桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  夢の慟哭

>>登場人物
>>その1
>>その2
>>その3
>>その4
>>その5
>>その6
>>その7
>>その8
>>その9
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掌編掲載しています。

「その3」

小さなルビーの付いたネックレスを、光に空かしてみる。
それは黒ずんだ深紅から、光を当てると優しいピンクに変わって美しい。
「何て石だったかな・・」
娘に似合いそうだと、カレンの笑顔が浮かんだ。
ギッと椅子をきしませ、ホテルの一室から澄んだ空を見つめる。
調度品も美しく部屋数も多いこの部屋は、このホテルの最上階スタンダードスイートだ。
スイートを利用するのは訳がある。
このホテルは、スイートを利用する客には通路もエレベーターも別で、客室係も口が堅い。
しかもフロアーにスイートが3室しかないので、隔離しやすいのだ。
私服で部屋の外で警備していても、強面の人相にマフィアかと人々も避ける。
金はかかるが、すべてに置いて都合が良かった。

コンコン
ノックの音に確認してドアを開けると、部下のレックスがルームサービスの軽食をワゴンで運び入れた。
「外は異常ありません、1時に1194へ電話するようにと連絡が入っております。」
「わかった。
午後からルーナへ行くのはベルガだったな。これをGへ渡すように伝えてくれ。」
少佐がネックレスを部下へ渡す。
「承知しました、確かに。」
レックスは受け取ってポケットに入れると、敬礼して部屋を出た。
ザイン少佐が、着慣れないスーツに肩をもみほぐしながら上着を脱ぐ。
時計を見ると1時は20分後。
ため息を一つ付き、フードカバーをはずして中を見る。
オープンサンドとコーヒーが2人分。
自分の分をテーブルに置き、寝室のドアをあけてワゴンを運び込む。
しかし、そこにある朝食のワゴンはそのままの状態で残っている。
ベッドの中に横たわる人物の広がる髪に、呆れると同時に怒りがこみ上げバッと布団をはいだ。
「いい加減にしろっ!いつまで飲み食いしないつもりか?」
ジロリとシャツ一枚で横たわるレディアスが少佐を睨み、そしてフンと顔を背け、また身体を丸くして目を閉じる。
だぼだぼのシャツはザインの物だ。
ここへ連れてきて、頭から土埃にまみれていたのでまず風呂へ入れると、服のままずっと水を浴びていた。
呆れるより腹が立ってまた思わず殴ったが、さっぱり自分で動こうとしない。
部下に任せようかと思ったが、結局ザインが何とか無理矢理身体を洗わせて、自分のシャツを羽織らせベッドに転がした。
髪はビショビショのままだったので、すっかりベッドも湿ってしまったが、空気が乾いているのでそれも乾いたようだ。
もつれた髪がベッドに広がり、シャツの下から伸びる足が細く、妙に色気があってドキリとする。
士気に関わる気がして、部下に見せたくないと思う自分も変かと思うが、とにかく今は無理にでも何か口に入れたい。
ずっと寝たまま身動き一つしないので、逃げる気は無さそうだが仕事をやる気があるのか不安が大きい。
「何て扱いにくいネコだ。」
あきれ顔の少佐が、襟首を掴みグイと引く。
「起きろ、飯を食え!」
何となく、引き起こしながらまた軽くなった気がする。
何しろ捕まえてから一切、食事も水分さえ一口も入れようとしない。
以前からストレスがかかると、何も口に入れようとはしないとは報告で知ってはいたが、ここまで極端だとは知らなかった。
「どうしてだ、なぜ水も飲まないんだ。このままじゃ仕事に障る。せめて水だけは飲め!」
ガッとコップを持って口元へ持ってゆく。
しかし、頑として口を開こうとしない。
ハンストされるとは、思ってもみなかった事に少佐の気が焦る。
仕事は明日だ。
確かに走り回る必要もない。
しかし、確実にこなしてくれないと困るのだ。
ここまで計画は進んでいる。今更引けない。

「・・グランドが、先だ。」

レディアスが、ようやく口を開いた。
しかし、彼の言葉は一貫していて全く引かない。
「仕事が終わったら帰すと言っている!」
「前だ。」
うぬっと少佐が頬を引きつらせ、舌打ちして大きくため息をついた。
「わかった、では帰すように言おう。だから飲め!」
差し出されたコップをちらりと見て、また顔をそらす。
うつむいて目を伏せながら睨むと、少佐に背を向けた。
「人間は、嘘つきだ。」
つまり、信用する気は更々無いらしい。
少佐もあまりの頑固さに、堪忍袋の緒が切れた。
「このっ!力ずくでもやって貰うぞ!」
ガッと少佐が彼の胸ぐらを掴む。
バシッ!バシッ!
たまらず何度も何度も頬を殴った。
「・・グ・・ランド・・を、帰せ。」
切れた口から血を吐きながら、レディが声を振り絞った。
「取引だと言ったろう!お前が仕事をやり遂げたら帰す!それ以外はあり得ん!
お前は自分の立場がわかってないな、え?」
ドサリとベッドに殴り倒すと、拒絶するようにそのまままた身を丸めて目を閉じてしまう。
「貴様!来いっ!」
ザインはレディの襟首を掴み、とうとうベッドから床へと引き下ろした。
「グランドを帰・・うぐっ!」
頭を庇いながら叫ぶレディの身体に、ドカッと少佐が蹴りを入れた。
蹴られた腹を押さえる彼の髪を鷲掴み、グイと顔を上げさせる。
昨日からずっと殴られ続けて青黒く腫れ、すっかり憔悴した顔をまた平手で殴り、掴んだ髪を引いて近づけると苦々しく吐き捨てた。
「貴様は、デッドナンバーだ。レディアスという名は捨てろ!いいか?人間の言うことを聞けば見返りをやる。お前は黙って俺の言うとおり、奴を自然死に見せかけて殺せばいいんだ。
お前なら出来るだろう。奴の気を操って、死に向かわせればいい。死んだらお前もグランドも、元の生活に戻してやる。」
「グ・・グランドは・・帰せ・・・」
「まだ言うか!」
バッとレディアスを横に放り、また数回蹴りを入れ、ガッと頭を踏みつけた。
「ぐうっ!」
レディが血だらけの唇をかみしめ、頭を庇うように少佐の足を必死に掴む。しかし、それは文字通り彼の最後の抵抗になった。
「デッドナンバー4、いやD4か。
お前は人間じゃない。そうだろう?グランドも同じだ。こんな力、お前達の頭の中は一体どうなってるんだろうな。きっと上の連中は中身まで調べたくてたまらないだろうよ。」
抗っていた、レディアスの動きが止まった。
少佐の言葉の意味が胸に突き刺さる。
とうとう彼はグランドを人質として、効果的に使うことを選んだのだ。
「D4、お前がすることは何だ!」
ギリギリと彼のこめかみを踏みにじる。
レディはコホコホと咳をして苦しみながら、かすれた声を出した。
「こ・・ろすこと。・・う・・ごほっごほ、気・・気で、明日、13コロニーの・・」
「そうだ、失敗したらグランドも実験動物の仲間入りだ。もうカインで自由に過ごすこともない。そうなれば、お前のせいだと知れ!
グランドを助けたければ、速やかに殺せ、いいな。わかったら命令を聞け。」
残酷な言葉とわかりながら、少佐も追いつめられて思ってもいない言葉を吐いた。
足の下で、レディの身体が小刻みに震える。
自分がしていることの罪に少佐も打ち震えながら、それでもやらなくてはならなかった。

