桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

カインの贖罪  夢の慟哭

>>登場人物
>>その1
>>その2
>>その3
>>その4
>>その5
>>その6
>>その7
>>その8
>>その9
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掌編掲載しています。

「その2」

ダッドは、その時ギルティ村からヘリで2時間かかる支部に、仕事を終えて帰りの飛行機の手配を待っていた所だった。
衛星からの写真と資料を添えて局長から直に通信を貰うと、とにかく掘り出して道を造るための機械を軍へ手配する。
しかし、暫し待てという返事だった。
「まあ、生き埋めって訳じゃねえし、時間的余裕があるのは幸いだろうね。
まったく、世話焼かせるお嬢さんだぜ。」
ミニーがため息混じりにドカッと椅子に座る。
衛星写真を見ていたダッドが、ふむと首をひねった。
「現場は天気が悪いからな、雲間からではあるが写真はあって良かった。
やはりどうも、崩れ方が変だ。」
「どれ?」
ダッドからディスクリーダーを受け取り、拡大してじっと見る。
解像度がやや落ちるが、2カ所が大きく緑が削げて崩れたことを示している。
「そのグランドが爆破されたようだって言ったのは、間違いねえのかい?」
「ああ、どう見ても地滑りじゃないな。この地質状態だから生き埋めにならずに済んだのだろう。」
「悪運だけは強そうだもんな。」
ハイとダッドにリーダーを返し、ミニーがコーヒーを飲む。
こう言うとき、慌てたってイライラするばかりだ。
手配が済むのを待つしかない。
「どうも、一つ引っかかることがある。同行している2人だ。」
「支部の奴らだろ?手伝いじゃねえの?」
「いや、このコフィーと言う男、軍の本部に行ったとき見た覚えがあるのだよ。」
「いつ?」
「先々月か、野暮用だが知り合いに会ってな。可愛い名前だから印象が残っている。」
「ふうん、そりゃあ・・わかんねえな。」
何か腑に落ちないダッドに、ミニーが苦笑いで首を振ってコーヒーをすする。
「軍が関係するなんて、ありえねえと思うがね。ダッドの考えすぎさ。」
しかしその気持ちを裏付けるように、そうして待つ2人にただ無情に時間が過ぎても軍からの返事はなかなかこなかった。
支部の人間も、チームを組んで待ってくれている。
「・・で、どうなってるんだ!」
ダッドがとうとう通信のマイクに大声を上げる。
あれから1時間、すでにグランドから連絡が来て2時間は過ぎている。
タダでさえ、ここから2時間はかかるのだ。
『司令部の指示です。そのまま待機せよ、追って指示を出す。以上です。』
通信嬢が、淡々と告げる。
支部の人間と顔を合わせ、ダッドが眉をひそめる。
「しかし、管理局の人間が4名閉じこめられているんだ。しかも外部から爆破された可能性が高い。緊急性は高いのだよ、ちゃんと伝わっているのかね?」
『伝わっております。それを伝えた上での待機の指示です。』
「それは誰の指示だ?」
ダッドが踏み込んだことを聞く。
通信嬢の声が、途切れてポソポソと相談する声が聞こえてくる。
ミニーが横でニヤリとして、親指を立てそれを床に向かって指した。
支部の人間が怪訝な顔をする。
ダッドがニヤリと笑い返し、グッと通信機を握った。
『・・・上層部からの・・』
「いや、もういい。こちらで勝手にさせて貰う。今後、このことは問題にさせて貰う。
誰の命令で、どんな都合があるか知らんが、軍は4人の人間を見放したとね。」
『ダッド管理官!それは軍の規定に違反します!』
「特別管理官だ。兵隊は上の奴隷じゃない。こんな事で命を落とすことほど、バカバカしいものはなかろう?我々は人々のためになら喜んで命をかけるよ。」
『ダッド管理か・・・』
ピッと切って、くるりと振り向く。
「どうされますか?」
支部の人間がため息混じりに聞く。
すでに答えはわかっているのだろう。
「現場は岩盤が固い部分が多い。場所を選べば、爆破しても脱出までの間は保つだろう。それで十分だ。これから急いでもまた2時間近くはかかる。
手を貸してもらえますか?」
ダッドが真面目な顔をして聞くと、彼はしばし考えて手を上げる。
そしてドアへと向かった。
「わかった、じゃあ増やして全部で10人そろえよう。うちは小さい支部だからな、それで手一杯だ。気の毒だが。」
「十分です、感謝する。」
「では、支部長の許可を得て、ヘリと人員をそろえるのにあと15分頂こう。」
「10分で頼みます。」
呆れたように、彼が首を振る。
「わかった。」
結局、うなずいて出て行った。
「さっさと行きゃあ良かったぜ。アホらしい。」
「まったくだ。」
支部に迷惑をかけることになり、ダッドも心苦しいが、軍の対応には首をひねる。
「なにか・・あるな・・」
つぶやいて、一応局長へも報告を入れた。
 必要な物を持ち寄り、とにかく現場へと急ぎヘリで飛び立つ。
それでも2時間は長いだろう。
ふと、レディの微笑む顔が思い出され、唇をかむと窓から青い空を眺めていた。







 ゴオオオオオオオ!!
基地内に、地響きを伴ってもの凄い音が広がる。
音が次第に近くなってきた。
レディが立ち上がり、廊下へと出る。
ガタガタと物が振動で微かに移動し、コフィーが気が付いたのかゆるりと起き出す。
激しい騒音で聞こえないが、コフィーはゲホゲホと咳き込み、腹を押さえ苦しそうだ。
ようやく顔を上げると、アークを構えるレディの姿にヒッと息を飲んだ。
「まっ・・れ!た・・」
騒音で、声が微かにしか通らない。
無表情なレディの姿が、ぼんやりした明かりに照らされ冷たく輝く。

ゴオオオオオオオ・・ゴッ!ガガガガガ!

ゴガッ!!メキメキ・・・ボゴーーーンッ!
ガラガラゴロ、ボコンッ!
ガガガガガ・・・

とうとう道を造り、壁を破って2メートル近い大きさのドリルジェットマウスのドリルが姿を現した。
それは岩壁をガリガリと少しずつ削って来たドリルが、独特の形状でまるでかき氷の氷を削るような状態で進んでくる。
削りだした土は後方へと排出し、レディも昔見たときは良くできてるなと妙に感心した覚えがある。
コフィーが慌てて倒れているユントを、ズルズルと廊下の端まで引きずっていく。
振動でバラバラとヒビが入った所が崩れ、レディは銃を片手にトンと下がって様子を見た。
ガアアアアッと激しい音を立てるドリルの回転が止まり、キャタピラの音がジャリジャリと回転する音が響く。
プシュッと息付くような音と共にドリルの大きさがやや小さくなり、ドリルがガガガッと後退を始めた。
さて、果たして外がどんな状態かは見当も付かない。
しかし、レディの心はすでにそのとき決まっていた。
たとえショックブラストだろうとグランドを撃たれた時点で、軍は敵に回ったのだ。
彼の頭には、敵と味方の区別がはっきりしている。
ユントと共に避難したコフィーが、くるりとレディを向いた。
「抵抗しても無駄さ!」
コフィーが騒音に声を張り上げる。
レディが何か言っているのか、口を動かして室内に掘られた穴を指す。
「何だって?!聞こえねえよ!」
クッと唇をかみ、レディを睨む。
意地を張ってないと、この華奢な女のような男が妙に恐ろしい。
見ると時計の通信機は、壊れたのか任務完了のブルーを発信している。

「ちいっ!」こうなれば、何が何でも・・

腰に手を回し、ナイフを握る。
司令の命令は、時計にある通信機にレッドマークが出てから回収までにこの管理官2人を眠らせ、任務完了のブルー信号を送ることだ。
ブラストで撃つだけで済む仕事だと、簡単に考えていたのにユントが先走り、失敗してしまった。
通信機は故障か、すでにブルー信号を発してしまった。
もう時間がない。

回収するとき、生きていればいいんだ。

切羽詰まって恐ろしい考えを固める。
そして視線をはずした彼に、気合いを込めて飛びかかろうと身体を起こした。
いや、起こしかけた瞬間。

バシュッ!「グアッ!」

レディがこちらを見もせずに撃ち、よく見ると先ほどまで握っていた銃が、いつ持ち替えたかアークからブラストに変わっていた。
胸に激しい衝撃を受け、電気が駆けめぐったように身体中がしびれてコフィーがのけぞり、ユントの上に倒れる。
ドサリと倒れる音を聞いて、レディがフッと息をつき、またアークに持ち替えた。

「お前にわかるものか。人間のお前に。」

つぶやき、グランドの身体をギュッと抱きしめて銃を握り直す。
そして後退して穴を出て行くドリルの後を追った。



暗い穴の中を、ドリルを追ってそっと進む。
キラリと明かりが漏れてきた瞬間、ポイと小型爆弾を穴の入り口に放った。
起爆スイッチのカードを口にくわえ、ドリルが外へ出た瞬間に刃に足をかけ、ドリルの上へ飛び上がり頭を伏せる。
穴を警戒していた兵達は気付いていないようだ。
銃を持って数人が飛び込み、外で10人程が警戒する。
そばには大型のヘリが2機。
それと貨物ヘリが1機となかなか大がかりだ。
やはり、彼らは軍の人間。
しかも、記章がない所を見ると、どうやら極秘任務に思える。
どこまで自分たちの力が知られているのか、今は知られていると思うのが正解だろう。
兵はみな、防弾スーツを着込みフル装備で銃を持っている。

