桜がちる夜に

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更新日 2018-05-20 | 作成日 2018-05-20

<その5>

タタタタタ・・タタタタン!!
地下のヘリポートでは銃声が鳴り響き、シャッターの開いた外には管理局のヘリの姿も見える。
ヘリに乗り込むはずだったフリード達は、上からの通路の出口付近で、フリードを護る信者が小銃を手に管理局を牽制していた。
「フリード様、ここは駄目です!戻りましょう!」
「何故管理局が先回りしているんだ!マンセルめ、裏切ったのか?!」
周りを囲む部下が取り乱す中で、フリードが後ろを見る。
「もとより、マンセルは仲間というわけではない。利がある方へ手を貸すのは、あいつ等の常套句だ。
こんな時、44がいれば・・」
寄り添う老人が、ベールを上げて通信機を手に取る。
「可愛がってやった犬に手を噛まれるとは、このような事でございましょう。
GGに連絡を取ります。援護するようにと。」
「外のヘリをか。使えるのか?」
「使えなければ困りますな。中は皆が盾になれば済みますので。ここにクローンも、一人残っております。」
盾になる。
死を賭して体を張ると言うことだ。
フリードさえ助かれば、後は死んでも構わない。そう言う考え方なのだ。
特にクローンは、彼らにとって命など有ってないような物だ
「セピアは・・来ないか・・」
この状況で、苦々しい顔のフリードに老人が驚く。一人の女に固執することなど、今だかつて無かった。
「何を仰います!あのような野蛮な女に!」
「うるさい!」
自分でも、どうしてこんなにこだわるのかわからない。あの、セピアの太陽のような微笑みが、頭の隅から離れない。
どうしても、一緒にいて欲しい。
これまで、自分が望んだことが叶わないことはなかった。それが思い通りにならないなんて、考えるだけでも胸が苦しい。
ハッと、フリードが上からの通路に目をやる。
複数の足音が、バタバタと迫ってくる。
「後ろからも来る!」
「フリード様!」
絶望的な状況で、しかしそこに現れたのはセピアとブルーの姿だった。
「フリード!フリード投降してよ!」
間を置いて上からの階段で立ち止まったセピアが、ブルーの隣で叫ぶ。
信者を押しやり、セピアの前にフリードがベールを脱ぎ捨てながらその姿を見上げる。
愛しさがこみ上げるようなその表情に、老人はハッと足を踏み出した。
「フリード様いけません!」
老人がフリードの身体を制して、セピアに銃を向ける。
「セピア!」パンパンッパンッ
ブルーがサッと手を差し伸べて、バシッバシッと銃弾を弾いた。
「この・・」
ブルーが応戦に銃を上げる。しかしいきなり老人の首へ、フリードが手を回した。
「ウオオオオ!フリード様、何を・・!」
「余計なことを、目障りな・・」
その、片手で首を締め上げるフリードの怒りに満ちた顔。
ギリギリと首を絞める手の中から、ゴキリと骨の砕ける音が響き、気が付くとまわりの信者も騒然とそれを見つめている。
まるでさっき、2人のクローンを一瞬で殺したレディの姿を写し取ったようなその殺し方に、セピアが息を飲む。
「フリード・・」
ドサリと老人の死がいを床に落とし、フリードがセピアに手を伸ばす。

「来るんだ、セピア。俺の元へ来い。」

ブルーが仰天してセピアの体を後ろに回す。
「冗談じゃねえ、こいつは俺んだ。お前なんかに渡すかよ。」
「来いっ!」
フリードの、狂気に満ちた鬼気迫る顔。
ギリギリと歯を噛みしめ、その目がブルーに向いた。
「貴様がいるからだな。貴様が!」
魅入られたブルーが、ハッと顔を押さえてぐらりとよろめく。
「うわっ!何だ?気持ち悪い!」
呻きながらブルーは、反射的にバッとフリードに向かって強いテレパシーをぶつけた。
「ギャッ!」
フリードが頭の中でショートしたかのように、身体中を痙攣させて白眼でひっくり返る。
アッと、信者の顔に隙が産まれ、一気に応戦していた管理官が飛びついた。
ワアワアと慌てて必死に抵抗する信者に、バシッとスタンガンが走る。
手を後ろに回しその場にうつ伏せにして、とうとう信者全員が確保された。




非常灯だけの薄暗い中地下への階段を、延々と下りてゆく。
マーサの後を、レディとグランド、そしてソルトが追って駆け下りる。
「もうすぐドアがあるはずです。そこを抜けてしばらくでヘリポートなんです。」
「了解。」
グランドが、ずっとマーサの言葉に返事を返す。レディもソルトも、何か心にあるのかずっと無言だ。
そして、二つ目のドアが前を遮り、それをマーサがキーとなって開ける。
息を切らすそれぞれの息づかいが狭い通路に響き、レディが突然グランドの腕を掴んだ。
「どうした?走りにくいんだろ?大丈夫かよそんなハイヒール・・」
「違うんだ、グランド。」
思わぬ毅然とした声に、ハッとマーサの手が止まり振り向く。
「聞いて、欲しいことがあるんだ。」
グランドがレディアスと見つめ合い、レディの表情が真顔になっていく。
何かが、変わった。
そんな気がした。レディアスは、一つ大きな殻を脱ごうとしている。
それは、グランドが初めて目の当たりにするレディの初めての変化だった。
「グランド、俺は沢山クローンを殺してきた。生きるために。」
「知ってる。」
「気の、流れを変えて俺は・・」
「わかってる、わかってるよ。」
「わかってないんだ!俺は・・・・・・・・・!」
・・・それから、言葉が出ない。
胸が苦しい。信じる、そう決めたのに言葉が口を出てくれない。
ギュッと、胸ぐらを掴んでゴクリと息を飲む。
何度も口を開いては閉じていると、グランドがゆっくり頷きそっと抱きしめた。
「知ってる。俺はレディアスのことはわかるんだよ。
レディアス、仲間のクローンの気の流れを変えて、その気を食って生き延びた。そうだろう?
レディアス、それで地獄に堕ちるなら俺も一緒に落ちよう。
俺は、そうしてでも生き延びてくれた。それが嬉しかったんだ。生き延びる術がそれしかなかったのなら、俺は血を飲んでも生き延びて欲しかったんだ。」
「・・・・・グランド・・」
「俺を、信じろよ。」

・・・・・・信じる・・・・・・・

レディアスが目を閉じる。
グランドは、本当に何もかも、すべてを受け止めてくれる。

信じなさい

イサベラの言葉は、何度も今までに聞かされた言葉と同じだ。
でも、大きな事が違った気がする。
わからなかった事が、手が届くところに迫っている。
手を伸ばし、そのささやかな光に手を添えて、そうっと包み込む。
「グランド・・」
ふと、身体を離してレディアスがグランドの顔を見上げる。
「ね、もう一回。」
「えっ!」
グランドが驚いて見つめると、レディアスが目を閉じた。
ソルトもマーサもいるけど、何となくそれが一つの儀式のように思える。
そうっとグランドが口づけをして、もう一度ギュッと抱きしめる。
お互いの唇は暖かくて柔らかで、それが生きている実感を呼び起こさせた。
「俺は、生きている。それでいいんだな、グランド。」
「もちろん、ずっと、死ぬまで一緒だって誓ったろう?」
「誓ったね、6人で。」
「ああ。」
「行こう!」
「どうぞ、先程よりお待ちしておりました。」
フフッと、マーサがドアを開ける。
「キスって、不思議な行為だ。」
ドアをくぐりながら、ソルトがポツンと漏らした。
「クローンにも恋愛はございます。」
にっこり微笑んで、マーサがソルトに告げる。
ソルトはそこでサンドの顔が浮かび、微笑み返した。
「恋愛かわからないけど、僕も大切な人がいるんだ。」
「まあ、素敵ですわ。私も、素敵な出会いを致しましたわ。」
「そう。」
「あなたの事です、ソルト様。」
「え?僕?あ、ありがとう。」
からかわれたようでいてちょっぴり嬉しくて、ソルトがポッと頬を染める。
駆け下りながらマーサは、何だかとても嬉しい気がして、この薄暗い通路が華やかな音楽にでも包まれている気がした。




信者がボディチェックを受けながら、手を後ろに回されて手錠を掛けられる。
一人のクローンも手錠を掛けられた後、ショックブラストの銃口が向けられた。
「ごめんな、これは保護なんだ。悪く思うなよ。」
目を閉じるクローンに引き金を引く、その時。
地に伏せた信者の一人がいきなり身体を翻した。
「リブラ・フリード!我らが神祖のために!」
ハッとブルーが顔を上げる。
「危ない!下がれ!」