「わ・・か・・た。グランド、だけは・・」

レディがかすれた声で、ようやく返事を返す。
「良し、じゃあ水を飲んで飯を食うか?」
踏まれた下で、小さく顔が動いた。
少佐が足を降ろしレディの顔の前に、水を差し出す。
レディはようやくコップを受け取り、床に座って一口水を飲んだ。
「よし、飯も食うんだぞ。反抗的な態度を取らなければ、痛い目にも遭わないで済む。
グランドも、お前が仕事を終えるのをおとなしく待っているんだ。奴を元の生活に戻したいならやれ。
なに、殺す相手も独裁をしいて、軍事を増強しようという奴だ。この星系の軍事バランスを乱す前に片付けるのは悪い事じゃない。
人々のためになることだ、何も考える必要はない。」
レディの手の中で、コップの水が微かに揺れる。
「逃げることと反抗することを考えるな。お前は従順にただ殺すことを考えるんだ。
いいな、お前次第でグランドが元に戻れるか、実験動物の仲間入りかが決まる。グランドに恨まれたくなければ殺すんだ。」
何度も何度もこくりとうなずく。
レディにとって何よりも、グランドが昔自分が受けたような仕打ちを受けることなど、死ぬよりも耐え難い。
たとえ自分は泥水の中を這い回っても、グランドさえ笑っていればそれで十分だった。
「失敗は許されん。万全を期して望むためにも食えよ。」
「お・・俺が・・殺したら・・グランドは・・・ち、ちゃんとグレイのとこへ・・・」
「無論だ。」
パタンと少佐が出て行く。
レディはギュッと目を閉じ、そしてせわしく胸元のシャツを握ろうとしてハッとした。
ルビーはない、グランドに返したんだ。
もう必要なくなるから。
ごくりと息を飲み、首を振ってそこに爪を立てた。

グランドだけは、グランドだけは助けなければ。

実験動物という言葉が頭を駆けめぐる。
自分がどんな目にあったのか、記憶の奥底に封印していた物がはい上がってきた。

「はっ・・・あ・・」
息が苦しい。
恐怖で身体中がすくみ上がる。
思い出しちゃいけない。
忘れろ、すべて、心の奥へ。何も考えるな。

ギリギリと、胸元に爪を立てて薄い肉を掴む。
皮膚が裂け、骨から肉が剥がされるような強烈な痛みに、ようやく意識がそちらへ向いた。
激しい拍動が収まり、ズキズキする痛み、それだけに集中して全身で感じ取る。
頭を真っ白に、すべてを切り捨て切り替えた。
それこそ、レディが狂気の中で気が狂うことなく生き延びることが出来た、心のスイッチ。
ボウッとした頭で、暗い部屋を見回す。



どうして、ここにいるんだっけ?



レディはじっとコップを見て、中に揺らめく透明の水を見た。
美しく、澄んだ水なのに輝きのないその表面は、どこまでも底が無いように思える。
カーテンも開けない部屋は暗い。
この綺麗な部屋も、何の意味もなく彼を閉じこめていた。

「レ、ディ、ア、ス・・・」

自分の名前をぽつんとつぶやいた。
それが自分の本当の名か、よくわからない。
今の名前のない自分が本当で、レディアスという、ちゃんと家族がいて、普通に暮らし仕事で管理官をしていた自分は、夢だったのかも知れない。
それが夢なら、人間に今までを否定されてもうなずける。

夢?
夢って・・・?

それは、とても希望のある言葉だった気がするのに、今は霞のようにつかめない。
不思議な言葉に首をかしげながら、心が沈んで黒く塗りつぶされ、何も感情が浮かばない。
体中の痛みも忘れてじっと身動き一つしない彼の背後に、暖かな光が弱々しく浮かんだ。
今にも消えそうなその輝きの中に、美しい少年の姿がおぼろに見え隠れする。
少年は悲しい顔を両手で覆って窓を見ると、何かを待ちわびるように窓辺へとふわりと飛んだ。

『死・・でしま・・死んで・・まう・・よ』

レディの心の叫びを代弁するように、その少年エディの魂がカーテンをすり抜け、明るい日の光に手を差し出す。
ガラスを一枚隔てた広大な青空は、しかし今の彼にはほど遠く手を差し伸べても届く所になかった。




コンコンコンコン
デリートの指が、まるでリズムを取るようにデスクを叩く。
早朝ネットで報告してきた部下の報告に目を通し、苦い顔であごに手を当てる。
「ふうむ・・」
大きくため息をつき、眉をひそめた。
コンコンッと軽いノックの音に、またため息をついて顔を上げる。
「入りたまえ。」
「失礼します。」
言われるより早く、ドアを開けるのは彼には珍しい。
ドアからは、疲れる暇もなく支部から着いたばかりのダッドとミニーが姿を現し、デリートに敬礼した。
「遅くなりましたが、ただいま帰りました。」
「うむ、報告を聞こうか。」
ダッドが、基地で受けた軍の対応の悪さや、現場の状態を織り交ぜ、簡潔に報告する。
死亡していたクローン2体は、研究所へすでに運び終えていた。
「良し、わかった。
例の爆破だが、今回の件とは別と考えることも必要だな。現場状況のレポートを急いで調査部へ回してくれ。どうもヴァインが関わっている気配がする。
それと・・ダッド、話しがある。」
ミニーが訝しい顔をして、ヒョイと肩を上げると敬礼して部屋を出る。
局長はダッドの顔を見つめながら、フッと息を吐いてやや顔を緩めた。
「今回の黒幕がわかりつつある。」
「ほう、さすがお早いことですな。」
たった数時間でどこまでわかるというのか、普通なら考えられないスピードだ。
こういう事もあり得ると考えていたにしても、局長の息がかかった人間はどこまで組織の細部に入り込んでいるのかと考えると、ダッドは薄ら寒い思いがして目を見張った。
「内部の事だ、探りは入れやすい。しかし、だからこそ問題も出る。」
苦い顔の局長に、ダッドが眉をひそめる。
「まさか・・・」
「あの6人兄弟の力を知るものは少ないのだよ。知らねば利用しようともしまい。
しかし、それがまさかこんな事に利用されるとはな。首謀者が大物であればあるほど騒ぎは大きくなる。そして、騒がず止めさせられるのもその人物だ。」
射るような目で、局長が真っ直ぐに見つめる。
ダッドは有無を言わさぬその視線を、局長から初めて感じた。
「私には、どういう意味かわかりかねますが。」
フッとダッドが視線をはずす。
無駄な気もするが、すべてを知っているらしいこの女性を試してみたい。
「ダッド・マッカー、事態はひっ迫している。君の駆け引きに付き合う気も余裕もない。
君はレディがどんな目に遭っているかを多少楽観視していないかね?」
「それはどういう?」
「彼の力はつまりこうだよ。極端に言うと脳みそさえ言うことを聞けばいい。
彼の運動神経も、射撃の腕さえも、もちろん容姿も捕らえている人間にはまったく必要ない物だ。それを排除して、余りある利用価値のある力なのだよ、彼の力は。」
「いくら乱暴な拉致の仕方とはいえ同じ軍の人間、連邦の軍人です。仮にもそんな・・ヴァインならまだしも・・」
バカバカしいと、フッと息を吐く。
焦りながら、それでも拉致したのが軍らしいと聞いて若干ホッとしたのだ。
ダッドは軍人に拾われ救われた。
そして軍に入って、人の命を救うために働いてきたのだ。そう教育したのも軍だ。
それまで人を殺すことばかりを教え込まれてきた自分に、それはひどく明るさに満ちた世界だった。
ガタンと局長が立ち上がった。
「信用に足る組織かどうか、それは時と場合によるよ。私はね、密かに隠蔽された事実も知る1人だ。例えば・・」
そして、彼の傍らに立ち、声を潜める。
それは、ダッドの心を芯からゾッと凍らせるような言葉だった。

