桜がちる夜に

HOME | カインの贖罪  うつくしいもの 4

更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

<その4>

 その日、フリードの住まう屋敷は朝からバタバタと忙しい様相を呈していた。
庭木の手入れは前日までに済ませてある。今、庭で男達数人が確認しているのはセキュリティーチェックだ。
広間でセッティングに忙しい使用人は半分近くがクローンで、人間の指示に従ってテキパキと仕上げをこなしている。
パーティーは夕方から始まるのだが、華美な装飾は宗教に相応しくない。なのに飾り付けは、次々と運び込まれる美しい花に囲まれ、次第に豪華さを増していく。
黄色のワンピースをヒラヒラと、セピアは邪魔をしないように端っこを歩いて見学しながら、至る所に飾ってある大きな花束から一本バラの花を抜き、スンッと香りを嗅いだ。
「いい匂い。何かパーティーって、忙しいのねえ。宗教って、儲かるのかしら?」

「いいえ、あまり儲かりませんよ。」

ドキッとセピアが振り向くと、後ろにフリードが立っている。
こうして並ぶと背丈はセピアがやや高いのだが、あまり気にならない。
セピアは彼が珍しく側近も付けず1人でうろつくのを初めて見て、思わず辺りをうかがった。
「なにか?」
「んーん、1人って珍しいね。みんな忙しそうだもんね。」
「ええ、でも私は暇ですよ。今日のパーティーも、主催はこの屋敷の持ち主ですから。
宗教は、儲からないんですよ。」
「あら、なんだ、この家フリードのじゃないんだ。」
「はい、貧乏ですので。ふふふふ・・・」
最近、セピアと話すときにフリードはベールをはずす。そのにっこり笑う美しいフリードの顔が、昔見た誰かとそっくりだ。セピアは幸せだと思っていたあの頃を、ふと思い出した。
「ねえ!庭に行こうよ!なんかさ、息が詰まりそうだよ。ね!」
キャッとセピアがフリードの手を取り、彼の肩を抜かないよう気を付けて引っ張る。
最近の遊び相手は、もっぱら彼が主にやっている。しかし我が侭な彼も別に嫌だとはっきり言わないだけ、まんざらではないのだろう。
「お嬢さんにも困りましたね。」

馬鹿に付き合うのも面白い・・

クスクス笑いながら、引かれるのに任せて庭へと連れられていった。

 「あなたは、本当に自由な方だ。」
「へ?」
バラに囲まれたベンチに座り、フリードが呟く。セピアは芝生に座り、キョトンと彼の顔を見て笑った。
「あはははは!おっかしいねえ!なに言い出すのかしら、この御子様は!
あんただって自由じゃん!ほら、1人で一歩踏みだせば自由だよ。」
気楽なセピアらしい答えだ。
スッと軽やかに上げてみせる足がサンダルをポイッと放り、ピンクのペディキュアが可愛らしい。
パアッと風が吹いてワンピースの裾がめくれ、「きゃあ!」と笑いながら押さえた。
キャアキャア笑いながら、セピア色の髪が風になびいて顔にかかる。パッとおでこをかくし、茶色の目が透き通ってまた笑った。

ここは敵の手中だというのに、まったく・・
『気後れのない馬鹿だ』と言葉を選んで言っているのに。

だから馬鹿だと言うんだ、とフリードは心で思った。
「自由は、面白いですか?」
地位も財産もない自由など、彼にとってはカスでしかないと思う。この女は、もちろんイエスと答えるだろう。自由は、何物にも変えられないと何処かで聞いたようなセリフを吐いて。

「いいや!面白くなんか無いね!苦しいよ!」

「えっ!?」
考えもしない答えに、フリードが顔を上げた。
「何故?苦しい?一体どうして?」
「自由ってのはね、甘ーいお菓子みたいな言葉さ。でも、実際はそうじゃない。
自由って言うのは、自分で生きて行かなきゃならないんだ。パアッとタガを外せば、あたいはすぐに兄弟に迷惑かけちゃう。
わかっているけど、自由に歯止めが利かない。
病気だって、みんな言うんだけどね、あたいの場合楽しいことには絶対苦しいことがついてくる。
今だって、きっと兄弟は死ぬほど心配しているよ。でも、あたいはこの欲求が押さえらんないんだよ、悪い女さ。」
自分で自分はわかっているのに、どうしても歯止めが利かない馬鹿。
そう呟くセピアに、フリードがほくそ笑む。

馬鹿が・・本当にお前は馬鹿だな!
贅沢に憧れる、どうしようもない安っぽい女だ。

「うふふふ・・ふふ!いいじゃありませんか。
あなたが仰るのは本当の自由じゃありませんよ。そのしがらみから放たれてこその自由でしょう?あなたにとってみれば、今こそが本当の自由でしょう?
いっそ、家族という物を捨てたらどうです?」
「まっさかー!」
キャラキャラとセピアが笑う。
彼女にとって、百年を越えて一緒に暮らす兄弟は、どれほどの大きさの物だろう。
美しい・・よりも可愛い女だと思う。
美しさなら、自分の方が上だ。それだけのボディを、わざわざ作ったのだ、自分のためだけに。
だからこそ、オリジナルのレディアスが疎ましく目障りに思う。
しかも再会した時、不覚にも美しいと見入ってしまった。馬鹿なことだ、自分の方が美しいのはわかっていながら。
今度会ったときは、あの澄ました顔をめちゃくちゃにしてやりたい。
「綺麗ねえ、ほら、このバラいい香り。潰さなかったよ。」
「そうですね。フフ・・潰さなかった、ですか?」
破壊的な力は、この女にとってリスクでしかないだろう、あまりにも普通の女だ。

普通で・・軽くて・・何物にも囚われない。

じっと、フリードがセピアの笑顔に吸い込まれるように見つめる。
明るく無邪気で、暗さの微塵もない・・

「私と、一緒に行きませんか?」

つい、口から出た。
つい、だ。
自分で言って、驚いた。
しかしもっと驚いたのは、笑い飛ばすと思っていたセピアが、スッとまじめな顔になったことだ。
じっと彼の顔を見つめ、そして座っている芝の上でコロンと横になり、ずっと手に持っていたバラを差し出した。

「あんたも、寂しいんだね。」

フリードが大きく目を見開き、思わず上体がよろめく。
一体何を言われているのか、哀れみの言葉に大きな衝撃を受けた。
「馬鹿な、事を言うなっ!」
彼女が差し出すバラをの花を握りつぶし、芝に叩き付ける。
思わず現した本性に、セピアがにっこり笑った。
「何が、おかしいのです!私は・・」

こんな女に!

「あんた、その方が自然だよ、フリード!
人生をせっかくやり直しているのに、あんたまた同じ事してる。
フリード、あんたは昔、沢山の人を不幸にしたんだろ?せっかく今、人を救えるところにいるのに、もったいないよ。」
聞いた風な口を言われ、フリードが我に返り薄く笑う。気を取り直して静かに座り直した。
「さあ、一体何を仰っているのやら。」
「きっと・・誰かが来るよ。あんた殺しに。」
「それも、神の試練でございましょう。人間の歴史では、神の啓示を受けた者は必ず試練を乗り越えています。」
「無理だよ。」
何を言うのか、わかっているのかこの女は。
「無理とも言えないでしょう。私は、あなたも知らぬところで修行を・・」
「修行なんか、関係ないよ。
試練って、1人じゃとても超えられないさ。
あたい等だって、6人いたから越えられた。そう思うんだけどねえ。」
「6人?あなたはそうでしょう。
でも、百人いても、越えられない者には越えられない。無能者が集まっても、それはゼロに遙かに近いのと同じでしょう?
百人でゼロでも、1人で百ならその方が遙かに力は大きい。」
「力じゃないさ、要は心だよ。気持ちの問題。
馬鹿の集まりは決してゼロじゃないよ。あんたは人間だったんだろ?なのに、本当に人間を信じてないんだね。」
人間を?信じる?

馬鹿馬鹿しい!話にならない、俺はどうしてこんな女と・・

フリードが、息を乱して立ち上がる。
こんな気分の悪い話になったのは、セピアと暮らし始めて初めてのことだ。
それまでこんな話の一端さえでなかったことが心の中で不思議に思っていたが、いざ出てみると、やはり不快な物だ。
「さて、私はそろそろ行かなくては。」
「フリード!愛してる人はいる?」
「いますよ、私は信者をみんな・・」
「あたいはいるよ!兄弟は、命の次に大事!
あんたは、命の次に大事なのは何?お金?権力?
駄目だよ!愛したら、愛してくれる物じゃないとさ!心が空っぽになるよ!」
「はは・・空っぽですか?なるほど、あなたもまるで私に教えを説いているようですね。」

偉そうに・・

「そうさ!今あんたが殺されても、空っぽなら、心がないなら意味がない。
みんな憎んでるけど、局長が言うんだ。あんたは裁判にかけられるべきだって。
でも、きっとレディがあんたを殺しにくる。あたいはあんたに会って、そう確信したよ。」
「レディ?」
「そうだよ、レディは迷わず敵を殺す。敵に対して一切無慈悲だ。子供のクローンだってかまわず撃つ。でも、そんな風にしたのはあんただ。
でも、それじゃあ駄目なんだって、局長が言うのも分かるよ。裁判で裁かれてこそ、みんなの前で罪を懺悔してこそ、あんたも戦争の責任がとれるんだ。
それでようやくあたい等の心の戦後は終わる。それが本当の、戦後処理の始まりなんだよ。」
「あはははは!面白い!局長さんの受け売りですか?
憎いなら殺せばいいでしょう?それでいい。
まあ、あなたが誰のことを言っているのか分かりませんが、その方はそう言うんじゃありませんか?
そうだ!私のところへ連れておいでなさい!
きっと私が改心して見せましょう!」
「フリード・・」

何を言っても、あんたには届かない・・

どれほど彼の心にその言葉は届いたのか、フリードはセピアを見下ろしながらほくそ笑んでいる。
しかしこれ程真剣な面もちのセピアを、フリードは初めて見た。そしてその可愛い口からこぼれる厳しい言葉も。
でも、その全てが空々しく宙を舞い、互いの言葉が互いの心を打つ物ではない。
自分が彼を、どうしたいのかセピアにはわからない。
何故こんな説得するようなことを言うのか。

立ち去る彼の後ろ姿に、レディが襲いかかる姿が見える。

その時、自分はどうしたいのか・・



あたいは、きっと・・あんたにもう、人殺しなんかさせたくないんだ・・レディ・・



そして、会って分かった。
フリードもまた、寂しい人なのだと・・

ブルー・・あたいは、どうしたらいい?