ドオオオンッッ

「わあっ!」「うおおおっ!」
ブルーが咄嗟に張ったバリアーから漏れた爆風が、辺りに爆死した信者の血と肉と共にまき散らされる。
「くそっ!何て事を!はっ!」
一人残っていたクローンが手の手錠を引きちぎり、フリードの身体を抱いてシャッターから崖を飛び降りた。
「馬鹿なっ!」
そこはなだらかな傾斜はあっても、数百メートルの崖。
乗り出して見る管理官達が、慌ててヘリに連絡を付ける。
しかし、すでに薄暗い中を複雑な地形にヘリが苦慮しながら降りて、出来るところまで追ったが、フリードを抱えたクローンは我が身を削りながら血まみれで、眼下に広がる森へと逃げ込む。
しかし見通しが付かない森は、上空からでは把握できない。
「どうする?追うか?このままとはいかんだろう」
シアークが、チッと舌打ちして腕を組む。
しかし、相手は手負いのクローン、クローン相手は特別管理官のブルー達6人の仕事だ。
「この高さだ、人一人抱えて重傷を負っているのは目に見えている。遠くに逃げられるはずも無し・・」
ルートが、後ろに立つブルーを見る。そして破れて超ミニのドレス姿のセピアに、ピューッと口笛を吹いた。
「オオ、そんな格好初めて見たぜ。バッファローの姉御。」
「でしょ!私だって、元がいいんだもん!」
クルリとセピアがその場をまわり、ハタと足を止める。
「ちょっとお、何よそのバッファローって。」
「いや、こっちの事。お!グランド!え?うそ!誰だよその・・」
一同ポカンと口を開け、ハッと慌てて気を取り直し自分の仕事にかかる。
暗いヘリポートに、闇から生まれたような美しい姿。
グランドに手を引かれ、コツンと細いヒールが音を立てる。
黒髪に黒衣のドレス、それが一層白く美しい顔を引き立て、化粧が妖艶さを更に増している。後ろからすり寄るように付いてきたソルトも、中性的な美しさが突出しているだけに、その一角だけが違う雰囲気を出している。
こう言うのを、掃き溜めにツルとでも言うのだろうか?
「グランド!不味いことになったぜ。」
何となく見慣れているブルー達兄弟が何気なく近寄って話しているのが、シアーク達には羨ましい。
「何色してたって、綺麗な奴は綺麗だぜ。」
ルートがボソッと横で漏らすと、シアークが残念そうにつぶやいた。
「あれででっけえ胸があったら、男総なめだよな。」
「仕方ねえ、付いてる物は付いてるんだ。裸に剥きゃあ、やっぱり男さね。」
セクハラ言動をつぶやきながら、にっこり二人して近づいてゆく。
まわりでは、他の管理官達が信者のボディチェックを済ませ、連行していった。
「どうする?俺とグランド、2人で追うか?すぐに暗くなるぞ。」
「あたいも行くよ!何か着替えて・・」
セピアがキョロキョロ見回していると、上からマーサがグレーのツナギのスーツを持ってきた。
「これを!お二人には大きいかもしれませんが。」
「サンキュ!」
セピアが受け取り、ヘリの影に走る。
「お前は残れ。」グランドが言って、マーサの差し出す服を制した。
「いいや、俺も行く。俺も、特別管理官だ。」
キッと見つめる目には、すでに仕事モードだ。
「わかったよ、でも・・」
「無理しない、あいつの言葉には耳を貸さない、突っ走らない。」
当てにならない誓いに、ハアッとグランドがガックリうつむく。
レディは服を受け取ると、心配そうに後ろに立つソルトの顔をじっと見つめた。
「私は・・」
「わかっている、急ぐのだろう?でも、もう一時待ってくれ。約束しよう、すぐに帰ってくる。」
「信じていいのですか?」
レディが頷き、何と、そこでサラリとドレスを脱いでしまった。
「うわあっ!お前なんてとこで脱ぐんだあっ!」
アワアワと隠すグランドの後ろで、さっさとツナギを着込んで靴を履く。
男だからと思うのに、髪を結い上げて女の格好をしているだけに心構えが違う。しかし、そう言うことにはまったく無頓着なのだ。
「くそ、やっぱりでかい。」
男サイズはやはりダボダボなので、ギュッとベルトを縛り、幾重にも裾を折り曲げる。
それはセピアも同じだった。
パンッと叩いて気合いを入れ、顔を上げるとセピアもタタッとやってきた。
「行こう!」
「こちらへ!私がヘリを動かします!」
マーサが一番奥のヘリに乗り込む。
「俺等も行こう!」ルートが叫んだ。
「いや、これは俺等の仕事さ!」
兄弟4人が乗り込むと、シアークがレディに銃を渡す。
そして、親指を立てた。
「お前には、銃が似合うよ。」
フッと、レディが微笑み返す。
やがて轟音を上げてヘリが飛び立ったあと、ボウッとそれを見送るシアークの背を、ドカッとルートが叩いた。
「何やってるよ、男相手に。」
「俺、男でもいいかも。」
「えーい、この働けっ!」
どいつもこいつも、と思いながらも自分も怪しい。しかし、どんなに美しくとも、相手は触れば切れそうな刃物のような男だ。
あの研究所の惨状を目にすると、あれがクローンではなく人間だったらとゾッとする。
「おい、上に上がるぞ。」
スラリと立ちつくし、いつまでも機体の消えた方を見つめるソルトに声を掛ける。
両手を胸の前で組み、微かに微笑んだように見えたソルトの姿は、次の瞬間スッと幻のように消えていった。

ヘリが眼下に広がる森へと降りてゆく。
ヘリの巻き起こす風にザワザワと、森の木が大きく揺れる。すでに日没との勝負は過ぎて、かなり暗い。
「降りられそうか?」
声を掛けるブルーを無視して、レディはさっさとドアを開け、思い切りよく飛び降りた。
「ギャッ!この高さから行くかよ!」
悲鳴を上げるブルーに、グランドがやれやれと首を振り、ヒョイと肩を上げる。
「誰が突っ走らねえって言ったっけ?」
「さあ、レディだった気がするけど。」
「何してんのさ!さっさと行きなよ!」
狭い機内、ドカッとセピアがブルーの背を蹴る。
「了解、行くべ。」
バッと飛び降り、木をクッションにボキボキ枝を払って着地する。
そしてサッと木の陰に入り、周りを見回した。
夜目が効くと言っても限界はある。
ブルーやセピアとも合流して木々の中で迷っていると、遠くで何かが動いた気配に気が付きブルーがドンとグランドを小突く。
しかし、もうそこには見あたらない。
見失ってしまった。
「あいつ、この中でもう見つけたのか?」
「レディは動物並みだもんね。」
「キツネ追いのキツネかい。ポチは当てにならねえからには、俺の出番ですか?」
「頼むぜ、ブルー。」
言われてブルーが、この広い森の中をテレパシーを駆使して探る。
早く、見つけなければ・・
敵に回せば恐ろしい奴だとは、兄弟誰しも知っている。だからこそ、やりすぎを止めるのが今一番の使命だと兄弟は知っていた。



「はあっはあっはあっ、痛っ、うっ、あ・・」
苦しそうな息を付き、意識のないフリードを抱えてクローンが身体中血にまみれて走っている。
フリードの身体は白い装束も血に汚れているが、レディに傷つけられた首の傷を除けばそれはクローンの物だ。
それはあの崖を飛び降りたときに負った傷が相当の物だが、左手は無理に手錠を引き抜いたために手首の先は肉が削げ、親指の付け根から折れている。
引きちぎったと見えた手錠も、到底ちぎれるような物でなく、自らの手を犠牲にしないと抜けなかったのだ。
それ程の傷を覚悟で主を逃がすのを優先させたのは、彼がクローンだからだろう。
頭上にバラバラとヘリの音が聞こえ、ハッと木の影に隠れて空を仰ぐ。
とにかく今は、この広大な森を抜けて道に出なければならない。
見通しの付く所にさえ出れば、後はどうとでもなる。
ヘリがホバリングする音がして、ザワザワと森の木が揺れる音がクローンの鋭敏な耳に触れる。
来る!
特別管理官が!
彼らは、攻撃にも容赦がない。
走り出し、森の木の根に足を取られながらよろめいた。
「あっ!」
どさっと倒れ、思わず付いた左手がとうとう折れたのか、痛みに引くとブランと下がる。
右足のすねも、倒れた弾みでビキッと音が鳴り、激烈な痛みが走った。ヒビが大きくなったのかもしれない。
しかしそれよりも・・
抱いていたフリードの無事を急いで確かめる。
数カ所をすりむいているようだが、大丈夫だろうと息を付いていると、人の気配にハッと顔を上げた。

「78・・でしょう?」

「ああ・・」
クローンが、フリードを横たえて相手の顔に表情を緩める。
その顔は、この暗い中でも柔らかに白く、グレーの髪と共に浮き上がって見えた。
「44・・ソルトだね。」
「もう、投降して。フリードはそこまでしても、決してあなたを・・」
「わかっているよ・・」
ガックリと、フリードの顔を見る。
どんなに身を削って救っても、助かった先に待つのは大きな罰だろう。
決して誉めては貰えない、喜んでは貰えない。
ムチ打たれ、機嫌が悪ければ殺される。
「人間は、悪い人間ばかりじゃない・・なかったよ。僕は、見てきたんだ。」
研究所のクローンは、皆生き生きとしていた。
主を持たないのは、心のどこかにポッカリと穴が開く。でもそれを、自分を愛する心で埋めていきなさいと、人間は言った。
クローンは、自分のために生きてもいいのだ。
「ソルト・・・主様を、裏切ったんだね。」
「裏切ったんじゃない、僕は自分を変えて自由になったんだ。」
「変えるなんて、僕には出来ないよ。僕は、君のようにランクの高いスペシャルじゃない。
増産性の高い汎用クローンなんだ。スタンダードは器用に出来てない。」
「人間に救われたスタンダードも、沢山いるんだよ。78、怖くないんだ、一緒に行こう。」
78は、迷うようにソルトとフリードの姿を何度も見比べる。
「でも、でも、主様が。」
「主様は、救いにはならなかったんだよ、78。僕にとって、救いにはならなかったんだ。
苦しい、身を削るような存在でしかなかったんだ。そうだろう?78にとっても。」
「でも・・・主様が!!」
78が泣き崩れる。
「自分のために生きて、78。あなたにも、名前を付けよう!」
「な、名前?僕に?」
こくりとソルトが頷く。
「78なんか、名前じゃない。希望・・ホープにしよう!君の名前はホープ!」
「ホープ・・!僕の名前は、ホープ!」
ああ、と涙を流しながら立ち上がりかけたホープの手を、ガッと冷たい手が掴んだ。
「ひっ!」
ザッと血が下がる音がして、恐る恐る引いた手の主に目を向ける。
「この、堕落したクローンなんぞにほだされおって・・」
「お、お許しを・・」
キッと、ソルトがフリードを見据える。
何も武器はない、自分に何が出来るか、相手は神祖の分身である御子だ。
でも、ホープを救いたい気持ちが大きく膨らむ。
ギリギリとホープの右手を掴んだまま、フリードが起きあがった。
ソルトは自分の心臓の鼓動が、うるさいほどに耳に付く。しかしそれがかえって、自分は生きているのだと自分に言い聞かせている。
そして何故か、背中にサンドの気配を感じて、信じられないほど落ち着いていた。
「フリード、クローンを解放してください。」
無理な話は分かっている。相手は当たり前も通用しない。
「フッ、馬鹿なことを言う。貴様のような出来損ない、何故にああも可愛がったのか、良くも騙してくれた。」
「騙すというなら、今思えばそれはこちらのセリフ。私達は、自分が無いのを当たり前だと思っていました。」
「お前は物でしかない。
作り物が変な知恵を付けおって、不快この上ない。死ね!」
バッとフリードがソルトに向けて手を伸ばす。
アッと思わず身を引くソルトに向けて、巨大な気の塊が空気を振動させ、森を大きく揺らしながら迫っていく。
恐怖にすくむソルトが心を集中させてテレポートする瞬間、しかし気は一瞬早かった。
「サンドッ!!」
死を覚悟して、思わず彼の名を呼ぶ。