「ま・・さか・・・・」

「極端な前例だ、これは口外してはならん。君のことを知るからこそ話した。
父君の真偽を探れ、説得を試みよ。」
「しかし、私達の関係は実質親子とは言えませんので。説得は困難です。」
「困難なりにやり方はあるだろう?戦争は、正統法だけでは敗れるよ。
父君は・・クラーナル大佐は教えてくれなかったかね?」
引きつった顔のダッドに、ニヤリと局長が笑う。しかしほくそ笑む相手の顔を見る内、混乱する頭が次第に冷えてきた。
戦いは、すでに始まっているのだ。
「君は知っているか知らんが、大佐はただの男ではない。
表のカインでは大佐と呼ばれているが、裏で連邦軍本部に戻れば中将だ。軍でも3本の指に入る大物だよ。
彼はいまだ現場にこだわる男だ。階級も、邪魔になるからカインでは大佐にとどめている。
彼こそ、クローンやあの兄弟にもっとも関心が高い。
それがどんな意味かわかるだろう?
レディアスは、なんとしても救い出さねばならん。彼には管理局から連邦直属の部署へ異動の指令も来ている。このままでは彼の身が危ない。そして、利用されると恐ろしい事態を引き起こす。」
「異動?!ですか。しかし本部からの指令となれば拒否は出来ないのでは?」
思わずダッドの声が大きくなった。
シッと局長が指を立て、椅子に戻りギッときしませる。
「だから、正統法では敗れると言っただろう?君は君に出来ることをやりたまえ。ダッド・クラーナル君。
たとえ身内でも、彼らを思うなら心を許してはならない。」
ダッドには、どうして彼女がこんな寂れた管理局などにいるのかわからない。
しかし、この人事こそ父である大佐が配したと聞いている。
もし今回の黒幕が父だとしたら、ここに彼女がいることは大きな失敗だっただろう。
「わかりました。では、お願いがあります。」
ダッドはあの戸籍上は『父親』になっている男の苦々しい顔を思い浮かべ、フッと息を吐いた。

オオオオオ・・・・

頭の中で、滝のような声の奔流が押し寄せて激しく鳴り響く。
それは、一人一人の人間の意識が無数の束となって押し寄せているのだ。
ギュッと目を閉じて、頭が破裂しそうなその声に抗いながら、アリアが思わず手を伸ばす。
その手をギュッと誰かが握った。
昨夜あの隔離室を出てから、苦しんでいると時々こうして誰かが手を握ってくれる。
その優しい手を介して、暖かな思いが流れ込んでくるのに、その思いはひどく真っ白で、アリアに負担をかけまいとしているのがよくわかる。
願いながら、心で思ってはいけないと、手の主は十分にアリアの力を理解していた。
「レモン・・・」
かすれた声で、力無く呼んだ。
手の主が誰なのか、目を開けずともアリアにはわかっている。
「アリア、お水飲む?」
「うん。」
レモンがコップを彼に差し出しかけて、思いとどまると一口口に含んだ。
アリアの唇に唇を重ね、水を流し込む。
「・・ん・・あ、ああおいしい。」
隔離部屋に入ってからずっと、吐き気がしたので点滴だけで口から何も入れてない。
かさかさの唇がほんの少し潤った気がして、ようやくアリアが目を開け、金色の綿毛のような髪の少女レモンの顔を見た。
「良かった、アリア死なないね。レモン、アリアがいなくなったら一人で受付なの。人間、怖いよ。」
レモンが、金色のマツゲを瞬かせながら不安げにつぶやく。
「うん・・でも、僕が死んでも、すぐに誰か来るよ。人間は受付に二人置きたいって言ってたから。」
「そうだね。替わりはいっぱいいるね。でも、レモンはアリアがいい。こんな気持ち、クローンは駄目なんだよね。」
「そうだね。僕らはいっぱいいるんだから、僕じゃなくてもいいんだよ。
僕と同じ1849B-3型はいっぱいいるからね、きっとまた保護されるだろうからレモンも寂しくないよ。
でも、レディとグランド探すの、今の僕がいいかもしれないって。」
クローンは、ただの複製。自身の価値はあまり感じない。研究所で誰か死んでも、涙を流すのはクローンとしての刷り込みの呪縛から解放されたクローンだけだ。同胞への情に浅い。
そう作られた。
だからこそ、呪縛を解かれる前から見られたソルトやシュガー、サンド達の関係は、クローンとしては大きくそれを越えている。
しかしここで呪縛を乗り越え自分を取り戻したクローンには、それは自然に見られるようになっていた。
「アリア、人間に命令されたの?」
レモンが小さく首をかしげると、アリアがクスッと微かに微笑む。
レモンの頭に、はっきりとした声が響いた。

『僕は彼らが好きだから、力になりたいんだ』

レモンが目を丸くして、パッと顔を明るくする。
「そう、レモンも『好き』だよ。アリアも『好き』なんだね!」

『うん、でも難しいんだ。どうすればいいのかわからない。どうすれば一人一人が分けられるんだろう。僕には無理かもしれないよ。沢山の声が、一度に頭の中に入ってきて整理が付かないんだ』

すでに、テレパシーの方が楽になっているアリアは、話す方がおっくうに感じる。
レモンがまた水を一口含んで口移しにアリアに水を与えると、ぺろりとアリアのかさかさの唇をなめた。
「アリア、ちゃんとレモンと話しをしてるじゃない。レモンが力になるよ。レモン、整理は得意なの。一緒に探そう。彼も力になってくれるよ。」

『彼?』

レモンがアリアのベッドに入り、一緒に抱き合って目を閉じる。
部屋の片隅のカメラからは、博士達誰かが見ているだろう。
ずっと監視されているのが辛いこともあるけど、アリアはレモンがいればいつも心が温かい。
自分がクローンだと言うことが忘れられる。
互いにこの世界じゃたった一人の大切な人だと、自分は生きている価値があると言う気がしてくる。
「アリア、一緒に。」
『うん』
布団の中で手をつなぐと、身体がふわりと軽くなった。

『え?!』

見ると、部屋のベッドが足下にあり、そこには自分たちが眠っている。
アリアはレモンと手をつないだまま、笑って顔を見合わせた。

「アリア!いけない!」

そこに突然、部屋に監視していたのだろうドクターマリアが飛び込んできた。
「アリア!レモンは連れて行くな!彼女にOBE(幽体離脱)は負担だ!」
眠るアリアにドクターが叫ぶ。
きっと、脳波を見て気が付いたに違いない。
彼女は、そのスペシャリストだ。

『レモン、帰った方がいいよ』

アリアが彼女を見ると、ニッコリ笑ってぷるぷると首を振る。
『大丈夫、レモン達には彼がいるから』
不思議な顔で、レモンが指さすベッドを見下ろすと、そこにはキラキラと輝きが生まれて見覚えのある人物が現れた。
『ソルト?』
『違うよ、彼は彼と同型のクローン。レモンに力を貸してくれるって』
ドクターはその人物に見覚えがあるのか、驚いた顔で立ちすくむ。
「シュ、シュガーね?あなた、レディーはどこにいるの?あなたは彼を守っているんでしょう?」
シュガーは悲しい顔で首を振る。
その姿は薄く揺らめき、口を動かしても言葉が聞こえない。
「シュガー・・・何?何て言ってるの?」
やがてその姿は小さな光となり、ふわりと窓の外へ消え、レモンとアリアもそれに促されるように、建物を突き抜けて大空へ舞い上がった。