言葉が届く距離は、何処まで近づければいいんだろう。
分かり合うのは難しい・・
彼と対等に語れるところに、自分はまだいないんだ・・セピアは心の底で、そう深く感じて大きく溜息を一つついた。




 「じゃあ、この服を着てちょうだい。」
ツヤのある真っ黒な箱を差し出され、レディはボウッと突っ立っていた。
いや、ボウッと突っ立っていたわけではない。
心の中では凄まじいほどの葛藤があった。
これを着れば、イサベラはフリードの元へ連れて行くという。
それが本当なら、これは絶好のチャンスだろう。
ヴァインの教祖でありながら、通常彼は居住地を点々と移動し、近づくことさえ困難だとイサベラは言う。
雲を掴むような物だと。
それが、間近で対面できるチャンスなど滅多にないだろう。
あいつを囲む人間を殺さず、あいつだけを殺すのは確かに難しいかもしれない。
でも、華やかなパーティーならどうだろうか?
イサベラとは彼女の前で殺さないと約束したが、大勢の人混みに紛れて殺すのは簡単だ。

箱に、スッと手を伸ばす。

パラリと流れるように手にかかった髪は、輝く銀色の髪ではなく、漆黒の見事な黒髪だ。
昨夜、イサベラの指示で染められた。
瞳も、カラーコンタクトを先日から入れられて、慣れるように指示を受けている。
それもこれも、ただでさえ目立つレディの面が割れていることを懸念してのことだ。
堂々と、正面切って会え、と言うことらしい。
箱の中の服も、もちろん仮縫いで1度着た黒いドレス。靴も合わせて揃えている。

女の格好は、変装の必要はわかっていても、抵抗がある。

しかしどうしてここまで協力するのか。
やれるというなら、やってみるがいいと笑う彼女の気が知れない。
まるで・・・

イサベラは、楽しんでいるように見える。

たとえフリードが死んでも、彼女は知らぬところで起こった殺人と、見事に演じるだろう。

コンコン、
「入るわよー」

返事も聞かず、派手な紅いドレスに豪華な装飾品を付け、美しい羽根飾りを付けて髪を結い上げたイサベラが煙草をくゆらせながら入ってきた。
呼ばれていったん部屋を出ていたマーサも後を付いて入ってくる。
ドアをきちんと閉めて一礼すると、パッと顔を上げてレディに駆け寄ってきた。
「まあ、まだ着てらっしゃらないんですか?
マーサがお手伝いします。さあ、急がないと、こちらに旦那様がおいでになりますよ。」
「旦那?」
「はい、イサベラ様のご主人様です。今朝お着きになりました。」
何だ、この女にも旦那がいるのかと、怪訝な目で見た。
「あら、やあねえ、パーティに主催者がいないなんて無粋じゃない。言わなかったかしら?」
「主催?あんたが?」
レディが目を丸くする。そんなこと、初めて聞く。
「あたしじゃないわ、マイダーリンよ!あはは!驚いた?驚いたんだ!あはははは!」
嬉しそうに笑うイサベラを睨み付け、レディは話が違うと服を脱がそうとするマーサの手を払う。

これは、罠だろうか?
イサベラの真意がわからない。

「やあねえ、あたしはあんたを連れて行くだけ。後はノータッチよ。
これはね、ゲーム。
退屈なパーティーに添える花。
わくわくするじゃない?ドキドキするわ。
あんたがはたしてフリードを殺せるのか、どんな殺し方するのか?
いい?あんたには武器を与えない。
でも、相手をガードする者は必ず銃を携帯している。
グズグズ首なんか締めてる暇はないわよ。
殺せるとあんたは言ったわ。
でも、動きづらいドレスにハイヒール。これだけのリスクを与えてもそういえるかしら?
殺せたら、逃げるのにも協力するわ。
でも、失敗して彼に捕らえられたら後は知らない。どお?面白いでしょ?」
クスクス笑って、煙草を灰皿にもみ消しソファーへ優雅に座る。
「なるほど、悪趣味だ。」

「いい趣味だよ。」

バタンと、いきなり1人のスーツ姿の紳士が入ってきた。
聞くまでもない、イサベラのこれが旦那なのだろう。
グレーの髪をオールバックになでつけ、50前後に見えるがキリリと目つきが鋭く隙がない。
シャンとした姿に必要もないようだが、ファッションなのか武器でも仕込んであるのかステッキをついている。
ツカツカとレディに歩み寄り、クイッと彼の顎に杖の持ち手を掛けて上げさせると、まじまじと眺めた。
「ほう、これで髪は銀色?瞳は薄いブルーか。
出来すぎだな。男にしてはもったいない。」
「気に入った?マーサが拾ってきたのよ、森で。」
「いいね、この獣のような目がいい。」
「ホホホ!やっぱり!そう言うと思ったわ!」
勝手に喋る2人を睨み付け、男の杖をパシッと払う。そしてポンッと数歩下がって間合いを取った。
「あんた、何者だ?」
レディが問うと、聞いているのか男はイサベラの元へ行き彼女の手の甲にキスをする。
キザな奴だ。
「君は軍だろう?何故フリードの命を狙う?」
質問をするのはこちらだと言わんばかりの態度だ。答える気はないのだろう。ならばこちらも答える気はないと、レディがプイッと顔を逸らした。
「猫のように身勝手で、猛獣のようなツメを持つ。しかし獣は獣、力は持つが知恵がない。
お前はこの滅多にないチャンスを潰すのかね?」
空々しい顔で、つまり、無視すれば会わせないと、暗に語っている。
まったく、気分が悪い。
レディは大きな溜息をつき、着ていたパジャマの上衣をバサリと脱ぎ、ズボンをポンと脱ぎ捨てた。
マーサが、サッとドレスを広げて着る手伝いをしてくれる。
そして誘われるまま、ドレッサーの前に腰掛けた。
「俺はフリードに、個人的に恨みがあるんだよ。あいつを殺すのは俺・・俺じゃないと、駄目なんだ。軍は関係ねえよ。」
「ふむ、恨み・・か。随分冴えた恨みだね。
君からは、こう、ドロドロした物が感じられない。
普通、恨みを晴らそうという奴は、もっと情念が燃え上がっているものだよ。」
「悪かったな、俺は冷めてるんだよ。」
シャッシャッシャッと、マーサが髪を結い始める。慣れた手つきで綺麗にまとめ、編み上げて結い上げるとポケットから何かを取りだした。
「あっ!それ・・」
思わず顔を上げたそれは、あのポチと交信が出来る髪飾りだ。マーサが箱から取り出し、鏡に映してみせる。
「これ、硝子細工のようで綺麗でしょう?ですから使わせていただきますね。」

待て!それはまずい!
いや、でもそれで自分の無事がグランドに伝えられるなら・・
いや、今は・・会いたくない・・

あいつを殺して・・会うのはそれからだ。

そう思いながら止める気も起きず、その間にマーサがパチンと付けてしまった。
はたしてスイッチが入ったのか、レディは胸がドキドキ、気になって仕方がない。
しかしそれも場所が悪いのか、あのヘリから落ちたときに壊れたのか、ポチからの声はまったく聞こえなかった。

ポチ・・・グランド・・・

心が何故か、がっかりと落ち込む。
1人・・妙にそれが心に穿たれるように、寂しい気持ちが大きく膨らんだ。

コンコン、
「旦那様、お客様がお見えでございます。」

「ああ、わかった。じゃあ、出来上がりを楽しみに。恨みにまみれたミス・ポアゾン。」
「あら、それいいわ。ホホホ・・・」
ドアの外からの問いかけに、2人がさっさと出ていく。
残されたレディは、マーサに溜息混じりに鏡で目を合わせた。
「勝手なことばかりだな、お前の主は。」
「ええ、でもお優しい方です。きっと、あなたにも・・・」
「なんだ?」
マーサの手が止まる。
そしてじっと鏡に映ったレディと目を合わせた。
「きっと、あなたに人殺しなどさせたくないのですわ。」
「誰が?」
「イサベラ様です。」
「これだけ協力して、実は殺すな?つまり罠なのか?」
クスッとレディが薄く笑う。
マーサが首を振ってにっこり笑った。
「きっと、何かおわかりになると思いますわ。
うふふ・・マーサにはわかりませんけど。」
結局、曖昧な答えしか返ってこない。
「お前は、幸せなのか?」
「まあ、不幸に見えますか?」
うーん・・と大まじめに考える。彼女の笑顔が、作られた笑顔かどうかが良く分からない。クローンは、自然に仕事をこなす。
マーサはそんなレディを見て、クスクス笑った。
「妖精さんが言ったとおり、不器用なんですね。」
「妖精?」
「秘密です。さ、急ぎましょう。」
マーサは急に顔を締めると、ひたすらミス・ポアゾンを作り出して行く。
さっささっさとマーサの手が動き、髪が出来上がると今度は顔にパタパタベタベタ塗られてどうにも気持ち悪い。
「女って、みんなこんな事するのか?よく我慢できるな。」
「人間の女性は楽しむのですよ。変わるのを。」
ふうん・・
ぼやきながら、何処が変わるのか良く分からない。見かけだけ変わることでは、何も変わらないじゃないか。

あいつを殺せたら、その時何かが変わる。

そう思っている。
きっと、その時こそ心から笑えるときが来るはずだ。暖かい涙が流れるに違いない。
心のカセをはずせば、きっと全てが変わる。

「変わる・・・変われる・・・」
「ええ、マーサが淑女にして差し上げますから、もう少し我慢して下さいね。」
不思議に思いながら、マーサのすることにも興味が出てきた。
マーサも、あら?っとにっこり笑う。
良く笑うクローンだ。
作り笑いじゃないとしたら、情緒豊かで羨ましくさえある。

心から、笑ったことがあるのか?