グオオオオンッッ

何か、大きな獣の咆哮のような気の振動だった。

「ハッ・・あ、あ、あなたは・・」

顔を上げたソルトの前に、ブカブカのツナギ姿のレディアスが庇うように立っている。
その手は気を受け止め、そしてザザザッと周りの木を大きく揺らしながら分散させた。
「フリード、いや、ランドルフ。諦めるがいい、お前の負けだ。」
レディアスが、冷たく見下ろしながらフリードに告げる。そして、数カ所に発光体を放った。
ぼんやりと、辺りが発光体の輝きに照らされてお互いの表情が見える。
フンッと苦笑いしながら、フリードはクックックッと嫌らしい笑いを漏らす。
「負けなど、お前の方だ、デッドナンバー4。
たかが実験動物の分際で、偉そうな物だ。」
「昔を引きずっているのは俺だけじゃない。
お前こそ昔に囚われる亡霊だろう、ランドルフ。」
ランドルフと呼ばれて、フリードがカッと目を見開く。その顔は、すでにヴァインの教祖ではなく、そして少年の顔とも違う。
レディアスは、胸の奥で恐怖を呼び起こす何かを、必死で押さえながら対峙した。
「フンッ、オリジナルだからと偉そうな顔をするな。
お前のその、美しい顔も私が作らせた物だ。チヤホヤされるのも今の内だけ、いずれ年を取って衰えるだろう。しかし、私は永遠に美しい。」
「顔など皮一枚のこと、俺には何の価値もない。お前がこれに囚われたというのなら、俺には忌むべき物だ。
余程、生気溢れる者の顔の方が美しい。俺の顔は、死人に等しかった。お前も同じだ。」
人形は、与えられた表情しかない。
俺は、心から笑ったことはない。
サンドの言葉は、真実だったからこそ冷たい棘となって心に突き刺さった。
今なら、はっきりと自覚できる。
俺は、みんなと同じになりたかった。明るく笑い、楽しく話すみんなと。
だから、懸命に真似をすることから始めたのだ。そうしてようやく、みんなの輪に近づくことが出来た。

それで普通に戻ったと、自分に言い聞かせて。

しかし、そんな物は脆い仮面でしかない。
何とか表面を取り繕って、それに目を向けずに生きていた俺が、サンドに内面を言い当てられ、どうしていいのかわからずパニックになったのだ。

この男を殺して、何が変わるというのだろう。

俺の真実の姿は、もうこの男の巣くう俺のクローンではない。
この、みすぼらしい俺自身。
記憶に刻まれるだけの体験をしてきたこの身体。
これが俺なのだ。
記憶と経験に見合う姿こそ真実。
そうか・・・・
これがマリアの言う、「完全ではない」状態だったのだ。
俺は、まだ何も変わっていない。
「ランドルフ、永遠はあり得ない。
心と体のバランスを失ってしまう。そう思わないのか?」
自分の顔をしたこの男への言葉は、間違った自分への言葉のようだ。
もう一人の自分との自問自答をしている錯覚さえ覚える。
しかし、レディの言葉を聞くたびに、フリードの顔がイライラと引きつって見える。

オリジナルへの憎しみ・・・

フリードはレディの身体を利用するよりも、殺すことしか、傷つけることしか考えなかった。
複製品でしかないクローンと謗りながら、それに頼るしかない自分への苛立ち。
その軋轢から来る苛立ちは、すべて他のクローンと、オリジナルであるレディアスに向けられる。
フリードは忌々しげにホープを締め付ける手に力を込めると、ミシミシとホープの骨が軋む。
ホープの苦痛に歪む表情が赤くなり、そしてゴキッと音が聞こえた。
「ひっ」
どこかの骨が折れたのか、小さくホープが悲鳴を上げて目から涙を流し、今にも気を失いそうにガクンとのけぞる。
グイッとフリードがその身体を抱いて、力が抜けてゆくホープの傷だらけの左手を握ると、肉の削げた傷口を舐め折れた指をくわえた。
「きれい事を並べて、わかったようなことを。
覚えているのかね?その身体、手足はクローンだ。」
レディが心の内でハッとする。
それは、最も考えたくない、ずっと心に秘めた悩みの一つだ。
しかし、その表に出さない感情の動きを、フリードは微かに感じ取った。
「クックックッ、面白いだろう?お前は手足だけが先に朽ちる。一体どうなるのか、見物だとは思わないか?
さあ、すでに何年を過ごした?
クローンの寿命は短いぞ。あと残るのは何年だ?貴様のつぎはぎの身体は、手足が効かなくなって誰も見向きもしなくなるぞ。
散々人間に利用され、そして利用価値が無くなり捨てられて、みじめに一人で苦しむがいい。」
笑うフリードの顔は、何と勝ち誇った顔をしているのだろう。
口先でこの男に勝つことは出来やしない。
人の最も触れられたくない部分を、簡単に探り出してそれをえぐるのは、この男の最も得意とするところだ。

グランド、グランド・・・

負けそうになって心でグランドの名を唱えながら、レディアスが薄く笑う。
そしてスッと、目を伏せて胸に手を当てた。
「俺は、それでも、心の中のうつくしい物を磨いて生きていく事に決めたんだ。」
「美しい物だと?何を言っている、馬鹿が。美しい物など、壊れやすい物だよ。お前など教養もないくだらぬ生き物だ。」
レディが小さく首を振る。
「そうだな、馬鹿だと思うよ。俺は馬鹿だ。
でも、いいって言ってくれるんだ。みんなが俺に、生きていていいんだと。」
その自信に満ちた言葉に、フリードが薄ら寒い笑みを浮かべてギリギリとホープの腕を締め上げ、グイと引き寄せる。
そしてその顔を引いてガリッと耳をかじると、声も上げずホープの顔が痛みに歪み、ツッと血が首筋を伝う。
フリードはペロリとその血を舐め、クックックッと笑った。
「生きていていいだと?お前のように薄汚いネズミが?
俺は覚えているぞ。お前を犯しながらその指を、腕を、足を切り刻んで行った時のことを。
お前が、自分のクローンの手足を移植された時のことを。
そして四肢を奪われ死んだクローンに、惨めにすがって泣いていた姿を。
それから戦場に出て、一体何体のクローンを殺した?お前の身体は、血に泥に汚物にまみれているじゃないか。それで生きていいだと?」
フリードの言葉が、記憶に眠る真っ黒な塊を呼び起こして心が少し揺らぐ。
大丈夫だと、懸命に心の中でつぶやく。
「ほら、みろ」
クッとフリードがほくそ笑む。
自分がどんな顔をしているのか、懸命に無表情を装う。

やっぱり、駄目だ・・

心臓が冷たく鼓動をうち、微かに震える手をギュッと握りしめた。





暗闇に微かに輝いていた小さな光を覆い尽くそうと、奈落まで大きく口を開ける穴の中から、黒い塊があふれ出てくる。

この光を、護らなきゃ。
心の中が、真っ暗闇になってしまう。

しかしどんなに穴に蓋をしようとしても、心に住む骨と皮まで痩せ細った子供時代の小さなレディの手では、到底敵わず自らも黒いドロドロした物に汚されて溺れてゆく。

駄目だ、駄目だ、みんな真っ黒になってしまう。
誰もいない、真っ黒の世界に。



誰も、助けてくれない。
誰も、手を差し伸べてくれない。

そんなこと、もう、とうにあきらめている。
自分が、すべて悪いのだから。

生まれてきた、これは、罰なんだ。
僕がここに生きている、それが悪いんだから。

僕は、生きていちゃいけない。
いっぱい殺して、殺すために、こうして生きているのは変だもの。
なんだ、こんな光、護ること無い。



僕に、光は必要ない。



抗うのを止めて、じっと、黒い物に覆われるがままに任せる。
苦しい。苦しい。苦しい。
じっと、ただ目を閉じて我慢する。

助けを呼ぶのはとうに止めた。

助けてって、それは誰を呼ぶ言葉?
呼んでも誰も来ない。呼ぶ相手もいない。

静かに、静かに、しゃべったら叩かれる。
僕は、ただの「物」なんだ。心はいらない。
人間の、言うとおりにしなきゃ。



僕は、ずうっと一人・・・一人っきりで、死んでゆく・・
・・・ずっと、一人・・・それでいいんだ・・・・・



「・・・・アス、レディアス・・」



ドプンとドロドロした汚物に、ためらいもせずに手が差し込まれ、レディの手を誰かが優しくしっかりと握る。

この手は、なに?

手は力強くレディを引いて、上へ上へとどんどん引き上げる。
そしてずるっと黒い塊から引き出されてみると、グランドがにっこりと微笑んで暗闇の中、柔らかに輝いて見えた。

助けてくれるの?
いいや、助けてくれるわけない。

「助けに来たんだ」

うそだ、僕は汚れているもの。
グランドはきれいだ。
汚れるから手を離すんだろう?
ほら、手を離すんだ。

「離さないよ」

いいや、きっと離すよ。
今は離さなくても、あとで離すんだ。

「俺を、信じろよ」

信じちゃ駄目だ。
僕が信じたら、きっとうんざりして嫌になるんだ。
嫌いなのに、無理してる。
信じちゃ駄目だ・・・・



グランドは、手をしっかりと握ったまま優しく微笑んでいる。
そしてレディの身体をズルズルと引き上げて抱きしめると、その汚れを知らない顔をそうっと近づけてきた。



駄目だよ、汚れるよ。
僕は汚いんだ。

僕は・・・・・



暖かな唇が、頬にそうっと触れて、そしてレディの薄い唇に重なる。



愛してる・・・・



信じることに、言葉はいらない。
愛することにも言葉はいらない。

そこには、暖かなふれあいがあればいい。



暖かく、柔らかな唇から、熱い命が流れ込む。



それは、うつくしいもの・・・・



これこそが、うつくしいもの・・



ああ・・・・・
生きて・・・・生きていいのかな?

「生きろ」

生きて、いいんだね?

「俺のために、自分のために生きるんだ」



「生きろ」





フリードの、顔がピクリと引きつった。
ふと顔を上げたレディの顔。
思いがけないレディアスの美しい穏やかなその微笑み。
思わずフリードが見入って、するっと手からホープがすり抜ける。
「死ぬことばかり、考えていた。
俺は、汚れている。でも、そんな俺でも、生きていいのだと、言ってくれるんだ。
こんな俺にも、その価値があるのだと。」
「お前に、価値など・・」
「無いと思っていた。今だって、本当は自信がない。
でも、いいって、言ってくれるんだ。」
その言葉を、信じよう。
グランドの、唇は暖かい。
生きている、その気が流れ込んでくる。優しく、力強く。
「うつくしいものは、お前にあるのか?俺は、見つけたんだ。俺には、有る。」
暗闇の木々の下で、レディアスの身体が輝いて見える。
命が、輝いて見える。
これ程までに、こいつは美しい姿だったのか?
それは外見からだけではない、内面の輝きが溢れるような・・・
こんな、あれほど汚されながら、地を這うような経験をしながら、それでもこれ程までに輝くことが出来るのか?