 ガサガサと、袋の中からバーガーを一個取り出す。
ピンクのリップを塗った口が大きく開いて、ガブッと半分を口に入れた。
むしっと噛み千切り、むぐむぐごっくん。
見ているだけで吐き気がしそうなその食べ方も、すでに6個目になると呆れる。
バーガーを二口で食べるセピアに、グレイがうっと口を塞いだ。
「セピア、そんなガブガブ食べなくても誰も取らないよ。」
引きつりながらニッコリ微笑む彼に、ふんっと顔を背ける。
「あたい、グレイとは絶交だから。話しかけないでよっ!」
残りをほおばって、包み紙をゴミ箱に投げ入れるとグレイの持つ袋をひったくり、もう一個またバーガーを握った。
「セピア、言い訳はしないけど、グランドは責めちゃ駄目だよ。僕が悪いんだから。」
「知らないよ!グランドもグレイも大嫌いだよ!」
ハアッとグレイが大きなため息をつく。
セピアには一番知られたくなかったけれど、結局グランドとの関係を話すしかなかった。
すでに清算済みだと言っても、レディと同じようにセピアも傷ついたのだ。
兄弟の関係を傷つけまいとしながらグランドに手を差し伸べて、結局深みにはまってしまったのは自分だった気がする。
すでに終わりの頃には、レディにも気付かれているのが何となくわかっていたから、グランドはひどく戸惑っていた。
「よう、飯食ったか?」
軍のメンバーと食事に行っていたシャドウが、小走りで2人の元に走ってくる。
珍しく彼も、そして食事中の2人もスーツ姿だ。
ガタイの大きいシャドウは元々オシャレなので、細いブルーのストライプの入った黒のスーツに色を抑えたワインのネクタイが多少派手。
現場の軍の関係者からは、明日はもっと押さえるようにとお達しを貰っている。
グレイは黒のスーツにブルーのネクタイだが、それらに彼の銀に近いグレーの髪が映えて美しい。
華奢な体つきからも、全く性別不詳だ。
セピアもグレーのリクルートスーツで、中のブラウスなりリボンが可愛い物を選んだが、しかしあまり似合わない。
スーツなんて持っていなかったので借り物だが、ダサイと着たがらないのを、無理矢理着せられた。
「ねえ、ブルーはどこ行ったのさ。」
「ああ、ブルーは局長に呼ばれてるよ。もう帰ってくるとは思うけど。あ、ああ、来た来た。」
シャドウが駐車場の方向に手を上げる。
ここは、駐車場横の公園。明日の行程に沿って、打ち合わせと下見の途中だ。
何だか嫌そうな顔でぐずぐず歩いてくるブルーに、セピアがバーガーの入った袋を振り回した。
「ボケー!早く来ないと食っちゃうよ!」
チッと舌打ちながら、スーツ姿のブルーが走ってくる。
借り物のスーツは大きいらしく、だぼだぼとズボンもすそがはためいている。
ようやくたどり着いた時はズボンがすっかりずり下がって、上着をめくりベルトをもう一つ締めた。
「あー、駄目だ。やっぱブラッドのスーツはデカイよ。」
「やだブルーったら、ブラッドなんて全然体格違うじゃない?やっぱり後で買ってきなよ。お金貸してあげるから。」
グレイが財布を取り出す。カードを出そうとした時、ブルーが止めた。
「いや、グランドのスーツ借りるよ。あっちがマシだ。何か、ちょっと考えたけどさ、それでいいや。」
「そう?ならいいけど・・」

「駄目よっっ!!」

セピアがバッと立ち上がった。
「ダメッ!あんな奴の服着たら、ブルーのちんこが腐るわさ。」
「腐るかよ、バーカ。余計なお世話だよっ!」
「ブルーは何とも思ってないわけ?シャドウもさ!ひどい裏切り行為じゃん!」
ふんっとセピアが鼻息荒くまたバーガーを取る。
「あっ!お前それ最後のバーガーじゃねえ?
あーー!俺の分ねえじゃん!もう時間ねえのに!」
「ブルーってばっ!」
ブルーはセピアの手からバーガーを取り上げ、パクッと一口食べてグレイの飲み残しのコーラをゴクゴク飲んでいる。
テレパスの彼は、一番最初に2人のことは気が付いていただけに、今更ガタガタ言う気も起きない。
グレイの本心も知っていたからこそ、何も言わず見守っていたのだ。
プイッとバーガーを食べ続ける彼に、セピアはむうっと彼のネクタイを掴み、ギュッと締め上げた。
「ぐえええ!死ぬうっ!」
「ブルーなんか、だいっ嫌い!あたいの気持ちなんかさっぱりわかってないじゃん!」
見かねてシャドウが、背中からセピアの肩を叩く。
「まあまあセピアよ、おめえの気持ちもわかるよ。俺だって多少ズキーンと来たから他の女とも別れたんだし。」
「シャドウが全部悪いわさ!」

ドカッ!「うおっ!」

セピアが後ろ蹴りしてシャドウの股間を蹴り上げた。
「き、き、きたあーー・・・ひい!」
トントンと、シャドウが腰を叩いてへたり込む。
「誰が悪いなんてさ、シャドウには言われたくないよ、僕も。」
グレイも頬杖付きながら、プイッと明後日を向いた。



「で?局長は何て?」
シャドウが懐からガムを取り出し、ポイと口に入れる。
すかさずセピアが手を出した。
「てめえ、俺の大事な所蹴ったから無し。」
「ケチ!ねえ、ブルーってば、レディたち探しに行っちゃ駄目なの?・・あ、グレイさんきゅ。」
ベンチにブルーとグレイ、セピアが並んで座り、前にシャドウが立っている。
ガムを貰い損ねたセピアに、グレイがポケットからアメを取り出し渡した。
食べることは、人間関係とは全く別。セピアの中で、食うことすなわち生きることだ。
「ああ、局長が言うこともわかるけどな。
出向かずともレディは必ず殺しに来る。だからとにかく彼を捜すことに精出せってよ。
殺す前に捕まえるか・・殺すか。」
「アホか。あたいらに殺せるもんか。」
ガリッとアメをかみ砕く。
「しかし・・さっき飯食いながら思ったがな、軍の奴らはこの件は丸ごとみんなしらねえ。俺らがやるしかねえんだな、これが。」
シャドウがヒゲがうっすら生えた顎をザリザリこすり、目を閉じてつぶやくように言う。
グレイもため息しか出なかった。
「でも、レディは綺麗に消すよ、自分の気配を。僕らじゃきっと探せないよ。」
「ブルーはどうなのさ?」
ブルーは反っくり返り、ネクタイを緩める。
どうにも頭が痛い。
「つまりよ、俺しか探せねえってわかってるのさ、局長は。なんかさ・・・暗くなっちまうことばっかでさ。」
「あれかね。つまり、奴の場合殺しは誰にも気付かれずに出来る。問題は、レディが用無しになった後だろ?」
「だな。それと、ヴァインの動き。」
「ヴァイン?」
「この軍の裏の騒ぎ、ヴァインに知られている可能性が大ありだと。」
ブルーがポケットから頭痛薬を取り出す。グレイがバックからミネラルウォーターを出して渡した。
「それって、どういう事が考えられるわけ?」
「うん、調査部が調べた所じゃあ、向こうはレディの居場所をすでに掴んでいるかもしれないってさ。例の、シルバーフォックスって言葉をどこかで見つけたらしい。詳しくは不明だけど。どうもさ、やっぱあれらしいな。」
「やっぱり?目的が?」
ブルーの言葉に、グレイとシャドウが厳しい顔を上げた。

「もう!あたいにもよくわかるように言ってよっ!」

悶々と聞いていたセピアが、とうとうバッと立ち上がる。
「ま、落ち着けや。」
シャドウがなだめるように頭をポンと叩いて座るよう促した。
「じゃあわかりやすーく言ってよ。」
ボスッと座り身を乗り出すセピアに、シャドウが目の高さにしゃがんだ。
「つまり、ヴァインはもしかしたら、あわよくばレディを欲しいなーって思ってるんじゃねえかって事さ。」
「なんで?殺したいんじゃないの?」
「んー、いいか?向こうは今まで関わったことでレディの力はわかってる。十分利用価値の高い『兵隊』だとな。
レディがもし、こっちと人間関係が崩れていたら、元々精神的に不安定な奴だ。向こうも味方に取り込みやすいと、思ってるんじゃねえかなあと、こっちも思ってるわけよ。わかったか?」
「んなわけないじゃん、レディはランドルフを憎んでるよ。あっちの味方になるわけ無いよ。」
フウッとシャドウがため息をつく。
これ以上厳しいことを言いたくない。
セピアは拉致された2人の状況を楽観視している。
しかしそれが今は、せめてもの救いのような気もするのだ。
「セピア、レディはバカじゃない。拉致されたあと、軍の人間にあーしろこーしろ言われて、素直に言うことを聞くわけがないと思わないか?そうなったらどんな目に遭うか想像付くだろ?」
「でも、軍だろ?少佐が連れてった可能性高いんだろ?少佐なら、きっとひどい事したりしないよ。」
横で、グレイがシャドウに首を振る。
もう、これ以上言うべきではない、セピアを余計に不安にさせるだけだ。
しかし、セピアが唇をかんでグレイの手を握った。
「グレイ、あたいはバカで全然ピンと来ない。だから知りたいんだ。知っておきたいんだよ。いろんな考えられる状況を。お願いだよ。」
「セピア・・」
ああ・・と、グレイがその手を両手で包み込む。
真剣に見つめるその目に、潤んだ目で口を開いた。