右・・左か・・

周囲の地形も見回し、ヘリの止まる前方に広がる牧場周囲の雑木林を見る。
雑木林は、ここから100メートル。
右に行くほど浅い。
しかし、左には小銃を持つ男が5人。
一人なら軽いが、今はこの荷物がいる。

やるか。

右にヒュッと爆弾を2つ放り投げる。
「ん?」と足下に転がってきた小型爆弾に、兵の一人がかしげた。
「これは・・?・・・ば!爆弾?!」
「一体どこから・・逃げろ!退避!」
わあっと声を上げあたふた退避する兵を横目に、レディがフッと一息はいて起爆カードをガキッと咬んだ。

ドーーーンッ!ドーンッ!ボガーン、バラバラバラ・・・・

二つの爆弾と、トンネルの入り口へ放って来た爆弾が次々に爆発する。
せっかく掘ったトンネルがドッと崩れ落ち、爆発した右へ左の兵が駆けつける。

「わああああ!」「どこだ?!」
「隊長!中が!生き埋めに!」
「待て!落ち着け!確認を急げ!軍曹は?コフィー軍曹は確認できてないのか?」
怒号が飛び交い、兵達が不意を突かれて右往左往している。
手薄になった左側にレディがピョンとドリルから降り、雑木林に向けて駆け出した。
「あっ!お前は!」
タタタタ!タタタタ!
気が付いた2人の兵が、小銃を撃つ。
レディはそれを飛び跳ねて避けながら、アークでその2人の腹に向けて撃った。

ドンッ!ドンッ!

「うおっ!」「ぐうっ!」
たとえ防弾スーツを着ていても、アークの衝撃に2人が吹き飛ぶ。
「向こうだ!ショックガンを撃て!」
「小銃は撃つな!」

バシュバシュバシュ!

ブラストの光の線が、無数にレディを襲う。
トンッと飛び上がり大きく左へ逃げたとき、横からヘリが一機飛び立った。
ドアを開け、2人の兵がこちらを狙う。
走りながらそれをちらと確認すると、後ろから撃ってくるブラストを避けてアークをヘリに向けた。
ヒッと息を飲み一人が引っ込み、もう一人の腹にドンッとアークを撃つ。
防弾スーツを着ていれば死ぬことはないが、アークの衝撃には気を失うだろう。
撃たれた一人はヘリの中に消え、もう一人はヘリの床に寝そべり、頭だけ出してまたこちらを狙う。
「待てっ!」
「止まれ!撃つぞ!」
後方からも、ブラストを撃ちながら数人の声が飛び交う。
バシュ!バシュ!
ヘリから撃つブラストが、身体すれすれをかすめてゆく。
いっそ、ヘリを破壊して良ければこちらも楽だが・・
レディは舌打ち、アークを、撃ってくる男に向けた。
男のヘルメットから、少し下のヘリのボディを狙う。

ドンドンッ!

「ぐあっ!」
ヘリのボディを突き抜け、寝そべった男の腹に当たり、男の手から銃が地に落ちた。

バババババ・・

爆音を上げ、ヘリが不時着する。
その後方から、更にもう一機のヘリが飛び立ってきた。
しかし、すでにレディは雑木林に飛び込み、姿が見えない。
「しまった!逃がすな、追え!」
追って行く兵達も次々に飛び込んで入ってゆく。
ザザザッと、歩きにくい枯れ草や倒木の中を進んでいると、ドンッ!ドンッ!と銃声が響いた。
「ギャッ!」「うおっ!」
2人がうめき声を上げながら吹き飛び、また一つ銃声が響いて倒れてゆく。
「何て銃だ。防弾スーツを着ていても、衝撃を吸収しきれない!」
銃弾がきた方を、皆が警戒しながら木の陰に隠れる。
軍の防弾スーツは、全身を柔軟な衝撃吸収材が覆い、たとえアークでも撃ち抜けはしないだろう。しかしアークの異常な破壊力と衝撃は、このスーツの許容範囲を超える。
だからこそ、対クローンのみに使用が許される物だ。
しかし、普通の人間が撃てば、その反動もまた人間には余る物。もちろん連射など論外で肘と肩を壊す。
だからこそ普及するわけもなく、収集家が飾って楽しむ物となりはてた。
それを、あのひょろひょろした女のような男は平気で使いこなしている。
「化け物め。くそったれ、殺せねえだけクローンより悪いぜ。」
「おいっ、とにかく足を止めないと、このままじゃ逃げられ・・・」
また銃声が響き、ブンッと耳元の風を切った音がかすむ。

バシッ!「うおおっ!」

今まで話していた仲間が、脇腹を押さえてガクリと倒れた。
「な、なんて奴!」
レディは、一体どこからこちらを見ているのか、たった1発を確実に狙ってくる。
残り少ない皆の足が止まり、ぐるりと辺りを見回す。
このシンとした中、音も立てずに移動する敵の見えない姿に、ゾッと恐怖がわき起こった。
「ち、ちきしょう!」
一人がブラストを捨て、小銃に持ち替えて辺りに向けて引き金に指をかけた。
「おいっ!命令は!」

ドンッ!

「ぐっ!」タタタタ!

止める暇無く銃を持った兵はアークに腹を打たれ、数発撃ちながら後ろに衝撃で吹き飛んで倒れてゆく。
「駄目だ!こりゃあ俺らの手におえねえ!」
見回すと、すでにあと2人しかいない。
「引こう!」
声をかけられ、うなずいて引き返す。
「目標は、俺たちを殺す気はないようだ。後で回収に来よう。」
「了解。」

ドンッ!「ぅわっ!」

また一人、腹に銃弾を受けひっくり返った。
「なんて威力の銃だ、こんなの頭に受けたら首が無くなっちまう。」
たった2人になって、恐怖心が大きく膨らむ。
とにかく今は、残った人間だけでも林を出なければ。
そんな気持ちが先に立ち、2人は慌てて引き返し始めた。



牧場にとまったヘリの中で、一人の男が腕を組み隊長から報告を受ける。
そして、わかったと手を上げた。
「やはりな。あれがそう簡単に捕まるわけがない。」
組んでいた足を組み替え、隣の少女の顔を見る。
「できるかね?」
少女は、じっと瞑想しているように顔を伏せ、そして探っている。
「・・とても・・とても難しい。あの方は、気配や意識を消すのが本当にお上手で。
・・あ、あ、わかります。やっと見つけた。」
ニッコリ微笑み、男にうなずく。
「気を失わせることは出来んでも、テレパシーなら送れるだろう?」
「はい、お父様。」
「では、こう言ってくれ。お前には特秘任務がある。それは命令だと。」
「はい。」



銃をしまい、現場を離れるために走るレディの足が、その時止まった。
これは・・・彼女か?
テレパシーを送る人間を気遣うように、心を閉ざしながら言葉をかけた。
「・・・命令など、今の俺に出来るのは局長だけだ。」



「局長だけだと、おっしゃってます。」
「ふむ」
男が顎をさすりニヤリとする。
「では、仕方ない。こう言ってくれ。
これは人間からの命令だ。成功したら見返りをやろう、お前はそうやって戦場を駆けてきたはずだ。デッドナンバー4。」



ビクンとレディが振り返る。

『敵の指令の首を持ってこい。そうしたら水とエサをやろう。デッドナンバー4』

そう、何度も言われてきたことが思い出された。
それは、敵を全滅させることであったり、ただ敵の兵力を計る斥候であったときもあった。
思い出すもおぞましいことが多く、だが唯一水や食料を得る方法であることが多かった。
しかし、とてつもなく理不尽な命令だったのだ。
今思い出しても鳥肌が立つ。

「断る」

グランドの身体をギュッと抱きしめ、その体温を感じて首を振る。

『人間の命令は絶対である』

戦場へ行く前、人としての尊厳さえも奪われ、徹底的に身体に教え込まれたその言葉が頭の中で大きく鳴り響く。
心の奥底で、眠っていた大きな黒い固まりがうごめいた。

『人間には絶対服従しろ』『何も考えるな』『しゃべるな』『感情を捨てろ』『疑問を持つな』『人形になれ』『お前には何の価値もない』『お前は生きるクズだ』『人間の盾だ』『生きることを思うな』『死ぬのは当たり前だ』

人間の言葉が、次々と浮かぶ。
頭が痛い。吐き気がする。

場所が、悪すぎる。

聞いちゃいけない!駄目だ!