この、男は・・・・・オリジナルよ・・

フリードは愕然と立ちすくみ、その隙にホープはそっと身を引き、折れた足を引きずりながら、ブラブラと下がる左手を右手で押さえてソルトの胸に飛び込んだ。

「う、つ、く、し、い、も、の・・・・」

フリードが呆然とつぶやき、脳裏に明るく微笑むセピアの顔が、姿がいくつもフラッシュする。

俺のうつくしいもの・・
そんな物、俺にも・・・俺には・・・・・・俺に?
遙か昔、妻だった女が、生まれてきた小さな自分の子供が・・それは、いつのことだったろうか。
それは、どうなったのだろうか。
すでにもう、あの終戦時にはまったく自分の脳裏から消えて・・・

「フリード!!」

レディの後ろから、ブルーやグランドと共にセピアが走ってきた。
「フリード!あたし達と行こう!これはあんたにとって、大きなチャンスだよ!
やり直すチャンスだよ!」
月並みのことしか言えない自分がもどかしい。
セピアはそれでも、懸命に訴えた。
「セピア・・」

美しい、何という美しいその命の輝き。

「セピア・・私は、俺は・・」
何かが欠けているというのか?この、俺に。
俺は何を求めている?
権力、金、殺戮、血・・・愛ではなかった、まして命など・・
・・・輝く、命・・・うつくしい、もの・・・
フリードが頭を抱える。
端で見ていたグランドが、ビクッと顔を上げた。
「どうした?グランド。」
「ポチが・・何かを・・近くにある軍の衛星の様子がおかしいと言ってる。」
「軍の?」
「ポチ、管理局に報告を、すぐに指示を仰げ。」
そうしている間にも、フリードはフラフラと後ろに下がる。
一人で逃げ切れるわけがない。
レディが確保に前に出ようとした瞬間、フリードの身体がビクンと跳ね上がった。

「お、お、お、うおおおおお!!」

フリードが振り絞るような悲鳴を上げ、苦悶の表情で頭を抱え身もだえする。

「お、おのれ!俺を捨てるかっ!神祖っ!」

「フリード!」
レディアスの鋭敏な耳に、フリードのイヤリングの異音が聞こえる。
やがてパンッと音を立ててイヤリングが弾け、彼がギャッと悲鳴を上げた。
「フリード!神祖とは何だ!」
思わずレディが叫ぶ。
彼は駆け寄りかけたセピアを制しながら身体を引き、フリードの微かな言葉に耳を傾ける。
フリードは、ドサリとその場に仰向けに倒れ、ガクガクと口を動かした。
「セ、ピ、ア・・・・」
「フリードッ!」
たまらずセピアがフリードに駆け寄り、ギュッと抱きしめる。
ポタポタと涙が頬を伝い、フリードの顔を濡らす。

「セピア・・・す・・・・・」

「フリード!好きだよ!あたいも好きだよ!」
フッと、フリードの顔に穏やかな微笑みが浮かぶ。
その時後ろから、グランドが叫んだ。
「逃げろ!衛星から攻撃が来る!」
キーンッと、鼓膜が破れそうな音が辺りに響く。
ダッとレディがセピアに駆け寄り、その身体を抱いて走る。
皆が散るように逃げる中を空に光が走り、バッと辺りが光に包まれた。

バーーンンッザザザッゴオオオオッッ!!

木をなぎ倒し、耳を塞ぐそれぞれの身体が風で浮き上がる。
やがて風が止んだ後に顔を上げると、残り火の中フリードのいたそこは大きく焼かれてブスブスと煙が上がっていた。
「まさか、軍が攻撃したのか?俺達を。」
ブルーが近くで身体を伏せるグランドにつぶやく。
「違う、軍の衛星が何者かにハックされた。」
「ハック?乗っ取られた?まさか、軍の衛星は何重にも壁があるんだろう?お前ならいざ知らず。」
「わかんねえ。凄い騒ぎだろうな。」
身体を起こし、セピアやレディ、そして2人のクローンに駆け寄る。
4人ともの無事を確認すると、ホッと皆溜息が出た。
「さすがに、フリードの身体は蒸発しちまったか。」
跡形も、微塵も残っていない。
やや浅いクレーターに、それを中心にして周りの木が放射線状に皆倒れている。
ただ、それだけだ。
「フリード、死んじゃった・・・」
セピアがガックリと、肩を落としてレディに寄りかかる。結局、救えなかったと心のどこかがすっきりしない。
もっと、抱きしめてあげれば良かったと、ふと思った。
「セピア、終わりじゃない。あいつは終わりじゃないよ、きっと。」
「レディのクローンって、そんなにあるの?」
「さあね、でも、貴重品は貴重品なんだろうさ、必死で身体を守ろうとしていたし・・」
「でも、何度も死んで、その死ぬことに耐えられるの?心が。死ぬって大変だよ。きゃっ!」
後ろからブルーが来て、ヒョイとセピアを抱き上げる。気が付けば、大きかった靴が脱げていた。
「だからさ、乗り移ってゆくらしい話をレディに聞いたときに、博士が言ってたよ。繰り返すうちに、魂が劣化するんじゃないかって。意味わかんねえけど。」
ブルーがヒョイと肩を上げる。セピアは抱っこされて嬉しいのか、キャッと声を上げてブルーの首に腕を巻き付けた。
「おい、俺の首折るなよ、バカ力。」
「うんもう、ブルーったらせっかくいい雰囲気なのにさあ。あたいの気持ちわかんない馬鹿。」
「へっ、馬鹿で結構。またお前に振り回される日々の復活で、俺あ気が重いのよ。」
「嬉しいくせに、ブルー大好き!」
「はいはい。」
ソルトは、ホープの身体を抱き上げてレディアスの元へ歩いてくる。華奢に見えても、彼もクローンだ。人一人、軽々と抱えている。
物言いたげにレディの顔をじっと見ると、レディはフッと頷いた。
「約束だ。サスキアに行こう。」
サスキアへ・・・
サンドのいる研究所へ・・
助かるかどうかわからない。
救えるかどうかはわからない。
やがて上空に逃げていたマーサのヘリが、皆の頭上を旋回し始める。
セピアがヘリに向かって発光体を持つ手を振り、グランドがレディの顔を心配そうに見た。
大きな不安を抱えながら、それでも心が前を向いている。この力、軍がどう取るかはわからない。
今までと変わらないか、それとも最悪の場合クローン収容所へ一旦収容されるか。
今は運を天に任せながら、クローンを救うことに気を集中しよう。
レディアスは全ての迷いを吹っ切って顔を上げると、星空の中に降りてくるヘリの姿をただ見つめていた。

キュイイイイィィィ・・・バラバラバラババババ・・
朝日の中を、ヘリのタービンエンジンの音が変わり、ガクンとスピードが落ちてきた。
マーサが忙しそうにパネルを操作して、後ろに大きな声で報告する。
「サスキア上空まで来ましたので、速度を落とします。
先程、軍の管制から確認が参りましたので、こちらの所属と目的を告げて上空の飛行許可を頂きました。」
グランドが、窓から下を覗きながら溜息をつく。疲れているのか、この騒音の中でもたれかかって眠るレディアスを気にしながら、前に身を乗り出す。
ちらりと見ると、後ろの席のクローン2人も、眠っているのかじっと目を閉じていた。
ヘリには、この4人が乗り込んでいる。
「研究所へ直接乗り込むのは無理じゃないのか?
あそこは警備が厳しいんだ。近くに降りて・・」
「いいえ、ちゃんと連絡は行っています。イサベラ様は、そう言うところは一切手抜かりございませんので。」
「げ、するとこのヘリがマフィアのヘリだと知れてるわけ?」
「いいえ、このヘリの所属はサンドーラ貿易会社所属でございます。それに、管理局から軍には連絡が行っているそうでございます。
そのまま降りる許可も頂きました。あちらにはすでに、管理局と軍の方も待機しているそうですよ。」
「軍?」
管理局はわかるが、何故軍まで出しゃばってくるのか。
やがてサスキアの山手に近づいてゆく。
グランドが起こそうとレディの顔を見ると、目を開けてじっとただ何かを見つめていた。
「なんだ、起きてたのか。」
「・・・ん、ウトウトしてただけだよ。」
「そっか、うるさいもんなヘリは。疲れたか?」
「大丈夫だよ。」
ギュッと手を握ると、顔を上げてにっこり笑った。
あまりのその清々しい微笑みに、改めてドキッとする。
今まで、どこか自嘲を込めたような、諦めたような、こちらを探るような微笑みとは違う微笑みは、やっぱり何かが変わったと思う。
何かはわからない、でも、あまり気にも掛けなかった美貌に、磨きがかかって一層魅力的に感じる。
「軍も、いるとよ。・・・怖いか?」
「いや、今まで隠してきた俺も悪いから。」
「マリアが、コントロール付く力なら軍には何とか説明は付くとよ。あまり心配するな。」
「・・・・ん、わかってる。」
そうは言っても、心配なのは良く分かる。
どんなに変わったと言っても、すぐに心が何にでも耐えられるはずもない。
恐ろしい物は恐ろしいに決まっている。
「皆様、研究所のヘリポートへ降ります。ようやく着きましたわ、もうしばらくご辛抱を。」
マリアの明るい声に、少しホッと心が落ち着く。
何故かレディより、グランドの方が緊張してきた。
何事も、うまく行きますように。
グランドがギュッと両手を膝の上で組み、滅多にしない神頼みをする。
バラバラバラ・・
「着いた、んだな。クローン研究所に。」
ヘリの高度が次第に下がり、レディアスが身体を起こしてグランドから離れると、窓から外を窺う。
そして、スッと目を閉じた。




 研究所に降り立つと、そこにはコート姿のリー局長と軍から調査部のクローン担当になったらしいザイン少佐が2人の部下と共に待っていた。
6人兄弟は、すでに人権は認められてはいるが基本的にはクローンに準ずる。
人為的な力は、管理が必要だと軍の管理下に置かれているのだ。
ヘリを出て、グイグイとグランドに引かれて皆の前まで走り、局長の前に立つ。
「今、帰りました。」
無言のレディの代わりに、グランドが苦い顔で報告して珍しく敬礼した。
真顔の局長が革の手袋を脱ぎ、レディアスの前に出る。