「セピア・・・・僕らって、人間にとっては、やっぱり人間じゃないんだよ。」

「あ・・」セピアが、ごくりと息を飲む。
頭のシンがさえて、なぜか背筋が伸びた。
「そっかな?でも・・」
「だから僕らだって、自分の力を隠してる。
それは裏返せば、自分の心の中でも壁があるんだ。僕らはすっかりそれを忘れている時があるけど、レディはずっとそれを思ってる。
それが彼とのちょっとした違いで、大きな心の隔たりと思うんだ。
少佐はきっと・・・レディにだって厳しくしてると思うよ。彼にとってもこれは大きな仕事で、きっと命がけだろうから。」
セピアの目からブワッと涙が浮かんで、ポロポロと流れ出した。
「そ・・なのかな?やっぱ。」
やはり泣き出した彼女に、困った顔でシャドウがポンと頭を撫でる。
こんな悲しいことを、思い出すのは久しぶりだと思った。
「人間に不信感を持って、信じられなくなったら道をはずしやすい。
それを局長は心配してるのさ。レディは元々人間不信が強い。俺らよりうんとな。
何より、踏みつけられて命令されると、人間に逆らえないよう染みついている。」
「でも!言うこと聞くわけ無いよ!あいつの言うことだけは!だって、ランドルフの・・ひどいことした奴だよ。
前だって、フリードには勝てたって言ってたじゃないか!」
シャドウにじゅるじゅると鼻をすすって声を上げる。シャドウがシッと指を立て、そして声を潜めた。
「だから、今の精神状態を知るためにグレイに告白させたんだ。奴が今、どんな気持ちでいるかは察しが付くだろう?
あいつが一番信頼していたグランドにも裏切られたと感じている今、あいつには何も思いとどまらせる物はない。
ヴァインの目的や誰が頭に立っていようとも、奴らが戦争を始めるなら手を貸してもおかしくないさ。
奴は、戦場にいる時が一番楽なんだ。」
ブルーがハアッと大きくため息をついた。
「怖いぜ、レディが敵に回ると。俺ら、あっと言う間に全滅だな。」
「レディが、あたいら殺すわけ・・・」
「無いと言えないのが怖いのさ、あいつの場合。殺すと決めたら躊躇がない。」
シャドウがバッサリ首を切る振りをする。
ガクッとセピアの全身から力が抜けた。
「だから、今ヴァインではなくて軍の元にいるのだけが救いかな?
少なくとも、俺たちの敵じゃない。」
「人間を殺せって言われて、どうしてるか心配だけど・・素直にうんってうなずくかどうかね。」
「レディには、グランドの方が重要だろうさ。大統領だろうが神様だろうがグランドに比べれば『へ』だろうよ。」
「・・・・じゃ、グランドは?」
「さあな、グランドは十中八九戻ってくると思うけど。奴はただ人質として隔離されている可能性が高い。後でわあわあ叫いても、知らぬ存ぜぬでぬらりくらりとかわすのは上の常套手段だ。でも、レディは・・悪くすれば・・」
「やだ、いやだよ、そんなの!
ねえ、ねえシャドウ!2人とも、助けられる?」
セピアが涙を拭きながら、長男肌のシャドウを見る。
ブルーも立ち上がり、セピアに親指を立てた。
「そりゃもちろん返して貰うぜ。2人は俺らの一部だ。」
パアッとセピアの顔が明るく紅潮する。
「手はあんの?」
「俺らを人間じゃねえってんなら、それなりにやらせて貰うさ。
人間が裏切るなら、こちらも義理を立てる必要はねえ。
俺たちは、俺たちだけでも生きてゆける。」
セピアに、ニヤリとシャドウが笑う。
キャアッとセピアがその場に、ピョンと立ち上がった。

「手!」
「うん!」「はいはい」「へへ」

4人が肩寄せて手を重ね、昔誓ったその時の気持ちを思い起こす。
「あの時、レディは手を重ねるの怖がったよね。」
「そうだね、グランドが反対の手をつないでたっけ。僕も覚えてるよ。」
「今ならきっと手を重ねられるさ。今は迷ってるだけ。」
「取り戻すぜ、あいつらを。」
「うん!」

「では、局長のお言葉を・・」
気を入れてうなずくと目を閉じる。
頭の中にブルーの声が響いてきた。
それは、局長からの言葉。

『大統領は死んでも構わん。トップなど、死ねばまた違う奴が立つだけだ。
お前達はとにかく、レディアスを死守せよ。』

「やはり局長おわかりで。」
プッとシャドウが吹き出した。
「でもさ、他の奴らに取られるぐらいなら殺せって言うんだぜ、あのババア。」
「思ってもいないくせに。無理してるよねえ。」
ンフッとセピアが笑う。
「今夜は、一応サスキアだけでも回ってみるとして・・問題は明日だな。」
「大統領に張り付いていれば、どこかに現れるね。どういう状態でいるかはわからないけど。」
シャドウに、んっとグレイがうなずいた。
「ほんでは、俺がテレパスとしましては、全力を挙げましてあいつを一生懸命捜します。で、見つけたら?」
「場所を僕に教えて。テレポートで近くに行く。」
「じゃあ、あたいはグレイのサポートに回る。人間踏みつけても行くよ。」
ふむ、とシャドウが首をひねり、待ち合わせ時間を過ぎてこちらを見る軍の人間に手を振って返した。
「今のところ俺は、軍の奴らに探りを入れてはいるがな。
明日、俺は基本的に動かねえよ。俺がコソコソ動くと目立つからな。でも情報は流してくれ。」
「了解。では、残りの予定消化に行きますか?」
「ニッコリ笑って?」
「心は許さない。で、いいんじゃない?ね、シャドウ?」
「だな。」
暗く冴えた表情で、4人が目を合わせる。

「おい、行くぞ!」

「はーい!行きまーすっ!」
軍の人間の呼ぶ声に、4人がニッコリ笑って返す。しかし彼らの心には、すでに軍は敵に回っていた。




薄暗い部屋の中、グランドはじっとベッドの上で壁を向いて座っていた。
背後の椅子には、カレンがうなだれて無言で座っている。
無言のまま冷え冷えとした閉塞された部屋の中で、背中合わせにシンとしてただお互いの息づかいだけが響く。
グランドが、手の中のルビーをちゃらっとぶら下げた。
レディアスに送ったカシスルージュのネックレス。チェーンは途中で切れている。
それが何を意味するのか、レディはそれを人に託してグランドへ返してきた。
あれほど大切にしていたのに、真意がわからない。もういらないのか、自分は見限られたのか、何か別に意味があるのか。
会って話を聞きたい。
しかし、ここの壁はどんなに何をぶつけても崩れる物ではない。構造も知っているだけに何をしても無駄だ。

何か、自分に出来ることはないのか?
何か、本当に何もないのか?