昔の記憶に心が負けそうになり、レディはシャツのボタンをもどかしくはずし、ルビーを必死で掴んで目を閉じ祈った。



「どうかね?彼は。」
男が少女に聞いた。
「迷っていらっしゃいます。心の中が真っ黒で、私も・・・怖い。」
少女が身を小さくしてブルッと震え、男のジャケットを掴む。
男は案じるように、彼女の肩に手を置いた。
「深入りしてはいかん。最後に一つ、それで駄目なら諦めよう。もう時間がない。」
「はい。」
「では、最後だ。
お前達に因縁深い、あの気狂い大統領そっくりな奴がカインに来る。そいつを野放しにして構わないなら、そのまま逃げろ。手を貸す気が少しでもあるなら、出てこい。3分待つ。」



レディが大きなため息をついて、眠るグランドの顔を見る。
「う・・・う・・・」
その時、グランドが微かに眉をひそめた。
「グラン・・・」
すがるように声をかけようとして、思わず口をつぐむ。

『助けて』と、その言葉はこう言う時言っていいんだろうか?
そうすれば救われるんだろうか?

レディは、人にそう言って助けを求めたことが無い。出来なかった。
いつも彼は一人っきりで、誰に何を聞くこともなく運命に流されるしかなかった。

ああ・・また、名前を失ってしまいそうだ。

あまりの苦しさに、ガツンとアークの銃身で額を叩き、いっそのことと銃口をこめかみに当てて引き金に指をかける。
「うう・・・・」
グランドの声にハッとして銃口を下げると、彼の顔を覗き込み、ようやく声を振り絞った。
「グランド、グラ・・」

駄目だ!!

心の中で、大きな声が遮る。

駄目だ、何て卑怯な奴だお前は。
グランドに何と言うつもりだ?
助けを求めるなんて、お前に許されるのか?
グランドは、汚れたことに巻き込んじゃ駄目だ。
汚れるのは汚いお前だけでいい。

「ああ・・」
ギュッと前髪を掴み、その手を広げて見る。
決してきれいでは無い手。
一体何百の命を奪ってきたのか・・
自分が、自分だけが生き延びたいがために。

がっくりとうなだれ、アークをホルターに戻しブラストを握る。
レディは目を開けようとする彼の脇に、ブラストを当て引き金を引いた。

バシュッ!バシュ!バシュ!「ぐっ!」
ガクリとグランドの身体から力が抜ける。

「ごめん。」

自由なんて、俺たちには無縁だ。
自由なんて・・・・俺には・・・あり得ない。

ダッドの姿が、ひどく遠く思える。
彼は人間だ。
たとえどんな人生を送ってきたとしても。
根本的に自分とは違う。
自分のいる位置は、人間の底辺の更に下だ。

レディがくるりと引き返し始める。
そこかしこに気絶して倒れる兵を横目に、3分はとうに過ぎて、とうとう林を出た。
ザッと3人の兵がレディに銃を向ける。
「やっぱり、来たな。」
声に、顔を上げた。
「だから・・・人間は嫌いなんだ。」
レディがつぶやき、苦々しく唇をかむ。
ヘリの前には、ザイン少佐がクローンの養女カレンと共に待っていた。

それから2時間ほどしたそこに、ダッド達のヘリが到着した。
戦闘で牧場は荒れ、山肌にはすでにトンネルを掘って救出したあとがある。
立ちつくすダッド達の元へ村人が3人慌てて駆けつけ、村長が頭を下げた。
「一体、何があったのかご存じでしょうか?」
ダッドが丁寧に尋ねる。
村長が怖々と声を震わせた。
「いやあ、わしらもようわからんので。とにかく、どうした物か怖くてなあ。」
「みんな恐ろしくて、近寄れんかったわい。」
爆発音と銃声に、恐ろしかったと口々に話し、つい先ほどヘリが沢山飛んでいったらしい。
後ろでミニーが、牧場の地面をチェックして叫んだ。
「でかいヘリ、3機分のあとがあるぞ。こりゃあ軍だな。」
ダッドがミニーに手を上げ返事して、トンネルを確認する支部の管理官に近づいた。
「どうだ?」
「1時間もたってないな。それに、2回掘ったあとがある。1回掘ったあと、爆発か何かで崩れたようだ。2回目の壁は柔らかくて、地質が乱れてる。」
おーいと、他の管理官が息を切らせて崩れた裏手から走ってきた。
「あっち、クローンが2人死んでた。ありゃあずいぶん破壊力のある弾だな。一人は腹、一人は頭が半分吹っ飛んでる。しかし、もうかなり時間がたってたようだ。死後硬直始まってた。」
「ふむ・・」
誰が殺したかは想像しなくてもわかる。
そんな銃を使いこなすのはレディしかいない。
軍の対応を考えれば、何かあったのは明白だ。
ミニーが走って来て、息を切らせダッドの手に、薬莢を数個ころんと渡す。
「ほら、このでかい方はお嬢のだろ?」
それは小銃の物と、レディの愛用するヘブンズ・アークの物。
ダッドがギュッと握った。
「どうする?軍に問い合わせるか?」
「いや、聞いて“ああ、うちで預かってますよ”とは言わないだろう。知らぬ存ぜぬぬらりくらりとかわすに違いない。
とにかく、局長に連絡を入れよう。」
「じゃあ俺、あいつらの荷物残ってるらしいから貰ってくるよ。」
「ああ、ミニー頼む。」
「おう。ダッド、落ち込むなよ。」
ポンと肩を叩き、数人と共に村人に連れられミニーが村へ向かう。
「一体、何たくらんでる・・」
軍が軍所属の特別管理官を拉致するとは。
やり方は派手で大胆だが、首謀者は決して表に出てこない。
それを考えると、小隊を極秘に動かせるのが誰かは限られてくる。
彼らの力を利用しようとする、上層部の誰かとしか考えられない。
しかしそんな誰しも考えられる事でも、軍にいる限り上層部を疑うことが出来ない。
「レディ・・今どこにいる?」
どんよりと曇った空を仰ぎ、あの時間のロスが口惜しい。
ダッドはヘリに向かうと、指示を仰ぐために局長へ連絡を入れた。



ダッドの通信を受けて、局長が通信室でじっと通信の切れた画面を見つめた。
通信嬢2人が、後ろに立つ局長からのさめたプレッシャーに、ゾクゾクと寒気が走って固まる。
「お前達、他言無用だ。指示を待て。」
「りょ、了解しました。」
カッカッカッカッとヒールを鳴らし、局長が部屋を出る。
ホウッと2人が脱力した。

自室に戻った局長は、すぐさま電話を取り、そしてせわしくボタンを押した。
「研究所か?ああ、所長を頼む。手が空いてないならマリアかマキシでもいい。」
トントントントン、指を鳴らし落ち着かない。
しばらくして、ようやくマリアが出た。
『すまない、ちょうど所長は無菌室に入って・・どうしたんだ?』
「今度、13コロニー大統領が来るのは知っているか?」
『ええ、シャドウ達が護衛するそうだね。』
「それで、何か軍の方から接触はあるか?」
『いや、ただメンタル面で安定しているか聞かれて書類でサインはしたが・・あいつらは鉄骨みたいにわがままで自分一直線だから、覚悟しろと付け加えたよ。
そうだな、他は聞いてない。』
「ホストコンピューターの記録を調べてくれ、あとクローンでいい、テレパスの出来る奴一人選出してもらえんか?私の責任で使いたい。」
『何があった?』
「レディが、グランドと一緒に拉致された。恐らく軍だ。」
『なっ!』
「後ほどそちらへ向かう。連絡はこのホットラインへ。他は盗聴の可能性がある。」
『了解した。』
ピッと電話を切る。
じっと考え、また電話に手を伸ばす。
「メンタル面か・・」
頭が痛い。
レディの力を知ってから、一番恐れていたことがこうも早く訪れるとは。
グランドから通信は全く来ない。意識がないのか、ポチも見失っている。
レディの通信機もやはり当てにならなかった。
一体どうやって2人を拉致できたのか・・?
レディを無傷で捕らえるのは至難の業だ。

メンタル・・・精神面か・・・?

ピピピ、ピ、ピ、久しぶりにかける電話番号を、アドレスから読みこんで電話をかける。
それはもっとも軍の中枢に近く、忠実でしかもあの兄弟を知り尽くしている人物の自宅だ。
長いコールで切ろうかとした時、ようやく繋がった。
「・・・あ、ウェントか?久しぶりだ。あ、ああ、いや、変わりはないかと思ってね。カレンも元気かね?」
ウェントは、ザイン少佐と結婚したクローン研究所の支部にいる博士の1人だ。
彼女はクローンのカレンを養女に迎えている。デリートの古い友人の1人だった。
『カレン、今、彼の知り合いの所へ旅行に行ってるのよ。ちょっと訳ありなの。』
何かを含んだような言い方に、デリートの目が光る。
「まあ!そうかい?そりゃあいいね。彼女も知り合いは増やした方がいい。味方は多い方がね。」
わざとらしく、うそぶいてみせる。
デリートらしくない返事に、クッと吹き出す声がした。
『ええ、人を敵に回すと思わぬ事になるからって、私もかねがね彼に言ってるのよ。ホホ、でも彼ってわがままだから。そこが好きなんだけどね。』
「おやおや、わかった。もう切るよ、かけなきゃよかったよ。」
『あら、薄情ねえ、相変わらず。今夜はルーナでも眺めながら一杯やるわ。私、昔ルーナで働いていたのよ、懐かしいわ。じゃ、さよなら。』
「ああ、じゃあな。」
ピッと電話を切って、クッとデリートが吹き出す。
「タヌキだね、相変わらず。マリアと、いい勝負だ。」
じっと考え、短縮番号を押した。
「管理局本部のデリート・リーだ。調査部に回してくれ。ザイン少佐を。」
『申し訳ありません。少佐は休暇を取っていらっしゃいます。』
「ほう、珍しいな。本部へ行ったのではないのかね?」
『いいえ、本部とは聞いておりませんが・・』
「わかった。」
ピッと切って、ニヤリとほくそ笑む。
的中か、意外とわかるもんだ。付き合いが狭いな。
しかし・・・

