言うのか?
と、思いつつ、フンフンと匂いをかぐ。
ああ、なんて甘くて美味しそうな香り。
もういい!舐めてやる。
ペチャペチャ、お、何か飲みやすい。
ペチャ、ペチャ、んまーい。
と、結局舐めきって、ほっと一息ついた。
フーッと、妙に満足感が走り、何故か身体を舐めたい気がする。
グッと我慢だ。
冗談じゃあないぜ、俺はネコみたいな手えしてるけど人間なんだ。
はっ、そうだ、俺は一体、本当にネコなのか?
俺は…俺は…
何色のネコなんだ!
気が付くと、手は黒に近いグレーで何だか少し汚い色…いや、渋い色だ。
まさか、顔に眉毛みたいな変なガラが入っていないだろうか?まさか、背中に日本地図が入っていたらどうしよう。そうだ、このダンディーな俺様の背中に顔みたいな模様があって、人面ネコなんて不名誉な事で有名になったりしたら…
見たいっ!鏡が見たい!
キョロキョロしながら忙しく動き回っていると、急にオシッコがしたくなった。

しまった、恐れていた物がやってきたっ。
そう言えば、俺は裸でここにいる。
なんてこった、俺はお尻の穴もチンチンも、全部由香に見られているじゃないか。
サアッと冷や汗が身体中を走り、ゾクッとしてウンコまでしたくなってしまった。
ああああああ、どうしよう。
ゲージの中には、猫砂を入れた箱が入ってはいる。
しかし、由香のいる横で俺はウンチとシッコをするのか?
イヤだ、イヤだ、嫌だああああ!
由香はルンルンと、俺に見入ってはコーヒーを飲みながら何か雑誌を読んでいる。
頼む、頼むどこかに行ってくれ。ここから消えてくれーっ。
「んふ、寿命が何十年か取られるらしいけど、魔法がうまく行って良かったわあ。私はね、太く短く生きるの。ほら、ペットと行ける温泉。これからはずうっと一緒よ。えーっと、名前付けなきゃね。浩二だから、工事中に引っかけてチュウちゃんってどお?」
イヤだーーーっっ
そんなダサイ名前はイヤだ、お前はセンスがない。だから金だけしか魅力がなかった、だから別れようと言ってるのに、このクソ女!
俺を元に戻せええっ
俺は懸命にガチャガチャとドアに手を掛けゆらし、訴える。しかし、動くたびに便意が迫って気絶しそうだ。
あ、オシッコが漏れる。
あああああああああ
目をグルグル回し、俺は自然に身体が砂場に向いた。
角に向けて腰を落とし、そして…
ジョオオオオ…
とうとう俺は由香の前で排泄してしまった。
「キャアッ、くさーい」
由香が、バタバタと窓を開ける。
「もう、幻滅うー。お風呂入ってこよっと」
不機嫌そうに、お風呂に行ってしまった。
うっうっうっ、俺の方が泣きたいぜ。
お腹はすっきりしたけど、胸のショックは深く深く俺を傷つける。
猫は涙がボロボロとは出ないのか、ただ潤ませて項垂れるだけだ。
そして自分のウンコを隠すように、シャッシャッシャッと砂をかけるので精一杯だった。

ところがその手に、いっぱい砂が挟まってしまう。
どうやら由香は安い猫砂を買ったらしい。毛の間に入り込んで、気持ち悪い。
しかし俺がその手を思わず舐めようとしていることに気が付き、二重にショックを受けた。
なんてこった、俺は汚いと思ったら舐めたくなってしまうのだ。
冗談じゃない。
どうして洗うんじゃなくて舐めたいんだ?
汚いんだぞ!
何とかパンパンとゲージの壁でその砂を落とし、なるべく臭いトイレから離れて腰を下ろす。
ところが次の瞬間、俺は信じがたいことに、自分のお尻の穴を舐めたくなってしまった。
由香に背を向け、グッと腹を見る。
灰色だ。
良かった、腹に変な模様はない。
しかし、その先にあるのは、自分のチンチンとお尻の穴。
信じられない。
俺は初めて直に自分の尻の穴を見てしまった人間だろう。
でも、舐めるなんてとんでもない。
人間としての尊厳を守り抜かなければ、俺は本当に猫になってしまう。
欲求に抗って、身体を舐めずに何とか眠ろうとする。
そうだ、一晩寝たら明日は人間に戻っているはずだ。身体がモヤモヤしてイライラするが、寝たら治るはずだ。
気が付けば、次第にトイレの臭いは気にならなくなっていく。最近の猫砂は良くできているのだろう。
くるんと身体を丸め、よっこらせと横になった。
ああ、何だかバタバタしてひどく疲れた。
シンとした中に、風呂場のシャワーの音だけが響いてウトウトしてきた。