パーンッ

そして思い切り頬を叩いた。
ドキッとグランドが思わず目を閉じ、よろめいたレディを慌てて受け止める。
「貴様、勝手な行動をして、どれほど迷惑を掛けたかわかっているのか?
お前の行方を、どんなに時間と手間を割いて探したかわかっているのか?」
レディアスは、まるで母親に叱られるガキのように黙ってうつむいている。
局長は大きく溜息をついて手袋をポケットに押し込み、パンとレディアスの頬を両手で包み込むように挟んで、顔を上げさせるとじっと見つめた。
「馬鹿な子だ。お前は本当に、馬鹿な、一番出来の悪い、どうしようもない子だ。
でも・・・・無事で良かった。」
ギュッと抱きしめ、パッと離れると研究所の建物へ向かって歩き出す。
クスッと笑ってグランドが、ポンとレディの肩を叩いた。
「相変わらず不器用なおばさんだぜ。」
立ちつくすレディに、今度はザイン少佐が近づいてくる。フッと相変わらず気取った顔で、ニヤリと笑って前に立った。
「久しぶりだな。レディアス、報告は聞いている。さて、今度ははっきりと話を聞かせて貰おうか?」
「話すことなんか、何もねえよ。」
「何もないかは私が判断するよ。
ヴァインの宗教施設の制圧は、軍が介入した。
まずはそのきっかけを作ってくれたことは感謝しよう。」
結局、ヴァインの宗教者としての施設はすべて、あのマンセルの屋敷での攻防を裏付けにして摘発されたらしい。
これからどうなるかはわからないが、少なくとも表立った活動は制限されて、フリードも見つかるとすぐに逮捕されるだろう。
それだけ、危険人物、危険思想と政府からお墨付きを貰うに違いない。
「でもよ、俺達があの衛星から攻撃受けたのはどう言うわけ?なあ少佐。」
グランドが、自分は関係がないことを暗に示唆する。
少佐はヒョイと肩を上げた。
「君ではないとすると、更に大騒ぎだな。その話はまた後でしよう。
私からも軍へは報告しておく。攻撃衛星は、現在すべてダウンしている。まあ、さしずめあんな物必要ないだろうからね。
じゃあ、後で。」
建物へ歩く少佐の後姿を見送りながら、グランドがヘリを見る。
マーサはタッとヘリを降りて走ってくると、ペコリと頭を下げた。
「私はこれで帰ります。お仕事が沢山待っておりますので。」
「もう?少し休んでいけば・・」
グランドの言葉に、プルプルと元気に首を振る。そしてレディに飛びつくと、ギュッと抱きしめてパッと離れた。
「会えてようございました。またお会いできる日を楽しみにしております。
では、失礼いたしますわ。」
手を振りながら、ヘリへ戻ってゆく。あっさりした物だ。明日でも会えるような別れ方に、クスッと笑う。
ヘリでは降ろされたホープがすぐに医療棟へ搬送されているようだ。
安心したかくるりとソルトは振り向いて、こちらへ歩いてくる。
「さあて、間に合えばいいけど。」
グランドのつぶやきに、レディも振り返った。
「あいつ、悪いのか?」
「ああ、低体温何とかで、処置してあるらしいけどギリギリよ。もう、俺から見れば手遅れだね。
まだ、生きてればいいけど・・」
「そうか・・」
ソルトの前を、建物に向かって歩き出す。
ソルトの顔は、今にも泣きそうで不安に満ちながらも前を向いている。
強い奴だと思いながら建物に入ると、そこには複雑な顔をしたマキシが待っていた。
「お帰り。」
そう一言言って、パンとレディの肩を叩く。
「・・・ごめん。」
あの時軽く状況をあしらうように言ったのは、大きなウソだ。こうなるのはわかっていた気がしていた。
「まあね、美人に騙されるのは慣れてるさ。
行こうか、もう危ないんだ。それが一番の目的だろ?」
チラとソルトを見ると、マキシが歩き出す。
「生きて・・・間に合ったんですね?」
ソルトがマキシに駆け寄る。
「生きてはいるよ。ぎりぎりね。」
「良かった・・・」
「楽観視されると困るけど。まあ、マリアに礼を言うんだね。普通、あそこまでクローンにはしないんだけど、君との約束だからと頑張ったんだ。」
「あの・・方が・・」
ここは、一見冷たいようで、クローンのために懸命になってくれる人間が多い。
本当に、自分は運が良かったとソルトは今更思う。そして、ここにとどまったサンドも。
後は、レディアス次第。
はたして、彼の手に負えるかどうか、こんな時、どうすればいいのかわからない。
「ソルト!」
後ろから、ダッと居住区で世話になったクローンのベリーが追いかけてきた。
特に親しいわけではないが、彼は居住区のクローン側の責任者だ。
寮母さんのような役割をしているクローンだけあって、ソルトに良く話しかけてくれた。
ソルトはその時、ほとんど無言だったのだが・・
「ベリー・・・」
「良かった、無事に帰ってきたんだね。サンド、ずっと頑張って待ってたよ。
僕も、ずっと神様にお願いしていたんだ。」
「・・・かみ?様?」
コクンと、ベリーがにっこり頷く。
それは御子様の、フリードのことだろうか?
だったら、そんな物いらない。
でもベリーの顔は、ヴァインの所にいたクローン達とは違う。もっと穏やかで、自分の存在を自分で認めているような、自信に満ちている。
彼らの神は、もっと近い物なのだろうか?
クローンさえ、その存在を認めるような・・
「さあ、手を出して。みんなも、居住区からお願いしているよ。
ソルトもお願いしてごらん、きっと力を貸してくれる。神様の下では、人間もクローンも、みんな平等に命は重いんだ。」
そっと、ソルトの手に、ベリーが銀細工の十字架を渡す。
その神様が何かはわからない。
フリードの言う、クローンを認めない神はフリード自身だった。
でも、ベリーの渡したその十字架は、信じることの象徴のようにも思える。
それは小さなネックレスなのに、何故か酷く重い物に感じて、ソルトはそれを握りしめると胸の前でじっと目を閉じた。
「ありがとう、ベリー」
「さあ、行って。サンドが待ってるよ。」
コクンと小さく頷き、ソルトがグランド達の後を追う。
ベリーはずっと先を歩くレディ達の姿に、手を合わせてじっと願った。
願うことしかできない。
でも、それが力になるんだよ。ね、レディアス。
「あなたなら、きっと出来るよ・・」
皆の姿が角を曲がり消えてゆく。
ベリーはふと窓から見える中庭の木を見つめて、いつまでも手を合わせていた。



医療棟は、入って行くといくつかの病室が別れて、医療助手の形でクローン達が働いている。
ここで治療を受けているのはサンドばかりではない。保護されたときにケガを負っていた者や、すでに寿命で衰退期が訪れて死期を迎えている者も多いのだ。
シンと静まりかえり、落ち着いた環境は彼らの心を落ち着かせている。
静かに、自然に訪れる死は、クローンにとって幸運の証と言えるかもしれないだろう。
ここは、少なくとも戦場ではないのだ。