ずっと考えているのに何も浮かばない。
首を大きく何度も振って、わあっと大きく声を上げた。
カレンが顔を上げ、耳を塞いで目を閉じる。
何もして上げられないのに、2人でいるのは地獄だ。
グランドはずっと口惜しさを吐き出していたのに、ネックレスを受け取ってからは無言で、時々こうして叫んでは壁を殴ったり蹴ったりを繰り返す。
明るい姿しか知らなかった彼の変わりように、カレンは心の中で、人とはなんと複雑でわかりにくい生き物かと思う。
彼が自分の今を愁いているのか、それともレディアスを心配して気が狂いそうなのかわからない。
カレンには、読もうと思えばグランドの心は手に取るように読むことが出来る。
しかし今は、それをすることも恐ろしくて、尋常ではないその姿から視線を避けるのが精一杯だった。

カチャン、カチャカチャ

ハッと顔を上げて見ると、唯一つの出入り口の横にある小さな小窓が開けられ、スッとトレイに載った食事が差し入れられた。
小窓は横幅30センチで高さが10センチほどしかない。
ギリギリまで小さくとどめてある。
トレイの中には、パック入りの水やスポーツ飲料など数種類の飲み物と、最低限の栄養分がパックしてある携帯食だ。
グランド達は食事を一切取ってないので、それが何パックも棚に重ねてある。
背中を丸めて壁を向くグランドを見て、カレンは立ち上がりトレイを取ってグランドの傍らに置いた。
「食べましょう。お身体に悪いですわ。」
一つ、飲み物のパックを取って差し出す。
しかしグランドは無言で身動き一つしない。
ずっと何もかもを拒否している。
自分を責めて、心が内へ内へと暗く奈落に落ちていくのが、心を読まなくともわかる。
以前、自分の力が人の心を癒やす効果があるとわかった時、テストをかねてこんな風に落ち込む人を沢山治療してきた。
でもカレンにとっても、この部屋は頭痛がして長時間力をふるう自信がない。
失敗は、更に状況を悪くすることがある。
人間は、こんな時どうするのか、母の顔が浮かんだ。

『カレン、人は心が疲れた時、音楽で癒やすのだよ。』

アッと不意に思い出し、カレンが胸で手を組む。
自分を養女にしてくれた少佐の妻、母はそう言ってよく、美しい声で歌を歌う女性の声のディスクをかけていた。

お母さま
どうか、どうかカレンに力をお貸し下さい。

カレンが小さく、音楽を口ずさんだ。
歌詞のない歌を、澄んだ声でたどたどしくつづる。
しかしそれでも印象に残ったほんの少し覚えていた節を、何度も繰り返すことしかできない。
シンとした室内でカレンの声だけが響き、殴られやしないかと心がすくむ。
震える声で懸命に繰り返すカレンに、グランドが頭を上げてくるりと振り返った。
じっとカレンを見る目から、ポロポロ涙が流れ出す。
カレンは歌を止め、たまらず彼の身体に抱きつきキスをした。
乾いた唇が、ガサガサとしているのが痛い。
チクリとした痛みにぺろりとなめると、血の味がしてジンとしみる。
しかしその痛さが、グランドをようやくカレンの前に引き戻してくれた。

「ガサガサ・・・だな。」
「はい、ガサガサですね。」

フフッと涙を拭きながら、ようやく微笑み合う。
「俺ってこんなに頭が悪かったっけ?」
「どうしてですか?」
くるりと見開く彼女の愛らしい瞳に、グランドが見入った。

カレン、君を・・こんなに苦しめてたなんて。
俺は、知らずに人を苦しめてばかりだ・・・
俺に出来ることは何か。
道を開くなんて、自分だけでは・・それでは無理なのに・・・
ギュッとネックレスを握り、ポケットに入れた。

なんとしても、ここから出てレディアスに会おう。

「カレン、俺に、力を貸してくれるか?」
カレンがハッと戸惑って顔を伏せる。
しかし彼女は次の瞬間、キッと決意した顔でグランドに大きくうなずいた。
「しかし・・・ここはルーナです。」
「いいんだ。俺が逃げたことさえレディに伝えることが出来れば。あいつは無茶しない。きっと逃げ出せる。」
この部屋を出ることさえ出来れば。
グランドが、ようやく水の入ったパックを取った。
蓋を開け、ゴクゴクと1パックをあっと言う間に飲み干す。
「まずは、腹ごしらえしよう。タダでさえスカスカの脳みそに糖分が足りねえ。
それからだ。」

「はいっ!」

パッと明るい顔でカレンが大きくうなずく。
「あ、そうだ。」
食事のパックを一つ開け、ふとグランドが顔を上げた。
「カレンちゃん、もっと歌を勉強した方がいいよ。」
カレンが不思議そうに首をひねる。
「それが、お母様は勉強しなくていいっておっしゃるんです。何故でしょう、カレンは音楽大好きですのに。」
「そう、そう言うこともあるかもね。ははは・・」
苦笑いで誤魔化し、ぱくりとペースト状のパテをほおばる。
思い出して、吹き出しそうになるのをこらえながら、心が少し軽くなった気がする。
カレンは目が覚めるような、それはそれはひどい音痴だった。





ざわめく人々のごった返す中、宇宙港の展望ルームで沢山の人々が入ってくるシャトルをわいわいと眺めている。
ルーナのアクセスルート宇宙港だ。
ここにいる半分は旅行者だろうか。
ここはカインへ降りる人と、カインからの人間が他の星へ行く船を待っている場合が多い。
カインから他の星やコロニーへ行く場合、直接船は出ていない。すべてここで乗り換え、ここから出発するのだ。
「きゃあ、すいません!」
バサッと女性の長い髪がロイドの顔にかかり、ドンと肩口に女性が体当たりしてきた。
「ああ、いや、大丈夫ですか?」
「やだあ!ほんとごめんなさい。」
友人に引っ張られて、その女性は逃げるように搭乗口へとよろよろ向かう。
ルーナの普通より2割落ちる軽い重力に慣れない人が、たまにドスンとぶつかってくる。
それだけに、スリが多いのは玉にキズだ。
ようやく人が降り始めた船を見て、ロイドの相棒キサがフッと息をついた。
「やっと来たー。もう、嫌ンなっちゃう。」
赤毛のショートカットを震わせて、丈の短いシャツの下の腰に引っかけたジーンズに親指を引っかける。
おしりの割れ目がちょっと見えて、後ろからロイドがグイッとベルトを引っ張り上げた。
「きゃん!なにするのよっ、失礼じゃない!」
「俺はお前の格好の方が失礼だと思うんだよっ!あー、むかつく。上着を着ろっ!」
「考えがオジン臭いのよねー、ロイドはさー。」
フッとバカにした顔で、キサが首を振った。
「何がファッションだ、女は腹冷やすもんじゃねえ!」
「ちぇっ!」
上着を着ながら、待合所へ急ぐ。
そこにも沢山の乗り換えの船を待つ客がいる。
しかしその中でもひときわ背が高く、筋肉質なのだろう肩幅の広いガッシリとした身体にスーツを着こなした男を見つけ、2人は足を速めた。
「よう、お疲れ。」
ロイドが顔見知りのその男に手を挙げる。
男は黒いサングラスをはずし、黒いコートの胸のポケットに引っかけた。
「ピュー、ナイスガイね。かっこいいじゃん。」
キサが口笛を鳴らしてロイドに頭を叩かれた。
「初めまして、かな?お嬢さん。」
男が革の手袋をした大きな手を差し出し、キサがぽっと頬を赤らめて握手する。
「よろしく、ルーナの支部で情報収集専門やってるキサよ。今はロイドの相棒。あんたみたいにいい男、ルーナじゃ滅多に見ないわ。」
「何言ってンだよ!お前と組むなんて今だけで十分、俺は早くカインに降りたいぜ。
まだ新米なんで不作法もあるかもしれんが、我慢してくれ。」
ロイドがまたポンとキサの頭を叩くと、キサがプウッとむくれた。
「不作法など気にする暇も無かろう?では、行こうか?」
「ああ、こっちだ、ダッド。」
ロイドのあとを追い、男がスーツケースを持って歩き出す。
それは、局長から命を受けてきた特別管理官のダッドだった。