ぼんやりと、誰かに聞かれたことがあると思った。あれは、少佐だったろうか・・
俺は、何と答えたっけ?
当たり前さ、と胸を張って言っただろうか?
いいや、きっと曖昧にごまかしたに違いない。

マーサ、きっと、お前は自信を持って答えられるだろうな。

レディアスは、鏡に映るマーサの顔が眩しくて、忙しく動く彼女の手先だけをじっと見つめていた。

 バラバラバラバラバラバラ・・・
サスキアから北に3時間、ヘリから降りて管理局アント支部へ降り立つ。
早朝サスキアを出て、すでに昼も近い。しかしかなり北に来ただけに、気温はサスキアより下がって寒い。
グランドとブルーがヘリから降りると、その後をソルトと2人の管理官が降りてきた。
建物からはヘリポートに、2人の軍人が駆けてくる。皆の前に出ると、チャッと敬礼して中へ案内してくれた。
「どうぞ、お疲れでしょう。少し休まれてはいかがですか?温かいコーヒーを入れましょう。」
狭い会議室に案内されて、安っぽいお茶が出された。
確かに疲れているかも知れないが、あまりそれを感じない。
「ポチ、本部に到着の連絡を入れて。」
「は?何か?」
グランドの独り言に、アント支部の女性職員が不思議な顔で首を傾げる。説明するのも面倒なので、グランドは苦笑いで首を振った。
「あの・・・クローンもご一緒でよろしいのですか?」
ソルトは、武器は持たず丸腰で研究所にあった黒い全天候型のスーツを着て、無言でグランドの隣りに座っている。
連行されているわけでもなく、彼らの同僚でもない様子に支部の職員もいささか怪訝な様子だ。
ブルーが手を上げ、ニヤッと笑った。
「いいんだ!今回の貴重な協力者なの。
連絡来てただろ?同行者にクローンがいるって。」
「は、失礼しました。」
敬礼して出てゆく彼女と入れ替わりに、支部局長が入ってきた。
全員が立ち上がり敬礼する横で、ソルトはぺこりとお辞儀する。
ここの支部局長は、本部局長と違って引退前の爺さんで穏やかだ。
にこやかに微笑み、ソルトの前に立った。
「こちらかね?その、ヴァインの教祖がいる場所を教えてくれたのは?」
「はい、今回は拉致されていると思われる特別管理官一名の救出が主な目的です。
教祖には連行して事情徴収できればと思います。出来れば拉致の首謀者の疑いで逮捕したいと思っておりますが・・確実な証拠を得るのは難しいでしょう。」
グランドがそう答える間に支部局長が座り、勧められて皆が着席する。
残念なことに、フリードの逮捕状は取れなかった。
あまりにも拉致が離れた所であったため、それをフリードが指示したと証拠が取れないのだ。
しかも、拉致の実行犯も確定できていない。
ただセピアが、フリードの元へ運ばれたことだけはあの、司祭と呼ばれる空港近くで逮捕された女から聞き出せた。
と言うか、無理矢理テレパスの力を借りて引き出した。

『羊飼いにより、羊を1匹確保。羊は女、バッファローは指示により牧羊犬が神の御許へ送った。』

あの、羊とバッファローがセピアであるという。
羊飼い、牧羊犬は特定できない。知らないらしい。
裏の世界では、誰がどうしたと言うとき、『誰が』はあまり重要ではないようだ。
全てが同士で平等であり、リーダーだけを決める。そして皆が崇拝する教祖だけのために働くのだ。
それにしても、バッファローがセピアと聞いてブルー達は苦笑した。
よくも付けた物だと思う。
さしずめあのシルバーフォックスはレディアスのことだろう。
自分が何と呼ばれているか、考えるのも馬鹿馬鹿しい。
ヴァインの間で特別管理官の6人を、何故コードネームで呼ぶ必要があるのか、ヴァインの裏の存在・・つまりテロ組織の話になると、女もテレパスだけに懸命に抗っている。ただ、確実に何かの目的があって、ヴァインには裏組織がある、と言うことだけははっきりした。
今は、それだけでも収穫だろう。
これを元に、ヴァインにも本格的にポリスの手が入りやすくなるはずだ。
そして、それは管理局の仕事ではない。
今はとにかくセピアの救出が最優先と考えられた。

 局長の隣りに立つ、まだ20代の青年がピッと敬礼してボードに何かを書き出した。
ここではみんなキリキリと敬礼する。
ブルーとグランドが、小さく溜息をついた。
変な話だが、本部より支部にいるのは疲れる。
本部ももちろんあいさつは敬礼ではあるが、グランド達兄弟はあまり敬礼にこだわらない。
軍に籍を置きながら軍人らしくないのは、まあ、軍から逃げたくても逃げられない自分達のささやかな抵抗だろう。
しかし彼らも、支部に来ると始終敬礼している。

『知らない奴に怒られるのは、気分が悪い』

などと、邪なことを言っていたのはシャドウだった気がする。
本当は、上官なんか、クソ食らえなのだ。

「・・・で、えー調査の結果、指摘の場所に一軒だけ対象家屋と思われる屋敷があります。
その屋敷の所有者はマフィアの1人であることがわかっております。」
「マフィアの屋敷?」
「はい、くわしく申しますと、マフィアのアキレス・マンセルの別荘の一つです。
山腹に建っておりまして、近くにはヘリポートや配送基地と、やや隠れた要塞基地のようにも見えます。
秘密裏に建てられたらしく、建設を請け負った業者も不明でして中の様子がまったく分かりません。」
ボードに上空から撮った映像が映し出される。
グランドが、ふうんと身を乗り出した。
「で?そこの緯度経度は?」
「えっ!緯度・・ですか?ちょっとお待ちを・・」
ガサガサと資料を慌てて探り、あせりながら顔を上げる。
「ええーと、北緯 44°06′30″、東経144°14′42″です。ここから更に1時間近くかかります。」
「うん、わかった。」
じっと目を閉じ、グランドが俯く。
そしてパチッと目を開けて、キョロキョロと辺りに視線を泳がせた。
「どう?」
ブルーが間にソルトを置いて、身を乗り出す。
「オッケー、わかったよ。確かにこりゃあ凄いところに建っているな。
ん?んー・・」
「どうした?」
「何だか・・やけにトラックが多いな。」
ブルーとグランドの会話は、他の人間にはまったく意味不明だ。
「中の様子まで見られたら、セピアが何処に監禁されているかわかるだろうにな。くそう・・」
「どうする?お二人さんよ。こうして捜査令状は取れているから踏み込むかい?」
同行の管理官シアークとルートが向かいでやや退屈そうに聞いてくる。
マッチョな管理官達は、頭で考えるより行動する方が得意らしい。遺跡の調査と言っても、クローンがいる事を前提として侵入調査する。
クローンの存在報告が無くても、思わぬ所にカプセルがあったりする。しかも最近は、クローンよりもクローン狩りに来たマフィアなどと交戦することが多いのだ。

「あ?え?」

呆然としていたグランドが、奇妙な顔でブルーに手を伸ばす。思わず皆がグランドに注目した。

「セピアだ・・」

「ええっ!うそっ!どこに!」
「庭に・・誰かと何か話して・・転がってる。」
「縛られて?」
「いや、手足は自由。うーん、表情まで見えねえ。でも、そうだなあ、楽しそうかも。」
「はあ?」
思わずブルーとシアーク達が声を揃えて首を傾げる。
「先程から、一体何事かね?」
支部局長が、怪訝な声を上げる。ブルーがわざとらしく立ち上がり敬礼した。
「は、失礼いたします。我々特別管理官は、いろいろと装備がありまして。」
「ふむ、装備かね?」
「はい、グランドは遠見が出来ますので、上空から様子を探っております。」
「遠見?」
「はい、詳細は極秘でして。」
ニヤリと笑う。特別管理官は、文字通り特別。
その能力などは、軍でも特非事項だ。
本部内でも一部の人間しか知らない。
「じゃあ、マフィアの別荘と言うことは、逸物あるなあ。こりゃあ簡単にいかないかも。」
シアークが、ワクワクした顔だ。
「だからお前等にも来て貰ったんでしょ。」
まったく、少しは心配しろい!
ブルーがブスッと呟く。
「では、こちらからも手数を出そうかね?」
うーん・・
グランドが考える。
ドッと多人数で押し寄せるべきか、少人数でひっそり訪ねるか?
いつも2人で行動するのが常だけに、こう言うとき手数を決めるのは苦手だ。
するとシアークが立ち上がり、ボードに映し出された屋敷の写真を指さした。
「グランド、ここまで来たんだ。
セピアはもちろんだが、あの、教祖にも用はある。相手は一癖ある奴だからな。
逃げられないよう、ポイントを固めよう。
この上空写真から見ると、この屋敷はヘリで出入りすることが多いようだ。危ない橋渡っている奴だからな、この分じゃあ屋敷にもヘリポートがあるな。」
「でしたら、屋敷の地下にそれらしい空間が。」
青年が、慌てて資料から違う角度で撮った写真を取り出す。
ふむとシアークが考え、ニヤリと笑った。
「ピンポイントで行こう、中と外からだ。外はヘリで、中は令状かざして突撃だな。いっそ屋敷の周辺は、考えない。」
「撃ち合いになったらどうするよ。」
ブルーが溜息をつく。
「俺達はマフィアに用があるんじゃねえ、ヴァインだ。じっくり説明して、わかっていただくさ。」
「先に撃つなよ。」
「まあ、銃は携帯するってだけさ。」
ニヤニヤと笑うシアークは血の気が多い奴だ。
それでもまあ、馬鹿じゃない。
局長の人選も、考えあってのことだろう。
では、ヘリの用意を。準管理官に用意させますので、出発を約1時間後に。」
「了解しました。では、よろしくお願いします。」
皆が立ち上がり、敬礼して支部局長達が部屋を出てゆく。
見送ったあとドスンと椅子に腰掛け、ブルーが肘をついてソルトを見た。
「で?あんたは俺達と同行で、オッケー?」
「私は捜します。彼を。」
「つまり別行動か。信用していい訳?中にレディがいるかどうかもわかんないだろ?」
「僕は、サンドの元へ彼を連れて行くのが目的です。」
「じゃあ、主様に来いって言われたら?」
「僕の・・・僕の主は、もうフリード様ではありません。」
ハッとして、グランドが顔を上げる。
「誰だ?まさか・・・サンド?」
クローンが、クローン同士で主になるなどあり得ない。しかしソルトはゆっくり首を振り、何も答えなかった。
「レディアスが・・もしいなかったら、我々と戻る。約束できるか?」
「できます。」
すんなり答えが返ってくる。
フリードが、はたして「元」主であるならソルトにも抗うことが出来るだろう。
しかしあれだけの騒ぎを起こしても、連れ戻そうとしたのだ。
どれほど彼にとっても危険か、計り知れない。
「お前・・死ぬなよ。」
「僕は、サンドと生きる、そう決めたんです。」
キュッと唇を噛み、宙を見つめている。
その一途な気持ちに、グランドが目をそらしてキツイ声で言った。
「レディアスに過剰な期待をするな。お前がもしあいつに危害を加えたら、俺はお前を殺すかもしれない。」
「わかっています。」
横で聞いていたブルーが、立ち上がりグランドの横に来た。
グランドの肩を叩き、ギュッと肩を掴んで力付けてくれる。ブルーには、ずっと気を張っているグランド自身も心配だ。
セピアの場所ははっきりしていても、レディは依然行方不明だ。
本当に、その屋敷にいるなら・・でも、フリードの元でレディがいると言うことは、捕らえられていると思って間違いない。
フリードを殺すことを心に決めているなら、それはセピアとは随分立場が違ってくる。