足音だけが響き、先にいるだろう局長達の待つ病室へ、ここのクローンが案内してくれる。
一番奥まった部屋だが、隣接する研究棟に近い方が、最も病状の重い患者のいる部屋だ。
ここの医者に当たる博士は皆、研究棟と掛け持ちだけに病状の重い者は近くに置いてある。
しかし人間の病室と違うのは、すべてが24時間監視システムで記録を取られている。
不穏な動きや、報告に無い力を見つけるためだが、レディ達もここに入ることが間々あるので、それは最高に毛嫌いするシステムではあった。
記録は、軍にも筒抜けなのだ。
コンコン、
「お連れいたしました。」
中の返事を待たず、ガチャリとクローンがドアを開ける。
中は広々として、確かにノックをしても聞こえるかどうかはわからない。
3つのベッドは端に寄せてあり、今はクローンのカプセルを改造した、再生槽が入っている。
そっと入る二人の後を、ソルトが恐る恐る付いて行く。
局長達が見守る中、再生槽に入っているサンドは、半身を恒常液に漬けて沢山のチューブに繋いである。
シューッシューッとリズム良く、呼吸の音だけが響いている。
サンドはすでに呼吸をする力もなく、人工呼吸器に繋がれて何とか命を繋いでいた。
「サンド・・・」
ソルトがグランド達を追い越して、槽にすがりつく。
すでに死の影が濃くなった頬をそっと撫で、「ただいま」とつぶやいた。
「やっと、帰ってきたわね。」
マリアがフッと溜息をついて眼鏡を上げ、レディアスの顔を見る。
「さて、このクローン研究所を守ってくれたことを感謝するべきかしら?それとも、あれはやりすぎだと怒るべきかしら?」
「俺には・・あの時の俺には、あれしかできなかった。すまない。」
あら、とマリアが顔を上げ、レディアスの顔を見た。
今までかつて、彼の口から「すまない」と自分のしたことを素直に認めたことはないように思う。
「今なら、どうするの?」
「さあな、過ぎたことだ・・」
がっくり・・
あっさりとまあ、やっぱり変わってないわね。
ヒョイとマリアが肩を上げて苦笑い。
そして真顔で、サンドを見て顔を上げた。
「さて、彼に何をしたか説明できる?」
皆の視線が、レディアスに集中する。
息を飲み、一歩後ろによろめく彼を、グランドがガッと肩を掴んで止めた。
「しっかりしろ、俺がいる。」
「わかって・・る。」
レディアスが、しっかり足を踏みしめて顔を上げる。
「俺が、気の流れを変えた。
陰に変えて、内を循環する彼の・・気を外に向けたんだ。」
ようやく言えた。そんな感じだ。
ふむと頷き、少佐がまじまじとサンドを見る。
「それで?それだけでこれ程まで衰えるものかね?まるでオールドビジョンの・・吸血鬼に血を吸われた犠牲者だ。」
「吸血鬼・・を俺は知らないけど。気と血は同じような物・・だと思う。
クローンは、特に細胞破壊が起こり始めると早い気がする。」
「そうね、確かにスイッチが入ると早いわね。それを止める事は今の技術でも難しいわ。」
フウッと、疲れた様子でマリアが眼鏡を取り、ギュッと眉間を押さえる。
恐らくは寝る暇を惜しんで看てくれていたのだろう。
今まで黙っていた局長が、腰に手を当て首を振った。
気の話は、聞いてもすぐに理解しかねる。
一つ大きな溜息をついて、とにかくとソルトを一瞥してレディアスを向いた。
「それでレディ、あなたに何が出来るの?
そのクローンの子は、この子を助けたいと願っているんでしょう?この状態から、少しでも回復できるというの?あなたには。」
レディアスが、チラとソルトを見て目を閉じる。
グランドに言った通り、レディアスは気を盗んだことはあっても与えたことはない。
それを、少なくとも意識してやったことがない。
出来るかどうか、それで助かるかどうかは本当にわからないのだ。
しかも、それがどんな状態を引き出すかも。
人に気を与えて、自分の身がどうなるかも自信がない。
レディアスは、顔を上げてマリアを見ると、ひどくかすれた声で苦しそうに告げた。
「俺がもし、どうしようもなくなった時、その時は別室から俺を殺す方法は何かあるか?」
「なっ!・・冗談じゃねえぞ!おいっ!」
グランドが、グイッとレディの腕を掴み引き寄せる。
「俺にも、わからないんだ・・」
項垂れるレディは、グランドから顔を逸らして首を振る。
マリアは天井を見回し、そして研究者らしく的確に答えた。
「あるわ。部屋の四隅にあるブラストは遠隔で撃てるし、最悪の場合はこの部屋を遮断してガスを送れる。
ガスは2種類、催眠と青酸ガス。青酸ガスは高濃度だからすぐに死ねる。」
「嫌だっ!俺はやらせない!駄目だ、絶対駄目だ!」
グランドがレディの身体を引っ張り、再生槽から離そうとする。しかし、レディはその手をそっと離し、首を振って笑った。
「グランド、これが俺の・・初めての人助けなんだよ。」
「バカッ!今までだって何度もクローンを助けてきたじゃねえか、あれだって人助けだ、そうだろう?何こだわってんだよ!」
「こだわってるんじゃない。これは俺の意志なんだ。
ソルトの願いを受けて、助けたいと思った俺の意志。」
静かに告げるレディアスの微笑み。そして、十字架を握りしめて目にいっぱい涙を溜めるソルトのすがるような視線。
グランドが口惜しそうに唇を噛み、ガックリと項垂れる。
「畜生、どうして俺は・・肝心なときにお前の力になれねえんだ。どうしてお前は一人で戦うしかねえんだ。」
「いいや、俺は一人じゃないと・・俺はわかってるよ、グランド。」
「でも・・」
煮え切らないグランドから視線をはずし、レディアスがマリアを真っ直ぐ見る。
その清々しい表情に、マリアと局長は初めて見た気がして思わず目を見開いた。
「レディ、あなた少し変わったわね。」
「さあ、わからない。でも、一つだけわかった、俺は一人じゃないんだって。
だからさ、その・・・ソルトを助けたいと思うんだ。こいつを、助けたいと、思うんだ。
・・マリア、俺を一人にしてくれよ。
みんなと、別室に退去して俺を見張っててくれ。何かあったら・・・まかせるよ。」
「わかったわ。では隣の監視室へ。そこならこの再生槽の状態も、この部屋もすべてモニターできる。」
ぞろぞろと、皆が出ていく中をソルトとグランドが残った。
ソルトはそっとサンドの額にキスして立ち上がり、覚悟を決めた顔でレディを見つめる。
「あなたに、すべてお任せします。」
「絶対に、助けろって言わないのか?」
「あなたなら・・・今のあなたなら、それで十分だと思うのです。
私達は、人間にここまでしていただけるとは思っていませんでした。
もし、助かることが出来たなら、私達は・・今度はあなた方に恩を返したい。
こんな人間のような感情を、大切にして生きていきたい。」
フッと微笑み、レディアスがうつむく。
「恩か・・それは見返りとは違う、心の中の暖かい物なんだろうな。
恩を感じるお前達は、俺より人間に近いんだろう。
俺はあれ程クローンの命を糧にしながら、それに恐怖を覚えても恩を感じることはなかった。」
「いいえ、私にはあなたの優しさがわかります。それで十分です。」
ペコリとお辞儀して、ソルトが出てゆく。
後に残されたグランドは、じっと無言で見つめている。
レディアスはふと目を伏せて小さく首を振ると、「ごめん」と謝った。

「死んだりしたら・・俺は許さねえからな。」

怒ったような言葉に、レディがちらっと視線を上げていたずらっぽく微笑む。
そして目を閉じ顔を差し出した。

「じゃあ、もう一回。」

最後かもしれない、もう一回。

グランドはクスッと笑って、チュッと軽く唇にキスをすると、「バーカ」と笑った。

「じゃあな、また後で。」

「あとで。」

「今度は約束守れよ。食事。」
「俺も、グランドの作ったゼリー寄せが一番食いたい。」
「アハハ、やっぱあれ、飽きてねえの?」
「飽きないよ、あれが一番好き。お菓子はミルクをかけたシフォンがいい。」

「了解。」

パタンとグランドが出ていく。
じっと、一人になって、サンドの顔を見つめる。
枯れ木のようなその姿。
あの、強気の口調でレディアスを「人形」と見下したのはつい最近のことだ。

「シュガー・・・」

シュガーが愛したのは・・本当に、心から愛したのは・・

お前だったんだ・・




レディアスに、気の流れを変えるのは容易だ。気を合わせ、そして流れを整えて内への循環をスムーズにする。

しかし・・

サンドの気は、触れると本当に消える寸前まで来ている。
もう、無いに等しい。
クローンだからこそ、生きているのだろう。
流れ出すのを止めるだけでは足りない。



与えなければ・・
補充しなければ・・

それは、自分の犯した罪。

手をサンドに向け、目を閉じ気を合わせる。
手先に集中させたその力が、スッと吸い取られるように離れてゆく。
しばらく続けていると、不意に力が抜けてガクンと膝が折れた。
「あ、あ、あ・・・なんて・・・・・」
身体中がひんやりと薄ら寒い。
何だろう、この身体の奥底にある何か恐ろしい。

・・・・恐怖・・・

気は命の糧ならば、それを移すのは自分の命を与えるに等しい。

こんな、恐怖を、俺はあの、ようやく生きているクローン達に・・・科していたのか。

怖い

グランド、俺は、弱くなったのだろうか。

死ぬことが怖いなど、初めての感覚にまた恐怖する。
俺は、大切な物が出来て弱くなったのか?
両手を槽の縁について、じっと身動きできずに目を閉じる。
手が、ガタガタと震えている。

寒い、寒い、寒い



「レディアス、生き物は、いつか死ぬんだよ」



ハッと声に顔を上げると、再生槽の向こうにエディが立ってこちらを見ている。
ああ、エディ・・
「まだ・・いたのか・・」
キャッとエディが笑って、クルクル舞い踊りながらこちらへと近づいてくる。
槽の向かいの縁に小さな手を付き、グッと身体を乗り出すと、レディアスの額に顔をくっつけた。
でも、今は何も感触がない。
あの時は、手まで握って歩いたのに。
「クスクス、だって、今はね、一人だからレディアスにさわれないの。
僕とシュガーは、一緒だとさわれるんだよ。」
「シュガー・・?」
「そうだよ、ずっとずっとレディアスに寄り添ってるのに、全然気が付かないんだもん。」
寄り添って・・?
ずっと、傍にいてくれたのか?

「一人じゃないよ。
レディアス、みんなの気持ちがちからになる。
あなたが好き、ずっとずっと好き・・愛してる・・」

フワリと、エディの姿が消える。
ああ、とレディアスは息を吐いて片手で顔を覆うと、もう一度サンドに向かった。

死ぬのは、一度か・・

スッと息を吸って吐く。
じっと身体中の気を整え、手を合わせる。
この部屋は、あまりにも気密が高い。
清潔に保ってあるのだろうが、外の気が入らない。
窓は固定で、明かり取りのみ。

どこまで出来るか・・・やってみる!

気合いを入れて、集中した。

隣室では、モニターの前にそれぞれが椅子にかける気もせず立って見ている。
「また、やり始めたか。どうも力のこういう使い方に慣れてないようだな。」
「長く、自分で封印していたのだろう。
それだけコントロールは付く。そう言うことだ。」
局長が、少佐に何とか心証を良くしているようだ。
同じ軍だが、少佐の報告次第でレディアスの待遇が変わる。
「でも・・あの環境は彼に悪いかもしれないわ。彼は以前、デスクワークより自然の中で仕事している方が、うんと身体も楽だし落ち着くと言っていたから。
何か関係あるかもしれない。」
マリアがしかし、心配そうにつぶやく。
グランドが、ギリギリと唇を噛みながら見つめる。
しかし、しばらくの後、マリアのその憂慮は見事に的中した。
ガクッと、レディアスの身体がモニターの向こうで膝が折れて崩れ落ち、何とか槽にしがみついて止まった。
「あっ!」グランドが、思わずモニターに駆け寄り、部屋を走り出そうとする。
「待ちなさい!グランド!」
局長が厳しく一喝して呼び止め、しばらく様子を見る。
何とかレディアスはもう一度立ち上がり、またサンドに向かう。
「これで、2度ダウンしたな。」
少佐の声もトーンが落ちた。
止めさせるべきか、続けさせるか。
サンドのモニターは、まったく状態が好転していないことを告げる。
グランドが見ていられずに、両手で顔を覆ったとき、何か後ろに人の気配を感じて振り返った。
「な、なに?」
「あ!あ!」
フワッと光りの玉がクルクルと螺旋に舞い、それが大きく人の形を取る。
「あんたは・・・!」
アッと声を上げて、ソルトが思わず身を乗り出した。

「シュガー!!」

『お願い!お願い!お願い!気が尽きる!風を入れて!お願い!お願い!お願い!』

「風?!」
「窓を開けろと言うのか?」
さすが幽霊にも、局長は動じない。

『中は駄目、外から、外から、外から』

「わかった!」
グランドが叫ぶと、シュガーがほんのり微笑んで四散して消える。
「い、い、いったいなんだっ!」
少佐が凍り付いている。
どうやらこの元冷血人間は、幽霊が大の苦手らしい。声が引きつっている。
しかし、局長はマリアにあの部屋の窓が開かないことを聞くと、サッと自らも銃を取りだし、グランドにドアを指さした。
「私が表を撃つ!お前は裏へ行け!合わせの強化ガラスだ、強さは並みじゃないぞ!銃の使用を許す!平行に撃つなよ!下手くそ!」
「了解!!」
グランドが部屋を飛び出すと、局長がコートを翻し窓を開けて飛び出す。
ダッと植え込みを走り、植えてある花々に気を付ける間もなく両足を踏みしめ、銃を窓に向かって天井付近に構えた。

パンパンパンパンパン!!