彼らがどこへ連れて行かれたか・・・・

『ルーナでも見ながら・・』

ウェントが、昔ルーナの軍の施設で働いていたのは知っている。初対面がその施設でだった。それを知りながら。

怪しむ根拠があるか・・?
それとも確実性の高い情報と取るか・・

「ルーナか。ふむ・・」
ザインがそこまで仕事の情報を夫人に残すと思えない。しかしテレパスのカレンが一緒だとすると、情報源は彼女か?
それともただの憶測か・・・
兄弟らがコールドスリープから目覚めたのは、ルーナの連邦軍管理区域だった。
そこからカインのクローン研究所へ移送されたのだ。
ルーナの軍管理区域は、確か老朽化から移転したはずだが。
調べるか。
ため息をついて椅子にドカッと座り、引き出しを引いた。
ディスクの間を探り、一枚の写真を取り出す。
「グランド、お前が付いていてどういう事だ?」
明るく笑う少年らしいグランドと、まだ骨っぽいほどに痩せ、ギョロリとした目で写真機を睨む無表情のレディ。
確か、彼らがコールドスリープから目覚めたのは16の頃だ。
話を聞くほどに、人間に翻弄されたその運命にため息が出た。
守ってやらねば、そう強く思った。
だからこそ、この局長職にも率先して付いたのだ。
レディアス、利用されたあげく晒し者にされるなら・・・
「私が、殺してやろう。」
ギュッと手を握る。
ドンとデスクを殴り、大きく首を振って顔を上げた。

「いや、必ず取り戻してやる!お前達も抗って見せろ!レディアス!グランド!」





バラバラとローターの派手な音に囲まれながら、大型ヘリの中でレディは銃を手にした兵に囲まれ、ザイン少佐と向かい合っていた。
ザインも、ようやく捕まえた彼を前にやや緊張する。気にいらなければ、この高度からでも平気で飛び降りてしまう気がしてならない。
来訪する大統領が、いかに危険な人物であるかを淡々と語って聞かせ、反応を見ていた。
「とにかく、グランドを降ろしたまえ。それではグランドも辛いだろう。」
しかしレディは、手を伸ばしてくる傍らの兵の手を払い、身体中の毛を逆立てるように周りを睨む。
「何もしない、約束する。」
呆れたように言うザインに、レディがギュッとグランドの身体を抱きしめ、じっと無言で嫌だと全身で拒否する。
彼の身体からは、人間に対する不信感が吹き出していた。
カチャッと兵の数人が、ブラストを構えようとする。
ザインはサッとそれを制し、何とかレディを座らせようと壁に沿ってある座席を指した。
「とにかく座りたまえ、信用できないのはわかるがね、君もこうして来たからには覚悟があるだろう?
ヘリの中で騒ぎは迷惑だ。」
レディがぐるりと見回し、兵をかき分け奥に行くと床にボスッと座る。
ザインはため息をついて兵に座席へ着くよう指示し、自分も操縦席後ろの席に着いた。
カレンが心配そうな顔で父の顔を覗き込む。
「大丈夫だ、お前はこれから行く基地に着いたら家に戻りなさい。彼女も心配している。
お前を巻き込んで、悪かったな。」
「いえ、お父様のお力になれれば、それで・・」
微笑んで目を閉じ、レディの心を覗いた。
グレーの空と、荒廃した大地が見える。
そして、体中の血が蒸発したような異常な乾き。

『見るな!』

突然、大きな声が頭に響き、ブルッと身体を震わせ目を見開く。
あっと両手で顔を覆った。
それは不安と拒絶と絶望が入り交じった、レディの激しい怒りの声。
どうする事も出来ない、あらがえない悲しさがカレンの心とシンクロする。
ポロポロ流れる涙に、頭の中に母であるウェントの姿が浮かぶ。
苦悩する父に、どうしても力になりたかった。
でも、それが悪い事かわからない。
だからこっそりと父の頭を覗き、わかった事を母に告げて家を出た。
クローンである自分は、この人達のためなら喜んで死ねる。
でも、レディアス達を巻き込むのが辛い。
母は無言でただうなずいて、頬にキスしてくれた。



ヘリが目的の基地に着くと、飛行機に乗り換えるためいったんヘリを降りる。
レディは兵に囲まれながら、ピリピリしているのが目に見えていた。
「おい、肩の奴をおろせ。」
タラップで、後ろの兵が銃を伸ばす。
身体に触れかけた時、ヒュッとレディがよこしまに地面へ飛び降りた。
反射的に、兵が銃を向ける。
「撃つな!レディアス、止まれ!」
兵を制しながら、ザインが叫ぶ。
レディはじっとその場にとどまり、また兵に囲まれた。
「何をしている!馬鹿者!」
ザインはタラップを下りると、レディに駆け寄るなり思い切り平手で頬を殴った。
バシッ!
よろりと大きくレディがふらつき、隙を逃さず兵が飛びつく。
「そいつを渡せ!」
「おい、押さえろ!」
グランドを取り上げようとする兵に、レディは必死で抗いグランドを抱きしめ離さない。
「この・・諦めろよ!」
レディの身体へ兵の一人が、何度もスタンガンを押しつけた。
「嫌だっ!あっ!あっ!」
しびれる身体に唇を血が出るほどかみしめ、離されるグランドの足にレディがすがりつく。
「この!」
ドカッと周りから兵達に蹴られ、銃で殴られ血を流しながら、それでも手を離そうとしない。
「いい加減にしろよ!」
兵の一人が、イライラしてブラストを撃った。
バシュッ!バシュッ!「うっ」
ドッドッと脇腹にブラストを受け、全身に電気が流れるような衝撃を受けながら、普通なら気を失う所を精神力でギリギリと遠くなる意識をつなぎ止めた。
足が効かない。手がしびれて力が抜ける。
目の前が真っ暗でかすむ。

駄目だ!ここで離したら、グランドを守れない!
一人にさせては駄目だ!一人に・・・

一人は・・・嫌だ!

「なんてしつこい野郎だ!」
兵が、更に引き金に指をかけた。

「やめて下さい!」

カレンが駆け寄り、レディを庇うように飛びついた。
こんな事になるなんて、彼を傷つける事になるなんて耐えられない。
「お父様!どうか、カレンにお任せ下さい!それでも駄目なら、私ごと撃って下さい!」
レディを後ろに庇うカレンの目が、真っ赤に燃え上がる。
無言でうなずく父にキッと厳しい顔を向け、そして周りの兵達を圧倒した。
「くっ・・この、クローンのくせに・・」

ドカッ!「うぉっ!」

つぶやいた兵を、ザインが拳で殴る。
「私の娘を侮辱したら許さん。」
すごみのきいた声に、ゾッと兵がすくみあがり慌てて敬礼した。
「も、申し訳ありません。」
ホッとカレンが微笑み、レディの身体を気遣いながら耳元に優しくささやく。
「レディさん、どうかグランドさんの事はお任せを。私が、ずっと付いております。
グランドさんにはずっと私が付いて、あなたの元へ必ずお返しします。お約束します。」
ハアハアと苦しそうに息も荒いレディが、じっとカレンを見上げる。
「きっ・・グレイ・・・の、所・・へ」
「グレイさん?・・ですか?」
ハッとカレンが思わず彼の心を読み取った。
レディは、すでに死を覚悟している。
それは、あの森から出た時からの複雑な気持ちが、今ここで覚悟に変わってしまったのだ。

人間達に踏みつけられて。

そうさせたのは自分。
父のために、恩人をおとしめてしまった。
カレンの目から、涙があふれた。
涙をぬぐい、ギュッと手を願うように組んだ。

泣いている時ではない。
今は・・自分がせめて彼の心に光をとどめなくては。

カレンの心も決まった。

「いいえ、あなたの元へ。
レディさん、グランドさんはあなたの夢を見ていらっしゃいます。あなたをずっと思っていらっしゃるのです。誰よりも。
だから、私はあなたの元へお返しします、きっと、この命を賭けて。だから死んではなりません。」
レディの目が、ほんの少し動揺してゆっくりと閉じてゆく。
それが、もう限界だった。
ズルリとグランドの足から手が離れ、倒れる身体をカレンがすくうように抱きしめた。
「お父様、これはカレンのけじめです。私はグランドさんにお供します。
レディさんはお父様にお預けいたしますが、くれぐれもご丁重に。どうか、カレンの願いをお聞き届け下さい。」
グランドは、抱えられてすでに違う飛行機へと向かっている。
ザインがしばらく考え、そしてうなずいた。
「わかった。約束しよう。」
「ありがとうございます。では。」
グッとレディの身体を抱いて立ち上がり、大切にその身体を父に渡す。
ザインが抱き留めるその身体は、思った以上に軽くハッとした。
「レディアスさんは、あなたが思っている以上にもろいのです、お父様。
彼はクローンではありません。支えがないと生きられない、弱い人間です。
あなたにウェントという女性がいるように。」
ザインが思わず顔を上げた。
くるりと背を向けるクローンの娘に、一歩踏みだす。
「お前は、私の娘だ。必ず帰ってこい。」
ふと、カレンの足が止まる。
振り返ったカレンの顔が、明るく微笑み、そしてまた背を向け走り出した。