捕らえられて、生きているのか、それとも・・死・・

「ブルー。」
ビクッと、ブルーの手が跳ねた。
その手を、ギュッとグランドが握り返してくる。そして目を合わせ、ニッと笑った。
「グ、グランド・・俺。」
心を読まれたかと思ってドキドキする。そんな力、無いとわかっていても。
「生きてるって、信じてるから、俺。
フリードに会えば、何か手がかりがありそうでさ。まあ、やるだけやろうや。
セピアだけでも、無事がわかって良かったぜ、な?」
「ああ・・ああ、そうだな。グランド、さんきゅ。」
「へへっ。」
グッとグランドが親指を立てる。
その顔は、いつものグランドだ。でも、ブルーには、彼の心に不安が渦巻いているのが見える。それはソルトも同じだ。

「あいつ・・・馬鹿なこと、考えてるんだろうなあ。馬鹿・・野郎・・」

小さな声で、グランドが呟く。
本当に、フリードはあのレディアスのクローンと同一人物なのか。
ただ今までの状況から、総合的に見てフリードはレディアスのクローンであり、ヴァインの教祖であると見ている。
しかし、何も確証がない。
レディのクローンは、瞳の色もクローン特有の紅い瞳ではない。ピアスは作ろうと思えば作れる。クローンである証拠にはならない。
だからフリードは捕らえて、DNAを調べなければクローンであると確実に言えないのだ。
今の状況で、フリードの命を狙うのは懸命ではない。つまり、レディが今、仮にフリードを殺すと、悪くすると殺人容疑がかけられる。
兄弟は皆、それを一番心配しているのだ。

もう、離れたくない・・二度と。

引き離された戦争時代。それを知るからこそ、レディの気持ちも分かる半面、グランド達も心配なのだ。
心配してもしても足りない。
ブルーはそう思いながら、その想いがレディアスに、ほんの一端でいいから届いて欲しいと、心の中で願いながら屋敷のある方角の青い青い空を、眩しい顔で遠く見つめた。




 美しい音楽が流れ、着飾った人々が集い、いつもはひっそりとした谷間の屋敷が華やいでゆく。
人々は遠くより自家用ヘリを使いヘリポートへ降りて、そして用意された車で屋敷まで案内されてきた。
出迎えは、マンセルの屋敷より赴いた使用人が指揮を執り、ヴァインの信者はあまり見受けない。
ベールを被り、白装束を身にまとった清楚な信者も、この華やいだ席では無粋に見える。
しかし、このパーティーの主役の席に立つフリードのまわりには信者が数名傅き、慣れない席にただ教祖の身を護るために囲んでいた。
「まあ、ごきげんよう、フリード様。今日もベールをお取りになりませんの?」
「ああ、失礼します、ベリエ夫人。私は、これが標準ですので。しかし、美しいあなたのお顔ははっきりと見えますから、安心してください。」
「ま、お上手だこと。ホホホホホ・・」
高らかに笑うこの女、マンセルの後ろ盾にヴァインと手を組む製薬会社会長の愛人だ。
おもての製薬会社の裏で、この女は未承認の薬や合成麻薬、兵器となる数々の薬品の製造に手を染め、一手にまとめ上げては軍の上層部とも繋がりがあると言われている。
自分に利があると思えば、誰彼構わず金によって行く悪魔のような女だ。
パーティー会場で、上品に話をしては微笑み合う、一見平和的なこの人々も、全てマフィアと繋がりがあり、そしてこれからこの国を騒がすヴァインとの繋がりに、挨拶がてら寄ってきているハイエナ共なのだ。
 ザワザワと、急に人々が騒がしくドアの方に注目する。
「皆さんごきげんよう!本日はこのような辺鄙な場所へようこそ。」
イサベラを連れたマンセルが拍手で迎えられ、冗談にクスクスと笑いが漏れる。
「今宵は美しい貴婦人と語らい、踊り明かしてゆっくりとお過ごし下さい。」
軽く頭を下げるマンセルに拍手を送り、また語らいに戻ろうとした人々が思わず見入って話を止めた。
シンと一瞬静まり、次にヒソヒソと女達が囁き合う。男達は、言葉を忘れた。
スッと、マンセルの後ろに現れたのは、黒いドレスに毛皮のショールを羽織った美しい女。
痩せて不健康にも見えるその女は、儚くも退廃的に見える中に、どことなく野性味さえ帯びて不思議な印象を与える。
細いドレスの中で優雅に歩くたびにドレスの裾が揺れ、銀の毛皮のショールがフワフワとなびく。
彫りが深く、尖った鼻先に、美しく整った眉。切れ長の眼は、瞳も地味なブラウンだというのに漆黒の髪に映えて、まるで琥珀のように美しい。
あまりにも整った顔立ちは、歴史に名を馳せる彫刻家が命を賭けて掘った美の化身のようだ。
「ミスター、あの方はどちらの?」
皆気になりながらも、あまりの美しさに気が引けて、ドッとマンセル夫妻に集まり聞き耳を立てる。
「フフ、気になりますか?あれは拾ったんですよ。」
「拾った?」
「ええ、フリードを殺したいというのでね。」
「まあ!」
「それは楽しみだ。」
クスクスと、華やぎの中で違和感さえある白装束にベールの青年に皆の視線が集まる。
「それは素敵な趣向だこと。」
「楽しみだわ。」
殺すという言葉が真実でも、この人びとには大した事ではない。こういう場では、余興の一つでしかないのだろう。
うっとりと見とれていた老人が、マンセルにぜひと寄ってきた。
「しかし美しい、譲って貰えませんかな?」
「さあ、あれは私の物ではありませんので、妻の拾い物なんですよ。それに実は男なので。」
「まっ!素敵。」
「おお、それは面白い。」
ますます人々は喜び、ワクワクと見守る。
女装の麗人は勇気を出して話しかける男達を次々と断りながら、自分では目立たぬように部屋の隅へと逃げているようなのに、まったくそうではないところが見ていて面白い。
「では、殺せる方に100万ダラス。」
「私は殺せない方に50万。」
賭け事まで始まり、当の本人は知らぬ所で何があっているのかさえ気が付かない。

疲れる・・

慣れない雰囲気に、思ったより邪魔が多くフリードに近寄ることが難しい。
気が、沢山の邪な気が多すぎる。
気分が悪い。
「どうぞ、お飲物を。」
クローンのメイドに差し出されて首を振った。
「御加減がお悪いのですか?」
「慣れてないだけだ。」
「そうですか、外へ出られると気分も変わると思いますが。」
にっこり清々しい微笑みに、何となく研究所に暮らすクローン達を思い出す。
フッと微笑み、シャンと背を伸ばした。
まったく、なんて集まりだろう。これだけタヌキとキツネが集まると、こうも気分が悪いのだろうか。
「お嬢さん、別室で休みませんか?」
スッと後ろから、耳元に囁かれた。
よろめくフリして、ピンヒールでギュッと踏む。
「ギャッ!し、失礼。」
「フンッ」
報復して、ちょっと元気が出た。
濁った空気で深呼吸しても気分が悪い。
バルコニーから外へ出て、外のひんやりした空気を吸っていると、緊張した人の気配を感じる。
まだ夕暮れの美しい空の下、バラの咲き誇る美しい庭園には、目立たないように数人の警備の人間がスーツ姿で立って辺りをうかがっている。
ハンドガンに、自動小銃を持つ者もいる。
物騒な物だ、やましい奴らが集まるなら、このくらいしなければ落ち着かないのだろう。
ビクッと顔を上げて遠くをうかがう。
ヘリの音が、複数機混ざって聞こえる。まだ客が遅れてきているのだろう。
その中に、軍のヘリの音が聞こえた気がした。
いや、気のせいか。
軍のヘリは、民間のヘリやここにいる金持ち連中のヘリとも音が違う。だが、ここまで一物有る奴らが集まるところでも、マフィアが主催するパーティーとかに軍の侵入を許すだろうか?
撃ち落とされるの覚悟で来る馬鹿はいねえさ。
フッと笑って顔を上げたとき、警備の男と目が合った。にっこり微笑むと、赤い顔して目をそらす。
可愛いもんだぜ、馬鹿野郎。
クスッと笑って、目を閉じた。

俺は、ここに何をしに来た?
殺しに来たんだ、あの、男を。

何かを変えるために・・

グランド、ブルー、セピア、グレイ、シャドウ、それからだ。それから、ようやく俺は、みんなと同じ所に立てる。きっと・・
俺は、生まれ変われるんだ・・
グランド、もう少し・・そしたら、俺は普通になれる。
俺は、みんなと同じになる!

カッと目を開き、決意を決めた。
スウッと心が冷めてゆく。
殺意を持ちながらそれを消すのは慣れている。
人形と、呼びたければ呼ぶがいい。これが、最後だ。

くるりと会場を振り向き、中へと扉を開ける。
ザワザワとした魑魅魍魎の中で、獲物は清涼な雰囲気を漂わせながら宗教者善としている。
レディアスの気配を消した姿に、この人混みでありながら誰も気が付かない。
レディアスはツカツカとまるで引き寄せられるように近づきながら、雑音の中でフリードの声だけが、忘れていた昔の自分の済んだ声で響いて聞こえていた。

 一機の大型ヘリが、爆音を上げて屋敷近くを飛ぶ。
そして屋敷で警戒する男達をよそに、近くまで来て低空まで降りてくると、ロープで次々と管理局の管理官達が物々しく武装して降りて来た。
濃い紺色の全天候スーツに、ボディアーマー。そして数あるスリットには背中にぶら下げる自動小銃のマガジンが数本、腰にある銃のマガジンが数本、他に沢山あるポケットも、数々の武器が満載しているのだろう。頭には防弾性に優れ、通信機を備えた真っ黒のヘルメット。
軍の特殊部隊並みの装備は、管理官の正規の特武装で、グランド達は数えるほどしか着用したことがない。
今回は、人間相手なので仕方なく着用してきたのだ。実際、やたら手が出せないだけにクローンより人間相手の方が分が悪い。
屋敷の門の先では、警備主任を務める一物有りそうな男が、部下を引き連れ立ちはだかっている。
バラバラと降りてくる20人近い兵士並みの武装をした管理官に、屋敷の人々は緊張が走っていた。
ザッと、グランドが前に出て一番偉そうな男の前に立つ。
男は、舐められるまいとでもするように、ツンと顎を上げてグランドを見下ろした。
「軍が大変な騒ぎですな。ここをマンセル一家の屋敷と知っての無礼ですかな?」
「ああ、じゃあ間違いないね。
ここにヴァインの幹部がいるはずだ。俺達はその幹部、代表者に用がある。これが令状だ、入らせて貰うよ。」
一歩踏みだそうとするグランドの前に、ズイッと大きな体格をした男が現れた。大きな、グランドの顔が隠れるように広げた手を付き出してくる。
「お待ちを、中はパーティーの最中でございます。お客様のご迷惑になりますので今日のところはお引き取りを。」
フンッと、グランドが手を払い除ける事もせず不敵に笑う。
「関係、無いね。」
サッと手を繰り出し、合図にバラバラと管理官達は屋敷へ突入していった。
「ま、待てっ!待て!」
追いかける男の目に、部下が銃を構える姿が見える。ハッと、慌てて指示を出した。
「撃つなっ!先に撃つなっ!」
クスッと、グランドが馬鹿にしたように笑う。男は苦々しい顔で、仕方なく頷き舌打ちした。
「パーティ会場への無礼はゆるさん。いいか、マンセルの顔に泥を塗ったら軍と言えども管理局ごとき、明日もあると思うなよ。」
「いいさ、俺はその方がいいね。管理局は嫌いなんだ。
・・みんな、パーチイ会場への無礼はゆるさんとよ。よろしく。」
ヘルメットに装備されたヘッドホン式の無線で伝える。
耳には皆の、軽妙な返答が次々に入ってきた。
グランドが、男と睨み合いながら聞く。それが一番重要事項だ。
「ここに、セピアって赤毛の女が来ているはずだ。どこにいる?
それと、銀髪の痩せた男を知らないか?」
「さあ、俺はしらんね。」男は、ヒョイと肩を上げておどけてみせる。
グランドはムッとしながら、ドンと一歩踏みだした。
「もっとよく考えろ!俺はガキの使いじゃねえんだ。」
「ふん、知らない物は知りませんね。」
隣のブルーが、グランドの肩を叩く。
「行こう、こいつ等は知らない。」
ブルーに引かれて、グランドが男を睨み返し屋敷へと急ぐ。すると玄関先にいた執事らしい男が、2人の前に出て深々と頭を下げた。
「どうぞ、主人がお待ちしております。」
「ふん、主人は物わかりがいいらしい。」
「警備の者の無礼をお許し下さい。彼らの仕事でございますから。どうぞ。」
執事はまるで足音を立てないような、滑るような歩き方で先を行く。
優雅な歩き方は執事らしいと言えばそうだが、後ろ姿にも隙がない。2人はピリピリとしながら、後を付いていった。