「まさか、あんたをよこすとは思わなかったね。」
ロイドがハンドルを握り、後ろの席に声を上げた。
後部座席では、ダッドの隣でキサがパソコンを操っている。
「そうだな、彼の心にカセになるものをはずしたかったのでね、志願したのだよ。まさか場所がルーナとは思わなかったが・・俺は彼の力になるなら何でもするさ。」
「ねえねえ、その『彼』って特別管理官の人?噂、聞いてるわよー。すっごい三角関係。」
面白そうに、わくわくしてキサが顔を上げる。
「まあね、面白そうかね?三角関係。」
「もち!こんな地下都市いたら、日の当たる所の噂にわくわくしちゃう!」
「キーサー、てめえ、だから不作法だって。」
ロイドが呆れた。
「まあ、局長が知っていたのにも驚いたがね。俺が志願しなくても、すでに俺をここへ派遣するつもりだったらしい。
私は、ガキの頃ここに住んでいたのだよ。父に拾われる前にね。」
「ああ、そう言えば養子だったって言ってたな。どのエリア?」
「それはご想像に任せるよ。ここは下を見ると果てしなく下がある。放棄された軍の施設も、今じゃスラムの仲間入りだ。
良くそんな所に運び込めたな。」
「情報じゃさ、金ばらまいて立ち退かせたみたいよ。スラムなんて、まとめてる奴にさえ金握らせれば、みんな黙って立ち退いちゃう。
そんで口も堅いしね。」
彼女は話しながら、指はキーを打ち込んでいる。器用だなと感心してダッドが覗き込んだ。
「口が堅いのは周りを信じてないからだ。・・そうだな、その感覚を忘れていたか。」
「思い出して貰わなきゃ困るぜ。尋ねるのは今夜やるつもりだがね。」
尋ねると言えば穏やかな物だが、ダッドが呼ばれたのを考えると穏やかではない。
「そうだな・・・ロイド、下見は後だ。B地区へ行ってくれ。で?今まででわかっていることは?」
「B?!スラム中のスラムだぜ?」
「怖くて行けないなんて言うなよ。場所は指示する。」
「わかったよっ!全く、俺はお前ら特別管理官に関わるとろくな目にあわねえんだ。」
ルーナは、A地区からT地区までアルファベット順に地区を形成している。つまり、最初に近い物ほど古いのだ。
そして、古い所ほどスラム化している。
そこへダッドは車を向かわせた。
車内では、キサがロイドに説明を始める。
「えー、わかってることの報告します。
軍の表だった動きはありませーん。しかし、私が連絡を受けてから3時間後、チャーター機が一隻入港してます。」
「3時間後?随分早いな、計画的か。どこだ?」
「まあ、違和感はないですねえ。半貨物船です。ヤヨイ貿易。」
「ヤヨイ?あそこは裏で軍と繋がりが大きい。一般には知られていないがな。」
「でっしょー?こっち夜中でしたからネットで監視しながら変な時間だなーって、チェック入れたんですよー。
監視カメラをハックして、荷物の一つを直接受け渡ししてた車一台確認しましたー。
その車、ナンバー確認したんですけど軍関係の個人所有です。ちゃんといましたよー、昨日基地の裏手から出てきましたー。」
「基地は?」
「はい、ではターゲットについての情報を。」
キサが端末を膝に載せて、ダッドに出力をつないだディスクリーダーを渡す。
リーダーには、すでに放棄された基地の写真がいろんな方向から映された。
「無人を繕ってるけどー、ちゃんと機能してます。水と電気の消費状況がいきなりアップしましたし、車の出入り確認済みです。」
「水からだいたいの人数は把握できるかね?」
「えー・・・と、計算ではあ、空調などの誤差入れて4人から6人です。でも、隔離室にシャワールームはありませんし、見張りの連中の緊張感を考慮に入れますと、6から8人ですかねえ。」
「つまり、5から7か。」
「やっぱり元基地って言うだけに、中は強固かな?建物の外は最近まで入れたらしいけど、門が直されて今は赤外線張ってあります。
周辺に住んでる人は、中に電気が灯ってるのを見たと言ってました。
みんなやましい人間ばかりでしょ?軍に関わりたくないから、ほぼ近寄らないって感じ。」
「入れそうなポイントは?中の情報はないのか?」
カチャカチャと、キサが入力して画像に文字のはっきりしない見取り図が写される。
「ダウンロードできなかったので、マイクロフィルムをスキャンした画像しかないんですよー。でも一応、局長が言ってた隔離室って把握してます。光点の部分です。」
それは、もっとも基地でも奥になり、そして離れのように廊下一本で繋がっている部屋だ。
詳細はわかりにくいがしかし、だいたいが把握できればいい。
「進入経路は?」
「軍の施設ですのでー、玄関は一つですー。が!もう一つ隠し通路見つけました!
ルーナの軍支部のサーバーに進入したことがある奴から聞きまして、存在確認しました。
外部の出口は道を隔てたこっちの倉庫ですー。でも、電子ロックが入り口出口に二つ。まあ、それはお任せを。で、基地内の中央部・・ここに出ます。何かご質問は?」
ニッとキサが笑う。ダッドがヒョイと肩を上げて笑った。
「上等だな。君は優秀だ。」
「きゃーん、ありがとうございます。じゃあ、今度お食事でもいかが?」
パチンとウインクして足を組む。これがジーンズで残念と心で舌打ちした。
「へっ、お前がレディに敵うかよ、バーカ。いててて!」
へっとバカにするロイドに、後ろからキサが耳を引っ張る。
「何よ!レディって男でしょ?!女の色気が勝つに決まってるじゃない。」
ん?とダッドが不思議そうに漏らした。
「君はレディアス達を知らないのかね?これほど情報に精通している君が。」
「だって、クローンや特別管理官って情報操作は鉄壁ですよお。彼らの名前は知ってるけどお、ルーナに写真の一枚も来ないんです。あ、もちろんグランドさんの写真は来ましたよー。」
ぶうっと彼女がむくれる。
「やっぱ『キラー・リー』相手じゃ一分の隙もありませんわねー。」
キラー・リーは局長の若かりし頃の異名だ。
その存在は、軍でも有名だったらしい。
「おい、スラムに来たぞ。ここは車を止められねえんだ。どこに行くんだ?」
「その、角を曲がって真っ直ぐ、左に曲がれば酒場があるはずだ。昔、娼館だった・・」
ロイドが緊張しながら車を進める。
しかしそれと反してダッドは、懐かしくも忌まわしい景色に、思わず見回し見入っていた。

地下都市は、空が無い。
まるで建物の中に一つの都市を形成するように、空と言える所には天井が広がりそれが日中は明るく光っている。
もちろんこれは電気ではなく、天井に敷き詰めたグラスファイバーに、太陽の光を反射させて明るく輝かせた物だ。
しかし、それも老朽化したスラム街ではグラスファイバーの手入れが行き届かず、年中薄暗くどんよりとした空をなしている。
よって植物も痩せて育ちの悪いここスラムでは、住む人間にも良い環境とは言えなかった。

寂れて建物が半壊した町並みの中を、車が言われたとおり人通りの少ない道を進む。
この地下都市の中を吹く、空気循環のための風にガラガラとゴミ箱が転がっていく。
しかし、ゴミが少ないのは貧しいためだろうか?
ゴミも出そうにない生活をしているだろう浮浪者達が、見慣れぬ車を建物の影から覗っていた。
「ここだ、止まってくれ。」
ダッドの言葉に合わせて止まり、キサとロイドが建物を見上げる。
「ここで、しばらく待ってくれたまえ。すぐに来る。」
ダッドがドアに手をかける。
ひえっとルーナに慣れないロイドが肩を縮めた。
「ここに駐車して待てだって?!囲まれたらどうするよ?」
「バカねえ、逃げればいいじゃない。多少ぶつかっても前に立つ奴が悪いんよ。」
「お前に聞いてねえよ、冷血ネット中毒野郎。」
「なんですってえっ!野郎とは何よ、レディに向かって!」
「うえっ!首締めるなーー!」
じゃれ合う2人に、ダッドがフッと笑いながら外に出た。
薄暗いグラスファイバーの空と地下都市を循環する換気の吹きだまりは、ダッドには久しぶりの感覚だ。
だからといって深呼吸するような、良い物ではもちろん無い。
すでに娼館など、営業しているはずもないほど荒れ果てたその館を見上げると、ダッドはドアをノックしようと手を上げた。

ギイッ・・・

ドアが、独りでに開いた。
フッとダッドが手を下ろし、隙間から覗く10才ほどの少女にニッコリ笑う。
「将軍は、まだ御健在かね?」
無言でこっくりうなずき、少女はドアを開けて彼を中へと案内する。
入るとさほどほこりっぽくもなく、ほどほど掃除が行き届いているようだ。
小さな部屋が並び、二階への階段は至る所に穴が空いている。
すり切れた絨毯を進むと、少女は一番奥の昔娼婦達のサロンだった部屋のドアを開けた。

「入るが良い、小僧。」

しわがれた声が室内から小さく聞こえ、ダッドが少女に軽くうなずいて一歩踏み入れる。

ヒュッ!