「ウェント・・・すまない。」

ザインがつぶやき、手の中のレディの顔を見る。
腫れた頬に切れた唇から血を流していても、その顔は壮絶に美しい。
その美しさにクローンを見てしまう自分達人間は、ひねくれてお前達より始末が悪いと思う。
ザインは振り返り、命令も無しに殴り蹴った兵どもを、ぐるりと睨み付けた。
「申し訳、ありません。」
兵が顔を紅潮させ、サッと敬礼しながら、出過ぎた真似をした事にようやく気が付いたようだ。
「行くぞ。」
用意された飛行機に向かいながら、ザインの胸がひどく痛む。
カレンの手を離してしまった自分とレディの姿は、ひどく似ていると思い、浮かぶ後悔を必死で振り切って前を向いた。


どんよりと、今にも降りそうな雲の下、夕暮れも過ぎてすっかり暗くなった中を、デリート・リー管理局長はクローン研究所へと車で向かっていた。
ゲートを通り玄関に入ると、いつもいる受付のクローンが飛び出して迎えに出る。
局長の姿に、にこにこ愛想良く微笑んだ。
「いらっしゃいませ、リー局長様。」
コートを翻し、スーツ姿の局長が革の手袋を脱ぎながら玄関を入ってきた。
「レモン、君はどうしていつも私にだけ『様』を付けるのかね?アリアはどうした?」
レモンは負ける物かと、キュッと顔をこわばらせる。
「アリアはちょっと気分悪くて休んでます!だって、局長様はいっつもグランド達をいじめてるんでしょ?だからレモンも仲良くならないの!」
「そうか。」
フッと局長が困った顔で微笑む。
ポンポンとレモンの頭を撫で、研究棟へ歩き出した。
「デリート!早かったわね。」
マリア博士が声を聞いて現れ、レモンのプウッと頬を膨らませた顔にプッと吹き出す。
「また嫌われたのか?」
「そのようだ。よほど悪口を言われているらしい。アリア、体調悪いのか?」
マリアが並んで歩きながらうなずく。
クローンが体調不良を訴えるのも珍しい。
アリアはまだ若く、衰退期には早い。
「どうも、変なんだ。神経系にダメージがある・・いや、ダメージとは言わないな。」
「どういう事だ?」
「アリアは特殊能力としてC級のテレパシーがあった。テレパシーと言っても、表面的な物だけだがね。だから受付に最適だったんだよ。それが、突然2日前に突出して伸び出したんだ。それも暴走と言えるほどに。」
「で?」
「なんと言ってると思う?カイン中の声が聞こえるようだと言うんだ。」
「今は?」
「テレパス用の隔離部屋だよ。それでも頭痛がひどくて不眠状態だ。食事も入らない。このまま手が付けられなくなったら、コールドスリープに戻さなきゃならないな。危険だ。」
「ふむ。」
「ここだ、どうぞ。」
会議室のドアを開け中に入ってゆくと、見事な金髪の中性的な男性が微笑んで立ち上がった。
まだ40代だが、ここの所長であるカイエ・グラントだ。
今まで壮年の所長が多かったが、研究者も次第に世代交代の感がある。
年齢よりも人間性を重視した、研究者らしい選択で選任された。
「お久しぶりですね、報告は聞いております。どうぞ、こちらに。さっそく本題に入りましょう。」
中には、限られた数人が座っている。
ここの主任クラスばかり5人だ。そして、クローンが2人。
一人は白い髪を肩まで伸ばした性別不明、一人は黒髪のやややつれた青年で車椅子に座っている。
2人はそれぞれ赤く美しい目をしながら、表情は何か硬く心に誓った物があるように、厳しい顔をしている。
局長が、その2人にちらりと目をやった。
「本当に協力が出来るのかね?サンド、ソルト。」
黒髪のサンドが顔を上げ、フッと小さくため息をつく。
「俺は・・サイコキネシスは、もうペン1本くらいしか動かせん。が、テレパシーは連絡を付けることくらいなら出来る。あいつには借りがある。力になれるなら協力しよう。」
真っ直ぐに局長を見つめそう言うと、痩せた手をテーブルに置いて、その手を組んだ。
「僕も協力する。理由は同じだよ、今のところはね。でも、僕の場合は働きたいんだ。彼のため、誰かのために。」
ソルトが目を輝かせる。
2人からは、すでに主の呪縛が解けている。
通常は大変な期間と努力を必要とするそれも、彼らがそれぞれグレイとブルーのクローンという特別の存在だからだろうか?
それに2人が互いを支え合って生きている事も相乗効果をなし、呪縛からの離脱は非常に早かった。
「わかった。軍の無線が使えない事には、どうしてもテレパスが必要だ。もちろんテレポーテーション能力もきっと役に立つ。
しかし君達を使うことは規定に違反する。だが今はそうも言っていられん、2人の人生、いや、命に関わることだ。恐らく十中八九。向こうが犯罪を犯すつもりなら、こちらもそれなりの覚悟をさせて貰う。」
マリアが横でうなずく。
軍が今一番憂いていること。それはあの13コロニーだ。
今の大統領の強硬路線を、中枢部のお偉方はよく思っていない。
しかも今回の来訪で特別管理官に護衛を頼むなど、神経を逆撫でしたのだろうか。
レディ達が恐らく軍に拉致されたと聞いて、真っ先にそれが浮かんだ。
「中枢を敵に回すことになるとはな。」
ため息をつく局長に、情報管理課長が資料を手にした。
「研究所のメインコンピュータの、ブラックラインを超えた外部からのアクセスは2本。
どちらも軍中枢です。
閲覧されたのは、あの兄弟6人の資料。」
「私が護衛にレディを使わないのは想定内か。
それを逆手にとって利用するなど・・しかも、同じ軍に拉致されるなど、異常だ。」
一体、レディが付いていながら、どういう状態で捕らえられたのか想像も付かない。
相手も相当の負傷者を出したはずだ。
「グランドが足を引っ張ったかも知れません。一切連絡がなかったのを見ると、気絶か死んだか・・レディはグランドが死んでも、遺体を放置はしないでしょう。」
無言だったマキシが苦しい顔で言い、そして顔を上げた。
「そう言えば、pot-1は?」
「あれはグランドと一定時間コンタクトが切れたら、自分でシステムを落とす。警戒心が強いからな。我々に耳を貸す気はないらしい。」
機械のくせにと苦笑いで首を振る。人間くさいコンピューターは融通が利かない。
コンコンと、マリアがペンを鳴らし、めがねを外す。目が疲れたのか、ギュッと目の間を押さえて言った。
「デリート、レディはまだ根元に人間に対して不信感がある。
たとえ親代わりに接してきた君でもね、君の言葉をいまだ『命令』と取る節があるんだ。
命令という絶対の物は、なかなか取り払うことが難しい。自我をしっかり確立できない危うさを、上手く利用されたら・・」
「大統領暗殺にも手を貸す、か・・」
「そうだ。頭で駄目だとわかっていても、抑圧的な人間に命令されれば奴隷兵士がよみがえる。たとえ、見返りが水1杯でも、彼はそうして殺してきたんだ。」
皆のため息が聞こえる。
殺すことにためらいがない彼は、躊躇せずに相手が大統領でも殺す。もっとも暗殺に適した人物だろう。
そして、彼の秘めた力は、それを表立って知られることなく実行できるのだ。
「あの・・・・」
ソルトが、思い切って切り出した。
「もし、捕まったら・・・どうなるんですか?」
一層シンと部屋が静まった。
目を閉じていたカイエが、静かに顔を上げる。
それは誰もが考えたくない、恐ろしい予感。
「未遂で捕まったら、良くて洗脳処理か、悪くて脳機能部分破壊処理。つまり廃人処理。
要人暗殺で捕まったら、コールドスリープに戻され、クローンオリジナルの標本として永遠に保管されるか、薬殺されてやっぱり今後の資料に標本として残るだろうね。まあ、射殺されなければだが。
クローンである君達より、死後は悲惨だよ彼らは。何しろ彼らの身体は、クローンを作る上で生み出された技術の粋だ。どんな死に方をしても、墓には入れず遺体は標本として永遠に研究対象だ。一部はカイン戦争博物館にでも展示されるだろうね。」
残酷な事を平気で言うカイエも、やはり研究者だ。それでも、それを望まないからここにいる。
「そ・・・んな・・」
ソルトが立ち上がり、頬を両手で覆い首を振る。サンドが彼の上着を掴み、座れと促した。
「人間なんて、どこまでも残酷になる。ソルト、俺はあいつは嫌いだけどな、シュガーが夢の中で言うのさ。手を貸してくれって。」
「シュガーが・・僕も、僕もだよ。シュガーが助けてって言うんだ。サンド。」
にやりとわらい、デリート・リーが立ち上がる。
そしてサンドに手を出した。
サンドが驚いた顔で、怖々と握手する。
局長はソルトにも手を伸ばして握手すると、皆に声を上げた。
「これは、軍中央部との戦いだ、しかも水面下での。13コロニー大統領が来るのは3日後。なんとしても、中枢の目的は阻止する。」
静かに皆がうなずく。
「では、すでに時間がない。スピードが勝負だ。」
カイエが立ち上がった。
デリートが、椅子に座ってうなずく。
「うちの調査部数人と管理官数人を回す。すでに口の堅い人間を選出して調査に向かわせている。知り合いの情報でな、ルーナの遺棄されている施設を調べさせるつもりだ。
サスキア近辺の軍の施設、および宿泊施設、立ち回りそうな場所もすべて回らせている。
それと、例の死亡していたクローンについてだが。あれは別件が考えられる。現時点では、現場にいた当事者がいない事には捜査を進めようがない。」
「ああ、その件は・・遺体はまだ来てませんが、支部に配属の医療部から検屍レポートが届いてます。」
マキシがパネルに結果を出す。まだ簡潔な物だが、それで今は十分だ。
「遺体の傷からは硝煙反応も見られましたし、あの傷の状態からアークで撃った物とは推測されます。破壊力が段違いですからね。」
「うむ、捜査班をやったと支部から報告は受けている。結果を待とう。今はこちらが優先される。とにかくルーナの方を急がせよう。」
さすがにやることが早い。
それを聞き、マキシが身を乗り出した。
「うん、僕もあそこが怪しいと思うよ。グランドはポチと通信が出来る。やめさせるには、ずっと眠らせるか、通信できない所に閉じこめるかだ。放棄されても、昔のままに施設は残っている。
グランド一人なら大したこと出来ないし、あのテレパス用の隔離部屋に閉じこめておけばいい。」
「何だ、さっきは死んでるなら、なんて言ってたくせに。」
クスッとマリアが笑う。
「研究者だからね、冷静にいろんな状況を考えてるだけさ。意地悪だね、マリア。」
ぶうっとマキシが慌ててごまかした。
「ふむ・・グランドの力は、やはりあの隔離部屋なら封鎖できるかね?」
「ああ、それは昔実験した記録があるよ。」
マキシが手元の端末を操り、グランドとポチのアクセスに関する資料を中央のパネルに出した。
「実験した部屋は、ここのテレパス用隔離部屋。ルーナにある隔離部屋もこのタイプだ。
主に鉛を使った合金を壁に厚さ30センチで埋め込み、弱い電磁波を流している。
グランドは、これで全くポチと交信できなかった。」
「つまり、ルーナまでの道のりは眠らせるしかないか。ルーナへの船のアクセスも調べさせているが、拉致されてすでに時間がたっている。今から手を回しても遅いだろう。」
ギュッとデリートが唇をかんだ。
「しかし、少佐が絡んでいるのは頭が痛いな。彼は2人の情報のほとんどを握っている。弱点もすべてだ。レディにどんな手を使うかを考えられるだけに、胸が痛いよ。」
カイエが胸を押さえ、沈痛な表情を浮かべる。
レディを言うがままに使いこなすため、どんな汚い手を使うのだろう。
彼からグランドを取り上げた上にその命を握られると、それだけでレディは自分を見失ってしまう気がする。
暫し考えていたマリアが、唐突な事を言い出した。
「どうだろう、アリアに探させてみては?」
「アリアに?!あの子は・・」
「無理かもしれない。でも、レディは異端だ。以前ブルーがレディは心の中の色が、普通とは違うと言っていたのを聞いた事がある。
今なら、アリアに探せないだろうか?」
カイエが、苦い顔でうつむいて目を閉じる。
そして顔を上げた。
「アリアの状態は?」
「変わりない。恐らく。」
「部屋を出して大丈夫だと思うかい?テレパスの力は精神に負担をかける。
前例があるだろう?精神崩壊を起こしたクローンが数名いる。」
「ええ、それがわかっていて言ってるのよ。今は頼る物がない。レディの力は危険だ。それはアリアも知っていると思うんだ。」
その時突然、外からどやどやと声が聞こえて騒がしくなってきた。
「・・待って・・やだ!きゃーー!!」
レモンがキャーキャー騒ぎながら必死で止めている。