 美しい音楽が鳴り響き、会場から淑女を連れて紳士が美しい花で飾られた廊下へと出てきた。
淑女の手を取り、紳士が近くのメイドを呼び止める。
しばし疲れたので、部屋に案内して欲しいと言いながら、ヒソヒソ淑女の耳元に囁いてはクスクスと笑い合う。
「では、こちらに・・」
メイドが振り向いたとき、

バタバタバタバタ

いきなり武装した兵士が3人の前後を駆け抜ける。
「な、なんだ?」
パーティー会場を中心に、銃を構えて兵士が配置される。
リーダーらしい男が会場から責任者を呼ぶようにメイドに伝え、ヴァインの幹部を呼び寄せる。
紳士と淑女は、謹んで会場へと戻り、ワクワクとした面もちで会場内の皆に外の様子を伝えた。
「面白い。」
「まあ、ワイルドな趣向ですわ。」
このくらいで動じない人々は、まったく変わらない様子でケラケラと笑いながら、これからの展開を予想しあっていた。



 あふあふと、欠伸が出る。
上品に着飾っても、中身はセピアだ。
パーティーなんてずうっと憧れていたのに、実際来てみればおじさんとおばさんばっか。
チヤホヤされるフリードの後ろで、ジイッと立っているのも退屈だ。
にっこり微笑む紳士も、自分に利のある女でなければ、余程美しくでもない限り声をかけてくる者はいない。
セピアもダンス一つ踊れるわけもなく、話せばボロが出るだけに「にっこり微笑んで黙って立っていろ」それがフリードの側近から言われた言葉だ。
それが出来なければパーティーから追い出される。
それだけフリード達は、この政財界の人々との接触を重要視しているようだ。
それにしても、後ろから見ていると、フリードはいつも側近に囲まれて守られている。
こんな所で、命を狙われるなんて考えられないのに、余程やましい事ばかりしてるからよと、セピアはクローンメイドの差し出す軽食をトレイごと貰った。

 フリードの元に、クローンが1人急ぎ足で報告に来た。
ん?とセピアも聞き耳立てる。
「・・に、管理局の・・が」

来たっ!!

ガチャンとトレーを傍らの信者に渡し、思わず立ち上がる。
見透かしてフリードが、ギロリと振り向いた。
「セピア、動くな。」
クイッとフリードが首を振ると、信者がセピアを囲む。
チェッと舌打ちしながら、セピアがそれを突破しようとしたとき、何かナイフのような、研ぎ澄まされた冷たい物を感じた。
ドキッと、会場を見回す。
この、この何か言いようのない気配。
いや、気配ではない。
あまりにも綺麗に消されながら、それでいて息をひそめたような。
普通の人間には感じ得ないだろう。まるで広大な森のただ1本の木の一枚の葉。
それが何故だろう、何か、懐かしい・・
その時ハッと、セピアが目を奪われた。
華やかで美しい貴婦人の中を、ひときわ黒く美しい鳥が舞い降りるように泳いでくる。
それが、まるで砂の中の一粒の砂のように自然でよどみなく、あまりにも違和感がなさ過ぎてしかも綺麗に気配を消している。

レディ!

こんな事が出来るのは、彼しか知らない。

至上最高の殺人機械。

そう軍の上官が絶賛し、グランド達と喧嘩になったこともある。
でも、これがそうなのだ。
目の前で殺されても、誰も彼がやったとは気が付かないだろう。
彼がいたことさえ気が付かないだろう。
これ程の人に囲まれ、あれ程美しくさえあっても。
セピアはフリードに駆け寄ろうとしながら、背中がゾッと凍り付いていた。
初めて、レディを恐ろしいと思う。
綺麗で、怖い。
だから好きなのかもしれない。
「管理局は令状を持っています。正規の調べですから、断りを入れるのは困難です。」
ハッと気が付くと、フリードのまわりでヒソヒソと信者達が話し合っている。
レディはすでに目前にいるのに、誰も気が付いていない。
セピアはサッとフリードに飛びつき、グイッと腕を引いた。
「フリード、出よう。外に出ようよ。」
「セピア、まだ・・うっ!」
ピッと、いきなりフリードのベールが鼻先で切れた。
何があったのかわからない。
ハッと振り向くフリードの首にスッと2本紅いスジが付き、アッと思わず押さえる。
「な、何が・・あっ!」
ヌルリと血が流れ、庇うように前に立つ信者の頬にまた2つ何かが刺さって思わず押さえた。
「フリード様!引いて、引いてください!銃?いや、一体なんだ?」
「フリード様、こちらへ!廊下は兵士が待ち受けています!」
信者に導かれてセピアがフリードの手を引き、慌ててドアに向かう。
「早く!フリードったら!」

もう!あたし何してんだろう!

セピアは自分が何をしているのか、何を考えているのかわからない。
フリードがここで死ねば、ヴァインは統率力を無くして怪しい動きもなくなるに違いない。

でも!でも、それじゃ駄目なのよ。
レディ!レディ!レディ!駄目なのよ!

スッと、ドアに手を伸ばすセピアの手袋が切れた。
「キャッ!」
一体、何?
壁に刺さった何かを取り、ドアから飛び出す。
「セピアッ!一体何者だ!これは何だ?!」
隣の部屋から裏へ抜ける隠し廊下をフリードの手を取り、先を走る信者と護衛のクローンの後を追う。
手の中の物を見ると、それは何と爪に付ける装飾のための付け爪だった。
「まさか、こんな物まで武器にするの?」
セピアが驚き、呆れながら振り返ると、まだ彼は追ってこない。
その時いきなり、フリードの足が止まり腕を引っ張られた。
「キャッ!フリード?」
危ない、慌ててストップした。セピアの力は、彼を容易に振り回す。
「44B!帰ってきたのか!」
顔を上げ前を見ると、そこには美しいグレーの髪を肩で切りそろえた兄弟の姿。
「あっ!グレイ・・じゃない。」
しかし彼の瞳は紅く、見慣れた宝石のようなグリーンの瞳はない。しかも彼は、フリードの姿に跪いて頭を下げた。
「お久しぶりでございます。」
「44、何をしていた!何故帰ってこなかった?!」
ソルトは傅いたまま答えない。
「44、私を・・主を裏切るか?それ程死にたいのか?」
「・・・私は、もう、わからなくなったのでございます。主とは何か、わからなくなったのでございます。」
フリードが、クッと忌々しげに顔を上げる。
そして、同行しているクローン2人に、ソルトを指さして冷たく言った。
「殺せ、不良品に用はない。」
「いいえ、私は死にません、フリード。」
ソルトが立ち上がり、フッと消える。そしてテレポートでフリード達の背後に立った。
「その力、惜しいからこそ大事にしてやったのだぞ。・・44!!」
「44ではない、私の名はソルト。
クローンも同じ命、ならば生きる権利はあるはずだ!フリード!」
「貴、様、貴様、貴様っ、気が狂ったか?!クローンの分際で、身の程知らずが!」
カッとフリードが目を見開き、ソルトに向けて気を放つ。

バーンッ!!ガシャンドーン!!

ソルトが立っていた後方の壁が吹き飛び、向こうの部屋まで突き抜ける。しかし、そこにはソルトの姿はなく、もうもうと立ちのぼる煙の向こうに現れたのは、冷たく触れれば切れそうな気をまとった、美しい黒衣のドレス姿で立つレディアスだった。