2枚の窓に集中して次々と数発ずつ穴が開いてゆく。
中で崩れるように再生槽にしがみつき、ようやく膝を付いているレディアスが顔を向けた。
廊下側の窓は、すぐそこにグランドの叫び声が聞こえて、さすがに至近距離からは弾が当たってガラスを突き抜ける。
しかし強化ガラスはビクともせず、ただ小さな穴が開くのみで風が入ってこない。
やがて双方に静けさが訪れ、そして次の瞬間、動かない窓の外からはガンガンとガラスを殴る音が響き、そして・・



その頑丈なガラスに閉口した局長は、年齢と性別を物ともせず、近くの大きな石をグッと握りしめると大きく振りかぶった。

「この・・うおおおおおお!!ダアアッ!!」

バーン!ガシャ−ン!!

レディの近くの窓に向かって思い切り投げる。
強化ガラスが銃弾を受けた所から、石に耐えられずとうとう砕け散った。

同時に反対側の廊下側の窓も割れて、どこから見つけたか大きな鉄パイプの先が飛び込んできた。
ハアハアと真っ赤な顔の局長とグランドが部屋を挟んで肩で息を付く。

ビョオオオォォォォォ・・・

まるで巻き起こるような風が一気に部屋を吹き抜けた。
部屋中を風が巻き、それが自然の気を運んでくる。
レディアスの身体に、見る間に力がよみがえる。

「ああ・・・」
何と清々しい、この星の命の息吹。

近くに広がる森の香りが、胸一杯に押し寄せて体を軽くさせた。

レディアスが、数回大きく深呼吸して身体を起こす。
立ち上がり、今までと比べ物にならない力をサンドに送る。
やがてサンドは自発呼吸が出たのか、人工呼吸器の動作が止まり、心臓の拍動がしっかりしてきた。
「どうだ、大丈夫なのか?!」
局長が、窓から叫ぶ。
レディアスは手を下ろし、汗でぐっしょりと濡れた黒髪をかき上げると、疲れた顔で頷いた。
「何とか・・・あとは何度か、分けてやるよ。」
「馬鹿者っ!お前が大丈夫かと聞いているっ!」
「は?・・お、俺?」
「答えっ!」
ハハッと、レディが苦笑して後ろによろめいた。
俺を心配して、くれるのか?
この・・・ババア・・も・・・

「だいじょう・・・」

ドタンッ!

思い切りひっくり返って、窓からレディの姿が消えた。
局長が大きく溜息をつき、腰に手をやる。
クキクキと肩を解し、フンッと息を吐いた。

「馬鹿者が、回復したらこき使ってやるからなっ!覚悟しておけっ!」

部屋の中で、飛び込んでレディの身体を起こしていたグランドは、局長の声にゾッと背中がすくみ、こそこそと背を低くして抱いて部屋を出た。
きっときっと、デスクワークでさえ厳しく怒鳴られまくり、グランドは毎日痩せる思いで仕事だろう。
早くレディの身体を治して、外地に出なければと改めて決心する。
彼らにとって、局長は幽霊より、はたまた死ぬことより怖い存在かもしれなかった。



「ああ、疲れたー・・・・死にそう・・」
久しぶりの家に帰り、ゴロゴロと居間にレディアスが転がっている。
車に乗ってもウトウト、風呂に入るとウトウト、見てるだけでこっちまで眠くなりそうだ。
髪は、黒いヘアカラーも洗うときれいに落ち、ようやくサラサラの銀色に戻って、グランドも何故か嬉しい。
食事の用意をしながらグランドが、転がっているレディを横目で見ながらニヤニヤ笑う。
張り切って、調理も久しぶりに進む。
ジャンジャン作ってどんどん皿を並べるのは、これにブルー達ももうすぐ帰ってくるからだ。
グレイとシャドウも明日帰るらしいから、この家も久しぶりに満員御礼になる。
「明日から、しばらく研究所通いかー、お前も久しぶりに自分で運転して車で行くか?」
レディアスは明日から、軍への再申告もあって、また能力検査を受ける。
それに、しばらく行かなかったマリアのメンタルヘルス通い。
それと今回のことの報告と、やること色々あるらしい。
今回本当は研究所に泊まるべきなのだが、とにかく本当に疲れていることや、家の方が落ち着くと駄目もとで希望を伝えると、局長の後押しもあって許可が出た。
まあ、もう逃げることもあるまい、と言うことらしい。
大体勝手に姿を消すなど、元々軍に管理されている兄弟には許されないのだ。
なにがしか処分が出る可能性は高いが、減俸やら謹慎だったらあんまりこいつには関係ない。
まさか禁固刑はあるまい。
まあ、なるようになれだ。
「で?車は?」
「・・イヤ。」
「お前、ペーパードライバーはもっとあぶねえんだぜー。」
「じゃあ、誰の車で?」
グランドがンーッと考えて、イシシシシシと笑う。
「あの、シャドウの高級スポーツカーってどうよ?」
「ああ、あの真っ黒い車?」
「そうそう、」
駐車場に、ピカピカのシャドウが命の次に大切にしている車が風雨にさらされてある。
まあ、大事と言ってもシャドウの荒い運転のこと、最近めっきり四スミは傷が目立つ。
「あれならー・・大きいから、ぶつかってもケガしないかなー」
むーっと考え、コロンと転がり座った。
「だろー?」
ジャアッと野菜を炒め物。
「じゃあ、明日シャドウに聞いてみよーかなー」
マジでレディが考え始めた。
ヒャハハハハ!っとグランドが大笑いする。その時、ガチャンと玄関から音がして、どやどや4人が入ってきた。
「だだいばー」
「あーちかれたー」
「ただいま、レディいるー?」
「いたー!いたよ、グレイ!」
ダアッとみんなが居間へ我先にと走ってくる。
レディを見ると、キャーやら、ワーやら、訳の分からない叫びを上げて飛び込んできた。
「レディー!お帰りー!!」
「わーっ、ちょっと待った。」
ドッとレディアスに飛びつく。
もみくちゃにされて、レディアスが目をグルグル回した。
「あれ?グレイとシャドウ、明日じゃないの?」
グランドが、テーブルに食事を並べながらなんだと漏らす。
シャドウが、ムッとしてデカイ足でドカッとグランドの足を蹴った。
「てめえ、迷惑だとでも言いたげだな、おい。
俺等はもう心配だから、急いで急いで帰ってきたんだぞ、こら。」
「あーそうですか。じゃあレディ、車は無理だったな。残念ながら。」
へ?とシャドウが下敷きにしたレディの顔を見る。
まさか・・と嫌な予感にヒクヒクと頬が引きつった。
「まさかー、レディに運転させるつもりだったなー、てめえ。」
「つっもりっだよーん。ヒヒヒ」
ゾオッとシャドウが飛び起きて玄関へバタバタ走り、キーボックスから自分の車の鍵をバシッと取り上げる。
キョロキョロと見回し、自分の部屋にゴソゴソ隠した。
「ふー、危なかった。」
「じゃあさ、ブルーのボロ車使えばいいジャン。あれなら多少ぶつけても廃車寸前だもん。」
何も知らないセピアが、料理をつまみながらブルーに言う。
ブルーがゾッとブルブル首を振った。
「じょ、冗談じゃねえっ!レディの下手くそは廃車寸前を簡単に廃車にするんだぞ。
お前、ほんとにしらねえな?こいつの運転。」
「さあ」
「こいつが免許取れたのは、カインの七不思議でもあるんだ。だから軍に入っても、ジープ一つ運転させて貰えねえの。廃車にするのは目に見えてるから。」
「へー、そうなんだ。」
「なー・・って、こいつ寝てるジャン。」
レディは、みんなの下敷きで暴れていたのに、もうスウスウ寝ている。
こそこそと、みんながキッチンへ行って固まった。
「で、どうよ、こいつの処遇は。研究所泊まりになるのか?」
「まさか、軍に収監?!」
「イヤだよ!そんなの絶対イヤ!」
それぞれ、やっぱり死ぬほど心配している。
グランドは、まあまあとみんなをなだめて、一応今わかる事だけを話した。
とにかく、今の軍の担当責任者が、少佐だったことは幸いしたらしい。
局長の強力なバックもあって、かなり庇って貰えた。
軍法会議物でもなさそうだ。
もともと軍人としてではなく、出生と特異能力との理由から、彼らは独自に研究所がメインで管理している。
今はヘリを勝手に追ったことより、隠していた能力が問題になっているので、とにかくそれを再申告することが重要だ。
「でもさあ、相変わらずレディだけはやっぱり引きずってるのねえ。
みんな今の時代でのびのびやってるのにさ。」
セピアがくりくり指でのの字を書く。
「てめーは、のびのびしすぎだよっ!明日から始末書書けって言われたろ。
フリードと接触した報告もあるし、毎日局長に怒鳴られろ!ざまー見ろ!」
ドカッと、ブルーがお尻を叩いた。
「何すんのよう!乙女のお尻は神聖なんよ!」
「ケッ!フリードに色目使ったんだろ!」
「あらん、ブルーちゃんたら気になる?」
「まあな。」
あの、ヘリポートで見せた、フリードのセピアへの固執。
フリードが何度でも蘇るとしたレディの話が本当なら、ブルーにはゾッとする。
しかし、そんな事を深く考えないのはセピアだ。らしいと言えばそうだが、ブルーは余計心配で胃が痛くなる。
「でもさあ」
グレイがフウッと息を吐く。
椅子に片膝付いて、指でおかっぱ頭の髪をクルリと絡め取って遊び、グランドの顔を覗き込む。
「少し、何か変わった?」
ドキッと、グランドが顔を上げた。
さすが半分女の第六感。
セピアが、キャッと声を落としながら叫びを上げた。
「グランドったら、レディとキスしちゃいましたー!」
「え?」「へえ・・」
みんなの反応は、キョトンとしている。
シャドウが、首を傾げて聞いた。
「お前等、キスもしてなかったわけ?」
ボアッとグランドの顔が燃え上がった。
「するわけないじゃん!俺達兄弟なのによ!」
「しーっ!しー!レディ起きちゃうよ!」
口を合わせて、何がシーやら、グランドはムッとする。
「見境無しの、お前等が節操無しなんだよ!」
「セックス恐怖症だもんねえ、レディって。グランド、たまっちゃう一方ジャン。」
セピアのまったく節操のない言葉。
皆で、ボカボカ頭を殴る。
「うう、ひどいわさ。」
「男の生理に口出しするかよ、馬鹿。」
くすんと、潤む目をして頭を抱えたセピアが、よろめきながらレディの様子を見に行く。
すると、居間を見つめて呆然とその足が止まった。
「あんた達・・・誰なわけ?」
え?っと、皆が居間を覗く。そしてあんぐりと口を開け、並んで凍り付いた。