ドンドンドン!

ドアが3人くらいに叩かれた。
ハアーッと皆が一斉にため息をつく。
それが誰かは容易に想像が付いた。
「入りなさい。」
カイエが大きな声で、呆れて言った。

「おっじゃましまーーーっす!」

レモンを抱え上げたシャドウを先頭に、ブルー、セピア、グレイがぞろぞろ入ってくる。
シャドウがレモンを降ろしてヨッと軽く手を上げ、それぞれ椅子に勝手にドスンと座った。
「申し訳ありません。止めたんです!でも・・」
レモンが顔色を変え、懸命に頭を下げる。
なだめるように、マリアが微笑んでうなずいた。
「いいのよ、レモン。こいつらを止める事なんて誰にも出来ないわ。受付、お願いね。」
「はい」
何度も何度も頭を下げて、レモンが部屋を出る。
マリアが大きなため息をついた。
「レモンを傷つけるのはやめてくれんかね?」
兄弟達は、はんっと気にすることもなく憮然としている。恐らくは局長の動きを掴んで駆けつけたのだろう。
「俺たち除けて、勝手に話し進めるのは無しにしてくれねえ?」
「そーだよ、部外者じゃないじゃん!」
「僕たちだって家族を心配してるの、わかるでしょう?局長。」
「あー、以下同文。」
ピーピー叫いたあとで、サンドとソルトに気が付き4人が怪訝な顔で見る。
ブルーがジロッとマリアを見た。
「まさか、こいつら使うって言うなよな。」
「使うわよ。仲良くするんだね。」
ガターン!揃って4人が立ち上がる。

「なんで!」

「うるさいっ!!」

デリートが一喝する。
ドキッと4人がしゃんとして、慌てて目をそらしストンと座った。
「お前達、邪魔をしに来たなら帰れ。今は・・」
「えっ!アリアが?」
突然、ブルーが立ち上がった。
誰かの心を読んだのだろう。
「局長、ごめんよ。でも、何でアリアが?・・そうか原因不明?・・いや、そんなヤバいことしないでくれよ。」
「ブルーッ!勝手に心を読むな!」
マリアがドンとテーブルを叩き、真っ赤になって立ち上がる。
「お前は心を読まれる人間の気持ちがわかっているのか?!」
「ご、ごめん。みんな怒ってるのわかる。でも、知りたくて・・」
ため息をつき、デリートが顔を上げた。
口を閉ざしても、テレパスにはザルだ。
だから、彼らの力は管理局でも一部の人間しか知らない。
特にテレパスに関する情報は、社会生活にも支障を来す為に極秘とされる。
誰しも心を読まれるなど、嫌って当たり前だ。
「とにかく、今は2人の居所を調べている。お前達は大統領の護衛の任務を果たす事だけを考えろ。」
静かに言うデリートの言葉も届かない様子で、ブルーが頭を抱えて涙を流す。
「・・・ああ、そんな・・そんな・・」
ぶるぶると震え、机に伏せて泣き出した。
「ブルー、どうしたのさ!」
セピアが驚いて背を撫でる。
無言の博士達に、シャドウがハッと立ち上がった。
「まさか、2人が消息不明ってのは・・」
4人は管理局の仲間から口づてに、グランド達と連絡が付かなくなった、それが軍に連れて行かれたらしいとしか聞いていない。
グレイとセピアも、バッと局長達の顔を見る。
マリアがふと、重い口を開いた。
「隠しても、すでにブルーが知っているか。
軍の目的は、恐らく大統領暗殺だ。それもレディを使って、自然死に見せかけた。
グランドは、それを実行させるための人質だろう。」

「・・・んな、バカな・・」
4人が絶句する。

「な・・んで・・いつも、レディばかり・・・」
どうして辛い役は、いつもあいつが引き受けなきゃならない?
やっと、普通に生きているのに、なぜ?なぜだ?