 「ヴァインの代表者を引き渡して欲しい。」
突入してすぐに別室に通されてグランドとブルーが、ソファーにのんびりと座るマンセル夫妻に静かに告げる。
ふうっと煙草の煙を吐いて、マンセルは組んでいた足を組み直した。
「まあ、それは彼ら次第だね。私はただの友人だよ。」
のんびり答える姿に、グランド達が心の中で舌打ちする。包囲は済んではいるが、急ぐだけにイライラしていた。
「素直に引き渡せ。逃亡に手助けをしても、あなた方の為にはならないよ。」
グランドの声の静けさの奥に、チリチリと強烈な圧迫感を感じる。それにホウッと頷きながら、イサベラがクスッと微笑んだ。
「私達は彼に、この屋敷を貸していただけよ。それ以上何をしてやる義理はまだないわ。
それより・・もっと聞きたいことがあるんじゃなくて?」
チッとグランドが舌打ちしてブルーの顔を見る。頷き合って踏み出し、真剣な顔で問うた。
「赤毛の力の強い女と、銀髪の痩せた女みたいな男だ。教えてくれ。」
軽く聞いたように装うが、真剣さにボロが出たのだろう。イサベラが楽しそうに笑う。
「あんた達、どういう関係?」
「兄弟だ。」
「似てないわね・・で?どっちがグランド?」
ビクンとグランドが目を見開く。思わず駆け寄ろうとする彼を、ブルーが腕を取り止めた。
「まあ、落ち着きなさいな。森に落ちたヘリから助けたのは私のメイド。
高い熱でもらした言葉がグランドってわけ。」
「熱?・・・あの馬鹿、だからまだ・・」
だから医者の言うことは聞けと言うのに、突っ走りやがってとグランドがつぶやく。
イサベラは煙草に火を付けながら、顔を上げた。
「彼は、ここにフリードを殺しに来てるわ。」
「馬鹿なことを。」
やっぱり・・と、グランドが唇を噛む。ますます気が焦って、ついに声を荒げた。
「地下にヘリポートがあるのは知っている!どこから入る?荒らされたくなければさっさと答えろ!」
「グランド。」
ブルーが腕を掴み、落ち着けとテレパシーを送る。相手は怒鳴って言うことを聞くような輩ではないことは知っている。
マフィアも幹部になればなるほど気位が高いのだ。
しかしイサベラは怒る気配もなく、スッと優雅に立ち上がるとパチンと指を鳴らす。
スッとドアから、身体にフィットした黒のスーツを身に付けたマーサが現れた。
「これは私の大切な娘。この子が地下へは案内するわ。」
「マーサでございます。地下のヘリポートへご案内いたします。どうぞ、こちらへ。」
それは娘と言えどもクローンだ。しかし顔を上げたその瞳は、研究所で働くクローン達を思い出させて清々しい。
「信じていいのか?」それでもこの状況だけに、聞かずにいられない。
マーサはにっこりクローンらしくない生き生きとした顔で、優雅に頭を下げる。
「私はレディアス様のお世話をしておりました。お優しくて、私はあの方を大好きでございます。今はこうして、ご無事を思うばかりでございます。」
信じてくれと言われるより、まるで恋を語るような言葉は何よりグランド達を納得させる。
ブルーがポンとグランドの肩を叩き、頷き合う。そしてマーサに力強く頷いた。
「よろしく頼む、あんたを信用しよう。」
「では、急ぎましょう。どうぞこちらへ、お早く。」
マーサの後を付いて、ドアを出る。
ドアを閉める間際、ブルーが振り向いた。
「何故?あんたの意識はヴァインよりレディアスに傾いている。あんたはフリードを助けたいわけじゃない。
何故?ヴァインを保護しているんじゃないのか?」
フフッとイサベラが身体をしならせて、マンセルの椅子に寄り添う。
「私はね、小さい頃から殺し屋だったの。だからあの子の気持ちが良く分かるのよ。
伝えなさい、誰を殺さなくても、あなたは一人の人間だと。」
ブルーがニヤッと笑って、親指を立てる。そして彼らは姿を消し、バタバタとした喧噪のあとでイサベラはキュッと煙草をもみ消した。
「何か変わりそうな、そんな気がしていたわ。殺しをするたびに。
何故そんな気がしていたのか知らない。でも、今ならわかるの。」
「イサベラ」
マンセルが彼女の手を取りキスをする。
「大丈夫、彼は逃げ出せるよ。心の闇から。」
「ええ、そうね。彼が身近な愛情に・・愛する人に気が付けば。」



 部隊の半数を引き連れ、皆がマーサの後を追って地下への薄暗く狭いヘビのようにグルグルとした通路を下って走る。
そこには3カ所のポイントに生体識別装置があり、容易に入れないようになっているらしい。さすがマフィアの屋敷だろう。
しかし1カ所目のポイントで、マーサがキーとなり解除を行いながら声を上げる。どうやらオンラインで繋がる各地点にあるこの装置を、解除した過去の履歴を見られるらしい。
「グランド様、他の通路にある装置も、解除された記録がございません。このまま行かれますか?」
「通ってない・・つまり、フリードはまだ地上なのか?」
マーサが解除を済ませ、ドアを開けながらくるりと振り向く。奥からは、ひんやりとした空気が流れてきた。
「ここは最短経路です。フリード様はどの経路をご存じか私は存じません。」
「他にいくつ道はあるんだ?」
「はっきり申し上げられませんが、複数ございます。大きな岩盤を突き抜けた下にヘリポートはありますから、岩盤を避けた他の道順はかなり遠回りなのです。」
しかしあのマンセル夫婦のことだ、ヴァインには遠回りの道順を教えたに違いない。
グランドが振り向き、ブルーの腕を掴む。そして頷いた。
「わかった、じゃあ俺達は上に戻るよ。俺の当てにならない胸騒ぎがするんだ。先に言ってくれ。」
「でも、私はどうしたらよろしいのでしょうか?」
確かに、マーサは2つを同時に案内できない。
「じゃあ俺達も行こう。」
シアークが前に出る。しかし、グランドは彼の腕をポンと叩いて首を振った。
「ブルーと2人でいいよ。ブルーなら探せると思うんだ。元々俺達はペアで慣れてる。」
どこか強い口調は、足手まといだと暗に言っているのだろう。シアークはあっさり引いた。
「了解、無理するなよ。じゃあ先に下で待つ。」
「ああ、了解。じゃ!」
 皆と別れてグランドとブルーが引き返し始める。
ハアハアと息を切らせて、グランドはやたら装備を重く感じていた。
「くそー、いつもはこんな重い物なんか持ってねえからな。」
「はは、グランド、デスクワークで身体がなまってんじゃねえの?」
「るせえよ!ブルーだって息が・・切れてねえなっ、くそう馬鹿野郎!俺はここんとこ寝てねえんだよ!」
「俺だって寝てねえよっ。」
ガチャガチャと、背中に回した自動小銃が一番重い。大体グランドは、銃なんて撃っても当たりはしないのだ。それを、牽制のために持ってきている。軍の備品だけに、重いからと捨てるわけには行かない。
やがてバッと通路を抜けて一室の隠し扉から躍り出ると、廊下に飛び出て左右を見回す。
「どっちだ?ブルー!」
「向こう、かな?どうも人が多すぎて雑音が多い。」
「はっ、当てにならねえ奴。」
ブルーがムッときて、ビシッとその方向へ指をさす。
「向こうだよ!絶対っ!!」
「はずれたら殴るぞ!」
「殴れよ!」
走り始めたグランドに、いきなりポチから通信が入った。
何かいい情報なのか、グランドが小さく感嘆の声を上げ、パッと明るい顔でグッと親指を立てる。
「ブルー!大当たり!髪飾りからの発信が一瞬再開できたとよ。確かに向こうだ。」
「髪・・って、通信機か?じゃあ、通信は?」
「駄目だ、壊れてる。」
「カーッ!使えねえ!グランド!」
「俺、先に行く!」
ブルーの前でいきなり、グランドがドサドサと身体中の武装を捨てながら、走るスピードを上げる。
「ああもう、俺だってセピアが心配なのによう。」
ブルーは舌打ちながら、彼が落とした荷物を拾い集め、泣きたい気持ちをうち消すように後を追った。

「貴様はっ!」
フリードの悲鳴にも似た声が辺りに響き、フリード達の動きがスローモーションのように動く中を、レディが滑るように駆けてくる。
バッと、反射的に前に出た2人のクローンの撃つ自動小銃の銃弾は虚しく宙をさまよい、迫るレディに一人のクローンが銃身を振り回す。それを鮮やかなダンスのようにレディがかわし、懐に滑り込んでドスンと重い突きをみぞおちに当てた。
「グガッ!」
グシャッと胸椎がまるで潰れたような音が響き、クローンが血を吐きながら腕を振り回す。
レディはその手をポンと上に跳ね上げ、肘の関節にドンとアッパーを入れる。
「ギャッ!」
ゴキッと骨が折れて悲鳴を上げ、後ろにのけぞったところでこめかみに、とどめとばかり両手を組んで拳を振り下ろす。
クローンは、声も上げず耳や鼻から血を流し、白目をむいて倒れた。

恐らく、即死だ。

まるで機械のように、正確に急所に打ち込むその鮮やかな手さばきに、皆が呆然と思わず見入った。
クイッと、レディが身体を起こして冷たい顔をフリードに向ける。
ヒッとフリード達が息を飲むと、もう一人のクローンが慌てて前に出て、震える手で小銃を片手に持ち、差し出すように向ける。
引き金を引く瞬間、レディはその銃身を上に向けながら掴み、思い切りクローンののど元へ向かってドッと突く。
「グエッ!」
声を上げてひるむクローンの頬を横凪に殴り、銃を奪い取ってくるりと流れるように後ろへ回ると首を取り、グイッとその細い指でねじった。

ゴキッ

首から鈍い、骨の砕ける音が辺りに響く。
声も上げずビクビクと痙攣しながら崩れ落ちるクローンの首を掴んだまま、くるりとレディがフリードを振り返る。
「ひいっ!」
アッと言う間に素手で2人のクローンを倒した女のような男に、フリードの側近の一人が腰を抜かし、そして一人が気を失って倒れる。
美しい黒衣の貴人は手に死体をぶら下げ、まるでその姿は死の女神か闇から生まれた魔の化身のようだ。
戦闘経験の少ないクローンには、まったく歯が立たなかった。

何という、恐ろしい殺人機械か

思わずすくみ上がるフリード達を前に、ドサリと死体を放る。そしてクローンから奪い取った片手の銃を、迷いもなくスッと上げた。
「レディ!!」
ハッと気を取り戻したセピアの身体が、恐怖を振り切ってフリードの額を狙う銃先にバンッと手を振り上げる。
タタタタタタタタン!!
ガチャンッ!「キャッ」
天井を撃つ、弾が走りシャンデリアがバラバラと砕け落ちる。
「レディ!」
ビイイーッと音を立て、セピアがドレスを裂きながらレディに蹴りを繰り出した。
しかし、レディはスッと身体を引き、蹴り出された足にバシッと手を添えヒュッと上へ勢いをつける。
「ギャッ!」
セピアは思いきり軌道を狂わせ、グキッとヒールを折ってひっくり返る。
「まだまだ!」
しかし床に倒れる寸前、右手で手を付き、それを軸に思い切りブンッと横から蹴りを繰り出す。
タンッと、足音を残して視界からレディの姿が消えた。
「え?ギャンッ!」
レディの細いヒールが彼女の肩を踏み、難なく彼女の頭の上を飛び越えてゆく。
「ふむー!こなくそっ!」
さっさとセピアを置いて逃げるフリードの後を追うレディに、セピアも意地になって靴を脱ぐと思いっ切り投げた。
しかしレディは後ろに眼でもあるのかスッと避ける。
「あ、」
靴はフリードと一緒に逃げる信者の頭に当たり、ばったり倒れてしまった。
「行かせないっ!行かせないよ!」
ヒュッとレディの前方に、ソルトがテレポートして両手を大きく広げ立ちふさがる。
しかし、レディの足は止まらない。
「どけっ!」
邪魔をするソルトに、レディが右手を振りかざして襲いかかる。
「あ!」いきなりの攻撃に避けるソルトの動きが遅い。
「レディ!駄目え!」
セピアが叫び、レディの腕がソルトの首に掛かる瞬間。

『駄目!』

ブワッと光が生まれて、それはソルトの前で人の姿を取り、立ち塞いだ。
「シュ・・」
シュガー!!
ギクッと、レディアスが動きを止める。

『もう、これ以上・・・傷つかないで・・』

息を飲み、手を引くレディアスに、フワリとシュガーの輝く姿が大きく手を広げて飛んでくる。

『私は、あなたをずっと愛してる・・』

「シュ、シュガー・・」
数歩引いて恐れるレディの顔を優しく包み込み、唇にそっと口づけをしてシュガーは消えた。
「ああ・・ああああ・・・・」
レディが叫びを上げて、胸ぐらを掴み苦しそうに身体を丸める。
イヤだ・・もう嫌だ!俺を、俺を責めないでくれ、嫌だ!
ああ、苦しい、苦しい、苦しい、息が、詰まる!
誰か・・グランド、グランドッ!!