『キャアッ、アハハハ、見つかった』
『見つかった、見つかった』

シュガーとエディが透ける身体でクルクルとレディアスのまわりを遊び、パッと光りの玉になってレディの身体に消える。



「・・・・あれ・・・なんでしょう・・」



シャドウが、ようやく声に出した。
「命の恩人さ。まあ、慣れることだね。」
グランドがヒョイと肩を上げ、諦め顔で首を振る。
「今度は幽霊付きかい、おまけの多い奴。」
「家族が増えたと思えばいいさ。」
受け入れの早い男共に、セピアがげーっと舌を出した。
「ちょっとグランド、トイレと寝てる時の部屋には入らないように言ってよね。」
「善処します。じゃあ、飯食うか。」
「よーっし、おらおら、レディ!起きろーっ!」
「ごはんだよーっ!」

ワイワイと、6人がテーブルを囲みカーペットに座る。
眠くてグラグラのレディを揺り動かしながら、久しぶりにワインを開け、祝杯を挙げて全員の無事を祝うと、その夜は遅くまで飲み明かした。
死んだように静かだった部屋が、6人集まれば十倍騒がしい。
やがて酔っぱらってお互いの体温を確かめるように、べったりくっつき川になって居間でそのまま眠る。
それぞれの寝息といびきで、眠ってもうるさい。

ずっと、一緒に暮らそう。

ずっと、一緒に生きていく。

ようやく皆が再会を果たし、そう決めて誓いを立て、コールドスリープに入って170年。

それぞれ、身体が離れては近づきながらも心はいつも一つ。

グランドが天井を見つめて、隣に眠るレディの顔を見る。
あまりにも多くの言葉が頭を巡って、眠くてたまらないのに眠れない。
身体を起こし、眠るレディの髪を一房、手にとって頬に当てた。洗い晒しの髪が、シャンプーの匂いに清々しい。

「ごめんな・・・」

小さな声で、そっと謝った。
嫌われていると思いこみ、一人は嫌だと叫んだ言葉は、グランドの胸に突き刺さった。
涙を流すのさえ忘れたレディに、涙を呼んだそれが自分の蓄積した仕打ちだと思えば悲しい。
感情の表現に悩んでいた彼に、人の真似をしろと言ったのは自分だ。
どんな時笑うのか、どんな時どんな顔をするのか、彼は必死にそれを真似て取り戻していった。
あまりにも近くにいた為だと言えば理由になるだろうか。
上辺だけに目が行って、足下のクレバスに気が付かなかった。
すべてを知りながら、傷つくことを承知の上で冷たい態度をとっていた。

殺伐とした戦場で、底辺の生き方をしてきた彼を、自分が助け上げたと自負していた大馬鹿は自分だ。
笑顔を取り戻させて、それは自分の功績のように感じてきた。

一度は助け、信用させ、それなのに追いつめて、そして嫉妬して突き放した。

最も、してはいけない事をしてしまった。
そして、今も・・・



レディアス、罪人は・・俺なんだよ。



涙がポロポロとこぼれてレディの髪を濡らす。

「グランド」

いつ目を覚ましたのか、グランドの後ろで寝ていたグレイが起きて背中に抱きついてくる。
耳元に甘い息で、優しく語りかけた。
「一人じゃないから。みんな。
何かあっても、黙って一人で抱え込まないで・・・」
グランドの顔をクイッと引き寄せ、唇にキスをする。
「わかってる・・」
力のない答えに、ふとグレイの顔が曇る。
そしてグレイがもう一度キスをしようとするのを、グランドはさえぎって首を振った。
「ごめん・・」
「・・・そう、大丈夫なら、いいんだよ。」
フッとグランドの顔が緩んだ。
「ありがとう。」
グレイが苦笑して、コツンと彼の額を叩く。
レディも変わったけど、グランドも変わったと思う。一つ成長したように、大人びて見える。
うふふっと笑い、耳元にまた囁いた。
「僕はね、グランドの力になれば、それでいいんだ。レディを傷つける気はないよ。」
「ん・・ごめん・・」
チュッと頬にキスをして、グレイは先に横になった。
何となく寂しい気がして、横でガーガーいびきを立てるシャドウのがっしりした腕をグイと引き、ギュッと抱きしめる。
しばらくして後ろでグランドも横になり、そしてグレイと背中を触れ合う。
黙って、お互い目を閉じた。

「ん・・・」

声に目を向けると、レディが、まるで何かを探すように長い毛足のカーペットを探る。
グランドが、手を差し伸べようとして・・・



引いた。



何故、手を引いたのかわからない。
たった今、後悔したのに手を引いた。
悪い夢なのか必死で何かを探って、やがて諦めたのだろう、手を握りしめ身体を丸くする。
寂しくてたまらない様子が手に取るようだ。
寒空の下、寒さに一人で耐えるように、小さく小さく身体を丸くして眉を寄せ、またスウスウ寝息を立てて眠り始めた。

ああ・・

心が、弾けてしまいそうだ・・

グランドが、握り拳を作ってそれを噛む。
自分はどうしてこんな、ひねくれてしまったんだろう。
必死で伸ばす手を目の前にしながら、その手を受け止めるのが怖くなってしまったのかもしれない。
レディアスに真っ直ぐ見つめられ、大きく何かが変わったと思う。
でも、その真っ直ぐに見つめる目は、グランドへの重圧を更に増した。
愛してる、と言葉に出すのは容易だ。
レディが口づけを求めてきたのは初めてのことで嬉しかった。

でも・・・

セピアが言うとおりだ。
そこまでなのだ。
グランドにとって、レディアスは脆いガラス。
身体を求めても、そこで簡単に壊れてしまう。
もとより、同性でセックスは壁が大きい。
その上、レディはわずか9才で激しい虐待を伴うレイプで、大きく心が壊れてしまった。
それを甘く見て、一度は欲求に耐えられず求めたことがある。
始めおとなしかったレディは、やがて耐えられず恐怖にショック状態となり、激しい痙攣ののち呼吸さえ止めてしまった。
あの、研究所の居住区に住んでいた頃だ。
丁度泊まり込みをしていたマリアに助けを求めて助かったが、呆然とした頭で随分くどくど怒られた。
レディはその後、高熱が3日続き、それだけで身体はガタガタになって、グランドはもう二度と無理強いしないと誓ったのだ。

レディアスを大切にしろと、大事にしろと、誰もが言う台詞は同じだ。

わかってる・・・

だから、ずっとグランドは自分を押さえてきた。
でも、自分は聖人君子ではいられない。
みんなと同じ、普通の男だ。
真っ直ぐ見つめられて愛していると言われたら、美しい顔でキスを迫られたら、本当に大切にしたいと思ったら・・・
抱き合ってお互いを確かめ合いたい。
身体中で、それを示したい。

この思いを、どこに持っていけばいいのだろう・・

もう、離れたくない気持ちに変わりはない。
本当に、会いたくて愛おしくてたまらなかったんだ。
でも、だからこそ、
今は、手を握れないんだ、レディアス・・

熱い息を吐いて、顔を両手で覆う。
この衝動を、押さえるのが辛い。

背中のグレイが起きあがり、グランドの身体をそっと起こし手を引いた。

グレイがそっと、キスをする。
唇を離し、そしてもう一度。

どうにも出来ない後ろめたさに、うつむいてグランドが手元のレディの髪を一房また手に取る。
そっとそれに口づけして、振り切るように手を離すとグレイに抱きつきキスをした。

何も、考えない。



グレイのフワリとしたシャツの裾から、手を差し入れ柔らかな肌を探る。
レディのゴツゴツした身体より、うんと優しく暖かい。
唇は、熱く情熱的にグランドを誘う。
レディの唇は、グレイよりも薄く寒々と冷たかった。



ああ、
レディアス、好きだ、愛してる。

でも、今は・・・・・・・・・・
今だけは、信じてくれと言わない。

お前に求めることの出来ない暖かさが、この熱さが欲しい。



欲しいんだ・・・・



レディを起こさぬように、静かに、ひっそりと。
やがて・・・2人は居間を出ていった。

お互いのパートナーを残したまま。




レディアスが、またグランドを探して手で探る。
グランドの体温だけが残るカーペットを懸命に探り、どこか不安に眠りが浅くなって行く。
部屋にサラサラと探る音だけが虚しく響き、重い瞼をうっすらと開ける。

どこ・・・?
寒い、寒いよ、グランド・・・

怖い、一人は怖いんだ・・・

衣擦れの音が響き、ふと、しっかりした手がレディアスの手を握りしめ、そして優しく身体を抱いた。



ああ、なんだ、良かった・・
グランド・・ちゃんといてくれるね・・・
一人じゃないんだね・・



夢の中のグランドが、またあの言葉を繰り返す。

「俺を、信じろよ」

うん、うん・・・わかってるよ・・・
グランドは、いつもそばにいてくれる。

ホッと息を付き、胸に顔を埋めて安心した穏やかな顔でまた寝息を立てる。
優しく銀の髪を撫でる手が、彼を暖かく包み込んでくれた。

「レディ・・グランドを、許してやれよ・・」

まるで壊れ物を抱くように、シャドウが痩せたレディの身体を抱いてつぶやく。
レディアスは安心しきった顔で、次第に深い眠りに落ちて行った。



夢の中で、ようやく見つけたうつくしいものを間に、レディがグランドと一緒に手をつないで微笑み合う。

美しい物は、壊れやすい。

フリードはそう言ったけど、大事に育てれば壊れやしない。
グランドが手を繋いでくれる限り、絶対に壊れないよ。
グランドは手を離さない。だから、大丈夫なんだ。



信じてる・・・・・・






ルーナの輝きが青く美しく部屋を照らす。

ようやく見つけたうつくしいもの・・・

それは心の中の・・・・・



もろく、儚いうつくしいもの・・・



強く、輝き続けるうつくしいもの・・・



神聖でいて、時に醜く、

愛おしく、時に憎悪に満ちた。



それが、うつくしいもの

>>うつくしいもの4