「お前達は、どう思う?」
マリアがヒョイとめがねを上げ、身を乗り出す。
レディも暗殺を、どう考えるかわからない。
最も近い者の意見に興味を覚えた。
「どうって?」
シャドウがヒョイと肩を上げる。
ブルーがゴシゴシ涙を拭いて、赤い目をした顔を上げた。
「あいつは、グランドさえ無事ならいいと思う、そう言う奴だ。」
「だね、グランドがいて、ようやっと自分だもん。レディにとって、自分の事って羽より軽いンよ。
それに最近、レディ変だもん。近所の公園ばっかりいるし。何かあったのかな?ちっとも帰りたくなさそうでさ、帰っても部屋にばっかりいるもんね。」
セピアの言葉に、ビクッとグレイが青ざめ顔を伏せる。
見逃さないマリアの目が厳しくなった。
「何があった?グレイ。
レディは最近妙に浮き沈みが激しかった。無口なあの子がやたらしゃべる時は異常だよ。」
シャドウがチッと舌打ちしてマリアを見据える。
待ったと手を上げ、グレイの肩を抱いた。
「それは済んだ事だ。俺たちだってプライベートはある。マリア、それも駄目なのか?」
「シャドウ、お前は事の重大性に認識が薄いな。浅いんだよ、お前は物事を深く考えないクセがある。
レディが今どんな精神状態かは把握する必要があるんだよ。最後にグランドから、様子がおかしいと通信があった。それも関係するのかも知れないんだ。」
グレイがギュッとシャドウの腕を握り、そして彼に首を振る。
兄弟を見回せば、セピアがきょとんとした顔でグレイを見つめていた。
「セピア、ごめんね。」
「グレイ、どしたのさ・・・」
自分たちが犯した罪は罪。
どんな理由があろうとも。
グレイは張り裂けそうに脈打つ胸に手を当て、そしてグランドとの事を語り始めた。

目を開けて、伸ばした手を見る。
手の甲をケガしたのか、包帯が巻いてあった。
身体中、ズキズキと痛んで身体を動かす気が起きない。
一人だ・・
自分は一人。
目玉をぐるりと巡らせると、自分はソファーに寝ていて、ここは殺風景な応接室かどこかのようだ。
窓の外はすっかり真っ暗で、それでも満月なのかほのかに明るい。
目を閉じ、大きくため息をつく。
息を吸うと、脇腹がズキンと痛い。
左の頬に、大きく湿布が貼ってあってヒリヒリする。
身動きせずにじっと壁を見ていると、外から話し声が聞こえてカチャリと誰かが入ってきた。
「何だ、気が付いたのか。起きれるか?」
ザイン少佐の声に、目も向けず閉じる。
「寝たふりしてもばれてる。起きろ。」
向かいの椅子にどっかと座り、少佐が足を組む。
「・・・・グランドは?」
小さくかすれた声を、ようやく出した。
「悪いが、ある所で預かっている。作戦終了までの辛抱だ。」
作戦・・・?
レディアスが、薄いブルーの目を開いて少佐の顔を見る。
コンコン
小さくノックがして、スーツ姿の女性がトレイを運んできた。
「失礼します。あら、良かった目が覚めたのね。どうぞ、温かい飲み物を。何か食べたいものは?」
レディの前に、湯気の立つカフェオレを出して女性がニッコリと微笑む。
レディは目をそらし、無言で目を閉じた。
「いいわ、また後で何か持って来るから。ちゃんと飲み食いして貰うわよ。ここはあなたの所属すると同じ、軍なんですから。
少佐、失礼しました。」
パタンと出て行く彼女の足音を聞きながら、目を開けてじっとカップから出る白い煙を見る。
何となく、ダッドが彼の家で入れてくれたココアを思い出した。
「せっかくだ、飲んではどうかね?すでに夜中だ、腹も減ったろう?」
腹なんか、減るわけがない。
ノドはからからだが、飲む気も起きない。

何もない。俺には何も・・・
もう、何もしたくない。空っぽだ・・・

しかし動かないでいると、少佐が立ち上がりレディの腕をグイと引いて起こした。
「仕事が終わったら無事に返してやる!だからしっかりしろ!お前はそんな弱い奴じゃ無かろう!」
座らせて肩を掴み、ガクガクと揺する。
少佐は彼のぼんやりとした目を見ると、そのうって変わった無気力さにカレンの言葉を思い出していた。

強い人間ではない・・か。
しかし、そうも言ってられんのだカレン。

「お前も見当は付いているだろう。お前の仕事を。」
「し・・ごと?」
「そうだ、やってもらうぞ、お前だから出来る事だ。グランドも、それが無事済んだら返す。」
「グランド・・・・」
ぼんやりした頭で記憶をたぐり寄せる。
熱いほどに暖かで、重い彼の身体を担ぎ逃げようとして失敗した。
失敗だ、あれは。
人間の高圧的な呪縛が、まだ自分を押さえ込んでいる。
あの時何故、逃げ出すことが出来なかったのか・・・・
グランドだけでも逃がせないかと、考えを巡らせながらも策が浮かばず、そしてとうとう引き離された。
しがみついたグランドの足から、あっさりと離してしまった根性の無い手にじっと目をやる。
憎々しいその手には、左手は包帯、右手も指2本に絆創膏が貼ってあった。
「もし・・・それをしなかったら、どうなる?」
レディがぽつんとつぶやくように問いを向ける。
少佐は眉をひそめ、そしてフッと一息はいた。
「さあな、俺が約束できるのは実行してからの事だけだ。それ以外は保証できない。」
それは、分が悪い質問だったのだろう。
少佐の声が暗い。
それ以外なんて、すべて決まっている気がする。
「どうせ、俺なんかただの物なんだ。」
「ちゃんと人間として認めているさ。ただお前の力を借りたいだけだ。」
「こんな事して連れてきて、グランドまで隠して、力を借りたい?」
「悪かったが、デリートがお前達の前にはバリケードを張っているからな、こうでもせんとお前に会う事さえ出来ん。」
ぐらりとレディの身体が傾き、どさんとソファーに横になった。
三つ編みした髪が、ポスッと顔にかかる。
ほこりっぽい髪の匂いに、あの暗闇でのグランドの顔が思い起こされた。

『ごめんな』

あの時、グランドはどうして謝ったのかわからない。
でも、久しぶりにとてもグランドを暖かく感じた。
ずっと、あのままの時間を過ごせたらいい。
どんなに願っても、永遠の時間なんて絶対長続きしない。彼の心はもう自分からは離れてしまっている。
ぽっかり空いた心の穴を見つめながら、彼は一つ瞬きした。
「いいよ、なんでもやるさ。でも、グランドはサスキアに帰してくれ。」
「作戦終了後だ。」
「グランドを盾に取る必要はない。俺はやると言ってる。」
「駄目だ、わかるだろう。お前がやる仕事は、極秘中の極秘で上は保険が欲しいんだ。」
「保険?体のいい、人質じゃないか。誰を殺す?まさか・・」
「13コロニー大統領。必ず自然死に見せろ。」
「いつ?」
「3日後・・いや、もう2日後か。それまで悪いが一室で過ごして貰う。恐らくデリート達が死に物狂いで探しているはずだ。」
レディがクッと笑う。
身体を起こし、ようやくカップに手を伸ばした。
暖かさが心地よく、揺れるカフェオレの液体を見つめる。それでも、心は寒々と凍っていた。
「局長達も、あれを見れば軍がやったと気が付くさ。誰が探すものか、グランドさえ帰せば何もない。あの人も、研究所も、軍にたてつきはしないよ。」
フッと息を吐いて、少佐が椅子に座る。
呆れたように首を振った。
「デリートも研究所も、お前の力を悪用されるのを何より心配しているはずだ。お前が思っている以上に心配しているだろう。」

「ああ、そうか。」

そうだった、自分のこの力はひどく厄介なものだ。
しかし今まで封印できた事が、逆にコントロールが付くと判断されて今まで通りの生活を許されたのだ。
レディが、カップを置いて膝を抱いた。
「作戦が終わったら、俺は?」
少佐が顔を上げてフッと笑った。
「ふふっ、初めて自分の事を聞いたな。
お前さえ黙っていれば、管理局に戻れるさ。
では、夜が明けたら移動して貰う。」
嘘つきだ、そう反射的に思った。
秘密の次は、普通口封じだ。自分は捨て駒でしかない。
「どこに?」
「それこそ秘密だ。今夜はここで我慢してくれ。監視を付けさせて貰うが、部屋を出ていいのはトイレだけだ。」
「逃げたらどうなる?」
「逃げたらグランドの身の保証ができんだけだ。彼は俺の管理下にない。お前の動向次第で、彼の身の置き方はどうにでも変わる。」
「だから、逃げもしないし命令にも従うと言ってる。グランドは帰せ。」
「仕事の後だ。」
「だから・・」
「何度言っても無駄だ。これは決定事項だ。」
バッとレディが立ち上がって、少佐を冷たく見下ろす。
その視線からは、心臓が締めつられるほどのプレッシャーが少佐を覆った。
「やめろ、お前のその態度は自分の立場も危うくするぞ。」
冷や汗を流しながら、少佐の顔が苦しさにゆがむ。
「どうせ人間なんか嘘つきばかりだ。俺の立場など、悪くなっても良くはならないのはわかっている。もう兄弟だって・・・」

また会えるかどうかさえ、もうわからない。

また、昔の繰り返しだ。
暖かな家なんて、自分にはどこにもない。
あの与えられた家だって、「ただいま」と言えた事は一度だってなかった。
兄弟と一緒にいても、自分はどこか違う。
幸せだと感じた事や楽しかった事なんて、考えてもあまり浮かばない。
あんなに戦時中会いたいと願ってようやく会えたのに、すっかり血で汚れきっている自分の汚さばかりが感じられて、同じ場所に立っている気がしなかった。