「レディアスッ!!」

廊下に、声が響き渡った。
へなへなと座り込むソルトを別に、セピアとレディがゆっくり振り返る。
「レディアス!迎えに来たんだ、帰ろう。」
グランドが、スッと両手を差し出す。
その顔は厳しく、そしてレディアスの顔と見つめ合うと、フッと優しくなった。
「グ・・ランド・・だ、駄目・・今は・・」
レディが戸惑いながら、一歩下がる。
「何故だ?!何をこだわっているんだ!」
「駄目なんだ!」
ヨロヨロと、またフリードに向かって走り出すレディの足に、ソルトがしがみついた。
「お願い、お願い!サンドを、彼を助けて!」
「な、何を・・離せ!」
「レディアス!」
ダッと勢い良く駆けてきたグランドが、レディアスの身体に飛びついて抱きしめる。
「離せ!俺は、やらなきゃ駄目なんだ!今のままじゃ駄目なんだ!グランド!」
「いやだ、もう絶対逃がさねえ。」
もがくレディの身体をしっかり抱いて、逃がすものかとグランドがギュッと締め付ける。
「くっ!あっ、はっはっはっ!あ、あ、グランド・・」
息が、苦しい・・
グランドの顔を見ると、胸が、何故こうも苦しいのか。
「何故、何故そう思う!俺が悪いからだろう?そうだろう?俺が悪いからなんだ。」
「ち、違・・う、俺は、俺は・・」
「頼むからよう・・」
急に、グランドの涙声。
レディがビクッと顔を上げる。
「頼むからよう、俺を1人にしないでくれよう。頼むからよう、俺と一緒にいてくれよう。」
ボロボロと、グランドの頬を涙が流れる。
「どうして・・どうして・・」
今更・・どうしてグランドは涙を流す?嫌いなくせに、俺を嫌っているくせに。
涙を恐れるようにレディが顔を背け、渾身の力でグランドから逃れようともがく。
グランドは苛立ちながら、やがてすり抜けようとする彼の両肩を痛いほど掴み、そして前後にガクガクと激しく揺すった。
「レディアス!なぜだよ!なぜ、何をしようとするんだ!」
「俺は・・俺は変わるんだ!離せ!離せ!」
「レディ!」
「だって!だってグランドが!みんなが嫌いなんだ!俺を嫌いなんだ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!一人は嫌だ!もう一人は嫌なんだ!あいつを殺して一緒になる!みんなと一緒になる!俺はきれいになりたいんだ!」
「嫌いなんて、違う!レディ!レディアス!変わらないよ!あいつを殺しても変わらない!何も変わらない!どうして頭のいいお前がわからないんだ!どうしてそんな事思いこむんだ!」
「あいつを殺せば、俺は元に戻れる!俺はきれいになって・・」

フリードの身体、あれが本当の姿だ。
あれが自分の本当の姿。何もなければあんなに綺麗で、清楚な美しい身体でいられた!
こんなつぎはぎの、醜く痩せ細った身体にバサバサの真っ白な髪じゃなかった!
なかったのにっ!!
この身体は汚れている!
洗っても、洗っても、綺麗になんかならない。
記憶に深く刻まれた恐ろしい物が、血にまみれたこの手が、綺麗になんかなるわけない。

リセットするんだ。全部消して、やり直すんだ。

今更見せつけられる、あまりにも違う姿。潰れた掠れ声ではない、澄んだ美しい声。
何故だ!
この身体は何だ?違う!
自分の身体が盗まれた。俺が本物なのに、偽物ほどにくすんで薄汚く見える。
そして、そして何より、フリードに汚されたときの記憶を消し去ってしまいたい!

俺を黒く塗りつぶした、フリードが、フリードが憎い!!

「殺してやるっ!!消し去ってやるんだっ!!」

「レディアス!!」
いきなり、言葉を塞ぐようにグランドが口づけた。
驚いてレディアスが、身体をこわばらせて凍り付く。何かが心の底からわき起こり、熱い物がこみ上げてきた。
それが何かわからず恐ろしく、思わずグランドにしがみつく。
開いた目の、視界がぼやけて潤んでくる。



何かが・・何かが胸から溢れてくる。
熱い何かが・・



スッと、ひとすじ熱い物が頬を伝い落ちた。



唇を離したグランドが、それを指ですくって舐め、そして、優しく笑った。
「お前の涙、しょっぱいな。」
「な、み、だ?」
「ああ、涙が流れたんだ。」
「涙が・・流れた・・」
呆然とグランドを見つめる眼には、しかし、すでに涙は流れていない。
「髪、染めたのか、もったいない。」
ニッと笑ってグランドがレディアスの乱れた黒髪を指に絡め取り、匂いをかぐ。
「帰ったら、また俺が洗ってやるよ。」
気恥ずかしそうにそう言い、じっと無表情に見つめるレディの肩を抱いた。



「セピア!」
ようやく追いついたブルーが、2人分の装備をガチャガチャと息を切らせてやってきた。
「ブルー!遅いよう!」
セピアが飛びつき、ギリギリと万力のように抱きついて身体を締め上げる。
「うおおお!!いてえいてえ!ぐるしい!」
「あ、ごめ。ブルー、あたいらもチュウしよ!」
慌ててセピアが手を緩め、ブルーに口づけする。今度はブルーがしっかりと彼女の身体を抱いた。
「あ・・セピア、だったんだ。」
レディがようやく我に返り、キョトンと彼女を見る。今まで気が付かず戦っていたのだ。
「そーよっ!もう!もう!レディッてば怖かったんだから!殺されるかと思ったんだよ!」
プウッとむくれて涙目になる。
本当に、本気のレディがこれ程恐ろしいとは思わなかった。
「フリードは?」
「わからねえ、他の奴らが捕まえきれるか・・行くか。」
「ブルー先に行け、俺はレディアスとソルトを連れて出る。」
「ブルー!あたいも行くよ!ここの事知ってるし。地下のヘリポートまでは、いっぱいドアがあるんだ。」
ビイッとドレスを短く裂いて、セピアがすんなりした足を出しミニスカートにしてしまう。
靴を取り、ボキッとヒールも折ってしまった。
ドレスも高いヒールも、夢は終わった。
「生体キーか?お前開けられる?」
「うんっ、どうせあたい、ヘリは操縦できないし、フリードが面白がって登録しちゃったんだ。よしっ、準備オッケー!!」
「行くぞ、セピア!レディ、あの女から伝言、お前は誰を殺さなくてもお前だとよ!じゃな!」
ダッと、ブルーとセピアがフリードの消えた方角へ走り出す。
2人を見送りながら、レディは不思議な顔でグランドを見上げた。
「どうして、行かないんだ?」
「馬鹿、俺は今、お前をあいつに会わせたくねえ。俺の気持ちもわかれよな、まったく。
こっちは生きた心地しなかったんだぜ?」
「そう・・か・・・」

誰を殺さなくても俺は俺。何も変わらない、変えなくてもいいというのか・・

「ソルト、行くぞ。」
グランドに呼ばれたソルトが、サッとレディアスの前に立つ。潤んだ瞳で必死の形相に、レディは訝しい顔で一歩引いた。
「サンドとシュガー、そしてあなた。間に何があったのかは知らない。サンドは何も言わないから。
でも、あなたがサンドをどう思うかなんて関係ないんだ。お願い、サンドを助けて。僕には、彼が大切な人なんだ。お願い。」
「・・・俺が?何故?俺は何も・・」
「本当に?何も出来ないのか?サンドって、嫌味なブルーのクローンだぞ。死にかけてるんだ。」
グランドが、レディの肩に手を置き優しく聞いてくる。
「俺に、何が・・俺には何も出来ない。」
「うそっ!」
バッと、膝を付きソルトがレディにしがみつく。
しっかりと手を握りしめ、請うように、そして訴えるように懸命にすがりついた。
「お願い、お願い、彼は見る間に衰えていったんだ。僕の目の前で、僕を救いに来ながらとうとう立つことも出来ずに。
あなたに会ってからなんだよ!あなたが何かしたんでしょう!」
「研究所・・で?」
「違うっ!村の地下基地で、あなたはグランドさんを助けるために何かしたはずだ!彼に!彼がそう言ったんだ!
僕にはサンドしかいない!あなたにグランドさんしかいないように。
ああ、お願い、助けて。彼を助けて。」
スウッと、レディの身体から血の気が引いてゆく。
足下が揺らいで項垂れるのを、肩を抱くグランドがしっかり抱き留めた。
「グランド・・俺は・・・」
あの時、グランドへ銃を向けるサンドに、彼がしたこと。
それは、気を逆流させたのだ。
内面で循環する気に合わせて、スイッチを切り替えるように逆流させる。
そして内面へと向かう気を外へと向けさせた。

気は、生命エネルギー。

スイッチを入れられ放出するばかりの命の雫を、サンド自身が止めることは出来ないだろう。サンドは、生きている限り生命力の源を吐き出してゆく。
そして今、それは尽きかけているのだ。

しかし、レディが青ざめるのには訳がある。
この力は、かつて旧カインの戦争中に、ギリギリの中で生きて行くため、気を操ることの出来る身体が自然に身につけた力だ。

「生きたい、生きたい、生き延びたい。
せめて一目、一目ででいい。もう一度みんなの顔を見て、この目に刻みつけて、それから死にたい。」

必死で生にすがりついた壮絶な状況の終戦間際、ただひたすら心の中で次第におぼろげになって行く兄弟の顔を懸命に思い浮かべながら、死ぬ前にもう一度兄弟に会いたいという強烈な気持ちに、身体は過剰に反応した。

水も食べ物も満足に無い状態で、子供が生き延びるにはそれしかなかっただろう。
レディアスは戦争中、部隊に生き残っていたクローンの、気を放出させてそれを取り込んでいたのだ。
まるで、血を吸って生き延びる吸血鬼のように。
飢餓でバタバタとクローン達が死んでゆく中、ようやく生き残っているクローンに取り憑き、本人の知らぬ間に気を奪い、殺しては生き延びた。
戦争中のことでは、レディの最も思い出したくない禁忌であり、最も忌むべき力。
二度と使いたくないと自ら封じた力を、無意識にあの時使っていたのだ。