うとうと、うとうと、ぺろぺろぺろ、うとうと、ぺろぺろぺろ、うとうと、うと、ん?
俺、今うっかり毛を舐めたような。
ああ、でも何だか気持ちいい。
モヤモヤが取れてすっきりする。
ちょっと身体を起こし、ペロペロする。
手を舐め、首元を舐め、腹を舐め…ああ、いい気持ち。
「あらいやだ、お尻舐めてる。やだあ」
ハッと我に返って、お尻を綺麗に舐める自分に気が付いた。
ベロがしっかり、チンチンを舐めている。
わああああああ!
汚い汚い、ぺっぺっぺっ。
ひうううう、俺は俺はもう駄目だああ。
グッタリする俺を、鍵を開けると由香が抱き上げた。
「んー、かあわいい。やっぱりネコにして良かったわあ。じゃあウンチを捨てましょうねえ。きちゃない、きちゃない」
呆然とする俺を横に置いて、由香が掃除をしてくれる。
これから俺はずっとこの女の世話にならなければならないのか。
ウンコを取り、固まったオシッコをすくってまた綺麗に砂をしく。そしてまた俺をゲージに入れて水を入れた皿を置き、鍵を閉めた。
「さ、疲れたでしょ?お休みなさい」
手を洗ってきた由香が電気を消す。
暗い部屋の中、ゲージの中でぼんやり座っていると、だんだん目が冴えてきた。
俺は、これからどうすればいいんだ。
本当に人間に戻れるのだろうか?
俺は、俺は…
その夜、窓から漏れる街灯を見つめながら、俺はこれまでの人生とこれからの猫生を考え、途方に暮れながら人間に戻る方法を考えていた。
そうして、早一月が過ぎた。
俺は相変わらずネコで、どうやらブルーグレーの毛並みをしたロシアンブルーらしいと言うことがわかり、一色の毛色に変な模様も無くホッとした。
ちょっと地味だが、まあ、高貴なおネコ様の種類と言うことで、それはまあ許せる。名前を除いては。
「チュウちゃん、今日は最高級カリカリと、一個150円の猫缶よ」
むむう、チュウちゃんは許せん。
しかし、置かれた猫缶の美味しそうな香り。
カリカリと由香が言う、ドライフードのえも言われぬ美味そうな匂い。
うおおお、美味そう。
はぐはぐ、やっぱりあの会社のは最高に美味い。人間に戻れたらきっと株を買ってやろう。
カリカリを食っていると、由香がしんみりと横にしゃがみ込む。
おい、パンツ見えてるぞ。
「ねえ、人間に戻る方法、教えようか?」
え?うそっ!本当に?

わくわくわく、ぺろぺろ口を舐めながら、由香に飛びつく。
すると由香は俺を抱いて、喉元を撫でてくれる。あっ、だめ、そこは弱い。思わずゴロゴロ喉を鳴らしてしまった。
「実は管理人に見つかってね、ネコは駄目って。だから飼えなくなっちゃったの」
何だ、そうか、それなら話は早い。早く俺を戻してくれ。
俺はまたあの、華やかな生活を取り戻すんだ。
自分のケツ舐めたことなんか忘れて、もっといい女だけを引っかけて生きるんだ。
「あのね、戻し方は額のスタンプを消して、私が呪文を言うの。かけた人じゃないと戻れないから、お風呂場に行って…あっ」
由香が、胸を押さえてゆっくりと倒れてゆく。
「にゃおん、にゃおーーーん」
何だ?一体どうしたんだ?
由香は二三度痙攣を起こして、ガックリと身体中の力が抜けたように動かない。
おいっ、おいっ、しっかりしろ!しっかりしてくれ!
「うおーん、にゃおーんわおーん」
懸命に鳴き続ける俺の声に近所の人が不審に思ったのか、管理人が飛び込んでくる。
そして慌ただしく救急車が呼ばれ、運び出されていく。
しかし、もう遅かった。
あっけなく、由香は死んでしまったのだ。
俺を残して。
葬祭場で葬式が終わり、俺は別室でゲージに入れられたままエサを食う気にもなれず呆然と過ごしていた。
「かけた人じゃないと戻れないから…」
と由香が最後に言った言葉、俺はとうとう人間に戻ることが出来なくなったのか、絶望感ばかりが走る。
やがて親族が集まり、俺の処遇について相談しはじめた。
「うちはアパートだから飼えないわ」
ああ、俺は一戸建てのデカイ家がいい。
「うちは犬がいるからねえ」
へっ、犬臭い家なんか、こっちもごめんだね。
「じゃあうちはもう2匹雌ネコがいるけど、みんな駄目なら私が引き取るわ」
「ええ、じゃあお願い姉さん」「頼むよ」
2匹の雌か。
仕方ない、これから雌ネコで我慢してやらあ。
子供をボロボロ作って、作って、作りまくってやる!俺はネコの帝王になるんだあっ。
わははははははは!

パタンと、親族達が部屋を出る。
ワイワイと話しながら、ネコを引き取る事に決まった親族が携帯を取りだした。
「あら、家にかけるの?」
「いいえ、動物病院よ。家にいる雌ネコは2匹ともおばあちゃんでしょ?だからあの子、さかりが来ないように去勢して連れて帰るの」
「去勢?オカマにするんだ」
「ええ、オチンチン取っちゃうのよ」
ああ無情、彼の運命はいかに。