一体何を支えに生きていくのか、最近はすっかり見失ってしまっている。



うつくしいものが、消えてゆく・・



胸元のシャツをルビーごとギュッと握りしめ、じっと立ちつくしうつむいた。
少佐が立ち上がり、小さくため息をついて背を向ける。
「すべてお前次第だ。明日、計画は説明しよう。悲観的になる事はない。無事に済めばそれで元に戻れる。」
そう言って、少佐が部屋を出て行く。
「少佐!」
レディが突然、彼を呼び止めた。
胸元からルビーを取り出し、ギュッと握りしめる。
そして、細く繊細なチェーンを引きちぎった。
手の中の美しく小さな赤い輝きにキスをして、少佐に差し出す。
「これ、グランドに・・・」
その顔は、悲しさを秘めた決意の顔だ。
それが何を意味しているのかはわからない。が、少佐は受け取ると「わかった」と一言告げてドアを閉めた。





ずきんずきんと、頭が脈打つように痛い。
胃から食べ物が、何度も逆流しそうになる。
あまりの気分の悪さに身もだえて、頭をガシガシこする。
「うう・・ううう・・吐きそうだあ・・」
振り絞るように声を漏らすと、背中を誰かが優しくさすってくれた。
「大丈夫ですか?吐いてもいいですよ。」
優しい女の子の声に、片目を開けて薄暗い部屋に目をこらす。
「だ・・れ?」
「カレンです。グランドさん、大丈夫ですか?」
カレン?少佐の娘?
部屋は薄暗く、窓一つ無い殺風景さは見覚えがある。
どうして彼女がそばにいるのか、ここはどこなのか頭がぼんやりして回らない。

ポチ・・ポチ・・

何度も声をかけても、ポチは全く反応がない。
頭の中が妙にシンとして、重苦しい雰囲気にようやく目を開けて彼女を見た。
「ここ、どこ?」
「それは・・・お答えできないんです。」
「レディアスは?」
「それも・・お答えできません。ごめんなさい。」
「なんで・・・」
ひどいめまいを覚えながら、ようやく身体を起こす。
それが、なぜか軽い。
まるで、体重がいきなり軽くなったようだ。
「まさか、ここは・・・」
「おわかりでしょうね。ここはルーナです。ご気分が悪いですか?もう薬は抜けているはずですが・・」
薬?つまり、眠らされて連れてこられたのか?
ルーナはカインより重力が2割ほど落ちる。
「ルーナって・・なんで!俺はカインのあの山の中にいたはずだろ?何でここに!うっ・・」
ぐらりと目が回って顔を伏せる。こんなに気分が悪いなんて滅多にない事だ。
まるで・・・宇宙酔い。

そうだ、宇宙酔いだ!ここは、本当にルーナなんだ。

サッと頭がさえて目がようやくはっきり覚めた。
頭の中で、とにかく整理する。
自分は何をしていた?
レディアスと話して、ユント達の元へ戻っていて・・

激しい衝撃と全身のしびれ。
ブラストを構えるユント。

「あっ!あいつ!ユントだ!
カレン!俺はどのくらい寝てたんだ?レディアスもここに来てるのか?」
カレンが暗い顔を伏せ、そして指を咬んだ。
小さく首を振って、グランドの手を握る。
「私は、レディさんに申し上げたのです。あなたをお守りしますと。そうしなければ・・・」
ぽろりと彼女の目から涙がこぼれる。
そうしなければ、レディがどうだというのだろう。
グランドはゾッと身体中に鳥肌が立ち、彼女の手をはね除けたい気持ちを抑えた。
「つまり、俺を捕まえるのが目的か、それともレディアスなのか?そのくらい教えてくれよ。」
「そ・・れは、レディアスさんです。」
「何のために!あいつは・・・」
軍が、あいつをこんな事をして手に入れる理由は何だ?
まさか・・・
「今日は何日だ?」
カレンが迷ったように、言うのを躊躇している。つまりそれを言うと容易に目的が知れるからだろう。
わなわなと手が震え、ギュッとその手を握る。
「なんで・・なんで君がそれに手を貸すんだ。カレン!」
「ごめんなさい・・でも・・」
彼女がうつむき背を向ける。
「レディに、なんと言った?」
グランドの問いに、無言で彼女の肩が震えた。
「なんて・・こった・・・」
パシッと額に手を当て、部屋を見回す。
ここは、遠い昔覚えがある場所だ。
目覚めてすぐでまだ十分に理解してもらえなかった時、ここにブルーと2人入れられた覚えがある。
あの時も、この微量に流れる電磁波と何かしら脳に影響するらしい超音波で、頭痛に悩まされて苦しんだ。
「コフィーとユントは、俺たちを捕まえるための仲間か。じゃあ、あそこを爆破したのは?」
「それは、予定外だと父は申しておりました。ですから違う方の仕業かと思います。それはきっと局長様がもう調べておいででしょう。」
彼女が振り向き、父親を庇う。しかし今は、何を聞いても腹立たしい。
「ああ、でも当事者の俺たちがいないで、調べがどこまで進むと思う?すべてがスピードダウンする。こんな・・馬鹿げてる。
レディだって、どんな目に遭ってるか。・・・俺は、まさか・・人質か?!」
「それは!・・父の本意では・・ありません。」

「なにが・・!」きれい事をっ!

思わず、グランドが手を上げた。
彼女を殴ろうとした手を押さえ、グッとこらえて見る。
彼女はじっと目を閉じて、殴られるのを覚悟で逃げようとしない。
「くそっ!あんた殴ったって、なんにも変わんないよ!くそっ、くそう!」
ボスッとベッドを殴り、枕を掴んで壁に投げた。
「結局!軍はあいつに人殺しを強要するんだ!軍は!卑怯者!」
シーツを掴み、ビイッと引き裂く。
裂いても裂いても怒りが収まらない。
また自分が足を引っ張る結果に悔しくてたまらず、何に怒りをぶつけていいのかわからない。
泣きながらどうにも出来ず苦しむグランドに、カレンは顔を伏せて一緒にただ泣いていた。





ルーナの輝きの下、荒野を夜通し走った車がサスキアの街に入る。
サスキアの街へ入る時は主要道路には一つ検問があるのだが、そこは避けて裏の路地へと進入をして行く。人目を避ける方法ではあるが、こうして最近は検問を避ける車が多い。
おかげで容易に犯罪者がサスキアの街には出入りして、宇宙港を使いカインから逃げる者もいる事が最近は社会問題にもなっている。
特に、金のあるマフィアや後ろ盾を持つテロリストだ。
彼らはルーナへと逃れ、政府の手が行き届かないルーナの遺棄地区で身を潜めるのだ。
次第に白んで行く空を横目に、車は郊外の古い建物の地下へと吸い込まれていった。

バタン、バタン

ドアを閉める音が反響し、建物の節々が小さく音を立てる。

「こっちだよ。」
白い服に身を包んだ2人は小柄で美しい金髪をして、しかし黒いサングラスが異様に浮いている。
先を歩き出した1人について行きながら、1人の手が暗い照明に前がよく見えないのかついサングラスに手が行く。
「取っても、いいかな?」
「ああ、ここはもう大丈夫だよ。うん、さすがに見にくいな。」
暗闇に苦笑いしてサングラスを取り、胸のポケットに引っかける。
やがて暗い地下道の先、古びたドアを開けるとそこには、2人のうち1人と同じ姿の少年がデスクに向かっていた。
デスクには、煌々と画面から灯りを照らすパソコンが、チラチラ灯りを振りまいている。
少年が、2人の姿に顔も上げず軽く手を挙げた。
「お帰り。回収はうまくいったようだね。情報は本部へ伝えといたよ。」
「ああ、管理局が来る前に全部作業は終えたけどね。残って管理官始末しろと指示を受けたけど、失敗した。まさか、あれほどカンのいい奴とはね。4人が2人になった事も……伝えた?」
「うん、生き残りは死体の身元がわからないようにしてこいってさ。それと、軍の内輪もめ、伝えたから次の指示を待てって。」
「そうか、わかった。移動時間が長かったから…………少し休めるかな?」
小さく声を潜めて耳打ちする。
少年が、パソコンを操作する手を止め、2人に顔を上げた。
「いいさ、サスキアの分所に顔を出すのを1時間後にしよう。それまで休めばいいよ。ここに人間はいないから。」
人間はいない、その言葉にホッと肩を落とす。
1時間でも、心身共にリラックスできる事なんて滅多にない。
「ああ、じゃあ1時間眠ろう。毛布、借りるよ。」
「どうぞ、それ一枚しかないけど。」
「いいよ、上着を掛けて寝るから。」
2人、じめじめと暗い室内を見回し、床にある毛布に目を移す。
上着を脱いで、かびくさい毛布に横たわった。
「もう少し、いい場所に移れればね。」
「仕方ないよ、人間じゃないんだから。でもここはラクだよ、人間はたまに見に来るだけだ。カビ臭いくらい慣れればどうってことない。」
「ン、また、仲間も増えそうだし、大きな仕事が近いんだろうな。」
「さあ、僕らはただ、言われた通りに動くだけさ。他になにもない。」
「うん、サスキアで仕事なんて滅多にないからね。いい仕事じゃないのはわかりきってる。」
横たわる仲間の言葉に、少年がじっと画面を見つめて目を閉じる。
そして優しく声をかけた。
「お休み。」
「いい夢を。」
「ああ、見れればいいね。」
少年がキーをまた打ち始めると、カチャカチャとその音が室内を響き渡る。
リズムに乗った音に耳を傾けながら、2人は一時の静かな時間に目を閉じた。

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