「俺は・・救う事なんか出来ない。救う方法なんて、俺は知らない。」
力を、救う為に使った事はない。殺す為に、助かりたい為には使った事があっても。
「そ・・んな・・」
ガックリと、ソルトが崩れ落ちる。
最後の望みを絶たれた絶望が、彼の背に襲いかかった。
レディはソルトの姿を見ながら、頭を抱えて頭を振る。
この事を、グランドに言うべきだろうか。
いいや、とても言えない。
ここにこうして生きている、それ自体が罪だと、自分で認めることだ。
今やっと、グランドの心に触れた気がしたのに、俺はやっぱり、駄目なんだ・・
どうして俺は、まだ生きているんだろう・・
不安に襲われるレディの背を、グランドがギュッと抱きしめる。
「レディアス、出来ないこともあるさ。お前まで落ち込むな。俺が、兄弟がお前にはいるじゃないか。」
真実を知らないグランドの言葉が、空々しく過ぎてゆく。
どれほどの罪か知らないグランドは、その重さを知っても同じ言葉を口にすることが出来るのだろうか。
「俺は・・やっぱり駄目だ・・やっぱり駄目なんだ・・」
「レディアス、駄目じゃない。お前に罪はない。」
「罪なんて・・俺は・・!」



「信じるんだよ。」



廊下に、凛とした女の声が響き渡る。
マーサや他の部下に護られながら、イサベラが姿を現した。
指には相変わらず煙草を挟み、その煙が風に乗ってレディアス達に漂ってくる。
紅いドレスが、壊れ果てた廊下の突き当たりをバックに血のように映え、イサベラの豪気で華やかな様子を一層引き立てていた。
「レディアス、前を見なさい。あんたの目に映るのはなんだい?殺してきた奴らの顔か?
いいや、違うだろう?もっと良く、前を見るんだ。」
前を見る?俺は前を見ているじゃないか。
「信じろ?信じて何が変わる。信じても、俺の罪は消えないじゃないか。」
レディには、イサベラの言葉が良く分からない。それが何か、別の物を意味するのかわからない。
戸惑うレディが辺りを見回し、そして前に出るグランドから顔を逸らそうとする。
「わからない坊やだ。」
イサベラはピッと煙草を投げ捨て、カッカッカッとヒールを鳴らして近づくと、レディを庇って立つグランドの顔に、ヒュッと隠し持っていたナイフを走らせた。
「はっ」いきなりの攻撃に、グランドの身体が動かない。
しかしピッとその刀身は、頬の寸前で止まっていた。
グランドが身体を引いて止まったナイフを見ると、黒い刀身を挟むレディの指がすんなりと伸びている。
レディの冷たい視線にイサベラは、満足そうにニヤリと笑った。
「ほら、その顔だ。その厳しくて綺麗な顔は何を思う顔だい?」
「あんたの言うことは、俺には支離滅裂だ。
ナイフを返せ、俺のナイフでグランドを傷つけたら殺す。」
「アハハ、わからない事はないさ、あんた今言ったじゃないか、傷つけるなって。
人を大切に思い戦う顔、あんたはそれが一番光っている。
好きな奴を護るのは気持ちのいいもんだろう?」
「お前は変だ、一体何が言いたい?」
ナイフを両側から掴んだまま、2人が見つめ合う。
赤と黒、鮮やかなドレス姿の2人の対峙は、端から見る者をただ呆然と引きつける。
グランドもソルトも、そしてマーサも、無言で成り行きを見つめた。

キリキリとレディアスがまた、心を研ぎ澄ませてゆく。
イサベラのナイフを握る手には、どことなく普通の人間にない気がある。
それは昔、一流の殺し屋だったイサベラの冷めた意識だろう。
彼女もいまだ武器を手にすると、以前の自分が戻ってきてしまう。
それは今の、レディアスの心の大半を占める、冷たく澄んだ死を見つめる意識と似ている。
だからこそ、レディアスの気持ちや悩みは、手に取るようにわかるのだ。
「自分のために殺す、それは生きて行くためだった。そうだろう?それしかない道だったのなら、あんたは殺した奴の分まで人生背負って生きている。それでいいんだよ。」
「そんなもの、飽きるほど聞いたね。
俺は自分が生き延びるためだけに殺してきた。
命など、生きるか死ぬかしかない。お前の分生きてやるから死んでくれなんて、言われた方はたまらないさ。」
クスッと、レディがくだらないように笑う。
イサベラは真顔でグイッとナイフを引き寄せた。
「生か死か、どちらかしかなかった。でも、選ぶのは本人じゃない。
殺すか殺されるかを決めるのは、時の運次第さ。あんただって、死にかけたことはあったろう?
生きていることは罪じゃない、死んだ奴の分まで生きることが償いなんだ。
あたしはそう思って生きている。」
「あんた?」
「あたしは昔、殺し屋だった。あたしを怨んでる奴は、それこそ山ほどいるさ。」
見つめ合ったレディが視線をはずし、うつむく。ギュッと唇を噛み、そして顔を上げ苦しそうに笑った。
「ふふふ・・・ふふふふ・・」
「おかしいかい?」
「あんたを憎むのは人間で、半分は生きてる奴だろ?
俺を憎んでる奴はみんな死んでいる。
しかも殺してきたのは、全てクローンだ。何も抗うことを知らず、ただ殺し合いしか知らないクローン。
家族も何もない。」
「ならいいじゃないか。誰も憎む奴はいないじゃない。」
だから、だから誰にもわからない。
そう思う。
これ程苦しむなら、命でも狙われた方がどんなに楽だろうと。
「憎んでる奴が死んでいるから、その憎しみは俺の中でずっと生きている。
・・生きて、大きく膨らんで、俺の中で俺の心を押し潰すんだ。
あんたなんかに、この苦しみがわかってたまるかよっ!」
昔を語ろうとしない彼の、初めて吐き出したその思い。
グランドが、ハッと顔を上げる。
イサベラはパッとナイフから手を離し、バシッとレディの頬を打った。
口の中が切れて、口端から血が滲む。
驚いたように目を見開き、レディは腕を組むイサベラを呆然と見た。
「この、どうしようもない馬鹿だねっ!
自分への恨みを、自分の中で勝手に育ててどうするんだい?
それは、あんたの勝手な思いこみだ!
ああ!腹が立つ!なんて馬鹿だろう。こんな馬鹿、初めて見たよ!
レディアス、泥を食っても生き延びな。それがあんたの義務だ!
胸の中の憎しみなんか、今のあんたにはまったく必要ないね!
そんな薄汚れた物は全部捨てて、あんたは胸の中の最も美しい物を磨いて輝かなきゃならない。
生きる喜び、勝ち取ってこその人生。最高の人生を歩んでこそ、それこそ最高の償い。
今のあんたは間違っている。」
グランドも、呆然とイサベラを見つめそしてレディの顔を見る。
自分には決して言えないことと、何となく思う。心のどこかで、今はイサベラに感謝しつつも、レディの反応が不安で仕方がない。
「レディアス・・・」
レディが、複雑な顔でグランドの顔を見る。
何かが、ほんの少し心の奥で溶けた気がした。
でも・・・・・・
「グランド・・・俺・・」
打たれた頬を押さえ、目を閉じ頭を抱えてゆっくりと首を振る。

「・・・・わ・・から、ない・・」

今は・・・
イサベラの言葉の意味が、すぐそこにあるようで届かない。そんな気がした。
「やっぱな・・」
つぶやいて何となく、グランドはホッとしたようながっかりしたような複雑な気持ちで微笑み、溜息をついた。
イサベラもフッと溜息をつき、ヒョイと肩を上げて片手に持っていた鞘をグランドに渡す。
渡す瞬間彼女は流すような目で見て、チュッとキスを送った。
「鞘がしっかりしないからさ、マイハニーがしっかり収まらずにフラフラするのよ。愛してるなら死ぬ気で向き合いなさいな、坊や。」
げーんと、グランドがポッカリ口を開けて真っ赤に顔を燃やす。
「バッ、馬鹿言うない。俺あ兄弟だぜ。」
「兄弟でも何でもいいけどさ、傷が深い分あんたがしっかりしなさいって事よ。」
フフッと笑って、バンとグランドの背を叩く。そしてガックリと床に手を付くソルトに、手を差し伸べた。
「立ちなさい、可愛い人。諦めちゃ駄目よ。
救う方法を知らないって事は、助ける方法が無いって事じゃないわ。」
ソルトが涙でクシャクシャになった顔を上げる。
「希望は・・あるでしょうか?」
「引きずってでも連れて行って、彼にしかできないことなら無理矢理にでもやらせるのよ。
最善を尽くすって、そう言うこと。
地下のヘリを一機貸すわ。行きなさい。」
イサベラに手を借りて、ソルトが立ち上がる。
そっとソルトの頬を伝う涙を彼女が指で拭い、にっこり微笑むとソルトも微笑み返した。
「いい子ね。最善を尽くして、それでも駄目だったら後悔しちゃ駄目。あなたは出来ることをしたんだから。」
コクンと、ソルトが頷く。
そしてキッとレディに視線を移し、そして彼の腕を握りしめる。
「来て、貰います。」
ソルトの真剣な眼差しに、レディがフッと顔を緩めた。
「俺に、何か出来るかどうかはわからない。」
「それでも、あなたは彼を救うことに全力を尽くすんだ。」
「何のために。」
レディの問いに、ハッとソルトが息を飲む。
しばし考え、そして顔を上げた。
「あなたと僕らの、未来のために。」
クッと笑って、レディが大きく目を見開く。
未来などと、自分にあるとは考えたこともない。
思わぬ答えに、心が少し動揺した。
「・・・面白い、答えだ。」
スラリと、黒いドレスをサラサラなびかせ、レディアスが一歩、足を進める。
そして、フリードの消えた方向へと向かって歩き始めた。
グランドはピッとイサベラに敬礼すると、親指を立ててニヤリと笑う。
イサベラも笑い返すと、マーサに案内するよう言いつけた。
「マーサ、行ってらっしゃい。」
「ハイッ!マーサは行って参ります!」
「お願いね。」
「お任せ下さいませ。・・あ、イサベラ様、お煙草のポイ捨てはお止め下さい。高価な絨毯に穴が開いてしまいます。」
先程捨てた煙草の吸い殻を拾って、マーサがイサベラの部下に渡す。
「ああ・・ハイハイ、わかったから行ってらっしゃい。ン、もう、この子ったら。うるさいわねえ。」
「はい!マーサはイサベラ様の娘ですから。では!」
「ふふふ・・ほんと。」
イサベラは溜息をついて、走り去るマーサの後ろ姿を見送った。

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