風を切る音と共に、横から大きな剣が振り下ろされた。
「おっと」
ダッドが軽く身を引き、剣を横からパンと払う。
「うわっ!」
剣を叩かれ弾みで大きくよろけるその少年の首根っこを後ろから掴んで引き寄せ、剣を持つ手をギュッと握りしめる。
「いたっ!」
たまらず少年は剣をその場に落とした。
ガラーンと地に落ちた剣を、すかさずダッドが踏みつける。
見ると、少年は12歳前後のようだ。

「こりゃ!やめんか!馬鹿者!」

慌てて奥から杖を突いた老人が飛んでくると、ダッドの足を払って剣を大事そうに抱えた。
「おお、もったいない。これはテラのアンティークじゃぞ。ああ、お前の靴跡が付いてしまった。また鏡のように磨かねば。」
真っ白の頭に毛糸の帽子をかぶり、白いヒゲを蓄えた老人は、昔と変わらずすでにゴワゴワになっている毛皮のベストを羽織っている。
こうして元気に見えるが、確か齢80は超えているはずだ。
フフッとダッドが笑って、憮然とした少年をポイッと脇に放った。
「相変わらずだな、将軍。」
「ふん、何しに来た。おおかた頼みか『教えてくれ』じゃろう。」
「そうだ、話が早いな。俺は今急ぐのでね、茶を飲む暇もない。」
「お前に飲ませる茶など、ルーナのスラムにあるはずがない。」
かすれた声でそう言いながら、立ち上がった老人は大事そうに剣を抱きかかえて沢山の剣がかかる壁に掛け、そして窓際の椅子に戻る。
ふうふうと息をつくその様子に、ダッドは苦笑して脇に立った。
「あんたも普通に年を取るのか。知らなかったよ。」
「ふん、わしにとっては長生きこそ地獄じゃ。
神という奴は、ようわかっておるわ。
何しに来た。」
ジロリと睨む老人に、先ほどの少女が茶を入れたカップを差し出す。
老人はそれを受け取り、ちらりとダッドを見た。
少女が無言でうなずき、もう一つガラの違うカップを戸棚から取って湯を注ぐ。そしてダッドに差し出した。
「ありがとう。」
ダッドが受け取って礼を言っても、少女は無表情にスッと部屋を出て行く。
見送っているとその姿に、思わずレディアスが重なり胸が痛んだ。
「ほっ、お前でも好きな奴が出来たか?」
ダッドが視線を寄せると、老人は下品に含み笑いしている。
女を食い物にして生きてきたこの男には、敏感に色恋沙汰はすべて見通せるのだろう。
「まあな、俺も人の子だったと言うことだよ。
それで、聞きたいことがある。」
「ほ、出たか。」
「クラーナルを説得したい。」
「それは無理じゃな。」
「時間がない。そして俺の人生もかかっている。」
「お前の人生など知ったこっちゃない。」
「そして、あんたの人生もここで終わる可能性がある。」
ダッドの視線が冷たく冴える。
ビクッと老人が身体を硬くした。
「わ、わしはもう老い先短い。そんな物怖くも何ともないわ!」
そう言いながら、老い先短くても死は怖いらしい。いや、短いからこそ死が余計に身近で怖いのか。
「それに俺はあんたの秘密も握っている。言わなければポリスにばらそう。老い先短い年月を、牢獄の中で過ごすのも良かろう。」
「秘密だと?ふん、はったりに引っかかる物か!」
「クラーナルを説得するに足る情報は?」
「はったりじゃ!わしは全うに生きて・・生きて・・・」
生きてきた、と言えない。あまりにも思い当たることが多すぎる。
うぬうと老人が、脂汗を額にこぼす。

「情報は?」

少女が入れてくれた白湯を、ダッドが老人の持つ彼のカップに向けて傾ける。
ジョボジョボとダッドのカップから自分のカップに移ってゆく湯に老人は青ざめ、そうっと上目使いでダッドを見た。
「わしは、何も知らん。」
「知っているのだよ、将軍。
あんたは彼の部下だった。そして彼ら上官の弱みを知っていたからこそ法に障っても、軍に咎められること無く、のさばっていられたんだ。
ガキだった俺を、部下を使ってあんたは何にした?殺し屋だ。」
老人のカップを、グイと彼の顔へ押しつける。ひいと小さく老人は声を上げた。
「いまだあんたは同じ事をやっている。違うと言うなら、この湯を飲むがいい。葬式は誰が出すか知らんがな。」
老人が泡を食って身を引き、カップから逃げるようにぷるぷると首を振る。
ほくそ笑むダッドの顔は、彼を殺しても毛ほども悔やまないだろう昔の殺し屋の顔に戻っていた。



「あー!やっと帰って来やがった!」
遠巻きにスラムの住人に囲まれ、ロイドが引きつった顔で窓から顔を出す。
「悪かったな。」
ダッドが後部座席に座ると、慌てて車を発進させた。
「お知り合いがいらっしゃるんですかー?」
「まあね。」
内ポケットから電話を取り、どこかに電話する。
長いコールの後、重い口調でダッドが話し始めた。
「・・・お久しぶりです。はい、・・・今日のご予定は?・・はい、承知しました。ではその時にまた。・・・はい、申し訳ありません。」
ピッと切って内ポケットにしまう。
ダッドがバックミラーでダッドを見て、不審な表情をした。
「誰だ?やけに短いんだな。」
「母だ。」
「ええっ!?」
ロイドとキサが、口をそろえて驚く。
「なんだよその変なしゃべり方。」
「変ですよお!」
「そうかね?普通だと思っていたが。」
わあわあ小うるさい2人の声もそぞろに、ダッドの心は深く沈む。
窓から見える景色は小さい頃に見慣れたはずなのに、今はそれがモノクロからカラーに変わっている。
それは、ここから抜け出せた優越感から来るのだろうか?
いや、いまだ優越感など持ったことはない。
ただがむしゃらに生きてきた。

「君が、心にいるから・・なのかね?」

『まさか』そう言って穏やかな微笑みを浮かべる、レディアスの美しい顔が浮かぶ。
局長の話を聞いてから、自分の考えがいかに生ぬるくなっているか愕然とした。

『たとえ身内でも、彼らを思うなら心を許してはならない。』

それは、軍に救われ心から信用していたダッドに、活を入れた局長の言葉だった。
「無事で、いてくれ・・・」
顔を上げると、明るい繁華街が遠くに広がる。
一つため息をついて、今度来る時はレディアスと一緒に来たいとダッドはぼんやり考えていた。





ふわりふわりとアリアとレモンの精神体がサスキアの夜空を舞って飛んでゆく。
レモンの身体を抱いたアリアがシュガーの魂の光に導かれ、街の上空を飛んでいた。
『アリア、明かりが宝石みたいできれいね。沢山の人間がいる』
レモンが指を指し、アリアの顔を見る。
しかし、アリアの顔がひどく薄く微妙にゆがむ。
『アリア、どうしたの?』
『僕には、やっぱり、無理だったかも、しれな・・』
『大丈夫、レモンが付いてるよ。がんばって、レディを捜さなきゃ』
しかし、元々アリアにこんな力はない。
これは突然現れた力だけにコントロールもまだきかない。しかも、元の身体も憔悴している上にレモンまで連れてきたのだ。
力のバランスを大きく崩し、心が乱れて消えそうになる。
辛うじてここにレモンがいるから繋ぎ止めていられた。
『アリア、がんばって、アリア!』

『こ、こ、ろ、が・・・あ、あ、た、た、ま・・・』

苦悶の表情を浮かべ、アリアの身体の形が大きく崩れた。
『アリア!レモンと一緒になる!レモンと・・!』
そう言いながら、あやふやなアリアの身体にしがみつくレモンも、身体と離れすぎて足からうっすらと消えかけている。
『あ、あ、レモンも消えちゃう!どうしよう!ああ、アリアが、アリアが消えちゃうよ!アリアを助けて!ベリー!ドクター!』
レモンが星の瞬く空へ大きく手を伸ばす。
次第に消えるその指先に、シュガーの光が止まって力づけた。

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